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* [[晴れたらイイねッ!]](フジテレビ) - 内海、山本
 
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家来る。(2013年の淡路恵子の回、フジテレビ)、内海
 
淡路恵子と中川翔子と
 
ドラクエトークした
 
淡路恵子にキングスライム
 
ぬいぐるみ上げた
 
有吉ゼミ、(2013年11月11日、2014年1月4日。日本テレビ)、諸星
 
ご成婚について語った
 
このことはYahoo!
 
にも乗っていた
 
2013年12月24日
 
のPONとスッキリと
 
エヴリィと超報道以外
 
各ワイドショー
 
大沢
 
2013年12月25日
 
の各ワイドショー
 
大沢
 
波乱爆笑。(2014年8月10日。日本テレビ)
 
じゃねえ(2014年8月11日。フジテレビ)
 
ノン。(2014年8月13日。フジテレビ)この3番組はいずれも諸星
 
  
 
=== テレビドラマ ===
 
=== テレビドラマ ===
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====ゲーム====
 
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光GENZIのローラーパニック、(ファミコン、メーカー、ポニーキャニオン)
 
光GENZIのローラーパニック、(ファミコン、メーカー、ポニーキャニオン)
====雑誌====
 
週刊女性、(2013年12月24日発売号)大沢
 
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==

2024年4月22日 (月) 07:26時点における最新版

光GENJI(ひかるゲンジ)は、1980年代終盤から1990年代前半に一世を風靡した、ローラースケートを履いて歌い踊る男性アイドルグループジャニーズ事務所所属。1987年6月25日に、「GENJI」と「」の2つのグループを合流させる形で結成。同年8月19日にデビューし、1980年代末期を代表する男性7人組。1995年9月3日に“卒業”(解散)。テレビ等では伝説のアイドル、最後のスーパーアイドルなどと称される。グループ名は『源氏物語』の主人公・光源氏に由来する。

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メンバー[編集]

以下のうち、現在もジャニーズ事務所に所属しているのは内海光司と佐藤敦啓(現:佐藤アツヒロ)のみである。

プロフィール 愛称 イメージカラー 備考 現在の所属事務所 ポジション
内海光司
(うちうみ こうじ)
1968年1月11日(2024-1968)+((12-1)*100+(22-11)>=0)-1歳)、A型
東京都荒川区出身
キノッピー     リーダー
AKIRA & KOHJI
ジャニーズ事務所 リーダー、ボーカル
大沢樹生
(おおさわ みきお)
1969年4月20日(2024-1969)+((12-4)*100+(22-20)>=0)-1歳)、A型
東京都江東区大島出身
ミッキー     1994年8月31日脱退 ミキオオフィス ボーカル
GENJI プロフィール 愛称 イメージカラー 備考 現在の所属事務所 ポジション
諸星和己
(もろほし かずみ)
1970年8月12日(2024-1970)+((12-8)*100+(22-12)>=0)-1歳)、A型
静岡県富士市出身
かーくん    ピンク スターズクルー メインボーカル、

センター (光GENJI)

佐藤寛之
(さとう ひろゆき)
1970年11月2日(2024-1970)+((12-11)*100+(22-2)>=0)-1歳)、AB型
千葉県鎌ケ谷市出身
ヒロくん    水色 SAY・S
1994年8月31日脱退
GENJI GURUMA ボーカル
山本淳一
(やまもと じゅんいち)
1972年2月28日(2024-1972)+((12-2)*100+(22-28)>=0)-1歳)、B型
東京都八王子市出身
バンジー、淳くん     SAY・S WING RUN メインボーカル
赤坂晃
(あかさか あきら)
1973年5月8日(2024-1973)+((12-5)*100+(22-8)>=0)-1歳)、B型
東京都国立市出身
カメ、晃     SAY・S
AKIRA & KOHJI
GOLD STAR ボーカル
佐藤敦啓
(さとう あつひろ)
1973年8月30日(2024-1973)+((12-8)*100+(22-30)>=0)-1歳)、A型
神奈川県藤沢市出身
あっくん    黄色 SAY・S
現:佐藤アツヒロ
ジャニーズ事務所 ボーカル、センター (GENJI)
「GENJI」
元メンバー
プロフィール 愛称 備考
田代秀高
(たしろ ひでたか)
1965年10月12日(2024-1965)+((12-10)*100+(22-12)>=0)-1歳)、O型
長崎県出身
たっちゃん GENJIの結成メンバー。
MBSサブロー・シローの歌え!ヤング大放送』にレギュラー出演し、「今、君と歌いたい」という
曲を毎週歌っていた。 まもなくして赤坂晃と交替で脱退。
もともとは1986年5月にジャニーズ事務所に入り、「桜隊」のメンバーとして活動していた。
ジャニーズ退所後は、太平サブロー・シローと同じ事務所へ移籍した。

