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かつては全線に渡って独自の[[自動列車停止装置|ATS]](多変周式信号ATS)を採用していた。[[日本の鉄道信号|信号]]現示における速度制限は、絶対停止0km/h・警戒25km/h・注意45km/h・減速75km/h、進行の5種類で、制限速度はATCのように速度計の外周に表示される。絶対停止で停車した場合、確認スイッチを操作することで最高15km/hで走行が可能になる。この確認スイッチは絶対停止用のもので、前方の信号機の現示が上位しても地上子を通過するまでは照査速度を変えることはできない。 | かつては全線に渡って独自の[[自動列車停止装置|ATS]](多変周式信号ATS)を採用していた。[[日本の鉄道信号|信号]]現示における速度制限は、絶対停止0km/h・警戒25km/h・注意45km/h・減速75km/h、進行の5種類で、制限速度はATCのように速度計の外周に表示される。絶対停止で停車した場合、確認スイッチを操作することで最高15km/hで走行が可能になる。この確認スイッチは絶対停止用のもので、前方の信号機の現示が上位しても地上子を通過するまでは照査速度を変えることはできない。 | ||
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*京王電鉄では[[ダイヤグラム#ダイヤ改正|ダイヤ改正]]のことを「ダイヤ改定」と呼ぶ。改めた[[ダイヤグラム|ダイヤ]]が利用者すべてに正しいダイヤとは限らない等の理由からである。長らく京王のみが「ダイヤ改定」と呼称していたが、2003年以降は[[京阪電気鉄道]]でも「ダイヤ改定」と呼称している。 | *京王電鉄では[[ダイヤグラム#ダイヤ改正|ダイヤ改正]]のことを「ダイヤ改定」と呼ぶ。改めた[[ダイヤグラム|ダイヤ]]が利用者すべてに正しいダイヤとは限らない等の理由からである。長らく京王のみが「ダイヤ改定」と呼称していたが、2003年以降は[[京阪電気鉄道]]でも「ダイヤ改定」と呼称している。 | ||
*現在は京王線・井の頭線で同時にダイヤ改定が行われているが、1990年代までは別々に行われたことがしばしばあった。 | *現在は京王線・井の頭線で同時にダイヤ改定が行われているが、1990年代までは別々に行われたことがしばしばあった。 | ||
+ | *1990年代後半ごろから、祭日のうち[[天皇誕生日]]のみ平日ダイヤで運行されるようになった。 | ||
*[[2006年]][[8月31日]]までのダイヤにおいて、平日ダイヤと土休日・祭日ダイヤのほかに土休日・祭日シーズンダイヤも存在した。シーズンダイヤは4 - 6月・9 - 11月に設定され、都内でも貴重な自然の残る[[高尾山]]への行楽客向けや、この時期にほぼ毎週GIレースが行われる[[東京競馬場]]への観戦客向けとして利用客を見越した時間帯に臨時列車を運行していた。現行の高尾線方面のダイヤでは、土休日の下り列車はほぼ終日で新宿方面から準特急として高尾山口駅まで運行する系統と京王八王子行きの特急(北野駅の同一ホームで各駅停車高尾山口行きに接続)の交互の運転に、上り列車は早朝1本を除くほぼ終日で、高尾山口から準特急新宿行きの系統と、各駅停車新宿行き(北野駅で京王八王子発の特急に乗り換えることによって新宿方面に先着可能)を交互に運行するダイヤに改められている。競馬場線関係では、東京競馬開催時の一部時間帯に上下の特急と準特急を東府中駅に臨時停車させたり、メインレース終了後に府中競馬正門前駅発新線新宿行きの臨時急行の運転を行っている。 | *[[2006年]][[8月31日]]までのダイヤにおいて、平日ダイヤと土休日・祭日ダイヤのほかに土休日・祭日シーズンダイヤも存在した。シーズンダイヤは4 - 6月・9 - 11月に設定され、都内でも貴重な自然の残る[[高尾山]]への行楽客向けや、この時期にほぼ毎週GIレースが行われる[[東京競馬場]]への観戦客向けとして利用客を見越した時間帯に臨時列車を運行していた。現行の高尾線方面のダイヤでは、土休日の下り列車はほぼ終日で新宿方面から準特急として高尾山口駅まで運行する系統と京王八王子行きの特急(北野駅の同一ホームで各駅停車高尾山口行きに接続)の交互の運転に、上り列車は早朝1本を除くほぼ終日で、高尾山口から準特急新宿行きの系統と、各駅停車新宿行き(北野駅で京王八王子発の特急に乗り換えることによって新宿方面に先着可能)を交互に運行するダイヤに改められている。競馬場線関係では、東京競馬開催時の一部時間帯に上下の特急と準特急を東府中駅に臨時停車させたり、メインレース終了後に府中競馬正門前駅発新線新宿行きの臨時急行の運転を行っている。 | ||
*以前は休日ダイヤの下り特急・急行で高幡不動で切り離しが行なわれていたため、相互の行き先の車両内を識別するため、吊り輪の色を白と緑の2色に分け、車内放送でも「前x両の白い吊り輪の車両が○○行き、後y両の緑の吊り輪の車両が●●行きです」とアナウンスしていた。 | *以前は休日ダイヤの下り特急・急行で高幡不動で切り離しが行なわれていたため、相互の行き先の車両内を識別するため、吊り輪の色を白と緑の2色に分け、車内放送でも「前x両の白い吊り輪の車両が○○行き、後y両の緑の吊り輪の車両が●●行きです」とアナウンスしていた。 | ||
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2022年7月16日 (土) 08:04時点における最新版
京王電鉄株式会社 (けいおうでんてつかぶしきがいしゃ) は、東京都南西部から神奈川県北部に鉄道路線を有する鉄道事業者で、大手私鉄の一つである。
京王という名称の由来は、東京と八王子を結ぶ鉄道であることから。1998年6月30日まで、旧京王電気軌道と旧帝都電鉄の路線で発足した経緯から京王帝都電鉄(けいおうていとでんてつ、略称:京王帝都・京帝、英称:Keio Teito Electric Railway、英略称: KTR)という社名であった。パスネットの符丁はKO。
歴史[編集]
現在の京王電鉄は、元々資本の異なる旧京王電気軌道(京王線の営業をしていた会社)と旧帝都電鉄(井の頭線の営業をしていた会社)が、第二次世界大戦時の戦時統制を経て発足したため、それぞれ個別に記述する。
京王電気軌道・玉南電気鉄道[編集]
現在の京王電鉄の歴史は、1905年(明治38年)12月12日に、日本電気鉄道株式会社が関係官庁に電気鉄道敷設を出願したことにまで遡る。なお、この時出願した路線は、現在の京王線とは路線経路が全く異なるものであった。
後に、日本電気鉄道は1906年(明治39年)8月18日に武蔵電気軌道株式会社と改称し、既に出願していた鉄道計画路線を変更した。そして、この時に出願した路線が現在の京王線の路線の経路の基となった。
その後、1910年(明治43年)4月12日に武蔵電気軌道が京王電気軌道株式会社と改称し、9月21日に資本金125万円で設立された。しかし、まだ鉄道路線は有していないため、当初の営業は1911年(明治44年)7月4日に関係官庁より許可が出た電気供給事業のみ執り行っており、1912年(明治45年)8月から調布町・多磨村・府中町・西府村(いずれも当時の行政区分)に電気供給を行っていた。
