「郷ひろみ」の版間の差分
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* [[2005年]]3月、久々に芸能活動再開を宣言し新曲発売。同年4月、二度目の離婚を発表。 | * [[2005年]]3月、久々に芸能活動再開を宣言し新曲発売。同年4月、二度目の離婚を発表。 | ||
* [[2006年]]5月、[[埼玉スタジアム2002|埼玉スタジアム]]で行われた[[キリンカップ]]2006「日本VSスコットランド」戦において[[国歌独唱]]。全身ブルーのスーツで登場し歌い終わった後には、[[日本サッカー協会|JFA]]のフラッグを縫い付けたお得意の[[ジャケット]]プレイでパフォーマンス。スタジアムをどよめきで沸かせた。 | * [[2006年]]5月、[[埼玉スタジアム2002|埼玉スタジアム]]で行われた[[キリンカップ]]2006「日本VSスコットランド」戦において[[国歌独唱]]。全身ブルーのスーツで登場し歌い終わった後には、[[日本サッカー協会|JFA]]のフラッグを縫い付けたお得意の[[ジャケット]]プレイでパフォーマンス。スタジアムをどよめきで沸かせた。 | ||
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* [[2001年]] 5月、二谷友里恵が沈黙を破り離婚後の心境を綴った『楯』 ([[文藝春秋]]) を発売し、郷との確執が明らかになった。内容について郷は、「子供たちのために反論しない」とノーコメントを通した。 | * [[2001年]] 5月、二谷友里恵が沈黙を破り離婚後の心境を綴った『楯』 ([[文藝春秋]]) を発売し、郷との確執が明らかになった。内容について郷は、「子供たちのために反論しない」とノーコメントを通した。 | ||
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* [[2004年]]12月、郷は二谷に対し、離婚に際して交わした娘2人の養育費1億5000万円 (各7500万円) を信託銀行に預託するとの取り決めを実行していないことや、郷が娘に会う面会権を妨害され精神的損害を受けたとして2000万円を請求する訴訟を起こす。この訴訟は2006年5月中旬、「父親とは会いたくない」という子供(娘2人)の証言が決めてとなり、敗色濃厚となった郷が和解を申し出たが、二谷側がこれを拒否したため、郷が訴えを取り下げる形で決着した。 | * [[2004年]]12月、郷は二谷に対し、離婚に際して交わした娘2人の養育費1億5000万円 (各7500万円) を信託銀行に預託するとの取り決めを実行していないことや、郷が娘に会う面会権を妨害され精神的損害を受けたとして2000万円を請求する訴訟を起こす。この訴訟は2006年5月中旬、「父親とは会いたくない」という子供(娘2人)の証言が決めてとなり、敗色濃厚となった郷が和解を申し出たが、二谷側がこれを拒否したため、郷が訴えを取り下げる形で決着した。 | ||
* [[2005年]] 4月21日、芸能活動再開と同時に二度目の離婚を発表。慰謝料はなし。「僕はこれからもなおいっそう努力して郷ひろみを極める。」と発言した。 | * [[2005年]] 4月21日、芸能活動再開と同時に二度目の離婚を発表。慰謝料はなし。「僕はこれからもなおいっそう努力して郷ひろみを極める。」と発言した。 | ||
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* [[2012年]]1月、ツーショット写真等、2度にわたり女性週刊誌にスクープされ、徳武利奈との交際が明るみになる。 | * [[2012年]]1月、ツーショット写真等、2度にわたり女性週刊誌にスクープされ、徳武利奈との交際が明るみになる。 | ||
* [[2012年]]3月31日、交際していた元タレントで化粧品会社OL、徳武利奈との入籍を、公式ホームページで発表。郷にとっては3度目の結婚である。 | * [[2012年]]3月31日、交際していた元タレントで化粧品会社OL、徳武利奈との入籍を、公式ホームページで発表。郷にとっては3度目の結婚である。 | ||
− | * [[2013年]] | + | * [[2013年]]1月19日、結婚発表から10か月、芸能関係者ら約400人を招いた結婚披露宴を帝国ホテルで行った。 |
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*[[めちゃ×2イケてるッ!]]・[[2億4千万の瞳]]そして[[青い珊瑚礁 (曲)|青い珊瑚礁]]スペシャル(2008年、フジテレビ)学校の生徒 | *[[めちゃ×2イケてるッ!]]・[[2億4千万の瞳]]そして[[青い珊瑚礁 (曲)|青い珊瑚礁]]スペシャル(2008年、フジテレビ)学校の生徒 | ||
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2023年12月29日 (金) 20:00時点における最新版
郷 ひろみ(ごう ひろみ、本名:原武 裕美(はらたけ ひろみ)、1955年10月18日 - )は、福岡県糟屋郡須恵町生まれの日本の歌手、俳優。
目次
生い立ち[編集]
- 祖父が、苗字の「原武」が男性的で硬いのでバランスを考え「裕美」と優しい名前を付けた。
- 母親はスパルタ教育で、厳しく躾けられて育った。
- 旧国鉄職員の父親の転勤で5才の時に福岡から上京し、JR京浜東北線大井町駅に隣接する当時の国鉄大井工場敷地内に建つ社宅へ転居する。
- 京浜急行大井町駅近く、大正5年(1916年)10月18日開校の品川区立山中小学校卒業。
- 品川区立伊藤中学校卒業。中学生時代には友人と、ハーキュリーズ(Hercules)という野球チームを作っていた。
- 日本大学櫻丘高等学校に入学し野球部に所属。芸能活動多忙により一学期終了後、当時の堀越学園芸能コースに転校、5年かけて堀越高等学校を卒業。日本大学芸術学部演劇学科を目指すが結局法学部に進学し、日本大学法学部(夜間部)経営法学科中退。
- 近所の人が映画出演者募集に写真応募しオーディションに行く途中、嫌がったら母親から「それでも九州男児か!」と銀座路上でビンタされて会場に行く。オーディションは落ちたが、審査員にいたジャニー喜多川にスカウトされる。
- 公表身長は178cm。血液型はA型。
略歴[編集]
- 1972年1月にNHK大河ドラマ『新・平家物語』で俳優として芸能界デビュー後、同年8月1日に『男の子女の子』で歌手デビューを果たすと、いきなりオリコンでベストテン入り。ジャニーズ事務所に所属し、当時人気絶頂だったフォーリーブスの後継者としての活躍が期待された。芸名の「郷」は、「5人目のフォーリーブス」という意味もかけていると言われる。女の子に間違えられる位に甘美で可愛らしいルックスと、鼻にかかった独特の歌声が、若い女性に絶大なる人気を博し、一躍トップアイドルになる。年末には『日本レコード大賞』新人賞に選出され本選出場。
