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[[1990年代]]末から[[2000年代]]前半にかけて日本を代表する程の爆発的な人気を誇っていたが、主要メンバーの卒業、脱退に加え、彼女らに匹敵する新メンバーの不足、アイドルそのものに対する人気の変化などに伴い、人気低下も指摘される。しかし、コンサートなどでは一定の動員数を記録するなど、依然、根強い人気を保っている。2014年から名前に年号がつくようになった。 | [[1990年代]]末から[[2000年代]]前半にかけて日本を代表する程の爆発的な人気を誇っていたが、主要メンバーの卒業、脱退に加え、彼女らに匹敵する新メンバーの不足、アイドルそのものに対する人気の変化などに伴い、人気低下も指摘される。しかし、コンサートなどでは一定の動員数を記録するなど、依然、根強い人気を保っている。2014年から名前に年号がつくようになった。 | ||
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:* なお、読売新聞2000年[[7月18日]]夕刊に掲載された中澤裕子単独インタビューでは、一般紙として初めてモーニング娘。に「国民的アイドル」の表記を使用した(別冊宝島608「モーニング娘。バイブル」(宝島社)の調査による)。 | :* なお、読売新聞2000年[[7月18日]]夕刊に掲載された中澤裕子単独インタビューでは、一般紙として初めてモーニング娘。に「国民的アイドル」の表記を使用した(別冊宝島608「モーニング娘。バイブル」(宝島社)の調査による)。 | ||
* 2007年[[3月24日]]付けの朝日新聞夕刊には、1面広告で8枚目のアルバム「[[SEXY 8 BEAT]]」の宣伝を行った。 | * 2007年[[3月24日]]付けの朝日新聞夕刊には、1面広告で8枚目のアルバム「[[SEXY 8 BEAT]]」の宣伝を行った。 | ||
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* [[自衛官]]募集のポスターでは、起用された有名人が自衛官の制服を着て写っているのが通例だが([[細川ふみえ]]や[[岡田有希子]]の例)、モーニング娘。はそのポスターで初めて通例が破られる形(自衛官制服非着用)でポスターに採用された。 | * [[自衛官]]募集のポスターでは、起用された有名人が自衛官の制服を着て写っているのが通例だが([[細川ふみえ]]や[[岡田有希子]]の例)、モーニング娘。はそのポスターで初めて通例が破られる形(自衛官制服非着用)でポスターに採用された。 | ||
* モーニング娘。は男性や子供達のファンが多いことで、メンバーの色恋沙汰はご法度であり、グループ在籍期間の間は男女の交際そのものが禁止とされる。中澤裕子でさえ、芸能界デビュー以降の恋愛談義は御法度であり、メンバーがテレビ番組で恋愛の話をすることはないが、容赦なく話す共演者が多いのが現状である。2000年には安倍なつみが[[押尾学]]の自宅マンションに出入りしたことが写真週刊誌「[[FOCUS]]」に掲載され、それを受け事務所が「アイドルの自覚が足りないと注意した」ことが「[[スポーツ報知]]」に報じられた。また、石黒彩もかつて「恋人ができたら解雇だと言われた」と番組で告白したことがある。特にリーダーの地位にある場合は他のメンバーの規範となることが求められるため、在任中に恋愛スキャンダルが発覚した3代目リーダーの矢口真里と5代目リーダーの藤本美貴はともに脱退に追い込まれている。ただし、公式の理由は恋愛ではない。未成年が多いグループでの自覚なき行動(直接に恋愛とは書けるはずがないので)で、あくまで「個人の自覚」や「業界のお約束事」の範疇である。 | * モーニング娘。は男性や子供達のファンが多いことで、メンバーの色恋沙汰はご法度であり、グループ在籍期間の間は男女の交際そのものが禁止とされる。中澤裕子でさえ、芸能界デビュー以降の恋愛談義は御法度であり、メンバーがテレビ番組で恋愛の話をすることはないが、容赦なく話す共演者が多いのが現状である。2000年には安倍なつみが[[押尾学]]の自宅マンションに出入りしたことが写真週刊誌「[[FOCUS]]」に掲載され、それを受け事務所が「アイドルの自覚が足りないと注意した」ことが「[[スポーツ報知]]」に報じられた。また、石黒彩もかつて「恋人ができたら解雇だと言われた」と番組で告白したことがある。特にリーダーの地位にある場合は他のメンバーの規範となることが求められるため、在任中に恋愛スキャンダルが発覚した3代目リーダーの矢口真里と5代目リーダーの藤本美貴はともに脱退に追い込まれている。ただし、公式の理由は恋愛ではない。未成年が多いグループでの自覚なき行動(直接に恋愛とは書けるはずがないので)で、あくまで「個人の自覚」や「業界のお約束事」の範疇である。 | ||
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2021年4月9日 (金) 18:17時点における最新版
モーニング娘。(モーニングむすめ)は、日本の女性歌手グループ、女性アイドルグループである。ほとんどの楽曲の作詞・作曲およびプロデュースをつんく♂が手掛けている。略称はモー娘。(モーむす)。芸能事務所アップフロントプロモーション所属。ハロー!プロジェクトの一員。
1990年代末から2000年代前半にかけて日本を代表する程の爆発的な人気を誇っていたが、主要メンバーの卒業、脱退に加え、彼女らに匹敵する新メンバーの不足、アイドルそのものに対する人気の変化などに伴い、人気低下も指摘される。しかし、コンサートなどでは一定の動員数を記録するなど、依然、根強い人気を保っている。2014年から名前に年号がつくようになった。
目次
メンバー[編集]
2012年9月14日現在[編集]
名前 | よみがな | 生年月日 | 加入年月日 | 期 | イメージカラー | 色種 | 特記事項 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
道重さゆみ | みちしげ さゆみ | 1989年7月13日 | 2003年1月19日 | 6期 | ピンク | リーダー | |
田中れいな | たなか れいな | 1989年11月11日 | スカイブルー | センター&エース | |||
譜久村聖 | ふくむら みずき | 1996年10月30日 | 2011年1月2日 | 9期 | ホットピンク | ||
生田衣梨奈 | いくた えりな | 1997年7月7日 | イエローグリーン | 加入当初のイメージカラーは パープルで、2012年秋のツアーから変更。[1] | |||
鞘師里保 | さやし りほ | 1998年5月28日 | レッド | センター&エース | |||
鈴木香音 | すずき かのん | 1998年8月5日 | グリーン | ||||
飯窪春菜 | いいくぼ はるな | 1994年11月7日 | 2011年9月29日 | 10期 | ハニー色 | 加入当時のイメージカラーは チョコレート色で、2012年秋のツアーから変更。[2] | |
石田亜佑美 | いしだ あゆみ | 1997年1月7日 | ロイヤルブルー | ||||
佐藤優樹 | さとう まさき | 1999年5月7日 | ミント | ||||
工藤遥 | くどう はるか | 1999年10月27日 | オレンジ | ||||
小田さくら | おだ さくら | 1999年3月12日 | 2012年9月14日 | 11期 | 未定 | 未定 |
2008年3月時点のメンバー[編集]
- 高橋愛(たかはし あい、1986年9月14日 - ) - 5期、リーダー
- 新垣里沙(にいがき りさ、1988年10月20日 - ) - 5期、サブリーダー
- 亀井絵里(かめい えり、1988年12月23日 - ) - 6期
- 道重さゆみ(みちしげ さゆみ、1989年7月13日 - ) - 6期
- 田中れいな(たなか れいな、1989年11月11日 - ) - 6期
- 久住小春(くすみ こはる、1992年7月15日 - ) - 7期
- 光井愛佳(みつい あいか、1993年1月12日 - ) - 8期
- ジュンジュン(ジュンジュン、1988年2月11日 - ) - 8期、留学生
- リンリン(リンリン、1991年3月11日 - ) - 8期、留学生
- 2013年5月22日現在
名前 | よみがな | 生年月日 | 加入年月日 | 期 | イメージカラー | 色種 | 特記事項 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
道重さゆみ | みちしげ さゆみ | 1989年7月13日 | 2003年1月19日 | 6期 | ピンク | リーダー。2014年秋卒業予定 | |
譜久村聖 | ふくむら みずき | 1996年10月30日 | 2011年1月2日 | 9期 | ホットピンク | サブリーダー。元ハロプロエッグ | |
生田衣梨奈 | いくた えりな | 1997年7月7日 | 黄緑 | 加入当初のイメージカラーは 紫で、 2012年秋のツアーから変更。 | |||
鞘師里保 | さやし りほ | 1998年5月28日 | 赤 | センター&エース | |||
鈴木香音 | すずき かのん | 1998年8月5日 | 緑 | ||||
飯窪春菜 | いいくぼ はるな | 1994年11月7日 | 2011年9月29日 | 10期 | ハニー色[2] | サブリーダー。加入当初のイメージカラーは チョコレート色で、2012年秋のツアーから変更。 | |
石田亜佑美 | いしだ あゆみ | 1997年1月7日 | ロイヤルブルー | ||||
佐藤優樹 | さとう まさき | 1999年5月7日 | エメラルドグリーン | ||||
工藤遥 | くどう はるか | 1999年10月27日 | オレンジ | 元ハロプロエッグ | |||
小田さくら | おだ さくら | 1999年3月12日 | 2012年9月14日 | 11期 | ラベンダー | 元ハロプロ研修生 |
卒業および脱退メンバー[編集]
※これは、卒業・脱退した日付順で表示されている。
- 福田明日香(ふくだ あすか、1984年12月17日 - ) - 1期、1999年4月18日に脱退
- 石黒彩(いしぐろ あや、1978年5月12日 - ) - 1期、2000年1月7日に脱退
- 市井紗耶香(いちい さやか、1983年12月31日 - ) - 2期、2000年5月21日に脱退
- 中澤裕子(なかざわ ゆうこ、1973年6月19日 - ) - 1期、2001年4月15日に卒業
- 後藤真希(ごとう まき、1985年9月23日 - ) - 3期、2002年9月23日に卒業
- 保田圭(やすだ けい、1980年12月6日 - ) - 2期、2003年5月5日に卒業
- 安倍なつみ(あべ なつみ、1981年8月10日 - ) - 1期、2004年1月25日に卒業
- 辻希美(つじ のぞみ、1987年6月17日 - ) - 4期、2004年8月1日に卒業
- 加護亜依(かご あい、1988年2月7日 - ) - 4期、2004年8月1日に卒業
- 飯田圭織(いいだ かおり、1981年8月8日 - ) - 1期、2005年1月30日に卒業
- 矢口真里(やぐち まり、1983年1月20日 - ) - 2期、2005年4月14日にモーニング娘。を辞し、ソロ活動
- 石川梨華(いしかわ りか、1985年1月19日 - ) - 4期、2005年5月7日に卒業
- 紺野あさ美(こんの あさみ、1987年5月7日 - ) - 5期、2006年7月23日に卒業
- 小川麻琴(おがわ まこと、1987年10月29日 - ) - 5期、2006年8月27日に卒業
- 吉澤ひとみ(よしざわ ひとみ、1985年4月12日 - ) - 4期、2007年5月6日に卒業
- 藤本美貴(ふじもと みき、1985年2月26日 - ) - 6期、2007年6月1日にモーニング娘。を辞し、ソロ活動
このグループでは、公式にグループから離れることを「卒業」または「脱退」という。この発表は公式サイトでの発表や記者会見などのマスメディアを通じて行い、コンサートでの最終公演日程などを前々からファンに知らせている。音楽グループにおいてしばしば喧嘩別れ的な場合に使用される「脱退」という表現に対し、「卒業」は明日につながるという前向きな意味合いの言葉である。
