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(人類とバラの歴史)
 
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日本では農薬のかかっていない花弁を[[エディブル・フラワー]]として生食したり、花びらや実をジャムや砂糖漬けに加工したり、乾燥させてハーブティーとして飲用することもある。
 
日本では農薬のかかっていない花弁を[[エディブル・フラワー]]として生食したり、花びらや実をジャムや砂糖漬けに加工したり、乾燥させてハーブティーとして飲用することもある。
  
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== 人類とバラの歴史 ==
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[[ファイル:Sandro Botticelli 046.jpg|thumb|right|200px|「[[ヴィーナスの誕生]]」([[1485年]]頃、[[サンドロ・ボッティチェッリ|ボッティチェリ]]画)。生まれたばかりのヴィーナスに、ゼヒュロス(西風)がバラの花を吹き付けている]]
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[[ファイル:MA-Lebrun.jpg|right|thumb|left|200px|「ガリア服を着たマリー・アントワネット」([[1783年]]、[[ヴィジェ・ルブラン]]画)。手にはバラを持っている]]
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バラが人類の歴史に登場するのは古代[[バビロニア]]の『[[ギルガメシュ叙事詩]]』である。この詩の中には、バラの棘について触れた箇所がある。
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[[古代ギリシア]]・[[古代ローマ|ローマ]]では、バラは愛の女神[[アプロディテ]]もしくは[[ヴィーナス]]と関係づけられた。また香りを愛好され、香油も作られた。[[プトレマイオス朝]][[エジプト]]の女王[[クレオパトラ7世|クレオパトラ]]はバラを愛好し、[[ユリウス・カエサル]]を歓待したときもふんだんにバラの花や香油を使用したと伝えられている。
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[[ローマ]]においてもバラの香油は愛好され、北アフリカや中近東の[[属州]]で盛んにバラの栽培が行われた。クレオパトラと同様にバラを愛した人物に、暴君として知られる[[ローマ帝国]]第5代皇帝[[ネロ]]がいる。彼が、お気に入りの貴族たちを招いて開いた宴会では、庭園の池にバラが浮かべられ、バラ水が噴き出す噴水があり、部屋はもちろんバラで飾られ、皇帝が合図をすると天井からバラが降り注ぎ、料理にももちろんバラの花が使われていたと伝えられる。
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[[中世]]ヨーロッパではバラの美しさや芳香が「人々を惑わすもの」として[[教会]]によって[[タブー]]とされ、[[修道院]]で、[[薬草]]として栽培されるにとどまった。
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[[十字軍]]以降[[中近東]]のバラがヨーロッパに紹介され、[[ルネサンス]]のころには、再び人々の愛好の対象になった。
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=== バラの母ジョゼフィーヌ皇后 ===
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[[ナポレオン・ボナパルト]]の皇后[[ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ|ジョゼフィーヌ]]はバラを愛好し、夫が戦争をしている間も、敵国とバラに関する情報交換や原種の蒐集をしていた。ヨーロッパのみならず日本や中国など、世界中からバラを取り寄せ[[マルメゾン城]]に植栽させる一方、[[ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ|ルドゥーテ]]に「バラ図譜」を描かせた。
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このころにはアンドレ・デュポンによる人為交配([[人工授粉]])による[[育種]]の技術が確立された。ナポレオン失脚後、またジョゼフィーヌ没後も彼女の造営したバラ園では原種の蒐集、品種改良が行われ、19世紀半ばにはバラの品種数は3,000を超え、これが観賞植物としての現在のバラの基礎となった。
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=== モダンローズの誕生 ===
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==== ハイブリッド・ティ(HT)系の誕生 ====
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[[1867年]]に[[フランス]]のギョーがハイブリッド・パーペチュアル系の「マダム・ビクトル・ベルディエ」を母にティ系の「マダム・ブラビー」を交配し「ラ・フランス」を作出し、これがモダンローズの第一号となり、[[品種改良]]が一層進むことになった。「ラ・フランス」が冬を除けば一年中花を咲かせる性質は「四季咲き性」と言われ画期的なものであった。[[イギリス|英国]]のベネットはこれに追随し、ティ系「デボニエンシス」とハイブリッド・パーペチュアル系「ビクトール・ベルディエ」を交配し、「レディ・マリー・フィッツウィリアム」を[[1882年]]に作り出し、これを新しいバラの系統として「ハイブリッド・ティ」系と命名。ベネットの新品種は整った花容から交配の親として広く利用されていった。
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==== 黄色いバラの誕生 ====
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[[ファイル:Rosa sp.164.jpg|thumb|right|300px|モダンローズ第1号「ラ・フランス」]]
