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2012年3月18日 (日) 13:19時点における版
鳩山 由紀夫(はとやま ゆきお、1947年2月11日 - )は、日本の政治家。学位はPh.D.(スタンフォード大学)。内閣総理大臣(第93代)、衆議院議員(8期)、民主党代表(第7代)。
内閣官房副長官、(旧)民主党代表、民主党代表(第2代)などを歴任した。鳩山一郎元首相は父方、ブリヂストン創業者の石橋正二郎は母方の祖父。前総務大臣の鳩山邦夫は弟。
目次
経歴
東京都文京区に大蔵官僚だった父・鳩山威一郎、母・安子の長男として生まれる。学習院初等科、学習院中等科、東京都立小石川高等学校を経て、東京大学工学部応用物理・計数工学科を卒業。その後スタンフォード大学の博士課程でオペレーション・リサーチを専攻しPh.D.を取得(1970~1976年)。東京工業大学助手(1976~1981年)を経て、専修大学経営学部助教授(1981~1986年)。
1986年、自民党の公認を得て田中派新人として、鳩山家が牧場を所有し鳩山神社という神社がある祖父の代からの地盤北海道から第38回衆議院議員総選挙に出馬、当選する。鳩山事務所側は「立候補の直接のきっかけは三枝三郎衆議院議員の引退がきっかけ」と主張している。小選挙区になった1996年以降は、鳩山家が開拓した地域は鳩山由紀夫氏の選挙区から外れた。なお、地方区分の選挙区自体は祖父と重複していないため、祖父の地盤を世襲していないと扱われている。 当時39歳、弟邦夫に遅れること10年と、決して早いとは言えない政界入りだったが、豊富な資金力に加え祖父以来の人脈を背景に短期間で目覚ましい上昇を遂げ、90年代の政界再編期に一躍中心的存在となっていく。
1988年には86年当選組を中心とした派閥横断的な政策集団として、後の新党さきがけの母体となる「ユートピア政治研究会」を結成、リクルート疑惑に揺れる党内にあって、自民党の巨額の政治資金の実態を明らかにして反響を呼び、90年代の「政治改革」運動の萌芽となった。
1993年政治改革を巡り自民党を離党。武村正義らと新党さきがけを結成参加。総選挙後、成立した細川護煕内閣では、内閣官房副長官(政務)に就任し、新党さきがけ代表の武村官房長官、代表代行の田中秀征首相特別補佐、日本新党代表幹事で後に新党さきがけ移籍する荒井聡と共に細川内閣を支えた。
日本社会党委員長村山富市を首班とする自社さ連立政権では、さきがけ初代代表幹事園田博之の官房副長官就任に伴い後任の幹事長として政権を支えた。
1994年秋、翌春の北海道知事選に出馬が取り沙汰され本人も乗り気だったが村山と武村と井出正一の説得で断念。自民党と自由連合の共同推薦候補伊東秀子を支持したが、横路孝弘後継で新進党と日本社会党の推薦候補堀達也に敗北した。
1995年7月第17回参議院議員通常選挙で新党さきがけ代表幹事として山中あき子を北海道選挙区で擁立画策したが山中は辞退。
1996年春頃から新党さきがけの党名を発案した簗瀬進や簗瀬と同じ選挙区の新進党幹部船田元と新党構想を打ち上げる。船田との新党作りは挫折したが、横路や邦夫や簗瀬や菅直人と共に旧民主党を結党。「排除の論理」で武村と袂を分かつ。
民主党では幹事長代理を経て、1999年9月の民主党代表選挙に勝利。この時は公約として正面から憲法改正を掲げて話題となった。2000年6月の衆院選、2001年7月の参院選など、国政選挙の度に党勢を拡大させたが、2002年12月統一補選での惨敗と自由党との統一会派騒動をめぐっての党内混乱の責任を取る形で代表を辞任。
その後も民主党内で最大派閥(民主党は「派閥」とは表現せず、「グループ」としている)「鳩山グループ」(政権交代を実現する会)を率いて憲法問題や北朝鮮による日本人拉致問題などについて積極的に発言するなど、一定の影響力を維持している。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙で民主党が敗北したことを受けての代表選挙では、当初、小沢一郎、菅直人らと後継代表の一本化を図るが、中堅・若手の代表格である前原誠司が立候補を表明したため、水泡に帰した。9月17日発足の前原執行部で幹事長に就任。
2006年3月31日、堀江メール問題に関連して、幹事長を引責辞任することを表明するが、同年4月7日に行なわれた前原誠司民主党代表辞任に伴う代表選で小沢一郎が当選すると、幹事長に留任した。新潟県中越沖地震発生当時、新潟市内での演説を予定していたが、高崎駅で下車して、車で柏崎市入りした。党新潟県中越沖地震対策本部長に就任。
2007年7月の参議院選挙大勝を受けての党役員人事で引き続き、党幹事長に留任。
2009年5月、小沢一郎代表の辞任を受け、かねてからの主張どおり党幹事長を辞職。その後の党代表選挙で、岡田克也を破り、代表に就任。同8月30日投開票の第45回衆議院議員総選挙にて、民主党は単独政党としては史上最多の308議席を獲得。同9月16日衆参両院の首班指名選挙を経て、第93代内閣総理大臣に就任。
年譜
- 1965年 東京都立小石川高等学校卒業
- 1969年 東京大学工学部応用物理・計数工学科卒業
- 1976年 スタンフォード大学大学院博士課程修了
- 1976年 東京工業大学助手
- 1981年 専修大学助教授
- 1984年 専修大学退職
- 1986年 第38回衆議院議員総選挙(旧北海道4区・自民党公認)当選
- 1990年 第39回衆議院議員総選挙(旧北海道4区・自民党公認)2期目当選。
- 1993年 6月18日 - 自民党離党
- 1994年 7月 - 新党さきがけ結成。第40回衆議院議員総選挙(旧北海道4区・さきがけ公認)3期目当選、8月官房副長官就任
- 1993年 6月21日 - 新党さきがけ幹事長就任
- 1996年 さきがけ離党、旧民主党結党、党代表(菅直人と共同)就任。第41回衆議院議員総選挙(北海道9区・旧民主党公認)4期目当選
- 1997年 党幹事長就任
- 1998年 民主党結成。幹事長代理に
- 1999年 民主党代表就任
- 2000年 第42回衆議院議員総選挙(北海道9区・民主党公認)5期目当選
- 2003年 第43回衆議院議員総選挙(北海道9区・民主党公認)6期目当選
- 2005年 第44回衆議院議員総選挙(北海道9区・民主党公認)7期目当選党幹事長就任
- 2005年 同志社大学客員教授
- 2009年 民主党代表、第93代内閣総理大臣就任
思想信条
- 「リベラルは愛であり、この愛は友愛である。」と、祖父鳩山一郎が好んで用いた友愛という言葉をリベラルの根底においている。
- 2001年に大橋巨泉が「社会主義インターナショナルに加盟しセンターレフト(中道左派)の党としての性格を鮮明にせよ」と述べたのに対し、鳩山は「民主党のコンセンサスではない」と否定している[1]。
