ムーディ勝山
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ムーディ勝山 | |
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本名 | 勝山慎司 |
ニックネーム | |
生没年月日 | 1980年6月11日((2024-1980)+((12-6)*100+(22-11)>=0)-1歳) - |
出身地 | 滋賀県草津市 |
血液型 | O型 |
身長 | 171cm |
方言 | 関西弁、共通語 |
最終学歴 | |
師匠 | |
出身 | NSC大阪校23期 |
グループ名 | アイスクリーム(旧・勝山梶)(2005年-2010年) |
相方 | 梶剛(元相方) |
芸風 | 漫談、猿まわしなど |
立ち位置 | 左 |
事務所 | よしもとクリエイティブ・エージェンシー(吉本興業) |
活動時期 | 2000年 - |
同期 | 友近、ガリガリガリクソンなど |
現在の代表番組 | |
過去の代表番組 | エンタの神様 |
作品 | |
他の活動 | 歌手 |
配偶者 | 既婚(2011年より) |
親族 | |
弟子 | |
公式サイト | 公式プロフィール |
受賞歴 | |
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ムーディ勝山(ムーディかつやま、1980年6月11日 - )は、日本のお笑いタレントである。本名、勝山 慎司(かつやま しんじ)、滋賀県草津市出身。身長171cm。吉本興業(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)所属。吉本総合芸能学院 (NSC) 大阪校23期生。
かつてはアイスクリーム(旧・勝山梶)の一員(ボケ担当)であった。ピン芸人としてムード歌謡ネタを披露する際には「ムーディ勝山」(ムーディかつやま)の名で登場していたが、そのまま正式な芸名になった。2010年6月19日をもって、梶剛とのコンビ、アイスクリームを解散した[1]。現在はピン芸人及びタレントとして活動している。
目次
来歴[編集]
NSC入学まで[編集]
- 福岡県柳川市に生まれ、幼い頃に大阪府吹田市に転居。さらにその後、滋賀県草津市に引っ越すことになる。草津市立新堂中学校卒業後、滋賀県立瀬田工業高等学校機械科を数カ月で中退。その後2年ほど引きこもる。
- ひきこもりに困った母親が、何としても外に出したい気持ちでいる頃、ラジオで吉本総合芸能学院 (NSC) 募集の話を聞き、母親が資料を取り寄せ、ついに芸人の世界に足を踏み入れる。並行して滋賀県守山市内のなか卯でアルバイトをするようになり、その店で現在の妻と出会う。(2回の告白で振られるも、3度目の正直でようやく付き合う事となる。)
NSC入学からピンでのブレイクまで[編集]
- NSC大阪校の23期生としてお笑いの道に進む。コンビ「セコンドアウト」を結成。素人名人賞で名人賞を受賞するも、間もなく解散。その後トリオ「平安京999」と結成するも再度解散。2005年にNSCでは1期上だった梶剛と「勝山梶」としてコンビを組む。
- 2006年はじめに、笑い飯と千鳥のライブにゲスト出演し、ムード歌謡ネタを初披露した[2]。実験的な目的で行ったが観客に大うけし、ネタに確信を持った[2]。同年6月、NSCやはり1期上のダイアン・津田篤宏の結婚披露宴パーティー会場にて、特技の歌を使った宴会芸として「右から来たものを左へ受け流すの歌」を披露した様子が、ヨシモトファンダンゴTVにて「ダイアン津田の結婚披露宴パーティー」という特番として放映された。これをきっかけに番組関係者からオファーが来るようになり、テレビ番組での露出が増える。ちなみに、この披露宴の司会をしていたのが勝山の後にブレイクを果たす天津木村である。
- さらにヨシモトファンダンゴTV内の『ヨシモト∞』大阪2部若手芸人ネタコーナーにて、司会のブラックマヨネーズらの前で「右から左へ受け流すの歌」を歌いきり、それまで名乗っていた「DJ KATUYAMA」より、「ムーディ勝山」の名前が浸透するようになった。