※一般的に大沢がリーダーと表記されている場合があるが、デビュー当初のプロフィールでは大沢が年齢を2歳年上にサバを読んでいたゆえの誤報で大沢本人もそれを認めており、他のメンバーも「リーダーは内海」と公言している。

来歴[編集]

  • 1987年2月、50人程いた当時のジャニーズJr.(後の光GENJIのメンバーや、SMAP中居正広など)が週3回のローラースケートの練習をしたのち、同年3月に、そのJr.の中から選抜された諸星和己、佐藤寛之、佐藤敦啓、田代秀高の4名で「GENJI」を結成。当初は、敦啓を中心にグループを結成したという。その後、同年4月5日より、MBSの視聴者参加の歌合戦番組『サブロー・シローの歌え!ヤング大放送』のレギュラーになる。 この番組のオープニングで、初のオリジナルソング「今、君と歌いたい」を毎回披露していた。まもなく山本淳一が参加して5名に。その後、田代が脱退して再び4名に。さらにその後、赤坂晃が参加して再び5名に。
  • 結成当初には「ライト・イン・シャドウ」というグループ名でも呼ばれていた。
  • 同年の来日ミュージカルスターライト・エクスプレス』のキャンペーンに合わせ、同年6月25日に、既存グループだった5人組の「GENJI」と、元・イーグルスのメンバーで、当時は主に少年隊や田原俊彦のバックダンサーグループ「ジャニーズ・シニア」として活動していた、内海光司、大沢樹生の2人による「」の2つのグループが合体して、「光GENJI」が結成された。同年6月25日に、後楽園ローラースケートリンクにてデビュー会見&公開レッスンを行った。
  • 1987年8月19日ポニーキャニオンから「STAR LIGHT」でレコードデビュー。その時のキャッチコピーは、“超新星からのメッセージ”だった。
  • デビューしてすぐに80年代のアイドルブームの波に乗り、人気は爆発的なもので社会現象として一般紙にも取り上げられるほどであった。特に「パラダイス銀河」の頃はその人気の絶頂で、歌番組に出演した際はファンの大歓声により、司会キャスターの声が掻き消されるほどまでになっていた(特にそれが顕著だったのが公開生放送の歌のトップテン。MCで会場の音を測定した際に約100ホンを記録した。これは電車が走行中のガード下の騒音に匹敵するレベルである)。
  • 1988年6月、フジテレビ開局30周年&ニッポン放送開局35周年記念として、非売品のビデオ「あ・き・す・と・ぜ・ね・こ」が制作される。同ビデオは、10万本限定の抽選プレゼントだったが、応募総数は250万通にも達した。
  • 1988年12月31日、「パラダイス銀河」で第30回日本レコード大賞を受賞。
  • 1980年代末には上記のような大ブームを巻き起こしたが、1989年下半期〜1990年にかけてアイドル向け番組や音楽番組が減少し、第二次バンドブームが到来した1990年頃からブームは沈静化してゆく。
  • 人気と売り上げのピークはデビュー直後からの3年程度だったが、後輩のSMAPTOKIOV6KinKi Kids等が着実に成長して人気を得て台頭するまでの期間、1989年 - 1990年代前半のアイドル冬の時代において苦難の時代を過ごしていた当時のジャニーズ事務所の稼ぎ頭となり、SMAPがブレイクする90年代中盤まで活躍した(なおデビューから解散までの8年間で総額1000億円を稼いだと言われている)。
  • 1992年JOC日本オリンピック委員会広報アドバイザーに任命され、バルセロナオリンピックの応援ソングとして「リラの咲くころバルセロナへ」をリリース。
  • 1993年頃からメンバーの個人活動も徐々に増え、それと同時にメンバーそれぞれに方向性の違いが生じてきた。諸星がCDソロデビューをした頃はファンやマスコミの間で光GENJI解散説も流れた。
  • 1994年1月、バルセロナ夏季五輪に引き続き、リレハンメルオリンピックの応援ソングとして「BRAVO!Nippon〜雪と氷のファンタジー〜」をリリース。
  • 1994年7月22日、『ミュージックステーション』にて大沢樹生・佐藤寛之の脱退を発表。
  • 1994年8月31日、『SUMMER CONCERT’94 FOREVER YOURS』の最終公演後の大阪城ホールでの中継で『ミュージックステーション』に出演を最後に大沢樹生・佐藤寛之が脱退し「光GENJI SUPER 5」にグループ名を変更する。
  • 1995年9月1日、解散コンサートの2日前、かつてレギュラー出演していた『ミュージックステーション』に出演する(光GENJI SUPER 5として最後のTV出演となる)。スタジオにファン数百人を入れ、歴代のシングルメドレーを披露し、最後に「Graduation」を熱唱。曲の終わりに、メンバー全員がローラースケートを脱いで、ステージ中央に置いた。
  • 1995年9月3日名古屋市総合体育館・レインボーホール(現・日本ガイシホール)でのライブを最後に解散する(なお、公の場では“解散”ではなく“卒業”と表現・表記している。また、この名古屋のライブは、当時展開していた全国ツアーの最終日にもともと組まれていたもので、最初から「解散コンサート」と設定されていたわけではない)。
  • 解散後は、多くのメンバーがジャニーズ事務所から独立しており、内海光司と佐藤アツヒロのみジャニーズ事務所に留まっている。なお、赤坂晃もジャニーズ事務所所属であったが、不祥事によりジャニーズ事務所から解雇されている。

