昭和電工
昭和電工株式会社 Showa Denko K.K.
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Showa Denko logo.svg | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 東証1部 4004 1949年5月16日~上場中 |
略称 | 昭電 |
本社所在地 | 日本 東京都港区芝大門1丁目13番9号 |
電話番号 | |
設立 | 1939年(昭和14年)6月1日 |
業種 | 化学 |
事業内容 | 石油化学、化学品、エレクトロニクス、無機、アルミニウム |
代表者 | 森川宏平(代表取締役会長) 高橋秀仁(代表取締役社長兼社長執行役員兼CEO) |
資本金 | 1,405億6,400万円 (2018年12月31日現在)[1] |
売上高 | 連結:9,064億5,400万円 単独:5,308億6,200万円 (2019年12月期) |
総資産 | 連結:1兆763億8,100万円 単独:7,915億8,100万円 (2019年12月期) |
従業員数 | 連結:32,373人 単独:3,561人 (2021年6月30日現在) |
決算期 | 12月31日 |
主要株主 | 富国生命保険相互会社(3.09%) 第一生命保険(2.46%) 明治安田生命保険相互会社(1.81%) GOLDMAN SACHS INTERNATIONAL(1.68%) JP MORGAN CHASE BANK 385151(1.56%) 損害保険ジャパン日本興亜(1.44%) (2019年12月31日現在) |
主要子会社 | 関連会社の項目を参照 |
関係する人物 | 森矗昶(創業者) 鈴木忠治(元社長) 石川一郎(元社長・会長) 大橋光夫(元社長・会長) 市川秀夫(元社長・会長、現取締役) |
外部リンク | https://www.sdk.co.jp/ |
特記事項:経営指標は 2019年12月期 第111期 有価証券報告書昭和電工株式会社2019年12月期 第111期 有価証券報告書PDF 従業員数は就業人員であり、臨時従業員数は[ ]内に年間の平均人員を外数で記載している。 自己株式、信託口は主要株主から除外。 |
昭和電工株式会社(しょうわでんこう、英:Showa Denko K.K.)は、日本の化学工業会社。日経平均株価の構成銘柄の一つ[2]。
1939年(昭和14年)6月、森矗昶が設立した日本電気工業と、経営に参加した味の素傘下の昭和肥料の合併により設立され、戦前は森コンツェルンの中核企業であった。社名の由来は、前身両社の名を組み合わせたもの。
2011年(平成23年)3月7日より、同社グループのスローガンとして「具体化。」(英文では“Shaping Ideas”)が制定され、あわせて鉛筆をモチーフとしたシンボルマークも制定された。
沿革[編集]
森矗昶はヨード工場の見習工から出発して、海草からヨードの抽出事業を進めていた「味の素」の鈴木三郎助(二代目)、鈴木忠治兄弟と手を組んで化学工業会社を興し、1922年(大正11年)に森興業を、1928年(昭和3年)に昭和肥料を設立した。
新しい化学工業の一大拠点とするため、森コンツェルン傘下の昭和肥料や日本電工などを糾合してスタートしたが、基礎となった総房水産は、森矗昶の父森為吉と、安西浩、安西正夫兄弟の父安西直一が創設したものであり、森一族・味の素の鈴木一族・安西一族の共同作業の結果つくられた企業体であった。そのため森曉、安西正夫、鈴木治雄などが社長を務めた。
味の素の創業者鈴木三郎助(二代目)は、もともとヨードの製造販売でライバル関係にあったが、森の会社が経営危機に陥った際に鈴木がこれを救済した事から友好関係に転化した。鈴木は森の経営者・技術者としての才能を高く買い、自身が設立した昭和肥料に森を参加させた。
1931年(昭和6年)4月、昭和肥料は森の指導下で国産初の硫安の製造に成功したが、その数日前に鈴木が他界。森は鈴木の訃報を知って号泣したという。
さらに3年後、コンツェルン傘下の日本電工で、国産アルミニウムの生産に成功した。
1939年、日本電気工業、昭和肥料の両社合併により社名が現在のものとなるが、創業年としているのは昭和肥料の前身会社の日本沃度の設立年である1926年としている。
2014年の株主総会を得て退任した現相談役の大橋光夫は石油化学工業協会会長や日本化学工業協会会長等を務めた。
- 1908年(明治41年)12月 - 森矗昶によって総房水産(株)[日本沃度(株)の母体]設立。
- 1926年(大正15年)10月 - 日本沃度(株)設立(これをもって創業とする)。
- 1928年(昭和3年)4月 - 昭和肥料(株)設立。
- 1934年(昭和9年)3月 - 日本沃度(株)が日本電気工業(株)と改称。
- 1939年(昭和14年)6月 - 日本電気工業(株)と昭和肥料(株)が合併、昭和電工(株)設立。