- 2006年から2007年にかけての年末年始特番は『オールザッツ漫才』(MBSテレビ)と『さんまのまんま2007年新春スペシャル』(関西テレビ)に出演した。勝山本人はこれがブレイクのきっかけだと語っている[3]。そして『オールザッツ漫才2006』で「右から来たものを左へ受け流すの歌」を披露した際審査員であった陣内智則らの目に止まり、陣内の結婚式2次会に呼ばれる。
- 『ドッカ〜ン!』 (TBS) で初のレギュラー出演番組を獲得。「歌う工場見学先生」として製品のできる過程をムード歌謡に乗せて紹介しており、「コアラのマーチ」(ロッテ)や、「ひよ子」、「タイヤ」ができる過程を歌っていた。
- 着うたダウンロード数は210万件以上(2007年8月9日時点)、携帯電話向けコンテンツだけで2億円以上の売上げを記録した[2]。レコード会社着営サウンドの2007年上半期着うたランキングで、ケツメイシやレミオロメンなどのミュージシャンに混じって21位に入る[2]。
- 2007年には、前川清が歌う「そして神戸」のコーラスとしてNHK紅白歌合戦への出場を果たした。
- 全盛期の月収は640万円で、目黒にあった家賃27万円のマンションに住んでいた[3]。
一発屋へ[編集]
- しかしその後は出演番組が減り、一発屋芸人とも呼ばれるようになる。
- 『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』の「今年が大事芸人'09」にて講師として登場した際、有吉弘行は「去年初めて会ったときから、『久々に活きのいい一発屋が来たな!』と思っていた」と語った。それに対して勝山本人はただ頷いていた。勝山はチャームポイントである髭を剃って付け髭になり、2009年現在週4 - 5日はオフで、着うたの収入を切り崩して生活していると語っていた[4]。
- 有吉曰く、「僕が今一番可愛がっている一発屋」。
- 2009年4月18日放送分『エンタの神様』に8か月ぶりに出演。普段と同じメロディで上記の着うたの収入や、同時期に売れ出した小島よしおや渡辺直美と比べて露出が減ったことを自虐的に歌った。また、番組サイトに掲載されたネタ後トークでは2008年に発売したDVDが数百枚しか売れなかったことを告白した。
- ある月、マネージャーからスケジュール表が送られて来なかった。怒ったムーディはマネージャーに「今月の予定立てられへんから、今すぐFAXで送れ!」と電話、FAX用紙をセットして数秒後にFAXが起動してデータを受信すると、白いFAX用紙が真っ白なまま出てきた。
- ケンドーコバヤシの「右肩下がり軍団」の筆頭若頭であり、メンバーには若井おさむ、ネゴシックスがいる(RGも候補だったがメンバーから外れていた)。『にけつッ!!』ではケンコバの口からムーディにまつわるエピソードが時々語られる。その悲哀に満ちたエピソードの数々に千原ジュニアが思わず「ムーディ…、全然ムードないやん!!」とツッコんだ程である。
- ケンコバに「今何してんねん?」と電話で聞かれて、「今日は仕事で、自宅待機です」と答えた(ケンコバ曰く「そんな仕事内容を初めて聞いた」)。
- 「仕事がない」とは同棲している彼女には言いにくいため、毎日仕事に行くフリをして近所の公園でハトにエサをやって時間を潰している。
- エサを求めてやってきたハトの集団を「ワッ!」と脅かすということを繰り返した結果、エサを撒いてもハトが寄り付かなくなった。
- HMVのお笑いDVDコーナーで、このお笑いブームの最中にムーディのDVDのみが30%OFFで販売されていた。それを写メールし彼女に送ったところ小一時間後に彼女から「きっと(ムーディのDVDだけ)仕入れすぎちゃったんだよ」と返信があった。ケンコバ曰く「なんて素晴らしいできた彼女なんだ」。
- 軍団のメンバーでパキスタン料理の店で飲んでいた。店を出てから、ムーディが現金5万円とカードが入った財布を店に忘れてきたことに気づいた。その場にいたケンコバ・若井おさむと3人で店に戻る際、世界各国を旅した経験のある若井に「パキスタン人のモラルに期待しないほうが良いです、僕も前に盗られたことがありますから!」。ケンコバには「決め付けるなや、持っててくれてるかもしれへんやろ!」と言われ、不安が募る中、店に戻ると店主が財布を持って外で待っていてくれた。安心して中身を確認すると、5千円しか入っていなかった。ケンコバがキレて店に戻ろうとすると、実は元々5千円しか入っていなかったが、後輩の手前、5千円しか入っていないことを言い出せずにいただけだったことを告白、ケンコバに諌められた。