そして、1913年(大正2年)4月8日に、玉川電鉄と東京電燈から買った電力を笹塚変電所 (100kW) で受けて、4月15日に笹塚駅 - 調布駅間の12.2キロの電車営業と、電車の補助機関として新宿駅 - 笹塚駅間及び調布駅 - 国分寺駅間の乗合自動車営業(バス事業)を開始した。その後は1914年(大正3年)11月19日の京王線の新町駅(現存せず) - 笹塚駅間の延伸を皮切りに、1915年(大正4年)5月30日には新宿追分駅(新宿3丁目付近にある追分交差点にあった駅 現・京王新宿三丁目ビルの位置) - 新町駅間が、1916年(大正5年)6月1日には調布駅 - 多摩川原駅(現・京王多摩川駅)間が、10月31日には調布駅 - 府中駅間が延伸開業した。また、1923年(大正12年)5月1日には新宿駅 - 府中駅間の全線複線化も行っている。このほか、1919年(大正8年)4月には多摩川原駅前での造園事業も行った。
また、電車運転の余力の売電も行い、1914年(大正3年)10月から国分寺村に、1915年(大正4年)8月から谷保村・立川村に、同年10月から小平村・田無村に、同年11月から保谷村に、1916年(大正5年)1月から拝島村に、同年2月から中神村他七カ村連合に、同年7月から神代村・和田堀内村・千歳村・高井戸村・松原村に、1917年(大正6年)3月から三鷹村に、同年8月から砧村に、1919年(大正8年)4月から稲城村に供給した。1922年(大正11年)12月に東京電燈の立川変電所から500kWの受電を開始し、1923年(大正12年)3月から狛江村への電気供給を開始した。
一方、府中駅 - 東八王子駅(現・京王八王子駅)間は、1922年(大正11年)に設立された京王の関連会社である玉南電気鉄道株式会社によって1925年(大正14年)3月24日に営業を開始した。これは国からの補助金を得るため、府中駅 - 東八王子駅間を軌道法に基づく京王電気軌道ではなく、新たに設立した地方鉄道法に基づく新会社(玉南電気鉄道株式会社)により敷設を行ったものである。しかしながら免許路線が官営の中央本線に並行していることを理由に、京王・玉南が当てにしていた補助金は認められなかった。
その後、1926年(大正15年)12月1日に京王電気軌道が玉南電気鉄道を併合し、資本金1,290万円の会社となる。1927年(昭和2年)6月1日に玉南鉄道線(府中駅 - 東八王子駅間)を1,067mmから1,372mmへ改軌する工事が終了し、全線軌道法による直通運転を開始した。しかし、新宿駅から東八王子駅まで乗り換えなしでは行けない状況は1928年(昭和3年)5月22日のダイヤ改定まで続いた。
京王電気軌道は設立当初から資金難のために経営が不安定であったが、1928年(昭和3年)12月18日に井上篤太郎が社長兼専務に就任すると、当時あった森村財閥の資本系列に属すこととなる。また、資本を得たことにより、1931年(昭和6年)3月20日には、初の支線である御陵線(北野駅 - 御陵前駅間)が開通したり、1932年(昭和7年)4月の高尾登山鉄道との連帯運輸の開始を皮切りに、帝都電鉄、省線電車などとも連帯運輸を行うこととなる。また、御陵線のライバル路線であった武蔵中央電気鉄道の軌道線も1938年(昭和13年)6月1日に買収し、一旦「京王電気軌道八王子線」(後に高尾線)としていたが、翌1939年(昭和14年)6月30日をもって休止、同年廃線にしている。
後の1937年(昭和12年)2月に資本系列が森村財閥から大日本電力(甲州財閥)に移る。そのため、甲州財閥の穴水熊雄が社長に就任し、沿線の乗客誘致政策が積極化することとなる。具体的には駅名の改称であり、例を挙げるならば、京王車庫前駅→桜上水駅・上高井戸駅→芦花公園駅・多磨駅→多磨霊園駅・関戸駅→聖蹟桜ヶ丘駅・百草駅→百草園駅・高幡駅→高幡不動駅・多摩川原駅→京王多摩川駅、など観光地であることを強調する駅名にしている。これらの駅名は、観光地駅としての地位についてはともかく、現在まで引き継がれ親しまれており、一定の先見の明があった施策といえる。
また、乗合自動車事業は1938年(昭和13年)3月の武蔵中央電気鉄道のバス事業(八王子市街地で運行)買収を皮切りに、高幡乗合自動車株式会社(高幡不動駅 - 立川駅間で運行)と由木乗合自動車株式会社(八王子駅 - 由木(現在の京王堀之内駅・南大沢駅周辺の地域名称) - 相模原駅間で運行)の買収を行っている。
他にも、新事業として1938年(昭和13年)11月に不動産事業を開始した。
しかし、第二次世界大戦の勃発で、1942年(昭和17年)前半には、陸上交通事業調整法に基づき、東京市内のバス路線の東京都への譲渡や、配電統制令により電力供給事業を関東配電株式会社(東京電力の前身)に譲渡することとなり、経営に大打撃を与える。そして、1944年(昭和19年)5月31日には陸上交通事業調整法に基づき東京西南地区の私鉄は1つに統合されることとなり、大株主であった大日本電力は、長年京王電気軌道と競合関係にあった東京急行電鉄へ株式を譲渡することとなり、いわゆる大東急の一員となる。
年表[編集]
- 1905年(明治38年)12月12日 日本電気鉄道株式会社が関係官庁に電気鉄道敷設を出願する。
- 1906年(明治39年)8月18日 日本電気鉄道株式会社が武蔵電気軌道株式会社に改称する。
- 1910年(明治43年)
- 1913年(大正2年)4月15日 軌道法に基づく京王電気軌道が笹塚駅 - 調布駅間を開業。軌間1,372mm。
- 1914年(大正3年)11月19日 新町駅(現存せず) - 笹塚駅間が開業。
- 1915年(大正4年)5月30日 新宿追分駅(現存せず) - 調布駅間が全通。
- 1916年(大正5年)
- 1922年(大正11年) 玉南電気鉄道が設立される。
- 1925年(大正14年)3月24日 地方鉄道法に基づく玉南電気鉄道が府中駅 - 東八王子駅間を開業。軌間1,067mm。
- 1926年(大正15年)12月1日 京王電気軌道が玉南電気鉄道を合併する。
- 1927年(昭和2年)
- 6月1日 玉南が開業した区間を1,372mm軌間に変更し、軌道法適用とする。
- 12月17日 下仙川(現・仙川) - 調布間を甲州街道北側から南側の現在線に付け替え。
- 1928年(昭和3年)5月22日 新宿駅 - 東八王子駅間の直通運転を開始。
- 1931年(昭和6年)3月20日 御陵線(北野駅 - 御陵前駅間)が開通。
- 1938年(昭和13年)6月1日 御陵線のライバル路線であった武蔵中央電気鉄道を買収、八王子線(横山車庫前駅 - 高尾橋駅間、後に高尾線と改称)となる。
- 1939年(昭和14年)
- 1944年(昭和19年)5月31日 陸上交通事業調整法により、東京急行電鉄に統合され、いわゆる大東急の一員となる。
帝都電鉄(小田原急行鉄道時代も含む)[編集]
一方、井の頭線は、鬼怒川水力電気系列の帝都電鉄株式会社が同社の渋谷線として1933年(昭和8年)8月1日に渋谷駅 - 井の頭公園駅間を開業させ、1934年(昭和9年)4月1日に吉祥寺駅まで全通させたものである。
