有馬記念

出典: Yourpedia

有馬記念(グランプリ)
開催地 中山競馬場
格付け GI
1着賞金 1億8000万円
距離 芝2500m
出走条件 サラブレッド系3歳以上(国際)(指定)[1]
負担重量 3歳55kg、4歳以上57kg
牝馬2kg減)
創設 1956年12月23日

有馬記念(ありまきねん)とは日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場内回り2500mで施行する中央競馬重賞GI競走である。

正賞は日本馬主協会連合会会長賞、中山馬主協会賞、農林水産大臣賞。

目次

[編集] 概要

画像:The Arima Kinen 2005.jpg
第50回有馬記念(2005年12月25日撮影 優勝・ハーツクライ)

1955年まで、暮れの中山競馬では中山大障害が看板競走であったが、東京競馬場で行われていた東京優駿(日本ダービー)と比べると華やかさに欠けていることは否めず、そこで当時の日本中央競馬会理事長であった有馬頼寧が中山競馬場で大レースをと計画し、しかもそのアイデアとしてファンがより親近感を持てるようにと、プロ野球のオールスターと同様にファン投票による出走馬の選定という当時前代未聞の画期的な選抜方法(他に推薦委員会による推薦馬選出方法)を用いた[2](のちに宝塚記念もファン投票方式と推薦委員会による推薦方式を採用)。第1回中山グランプリ1956年12月23日中山競馬場の芝外回り2600mで開催された[3]

しかし、第1回を盛況の内に終えて間もない翌1957年1月10日に提唱者の有馬が急逝したため、氏のこれまでの数々の功績を称えて、第2回以降は「有馬記念(グランプリ)」と名称が変更となった。期せずして、これは日本の公営競技等のレースでレースの提唱者の名前がレース名となった最初の例ともなった(後に安田記念も同様の例となった)。

また、出走メンバーの豪華さや夢のあるレースを目標に創設されたことから、ドリームレースや競馬の実力日本一を決めるレースなどとも言われる。その異名に違いはなく、これまでも中央競馬の歴史に残る数々の名勝負や名場面を生んでいる。中央競馬の一年間を締めくくる総決算として、この日は競馬ファンならずとも競馬で盛り上がる一日となる。

但し、有馬記念を最大目標にしてくる陣営は少なく、たいていは秋のGIシリーズ(菊花賞天皇賞(秋)ジャパンカップ等)に最大目標を定め何回かレースに出走してくる馬が多いのが特徴で、疲労残りの馬が多いのは事実である。そのため、このレースで勝つには連戦に耐える馬のタフさも求められる。特に、中長距離レースの天皇賞(秋)、ジャパンカップ、そしてこのレースを制した馬には追加賞金が与えられるが、馬の負担を考えればこの3レースを同年に制するのは至難の業であり、その最後の難関となるのがこのレースである。

競走名の副題から優勝馬はグランプリホースと呼ばれることがある。

ファン投票により出走馬を選出するオールスターレースは、当時の世界の競馬先進国でも類を見ない企画であった。

なお、地方競馬との申し合わせにより長らく12月28日から1月4日の間は中央競馬の開催が行われなかったが、2003年の第48回有馬記念では初めて12月28日に行われた。

1996年の第41回競走で記録した売上金額の875億円は世界で最も勝馬投票券の売上のある競走としてギネス・ワールド・レコーズに認定・登録されている。

現在の優勝レイは、青色の地に金色の文字となっている。

[編集] 選出方法

  • ファン投票は公式投票用紙(競馬場ウインズ各会場で配布)、市販のはがき(官製・私製)、インターネットから可能だが、1名につき1媒体1通限り。1名での複数枚投票(複数媒体の使用含む)と、郵送の場合の印刷、ゴム印、ワープロ使用は無効となる。
  • ファン投票上位10頭が優先的に出走権利を獲得(中央にアラブのレースがあった時代にはアングロアラブの出走も可能であり、『アラブの怪物』の異名を持つセイユウがファン投票による権利を持っていたものの、アラブの読売カップ(秋)連覇を優先し出走を辞退している。)。
  • 残り(フルゲート16頭)は過去1年間の収得賞金額などを加味して決定される(地方競馬所属馬もこの方法で選出される)。
  • 2000年から2006年までジャパンカップで優勝した外国調教馬にも出走権利が与えられ、該当馬が2頭いたがいずれも行使しなかった。
  • 2007年からは国際競走となり外国調教馬は4頭まで出走可能となる。