- 現在のライバルは同じ一発屋のポジションの奪い合いでレイザーラモンHGや藤崎マーケットである。
- 2009年6月、アメリカ映画『レスラー』のイベントにおいて仕事が月に4日の時があると語った。
- 上記の公園でのハトのエサやりのエピソードは『アメトーク』の「今年が大事芸人」内で本人の口から語られ、放送当日、ムーディは彼女と外出してその映像を見せまいとした。しかしその放送日には「滋賀芸人」の収録で出かけられなかった。その後家に帰ると、机に彼女が作った大盛りの食事と手紙が置いてあった。そこには「今まで気づかなくて、ごめんね。ずっと辛い思いをしていたのに…。もしかしたら番組の打ち上げでお腹一杯かもしれないけど、良かったら食べてください。それと、今日のアメトーーク、とっても面白かったよ!」と書かれていた。それを見たムーディ本人は勿論号泣、話を聞いたケンコバや雨上がり決死隊らも感動した。また、ケンコバ曰く、このエピソードを聞いた東野幸治も感動していた[5]。
- 2010年に『100日劇場』の企画で猿回しに挑戦し、同年3月14日放送の『笑点』に「ムーディ勝山&生太郎」として出演した。
- 最近 いつ?ではマネージャーが自身も含めて100組の芸人をまとめて担当するようになった。ある日、家で寝ていたら突然マネージャーから電話があり、「ムーディさん、すいません。今、ムーディさんが出演する予定のラジオの生放送が流れてます!」と言われたことがある。
- 100組満員の単独ライブのチケットが1週間で3枚しか売れなかったことがある。手売りしようと自身でチケットをコンビニエンスストアで2枚購入すると、通し番号が「4、5」だった。その3日後に再び2枚購入すると今度は「6、7」だった。さらに2日後に購入すると、2番目に買った人がキャンセルしたため「2」が出てきた。
- 「アメトーク」の「小忙しい芸人」では日本各地あちこちの舞台に行かされる事を愚痴る出演者に対して一言物申す「無忙しい芸人」として出演、そこで唯一のレギュラー番組だった「ムーディ勝山の好きです!かつしか」(葛飾FMで放送されていた5分番組)が2012年4月を以て終了したことを明かし、雨上がり決死隊から「純然たるヒモ」とイジられ、出演していた村上健志(フルーツポンチ)のあだ名「ヒザ神」に引っ掛けて「ヒモ神」と呼ばれた。
芸風[編集]
ピンでの芸風[編集]
- 現れると自己紹介と「自作のムード歌謡をお聞かせします」との挨拶を述べ、「ミュージック、スタート!」の声と共にムード歌謡風のネタをア・カペラで歌う。
- 外見的な特徴は、横に伸ばしたちょび髭。服装は常に白いタキシードと黒の蝶ネクタイ、髪型はポマードを付けたような横分けで、右手に金色や銀色等の派手な色のマイクを持っている。左手を腰のあたりで肘を曲げ拳を握ったポーズをとり、真顔で一点を注視したまま持ち歌(ネタ)を披露する。しかし現在は髭を剃っている(後述)。
- 大した意味はないが、聞いている側がツッコミを入れずにはいられないような表現の歌詞で、歌の最後には必ず「♪あ〜あ〜(この)○○○〜」というフレーズが入る(○○○には演歌・歌謡曲のタイトルや歌にありがちな(しかし直前までの歌詞には全く関連しない)地名が入る(※ 具体例:東京砂漠、鳥取砂丘、神戸ポートピアランド、横浜ベイブルース、知床半島、諏訪湖祭り、他)。
猿まわし[編集]
- 日本テレビ『100日劇場』で、100日間で人を再生させようという企画から、有吉弘行プロデュースにより、村崎太郎のもとに弟子入りし、猿の生太郎とともに2010年3月14日に『笑点』に出演。右から来たものを左へ受け流すの歌にのせて、「猿がウロウロしてる、それを左へ受け流す」という歌を生太郎を右から左へ移動させることで披露した。
ムディ川淳二[編集]
- 稲川淳二のパロディ。
人物・エピソード[編集]