- 1946年(昭和21年)2月19日 - 昭和天皇が川崎工場を訪問。第二次世界大戦後の全国行幸を開始した。
- 1948年(昭和23年) - 昭和電工事件(昭電疑獄)が発覚。
- 1949年(昭和24年)5月 - 東京証券取引所に上場。
- 1964年(昭和39年)
- 1969年(昭和44年)4月 - 大分臨海工業地帯にて大分石油化学コンビナート営業運転開始。
- 1970年(昭和45年)
- 4月23日 - 富山工場で爆発事故発生。工場の従業員のほか、近隣の他社寮や住宅のガラスが割れるなどして23人が重軽傷[3]。
- 5月 - アメリカ合衆国のユニオン・カーバイド社と合弁でユニオン昭和株式会社を設立。
- 1977年(昭和52年)12月 - 昭和電工建材株式会社を設立。
- 1982年(昭和57年)10月 - セラミックス事業部の関連会社として昭和電工研装株式会社を設立。
- 1982年(昭和57年)3月 - 昭和工事の商号を昭和電工エンジニアリング株式会社に変更。
- 1986年(昭和61年)2月 - 国内アルミニウム製錬全面停止。
- 1989年(平成元年)
- 2001年(平成13年)3月 - 昭和アルミニウムと合併。
- 2004年(平成16年) - 日本ポリテック株式会社を完全子会社化。
- 2005年(平成17年)7月 - 世界初の垂直磁気記録方式ハードディスクおよび世界最小0.85インチ径ハードディスクの量産開始。
- 2006年(平成18年)9月 - 昭和高分子株式会社を完全子会社化。
- 2008年(平成20年)9月 - イギリス・F2ケミカルズ社を完全子会社化。
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)7月 - 昭和高分子株式会社と合併。
- 2012年(平成24年) - 中鋼集団より傘下の四川炭素を買収
- 2017年(平成29年)10月2日 - ドイツ・SGL GroupよりSGL GE Holding GmbHを買収
- 2017年(平成29年)11月7日 - 東海カーボン株式会社にSGL GE Carbon Holding LLCを売却
- 2019年(令和元年)12月18日 - 日立化成を買収すると発表[5]。日立化成の株式取得1年後を目処に両社の統合を進める。
- 2020年(令和2年)4月21日 - 昭和電工は日立化成へのTOB(株式公開買い付け)が成立したと発表した。日立化成は28日付で日立製作所の子会社でなくなり、昭和電工の傘下に入ることになった[6]。
事業[編集]
総合化学大手の一角に数えられているが、電子・情報材料など高収益の事業に注力する事業再構築を行い「脱総合化」を図り「個性派化学」を目指している。
- 石油化学
- エチレン・プロピレン、およびその誘導品である酢酸・アリルアルコールなどを製造。主要製造拠点として大分にコンビナートを所有。
- 化学品
- 主に川崎製造所において、産業用・医療用ガス、工業用薬品等の基礎化学品、電子材料向け高純度ガス等を生産。
- 無機
- セラミックス(アルミナ)、電気製鋼炉用人造黒鉛電極、電材用ファイン・カーボンを生産。
- アルミニウム
- 1934年(昭和9年)に日本で初めてアルミニウム製錬の工業化に成功(1984年(昭和59年)に停止)して以来、アルミニウム材料や高付加価値加工品を生産。現在は、2001年(平成13年)に合併した昭和アルミニウムで行っていた事業が中核となっている。
- エレクトロニクス
- ハードディスク事業を手がけており、生産能力と密度記録向上の技術で世界トップを誇り、外販メーカーとしては世界トップクラスのシェアを有する。2009年(平成21年)にHOYAとの事業統合を行うことを発表していたが中止となった[7]。同年4月30日には、富士通(山形富士通)のHDDメディア部門の譲渡契約締結が発表された[8]。その他、LED、化合物半導体などを手がける。
- その他
- 商社として昭光通商等の子会社で事業を行っている。
歴代社長[編集]
代数 | 氏名 | 在任期間 | 出身校 |
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初代 | 森矗昶 | 1939 - 1940 | 勝浦高等小学校 |
第2代 | 鈴木忠治 | 1940 - 1945 | 横浜商業学校 |
第3代 | 森曉 | 1945 - 1947 | 京都帝国大学文学部 |
第4代 | 日野原節三 | 1947 - 1953 | 東京帝国大学法学部 |
第5代 | 佐竹次郎 | 1953 - 1959 | 東京帝国大学法学部 |
第6代 | 安西正夫 | 1959 - 1971 | 東京帝国大学法学部・経済学部 |
第7代 | 鈴木治雄 | 1971 - 1981 | 東京帝国大学法学部・工学部 |
