東京ドーム

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東京ドームのビール売り娘
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東京ドーム(とうきょうドーム)は、日本初のドーム型野球場であり、愛称はBIG EGG(ビッグエッグ)。

1988年(昭和63年)、東京都文京区後楽一丁目で開場。株式会社東京ドームが運営する東京ドームシティの中核施設である。

プロ野球セントラル・リーグ読売ジャイアンツ(巨人)が専用球場(本拠地球場)としている。

概要

1988年(昭和63年)3月18日後楽園球場の実質的な代替球場として後楽園競輪場の跡地に開場。日本初の全天候型球場となった。完成後最初の催事は巨人対阪神タイガースオープン戦。ただし、こけら落としについては美空ひばりの復活コンサートをそれにしており、コンサートの様子をまとめたDVDやNHKのプロジェクトXでもその旨の記載がある。空気膜構造屋根を持つアメリカのメトロドームをモデルとして設計された。後楽園球場から引き続き、巨人とパシフィック・リーグ日本ハムファイターズ(当時)が専用球場とした。

日本ハムは2004年(平成16年)度に北海道札幌ドームに移転し「北海道日本ハムファイターズ」となったが、現在も8試合の主催試合を開催している(試合数は2007年(平成19年)から固定)。また、パ・リーグのオリックス・バファローズも親会社オリックスの本社が東京にある関係で、ブルーウェーブ時代の2004年(平成16年)から2009年(平成21年)まで年間2試合の主催試合を開催していた。なおこのうち、2006年(平成18年)は、大阪ドームの経営破綻の影響の余波で開催されなかった。2009年(平成21年)を最後にオリックスの主催試合は開催されていないが、2010年(平成22年)から東北楽天ゴールデンイーグルスの主催試合が1試合組まれた。

その他、2006 ワールド・ベースボール・クラシックのアジアラウンド、2009 ワールド・ベースボール・クラシックの東京ラウンド、アジアシリーズなどの国際試合、日米野球などの国際親善試合も東京ドームで開催されることが多い。アマチュア野球では、社会人野球・都市対抗野球大会全日本大学野球選手権大会が毎年開催されている。他にもプロ野球マスターズリーグの東京ドリームズが本拠地として使用していた。野球のほかにも格闘技・プロレスの興行やコンサート、商品の展示会なども行われる。

2002年(平成14年)からロングパイル人工芝「フィールドターフ」を、日本の野球場で初めて採用した。天然芝に近い感触の特殊な繊維とクッション材を採用し、選手の負担を軽減できる工夫を凝らしている(現在のは2代目)。

ドームの広さは約216メートル四方で建築面積は46,755m2容積は約124万m3。東京では建物・場所などの面積や大量の物の体積・容積を表現する際に「東京ドーム何個分(何杯分)」という表現が使われることもある。夜間にはライトアップされている。

2007年(平成19年)の大改修で喫煙コーナーを廃止して完全に煙の漏れない喫煙室を新設し、ドーム球場での完全分煙を実現した。

施設概要

球場データ

  • 所在地 - 東京都文京区後楽一丁目3番61号
  • 建築面積 - 46,755m2
  • 建物高さ - 56.19m
  • 階数 - 地上6階・地下2階
  • 容積 - 1,240,000m3
  • 収容人数 - 55,000人(詳細は後述
  • フィールド - 両翼100m、中堅122m、左右中間110m
  • グラウンド面積 - 13,000m2
  • スコアボード - 2基(メイン・サブ)
    • メインスコアボード - 全面フルカラーLED三菱電機製・オーロラビジョン、7.0m x 34.0m)
  • 内外野 - ロングパイル人工芝「フィールドターフ」
  • 外野フェンスの高さ - 4.24m(ラバー 4.0m + ネット 0.24m)
    • 2009年(平成21年)まではラバーのみの4.0m
  • グラウンド面からの屋根の高さ - 61.69m

落成・供用開始日

  • 落成式 1988年(昭和63年)3月17日
  • 公式戦開始日 同年3月18日
  • 一般使用開始日 同年12月24日

フィールド

両翼100メートル・中堅122メートル。公認野球規則1.04の付記(a)に適合した広さで設計されているものの、敷地面積の都合で左中間・右中間(110メートル)が極端に狭い。日本での一般的な野球場のイメージである「扇形」よりは、アメリカのリグレーフィールドUSセルラー・フィールドのようにむしろ「の字形」に近い。扇形のフィールドを持つナゴヤドームと比べると、中堅・両翼までの距離はほぼ同じだが左中間・右中間がほぼ直線状であるため6 - 8メートルほど短く、フェンスが4mと他の国内全天候型球場と比較して低いこともあってホームランが出やすい(左中間・右中間の距離については、両翼・中堅の距離が同クラスである球場のほとんどに当てはまる)。

  • フィールドには人工芝を採用している。2002年(平成14年)からは、試合会場としては日本で初めて天然芝に近い性質を持つといわれるロングパイル人工芝「フィールドターフ」を導入した。その後、イベントなどで踏み荒らされ数年で踏み固められてしまい2006年に巨人がシーズン当初の好調から故障者が続出し一転して低迷したが、読売ジャイアンツの滝鼻卓雄オーナーは低迷の要因の一つとして人工芝を挙げ、東京ドーム側に改善を要望すると、東京ドームではシーズン中の6月にリフレッシュ工事を行い改善が見られた。2007年(平成19年)3月には、耐久性、衝撃吸収力が向上した「フィールドターフ」の改良型へ総張り替えを実施した。開場からは5代目の人工芝となる。
  • グラウンド地下には一周400メートルのバンク(競走路)が収納されている(後楽園競輪場跡地に建てられており、将来の後楽園競輪復活も視野に入れているため)。年に一度、「自転車フェスティバル」と題して、模擬競輪など競輪・自転車競技に関するイベントが行われている。

外野フェンス

外野フェンスは2010年(平成22年)から従来のラバーフェンス(高さ4.0m)にネットフェンス(高さ0.24m)を付け加えたものとなっている。ネットフェンスを付け加えた主目的はホームランを判定しやすくするためである。ラバーフェンスの最上部スタンド側には手すりがあり、それに打球が当たった場合はホームランであるが、インプレイとなるラバー最上部で跳ねた場合と判別がしにくく判定を巡りトラブルとなることも多かった。またスタンド最前列から見てもフェンスが低く、落下の危険性や観客がホームランにならないような打球に触れることも容易であるという欠点もあった。

ホームランの出やすさの理由

ホームランの出やすさの理由として、第一に、左中間・右中間の膨らみが小さく110mしかないことが挙げられる。これは、現在の12球団の本拠地球場の中でもっとも狭い。第二に、屋内球場で湿度が低いために、打球が伸びやすいことがあげられる。他方で、気圧で屋根を膨らませている球場であるために気圧によってホームランが出やすいことが指摘されることがあるが、物理的に高気圧で打球が伸びないことはあっても伸びることはないので、これは誤りである。