- 正しい表記は「ムーディ勝山」だが、テレビなどで「ムーディー勝山」と誤って呼ばれることが多々ある。2007年9月11日放送の『ロンドンハーツ』の格付けしあう男たちのコーナーで、小島よしおにワースト1位にランクさせられた際に『ー』をつけた記述に「失礼だな!」と激怒していた。
- 2011年8月21日、上記にもあるなか卯のバイト時代から9年間交際している29歳の一般女性との結婚を発表。25日に婚姻届を提出。2013年10月27日に、第一子である男の子を授かる。
- 『ちちんぷいぷい』出演時に「ムード歌謡は昔から好きで」と語っていたが、主に誰の歌が好きだったか聞かれると数秒の間を置いた挙句「石原裕次郎さんとか…」と発言しており、ムード歌謡自体にはあまり詳しくない。
- 学生時代は野球部に所属。
- ファンクラブにも入っていたほどのMAXの大ファンである。特にお気に入りはNana。2007年8月15日、『ジャイケルマクソン』 (MBS) にて共演を果たし、披露したムーディソングで、史上初、右から来たMAXを受け止めた。
- aikoの大ファンでもあり、素人時代に彼女が司会をつとめるラジオ番組にリクエストをしたことがある。ただし単なる曲のリクエストではなく、aikoと口じゃんけんをし、あいこ(名前にちなんだ洒落)になると15秒間会話が出来る権利を獲得するというコーナーだった。ムーディは見事あいことなり権利を獲得したが、あまりの嬉しさに舞い上がってしまい、「うっわぁ〜 aikoや〜」と15秒間奇声をあげ続けて、結局まともに会話ができなかった。
- 2007年1月28日に『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ)にて毎年行われているガキの使い大新年会にて山崎邦正プレゼンツで行われた「山-1グランプリ」のコーナーに出場。審査委員長である山崎の「浜田さんの突っ込みドカーン、君の歌ドカーン、出来上がってるんです。そんな怖い若手はいらない!」という理由により獲得点数は20点満点中11点という結果に終わる。なお優勝はにしおかすみこだった。
- 『お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル』に出場した際、審査員の八代亜紀にダンディ坂野と間違われ「ダンディさん」と呼ばれた。ムーディ本人も「先日ダンディさんに初めてお会いしたんですけれども、衣装が色違いなだけでした」と語っていた。
- 2009年8月『なべあちっ!』にて、怖い話DVDとともにムーディの寒い話を披露している。
- あの当時、僕は凄い勢いでした。着うた200万ダウンロード、紅白出場、CM9本。あの当時僕は本当にすごかった。それからメキメキと仕事が減り、先輩からは「よっ、右肩下がり。右肩下がり。」といわれ、そのときは「誰が右肩下がりやねん。」と返す気力があったのですが、今では、「よっ、右肩脱臼 」といわれ、・・・・・ 返す言葉がございません。
- 仕事の忙しい、フットボールアワーの後藤さんと、麒麟の田村さんと一緒にボクシングジムに通うようになったのですが、・・・・・僕だけメキメキ上達してるんです。(それは、暇だから)。週8ですから。
- 吉本ライブスタンドという2007年から始まったライブがあるのですが、宣伝を行うのですが、2007年、ライブ一回目のとき、僕が結構、表立って宣伝して回って、会社も僕をいっぱい使ってくれて、ライブ最中もあっちこっち回って、取材受けて回って、なんやかんや、おお働きして、・・・今年(2009年)、ライブスタンド開催されるんですけど、出演者スケジュール、・・・・・僕の名前、・・・・・一際、ございません。
- わたくし、スケジュールというものを一月分、一気にもらうんです。それをFAXで、家に送ってもらうんですけど、ある月、マネージャーがFAX送ってこなかったんで、マネージャーに「おまえ、なにしとんねん、来月の予定たてられへんやろ、いますぐ送れ、ボケ。」言うたら、そしたらマネージャーが「??、はい、分かりましたー。」といってFAX送ってきたんです。・・・・・まっ白のFAXの紙が、送られてきたんです。・・・・・何も無かったんです.
