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2013年5月26日 (日) 18:02時点における版
ここでは、民主党 (日本 1998-)をとりあげる。その他の民主党については、
- 民主党 (日本 1947-1950)
- 日本民主党 (1954-1955)
- 民主党 (日本 1996-1998) を参照。
民国連立政権の政権与党であり、衆議院・参議院の両方において第1会派を形成している。
目次
概要
1998年4月、院内会派「民主友愛太陽国民連合」(民友連)に参加していた旧民主党・民政党・新党友愛・民主改革連合が合流して結成された。法規上では、1998年に旧民主党が各党を吸収したという形をとっており、1996年結成の旧民主党が存続ということになっている。2003年9月には小沢一郎率いる自由党が合流(民由合併)したが、2012年7月には小沢は民主党を除籍され、支持する議員とともに新党である「国民の生活が第一」を立ち上げた。
結党時には保守中道を掲げる旧民政党系と中道左派を掲げる旧民主党系が対立した結果、党の基本理念を「民主中道」とすることで落ち着いた。
保守・中道右派を自認する自民党に対して、主に海外メディアからはリベラル・中道左派の政党と位置付けられる。しかし、結党の経緯により主に自民党の流れを汲む保守本流・保守左派の議員や旧民社党系の反共色の強い議員も一定数存在しており、このため左派政党と位置付けられることに否定的な党員や支持者も存在する。なお、2001年に党内左派より「中道左派という概念から社会主義インターナショナルに加盟すべき」という提案がなされたこともあるが、当時の代表である鳩山由紀夫は「左派というのは民主党のコンセンサスではない」と反対し、頓挫した経緯がある。
国際組織の民主主義者連盟に加盟している。
自民党は1955年の結党以来、国政選挙の選挙区の公認候補の当選を47都道府県全てで経験しているが、民主党は1998年の結党以来、いまだ福井県・島根県・宮崎県の3県で国政候補の当選を果たせていない。
キャッチコピーは野田佳彦が考案した「今と未来への責任。」と「ひとつひとつ、乗り越えていく。」である。かつては小沢一郎が考案した「国民の生活が第一。」、岡田克也が考案した「日本を、あきらめない。」や菅直人が考案した「元気な日本を復活させる。」も使用していた。
成立から与党になるまで
結党の背景
1980年代の後半からリクルート事件などを契機として政治とカネのあり方が問われ始めると、小沢一郎や後藤田正晴らを中心に自民党内の一部で小選挙区制と政党交付金の導入を主張する政治改革の機運が高まっていった。これには政権交代可能な二大政党制を実現させ、中選挙区制によって馴れ合いに陥っていた(小沢談)55年体制を打破するという目的があった。
小選挙区制への移行は短期的には最大政党の自民党に有利なものであったため、野党は一斉にこれに反発する。一方で自民党内でも、将来的に政権から転落する可能性が高まることや特定団体からの組織支援効果が薄まることなどから反対論が相次ぎ、海部内閣では政治改革四法は廃案に追い込まれた。
1993年、宮澤内閣でも法案が否決されるに至って党内の対立は決定的となり、小沢一郎、羽田孜、岡田克也ら改革推進派は内閣不信任案に賛成票を投じて自民党を離党する。宮澤喜一首相は衆議院の解散を選択して第40回衆議院議員総選挙に踏み切るも、自民党は政権から転落。この選挙では枝野幸男、前原誠司、野田佳彦、小沢鋭仁ら、後に民主党の主要メンバーとなる議員が政治改革を訴えて日本新党から多数初当選を果たしている。
この選挙の結果、小沢、羽田らは、8党派連立による非自民・非共産連立政権を樹立、政治改革四法を成立させた。しかしその後は政党間による対立が表面化し、約一年ほどでこの連立政権は崩壊した。
また不信任案には反対した鳩山由紀夫らも新党さきがけを結成し、翌1994年には小沢、羽田、岡田らは新進党を結成。この二つの政党の一部に社民党右派議員を加えたものが、現在の民主党のおおまかな源流となる。
結党、黎明期
1996年9月、新党さきがけを離党した鳩山由紀夫、菅直人らと社民党の右派議員、ほか鳩山邦夫らが集い、「官僚依存の利権政治との決別」「地域主権社会の実現」を標榜して旧民主党を結党。両院合わせて57名での船出であった。翌月に控えていた第41回衆議院議員総選挙を横ばいの議席で乗り切り、翌1997年には菅直人が党代表に、鳩山由紀夫が幹事長にそれぞれ就任して党の体制が整えられた。
一方の新進党は同じ総選挙で政権獲得はおろか議席を減らすという敗北を喫していた。党の求心力は急激に衰え、1997年12月、党の再生が困難だと判断した小沢は、新進党の解党を宣言する。自民党に復党、合流する議員が更に多数出る中、小沢を中心とする自由党にも公明党にも与しない形で野党に留まる勢力があった。
旧民主党はこれら民政党・新党友愛・民主改革連合と1998年1月に院内会派「民主友愛太陽国民連合」(民友連)を結成し、合流に向けた協議を進める。旧民主党の枝野幸男、民政党の岡田克也、新党友愛の川端達夫らが基本理念をまとめる協議にあたり、合意に至る。4月27日、ここに現在の民主党が誕生した。手続上は他政党が解散し、民主党に合流した形となった。
新民主党は、「行政改革」「地方分権」「政権交代」を掲げ、自民党に代わる政権政党となること、二大政党時代を作り上げることを目指すとした。「生活者」「納税者」「消費者」の代表という立ち位置、「市場万能主義」と「福祉至上主義」の対立概念の否定などを結党時の基本理念に掲げている。
この年の参院選では、大型公共事業の抜本的見直しや地方分権の推進などを訴え、10議席増の27議席を獲得する。しかし、当時衆議院で単独過半数の回復に成功していた自民党と比して、この頃の民主党を二大政党の一角と見る動きはまだ少なく、あくまでも最大野党という位置付けが一般的であった。
1999年9月、代表選挙で菅直人を破った鳩山由紀夫が代表に就任する。
党勢拡大、二大政党へ
2000年6月の第42回衆議院議員総選挙で、定数削減があったにも関わらず改選前の95議席を大きく上回る127議席を獲得、二大政党時代の到来を宣言する。とは言え、自公保政権は引き続き安定多数を維持しており、与党を過半数割れに追い込むという狙いは達せられなかった。この選挙では、現行消費税の年金目的税化、扶養控除の廃止と児童手当の金額倍増などが公約に盛り込まれた。
2001年4月、小泉政権が公共事業改革や分権改革を推し進める聖域なき構造改革を掲げて発足する。これらの改革は民主党の政策と共通するものを含んでいたため、鳩山は小泉に対し「協力することもやぶさかではない」という姿勢も見せ始めるようになる。以後、小沢が代表に就任する2006年までは、改革の速度や手法を競う「対案路線」で与党と対峙することになる。
7月の参院選では小泉旋風の前に4議席増の26議席獲得に留まる。選挙公約には、道路特定財源の一般財源化、天下り禁止法の制定、全てのダム建設の一時凍結などが新たに盛り込まれた。
翌2002年9月、鳩山は代表に再選されるがこれに関連して中野寛成を幹事長に起用する論功行賞人事が党内の求心力の低下を招き、自由党との統一会派構想の責任を取る形で12月には辞任に追い込まれた。同月、岡田克也を破った菅直人が代表に返り咲く。
2003年9月、来る総選挙を前に執行部が自由党との合併に踏み切ることを正式に決断する。枝野幸男らをはじめ強硬に反対を唱える声もあったものの、役員、要綱、党名を据え置くという民主党による事実上の吸収合併という形で決着を見せた。この民由合併により民主党は両院合わせて204人(衆議院137、参議院67)を擁するまでに党勢を拡大させた。
11月、日本初のマニフェスト選挙となった第43回総選挙では、改選前を40議席上回る177議席を獲得、大きく躍進する。比例区の得票数では自民党を上回った。高速道路の原則無料化、年金制度の一元化、衆議院の定数80削減などがこの選挙から新たに政権公約に加えられた。
2004年、年金制度改革を巡るいわゆる「年金国会」において菅直人の納付記録に未納期間があることが判明し、代表辞任へと追い込まれる。(後にこれは社会保険庁職員の怠慢による手続きミスであったことが明らかとなり、厚生労働省が謝罪している。)菅の後継にいったんは小沢一郎が内定するが、小沢にも年金未納が発覚し、出馬辞退に追い込まれた。
5月、新代表に若手の筆頭格であった岡田克也を無投票で選出。間を置かず7月の参議院選挙を迎えた。発足間もない新体制に一部不安視する声もあったが、50議席を獲得し、国政選挙において初めて自民党(49議席)に勝利を収めた。
この時期から政権選択選挙という言葉が急速に現実味を帯び始めるようになる。
郵政選挙の大敗、出直し
2005年8月、小泉純一郎首相が郵政民営化の是非を問うとして衆議院を解散(郵政解散)。自民党は民営化に反対したいわゆる造反議員との分裂選挙に突入した。選挙戦の序盤は「漁夫の利」などとして民主党に楽観的な論評も飛び交い、政権交代を確実視して伝える一部海外メディアもあった。
郵政民営化の是非を争点に選挙戦を展開した与党に対し、民主党は郵貯・簡保の徹底的な縮小と郵便事業への民間事業者参入促進など、2003年以来党が掲げてきた改革案で応えた。また、郵政問題よりも重要な争点として、利益誘導型政治・官僚支配からの脱却、公務員人件費の2割削減、18兆円に及ぶ税源の地方への委譲、大型公共事業の見直しなどを改めて提示し、「徹底した無駄削減」と「コンクリートからヒトへ」による大胆な社会構造の変革を訴えた。
しかし、「造反議員」と「刺客候補」の対決構図が連日のように報道されていく中で政策論争は次第に世論の関心を失い、民主党は小泉劇場の前に埋没していく。結局、改選前を大きく下回る113議席という結果に終わり、岡田民主党は歴史的大敗を喫した。岡田は即日代表辞任の意向を表明する。
党代表後継には菅直人と前原誠司が名乗りを上げる。当初は菅有利と見られていたものの、最終演説で投票議員の心を掴んだ前原が僅か2票差で選出された。前原は、「脱労組」「世代交代」を打ち出し、党の再建に着手する。耐震偽装問題で馬淵澄夫による証人喚問が世論の喝采を浴びるなど、新生民主党は順調な出直しを図ったかに見えた。
しかし、2006年2月に堀江メール問題が起きると、一転して民主党は激しい世論の批判を浴びることになる。情報の真偽を巡って執行部の対応が後手に回ったことも問題を長引かせる要因となり、翌3月にはついに前原が辞任に追い込まれる。これにより、民主党は解党の噂すら実しやかに囁かれる、危機的な状況に陥った。
小沢体制、政策の転換
4月、小沢一郎が菅直人を破り、新代表に就任する。小沢は菅を代表代行に指名し、幹事長を務める鳩山と共に「トロイカ体制」と言われる挙党一致体制を敷いた。
小沢体制ではまず小泉構造改革を否定するという大きな政策的転換が図られた。それまで民主党の方針であった経済成長路線は影を潜め、子ども手当ての導入、農家への戸別所得補償といった多額の財政出動を伴う政策を打ち出された。更に2005年総選挙時に掲げていた年金目的消費税を凍結するなど、財源に関して甘い見通しが立てられたのもこの時期である。
地方組織が磐石ではない民主党にあって、小沢は各議員・候補に徹底した地元活動を求めるなど、地盤の強化にも力を注いだ。2007年4月の統一地方選挙を勝利し、7月の第21回参議院議員通常選挙でも60議席獲得と大勝。ついに参議院で与野党の逆転を果たした。
小沢は参議院での多数を武器に与党に激しく抵抗する「対立軸路線」を敷き、政権を追い込む戦術を選択した。しかし11月、小沢はねじれ国会の運営に行き詰った福田康夫首相に大連立構想を提案する。しかし予てから「健全な二大政党制」を望んでいた民主党役員会では小沢を除く全ての議員がこれに反対、世論も同様の反応を示した。連立協議の仲介役を担った渡邉恒雄によれば、大連立構想を巡る小沢の狙いは消費税引き上げと憲法改正にあったという。その後、民主党は2008年のガソリン国会などで抵抗を続け、ねじれ国会を有利に戦いを進める。この頃には首都圏の政党支持率では自民党を圧倒するようになる。
ところが2009年3月、西松献金問題で小沢の公設第一秘書が逮捕・起訴され、党内外に激震が走る。事件を機に支持率は軒並み下降し、迫る総選挙への影響を避けるためとして5月、小沢は代表を辞任した。
次期総理候補を決める代表選挙として大きな注目を集める中、小沢に近い議員らが推す鳩山由紀夫と、世論の後押しを受けた岡田克也が争った。消費税率見直しは4年間議論もしないとした鳩山と、議論は行うべきだとした岡田であったが、参議院票の取り込みで優勢に立った鳩山が接戦を制した。初めて表面化した親小沢と非小沢との対立構図であったが、選挙後は岡田が幹事長職を引き受けるなど、このときはまだ選挙後の融和が図れる比較的穏やかなものであった。
7月12日、総選挙の前哨戦とも位置付けられた東京都議会議員選挙で第1党に躍り出る。島部を除く全ての選挙区で民主系の候補者が1位当選を確保するなど、地滑り的大勝を飾った。
翌13日、麻生太郎首相が衆議院を解散する意向を表明。この月、NHKの全国世論調査で初めて民主党が政党支持率で自民党を逆転する。
政権奪取後から参院選敗退まで
