リコー

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株式会社リコーは、日本事務機器光学機器などの製造を行っているメーカーである。主に複写機ファクシミリレーザープリンターやそれらの複合機デジタルカメラなどの製造・販売を手掛ける。創業者は市村清

リコー出向社員裁判で浮き彫り「追い出し部屋」驚愕の実態[編集]

退職勧奨を拒んで子会社出向を命じられたリコーの50代と40代の男性社員が、元の職場への復帰を求めた訴訟で、東京地裁は2013年11月12日、2人の出向を無効とする判断を下した。

リコー側は判決を不服として即日控訴したが、こうした裁判などを通じて明らかになったのが、「追い出し部屋」の実態だ。

東京湾岸にあるリコーの物流子会社。付近にはコンビニが数軒あるのみで、大型トラックがけたたましく行き交う。

「社外に転身してキャリアを続けて欲しい」

本社の研究所でコピー機電子回路などを設計していた50代男性はいきなり、会社から退職勧奨を受けた。断ると、リコーロジスティクスの平和島倉庫への出向を命じられ、ベルトコンベヤーから流れてくるカメラインクカートリッジ段ボール箱に詰める単純作業を強いられた。2年前の9月のことだ。

その4カ月前、会社はグループ全体で1万人の人員削減を発表。併せて国内だけで1600人の希望退職を募集した。円高で海外売り上げが減少し、買収した米アイコン社の2万4000人の従業員が重荷になったことが理由とされる。しかし、希望退職とは名ばかりで、こうした退職勧奨が行われた。男性も犠牲者のひとりだったということだ。

アルバイトに交じって箱詰め作業[編集]

平和島の仕事場は室温15度の低温倉庫で、若いアルバイトと同じ作業。重さ15~27キロの荷物を段ボールに詰め込む作業もあり、モタモタしていると、20代の上司から「早くしろ! 遅いぞ」と罵声が飛んだ。

次に移った倉庫も、荷受け、数量確認、開梱という単純作業。その職場にもやっと慣れたと思ったころ、2012年7月に今の職場である横浜新子安の物流センターに行けと命じられたという。“嫌がらせ”のような人事だ。男性の自宅は都内で、通勤には1時間以上かかる。出社は朝8時半。一日中、立ち仕事で、仕事が終わるころには足がパンパンに張る。

うつ病にかかって脱落した人も[編集]

男性の代理人を務める旬報法律事務所の棗(なつめ)一郎弁護士がこう言う。

「男性は、歯を食いしばって無遅刻、無欠勤でやっています。隙を見せれば、会社側に付け込む材料を与えるからです。会社は技術者である彼とは無関係の仕事場に送り込むことで、プライドを折ろうとしているのです」

リコーでは今回の2人を含め約30人が訴訟などで争っている。以前はもっと多かったが、うつ病などで脱落した人も多い。その中には、昨秋に投身自殺した男性(当時46)も含まれる。

リコーに問い合わせると、「当社は職種を選んで採用していません。出向は、適材適所のローテーションです」と回答した。

概説[編集]

商業登記上は商号株式会社リコー とし、本店を東京都大田区中馬込に、本社を東京都中央区銀座に置く。英文名称はRicoh Company, Ltd. 。全国各地に販売子会社を持ち、それらは主に法人向けの販売や保守などを行っている。

1936年2月6日に、理化学研究所で開発された「理研陽画感光紙」の製造及び販売の目的で理化学興業から独立して「理研感光紙株式会社」として設立された。創業者は市村清である。翌年3月に社名を「理研光学工業株式会社」に改めた。戦後、理研コンツェルンの解体を経て(理研グループ参照)、1963年に現社名となった。

「販売のリコー」とも呼ばれるほど広く厚い販売網を持っており、都心の大型ビル等では毎日リコーの営業マンが目を光らせているとも言われるほどである。商店や小企業にも強く、かつてはパソコンの「マイツール」、ワープロ専用機の「マイリポート」といった、このターゲットに特化したヒット商品も放った。かつては各都道府県に一つは販売の子会社を持っていたが、2004年から2005年にかけて、それまで都道府県ごとに存在していた販社を地方ブロックごとに統合する作業を進めた。

2005年10月1日付より、新CIロゴを制定、社名フォントも一新した。

沿革[編集]

  • 1936年2月6日 - 理化学研究所で開発された感光紙の商品化のため、理研感光紙株式会社として設立。
  • 1960年8月 - 初のオフィス向け印刷機「リコーオフセットB4」を発売。
  • 1963年4月 - 「株式会社リコー」に改称。
  • 1997年4月 - 世界初のCD-R/RWドライブ「リコーMP6200シリーズ」を発売。
  • 2003年5月 - WEC(World Environment Center)ゴールドメダルを受賞。
  • 2011年10月 - HOYAよりPENTAXイメージング・システム事業を買収し、ペンタックスリコーイメージング株式会社(現リコーイメージング株式会社)を完全子会社として発足。

主な事業・製品[編集]

OA機器[編集]

複写機のデジタル化では先陣を切り、カラー化が主流となった今、国内でのシェアはカラー、モノクロで総合首位である。スモールオフィス向けの小型複合機ファクスでも高いシェアを持つ。1990年代以降、提携・買収による事業戦略の強化を進めており、2001年には米OA機器販社レニエを子会社化し、海外事業の販売力を強化。2004年には日立製作所の大型プリンター部門を分社化した日立プリンティングソリューションズ株式会社を友好的買収により子会社化し、大型業務用プリンター事業に参入した。2007年には米IBMの大型業務用プリンター事業部門を買収し、同事業の強化を推し進め、OA関連機器事業全体の収益増を見込んでいる。