元々、同社は1928年(昭和3年)9月24日に設立された鬼怒川水力電気系列の東京山手急行電鉄株式会社がそもそもの母体である。1930年(昭和5年)11月15日に東京郊外鉄道株式会社と社名を変更して、1931年(昭和6年)2月1日には1927年(昭和2年)7月に設立されていた渋谷急行電気鉄道株式会社を合併し、同社が計画中の渋谷線を継承した。そして、1933年(昭和8年)1月19日に帝都電鉄株式会社に改称した。理由は1932年(昭和7年)10月1日に沿線町村のほとんどが東京市に合併されたことにより、「郊外」の社名がふさわしくなくなったからとされている。
また、同社は1935年(昭和10年)には乗合自動車事業も開始したが、1940年(昭和15年)5月1日付けで同じ鬼怒川水力電気系列の小田原急行鉄道株式会社に合併され、小田原急行鉄道帝都線となる。さらに1941年(昭和16年)3月1日には親会社である鬼怒川水力電気が小田原急行鉄道を合併し、小田急電鉄株式会社に改称、小田急電鉄帝都線となる。そして1942年(昭和17年)5月1日には陸上交通事業調整法の趣旨に則り、小田急電鉄株式会社は京浜電気鉄道株式会社と共に東京横浜電鉄株式会社に合併し、東京急行電鉄株式会社(いわゆる大東急)の一員となり、小田急電鉄帝都線は、東急井の頭線に改称される。
なお、大東急になる前の小田急電鉄は、主軸の電力部門を電力国家管理政策に基づき国家へ取り上げられた上、中華民国の山東半島への鉱業進出が裏目に出て経営が悪化し、先行きが暗かった。加えて、経営者である利光鶴松が高齢を理由に、小田急の経営一切を自分が見込んだ東京横浜電鉄の五島慶太に託して引退。事実上同社に身売りした。当然この背後には陸上交通事業調整法に基づく戦時交通統制があるが、小田急電鉄の場合、京王電気軌道と異なりあくまで自主的に統合に加わったのであった。
年表[編集]
- 1927年(昭和2年)7月28日 渋谷急行電気鉄道株式会社が設立される。
- 1928年(昭和3年)9月24日 東京山手急行電鉄株式会社が資本金3,400万円、利光鶴松代表の下で設立される。
- 1930年(昭和5年)11月26日 東京山手急行電鉄株式会社が東京郊外鉄道株式会社に改称する。
- 1931年(昭和6年)
- 1933年(昭和8年)
- 1934年(昭和9年)4月1日 井の頭公園駅 - 吉祥寺駅間が開業した。
- 1935年(昭和10年)4月8日 東横乗合より乗合自動車路線を譲受(大宮八幡 - 久我山駅 - 牟礼 - 武蔵小金井駅間)。
- 1940年(昭和15年)5月1日 帝都電鉄株式会社が同じ鬼怒川水力電気系列の小田原急行鉄道に合併される。
- 1941年(昭和16年)3月1日 配電統制令に基づき主業を失った鬼怒川水力電気は小田原急行鉄道を合併、同社は小田急電鉄と改称する。
- 1942年(昭和17年)5月1日 京浜電気鉄道と共に東京横浜電鉄に合併し、東京急行電鉄(いわゆる大東急)となる。
大東急時代[編集]
第二次世界大戦中、京王線も井の頭線も、大東急の路線となった。
京王線は、東京急行電鉄京王営業局によって、井の頭線は東京急行電鉄渋谷営業局によって、それぞれ営業が行われた。しかし、戦局が悪化する中、京王線・井の頭線共空襲などで様々な被害を受けた。とりわけ井の頭線は永福町車庫が被災し壊滅に近い状態となった。また、京王御陵線は「不要不急線」と判断され、営業休止(事実上の廃線)に追い込まれた。
年表[編集]
- 1942年(昭和17年)5月1日 小田急電鉄株式会社が京浜電気鉄道と共に東京横浜電鉄に合併し、東京急行電鉄株式会社が成立。小田急帝都線は東急井の頭線となる。
- 1944年(昭和19年)5月31日 京王電気軌道株式会社が東京急行電鉄株式会社に合併される。
- 1945年(昭和20年)
- 1947年(昭和22年)12月26日 東京急行電鉄株主総会が実施され、東京急行電鉄株式会社から京王帝都電鉄株式会社・小田急電鉄株式会社・京浜急行電鉄株式会社・株式会社東横百貨店が分離することが決定する。
京王帝都電鉄へ[編集]
第二次世界大戦も終結し、京王線と井の頭線は、京王帝都電鉄株式会社の下で営業されることとなる。
元来、沿革の異なる両線が同一会社となったのは、京王線がまだ路面電車当時の設備のままで脆弱であったこと、また戦前の京王電気軌道のもう一つの主力であった配電事業が失われてしまっていたこと、東都乗合自動車(現・国際興業バス)・藤沢自動車(現・神奈川中央交通)・中野乗合自動車(現・関東バス)などのバス会社や観光事業であった京王閣などの有力系列会社が傘下から離れてしまったことなど、京王線のみの分離では戦前の京王電気軌道よりも経営基盤が弱くなり、独立が危ぶまれていたからである。
実際に井の頭線を路線に加えるように推進したのは、当時の東急京王支社長の職にあった井上定雄(後の京王帝都電鉄社長)であり、五島慶太はむしろこの案にためらったと言われる。京王線と井の頭線は沿線が重複し、合体することで強固な経営基盤が築け、また井上は帝都電鉄出身であったため、自分の案なら古巣の井の頭線の連中も十分説得できると自信を持っていたとされる。井の頭線は駅の過半数が京王線以北にあることから、多くの沿線住民にとって京王の管轄の方が便利でもあった。一方で、東急が後に発表する東急ターンパイク計画や田園都市線の延伸が小田急と競合するのを東急が嫌ったという見方もある。これは小田急関係者の反発を強めてしまうため、公式の理由にはなっていない。
東急からの譲受価格は総額5115万2800円で、東京横浜電鉄が戦前経営していた京王線以北の乗合バス路線も京王帝都電鉄が譲り受けた。このほか、初代社長に東横出身の三宮四郎が就任したこともあり(なお、新生小田急の初代社長は旧小田急出身の安藤楢六、京急初代社長は京浜電鉄出身の井田正一だった)、京王電気軌道の復活と言うよりは、新たな合併私鉄が誕生した趣きで再出発を期した。
大手私鉄の中では多角化は控えめである。それでも当初は経営状況が不安定だったが(1948年度は現在の「大手私鉄」の中でも収益は最下位であった)、1955年(昭和30年)の高尾自動車株式会社の買収を始めとしたバス事業に本腰を入れる様になると共に、1956年(昭和31年)の京王百花苑の開園や1959年(昭和34年)の京王食品株式会社(現・京王ストア)、1961年(昭和36年)の京王百貨店の設立など、沿線価値を上げる事業も開始した。
また、1960年代には、新宿地下駅の営業開始など、軌道線イメージからの脱却にも力を入れた。このほかに競馬場線・多摩動物公園線・高尾線・相模原線の開業や、東京都交通局(都営地下鉄)新宿線との相互直通乗り入れ開始など、発展の道を歩んだ。
なお、1960年頃には、数多くの路線を建設しようとしており、立川線(富士見ヶ丘駅 - 西国立駅)、三鷹線(富士見ヶ丘駅 - 三鷹駅)、両国線(新宿駅 - 神楽坂駅 - 飯田橋駅 - 九段下駅 - 東京駅 - 日本橋駅 - 浜町駅 - 両国駅)の3路線(路線名称は、いずれも計画時の仮称)を計画したが、いずれも実現しなかった。
1980年代にはそれほど健全な財務内容ではなかったが、経営の引き締めにつとめ、平成不況の過程で同業他社が不動産価格下落・流通不振・旅行低迷などに見舞われるのを尻目に、財務体質は強固なものに変わっていった。
年表[編集]
- 1948年(昭和23年)6月1日 1947年(昭和22年)12月の東急株主総会で決定した通り、京王線と井の頭線は京王帝都電鉄株式会社(資本金5000万円・従業員1,944名)の下で営業を開始する。
