特別機動捜査隊
特別機動捜査隊 | |
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放送局 | 日本 |
ジャンル | 刑事ドラマ |
放送期間 | 1961年10月11日 - 1977年3月30日 801 |
放送時間 | 水曜日22:00 - 23:00(以後変動あり) 58 |
制作局 | NETテレビ |
企画/PD | 中井義ほか |
監督/総指揮 | |
演出 | |
原作 | |
脚本 | スタッフの項目参照 |
出演者 | 波島進 中山昭二 青木義朗 里見浩太朗 亀石征一郎 葉山良二 南川直 岩上瑛 轟謙二 滝川潤 松原光二 伊達正三郎 北原隆 伊沢一郎 早川雄三 和崎俊哉 宗方勝巳 水木襄 吉田豊明ほか |
ナレーション | |
音声 | モノラル放送 |
字幕 | |
データ放送 | |
オープニング | |
エンディング | |
公式サイト | [ 公式サイト] |
特記事項: モノクロ放送( - 1967年3月29日) カラー放送(1967年4月5日 - ) | |
『特別機動捜査隊』(とくべつきどうそうさたい)は、NETテレビ(日本教育テレビ、現在のテレビ朝日)で1961年(昭和36年)10月11日から1977年(昭和52年)3月30日まで15年半放送された刑事ドラマ番組。全801話。60分刑事ドラマでは最多放送回数を誇っている [1]。この他に回数に含まれない特番が2回放送されているが、このうちの1回は第1話の前週(1961年10月4日)に放送されている。放送開始日は、TBSで『七人の刑事』が放送開始された日でもある。また、1963年(昭和38年)にはテレビシリーズとは全く別の劇場版2本が東映東京で製作されている。
様々な事件の初動捜査を担当する機動捜査隊が警視庁及び警察本部に実際に設置されるきっかけとなった。作中ではテンプレート:読み仮名と略されることが多い。
目次
概要
日本のテレビドラマとしては、初の1時間連続ドラマとしてスタートした。基本プロットでは事件発生のいきさつから犯人逮捕までの過程における捜査活動を重点を置いており、レギュラーの立石主任をはじめ登場する刑事たちは、話を転がすための進行役という扱いだった。
当時でも年々凶悪化する犯罪の初動捜査を確実にするため、1959年(昭和34年)4月に警視庁刑事部捜査第一課に「初動捜査班」が設置されたが、NETテレビの大株主でもあった当時の東映社長・大川博がこのことを知り、テレビ映画化を決定した逸話がある。
また、1963年(昭和38年)4月には、当時の警視総監が本作のファンであったことから、それまでの「初動捜査班」を「機動捜査隊」と改称し、捜査第一課から独立させ、これが現在全国警察に49隊(警視庁3隊・他の道府県1隊)ある「機動捜査隊」となっている。
本作の企画ではドラマにリアリティを与えるため、警視庁から実際にあった事件の素材の提供を受け、それをフィクション化するという手法が用いられた。これにより、それまでドラマではタブーとされていた事件の発生描写が細かく描かれ、そのインパクトが視聴者を引き付ける結果となり、番組は常時30%以上の視聴率をマークした。
毎回出てくる「警視三〇三、直チニ現場へ急行セヨ」の台詞や「通報を受けた特捜隊○○班は直ちに現場へ急行した。」のナレーションは本作の代名詞ともなった(ただし最初期はナレーションはタイトルバックのみであった)。
初期は立石班のみだが、代打的存在として藤島班を設定したのを皮切りに、2〜3班によるローテーション(時には合同)方式に変更された。2班体勢定着後は、回によって両班の所属刑事の混成チームが登場していくようになる。
基本作風としては事件発生から解決までを時系列で描き、登場する刑事も前面に出るのではなく、あくまで事件や犯人に描写を置くストーリー構成だが、世相を反映したエピソードも多数作られた[2]。また、正月放映の回では時代劇仕立てのエピソードが作られたり、刑事たちが揃って災難に遭うコメディタッチのエピソードが作られたりと非常にバラエティ豊かであった。
登場する各刑事の基本的な人物設定などは一切設けられておらず [3]、回によってレギュラー刑事の役者が代わったり、階級序列が逆転するなどの現象が見られた。
階級及び年齢序列は立石班オリジナルメンバーにおいては、立石>橘部長刑事>荒牧>桃井>岩井田>松山と完全固定されているが、それに絡む他の刑事は結構あやふやであり、例を挙げると、途中加入の香取刑事はある回では初期から登場している先輩格の桃井刑事から「香取君」と呼ばれていたが、別の回では香取刑事が同じく先輩格である荒牧刑事と対等に会話をしたりしていた。