中澤裕子以降に卒業(脱退)したメンバーは、ソロまたはグループとしてそのままハロー!プロジェクトに在籍して芸能活動を継続しているが、紺野あさ美のみが学業専念による完全な脱退となっていた(現在は復帰し、活動を再開している。)。また、小川麻琴はハロー!プロジェクトに籍を残して海外留学を行っている。
卒業(脱退)の発表は、後藤真希以前は1~2か月程前の発表だったが、後藤と同時に卒業が発表された保田圭以降は緊急脱退となった矢口真里と藤本美貴を除いて卒業の半年~1年前になった。そして紺野あさ美・小川麻琴・吉澤ひとみは3~4か月前とそれまでの慣例よりは短くなった。また、これまで卒業の発表も卒業自体も同時に行ったのは卒業後にユニットを組んで活動することが予定されていた辻希美と加護亜依のみであるが、それ以外にも時期を別にして卒業する複数のメンバーの卒業が同時に発表されることがある(後藤真希と保田圭、飯田圭織と石川梨華、紺野あさ美と小川麻琴)。
「卒業」の発表とその後のコンサートにおける「卒業公演」は、「ASAYAN」などのテレビ番組において大々的に取り上げられ、その「サプライズ人事」的な要素とも相まって、娘。人気の浮揚、注目度のアップ、ひいてはメンバーの結束を強固にして来た。しかし、本来は「モーニング娘。は早く卒業することを目標とすべき枠である方が良い。」という自立的意味合いを持った「卒業」であるが、籍をハロー!プロジェクトに残し、モーニング娘。との共演も多く、完全な自立とは言えない状況から、一時芸能界を引退していた紺野と芸能活動休止中の小川を除き、中澤裕子以降の卒業はハロー!プロジェクト内での年中行事と化した「定期人事異動」的色彩が濃い。
名前 | 発表日 | 卒業年齢 | 加入期 | ハロプロ(及び事務所)への在籍状況 |
---|---|---|---|---|
卒業・脱退日 | 卒業興行の開催地 | |||
福田明日香 | 1999年1月17日 | 14歳 | 1期 | ハロプロからも卒業 |
1999年4月18日 | 東京厚生年金会館 | |||
石黒彩 | 1999年12月5日 | 21歳 | 1期 | ハロプロからも卒業 |
2000年1月7日 | 大阪厚生年金会館 | |||
市井紗耶香 | 2000年5月7日 | 16歳 | 2期 | ハロプロからも卒業 |
2000年5月21日 | 日本武道館 | |||
中澤裕子 | 2001年3月7日 | 27歳 | 1期 | ソロとして活動中 |
2001年4月15日 | 大阪城ホール | |||
後藤真希 | 2002年7月31日 | 17歳 | 3期 |
|
2002年9月23日 | 横浜アリーナ | |||
保田圭 | 2002年7月31日 | 22歳 | 2期 | ソロとして活動中 |
2003年5月5日 | さいたまスーパーアリーナ | |||
安倍なつみ | 2003年7月27日 | 22歳 | 1期 | ソロとして活動中 |
2004年1月25日 | 横浜アリーナ | |||
辻希美 | 2004年1月3日 | 17歳 | 4期 |
|
2004年8月1日 | 代々木第一体育館 | |||
加護亜依 | 2004年1月3日 | 16歳 | 4期 |
|
2004年8月1日 | 代々木第一体育館 | |||
飯田圭織 | 2004年5月23日 | 23歳 | 1期 |
|
2005年1月30日 | 横浜アリーナ | |||
矢口真里 | 2005年4月14日 | 22歳 | 2期 | ソロとして活動中 |
2005年4月14日 | なし※1 | |||
石川梨華 | 2004年5月23日 | 20歳 | 4期 | ソロとして活動中 |
2005年5月7日 | 日本武道館 | |||
紺野あさ美 | 2006年4月28日 | 19歳 | 5期 |
|
2006年7月23日 | 代々木第一体育館 | |||
小川麻琴 | 2006年4月28日 | 18歳 | 5期 | ソロとして活動中 |
2006年8月27日 | 新宿コマ劇場 | |||
吉澤ひとみ | 2007年1月2日 | 22歳 | 4期 | ソロとして活動中 |
2007年5月6日 | さいたまスーパーアリーナ | |||
藤本美貴 | 2007年6月1日 | 22歳 | 6期 | ソロとして活動中 |
2007年6月1日 | なし※2 |
- ※1 矢口真里のモーニング娘。メンバーとしての最後のステージは、2005年4月10日の大阪厚生年金会館公演だった。
- ※2 藤本美貴のモーニング娘。メンバーとしての最後のステージは、2007年5月6日のさいたまスーパーアリーナ公演だった。
「卒業」と「脱退」の使い分け[編集]
「卒業」または「脱退」という表現について、初期にはほとんどの場合に「脱退」という表現を使用していたが(結成から中澤裕子卒業までのモーニング娘。の歴史が掲載されているASAYAN公式サイトなどでは現在でも「脱退」という表現で統一されている)、2001年以降、公式には「卒業」という表現が使用されており(「卒業メモリアル」グッズなど)、過去に遡って卒業という表現で統一されていることも多い(コンサートMCでの「卒業メンバー」呼称など)。これ以外にも、2005年4月14日の矢口真里の場合は、写真週刊誌「FRIDAY」において俳優・小栗旬との交際が報道されたことを理由とし、公式サイトには「モーニング娘。を辞し、ソロ活動を行う」という表現がなされている(ただし、テレビ番組やスポーツ新聞などマスコミによっては「卒業」と扱われることもある。)。これにより、矢口自身も卒業とも脱退とも言わず「モーニング娘。を辞めた」といった表現をとっていることがある。また、藤本美貴もお笑い芸人・庄司智春(品川庄司)との交際が同じく「FRIDAY」にて報道されたことを理由に2007年6月1日付で脱退した。なお、「卒業」という表現自体は最初にグループを離れた福田明日香の時から本人によるファンへの呼び掛けのメッセージの中などで使用されており、1999年に出版された自伝「もうひとりの明日香」に収録された年表には「モーニング娘。を卒業、芸能界を引退」と表記されている。また、2007年9月に出版された公式本「モーニング娘。誕生10年記念本」に収録された年表では、矢口と藤本のみが「脱退」、その他のメンバーが「卒業」と使い分けられている。
メンバーの記載順序[編集]
公式本やコンサートのパンフレットなどの公式出版物や公式サイトなどではメンバーの名前を並べるとき通常は加入時期順で、加入時期の同じ者は生年月日順で記載している。マスコミ報道などでもこの順序が使用されることが多い。なお、リーダーやサブリーダーについては過去にこの順序を適用した場合に先頭や2番目にならない時期があったが、そのような場合には順番を変更してリーダーとサブリーダーがそれぞれ先頭や2番目になるように記載する場合もあった。また、卒業したメンバーの名前を並べるときにはこの順序が使用されている場合と卒業・脱退の時期が早い順番で並べられている場合とがある、また在籍期間などを比較するためのメンバーの変遷表などでは在籍しているかどうかに関係なく全員を上記の順序で並べられていることがある。
モーニング娘。さくら組・モーニング娘。おとめ組といった派生ユニット内でメンバーの名前を並べるときも通常はこの順序である。
歴代リーダー[編集]
歴代 | 名前 | 期間 |
---|---|---|
初代 | 中澤裕子 | 結成~2001年4月15日 |
2代目 | 飯田圭織 | 2001年4月16日~2005年1月30日 |
3代目 | 矢口真里 | 2005年1月31日~4月14日 |
4代目 | 吉澤ひとみ | 2005年4月15日~2007年5月6日 |
5代目 | 藤本美貴 | 2007年5月7日~6月1日 |
6代目 | 高橋愛 | 2007年6月2日~ |
- 初代リーダーは、5万枚手売りを達成してメジャーデビューが決まってから決定した。当時、飯田が「リーダーをやりたい」と発言していたが、結局中澤に決定した。選ばれた理由は「最年長だから」。
歴代サブリーダー[編集]
2001年4月16日に飯田圭織が第2代リーダーに就任するに合わせて創設された。初代に保田圭が就任した。当時は保田圭が初代であるのかどうかについては明らかにはされていなかったが、2007年11月に行われたYahoo!ライブトークでは保田圭が「初代サブリーダーである。」とされている。
歴代 | 名前 | 期間 |
---|---|---|
初代 | 保田圭 | 2001年4月16日~2003年5月5日 |
2代目 | 矢口真里 | 2003年5月6日※~2005年1月30日 |
3代目 | 吉澤ひとみ | 2005年1月31日~4月14日 |
4代目 | 藤本美貴 | 2005年4月15日※~2007年5月6日 |
5代目 | 高橋愛 | 2007年5月7日~6月1日 |
6代目 | 新垣里沙 | 2007年6月2日~ |
※矢口真里と藤本美貴の就任日については、上表では前任者が退任した日の翌日を就任日としているが、保田圭・吉澤ひとみ・高橋愛については就任前に、また新垣里沙については就任と同時にサブリーダーに就任する旨の発表があったのに対して、矢口と藤本の場合は就任時点で発表されず、ある程度の期間が経過してからテレビ番組(矢口:「ハロー!モーニング。」2003年8月3日放送分、藤本:「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」2005年7月15日放送分)でのトーク中に自らその時点でサブリーダーである旨が語られただけであるため、就任した日時が正確でない(空席の期間がある)可能性がある。
- サブリーダーに関して創設された理由は公表されていない。当初はモーニング娘。誕生以来グループを率いて来た中澤裕子のグループ脱退に伴い、それを引き継ぐ飯田圭織への不安視が創設の背景にあると思われた。だが、2001年3月7日の中澤脱退発表時は飯田・安倍・保田・矢口による集団指導体制になるという発表もされていた。しかし、飯田のリーダー就任が中澤卒業直後の4月16日に記者会見にて発表されたこと、サブリーダーに初期メンバー安倍が就任しなかったことなどを踏まえると、後任人事選考にあたってメンバー内で最年長であった保田を処遇するための「名誉職」として創設されたとも考えられる。矢口以降は実質的に「サブリーダー=次期リーダー(候補)」となっている。
- 保田就任以前(中澤リーダー時代)は、サブリーダーという役職は公表されていない。また、石黒彩在籍時は彼女が中澤に次ぐ年長者でポジション的にもNo.2と見なされることはあったが、サブリーダーであるとは明言されていなかった。
グループ編成[編集]
メンバー構成推移[編集]
このグループの最も大きな特徴は、他の女性アイドルグループに類を見ないメンバーが代わり続けるという点である。メンバー数が流動的で、5人(結成時)~16人(6期加入から保田卒業まで)と幅広い。また、年齢差も大きいのも特徴で、結成当時は約12歳差、4期加入時に約15歳差と最大で、最小は矢口脱退から7期加入前までの約5歳差である。ほとんどの期間(1999年4月~8月および2005年4月以外)に20代と中学生のメンバーが同時にいる。2008年1月1日時点の平均年齢は17.67歳である。
推移年表[編集]
日時 | メンバー | 増減 | 人数 | 平均年齢 |
---|---|---|---|---|
1997年9月7日結成 | 【1期】中澤裕子・石黒彩・飯田圭織・安倍なつみ・福田明日香 | - | 5人 | 17.40 |
1998年5月3日 | 【2期】保田圭・矢口真里・市井紗耶香加入 | +3 | 8人 | 16.75 |
1999年4月18日 | 福田明日香脱退 | -1 | 7人 | 18.29 |
1999年8月22日 | 【3期】後藤真希加入 | +1 | 8人 | 18.00 |
2000年1月7日 | 石黒彩脱退 | -1 | 7人 | 18.14 |
2000年4月16日 | 【4期】石川梨華・吉澤ひとみ・辻希美・加護亜依加入 | +4 | 11人 | 16.55 |
2000年5月21日 | 市井紗耶香脱退 | -1 | 10人 | 16.60 |
2001年4月15日 | 中澤裕子卒業 | -1 | 9人 | 16.56 |
2001年8月26日 | 【5期】高橋愛・紺野あさ美・小川麻琴・新垣里沙加入 | +4 | 13人 | 15.77 |
2002年9月23日 | 後藤真希卒業 | -1 | 12人 | 16.92 |
2003年1月19日 | 【6期】藤本美貴・亀井絵里・道重さゆみ・田中れいな加入 | +4 | 16人 | 16.56 |