- 1949年(昭和24年)9月27日 新宿駅 - 調布駅間で急行列車の運行を開始する(京王史上初の優等列車運行開始)。
- 1953年(昭和28年)6月24日 株式会社京王帝都観光協会(現・京王観光)を設立し、観光事業を本格的に取り組む様になる。
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年)
- 1957年(昭和32年)3月 百草園を買収する。
- 1959年(昭和34年)9月1日 京王食品株式会社(現・株式会社京王ストア)を設立する。
- 1961年(昭和36年)3月10日 株式会社京王百貨店を資本金2,500万円で設立する。
- 1963年(昭和38年)
- 1964年(昭和39年)
- 1966年(昭和41年)3月31日 関東交通株式会社と関東タクシー株式会社を買収し、タクシー事業へ進出する。
- 1967年(昭和42年)10月1日 高尾線(北野駅 - 高尾山口駅間)が開通する。同時に新宿駅 - 高尾山口駅間の特急列車運行開始。
- 1968年(昭和43年)
- 1969年(昭和44年)
- 2月25日 井の頭線に冷房装置付き車両が入線、運行開始。
- 4月10日 株式会社京王プラザホテルを設立する。
- 1971年(昭和46年)
- 4月1日 相模原線の京王多摩川駅 - 京王よみうりランド駅間が開通する。
- 12月15日 井の頭線で急行列車運行開始。
- 1972年(昭和47年)5月29日 御岳登山鉄道株式会社を傘下に収める。
- 1974年(昭和49年)
- 1977年(昭和52年)11月 在籍車両が500両を突破する。
- 1978年(昭和53年)10月31日 京王新線(笹塚駅 - 新線新宿駅間)が開通し、新宿駅 - 笹塚駅間が別線線増の形で複々線化される。
- 1980年(昭和55年)3月16日 京王線・都営新宿線の相互乗り入れを開始する。
- 1984年(昭和59年)
- 3月21日 井の頭線が3000系で統一され、車両冷房化率100%となる。
- 3月31日 京王・井の頭線全線の手・小荷物取り扱いを廃止する。
- 1988年(昭和63年)
- 1989年(平成元年)11月24日 現在使用している「KEIO」のCIシンボルマークが制定され、以後車両や駅などにこのロゴが貼り付けられる。
- 1990年(平成2年)
- 1992年(平成4年)
- 1994年(平成6年)
- 1996年(平成8年)
- 1997年(平成9年)6月2日 公式サイトを開設する(当初、ドメイン属性が異なっている場合でも同一名称を認めないというドメイン取得ルール(第三レベルドメイン重複制限)により、keio.ac.jp(慶應義塾大学)が存在したためにkeio.co.jpが使用できなかった)。
- 1998年(平成10年)7月1日会社設立50周年を機に京王帝都電鉄株式会社が京王電鉄株式会社に改称する。
京王電鉄[編集]
1998年(平成10年)7月[1]、京王帝都電鉄は、会社設立50周年記念として、京王電鉄株式会社へ改称した。
路線開通などはないものの、連続立体交差事業の推進を働きかけたり、パスネット、PASMOの導入で積極的に機器の導入を行なう、待合室や新型ベンチを早くから導入するなど、「乗客が利用しやすい鉄道」を目指している。
年表[編集]
- 1998年(平成10年)7月1日会社設立50周年を機に京王帝都電鉄株式会社から京王電鉄株式会社に改称する。
- 1999年(平成11年)
- 2000年(平成12年)
- 1月19日 日本初の取り組みとして、京王電鉄と中央化学株式会社が共同開発した、使用済み定期乗車券を材料とするベンチを製造し、新宿・府中・聖蹟桜ヶ丘の各駅に設置し、その後各駅に順次設置された。
- 3月24日 多摩動物公園駅前に京王れーるランドを開園する。
- 6月18日 日本初の取り組みとして、本物の電車を利用してフリーマーケットを実施する「電車DEフリマ」が開催される。
- 8月21日 日本初の取り組みとして、電車内の優先席付近で携帯電話の電源を切ってもらう啓発運動を開始する。
- 10月14日 鉄道共通カードシステム「パスネット」の稼動を開始。また同時に関東初の取り組みとしてパスネットを2枚投入できる「精算機能付き新型自動改札機」を全駅に設置する( - 2001年5月30日)。
- 12月7日 - 12月22日 「女性専用車両」の試行が深夜時間帯の臨時列車にて行われる。
- 2001年(平成13年)
- 2002年(平成14年)
- 3月 「列車運行情報サービス」を開始する。
- 8月1日 京王電鉄バス株式会社に京王電鉄が所有していたバス事業に関する経営権を引き継がせる。これにより京王電鉄自体はバス事業から撤退する。
- 10月 京王線車両の車体の帯を「臙脂帯」から現行の「ピンクと紺色の2色帯」に統一する。なお、鋼製車の車体の地の色はグリーン車の消滅した1984年(昭和59年)以来全車アイボリー地、ステンレス車は無塗装(先頭部を除く)である。
- 12月21日 主要駅にて「無線LANサービス」を開始する。
- 2003年(平成15年)
- 2005年(平成17年)6月29日 英文社名をKeio Electric Railway Co.,Ltd.からKeio Corporationに変更。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 2010年(平成22年)3月26日 相模原線にてATCの使用を開始。
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)
- 8月19日 京王線柴崎 - 西調布間・相模原線京王多摩川 - 調布間が地下化。同時にダイヤ改定が実施され、京王線の特急が準特急に格下げられ、2013年2月21日まで運行休止となる。
- 9月7日 全営業車両(都営地下鉄所属車の一部を除く)が可変電圧可変周波数制御(VVVFインバータ制御)となった。これは大手私鉄では初である。
- 2013年(平成25年)
- 2014年(平成26年)6月11日 京王線・井の頭線での車内無線LAN導入を発表。同月16日からサービス提供を開始し、保有する全車両で順次利用可能になる予定。
歴代経営陣[編集]
代 | 氏名 | 在任期間 | 出身校 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初 | 三宮四郎 | 1948年5月29日 - 1957年4月15日 | 慶應義塾大学 | 東京急行電鉄専務取締役 |
2 | 井上定雄 | 1957年5月18日 - 1969年5月26日 | 京都大学 | 東京急行電鉄京王支社長 |
3 | 小林甲子郎 | 1969年5月26日 - 1975年5月26日 | 東京急行電鉄 | |
4 | 井上正忠 | 1975年5月26日 - 1982年2月25日 | 運輸省 | |
5 | 箕輪圓 | 1982年2月25日 - 1986年6月27日 | 東京府立第六中学校 | 京王電気軌道 |
6 | 桑山健一 | 1986年6月27日 - 1993年6月29日 | 早稲田大学 | |
7 | 西山廣一 | 1993年6月29日 - 1999年6月29日 | 慶應義塾大学 | 住友信託銀行常務取締役 |