政策
マニフェスト(政権公約)については、「いつまでに何をやるという工程表をマニフェスト(政権公約)で示すつもりはない。揚げ足を取られる危険性がある」と述べており、政権公約に政策実現の目標期日を設定することに否定的である[2]。
改憲論
新憲法制定議員同盟顧問を務め、憲法改正を推進している。2000年には、「二年で改正試案を各党が出して、速やかに憲法改正の結論をつけよう」と呼びかけ、自らも憲法試案を作成した。この改正案は鳩山由紀夫のホームページで公開されている。
鳩山由紀夫版の憲法改正案の特徴としては、日本の主権の一部を国際機構に移譲する、女性天皇を容認する、などがある。主権の移譲については、ヨーロッパと異なり実現は困難だが、アジア経済共同体が実現した暁には、通貨の発行権やその他を、さらに日本の軍事組織の指揮権を国際機構に委ねることを明記している。しかしアジア経済共同体の定義はない。天皇については、元首と位置づけ、女性天皇を認めている。
天皇制
- 月刊現代2004年7月号に「私の憲法改正試案いまこそ『女帝』容認のとき」を寄稿した。同年5月4日の長野県の講演で「皇位、皇統に属する男子又は女子が継承する」との条文を新たに盛り込むべきだと述べた。また、2005年11月18日の記者会見で、政府の「皇室典範に関する有識者会議」が出した女系天皇容認方針に寛仁親王が異論を唱える見解を示したことについて、「女系天皇に慎重な立場ということは似ている」と、同調する考えを表明した。「女性天皇は当然、あってしかるべきだし、歴史的にもあるが、女系天皇まで容認すれば、日本の歴史、伝統からみると大変大きな変化であり、慎重に議論することが重要だ」と述べた。
自衛隊
- 1999年11月21日、小泉純一郎と一緒にサンデープロジェクトに出演。「自衛隊は戦力で国際的には軍隊だ。憲法で自衛隊を軍隊と認め、やることやらないことを明確にすべきだ。」と発言し、小泉と憲法九条の改正について訴えた。
友愛外交
- 2009年5月、民主党代表選挙の公約で「価値観の異なる社会とも共生していける友愛外交を推進する。」と宣言した。
- 2009年5月15日、日本記者クラブ討論会で、「麻生内閣が推進する価値観外交は嫌いです。価値の同じくする国々が外交関係を強めるのは当たり前の話であって、外交というのは、価値観の違う国々が、いかに共存共栄というか、自立をしながら共生をする。そういった関係を作り上げるものである」と述べた。
北朝鮮
- 1997年10月23日、金正日が北朝鮮の国防委員会委員長に推戴されたことを記念する祝賀宴に参加。
- 2000年日朝友好議員連盟の顧問に就任。
- 2000年3月9日、朝鮮総連第一副議長の徐萬述らと会談し、「思惑があって支援するようなことではいけない。人道的な協力はすべきで、その中から両国の信頼を醸成していくことが民主党の基本的な考え方だ」と述べるとともに永住外国人の地方参政権付与などについても意見交換を行った。
- 2001年3月3日、朝鮮総連の韓徳銖議長の告別式に出席し、議長の死を惜しむ挨拶をした。
- 2009年5月26日、北朝鮮が核実験を強行したことに関連して、安倍晋三は鳩山に「友愛外交は北朝鮮に通じない。断固たる経済措置を行うべきだ」と訴えたが、「価値観の異なる国同士というものがどのようにしたら、この世界の中で、お互いにその存在というものを認め合えるような立場になり得るかということ。それが安倍氏には理解できないのかもしれない。」と安倍の価値観を一蹴し、「敵視しあっていた独仏の間でもEUが出来上がった」と日本と北朝鮮をフランスとドイツに例えて、北朝鮮の価値観を尊重することの大事さを解いた。また、同時に麻生内閣に対して「中国を活用して北朝鮮の扉を開かせることを考えるべきだが、その努力が極めて稚拙で足りない」と非難した。
拉致問題
- 1997年、北朝鮮による日本人拉致問題について、『困っているときに、拉致事件などの問題が解決しないと援助できないというのでは、彼ら(北朝鮮)の気持ちは和らげることができないのではないか』と前橋市で演説し、北朝鮮への食糧支援を訴えた。
- 2007年4月、韓国で開催された「平和と共存のための北東アジア指導者会議」で、韓国の識者から「6カ国協議では、拉致問題と北朝鮮の核開発問題を切り離してほしい」という要望に同意するが、拉致問題に関して日本人は理屈より感情が先んじている現実があるので、ナショナリズムを抑えるために韓国の協力が必要であるとスピーチした。
韓国
- 2006年4月10日、韓国釜山で民主党の外交政策について講演し、自民党の外交政策を「米国ばかりを向いたから、日本は孤立した外交になっている」と批判した上で「民主党は、中国、韓国、ASEAN・東南アジア諸国連合と友情の濃い関係をつくっていく」と述べた。また、靖国神社参拝問題や歴史教科書問題の清算が日本側に与えられてる課題であると見解を示した。
- 2006年5月2日、小泉総理大臣の靖国神社参拝に反発した韓国政府が日韓シャトル外交を中止すると、「与党の党首(小泉首相)が出来ないならば野党第一党として自らの役割を果たさねばならない」と韓国を訪問した。韓国では「民主党執行部の顔ぶれが新しく変わったから大いに期待してほしいというメッセージを伝えに来た」と自民党との違いをアピールをした。
- 2006年5月4日、韓国の韓明淑国務大臣と会談。韓が「日本側の歴史教科書歪曲、靖国参拝強行、独島問題などで最近両国関係に緊張がもたらされている」と強い遺憾の意を表明すると、「全ての領土問題は、根本的に歴史から始まる。日本が、歴史的事実をより正確に理解するよう努力する必要がある」と共感を示した。
- 2008年12月11日、韓国の李明博大統領の実兄の李相得に対して「(日本の)政権交代のため、韓国からご協力を」と求めた。
- 2009年6月5日韓国の李明博(イミョンバク)大統領とソウル市内の青瓦台(大統領官邸)で会談した。この会談で鳩山は李大統領に「一部に過去の侵略行為や植民地化を美化する風潮もあるが、私たちはそのような立場をとらない。私たちは過去の歴史を直視する勇気を持っている」と断言した。
- 2009年6月5日、李明博大統領から日本の新たな謝罪を要求されると、鳩山は「全面的に良いことだ。日本には過去を直視すべきだという人もいるが、植民地侵略を美化する風潮もある。民主党にはそんな人間はいない。ナショナリズムのとりこにならないことが大事だ」と答えた。
中国
- 2002年6月26日、江沢民国家主席に会見。「中国人民を率いて近代化を進め、大きな成果を収めたことに敬服している。中国共産党と中国人民が閣下の英明な指導のもと、偉大な国家を建設する道を進む過程で、一層大きな成果を収めることを願っている。」と中国共産党と江沢民を賞賛し、江沢民と一緒に記念撮影ができたことを「光栄なこと」と喜び、感謝した。江沢民からは「歴史を鑑に、未来に目を向けなければならない」と言われ、「日本は対外侵略戦争を起こした歴史に厳粛に対処、真剣に反省すべきで、再び周辺国に危害を与えるようなことをしてはならない。」と返答した[1]。