- 野口五郎、西城秀樹とともに新御三家と呼ばれて一世を風靡し、音楽番組以外に日本テレビ系『カックラキン大放送』などのバラエティ番組でも共演した。またテレビドラマにも多数出演し、まさに男性アイドルの典型でかつ象徴的な存在として、1973年、1977年の「ブロマイド」の年間売上実績でNo.1に輝いた。さらに集英社の月刊雑誌『明星』掲載の「アイドル人気投票」では、9年連続1位を獲得した。ファンによる親衛隊も多く誕生。代表的なグループは赤いハッピの「ヒロミックガールズ」や、東京と大阪に存在した「HEY GO」など。
- 『小さな体験』、『愛への出発』、『裸のビーナス』(1973年)、『花とみつばち』、『よろしく哀愁』(1974年)、『誘われてフラメンコ』(1975年)、『マイレディー』(1979年)、『How many いい顔』(1980年)、『お嫁サンバ』(1981年)などがアイドル時代の代表的なヒット曲。
- 1975年、ジャニーズ事務所から現在の事務所バーニングプロダクションに移籍した。所属レコード会社はソニー・ミュージックエンタテインメント(旧・CBSソニー)。ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川はこの騒動で体調を崩すほどショックを受けたと言われている。この間の経緯については郷の著書『たったひとり』(1980年)に記述がある。
- 1977年、『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』で知られる久世光彦演出作品のTBS系人気バラエティードラマ『ムー』(翌1978年、続編『ムー一族』)に主演。共演者である樹木希林とデュエットした番組挿入歌『お化けのロック』、『林檎殺人事件』も大ヒット。コミカルな新境地をみせる。
- 1978年、ベストドレッサー賞の特別賞を受賞。
- 1980年代には、『素敵にシンデレラ・コンプレックス』(1983年)、『2億4千万の瞳』(1984年)などのヒットもさることながら、西城秀樹の『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』の大ヒットに刺激されて『哀愁のカサブランカ』、『哀しみの黒い瞳』(1982年)、『ケアレス・ウィスパー』(1984年)などの洋楽でバラード曲のカヴァーを次々と発売し、アイドル歌手から大人の魅力を持った本格派歌手への脱皮を図る。またこの頃ボイストレーニングに渡米し、ブレス使いを学んで力まずに声を出す手法を会得し、スローバラードも聴かせられるほど歌唱力がアップした。このことは1990年代中頃のバラード3部作のヒットにも大きな影響力をもたらしたと言えるだろう。
- 1982年にTBS系音楽番組「ザ・ベストテン」等ランキング番組への出演を拒否。絶大な人気を誇っていたテレビ番組への出演拒否は人気の面に悪影響も及ぼしたとされる。
- 1984年、初代ベストジーニスト賞に輝く。
- 1985年 1月、交際を公にしていた松田聖子が単独破局会見を開き、破局が公になる。
- 1985年 9月、二谷友里恵に出会いスピードプロポーズ。11月、翌年3月以降芸能活動を休止して渡米を告知。12月、ホノルルマラソンを完走。
- 1986年、主演した映画「鑓の権三」(篠田正浩監督)がベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞する。
- 1986年 3月、単身ニューヨークへ出発し、1年弱滞在する。
- 1987年 6月、女優の二谷友里恵と結婚する。結婚披露宴の模様をフジテレビが中継し、47.6%という記録的な視聴率をあげた。その後、二谷友里恵は芸能界を引退し、生活の拠点を主にニューヨークに置き、2女を儲ける。
- 1994年前後にTBS系ドラマ『お見合いの達人』の主題歌『言えないよ』、『逢いたくてしかたない』などのバラード3部作がヒット。
- 1998年、二谷友里恵と離婚する。その経緯を告白本にし『ダディ』を出版、ミリオンセラーとなり出版元の幻冬舎の躍進に大きく貢献したとされる。
- 1999年、リッキー・マーティンの世界的ヒット曲『Livin' La Vida Loca』の日本語版『GOLDFINGER '99』のプロモーションとして、渋谷で警察に無許可でゲリラライブを行い刑事事件に発展。
- 1999年、『GOLDFINGER '99』の歌唱により『日本レコード大賞』最優秀歌唱賞を受賞。1976年の『あなたがいたから僕がいた』で大衆賞を受賞して以来となるレコード大賞の舞台に立った。
- 2000年10月、松田聖子とのデュエット曲を発売。同時にニューヨークの資産家令嬢との再婚を発表。11月、NYフォーシーズンズホテルにて近親者だけで挙式と披露宴をした。
- 2001年3月、今年いっぱいで芸能活動を休止し、新妻と共に再びニューヨークへ移住することを発表。
- 2001年12月、紅白歌合戦が最後の仕事となり、以降一般には「高須クリニック」のCMでのみ姿が見られる状態に。院長の高須克弥とは30年来の付き合い。
- 2003年、2004年には、活動休止中ではあるが、非公式で首都圏でのファンクラブ限定出稼ぎコンサートツアーは行っていた。2004年に自身のパチンコ台も発売している。
- 2005年3月、久々に芸能活動再開を宣言し新曲発売。同年4月、二度目の離婚を発表。
- 2006年5月、埼玉スタジアムで行われたキリンカップ2006「日本VSスコットランド」戦において国歌独唱。全身ブルーのスーツで登場し歌い終わった後には、JFAのフラッグを縫い付けたお得意のジャケットプレイでパフォーマンス。スタジアムをどよめきで沸かせた。
- 2006年9月、デビュー35周年記念ライブとして、東京・日比谷野外音楽堂など全国6か所で8公演を開催。
- 2007年 、1995年12月に開催したチャリティディナーライブをきっかけに、その後ファンクラブイベントでのチャリティーオークション、募金の呼びかけ等を実施し、アジアの恵まれない子供達のためのボランティア団体カスパスを通して寄付を続け、フィリピンにおいて4つの学校の建設に貢献したことを公にした。自分の年齢の数だけ(51歳×1万円)好きなものに使えるという日本テレビ「トシガイ」の番組企画において、フィリピンの学校に初めて訪問し、子供たちから熱烈な歓迎を受ける。51万円で子供たちに文房具、Tシャツなどをプレゼントした。これからもライフワークにしていきたいと語った。
- 2007年5月、『Come On Baby』を国土交通省の「ビジット・ジャパン」のキャンペーンソングとして楽曲提供したことにより表彰された。
- 2007年5月30日、藤原紀香と陣内智則の結婚披露宴でスペシャルゲストとして『お嫁サンバ』を披露した。同披露宴は日本テレビで中継され高視聴率を叩き出した。