概要[編集]

記録[編集]

  • 1988年1月に発売したビデオ「太陽がいっぱい 光GENJI」は約30万本を販売。当時の日本のビデオソフトとしては最大の売り上げを記録した。
  • 1988年のオリコン年間シングルチャートで「パラダイス銀河」「ガラスの十代」「Diamondハリケーン」が1・2・3位を独占するという、1978年ピンク・レディー以来の快挙を成し遂げた。また、1stアルバムの「光GENJI」も同年のオリコン年間アルバムチャートの第1位に輝いている。
  • STAR LIGHT」〜「荒野のメガロポリス」までデビュー曲から8作連続でオリコンシングルチャート1位を獲得し、当時の新記録となった(後に同事務所の後輩KinKi Kidsがこの記録を抜く)。
  • 「明星(現Myojo)」の歴史の中で最高の売上部数を記録したのは、光GENJIの絶頂期だった。光GENJIの人気がピークを過ぎて、SMAPが人気を獲得するまでの数年間、「明星」は苦難の時代だった[1]
  • ラジオ番組においても来るはがきの枚数が記録的であり、ニッポン放送で放送されていた番組『GENJI GENKI爆発!!』では毎週10万枚超のはがきを集め[2]、また、フジサンケイグループが企画製作した非売品ビデオ『あ・き・す・と・ぜ・ね・こ』(ニッポン放送開局35周年・フジテレビ開局30周年記念作品)の10万本プレゼントには約250万通のはがきが集まった(1988年6月27日に、募集を行ったニッポン放送で当時一番大きかったスタジオ「銀河スタジオ」において大抽選会が行われた)[3]

エピソード[編集]