歴史政策
北方領土問題
- 祖父・鳩山一郎が首相のときの日ソ共同宣言から積み残した問題であるゆえ、弟の鳩山邦夫と共に熱心に取り組んでいる。一部からは、発言をした時期によって矛盾が見られ、鳩山の立場は明らかではないとも見られている。
- 2007年2月28日、父・鳩山威一郎の銅像除幕式で、「我々孫たちが真剣に北方領土問題の解決に向け、もう一度踏ん張らないといけない。四島一括返還では1000年たっても還らない」と語った。この発言を北方領土を一部割譲する形での問題解決に向けた意欲と見る向きもある。ただし、この発言は、4島返還の前提の下の一部先行返還論の可能性もあり、その真意は不明である。
- 2009年2月18日、麻生太郎首相とロシアのメドベージェフ大統領との首脳会談において、「新たな、独創的で型にはまらないアプローチで解決を目指す」事が言及されると、具体的な内容が提示されていないにもかかわらず、鳩山は「四島の主権は日本にあるというのは決して譲ってはならない一線だ」「四島の帰属は日本にあるという前提が抜けてしまうようでは大変危ない」と発言した。
- 2009年5月16日、民主党代表選挙の公約に、「北方領土の全面返還を目指す」が追加された。
慰安婦問題
- 2002年5月31日、日本軍の元慰安婦とされる女性を対象(日本人女性のみ対象外)とした「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」の審議を推し進める決起集会を民主党、共産党、社民党の3党合同で開いた際に、鳩山は「国はいまだにその責任を認めるとか認めないとか言っているが、被害者の人たちに補償をし、名誉を回復していくのは当然のこと。立法府としてもこの事実を認め、いっそう審議を進めていかなくてはならない」と述べた。
日本の戦争犯罪
- 1999年8月10日、日本共産党や社会民主党の議員と共同で『恒久平和調査局設置法案』を議員立法として第145回国会に提出。また、2000年11月20日に[[第150回国会、2005年6月9日に第159回国会、2006年5月23日に第164回国会へと廃案のたびに何度も再提出を繰り返している。この法案は国立国会図書館に恒久平和調査局を設置し、満州事変から日本の敗戦までの間に行われた日本による戦争被害を明らかにしようというもの。調査対象は、日本人を含めた外国人に対する徴用、性的行為の強制、生物化学兵器の開発など日本の戦争犯罪全般を網羅している。鳩山は、同法案の成立を目指す恒久平和のために真相究明法の成立を目指す議員連盟の呼びかけ人である。同法案は4回提出され、3回とも廃案となっているが、鳩山は成立に強い意欲を示している。
- 2009年1月6日、ニューヨーク・タイムスのノリミツ・オオニシ記者が2008年12月16日に書いた記事「麻生鉱業が連合軍捕虜を労役させていた。日本は戦争犯罪を否定するために証拠を隠蔽していた」に関連して、「不都合な事実から目をそむけるのも麻生政治なのでしょうか。事実も現実も認識できない総理では誰も信用しません。麻生総理の政治姿勢と資質が国際社会からも厳しく問われていることを知るべきです。」と麻生太郎総理大臣を非難した。
靖国神社問題
- 2006年5月3日、韓国で行われた韓明淑首相との会談で、「靖国参拝を中断しない限り、韓国・中国の信頼を取り戻せぬ」と小泉総理の靖国神社参拝を非難した。また、「国立追悼施設を今年の夏に建設できるようにしたい。中国や韓国から言われるとナショナリズムをあおるので、静かに見守ってほしい。」と求めた。*2006年8月10日、内閣総理大臣小泉純一郎が公約に掲げていた靖国神社への参拝を実施することについて、「国益を損なっても公約を守るというのは、国民から見れば不可思議な話だ。あまりにも過去の日本の行為、歴史を軽く見ている。国の内外からとても大きな批判が出るだろう」と発言した。
- 2006年8月15日、内閣総理大臣小泉純一郎が靖国神社を参拝すると、『総理の行動は、戦争により被害を受けた人々の心を踏みにじり、国益を大きく損ねている。民主党は、党利党略を離れ、歴史を直視し、国益の観点から、総理の靖国参拝に反対をしてきた。民主党は、総理の本日の靖国神社参拝を大変に残念に思う。』と非難する談話を発表した。
- 2009年6月3日、民主党本部で中国駐日大使、崔天凱と会談した。鳩山自身が首相に就任しても靖国には参拝しない考えを伝えた。これに対し、「民主党のこれまでの歴史認識は正しい。政権交代が実現したら、日中関係はさらに発展する」崔はこう応じたという。
歴史教科書問題
- 2001年、訪問した韓国ソウルでの記者会見で、扶桑社発行の中学歴史教科書について、「いたずらに歴史というものの事実を日本側にとって美化しようとしたことは明らか。そのような偏狭なナショナリズムを持った教科書が採用されることはあってはならない」と指摘し、「各地域の教育委員会で採択され、どんどん使用されていくことは望ましいことではない」と述べた。この発言は、民主党の松原仁たちから「発言が韓国当局の教科書批判に、正当性の根拠を与えたとすれば、不適切との謗そしりを免れない」と非難されたが、鳩山は「その教科書は望ましいとは思っていない。検定による修正で137箇所直っているが、思想的な部分は変わらないことは教科書の著者も認めている」と述べ、重ねて批判した。
政治倫理
- 2002年3月14日に発行された民主党メールマガジンの中で、当時自民党に所属していた鈴木宗男衆議院議員がいわゆるムネオハウス問題で離党したことに関連し、「比例代表選出議員は離党したら議員を辞職すべき」との考えを示した。
- 2007年8月29日、TBSラジオ「荒川強啓デイ・キャッチ!」に生出演し、参議院議員横峯良郎の賭けゴルフ疑惑について「表では認めてないが裏では許してしまっている極めて甘い法律が、こういう問題を起こしている」と言及、問題は横峯氏ではなく現行の法制度にあるとした。
外国人への参政権付与
- 鳩山由紀夫の公式ホームページで「私などは、定住外国人に国政参政権を与えることをも真剣に考えてもよいのではないかと思っている。」との考えを表明している。
- 2000年1月、朝鮮総連の徐萬述第1副議長から「地方参政権法案」に対し、民主党が慎重に対処するよう要請されると、党独自に訪朝団を派遣意向を示すなど日朝関係改善に努力するとともに、「参政権」問題に対する朝鮮政府と総聯の立場を検討し、在日朝鮮人の権利問題解決へ方途を模索していくと答えた。
- 2001年の第151回国会における首相施政方針演説に対する代表質問で、21世紀は「共生の世紀」「人権の世紀」であり、そのために、永住外国人に地方参政権を与えるべきであると訴えた。