[編集] 特別報奨金

2000年度から天皇賞(秋)、ジャパンカップとこのレースの秋季主要GI競走3競走を全て優勝した場合は1億円の特別報奨金(のちに内国産馬には2億円、外国産馬には1億円に変更)を贈呈する制度が取り入れられ、その年のテイエムオペラオーが早速それを達成して報奨金を獲得した。そして2004年、4年ぶりにゼンノロブロイが第2号の獲得馬になった。

[編集] 歴史

[編集] 歴代優勝馬

回数施行日優勝馬性齢勝時計優勝騎手管理調教師馬主
第1回1956年12月23日メイヂヒカリ牡42:43 1/5蛯名武五郎藤本冨良新田松江
第2回1957年12月22日ハクチカラ牡42:49 0/5保田隆芳尾形藤吉西博
第3回1958年12月21日オンワードゼア牡42:49 1/5八木沢勝美二本柳俊夫樫山純三
第4回1959年12月20日ガーネツト牝42:50.9伊藤竹男稗田敏男畑江五郎
第5回1960年12月18日スターロツチ牝32:44.5高松三太松山吉三郎藤井金次郎
第6回1961年12月24日ホマレボシ牡42:40.8高松三太稗田敏男川口文子
第7回1962年12月23日オンスロート牡52:44.4山岡忞中村広田村喜志
第8回1963年12月22日リユウフオーレル牡42:42.5宮本悳橋本正晴三好笑子
第9回1964年12月27日ヤマトキヨウダイ牡42:45.1梶与四松稲葉幸夫門井みち
第10回1965年12月26日シンザン牡42:47.2松本善登武田文吾橋元幸吉
第11回1966年12月25日コレヒデ牡42:37.0保田隆芳尾形藤吉千明康
第12回1967年12月24日カブトシロー牡52:39.7大崎昭一久保田彦之(有)志賀
第13回1968年12月22日リュウズキ牡42:46.2森安弘明矢倉玉男福井章哉
第14回1969年12月21日スピードシンボリ牡62:35.1野平祐二野平省三和田共弘
第15回1970年12月20日スピードシンボリ牡72:35.7野平祐二野平省三和田共弘
第16回1971年12月19日トウメイ牝52:36.0清水英次坂田正行近藤克夫
第17回1972年12月17日イシノヒカル牡32:38.5増沢末夫浅野武志石嶋清仁
第18回1973年12月16日ストロングエイト牡42:36.4中島啓之奥平真治ハイランド牧場
第19回1974年12月15日タニノチカラ牡52:35.9田島日出雄島崎宏谷水雄三
第20回1975年12月14日イシノアラシ牡32:38.1加賀武見浅野武志石嶋清仁
第21回1976年12月19日トウショウボーイ牡32:34.0武邦彦保田隆芳トウショウ産業(株)
第22回1977年12月18日テンポイント牡42:34.5鹿戸明小川佐助高田久成
第23回1978年12月17日カネミノブ牡42:33.4加賀武見阿部新生角替光二
第24回1979年12月16日グリーングラス牡62:35.4大崎昭一中野隆良半沢吉四郎
第25回1980年12月21日ホウヨウボーイ牡52:33.7加藤和宏二本柳俊夫古川嘉治
第26回1981年12月20日アンバーシャダイ牡42:35.5東信二二本柳俊夫吉田善哉
第27回1982年12月26日ヒカリデユール牡52:36.7河内洋須貝彦三橋本善吉
第28回1983年12月25日リードホーユー牡32:34.0田原成貴服部正利熊本芳雄
第29回1984年12月23日シンボリルドルフ牡32:32.8岡部幸雄野平祐二和田農林(有)
第30回1985年12月22日シンボリルドルフ牡42:33.1岡部幸雄野平祐二和田農林(有)
第31回1986年12月21日ダイナガリバー牡32:34.0増沢末夫松山吉三郎(有)社台レースホース
第32回1987年12月27日メジロデュレン牡42:33.9村本善之池江泰郎メジロ商事(株)
第33回1988年12月25日オグリキャップ牡32:33.9岡部幸雄瀬戸口勉佐橋五十雄
第34回1989年12月24日イナリワン牡52:31.7柴田政人鈴木清保手浜弘規
第35回1990年12月23日オグリキャップ牡52:34.2武豊瀬戸口勉近藤俊典
第36回1991年12月22日ダイユウサク牡62:30.6熊沢重文内藤繁春橋本幸平
第37回1992年12月27日メジロパーマー牡52:33.5山田泰誠大久保正陽(有)メジロ牧場
第38回1993年12月26日トウカイテイオー牡52:30.9田原成貴松元省一内村正則
第39回1994年12月25日ナリタブライアン牡32:32.2南井克巳大久保正陽山路秀則
第40回1995年12月24日マヤノトップガン牡32:33.6田原成貴坂口正大田所祐
第41回1996年12月22日サクラローレル牡52:33.8横山典弘境勝太郎(株)さくらコマース
第42回1997年12月21日シルクジャスティス牡32:34.8藤田伸二大久保正陽有限会社シルク
第43回1998年12月27日グラスワンダー牡32:32.1的場均尾形充弘半沢(有)
第44回1999年12月26日グラスワンダー牡42:37.2的場均尾形充弘半沢(有)
第45回2000年12月24日テイエムオペラオー牡42:34.1和田竜二岩元市三竹園正繼
第46回2001年12月23日マンハッタンカフェ牡32:33.1蛯名正義小島太西川清
第47回2002年12月22日シンボリクリスエス牡32:32.6O.ペリエ藤沢和雄シンボリ牧場
第48回2003年12月28日シンボリクリスエス牡42:30.5O.ペリエ藤沢和雄シンボリ牧場
第49回2004年12月26日ゼンノロブロイ牡42:29.5O.ペリエ藤沢和雄大迫忍
第50回2005年12月25日ハーツクライ牡42:31.9C.ルメール橋口弘次郎(有)社台レースホース
第51回2006年12月24日ディープインパクト牡42:31.9武豊池江泰郎金子真人ホールディングス(株)
第52回2007年12月23日マツリダゴッホ牡42:33.6蛯名正義国枝栄橋文枝