  • ナカイの窓』でSMAPの中居正広が、ジャニーズ事務所の関係者とジャニーズ史上最高の人気を誇ったグループはどのグループかと話し合ったところ光GENJIを挙げており、人気絶頂時の社会現象のような人気はすさまじいものがあったと語っている。
  • ローラースケートを履いて縦横無尽にステージを利用したパフォーマンスや数々のアクロバットが話題となり、全国の小中学生の間にローラースケートを流行させた。ヒットはしなかったが、ファミコンソフトにもなっている(ディスクシステム『光GENJI ローラーパニック』)。
  • メンバーのイメージカラーは、内海光司=青、大沢樹生=紫、諸星和己=ピンク、佐藤寛之=水色、山本淳一=赤、赤坂晃=緑、佐藤敦啓=黄色[4][5]
  • 先のジャニーズアイドル同様、ファンたちによる「応援グループ(親衛隊)」が日本全国で作られた。大阪のグループ「紫式部」が最大と言われ、他にも「ピンクシャンパン」、「敦啓宗教」、「ZOO」、「めるしぃぼく」など、数多くのグループが存在した。
  • 初期のジーンズの短パンなど半裸に近い衣装が印象的で、歌の途中で上半身の衣装を脱ぎ捨てるパフォーマンスに、『ザ・ベストテン』の司会者・黒柳徹子が思わず目を覆ったという話がある。
  • 振り付け、特に初期の楽曲は大変に激しかったため発汗の量が尋常ではなく、下着を日に二回は取り替えねばならなかったということが『ザ・ベストテン』の司会者・黒柳徹子によって番組中で語られている(1987年ないし1988年前半放送回)。
  • メンバー全員バク転ができる。初期の頃は生番組で披露する際に失敗することも多かった。
  • 毎年バレンタインデーになると大型トラックで数十台分ものチョコレートが送られた。事務所にトラックが到着する映像はこの時代の歌番組の風物詩になっていた。後に『たかじん胸いっぱい』で諸星が4tトラックに38台分だと語っている。それは武道館の1Fを埋め尽くし2Fから取れるほどだった。
その後、2011年に諸星が『クイズ☆タレント名鑑』出演時には「あれは4tなんてもんじゃなく、10tはあるトラック。40台くらいあった。そのうち9割8分僕ので他のメンバーが2割」(計10割にならないが、本人発言。ちなみに、2011年のバレンタインデーに諸星に届いた贈り物は37個であった)
その後、ジャニーズ側が「本人達はそんなに食べられませんので」と発表したことにより、ジャニーズ事務所所属タレントへのバレンタインプレゼントは減少傾向にある。
  • 現在、CHAGE and ASKA(特に飛鳥涼)が提供した「STAR LIGHT」「ガラスの十代」「パラダイス銀河」など、全盛期の曲は、後輩に歌い継がれているのみならず、ブラスバンドの定番楽曲となり、高校野球の応援や官公署の祝い事などで演奏されることも多い。また「パラダイス銀河」は1989年、第61回選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも使われた。
  • 内部グループ、“SAY・S(セイズ)”の名前の由来は佐藤(敦)のS・赤坂のA・山本のY・佐藤(寛)のSで、メンバーの若い順から4人のそれぞれの頭文字をとってつけている。
  • 1995年の解散コンサートは前述の通り名古屋市南区の名古屋レインボーホール(最寄り駅はJR東海笠寺駅)で行われたが、その時のJR東海道本線の人気列車「大垣夜行」(現在の「ムーンライトながら」号)は彼らとの別れを惜しむファンが大量に乗り込み列車内がパニック状態となった程である。
  • 解散コンサートのチケットには、最高で100万円もの値が付き、またそれが実際に売れたという逸話がある。
  • グループ解散については、諸星とジャニーズ事務所との間に、マネージメントにおける確執(特にギャランティ問題)があったことが、解散の要因の一つであったと、諸星の自著『くそ長〜いプロフィール』にて明かしている。
  • 通常アルバムは年間に1枚~2枚が多いが光GENJIの場合は1990年~94年まで年間3枚と非常に数が多く(ミニアルバム含む)尚且つ初回版と通常版は別作品扱いだったため総アルバム数は29タイトルとシングルと同じである。
  • 2002年に発売されたファン投票による上位30曲を収めた(30位が同一票だったため31曲収録になった)「光GENJI ALL SONGS REQUEST」では、諸星作詞作曲プロデュースによる「2.5.7」が1位になった。メンバー全員の自己紹介を歌にしたもので、この楽曲を最初に収めたアルバム「WELCOME」が発売されて以来、ファンから最も高く支持されている。