- 2004年4月14日、在日本大韓民国民団から「永住外国人への地方選挙権付与法案」の早期成立を求める陳情を受けると、「地方参政権付与は当然だと承知している」と表明した[2]。
- 2008年の第169回国会における首相施政方針演説に対する代表質問で、代表質問で「永住外国人の地方参政権はすでに韓国に先を越されたではないか」と述べ、日本も早く実現すべきとの姿勢を強調した。これに対して、福田康夫首相は「永住外国人に対する地方参政権付与の問題について、韓国の状況は承知しておりますが、この問題は、我が国制度の根幹にかかわる重要な問題でもございまして、各党各会派において議論を進めていただきたいと考えております。」と返答した。*2009年1月9日、在日本大韓民国民団の新年会にて、在日韓国人への参政権について「もっと真剣に取り組む1年に」と約束した。
- 2009年4月17日、「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」。
- 2009年4月18日、ニコニコ動画のニコニコ討論会に出演し「日本列島は日本人だけの所有物じゃないんですから、もっと多くの方々に参加をしてもらえるような、喜んでもらえるような、そんな土壌にしなきゃダメですよ。」「日本人が世界の中で一番自信を持ってるはずなのに、なんで他国の人たちが地方参政権ひとつ持つことを許せないのかと。少なく とも韓国はもう認めている訳ですよね。彼らが認めていて我々が認めないというのは、非常に 恥ずかしいと思いますね、私は。」「私は定住外国人の参政権ぐらい当然付与されるべきだと、そう思っています。」と発言している。
- 2009年5月31日、それまで政権公約に明記していた在日外国人への地方参政権付与について「個人的には前向きに考えるべきだと思うが、党内で結論が出ている状況ではない」と述べ、次期衆院選を控え、党内の対立を深めることは得策ではないと判断、党内の異論を踏まえマニフェスト記載を見送る考えを示した。これにより、同党のこの問題に関するマニフェスト記載が、党内で結論として出されたものではなかった事を明らかにした。
日本に対する問題提起
- 公式ホームページで「日本は他の国々に比べて外国人の比率がかなり低いこと自体が大いに問題である。これは外国人にとって、日本は住みにくい国であることを物語っている。」と指摘している。。
- 2009年5月15日、日本記者クラブ討論会で「友愛」のイメージがつかめないという質問に対して「友愛という言葉が死語になっているところが日本の最大の問題ではないか。そのように、私は真剣にそう思います。」と返答した[3]。
政局
- 2007年11月8日、「次の衆院選で政権を取ることがかなわなかったら、自民党との大連立の話が復活する可能性は出てくる。」と述べ、次期衆院選に敗北した場合にも民主党が政権に参加する可能性があることを表明した。更に、11月13日の記者会見では、「次期衆院選で民主党が第一党になった場合、自民党の一部を取り込んだ形で連立政権を組む。」と表明し、総選挙に勝利した場合に自民党と連立することを明らかにした。
- 2007年12月14日、大阪府知事選について、民主党が阪大大学院工学研究科教授の熊谷貞俊の擁立を決定したことに関連して、「一番反対していた奥さまが“あの相手にだけは大阪を任せられない。ここで出なければ男じゃない”と最後は強く推したと聞いている」と述べた。しかし、当の夫人は「そんなこと言ってません。めっそうもない」と否定している。
- 2008年1月13日、小沢代表が11日の衆議院本会議を退席し、補給支援特措法の採決を棄権したことに対し、当初「小沢氏は大阪府知事選の応援に向かった。(再可決という)暴挙に対して、公務として大阪府民に訴えかけている」と釈明したが、当の小沢代表は大阪府知事選では再可決について全く触れなかった。また、「国会議員としての責務を果たすべきだった」と批判したが、当の小沢代表には、「国民にも民主党にも大事ではない」と切って捨てられた形になっている。大阪府知事選後に、推薦候補が敗北した原因の一つとして小沢代表の欠席を指摘するも、小沢代表からは、「幹事長が何を言ったか知らないが、府知事選に影響したとは思っていない」と反論され、党首脳部で意思疎通が欠如しているとの印象を与えた。
- 2008年2月10日、民主党非主流派の仙谷由人、枝野幸男、野田佳彦、蓮舫、小沢鋭仁、土肥隆一や自民党の山崎拓、加藤紘一ら反小沢色の強い議員と訪韓した。訪韓前の8日、(反小沢との批判に対し)「全く気にすることのない行動だ」と否定するとともに、「小沢代表のもとで政権交代を担う」と述べたが、9月の代表選までに政権交代できなかった場合、「代表選では選挙を行って次のステップに進むのも必要なプロセスだと考えている」と反小沢の対抗馬として出馬する可能性があることを示唆した。
- 2008年8月26日、ラジオ番組で小沢代表の無投票再選を評し「小沢代表の顔を見たら怖い、相手になった場合、何をされるか分からないと感じてしまう方が多いかもしれない」のように述べた。
- 2009年3月3日、小沢一郎の公設秘書の逮捕をうけて「小沢氏は、すべてのお金の出し入れを明らかにしている。問題はない。陰謀だ」と政府、与党、検察サイドによる陰謀であるとした。3月8日に福島で開催された集会でも(支出を原則公開していることから)「小沢代表は最もクリーンな政治家」と強調した。
- 2009年3月29日、小沢一郎の進退に関連し「小沢氏の下での幹事長だ。殉じるときは殉じる」と述べ、小沢辞任の場合は、自らも連帯責任を取って幹事長を退く考えを示した。また、後任として、自らが代表に就く可能性については「そんなふうにはいかない」と否定した。が、同年五月に代表就任している。
- 2009年3月18日、東京都内での講演で、「世襲禁止は大きなテーマ。マニフェストに採り入れたい」と語る。
- 2009年6月6日、日本郵政の人事問題に関連して、実弟の鳩山邦夫総務相(当時)に対して「民主党に協力して加わるなら、早く閣僚を辞めて新しい道を進めたらいかがか」と述べ、自民党離党と民主党への合流を呼びかけた。鳩山邦夫が、この問題で、事実上更迭され、離党を含めた去就が注目されるようになった6月11日、「西南戦争に決起し、政府に反旗を翻した時の西郷隆盛の言葉を引用した。弟はその覚悟を持っていると当然理解している」と述べ理解を示した一方で、連携について「私どもは政権交代を目指している。念頭に置いてはいない」と否定した。
時局から主張が変化した政策
小泉改革
- (転向前)2001年6月の小泉純一郎内閣総理大臣(当時)との党首討論の場において「私は民主党代表だが、首相が構造改革を断行する気持ちで努力することを評価したい」と発言し、更に「ヤジを飛ばしている方々は首相の改革路線の足を引っ張っている抵抗勢力なんですよ。私たちは背中を押して差し上げようとしている改革勢力。志半ばで倒れたら民主党があなたの骨を拾ってあげます!」とも述べた。