- 2007年9月、埼玉スーパーアリーナで開かれた、世界最大級のファッションフェスティバル「第五回東京ガールズコレクション」のライブの大トリを務めた。軽快なダンスと共に『お嫁サンバ』、『Boom Boom Boom』、『GOLDFINGER 2001』の3曲を披露した。郷の登場で2万5000人の観衆のボルテージは“最高潮”に達した。
- 2007年度「ネイルクイーン・協会特別賞」を受賞。
- 2008年5月、温泉施設ラクーアで「開業5周年記念イベント」に登場した。「5」にちなんだアーティストのシークレットライブというふれこみで、5月5日、5時55分の時報とともに、ステージに現れると、会場は一気に沸騰した。『2億4千万の瞳』、『お嫁サンバ』、『GOLDFINGER 2001』に加え、HIPHOPミュージシャンの童子-T氏が手がけた郷自身初のR&Bテイストのナンバーである、5月14日リリースの新曲『君だけを feat.童子-T』を熱唱する姿は、会場を埋めた5000人のファンを魅了した。
- 2009年9月2日、刑事事件に発展した渋谷の不祥事から10年、大阪・道頓堀のグリコ看板前に船で現れ、ゲリラ風新曲イベントを開いた。
エピソード[編集]
- デビュー当時、週刊誌で自分はマザコンであることを告白。80年代に坂本龍一との雑誌対談で、初体験は20歳の頃ソープランドだったと告白し、いずれも話題になった。近年ではアダルトビデオの類は観たことがないと言っている。
- フォーリーブスの一員だった江木俊夫は、自著の中で「ジャニーズ事務所に最大の利益を与えたのはSMAPだろうが、ジャニー喜多川さんが今でも理想のアイドル像として思い描いているのは郷ひろみだろう」と述べている。
- 20代の頃、山口百恵に密かな恋心を抱いていたが無視され続けたという苦い経験を持っている。百恵にプレゼントした本の中に電話番号を記し口説こうと試みたが、相手にされなかったエピソードを近年トークで打ち明けた。
- アイドル水泳大会では競泳など多くの競技に出場し、特にフジテレビの番組では「ミスター水泳大会」と呼ばれた。しかし、若い女学生ファンの間では、スポーツ部の西城秀樹、文化部の野口五郎に対して、帰宅部の郷ひろみと評されることがあった。
- 『8時だョ!全員集合』などのバラエティー番組では、突然ピントがずれた高笑いするなどアイドルらしからぬ奇人変人ぶりを発揮した。
- 『2億4千万の瞳』は当時の国鉄のキャンペーンに使われたが、これは郷の父親が国鉄職員であった縁によるとされる。その後、郷の父親は昇進試験を受け、東京駅の助役を務めあげた。2007年にはこの曲をアレンジしたものがBSデジタル放送3000万台突破記念キャンペーンソングとして用いられている。
- KINCHOの「キンチョール」のCMで横山やすし・柄本明らと共演。中でも「ムシムシコロコロ キンチョール」「ハエハエカカカ キンチョール」のセリフは流行語になった。
- 『獣は裸になりたがる』のジャケット写真撮影のため、特殊メイクで自ら「獣」になった。この新曲キャンペーンで、フジテレビ系バラエティー番組『笑う犬の冒険』の「はっぱ隊」のコーナーに出演。裸で股間に郷特製ゴールデンリーフを付け、YATTA!の歌を踊った。
- 2005年フジテレビFNS歌謡祭に出演、アメリカでの充電後、久々のテレビ出演。ヒットメドレー数曲歌った。彼独特のパワフルなステージパフォーマンス「高速でジャケットを脱いだり着たり」「櫛で髪をとく」「首を左右に動かす」なども健在で、メドレー中盤『2億4千万の瞳』、『GOLDFINGER '99』を歌い出だしたころには会場に居るジャニーズの後輩たちが立ち上がって彼に声援を送る程、会場が一体となって盛り上がった。
- NHKの『英語でしゃべらナイト』に出演し、流暢なニューヨーク仕込みの英語を披露した。司会のパックンには「大学生レベルの英語」と絶賛される。 英語で「考える・行動する・継続する」という人生の哲学を語った。同番組内で新曲『Come On Baby』の英語バージョンを披露した。
- 2007年5月21日放送の『SMAP×SMAP』のエンディングでSMAPと競演、5月23日放送の『めざましテレビ』で生ライブを行い、5月25日放送の『僕らの音楽-OUR MUSIC-』では話題のDJ OZMAと対談するなど、フジテレビの各番組で新曲の『Boom Boom Boom』の発売をアピールした。
- 2007年6月、「お嫁サンバ」の歌詞「恋する女はきれいさ…」の「女」の部分に100種類の女性の名前を入れた「着うた」の配信を開始。かつての交際相手「せいこ」 (松田聖子) 、元妻「ゆりえ」 (二谷友里恵) 、前妻の「なみ」 (大根田名美) の名前もエントリーされた。藤原紀香と陣内智則の披露宴で「恋する紀香は…」と歌ったのが反響を呼び、「着うた要望が殺到したから」と説明された。
- 2007年7月、出演したマンダムのCMで、元恋人松田聖子の曲「青い珊瑚礁」の替え歌を歌う。CM発表会では、「僕がまさかOKするとはメーカーさんも思っていなかったんじゃない?」と答えた。11月の『ベストヒット歌謡祭』でもメドレー冒頭で「青い珊瑚礁」を歌った。
- 2008年4月5日の放送のフジテレビ『めちゃ×2イケてるッ!・2億4千万の瞳そして青い珊瑚礁スペシャル』の「めちゃ×2イケメンパラダイス学園」のコーナーでは、郷を終始メインに据え、現役アイドルぶりとともに、歌謡界における「真のスーパースター」の姿を見せ付けた。
- 2009年3月9日、『しゃべくり007』に出演した際、「2人目の子どもができて以来、17年間エッチしていない」、「AVは観たことないし一切持っていない。」、「今までの5人としか付き合ったことがない。ワンナイトラブを含めても基本的には5人。水を飲めば性欲を抑えることができる。」と回答した。
夜のヒットスタジオ[編集]
郷ひろみの芸能活動の足跡を語る上で外せない音楽番組にフジテレビ系の『夜のヒットスタジオ』がある(フジテレビはこれ以外にも様々な番組で郷ひろみをメインに取り上げ、支援し続けている)。
- 番組への初出演は1972年の末、デビュー作の『男の子女の子』ではなく、2作目の『小さな体験』での出演であった。ジャニーズ事務所の「アイドルを夜の番組にはあまり出演させたくない」という方針から、同じ新御三家でライバルの西城秀樹・野口五郎と比べて出演機会が少なかったが、1976年のバーニングプロ移籍を機に、原則として月1回のペースで出演するようになった。1982年にランキング番組への出演辞退を表明した後も、夜ヒットに限っては、大抵は本編・オープニングメドレーでトリをつとめたり、派手な演出を用意されるなどの厚遇を受け、1970年代後半~1980年代にかけて、出演回数の多さ、番組への寄与度の大きさなどから、出演数でも布施明・五木ひろし・沢田研二・西城秀樹と肩を並べ、その中でも「ミスター夜ヒット」的存在として最も重要視される歌手であった(最終出演は1990年6月27日、総出演回数は175回)。そのため、番組内では数多くのエピソードを残している。
- ジャニーズ所属時代、オープニングメドレーの際に、次にバトンを渡す橋幸夫を「舟木一夫さん」と間違って紹介してしまい、放送終了後、橋サイトから相当にクレームが付いた(1974年7月1日放送)。