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当時のハイブリッド・ティ系には純粋な黄色の花はなかった。そこで、黄色のハイブリッド・ティ系の品種を作り出すことが課題とされた。[[1900年]]にフランスのジョセフ・ペルネ=デュシェ ([[:en:Joseph Pernet-Ducher|Joseph Pernet-Ducher]]) が「アントワーヌ・デュシェ」の実生に原種の「[[ロサ・フェティダ]](オーストリアン・イエロー)」をかけあわせて「ソレイユ・ドール」を作出。黄バラ第1号となった。しかし「ソレイユ・ドール」は「四季咲き性」がないので、一層の改良が加えられ[[1907年]]には四季咲き性の「リヨン・ローズ」、さらに[[1920年]]には完全な黄色のバラ「スブニール・ド・クロージュ」を完成させた。[[ドイツ]]のコルデスは「スブニール・ド・クロージュ」の子の「ジュリアン・ポタン」から[[1933年]]に「ゲハイムラート・ドイスゲルヒ(ゴールデン・ラピチュア)」を作出。これが今の黄色のバラの親である。
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==== 欧米での品種改良の進展 ====
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[[ドイツ]]のコルデスは黄色ののみならず赤バラの改良に尽力。[[1935年]]に「クリムゾン・グローリー」を作り出し、これが後世の赤バラの品種改良に広く利用されることになる。英国では[[1912年]]に「オフェリア」を発表、花容、芳香に優れるだけでなく実をつけ易いことから、多くの品種の親になる。このようなヨーロッパでの品種改良は[[第二次世界大戦]]で中断。品種改良の中心は戦火に見舞われない[[アメリカ合衆国]]に移る。[[1940年]]にラマーツが「クリムゾン・グローリー」から「シャーロット・アームストロング」を作り出し、フランスのメイアンの「アントワーヌ・メイアン」がアメリカで「ピース」と名づけられ[[1945年]]に売り出された。「ピース」は大きな花をつけることから、「巨大輪」とよばれ品種改良に利用されるともに、戦後のバラの流行を作り出すことになる。
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[[ファイル:Rosa sp.30.jpg|thumb|right|300px|フロリバンダの品種の一つ「アンバークイーン」。一枝に房に花をつける]]
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==== フロリバンダ系(FL)の誕生 ====
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[[デンマーク]]のポールセン兄弟が従来ある「ドワーフ・ポリアンサ系」の花を大きくし、[[北ヨーロッパ]]の寒さに耐えられる品種を作出しようとしていた。[[1911年]]にポリアンサ系の「マダム・ノババード・レババースル」とランブラー系の「ドロシー・パーキンス」をかけ合わせ「エレン・ポールセン」を作り出し、続く[[1924年]]にはポリアンサ系の「オルレアンローズ」とハイブリッド・ティ系「レッドスター」の交配で「エルゼポールセン」「キルステンポールセン」などを出し、「ハイブリッド・ポリアンサ系」と命名された。これを受けてアメリカのブーナーなどが改良を続けこの系統は「フロリバンダ系」と命名される。さらにドイツのコルデスが[[1940年]]に「ピノキオ」を発表。ブーナーがこれに追随して「レッド・ピノキオ」「ラベンダー・ピノキオ」を発表しこれがフロリバンダ系の完成と言われる。その後フロリバンダ系の改良は色の多様性を求めることに重点がおかれ[[1944年]]にはドイツのタンタウが「フロラドラ」、[[1949年]]ブーナーが「マスケラード」を、[[1951年]]にコルデスが「インデペンデンス」が作出。新しい系統であるが「フロリバンダ系」は切花ではスプレーバラとして利用されるため多くの品種が作り出されることになり、またハイブリッド・ティとの交配も試みられ、益々多様性を強めている。
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=== 「奇跡」のブルー・ローズへの挑戦 ===
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[[ファイル:Rosa Charles de Gaulle01.jpg|thumb|300px|「シャルル・ドゴール」、HT、メイアン(1974)]]
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「'''青いバラ'''」はオールド・ローズの「カーディナル・ド・リシュリュー」などが「青のバラ」として知られていた。しかし、純粋な青さを湛えたバラを作り出すことは世界中の育種家の夢であり、各国で品種改良競争が行われた。[[1957年]]アメリカのフィッシャーが「スターリング・シルバー」を出し、「青バラ」の決定版といわれた。しかし、競争はやまず、[[1957年]]にはタンタウが一層青い「ブルームーン」を発表。それにコルデスが「ケルナーカーニバル」を出し、フランスのメイアンは「シャルル・ドゴール」を発表と熾烈な品種改良競争を展開。日本でも、青いバラに対する挑戦は盛んで、今日までに数多くの品種が生み出され、世界でも注目を浴びている。
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2008年現在、一般的な交配による品種改良で最も青に近いとされる品種は、[[岐阜県]]の[[河本バラ園]]が[[2002年]]に発表した「ブルーヘブン」、アマチュア育成家である[[小林森治]]が[[1992年]]に発表した「青龍」や[[2006年]]に発表した「ターンブルー」等が挙げられる。
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従来、青い色素をもつ原種バラは発見されていなかったため、従来の原種を元にした交配育種法では青バラ作出は不可能とされてきた。そのため現在の園芸品種にも青色といえる品種は存在しない。また「青バラ」と呼ばれる品種は、主に赤バラから赤い色素を抜くという手法で、紫や藤色に近づけようとしたものである。しかし、最近の研究で青い色素を持たないとされてきたバラから、バラ独自の青い色素が発見された(「青龍」を始めとするいくつかの青バラより)。これはバラ独自のもののため、「ロザシアニン」と命名された。
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しかし、この色素を持つ「青龍」は花粉をほとんど出さない為に交配親としては不向きとされており、遺伝子操作に頼らない青バラへの道は依然険しく長い道のりのままではある。だが、「ロザシアニン」の発見は純粋な青バラ作出を目指す育種家にとって一つの希望を示したといえる。
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サントリーフラワーズの遺伝子改良により誕生した「青いバラ」は、[[青いバラ (サントリーフラワーズ)]]の項を参照。
  