- (転向後)2009年5月15日、民主党代表選挙の前日に鳩山は対立候補の岡田克也に対し「岡田さんが代表の時、郵政民営化の戦い(2005年の郵政選挙)で民主党は敗れ去ったが、結果として地域が崩壊の憂き目にあっている。新自由主義の総括をお願いしたい」と小泉構造改革の総括を求めた。
消費税
- (転向前)2005年12月、TBS系の討論番組に出演したさい、消費税の税率に言及し「7%。年金目的で理解される。それでは足りず10%いく時期もある」と答えた。
- (転向前)2007年2月9日、記者会見で「マニフェストを作成する中で年金と消費税の議論を行うことが大事だ」と消費税増税に言及した。しかし、7月6日安倍晋三首相が前日夜のテレビ番組で、秋以降に消費税率引き上げも含めた抜本的税制改革の検討に入る考えを示したことが報じられると、「選挙が終われば消費税を上げるぞということが見え隠れしている」と批判した。
- (転向後)2009年5月、自身が出馬した党代表選挙では「(消費税率を)上げる必要がないことを試算として出しており、議論をすれば、経済が厳しい時に消費税の議論をするのか、という話になる」と消費税率の議論を封印した。これに対し、自民党の与謝野馨は「岡田さんは逃げない、鳩山さんは逃げる。これが私の率直な印象」と述べた。
自衛隊の海外派遣
- (転向前)2000年12月7日、民主党護憲派の「21世紀の民主党を考える会」の会合に講師として招かれ、「平和執行型の国連平和維持活動(PKO)にも日本は参加しなければならない。そのとき、憲法が障害になるなら変えればいい」と述べた。この発言がきっかけで当時の横路孝弘副代表が代表辞任を求める事態となり、その後、鳩山氏が「私の発言でご心配をかけた。 おわび申し上げる」と陳謝したうえで「憲法にかかわる安全保障の議論は党憲法調査会の推移を見守りたい」と述べた。
- (転向前)2008年10月17日アフリカ・ソマリア沖の海賊対策としての自衛隊の派遣について、衆院テロ防止特別委員会において、民主党の長島昭久議員が、「海上保安庁の巡視艇がソマリア沖の海賊対策に当たるのは困難」という趣旨の政府答弁を引き出したうえで、「自衛隊艦艇のエスコート(護衛)は海賊対策にかなり効果がある」と提案した事を受けて、翌18日の会見で「政権交代の暁に、積極的、前向きに検討する」と明言した。
- (転向後)2009年1月23日、アフリカ・ソマリア沖の海賊対策として、海上自衛隊護衛艦を派遣するという政府方針に対して、「なぜ海上保安庁じゃだめなのか、なぜ自衛隊なのかというところが、判然としていない」「3党が協力して麻生政権を追い込むため、海賊対策でもできる限り一致するように努力したい」と発言した。
北朝鮮への先制攻撃
- (転向前)1999年2月26日、千葉市内での講演で「あと数分とか数秒で日本を攻撃するミサイルが発射されるという状況が自明のとき、撃たれるままで手をこまねいていなければならないかというと、必ずしも憲法ではそうではない。自衛のために行動することは禁止されていないと理解している」と憲法上では先制攻撃が許される場合もありうるとの見方を示している。
- (転向後)2009年5月27日、新聞記者との会見で「相手の基地の先行的な、こちらでたたきのめしていいなんていう議論も、まさに(核武装議論と)同じように、私は慎むべき議論だと、そのように考えております。」と見解を示した。
核武装議論
- (転向前)1999年10月27日、東京都内で行われた講演で、先に核武装をめぐる発言で辞任した西村眞悟元防衛政務次官の問題に絡んで「核武装してもいいかどうかを国会で検討したらどうかと言った瞬間にクビを切られるとなると、国会で核をもつべきかどうかなんて議論がなされなくなる。議題に乗せることすらしてはいけないという発想もいかがなものか」と発言した。
- (転向後)2006年、核保有の議論の容認発言を行った麻生外相に対して「議論すること自体が(国際社会に)間違ったメッセージを与える。日本の外相がこういう発言をしたことに心から怒りを持つ」と発言し、安倍首相に麻生の外相罷免を要求した。
- (転向後)2006年10月17日自民党政務調査会長だった中川昭一が非核三原則を見直すかどうか議論する必要があるとの発言を行ったことに対しても、「自民党の中川政務調査会長の非核3原則をめぐる発言はどうしても看過できない。北朝鮮が核を持つなら日本も持ってやり返すんだというような発想は断じてあるまじきことだ。議論も封印しなければならない」と発言した。
- 2004年9月15日、アパグループ代表の元谷外志雄邸での「日本を語るワインの会」に夫人を連れて参加。同席した田母神俊雄、大島信三と元谷夫妻の6人で核武装に関する議論などを行っていた。鳩山と同席者達は邸宅内外で記念写真を撮影している。鳩山はこの件に関して事実関係を認めつつも、「失礼ながら余りにも私の思想とかけ離れた話をされていたので、途中でご無礼いたしたことを思い出します。」と自身の2008年11月5日付けのメールマガジンで述べている。また、「田母神航空幕僚長が、かつて日本が犯してしまった侵略行為と植民地支配を正当化する論文を発表して、更迭されたのは当然として、定年退職にしてしまったことは許せません。退職金は6千万円とも言われています。懲戒処分を受けるべき者が、6千万円貰って退職するとは言語道断です。このような処理をした政府の責任を厳しく追及せねばなりません」と田母神を批判している。田母神は鳩山の批判に対して「ウソを言うのもたいがいにしてもらいたい。鳩山はあの日、最後まで会合に出席して楽しんでいた。彼は私や元谷代表らと一緒に、仲良く記念撮影までしている。自分がつらい立場になれば、平気で人を裏切る。そういう人間は、今後も何かあったときに必ず人を裏切ることでしょう。鳩山由紀夫は、まったく信用ならない人物です」と述べている。
政権交代後の官僚人事
- (転向前)2009年2月9日に行われた鳩山の講演で、政権交代が行われたときの官僚の人事について「(各省庁の)局長クラス以上には辞表を提出していただき、民主党が考えている政策を遂行してくれるかどうかを確かめたい」と述べた。
- (転向後)2009年6月30日、党本部で記者団の質問に答え、「法的には難しい話だ。辞表という形に必ずしもならない」と以前の発言を訂正した。
政治資金報告書虚偽記載問題
- 2009年6月、鳩山の政治資金管理団体「友愛政経懇話会」の政治資金収支報告書に、故人からの献金が記載されていることが発覚。少なくとも5人の「故人」が延べ10回、5年に渡っておよそ120万円を献金したことになっていた。
- 同月、実際には鳩山に献金していないのにもかかわらず、「友愛政経懇話会」へ個人献金したとして収支報告書に記載されている人が複数いることが発覚した。