[編集] 有馬記念の記録

  • レースレコード - 2:29.5(第49回優勝馬ゼンノロブロイ)
  • 2着との最大着差 - 9馬身(第48回優勝馬シンボリクリスエス)
  • 最多優勝騎手 - 3勝 岡部幸雄(第29回、第30回、第33回)田原成貴(第28回、第38回、第40回)オリビエ・ペリエ(第47回~第49回)
  • 連続優勝騎手 - オリビエ・ペリエ 3連覇(第47回~第49回)

[編集] 特記事項

  • 概要にも記されている通り、ファン投票による出走馬の選定を行うことは新しい試みであったが、レースの名称もファン投票によって選定しようとしたことも非常に画期的であった。当初、競馬会は「中山グランプリ」という名称にしようとしていたが当時「グランプリ」という名称は映画に関係する言葉として使われていたくらいで、まだ広く馴染んではいなかった。そこでファン投票用紙に出走させたい競走馬と同時に競走名を募った。その結果、一番多かった「中山大賞典」を始め17もの名称が集まった(競馬会が提唱していた「中山グランプリ(を可とする)」は第2位だった)。しかし、どの名称も名提案とまではいかなかったため、第1回はそのまま「中山グランプリ」で行われた。
  • 有馬記念開催50周年を記念し、2005年にロゴマークの一般公募を行った。その結果、京都市在住の男性が制作した有馬(Arima)の"A"をモチーフに、金色の天馬の羽根と16個(有馬記念の最大出走可能頭数)の星(ファン投票で選ばれたスターホースの意味)をあしらったデザインが採用された。競走当日はグリーンチャンネルや全国の競馬場ウインズで放送されるレースの映像にもこのマークが登場した(通常は中山のマスコットキャラクターである「ナッキー」)。このマークは2006年では使用されなかったが、2007年のファン投票用紙ではこのマークが使われた。
  • 12月25日に本競走が開催される時には『クリスマスグランプリ』と言われる。2005年で50周年を迎えた本競走で、このクリスマスの日に本競走が開催されたのは過去5度。1966年の第11回が初開催。それ以降は1983年の第28回、1988年の第33回、1994年の第39回、そして2005年の第50回と施行されている。
  • 2001年以降、主要なGI競走開催日において行われてきた入場券完全前売制による入場規制は行われなくなったが、2005年の第50回有馬記念では無敗の三冠馬として社会的な人気現象を引き起こしたディープインパクトが出走を表明し来場者の殺到が予測されたことから、6年ぶりに入場券は完全前売制となり、当日発売は行われなかった。前売り券は約19万枚発売され完売した。その日中山競馬場に訪れたのは約16万人であった。しかしその16万人の注目の的であるディープインパクトは2着に敗れた。
  • 本競走の開催日は混雑などの混乱を避けるため例年全10競走で行われて、本競走は第9競走である(発走時刻15:25と早い。なお、通常GI&JpnIが行われる競馬場のレースが15時半以後に行われるが、12月開催のメインレース発走時刻は日没時刻の関係で阪神ジュベナイルフィリーズ阪神競馬場にて開催される日を除き全日15:25で、順序も東京or中山→第3場→京都or阪神である。ちなみに、ジャパンカップダート(2007年まで)及びジャパンカップの発走時刻は15時20分である。したがって通常の日程と勘違いして勝馬投票券を購入してしまう者もたびたびみられるので購入の際には注意が必要である。ただし、誤って第11競走の馬券を購入しようとしても当日の「中山競馬第11競走」は存在せず、発券機にマークカードを挿入したところでエラーが発生してしまうので、このことによる購入ミスは起きていない(なお1980年代の一時期は全11競走立ての第10競走として施行された例があった)。
  • 中央競馬における「一年終わりの競走」として親しまれる有馬記念であるが、厳密にはその年最後の競馬ではない。中山競馬場の当日最終競走(第10競走)は「ハッピーエンドカップ」という条件競走であり、更にその直後に阪神競馬場で通常行われる第12競走「ファイナルステークス」がJRAの年間最後の競馬である。なお、この日に同時に開催される中京競馬場の最終第12競走は2006年より施行される「尾張(おわり)ステークス」というオープン特別競走である(2005年までは尾張特別だった)。
  • 通常、GI(JpnI)当日のメインレースと最終レースとの間は40分確保されているが(それでも記念写真撮影、表彰式、勝利騎手インタビューなどのセレモニーが長引いて最終レースの発走時刻が遅れることが多い)、朝日杯フューチュリティステークスと有馬記念の2つのGI(JpnI)レースだけは35分と短い。そのため、ハッピーエンドカップの発走時刻が毎年のように遅れる。
  • 1988年から1995年までの8年間、有馬記念の前座競走として第7競走にファン投票によって選抜された騎手が出場できるジョッキーズグランプリが施行されていた。ファン投票は、有馬記念の出走馬投票とともに同じ投票用紙(はがき)を使って行われた。