国民への誠意、政治と金の脱却、国民目線の政治、しがらみのない政治・・。当時のメディアで盛んに交わされていた言葉である。
今を思えば空しく響き渡る言葉の数々なのだが、国民はメディアの文句になびき、世の流れと見た地方自治体の選挙などで自民党の公認候補がポツポツ負けだすと、さらにテレビが熱狂的に報道し、国民はさらに過熱し政権交代に拍車がかかっていた。感情的な勢いとテレビや新聞などのメディアの扇動が政権交代を起こした。
- 2009年9月 - 鳩山首相率いる鳩山内閣、民主党政権誕生。「まずは自民党政権の政策を片っ端から排除するッポ♪」
- ①2009年度補正予算の執行停止 - これによって麻生内閣が作った景気対策の補正予算の執行が停止され、3兆円が執行されず予算に繰り入れられる。
- ②シーリング済みの2010年度予算原案の破棄 - 自民党が作ったものだとしてシーリングに基づいた予算原案を破棄し、ゼロベースを称して1から作り直させる。
- ③八ッ場ダムの本体工事入札の停止命令と事業停止 - 自民党政権の負の遺産の象徴とされて槍玉に挙げられた八ッ場ダムの最後の本体工事を強引に停止させる。
- 効果 - 補正予算を急に執行停止されたせいで、予定していた工事に関係する業者は予定していた仕事がパアになって大損害をこうむるわ、仕事に空白ができるわで大迷惑だったし、そのせいで採用した人員も仕事がなくなってしまった。予算はシーリングを破棄したくせに自分たちでゼロベースで予算を組み替えられず、予算原案作成が間に合わなくなって来年度予算作成を大幅に遅らせて混乱させた。八ッ場ダムの事業停止は特定ダム法違反で8都県から法的に訴えられた。
- この9月は民主党政権にとってはやりたい放題の時期だった。まだ政権交代ムードの熱が残っていて、自民を叩けば全て良いというマスコミ報道に同じく、マスコミ報道にそのまま乗っかって政権交代した多くの国民は民主党の行為を大目に見て大して批判せず、一方で強引な手法を批判する自民党側が批判された。
- しかし一方で早くも民主党政権はマニフェストが崩壊し始める。9月の段階で鳩山首相は消費税増税と赤字国債発行を含む発言を行い、長妻厚生労働大臣は全額国費と言っていた子供手当の地方負担を示唆した。そして地球環境フォーラムで二酸化炭素排出量を2020年までに1990年の25%削減を表明して産業界が大騒ぎする。政権発足から1ヶ月で思いつきの政策は早くも破綻し始める。
- 鳩山政権でマニフェストにヒビが入りだしたこのころ、民主党内では小沢幹事長が党内権力を握り、国会の委員会で妨害工作を始める。具体的に言うと、国会内の小委員会に傍聴と称して民主党の議員を大量に送り込み、民主党議員には拍手喝采し自民党には大ブーイング多人数の大声で委員会のムードを民主一色にして自民を潰そうとした。もちろんこんなことは委員会の進行妨害行為なのだが、委員会の議長は民主党の国会議員で民主党の味方についてしまい注意もしなかった。
- 極めつけは1990年比マイナス25%削減宣言。これは鳩山首相自身が『鳩山イニシアチブ』と名づけて全力で取り組めば可能な数字だと豪語して、当時の麻生総理が90年比マイナス6%でも厳しいといった反発を押し切って、わざわざ自分の名前までつけてバカな宣言をしてしまった。その1週間後に鳩山イニシアチブ実行での影響などを試算する関係閣僚会議が始まる。全く馬鹿げたことに、鳩山イニシアチブを発表した鳩山首相以下、民主党政権の閣僚たちも90年比マイナス25%の影響を全く考えていなかった。結局、当時の麻生総理が反発した際に挙げた『国民一人当たり22~77万円の負担』という主張を丸写しする形で当時の小沢環境大臣が会見で発表した。
- 2009年10月 -「自民の膿を落とすのは気持ちいいッポ♪」
- ①郵政民営化見直しを鳩山内閣で閣議決定 - 当時の日本郵政の民間人社長であった西川氏に株主圧力をかけ強引に辞任させ、後任に元大蔵省の斎藤氏を起用。
- ②2010年度予算の概算要求が1ヶ月遅れでまとまる - 要求額は自民党政権時代を10兆円前後も上回る95兆5000億円に膨れ上がり、税収予測から55兆円もの財源不足が判明。
- ③東南アジア諸国連合(ASEAN)議長国タイのアピシット首相と会談し、自らが提唱する東アジア共同体構想を突然語りだす - 外務省およびタイ側との事務方協議でも予定していなかったことで、 両国の外務担当者が困惑しアピシット首相も困惑。
- 日本郵政の社長の急な交代劇は本当に強引なものだった。日本郵政の大株主である日本政府が圧力をかける形で辞任を迫り、西川氏はやむを得ず応じた。その後の急な辞任会見での西川氏の表情は鳩山内閣への猛烈な怒りと不満に満ちていた。西川氏にしてみれば万年赤字だった郵便部門の黒字化と日本郵政の大幅増収増益という 日本郵政社長としての実績がありながら政治的圧力で辞任というのが許せなかった。そして後任は元大蔵省の斎藤氏が天下りで新社長についた。実はこの斎藤氏の社長就任で日本郵政の役員は全員が天下りになってしまった。このことは国会でもテレビでも自民党中心に批判が相次いだが、『斎藤氏は大蔵省退庁から10年以上経っているので天下りとは言わない』などと独自論を突然展開し、自分たちのやり方は天下りではないと言って開き直った。
- さらに馬鹿げているのは一度シーリングしたうえで中央省庁が出した概算要求を破棄して、もう一度作らせた概算要求額が自民党政権時代を10兆円前後上回る95兆円まで膨らんだことだ。シーリングとは概算要求基準とも言って、各省庁の予算要求の際に上限をあらかじめ決めてやりくりする目処を立たせたうえで予算要求する手法だったが、鳩山内閣では自民党の悪習として破棄して予算要求を作り直させている。そのせいで要求しなおしで本来の予算作成が遅れてしまい、挙句に出来た概算要求は95兆円。もちろん膨れ上がった概算要求は報道されて国民を驚かせ、国会では野党から追及された。そして膨れ上がった概算要求にたいして予算作成で再び鳩山内閣はゴタゴタ揉め始める。素直にシーリングされた予算要求を呑んでいればこんな問題にもならなかった。
- この2ヶ月の民主党政権がやったことは、自民党政権時代に行ってきたことを全部壊すことだけしかしていない。自民党政権の膿を落とすと言って、自民党政権がやってきたことは片っ端から潰した。その政策の中身や影響は考えていなかった。政策を潰して白紙に戻した後に自分たちがどんな政策を造るかすら考えてなかった。自分たちで政策を立案することすら出来なかった連中が前政権の政策を検証することが出来るはずはなかった。
- 自民憎し最優先で、まず潰すことありきで政治をした。その結果、潰した後に民主党政権で政策を作り直す必要性が出てくるが、その肝心の政策の立案&実行力がゼロだった民主党は何も出来なかった。結局は自分たちが猛批判して脱官僚とまで言って叫んでいた官僚に泣きつく。何も考えずに思いつきで政治をやって、何もしなけりゃ受けなかった批判を受けて、挙句に自民を潰したんだから意味があったと言って、野党からも世間からも乖離していく。
- 2009年11月
- ①2010年度予算において新規国債発行額は44兆円を超えない範囲にすることを決定する。
- ②鳩山イニシアチブの一環として発展途上国に8000億円の温暖化対策無償資金援助を決定。
- ③民主党政権後に初の日米首脳会談 - 会談で鳩山首相はまたしても事務レベル会合では予定していなかった友愛ボート構想を突然発言する。その内容があまりにもお花畑で非現実的なものであったために、オバマ首相に話を途中で遮られる。
- 11月あたりを境に各地の地方自治体の知事選や市長選で、民主党の公認候補は自民党の公認候補に連戦連敗、地方から民主党の支持基盤は崩れだした。2ヶ月の鳩山内閣の自民憎し先行での行き当たりばったりの政策。外交においての事務レベル会合無視での思いつき発言の数々。そして政治と金の問題に無縁だと言っていた鳩山首相の政治資金規正法違反。鳩山内閣の政治と金の問題の連発に無能無策の思いつき政治に、国民が徐々に政権交代フィーバーから冷めてきて、まず直近の選挙がある地方選挙から民主党の推薦候補が次々に破れて、自民公明推薦の候補が圧勝するようになってきた。
- 政治を行えば責任がついてくるわけで、失政の政治責任を追及される。この頃の鳩山は国会の委員会では野党から猛烈に追及されて閣僚は助けてくれない。民主党内では小沢派と鳩山派の議員は実質ボス小沢に擦り寄って自分はシカト。ほとんど孤立状態になって追求を浴びるようになり、この時期から鳩山は次第に精神的に狂いだして会見や国会で挙動がおかしくなって発言はシドロモドロでアヤフヤな対応しか出来なくなって来る。
- 党内で飾り物状態に野党からは政治責任と政治と金の問題で追求の嵐。経済、外交、防衛、金融、これらの各政策は行き詰まり、予算もまとまらない。内政も外交も行き詰って責任追及されるようになった鳩山は11月あたりから国会対応が急速に逃げ腰になる。あらゆる政治責任追及をのらりくらりと横道に逸れた答弁をして時間を稼ぎ、国会審議を停滞させて追及から逃げて誤魔化しに終始するようになる。おまけに10月からは国会開催すら嫌がるようになり、鳩山内閣は内閣発足後からわずか40日の会期で閉幕してしまう。
- 小沢と鳩山の求心力が下がったら社会党系の他派は非協力的になり、前原や岡田は鳩山の言うことを個人的な発言と言って遠ざけ、政権交代前までは協力していた菅は国会審議中は居眠りして知らんフリ。そんな有様を見せ付けられて、選挙が行われている地方から負けだす。民主党は政権交代から3ヶ月で既に内外からヒビが入ってきていた。
- 2009年12月
- ①2010年度一般会計予算の新規国債発行額が53兆円にまで上ることが明らかになり、予算編成で揉める。
- ②ガソリン暫定税率撤廃のマニフェストを突然撤回する。
- ③普天間基地移転で辺野古移転案を破棄して最低でも県外移転というマニフェストを延期して半年先延ばしにする。(その後、12月末にアメリカで鳩山がオバマ大統領に年内に移転先を決めるという書簡を送っていたことがバレる)
- ④子供手当の全額国庫負担のマニフェストを撤回し、地方に5700億円の負担を求めることを決定。
- ⑤首都高速以外の高速道路完全無料化を断念し、一部実施に加えて普通車上限2,000円に改められる。
- 2010年1月~2月 - 年明け早々に藤井財務大臣が体調不良を理由に辞任。
- 後任の菅財務大臣は無責任なんてレベルではなかった。藤井財務大臣から急遽の後任で自身の副総理&国家戦略大臣との兼任。だから予算のことは知らないと開き直って国会審議では審議中に寝ていた。菅にしてみりゃ求心力低下した小沢と鳩山の内閣の後釜に座って、最初っから関わりもしなかった予算のことで叩かれるのがイヤなんだろうが、それなら最初から財務大臣なんかならなければ良い話で、財務大臣になりながらこの態度では国会をナメているとしか言いようがない。
- 2010年3月 - 「親から毎月1500万円なんて知らなかったといってるだろうがああああ!!」
- ①岡田外務大臣がアメリカとの非核三原則における核持込の密約を暴いて世間に外交機密を晒す - この軍事同盟の裏約束が暴露されて世間に晒されたことを裏切りとみなしたアメリカは外交で態度を硬化。
- ②2010年度の予算が成立 - 92兆3000億円で新規国債発行額44兆3000億円。
- ③子供手当法案、高校無償化法案が成立。
- 自公政権時代の児童手当は邦人を含む日本国籍を持つ子供だけ。子供手当はこの国籍制限を撤廃してしまい、外国にいる子供にも出す。逆に邦人には日本人でも子供手当は支給しないという法律になってしまった。そして児童手当にかけられていた所得制限も撤廃してしまった。
- 子供手当は児童手当に比べて費用が大きすぎ給付の規模が大きすぎる。少子化対策としては毎月26,000円は育児費用の補助としては過大で結局、育児以外のことに使われるか、最悪の場合単なる貯金になってしまう。経済対策だと言っても乗数効果は期待できず、恒久的に行うことで政府が経済情勢に応じて調節が出来ないから経済対策とも言えない。そんな目的不明確な政策に初年度2兆5000億、来年からは毎年5兆もかかる。どう考えたって目的が不明確な税金の無駄遣いになってしまう。
- 目的は6月の参議院選挙の前に国民に現金バラまいて支持を得ることであった。その後も恒久的に現金バラ撒き続けて、民主党を支持してもらおうというのが本音だ。もちろん、そんな本音は言えるわけがない。だが本音と建前という言葉はあるが、子供手当にはその建前すら無い。だから子供手当の国会審議では紛糾して鳩山内閣は誤魔化しに終始した。誤魔化しと牛歩答弁で国会審議を乗り切って、与党賛成多数で可決。
- 家計を支援というスローガンを掲げて国民に現金をバラ撒く政策が目白押しの2010年度本予算が可決した。税収不足のうえに新規国債発行額は44兆円と取り決めていたために不足分の10兆円あまりを税外収入で補填していて、その税外収入のために外貨為替特別会計と財政投融資特別会計の積立金の取り崩しに踏み切り、その結果、この2つの特別会計は本来準備しておく積立金すら不足になった。財政の規律も自制も関係ない、民主党の都合だけのムチャクチャな予算であった。
- 2010年4~5月