人為的に風を送って打球を延ばしているのではないかなどと主張する意見もあり、このような論者は「空調」「ドームラン」あるいは「からくりドーム」といった独特の表現を用いている。これらの意見を裏付ける直接的な証拠はないが、東京ドームのモデルとなったメトロドームでは、元職員がホームチームに有利になるよう強力なファンで強風を送っていたと証言した記事がタブロイド紙に掲載されたことがある。

もっとも東京ドームは野球規則1.04に記載されている国際基準を満たすNPB初の本拠地球場であり、完成当時としては広い球場だったことは確かである。実際に後楽園球場でなされた1987年の公式戦では112試合で234本の本塁打(1試合平均2.09本)が出たのに対し、東京ドームでなされた1988年(昭和63年)の公式戦112試合では147本(1試合平均1.31本)が出たにとどまり、約4割も減少している。他球場と比較しても、東京ドームの1試合当たりの平均本塁打数は、各球団の本拠地11球場中、1988年(昭和63年)10位、1989年(昭和64・平成元年)10位、1990年(平成2年)11位、1991年(平成3年)7位となっており、開場後数年は本塁打の出にくい球場だったといえる。

しかし、その後20余年が経過する中で、他球団は本拠地を1991年開業の千葉マリンスタジアム(ロッテ)、1993年開業の福岡ドーム(ダイエー)などのより広い球場へ移転したほか、既存の球場でも西武ドーム明治神宮野球場のように、改修でフェアグラウンドの形状が広げられたこともあり、開業からフェアグラウンド面積に変更のない球場は東京ドームと横浜スタジアム1978年開業)のみとなった。その意味で、東京ドームは時代の経過とともに相対的に狭いとみなされるようになった球場であるといえる。

また、東京ドームでの1試合あたりの平均本塁打数(公式戦)1988年は1.31本(112試合で147本)だったのに対して2004年は3.43本(76試合で261本)と本塁打率が2.6倍以上に増加し、また、統一球導入前後では、2010年は2.88本(73試合で210本)・2011年は1.42本(69試合で98本)と半数以下に激減していることから、球場の広さ以外の要素(ボールの影響)も否定できない。

なお東京ドーム竣工直前までは、東京ドームは(当時の他球場と比較して)フィールドが広く、フェンスの高さも後楽園球場と比較して高くなったので本塁打の数が減るだろうと各野球雑誌で掲載され、前述のように約4割本塁打の数は減少したものの、東京ドーム開業初年度のシーズン終了後はそのような記事も徐々になくなっていった。なお、本塁打が減少する分、逆に三塁へのクロスプレーが増えるのではないかと評していた野球雑誌もあった。

屋根・天井

屋根は空気膜構造と呼ばれるもので、内部の空気圧を外部よりも 0.3%(3ヘクトパスカル)高くして膨らませている。インフレートと呼ばれ、完成時には屋根を膨らます作業が行われた。この作業はメディア等でも取り上げられている。圧力差を維持するために送風ファンを合計36台設置しており、ドア開閉がある場合は10台から18台、ドア閉鎖時は2台を動作させて気圧を維持する。他にも出入り口に手動式回転ドアエアロックが設置されている。ドア開放は与圧が抜けて屋根が潰れる原因になるので出来ない。ドームから回転ドアで外に出る際は、気圧のため外に押し出されるような感じになる。隣接する小石川後楽園の日照に配慮するため、屋根の高さが外野方面に向かって低くなっていくように設計されている。

屋根は28本のワイヤを8.5メートル間隔で縦横に並べ、その間に二重構造の膜を張ったものとなっている。膜はガラスクロス(織物)の表面をフッ素樹脂でコーティングしたもので、耐候性・耐熱性・非粘着性に優れた不燃材料である。内膜は音を吸収する特性もある。耐用年数は20年以上。総重量は400トン。太陽光の約5%を透過する。施工は太陽工業。ワイヤからテレビカメラ(中央部)、スピーカー(中央部1個、膜屋根周辺21個)、照明(14ヶ所)が吊るされている。

  • 外膜は厚さ0.8ミリメートル。アメリカのケミカル・ファブリックス社製品。
  • 内膜は厚さ0.35ミリメートル。中興化成工業社製品。

デーゲームの際に、ボールと屋根の色が同化して見づらくなる現象が起こる。プロの選手でも打球を見失う事例が起こるほどである。

中央部のテレビカメラ(通称『トップアイ』)からの映像は、野球中継だけでなくNHK民放各局の夜のスポーツ速報番組などに使われていた。最近の巨人戦などの野球中継ではあまり頻繁には使用されないが、投手の投球練習を上から撮影する際などに使用されている。また、巨人の優勝決定時に行われる胴上げの際には『トップアイ』からの映像が必ず使用される。

設計に当たっては、打球が屋根に当たらないように高さが設定された。完成直前の東京ドームをテレビの収録で訪れた長嶋茂雄は「この天井にボールをぶつける事は無理でしょう」と述べていたが、開場した1988年(昭和63年)の7月4日阪急ダラス・ウィリアムズが当てたのを皮切りに、巨人在籍の原辰徳松井秀喜西武在籍時のアレックス・カブレラらが、天井や天井に吊り下げられている照明機器、スピーカーなどに当てている。松井の打球は内膜の穴に入り、ボールが落ちてこなかった。

天井や懸垂物に当てた場合、以下の特別ルールが適用される。

  • 天井に当てた場合→ボールインプレイ(プレイ続行)。落下した打球を野手がそのまま捕球すればフライアウト。落下した地点か野手が触れた地点でフェアかファウルか判断される。
    • 阪急・ウィリアムズの「第1号」は2階内野席に落ちたため、ファウル。
    • 天井に当たった打球がフェアになった第1号は1990年6月5日のラルフ・ブライアント近鉄)。二塁手が捕球してアウトとなった。後述の東京ドーム初の認定本塁打はこの翌日に出ている。
    • 2005年(平成17年)7月30日の巨人対中日戦で、通算350号本塁打まで残り1本に迫っていた巨人の江藤智が本塁打性の特大飛球を放ったが、打球は屋根に当たりグラウンドに落下。中日の左翼手・英智に捕球され、350号は幻となった(通算350号は西武へ移籍した翌年4月15日に達成)。
    • 2007年のオールスターゲームでは7月20日に行われた第1戦で、オールパシフィックの山﨑武司東北楽天)が天井に当てている(結果はサードのファウルフライ)。
    • ごく稀に「天井に当たってホームラン」ということもある(クレイグ・ブラゼル阪神)らが記録している)。
  • 外野のフェア地域にある懸垂物に当てた(もしくは挟まった)場合→認定ホームラン(過去2例)。
    1. 1990年(平成2年)6月6日日本ハム対近鉄戦で近鉄のラルフ・ブライアントが日本ハムの角盈男から記録。打った打球をセンター守備位置上にあるメインスピーカーに直撃させた(推定飛距離160メートル)。これをきっかけに、東京ドームではスピーカーに当てた認定ホームランを記録した選手に対してスピーカーの提供メーカーより賞金300万円を贈呈することにしている(メインスピーカーのみ)。
    2. 2008年(平成20年)6月7日の巨人対ロッテ戦でロッテのフリオ・ズレータが巨人のエイドリアン・バーンサイドから記録。打った打球をレフト守備位置上にある照明機器に直撃させた(推定飛距離150メートル)。
  • 打球が天井の穴や隙間、懸垂物などに挟まって落ちてこなかった場合→フェアゾーンであればエンタイトルツーベース。ファウルゾーンであればファウル。
    • 2002年(平成14年)に松井秀喜が記録。実際には挟まっておらず二重構造の膜の間を通ってライトスタンドの巨大看板上の照明付近まで転がっていた。この「幻のドーム場外」ボールは2日後に取り出され、現在、当ドーム内の野球体育博物館に保存されている。