8 | 三枝正幸 | 1999年6月29日 - 2003年6月27日 | 慶應義塾大学 | |
9 | 加藤奐 | 2003年6月27日 - 2009年6月26日 | 慶應義塾大学 | |
10 | 永田正 | 2009年6月26日 - | 立教大学 |
路線[編集]
京王電鉄は、6路線84.7kmの鉄道路線を有するが、先述した通り、大きく分けて京王線系統と井の頭線の2つのグループから成っている。1975年(昭和50年)5月に阪神電気鉄道が北大阪線・国道線・甲子園線を廃止するまで、当時の京王帝都電鉄の営業キロ75.8kmは、大手私鉄の中で営業キロ数がもっとも短かった。
京王線系統[編集]
京王線系統の軌間は1,372mmのいわゆる「馬車軌間」である。これは京王線系統の元となった京王電気軌道が地方鉄道法ではなく軌道法によって建設されたことに起因する。つまり、京王線は路面電車由来の路線であり、これが都電荒川線や東急世田谷線といった軌道法に準拠して建設された鉄道と同様の軌間を持つ理由である。
なお、この軌間を持った大手私鉄は過去には京成電鉄と京浜急行電鉄(当時は京浜電気鉄道)が存在した。これも軌道線を出自に持つ鉄道である。いずれにしても、これらは馬車軌間であった東京市電への乗り入れを考慮しての軌間の選択ということができる。ただし京王線と東京市電の接続はなかったが、戦時中に下高井戸駅で現東急世田谷線(当時は玉川線支線)と京王線を接続して物資輸送を行ったことがある。
関東大震災時に車両が大量に被災した横浜市電向けに京王電軌より旧型単車車両の譲渡が行われているが、当時馬車軌間で共通していた京王電軌 - 東京市 - 京浜電鉄 - 横浜市の間で自走により回送された記録がある。この際も東京市側に車両を転線するには、両線の線路の接近した交差点で惰性を付けて道路上を走らせ(脱輪させ)転線したという。
1950年代になり、監督官庁からの要請や、都営新宿線乗り入れに向けて標準軌 (1,435mm) に改軌することも検討され、1960年代に製作された5000系や2010系車両は、標準軌対応台車の採用など、標準軌への改軌を考慮した設計がされていた。実際京成電鉄では浅草線との直通のため改軌を行ったが、一方で京王では莫大な費用が掛かることや、長期の輸送力低下を必要とし、仮に夏期休暇時などの輸送需要が低下する時に施工したとしても需要を満たすだけの輸送力を確保できないなどの問題点もあり、実現は困難であった。そのため、都営新宿線を京王線に合わせて1,372mm軌間で建設することになった。
現有路線[編集]
- 京王線:新宿駅 - 京王八王子駅 (37.9km)
- 相模原線:調布駅 - 橋本駅 (22.6km)
- 競馬場線:東府中駅 - 府中競馬正門前駅 (0.9km)
- 動物園線:高幡不動駅 - 多摩動物公園駅 (2.0km)
- 高尾線:北野駅 - 高尾山口駅 (8.6km)
廃止路線[編集]
- 御陵線:北野駅 - 多摩御陵前駅(6.2km)(北野駅 - 山田駅間は現・高尾線と同じ路線)- 1945年1月21日休止、1964年11月26日廃止
- 高尾線(軌道線):八王子駅前駅 - 高尾橋駅、東八王子駅前駅 - 横山町駅(計8.4km)- 1939年6月30日全線廃止
井の頭線系統[編集]
帝都電鉄に由来する井の頭線の軌間は、狭軌の1,067mmである。
現有路線[編集]
廃止路線[編集]
乗降人員上位15駅[編集]
- 乗降人員は京王電鉄の駅のもの。は前年度に比較した増()減()増減なし()を表す。
順位 | 駅名 | 人数 (人) |
前年比 (%) |
前年 順位 |
前年人数 (人) |
所在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 新宿駅・新線新宿駅 | 730,849 | 2.2 | 1 | 714,949 | 東京都新宿区 | 数値は新宿駅・新線新宿駅の合算。都営新宿線の直通人員含む。 各社局線総合では日本・世界第1位。 |
2 | 渋谷駅 | 336,957 | 2.3 | 2 | 344,972 | 東京都渋谷区 | 各社局線総合では日本・世界第2位。 |
3 | 吉祥寺駅 | 139,679 | 1.3 | 3 | 141,475 | 東京都武蔵野市 | |
4 | 下北沢駅 | 118,883 | 8.2 | 4 | 129,558 | 東京都世田谷区 | |
5 | 調布駅 | 115,061 | 1.5 | 5 | 113,385 | 東京都調布市 | |
6 | 橋本駅 | 91,060 | 3.0 | 6 | 88,377 | 相模原市緑区 | |
7 | 分倍河原駅 | 89,250 | 2.0 | 7 | 87,539 | 東京都府中市 | |
8 | 府中駅 | 86,933 | 0.4 | 8 | 86,577 | 東京都府中市 | |
9 | 京王多摩センター駅 | 85,284 | 4.2 | 10 | 81,841 | 東京都多摩市 | |
10 | 明大前駅 | 84,045 | 0.6 | 9 | 84,512 | 東京都世田谷区 | 乗換人員は含まない(乗換人員は172,881人)。 |
11 | 千歳烏山駅 | 76,419 | 2.3 | 11 | 74,696 | 東京都世田谷区 | |
12 | 仙川駅 | 75,055 | 3.6 | 13 | 72,452 | 東京都調布市 | |
13 | 笹塚駅 | 74,580 | 2.4 | 12 | 72,830 | 東京都渋谷区 | |
14 | 聖蹟桜ヶ丘駅 | 65,739 | 0.9 | 14 | 65,164 | 東京都多摩市 | |
15 | 南大沢駅 | 62,530 | 2.3 | 15 | 61,111 | 東京都八王子市 |
車両[編集]
車体[編集]
京王線・井の頭線とも通勤・通学輸送に特化している事情から、1948年の発足以来、導入車両はすべてロングシート車のみである。戦前、京王電軌時代にはクロスシート車として150形(後のデハ2150形)が運用されていたが、戦時中にロングシートに改造された。また5000系にも特急車両としての設備からボックス席を設ける構想が何度かあったが、ラッシュ対策で見送りになっている。所有車両が全車ロングシートなのは大手私鉄では京王電鉄だけである[2]。
現在の京王線と井の頭線では形式・車両デザインとも共通性がないが、かつて一時期、共通性が発生したことがあった。井の頭線用の1700形・1710形・1800系の一部が1965年(昭和40年)頃から京王線に転用されたことがあるほか(現在は廃車)、1957年に登場した初の高性能車である井の頭線初代1000系と京王線2000系では外観のデザインが同一となった(こうした展開は他社では、現在でも阪急電鉄や近畿日本鉄道に見られる)。しかし次世代形式として登場した、1962年製造の井の頭線用3000系初期車は1000系・2000系とデザイン的な流れが似ており、1963年製造の京王線用5000系も1000系・2000系とデザイン的な流れ(ドアや窓の配置)が似ていたものの、両開きドアやワイドボディに変更された3000系第3編成以降と5000系は比べても似ないほど別系統のデザインとなった。やがて京王線用の6000系などさらに次世代形式が製造されると、両線でのデザインの隔たりはいっそう大きくなった。井の頭線用に1995年から製造された二代目1000系では、車両の仕様が京王線の8000系(1992年から製造)や9000系(2001年から製造)と近くなったものの、正面デザインや塗装においては、京王線と井の頭線はいまだ別系統の流れを歩んでいるといえる。