立石班、藤島班では基本的に部下、後輩を呼び捨てにすることはなかったが、三船班では主任に習い、部下や後輩に対しては呼び捨てとなった。例外はベテランの部長刑事で、三船主任も「チョウさん」と呼んで敬意を表していた。藤島班の南川部長刑事は「ナンチョウさん」と呼ばれた。橘部長刑事と関根部長刑事が共演する時は橘が「チョウさん」で関根が「関チョウさん」、関根と松木部長刑事共演の時は関根が「チョウさん」で松木は「マッツァン」であった。また、三船は荒牧刑事を「マキさん」、岩井田刑事を「ガンさん」と呼んだ。他にも高倉主任と畑野刑事が旧知の間柄で、2人で会話をする時に上司の高倉を呼び捨てにしていたことがあったり、長らく標準語で喋っていた内藤刑事が突然関西弁を喋ったりというような現象もあった。
スタッフ
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企画:NET
広告代理店:博報堂
協力:警視庁(のぞく323・441話)
プロデューサー:中井義、藤川公成、山田正久、落合兼武、高田修作、荻野隆史、郡杉昭ほか
脚本:宮田達男、大和久守正、陣出達朗、吉岡昭三、加瀬高之、藤川正太、高岡恵吾、柏倉敏之、真船二郎、伊藤美千子、内田弘三、須崎勝弥、清水孝之、池田一朗、本田明、長谷川公之、大柿康、七条門、山村美紗、豊田総治、黒城四良雄、柳節也、大垣泰、藤田豊、三浦大介、北一郎、津田幸夫、大津皓一、大川タケシ、西沢裕子、出崎亨、荒木芳久、横山保朗、守田二郎、重宗和伸、佐東吉宣、安藤豊弘、村田武雄、押川国秋、渡辺昭洋、内山順一朗、太田泰司、小川記正、樋口静生、五条勢津子、寺森満、鹿谷裕一、山田健、田中豪、岡田達門、佐治乾、小山内美江子、今村文人、田代淳二、元持栄美、西沢治、西島大、松井稔、高久進、三浦英輔、原島潤郎、佐々木武観、国弘威雄、大西信行、松本昭典、仲津勝良、旭丘光志、吉田進、高山由紀子、野火止道、渡辺由自、藤井邦夫ほか
撮影:内田安夫、土屋俊忠、大島国正、佐藤和夫、中町武、藤本茂、西山誠、猪熊雅太郎→いのくままさお、吉田重業、林七郎、相原義晴、君塚邦彦ほか
照明:中川勇雄、石垣敏雄、二見菊次、嶋田宣代士、吉岡伝吉、斉藤久、銀屋謙蔵、高橋弘、水口富雄、高橋銀三郎、加藤宏明、宮川雅生ほか
録音:森武憲、大家忠男、木村哲夫、大谷清、長井幹夫、上出栄二郎、佐藤修一、田中英行、佐藤幸哉、広田悟、広上益弘ほか
美術:有隅徳重、宮国登、佐々木丸正、井上明、河村寅次郎、坪井輝彦、森田ふみよし、野本幸男、山口熙、平高主計、春木章ほか
編集:山口一喜、成島一城、松谷正雄、伊吹勝雄、岩松幹久、広島正和ほか
助監督:加島忠義、坂本太郎、小島裕重、小笠原猛、青木弘司、上杉健、中津川勲、田村雪穂、広田茂穂、稲垣信明、辻理、徳井一行、三村道治、服部和史、藤井邦夫、梅田味伸、西原和紀、安室修ほか
計測:内田正司、黒須健雄、小泉貴一、中村文宣、松井由守、斉藤健ほか
記録:友成ヤエ、小橋菜菜、大橋仁子、篠敦子、山之内康代、坪田花子、下村友乃、福島勇子、中川恭子、松岡伸子、白山和子、杉原温子、石川和枝、波多野かずえ、高橋扶佐緒ほか
進行:山本剛正、高山篤、須貝武晴、黒谷志朗、村口忠、沼尾和典、勝崎松雄、藤田政男、春日憲政、鈴木善喜、上条睦夫、小池利雄、奈良場繁、長橋勇、高谷正寛、穂鷹一興、佐藤敬一、山本康郎、武居勝彦、桐山勝、橋本鉄雄、小原武羅夫ほか
装置:東和美術、宮崎工務店、紀和美建
装飾:装美社
現像:東映化学
音楽:牧野由多可(1話 - 210話まで)、小林亜星(200話 - 750話まで、210話まではテーマ音楽のみ)、横田年昭(751話 - 772話まで)、ボブ佐久間(773話 - 801話まで)
演奏:小原重徳とブルー・コーツ、スクリーン・ミュージック、アストロ・ミュージック、ビート・ゼネレーション
音楽製作:あんだんて
コーラス:日本合唱協会、東京混声合唱団
ナレーター:島宇志夫、篠原大作、大宮悌二ほか
題字:彫無季
監督:関川秀雄、大岡紀、土屋啓之助、赤坂長義、仲木睦、柳生六弥、小池淳、近藤竜太郎、土屋蔵三、小川貴智雄、松島稔、奥中惇夫、北村秀敏、永野靖忠、中村経美、柴田鉄蔵、渡辺成男、龍伸之介、若林幹、天野利彦、伊賀山正光、田中秀夫、石川義寛、山崎大助、今村農夫也、鈴木敏郎、村山三男、広田茂穂、畠山豊彦、吉川一義、鍛冶昇、島崎喜美男、高桑信、三堀篤、太田成徳ほか