2008年8月27日に、米国の独立系大手事務機器販売会社アイコンオフィスソリューションズen:IKON_Office_Solutions)を買収すると発表した。

過去にジアゾ式や電子写真式の複写機では国内で圧倒的なシェアを持っていたため、同社の商標「リコピー」は、事実上の複写機の代名詞であった。

カメラ製品[編集]

カメラの老舗でもあり、戦前はライカに範を取り独自の機構を盛り込んだ「護国」「リコール」シリーズ等の高級カメラから、各種蛇腹カメラや35ミリフィルム使用のコンパクトカメラの先駆ともいえる「オリンピック」シリーズ、各種軽便カメラ等の中級~大衆機までを手広く製造した。戦後は構造を単純化し製造を容易にした「リコーフレックスIII」が安価(6,500円)でよく写ると大評判になり、一時は店頭に行列が出来たりプレミアすらついたりと爆発的な売れ行きを示し、国産二眼レフカメラの大ブームの火付け役となった。リコーフレックスはその後次々と改良・シリーズ化され、高品質大衆カメラのリコーという印象を消費者に植え付けた。一眼レフカメラの時代には、旭光学(現・ペンタックス)のカメラと互換性のあるプラクチカマウントやKマウントを採用したカメラを発売している。性能と比べて廉価な価格はアマチュアカメラマンの支持を得たが、世界初のオートフォーカス一眼レフや太陽電池を搭載した一眼レフの発売など技術的な挑戦を重ねている。

詳細は リコーのカメラ製品一覧 を参照

その後デジタルカメラの開発・製造・販売を本格的に開始する。ライバル他社に比べ今一つ地味であり、シェアこそ現在も低いながらも、他社とは一歩違った方向性に進み一定の人気を得ている。「カメラ好きの作った、カメラ好きのためのカメラ」「撮影領域の拡大」「コンパクトだからこそできる製品作り」という意識を強く持っており、いずれのラインナップも個性が強い。

乾電池で動く省電力設計、レリーズタイムラグの短縮、強力なマクロや広角へのこだわり、スクウェアモード、小型の高倍率ズーム機、さらには高級コンパクトデジタルカメラという分野そのものなど、リコーが開拓した領域は多い。リコーのコンパクトデジタルカメラのあり方は、常に先駆的である。

詳細は ペンタックスのデジタルカメラ製品一覧 を参照

2012年4月1日、「RICOH」および「PENTAX」の双方のブランドのコンシューマー向けカメラ事業が、ペンタックスリコーイメージング株式会社(現リコーイメージング株式会社)に集約された。

その他の事業・サービス[編集]

半導体部品においては、かつてファミリーコンピュータ用のLSIを製造していたほか、フォントパッケージ「TrueTypeWorld【ValueFont D2】」も制作。リョービ明朝ゴシックTrueTypeフォント化したものが、日本語版Microsoft Windows搭載の「MS 明朝MS ゴシック」になっている。

2003年、カナダトロントに位置する「CNEコロシアム」のリニューアル時に命名権を獲得し、「リコー・コロシアム」となった。当地は、北米のプロアイスホッケーリーグ・NHLの下部組織にあたるAHLに所属するチーム・トロント・マーリーズの本拠地となっている。 また、2005年にはイギリスのプロサッカーチームであるコヴェントリー・シティFCのホームスタジアムの命名権を獲得し、リコー・アリーナと名付けられた。当地は、スタジアムの他に商業施設やホテル、会議場、展示場なども擁する大規模複合施設である。

かつては日本IBMと合弁でライオス・システム株式会社を設立し、Thinkpadシリーズの設計・製造を行っていたが、(実際はIBM PalmTop110やPS/55 note、SHARP Mobiusの一部の機種なども手がけた)ライオス・システムは解散となり、リコーのPC設計技術は電装ユニットカンパニーへと受け継がれ、今でも組み込み機器向けの工業用マザーボードの設計・製造を行っている。Thinkpadシリーズでは名機と呼ばれたチャンドラ、チャンドラ2(Thinkpad235)もこのチームが手がけた。[1]

着メロ配信などを行う「ギガネットワークス」の前身はリコー子会社の旧キガネットワークスである。この会社はリコーの通信機器ノウハウを生かし、通信カラオケ市場に参入したものである。その後通信カラオケの曲データを用い着メロに参入、一方で市場激化のため通信カラオケ事業より撤退し、着メロ会社に一本化した。その後三愛グループ配下を経て、2006年4月、フェイスが買収した。現在のギガネットワークスはロゴは当時のままだが、リコーグループとは無関係である。

国内主要拠点[編集]

  • 国内販売拠点 - 8営業本部(2013年3月31日現在)(詳細はリコージャパンを参照)
  • 国内サービス拠点 - 377拠点(2013年4月現在)
  • 国内生産拠点 - 6拠点(2013年3月31日現在)
  • 国内研究拠点 - 5拠点(2013年3月31日現在)

主要関連会社[編集]

海外地域統括会社[編集]

  • 北米 - Ricoh Americas Corporation
5 Dedrick Place, West Caldwell, New Jersey 07006, U.S.A.
  • ヨーロッパ - Ricoh Europe PLC
66 Chiltern Street, London W1U 4AG, U.K
  • 中国 - Ricoh China Co., Ltd. (理光(中国)有限公司)
20F, Lansheng Building, No2-.8, Huaihai Zhong Road, Shanghai, China
  • アジア・オセアニア - Ricoh Asia Pte. Ltd.
260 Orchard Road #15-01/02 The Heeren, Singapore 238855
  • 韓国 - Sindoh Co., Ltd. (주식회사 신도리코)
277-22, Sungsu 2-ga-dong, Sungdong-Ku Seoul, Korea

主な提供番組[編集]

現行の番組[編集]

過去の番組[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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