- また、記載されたリストの中には住所自体が存在せず、実際には存在していない人物も含まれていたことが発覚した。
- 鳩山はこの問題が報道されたことを受けて、五百蔵洋一弁護士に調査を依頼、2009年6月30日に記者会見で調査内容を公表した。それによれば実体のない、問題のある寄付は少なくとも2005年からの4年間で、延べ193人分、総額2,177万円に上る。なお、調査は現在も続行中である。
- この問題の調査の過程で、「友愛政経懇話会」の政治資金収支報告書のなかで5万円以下などの条件を満たす匿名の個人献金の総額が、2003年から2007年の5年間で計2億3千万円に上り、国会議員のなかで突出して多いことが分かった。
- 鳩山の個人献金のうち、5万円以下のために献金者の匿名が認められる小口献金の2003年から2007年の5年間の年平均額は約4,600万円となっており、ここ5代の自民党総裁、民主党代表経験者の年平均額の約140万円を大きく上回っており、2003年には1,500人以上の匿名者からの小口献金があったとしている。
- 自民党プロジェクトチームによるこの問題の調査の過程で、鳩山の地元・北海道9区の道議、市議、町議ら42人が、鳩山が代表を務める「民主党北海道9区総支部」に対して、毎年12月25日のクリスマスに、数十万円、5年間で1,650万円にのぼる献金を行っていたことが明らかになった。特に、平成17年のクリスマスの献金に関して、当日は日曜日であり、一般銀行の多くが振り込みはできないはずだが、例年通り巨額の献金が計上されていた。これに関して、「地方議員が国会議員に献金するなんて聞いたことない。ましてや政界有数のお金持ちに上納する必要なんてあるのか」「クリスマスの日曜日に1人1人から集金して回ったのか」と疑問が呈されている。この件に関して、9区総支部の会計責任者は「毎月受け取った寄付金は年末に一括計上している」としたが、他の町議などから「総支部には年1回一定額を寄付している。党費は別に払っている」「支部から送られてきた振込用紙に金額を記入し、前期、後期に分けて振り込んでいる」と異なる説明がなされる一方、複数の道議や市議が「鳩山代表が各市町村議員に渡して払わせているという一部報道は事実に反する」と否定。また、同支部の政治資金収支報告書には会計責任者の現職道議の記載がないなど、不透明な部分も明らかになった。
- この問題を受けて、7月3日には東京都内の市民団体「鳩山由紀夫を告発する会」から、政治資金規正法違反の疑いで告発を受けた。なお、告発した市民団体「鳩山由紀夫を告発する会」は代表者、メンバー共に詳細が明らかにされていない謎の団体である。
- 鳩山はこれらの問題について、6月30日に「私の個人献金額があまりにも少ないので、秘書が心配してやってくれたのだと思う」と発言。この発言内容に対して与野党から異論が噴出したため、7月3日には「企業・団体献金が『鳩山はカネを持っているから』ということで、なかなか集まらない。その焦りもあったと思う」、翌4日の会見では、「もともと8000万円ほど貸し付けている。これ以上増やすのは、秘書にとってつらい話になったのではないか」「本人に聞いたわけではなく推測だ」と述べるなど、再三発言を修正している。
- 岡田克也民主党幹事長は、自民党がこの問題を批判していることについて「記者会見すら拒否している人がほとんどの自民党が、説明責任が足りないといって騒ぎ立てている」と批判し、鳩山の対応を「自民党にも様々な疑惑があるが、自ら非を認めて謝罪をしたのは鳩山氏だけだ」と評価した。当初は説明責任を果たしたとしていたが、読売新聞の世論調査で、「鳩山氏が説明責任を果たしていない」が約8割を占めたことを受け、「与党が攻め立てているので、国民が『十分説明を果たしていない』と考えたのではないか。我々も、もっと伝える努力をしなければならない」と述べた。なお、同世論調査では、「鳩山氏が説明責任を果たしていない」が約8割を占める一方で、鳩山が代表を辞任すべきかについては、「辞任する必要はない」57%で、「辞任すべきだ」30%を上回った。
- 小沢鋭仁民主党国民運動委員長は、「(献金の原資が)鳩山さん個人の金であることは間違いない。脱税の疑いなどはまずない。ただ、監督責任はあると思っている」と述べ、複数の道議や市議が主張した「鳩山代表が各市町村議員に渡して払わせているという一部報道は事実に反する」との発言を否定している。
- この問題に関わったとされる鳩山の会計責任者は、民主党秘書会の会長を務めている。
- 鳩山は過去に「資金管理団体、政党支部の代表者は政治家本人。事務的なミスではない」との発言をおこなっている。
その他 発言
- 2006年2月、NHK討論番組に出演したさい耐震強度偽装問題に絡む小嶋進ヒューザー社長と安倍晋三官房長官(当時)の秘書との関係について「(安倍氏は)国土交通省側に働き掛けはしていないと言っているが、国交省側のいろんな方から聞くと、どうもそうでもない」と述べ批判した。
- 2009年4月17日、インターネットの動画サイト「ニコニコ動画」に出演した際に、永住外国人への地方参政権付与が必要だという認識を示した上で、「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」と発言した。この発言の模様は、2009年7月現在もニコニコ動画で視聴可能である。
- 2009年4月24日、SMAPメンバーの草なぎ剛が公然猥褻で逮捕されたことについて、「そこまでやるか」などと警察の捜査手法を批判した。
- 2009年5月9日、講演にて、平成21年度補正予算案に計上された「国立メディア芸術総合センター」(仮称、117億円)について「アニメが好きなのは麻生太郎首相だ。首相が好きだから、官僚が作ってやろうと。簡単に言えば国立の漫画喫茶だ。大変な浪費で、ばかばかしい」と非難した。(実際にはアニメだけでなく、漫画、映画などといった広範囲の作品が展示される予定)。
- 2009年5月27日、党首討論にて、「国立メディア芸術総合センター」(仮称)について「いわゆる漫画喫茶の民業圧迫になる」と批判した。
- 2009年6月、臓器移植法改正に関し、「脳死は人の死」とする案(A案)を小沢一郎や菅直人、岡田克也など他の民主党幹部が賛成する中、反対票を投じた。
人物
- 豊富な資金力や祖父以来の人脈を背景にして、1990年代の政界再編期に一貫して中心にあった。民主党の結党に際しては多くの資金を提供したとされる。また小泉内閣誕生から政権初期にかけて民主党代表を務めていたため、小泉の自民党内牽制カードとして、鳩山民主党との連携が噂された。
- 政権交代を実現する会(鳩山グループ)を率いる。政策的な結びつきよりも鳩山の資金力を頼りにする議員が多く、結束力は今一つである。結党以来最大派閥だったが、郵政選挙大敗によって多くの所属議員が落選し、参院選の大勝で絶対的な発言力を手にした小沢代表のグループに、新人議員が多く加入したため、最大派閥の座を同グループに明け渡した。