- 「禁猟区」でスタジオを駆け回り、最後は副調整室に繋がる階段を駆け上がる演出。「バイブレーション」「地上の恋人」では初めてスタジオに雨を降らせ濡れながらの歌唱。「ハリウッドスキャンダル」での山口百恵をエスコートしての歌唱や電飾ギラギラなステージ等、1978年頃より過激かつ派手な演出が多くなった。ちなみにライバル番組「ザ・ベストテン」が始まったのが1978年。同じアイドル歌手では、沢田研二が新曲のたびに派手なメークや衣装、自前の小道具等を使って一世を風靡していったのもこの時期からで、因果関係は少なからずある。
- 1980年、1ヶ月間のニューヨーク充電から帰国すると、オープニングメドレーには参加せず、司会者が冒頭で重大発表があるらしいと煽り、いきなりバルーンが割れて登場し曲を披露した。重大発表とはアフロヘアーからソフトリーゼントに髪型を変えたことだった。1984年にもニューヨークから帰国直後の出演で、眉毛まで染めた金髪ヘアーを初披露。80年代は、髭とアフロ、ソフトリーゼント、テクノ系パーマ、リーゼント(ジェームスディーン型)、金髪等、ニューヨークから帰国するたびに髪型等でイメージチェンジをはかり、話題を提供している。
- 1981年2月16日、司会の井上順が休みのため、代打司会者として芳村真理の相手役を務める。この際、郷は歌を披露せず司会役に徹して出演したが、野口五郎の歌の時バックで、当時新人で人気アイドルだった松田聖子と木陰で2ショットで会話する演出に参加したため、必然的に主役の野口よりも目立った。
- 1982年、「哀愁のカサブランカ」を披露する際には必ず後姿の女性の肩を抱きながら歌を披露する演出が行われていた。特に1982年8月2日放送では郷の大ファンであることを公言して憚らない古手川祐子とテレビドラマさながらのワンシーンを演じた。他の曲でも、女性モデルや裸のペインティングをしたボディースーツを着用した女性たちを従えての歌唱など、二枚目歌手として女性を絡める演出法がよく取られた。
- 1981年から1984年にかけて、当時交際中であった松田聖子とセットで出演することも多く、お互いに歌の際には、あえて、歌っている姿を後ろで見ている時のそれぞれの表情がアップで映し出されるという演出が取られたり、1コーナーを使って二人の曲をつなげて披露させる(1982年の「野ばらのエチュード」(聖子)→「哀愁のカサブランカ」(郷)など)といった演出が行われることもしばしばあった。特に1984年10月8日の特別版の際に聖子が小坂明子の名作「あなた」を披露していた最中で感極まり号泣した際には、二人の交際の進展具合と併せて様々な憶測を呼んだ(結果として、1985年初頭に二人は破局を迎えてしまう)。
- 1984年11月、ワム!の「Careless Whisper」の日本語カバーで競作となった西城秀樹と、同一曲(歌詞違い)を続けて歌い対決ムードを煽るという企画をやった。井上順のコイントスで曲順を決めるという演出もあった。これは後日週刊誌で内幕を取り上げられた。
- 1985年6月26日、6月のマンスリーゲストだった郷は、元恋人松田聖子が神田正輝と結婚式(6月24日)をあげた2日後、海外から衛星中継で出演。その際、司会の芳村真理から「結婚式での聖子ちゃん、綺麗だったわよ」と呼びかけられると、郷は「そうですか…」と一言だけ残して、そのまま中継先から「哀愁のカサブランカ」を選曲して披露するという演出をやった。このシーンは郷、聖子それぞれのファンの間では知る人ぞ知る、おっかなびっくりな伝説のシーンとなっている。
- 女優・二谷友里恵との結婚を控えた1987年5月には自身2度目となるマンスリーゲストとして出演。基本的には出演期間は1か月間のみとの原則を打ち破り1987年6月10日放送まで6回連続で出演。特にマンスリー最終日、結婚式2日前の6月10日放送では、結婚記念の特別企画として二谷が特別出演し、彼女に捧げる歌として製作された『REE』を披露している。
- 1988年2月3日、番組放送999回を記念してロンドンから全編衛星生中継を行った際、その翌週に番組を勇退する「恩人」芳村真理へ感謝の意を込めて、(当時たまたまロンドンに滞在中であったこともあり)夫婦そろって特別出演、『千年の孤独』を披露した。
ランク付け拒否[編集]
- 1972年、『日本レコード大賞』新人賞受賞5人の中に名を連ね、本選へ出場した郷だったが、それ以降は1973年の『日本歌謡大賞』放送音楽賞受賞ぐらいで賞には余り縁がなかった。1975年、日本レコード大賞ノミネート(予選選考会)で本選へ出場できる「大賞候補ベストテン」から落選。1976年のノミネート会場でもなかなか名前が呼ばれず、キャンディーズとの決選投票の末、最後に大衆賞受賞を告げられ歌が歌えないほど号泣した。
- 1978年、「今後授賞式には参加しない」と『日本レコード大賞』などの音楽賞への出演を辞退することを公表する。数年後のインタビューで「年々権威が落ちていく音楽賞には興味がない」と語った。但し『日本テレビ音楽祭』のトップアイドル賞、『日本有線大賞』には出演し賞を受けているほか、1999年にはレコード大賞・最優秀歌唱賞受賞の打診を受けると、大衆賞を受賞した1976年以来23年ぶりに日本レコード大賞のステージに立ち、賞を受けた。
- 1982年8月、「哀愁のカサブランカ」で10か月ぶりに『ザ・ベストテン』にランクインするが、「自分にとっては自分自身の歌は全部1番、他人に自分の歌のランク付けされるのは賛成しかねる」という理由から「今後すべてのランキング番組の出演を辞退する」と発表。
- 当時、郷の音楽プロデューサーだった酒井政利は、雑誌『KAMZINE』 (2005年6月号) で一連の辞退について触れ、「(郷は)新御三家として括られるのも好きでなかったし、アイドル的な定型から脱皮したいと思っていた。そして、"自分は人とは違うんだ!"という差別化戦略を選んだ」と、戦略のひとつだったことを明かしている。郷自身は近年のインタビューで、「(10年後に)今週は○位だったけど来週また頑張ります!と言ってる自分が想像できなかった。そういうのは僕の生き方ではないなと思った。」と説明している。
ゲリラライブ事件[編集]
- 1999年8月、「GOLDFINGER '99」のプロモーションとして、JR渋谷駅前の交差点にトラックを止め、警察に無届けで白昼ゲリラライブを敢行。マスコミが逆サイドからカメラを構え、野次馬などが交差点に押し寄せ、路線バスなど30分に渡って立ち往生し数本運休するという交通渋滞を引き起こす騒動になり、現場関係者6人が道路交通法違反容疑で書類送検される事件に発展した。レコード会社のプロデューサーは懲役3か月、執行猶予2年の判決を受けた。当事者の郷は「何処でやるのかさえ知らされていなかった。」と、罪には問われなかった。
結婚・破局・女性遍歴[編集]
- 1978年 、ロサンゼルス在住の日系アメリカ人女性と破局。
- 1985年 、祇園の芸妓、佳つ乃と浮名を流し、六本木のクラブのNo.1ホステスと『フライデー』される。