制作:NET、東映テレビプロ→東映
キャスト
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立石班
- ソフト帽がトレードマークの立石主任を筆頭とした作品当初のチーム。最初の部長刑事だった妹尾はスタートから5ヵ月で降板、橘が部長刑事を引き継ぎ荒牧が加入。やがて内藤が降板し岩井田の加入によってメンバーは固定される。その後イレギュラー・村上の参加を経て、松山が加入。長らくはこのメンバーに落ち着いた。
その間、藤島班メンバーとの混成や新刑事+オリジナルメンバーによる別チームなども編成された。 紳士的なチームの印象が強いが、末期ではメンバー間の内部対立が頻繁化するようなる。
立石主任:波島進(班長・1-498話、112話以降は藤島班・三船班と交代もしくは合同で出演)
関根部長刑事:伊沢一郎
妹尾部長刑事:佐原広二(20話まで出演)
橘刑事:南川直(24話以降部長刑事に昇格)
南川部長刑事:菅沼正
畑野刑事:宗方勝巳
荒牧刑事:岩上瑛(21話以降出演)
笠原刑事:伊達正三郎
大村刑事:森山周一郎
森田刑事:北原隆
佐久間刑事:生井健夫
田宮刑事:宮川洋一
桃井刑事:轟謙二
村上刑事:小嶋一郎
香取刑事:綾川香
内藤刑事:巽秀太郎
岩井田刑事:滝川潤
松山刑事:松原光二
山崎刑事:高島弘行→高島新太郎
石山刑事:石山克己
住吉刑事:住吉正博
石原刑事:吉田豊明
山口刑事:山口暁
藤島班
- 元々は波島進のスケジュールの都合から主任の代役を立てたのをきっかけに設定された。個性あるたたき上げの刑事たちによる人情味溢れた捜査手法が持ち味となった。立石班の俳優陣が東映役者チームなのに対し、こちらの初期のメンバーは新東宝出身が占めていた。イレギュラーという扱いであるためメンバーの変動が著しく、スタッフもそれを把握していなかったのか、最初期では役者が代わる、別の刑事役で出るといったケースが目立った。資料によると主任の初登場は112話となっているが、いかなる形での登場かは不明。また1967-68年の間、中山昭二が『ウルトラセブン』出演であまり番組に顔を出すことができなくなったため、班所属の刑事たちは立石班に回されていた。一方では長らく姿を消していた内藤や立石別チームの新規刑事3人を班のメンバーとして迎え入れている。
藤島主任:中山昭二(班長、303話以降は捜査二係長もしくは捜査三係長兼任の設定だったがOPクレジットは捜査一係長・112-497話、立石班・三船班と交代もしくは合同で出演。)
関根部長刑事:伊沢一郎
橘部長刑事:南川直
南川部長刑事:菅沼正(141話以降出演)
荒牧刑事:岩上瑛
笠原刑事:伊達正三郎(141話以降出演)
小杉刑事:三島耕(141話以降出演)→柴田秀勝(181話から出演)
佐伯刑事:三島耕
大村刑事:森山周一郎(154話以降出演)
久保田刑事:木川哲也→亀石征一郎
佐久間刑事:生井健夫
香取刑事:綾川香
桃井刑事:轟謙二
森田刑事:北原隆(157話以降出演)
佐野刑事:木川哲也
内藤刑事:巽秀太郎
村上刑事:小嶋一郎
岩井田刑事:滝川潤
山崎刑事:高島英志郎→高島弘行→高島新太郎
松山刑事:松原光二
石山刑事:石山克己
石原刑事:吉田豊明
神谷刑事:石山雄大
山口刑事:山口暁
三船班
- 増加しつつある凶悪犯罪への対処を目的に組織強化の一端として新たに創設された。番組8周年記念で初登場を果たすも、3か月のブランクののち1970年の年明けと共に本格始動。立石・藤島両班所属の刑事陣を一人で指揮をとるほどの活躍ぶりを発揮する。主任も含めたった2〜3人しか出演しない回があったりとそれまでの「特捜隊」のスタンスを打ち破る傾向の強いチームであった。
三船主任:青木義朗(班長・413-800話、立石班・藤島班・高倉班・矢崎班・日高班と交代もしくは合同で出演)
関根部長刑事:伊沢一郎
荒木部長刑事:細川俊夫(506話のみ出演)
荒木部長刑事:金井大
松木部長刑事:早川雄三
橘部長刑事:南川直
畑野刑事:宗方勝巳
佐久間刑事:生井健夫
香取刑事:綾川香
田坂刑事:倉石功
笠原刑事:伊達正三郎
荒牧刑事:岩上瑛
森田刑事:北原隆
水木刑事:水木襄
内藤刑事:巽秀太郎
岩井田刑事:滝川潤
松山刑事:松原光二
山崎刑事:高島弘行→高島新太郎
石原刑事:吉田豊明
山口刑事:山口暁
白石刑事:白石鈴雄
浜田刑事:矢吹渡
片桐刑事:笠達也
鷲見刑事:柴田昌宏
村井刑事:北村晃一
椿刑事:山口嘉三
倉岡刑事:倉岡伸太朗(602話以降出演)
立花刑事:立花直樹
戸川刑事:一の瀬玲奈