井の頭線は1962年という早い時期から3000系でステンレス車体を採用する一方、京王線は普通鋼車体という作り分けが長く続き、京王線でステンレス車体が採用されたのは1984年の7000系からである。こうした路線による車体鋼材の使い分けが長く行われた他の大手私鉄としては、南海電気鉄道(南海本線と高野線)が存在する。
技術[編集]
集電装置については、全車両がシングルアーム式パンタグラフであるが、総合高速検測車の検測用パンタグラフには下枠交差形が採用されている。1000系、3000系、8000系で長期に渡りシングルアーム形を試験搭載していた後、9000系から本格採用され、従来車に対してもシングルアーム式パンタグラフに交換した。過去には京王線系統での高速運転時の集電性向上を目的として、井の頭線3000系と京王線系統の車両でパンタグラフの交換が行われて、京王線系統はPT42形に統一してPS13形を井の頭線に集約したことがある。
京王線系統の車両は、乗り入れの都営車を含めて全先頭車に密着連結器と電気連結器を装備する。1967年(昭和42年)の高尾線開通に伴う分割特急開始時に5000系に装備したのが始まりである。井の頭線車両は密着自動連結器を装備する。
現在使用されている車両の運転台は、乗り入れ車を含め力行4段・常用制動7段のT型ワンハンドルマスコンに統一されており、ATS照査速度(低速域を除く)が速度計の周りに表示される。9000系、1000系11編成以降の新造車は高運転台構造となっている。
ATC化以前は、動物園線・競馬場線列車を除き、営業列車の先頭に立つ運転台には原則としてTNS(トレインナビゲーション装置)というディスプレイ装置が設置されており、次の停車駅等を表示していた。この画面にはアナログ表示の時計も表示される(TNS導入の経緯については「京王8000系電車」の運転台の節を参照のこと)。なお、京王線は2011年10月、井の頭線は2013年3月にATCに切り替えたため、使用停止となり、順次撤去されている。
現在は、ATCの停車駅誤通過防止機能による列車種別・停車駅の表示器が設置されている。
空気笛(タイフォン)は、上りと下りで周波数が異なり(他社では東武鉄道でも同様)、下りの方が高くなっている。電気笛は京王線と井の頭線で異なるタイプを使用している。
保安装置[編集]
かつては全線に渡って独自のATS(多変周式信号ATS)を採用していた。信号現示における速度制限は、絶対停止0km/h・警戒25km/h・注意45km/h・減速75km/h、進行の5種類で、制限速度はATCのように速度計の外周に表示される。絶対停止で停車した場合、確認スイッチを操作することで最高15km/hで走行が可能になる。この確認スイッチは絶対停止用のもので、前方の信号機の現示が上位しても地上子を通過するまでは照査速度を変えることはできない。
運転保安度向上の一環として京三製作所製のATCの導入が決定し、設置工事が行われ、2010年3月から相模原線で先行導入し、2011年10月から京王線系統(京王新線・競馬場線・動物園線・高尾線を含む)、2013年3月から井の頭線で使用されている。近隣の鉄道では同時期に東武鉄道も東武東上本線より順次ATC化される。
都営新宿線での(旧)ATC機器との干渉のため、インバータ制御車の新宿線への乗り入れはできなかったが、2005年5月のデジタルATC化に伴い解禁され、2006年3月よりそれまでの6000系(6030番台)8両編成、8両+2両の10両編成に加えて9000系(9030番台)の10両編成が直通運用に当たっている。
方向幕・ヘッドマーク[編集]
- 過去には京王八王子行きと橋本行きの調布駅での分割運用も想定しており、一部車両の方向幕には「京王八王子・橋本」の表示が存在するが、実際に営業で使われたことは一度もない。
- 列車に取り付ける特製のヘッドマークの取付が、西武鉄道、京阪電気鉄道、阪急電鉄と並んで多い。年4回程度、季節に合わせた交通安全運動のヘッドマークを取付けたり、イベント開催時に特製のヘッドマークを取付けることがある。
所属・運用など[編集]
相模原線の若葉台駅、京王線の桜上水駅と高幡不動駅、井の頭線の富士見ヶ丘駅の4か所に車両基地が設けられており、桜上水駅以外のそれぞれに併設している検車区で管理・修繕を行っている。なお全般・重要部検査および大規模な修理や改修の業務は若葉台駅にある若葉台工場にて行っている。井の頭線車両についても富士見ヶ丘検車区内の若葉台工場富士見ヶ丘作業場で車両の機器を取り外して、車体等は富士見ヶ丘で、それ以外はトラックで陸送して若葉台で行われる。若葉台工場は京王電鉄内の事業子会社化に伴い、子会社の京王重機整備の施設としても稼動している。
前照灯は現在では終日点灯である。急行系列車(京王では各停以外の種別を優等列車とは呼ばない)では、新宿線内も含め先頭車は通過標識灯(急行灯)を点灯させる。信号システム上は「普通列車」として運行する、急行系列車の各駅停車区間では通過標識灯を消灯する。また通過標識灯が上下分離している場合、窓上が通過標識灯、窓下が尾灯であることがほとんどだが、3000系と5000系までの京王は、窓上が尾灯で窓下が通過標識灯であった。上下逆になっていた大手鉄道は京王だけである。
2001年3月のダイヤ改定で車両の運用方針を変更するまでは各駅停車には7000系と2010系以前の車両が使用され、急行系列車には5000系・6000系・8000系が充当されていたが現在では7000系も急行系の列車に充当されるため、種別ごとに使用形式を限定していない。
優先席[編集]
8000系1次車まではシルバーシートと呼称され、位置も下り方(井の頭線は上り方)の車端部だった。5両編成以下は編成内1か所、6両編成以上は編成内2か所だったが、複数編成が組み合わさった場合はこの限りではなく、例えば6両編成と4両編成が合わさった10両編成は3か所となる。
- 参考(各系列ごとの設定車両)
- 3000系:デハ3000形
- 5000系:5713Fまではデハ5050形、5714F以降はデハ5000形
- 5100系:5112Fまではクハ5850形(運転室直後の座席)、5113F以降はデハ5150形
- 6000系:2両編成はデハ6400形、3両編成と5両編成は上り方2両目、8両編成は上り方2・5両目
- 7000系:上り方2・5両目(この当時は6両編成と8両編成しか存在していない)
- 8000系:4両編成は上り方2両目、6両編成は上り方2・5両目
- 9000系・1000系以降:当初から各車両の両端
8000系2次車より、各車両に設置されるようになった。この頃より、シルバーシートから優先席へと呼称が変更されている。同時に車外のステッカーも当該部分の窓上(7000系と8000系は車端部)から当該部分の戸袋とドアの間に変更されたため、サイズも小さくなっている。設置場所も現在と違って、奇数号車は上り方海側(下り列車の進行方向左手サイド)車端部、偶数号車は下り方山側(下り列車の進行方向右手サイド)車端部である。既存車も随時このパターンへと変更されたが、当然のことながら3両編成・5両編成ではパターンが異なる。