- 1985年 1月、交際を公にしていた松田聖子が東宝スタジオの食堂にて単独で涙の破局会見を行った。松田は「生まれ変わったら一緒になろうねと話し合った」と語ったが、ここから1ヵ月後に神田正輝と結婚を発表。また後に郷は、「会見することも知らなかった。あんなセリフも言っていない。僕が生まれ変わって虫だったらどうする気だろう?」とジョークを交じえて否定した。
- 1985年 9月、六本木のディスコで郷が一目ぼれし声をかけ出会った二谷友里恵と3度目のデートでスピードプロポーズ。後、東京白金台カフェのオープンテラスで女性誌に2ショットを撮られる。
- 1987年 6月、二谷友里恵と結婚。結婚披露宴の模様はフジテレビが中継し、視聴率47.6%を記録 (披露宴中継、歴代最高視聴率) 。結婚後、2年間ニューヨークに移住するなどし、2女を儲けた。
- 1998年 4月、結婚から11年で離婚。養育費として1億5千万円を支払う。離婚の際発表した離婚告白本『ダディ』 (幻冬舎) はミリオンセラーとなる。離婚原因は僕の女性問題(浮気)だと本の中で告白。松田聖子や後藤久美子とのエピソードも記載された。
- 1999年 、投資家大根田勝美の娘名美と、名美の職場であるニューヨークのアルマーニショップへ郷が訪れ出会う。京都の料亭で写真誌に撮られ交際が発覚。
- 2000年10月、交際していた資産家令嬢大根田名美と、11月に結婚する事を発表。今回の結婚について「一日の23時間55分が郷ひろみ、残りの5分間だけが原武裕美に戻る時間、原武裕美は結婚しても郷ひろみは結婚しない」とファンに説明した。同時に元恋人松田聖子とのデュエットソングも発売。
- 2001年 3月、年内いっぱいで日本での芸能活動を一時休止し、嫁の実家のあるニューヨークに移住することを発表。
- 2001年 5月、二谷友里恵が沈黙を破り離婚後の心境を綴った『楯』 (文藝春秋) を発売し、郷との確執が明らかになった。内容について郷は、「子供たちのために反論しない」とノーコメントを通した。
- 2004年12月、郷は二谷に対し、離婚に際して交わした娘2人の養育費1億5000万円 (各7500万円) を信託銀行に預託するとの取り決めを実行していないことや、郷が娘に会う面会権を妨害され精神的損害を受けたとして2000万円を請求する訴訟を起こす。この訴訟は2006年5月中旬、「父親とは会いたくない」という子供(娘2人)の証言が決めてとなり、敗色濃厚となった郷が和解を申し出たが、二谷側がこれを拒否したため、郷が訴えを取り下げる形で決着した。
- 2005年 4月21日、芸能活動再開と同時に二度目の離婚を発表。慰謝料はなし。「僕はこれからもなおいっそう努力して郷ひろみを極める。」と発言した。
- 2006年 6月、京都旅行中、20代女性と現地や新幹線のシートで手を繋いで寝ているツーショットをFLASHされる。同年9月、日本テレビ『ザ・ワイド』でインタビューを受けた際「まだ核心に触れてませんよね?」と自ら切り出したが、結局核心には触れなかった。
- 2006年 12月6日、芸能ネタとなった石原真理子の自伝『ふぞろいな秘密』の中で、1987年春、結婚する数ヶ月前に、共演映画『さらば愛しき人よ』のロケ先で郷と肉体関係になったと書かれた。
- 2012年1月、ツーショット写真等、2度にわたり女性週刊誌にスクープされ、徳武利奈との交際が明るみになる。
- 2012年3月31日、交際していた元タレントで化粧品会社OL、徳武利奈との入籍を、公式ホームページで発表。郷にとっては3度目の結婚である。
- 2013年1月19日、結婚発表から10か月、芸能関係者ら約400人を招いた結婚披露宴を帝国ホテルで行った。
シングル[編集]
- 男の子女の子(1972年8月1日)
- 小さな体験(1972年11月1日)
- 天使の詩(1972年12月21日)
- 愛への出発(1973年3月1日)
- 裸のビーナス(1973年6月21日)
- 第4回日本歌謡大賞で放送音楽賞を受賞する。
- 魅力のマーチ(1973年9月21日)
- モナリザの秘密(1973年12月5日)
- 花とみつばち(1974年3月21日)
- 君は特別(1974年6月21日)
- よろしく哀愁(1974年9月21日)
- わるい誘惑(1974年12月21日)
- 花のように鳥のように(1975年4月21日)(バーニング移籍第一弾)
- 誘われてフラメンコ(1975年7月21日)
- 逢えるかもしれない(1975年10月21日)
- バイ・バイ・ベイビー(1975年12月21日)
- 恋の弱味(1976年2月1日)
- 20才の微熱(1976年5月1日)
- あなたがいたから僕がいた(1976年8月1日)
- 寒い夜明け(1976年11月1日)作詞:楳図かずお
- 真夜中のヒーロー(1977年2月1日)
- 悲しきメモリー(1977年5月1日)
- 洪水の前(1977年7月21日)
- 帰郷/お化けのロック(1977年9月1日)樹木希林とデュエット
- TBS系ドラマ『ムー』挿入歌
- 禁猟区(1977年12月5日)
- バイブレーション (胸から胸へ)(1978年3月21日)
- ぼくのるすばん(1978年5月21日)
- 林檎殺人事件(1978年6月21日)樹木希林とデュエット
- TBS系ドラマ『ムー一族』挿入歌
- ハリウッド・スキャンダル(1978年9月21日)
- 地上の恋人(1978年12月21日)
- ナイヨ・ナイヨ・ナイト(1979年3月21日)
- いつも心に太陽を(1979年6月21日)
- マイレディー(1979年9月21日)
- セクシー・ユー (モンロー・ウォーク)(1980年1月21日)
- タブー (禁じられた愛)(1980年5月1日)
- How many いい顔(1980年7月21日)
- 若さのカタルシス(1980年11月1日)
- 未完成(1981年2月1日)
- お嫁サンバ(1981年5月1日)
- もういちど思春期(1981年8月8日)
- 哀愁ヒーロー Part1/Part2(1981年11月1日)
- 純情(1982年2月1日)
- 女であれ、男であれ(1982年5月2日)
- 哀愁のカサブランカ(1982年7月17日)
- 哀しみの黒い瞳(1982年11月2日)
- フリオ・イグレシアスの『黒い瞳のナタリー』のカヴァー
- 美貌の都(1983年3月5日)
- 中島みゆきが1985年にセルフカヴァー
- ロマンス(1983年4月21日)
- 『愛のロマンス』のカヴァー
- 素敵にシンデレラ・コンプレックス(1983年5月12日)
- 鈴木康博が1984年にセルフカヴァー
- ほっといてくれ(1983年9月1日)
- シャトレ・アモーナ・ホテル(1983年12月1日)
- 2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン-(1984年2月25日)
- ヤクシニー(1984年6月21日)
- どこまでアバンチュール/ケアレス・ウィスパー(1984年11月10日)
- 西城秀樹の『抱きしめてジルバ』と同じく、ワム!の『Careless Whisper』のカヴァー