2003年5月5日 | 保田圭卒業 | -1 | 15人 | 16.47 |
2004年1月25日 | 安倍なつみ卒業 | -1 | 14人 | 16.86 |
2004年8月1日 | 加護亜依・辻希美卒業 | -2 | 12人 | 17.42 |
2005年1月30日 | 飯田圭織卒業 | -1 | 11人 | 17.64 |
2005年4月14日 | 矢口真里がモーニング娘。を辞し、ソロ活動 | -1 | 10人 | 17.40 |
2005年5月1日 | 【7期】久住小春加入 | +1 | 11人 | 16.91 |
2005年5月7日 | 石川梨華卒業 | -1 | 10人 | 16.70 |
2006年7月23日 | 紺野あさ美卒業 | -1 | 9人 | 17.78 |
2006年8月27日 | 小川麻琴卒業 | -1 | 8人 | 17.75 |
2006年12月10日 | 【8期】光井愛佳加入 | +1 | 9人 | 17.78 |
2007年3月15日 | 【8期】(留学生)ジュンジュン・リンリン加入 | +2 | 11人 | 17.82 |
2007年5月6日 | 吉澤ひとみ卒業 | -1 | 10人 | 17.50 |
2007年6月1日 | 藤本美貴がモーニング娘。を辞し、ソロ活動 | -1 | 9人 | 17.00 |
モーニング娘。の結成日について[編集]
このグループの結成日については、公式資料やマスコミ報道などで異なった日付が書かれていることがある。これは「モーニング娘。の結成日」として解釈しうる日が複数あるためであると考えられる。「モーニング娘。の結成日」として解釈しうる日としては、
- 1997年8月20日 - グループの結成について実際にメンバーに対する意思確認が行われた日
「モーニング娘。5+3-1」(宝島社)ではこの時を「モーニング娘。誕生の瞬間」としている。 - 1997年9月7日 - グループの結成が発表された日(8月20日収録分のASAYAN放送日)
公式サイトや公式資料ではこの日をモーニング娘。の結成日としていることが多い。 - 1997年9月8日 - プロデューサーのつんく♂が「モーニング娘」を発案した日(「。」はまだない)
- 1997年9月14日 - モーニング娘。というグループ名が決定したことが公表された日(ASAYAN放送日)
- 1997年11月3日 - 5万枚手売り初日(インディーズデビューの日)
- 1997年11月30日 - 5万枚手売りを達成し、メジャーデビューが決まった日
「モーニング娘。×つんく♂」(ソニー・マガジンズ)では、結成時のメンバーの在籍期間をこの日からにしている。 - 1998年1月28日 - メジャーデビューの日
などがある。なお、つんく♂がモーニング娘。誕生10年記念隊に寄せたコメントでは、「モーニング娘。は1997年の9月8日に、お台場はフジテレビのとある楽屋で、僕が命名したときに魂が入った」という記述と「2007年11月3日の10歳のお誕生日」(つまり結成日は1997年11月3日)という記述の両方がある。また、この他にCDの販売関係のサイトや資料やマスコミなどでは、インディーズデビューの日やメジャーデビューの日をモーニング娘。が始まった日としているものが多い。
追加メンバーの加入日について[編集]
追加メンバーの加入日についても、しばしば公式資料やマスコミ報道などで異なった日付が書かれていることがある。これも、結成日と同様に「加入日」と解釈しうる日が複数あるためである。
「加入日」として解釈しうる日としては、
- 加入が実際に決まった日
- 加入が本人に伝達された日
- 加入が公表された日(合格が発表された番組の放送日)
- 初合流したコンサートなどの日
- 初参加したCDの発売日
といった日がある。このうち1と2については公表されないことが多いため、通常は3以降のいずれかの日が加入日とされている。公式資料では加入が公表された日を加入日としていることが多い。加入が後になればなる程、合格発表から合流までの期間が長くなる傾向にある。これは、後になればなる程コンサートに出演した時に覚える必要のある曲が多くなるなどの事情があるためだと考えられる。また、合格発表からコンサートツアーに本格的に合流するまでの間に「お披露目」的に本格合流する以前のコンサート(1つ前のツアーの最終公演など)に挨拶だけあるいは1曲だけ参加することが行われることがある。さらに6期メンバー以降はその間にファンクラブの会員を対象にした握手会を行っている。このような状況のため、新メンバーが加入した日より後にリリースされたCDや写真集に新メンバーが参加していないと言うことがしばしば起きる。また、テレビ番組の収録も初参加CDの曲披露までは別行動になることが多い。中でも、2001年10月13日放送の「めちゃ²イケてるッ!」(フジテレビ系)内のコーナー「私立岡村女子高等学校。」の修学旅行企画では5期メンバーが参加しておらず、また2003年4月5日放送の同番組の期末テスト企画では6期メンバーが参加していないのも、初参加CDの曲披露のためのテレビ出演より前だったためだと思われる。
期 | 公表日 | お披露目日 | コンサート正式合流日 | 初参加CD発売日 |
2 | 1998年5月3日 | - | 1998年7月12日※1 | 1998年5月27日 |
3 | 1999年8月22日 | 1999年8月23日 | 1999年9月19日 | 1999年9月9日 |
4 | 2000年4月16日 | - | 2000年5月20日 | 2000年5月17日 |
5 | 2001年8月26日 | - | 2001年10月21日※2 | 2001年10月31日 |
6(藤本) | 2003年1月7日 | 2003年5月5日 | 2003年5月31日※3 | 2003年7月30日 |
6(藤本以外) | 2003年1月19日 | 2003年5月5日 | 2003年7月19日 | 2003年7月30日 |
7 | 2005年5月1日 | 2005年5月6日 | 2005年7月10日 | 2005年7月27日 |
8 | 2006年12月10日 | 2007年1月27日 | 2007年3月17日 | 2007年2月14日 |
8(留学生) | 2007年3月15日 | 2007年5月6日 | 2007年7月15日 | 2007年7月25日 |
※1:モーニング娘。としての初コンサートの日であり、初期メンバーにとっても初めてのコンサートであるため、厳密には「この日から合流した」という表現はおかしいとも言える。
※2:紺野あさ美のみTV番組収録中の怪我(うたばん事故)のためこの日は挨拶のみ。曲に合流したのは2001年11月3日からである。
※3:ミュージカル「江戸っ娘。忠臣蔵」初日。通常のコンサートでの合流は他の6期メンバーと同じ2003年7月19日からである。
加入・脱退(卒業)を繰り返すグループ編成[編集]
「モーニング娘。は、加入と脱退(卒業)を繰り返しながら進化していくグループである。」と公式に表明されている。このメンバーチェンジを繰り返しながらグループを存続させていく方法は、メンバーが脱退しても解散しないグループとして、プエルトリコのアイドルグループメヌードを参考に、結成に深く関わったという音楽評論家の福田一郎(故人)が提案し、グループ編成されたということが公式に発表されている。しかし、1997年~1999年頃に出演していたテレビ番組内での状況、そして番組内でのつんく♂やメンバーの発言、コンサートのMCとの矛盾点もあり、1997年の結成当時から加入と脱退(卒業)を繰り返すシステムを考えていたかどうか、もしくはそのシステムが結成当時から確立していたかどうかは不明な点が多い。
- 後につんくは♂「モーニング娘。はその年(1998年)の紅白に出て解散する予定だった。」と語っていること(「モーニング娘。×つんく♂」でのインタビューなど)。
- メジャーデビューの条件だったCD5万枚手売りに失敗した時、メンバーの追加・脱退がないまま即解散の可能性があったこと(詳細は後述のモーニング娘。#歴史参照)。
- グループ名の候補に第1期メンバーの属性から連想された名前が挙がっていたこと。メンバーの入れ替えを前提としているならばそのような名前は候補として挙がることはない(詳細は後述のモーニング娘。#グループ名の由来参照)。
- 1997年~2000年のモーニング娘。のオーディションや活動をドキュメンタリー風に追っていたテレビ番組「ASAYAN」において、福田一郎が上記の提案を行ったシーンが放映されなかったこと(詳細は後述のモーニング娘。#歴史参照)。
- メンバーが加入・脱退を一度だけのものと思っていた節の発言があり、事務所やスタッフから繰り返されるグループであるという説明を受けていない点(福田明日香脱退発表後に出演した1999年3月23日放送の「とくばん」〈TBS系〉で司会の石橋貴明からのメンバー補充を行うのかとの問いに、中澤裕子は「行わないのではないか」、安倍なつみは「増えないと思います」と答えていたこと。)。
- このことが2003年11月の福田一郎の告別式(偲ぶ会)の会場にて発表され、発表が遅れたこと。
ただし、これらの件に関して、事務所の先輩でもある田中義剛が自身のブログにおいてKANや森高千里のブレイク秘話と一緒に当時のエピソードとして、所属事務所社長(当時)の山崎直樹の指示によって、メヌードを参考とし、グループを結成したという経緯が掲載されており、さらに「ASAYAN」はモーニング娘。のPR番組的位置付けでしかなかったため、所属事務所がすべての情報を同番組に提供していたかなどの疑問がある。また、同番組は過剰な演出が多いことで知られているため、これらの番組での発言も演出的なものに過ぎないという意見が多い。実際に当時放送された内容とメンバー達が実際に経験したことが異なることは、1999年に出版された同番組の公式本とされる「モーニング娘。5+3-1」の中で明らかにされている。さらに、福田一郎は音楽評論家であり物書きを本職としているため、タレントとは違いメディアへの露出も当然少なく、山崎ら事務所上層部の出演も一切なかったように同番組に出演していたのはプロジェクトに関わったすべての人間ではなく、関係者のほんの一部であることは間違いない。従って福田一郎が同番組に出演していなかったという理由だけで関係性を否定することはできない。さらに、メジャーデビューのわずか3か月後に2期として新メンバーを追加で加入させている事実を考えると、遅くともこの時点でメンバーの増加を考えたグループ編成であったのではと推測できる。また、この事実が発表された状況も、福田一郎の告別式(偲ぶ会)と厳正された場所であったことで信憑性が高いことや、故人の前で卒業&現役メンバー全員で「LOVEマシーン」を披露していること、中澤裕子が語った秘話など、福田一郎が本グループと深く関わりがあったことは間違いない。いずれにしても、予想外に脱退したメンバー(福田明日香・石黒彩・市井紗耶香)を補充する名目で同番組に出続けられた影響は大きい。追加メンバーオーディションを行うことで、『夢のオーディション・バラエティ』を標榜していた同番組への継続的な出演が可能になったことが番組内でのPRなど以後の活動に有利に働いたと言える。
宝塚歌劇団との比較考察[編集]
公式的な場でも関連性を指摘されているものとして、メンバーチェンジを繰り返しながら存続するグループという点で、宝塚歌劇団(以下、宝塚)との類似性が挙げられる。日本の芸能界においてメンバーチェンジを繰り返しながら優れたエンターテインメントを提供し、スターを輩出し続ける集団として宝塚は鉄壁の地位を誇っており、同じ女性の集団という共通点もあるためとされる。さらに2003年4月に放送された「エンタの神様」(日本テレビ系)の中でモーニング娘。と宝塚が一緒になって「Mr.Moonlight~愛のビッグバンド~」を歌うという夢の共演を行った際に、つんく♂や振付師である夏まゆみが曲作りや振り付けで宝塚を意識した部分があることを語っている。同番組ではモーニング娘。がしばしば行っている段差のあるステージでのパフォーマンスは、元々宝塚が大階段という形で行っていたものであるとも語られていた。また、グループに入って来る人間をその時期によって「期」と呼んで分けるやり方やグループを複数のさくら組やおとめ組などの「組」に分けて活動させるやり方も宝塚と共通している。そして、宝塚の退団は多くのマスコミが取り上げるため、その様な部分も共通する。 また、2006年8月にモーニング娘。およびハロー!プロジェクトが宝塚と組み、手塚治虫原作「リボンの騎士」のミュージカル化をした際も、ミュージカルの構成を担当した宝塚の演出家木村信司が「モーニング娘。と宝塚は似た雰囲気を持っている」とコメントしている。