 
== 日本におけるバラ ==
 
== 日本におけるバラ ==

2012年5月22日 (火) 16:03時点における最新版

バラ(薔薇)とは、バラ科バラ属の(しゅ)の総称。

バラ属の植物は、灌木、低木、または木本性のつる植物で、や茎にがあるものが多い。葉は1回奇数羽状複葉。花は5枚の花びらと多数の雄蘂を持つ(ただし、園芸種では大部分が八重咲きである)。北半球温帯域に広く自生しているが、チベット周辺、中国雲南省からミャンマーにかけてが主産地でここから中近東ヨーロッパへ、また極東から北アメリカへと伝播した。南半球にはバラは自生していない。世界に約120種がある。

「ばら」の名は和語で、「いばら」の転訛したもの[1]。漢語「薔薇」の字をあてるのが通常だが、この語はまた音読みで「そうび」「しょうび」とも読む。漢語には「玫瑰」(まいかい)の異称もある。 欧米ではラテン語rosa に由来する名で呼ぶ言語が多く、また同じ語が別義として「ピンク色」の意味をもつことが多い。

6月誕生花である。季語は夏(「冬薔薇」「ふゆそうび」となると冬の季語になる)。


なお、一般に「ばら」と呼ぶときは、園芸品種としてのそれを指すことが多い。 次節以下では園芸品種としてのバラを中心に解説することにする。

ギャラリー[編集]

園芸植物となっているのは、主として次の野生種8種を先祖とし、それらの交配等で生まれたものである。

用途[編集]

現在では鑑賞用として栽培されることが圧倒的に多いが、他にもダマスクローズの花弁から精油を抽出した「ローズオイル」は、香水の原料やアロマセラピーに用いられる。 花弁を蒸留して得られる液体「ローズウォーター」は、中東インドなどでデザートの香りづけに用いられる。 また、乾燥した花弁はガラムマサラに調合したり、ペルシャ料理では薬味として用いる。 日本では農薬のかかっていない花弁をエディブル・フラワーとして生食したり、花びらや実をジャムや砂糖漬けに加工したり、乾燥させてハーブティーとして飲用することもある。

人類とバラの歴史[編集]

ファイル:Sandro Botticelli 046.jpg
ヴィーナスの誕生」(1485年頃、ボッティチェリ画)。生まれたばかりのヴィーナスに、ゼヒュロス(西風)がバラの花を吹き付けている
ファイル:MA-Lebrun.jpg
「ガリア服を着たマリー・アントワネット」(1783年ヴィジェ・ルブラン画)。手にはバラを持っている

バラが人類の歴史に登場するのは古代バビロニアの『ギルガメシュ叙事詩』である。この詩の中には、バラの棘について触れた箇所がある。

古代ギリシアローマでは、バラは愛の女神アプロディテもしくはヴィーナスと関係づけられた。また香りを愛好され、香油も作られた。プトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラはバラを愛好し、ユリウス・カエサルを歓待したときもふんだんにバラの花や香油を使用したと伝えられている。

