住吉会

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住吉会代紋

住吉会(すみよしかい)は、東京都港区に本拠を置く日本博徒指定暴力団。勢力範囲は1都1道1府17県、構成員は7100人であり準構成員を含めると11000人。(2009年3月現在)

右翼団体の代表的な組織である、日本青年社大日本朱光会等の右翼団体を傘下に持つ。

住吉会は住吉一家を中心とする、歴代の住吉一家総長を重んじる組織である。住吉会に於いて住吉一家の傘下でない組織は幸平一家土支田一家のみである。

港会[編集]

昭和33年(1958年)、住吉一家三代目阿部重作は、住吉一家を中心として、関東の博徒と的屋を連合して、「港会」を結成した。阿部重作は、港会会長に青田富太郎(幸平一家十代目総長)を据えた。

住吉会(旧)[編集]

昭和37年(1962年) 阿倍重作が引退し、磧上義光が港会と住吉一家四代目を継承した。その後、磧上義光は、港会を住吉会と改称した。

昭和38年(1963年)12月 住吉会は、松葉会錦政会日本国粋会、義人党、東声会、北星会と共に、児玉誉士夫の提唱する関東会に参加した。

昭和39年(1964年)3月 警察庁は広域10大暴力団を指定した。10大暴力団は、山口組本多会柳川組、錦政会、松葉会、住吉会、日本国粋会東声会、日本義人党、北星会だった。

同年6月 関東会定例総会において、住吉会・磧上義光会長が二代目理事長に就任した。また、警察の第一次頂上作戦により磧上義光が逮捕され、[1] 翌年の解散につながった。

昭和40年(1965年)5月 住吉会が解散した。

住吉連合会[編集]

昭和42年(1967年) 堀政夫が住吉一家五代目を継承すると共に、解散した住吉会を引寄せ「住吉連合」を結成し代表に就任した。

昭和47年(1972年) 住吉会、稲川会、國粹会、東亜会、交和会、義人党、松葉会、二率会、双愛会により、博徒系暴力団の親睦団体・関東二十日会が結成された。

昭和57年(1982年) 堀政夫は組織を刷新し、組織名を「住吉連合会」に改め会長に就任した。

昭和63年(1988年) 堀 政夫は、住吉連合会日野一家四代目・川口喨史を住吉連合会会長に就任させ、堀は総裁に就いた。

住吉会[編集]

平成3年(1991年)2月 西口茂男が住吉連合会会長に就任した後に住吉一家六代目を継承した。

平成3年(1991年) 西口茂男は住吉連合会の各一家親分との親子血縁盃を行い住吉会と改称した。

平成10年(1998年)6月 西口茂男は住吉一家六代目総長のまま、住吉会理事長(住吉一家小林会二代目会長) 福田晴瞭に住吉会会長を継承させ、自らは住吉会総裁となった。

平成17年(2005年)4月 住吉会会長福田晴瞭は、住吉会総裁住吉一家六代目総長 西口茂男の指名により 住吉一家七代目を継承したことで、住吉会総裁西口茂男親分の事実上の跡目となった。 ※注 住吉会の親分は西口茂男総裁であり盃直しは行われていない。

暴力団名門一家の凋落。海外旅行で治療費をだまし取るお寒い懐事情[編集]

暴力団組員一行の東南アジア旅行は、新手のシノギ(経済活動)だった。

現地の病院で支払った治療費の一部を負担する官民の制度を悪用して現金をだまし取ったなどとして、指定暴力団住吉会の副会長を含む同会関係者ら9人が2012年10~11月、詐欺容疑などで警視庁に相次いで逮捕、起訴された。海外の案件の審査が甘くなる点につけ込み、制度を悪用した構図だが、暴力団排除条例の影響で従来通りのシノギが成り立たなくなりつつある中、資金繰りに窮する暴力団側の「懐事情」も浮かび上がった。

判読不能の「診断書」…病院の印鑑も偽造[編集]

「これは、全く判読不能ですね」

暴力団捜査を担当する警視庁組織犯罪対策4課の捜査員からタイ語や英語で書かれた「診断書」の翻訳を依頼された専門家は、一読するなりこう断言した。そこには食中毒を起こし、嘔吐や吐血、腹痛などの症状で治療を受けたとする診断内容が示されているはずだった。

診断書は住吉会副会長、並木実(68)=東京都板橋区=らが国民健康保険の「海外療養費」制度の申請書類として、それぞれ居住する自治体に提出したものだ。平成21年1月20~28日にタイ旅行に行き、食中毒で現地の病院に入院したという。

同制度では海外旅行中に病気やけがで現地で治療を受けるなどした場合、治療費の保険負担分が払い戻される。申請には現地で発行された病院の領収書や医師の診断書が必要で、日本語訳も添付される。