- ①赤松口蹄疫 - 宮崎県で発生した口蹄疫を鳩山内閣及び赤松農林水産大臣は放置して蔓延させ結果的に15万頭以上の家畜を殺処分。
- ②普天間基地移転問題 - 最低でも県外と豪語して散々迷走した挙句に当初の自民公明案であった辺野古に決まる
- ③鳩山内閣退陣
- 普天間基地移転は結局は自民公明の辺野古案に戻ったからまだいい。どうせ民主党政権が潰れて自民公明政権に戻れば話は元通りに出来る。一番酷いのは何と言っても赤松口蹄疫。東日本大震災や福島第一原子力発電所事故などでも後の民主党政権は、するべきことをいないで余計なことをやって現場を混乱させて大惨事を招いたが、赤松口蹄疫は鳩山内閣を始め民主党、マスコミが組んで宮崎県を潰そうとした。あまりにも悪質極まりない『事件』なだけに、当時の現場を知っている人たちは赤松口蹄疫が風化しないように残してくれている。
- 政府の無援にマスコミの報道封殺で世間からも気付かれずに口蹄疫が蔓延して、宮崎県の財産である宮崎牛が絶滅するかもしれない事態で戦っている宮崎県民に対し、それを嘲笑って蔓延していくのを見ていた赤松はじめ民主党の面々。そしてそんな宮崎県の人々の気持ちを踏みにじり、次の選挙での支持を要求する。この赤松口蹄疫で大問題になっている最中に鳩山内閣が退陣して菅内閣が発足する。
- 2010年6月~7月
- ①鳩山内閣退陣後の代表戦で菅氏が当選し、内閣総理大臣に
- ②参議院選挙前にマニフェストに全く無かった消費税増税を発言 - 先に消費税増税をマニフェストに掲げた自民党を参考に10%にするなどと、党で調整していない政策だった。
- ③7月の参議院選挙で民主党は44議席にとどまり自民党は51議席で躍進、民主党は敗れた。
- 鳥越俊太郎は、「国民の力で成し遂げた政権交代を守る選挙です。自民党の古い政治に戻るのか、古い政治から脱却するのか。そのための選挙です。古い政治に戻しては絶対にいけません。菅さんは庶民的で国民目線の政治をする良い人です」と報道し続けた。
- 「参議院選挙直前の6月に子供手当3か月分をバラ撒きますよ♪」「消費税は増税しても中低所得者には還付金をあげますよ♪」「だから今回の参議院選挙は分かっていますよね?」こんな具合に民主党の候補から出てくる話は現金をバラ撒く話ばかり。あとは政策が実行できないのは自民の妨害だとか、自民との負の遺産と言い、戦後長く続いた自民党政権の膿は1年では落ちないと自民批判に血眼になった。政治的無能からくる失政の数々とマニフェスト詐欺と選挙での恫喝の数々で、マスコミが耽美喝采して悪いところは徹底的に隠す民主応援機関になっても国民はすこしづつ民主党政権というものを分かり始めていた。その境目だったから、民主は金を撒いてでも勝ちたかったし自民は絶対に負けられなかった。
総括
- 出来る見込みのない過大広告な政策を公約して、公約詐欺をした。
- 自民憎しの私情が混じる政策が多く、その結果に自分の首を絞めた
- 経済、金融、外交、防衛に関して決定的な知識不足で根本的に無能だった。
- 知識もなければ党内まとめる調整力もなく、無能なくせに政治主導で政治を行おうとして官僚を強引に従わせようとしたため、官僚にドン引きされて次第に相手にされなくなって、政権与党ながら政府で孤立した。
- 選挙第一で政治を決めていたために、次第に国政が私物化される。そのため国政に選挙を絡めるようになり、政治を使って選挙区を恫喝した。
政権交代、鳩山内閣の挫折
2009年7月21日、衆議院が解散され、事実上の任期満了選挙に突入する。鳩山由紀夫はこの総選挙を「政権交代選挙」と銘打ち、連立をみすえる社民党、国民新党と合わせて過半数の議席確保を目指した。マニフェストには、前回の参院選で訴えた内容とほぼ変わらぬ政策が盛り込まれた。各種世論調査では終始民主党の圧倒的優勢が伝えられた。
結果、絶対安定多数を超える308議席を確保して、結党以来の悲願であった政権交代をついに実現する。308議席は一つの党が獲得した議席数としては戦後最多であった。また比例区の得票も2984万4799票を獲得し、日本の選挙史上で政党名の得票としては過去最高を記録した。
第172回国会で鳩山由紀夫内閣が正式に発足し、社民党・国民新党との連立政権が誕生する。党幹事長に小沢一郎、内閣官房長官には平野博文が起用された。
鳩山内閣は当初、70%を超す高い支持率を得てスタートした。CO2削減目標の引き上げ、自衛隊インド洋派遣の撤退、公共事業の見直しなどの政策を推し進めるが、同時に小沢幹事長と鳩山自身に政治資金収支報告書の虚偽記載問題が再燃する。「政治とカネ」を巡る不信に加え、鳩山よりも小沢に実質的な権力が集中する「二重権力構造」や、選挙支援と引き換えに予算配分を行う小沢の政治手法などが党内外で問題視されるようになると、内閣支持率は一転、下降の一途を辿ることとなる。
そんな中、行政の無駄をあぶりだすことを目的に事業仕分けが行われ、これが世論から概ね好意的な評価を受ける。しかし子ども手当などの新たな歳出や、不況による税収落ち込みもあって平成22年度予算では過去最大となる44兆円の国債発行をするに至った。
2010年1月、くすぶり続けていた政治資金収支報告書の虚偽記載問題で、石川知裕衆議院議員を含む小沢一郎の公設秘書と元秘書ら3人が逮捕される。3月には小林千代美衆議院議員の選対関係者2人も政治資金規正法違反で起訴され、民主党は厳しい批判を浴びることとなった。特に小沢に対しては幹事長、又は国会議員の辞職を求める声が世論の8割を超えるまでに高まっていた。
同時期、並行して深刻な問題となり始めていたのが、アメリカ軍の普天間基地代替施設移設問題であった。移設先を「最低でも県外が期待される」と総選挙時に明言していた鳩山は、沖縄及びアメリカが合意していた辺野古沿岸部へ移設する現行案を白紙に戻し、県外・国外移設の道を探っていた。しかし5月、移設先を見つけることができず、これを断念。失望した沖縄が現行案の辺野古沿岸部案をも受け入れ撤回する事態に発展し、移設問題は大きく後退してしまう(この際、あくまで県外移設を求める社民党が連立を離脱する)。
このほか、野党時代の民主党の主張と、与党としての民主党の能力や政策との乖離が徐々に明らかになるにつれ、鳩山内閣への国民の不信はピークに達し、来る参議院選挙では20議席台に留まるという衝撃的な事前調査も明らかとなる。鳩山は事態打開のため、一連の問題の責任を取る形で首相を辞任した。
菅内閣、党内対立の激化
後継の代表選挙は、まず小沢の影響力排除を目指す菅直人がいち早く出馬を決め、小沢と距離を置く議員から支持を受ける。これに対し党内最大勢力を誇る小沢グループは中立派として出馬した樽床伸二を支持した。6月4日に行われた両院議員総会では、小沢グループ以外の票を固めた菅が圧勝した。この代表選では小沢の処遇を巡って党を二分する激しい攻防が繰り広げられ、党内には深刻な対立が残ることとなった。
菅内閣は発足にあたり、党幹事長に枝野幸男、内閣官房長官に仙谷由人など、主要ポストにいずれも非小沢の急先鋒を据えた。政策面では「強い経済、強い財政、強い社会保障」を一体的に実現させていく「第三の道」を打ち出し、財政再建と雇用創出を最大の国家的課題とする方針を表明。併せて消費税率見直し議論の提起、経済効果の薄い一部マニフェストの修正に着手するなど、鳩山内閣の政策方針からは大きな転換を図った。発足当初、60%を超える内閣支持率を記録する。。
しかし、2010年7月11日投開票の第22回参議院議員通常選挙では現有の54議席に届かず44議席獲得に留まり、参議院で過半数を失うねじれ状態に陥った。小沢グループは参院選敗北の責任は選挙前に消費税議論を提起した菅にあるとし、総理退陣や枝野幹事長の更迭を迫る。しかし国民の7割超は菅の続投を支持し、これを背景に菅も応じる姿勢を見せなかった。
こうした中で迎えた9月の代表選挙に小沢が出馬する。小沢による事実上の倒閣宣言であった。財政再建とマニフェスト一部修正を目指す菅陣営には菅、前原、野田の各グループに加え岡田克也が、消費税議論封印とマニフェスト堅持を掲げる小沢陣営には小沢、鳩山、羽田、樽床の各グループが参集し、結党以来最も深刻な党内抗争が始まる。新聞主要四紙が揃って小沢と鳩山を批判し、世論調査でも菅支持が小沢支持の4倍超を記録するなど、戦いは次第に菅優勢へと傾いていく。9月14日、地方議員票と党員・サポーター票で大差を付けた菅が圧勝で再選を果たす。幹事長には外務大臣から転じた岡田克也が再登板となり、閣僚からは小沢グループの議員は一掃された。この戦いにより党内の亀裂は更に深刻化することとなった。
尖閣諸島中国漁船衝突事件の対応を巡り仙谷由人内閣官房長官と馬淵澄夫国土交通大臣に対する問責決議が参議院で可決されるなど政局は混乱。2011年1月14日に菅第2次改造内閣が成立。3月11日には東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生し、政権は震災復興と福島原発事故の対応に追われることとなる。
6月1日、「菅首相では災害復旧と復興、原発事故の処理に対応できない」との理由で自民党などが提出する内閣不信任決議案に対し、小沢に近い50人余りの議員が同調する意向を示したが、翌2日の採決前に開かれた党代議士会で菅が辞意とも取れる発言をしたことで小沢派は自主投票となり、不信任案は否決された。菅はその後、福島第一原発事故の対応にメドがつくまで続投する意欲を示したが、仙谷由人官房副長官ら党執行部内からも菅への退陣要求が出始めた。
8月26日に菅が退陣を正式に表明し29日に民主党代表選が行われることとなり、野田佳彦、海江田万里、前原誠司、鹿野道彦、馬淵澄夫の5人が出馬した。代表選では小沢と鳩山のグループから支援を受けた海江田が先行し、前原と野田が追う展開となった。第一回投票では海江田が最多の143票を得るが過半数には至らず、野田との決選投票では前原・鹿野陣営の支持を集めた野田が勝利し、第9代党代表に選出された。
野田内閣、消費増税と党の分裂
第9代党代表に選出された野田は、2011年8月30日の衆参両院本会議内閣総理大臣指名選挙において第95代内閣総理大臣に指名された。野田は代表選挙当時から消費税率を現行の5%から10%に引き上げる消費増税を掲げたが、歳出削減が進んでないうえ、景気にも悪影響だとして党内の小沢グループや連立を組む国民新党などから反対意見が噴出した。
このため、野田は小沢とも良好な関係にある党参議院議員会長の輿石東を『党内融和』の象徴として幹事長として起用(党参議院議員会長も兼務)し、挙党体制の構築に努めた。
しかし、閣内では鉢呂吉雄経産相が福島第一原子力発電所事故に関する失言問題でわずか10日で辞任に追い込まれ、さらには小沢グループから起用された山岡賢次国家公安委員長による自らのマルチ商法関与疑惑や、一川保夫防衛相の失言ならびにネパール国王来日歓迎の宮中晩餐会の私用欠席問題など、閣僚の資質が問われる問題が続出。12月9日には山岡、一川両大臣に対して参議院において問責決議が可決され、野田は人心一新のため翌年の内閣改造を断行する形となる。
野田・輿石が提唱する『党内融和』『挙党一致』路線であったが、党が進める消費増税路線などの政策に反対の意を表し、離党(除籍)者が続出する事態となった。
菅内閣の不信任案に賛成し除籍処分となり、首相指名選挙で海江田を支持した松木謙公は著書の中で2011年中の新党大地への入党を示唆していたが、12月28日に横峯良郎が一身上の都合により民主党から離党届を提出(認められず除籍処分)したことで、横峯や既に離党していた石川知裕とともに新党大地へ合流、新党大地・真民主を結党した。
さらに、同日には小沢に近い内山晃、渡辺浩一郎ら9人の衆院議員が離党届を提出(認められず除籍処分)、新党きづなを結成。また、八ッ場ダム建設問題でも前原系の中島政希が離党した。このほか、党の増税方針に反発し党を離脱した佐藤夕子(減税日本へ入党)、菅内閣不信任案に賛成し除籍された横粂勝仁をあわせ、2011年の間だけでも民主党は14人の議員を失うことになった。
2012年1月13日、野田は内閣改造を断行した(野田内閣 (第1次改造))。今国会の最大の課題とする消費税法改正案を柱とする税制改正法案を国会で成立させるため、野党との協力関係構築と人心一新、体制強化を目的とした。
しかし、改造後も閣内外で問題が頻出。田中直紀防衛相の北朝鮮ミサイル問題に関する失言、前田武志国交相による岐阜県下呂市長選挙で特定候補への投票を呼びかける文書に署名、公職選挙法に抵触する可能性がある問題で、田中、前田両大臣は閣僚としての資質が問われ、4月10日に参議院で問責決議案が可決される。
また、消費増税法案が閣議決定されたことに抗議し黄川田徹総務副大臣ら4名の副大臣・政務官、党内でも鈴木克昌幹事長代理ら13人が辞表を提出した。さらには離党者も続き、連立を組む国民新党も消費増税法案が閣議決定された事で連立離脱派と維持派が対立、離脱派の亀井静香代表、亀井亜紀子政調会長が離党する(自見庄三郎金融・郵政改革担当大臣が代表となり、連立維持)など党内外で混乱を露呈する事態となった。
その後、5月には中国の一等書記官によるスパイ疑惑に絡み、鹿野道彦農水相ら農林水産省を舞台に政治問題化したこともあり、野田は組閣からわずか5ヶ月余りで、内閣再改造(野田内閣 (第2次改造))を行う事態となった。