スタンド

日本の球場としては珍しく、内野2階コンコースから直接グラウンドが見える構造(そのため、反対側からコンコース内側の柱が見える)となっており、グラウンドに近いスペースを立見席として販売している。車椅子を利用する観客のために、立見席の一部を「車椅子席」としている。車椅子だけではなく、介護ベッドを利用する観客も利用できるようになっており、介護ベッドを設置し、介護ベッドで横になりながら試合を観戦している観客もいる。発売方法は通常と異なる。他に内野は1階と4階、外野は1階にコンコースがあり、グラウンド面は地下5.5mの高さである。かつて1階のコンコースは一塁側がつながっていた。オープン当初は売店等が立ち並び、外野と内野を行きかう人々で賑わっていたが、数年で閉鎖された。現在は外野側、内野側いずれもシャッターで閉ざされ中に入ることはできない。閉鎖後は倉庫として使用されている。

基本的に座席の色はとシーズンシートのグレーで統一されている。敷地の関係上、日本の球場としては外野席の比率が低い。内野席は2層式で中間にバルコニー席があり、食事付き年間指定席となっている。バルコニー席の中央部分はVIP用スペースとなっている。スタンドの両翼部は可動席で、サッカー、アメフト等の開催時にはフィールドを広げられるようになっている。

巨人主催ゲームについては2009年から2010年まで、平日ナイターに限り内野C指定席の一部を学割チケットとして販売していた(阪神戦を除く)。

左翼スタンドのセンター寄りを巨人の応援席にした「レフト巨人応援席」、残りの座席の一部を「ビジターチーム応援席」と設定したため、巨人ファンとビジターファンとの外野の座席比率はおよそ6:4(実質見た目は7:3ぐらいに見える。)になっている。元来ライト側に入れない巨人ファンがレフトのライト側寄りで応援していたことと、レフト側でビジターチームを応援する客が少なかったこと、2005年(平成17年)後半戦の阪神戦以外の全ての試合で、バックスクリーン周辺のレフトスタンドの客席の空席が目立ち過ぎたことなどから、設定された席種である。阪神戦では、レフト側で阪神を応援するファンの数が多いことと、巨人と阪神のファン同士での争い事の発生を避けることなどを理由に「レフト巨人応援席」は設定されていない。

社会人野球の都市対抗、プロ野球のアジアシリーズが開催される期間中には、一・三塁側スタンド最前列に応援団の特設ステージが設けられる。

2005年(平成17年)から内野一・三塁側のファウルゾーンにフィールドシート(エキサイトシート)を設置(228席)した。2009年(平成21年)からは座席列が2列から4列に増設されて420席(一塁・三塁各210席)となっている。

  • プロ野球を開催する場合のみ使用され、アマチュア野球や他のイベントでは使用されない(ただし、アマチュア野球の試合であってもシートの撤去はしない)。
  • 利用する観客へは防御用のヘルメットとグローブが貸し出される。ヘルメットは必ず着用しなければならない。
  • 売り子が入ることができない。入口際のネット越しに購入することが可能である。
  • 巨人主催ゲームについては年間予約席(108席)と一般指定席(120席)の2種類が設定され、一般席は抽選で販売される。座席数が非常に少ないため抽選は毎回高倍率となる(2008年(平成20年)まで)。
  • なお、2010年(平成22年)の巨人主管試合は日本マクドナルド協賛「マクドナルドエキサイトシート」として運営されており、観戦者には漏れなく全国マクドナルド店舗で利用できるビッグマック割引クーポンが贈呈される。交流戦以外の巨人主催試合で巨人と対戦相手双方でホームランが出た場合「BIG MAC TWIN ARCH」としてビッグマックを無料進呈。どちらか一方しか出なかったりホームランがない場合でも200円で優待。
  • 日本ハム主催ゲームでは2008年(平成20年)までシーズンシートだけの設定だったが、2009年からは一般発売もされている。

収容人数

プロ野球の各球団は、2004年(平成16年)までその主催のシーズン公式戦の観客数を実数ではなく水増しした数字で発表していた。東京ドームの場合も収容人員を1988年から1994年までは56,000人、1995年から2004年まで55,000人とし、さらに巨人戦の観客数を実際の入場者数に関わらず満員の55,000人(1994年までは56000人)と発表していた。朝日新聞によると、設計段階では50,009人であり行政指導の結果46,314人に減ったが(後述)、満員で5万人と発表していた後楽園球場よりビッグを強調したいとの商魂が先行したためとされている。

ただし、日本シリーズオールスターゲームは、各球団ではなく日本プロ野球機構の主催となり、同機構が公益法人のため実際の有料入場者数が記録されることになっている。日本プロ野球機構主催ゲームの最多有料入場者数は、1994年日本シリーズ第2戦の46,342人。

2005年(平成17年)からプロ野球全体で観客数発表を実数に近くすることになり(通常は実際の入場者ではなくシーズンシートを含めたチケット購入者数)、プロ野球チームが本拠としている各球場でも収容人員の変更が行われているが、東京ドームでは観客数発表の方法は変更したものの収容人員の変更はされていない。

開場当初、小石川消防署に届けられていた定員は46,314人(そのうち立ち見2,976人)であった。2005年(平成17年)4月13日の産経新聞には、改修を経て現在の数字である45,600人に落ち着いたとある。さらに2009年(平成21年)現在はエキサイトシート420席が加わる。2009年現在、東京ドームの収容人数をプロ野球関連の刊行物では45,600人と記載することが多い。また、注釈付で55,000人としている場合もある。実数発表以後で球団主催試合での最多観客数は2008年(平成20年)10月25日・巨人対中日戦の46,797人であり。レギュラーシーズンでは2011年10月15日の巨人対中日戦の46,794人である。45,600人という数字は正確とは言えないものとなっている。現在、小石川消防署に届けられている定員は明らかにされていない。