しかし、結成から「ザ☆ピ~ス!」(2001年)のヒットあたりまでは宝塚との類似性について語られることはなかった。下記に挙げるように「期」や「組」は2002年以降に見られる。
- 1998年5月加入の第2期メンバーや1999年9月加入の後藤真希(第3期メンバー)は単に「新メンバー」または「追加メンバー」と呼ばれていただけであり、また2000年4月追加の第4期メンバーは「第3次追加メンバー」と呼ばれ、2001年8月追加の第5期メンバーも追加された当時は「新メンバー」と呼ばれていた「期」と呼ばれるのは2002年募集の第6期からであり、その時点から遡って1期~5期と呼ばれるようになった。
- いくつかのグループ(ユニット)に分けての活動も、本体のメジャーデビューと同年のタンポポから始まり、後にプッチモニ、ミニモニ。が続いた。それらは名前に「組」は付かなかった。
- 2000年~2001年当時、安倍なつみはユニットには所属せず、矢口真里と加護亜依は2つのユニットを掛け持ちし、中澤裕子はソロでも活動させるなど、全員を均等にグループ分けしているものではなかった。
- 均等にグループを分割して「組」と分けて活動すると発表したのは、2003年1月28日からである。
グループ名の由来[編集]
このグループは、『モーニングセットのように、お得感があり、楽しめるユニット』ということで命名された。
なお、その他の候補としては「87」(メンバー全員の歳を足して)、「都道府」(メンバーの出身地が東京「都」・北海「道」・京都「府」であり、「県」出身者がいなかったため)、「たこ焼きシスターズ」、「モーニングサービス」、「モーニング・ファイブ」などだった。なお、「モーニング(セット)」は「バイキング」から連想した物であり、「バイキング娘。」になっていた可能性も高い。しかし最終的には「モーニング娘」が採用された。
「モーニング娘。」の「。」について[編集]
- 当初のつんく♂の命名では「。」が付いていなかった。しかし当時、「ASAYAN」では画面に表示されるテロップのほとんどすべてに「。」を付けていたため、ユニット名発表の際(1997年9月14日放送)にもステージ上の画面で「ユニット名はモーニング娘。」と表示されることになった。それに対して司会のナインティナインの岡村隆史が「僕質問なんですけど、モーニング娘のあと『。』付いてますやん。(中略)あれは『。』は付いてるんですか?」と問いかけたところ、相方の矢部浩之が「ちょっと待ってもらえます。(舞台袖を見ながら)あれ僕の意見でいいすか今、あっそうですか。(正面に向き直り)あの『。』は…要ります!」と言ったため「。」付が正式な表記になった。その後の感想で、漢字のグループ名を希望していた当時のメンバー福田明日香が「漢字も『まる』もついて、お得だな~」と発言した。
- TBS系の番組「うたばん」で「。」について聞かれた時に、メンバーのほとんどは不要と答えた。しかし、中澤裕子の誕生日(26歳)を前に出演したフジテレビ系の番組「ハッピーバースデー!」(1999年6月13日放送)での安斎勝洋による姓名判断で「『。』が付いたことで画数が23画となり、理想的なグループ名となった。」と言われた後、肯定的な発言をしている。「。」のない22画ではグループが分裂すると言われているため、後に別の番組でリーダー(当時)の中澤裕子が「『。』は大事。」と語っている。
- シンボルマークもダブルエム(二重にした小文字の「m」、山が1つ多い)に「。」が付いた形で、商標登録されている英語の正式名称も「Morning Musume。」と「。」が付いている。
- モーニング娘。やハロー!プロジェクトに関連するグループ名、ユニット名、番組名などにも「。」が付いているものが数多くある(「カントリー娘。」「ココナッツ娘。」「ミニモニ。」「エコモニ。」「ハロー!モーニング。」「モー。たいへんでした」「エアモニ。」「モーニング刑事。」「江戸っ娘。忠臣蔵」など)。
- 単語の中に句点を含む語としては初めてではないのだが、モーニング娘。が広くメディアに取り上げられるに伴って、日本語の乱れの例、ないしはそれを広めたきっかけとして取り上げられたことがある。
尚○は2013年12月31日 までついていた 2014年以降はなくなった
「モー娘。」という略表現について[編集]
- メンバー自身(特に初期のメンバー)は、自分達のグループを「モーニング」または「むすめ」と呼ぶことが多い。また、メンバーに関わらず自らを「もーむす」と呼ぶことは台本などで強制されない限りまずない。ファンも同調し「もーむす」とは基本的に呼ばない。
- 「モー娘。」という表記自体は最初ファンやマスコミが使い始めた呼び方であるものの、所属事務所によって商標登録されており、映画「ピンチランナー」のキャッチコピーで「モー娘。、走る!」として使われるなど、現在では事務所側も認めたものとなっている。
- 「モー娘。」という表記が一般的に使われるようになった以後にファンになった者は、あまり抵抗なく「モー娘。」という表記を使うこともある。
- モーニング娘。の熱狂的なファンのことを「モーヲタ」と呼ぶ。また、そのモーヲタは彼女らのことをモー娘。(モームス)ではなく娘。(むすめ)と呼ぶのが浸透している。逆に「モーニング娘。」のことについてあまりよく分からない人は「モーむすめ」と言う人もいる。
- モーニング娘。、Morning Musume。およびモー娘。はいずれも株式会社アップフロントグループの登録商標(商標登録第4555529号・第4566621号・第4555530号)で、登録呼称は「モーニングムスメ」および「モームスメ」である。存続満了日は2012年(平成24年)である(ただし更新可能)。
歴史[編集]
誕生(1997年)[編集]
- 1997年9月7日、テレビ東京系のオーディション番組『ASAYAN』(2002年3月24日終了)内において4月から行われていた「シャ乱Qロックヴォーカリストオーディション」(優勝は平家みちよ)の最終選考で落選した中から中澤裕子・石黒彩・飯田圭織・安倍なつみ・福田明日香の5人が選抜され、結成された(放送収録は8月20日)。公式の結成経緯に対し、後につんく♂がオーディション時に合宿をする理由として「グループ活動に必要な協調性があるかどうかを見るため」と語っていることなどと合わせ考えると、ソロヴォーカリストを選ぶのに合宿をするのは不自然であるといった理由などから、最初から女性ヴォーカルグループを作るためにオーディションを開いたのではないかとする説もある。グループ名は、9月14日の放送分において「モーニング娘。」と決まった。
- 結成後はインディーズで活動を開始した。しかし、メジャーデビューを目指すにはシングル『愛の種』を、制限期間5日間、さらに手売りで5万枚売り上げなければならない厳しい試練があるとして、全国でCDの手売り販売を行う「愛の種」発売キャンペーンを行わなければならなかった。そのキャンペーンが11月3日から大阪・心斎橋のHMVを皮切りに開始したが、ここでの売り上げ枚数は16,610枚と目標を大きく上回った(HMVでの1日1店舗における1タイトルの売り上げは世界記録)。その後も全国各地を巡り、同月30日のナゴヤ球場でのキャンペーンでは9,533枚を売り上げ、目標の5万枚をすべて完売させ、メジャーデビューを果たした。
- 楽曲の権利関係については、「愛の種」および「モーニングコーヒー」については「アップフロント音楽出版」と共に「テレビ東京ミュージック」が共同権利者となっており、プロモーション関係などの様々な経費をおそらくは番組制作費の一環としてテレビ東京側が負担することと引き替えに本グループに関する権利の半分を譲渡したものであると見られる。これに対して2ndシングルの「サマーナイトタウン」以降の曲についてはアップフロント音楽出版のみが権利者となっている。
- 雑誌サイゾーにおいて、 アップフロントグループの山崎直樹会長とされる人物が、「モーニング娘。は本当は10人でスタートさせたかった。しかし5人でも1ヶ月で500万円の経費がかかるので成功するかどうか分からない状況で10人でスタートするのは到底無理だった。人数を増やしてもやっていけそうな目処が立った時点でメンバーを増やすことにした。」と語ったインタビューが掲載された。この記事では「モーニング娘。の音楽的なことはつんく♂が決めているが、メンバーを増やすかどうかといったことはすべて私が決めていた。」と、当時の「ASAYAN」の演出や関係者の発言を全否定する発言も同時に行っており、一部で物議をかもした。
- 最初の追加メンバー募集の発表時は、内容を知らされずに「重大発表がある」とだけ聞かされた初代リーダーの中澤裕子が、その重大発表の内容は「モーニング娘。の解散」だと思ったと後に語っており、当時の現場にはその様な雰囲気があったことを伺わせる(「モーニング娘。5+3-1」〈宝島社〉より)。当初は人数を倍の10人にすると発表されたが、結果は3人追加の8人となった(1998年~1999年に後述)。
- ブレイクするとともに急激に状況は改善されていったものの、デビュー曲の時点では歌の衣装は1着しか用意されておらず、衣装の洗濯なども自分で行っていたし、穴が開いたら自分で繕っていた。また、歌の衣装以外はすべて自前の私服であり、家族や友人から借りた服でしばしばテレビに出ることもあった。また、「ASAYAN」などが密着取材をする時以外は基本的に現地集合・解散であり、マネージャーもいない状況で移動時やプライベートでの写真も撮られ放題の状況であった。
1998年~1999年[編集]
- 1998年1月28日にメジャーデビューを果たす。デビュー曲の『モーニングコーヒー』はオリコンシングルチャート6位に入る。
- 1998年4月~6月に初主演テレビドラマ「太陽娘と海」(テレビ東京、平家みちよと共演)が放送される。その間の5月に追加メンバーとして保田圭・矢口真里・市井紗耶香が加入し、同月27日に2ndシングル『サマーナイトタウン』が発売され、オリコンシングルチャート4位に入る。
- 1998年7月に東京・渋谷公会堂(現・渋谷C.C.Lemonホール)で初のコンサートを行う。
- 1998年夏に初主演映画「モーニング刑事。抱いてHOLD ON ME!」(平家みちよと共演)が上映される。
- 1998年9月6日の新聞の番組表で、初めて「モー娘」という略称表記が登場する。
- 続く3rdシングル『抱いてHOLD ON ME!』(同月9日発売)で初のオリコンシングルチャート1位を獲得した。またオリコンカラオケチャートでは8週連続1位を達成。この曲で同年の第40回輝く!日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞、またNHK紅白歌合戦も第49回で初出場を果たす。
- 1998年10月に最初の「グループ内ユニット」である「タンポポ」の結成が発表され、翌11月18日に『ラストキッス』でデビューした。
- 1999年3月から初の全国ツアーを行い、7都市・19公演で約4万人を動員した。
- 1999年1月に福田が学業優先を理由に脱退を表明して、4月18日のコンサートを以て脱退した。その後しばらくは人気に陰りが見え、7月14日に鈴木亜美(当時は鈴木あみ)がTM NETWORKのヒット曲をカバーした「BE TOGETHER」と同日発売としてASAYANで煽られた6thシングル『ふるさと』ではオリコンシングルチャート5位まで落ち込む。
- しかし、9月には第3期メンバーの後藤真希加入後に発売した『LOVEマシーン』(同月9日発売)で再ブレイクし、ミリオンセラー(195万枚)となり、オリコンカラオケチャートでも当時の新記録である17週連続1位を達成した。18週目の1位を阻止したのがモーニング娘。のグループ内ユニットである「プッチモニ」の『ちょこっとLOVE』(11月25日発売)であった。その曲もミリオンを突破し、一気にスターダムにのし上がったのがこの時期だった。
2000年~2001年[編集]
- 2000年に入ると、直後の1月26日に『恋のダンスサイト』が発売され、オリコンによると約123万枚の売り上げを記録した。その後、『ハッピーサマーウエディング』(5月17日発売)や『恋愛レボリューション21』(12月13日発売)も100万枚を超える大ヒットを記録した。
- 石黒彩が2000年1月8日に卒業した後、4月には4期メンバーとして石川梨華・吉澤ひとみ・辻希美・加護亜依が加入し、さらに翌5月には市井紗耶香が卒業した。