- 鳩山家の伝統に漏れず東大に進学したが、「これからはエンジニアリングの時代」と法学部でなく工学部を選んだ。当初から政治家志望で法学部を選んだ弟・邦夫のほうが成績は良く、自身は1年前の模試で「合格率5%」と言われ、腹を立てて2度と受けなかったという(報知新聞2月9日「有名人が語る受験必勝法」)。なお、鳩山は博士号を持つ初めての総理大臣である。息子の紀一郎も東大工学部出身。
- 学習院初等科では後に高知県知事になる橋本大二郎、新党さきがけ政調会長や西武百貨店社長を務めた水野誠一らと同級生であった。
- 2000年の第42回衆議院議員総選挙では自民党新人の岩倉博文に追い上げられ当時、党代表でありながら当確も当選も小選挙区で300番目(最終)に打たれた。(重複立候補していたが北海道で民主党の比例単独候補は上位に中沢健次、金田誠一、三井辨雄、鈴木康司と4人もいて当選者数は3人、鳩山自身は5位。小選挙区敗北は即ち落選と党規約「党代表は党所属国会議員の中から選出する」ので同辞任を示唆していた。岩倉は比例復活果たし初当選)
- 2001年の代表時代に「宇宙人に似ている」とよくいわれることから、宇宙人をイメージしたグッズを製作され、「宇宙人」というあだ名がついた。
- 2004年の年金未納問題の際に8年9か月間未納であったことが発覚している。
- 兄弟そろっての愛犬家であり、蝶好きであることでも知られているが、蝶研究の第1人者を自認している弟の邦夫によると、兄はもっぱら「夜の蝶ばかり追いかけているカメレオン」とのことである(2000年総選挙における演説にて)。これには相手に応じて意見を七色に変えるという意味合いも込められている。
- 自宅や東京・音羽の鳩山会館で大規模な社交パーティを開くなど政界きっての資産家として有名だが、本人は「庶民的な感覚を持ち合わせる。」と自称している。2006年04月16日、衆院千葉7区補選で太田和美候補(当時)の選挙応援の際には、同候補の「負け組ゼロへ」をキャッチコピーに選挙カーにはほとんど乗らず、他の民主党幹部と共に自転車で選挙区内を回り地元出身をアピールする戦術に同調、同選挙のために太田陣営が6800円で購入した「新車」による自転車遊説行脚を敢行し「私も自転車に乗れるんです」と庶民感覚をアピールしている。尚、本人は自転車に乗るのは「2、3年ぶり」とも発言している。現在でも、地方に遊説する際は時折自転車に乗っているようである。
- 毎日のように落語を聞いてから寝るという大の落語ファン。東京では立川志の輔。上方落語では桂三枝。2009年8月の衆議院選挙では大阪市北区の寄席「天満天神繁昌亭」で遊説している。
- 空間プロデューサー平山誠のプロデュースによる居酒屋「トモト」を新橋で経営。しかし平山の新党日本事務総長(現総務局長)就任の煽りを受け、2005年末閉店。
- 中山美穂、常盤貴子のファン(公式サイトによる)。
- 幸夫人との結婚について「(他)人の嫁さんで、子供はいませんでしたけどね、日本料理屋で働いていたんです。」と幸夫人が自身と不倫の末に結婚したことを認め「普通の人は未婚の女性の中から相手を選びますね。私は全ての女性の中から選んでいるんですよね」と自身の独自の倫理観を披露した。
- 夫婦揃って韓流ファンであり、そのため代表就任時には韓国メディアから好意的に受け止められた。麻生総理との関係について朝鮮日報は、「鳩山氏は“打倒自民党”の先頭に立ったが、まさに彼の祖父は55年体制を作った鳩山一郎元首相だ」「そのとき権力の座を引き下ろされた吉田茂元首相の孫がいま自民党を率いる麻生首相」と両者の因縁の関係を披露している。そのうえで、「孫がおじいさんの遺産(自民党)をつぶそうとする局面に、政敵の孫が遺産を守る政治ドラマが脚本なしで進行している」とも伝えている。
- 2005年に出版された、ビブロス社刊「オタクエリート NO・1号」の表紙モデルを務めた。同誌には「鳩山由紀夫が語るニッポンの漫画・アニメ」と題されたロングインタビューが掲載され、その中で鳩山は「三国志」を取り上げ漫画の効用を説いた。また大学時代には週刊少年マガジンや週刊少年サンデーだけでなく、ガロまで読んでいたことを語っている。好きな漫画は前谷惟光の「ロボット三等兵」と、桂正和の恋愛漫画「I”s(アイズ)」を上げている。「ロボット三等兵」を「名著なんだよ、名著」と褒め称え、「I”s(アイズ)」については毎週愛読していたといい、「淡いロマンが良くってね」と恋愛観も明かしていた。
関係団体
- 北京オリンピックを支援する議員の会の会長代理
- 日中友好議連副会長
- 日韓議員連盟顧問
- 在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟
- 民主党日韓議員交流委員会委員長
- チベット問題を考える議員連盟
- 同志社大学文化情報学部客員教授(2005年就任)
- 特定非営利活動法人日本・ロシア協会(日ロ協会)会長
関連が指摘される団体
- 崇教真光の47周年秋季大祭に出席し、来賓として祝辞を述べた。
- 統一協会の『救国救世全国総決起大会』に民主党議員10数人を連れて出席している。
- 2009年1月14日、日教組新春の集いに参加。民主党への支援に感謝の言葉を述べるとともに『日教組とともにこの国を担う覚悟だ』と挨拶した。
逸話など
- 1996年旧民主党結成のさいに住専問題などで世論から厳しい追及を受けていた武村正義を鳩山は熟考の末、切り捨てている。この「排除の論理」は「友愛」と共に、この年の新語・流行語大賞に選ばれた。「自分で自分をほめたい」の有森裕子、「メークドラマ」の長島茂雄らと共に表彰式に鳩山は堂々と参加した。
- 1999年札幌市長選挙では自身が幹事長代理務める民主党は現職桂信雄を推薦していたが、民主党を離党した中尾則幸を応援。しかし党からは一切処分を受けなかった。参議院議員であった中尾は1998年の参院選における選挙区調整で比例区に転出したが、名簿順位で配慮するよう代表の菅に要請するも当選圏外であった。
- 1988年にレコード「Take HEART〜翔びたて平和の鳩よ〜」をテイチクレコードから発売している。
- 母方の祖父・石橋正二郎がブリヂストン創業者である関係から、同社の株を大量に保有している。2008年1月の世界同時株安で、同社の株価が下落したことにより、評価額で30 - 40億円近い含み損が発生したと、邦夫が発言している。
- 公式Webサイトに「日本」を「日木」、「自由」を「白由」とするなど、漢字の間違いが多数あることが2009年4月に発見された。なお現在では修正済み。
- 新潟県中越沖地震直後に震災の被害を視察するため訪れた小学校の体育館で、後から来た安倍晋三首相(当時)とばったり鉢合わせをするという一幕があった。
家族・親族