ミュージックステーションレギュラー出演の経緯[編集]

1988年から1992年までの5年間、テレビ朝日の音楽番組『ミュージックステーション』にレギュラー出演していた。総出演数は234回と、歴代アーティストの中でトップである。『ミュージックステーション』は、『夜のヒットスタジオ』・『ザ・ベストテン』・『歌のトップテン』など他局の音楽番組に比べ後発であり、非常に苦労していた。その頃の音楽番組の1つ『ザ・ベストテン』が成功した理由の一つに、キャンディーズの解散を追って毎週放送したことがあり、そこで『ミュージックステーション』は、光GENJIを毎週出そうということになり、レギュラーになった[6]

レギュラー出演が途切れた93年、94年でも出演しなかった回がありながらも、内部ユニットやソロ出演も含めると2週、3週連続出演などで度々出演していた。しかし、大沢樹生、佐藤寛之の脱退から、メンバーのソロ活動が増えたゆえに出演回数が減少していった。95年の出演は解散コンサートの2日前の最後の出演時の1回のみである(94年9月以降も含めば、光GENJI SUPER 5としての出演もたった2回である)。同番組ではラストライブも行い、数曲をメドレーで歌った後最後に「Graduation」を歌いし、紙吹雪が降る中ローラースケートステージの中央に置いて退場、ローラースケートがスポットライトで照らされるという演出がなされた。

ジャニーズ事務所タレントとの関係[編集]

  • メンバーにイメージカラーを付ける構成は後輩のSMAP(2016年12月に解散予定)、TOKIOV6KinKi Kidsタッキー&翼NEWS関ジャニ∞KAT-TUNHey! Say! JUMPKis-My-Ft2NYC(2015年10月に解散)、Sexy ZoneA.B.C-ZジャニーズWEST等に引き継がれている。それ以前に先輩グループのたのきんトリオシブがき隊少年隊もメンバーにイメージカラーを付けていた。
  • 年長の2人(元イーグルス)を「」、残りの5人を「GENJI」と分けるグループ内ユニットの存在が特徴的で、このスタイルは後輩のV6 (20th CenturyComing Century) 、Hey! Say! JUMP (Hey! Say! BESTHey! Say! 7) 等に引き継がれた。また年齢別に分けられているわけではないが、2つのユニットで構成されたグループは、Mr.King vs Mr.Princeにも引き継がれている。
  • 母体となるグループの内部から結成された派生ユニットであるSAY・Sのような誕生スタイルは、NEWS(テゴマス)、Kis-My-Ft2舞祭組)にもある。またSAY・Sのようにメンバーの頭文字に由来するグループ名は、KAT-TUNKis-My-Ft2NYC(2015年10月に解散)にも採用されている。
  • 後にSMAPとして活躍するメンバーを含む「スケートボーイズ」というグループが、初期のバックダンス、およびスケボーのパフォーマンスを担当していた。 1988年12月31日放送の『NHK紅白歌合戦』で、光GENJIが「メドレー〜ガラスの十代〜パラダイス銀河〜Diamondハリケーン〜剣の舞〜」を披露した際にも、SMAPはバックダンス、スケボーパフォーマンスで登場している。更に翌1989年の紅白歌合戦には、コーラスとして参加している。
  • 「剣の舞」や「地球をさがして」に登場したバックダンサーグループ「平家派」には、野口隆史(後の反町隆史)、坂本昌行長野博城島茂山口達也国分太一井ノ原快彦らが在籍していた。
  • 勇気100%」は NHK総合テレビ 土曜18:10枠のアニメ(現:NHK Eテレ 土曜17:30枠のアニメ)として1993年度に放送された『忍たま乱太郎』の初代オープニングテーマソングに選ばれた。同曲を紅白歌合戦で歌った時は、TOKIOがバックでローラースケートを滑っていた。1994年、NHK教育テレビで第2期以降が放送開始されてから2002年までは、光GENJI SUPER 5のメンバーで録り直しが行われたバージョンが用いられた。またこの楽曲は2002年からはジャニーズの後輩のYa-Ya-yahに『新・勇気100%」として受け継がれている(同時に『忍たま乱太郎』の主題歌も交代)[7]。また、2010年4月にはNYC(2015年10月に解散)がこの曲をデビュー曲としてカバーし、デビューを飾り、2012年からは、Sexy Zoneがカバーしたものを採用している。
  • ローラースケートを用いたパフォーマンスは、K.K.Kity(2003年に解散)、Kis-My-Ft.(前身グループ)⇒Kis-My-Ft2HiHi Jet(2015年結成)が受け継いでいる。
  • SMAPはGENJIの分身と言われ、SMAPの頭文字は「S=佐藤寛之、佐藤敦啓」、「M=諸星和己」、「A=赤坂晃」、「P=パンジーがあだ名の山本淳一」の頭文字を意味することを2016年1月23日放送の『せやねん!』で諸星和己が語っている。