- 愛のエンプティーペイジ(1985年3月6日)
- CHARISMA(1985年5月22日)
- サファイア・ブルー(1985年8月25日)作詞:松本隆、作曲:井上陽水
- Cool/LABYRINTH(1985年10月21日)両面英語詞シングル
- 千年の孤独(1987年3月21日)
- 時をかさねたら(1988年6月1日)
- 最終便にまにあえば(1989年6月21日)
- Wブッキング-LA CHICA DE CUBA-(1990年5月12日)
- もう誰も愛さない(1990年10月21日)
- 裸のビーナス/よろしく哀愁(1991年4月25日)
- 迷イズム(1991年5月22日)
- ヴィーナスたちのシエスタ(1992年5月2日)
- 僕がどんなに君を好きか、君は知らない(1993年1月21日)楠瀬誠志郎作曲
- 言えないよ(1994年5月1日)
- 逢いたくてしかたない/忘れられないひと(1995年4月21日)
- 上記3曲はバラード3部作としてリリース
- 泣けばいい(1995年6月14日)
- どんなに君がはなれていたって/裸の夢(1996年2月1日)
- く・せ・に・な・る/甘い束縛(1996年4月12日)
- Don't leave you alone/いつもそばに君がいた(1996年4月12日)
- 上記2枚は同時リリース
- Zeroになれ(1997年4月21日)
- ゆっくり恋しよう(1997年10月1日)
- KISSが哀しい(1998年4月22日)
- 男が恋に出逢うとき(1999年3月25日)
- GOLDFINGER '99(1999年7月23日)
- Hallelujah,Burning Love(2000年2月2日)
- なかったコトにして(2000年6月21日)HYPER GO号とのコラボレーション
- True Love Story/さよならのKISSを忘れない(2000年9月27日)松田聖子とデュエット
- Only for you-この永遠がある限り-(2001年2月21日)作曲:織田哲郎
- 獣は裸になりたがる(2001年6月20日)
- 高須クリニックCMソング
- ワキワキマイフレンド(2001年8月1日)
- フジテレビ系ドラマ『はるちゃん5』主題歌
- この世界のどこかに(2001年11月7日)ゴスペラーズプロデュース作品
- 以降芸能活動を一時休止
- 愛より速く(2005年4月20日)
- 高須クリニックCMソング
- 君が泣ける場所になる(2005年10月19日)
- 雪国まいたけCMソング
- LIFE(2006年9月6日)
- Boom Boom Boom /Come On Baby(2007年5月23日)
- デビット・ビスバルのカヴァー
- Good Times Bad Times(2007年12月5日)
- パチンコ「CR Go!Go!郷 second stage」 (ニューギン) 機種挿入歌
- 君だけを feat.童子-T(2008年5月14日)
- ありのままでそばにいて/このメロディだけは (2008年10月29日)
- 男願 Groove!/強引 Love! (2009年5月27日)
- エクササイズDVD『ヒップホップ・アブス』キャンペーンソング
- Get Real Love 〜GOLDFINGER'009 (2009年9月2日)
- 僕らのヒーロー (2010年6月9日)
- NHK『みんなのうた』
- 愛してる/愛してはいけないひと (2010年10月20日)
- 笑顔にカンパイ! (2011年6月1日)
- NHK「サラリーマンNEO シーズン6」オープニングテーマ曲、※布袋寅泰プロデュース
- デンジャラー☆ (2012年4月25日)
- パチンコ「CR GO!GO!郷3 THIRD EVOLUTION」 (ニューギン) 機種挿入歌
アルバム[編集]
- 男の子女の子(1972年11月1日) ファーストアルバム。
- 愛への出発(1973年5月1日)
- ひろみの部屋(1974年1月1日)
- ひろみの朝・昼・晩(1974年6月11日)
- フォーリーブス・郷ひろみ/ジョイント・リサイタル(1974年9月5日) |LP2枚組。
- HIROMI ON STAGE!-よろしく哀愁(1974年12月10日) 初のライブアルバム。
- 郷ひろみデラックス(1975年6月1日)
- ひろみの旅(1975年6月21日)
- HIROMIC WORLD(1975年11月21日)
- 全曲をユーミンが作詞。
- さらば夏の光よ(1976年4月21日)
- 郷ひろみのすべて(1976年6月1日) LP3枚組。
- GO GOES ON! HIROMI IN U.S.A PartI(1976年8月21日)
- GO GOES ON! HIROMI IN U.S.A PartII(1976年9月21日)
- 上記2枚はライブアルバム。
- 街かどの神話(1976年12月5日)
- おとうと(オリジナル・サウンドトラック)(1977年2月25日)
- ヒーロー(1977年6月1日) ライブアルバム。
- アイドルNO.1(1977年10月1日)
- フォーエバー・シリーズGO(1977年11月1日) LP3枚組。
- ピラミッド ひろみっど(1977年12月21日)
- フェニックス-HIROMI IN BUDOKAN-(1978年4月1日)ライブアルバム。
- Narci-rhythm(1978年7月21日)
- IDOL OF IDOLS(1978年10月1日)ライブアルバム。
- アポロンの恋人(1979年4月1日)
- LOOKIN'FOR TOMORROW(1979年8月1日)
- SUPER DRIVE(1979年12月21日)
- ニューヨークでのレコーディングアルバム。
- MY OWN ROAD(1980年5月21日) ライブアルバム。
- MAGIC(1980年8月21日)
- How manyいい顔(1981年1月1日)
- PLASTIC GENERATION(1981年5月1日)
- AT THE STARTING LIVE~READY SET GO!~(1981年9月5日) ライブアルバム。
- 金字塔ピラミッド(1981年10月18日) LP5枚組+ピクチャーレコード
- アスファルト・ヒーロー(1981年12月21日)
- マイ・コレクション(1982年6月21日)
- 20曲メドレーアルバム(~小さな体験~モナリザの秘密~裸のビーナス~男の子女の子~花のように鳥のように~花とみつばち~あなたがいたから僕がいた~よろしく哀愁~誘われてフラメンコ~マイレディー~洪水の前~林檎殺人事件~ハリウッド・スキャンダル~バイブレーション~悲しきメモリー~タブー~How manyいい顔~禁猟区~セクシー・ユー~お嫁サンバ~)。
- 哀愁のカサブランカ(1982年9月22日)
- 愛の神話(1982年12月21日)
- 比呂魅卿の犯罪(1983年4月1日)
- 坂本龍一サウンド・プロデュースによるアルバム。