- この頃から中国ブレンド茶「飲茶楼」(2月、JT)や「Dream Net」(4月、現・OCN)を始めCMに多く出演するようになる。また、本グループがメインで出演する単発特別番組も放送されるようになる。
- 2000年3月29日に発売されたサードアルバム『3rd~LOVEパラダイス~』で本グループのアルバムでは初のミリオンを達成した。
- 2000年4月には、『ハロー!モーニング。』(テレビ東京系、2007年4月8日より「ハロモニ@」に移行)と『フライデーナイトはお願い!モーニング』(日本テレビ系〈テレビ岩手制作〉、2001年9月終了)の放送がスタートした。この2つのレギュラーテレビ番組に出演してから「ASAYAN」も卒業となり、以降同番組では不定期でモーニング娘。の企画が放送された。
- 2000年5月に東映系で初主演映画『モー娘。走る!ピンチランナー』が公開される。
- 2001年1月に矢口真里をリーダーとして結成されたミニモニ。が早くも低年齢層に受け入れられ、一気にファン層を拡大した。
- 2001年頃からメンバーそれぞれの個人活動が多くなるとともに、併せてメンバーのソロ写真集が発売されるようになる。
- 2001年1月31日に発売された初ベストアルバム『ベスト! モーニング娘。1』がトリプルミリオンに迫る売り上げを記録した。
- この頃、ほとんど毎週のように「うたばん」(TBS系)にゲスト出演し、個人の知名度が一気に向上する(2006年9月22日に放送された『とくばん』で発表された同番組へのゲスト出演回数は第1位)。
- また、「めちゃ²イケてるッ!」(フジテレビ系)の中でも『私立岡村女子高等学校。』として各メンバーの個性にクローズアップした企画が何度か放送された。同番組では国民的アイドルグループと紹介され、これ以降マスコミ各社も国民的アイドルと形容するようになった。
- 同グループとして初のゴールデンタイムでのレギュラーテレビ番組『モー。たいへんでした』(日本テレビ系)も始まる(2001年4月~2002年3月)。
- 2001年4月16日に初代リーダーだった中澤裕子が卒業し、同時に後任のリーダーに飯田圭織が就任、飯田より年上だった保田圭はサブリーダーに就任した。また、同時期に石川梨華がカントリー娘。の助っ人として呼ばれ、「カントリー娘。に石川梨華(モーニング娘。)」として活動を開始した。
- 2001年5月3日~27日に初主演ミュージカル『LOVEセンチュリー~夢は見なけりゃ始まらない~』を東京・日生劇場で上演した。これには既に卒業していた中澤裕子も出演した。
- 2001年8月には、人気芸能人の証と言われる24時間テレビ「愛は地球を救う」(日本テレビ系)のメインパーソナリティとなる。この年の企画やドラマ『最後の夏休み』(安倍なつみ主演)が好評で、翌2002年8月も2年連続でメインパーソナリティを務める。
- 2001年8月26日にテレビ東京系で放送された『LOVEオーディション21』の結果、5期メンバーとして高橋愛・紺野あさ美・小川麻琴・新垣里沙が加入し、史上最多(当時)の13人体制となる。
2002年~2004年[編集]
- 2002年に入ると、1月2日にスペシャルドラマ『モーニング娘。新春!LOVEストーリーズ』(TBS系)が放送され、5月24日~6月23日にはミュージカル『モーニング・タウン』を上演した。
- 2002年5月の長者番付では、当時在籍していた4期までのメンバーが公示された。辻希美と加護亜依は当時中学生だったので特に話題になった。翌2003年以降も公示された納税額は減少しているものの、何人かが公示された。ただし5期以降のメンバーは一度も公示されたことはない。
- 2002年7月31日に後藤と保田の卒業発表やタンポポ・プッチモニ・ミニモニ。のメンバーチェンジ発表などを行ったが、それぞれのファンからは大反発を受けた。本グループおよび同卒業メンバーのファンサイト上ではこのハロプロ構造改変を「7・31」や「ハローマゲドン」と呼ばれていた(「この構造改変が必ずしも人気低下の原因ではない、ハロプロ自体は構造改変の後に全盛期を迎えている」という意見もある)。
- なお、この後、メンバーの卒業発表は卒業期日よりかなり前に発表されることになる。特に2003年8月の安倍なつみの卒業決定から2005年5月の石川梨華の卒業までの間は常に「卒業時期がすでに決定しているメンバー」が在籍していた。
- 2002年12月から2003年1月にかけて、卒業した後藤真希とハロー!プロジェクト・キッズ(6月30日デビュー)との共演で映画『仔犬ダンの物語』が上映された(ただし出演したのは併映作であるミニモニ。主演作品に出演した当時のミニモニ。のメンバーと高橋愛を除いた8人およびハロー!プロジェクト・キッズのうち須藤茉麻・菅谷梨沙子・鈴木愛理・萩原舞を除いた11人)。また、この映画の上映と合わせてアニメ映画『劇場版とっとこハム太郎 ハムハムハムージャ!幻のプリンセス』が上映され、卒業した後藤とともに「モーハムず」(後藤は「ゴハム」)として初の声優に挑戦した。
- 2003年1月には、『LOVEオーディション2002』の合格者発表(最終選考に残った亀井絵里・道重さゆみ・田中れいなの3人共加入)を前に、2002年3月からソロで活動していた藤本美貴の加入が発表される。藤本も含めてメンバーは史上最多(2006年12月現在まで)の16人となる(ただし16人での活動は同年5月の保田圭の卒業コンサートのみで、それまでに発売されたシングル2枚およびアルバム1枚は12人で出している。)。
- 2003年5月31日~6月29日につんく♂と五木ひろしの共同プロデュースによるミュージカル『江戸っ娘。忠臣蔵』を明治座で上演した。(6期メンバーからは藤本美貴のみ参加)
- 2003年8月には、石川梨華に代わって紺野あさ美と藤本美貴がカントリー娘。の助っ人として呼ばれ、『カントリー娘。に紺野と藤本(モーニング娘。)』として活動を開始した。
- 2003年9月には、新展開として15人のメンバーを『モーニング娘。さくら組』『モーニング娘。おとめ組』の2つに分けての活動も開始し、それぞれシングルCDを2枚ずつリリースし、組ごとの全国ツアーも行った。しかし、辻希美と加護亜依の卒業後は正式なアナウンスがないまま2組共活動休止状態となる。
- 2004年1月に長くエース格にあった安倍なつみが卒業した。さらに同月には辻希美と加護亜依が揃っての卒業発表、そして5月には飯田圭織と石川梨華の卒業も発表され、人気メンバーが相次いで卒業することになる。
- 2004年5月29日~6月13日にミュージカル『HELP!熱っちぃ地球を冷ますんだっ』を上演した。その後19日と20日には幕張メッセで初の「モーニング娘。“熱っちぃ地球を冷ますんだっ。”文化祭」を開催した。この時期には小池百合子環境大臣を表敬訪問するなど、環境問題について真剣に取り組むイベントが増える。
- 2004年8月には辻希美と加護亜依が揃って卒業した。この時既に2人はユニット「W」を結成し、活動を開始していた。
- 2004年9月にはメインで歌える『エース』となるべき7期メンバーの募集を行った(『ラッキー7オーディション』)が、翌2005年1月の最終選考の結果、エースと呼べる程までの人材がいないという理由で、前代未聞の「該当者なし」という結果に終わる。
- 2004年12月31日の第55回NHK紅白歌合戦では、先に卒業した辻希美と加護亜依のユニットWと共演し、初の複数ユニットによるメドレーを行った。
2005年~2008年[編集]
- 2004年末から松浦亜弥と共演したEPSON「カラリオ」のCMに出演。なお、モーニング娘。としてのテレビCM出演はこれ以降現在まで無い。
- 2005年1月に2代目リーダーだった飯田圭織が卒業し、結成当時の第1期メンバーはすべて卒業した。
- 2005年2月より『モーニング娘。オーディション2005』を行い、5月に久住小春が7期メンバーとして加入した。このオーディション開催中の4月14日に3代目リーダーだった矢口真里が恋愛スキャンダルでグループを辞し、吉澤ひとみが4代目リーダーに就任した。
- 2005年5月7日に石川梨華が卒業した。なお、石川は2004年9月に自らをリーダーとする美勇伝を結成している。
- 2005年8月27日に27thシングル『色っぽい じれったい』で「LOVEマシーン」以来6年ぶりとなる握手会イベント『「モーニング娘。/色っぽい じれったい」発売記念東名阪握手サーキット』を横浜・名古屋・大阪で開催した。メンバー10人が3組に分かれ、それぞれの組が1日で3会場を移動し、各地でイベントを行った。
- 2005年10月にパシフィコ横浜にて「モーニング娘。“熱っちぃ地球を冷ますんだっ。”文化祭2005 in 横浜」を開催した。今回も環境問題を重要に受け止め、地球温暖化問題をアピールし、自然の大切さを訴えかけた。なお、同地では2006年9月にも第3回を、2007年10月にも第4回を開催。
- 2005年12月31日の第56回NHK紅白歌合戦では、卒業メンバー(引退または事務所を移籍した福田明日香・石黒彩・市井紗耶香を除く)を加えた19名の特別編成で出場し、スキウタ紅組1位の曲となった『LOVEマシーン』を歌った。この年は松浦亜弥→DEF.DIVA→新旧モーニング娘。のメドレーとなった。
- 2006年3月に発売された29thシングル『SEXY BOY~そよ風に寄り添って~』の売り上げは、結成時手売り条件の5万枚をオリコン累計で割り込んだ。
- 2006年7月には久住小春が初のモーニング娘。内ユニット(ソロユニット)月島きらり starring 久住小春 (モーニング娘。)でCDシングルデビューした。また、9月にはGAMで藤本美貴も松浦亜弥とともにユニット活動を開始する。現役メンバーを含むユニットによるシングルCDの発売はカントリー娘。に紺野と藤本(モーニング娘。)の2004年8月以来2年1か月ぶりである。
- 2006年7月23日には紺野あさ美が学業専念のために、8月27日には小川麻琴が語学留学のためにそれぞれ卒業した。小川はハロー!プロジェクトに籍を残したまま留学へ向かうのに対し、紺野は同時にハロプロからも卒業となった。ハロプロでの活動継続を公言しない卒業は市井紗耶香以来、「勉学」による芸能活動休止は福田明日香以来である。前の卒業者である石川梨華との間には1年2か月の開きがあり、卒業の間隔としては中澤裕子と後藤真希の1年5か月に次ぐ長さである。加入も計算に含めた同一メンバー構成の維持された期間としては、5期加入から後藤卒業までの1年1か月を上回り最長となる。同一メンバー構成でシングルを4枚リリースするのも過去最多記録である(これまでの記録は2nd~4th、13th~15th、16th~18th並びに19th~21stのそれぞれ3枚。)。なお、紺野は翌2007年7月15日からハロー!プロジェクトに復帰し、ソロとして在籍している。
- 2006年8月1日~27日に宝塚歌劇団と共同制作した『リボンの騎士ザ・ミュージカル』を上演した。当初は紺野あさ美もこのミュージカルに出演する予定だったが、前述の卒業発表で出演できなくなった。また、小川麻琴はこのミュージカルを最後に卒業している。
- 2006年10月31日~12月3日の2006世界バレーでは、WaT×ハロー!プロジェクトとしてWaT、DEF.DIVA、Berryz工房と共にオフィシャルサポーターに任命された。主にWaTが女子大会に対して、ハロー!プロジェクトは男子大会の宣伝・応援を行った。
- 2006年11月8日発売の31stシングル『歩いてる』では、2003年4月の18thシングル『AS FOR ONE DAY』以来3年7か月ぶりとなる通算10枚目のオリコンシングルチャート週間1位を獲得し、ピンク・レディーの9作を抜いて女性グループ歴代首位に立った。6・7期メンバーにとっては初の1位となった(藤本美貴はごまっとう名義の『SHALL WE LOVE?』で1位獲得経験あり)。
- 2006年7月30日より『モーニング娘。Happy8期オーディション』を開催し、12月10日に光井愛佳が8期メンバーとして加入することが発表された。
- 2006年12月31日の第57回NHK紅白歌合戦に「GAM&モーニング娘。」として出場した。この回でもメドレー形式となったが、光井愛佳は出場しなかった。
- 2007年に入ると、1月2日に『Hello! Project 2007 Winter~ワンダフルハーツ 乙女Gocoro~』の初日の東京公演において『モーニング娘。コンサートツアー2007春~SEXY 8 ビート~』の最終日である5月6日をもって吉澤ひとみがモーニング娘。を卒業し、リーダーとサブリーダーがそれぞれ藤本美貴と高橋愛になることが発表された。また、同時期に卒業メンバーの安倍なつみ・飯田圭織・後藤真希および現役メンバーの新垣里沙と久住小春の5人で「モーニング娘。誕生10年記念隊」を結成した。