ローマにおいてもバラの香油は愛好され、北アフリカや中近東の属州で盛んにバラの栽培が行われた。クレオパトラと同様にバラを愛した人物に、暴君として知られるローマ帝国第5代皇帝ネロがいる。彼が、お気に入りの貴族たちを招いて開いた宴会では、庭園の池にバラが浮かべられ、バラ水が噴き出す噴水があり、部屋はもちろんバラで飾られ、皇帝が合図をすると天井からバラが降り注ぎ、料理にももちろんバラの花が使われていたと伝えられる。

中世ヨーロッパではバラの美しさや芳香が「人々を惑わすもの」として教会によってタブーとされ、修道院で、薬草として栽培されるにとどまった。

イスラム世界では白バラはムハンマドを表し、赤バラが唯一神アッラーを表すとされた。また、香油などが生産され愛好された。『アラビアンナイト』などやウマル・ハイヤームの『ルバイヤート』にもバラについての記述がある。

十字軍以降中近東のバラがヨーロッパに紹介され、ルネサンスのころには、再び人々の愛好の対象になった。 イタリアボッティチェッリの傑作「ヴィーナスの誕生」のおいてもバラが描かれ、美の象徴とされているほか、ダンテの『神曲』天国篇にも天上に聖人や天使の集う純白の「天上の薔薇」として登場する。またカトリック教会聖母マリアの雅称として「奇しきばらの花」(Rosa Mystica)と呼ぶようになる。

バラの母ジョゼフィーヌ皇后[編集]

ファイル:Prudhon-Josephine2.png
ジョゼフィーヌのバラの蒐集はバラの品種改良の基礎となった

ナポレオン・ボナパルトの皇后ジョゼフィーヌはバラを愛好し、夫が戦争をしている間も、敵国とバラに関する情報交換や原種の蒐集をしていた。ヨーロッパのみならず日本や中国など、世界中からバラを取り寄せマルメゾン城に植栽させる一方、ルドゥーテに「バラ図譜」を描かせた。

このころにはアンドレ・デュポンによる人為交配(人工授粉)による育種の技術が確立された。ナポレオン失脚後、またジョゼフィーヌ没後も彼女の造営したバラ園では原種の蒐集、品種改良が行われ、19世紀半ばにはバラの品種数は3,000を超え、これが観賞植物としての現在のバラの基礎となった。

モダンローズの誕生[編集]

ハイブリッド・ティ(HT)系の誕生[編集]

ファイル:Manou Meilland P6022997.JPG
HTの人気品種、鮮やかなピンクが特徴のマヌウメイヤン

1867年フランスのギョーがハイブリッド・パーペチュアル系の「マダム・ビクトル・ベルディエ」を母にティ系の「マダム・ブラビー」を交配し「ラ・フランス」を作出し、これがモダンローズの第一号となり、品種改良が一層進むことになった。「ラ・フランス」が冬を除けば一年中花を咲かせる性質は「四季咲き性」と言われ画期的なものであった。英国のベネットはこれに追随し、ティ系「デボニエンシス」とハイブリッド・パーペチュアル系「ビクトール・ベルディエ」を交配し、「レディ・マリー・フィッツウィリアム」を1882年に作り出し、これを新しいバラの系統として「ハイブリッド・ティ」系と命名。ベネットの新品種は整った花容から交配の親として広く利用されていった。

黄色いバラの誕生[編集]

ファイル:Rosa sp.164.jpg
モダンローズ第1号「ラ・フランス」

当時のハイブリッド・ティ系には純粋な黄色の花はなかった。そこで、黄色のハイブリッド・ティ系の品種を作り出すことが課題とされた。1900年にフランスのジョセフ・ペルネ=デュシェ (Joseph Pernet-Ducher) が「アントワーヌ・デュシェ」の実生に原種の「ロサ・フェティダ(オーストリアン・イエロー)」をかけあわせて「ソレイユ・ドール」を作出。黄バラ第1号となった。しかし「ソレイユ・ドール」は「四季咲き性」がないので、一層の改良が加えられ1907年には四季咲き性の「リヨン・ローズ」、さらに1920年には完全な黄色のバラ「スブニール・ド・クロージュ」を完成させた。ドイツのコルデスは「スブニール・ド・クロージュ」の子の「ジュリアン・ポタン」から1933年に「ゲハイムラート・ドイスゲルヒ(ゴールデン・ラピチュア)」を作出。これが今の黄色のバラの親である。

欧米での品種改良の進展[編集]