なお野球以外でのイベントでは、1998年(平成10年)4月4日の新日本プロレス主催のアントニオ猪木引退試合が70,000人と発表されている。また、1998年8月30日の日本テレビ主催の今世紀最後!! 史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズでは、1階席と2階席のみでバルコニー席を使用しなかったが、50,453人と水増し発表されている。

喫煙規制

2007年(平成19年)より、コンコースで設置されていた喫煙ブースを廃止し、新たにゲート外、及び1階内野コンコース1塁側、3塁側に喫煙ルームを設置し、分煙を行なっている。

応援時の規制

東京ドームでは、野球開催時に以下のような規制を行っている。

  • トランペットトロンボーン)、カネ、笛、太鼓
    • 指定・許可されたNPB公認の私設応援団のみ持込・使用可
    • 拡声器、ラジカセ等、大音量を発生させる物の持込不可。ただし都市対抗野球ではマイク使用可。
    • 騒音問題に対応し、22時以後は使用禁止。ただし都市対抗野球では23時まで利用可能。かつ23時以降もマイク使用は可能。
  • 巨人主催試合

基本的にトランペットは同時吹奏4本まで。また球場から貸与する8枚の腕章を着用しているトランペット(奏者)が演奏できる。本数を超えたり、腕章なきトランペットを吹いた場合、即刻始末書の提出を求められ、NPBへルール違反の報告を行っている。これに関しては応援団担当の警備員が逐一チェックしている。

  • 日本ハム主催試合

基本的にトランペットは本数制限無し。

  • 応援旗
    • 一般客は、縦500mm以内、横500mm以内の大きさで、持ちやすくするために柄を2本付けたものであれば持込可。それ以上の大きさのものは、指定・許可されたNPB公認の私設応援団のみ持込・使用可。ただし同時に振れるのは6本まで。
    • 枚数は制限なし。
  • 横断幕
    • 一般客は縦600mm以内、横600mm以内のものであれば持込可。それ以上の大きさのものは、指定・許可されたNPB公認の私設応援団のみ持込・使用可。上記の大きさを超える「ゲートフラッグ」は、一般客・応援団共に持込禁止。
    • 手持ちのみとし、球場施設(フェンス、スタンド等)への取り付けは禁止。また、横断幕に旗竿等を使用したものは、一般客・応援団共に持ち込みはできない。
  • 応援ボード等
    • 一般客は、大きさは縦600mm以内、横600mm以内の物で、必ず一人が手で持てる仕様であるものであれば、持込可。ボードを支える棒などは使用できない。また、2人以上で持つものは、横断幕とみなされ、持込不可となる。
    • 1枚の大きさが規定以内でも、テープ等でつなげた物は持込不可。入り口にて切り離すか、没収となる。一枚ずつに分かれているものを2人以上で掲げ、選手の名前や文章にする行為は許可されている。

なお、応援幕・メッセージボード等の内容は、チームや選手を応援するものに限り、公序良俗に反する内容や誹謗中傷(球団への批判等)を含む内容のものは、持込ができない。また試合中に掲げたとしても、掲げている内容が試合中でも厳しくチェックされているため、発見され次第係員に没収される。

  • ジェット風船、紙吹雪、紙テープ
    • 建物の構造上の理由により応援団・一般客とも使用不可(野球の優勝決定時の演出を除く ジェット風船についてはドームが空気圧で膨らんでおり、それが基で破裂する恐れがあることから優勝決定時でも使うことはできない。ただし、1998年12月31日から1999年1月1日にかけて行われたJ-FRIENDSのカウントダウンライブではジェット風船が飛ばされていた)。

なお、巨人主催試合1993年(平成5年)まで、日本ハム主催試合では2006年(平成18年)までは太鼓を使用できなかった。理由は一説によると、東京ドームの応援規制が緩和された1994年に巨人・日本ハム両応援団は「トランペット(トロンボーン)持込数増加」と「太鼓持込」のいずれかを選択することになり、巨人応援団は太鼓を、日本ハム応援団はトランペット(トロンボーン)を選択したと言われる。日本ハム主催試合で2007年以降太鼓が認められるようになったのは、巨人主催試合のビジター戦では太鼓が認められ、ホーム戦では認められない事に対する矛盾を解消する事が理由であると言われる。

持込・移動

球場内へは、グラウンド等への投げ込み防止のため、ビン・カン・ペットボトルの持ち込みは禁止されており、各ゲート入り口にて、中身を指定の紙コップに移し替えなければならない(紙パックのものは持込可)。クーラーボックスやベビーカーなど、観戦の妨げになる恐れのある物の持ち込みもできない(ベビーカーは、入場ゲートにて預かりとなる)。1995年(平成7年)の地下鉄サリン事件2001年(平成13年)のアメリカ同時多発テロ事件以降、入場時には厳しい持ち物検査が実施されている。

球場内では、1階から2階まで自由に行き来でき、各階の色々な売店にて買い物ができる。ただしバルコニー席のチケットを持たない人は、バルコニー席には行けない。

再入場制度

東京ドームでは、一部のイベントでは一旦東京ドームの外へ出た人も再入場ができる。イベントにより再入場の手続き方法が異なる。巨人戦には2006年(平成18年)から導入されており、21ゲート、23ゲートで手に再入場を証明するスタンプを押され再入場券が発行される。再入場時にチケットの半券とスタンプ、再入場券が確認できれば、再入場ができる。

看板広告

バックネットのフェンス広告は2004年(平成16年)から電動により広告パターンを複数出せるようになっている。オールスターゲームが開催される場合は、オールスターゲームの冠スポンサー(2006年まで三洋電機、2007年はガリバーインターナショナル、2008年からマツダ)の広告を掲出している。東京ドームでのオールスターはこれまで1988、1991、1993、1996、2000、2002、2007年に開催されたことがある。

外野には11枚(左翼6枚、右翼5枚。〈開設当初は9枚:左翼5枚、右翼4枚〉)の巨大看板が設置されている。プロ野球開催時にこの巨大看板に直撃するホームランを打った選手に対して「東京ドーム・ビッグボードホームラン賞」として100万円の賞金、またはそれに相当するスポンサー商品が贈呈される。日産自動車がスポンサーだった時は同社製の乗用車(約400万円相当)がプレゼントされていたことがあった。ビッグボード広告は2010年現在、インターネットイニシアティブ麒麟麦酒東日本旅客鉄道明治リクシル東映マルハン大塚製薬セコム旭化成オリエントコーポレーションの11社。なおボード広告ではないが、巨人戦の際にオーロラビジョンの自由表示部がプレイ中に「クラブジャイアンツ・G-po」の広告として固定表示される。 また、巨人が出場した際のクライマックスシリーズ、日本シリーズでは、ポストシーズン・ゲームのため、看板に当たるホームランが出ても、賞金、賞品は出ない。