- 2007年3月15日に中国人2名(ジュンジュン・リンリン)の8期(留学生)メンバーとしての加入が発表された。
- 2007年5月7日付けのオリコンチャートにおいて、モーニング娘。の総シングル売上枚数が1108.5万枚となり、ピンク・レディーを抜き女性グループで歴代1位となった。
- 2007年5月6日に吉澤ひとみが卒業し、ASAYANでオーディションを受けて合格したメンバーはすべて卒業した。
- 2007年6月1日に恋愛スキャンダルで5代目リーダーだった藤本美貴がグループを辞し、高橋愛が6代目リーダーに就任した。
- 2007年9月には誕生10周年を記念して、東京と大阪でモーニング娘。10年記念展を開催した。
- 2007年10月24日にこれまでに発売された34枚のシングルとハロー!プロジェクト10周年記念曲の全35曲を収録した『モーニング娘。 ALL SINGLES COMPLETE 〜10th ANNIVERSARY〜』(CD2枚組)を発売した。
- 2007年12月31日 第58回紅白歌合戦に出場し、紅白に10年連続で出場を果たした。
モー娘。の現状[編集]
1999年~2001年に絶頂期を迎えたモーニング娘。だが、以降は人気が徐々に低下している。
- 年末などに放送される音楽祭(FNS歌謡祭、ミュージックステーションスーパーライブ)などの特別番組への出演機会が激減した。また、自身出演の単発特別番組もほとんど放送されなくなって来た。
人気低下の原因としては、以下の点などが考えられる。
- シングル『LOVEマシーン』のヒットを起点とした「モーニング娘。」ブームの沈静化。
- 本来グループの存亡に直結するはずであるメンバーの加入・脱退さえもマンネリ化してしまったこと。
- 知名度や人気の高いメンバー、笑いを取れるメンバーを次々卒業させたことにより知名度の低いメンバーが大部分になってしまったこと(つんく♂は「モーニング娘。は早く卒業することを目標とすべき枠である方が良い」という故福田一郎氏の助言を忠実に守っており、そのセオリー通りなのだが、卒業したメンバーのその後の活動実績、オリコン調べでのCD売り上げなどは娘。時代の活動実績に及んでいるとは言い難い。)。
- 派生ユニットの乱発や楽曲の傾向の変化により、固定ファン以外には個々の曲の印象が残りにくい曲ばかりになったこと。
- ハロプロのユニット数増加によりつんく♂の負担が増え、良い曲が生まれづらくなったこと。
- 卒業メンバーのソロおよびユニットや松浦亜弥、メロン記念日、Berryz工房、℃-uteなど他のハロプロメンバーに人気が分散してしまったこと。
- テレビ出演よりも、コンサート(興行)が優先されたこと。
- 歌番組でのファン層以外にアピールする機会に恵まれないこと。出演できない、または出演したとしても視聴率が低く、出演時間や露出時間が少なくなった。中でもミュージックステーション(テレビ朝日系)では2001年頃までは1曲発表する毎に2回出演するという高待遇を受け、且つ特別番組にも随時出演していたが、2005年以降では1曲1回ずつであり、歌披露以外の出番も減っている。また、卒業メンバーのソロおよびユニットも同番組に出演していたことがあったが、2005年以降は殆ど出演していない。また、出演回数が一番多かったうたばん(TBS系)でも2000年~2001年にほとんど毎週の様に出演していたが、2003年秋から同番組もほとんどがお笑いタレントが出演しているためか、他の出演アーティストと同様に出演時間が減少している。
- ワイドショーでも露出時間が少なくなった。中でもめざましテレビ(フジテレビ系)の「メディア見たもん勝ち」では2000年~2002年頃に頻繁にこのコーナーに露出していたが、以降はこのコーナーに露出する日が大幅に減少している。また、同番組の裏番組でも同様に減少し、番組によっては露出しない月まであった。
グループの「進化」の部分だが、各賞受賞歴やオリコン順位を考えると、デビューから3年間程度は当てはまると思われるが、2002年以降は「進化」ではなく悪く言えば「退潮」、よく言えば「安定期に入った」と言える。2006年現在でもマスコミによって「国民的アイドルグループ」と形容されることもあるが、「国民的~」の呼称が形骸化して残っているだけという感は否めない。
今なお、日本国内では老若男女を問わずグループとしての知名度は圧倒的に高いが、その老若男女が知る娘。とは絶頂期の娘。の記憶であり、現在の娘。についてはメンバーの名前・顔・曲・人数とも全くと言っていい程把握していないのが現実である。とはいえ、娘。以降、これ程の人気を博した女性アイドルグループの出現がないこともあり、日本で女性アイドルグループといえば、今なおモーニング娘。が第一人者であることは間違いない。2002年後期以降のモーニング娘。の活動を前向きに捉えようとする見方もあることは事実である。
- 2008年1月13日に放送された「ハロモニ@」の視聴率が、過去最低の「0.8%」(ビデオリサーチ調べ)。
昔のような知名度にしたかった道重さゆみ[編集]
モー娘。を見て興奮するが、マツコが出たら露骨に嫌がる幼女[編集]
特徴[編集]
ここでは、モーニング娘。でしか見られない現象について記す。
教育係[編集]
このグループには、「教育係」という名目で先輩が後輩に指導するならわしがある。中でも3・4期メンバーでは「ASAYAN」で教育指導の模様が放送されている。
- 2期メンバー
- 教育係の制度はなかった。しかし、ASAYANでは中澤裕子が叱っている姿が放送された。
- 3期メンバー
- 市井紗耶香→後藤真希
- 4期メンバー
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- 5期メンバー
- 教育係の制度はない。
- なお、2001年11月2日に放送されたミュージックステーション(テレビ朝日系)での5期メンバー初登場時に、吉澤ひとみ→高橋愛、石川梨華→小川麻琴、安倍なつみ→紺野あさ美、矢口真里→新垣里沙、という組み合わせで新メンバーの紹介を行ったため、この組み合わせが教育係だと言われたこともあったが、後にメンバーの発言によって明確に否定されている。
- 6期メンバー
- 教育係という呼び方はされなかったが、代わりに「6期メンバーとほぼ入れ替わりで卒業する保田圭が6期メンバーにモーニング娘。の精神を伝える」という企画が2003年5月11日の「ハロー!モーニング。」(テレビ東京系)で放送された。なお、2007年11月に行われたYahoo!ライブトークでは保田圭が6期メンバーの教育係であったとされている。
- 7期メンバー
- 道重さゆみ→久住小春
- 8期メンバー
- 今のところ発表はない。
メインパート・センターポジション[編集]
初期の楽曲はメイン(主旋律)とハモリ(ハーモニー)で構成されていたことから、「ASAYAN」でメインパート争奪戦として取り上げられていた。「LOVEマシーン」以降のリレー式歌唱でも、サビの歌唱を中心として歌唱パートが多いメインと、その他に区別できる。
人数の増加に伴い歌唱の中心である「メイン」に加え、ジャケット写真やダンスフォーメーション位置の中心(センターポジション)にいる「センター」も注目されるようになった。センターとメインは必ずしも一致しない。メインやセンターを一度も経験せずに本グループを卒業したメンバーも多い。
メインおよびセンターの推移はモーニング娘。の作品・出演一覧#シングルの通り。ただし、メインやセンターについて公式発表されることもあるものの、多くの場合公式に発表されないため、誰が見ても明らかな場合もある一方で、誰がメインやセンターなのかはっきりせず意見が分かれる場合も多い。
パート割り[編集]
- 歌唱パートの割り振りは、メンバー構成が10人以上の大所帯である時期が多くあるために、曲によってはソロ歌唱フレーズがなかったり、1フレーズのみというメンバーがいる場合が多い。
- パート割りがライナー(歌詞カード)に記述されたのは 『女子かしまし物語』のみである。なお『つんく♂ベスト作品集(上)「シャ乱Q〜モーニング娘。」〜つんく♂芸能生活15周年記念アルバム〜』および『つんく♂ベスト作品集(下)「シャ乱Q〜モーニング娘。」〜つんく♂芸能生活15周年記念アルバム〜』に収録されている19曲については、付属のブックレットにパート割りが記載されている。
- PVでは各メンバーがそれぞれソロパートが割り当てられている部分で大写しにされていることが多い。
- 『LOVEマシーン』までは全員分で曲全体のレコーディングを行い、ミックスダウンでパート割りを決定していた。その後、レコーディングでのプロツールスの本格的な導入に伴い、レコーディング時に担当パートのみを歌唱してアレンジすることが多くなる。
- コンサートなどで卒業・脱退したメンバーが受け持っていたパートのある曲を歌う時は、いなくなったメンバーの受け持っていたパートを残っているメンバーの誰かが引き継いで歌う。ただし、卒業コンサートや紅白歌合戦などの特別な場や、コンサートの構成上においてメンバーの入れ替えに関係無くパートの変更が行われることもある。
エース格メンバー[編集]
エース格とは、ユニットの中心格(シンボル)という意味合いである。エースに該当しないメンバーが素質的または才能的、そして人気が劣っているという意味合いではない。ただし、エースについてはつんく♂ら関係者やマスコミによってしばしば言及されることがあるものの、リーダーなどの様に公式発表されることはないので、ある時点で誰がエースなのか、特定の時点でのエースは1人に限られるのか、そもそもエースと呼びうる存在がいるのかといった点で意見が分かれる場合が多い。
モーニング娘。の歴史の中で、一般的にエース格とされているのは安倍なつみと後藤真希の2人、もしくは石川梨華を加えた3人である。また、広義には高橋愛・藤本美貴・田中れいな・久住小春らを指すこともある。
結成時から後藤加入の頃までの初期のモーニング娘。のエースと考えられるのは安倍なつみである。そもそも、インディーズデビュー曲である『愛の種』とメジャーデビュー曲である『モーニングコーヒー』に関わった桜井鉄太郎によれば、モーニング娘。に関わることになった時に所属事務所の人間が「オーディションの落選者の中で安倍なつみがずば抜けて資質があるのでソロで売り出したいが、いきなりソロで売り出すのはちょっと早いのでしばらくグループの中でもませたい。」と語ったことを述べている[3]。実際に安倍はモーニング娘。の初期の曲のすべてでメインボーカルを務めており、中でも 『ふるさと』はモーニング娘。名義でリリースされた曲であるにもかかわらず、ソロパートがあるのが安倍1人であり、他のメンバーは単にバックコーラスを務めているに過ぎない。モーニング娘。の歴史の中でこのような例は他には存在しない。かつてつんく♂は安倍についてモーニング娘。に在籍しソロデビューもしていなかった頃、当時安倍がユニット活動に参加せずソロデビューもしない理由として、安倍が「モーニング娘。の顔であり、マザーシップだからモーニング娘。としての活動に専念させている。」としばしば語っていたが、ここでいう「顔」や「マザーシップ」は「エース」とほぼ同じ意味だと思われる。なお、安倍は歌手としてのソロ活動を開始したのはかなり遅かったものの、モーニング娘。初のCMは安倍のソロ出演CMであるSALA(カネボウ)であり、ソロでの本格的なドラマ出演やソロ写真集の発売などは、いずれもモーニング娘。のメンバーの中では安倍が初めてである。
石川梨華は、ソロ写真集の発売はモーニング娘。全歴代メンバーの中で安倍なつみに次いで2番目であり、ハロープロジェクトの歴史の中で始めて「カントリー娘。に石川梨華(モーニング娘。)」という個人の名前が入ったユニットを持つなどしていたものの、在籍時代にはセンターを務めることがあまりなかったため、必ずしもエース格とされていた訳ではないが、卒業発表から卒業までの過程において、H.P.オールスターズでのソロパートおよび歌い終わり時のセンターや2005年の新春ワイド時代劇「国盗り物語」(テレビ東京系)への出演など、エース的なメンバーが任されるような仕事に多く関わったこともあり、エース格であると認識する写真週刊誌やスポーツ紙が多くなった。石川がエース格を務めたのはグループの爆発的な人気にやや陰りが見えた時期であるため、人気の高かった時期にエースを務めた安倍・後藤と同列視すべきではないとする意見もあるが、つんく♂も雑誌の記事で石川はエースとして頑張って来たと発言している。