ドイツのコルデスは黄色ののみならず赤バラの改良に尽力。1935年に「クリムゾン・グローリー」を作り出し、これが後世の赤バラの品種改良に広く利用されることになる。英国では1912年に「オフェリア」を発表、花容、芳香に優れるだけでなく実をつけ易いことから、多くの品種の親になる。このようなヨーロッパでの品種改良は第二次世界大戦で中断。品種改良の中心は戦火に見舞われないアメリカ合衆国に移る。1940年にラマーツが「クリムゾン・グローリー」から「シャーロット・アームストロング」を作り出し、フランスのメイアンの「アントワーヌ・メイアン」がアメリカで「ピース」と名づけられ1945年に売り出された。「ピース」は大きな花をつけることから、「巨大輪」とよばれ品種改良に利用されるともに、戦後のバラの流行を作り出すことになる。

ファイル:Rosa sp.30.jpg
フロリバンダの品種の一つ「アンバークイーン」。一枝に房に花をつける

フロリバンダ系(FL)の誕生[編集]

デンマークのポールセン兄弟が従来ある「ドワーフ・ポリアンサ系」の花を大きくし、北ヨーロッパの寒さに耐えられる品種を作出しようとしていた。1911年にポリアンサ系の「マダム・ノババード・レババースル」とランブラー系の「ドロシー・パーキンス」をかけ合わせ「エレン・ポールセン」を作り出し、続く1924年にはポリアンサ系の「オルレアンローズ」とハイブリッド・ティ系「レッドスター」の交配で「エルゼポールセン」「キルステンポールセン」などを出し、「ハイブリッド・ポリアンサ系」と命名された。これを受けてアメリカのブーナーなどが改良を続けこの系統は「フロリバンダ系」と命名される。さらにドイツのコルデスが1940年に「ピノキオ」を発表。ブーナーがこれに追随して「レッド・ピノキオ」「ラベンダー・ピノキオ」を発表しこれがフロリバンダ系の完成と言われる。その後フロリバンダ系の改良は色の多様性を求めることに重点がおかれ1944年にはドイツのタンタウが「フロラドラ」、1949年ブーナーが「マスケラード」を、1951年にコルデスが「インデペンデンス」が作出。新しい系統であるが「フロリバンダ系」は切花ではスプレーバラとして利用されるため多くの品種が作り出されることになり、またハイブリッド・ティとの交配も試みられ、益々多様性を強めている。

「奇跡」のブルー・ローズへの挑戦[編集]

ファイル:Rosa Charles de Gaulle01.jpg
「シャルル・ドゴール」、HT、メイアン(1974)

青いバラ」はオールド・ローズの「カーディナル・ド・リシュリュー」などが「青のバラ」として知られていた。しかし、純粋な青さを湛えたバラを作り出すことは世界中の育種家の夢であり、各国で品種改良競争が行われた。1957年アメリカのフィッシャーが「スターリング・シルバー」を出し、「青バラ」の決定版といわれた。しかし、競争はやまず、1957年にはタンタウが一層青い「ブルームーン」を発表。それにコルデスが「ケルナーカーニバル」を出し、フランスのメイアンは「シャルル・ドゴール」を発表と熾烈な品種改良競争を展開。日本でも、青いバラに対する挑戦は盛んで、今日までに数多くの品種が生み出され、世界でも注目を浴びている。

2008年現在、一般的な交配による品種改良で最も青に近いとされる品種は、岐阜県河本バラ園2002年に発表した「ブルーヘブン」、アマチュア育成家である小林森治1992年に発表した「青龍」や2006年に発表した「ターンブルー」等が挙げられる。

従来、青い色素をもつ原種バラは発見されていなかったため、従来の原種を元にした交配育種法では青バラ作出は不可能とされてきた。そのため現在の園芸品種にも青色といえる品種は存在しない。また「青バラ」と呼ばれる品種は、主に赤バラから赤い色素を抜くという手法で、紫や藤色に近づけようとしたものである。しかし、最近の研究で青い色素を持たないとされてきたバラから、バラ独自の青い色素が発見された(「青龍」を始めとするいくつかの青バラより)。これはバラ独自のもののため、「ロザシアニン」と命名された。

しかし、この色素を持つ「青龍」は花粉をほとんど出さない為に交配親としては不向きとされており、遺伝子操作に頼らない青バラへの道は依然険しく長い道のりのままではある。だが、「ロザシアニン」の発見は純粋な青バラ作出を目指す育種家にとって一つの希望を示したといえる。