木塚刑事:藤山律子(661話以降出演)
高倉班
- 科学と理論をウリにした捜査チーム。当時の映画スターの相次ぐテレビ進出に便乗して東映時代劇の若手スターだった里見浩太朗を主任役に起用。刑事のほとんどは立石・藤島両班元所属の刑事で構成されている。また三船主任と入れ替わりで同班のチームも率いる時がある。
高倉主任:里見浩太朗(班長・512話-646話、三船班と交代もしくは合同で出演)
関根部長刑事:伊沢一郎
荒木部長刑事:金井大
松木部長刑事:早川雄三
畑野刑事:宗方勝巳
荒牧刑事:岩上瑛
佐久間刑事:生井健夫
笠原刑事:伊達正三郎
森田刑事:北原隆
水木刑事:水木襄
桃井刑事:轟謙二
岩井田刑事:滝川潤
松山刑事:松原光二
石原刑事:吉田豊明
白石刑事:白石鈴雄
椿刑事:山口嘉三
浜田刑事:矢吹渡
片桐刑事:笠達也
鷲見刑事:柴田昌宏
日高刑事:日高吾郎
矢崎班
- 武闘派刑事で構成されており、扱う事件の対処もアクション中心なものがほとんどだった。
矢崎主任:亀石征一郎(班長・654-801話、三船班・日高班と交代もしくは合同で出演)
谷山部長刑事:和崎俊哉
田坂刑事:倉石功
笠原刑事:伊達正三郎
岩本刑事:萩原信二(712話以降出演)
三宅刑事:三宅良彦
岩下刑事:岩下憲
保田刑事:船水進
入江刑事:池田駿介
神谷刑事:山口あきら
桂刑事:佐竹一男
日高班
- 立石班のオマージュ的な存在、最後の一年のみの出演。
日高主任:葉山良二(班長・757-799話、三船班・矢崎班と交代もしくは合同で出演)
関根部長刑事:伊沢一郎
谷山部長刑事:和崎俊哉
田坂刑事:倉石功
笠原刑事:伊達正三郎
水木刑事:水木襄
田代刑事:日高晤郎
片桐刑事:笠達也
佐田刑事:立花直樹
戸川刑事:一の瀬玲奈
木塚刑事:藤山律子
御木本刑事:森哲夫(779話以降出演)
その他
金子捜一主任:神田隆
西本捜一係長(120話まで捜一主任):鈴木志郎(500話まで出演)
田中係長:山田禅二(503-801話)
仲原鑑察医:仲原新二
田川鑑識員:田川恒夫
上田鑑識員:上田侑嗣
新田鑑識員:新田五郎
水野鑑識員:田川恒夫(途中で田川勝雄に改名)
西田鑑識員:西郷昭二→西郷隆
佐藤事務員:佐藤敏子
森事務員:森るみ子
キャスティング
番組がスタートした当時はまだ映画界の「五社協定」が采配を振るっており、協定社の一社であった東映では自社製作のテレビ映画にはB級スターや無名の専属俳優を多く起用していた。そんな中、本作では『七色仮面』や『捜査本部』などのテレビ映画で実績を挙げていた波島進を主演に迎え、彼と共に事件捜査にあたるメンバーには東映の映画『にっぽんGメン』シリーズや『警視庁物語』シリーズ等で刑事役を演じた役者やヒーロー番組の主役俳優などを起用する体制でスタート。毎回ゲストには東映の役者に加え、中井義プロデューサーの古巣・新東宝の役者など幅広いキャスティングがなされた。
レギュラーも含め、出演俳優の多くは他の作品では脇役中の脇役といった扱いが多く、主演経験でも特撮モノが関の山という役者も多かった。例を挙げれば、三船主任役の青木義朗は起用当時日活の任侠映画での悪役を中心に活動しており、高倉主任役の里見浩太朗も当時は時代劇でゲストやサブレギュラーとしての扱いが多かった。中にはゲスト出演を繰り返し、レギュラーメンバーに抜擢されるも、降板後再びゲスト中心に逆戻りした役者も多数いた。時として、実在の歌手(主にコロムビア専属が多い)がクラブなどのシーンでの歌い手として顔見せ出演したり、実在のキャバレーのダンサーや文化人がそのままの役で出たりといった従来のドラマでは不可能と見られる試みがなされた。また地方ロケでは、その地方出身の役者を起用することも少なくなかった。
これらの事情に関してプロデューサーの中井義は1969年1月発売のTVガイド誌上にて、「高額なギャラをもらってる(いわゆるスタークラスの)俳優やタレントは、"刑事=庶民の味方"のイメージから逸脱しているのでキャスティングしない。」とのコメントを残している。
1970年代に入ってからは日活・大映の役者も積極的に起用しており、他の有名番組で人気を博した俳優も出演するようになったものの、当初からのキャスティング傾向は変わらなかった。こうした背景は後番組の「特捜最前線」でも引き継がれている。
役名の特徴としては住吉正博→住吉刑事、山口暁→山口刑事、水木㐮→水木刑事、村上不二夫→村上記者など、俳優の芸名をそのまま使用している例が多い。
オープニングとエンディング
