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2019年1月12日 (土) 02:23時点における最新版
ASAYAN(あさやん)は、テレビ東京で1995年10月1日から2002年3月24日まで毎週日曜日21:00 - 21:54(JST)に放送されていたバラエティ番組である。部類はリアリティ番組になる。
「夢のオーディションバラエティー」として、小室哲哉やつんく♂などのプロデュースで、鈴木亜美やモーニング娘。、CHEMISTRYなど数多くのアーティストやタレントを輩出した。
目次
- 1 概要・来歴
- 2 エピソード
- 3 MC
- 4 ナレーター
- 5 番組で活躍したアーティスト・タレント
- 5.1 大リーガーオーディション
- 5.2 Jリーガーオーディション
- 5.3 コムロギャルソン
- 5.4 CM美少女/美女オーディション
- 5.5 乱発オーディション
- 5.6 男子高校生オーディション
- 5.7 モデルオーディション
- 5.8 男性ヴォーカリストオーディション
- 5.9 再起に懸ける芸能人オーディション
- 5.10 女性ロックヴォーカリストオーディション
- 5.11 ヴォーカリストオーディションファイナル
- 5.12 芸能人新ユニットオーディション
- 5.13 パシフィック・ドリーム・ポップシンガーコンテスト
- 5.14 小室哲哉オーディション1999
- 5.15 世界に羽ばたくファッションデザイナーオーディション
- 5.16 世界標準
- 5.17 男子ヴォーカリストオーディション
- 5.18 敗者復活オーディション
- 5.19 ラッパー
- 5.20 超歌姫
- 5.21 日韓アイドル
- 5.22 浜崎あゆみダンサー
- 5.23 ViVi専属モデル
- 5.24 映画俳優
- 5.25 女流カメラマン
- 5.26 グラビアアイドル
- 6 番組ネット局
- 7 主なスタッフ
- 8 脚注
- 9 外部リンク
概要・来歴[編集]
この番組のルーツは、1992年にスタートした『浅草橋ヤング洋品店』であり、それが1995年10月1日に『ASAYAN』にリニューアルされた。前半は浅草キッドがメインMCの「浅ヤン」を、後半に小室哲哉がプロデュースし、ナインティナインらが司会を務めるオーディションコーナー「コムロギャルソン」をスタートさせた。担当ディレクターには独特なカット割りとテロップに句読点を多用するタカハタ秀太が就任した。また、電通のプロデューサーが製作現場に常駐し、テレビ東京の番組でも大きなタイアップを採れることになった。
1996年3月に伊藤輝夫(テリー伊藤)が番組の演出を降板(同時に「浅ヤン」終了、浅草キッドも降板)し、翌4月にこれまでの構成から「コムロギャルソン」の拡大と共に視聴者の夢を叶えるナインティナイン司会の「夢のオーディションバラエティー」へと変貌していった。
番組からは小室哲哉プロデュースで鈴木亜美(当時の鈴木あみ)やKABA.ちゃんもメンバーとして在籍していたdos、泣き虫デザイナーとして人気を得たごあきうえなどを生み出した。
そして、1998年にシャ乱Qのつんく♂がプロデュースしたモーニング娘。が大いに話題を呼び、その後の「ハロー!プロジェクト」のプラットフォーム(基礎)を作った。また、アイドルだけでなく本格派ボーカリストも輩出しようとし、結果的にCHEMISTRYをブレイクさせることにも成功した。
松澤由美やmove(→m.o.v.e)のヴォーカル・yuri、EXILEのATSUSHIとNESMITHなど、この番組でのオーディションで落選した参加者が、プロダクションやレコード会社などの制作者側に才能を認められて、別口でデビューした例は多い。また、モーニング娘。の追加メンバーオーディションを倖田來未が受けていたといったエピソードもある。あるいは、FBIとしてデビューした大泉めぐみが後にshelaとして再デビューしたり、route0のチェ・スヨンが後に少女時代のメンバーになったというケースもある。