- 2009年暮にインフルエンザに罹り、年末の仕事に支障を来し相方とともに『オールザッツ漫才』に出場予定だったのを休むのを余儀なくされ梶のみが「アイスクリーム梶」として出演していた。
- 2009年8月25日に開催されたニュージーランド航空の「ニュージーでつくろう、ニュー・ジブン。」キャンペーンのイベントにおいて、「ニュージー勝山」(ニュージーかつやま)へ改名を宣言した[7]が、これはあくまで「ニュージーランドでのワーキング・ホリデーに参加して新たな芸風を手に入れた」というキャンペーン内における設定であり[8]、実際には改名していない。
- 有吉弘行に付けられたあだ名は、「コミックソング」。
持ち歌[編集]
歌詞のレパートリーは10近くあるが、基本的にメロディはほとんど同じで、城みちるの「イルカに乗った少年」に似たものである。なお、ネタは携帯に吹き込んで作っているという。
- 右から来たものを左へ受け流すの歌
- フルコーラスバージョンでは6分程の長さがある。勝山はタイトルを「右から左へ」と略されることにとても不満を感じているというが、自分自身も直前にイントロを忘れてしまい、近くにいた芸人に確認するなど、案外いい加減な扱いをしている。
- 本人曰く、「歌のタイトルには、みなさんも悲しみや不安を受け流して欲しいという意味合いがある」[9]。
- 「右から来たものは何か」という質問に対して、常に「ご想像におまかせします」と答えているが、「自分では何が来たと思って歌っているのか」と聞かれた際には「ポップコーン」と答えている[10]。
- 2007年5月16日以降iTunes Storeでも販売されている。またカラオケにも収録されており、「ミュージック、スタート!」「CHARA CHA CHA CHARA CHA…」なども全て歌詞とされている。
- 上から落ちてくるものをただ単に(ただただ)見ている男の歌
- 2006年11月3、4日にヨシモトファンダンゴTVにて放送された『ヨシモトファンダンゴTV6周年特番 29時間生TV』の中の「baseよしもと男芸人祭り」にて披露。2006年の『オールザッツ漫才』にて司会の陣内智則から無茶振りをされた際に歌詞ができた。
- 「落ちてくるもの」は「片方が外れた蛍光灯カバー」である[11]。
- 数字の6に数字の5を足したの歌
- カレーライスがすごくおいしいことを知ってほしい歌
- 2日前から後頭部に違和感がある男の歌
- 2007年3月18日放送分『爆笑レッドカーペット』にて初披露。他に「後頭部に違和感がある男の歌」などもある。
- これは勝山自身のことを歌った歌で、現在も後頭部には少し違和感があるらしい[12]。
- 37歳の歌
- 2007年2月『メッセ弾』にて、メッセンジャー黒田の37歳の誕生日を祝って、あいはら、ビッキーズ須知を前に歌ったもの。
- 嫁はんがチョイスしたシャツを着てるの歌
- 犬井ヒロシとのコラボ。バッファロー吾郎木村について歌ったもの。
- 窓から虫が入ってくるのを気にしない女の歌
- 19時に始まり21時半に終わる披露宴の歌
- 2007年5月30日、陣内智則・藤原紀香の披露宴で披露した歌。
- 窓から虫が入ってくるのを気にしない歌
- 死相の歌
- 『ロンドンハーツ』2007年7月3日放送分、名物企画「格付し合う○○たち」でこの芸人の子供は産みたくないランキングの一般女性ランクワースト2に自分が入った際、理由に「死相が見えそう」というのがあり、逆にこれをネタにしたもの。その結果、次長課長の河本準一、宮川大輔などから不興を買った。
- ただ単にキノコの事を歌った歌
- ネタ帳に記載されていた歌。『リンカーン』の企画「芸人ネタ帳検問」(2007年7月17日放送分)において披露され、雨上がり決死隊より「OK」の判断を与えられる。
- 100万円の歌
- 『エンタの神様』にて披露した曲(2007年7月21日放送分より)。他の曲とはメロディなどが異なり、最後は他の曲のような最後の締めの歌詞が「フフッフ〜」になっている。なお、この曲と同じメロディの曲は間奏としてイントロと同じメロディの口笛が入るが、音が外れている。
- ポッポの歌
- 『エンタの神様』で披露した曲(2007年8月11日放送分より)。メロディは「100万円の歌」と同じ。画面右上に表示される曲名は初め「汽車の歌」と表示されていたが曲の途中で「ポッポの歌」に変更されている。最後の締めの歌詞はない。
- もう少ししたら寝返り打ちますの歌
- 『エンタの神様』で披露した曲(2007年9月15日放送分より)。メロディは「右から来たものを左へ受け流すの歌」と同じ。
- フトンの歌
- 『エンタの神様』で披露した曲(2007年11月3日放送分より)。メロディは「100万円の歌」と同じ。
- 「頑張る」の歌
- 『エンタの神様』で披露した曲(2007年12月1日放送分より)。メロディは「100万円の歌」と同じ。
- パを抜いて言ってみての歌
- 『エンタの神様』で披露した曲(2008年1月26日放送分より)。メロディは「100万円の歌」と同じ。