サントリーフラワーズの遺伝子改良により誕生した「青いバラ」は、青いバラ (サントリーフラワーズ)の項を参照。

日本におけるバラ[編集]

ファイル:Rosa Asagumo 1.jpg
日本で作出されたバラの一つ「朝雲(あさぐも)」

近代前[編集]

日本はバラの自生地として世界的に知られており、品種改良に使用された原種のうち3種類は日本原産である。

古くバラは「うまら」「うばら」と呼ばれ、『万葉集』にも「みちのへの茨(うまら)の末(うれ)に延(ほ)ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」という歌がある。『常陸国風土記』の茨城郡条には、「穴に住み人をおびやかす土賊の佐伯を滅ぼすために、イバラを穴に仕掛け、追い込んでイバラに身をかけさせた」とある。常陸国にはこの故事にちなむ茨城(うばらき)という地名があり、茨城県の県名の由来ともなっている。

このように日本人にはゆかりのある植物といえる。

江戸時代には身分を問わず園芸が流行ったが、バラも「コウシンバラ」「モッコウバラ」などが栽培されており、江戸時代日本を訪れたドイツ人ケンペルも「日本でバラが栽培されている」ことを記録している。また与謝蕪村が「愁いつつ岡にのぼれば花いばら」の句を残している。

また、ノイバラの果実は利尿作用があるなど薬用に利用された。

ファイル:北播磨余暇村公園のバラP6022977紫雲.JPG
紫雲(鈴木省三 1984作、大輪・四季咲き HT)

明治以後[編集]

このように日本人にゆかりのある植物であるが、バラがいまのように「花の女王」として愛好されるようになるのは明治以降である。

明治維新を迎えると明治政府は「ラ・フランス」を農業試験用の植物として取り寄せ青山官制農園(いまの東京大学農学部)で栽培させた。馥郁とした香りを嗅ごうと見物客がしばしば訪れたので株には金網の柵がかけられたという。

まだ、バラは西洋の「高嶺の花」であった。

その後、バラが接ぎ木で増やせることから、優秀な接ぎ木職人のいる、東京郊外の川口市安行や京阪神地域の郊外宝塚市山本で栽培が行われるようになった。 バラは皇族華族、高級官僚といったパトロンを得て、日本でも徐々に愛好され始め生産量も増え始めた。

大正から昭和のころには一般家庭にも普及し、宮沢賢治が「グリュース・アン・テプリッツ(日本名:日光)」を愛し、北原白秋の詩にもバラが登場している。

第二次世界大戦で日本でもバラの栽培より野菜の栽培が優先され、生産が停滞する。

第2次世界大戦以後[編集]

しかし、戦後すぐの1948年には銀座でバラの展示会が開かれた。さらに1949年には横浜でバラの展示会が開かれ、そのときにはアメリカから花を空輸して展示用の花がそろえられた。

鳩山一郎吉田茂などのバラの愛好は、戦後日本でのバラの普及に大いに貢献した。このように戦後の高度成長の波に乗り、バラは嗜好品として庶民にも普及していき、日本でも品種改良が行われるようになった。また、鉄道会社が沿線開発の一環として、バラ園の造営を行うようになり、各地にバラ園が開園された。

バラ園の造園[編集]

バラの価格が安くなり、一般に普及し始めたとはいえ、花の観賞を楽しむことができるのは、庭を持つ比較的裕福な家庭に限られていた。そのため、私鉄各社は沿線開発の一環として、バラ園の造営を沿線に行い、利用者の増加を図ることになった。

その嚆矢は京阪電鉄であった。同社は戦前から枚方市菊人形の展示などをおこなっていた。キクが秋の風物であるなら、春の風物として独自のバラ園でのバラの展示をし集客を計画した。同社は「東洋一のバラ園」の造園をぶち上げ、当時、日本人ではただ一人の英国園芸協会会員で、バラの導入や品種改良で実績のあった岡本勘治郎をバラ園造営の監督に迎え、「ひらかたばら園」を開園するに至った。その後社名が京阪薔薇園になる。

切り花の普及[編集]

日本ではバラは花卉としてはキクカーネーションとならぶ生産高があり、ハウス栽培で年中市場に供給されるようになった。

コンテスト[編集]

バラが戦後急速に一般に普及し始めると、ハイブリッドティの花のできばえを競うコンテストが盛んに行われた。これはキクの品評会と同様に栽培技術を競うものであり、大いに栽培技術の向上につながった反面、「喧嘩花」と呼ばれるほど、熾烈を極め、栽培家の間で喧嘩や絶交という事態まで発生した言われる。

ガーデニングのブームの中での大衆化[編集]