テーマ音楽こそ変われど、オープニング映像はその時期の特捜車両が皇居、赤坂見附周辺を疾走し、現着した車両から降り立った刑事たちが周囲へ散って行くだけのシンプルな演出(後に霞ヶ関ビル方面→国会議事堂方面に向けて特捜車両が疾走して行くパターンに変更)で、エンディングは夜の首都高速を走るその特捜車両の後ろ姿を延々と映したものであった。疾走する車両の数は白黒→カラーが2台で、1969年(昭和44年)以降は3台に増えた。その映像に乗せて流れるテロップは白黒時代はオープニングが「協力:警視庁」に続いてその回のゲスト出演者と続き(しばらくは役名なしの表記だったが途中から役名が付くようになる)、その後に捜一係長とナレーター(やがて回を追うごとに鑑察医、鑑識課員が追加されるようになる)→部長刑事とNo.3格の刑事→No.4格以下の刑事たち→主任と続き最後に監督→制作会社表記と続く。そしてエンディングでは残りのスタッフ表記の後に「終」と続いた。 主役である主任が番組終了まで最後に表記されるのはゲストを優先し「トメ」の位置に置かれていた名残である。
1966年(昭和41年)以降はオープニングが「協力:警視庁」の後にその回のスタッフ表記と続きナレーター(後に題字が追加。)→技斗(後にエンディングに移行)→捜一係長、鑑察医、鑑識課員(事務員)→橘、南川部長刑事含むA級連名→B級連名→主任と続き最後に監督→制作会社表記となった。ただし関根と畑野の出演回ではその二人がクレジット順序で優先されていた。特に関根部長刑事はA級連名の前に単独表記される事がほとんどだった。藤島主任が他の課に異動してから復帰後も表記は藤島捜一係長であった。(後に藤島主任に戻る。)また1968年(昭和43年)立石班2班体制のとき、関根部長刑事が所属するチームは出演順に本編でクレジットされる事があった。そしてその回のゲストに関してはエンディングでまとめて紹介された。
1970年(昭和45年)以降の刑事表記は捜一係長、鑑察医、鑑識、事務員連名→部長刑事→B級連名→橘部長刑事含むA級連名→主任(5人の場合は捜一係長、鑑察医、鑑識課員連名→部長刑事単独→No4格、No5格連名→No3格単独→主任)→捜一係長、鑑察医、鑑識→部長刑事単独→No5格、No6格連名→No.4格単独→No.3格単独→主任となり最終的には部長刑事に続き若手から単独で紹介され最後は主任という流れに落ち着いた。
ただし主任以下のメンバーは基本的に5〜7人だが人数が異なる回は勿論、すべてが上記のパターンではない。係長が部長刑事の次に表記される事やレギュラー刑事がエンディングに表記される事もあり例外がかなり多い。さらに俳優のランクを配慮し、役柄の上下関係に関わらず序列が決められた。同じ班構成なのに回によって序列が変わる事さえあった。松木部長刑事が関根部長刑事と共演する時は畑野刑事より格下の位置になる事や松木刑事と表記される事もあった。
番組のタイトルロゴは一部を除いて彫書家の彫無季が手がけており、一定の期間ごとに変更していた(中には特定の回限定使用のロゴも存在した)。
車両協力
日産自動車が番組提供及び車両協力していた関係で、劇中で特捜隊が使う覆面パトカーにセドリック(30型・130型・230型・330型)が使われていた。当時の警視総監がこのドラマのファンだったために、後に実際のパトカーにもセドリックが採用されたという逸話がある。
その後、日産自動車はプリンス自動車と合併(日産自動車による事実上の吸収合併)した事により、旧・プリンス自動車の車種であったグロリア(A30型・230型・330型)やスカイライン(C10型・C110型)が劇中の覆面パトカーとして登場するようになり [4]、放送10年目を迎えた1971年10月6日放送の「わが道を行く」よりC10型スカイライン(通称・ハコスカ)の覆面パトカーが登場し[5]、1972年12月13日放送の「刑事はつらいよ」よりC110型スカイライン(通称・ケンメリ)の覆面パトカーが登場した [6]。 その他警らパトカーや逃走車両を含む劇中車両としてブルーバード(バン・クーペを含む310型・410型・510型・610型)、サニー(バン・クーペを含むB10型・B110型・B210型)、ローレル(30型、130型)などの日産車、また愛知機械工業 [7]製のコニー360ライトバンが登場した。
オープニングで覆面パトカー(セドリック・スカイライン・グロリアの順)が疾走するシーンは、後継番組の『特捜最前線』のオープニングにおいてもほぼそのまま受け継がれていた。