かつてはライト側の柱広告に直撃するホームランを打った選手には300万円の賞金が贈呈されていたが、契約終了により2006年(平成18年)にこの制度が廃止。広告が撤去された。

東京ドームでは現在、消費者金融の会社の広告を一切出していない。以前、大阪近鉄バファローズが消費者金融のアコムとスポンサー契約を新たに結び、ヘルメットに同社名を入れたことについて、巨人の渡邉恒雄(当時)オーナーが「プロ野球の品位を汚す。消費者金融の広告など、子供に見せられない。東京ドームは、消費者金融の広告は一切ない。」と痛罵した。実際には、その発言をした時には東京ドームでも同業のプロミスの広告が出されていた。その後シーズンオフに、次年度の広告掲載の契約更新の際、東京ドームがプロミスに「来年の広告掲載の更新は見送って欲しい。状況を理解して欲しい。」と更新を行なわない旨を通達し、プロミスも了承し、消費者金融の広告は一切排除された。

バックスクリーンは開場当時は両サイドの広告(同一企業のもの2枚)を貼るのみだったが、その後中央部分にプリズマビジョンと呼ばれる回転板が張られるようになった。

室内広告として、試合約40分前、3回裏、5回裏、7回裏のグランド整備の間、ゲームセットコールの直後と客出しの間の15 - 20分間に無人飛行船が飛ぶ。巨人勝利の際にはヒーローインタビューのTVのカメラフレームに入り込むように飛行する。 この飛行船にはカメラが備え付けられており、ビッグヴィジョンへの生中継が出来る。また、この飛行船にはサンプル商品などを投下できる小型気球を3つ取り付けられる。

看板広告の歴史

広告表示の歴史

  • 1988年 - 1989年: サントリー生ビールPanasonicワールドリョービ東邦生命フコク生命パソコンは富士通コニカカラー日本航空フジカラーKUBOTA クボタ日本火災FUJI XEROX大和證券
  • 1990年 - 1991年: サントリーモルツ、Panasonic、ワールド、リョービ、東邦生命、フコク生命、FUJITSU 富士通、コニカカラー、JAL日本航空、フジカラー、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和證券
  • 1992年: サントリーモルツ、Panasonic、ワールド、リョービ、東邦生命、フコク生命、FUJITSU 富士通、コニカカラー、JAL日本航空、FUJIFILM、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和證券
  • 1993年: サントリーモルツ、Panasonic、ワールド、リョービ、東邦生命、フコク生命、FUJITSU 富士通、コニカカラー、JAL日本航空、CASIO、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和證券
  • 1994年: サントリーモルツ、Panasonic、ホクレン 摩周の霧水、RYOBI、東邦生命、フコク生命、FUJITSU FMTOWNS、コニカカラー、日本アジア航空、CASIO、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和證券
  • 1995年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン きらら397、RYOBI、東邦生命、フコク生命、FUJITSUパソコン FMV、コニカカラー、JAL日本航空、CASIO、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和證券
  • 1996年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン きらら397、RYOBI パワーツール、東邦生命、フコク生命、FUJITSUパソコン FMV、Konica、JAL日本航空、CASIO、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和證券
  • 1997年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン、RYOBI パワーツール、東邦生命、フコク生命、FUJITSUパソコン FMV、Konica、JAL CARD、CASIO、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和證券
  • 1998年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン、RYOBI パワーツール、GEエジソン生命、フコク生命、FUJITSUパソコン FMV、Konica、JAL CARD、CASIO、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和證券
  • 1999年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン ほしのゆめ、RYOBI パワーツール、MASPRO、フコク生命、KOMATSU、Konica センチュリア、旅にJALカード、CASIO、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和證券
  • 2000年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン、KONAMI、MASPRO、フコク生命、KOMATSU、Konica、旅にJALカード、CASIO、Kubota、日本火災、FUJI XEROX、大和証券
  • 2001年: マグナムドライ、Panasonic、ホクレン、KONAMI、MASPRO、フコク生命、KOMATSU、Konica、ジャルパックのアイル、CASIO、Kubota、日本興亜損保、FUJI XEROX、大和証券
  • 2002年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン ほしのゆめ、KONAMI、MASPRO、フコク生命、Konica、TU-Ka、JAL日本航空、CASIO、Kubota、日本興亜損保、FUJI XEROX、大和証券
  • 2003年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン ほしのゆめ、KONAMI、MASPRO、フコク生命、Konica、Canon、JAL日本航空、CASIO、Kubota、日本興亜損保、FUJI XEROX、大和証券
  • 2004年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン ほしのゆめ、KONAMI SPORTSCLUB、MASPRO、フコク生命、KONICA MINOLTA bizhub、Canon、JAL日本航空、CASIO、Kubota、日本興亜損保、FUJI XEROX、大和証券
  • 2005年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン、KONAMI、マスプロアンテナ、フコク生命、コニカミノルタ、Canon、JAL日本航空、CASIO、Kubota クボタ、日本興亜損保、オープンインタフェース、大和証券
  • 2006年 - 2007年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン、KONAMI、日研総業、フコク生命、コニカミノルタ、Canon、積水ハウス、CASIO、Kubota クボタ、日本興亜損保、スルガコーポレーション、大和証券
  • 2008年: モルツ MALTS、Panasonic、ホクレン、KONAMI、日研総業、フコク生命、コニカミノルタ、Canon、積水ハウス、CASIO、Kubota クボタ、日本興亜損保、SANKYO、大和証券
  • 2009年 - 2010年: ザ・プレミアム・モルツ、Panasonic、ホクレン、KONAMI、OIZUMI、フコク生命、コニカミノルタ、Canon、積水ハウス、CASIO、Kubota クボタ、日本興亜損保、SANKYO、大和証券
  • 2011年 :ザ・プレミアム・モルツ、エネファーム、ホクレン、KONAMI、OIZUMI、フコク生命、コニカミノルタ、Canon、積水ハウス、CASIO、TAKENAKA、日本興亜(右に当社のキャラクターのエコラッタ)、SANKYO、大和証券
  • 2012年 :ザ・プレミアム・モルツ、エネファーム、ホクレン、KONAMI、OIZUMI、フコク生命、コニカミノルタ、Canon、積水ハウス、CASIO、アサヒスーパードライ、日本興亜、SANKYO、大和証券

※2012年現在、後楽園球場時代からのスポンサーはサントリー、フコク生命、コニカミノルタ、日本興亜損保、大和証券の5社。

ベンチ広告表示の歴史

2008年(平成20年)現在、後楽園球場時代からのスポンサーだったミズノと森永製菓は1997年(平成9年)限りで降板し、後楽園時代からのベンチ広告のスポンサーはキーコーヒーのみとなった。東京ドーム初年度からスポンサーになっているTDKは、東京ドーム完成後にベンチ広告のスポンサーになっており、後楽園球場ではベンチスポンサーではなかった。