その一方で最近ではガーデニングの流行などで、オールドローズなどが植栽素材に再び注目を集め、多くの人に愛好されるようになった。

バラの種類[編集]

バラの分類方法は定まったものがなく、以下に示すのは一例である。

系統別の分類[編集]

原種[編集]

  • ヨーロッパの原種
    • ロサ・アルバ(Rosa alba
    • ロサ・カニナ(Rosa canina
    • ロサ・ガリカ(Rosa gallica
    • ロサ・キナモメナ(Rosa cinnamomea
    • ロサ・グラウカ(Rosa glauca
    • ロサ・ケンティフォリア(Rosa centifolia
    • ロサ・スピノシッシマ(Rosa spinosissma
    • ロサ・ウィクライアナ(Rosa wichuraiana

ほか

  • 中近東の原種
    • ロサ・フェティダRosa foetida
    • ロサ・フェティダ・ビコロール(Rosa foetida bicolor
    • ロサ・フェティダ・ペルシアナ(Rosa foetida persiana
    • ロサ・フェッチェンコアナ(Rosa fedtschenkoana
    • ロサ・ダマスケナ(Rosa damascena

ほか

  • 中国の原種
    • コウシンバラRosa chinensis
      • グリーンローズ var. Viridiflora - 花弁・雄シベ・雌シベが葉に変化した品種、花期は長いが種子と花粉が出来ない。
    • ナニワイバラ(Rosa laevigata
    • ロサ・ギガンティアRosa gigantea
    • ロサ・プリムラ(Rosa primula
    • ロサ・マリガニー(Rosa mulliganii
    • ロサ・セリカナ・プテラカンサ(Rosa sericana pteracantha
    • ロサ・ユゴニス(Rosa hugonis
    • ロサ・バンクシアエ・ルテア(Rosa banksiae lutea)(モッコウバラ

ほか

ファイル:テリハノイバラ Rosa wichuraiana.JPG
テリハノイバラ(照葉野茨)
  • 日本の原種
    • イザヨイバラ(Rosa roxburghii
    • サンショウバラ(Rosa roxburghii 'hirthua'
    • タカネイバラ(Rosa aciculaisis nipponensis
    • ノイバラRosa mulitiflora
    • テリハノイバラRosa wichuraiana
    • ハマナスRosa rugosa) 英:Japanese Rose, Rugosa Rose
    • サクライバラ(Rosa uchiyamana
    • モリイバラ(Rosa jasminoides
    • フジイバラ(Rosa fujisanensis

ほか

  • 北米の原種
    • ロサ・キンナモメア(Rosa cinnamomea
    • ロサ・ニティダ(Rosa nitida
    • ロサ・カリフォルニア(Rosa california
    • ロサ・ヴィルギニアナ(Rosa virginiana
    • ロサ・パルストリス(Rosa palustris

ほか

  • 品種改良に使用された原種
    • ロサ・ムルティフローラ(ノイバラ)(Rosa mulitiflora
    • ロサ・ウィクライアナ(Rosa wichuraiana
    • ロサ・キネンシスRosa chinensis
    • ロサ・ガリカ(Rosa gallica
    • ロサ・アルバ(Rosa alba
    • ロサ・ダマスケナ(Rosa damascena
    • ロサ・ケンティフォリア(Rosa centifola
    • ロサ・フェティダ(Rosa foetida
    • ロサ・モスカータ(Rosa moschata
    • ロサ・ギガンティア(Rosa gigantea

以上11種

園芸品種[編集]

テンプレート:wakumigi

ファイル:Rosa sp.131.jpg
イングリッシュローズの名花「グラハム・トーマス」。オールドローズの花容に黄色の花色は画期的であった
オールドローズ[編集]

1867年に発表された「ラ・フランス」より前の品種をいう。野生の原種であるワイルドローズを含めるが、含めない場合もある。主な系列としてガリカ、ダマスク、アルバ、ケンティフォリア(センティフォリア)などがある。優雅な花形に豊かな香りが特徴である。オールドローズには一季咲きの品種が多い。

  • アルバ(Alba)
  • ケンティフォリア(Centifolia)
  • ダマスク(Damask)
  • ガリカ(Gallica)
  • ブルボン(Bourbon)
  • ノワゼット(Noisette)
  • ティ(Tea)
  • チャイナ(China)
  • モス(Moss)
  • ポートランド(Portland)
  • ポリアンサ(Polyantha)
  • ランブラー(Rambler)
  • エグラテリア・ローズ(Eglanteria Roses)
  • ハイブリッド・ミセラネアオス(H.Macrantha)
  • ハイブリッド・パーペチュアル(H.Perpetual)
  • ハイブリッド・ムスク(H.Musk)
  • ハイブリッド・モエシー(H.Moyesii)
  • ハイブリッド・センパビエレン(H.Semperviren)
  • ハイブリッド・ムルティフローラ(H.Multiflora)
  • ピンクグルーテンドルスト
モダンローズ[編集]