消費増税関連4法案を含む社会保障・税一体一体改革関連法案の採決は6月26日に衆議院本会議で行われ、民主党・国民新党・自由民主党・公明党・たちあがれ日本などの賛成多数で可決された。消費増税法案の採決では反対の意を表明していた鳩山、小沢元両代表以下57名が反対票を投じ、原口一博元総務相、小沢鋭仁元環境相ら13名が棄権、2名が欠席(病欠した羽田孜元首相を除く)するなど72名の造反者を党内から出した。
野田は造反者に対して除籍も含めた厳しい処分方針を示唆したが、輿石は党内融和と分裂回避を重視する観点から小沢と数回に渡って会談を持つも、あくまで増税法案の撤回を求める小沢と分裂を避けたい輿石の議論は平行線をたどる。小沢が離党と並んで検討していた党籍を残したまま会派を離脱する案は野田が拒否。院内会派離脱願が受理される可能性がなくなったため、7月1日午後に小沢は記者に離党の意思を表明する。
2日午前、小沢ら衆参合計52名(衆40・参12)の離党届を山岡賢次副代表と広野允士参議院議員が輿石の側近議員を通じて提出した。提出時点は52名であったが階猛、辻恵両衆院議員が撤回したため50名に修正された。
3日、党執行部は反対票を投じた衆院議員57名のうち、同日離党届を撤回した水野智彦(10月に再度離党届を提出)を除く離党届を提出した小沢ら衆院議員37名について除籍処分とする方針を決定。残りの衆院議員20名については鳩山は党員資格停止6か月、鳩山と平智之を除く18名は党員資格停止2か月の処分とする方針を決定した。参院議員12名と採決前に離党届を提出していた平については処分を行わずに離党届を受理した。棄権、欠席した衆院議員15名についてはそれぞれ常任幹事会名の厳重注意、幹事長名での注意とした。4日、採決で反対票を投じていた加藤学が離党届を提出した。
党倫理委員会での審査を経て、9日、党執行部は小沢ら衆院議員37名の除籍を正式決定。党執行部が党員資格停止の処分とする方針としていた鳩山ら衆院議員19名については鳩山の党員資格停止の期間を3か月に短縮し、鳩山と加藤を除く17名は党員資格停止2か月とすることを決定した。あわせて、6日に離党届を提出していた米長晴信参院議員の離党を承認した。17日、党執行部は加藤を除籍処分とした。
さらに小沢グループの離脱後も分裂の流れは収まらず、17日には参院議員の谷岡郁子、舟山康江、行田邦子の3名が、18日には衆院議員の中津川博郷が離党届を提出。消費税増税関連法案の採決以後の離党者が55人となり、特に参議院では第二会派との差がわずか2人まで縮まることとなった。党執行部は24日、谷岡らの3名の離党を承認し、31日には中津川を除籍処分とした。
8月に入ると、消費増税関連法案の参議院での採決が迫り、先に除籍された小沢らが結成した国民の生活が第一を含む、自民党・公明党を除く野党各会派が、消費増税法案採決を阻止すべく野田内閣に対する内閣不信任決議案を上程した。
採決前日の8日、野田は、自民党総裁谷垣禎一、公明党代表山口那津男を交えた党首会談において、衆議院解散について「近いうちに国民に信を問う」こと、消費増税法案に賛成することで合意。一部を除く自民・公明の各衆議院議員が採決を欠席したため、内閣不信任案は反対多数により9日否決された。
しかし、内閣不信任案では党内から小林興起、小泉俊明の両名が賛成票を投じ、10日に参議院で採決された消費増税関連法案でも有田芳生、水戸将史ら6名が反対票を投じ造反した。
小林、小泉は採決前日に離党届を提出したが受理されず除籍処分となり、名古屋市長河村たかしが率いる地域政党・減税日本へ入党、先に離党した平智之とともに院内会派「減税日本・平安」を結成した。
その一方で、29日には参議院で上程された野田首相に対する問責決議案については、一転して自民党が賛成に回り可決されるなど、野田の求心力の低下が顕著となった。
9月に入り、大阪市長橋下徹が率いる大阪維新の会が、国政進出を目指して新党日本維新の会を結成。その動きに呼応し、党内から元内閣官房副長官の松野頼久、衆院議員の石関貴史、今井雅人、参院議員の水戸が離党届を提出し合流。執行部は各議員の離党届を受理せず除籍処分としたが、離党者の増加に歯止めがかからない状況となった。
10日、党代表選挙が告示され、一時は再選を狙う野田に対し、総選挙での惨敗を危惧する勢力から細野豪志環境相を候補に擁立する動きを見せたが断念、最終的に野田と赤松広隆元農水相、原口元総務相、鹿野前農水相が立候補し、野田が1回目の投票で総投票数の過半数における818ポイントを獲得し、再選された。
24日、野田は党役員人事を行い、輿石幹事長の続投、政策調査会長に細野環境相、幹事長代行に安住淳財務相、国会対策委員長に山井和則国会対策副委員長を充てた。
党人事を受けて、10月1日には野田は内閣改造を実施した。閣僚待望組を多く登用した形だが、野田と代表選で戦った原口、赤松、鹿野の3グループから登用はなく、代表選で鹿野を支持した篠原孝は「口ではノーサイドと言いつつ、平然とこんな人事をするなんて度が過ぎている。横暴だ」と野田を批判。また、杉本和巳は今回の内閣改造・党人事を「メリーゴーラウンド人事をしていては組織が活性化するとは思えない」と野田政権を批判したうえで離党しみんなの党へ移籍、「離党予備軍」と目される反主流派議員の人心掌握に至っていないことが露呈した。
また、さらなる党人事として、新たに国会対策委員長代行・代理、政策調査会長代行・代理のポストを新設。国対委員長代行には奥村展三、国対委員長代理に後藤斎と津島恭一、政調会長代行に細川律夫、政調会長代理に馬淵澄夫と高橋千秋を起用した。
しかし、3度目となった内閣改造も、田中慶秋法相に外国人からの献金、暴力団関係者との交際問題が発覚し早期の辞任(事実上の更迭)に追い込まれ、内閣改造で退任した前法相の滝実を起用する事態となった。また、野田が自民党前総裁の谷垣らと交わした「近いうちに解散する」という約束をめぐり、解散時期について自民・公明両党と対立し他の野党もこれに追従、田中前法相の任命責任も追及する構えを見せ、国会審議において重要法案の採決に際して野党より協力を得られない可能性があった。
28日、野田政権下において初の国政選挙となる衆議院鹿児島県第3区補欠選挙では、党が推薦した国民新党公認候補が自民党元職候補に敗れ、与党側の議席を守ることが出来なかった。
29日、臨時国会が召集されたが、冒頭で党所属の熊田篤嗣と7月に一度は離党届を出しながらも撤回した水野智彦が離党届を提出し減税日本への移籍を示す(後に除籍処分)など離党の動きを抑えることが出来ず、野田の求心力の低下がさらに露となった。
衆議院解散と創設者・鳩山の退場
報道各社による世論調査において内閣支持率が軒並み低迷し、求心力を失っていた野田首相は、日本維新の会などのいわゆる『第三極』の選挙準備が整う前に解散・総選挙を行う事が得策と判断。11月に入り、自民・公明両党の求めに応じる形で、年内に解散・総選挙を行う意向が明らかとなった。野田としては、衆議院議員定数の削減や環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉参加推進などを党公約として、選挙戦に打ち出す構えを見せるも、党内では「今、選挙を行えば惨敗必至」との声が根強く解散に反対する意見が続出。輿石幹事長は『党内の総意』として、早期反対に反対する意見を取りまとめた。しかし、11月14日の国会での党首討論において、自民党の安倍総裁に対峙した野田は、来年通常国会での議員定数削減成立、議員歳費削減の確約を得れれば「16日にも解散していい」と電撃的に発言。これを受けて自民・公明両党も野田の提案を受け入れ、事実上、16日の衆議院解散が決定した。
電撃的な解散決定を受けて、早期解散に反対していた党内からは、解散に前後して離党届を提出する議員が続出した。閣僚経験者では、小沢鋭仁元環境相が日本維新の会へ移籍を表明、山田正彦元農水相はTPP交渉参加反対を強硬に主張して、亀井静香とともに政治団体・反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党(略称・反TPP)(のちに減税日本に合流し減税日本・反TPP・脱原発を実現する党)を結成。また、政権交代の象徴的存在であった福田衣里子も、山崎誠、初鹿明博とともに、先に離党していた谷岡郁子らのみどりの風へ移籍、国政政党化された。さらには長尾敬の様に自民党へ入党を希望するものまで現われた。解散を前後しての離党者が11名、2009年9月の民主党政権誕生以降、党を離党・除籍された衆参両議員は102名を数え、少数与党へ転落した。
11月16日、衆議院は解散され、第46回衆議院議員総選挙について12月4日公示・16日投開票の日程で行うことを決定した。
党執行部は解散前後に離党届を提出した前議員に対し除籍処分とし、また、党公認に際しては党の定める方針に従う誓約書に署名させ、従えない立候補予定者に関しては公認を与えないとした。そのような中、党創設者の一人で、7月に消費増税法案に反対したことで去就が注目されていた鳩山元首相が、消費増税やTPP交渉推進など野田が掲げる主要政策には従うことはできず「公認をもらい戦うことができないと判断」し、次期総選挙への不出馬、政界引退を表明した。
民主壊滅。バブルはじけ、批判の嵐。首相「人材失い痛恨の極み」
3年4カ月前とは正反対の屈辱だった。都内のホテルに設置された民主党開票センター。2012年12月16日午後11時20分、野田佳彦首相はうつむき加減で壇上に上がり、会場に一礼した上で、立ったまま反省の弁を口にした。
「政府や党でとことん一生懸命働いてくれた同志、あるいは将来が嘱望される有為な人材を数多く失った。痛恨の極みだ」
女房役の藤村修官房長官をはじめ現職閣僚が8人も落選した。一時は「陰の首相」とさえいわれた仙谷由人元官房長官も議員バッジを失った。極めつきは党創設時からの中心人物、菅直人前首相が選挙区で敗れるという波乱。
歴史的な政権交代を果たした前回の熱狂が嘘のような大敗北。現実は残酷だ。首相の会見が終わってもなお、当選者名に赤いバラを張るボードは真っ白なまま。党職員は「負けすぎだ」と絶句した。
バラバラ体質嫌気
それにしても、ジェットコースターのような浮き沈みの激しさだ。民主党は衆院選で平成12年に127議席、15年に177議席と膨張を続けたが、17年の郵政選挙では113議席と大敗。しかし、21年の総選挙では308議席を獲得し念願の政権交代を果たす。
でも、それは「バブル」だったのかもしれない。野党時代の民主党は、与党・自民党への批判をしていれば一定の支持を得ることができた。だが、今回の選挙は初めて「与党」として臨んだ。国民の政権への批判は直接、自分たちへの批判となって突き刺さった。
今回の大敗の最大の要因は、一言で言えば政党としての力不足。野党としては存在意義はあるが、政権政党の資格はなかったということだろう。
細野豪志政調会長は「前回マニフェスト(政権公約)が実現できなかったことと、党の分裂が影響した」と敗因を語った。確かに、政策的な失敗も大きかったが、ここまでの大敗北を招いた原因は、民主党特有の「バラバラ」体質に国民が嫌悪感を示したことが大きい。
開票が進んでいる最中、輿石東幹事長の周辺からはさっそく「執行部総退陣は当然だ。『集団自殺』の引き金を引いたのは首相だ」との声が漏れた。何か失敗があると、必ず内部抗争を始める。こうした内向きな体質に、国民が「ノー」を突きつけたのが今回の選挙といえるのではないか。
功労者を見放した
振り返ると、国民の期待を背負って約3年4カ月前に登場した鳩山由紀夫元首相は米軍普天間飛行場移設問題で迷走し、時の幹事長、小沢一郎氏は政府と党の「政策決定の一元化」の名のもとに助け舟を出さなかった。鳩山氏を事実上、見放したに等しかった。
その後、政権を担った菅氏はマニフェストに書いていない消費税増税を言い出し、22年の参院選で大敗。参院で与党は過半数割れに陥り、国会運営で主導権を自民党に奪われていく。マニフェストは変質し、マニフェスト至上主義の小沢氏との対立は激化。野田政権下で小沢系はごっそりと離党した。
「民主党には代表を支える文化が育っていない」
野党当時、民主党の多くの幹部はそう言って嘆き、与党になればリーダーの足を引っ張るその体質も変わると思われた。
だが、自民党が与党時に見せていた、権力を手放さないために最後は結束して事に当たるという文化が育つことは、ついになかった。しかも、党をまとめ切る力量に欠けるリーダーばかりとあって信頼は得られなかった。
「対決」か「純化」か
民主党という政党は今後、どうなるのか。考えられる道は2つある。
1つは、民主党離党組が大量に所属する日本未来の党などと連携、または合併する道。この場合、来年夏の参院選に向け、民主党は自民、公明両党との対決路線を歩むことになるだろう。ただ、これでは「選挙互助会」的政党という、これまでの歴史の繰り返しだ。
もう1つは「純化路線」を突き進み、自公両党との協調路線を模索する道。この場合、党の立ち位置を明確にできれば再生も可能だ。だが、自公両党の補完勢力に成り下がり、縮小傾向に歯止めがかからなくなることも予想される。
「民主党が何のために存在するのか、そのことそのものが厳しく問われた」