2000年8月より、優先席付近を携帯電話OFF区域とするのに合わせて、従来の優先席の向かいの座席も優先席となる。
2006年1月から優先席を先頭車の運転台部分を除く各車車端部に拡大し、同時に優先席付近一帯を「おもいやりぞーん」とした。合わせて吊輪のオレンジ色化、室内側の壁や窓にステッカー貼付、車外ステッカーの拡大と位置変更(戸袋あり車両は戸袋部に貼付)が行なわれている。
女性専用車両[編集]
中央線における「婦人子供専用車」の1973年の廃止以後で、全国に先駆け女性専用車両を復活させた。2000年12月7日に試行的に導入され、2001年3月27日のダイヤ改定以降本格的に導入された。新宿駅を23:00以降に発車する急行系の列車で実施されている。その後2005年5月9日からは平日の朝(新宿駅と新線新宿駅に7:30 - 9:30に到着する準特急・急行・通勤快速)・夕方・夜(新宿駅を18:00 - 22:40に発車する特急・準特急)・深夜(新宿駅を22:50以降に発車する急行・通勤快速・快速)にも拡大されている(当面は試験導入)。
防犯カメラ[編集]
警視庁などからの要請により2011年2月28日から客室内に防犯カメラが設置された。通勤用車両では埼京線の205系電車、横浜新都市交通2000形電車についで、3番目の事例である。防犯カメラは7000系電車の1編成の6号車に4機設置され、3月下旬からさらにもう1編成にも設置され、2編成で防犯カメラが運用されている。
現用車両[編集]
2011年12月現在、事業用車を除くと京王線用698両、井の頭線用145両、計843両を保有する。各系列の詳細、使用線区、運用などについてはそれぞれの記事を参照されたい。 2012年9月7日、全営業車両がVVVFインバータ制御となった。
京王線系統[編集]
営業用
事業用
井の頭線[編集]
過去の車両[編集]
地方私鉄への車両譲渡は、その手のさきがけである西武鉄道や東京急行電鉄と比べるとあまり行われていなかったが、5000系や3000系の廃車が始まると、18m車体という手ごろさから、譲渡が多数発生した。
京王線系統[編集]
営業用
- 6000系
- 5000系・5070系→5100系
- 2000系(2代目)・2010系
- 2700系
- 2600系
- デハ1710形(→クハ1710形)
- デハ1700形
- 京王電気軌道から継承の中型車
- 23形
- 19形
- 13形
- 7形
- 1・9・15形
事業用
井の頭線[編集]
- 3000系
- 1000系(初代)
- デハ1900形
- (デハ1400形→)デハ1800形
- デハ1760形→クハ1250形・サハ1760形
- デハ1750形→デハ1660形→デニ100形
- デハ1460形→デハ1560形→サハ1560形
- クハ1570形→サハ1300形
- クハ1570形→クハ1250形→サハ1250形
- 帝都電鉄からの継承車
付番方法[編集]
電動車は運転台の有無に関わらず「デハ」を用いる。これは東京急行電鉄と合併した大東急時代に定められたもので、合併した他社もほぼ同様である。なお、制御車(制御付随車)は「クハ」、付随車は「サハ」を用いる。
十位と百位は1000系(初代)・2000系(2代目)以降、以下のように分類される。
- 百位
- 0 - 4:電動車
- このうち1000系(初代)・2000系(2代目)の百位0、5000系の百位1、6000系・7000系の百位4は制御電動車、および制御電動車とユニットを組む車両。
- 5 - 6:付随車
- 7 - 8:制御車
- 0 - 4:電動車
- 十位
- 0 - 4:電動車は主制御装置搭載。制御車は新宿・吉祥寺方。
- 5 - 9:電動車は主制御装置搭載車とユニットを組成。制御車は八王子・渋谷方。8000系までの付随車は補機搭載。ただし、例外的に5070系のデハ5070形は新宿方制御電動車。
系列によっては20番台や30番台が存在するが、それについては各系列記事を参照されたい。
車両基地[編集]
京王電鉄の車両検修施設を参照
運転関係[編集]
ダイヤ[編集]
- 京王電鉄ではダイヤ改正のことを「ダイヤ改定」と呼ぶ。改めたダイヤが利用者すべてに正しいダイヤとは限らない等の理由からである。長らく京王のみが「ダイヤ改定」と呼称していたが、2003年以降は京阪電気鉄道でも「ダイヤ改定」と呼称している。
- 現在は京王線・井の頭線で同時にダイヤ改定が行われているが、1990年代までは別々に行われたことがしばしばあった。
- 1990年代後半ごろから、祭日のうち天皇誕生日のみ平日ダイヤで運行されるようになった。
- 2006年8月31日までのダイヤにおいて、平日ダイヤと土休日・祭日ダイヤのほかに土休日・祭日シーズンダイヤも存在した。シーズンダイヤは4 - 6月・9 - 11月に設定され、都内でも貴重な自然の残る高尾山への行楽客向けや、この時期にほぼ毎週GIレースが行われる東京競馬場への観戦客向けとして利用客を見越した時間帯に臨時列車を運行していた。現行の高尾線方面のダイヤでは、土休日の下り列車はほぼ終日で新宿方面から準特急として高尾山口駅まで運行する系統と京王八王子行きの特急(北野駅の同一ホームで各駅停車高尾山口行きに接続)の交互の運転に、上り列車は早朝1本を除くほぼ終日で、高尾山口から準特急新宿行きの系統と、各駅停車新宿行き(北野駅で京王八王子発の特急に乗り換えることによって新宿方面に先着可能)を交互に運行するダイヤに改められている。競馬場線関係では、東京競馬開催時の一部時間帯に上下の特急と準特急を東府中駅に臨時停車させたり、メインレース終了後に府中競馬正門前駅発新線新宿行きの臨時急行の運転を行っている。
- 以前は休日ダイヤの下り特急・急行で高幡不動で切り離しが行なわれていたため、相互の行き先の車両内を識別するため、吊り輪の色を白と緑の2色に分け、車内放送でも「前x両の白い吊り輪の車両が○○行き、後y両の緑の吊り輪の車両が●●行きです」とアナウンスしていた。
- 京王線系統では途中駅で種別変更を行う列車が存在する。この列車は発車時の種別で運行する区間の終点を行先として表示し、その駅に到着後に新しい種別・行先に変更する。
特急列車[編集]
- 京王線・高尾線・相模原線では通勤車による特急と準特急を運転しているが、特急料金は不要である。
- かつては行楽特急列車に「高尾」(高尾山口行き)と「陣馬」(京王八王子行き)の愛称を付与していたが、現在はその愛称はない。これに代わって最近では「迎光EXPRESS かがやき」が年末年始の終夜運転時に運行される。
- 最高速度は京王線が1971年4月に95km/hから105km/hとなったのち、相模原線が1997年12月に、京王線調布駅 - 京王八王子駅間が2001年3月にそれぞれ110km/hに引き上げられている。
- 2012年8月19日の調布・布田・国領駅地下化に伴うダイヤ改定で、特急が休止されていたが、停車駅に分倍河原と北野を追加した上で2013年2月22日から運転を再開した。
運賃[編集]
大人普通旅客運賃(小児半額・端数は1円単位で切り捨て)。2014年4月1日改定。
キロ程 | 運賃(円) |
---|---|