スコアボードの変遷

1988年(昭和63年)の完成時、スコアボードは、バックスクリーン側の三菱電機製白黒2色の「スコアボード」とフルカラー表示の「オーロラビジョン」、バックスタンド上部にある白黒2色のサブボード(スコア表示のみ)だった。打順のチーム名表示は開場初年のみ「巨人」・「阪神」などの通称を使用していたが、翌年から「ジャイアンツ」・「タイガース」といったニックネームに切り替わっている(文字はどちらも明朝体)。2003年に、後述するスコアボード部改修を機に再び通称表示(パ・リーグの場合は「大阪近鉄」・「福岡ダイエー」・「千葉ロッテ」等)に変更されたが、2004年にはニックネームに戻された(2003年以降の文字はどちらもゴシック体)。

オーロラビジョンは1990年(平成2年)にハイビジョンサイズへ変更、1999年(平成11年)に全面改修された。2001年(平成13年)にはサブボードも三菱電機製のフルカラー表示の全面オーロラビジョンに全面改修された。

2003年(平成15年)にスコアボード部が改修され、ホームラン時の映像パフォーマンス(ホームチームのみ)が上半分の表示から全画面表示になった。各選手の打率 (AV) 、ホームラン (HR) 表示に打点 (RBI) が加わった。球速表示も単位が"km"から"km/h"に変更され、スコア部分のチーム名表示が普通のアルファベットから各球団の帽子のマークに変更された(2004年以降の西武と大阪近鉄は帽子のマークがイラストのみのため、西武は胸マークの「L」の筆記体、大阪近鉄は太字の「Bu」が使用された)。また、選手名に使用されていた文字の字体が多少変更された。2004年(平成16年)のシーズン途中からは、サブボードの球速表示部分にも打席の選手名、打率 (AV) 、ホームラン数 (HR) が表示されるようになった。球速表示はその下に表示される。

2005年(平成17年)にはバックスクリーン側のスコアボードとオーロラビジョンの全面改修が行われ、フルカラーLED表示の全面オーロラビジョンになった。フォントCanonの角ゴシックCaに変わり、また従来のものと違い両チームのメンバーを上から下へ縦表示になり、守備位置表示が数字から英語略称になった(投手=P、捕手=C、一塁手=1B、左翼手=LF、代打=PH、代走=PRなど)。2つの境目がなくなったことで、例えば選手交代時には守備と選手名の部分が上から下にクルクル回転して変わる、などのさまざまな映像表現が可能となった。スペースの都合上チーム名が最上部に表記されず、代わりにメンバーの外側にチーム名が球団のペットマークやイニシャルと共に表示される。10億7,000万色の発色が可能となり、日本の野球場では最高レベルの鮮明な画像が見られる。縦組みのメンバー表示は後楽園時代の1987年以来の復活となった。バックネット裏スタンド最上部のオーロラビジョンもバックスクリーンと同じ尺度のスクリーンになった(スコア+打者の個人成績/リプレー映像/来場者映像の表示のみ)。文字を表示しない枠にあたる部分は緑色になっている。

2006年(平成18年)から、バリアフリー対策の一環で選手名部分の字体の幅が大きくなった(それ以外はこれまで通り)。その影響でペットマークを表示していた部分がなくなり、チーム名を選手名の上部に表示するようになったため、一列に入る選手名が9人分となった。このため指名打者制の試合時は、5番打者の名前の横(3塁側のチームは右側、1塁側のチームは左側)に投手名が表示されている。

2007年(平成19年)より、スコアボードをより見やすく・わかりやすくするため、守備位置表示が英語略称から日本人になじみのある数字に戻り、投球数表示が追加され、オーロラビジョン部分がハイビジョンサイズ (16:9) になる。打率・ホームラン・打点の表示も英語から日本語に変わった。また、枠の色が緑から文字の部分と同じ黒に変更されており、球速やヒット、エラーなどの記録は黄色で表示される。前年開催された2006 ワールド・ベースボール・クラシックアジアラウンドで投手の投球数制限をわかりやすくするために使用された投球数表示をこのシーズンから公式戦でも使用し始めた(巨人主催試合のみ、日本ハムをはじめとするパ・リーグやアマチュアでは表示されない)。

野球の試合で使用する場合、スコアの表示は開設当時は9回まで(10回以後は9回までのスコアを消去して10回から18回までのスコアを表示する)だった。2003年(平成15年)の改修に際して、延長戦の表示について、プロ野球のように延長が12回までしか行われない場合は1回から9回までのスコアの幅に1回から12回までのスコアを、幅を詰めて表示するようになった。都市対抗野球大会など、延長が13回以降も行われる可能性がある場合は、従来通り9回までのスコアを消去して10回から18回までのスコアを表示する(現在のスコアボードも同様)。2007年(平成19年)からスコア部分のチーム名表示がアルファベット1文字になった(2011年まではベイスターズバファローズは共に「B」と表示されていた)。但し、2文字以上表示することも可能であり、2008年のアジアシリーズではSKワイバーンズが「SK」・統一セブンイレブン・ライオンズが「U・L」・天津ライオンズが「T・L」と表示され、2012年に行われたMLB開幕戦ではシアトル・マリナーズが「SEA」・オークランド・アスレチックスが「OAK」と表示された。また2012年からベイスターズは「DB」と表示されている(バファローズは「B」のまま)。

2011年シーズンから国際慣習に基づき、ボールカウントを「SBO」から「BSO」表示に変更した。

放送席

ネット裏の放送席の配置は、三塁側から順に東京ケーブルネットワークニッポン放送ラジオ日本テレビ朝日NHK日本テレビ文化放送TBSラジオ、6局共用ブース(北海道放送中部日本放送ラジオNIKKEIRKB毎日放送朝日放送毎日放送)となっている。なお、ラジオNIKKEIは現在プロ野球放送なし。HBCとRKBは交流戦の巨人主管試合、あるいは日本ハム(過去にはソフトバンク・オリックスも)主管のパ・リーグ公式戦で、CBCは巨人主管試合を聴取率調査期間に自社制作する際に使う程度である。また、東京ケーブルネットワークの放送席は地上波のテレビ埼玉(過去には千葉テレビ放送も)、CS放送GAORA(プロ野球・日本ハム主管試合と都市対抗社会人野球)、スカイ・エー(アメリカンフットボール社会人Xリーグ)、BS放送J SPORTS(プロ野球・楽天主管試合とアジアシリーズ)に使われるほか、ラジオの巨人主催試合をABCとMBSが並行して制作する場合にABCが使用する(この場合、MBSが前述の6局共用ブースを使用。なお、2010年以降週末を挟む三連戦で文化放送が中継を一切行わない場合、ABCは文化放送のブースを使うこともある)。