細野氏はテレビの番組で今回の敗北をこう総括した。党内では今後、後継の代表を選ぶ動きが本格化する。ここで党再生への方向性を誤れば、民主党という政党の存続はない。
略史
- 1996年
- 1998年
- 1999年
- 2000年
- 6月 - 第42回総選挙で、解散前を32議席上回る127議席を獲得。
- 9月 - 鳩山代表が無投票で代表再選。
- 2001年
- 7月 - 第19回参議院議員通常選挙で現有を上回る26議席を獲得も小泉旋風を前に比例票は伸び悩む。
- 2002年
- 2003年
- 2004年
- 5月 - 菅代表が、社会保険庁の過失により自身の年金納付に未納期間が発生していることから、責任を取って代表を辞任。岡田克也幹事長が無投票で代表に選出される。
- 7月 - 第20回参議院議員通常選挙で自民党の獲得議席49を上回る50議席を獲得。
- 9月 - 岡田代表が無投票で代表再選。
- 2005年
- 2006年
- 2007年
- 2008年
- 2009年
- 2010年
- 2011年
- 1月14日 - 菅首相が内閣改造を断行し、菅第2次改造内閣が発足。
- 2月17日 - 小沢元代表に近い衆院議員16名が院内会派離脱願を岡田幹事長に提出し、民主党籍を残したまま新会派民主党政権交代に責任を持つ会を結成しようとするも、党執行部は会派離脱届けを受理せず、説得に当たるとしている(同年8月31日に会派離脱届けを撤回)。
- 8月26日 - 菅首相が代表辞任を表明し、新代表が選出された後に総理大臣の職を辞することを表明。
- 8月29日 - 党代表選挙が実施され、史上最多となる前原誠司前外務大臣・馬淵澄夫前国土交通大臣・海江田万里経済産業大臣・野田佳彦財務大臣・鹿野道彦農林水産大臣の5人が代表選に出馬。海江田と野田の決選投票に至った結果、野田が代表に当選。
- 8月30日 - 菅2次改造内閣が総辞職。野田代表が衆参両院で首班指名を受ける。
- 9月2日 - 野田内閣が正式に発足。
- 2012年
- 1月13日 - 消費税増税などを推進するため、野田首相は内閣改造を行い野田第1次改造内閣が発足。
- 6月4日 - 前田武志国交相と田中直紀防衛相の問責決議案が可決され、野田首相が再び内閣改造を行い野田第2次改造内閣が発足。
- 7月2日 - 消費税増税を含む一体改革法案の採決が可決されたことに反対し、小沢とそのグループ議員衆参合計50名が離党届を提出。
- 7月3日 - 党執行部は同日離党届を撤回した水野智彦を除く離党届を提出した衆院議員37名を除籍(除名)処分とする方針を決定。一体改革法案の採決で反対票を投じた議員で離党届を提出していない議員のうち、鳩山由紀夫については党員資格停止6か月、その他の議員は2か月とする方針を決定。一体改革法案の参院通過を控えているため参院議員12名の離党届は受理した。
- 7月9日 - 党倫理委員会の答申を受け、小沢ら衆院議員37名の除籍と鳩山ら衆院議員18名の党員資格停止を正式決定。
- 8月9日 - 野田内閣に対する内閣不信任案が否決。党内から小林興起、小泉俊明が造反し賛成票を投ずる。
- 8月10日 - 社会保障と税の一体改革関連法案が参議院で可決。
- 9月24日 - 党代表選挙が実施され、野田が赤松広隆元農水相、原口一博元総務相、鹿野前農水相を破り再選。
- 10月1日 - 野田首相が三度目の内閣改造を行い野田第3次改造内閣が発足。
- 11月16日 - 野田首相が衆議院を解散。
- 12月16日(予定) - 第46回衆議院議員総選挙投開票。与党として初の総選挙。
政策
基本理念と基本政策
1998年の第一回党大会で以下の「基本理念」と「基本政策」が決定された。これらが綱領的文書ともされているが、2011年に「党の基本理念・基本政策に代わる「綱領」について検討する」として「綱領検討委員会」を設置した。
基本理念
1998年の「基本理念」は以下の通り。
私たちの基本理念 - 自由で安心な社会の実現をめざして - 1998年4月27日民主党統一(第1回)大会決定より
●私たちの現状認識
- 日本は、いま、官主導の保護主義・画一主義と、もたれあい・癒着の構造が行き詰まり、時代の変化に対応できていません。旧来の思考と権利構造から抜け出せない旧体制を打ち破り、当面する諸課題を解決することによって、本格的な少子・高齢社会を迎える21世紀初頭までに、「ゆとりと豊かさ」の中で人々の個性と活力が生きる新しい社会を創造しなければなりません。
●私たちの立場
- 私たちは、これまで既得権益の構造から排除されてきた人々、まじめに働き税金を納めている人々、困難な状況にありながら自立をめざす人々の立場に立ちます。すなわち、「生活者」「納税者」「消費者」の立場を代表します。「市場万能主義」と「福祉至上主義」の対立概念を乗り越え、自立した個人が共生する社会をめざし、政府の役割をそのためのシステムづくりに限定する、「民主中道」の新しい道を創造します。
●私たちのめざすもの
- 第1に、透明・公平・公正なルールにもとづく社会をめざします。
- 第2に、経済社会においては市場原理を徹底する一方で、あらゆる人々に安心・安全を保障し、公平な機会の均等を保障する、共生社会の実現をめざします。
- 第3に、中央集権的な政府を「市民へ・市場へ・地方へ」との視点で分権社会へ再構築し、共同参画社会をめざします。
- 第4に、「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」という憲法の基本精神をさらに具現化します。
- 第5に、地球社会の一員として、自立と共生の友愛精神に基づいた国際関係を確立し、信頼される国をめざします。
●理念の実現に向けて
- 私たちは、政権交代可能な政治勢力の結集をその中心となって進め、国民に政権選択を求めることにより、この理念を実現する政府を樹立します。
–
基本政策
1998年の「基本政策」の主な内容は以下の通り。
- 行財政 - 中央集権的な政府を「市民へ・市場へ・地方へ」再構築。
- 分権社会 - 中央政府をスリム化、それ以外は「基礎的自治体」がサービスを提供。
- 官と民 - 簡素なルール、官僚は事前調整から事後チェックへ。公務員倫理法、天下り規制強化など。
- 情報公開 - 情報公開の徹底。公益法人も情報公開。
- 財政 - 企業会計的視点の導入、数値目標の設定。経済成長と財政再建の両立。
- 税制 - 「簡素・公平・透明」。所得・消費・資産のバランス、税と社会保険料の役割分担。消費税のインボイス制導入、納税者番号制導入。
- 財政投融資・特殊法人 - 評価システムの導入。役割の終わった特殊法人等の廃止。
- 公共事業 - 入札制度改革、公共事業単価引き下げ。長期計画や単年度主義の見直し。包括交付金制度の導入、土木型から新社会資本型へのシフト。
- 経済 - 市場原理貫徹による経済構造改革。持続可能な経済成長。
- 規制改革 - 経済的規制は原則廃止。環境・消費者・勤労者保護などの社会的規制は透明化。
- 新産業 - 成長分野に戦略的基盤整備。ベンチャー企業へのインセンティブ。
- 中小・零細企業 - 中小企業を重視、モノづくりの基盤整備、第3次産業の自立を支援。
- 金融 - 裁量行政から決別、競争を原則。透明で公正なルールと消費者保護。債権の証券化。不良債権処理。
- 農林水産業 - 誇りと将来展望ある農業、定住や環境・国土保全の農村政策。森林保全政策。資源管理型漁業。
- エネルギー - 原子力発電の安全性向上と国民的合意、新エネルギーの開発、省エネルギーの推進。
- 土地 - 保有から利用へ、土地の流動化、有効利用促進。
- 国民生活 - 公平な機会、多様な価値観や個人の尊厳と権利、活力に満ちた社会。少子・高齢社会に備えたセイフティー・ネット整備、地球環境、人と自然との共生、「安心・安全・ゆとり・豊かさ」。
- 社会保障 - 育児・介護のNPO活用。医療・医療保険の市場原理活用、情報公開、制度改革。高齢者医療は税を主財源。公的年金は、税の比重を高める。バリア・フリー社会。
- 雇用・労働 - 雇用安定・勤労者保護の充実。公的能力開発制度の拡充など。仕事と家庭の両立、労働基準法制の整備。女性や高齢者の雇用機会拡大。
- 男女共同参画 - 男女の固定役割や差別、不平等の解消。家族法の整備、女性の権利保障、性的いやがらせ防止、女性政策の強化、男女共同参画社会。
- 教育 - 教育の地方分権、価値観や能力の多様性、自立した青少年。30人学級、入試や奨学金の見直し。リカレント教育、コンピュータ教育、国際化対応など。地域学習、子育てネットワーク。
- 科学技術・芸術文化 - 基礎的研究開発や先端技術研究、複合的人文科学研究の推進。多様な芸術文化の活動支援、知的所有権制度の充実。重要文化財の保全。
- 人権 - 少数民族、被差別部落、在日外国人、障害者・難病患者などへの差別解消。プライバシー保護。
- 環境 - 環境教育、資源循環型社会。温暖化・環境破壊対策、不法投棄やダイオキシン問題の解決。
- 災害対策 - 大規模災害に対する公的支援。危機管理体制の確立。
- NPO - NPOへの支援。
- 外交・安全保障 - 「外交立国・日本」。平和主義に則った防衛政策を継続、日本外交の自立性とダイナミズム。
- 外交姿勢 - 積極外交、国連中心、世界平和。米国との関係成熟化。近隣諸国との信頼関係。中国との友好協力関係。EU・ロシアとの友好関係。
- 非軍事的貢献 - 政府開発援助(ODA)、地球環境重視・自立支援・人道主義。市民、NGO、企業、シンクタンクなどの参加。
- 国連政策 - 核の廃絶、軍縮、地球環境、人口・エネルギー問題、国際人権問題、貧困の撲滅などに積極的外交。国連の問題解決、安全保障理事会の常任理事国入り。国連平和維持活動に憲法の枠内で積極参加。
- 防衛政策の諸原則 - 専守防衛、集団的自衛権反対、非核3原則、海外武力行使反対、文民統制。
- 安全保障体制 - 日米安全保障条約を基軸。アセアン地域フォーラム(ARF)充実、アジア太平洋多国間安全保障の確立。基地問題の協議。沖縄米軍基地の整理・縮小・移転。
- 有事対応体制 - シビリアンコントロールと基本的人権を原則に、関連法制を整備。
- 政治 - 国会改革や参政権の拡充、自立した市民が参画し政治を直接監視。民主主義の質的充実と活性化。憲法の基本精神を守り発展。
- 国会 - 政府委員制度の廃止、議員立法の緩和、優先審議の制度化、スタッフ充実。二院制のあり方の見直し。政党・民間の政策立案向上。
- 内閣機能 - 総理大臣及び内閣の政治的リーダーシップ強化。副大臣制度の導入、政治的任命職の拡大。
- 政治倫理・国会議員 - 資産公開の徹底、政治的地位利用罪の導入。政治献金の公開・透明化、国から助成を受けている団体の政治献金禁止。議員の定数見直し、永年表彰制度の廃止。
- 選挙制度 - 一票の格差の是正、選挙制度見直し。選挙権・被選挙権年齢の引き下げ、在外投票制度、定住外国人の地方参政権。
- 司法 - 適正で迅速な裁判、裁判官などの増員、法曹養成の充実、手続法の整備、法曹一元化など。法律扶助制度。
財政・税制
- 鳩山由紀夫内閣における平成22年度一般会計総額は過去最高の92兆2992億円、菅内閣における平成23年度一般会計は92兆4116億円。
- 政権交代前は、将来的にも消費税を財政赤字の穴埋めには使わないと明記していた。しかし、菅政権以降は消費税の引き上げによる財政再建を明確に主張するようになった。
- 社会保険庁を廃止・解体し、業務を国税庁に吸収させて歳入庁を設置し、年金保険料の無駄遣いを無くすとしている。社会保険庁は解体されたが、主に自民党が主張していた日本年金機構が2010年1月1日に設置された。
- 2012年以降の消費税引き上げを否定していない。民主党の当初の案では2013年に8%としていたが、2014年4月に8%、2015年10月に10%まで消費税を増税する修正案を民主党内では容認した。
- 中小企業の法人税率を一時的に11%に引き下げるとしている。
- 相続税・贈与税の引き上げを検討している。
- 酒税・たばこ税の引き上げを検討している。
- 野党時は、ガソリンの暫定税率廃止を主張していた(与党になると、税収確保のため継続。鳩山内閣時、リッターあたり150円を超えた場合は暫定税率分を値引きする「トリガー条項」が定められたが、震災復興財源捻出のため、トリガー条項は廃止)。
予算の見直し
- マニフェストで示された各種政策を実行するために、事業の効率化や歳出削減を断行して2013年度には16.8兆円の財源を生み出すとした。
- 不要不急の公共事業やハコモノ建設の凍結・廃止を表明した。
- 高速道路の原則無料化により、交通・流通コスト軽減による内需拡大や、渋滞の解消による地球温暖化対策などの効果を見込んだ。
行政刷新・地域主権
- 首相直属の「国家戦略局」(実際は、国家戦略室)を創設、各省の縦割りを排除して政治主導で予算の骨格を作るとしている。野田内閣では、「国家戦略会議」を設置、国家戦略室を事務局としている。
- 各大臣の連携を強め、政治主導の政策決定を行うための「閣僚委員会」、行政全般を見直す「行政刷新会議」を設置し、国会議員100人近くを行政に送り込むなどして、官僚依存政治からの脱却を主張している。