[編集] 有馬記念フェスティバル

中央競馬のその年の締めくくりを飾るオールスター戦・有馬記念競走の気運を盛り上げようと、1981年から毎年開かれている日本中央競馬会主催の公開イベントである。

毎年有馬記念開催週の月曜日に東京都内の会場で開かれるこのイベントでは、その年の有馬記念に出走が予定されている有力馬の騎手・関係者をゲストに招いてレースへの意気込みを語るトークイベント、また騎手と競馬愛好家のタレントらを交えたクイズ・ゲーム大会やタレント・競馬マスコミ関係者総出演によるレース展望会が実施されている。2004年度は元JRA職員で現在プロ格闘家として活躍する小川直也がゲストとして招かれた。2005年度はダービーフェスティバル同様、主催者側の都合で行われなかった。

また各地でも有馬記念ウィークを中心にした関連のイベントが開かれており、新潟市において「有馬記念フェスティバル(西暦年数)」が新潟競馬場新潟放送の共催で毎年行われ、その模様は新潟放送(ローカル)とグリーンチャンネルで放送される。2005年は大雪に伴う施設の停電のため開催されず、スタジオでレース展望を収録し放送した。なお、現在イベントの形で残っている有馬記念フェスティバルは、この新潟で行われているものだけである。

[編集] 脚注

  1. 八大競走の中では最も出走条件が緩やかで、クラシック及び天皇賞に出走出来ない騸馬でも出走が可能である。
  2. 日本の公営競技において、初めてファン投票による競走対象の選定を行ったのは競輪オールスター競輪)である。
  3. このコースは現在でも設定されているもののレースは開催されていない。
  4. 天皇賞(春・秋)、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念

[編集] 関連記事

中央競馬GI、JpnI、J・GI競走
フェブラリーステークス | 高松宮記念 | 桜花賞* | 中山グランドジャンプ | 皐月賞* | 天皇賞(春) | NHKマイルカップ* | ヴィクトリアマイル* | 優駿牝馬* | 東京優駿* | 安田記念 | 宝塚記念 | スプリンターズステークス | 秋華賞* | 菊花賞* | 天皇賞(秋) | エリザベス女王杯 | マイルチャンピオンシップ | ジャパンカップダート | ジャパンカップ | 阪神ジュベナイルフィリーズ* | 朝日杯フューチュリティステークス* | 中山大障害 | 有馬記念
  • 平地で国際グレードが得られていない競走(JpnI)には右肩に「*」を付している。
  • 障害競走(J・GI)は斜体で示している。

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