並木らはこの制度を活用し、同年4~6月、東京都や埼玉県内の5つの自治体から計約200万円の払戻金を受け取った。だが、その後、タイ語の文法に間違いが散見され、書類を作成したという担当医が存在せず、病院の印鑑も形状が違う「偽造品」だったことが判明。並木ら4人は2012年11月、詐欺容疑で逮捕、起訴された。

言葉の壁、財政難…「現地に電話せず」[編集]

なぜ、このようなあからさまな不正がまかり通ったのか。

「インターネットで病院が実在していることは確認したが、言葉の問題もあって現地に電話などをしていなかった」

被害にあった都内の自治体の担当者は、こう打ち明ける。申請を受けた自治体側は通常、国内で治療を受けた場合の保険適用額を算出するなどして審査を進める。ただ、東南アジアなどの現地語を理解する職員はほとんどいない。

このため、現地書類の日本語訳だけで申請内容を判断し、不自然な点がなければ療養費を支給しているのが現状だ。加えて、海外療養費制度を所管する厚生労働省は審査する自治体側に現地病院に対する事実確認を義務づけていない。

こうした盲点につけ込んで海外療養費をだまし取る事件は、全国各地で相次いでいる。2012年3~10月には、中国で病気になったと偽って療養費をだまし取った中国人の男女らが大阪府警に逮捕された。被害にあった堺市南区では、中国語を話せる職員を雇用するなどの対策に乗り出したが、多くの自治体は財政難のため、自前で翻訳のできる人材を確保する余裕はない。

厚労省は自治体側が海外の現地の病院に電話で事実確認をする際、通訳業者の人件費の一部を支援するなどの対策に乗り出した。担当者は「これまでネックになってきた言葉の壁を解消し、適正な制度の運用の一助となれば」と話す。

旅行保険も標的に…高額の治療費で発覚[編集]

そもそも、並木らの犯行が露見したきっかけは、損害保険会社の「海外旅行傷害保険」の保険金をだまし取ろうとしたとして、並木の傘下団体の組長ら5人が10月に詐欺未遂容疑で逮捕、起訴されたことだった。

5人の逮捕容疑は2011年11月、フィリピン旅行中に「病院で治療を受けた」などとうその話をし、損保会社から保険金約200万円をだまし取ろうとしたというもの。官民の違いはあれど、並木被告らの事件と構図は同じだ。

海外療養費制度と同じく、海外旅行保険もチェック態勢の甘さを指摘する声がある。大手損保会社の担当者は「提出書類と報告内容を見て不自然な点がないかチェックしており、現地確認なども適正に行っている」と主張する。

損保各社が加盟する「損害保険料率算出機構」によると、預かった保険料は約264億円に上るのに対し、支払われたのは約142億円にとどまっている。業界関係者は「収支としては黒字だが、損保会社によっては手間のかかる海外での調査を避け、簡単に済ますことも多い」と打ち明ける。

捜査関係者も、逮捕、起訴された暴力団関係者の佐藤周一(56)=川崎市高津区=が「海外旅行の保険は審査が甘く、簡単にだませる」といって、ほかの4人を誘ったとみている。

今回の場合、損保会社の担当者が、申請された医療費が数十万円と現地の水準からすると異常に高いことを不審に思ったことから不正が発覚したという。

シノギ厳しく…「上納金払えず」「小遣いほしい」[編集]

住吉会副会長である並木は同会の二次団体「土支田」の代表も務める。指定暴力団の中で山口組に次ぐ2番目の規模を誇る同会の傘下組織の中でも、100年以上の歴史がある「老舗」として知られる。

もともとは博徒系組織だったが、2011年11月には並木の前のトップが覚醒剤密売に関与したとして逮捕され、除籍処分となるなど、近年は衰退傾向にあった。さらに、2011年10月に全国の都道府県で完全施行された暴力団排除条例などの影響で、みかじめ料の徴収などを拒否する飲食店が相次ぎ、資金難に陥っていたとみられる。

捜査関係者によると、海外旅行保険の詐欺未遂容疑で逮捕、起訴された傘下組長の1人は「10万円もらえる約束でフィリピンに行った。シノギがきつく、毎月の上納金も払えなかった」などと供述。並木も「小遣いがほしかった」などと容疑を認めている。

捜査関係者はあきれたようにつぶやいた。「仮にも名門といわれた土支田のトップがここまで落ちぶれるとは。よほどシノギが厳しくなっていたのだろう」

住吉一家歴代継承者[編集]

親戚団体[編集]

住吉会頭領[編集]

住吉会最高幹部[編集]

住吉会執行部役員[編集]

住吉会幹部役員[編集]



住吉会執行部[編集]

その他[編集]

  • 副会長補佐 : 150名
  • 副理事長  : 320名
  • 理事    : 700名
  • 幹事    : 900名
  • 専任評議委員:1200名
  • 評議委員  :1700名
  • 代議委員  :2000名
2009年9月現在

脚注[編集]

  1. 「広域暴力団」に指定された10団体の中で、最初のトップの逮捕だった

参考文献[編集]