- ひも付きの補助金を廃止し、およそ18兆円の税源を地方に移譲して地域主権社会の確立を進めるとしている。
- 国直轄事業に対する地方負担金制度が、国と地方との主従関係を築いているとしてこれを廃止し、従来負担金に充てていた財源を地方の自由な意思で使用できるように改めるとしている。
- 国家公務員の天下りや、中央省庁による再就職の斡旋を禁止し、官製談合や随意契約の原因を根絶するとしている。
- 独立行政法人が非効率な事業運営によって税金を無駄に使っているとして、一つ一つ精査した上で廃止か、民営化又は国直轄として存続させるかを決めるとしている。天下り受け入れの見返りに業務を独占するなど、実質的に各省庁の外郭団体となっている公益法人は廃止するとしている。
福祉・医療
- 野党時代は障害者自立支援法による福祉サービスの負担増が障害者の自立を妨げているとして廃止をマニフェストに掲げていたが、与党になると、民主党は自民党・公明党と同法案を継続することで合意し、2010年11月17日、障害者自立支援法一部改正案を衆議院厚生労働委員会で可決した。なお、野党時代は障害当事者を参画させた機関を設置して「障がい者総合福祉法(仮称)」を制定し、能力に応じた負担額に見直すことや、中小企業を含めた雇用の促進に取り組むとしていた。
- 自公政権が「骨太の方針2006」で打ち出した社会保障費削減方針(年2200億円、5年間で1兆1000億円)を撤廃した。この結果、社会保障費は毎年1.3兆円の自然増となり、2015年には先進国最悪となる債務残高(1000兆円)を突破する見通しである。
- 野党時代は後期高齢者医療制度を『高齢者いじめ法』と非難し、国会での審議拒否、後期高齢者医療制度廃止法案の提出や憲政史上初となる内閣総理大臣への問責決議の提出など、徹底した反対運動を展開した。政権獲得後は後期高齢者医療制度廃止法案を撤回し、自民党の後期高齢者医療制度を継承することを決定した。第22回参議院議員通常選挙で民主党は2013年に後期高齢者医療制度を廃止することを再び公約したが、2012年に反故にした。
- 2013年までに介護労働者の賃金を月4万円程度引き上げ、介護事業者に対する介護報酬も7%加算することを目指している。
年金
- 年金制度を一元化し、全ての職業の人が「所得が同じなら、同じ保険料の負担」となる仕組みに改めるとしている。この制度の給付は「所得比例年金」と「最低保障年金」の二階建てから成る。
- 「所得比例年金」は、所得から徴収される保険料を財源とし、職業を問わず納めた保険料に応じて給付額が決定される。制度の『二階部分』にあたる。会社員は負担・給付額共にほぼ変わらず、公務員は給付額が下がる。自営業者は負担・給付額共に増える。
- 「最低保障年金」は、どんな低所得者であっても最低7万円の年金を受給できるようにするものである。制度の『一階部分』にあたる。ただし、「所得比例年金」の給付水準が高い高額所得者へは減額、又は支給されない。制度導入前(~2013年)に年金未納だった者もその分だけ減額される。
- 「最低保障年金」の財源には消費税5%分が充てられる。そのため、2033年~53年までに年金目的の消費税を段階的に引き上げる必要があるとしている。
- 年金保険料は年金給付以外に使わず、事務費や広報費に費やされてきた年間約2000億円の経費は圧縮した上で国庫負担とすることにしている。
- 「消えた年金」「消された年金」問題を早期に解決するため、2009年から約2000億円を投入して2年間集中的に取り組むとしている。
少子化対策
- 高額所得者に有利とされる扶養控除を2011年に廃止し、同年から中学卒業までの子供1人当たりに年31万2000円(月額2万6000円)の「子ども手当」を直接給付することを決定し、2010年度は半額にて実施したが、2012年3月に自民党と公明党の要求する「児童手当」を復活させた。
- 高校授業料無償化。公立高校の授業料を無料化し、私立高校生にも授業料を補助(年12万~24万円程度)する制度を2010年度から開始させた。
- 出産一時金の給付額を42万円から55万円に増額する方針である。
- 不妊治療への医療保険適用を検討し、支援拡充を方針である。
- 保育所に入所できないいわゆる待機児童の解消に向け、認可保育所の増設と共に、小中学校の空き教室の活用した施設の拡充や保育ママ制度の積極活用などを推進する方針である。
戦後補償問題
民主党の「政策集INDEX 2009」は、冒頭で「戦後諸課題への取り組み」を記載し、国立国会図書館に恒久平和調査局を設置するための国立国会図書館法改正や、従軍慰安婦とされた者に金銭の支給を行う戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案の成立を掲げている。
外交・安全保障
- コソボ紛争やイラク戦争のような米国の単独行動主義的な武力行使に対しては批判的で、国連における安全保障理事会のプロセスを経た軍事出動には賛成の立場を取っている。
- 小沢一郎のISAF参加発言やアフガニスタン復興支援特別措置法案に見られるように国連中心主義を基調とした自衛隊の海外派遣に比較的積極的であるとされる。ただし、民主党の基本政策では党内左派に配慮し「海外における武力行使を行わないこと」と明記されている。
- 戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案を他党に先駆け国会に提出し、これまで8度にわたり提出している。起案者の本岡昭次は「政権交代が実現したら真っ先に実現する法案」と述べている。
- 日韓併合100周年の際には、韓国に対する過去最大級の謝罪を政府声明として発表することに奔走していた。
- 米国を含む世界各国と自由貿易協定(FTA)、経済連携協定(EPA)の締結を推進する方針である。
外国人参政権
- 外国人地方参政権の成立を推進。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、鳩山由紀夫内閣は外国人参政権法案の成立を予定したが、鳩山由紀夫内閣の総辞職により頓挫した。後任の枝野幸男幹事長は永住外国人への地方選挙権付与法案(外国人参政権法案)について、早期の提出に慎重な姿勢を示している。
選挙・政治
- 企業・団体献金を全面禁止し、税額控除やインターネット献金の推進によって個人献金を普及させるとしている。
- 世襲議員の制限。現職の国会議員の配偶者および三親等内の親族が、同一選挙区から連続して立候補することを民主党の内規で禁止している。
- 一票の格差是正のため、衆議院の小選挙区を全て人口比例で振り分けるとしている。同様に参議院でも格差是正を図るとしている。
- 資産公開の徹底、政治的地位利用罪の導入などにより、政治倫理を確立するなどを基本政策に掲げている。
- 衆議院の比例定数を80議席削減するとしている。
- 選挙権の年齢を18歳に引き下げる方針を固めている。
- 2006年に与党の反対で否決された「インターネット選挙運動解禁法案」を成立させ、政策本位の選挙・カネのかからない選挙の実現を図るとしている。
- 鳩山政権では、地域からの陳情は民主党都道府県連で聞き、党本部幹事長室を通じて関係各省庁に伝えるという仕組みを作った。吉田治副幹事長は、地方県知事からの道路建設などの陳情受け付けの条件として「民主党を選挙で応援すること」を挙げた。
- 2009年9月18日、民主党は政府・与党一元化のため、議員立法を禁止し、政府提出法案を原則とすることを決めたが、議員立法を禁止するまでには至っていない。
人権関連法案
子供・男女共同参画
- 婚外子(非摘出子)の相続差別をなくす。
- 選択的夫婦別姓の早期実現。
- 「離婚後300日以内に誕生した子を前夫の子と推定する」「推定を覆す申し立ては前夫からしか起こせない」とした現行制度により「戸籍のない子」問題が生じている現実を踏まえ、事実上離婚状態にあった期間を勘案して本当の父親を認定できるよう法改正するとしている。
その他
- 2009年、ニューヨークの国際連合本部で開かれた国連気候変動サミットで鳩山由紀夫首相が温室効果ガスの25%削減(二酸化炭素の排出量を2020年までに1990年比で25%、2005年比で33.3%削減すること。つまり、1970年代における二酸化炭素排出量にまで削減する)を表明した[1]
- 労働政策では格差是正緊急措置法案により、欧米並みの最低賃金全国平均1,000円を目指している。
- 製造業の派遣労働を原則禁止とし、専門業務(高い給与水準)の労働派遣に限って認める方向で労働者派遣法の改正を行う。また、違法な派遣が行われた場合は、派遣労働者が直接雇用を通告できるようにするとしている。
- 農業政策では、戸別所得補償制度を掲げ、現在の農業協同組合への支援を中心とした政策を改めることを目指している。
- 警察の取り調べの可視化や証拠開示義務を法制化し、冤罪の防止を図るとしている。
- 性同一性障害者の性別変更について、未成年の子供がいてもこれを認めるように法制を見直すとしている。
- 先進国中最も冷たいとされる日本の難民受け入れ状況を改善するため、「難民等の保護に関する法律」を制定し、国連難民高等弁務官事務所が認定した難民は原則として受け入れる方針を打ち出している。
国際公約
- 2009年9月22日、鳩山由紀夫総理大臣が国連本部で開かれた国連気候変動サミットにおいて、2009年の衆議院議員総選挙においてマニフェストに明記されていた日本の二酸化炭素の排出量を1990年比で2020年までに25%削減することを国際公約として発表した。
- 2009年9月25日、菅直人総理大臣がフランス・パリで開かれた経済協力開発機構(OECD)設立50周年記念行事で講演し、日本国が太陽光や風力など自然エネルギーの総電力に占める割合を「大胆な技術革新」により2020年代の早期に20%へ拡大する方針を表明した。
党内対立
民主党は、自民党以上に、社会民主主義や民主社会主義、保守主義、新自由主義などの政治的思想の異なる議員が集まっている為、全体の合意は存在するが、個別政策によっては対立がしばしば生じる。
また民由合併から小沢の離党まで、小沢一郎を支持するグループと、小沢に批判的なグループとの対立が根強く存在した。
具体例
- 野党時代には、小沢一郎を中心とする「対立軸路線(与党に反対的な立場を取り、違いを明確にする)」を主張するグループと、前原誠司を中心とする「対案路線(小泉構造改革の方向性に同調し、改革の速度や手法を競う)」を主張するグループの対立がしばしば指摘された。
- 菅政権発足以降、菅・前原・野田グループに岡田克也を加えた反小沢派と小沢・鳩山グループの親小沢派の対立が激化している。反小沢派は財源不足やねじれ国会などに応じてマニフェストを柔軟に修正していくべきであると主張しているのに対し、小沢らは小沢・鳩山代表時代のマニフェストの堅持を訴えている。
- 2006年10月、北朝鮮が核実験を行った後の朝鮮半島情勢は「周辺事態法」を適用できるかどうかを巡り、「周辺事態法は適用できない」とする小沢一郎代表(当時)ら執行部の見解を発表した。しかし、これに対して前代表である前原誠司を始めとする党内の右派から「周辺事態法は適用できる」とする意見表明が行われ、また民主党の外交・防衛部門は、「小沢代表らトロイカ体制の見解は民主党の公式見解ではない」と発表したため、有事に対する対応の不一致が浮き彫りになった。
- 2008年10月、長島昭久が衆議院のテロ防止特別委員会でソマリア沖の海賊対策として海上自衛隊艦艇による民間商船の護衛を麻生太郎首相に提案。麻生首相が賛意を示す一方で、直嶋正行政調会長からは自衛隊の海外派遣につながるとして「どういうことなんだ」と詰め寄られた。
- 戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案を積極的に国会に提出するとともに慰安婦(日本人女性のみ除外)に戦時性的強制被害者と新たな呼称を付すなど共産党や社民党と積極的に共闘する一方で、法案と反対の見解をとり、自民党右派と呼応する議員連盟「慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会」と対立している。
- 鳩山由紀夫・岡田克也をはじめとする主流派が所属する「在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟」が永住外国人への参政権を付与する活動を行っているが、反対の見解をとる議員連盟「永住外国人の地方参政権を慎重に考える勉強会」と対立している。
- 同党所属の土屋敬之東京都議会議員は、民主党が政策集に明記している永住外国人への地方参政権付与、選択制夫婦別姓制度、実子と婚外子の相続平等化などについて、「マニフェストにも正直に明記して国民の信を問うべき」と主張し、同党の衆院選マニフェストを「(耐震)偽装マンションのパンフレット」などと揶揄した。民主党東京都連は「党の決定に背く行為」があったとして土屋を党から除籍した。
組織
党員・サポーター