第8代 | 岸本泰延 | 1981 - 1987 | 東京帝国大学工学部 |
第9代 | 村田一 | 1987 - 1997 | 東京帝国大学工学部 |
第10代 | 大橋光夫 | 1997 - 2005 | 慶應義塾大学経済学部 |
第11代 | 高橋恭平 | 2005 - 2011 | 東京大学経済学部 |
第12代 | 市川秀夫 | 2011 - 2017 | 慶應義塾大学法学部 |
第13代 | 森川宏平 | 2017 - 2022 | 東京大学工学部 |
第14代 | 高橋秀仁 | 2022 - | 東京大学経済学部 |
国内事業所[編集]
- 本社 - 東京都港区
- 支店 - 大阪市西区、名古屋市中村区、福岡市博多区
- 研究拠点 - 千葉市緑区、川崎市川崎区、小山市
- 事業所 - 大分市(コンビナート)、川崎市川崎区、横浜市神奈川区、小山市、秩父市、千葉市緑区、大町市、塩尻市、喜多方市、東長原(会津若松市)、徳山(周南市)、堺市、彦根市
グループ会社・子会社・関連会社[編集]
子会社および関連会社数は152社である(2020年現在)[1]。
- 石油化学
- 化学品
- 昭和電工マテリアルズ株式会社
- 昭和電工ガスプロダクツ株式会社
- 東京液化酸素株式会社
- ユニオン昭和株式会社
- ハイパック株式会社
- 日本ポリテック株式会社
- 無機
- 昭和電工研装株式会社
- 昭和ファインセラミックス株式会社
- 昭和電工カーボン株式会社[9]
- アルミニウム
- 昭和アルミニウム缶株式会社
- エレクトロニクス
- 昭和電工HD山形株式会社
- 昭和電工パッケージング株式会社
- 昭和電工エレクトロニクス株式会社 - 昭和電工株式会社のハードディスク事業部に属する千葉事業所が分社化された会社
- その他
- 解散済み
公害・汚職など[編集]
- 昭和電工事件
- 新潟水俣病(第二水俣病)
- トリプトファン事件
- 川崎公害
- 排水データ偽装事件
同業他社[編集]
脚注[編集]
- ↑ 1.0 1.1 (2019-03-28) 昭和電工株式会社 第110期 有価証券報告書 EDINET 2019-03-28 [ arch. ] 2019-05-20
- ↑ 構成銘柄一覧:日経平均株価 Nikkei Inc. 2021年10月8日閲覧。
- ↑ 「富山の昭電工場で爆発 住民ら23人けが」『朝日新聞』昭和45年(1970年)4月24日夕刊、3版、11面
- ↑ 米谷民雄 齋藤博士 (2009) 米谷民雄 齋藤博士 [ 総説 L-トリプトファン製品による好酸球増多筋痛症候群(EMS)および変性ナタネ油による有毒油症候群(TOS) -EMSの大発生から20年— ] 食品衛生学雑誌 50 6 日本食品衛生学会 2009 279-291 10.3358/shokueishi.50.279
- ↑ (2019-12-18) 昭和電工、日立化成買収を正式発表 9600億円でTOB ja 2019-12-18 [ arch. ] 2019-12-19
- ↑ () 昭和電工、日立化成のTOB成立:時事ドットコム ja [ arch. ] 2020-04-21
- ↑ 昭和電工HP内 - HOYA株式会社とのハードディスク関連事業統合の交渉中止に関するお知らせ
- ↑ ASCII.jp - 富士通、東芝および昭和電工とHDD事業売却の最終契約を締結
- ↑ 昭和電工カーボンは設立20周年を迎えます 昭和電工(2008年6月30日)
- ↑ 合弁会社「日本酢酸エチル(株)」の解散合意に関するお知らせ 昭和電工・KHネオケム(2013年11月6日)
- ↑ 新潟水俣病新たに3人認定: 産経ニュース: 2009年5月2日.
- ↑ 内藤裕史 (2007) 内藤裕史 [ 健康食品・中毒百科 ] 丸善 2007 978-4621078402
関連項目[編集]
- 鈴木竹雄
- 昭和駅 - 鶴見線の駅。昭和肥料から命名。
- 南大町駅 - 大糸線の駅。信濃鉄道時代、「昭和駅」として建設。
- 底質汚染
- かこさとし - 研究者として勤務していたが退職。
- 高杉良 - 昭和電工の大分石油コンビナート建設工事をもとに、小説『生命燃ゆ』を執筆。
- 城山三郎 - 創業者森矗昶をモデルに、小説『男たちの好日』を執筆。
- 大分スポーツ公園総合競技場(昭和電工ドーム大分) - 2019年3月より命名権契約締結。
- 大分トリニータ - 2020年よりユニフォームスポンサーとなる。
- 山下達郎のサンデー・ソングブック - エフエム東京(TOKYO FM)を始めJFN(全国FM放送協議会)全国38局ネットで放送されているラジオ番組。2012年6月24日から同番組のスポンサーとして放送されている[1]。
- 風を待って - 小田和正の楽曲。明治安田生命のCMソングとしてお馴染みであるが、昭和電工のCMソングとしても使用されている。
外部リンク[編集]
- 昭和電工株式会社 - 公式ウェブサイト