- 2より3が面白いの歌
- 『エンタの神様』で披露した曲(2008年5月24日放送分より)。メロディは「右から来たものを左へ受け流すの歌」と同じ。
出演番組[編集]
テレビ[編集]
バラエティ[編集]
- 爆笑レッドカーペット(フジテレビ、不定期)キャッチコピーは「浮世離れなムード歌謡」。コラボカーペットで、とろサーモン久保田和靖と共演。
- エンタの神様(日本テレビ、不定期) キャッチコピーは「平成ロマンの歌謡ショー」。
- ドッカ〜ン!(TBS、2007年)
- 麒麟の部屋(毎日放送、2007年)
- 100日劇場(日本テレビ、2010年1月 - 3月)
- 笑点(日本テレビ、2010年3月14日)猿回し演芸者として出演。
- 全種類。(TBS、2010年6月8日)江原啓之のカウンセリングを受ける。
- 所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ! (テレビ東京、2010年11月5日~)リポーター (不定期出演)
- バカソウル(テレビ東京、不定期)ユニット「吉本三大蜃気楼」の一員として出演。
ほか多数
テレビドラマ[編集]
- 24時間あたためますか?〜疾風怒涛コンビニ伝〜(日本テレビ、2008年3月15日)
- アイリス(TBS、2010年4月21日 - 9月1日) - チョン(鄭)大尉 役
- 世にも奇妙な物語 '12春の特別編『ワタ毛男』(フジテレビ、2012年4月21日) - 木下裕之 役
- 東京全力少女 最終話(日本テレビ、2012年12月19日) - 不動産屋 役
- 慰謝料弁護士〜あなたの涙、お金に変えましょう〜 第7話(読売テレビ制作・日本テレビ、2014年2月21日) - 川尻大輔 役
CM[編集]
- セイコーエプソン「新カラリオ・プリンタ」(2007年9月 - 長澤まさみと共演)
- ミツカン「鍋のだし」(2007年10月 - 、声のみ)
- 日本マクドナルド「グラタンコロッケバーガー」(2007年11月 - 、声のみ)
- 日産自動車 「キューブ」(2007年10月27日 - 、声のみ)
- 森永製菓 「甘酒」(2011年1月 - 、綾小路きみまろ、西田麻衣と共演)
- ウィルコム 「だれとでも定額」(2012年7月 - 、佐々木希、千原兄弟、速水もこみちと共演)- 仮面とマントを着用した“謎の男”として登場。ウィルコムHP上で正体を明かしている。
ラジオ[編集]
DVD[編集]
- ムーディ勝山の謎を追え!(コロムビアミュージックエンタテインメント)
その他[編集]
- もやしもん(フジテレビ ノイタミナ、2007年10月-12月) - クラドスポリウム・トリコイデス(黒かび菌)役
- 第58回NHK紅白歌合戦(NHK総合他、2007年12月31日)
- 明治安田生命保険相互会社爆笑ライブ(2010年10月30日)東京都足立区千住1-4-1天空の間
- ニコラジ前説芸人(ニコニコ動画のインターネット生番組、2010年10月 - )
- Jam the WORLD(J-WAVE、2010年12月)出題者
脚注[編集]
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- ↑ アイスクリーム 梶の「かじつよし日記」 (2010-06-20) アイスクリーム 梶の「かじつよし日記」 解散 日本語 2010-06-20 [ arch. ] 2010年6月21日
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 (2007) [ 短くなければもうウケない?ショートネタ芸人がお笑い界を変える! ] 日経エンタテインメント! 11 17 日経BP社 2007 11 pp.53
- ↑ 3.0 3.1 (2013-01-05) ムーディ勝山 全盛期の月収640万円、家賃は27万円だった NEWSポストセブン 2013-01-05 [ arch. ] 2014-07-06
- ↑ 2009年3月5日放送分での発言
- ↑ 2010年1月21日放送分「DVD発売記念番組」より。
- ↑ 『なるトモ!』の「麒麟の楽屋です!」より
- ↑ オリコン (2009-08-25) オリコン ムーディ勝山が“ニュージー勝山”に改名宣言!? 「嫌な思い出の方が増えてきたので」 日本語 2009-08-25 [ arch. ] 2009年8月26日
- ↑ ニュージーでつくろう、ニュー・ジブン。
- ↑ 『ザ・ワイド!』2007年5月4日放送分での発言
- ↑ 『ジャイケルマクソン』2007年6月13日放送分より
- ↑ 2007年7月7日放送、バニラ気分!『マツケン・今ちゃん・オセロのGO!GO!サタ』より
- ↑ 2007年5月4日放送、『ザ・ワイド!』より
外部リンク[編集]
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