「ラ・フランス」以降のハイブリッド・ティー系、フロリバンダ系など。現在一般的に見られるもので、主として四季咲き性、華やかな花形と色彩が特徴である。

  • ハイブリッド・ティ(Hybrid Tea)
  • フロリバンダ(Floribunda)
  • ミニチュア(Miniature)
  • つるハイブリッド・ティ(Climbing Hybrid Tea)
  • つるフロリバンダ(Climbing Floribunda)
  • つるミニチュア(Climbing Miniature)
  • つる(Climbing)
  • シュラブ(Shrub)
  • イングリッシュ・ローズ(English Roses)- 1969年にデビッド・オースチンが発表した、オールドローズとモダンローズの特徴を合わせ持つシュラブ(半つる性)のモダンローズである、*なお新たな系統が出来た訳ではない。国際登録ではシュラブローズで登録してある。
  • 修景用(Landscape Roses)
  • ハイブリッド・コルデシー(H.Kordesii)

など

花弁の数による分類[編集]

花型による分類[編集]

  • 平咲き
  • カップ咲き
  • ロゼット咲き
  • クオーター咲き
  • ポンポン咲き
  • 剣弁高芯咲き
  • 半剣弁高芯咲き
  • 丸弁抱え咲き

その他の分類など[編集]

このほか、樹形によってブッシュ(立木)、シュラブ(半つる性)、クライミング(つる性)などに分類する方法もある。また小型のものはミニチュアローズといわれそのコンパクトさは多くの人々を惹き付けている。花の形には、剣弁高芯咲き、ロゼット(多芯)咲き、カップ(盃状)咲き、一重咲き等その形状別に分類がなされ、バラを選ぶ際の重要な要素となっている。

関連事項[編集]

  • 日本ばら会
  • シトクロムP450 - (青い花に必要な色素を作る酵素)
  • ロゼット - 八重咲きのバラの花びらのような配列のこと。
  • 宇宙バラ - 向井千秋が宇宙でバラを開花させ、持ち帰った。2003年4月、宇宙バラの枝から挿木により育てられた4株が埼玉県川口市に贈られ、川口市内のバラ園で育てられ、11月11日に川口SKIPシティ・科学館に植樹された。川口緑化センター(樹里安)にある。

関連の地域[編集]

関連のイベント[編集]

バラ園[編集]

苗木生産者[編集]

日本の育種家と研究家収集家[編集]

外国の育種家と研究家収集家[編集]

英国[編集]

イギリスでは、バラの国立コレクションの異なる分野がデヴィッド・オースティンとピーター・ビールズによって維持された。王立ローズ・ソサエティは、それらを1900年以前のシュラブローズを維持したモティスフォント修道院と、コレクションを維持したバーミンガム大学ウィンターボーン植物園とともに「ヨーロッパのバラの歴史遺産」に指定している。

フランス[編集]

ドイツ[編集]

オランダ[編集]

アメリカ合衆国[編集]

その他の国[編集]

バラをシンボルとする国や地域[編集]

以下、バラをシンボルとする国・地域・自治体名を明確にするため、太字で表記。

日本
アジア
アフリカ
ヨーロッパ
北アメリカ

バラの品種名になった人名などの一覧[編集]

ファイル:Rosa Maria Callas01.jpg
「マリア・カラス」(HT) Meilland (1965)

テンプレート:Double image aside

ファイル:Rose Jubile Prince de Monaco.jpg
「ジュビレ・デュ・プリンス・ドゥ・モナコ」(FL) Meilland (2000)
ファイル:Rosa Crown Princess Margareta01.jpg
「クラウン・プリンセス・マルガレータ」(ER)
David Austin (1999)

派生事項[編集]

慣用句[編集]

  • 慣用句「青いバラ(the blue rose)」神の祝福または、不可能の意
  • 慣用句「under the rose」=秘密の意
  • 慣用句「Run for the roses」=ケンタッキーダービーの意
  • きれいなバラには棘がある:外見の美しさに気を取られると危険な目に会う事がある

音楽[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

  1. 語頭母音の脱落による。「いだく → 抱く」「いづ(る) → 出る」「いまだ → まだ」などと同様の変化。
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