本作の終了後も、同じ流れを汲む後継番組の『特捜最前線』をはじめ、現在も放送されている『テレビ朝日水曜21時枠刑事ドラマ』の各番組への番組提供及び車両協力も日産自動車が継続して行っており、劇中の覆面パトカーも日産車各車が登場している。
なお、放送開始当初は、特定の自動車メーカーがスポンサーについておらず、観音開きのトヨペット・クラウンの白パトや1953年式シボレーも登場していた。
映画
特別機動捜査隊
- キャスト
- スタッフ=
- 企画:川崎修英
- 原案:NET「特別機動捜査隊」
- 脚本:大和久守正
- 撮影:星島一郎
- 録音:小松忠之
- 照明:大野忠三郎
- 美術:森幹男
- 音楽:菊池俊輔
- 編集:長沢嘉樹
- 助監督:伊丹雅治
- 進行主任:渋谷幹雄
- 現像:東映化学工業株式会社
- 協力:日産自動車株式会社、株式会社日立製作所
- 監督:太田浩児
- 日本公開
特別機動捜査隊 東京駅に張り込め
- キャスト
- スタッフ
- 日本公開
- 1963年(昭和38年)5月12日
ネット局
系列は放送当時の系列。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | NETテレビ | NETテレビ系列 | 制作局 現:テレビ朝日 |
北海道 | 北海道放送 | TBS系列 | 1968年10月まで |
北海道テレビ | NETテレビ系列 | 1968年11月から | |
青森県 | 青森放送 | 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
1969年11月まで、1975年4月から 1975年3月までは日本テレビ系単独加盟局 |
青森テレビ | NETテレビ系列 TBS系列 |
1969年12月開局から1975年3月まで ANN脱退・JNN正式加盟でRABへ再移行 | |
岩手県 | 岩手放送 | TBS系列 | 現:IBC岩手放送、1969年11月まで |
テレビ岩手 | 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
1969年12月開局から | |
宮城県 | 東北放送 | TBS系列 | 1962年から1970年9月まで |
ミヤギテレビ | 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
1970年10月開局から1975年9月まで | |
東日本放送 | NETテレビ系列 | 1975年10月開局から | |
秋田県 | 秋田放送 | 日本テレビ系列 | |
山形県 | 山形放送 | 日本テレビ系列 | |
山形テレビ | フジテレビ系列 NETテレビ系列 |
||
福島県 | 福島テレビ | 日本テレビ系列 | 1966年4月から1970年1月まで |
福島中央テレビ | 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
1970年2月から[9] 1971年9月まではフジテレビ系・NETテレビ系とのクロスネット局 | |
山梨県 | 山梨放送 | 日本テレビ系列 | |
新潟県 | 新潟放送 | TBS系列 | 1966年から1967年まで |
新潟総合テレビ | フジテレビ系列 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
1968年12月開局から | |
長野県 | 信越放送 | TBS系列 | 1968年打ち切り |
長野放送 | フジテレビ系列 | 1971年から | |
静岡県 | 静岡放送 | TBS系列 | 1966年から1970年6月まで |
テレビ静岡 | フジテレビ系列 | 1970年7月から | |
富山県 | 北日本放送 | 日本テレビ系列 | |
石川県 | 北陸放送 | TBS系列 | |
福井県 | 福井放送 | 日本テレビ系列 | |
中京広域圏 | 名古屋テレビ | NETテレビ系列 | 1962年から |
近畿広域圏 | 毎日放送 | 1975年3月まで | |
朝日放送 | 現:朝日放送テレビ 1975年4月から、腸捻転解消に伴う移行 | ||
島根県 | 山陰放送 | TBS系列 | 1965年から1968年まで 当時の放送免許は島根県のみ |
島根県 →島根県・鳥取県 |
山陰中央テレビ | フジテレビ系列 | 1970年4月から 1972年9月までの放送免許は島根県のみ 相互乗り入れに伴い鳥取県にも放送免許拡大 |