- 曽祖父・鳩山和夫(父方祖父方、衆議院議長)、寺田栄(父方祖母方、貴族院議員)
- 曾祖母・春子(共立女子大学創立者)
- 祖父・一郎(父方、内閣総理大臣)、石橋正二郎(母方、ブリヂストン創業者)
- 祖母・薫子(父方、共立女子大学学長)
- 大叔父・秀夫(東京大学法学部教授)
- 大叔母・カヅ(司法大臣鈴木喜三郎に嫁ぐ)
- 父・威一郎(外務大臣)
- 母・安子(ブリヂストン創業者石橋正二郎長女)
- 姉・和子(鳩山友愛塾塾長、工学博士・筑波大学名誉教授井上多門夫人)
- 弟・邦夫(総務大臣)
- 妻・幸(宝塚歌劇団卒業生。宝塚歌劇団在団時の芸名・若みゆき)
- 長男・紀一郎(元東京大学大学院工学系研究科助教)
- 義妹・エミリー(元タレント、高見エミリー)
- 甥・太郎(政治家・前東京都議会議員・総務大臣政務秘書官)
- 姪・華子(高実華子の名で歌手、たかみはなこ(高見華子)の名でイラストレーターとして活動)
- 甥・二郎(元法務大臣政務秘書官)
系譜
- 鳩山氏
鈴木喜三郎 ┃ ┏カヅ ┃ 井上多門 ┃石橋正二郎━━安子 ┃ ┃ ┃ ┏和子 ┃ ┃ ┃ 鳩山十右衛門博房━━鳩山和夫 ┃ ┣━━━╋鳩山由紀夫 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━━鳩山紀一郎 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 幸 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━╋鳩山一郎 ┃ ┗鳩山邦夫 ┃ ┃ ┃ ┃ 春子 ┃ ┣━┳鳩山威一郎 ┃ ┃ ┃ ┃ 薫 ┃ ┃ ┃渡邉曉雄 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━━┳渡邉康雄 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━信子 ┗渡邉規久雄 ┃ ┃ ┃ ┗━━玲子 ┗鳩山秀夫 ┃ ┃ ┃ ┣━━鳩山道夫 ┃ 菊池大麓━━━千代子
┏木戸孝允 ┃ ┗治子 児玉源太郎━━━━━ツル ┃ ┃ ┣━━━木戸孝正 ┃ ┃ ┃ ┏木戸幸一 来原良蔵 ┣━━━━━━┫ ┃ ┗和田小六 ┏寿栄 ┃ 山尾庸三━━━╋山尾三郎 ┃ ┗千代 ┃ ┣━━━━━┳広沢真吾 ┃ ┃ 広沢真臣━━━広沢金次郎 ┗直子 ┃ ┃ 池田吾一郎━━━池田勇人 ┏直子 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━━━━╋紀子 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃池田行彦 満枝 ┃ ┃ ┗祥子 ┃ ┏石橋進一━━━━石橋慶一 ┃ ┃ ┃ 鳩山一郎━鳩山威一郎 石橋徳次郎━━━┫ ┃ ┏鳩山由紀夫 ┃ ┣━━━━━━┫ ┃ ┃ ┗鳩山邦夫 ┃ ┏安子 ┗石橋正二郎━┫ ┗啓子 ┃ ┣━━━━━━━悦子 ┃ ┃ 郷裕弘 ┃ ┃ 伊地知純正━━庸子 ┃ ┃ ┏宮澤裕夫 ┣━━━━━┫ ┃ ┗啓子 ┏宮澤喜一 ┃ ┃ ┃ 宮澤鹿吉━━━━━宮澤裕 ┃ クリストファー・ラフルア ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━━━╋宮澤弘━━━━━宮澤洋一 ┃ ┃ ┃ ┃ 小川平吉━━━━━こと ┃ ┃ ┗宮澤泰 ┃ ┏その ┣━━━━━┫ ┃ ┗ゆり 児島喜久雄━━汪子 ┃ ┃ ┏吉國二郎━━吉國真一 吉國兼三━┫ ┗吉國一郎
著書
- 『民益論 ― われら官僚主導を排す』(鳩山由紀夫・菅直人・古川元久 共著、PHP研究所、1997年)ISBN 4-569-55642-6
- 『いま、子どもたちが殺される ― 学校崩壊・いじめ・家庭内暴力…歪んだ教育の病弊を衝く』(濤川栄太著、日本文芸社、1999年) ISBN 4-537-14004-6
- 『「成長の限界」に学ぶ』(A.ペッチェイ原著、小学館、2000年) ISBN 4-09-387284-8
- 『新憲法試案 ― 尊厳ある日本を創る』(PHP研究所、2005年) ISBN 4-569-64140-7
レコード
1988年、シングルレコード「Take HEART〜翔びたて平和の鳩よ〜」をテイチクレコードに製造を委託した自主製作盤として発表した。レコードB面は同じ曲のコーラス版。
- 収録曲
- Take HEART〜翔びたて平和の鳩よ〜
- 作詞・作曲:ゲンゴロウ、編曲:横山純一、歌:鳩山由紀夫
- Take HEART〜翔びたて平和の鳩よ〜
- 作詞・作曲:ゲンゴロウ、編曲:菅原峰子、歌:菅原峰子&ボニークラック
参考文献
脚注
関連項目
- 鳩山一郎、鳩山邦夫、藤田幸久、安住淳、中山義活、高野孟
- ユートピア政治研究会
- 新党さきがけ
- 民主党国会議員一覧
- 民主党代表
- 民主党の次の内閣一覧
- 崇教真光
- 大連立構想 (日本 2007)
- 資産公開制度
- チベット問題を考える議員連盟
- 友愛外交
- 故人献金
外部リンク
官職 | ||
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先代: | 内閣総理大臣 第93代:2009年 -
|
次代: 現職
|
党職 | ||
先代: | 民主党代表 第2代 : 1999年 - 2002年
第7代 : 2009年 - |
次代: 菅直人
現職 |
先代: | 民主党幹事長 第7代:2005年 - 2009年
|
次代: |
先代: 結成
|
民主党 (1996-1998) 代表 初代 : 1996年 - 1997年
|
次代: |
歴代内閣総理大臣 | |||||
第92代 麻生太郎 |
第93代 2009年 - |
第代 [[]] | |||
第代 [[]] |
第代 |
第代 [[]] | |||
第代 [[]] |
第代 |
第代 [[]] | |||
第代 [[]] |
第代 |
第代 [[]] | |||
第代 [[]] |
第代 |
第代 [[]] | |||
伊藤博文 黑田清隆 山縣有朋 松方正義 大隈重信 桂太郎 西園寺公望 山本權兵衞 寺内正毅 原敬 |
高橋是清 加藤友三郎 清浦奎吾 加藤高明 若槻禮次郎 田中義一 濱口雄幸 犬養毅 齋藤實 岡田啓介 |
廣田弘毅 林銑十郎 近衞文麿 平沼騏一郎 阿部信行 米内光政 東條英機 小磯國昭 鈴木貫太郎 東久邇宮稔彦王 |
幣原喜重郎 吉田茂 片山哲 芦田均 鳩山一郎 石橋湛山 岸信介 池田勇人 佐藤榮作 田中角榮 |
三木武夫 福田赳夫 大平正芳 鈴木善幸 中曾根康弘 竹下登 宇野宗佑 海部俊樹 宮澤喜一 細川護熙 羽田孜 |
村山富市 橋本龍太郎 小渕恵三 森喜朗 小泉純一郎 安倍晋三 福田康夫 麻生太郎 鳩山由紀夫 菅直人 野田佳彦 |