田中れいなについては、初参加曲である「シャボン玉」でメインを任されたことや、新ユニット「あぁ!」のリーダーを任されたことなどで、後藤真希と対比する形で「エース」として報道された。現在、高橋愛と共にシングル曲のソロパートが多いメンバーである。
2003年1月に当時ソロ歌手として活動していた藤本美貴のモーニング娘。入りが発表された時、プロデューサーのつんく♂が「紅白歌合戦でモーニング娘。のメンバーをバックに歌っている藤本を見てモーニング娘。に入れてみたいと思った」などと語ったため、マスコミで「藤本美貴、即戦力のエースとしてモーニング娘。に加入」などと報道された。
2004年9月の7期メンバーの募集時にオーディションの目的が「エースを探す」であるとされたため、その時点のモーニング娘。にはエースがいない(またはいなくなる)ことになるのかがファンの間で議論になった。結局、このオーディションは結果が該当者なしだったため、翌2005年2月に再度7期メンバーを募集し、5月1日に本グループに加入した久住小春について、つんく♂は「エースを超えるミラクル」であると評した。
マスコミでは、ハロプロ系に詳しいサンケイスポーツが「エース」の呼称を頻繁に使用し、以下のメンバーに用いられた。
- エース:安倍なつみ、後藤真希(共にソロデビュー時)、石川梨華(卒業時)、藤本美貴(セクシーオトナジャン結成時)、高橋愛(2002年7月のハロプロ改変時)
- 新エース:田中れいな(2006年以降)
- エース候補:久住小春(石川卒業時)
さらに、『モーニング娘。 ALL SINGLES COMPLETE 〜10th ANNIVERSARY〜』の紹介記事では、「LOVEマシーン」とのジャケット写真比較にて、安倍なつみを「当時のエース」、久住小春を「現エース」として報じられた。
ラブマの法則[編集]
石黒彩から安倍なつみの卒業まで、「LOVEマシーン」のシングルジャケット写真8人の立ち位置右上から6人が以下の様に並び通りの順番となった(石黒彩→市井紗耶香→中澤裕子→後藤真希→保田圭→安倍なつみ)。
飯田 | 保田 | 中澤 | 石黒 |
矢口 | 安倍 | 後藤 | 市井 |
通算3人目の卒業者となる中澤卒業後の2001年6月頃にネット上で話題となっているが、それ以前にも2人目の市井卒業時にネット上で議論されたことが確認されている。安倍卒業時にマスコミでも話題となったが、「LOVEマシーン」リリース時に在籍していない辻希美と加護亜依の卒業により法則は破られたと考えられた。だが、最初に卒業した福田明日香も「LOVEマシーン」のリリース時に在籍していなかったという反論がある上、その後飯田圭織が卒業した後にジャケット写真8人の立ち位置左下の矢口真里が最後に脱退した経過を考えると、法則は破られていないという考え方もできる。この当時に在籍していた8人で考えるのが順当と言えるかもしれない。なお、同じく石黒→市井の順で結婚をしていることから一時「ラブマの第二法則」の成立が噂されたこともあったが、こちらは2007年7月に飯田が結婚を発表(同年9月から活動休止)したことで不成立となっている。
2005年5月11日放送のフジテレビ系の番組「トリビアの泉」においてこの法則が紹介された。この際タモリが「メンバーとは何度も共演したが全然知らなかった。」と発言したが後述する経緯等からするとカマトトである可能性が高い。しかし、それ以前にもアッコにおまかせ!(TBS系)や情報プレゼンター とくダネ!(フジテレビ系)で報道していた。また、矢口が脱退した時もブロードキャスター(TBS系)内のコーナー「お父さんのためのワイドショー講座」で放送された。
メンバー自身がこの件について言及したのは、2003年4月24日にTBS系で放送された「うたばん」である。この回は保田のモーニング娘。からの卒業を主題とした構成になっており、その一環として当時のリーダーだった飯田が「LOVEマシーンのジャケットに関する噂」として話している。
楽曲オリジナルメンバー[編集]
2008年3月現在、本グループの最古参メンバーは5期メンバーの高橋愛と新垣里沙であるため、シングル曲で13枚目のシングル「Mr.Moonlight ~愛のビッグバンド~」より前の曲は、オリジナルとして歌ったメンバーが1人も現存しない(「そうだ! We're ALIVE」にカップリング曲として収録された「モーニングコーヒー(2002 ver.)」などリメイクされたものは除く)。
前述の通り、過去の曲はコンサートにて卒業メンバーのパートを引き継いだ形で歌う。なお、2005年夏のハロー!プロジェクトのコンサートでは当時の『卒業メンバー』である中澤裕子・飯田圭織・安倍なつみ・保田圭・後藤真希・石川梨華・辻希美・加護亜依が「LOVEマシーン」を披露した(この時矢口真里は司会扱いで不参加であったが、同年大晦日の第56回NHK紅白歌合戦で実現した。)。もちろん現役メンバーも同曲をコンサートで歌い続けている。
グループ内ユニット・レンタル[編集]
モーニング娘。は、グループ内ユニットとしての「タンポポ」「プッチモニ」「ミニモニ。」などの活動も活発であった。
そもそも、このグループ内ユニットとは結成からずっとメイン歌唱の安倍なつみに対してコーラス担当となっていた飯田圭織と石黒彩の歌唱力を活かすため、グループ内ユニットである「タンポポ」が発案され結成されたことが始まりである。また、追加メンバー3名からは声の相性を重視して矢口真里が選抜された。ASAYANとしての企画としても注目が集まり、「メンバーの個性を高めてモーニング娘。に還元する」循環の成功事例となった。
この成功に続いて「プッチモニ」が結成され、本グループに続くミリオンセラーとなる。続く「ミニモニ。」はハロー!プロジェクトからココナッツ娘。のミカを迎えて70万枚を超える大ヒットを記録し、成功する。この方向性をさらに進め、モーニング娘。のメンバーを既存のハロプロユニットである「カントリー娘。」に加えるレンタルを開始した。
2002年7月31日のユニット改編(ハローマゲドン。タンポポ、プッチモニ、ミニモニ。のメンバー総入れ替え。各項目を参照のこと。)はそれぞれのファンからの反発を買うことになった。その結果、改編後タンポポはシングル1曲のみ、プッチモニはアルバム収録曲のリリースはあったものの、シングルリリースなしで、両ユニットとも活動休止状態となる。またミニモニ。も改編後の路線変更を前後して売り上げは半減し、2004年5月にミカの卒業を以て活動停止した。
2004年には「エコモニ。」が結成され、環境活動限定ながらアルバム曲が収録されるなど活動を続けている。さらに2006年からはグループ内ソロユニットの「月島きらり starring 久住小春 (モーニング娘。)」やハロプロ枠内のユニット「GAM」「きら☆ぴか」「アテナ&ロビケロッツ」といったユニット活動が再開している。また、「モーニング娘。さくら組」「モーニング娘。おとめ組」もグループ内ユニットの扱いになるのかどうかは見解が分かれている。
つんくのプロデュース[編集]
つんくが正式にプロデュースに携わることでモーニング娘。の成功が確固たるものになった。LOVEマシーンから始まる3期以降の楽曲は当初その殆どが原曲が存在しており、楽曲のアレンジ、重要なサビ等に原曲のテイストがあしらわれている。モーニング娘。を支持する層にはこれらの原曲の認識はなく、素直に曲を評価するが、世代が上になると「どこかで聴いたことがある曲」となる。過去にヒットした楽曲のエッセンスを持ちこめばヒット率は高まる訳でこれは過去には秋元康がとんねるずに適用した方程式である。とはいえ、宮崎哲弥は、このことについて褒めたことがある。
「LOVEマシーン」=「Venus」バナナラマVer
「恋のダンスサイト」=「ジンギスカン」ジンギスカン
「ハッピーサマーウェディング」=「ホットスタッフ」ドナ・サマー
「ザ☆ピ~ス!」=「Never Can Say Goodbye」コミュナーズVer
円陣および気合い入れ[編集]
このグループは、ライブやテレビ番組の本番前などにメンバー全員で円陣を組み、右手を重なり合わせ、掛け声を掛け合う気合い入れを行うことが仕来りになっており、モーニング娘。の歴史において欠かすことのできない独特の習慣である。これはメンバー間の絆や結束力を高め鼓舞し、『最高のパフォーマンスをしよう』という意思確認の目的で結成当時から行われており、ファンの間でも有名である。
- がんばっていきまっしょい!!
- 円陣を組み、リーダーが差し出した手の上から他のメンバーが手を重ね、『がんばっていきまっ』(リーダー格のメンバー)『しょい!!』(メンバー全員)という掛け声を合わせる。この気合い入れはモーニング娘。のライブDVDや「ASAYAN」「ミュージックステーション」などでも公開されている。通常は舞台裏で行われるが、2006年の第57回NHK紅白歌合戦ではステージ上で行われた。これは敷村良子原作で1995年に坊っちゃん文学賞を受賞した小説「がんばっていきまっしょい」が由来である。1998年にはこの小説も映画化され、これが縁で飯田圭織と同映画主演の田中麗奈が親友になった。
- ダンシング シンギング エキサイティング
- こちらは主にハロプロライブの時にハロプロメンバー全員での気合い入れ時の掛け声である。メンバー全員で両手を繋ぐように円を作り、一斉に掛け声を合わせる形を取っている。『ダンシング シンギング エキサイティング』(リーダー格のメンバー)『ダンシング シンギング エキサイティング、オー!』(メンバー全員)という形になる。こちらも度々ハロプロのライブDVDなどに収録されている。
また、モーニング娘。さくら組とモーニング娘。おとめ組には下記の気合い入れも行っていた。
- 気持ちを合わせて頑張っていきますさくら
- モーニング娘。さくら組の気合い入れ。『気持ちを合わせて頑張っていきます』(リーダー格のメンバー)『さくら』(メンバー全員)。
- おとめファイト
- モーニング娘。おとめ組の気合い入れ。『おとめ』(リーダー格のメンバー)『ファイト』(メンバー全員)。
この他にも、ハロプロの各グループ毎に独特の気合い入れや掛け声が存在する。
主な記録[編集]
オリコン記録[編集]
- シングル記録
このグループは、女性グループとして以下のオリコンのシングル主要5部門でトップ記録を独占している。
- 女性グループシングルCD総売り上げ第1位
- 2007年4月発売の33枚目のシングル『悲しみトワイライト』の初登場週においてシングルCD総売り上げ1,103.7万枚を達成し、1,108.5万枚となり、それまで1位だったピンク・レディーを抜いて1位を達成した。なお、同曲は5月7日付けのオリコンシングルチャートで初登場2位を記録している。なお、通算CDセールスが1,000万枚を突破したのはピンク・レディー、SPEEDに続き女性グループ史上3組目である(19枚目のシングル『シャボン玉』にて1,000万枚を突破)。
- 女性グループシングルCDオリコン1位回数:10作(歴代最多)
- 2003年4月に18枚目のシングル『AS FOR ONE DAY』で1位だったピンク・レディーとタイ記録となり、2006年11月に31枚目のシングル『歩いてる』において、ピンク・レディーを抜き単独1位になった。
- 女性グループシングルCDオリコン1位連続年:6年(1998年 - 2003年)
- 1998年9月の3枚目のシングル『抱いてHOLD ON ME!』で記録が始まり、2000年1月に8枚目のシングル『恋のダンスサイト』でそれまで1位だったピンク・レディーおよびプリンセス・プリンセスの持っていた記録3年とトップタイとなり、2001年8月の12枚目のシングル『ザ☆ピ~ス!』で単独1位を達成し、2003年4月の18枚目のシングル「AS FOR ONE DAY」まで継続したが、2004年にオリコン1位を達成した曲がなかったため、記録が中断した。
- 女性グループシングルCDオリコントップ10回数:35作すべて(歴代最多)
- 2002年11月に15枚目のシングル『Do it! Now』でそれまで1位だったMAXおよびWinkとトップタイを達成し、16枚目のシングル「ここにいるぜぇ!」で単独1位を達成した。この34作はソロアーティストも含めた女性アーティスト部門では歴代単独2位になる(1位は浜崎あゆみの40作)。33枚目のシングル『悲しみトワイライト』で小泉今日子および安室奈美恵と並ぶ歴代2位タイとなり、34枚目のシングル『女に 幸あれ』で歴代単独2位を達成した。
- 女性グループシングルCDオリコン連続トップ10獲得年数:10年(歴代最長)