岡山県 | 山陽放送 | TBS系列 | 1965年から1969年3月まで 当時の放送免許は岡山県のみ |
テレビ岡山 | フジテレビ系列 NETテレビ系列 |
現:岡山放送、1969年4月の開局から 1977年3月までの放送(当時の放送免許は岡山県のみ) | |
広島県 | 中国放送 | TBS系列 | 1963年から1970年11月まで |
広島ホームテレビ | NETテレビ系列 | 1970年12月開局から | |
山口県 | 山口放送 | 日本テレビ系列 | |
テレビ山口 | TBS系列 フジテレビ系列 NETテレビ系列 |
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徳島県 | 四国放送 | 日本テレビ系列 | |
香川県 | 西日本放送 | ||
瀬戸内海放送 | NETテレビ系列 | 1969年4月の開局から 1977年3月までの放送(当時の放送免許は香川県のみ) | |
愛媛県 | 南海放送 | 日本テレビ系列 | |
高知県 | 高知放送 | ||
テレビ高知 | TBS系列 | ||
福岡県 | 九州朝日放送 | NETテレビ系列 | |
長崎県 | 長崎放送 | TBS系列 | |
熊本県 | 熊本放送 | ||
大分県 | 大分放送 | 1965年から1967年まで | |
テレビ大分 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
1970年4月開局から | |
宮崎県 | 宮崎放送 | TBS系列 | 1965年から1968年まで |
テレビ宮崎 | フジテレビ系列 NETテレビ系列 |
1970年4月開局から | |
鹿児島県 | 南日本放送 | TBS系列 | 1964年から1967年まで |
鹿児島テレビ | フジテレビ系列 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
1969年4月開局から | |
沖縄県 | 琉球放送 | TBS系列 | |
沖縄テレビ | フジテレビ系列 |
逸話
- 本作がスタートする直前、東映はテレビへの映画提供打ち切りに踏み切り、専属俳優のテレビドラマ出演を制限していった。さらに五社協定によって45分以上のテレビ映画の製作は禁止されていた。本作のスタートの背景にはこういった当時の映画とテレビとの関係を覗わせる制約が存在していた。このため初期の作品は実質NETテレビ主導で製作されていた。
- 番組3周年には、異例の試みとして作品内の事件の犯人が誰なのかを当てる「懸賞付き犯人当てクイズ」が行われた。この企画は後に5周年記念でも実施されている。
- 多摩川でロケ撮影中(話数不明)に偶然、服毒自殺の女性を発見し、劇中車両のパトカーで病院に搬送したり、脅迫容疑で追われていた暴力団員がロケ現場に紛れ込んでしまい本物の刑事と勘違いして逃走した末に取り押さえられて本物の警察に引き渡されるなどのハプニングもあったと言う[15]。
- 「砂に十字架を…」(第382話)に悪性腫瘍により右腕を切断した俳優・高橋英二を出演させ、「神への道」(第387話)に全盲の歌手・作曲家で知られた大野秋好を出演させたのは中井プロデューサーの希望であり、後者に関しては「2年越しの構想であった」と語っている[16]。
- メインカメラマンを担当した内田安夫は第60話「禁断の過去」(第2回)と第496話「闇の中」(第11回)の撮影で日本映画テレビ技術協会が制定した日本テレビ技術賞を受賞した。
- 番組開始当時は30分もののドラマが70万円程の予算だったのに対し、1時間ものである本作は1本につき100万円以下の予算だったため、無名の役者や歌手を出演させたりしていた。また、2本の話をわずか2週間足らずで仕上げるというハードスケジュールぶりで、前後編でないにも関わらず出演者の顔ぶれがダブっているケースが多いのもこのためである。
- 第267話ではカラー作品であったが、OA時は白黒であった。
- 番組前半期の顔であった立石主任役の波島と藤島主任役の中山は番組10周年を目前にして降板した。波島の降板理由は三船班をメインに据えた番組の路線変更に難色を示したことと言われている。この番組の降板から間もなくして波島は芸能界を引退した。
- 主任役に起用された俳優は、警視庁を訪問し警視総監に主任役決定の意向を報告したという。これは里見浩太朗、亀石征一郎の証言で明らかになっている。