- 黄金郷(1983年11月1日)
- TAILORED SONG(1983年12月21日)
- 黄金郷I ~2億4千万の瞳~(1984年6月10日)
- ALLUSION(1984年12月1日)
- ヘンリー浜口プロデュースによるアルバム。
- 聖女伝説(オリジナル・サウンドトラック)(1985年3月6日)
- LABYRINTH(1985年10月2日)
- 郷ひろみ全集/'72~'85DANDYISM(1985年11月21日) CD4枚組。
- 郷ひろみライブCONCERT TOUR LABYRINTH(1986年3月21日) ライブアルバム。
- 郷ひろみベスト・コレクション(1986年5月21日)
- LOVE OF FINERY(1987年4月1日) 全曲英語詞アルバム。
- MY SELF(1987年5月31日) CD3枚組。
- DRIVING FORCE(1989年6月1日)
- アメリカかぶれ(1990年6月1日)
- 準備万端~VINGT ANS~(1991年4月25日)
- 準備万端~VINGT ANS~SONGLESS(1991年5月22日)
- HIROMIX(1991年11月21日)
- VS藤原弘によるシングル曲リミックス・バージョンアルバム。
- 郷ひろみ全集/'86~'91DANDYISM(1992年2月21日) CD2枚組。
- CATALONIAN BLOOD(1992年5月2日)
- LUNA LLENA(1993年5月21日)
- GOrgeous(1994年6月11日)
- THE GREATEST HITS OF HIROMI GO(1994年11月2日) CD2枚組。
- I Miss You~逢いたくてしかたない~(1995年7月1日)
- THE GREATEST HITS OF HIROMI GO VOL.II~Ballads~(1995年11月22日) CD2枚組。
- バラードコレクションアルバム。
- く・せ・に・な・る(1996年7月1日)
- THE GREATEST HITS OF HIROMI GO VOL.III セレクション(1996年11月1日) CD2枚組。
- オリジナル・カラオケ付。
- ALL THE SINGLES 1972-1997(1997年8月1日) デビュー25周年記念
- デビュー曲「男の子女の子」から「Zeroになれ」までのすべてのシングル曲(B面曲、12インチも含む)147曲を収録した、8枚組CD-BOX。
- 心のカギ(1998年6月20日)
- THE GOLDSINGER(1999年8月21日)
- GOLDFINGER'99◆Re-mix(1999年10月21日)
- 恋のハレルヤ大作戦 ~Mission Code is "G"~(2000年7月5日)
- With Whom?(2001年3月28日)
- MOST LOVED HITS OF HIROMI GO VOL.1 ~Heat~(2001年7月4日)
- MOST LOVED HITS OF HIROMI GO VOL.2~Cool~(2001年7月4日)
- 上記2枚は郷ひろみのファンのリクエストによるシングル・アルバム曲リアレンジによる同時リリースされたアルバム。
- PERIOD ~この世界のどこかに~(2001年11月21日)
- このアルバムを最後に芸能活動を一時休止。
- Evolution(2005年9月14日)
- Single Collection of Early Days vol.1(男の子女の子~わるい誘惑)(2005年10月5日)
- Single Collection of Early Days vol.2(花のように鳥のように~洪水の前)(2005年10月19日)
- Single Collection of Early Days vol.3(帰郷・お化けのロック~セクシー・ユー)(2005年11月2日)
- Single Collection of Early Days vol.4(タブー~哀しみの黒い瞳)(2005年11月16日)
- Single Collection of Early Days vol.5(美貌の都~千年の孤独)(2005年11月30日)
- 上記5枚は、シングルレコードを復刻したものをCDにして11枚ずつ各BOXに収納した完全生産限定版(合計55枚)。
- Winter Mood(2006年11月22日)
- SAMBA de GO ~HIROMI GO Latin Song Collection~(2007年8月8日)
- place to be(2008年6月11日)
主な出演作品[編集]
映画[編集]
- 急げ!若者 TOMORROW NEVER WAITS (1974年、東宝/ジャック・プロ)フォーリーブスと共演
- さらば夏の光よ(1976年、松竹)秋吉久美子と共演
- おとうと(1976年、松竹)浅茅陽子と共演
- 突然、嵐のように(1977年、松竹)秋吉久美子と共演
- ワニと鸚鵡とオットセイ(1977年、松竹)樹木希林、秋吉久美子と共演
- ダブル・クラッチ(1978年、松竹)松坂慶子と共演
- 夢一族 ザ・らいばる(1979年、東映)森繁久彌と共演
- コールガール(1982年、松竹)未唯(元ピンクレディー)と共演
- 瀬戸内少年野球団(1984年、日本ヘラルド)夏目雅子と共演
- 聖女伝説(1985年、松竹)岩下志麻と共演
- ALLUSION -転生譚-(1985年、松竹)守山知子と共演
- 近松門左衛門 鑓の権三(1986年、松竹)岩下志麻と共演
- さらば愛しき人よ(1987年、松竹)石原真理子と共演
- 舞姫(1989年、東宝)リザ・ウォルフと共演
テレビドラマ[編集]
- 新・平家物語(1972年、NHK大河ドラマ)平経盛役
- あしたに駈けろ!(1972年、フジテレビ)森田健作主演の青春ドラマ
- 一姫二太郎(1972年、フジテレビ)
- おやじ山脈(1972年、TBS)主題歌『天使の詩』
- 銀座わが町(1973年、NHK)
- 肝っ玉博物帳(1973年、フジテレビ)
- ぼくは叔父さん(1974年、日本テレビ)主題歌『夢で会おうね』
- ちょっとしあわせ(1974年、テレビ朝日)酒井和歌子と共演、主題歌『よろしく哀愁』
- あこがれ共同隊(1975年、TBS)西城秀樹、桜田淳子と共演
- 毎日が日曜日(1977年、NHK 銀河テレビ小説)
- ゆずり葉(1977年、TBS 東芝日曜劇場)
- ムー(1977年、TBS)樹木希林と共演、挿入歌『お化けのロック』
- 七人の刑事(1978年、TBS)22話
- ムー一族(1978年 - 1979年、TBS)樹木希林と共演、挿入歌『林檎殺人事件』
- 家路(1979年、TBS)、挿入歌『マイレディー』
- 草燃える(1979年、NHK・大河ドラマ)源頼家役
- 婚前時代(1979年、TBS 東芝日曜劇場)
- 新・座頭市 第3シリーズ(1979年、フジテレビ) - 4話「あした斬る」
- ミセスと僕とセニョールと(1980年、TBS)主演、挿入歌『若さのカタルシス』