初乗り4km | 124 |
5 - 6km | 133 |
7 - 9km | 154 |
10 - 12km | 174 |
13 - 15km | 195 |
16 - 19km | 237 |
20 - 24km | 278 |
25 - 30km | 319 |
31 - 37km | 340 |
38 - 44km | 360 |
45 - 52km | 381 |
相模原線京王多摩川 - 橋本間を利用する場合(他の区間にまたがる場合も含む)は当該区間の乗車キロに応じて以下の加算運賃がある。
キロ程 | 運賃(円) |
---|---|
1 - 8km | 10 |
9 - 13km | 20 |
14 - 16km | 40 |
17 - 19km | 60 |
20 - 22km | 80 |
1997年12月28日、戦後初の運賃実質引き下げを行った。特定都市鉄道整備積立金による特定都市鉄道整備事業の完了のため、積立金分を取り崩して運賃を改定したことで、実質全区間で値下げとなった。積立金の還元は2007年12月28日まで行われ、制度の趣旨からは還元終了時に通常運賃に戻す値上げを行うことで帳尻を合わせる仕組みとなっている。しかし、2006年度の会社要覧からは還元終了時に関する記述が変更され、「値上げ」の表現が使われなくなったほか、2007年12月28日を過ぎても運賃改定に関する発表はされていない。なお、運賃を据え置くことに関しては運賃制度上の申請等は不要である。運賃値下げ時と同じくして、渋谷駅の再開発費用の増大により事業費が当初計画より増加し、一定の率での値上げ要素が存在したが、その分は経営努力で補うとし、京王の判断で組み込まれなかった。
割引乗車券[編集]
また、山手線西側に発着する鉄道として、唯一東京地下鉄線内フリーの“○○東京メトロ”パスの発行・発売がない。
グループ企業[編集]
京王グループを参照
その他特記事項[編集]
駅[編集]
- 京王線新宿駅の一日乗降人員は約71万人で、これはJRをのぞく日本の私鉄の中で一番多い。
- 駅係員・乗務員等に対する「サービス介助士」取得を推進している。
- 1970年代後半までは各駅の駅名表示板の隣接駅名の所に駅間キロ数の表示がされていたが、1980年の都営新宿線の乗り入れ開始の頃に表示板をリニューアルして廃止された。このような営業キロ数の表示は他鉄道事業者では見られない例であった。
- 京王線内の駅自動放送の女性アナウンスは声優の大原さやかが担当している。
- 駅の案内表示に関しては最近改良工事を行った駅を中心にユニバーサルデザインのピクトグラムを導入しつつある。英語の表記に関しては独特のフォントを使っている。
- 最近では駅名標の改良を進めており、LED照明の導入を推進している。
- 駅のトイレに関してはユニバーサルデザイン対応多機能トイレ「だれでもトイレ」の設置を促進している。
- 2013年2月22日のダイヤ改定と同時に、全駅に順次駅ナンバリングを導入した。京王線は色にチェリーレッドを用い、記号は「KO」、井の頭線は色にインディゴを用い、記号は「IN」である。
旅客案内ディスプレイと鉄道運行情報メール配信サービス[編集]
- 京王電鉄は、旅客案内ディスプレイの設置を推進している。このディスプレイの設置と並行して、鉄道運行情報メール配信サービスを開始した。京王線・井の頭線内での運転見合わせ・遅れ等の情報をあらかじめ登録したメールアドレスに送信する仕組みで、京王のウェブサイトで登録が可能。旅客案内ディスプレイは駅の改札口付近に設置され、通常時は発車標のない駅では画面に発車案内を、発車標のある駅では広告を表示し、異常事態のときは図を用いてどこの路線が運転を見合わせていて、遅れているのかを画面に表示することで旅客にわかりやすく情報を伝達することができるシステムである。このディスプレイの設置は2012年度も継続して実施し、同年度中の全駅の設置を目指している。
連続立体交差化事業[編集]
- 京王電鉄は他の大手私鉄に比べて交通量の多い道路との立体交差化が比較的早期に実施されている。比較的近年に建設され、全線が立体交差の相模原線と小規模な踏切1か所のみの高尾線をのぞく京王電鉄の高架駅8駅のうち、5駅は1960年代から1970年代にかけて既に高架化されている。
- 2012年8月には京王線柴崎駅 - 西調布駅間と相模原線調布駅 - 京王多摩川駅間において線路を地下化する連続立体交差事業の地下新線切り替えが行われ、18箇所の踏切が解消された。京王線笹塚駅 - 仙川駅間については、2014年2月28日に東京都が国土交通省から都市計画事業の認可を取得し、事業を実施することになった。
CM・ドラマ撮影[編集]
- 沿線に多くの撮影所や芸能事務所がある関係から、他の私鉄路線と比べてその方面の需要もあり、京王電鉄としての宣伝効果が期待できるという側面もあるため、京王線では色々な広告・CM・ドラマの撮影が行われている(ただし撮影数が他社より大幅に多いものの、最初に鉄道敷地内での撮影を認めたのは京王ではなく京成電鉄である。京成も特定の映画関連の撮影の需要が高い)。撮影に駅を用いる場合は、普段乗客の少ない府中競馬正門前駅や多摩動物公園駅などで行われることが多い。また、撮影用の臨時列車(回送列車を含める)を運転することもある。原則として車内や構内での撮影の場合は許可を要し、また有料であるが、特に京王が認めた場合は無料で行うことができる。沿線にサンリオピューロランドがある関係で電車のドア下部に貼付している警告ステッカーには1997年から2013年までハローキティを起用していたが、電車が撮影に使用された場合は版権上修正処理がなされるか、一時的にステッカーを剥がす場合が多かった。「ピタゴラスイッチ」の「アルゴリズムこうしん」の撮影に、社員もろとも参加したこともある。
イメージキャラクター[編集]
- 現在PASMOと京王パスポートカード(京王グループのクレジットカード)の特典や、乗客へのマナー川柳コンテストのイメージキャラクターに、漫画家やくみつるによるイラスト(自画像が使われることもある)が用いられ、車内中吊りや駅の掲示板で見ることができる。2007年3月 - 4月にかけて展開された京王パスポートカードの広告ではシェイクスピア、ナポレオン、坂本龍馬、武田信玄など歴史上の人物に扮したイラストになっている。
- 2013年度より新たなイメージキャラクターとして「プラットガール・高尾かえで」を採用、初代イメージガールを横田美紀が演じている(2014年度も続投)。
その他[編集]
- 多摩動物公園駅前に家族向けの鉄道PR施設として「京王れーるランド」がある。また東京都八王子市堀之内には、京王研修センターの構内に通常、一般には非公開の京王資料館という、京王に関する品々を集めた資料館がある。
- 日本中央競馬会の重賞競走京王杯2歳ステークス、京王杯スプリングカップ(いずれもGII)に優勝杯(京王電鉄株式会社賞)を提供している。
- 主要駅を中心に東京都民銀行のステーションATMを設置している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- https://www.keio.co.jp
- 京王電鉄運行情報(公式)(@keiodentetsu)- Twitter
- 京王沿線をもっと楽しく「街はぴ」