一時期、2000年12月の1か月間はBSジャパンでも放送されていたが、日本音楽事業者協会や音楽制作者連盟と著作権・肖像権問題で折り合いが付かず、打ち切りとなった。
2001年4月にタカハタ率いる制作スタッフが降板した事により、番組のタイトルロゴ・セット・ナレーターのすべてが一新され、吉本興業と読売テレビ系の番組制作会社ワイズビジョンが制作協力に加わった。
翌2002年3月24日に最終回を迎え、「浅草橋ヤング洋品店」時代を含めた10年間の放送に幕を閉じた。最終回ではナインティナインの岡村が「浅ヤン」時代の実験を思い出す場面もあった。番組終了はナインティナインの同意、説明もなく突然通達され、ぞんざいな扱いに岡村は激怒し「テレ東にはもう二度と出ない。」と矢部に漏らしていたがちょこっとイイコトへの出演を何事もなく許諾し、矢部を引かせていた。その後岡村は毎年お正月の男子ご飯に出ている。[1]
エピソード[編集]
- 番組開始初期に「コムロギャルソン」のスタジオ(東京メディアシティ・K1スタジオ)で浅草キッドが登場して「浅ヤン」を放送し、観客や当時のナレーターだった川平慈英は騒然だった。
- 「浅ヤン」の企画「畠山みどり借金返済」にて、畠山みどりが「コムロギャルソン」のオーディションに応募するといった展開があったが、この一部始終は「浅ヤン」の方でしか放送されなかった。
- 1998年1月下旬は関東地方に大雪が降ったため、観客の安全確保により、観客なし・MC3人は椅子に座りハンドマイク(マイクキャップの形はフジテレビなどと同じキャップ)を持ちながら収録された。この日は「ヴォーカリストオーディションファイナル」の1次電話投票があった。なお、マイクキャップは丸型のキャップだった時期もあったが、MCがマイクキャップ付きのマイクを持ったのは「コムロギャルソン」後期と永作中期まで続いた。
- 1999年12月5日のモーニング娘。石黒脱退では、通常のスタジオではなく別のスタジオで観客なしで収録した。また、この日の深夜の「TXNニュース」のラストでも紹介された。
- 1999年には収録中にナインティナインの岡村隆史が収録中に(「太陽とシスコムーン」新展開発表前)肩に止まったハエを追い払おうとしたところ右肩から転落し、右肩を骨折した事件もあった。その後、岡村復帰までマルチは岡村の顔アップ画像を写した。
- モーニング娘。が絶頂期を迎えた頃、2000年4月2日から9月10日までは、『ハロー!モーニング。』の後にこの番組の再放送(1週遅れ)が行われていた。また、10月1日から終了まではこの番組の後に『期間限定!ピカピカ天王洲LIVE』→『MUSIX!』が放送されていた(期間中でも『MUSIX!』は特番を組んで本番組を休止したり、2001年8月26日には『モーニング娘。LOVEオーディション21』という特別番組を放送させ本番組と『MUSIX!』を休止した事がある。)。
- 開運!なんでも鑑定団、TVチャンピオン、クイズ赤恥青恥、ポケットモンスターなどと並ぶ、90年代後半を代表するテレビ東京の看板番組であり、放送日が国政選挙当日であっても時間を変更して通常通り放送された。
- 川平慈英のこの番組におけるナレーションでの決まり文句「いいんです!」は兄のジョン・カビラが都並敏史とのやり取りの中で使っていたのを川平が拝借したものである。ちなみに、都並は読売ユース時代のチームメイト。
- 後にも先にも最もギャラの良かった仕事だったと岡村が述べている[2]。
- 2014年3月2日放送の『50年のモヤモヤ映像大放出!』にて、初代モーニング娘。の出演映像が取り上げられた。
MC[編集]
※永作降板から中山就任の間、及び岡村の入院療養時は当時のモーニング娘。のメンバーがMCを務めた(永作降板から中山就任までは安倍なつみと福田明日香と矢口真里と中澤裕子[3]が岡村入院療養時は中澤裕子と市井紗耶香が担当)。
ナレーター[編集]
番組で活躍したアーティスト・タレント[編集]
大リーガーオーディション[編集]
Jリーガーオーディション[編集]
コムロギャルソン[編集]
CM美少女/美女オーディション[編集]
乱発オーディション[編集]
- マックス松浦
男子高校生オーディション[編集]