党員・サポーター制度は2000年の党大会で導入された。民主党議員にはサポーターを集めるノルマが課せられており、達成できない者には党本部から厳重注意を受ける仕組みになっている。なお、党員・サポーターは2002年の民主党代表選挙では一時的に1000円を支払えば誰でもサポーター登録が出来て投票することができたが、2004年からは5月末時点の登録者が9月の民主党代表選挙に郵便で投票できるようになった。
党員資格は「民主党の基本理念と政策に賛同する18歳以上の日本国民」となっている。かつては在日外国人でもなることができたが、2012年の党規約改正により日本国民に限定することとなった。なお、党員は民主党代表選挙に投票することが出来る。党費は年間6千円、有効期間は1年となっており、民主党の機関紙である「プレス民主」が送られてくる。
サポーター資格は「民主党を支援したい18歳以上の人間」であれば海外に在住する日本人でも、在日外国人でもなることができる。ただし、2012年の党規約改正により外国人サポーターは民主党代表選挙に投票することが出来無くなった。会費は、年間2千円で有効期間は1年となっている。
党員・サポーターの人数は合わせて、2004年度は約11万人、2005年度は約15万7000人、2006年度は約24万4000人、2007年度は約20万1000人、2008年度は約26万9000人、2009年度は約26万3700人、2010年度は34万2493人、2011年度は30万3219人という推移となっている。
学生組織
青年局学生部 (CDS) が存在する。
本部
2009年12月現在の民主党本部は、永田町1丁目11番1号三宅坂ビルの一部を間借している。2009年より政権与党になったことから来客が多くなり、党本部の手狭さが大きな悩みとなっている。
内規
民主党は2009年衆院選以降、世襲政治家制限の一環として内規において選挙区の候補について配偶者および三親等内の親族が当該議員と同一選挙区から連続立候補をする場合は新規に国政参入する新人については公認候補としないことを決めた。なお、民主党は2009年衆院選で福島1区から当選した石原洋三郎は父が2003年まで福島1区選出の衆議院議員であった石原健太郎であるが、6年間の空白があるため、民主党は同一選挙区でも6年間の空白があれば同一選挙区からの一等親の親族の立候補を認めている。
国会議員の公設秘書に配偶者を新規採用することは2004年に法律で禁じられたが、民主党では透明性確保に向けた取り組みをアピールするため、「三親等以内の親族」を公設秘書に採用することを禁止した内規を設けている。2009年衆院選の結果多くの新人議員が誕生したことにより、2009年9月15日に内規を「一親等以内の親族」に緩和することを決定した。
与党3党での取り決めで民主党所属の国会議員の海外公務のファーストクラス利用を禁止している。
役職
党役員
- 2012年10月30日より
最高顧問 | 羽田孜 | 鳩山由紀夫 | 菅直人 | |
---|---|---|---|---|
渡部恒三 | 江田五月 | 藤井裕久 | ||
岡田克也 | ||||
代表 | 野田佳彦 | |||
副代表 | 石井一 | 鹿野道彦 | 川端達夫 | |
赤松広隆 | 北澤俊美 | 直嶋正行 | ||
仙谷由人 | ||||
幹事長 | 輿石東 | |||
幹事長代行 | 安住淳 | |||
幹事長代理 | 松本剛明 | 一川保夫 | ||
筆頭副幹事長 | 松井孝治 | 三日月大造 | ||
総括副幹事長 | 笹木竜三(首席) | 牧野聖修(首席) | 篠原孝 | |
吉田泉 | 田嶋要 | 逢坂誠二 | ||
副幹事長 | 下条みつ | 仲野博子 | 市村浩一郎 | |
首藤信彦 | 大谷信盛 | 福田昭夫 | ||
樋口俊一 | 大久保潔重 | 松浦大悟 | ||
吉川沙織 | 藤谷光信 | 川合孝典 | ||
参議院幹事長 | 一川保夫 | |||
政策調査会長 | 細野豪志 | |||
政策調査会長代行 | 細川律夫 | 増子輝彦 | ||
政策調査会長代理 | 馬淵澄夫 | 高橋千秋 | 大塚耕平 | |
政策調査筆頭副会長 | 田島一成 | |||
政策調査副会長 | 辻元清美 | 松崎公昭 | 奥田建 | |
古本伸一郎 | 菊田真紀子 | 岡本充功 | ||
津川祥吾 | 田村謙治 | 楠田大蔵 | ||
田名部匡代 | 小川淳也 | 階猛 | ||
辻恵 | 中根康浩 | 山根隆治 | ||
鈴木寛 | 柳澤光美 | 尾立源幸 | ||
林久美子 | 小見山幸治 | |||
国会対策委員長 | 山井和則 | |||
国会対策委員長代行 | 奥村展三 | |||
国会対策委員長代理 | 後藤斎 | 津島恭一 | ||
国会対策副委員長 | 泉健太 | 田名部匡代 | 和田隆志 | |
森本哲生 | ||||
参議院国会対策委員長 | 池口修次 | |||
選挙対策委員長 | 鉢呂吉雄 | |||
選挙対策委員長代理 | 石田勝之 | 小林正夫 | ||
総務委員長 | 山口壯 | |||
総務委員長代理 | 中根康浩 | 田中直紀 | ||
財務委員長 | 中川正春 | |||
財務委員長代理 | 和田隆志 | |||
組織委員長 | 玉置一弥 | |||
組織委員長代理 | 近藤昭一 | |||
広報委員長 | 手塚仁雄 | |||
広報委員長代理 | ||||
企業団体対策委員長 | 前田武志 | |||
企業団体対策委員長代行 | 川内博史 | |||
企業団体対策委員長代理 | 辻恵 | 城井崇 | 藤田幸久 | |
加藤敏幸 | 室井邦彦 | 武内則男 | ||
国民運動委員長 | 蓮舫 | |||
国民運動委員長代理 | 津村啓介 | 高井美穂 | ||
常任幹事 | 北海道 | 山崎摩耶 | 東北 | 田名部匡代 |
北関東 | 高野守 | 南関東 | 坂口岳洋 | |
東京 | 北陸信越 | 黒岩宇洋 | ||
東海 | 金森正 | 近畿 | 吉田治 | |
中国 | 平岡秀夫 | 四国 | 小川淳也 | |
九州 | 楠田大蔵 | |||
常任幹事会議長 | 中野寛成 | |||
両院議員総会長 | 直嶋正行 | |||
参議院議員会長 | 輿石東 | |||
代議士会長 | 川端達夫 | |||
中央代表選挙管理委員長 | 滝実 | |||
中央代表選挙管理委員 | 若泉征三 | 金森正 | 阿知波吉信 | |
難波奨二 | ||||
会計監査 | 川越孝洋 | 藤原正司 | ||
倫理委員長 | 北澤俊美 | |||
倫理委員 | 大畠章宏 | 吉田泉 | 森本哲生 | |
藤田一枝 | 岡崎トミ子 | |||
党外倫理委員 | 五百蔵洋一 |
民主党・新緑風会(参議院)常任役員
- 2012年10月30日現在
会長 | 輿石東 | |||
---|---|---|---|---|
副会長 | 岡崎トミ子 | 柳田稔(議員総会議長) | 藤原正司 | |
小川敏夫 | ||||
幹事長 | 一川保夫 | |||
幹事長代理 | 松井孝治 | 津田弥太郎 | ||
国会対策委員長 | 池口修次 | |||
国会対策委員長代理 | 広田一 | 小林正夫 | ||
議院運営委員会理事(筆頭) | 水岡俊一 | |||
予算委員会理事(筆頭) | 小川敏夫 | |||
政策審議会長 | 高橋千秋 | |||
政策審議会長代理 | 柳澤光美 | 林久美子 | ||
会計監査 | 郡司彰 | 羽田雄一郎 |
政党交付金
- 2009年 - 136億6065万円
- 2010年 - 172億9700万円
- 2011年 - 168億2588万円
党勢の推移
衆議院
選挙 | 当選/候補者 | 定数 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
(結党時) | 98/- | 511 | ||
第42回総選挙 | ○127/262 | 480 | 追加公認+2 | |
第43回総選挙 | ○177/277 | 480 | 追加公認+3 | |
第44回総選挙 | ●113/299 | 480 | ||
第45回総選挙 | ○308/330 | 480 | -78 |
参議院
選挙 | 当選/候補者 | 非改選 | 定数 | 備考 |
---|---|---|---|---|
(結党時) | 38/- | - | 252 | |
第18回通常選挙 | ○27/48 | 20 | 252 | 追加公認+7 |
第19回通常選挙 | ○26/63 | 33 | 247 | 追加公認+1 |
第20回通常選挙 | ○50/74 | 32 | 242 | 追加公認+2 |
第21回通常選挙 | ○60/80 | 49 | 242 | 追加公認+4 |
第22回通常選挙 | ●44/106 | 62 | 242 |
(参考文献:石川真澄(一部、山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2)
- 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属の議員を含む。
- 『戦後政治史』にない追加公認は2 国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)(衆議院)、(2) 参議院(2002年まで)、(2) 参議院(2004年まで)にある、選挙直後の国会召集日の会派所属者数から判断した。ただし、第20回通常選挙直後の召集はなく、国会の記録は、副議長就任による党籍離脱が行われたあとで-1となっている。
地方政治
- 地方議員:1529人
- 都道府県議会:455人
- 市議会892人
- 特別区議会96人
- 町村議会86人
- 政党支部数:595(2012年1月現在)
政党収入額
- 2010年 - 362億0,659万円
得票総数
- 第45回総選挙 - 小選挙区33,475,334票・比例代表29,844,799票
- 第21回通常選挙 - 選挙区24,006,817票・比例代表23,256,247票
- 第22回通常選挙 - 選挙区22,756,000票・比例代表18,450,139票
支持層
政党支持率の推移
第21回参議院議員通常選挙までは、民主党の政党支持率は自民党と比べ上下変動が大きく、国政選挙の直前に急上昇する傾向が見られた。各種全国紙の世論調査では大体15%前後で推移していたが、朝日新聞の調査では第43回衆議院議員総選挙の前に20%台まで上昇している。また同調査で第20回参議院議員通常選挙および第21回参議院議員通常選挙の前には30%台まで急上昇し、このときは自民党の支持率を逆転するまでに至った。しかしその一方で、選挙後は選挙前の水準まで下がるのが一般的であった。また堀江メール問題など党内で不祥事などが起きると平時よりも政党支持率が一段と下落していた。
年齢別に見ると、結党後しばらくは20~40代の世代に強い支持を集めていたが、自由党と合併し小沢一郎の代表就任後は50~60代の中高年層や保守層などにも支持を広げている。一方性別で見てみると、女性議員の数は自民党より多いにも関わらず、女性層の支持は男性層より少ない。
第21回参議院議員通常選挙後は、これまでのような、選挙後に支持率が急降下するという現象が発生しておらず、各種世論調査で20%以上の支持率を維持している。このため、選挙後も自民党の支持率を上回るという現象が初めて維持されていたが、安倍首相の辞任会見、福田康夫新総裁の選出の余波を受け、多くの調査で自民党に政党支持率トップの座を奪い返された。しかし、その後も各種世論調査で政党支持率はこれまでに比べて高い水準を維持し続け、大連立騒動などの混乱が起こっても支持率の急降下という現象が発生しなくなった。福田首相の突然の辞任とその後に発足した麻生内閣の混乱に伴って自民党支持率が急降下したため、最近では再び各種世論調査で支持率が自民党を上回るようになった。
しかし、2009年3月の小沢一郎代表の公設第一秘書が逮捕された事件の影響で、各種世論調査での支持率は低下し、各種世論調査での政党支持率が自民党を下回ったが、鳩山由紀夫代表の選出直後には再び自民党を上回っている。
都市部優位からの変化
かつて、民主党は、1区現象で顕著であったように、各県の県庁所在地や東京などの都市部での支持が圧倒的に強いという傾向があった。ところが、2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙においては、「逆1区現象」と呼ばれたほど民主党が都市部での票を大きく失い、東京都内の小選挙区での当選者が東京18区の菅直人のみ、千葉県内の小選挙区の当選者が千葉4区野田佳彦のみ、神奈川県内の小選挙区での当選者は0となるなど、大敗北を喫した。これは、自民党が、地方を軽視する傾向にあったものの、「小泉劇場」「刺客選挙」で増幅され続けた小泉純一郎首相への個人的人気(ポピュリズム)、いわゆる「小泉旋風」により、特に都市部において自民党候補への票が圧倒的に増加したことが原因とされている。