放送席に入るためには一度コンコースを通らなければならず、観客が解説者などにサインをねだる光景がみられる。中継ゲストに有名芸能人が登場した際(日本テレビの番組宣伝が多い)には試合終了後、放送席裏のコンコースに人だかりができて、混乱が発生する。

野球体育博物館

21番ゲート右側に野球体育博物館が併設されている。この施設も後楽園球場から受け継がれたものである。

エピソード

  • 公式戦での初本塁打は、ヤクルトスワローズダグ・デシンセイ桑田真澄から放ったものである(巨人の東京ドーム公式戦初本塁打はウォーレン・クロマティ尾花高夫から記録)。開場記念として行われたオープン戦も含めると吉村禎章が初の打者となる。
    • 初の公式戦勝利投手は尾花、公式戦セーブは伊東昭光、公式戦敗戦投手は桑田。
  • 1989年4月24日、新日本プロレスが当時国交が希薄だったソ連勢のレスラーを招聘し初のドーム興行を行う。そのメインイベントでアントニオ猪木がミュンヘン五輪金メダリストのショータ・チョチョシビリに唯一の異種格闘技戦敗退を喫す。並行してIWGPヘビー級トーナメントの闘強導夢杯も行われる。
  • 1990年8月10日、読売ジャイアンツ - 中日ドラゴンズ戦が行われる予定だったが、当日接近した台風の影響で東海道新幹線がストップ、名古屋から中日の選手陣が上京できなくなったため、当日の試合は中止になった。これは日本のドーム球場にて試合中止となった最初の事例。
  • 1995年10月9日、新日本プロレスとUWFインターナショナルの全面対抗戦が行われ、ドーム史上空前の67000人を集めるが、ファン同士で乱闘さわぎがおき問題となる
  • 1998年、1月4日、長州力引退試合が行われる。65000人を動員。
  • 1998年、4月4日、アントニオ猪木引退試合が行われ、70000人を動員。
  • 1998年、開場10周年を記念して1番ゲートを「ゲート」、3番ゲートを「長嶋ゲート」と称された。これは後楽園球場時代の名残である。2000年、二人は読売ジャイアンツVS福岡ダイエーホークス(当時)の日本シリーズで監督として対決となるが同球場では1塁側ベンチを巨人の長嶋、3塁側ベンチをダイエーの王が使用している。また、巨人の監督として、王は背番号1(1988年)、長嶋は背番号3(2000年~2001年)、とそれぞれ現役時代の背番号を付けて指揮していた。
  • 2000年4月7日、新日本プロレスが当時勃発していた橋本真也と小川直也の遺恨決着をつけるべく「橋本真也34歳負けたら即引退試合」を組み、ゴールデンで中継する。結果橋本は敗北した。
  • 2002年の日テレG+開局からは日本テレビのニュース番組のスポーツコーナーでの放送と実況放送を分離する放送を開始。
  • 1990年代の新日本プロレス主催の大会では「闘強導夢」という当て字が使用されていた。1月4日、5月、10月などその後恒例化。
  • 2002年12月7日、K-1 WORLD GP 2002 FINALでドーム史上最高の74500人を動員。
  • 2004年にストロングリーグによっておこなわれた全国軟式野球統一王座決定戦・ジャパンカップの決勝戦では、草野球大会としてはじめて沖縄県のチームが来場し千葉県代表チームに勝利し優勝を飾り、胴上げをおこなった。
  • 2007年7月22日、KinKi Kidsがコンサートではドーム史上最高の67000人を動員。
  • 2011年6月11日、12日 氷室京介東日本大震災チャリティライブ、2日間で11万人を動員し、チャリティライブとしては最大の動員数。
  • 東京ドーム内見学(ガイドつきツアー)と呼ばれている見学会がある。ガイドによる案内で、スタンド席やグラウンド等を見学する事ができる。

胴上げ

東京ドームでセ・リーグ優勝決定時に胴上げされた巨人の監督は、1990年藤田元司2000年長嶋茂雄2007年2009年原辰徳の3人である。1990年と2000年の優勝決定は、ともに背番号7をつけた巨人の選手(1990年-吉村禎章、2000年-二岡智宏)がサヨナラホームランで優勝を決めている。2007年もサヨナラ勝ちによる優勝決定であり、相手の打者を抑えての優勝決定は2009年のみである。日本シリーズでは、1994年2000年に東京ドームで優勝を決め、長嶋が胴上げされている。

巨人の監督の胴上げと比べて、巨人の対戦相手チームの胴上げは少ない。セ・リーグでは2006年中日ドラゴンズ(監督・落合博満)、日本シリーズでは2008年埼玉西武ライオンズ(監督・渡辺久信)の例があるのみであり、開場からこれらの事例が起こるまでの期間が長かったため、その間は「巨人が東京ドームで敵将の胴上げを見ることはない」ということは一種のジンクスとされていた。ちなみに、後楽園球場で最後に巨人が敵将の胴上げを見たのは、セ・リーグでは1975年広島東洋カープ(監督・古葉竹識)、日本シリーズでは1977年阪急ブレーブス(監督・上田利治)までさかのぼる。

対して日本ハムファイターズは、東京ドームを本拠地とする時代にはリーグ優勝自体がなかった。本拠地移転後の2006年のアジアシリーズで優勝し、ようやく東京ドームでの胴上げを果たしている。

読売との資本関係

東京ドームは、巨人の本拠地だけに読売新聞グループ本社の子会社であると捉えられる場合があるが、グループ本社との資本関係はない。ただし企業としての株式会社東京ドームは、よみうりランドの大株主の一社である。

暴力団への利益供与

2002年(平成14年)に、東京ドームが広域暴力団住吉会下部組織に対して、巨人戦のチケットを無償供与する等の利益供与を行っていたことが明らかになった。当時巨人戦のチケットはプラチナチケットであり、提供されたチケットをダフ屋行為を行うことで高額で転売できたため、チケット額面以上の利益供与となった。

球場使用料

東京ドームの球場使用料は他の球場やドームに比べて極めて高く、1試合あたり観客数に関係なく1,750万円だといわれている(ちなみに阪神甲子園球場は親会社の所有のため基本的に無料)。高い使用料が日本ハムの札幌移転の理由の1つとなった(札幌ドームの球場使用料は1試合あたり「基本料金800万円+観客が2万人を超えるごとに1人当たり400円追加」で、最大1600万円強)。

この金額は照明、アナウンス、ゴミ掃除など観客を入れるための各種オプションも含まれた金額である。オフシーズン、平日、昼間、草野球(2時間程度)、オプション無し、などの条件であれば数十万で貸し切ることができる。また使用に関しては22時以降0時20分までや23時30分から深夜5時までという深夜の使用も認められているが、12月~2月までの間の使用は禁止されている。