- 1998年1月のデビューシングル『モーニングコーヒー』で記録が始まり、2003年2月の17枚目のシングル『モーニング娘。のひょっこりひょうたん島』でそれまで1位だったMAXの6年と並ぶトップタイとなり、2004年2月発売の21枚目のシングル「愛あらばIT'S ALL RIGHT」で単独1位を達成した。そして、2007年2月発売の32枚目のシングル「笑顔YESヌード」で記録を10年に伸ばし、現在も継続中である。
シングルについては他に以下の記録がある。
- 女性グループシングルCDオリコン連続トップ5記録:33作
- 1998年5月27日発売の2枚目のシングル「サマーナイトタウン」で記録が始まり、2007年7月25日発売の34枚目のシングル「女に 幸あれ」まで継続したが、2007年11月21日発売の35枚目のシングル「みかん」が発売1週目で6位だったため、記録は中断するものと思われる。
- アルバム記録
アルバムについても以下の2部門でトップ記録を有しており、シングルの記録とあわせて「7冠」とされることもある。
- 女性グループアルバム連続TOP10獲得年数:10年(1998年~2007年)
- 1998年、ファーストアルバム「ファーストタイム」で記録が始まり、2007年、「SEXY 8 BEAT」で達成した。
- 女性グループアルバム通算TOP10獲得作品数:11作(歴代1位タイ)
- 1998年、ファーストアルバム「ファーストタイム」で記録が始まり、2007年11月、「モーニング娘。 ALL SINGLES COMPLETE 〜10th ANNIVERSARY〜」で通算11作目となり、プリンセス・プリンセスと並ぶ女性グループ歴代1位タイ記録となった。
- その他の記録
- ミュージックDVDオリコン1位回数:12作
世界記録[編集]
- 『1店舗における同一CDの1日の売り上げ枚数』の世界記録:15,612枚(1997年11月3日大阪・HMV心斎橋での「愛の種」手売りイベントにおいて)
NHK紅白歌合戦関係[編集]
- 女性グループとして最多出場:10回(1998年 - 2007年)
- 最多初出場(3回):後藤真希(モーニング娘。、後藤真希、DEF.DIVA)(1999年の第50回、2003年の第54回、2005年の第56回)、藤本美貴(藤本美貴、モーニング娘。、GAM)(2002年の第53回、2003年の第54回、2006年の第57回)
- 平成生まれの出場歌手第1号:田中れいな、道重さゆみ(2003年の第54回)
獲得音楽賞[編集]
- 日本ゴールドディスク大賞7年連続(1998年 - 2004年)
- ベストヒットアーティスト8年連続(1998年 - 2005年)
- 第40回日本レコード大賞最優秀新人賞(1998年)
- 第31回全日本有線放送大賞「新人賞」(1998年)
- 第13回日本ゴールドディスク大賞「ニューアーティスト・オブ・ザ・イヤー」(1999年)
- 第36回ゴールデン・アロー賞「音楽新人賞」(1998年)
- 第32・33回日本有線大賞「有線音楽優秀賞」(1999年・2000年)
- 第41回日本レコード大賞「優秀作品賞」(1999年)
- 第37回ゴールデン・アロー賞「音楽賞」(1999年)
- 第14回日本ゴールドディスク大賞「ソング・オブ・ザ・イヤー」(ちょこっとLOVE・LOVEマシーン・恋のダンスサイト)(2000年)
- 第42回日本レコード大賞「優秀作品賞」(恋のダンスサイト)および「特別賞」 (2000年)
- 第24回日本アカデミー賞「新人俳優賞」および「話題賞」(モー娘。走る!ピンチランナー) (2001年)
- 第15回日本ゴールドディスク大賞「ソング・オブ・ザ・イヤー」(ハッピーサマーウェディング)(2001年)
- 第44回日本レコード大賞「特別賞」(Hello! Projectとして受賞)(2002年)
新聞記事・広告[編集]
- モーニング娘。は、スポーツ紙の他、2000年頃から一般紙の記事や広告に何度か掲載している。
- 一般紙の中でもよく記事や広告を掲載するのは読売新聞だが、下記の様な企画も行われた。
- 2000年12月28日付けの夕刊には、20世紀末に因み「モーニング娘。のゆく世紀・くる世紀」が掲載された。
- 2002年のミュージカル「モーニング・タウン」にはキリンビバレッジとのスポンサーを務めた。この時期読売新聞の新規購読者には特典として「モーニング娘。目覚し時計。」が配布されており、同年1月には既存の購読者にもモーニング娘。のポスターやカレンダーが配布されていた。
- 2007年1月16日付けの朝刊には、見開きの2ページにわたってモーニング娘。結成10年をアピールする全面広告が掲載された。内閣の組閣写真を模した写真に1~8期の全メンバー23人の巨大な顔がコラージュされた写真が使われ、中央に「それではいっしょに唄いましょう。」、下に「構造改革は行いますが、解散は致しません。今年9月に10周年を迎えるモーニング娘。です」というキャッチコピーが添えられた。なお、この広告は同日、日本経済新聞(東日本のみ)の朝刊にも掲載された。
- なお、読売新聞2000年7月18日夕刊に掲載された中澤裕子単独インタビューでは、一般紙として初めてモーニング娘。に「国民的アイドル」の表記を使用した(別冊宝島608「モーニング娘。バイブル」(宝島社)の調査による)。
- 2007年3月24日付けの朝日新聞夕刊には、1面広告で8枚目のアルバム「SEXY 8 BEAT」の宣伝を行った。
その他[編集]
- メンバーの平均身長は一般人女性とほぼ同じで、同年代の女性芸能人より背が低い。歴代メンバー25人のうち身長が160cm以上あるのは石黒彩・飯田圭織・吉澤ひとみ・道重さゆみ・久住小春・ジュンジュンの6人のみである。身長差の最大は歴代通算では飯田と矢口真里の24cm差、現役メンバーではジュンジュンと田中れいなの18cm差である。
- 中学生メンバーは茶髪・ピアスは禁止。中学生時代にピアスを付けていたのは後藤真希(中2:オーディション時~1999年暮れ)と田中(中1:オーディション時、中3:2005年~)と吉澤(中3:2000年10月~)だった。また、石黒は耳の他に鼻にもピアスをしていた。
- 歴代メンバー出身地を都道府県別に分けると、最も多いのは北海道で、石黒・飯田・安倍・紺野・藤本の5名を輩出しており、結成時から紺野卒業時までは常に2名以上のメンバーが同時に在籍していた(最高時は石黒以外の4名、2007年6月に藤本が辞めたことにより、結成以来初めて「北海道出身のメンバーが1人も在籍していない」状況になった。)。以下、東京の4名(福田・後藤・辻・亀井、同時在籍は「後藤・辻」と「辻・亀井」のみ)、神奈川の3名(矢口・石川・新垣、全員が同時在籍していた時期が長いが、最多タイ止まり)と続く。小川麻琴の卒業により2006年9月時点のメンバーは史上初めて全員の出身都道府県が異なるという状態となった。同年12月加入の光井愛佳も既存の誰とも重ならず、また留学生2名も出身省(日本の都道府県に相当)が異なるため、2007年3月以降もこの状態は継続中である(高橋=福井、新垣=神奈川、田中=福岡、道重=山口、亀井=東京、久住=新潟、光井=滋賀、ジュンジュン=湖南、リンリン=浙江)。
- 2003年6月3日、神奈川県横浜市と日本演劇興行協会が構造改革特区の1つとして午後10時まで延長する「子役特区」を提案した。鴻池祥肇特区担当大臣が「モーニング娘。特区」と名付け、実施を目指していたが、坂口力厚生労働大臣は「義務教育を受けるためにも限界がある」と慎重な姿勢を示していた。内閣府で行われた同年9月3日の会談で、坂口厚労相が「9時までは認める」と述べたのに対し、鴻池担当相が「それでいいです」と応じたという。これにより、2004年11月16日の労働政策審議会に対する答申にて、2005年1月1日より全国的に演劇などへの13歳未満の子役の出演が従来の午後8時までから午後9時までに延長されることになった。
- 2004年1月23日、テレビ東京の菅谷定彦社長(当時)は年頭の記者懇親会で「藤本美貴と石川梨華のツートップにするのがいいんじゃないか。そうすれば(今後も)大丈夫だ。」と発言し、同局がこれからもモーニング娘。などのつんくファミリーをリードしたい意思を示した。しかし、モーニング娘。出演のテレビ東京系レギュラー番組は、権利上の問題から、BSジャパンでは放送されていない(過去に同局で放送されたのは同局との共同制作だった「MUSIX!」と単発番組の一部などごくわずか)ことや、系列局の少なさもあり、テレビ東京とアップフロントグループは必ずしも蜜月関係とはいえない。
- モーニング娘。は海外にも熱狂的ファンが多数存在し、特にアジア(主に台湾、香港、韓国)では他の日本人アイドルと共に人気が高い(中国語圏での表記は早安少女組。なお、この表記については2007年5月20日のハロモニ@で取り上げられた。)。ただし、エイベックスやジャニーズ事務所などと比較すると当該地域へのプロモーション活動はあまり積極的とはいえなかったが、2006年7月に卒業メンバーの後藤真希が韓国で同国のファンを相手にイベントを開催し、11月には同国でライブを開催した。モーニング娘。も同年12月10日の光井加入時に「2007年は結成10周年の年であり、2007年をアジアの中の日本として位置付ける」ことや、翌2007年3月15日に中国人留学生のジュンジュンとリンリンが加入したこともあり、今後もハロプロ全体でアジア戦略を模索している。
- その他に英語・フランス語・ドイツ語でのファンサイトも存在し、日本を「クール」と見る諸外国の人々からは一定の認知を受け世界的なアイドルスターと言える。
- アジア圏のファンから長らく待ち望まれていたモーニング娘。のアジア進出が2007年10月より、いよいよ具体的に動き出す事となった。まずは2007年10月26~28日の3日間を高橋・新垣・久住の3名で韓国を、10月29~31日の3日間をメンバー9人全員で台湾を訪問。10周年ベストアルバムが両国で公式リリースされる為、そのプロモーションとして実現した。両国ともに多数のメディア取材があり、TV・ラジオ出演などを精力的にこなした。また熱狂的なファンが空港の出待ちや握手会に多数押し寄せ、改めてその現地での人気の高さを証明した。なお台湾では公式ファンクラブイベントがあり、ファンの前で4曲を披露した。
- 2003年9月にモーニング娘。およびハロー!プロジェクトのメンバーによる芸能人フットサルチーム『Gatas Brilhantes H.P.』(現在同チームからのモーニング娘。メンバーはなし)が結成され、現在では他の芸能プロダクションを巻き込んで芸能界全体がフットサルで盛り上がっている。さらに2006年1月にはキックベースボールチーム「メトロラビッツH.P.」も結成している。
- 自衛官募集のポスターでは、起用された有名人が自衛官の制服を着て写っているのが通例だが(細川ふみえや岡田有希子の例)、モーニング娘。はそのポスターで初めて通例が破られる形(自衛官制服非着用)でポスターに採用された。
- モーニング娘。は男性や子供達のファンが多いことで、メンバーの色恋沙汰はご法度であり、グループ在籍期間の間は男女の交際そのものが禁止とされる。中澤裕子でさえ、芸能界デビュー以降の恋愛談義は御法度であり、メンバーがテレビ番組で恋愛の話をすることはないが、容赦なく話す共演者が多いのが現状である。2000年には安倍なつみが押尾学の自宅マンションに出入りしたことが写真週刊誌「FOCUS」に掲載され、それを受け事務所が「アイドルの自覚が足りないと注意した」ことが「スポーツ報知」に報じられた。また、石黒彩もかつて「恋人ができたら解雇だと言われた」と番組で告白したことがある。特にリーダーの地位にある場合は他のメンバーの規範となることが求められるため、在任中に恋愛スキャンダルが発覚した3代目リーダーの矢口真里と5代目リーダーの藤本美貴はともに脱退に追い込まれている。ただし、公式の理由は恋愛ではない。未成年が多いグループでの自覚なき行動(直接に恋愛とは書けるはずがないので)で、あくまで「個人の自覚」や「業界のお約束事」の範疇である。
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ↑ 黄緑への変更は2012年7月4日に発表された。
- ↑ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「oricon20120728
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 別冊宝島608「モーニング娘。バイブル」(宝島社、2001年9月29日発行)に収録された桜井鉄太郎のインタビュー