- 1976年(昭和51年)9月1日に放送された「新宿海峡」は水木刑事役の水木襄が当時新曲として出したばかりのシングルレコードのタイトルでもあり、またこの回でギター流しに扮した水木刑事がこの曲を劇中歌として歌った。
- 1980年代に独立UHF局で行われて以来長らく再放送の機会に恵まれなかった本作であったが、CS放送の東映チャンネルにて、2006年(平成18年)6月から2007年(平成19年)3月の間第1話から第212話を、2009年(平成21年)10月から2011年(平成23年)7月の間に第238話から第450話を、2015年(平成27年)4月から2017年(平成29年)2月の間に第451話から第650話の再放送が行われた(いずれもニューマスター版)。ただし、多くの本数が原版紛失及び損傷などの理由から欠番扱いとなっている。
- 日高晤郎の役名は当初「代田刑事」とする予定だった。プロデューサーが「君は代打の刑事だから代田で行こう」と打診したところ、日高は「代打の刑事が代田じゃそのまますぎるので、代打の代と打を逆さにして打を田に変えて田代刑事にしたい」と伝え、「田代刑事」となった。
- オープニング・エンディングで表記されたスタッフ・キャストのテロップは長らく筆記体であったものの、時期を追うごとに筆跡の変更を繰り返した後、第578話以降(第588話をのぞく)は活字書体に変更された。
- 常に高い人気を誇っていた本作も 1977年(昭和52年)3月30日で15年半の歴史に幕を閉じることになった。最終回のエンディング(映像自体は通常と同じ)では、キャストロールをバックに、視聴者へ15年半の愛顧への感謝を伝えるナレーションが挿入され、通常「終」とクレジットされる箇所では楕円囲みで「最終回」とクレジットされた。
- 一般家庭にビデオが普及する前の1981年頃、東映芸能ビデオから第800回「あゝ夫婦」を収録したビデオが4万円で発売されていたことがある[17]。本作の映像ソフトはこれが唯一となっており、これ以外の本編のDVD化・BD化は現在まで行われていない。
脚注
注釈
出典
- ↑ 1972年スタートで1987年まで15年間放送された『太陽にほえろ!』をはじめとする他の作品の放送回数もこれに及ばない。
- ↑ (2017-04-25) [ スーパー戦隊 Official Mook 21世紀 Vol.4 特捜戦隊デカレンジャー ] 講談社シリーズMOOK 講談社 2017-04-25 978-4-06-509515-7 4
- ↑ これらの傾向は『特捜最前線』や『はぐれ刑事純情派』などの後続枠にも断片的ながら引き継がれている。
- ↑ 230系セドリック・グロリアは第492回から第517回まではオープニングおよびエンディングのみの登場であったが、本編に登場するようになったのは第518回からである。
- ↑ 日産自動車広報部発行「ニッサン・グラフ」(1971年11月号)より要ページ番号
- ↑ 本作の終了後も後継番組の『特捜最前線』の覆面パトカーとして引き続き登場し、C110型スカイライン(通称・ケンメリ)の覆面パトカーは映画『新幹線大爆破』にも登場した。
- ↑ 1962年11月に日産自動車と技術提携、1965年3月に業務提携を締結したためである。
- ↑ 毎週月曜22:00~23:00のフィルムネット。
- ↑ 開局は1970年4月だが、2月のテスト放送時より放送。「福島民報」
- ↑ 毎週月曜14:00~14:55のフィルムネット。
- ↑ 18日遅れの日曜22:30〜23:25の放送。
- ↑ 放送期間中、日曜9:30 - 10:30に再放送を実施したことがあるが、1975年3月放送期間中における再放送を打ち切り。
- ↑ 約7か月遅れのフィルムネット。土曜23:20〜24:15の放送。
- ↑ 本土復帰直後にRBCから移行。18日遅れの日曜22:30〜23:25の放送。
- ↑ 「テレビ・メイト」(1971年5月号、NETテレビ広報部刊、26~29ページ)参照
- ↑ 「週刊TVガイド」1969年3月?号東京ニュース通信社要ページ番号
- ↑ 「ビデオコレクション1982」1981年、東京ニュース通信社、「週刊TVガイド」臨時増刊12月2日号要ページ番号
関連項目
外部リンク
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- テンプレート:Japanese-cinema-db
- テンプレート:Kinejun title
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