しかし、その後小沢一郎が党代表に就任すると地方や農村部で民主党がそれまでになく健闘するケースも見られた。小沢は2007年7月の第21回参議院議員通常選挙に備え、自ら参議院一人区となっている地方を重点的に回り、自民党の支持基盤の切り崩しを図った。その結果、自民党の支持基盤である地方でも選挙区選挙で自民党候補を押す人が減り、支持の急伸した民主党候補に逆転される場合が多くなった。安倍自民党が閣僚たちの数々の不始末や年金問題などで自滅し続けていた(新聞各紙のアンケート調査)という要素もあるが、地方でこのような民主党への着実な支持が新たに広がっていたため、参議院一人区で、民主党公認候補が17勝6敗、野党系無所属候補を合わせると23勝6敗という大躍進が実現したと考えられる。2007年の参議院選挙では、地方を中心とする「一人区」で民主党が自民党に対し17勝6敗(無所属等も含めると23勝6敗)と3倍近い議席を獲得した。
その後、政権交代を実現した2009年の第45回衆議院議員総選挙では民主党が都市部において支持を挽回し自民党を圧倒する一方、西日本の農村部を中心に自民党が議席を守るといった傾向が顕著となった。
政権交代後
政権交代後初の大型国政選挙である2010年の第22回参議院議員通常選挙では、一人区で8勝21敗と大敗したことが響き、比例代表の獲得議席で自民党を上回ったものの、改選議席を大きく下回る結果となった。その後の統一地方選でも敗北するなど地方を中心に党勢の退潮が顕著となっている。
地方政治における勢力
結党当初、愛知県、北海道などの旧社会党系、旧民社党系の組織がそのまま参加した地域を除き、地方組織がほとんど無い状態でスタートした政党だったため、国政の議員数に比べ明らかに地方議員の数が少ない状態が続いていた。しかし、複数の国政選挙の経験から、また自由党から合流し代表となった小沢一郎の方針により、地方組織の充実のため地方議員を増加させることが党の課題とされた。2007年の統一地方選挙がその試金石であった。
統一地方選挙の前哨戦と言われた2006年12月10日投票の茨城県議会議員選挙では、保守王国(自民王国)である茨城県において、水戸市や日立市で民主党議員がトップ当選し、県南地域の土浦市でも民主党が議席を獲得した。2007年4月8日に実施された、東京都・茨城県・沖縄県を除く44道府県議会議員選挙では、民主党は都市部を中心に躍進し、埼玉県・千葉県・神奈川県・愛知県といった大都市圏の県議会で大幅に議席を増やした。また、政令指定都市の市議選でも、札幌市・名古屋市・川崎市で議席数が自民党を上回り、仙台市・神戸市・堺市では自民党に1議席差まで迫った。議員定数の少ない選挙区でも、民主党新人が自民党の大物議員に競り勝った。
2007年4月22日実施の特別区議選では43議席増、市町村議選でも一般市議選で82議席を増やしており、地域での基盤の充実の方針が成果を収めつつあったと考えられる。しかし、市区町村地方議会議員の数では、公明党、日本共産党と比べると少なく、社民党よりも議員の数が少ない地域もある。
その後は2008年9月の麻生太郎首相就任後、自民、民主両党が対決した知事選、政令指定都市の市長選など7つの大型地方選で5勝した後、2009年7月12日に行われた東京都議選では自民党を44年ぶり第一党から転落させ、都議会第一党に躍進するなど着実に地方での支持を拡大させた。
しかし政権交代後には、地方組織の弱さや政権への不信感が露呈した形で、民主党が推薦・支持候補落選が相次いでいる。第17回統一地方選挙の前哨戦として注目された2010年11月14日投開票の福岡市長選挙では民主党が推薦した現職候補が自公系の新人候補に大差をつけられ落選する。2010年12月12日投開票の茨城県議会議員選挙でも23人の候補者中当選は現状維持の6議席に留まり事実上の惨敗に終わった。また2010年12月18日投開票の和歌山県知事選、同日行われた金沢市長選でも自民系の候補者に当選を許す結果となっている。さらには菅直人首相のおひざ元とされた西東京市ですら市議の議席を大きく減らした。その他に、2011年2月6日の名古屋市長選挙・愛知県知事選挙および同年3月13日の名古屋市議会議員選挙では元民主党の河村たかしが結成した減税日本公認・推薦の候補者が大量に当選したのに対し、既成政党の候補者は民主党を中心に落選が相次いだ(候補者を絞った公明党を除く)。
第17回統一地方選挙では、地域政党躍進、自民党の復権に追い立てられ時事上の惨敗に終わったとされる。このように党勢の衰退が目立ち始めている。
支援団体
カテゴリー | 団体 |
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労働組合 | *日本労働組合総連合会(連合) 2005年11月、組合員数約670万人。民主党の最大の支持基盤とされる。しかし、地方によっては社民党を支持する組合もある。このことから、連合内の路線も統一されていないといえる。また、かつての社会党・総評ブロック、民社党・同盟ブロックに見られたような「運命共同体」と呼べるほどの密接さは民主党と連合の間には存在しない。2005年9月に党代表に就任した前原誠司は、官公労との関係を見直して距離を置くという姿勢を繰り返し示したことで連合側が反発し、関係が冷え込んだこともある。連合傘下の有力単産は、政治的影響力を行使するため[2]、組織内候補を民主党を中心に擁立し、国政に送り込んでいる。 議員を送り込んでいる主な連合傘下組合は次の通り。 *全国繊維化学食品流通サービス一般労働組合同盟(UIゼンセン同盟) 現在では日本最大の単産として強い影響力を持ち、高木剛会長他、連合に多数の役員を出している。民主党には、元幹事長の川端達夫など、多数の組織内議員を送り込んでいる。 *全日本自治団体労働組合(自治労) 政府が進める公務員制度改革に対しては「民主的な改革」特に労働基本権の回復に力を入れている。主に民主党を支持。相原久美子、江崎孝(自治労特別中央執行委員)をはじめ、多くの自治労関係者が民主党から出馬し当選している。 *全日本自動車産業労働組合総連合会(自動車総連) 組織内議員として、直嶋正行、池口修次を擁している。 *JAM 組織内議員として、津田弥太郎を擁している。 *日本教職員組合(日教組) 日教組の組織内候補として那谷屋正義(日教組教育政策委員長)をはじめ、日本民主教育政治連盟(日政連)という政治団体を通じて関連議員を政界に送り込んでいる。かつては社会民主党所属の議員も所属していたが現在では日政連議員8名全員が民主党に属している。 *日本基幹産業労働組合連合会(基幹労連) 2名の組織内議員(高木義明、轟木利治)、2名の準組織内議員(柳田稔、辻泰弘)を擁している。 *情報産業労働組合連合会(情報労連) 組織内議員として吉川沙織、石橋通宏を擁している。 *全国電力関連産業労働組合総連合(電力総連)、電力会社の労働組合の連合体で国政・地方選で多くの候補を送り出している。参議院に組織内議員として藤原正司(関西電力総連)、小林正夫(関東電力総連)がいる。 その他の単産 日本郵政グループ労働組合(JP労組)、日本鉄道労働組合連合会(JR連合)など、連合傘下の有力単産が組織内議員を擁している。 |
宗教団体 | *立正佼成会(新日本宗教団体連合会) 以前は自民党を支持していたが、自民党が対立組織である創価学会が支持する公明党と連立政権を組むようになったため、実質的に民主党を支持するようになった。2005年9月の衆院選では自民党16名に対し、民主党167名を推薦し、組織で応援している。2007年参院選では立正佼成会を支持母体とする風間直樹と大島九州男が民主党から出馬し、両名とも当選している。 *その他の宗教団体 浄土真宗、天理教が組織内議員を擁している。また、2010年の参議院選挙では曹洞宗が組織内候補を擁立したが落選している。 |
業界団体 | *全日本遊技事業協同組合連合会(全日遊連)および日本遊技関連事業協会(日遊協) 民主党娯楽産業健全育成研究会に属する民主党議員を通じてパチンコ業界と関係を築いている。また、衆参あわせて36名の民主党議員がパチンコ・チェーンストア協会の政治分野アドバイザーを務める(自民党議員10名も所属)。民主党娯楽産業健全育成研究会は2005年6月、換金を合法化する『遊技場営業の規制及び業務の適正化等に関する法律案大綱』という法案を作成[1]。 |
その他 | *部落解放同盟 民主党ホームページにて関連団体としてリンクされ、民主党の支持団体である[2]。また2004年、部落解放同盟中央書記長であった松岡徹が民主党から参院選に出馬し、当選。彼は民主党『次の内閣』ネクスト法務副大臣(2007年9月就任)となっていたが2010年の参院選で落選。[3]。また、衆議院選挙では組織内候補として松本龍(部落解放同盟副委員長)、中川治(部落解放同盟大阪府特別執行委員)を支援し、当選させている。 *在日本大韓民国民団 地方外国人参政権の獲得を目的に民主党と公明党の支援を表明しており、小沢一郎もそれに謝意を表明し、帰化した韓国系日本人の支援を期待していると発言している。また民主党を応援しようという団員からの投稿が機関紙に掲載されたこともあり、2004年参院選にて民主党から比例区で出馬した白真勲は当選直後に民団へ行き「参政権運動にともに邁進しよう」と挨拶をした。2007年の参院選では、在日2世(2005年帰化済)の民団員である金政玉(民団葛飾支部国際課長)が民主党から出馬したが落選。 *指定暴力団「山口組」 2007年7月の参院選で全国最大の指定暴力団「山口組」(本部・神戸市)が、傘下の直系組織に民主党を支援するよう通達を出した。 |
ロゴマーク
赤い2つの円が描かれた民主党のロゴマークは、1998年4月に発表された。デザインは浅葉克己によるもので、白地に一つの赤色の真円と、もう一つの赤色の歪んだ円とを、上下に少しだけ重なるように並べて配置し、その2つの円の重なった部分だけは素地と同じ白色にしたものとなっている。
2つの円は「民の力」の結合を象徴的に表しており、下側の円の輪郭線が曲線でないのは、円がみなぎる力で動いたり、育ったりして、生命体のように成長しつつ、融合して新しい形を生み出す様子を表している。また、結党当時の代表・菅直人によると、「今は完全ではないが、雪だるまも転がしているうちに大きくきれいな球に育つ」という思いを込めたものだと解説している。
国旗切り張り問題
2009年8月8日に鹿児島県霧島市で開かれた皆吉稲生の第45回衆議院議員総選挙立候補予定者集会で、党代表代行の小沢一郎も席を並べたそのステージ上に、国旗2枚を裁断して支持者が作成したとされる党旗が掲げられた。民主党の陣営の説明によれば、「熱心な支持者」が自作して持参した党旗であり、それが2枚の日本の国旗を縫い合わせたものだとは気づかなかったと民主党側は発表した。
この8日の集会終了時に既にマスコミ関係者から、国旗で作った民主党党旗を問題視する声が出ていたが、公示日前日となる同月17日に開催された党首公開討論会で自民党の麻生太郎総裁(内閣総理大臣)がこれを取り上げたことで、世間に広く知れ渡ることになった。麻生は、会場に掲げられた民主党の党旗は「よく見ると、国旗を切り刻んで上下につなぎ合わせていた。民主党のホームページにも載っている。とても悲しい、許し難い行為だ」と批判した。
これを受けて民主党の鳩山由紀夫代表は、その場で「そんなけしからんことをやった人間がいるとすれば、大変申し訳ない」と謝罪し、「我々の神聖なマークなので、マークをきちんと作らなければならない話だ」と述べた。同日、民主党の公式ホームページから、集会場の模様が撮られた画像が全て削除された。
8月18日、皆吉稲生は予定通り衆院選に立候補し、出陣式で「国旗の使用方法としては不適切で深くおわびする」と謝罪した。同日、民主党幹事長・岡田克也が皆吉を口頭注意した。皆吉の後援会は、党本部や県連および支援団体に「国旗の尊厳をおとしめる意図は全くなく、主催者の不手際が原因」と謝罪する文書を送付した。
麻生総裁は事件以降、衆院選遊説中に、「日の丸をひっちゃぶいて(引き破いて)、2つくっつけた。日の丸をふざけたような形で利用するなんてとんでもないと、もっと怒らにゃいかんのです」などと批判を繰り返し、他にも自民党のホームページや選挙パンフレットにこの批判を掲載して民主党へのネガティブ・キャンペーンに使用した。
櫻井よしこは、韓国では「法律で国旗を手厚く守っている」ことを挙げ、「国旗を無惨に切り裂いた行為を取り立てて問題だと思わない民主党の面々と多くの日本人」を非難し、「おかしな日本の姿がくっきり浮かんだ『事件』だった」と評した。
産経新聞は、社説「主張」および「産経抄」にて、「(国旗切り張りは)明らかに国旗に対する侮辱である」と非難し、小沢一郎代表代行まで出席し、また党のホームページにその写真が載っていながら、指摘されるまで党内で問題にされなかったことを批判し、国旗国歌法の成立に反対してきた民主党の旧社会党議員や、特に国旗国歌に反対してきた日本教職員組合は民主党の支持母体の一つであり、多くの議員を民主党に送り込んでいることを挙げて、それがこの「事件」と無関係ではないとし、民主党の大会でも国旗が掲げられていないと指摘した。
訴訟
2009年6月12日、堀江貴文元ライブドア社長から、民主党による偽メール問題で名誉を傷つけられたとして、損害賠償と謝罪広告を求める民事訴訟を東京地方裁判所に起こされた。
脚注
関連項目
外部リンク
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