- 峠の群像(1982年、NHK・大河ドラマ)片岡源五右衛門役
- 沖田総司 華麗なる暗殺者(1982年、フジテレビ)主演
- 春雷 (1983年、フジテレビ 新春ドラマスペシャル)
- 聖母たちの行進(1983年、TBS)桃井かおりと共演
- 流れ星左吉(1983年、フジテレビ)主演、主題歌『暗闇のディーン』
- 翔んでる警視(1986年、TBS)主演
- 翔んでる警視2(1987年、TBS)主演
- 失われた時の流れを(1990年、フジテレビ サントリードラマスペシャル)
- 刑事貴族(1990年 - 1991年、日本テレビ)主演、主題歌『もう誰も愛さない』
- 生前情交痕跡あり(1991年、フジテレビ 金曜ドラマシアター)主演
- 信長 KING OF ZIPANGU(1992年、NHK・大河ドラマ)徳川家康役
- D坂殺人事件 名探偵明智小五郎誕生 名探偵明智が挑む猟奇殺人の謎!!闇に浮かぶ白い肌…(1992年、フジテレビ)主演
- 愛する時と裁く時(1992年、フジテレビ)主演
- 企業病棟(1994年、NHK ドラマ新銀河)主演
- 坊っちゃんちゃん(1996年、TBS)主演
バラエティ番組[編集]
- カックラキン大放送(1983年、日本テレビ)野口五郎に代わりレギュラー出演
- 郷ひろみの宴ターテイメント(1989年、テレビ朝日)レギュラー、主題歌『最終便にまにあえば』
- ヤミツキ(2000年4月 - 2001年3月、日本テレビ)
- 人志松本のすべらない話(2006年、フジテレビ)観覧ゲスト
- めちゃ×2イケてるッ!・2億4千万の瞳そして青い珊瑚礁スペシャル(2008年、フジテレビ)学校の生徒
ラジオ[編集]
- 郷ひろみのセイ!ヤング 木曜日担当(1980年10月〜1981年3月)火曜日担当(1981年4月〜1981年9月)(文化放送)
- NISSANミッドナイトステーション 水曜日担当 ちょっと乱れてカーニバル(1982年4月~1983年3月)(TBSラジオ)
- サウンド・フラッシュ 郷ひろみ・60'Sカンパニー (ニッポン放送)
- HIDEKIとHIROMIのサンデーワイワイ広場(1979年、文化放送)
ジャニーズ時代のステージ[編集]
- 第46回ウエスタン・カーニバル 「郷ひろみショー」 (1973年5月5日 - 6日、日本劇場)
CM[編集]
※企業名での五十音順
- 朝日生命
- 「人生倶楽部」、「あんしん倶楽部」、「あんしん倶楽部10」、「Vシリーズ」、「My倶楽部」、「My倶楽部ZOOM」(菅野美穂と共演)、「My倶楽部ヤングステージ」(菅野美穂と共演)
- 穴吹工務店「サーパスマンション」
- 穴吹工務店「サーパスフェア」
- 伊勢丹Iカード
- 大塚食品「ボンカレーゴールド」
- カネボウ 男性化粧品「XANAX(ザナックス)フォームコロン」
- グリコ「アーモンドチョコレート」
- サンキスト 「サンキストドリンク」
- サントリー「赤玉ワイン・赤玉パンチ」(1982年)
- サントリー「モルツビール」(1989年)
- サンヨー食品「カップスター」(「HYPER-GO号2」のメンバーと共演)
- 三洋電機「サンヨービデオ・マイコニック」(1980年 - 1986年)
- JR東日本「東北新幹線」
- 大日本除虫菊「キンチョール」(1979年 - 1987年、横山やすし共演編や、柄本明共演編なども有)
- 高須クリニック
- 宝酒造「タカラ本みりん てりっこ」(1996年)
- 田辺製薬「ナンパオ源気」
- トヨタ自動車「カローラセダン(E80系)、カローラレビン(AE85/86)」(1983年 - 1987年)
- ニューギン「CR Go!Go!郷」(パチンコ台。2004年・広告のみ)
- ニューギン「CR Go!Go!郷 second stage」(パチンコ台。2008年)(我修院達也と共演)
- 延田グループ「パチンコ・スロット 1・2・3」※基本的には関西ローカルCMである(GAORAでも放映されることがある)。
- HAKUGEN「ソックタッチ」
- ダイハツ工業「YRV」(2000年、「HYPER-GO号2」共演編、声のみの出演編の2種)
- BSデジタル放送『GO! BSデジタル3000万!!!』(BSデジタル放送 10局共同キャンペーン)
- 丸八真綿「82 ハッチーニ」
- 丸八真綿「ファーベッド」(内田有紀と共演)
- 丸八真綿「ホームショッピング」(浅野ゆう子と共演)
- マンダム ヘアケアブランド『Produce(プロデュース)』(松田聖子「青い珊瑚礁」の替え歌を歌っている)
- 雪国まいたけ「雪国まいたけ」
- ラウンドワン
- レオパレス21 『それぞれの夢』(CMソングのみ)
- ロート製薬「新パンシロン」
- ロッテ「パイの実」、「ガーナミルク」
郷ひろみの名前が登場した作品[編集]
書籍[編集]
著書[編集]
- 『たったひとり』 (1980年10月)
- 『郷ひろみの紐育(ニューヨーク)日記』(1989年10月)
- 1991年10月に『紐育(ニューヨーク)日記』に改題して文庫化。
- 『不惑』 (1996年6月)
- 『ダディ』 (1998年4月)
- 『若気の至り』 (2000年11年)
写真集[編集]
- 写真集『ムー一族』 (1978年11月)
サイドビジネス[編集]
パチンコ・プロデュース
- 2004年、ニューギンから「CR Go!Go!郷」が登場。
- リーチ時の画面アクションは「男の子女の子」「How many いい顔」「お嫁サンバ」「2億4千万の瞳」「GOLDFINGER '99」にちなんでおり、大当たり中は前述の5曲のいずれかが、1曲(確変)~2曲(単発)流れた。
- 2008年、同じくニューギンから続編の「CR Go!Go!郷 second stage」が登場。テレビCMも放映されており、郷を物真似する我修院達也と共演している。
- 2012年、ニューギンからの第3弾「CR GO!GO!郷3 THIRD EVOLUTION」登場。機種挿入歌「デンジャラー☆」 (2012年4月25日) を同時に新曲としてリリース。
イタリアンレストラン・プロデュース
- 2003年6月、「SOGNI di SOGNI」(ソーニ・ディ・ソーニ)/大阪心斎橋店オープン (営業中)。 ※経営・運営は延田グループ
ジュエリーブランド・プロデュース
- 2006年11月、「Rosen Hemden」 (ローゼン・へムデン) /テーマは「大きな母の愛」。利益の一部は、アジアの恵まれない子供たちやシングルマザーのために寄付すると発表。 ※経営・運営は坂本貴金属
日本酒プロデュース
- 2009年、「大吟醸 原武」/ブランドロゴは郷ひろみの父・原武英夫の文字。 ※製造販売は齋彌酒造店
オリジナルワイン・プロデュース
- 2010年、「2008 マグニフィカファイブ」 (ディレクターHIROMI GO)/カリフォルニア州のぶどう畑で最高級ワインを生産。郷がデザインしたオリジナル・ラベル「5」の郷ひろみ仕様のワイン。 ※醸造・販売はクラッシュパッド株式会社