モデルオーディション[編集]
- 最終選考者
男性ヴォーカリストオーディション[編集]
- 浅倉大介
- pool bit boys(オーディション合格者の伊藤欣司とラップ担当のDANにより結成)
再起に懸ける芸能人オーディション[編集]
女性ロックヴォーカリストオーディション[編集]
ヴォーカリストオーディションファイナル[編集]
- 小室哲哉
- 合格者
- 候補者
芸能人新ユニットオーディション[編集]
パシフィック・ドリーム・ポップシンガーコンテスト[編集]
小室哲哉オーディション1999[編集]
- 小室哲哉
世界に羽ばたくファッションデザイナーオーディション[編集]
世界標準[編集]
男子ヴォーカリストオーディション[編集]
敗者復活オーディション[編集]
ラッパー[編集]
超歌姫[編集]
日韓アイドル[編集]
浜崎あゆみダンサー[編集]
ViVi専属モデル[編集]
映画俳優[編集]
女流カメラマン[編集]
- 柳明菜(グランプリ・当時高校在学中)
グラビアアイドル[編集]
番組ネット局[編集]
同時ネット局[編集]
※は独立UHF局
- 関東広域圏:テレビ東京
- 大阪府:テレビ大阪
- 北海道:テレビ北海道
- 愛知県:テレビ愛知
- 岡山県・香川県:テレビせとうち
- 福岡県:TVQ九州放送(旧称:TXN九州)(2001年3月まで旧称)
- 岐阜県:※岐阜放送
- 三重県:※三重テレビ
- 和歌山県:※テレビ和歌山
- 滋賀県:※びわ湖放送
- 奈良県:※奈良テレビ(途中まで遅れネット)
遅れネット局(途中打ち切り及び途中から番組開始の局あり)[編集]
- 青森県:▲青森放送
- 秋田県:▲秋田放送
- 岩手県:●IBC岩手放送
- 山形県:●テレビユー山形
- 宮城県:▲ミヤギテレビ
- 福島県:●テレビユー福島
- 新潟県:■新潟総合テレビ
- 長野県:●信越放送
- 山梨県:●テレビ山梨(1996年3月打ち切り)
- 富山県:●チューリップテレビ
- 石川県:●北陸放送
- 福井県:■福井テレビ
- 静岡県:▲静岡第一テレビ
- 島根県・鳥取県:●山陰放送(1999年4月からネット、兵庫県北部一部地域含む)
- 広島県:●中国放送
- 山口県:●テレビ山口
- 徳島県:▲四国放送(兵庫県南淡地域含む)
- 愛媛県:▲南海放送
- 高知県:▲高知放送
- 佐賀県:■サガテレビ
- 大分県:■▲テレビ大分
- 長崎県:■テレビ長崎
- 熊本県:■テレビ熊本(宮崎県五ヶ瀬・高千穂地域含む)
- 鹿児島県:●南日本放送(宮崎県都城・えびの・串間地域含む)
- 沖縄県:■沖縄テレビ
主なスタッフ[編集]
- 監修:小室哲哉(初期のみ)
- 演出:タカハタ秀太(前期から中期)
- 構成:都築浩、鮫肌文殊、竹内きよのり、市川麻美 ほか
- TD:千葉明律
- カメラ:中村純、橋本洋和
- VE(映像調整):船山道夫、徳永一馬
- 音声:鈴木智之
- LD(照明):平野勝利
- 音響効果:矢部公英(メディアハウス・サウンドデザイン⇒ふなや)
- VTR編集:前野勝義
- AVID編集:スタジオMAGIC
- MA:石黒裕二、岩下順
- アートプロデュース:松沢由之
- セットデザイン:きくちまさと
- 美術進行:秋山真弥
- プロデューサー:桜井卓也(テレビ東京)、井口高志(電通)、泉正隆、岡本昭彦(吉本興業)、武野一起(ワイズビジョン)
- チーフプロデューサー:橋山厚志(テレビ東京)
- 技術協力:池田屋、童夢、アンサーズ
- 美術協力:フジアール
- 収録スタジオ:東京メディアシティ砧スタジオ
- 企画:吉本興業
- 制作協力:ワイズビジョン(2001年4月〜)
- 製作:テレビ東京、吉本興業、ニューテレス
脚注[編集]
- ↑ ナインティナインのオールナイトニッポン最終回での矢部の手紙より
- ↑ 『なるみ・岡村の過ぎるTV』2013/11/24放送
- ↑ 中澤は3人ともコンビを組んだが矢口は中澤とだけコンビを組んだ
外部リンク[編集]
- asayan.com公式サイト(2002年4月の放送終了後は当番組コンテンツとは全く無関係のサイトとなる)