マスコットキャラクター

日本ハムの東京ドーム時代のマスコットキャラクター・ファイティーは、当初北海道への移転とともに役目を終える予定だったが、女性を中心としたファン達の嘆願により東京ドームでの主催試合限定のマスコットキャラクターとして2005年(平成17年)まで登場し、2006年(平成18年)以降は重大イベント限定での登場となった。また、日本ハム戦では親会社の商品マスコットであるハムリンズも2005年以降登場している。

東京ドームMVP賞

事実上の前身となる後楽園球場時代の1980年から制定された球場独自の表彰。東京ドームへの機能移転に伴い、現在の賞名となった。

これは東京ドーム(後楽園)を本拠とする球団に属する選手(創設当初は巨人・日本ハム、2004年以降は巨人のみ)で、同球場で最も活躍した選手1名に対して表彰し、賞金300万円が贈られ、またその選手の記念プレートが球場内コンコースに永久展示される。また年度によっては最も活躍した本拠球団の新人選手1名に対しても「新人特別賞(100万円)」が贈られる場合がある。

歴代受賞者

年度 MVP賞 MVP特別賞
読売ジャイアンツ 日本ハムファイターズ
1980 江川卓 木田勇
1981 角三男 柏原純一
1982 松本匡史 工藤幹夫
1983 原辰徳 島田誠
1984 篠塚利夫 トミー・クルーズ
1985 吉村禎章 古屋英夫
1986 ウォーレン・クロマティ 田村藤夫
1987 原辰徳 白井一幸
1988 ビル・ガリクソン 佐藤誠一
1989 ウォーレン・クロマティ 西崎幸広 藤田元司
1990 吉村禎章 松浦宏明
1991 川相昌弘 柴田保光
1992 石毛博史 五十嵐信一
1993 川相昌弘 マット・ウィンタース
1994 斎藤雅樹 田中幸雄
1995 木田優夫 キップ・グロス 原辰徳
1996 松井秀喜 片岡篤史
1997 松井秀喜 金子誠
1998 高橋由伸 片岡篤史
1999 上原浩治 小笠原道大
2000 仁志敏久 小笠原道大
2001 清原和博 小笠原道大
2002 松井秀喜 小笠原道大
2003 二岡智宏 小笠原道大
2004 小久保裕紀
2005 阿部慎之助
2006 李承燁
2007 上原浩治
2008 小笠原道大 山口鉄也
坂本勇人
2009 坂本勇人 松本哲也
2010 アレックス・ラミレス 長野久義
2011 阿部慎之助 澤村拓一

※1980年から1987年までは、「後楽園MVP賞」。1988年以降は、「東京ドームMVP賞」。

野球以外での利用

東京ドームは野球以外にも、新商品展示会・新車発表展示会など多目的利用ホールとしても活用されている。野球がない日でも東京ドーム外に露店が出ていたり何らかのイベントが行われていたりすることもある。

多目的ホール

1990年代前半までは多目的ホールとしても首都圏最大級の規模であり、東京の一大ランドマークとして存在感も大きかった事から、主に関東域外の地方自治体や観光協会が開催する地方物産展、富士通をはじめとした大手企業の新製品展示会など、いわゆる見本市会場的な用途としてもコンスタントな需要があった。バブル崩壊後の経済の低迷や、施設の規模に対する施設使用料の高さ、元々が野球場であるがゆえの見本市会場としての構造的な不便さなどがネックとなり、東京ドームで開催されるこれらイベントの多くは終了したり、あるいは規模によってプリズムホール東京ビッグサイトなど他のイベントホールや見本市会場へ開催地の移転が行われた。現在では見本市会場といった用途での使用は大幅に減っている。2008年(平成20年)5月15日の日本テレビNEWS ZEROによると、2008年4月26日・27日にマルチ商法で業務停止命令中の「ニューウェイズ・ジャパン」の全国大会に東京ドームが使用されたと放送された。

コンサート会場

東京ドームの杮落とし公演は「ミック・ジャガー」や東京ドームオープニングイベントとして1988年3月19日、20日に行われた世界各国のマーチングバンドと「THE ALFEE」の共演によるコンサートが行ったと誤って伝えられる事が多いが、実際には美空ひばりの公演を杮落としとして設定している。なお、杮落としは必ずしも最初の催事とは限らない。(詳細については杮落とし参照)

また、1988年3月21日にはマイク・タイソンの世界タイトル防衛戦も行われている。

決まり事

  • コンサートで利用する場合、消防法警視庁からの指導、及び観客の転落防止のため、2階席と外野席の最前列(1列目)は、緩衝地域となり、原則として客席として利用できない。ただし、近年一部の公演では、客席として使用する場合がある。

(使用例)

  • 2008年11月18日の「ビリー・ジョエル」の公演は、2階席1列目を「立見禁止席」として使用。
  • 2009年7月4日・5日の「東方神起」の公演では、バルコニー席・2階席・外野席の1列目を「着席シート」(立見禁止)として使用。なおバルコニー席の1列目は立見禁止では無い。
  • 2009年12月4日-6日、2010年11月19日-20日の「」の公演では、2階席・外野席の1列目を「着席シート」(立見禁止)として使用。
  • 2009年12月19日の「ガンズ・アンド・ローゼズ」の公演では2階席1列目が使用されたが、特に「立ち見禁止」等の規制は設けられなかった。
  • 2010年11月3日の「Perfume」、2010年12月5日の「倖田來未」の公演では、2階席・外野席の1列目も使用したが、2階席1列目のみ「立ち見禁止」とした。倖田來未は、2階席1列目を「ファミリーシート」の名称で使用。
  • 東京ドームでコンサートをする場合、音がかなりこもるために、スピーカーの設置などには気を使う。年々、残響音対策や騒音対策のノウハウが蓄積されてゆき、現在はドーム内全体を黒いカーテンで覆うようにしている(1階席のみ)。
  • X JAPANのコンサートの際、「X」のサビで両手をX字にしてジャンプする「Xジャンプ」のパフォーマンスが定番になっているが、東京ドームで5万人がジャンプすると文京区全体が揺れてしまう(1997年の『THE LAST LIVE』では震度3相当の揺れだったとの事)為、文京区から直々に「X」の演奏を自粛するよう要請されているが、YOSHIKIは結局強行した。その10年後の復活ライブ「攻撃再開 2008 I.V.〜破滅に向かって〜では「ジャンピング禁止」の張り紙が各所に貼られるも、結局Xジャンプが決行されてしまった。ただ、文京区と東京ドーム側の東京ドーム使用の条件は「Xジャンプを誘導しない事」であった為、張り紙まで行なっていた上にファン各々が自発的にやったという事で不問となっている。
  • 演奏は、近隣住民の騒音への配慮により、原則として午後9時30分(年末のカウントダウン公演は午前0時30分)以降は、音を出してはいけない決まりになっている。なお、公演によっては規定時間を過ぎて終演した公演もある。

イベント・その他

最寄駅

脚注

関連項目


外部リンク

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