追っかけ[編集]

  • ジャニーズ系タレントの例に漏れず、彼らにも「追っかけ」は存在したが、それらファンの熱狂振りは驚異的なものであった。人気の凄まじさゆえに、メンバーたちはプライベートの確保や行動がほとんどできなくなり、メンバーやその家族などの関係者には苦悩した者もいたという。メンバーのある者は、実家がツアー旅行の観光ルートに組み込まれ、観光客に自ら「そういうことはやめてくれ」と苦情を言うという体験をしたことを自伝で語っている。
  • ブーム真っ只中の1988年当時、最年少のメンバー2名は中学3年生で、プライベートで学校の修学旅行にも参加したが、行き先である京都には大量の追っかけの他、特ダネ狙いのカメラマンまでもが出没する有り様で、行き帰りの京都駅東京駅の構内でも一目見ようと数百人からそれ以上のファンが待ち構えており、それを警備の為に多くの駅職員や鉄道警察隊が動員され、必死に制止するという状況であった。この模様は、『ザ・ベストテン』でも両名の帰還時に一部放映された。投宿時には外出機会とメンバーの安全の確保のために、本人は伊達眼鏡帽子で変装し(変装姿を撮った写真も存在、自伝本に掲載されている)、さらに影武者や外出先についての偽情報まで使用されたほどである。帰路の東京駅でも、押し寄せたファンの為に新幹線ホームからの移動すらままならず、時には郵便物の搬送などに使われる業務用通路を通って駅から「脱出」するという有様であった。この模様の一部は歌番組でも放映された。他にも写真週刊誌などでも報道があった。さらに後年、2007年に赤坂が逮捕された後、2008年にコンビニコミックにおいてこの一連の騒動が漫画化されている。
  • 『ザ・ベストテン』などの歌番組に出演する際には諸星より『僕たちからのお願いとして学校を休んでまでもコンサートに行ったりしないこと。コンサートなどの会場では係員の指示に従うこと』などを全国のファンに呼びかけていた。

労働基準法[編集]

デビュー当初、赤坂と佐藤敦啓は労働基準法により、基本的に夜8時以降〜翌朝5時までの生出演ができないとされていて、当初は「歌の部分のみ事前収録する」「メンバー5人が歌っている生映像に出演できない2人のVTRを合成する」「当時バックで踊っていたSMAPの中居・木村が代わりに入る」等の工夫をしていたが、当時出演していた『ザ・ベストテン』や『歌のトップテン』などの生放送番組に時々メンバー全員で出演したときもあり、夜8時以降に出演したり出演しなかったりという状況が続いていた(労働基準法に関しては、伊藤つかさが『ザ・ベストテン』にランクインした際、番組側の自主規制により生出演できなかったというエピソードがある)。

この状況に関して、当時14歳のメンバーが深夜の歌番組に出演した疑いで管轄する労働基準監督署が1988年6月に事務所へ調査に入った際、「報酬面」「税法上の取り扱い」「事業所所得として課税されている」などの実態を確認して考察した結果、メンバーは「労働者とは認められない」という判断を下した[8]。さらに光GENJIの出演に関する諮問があって国会や関係機関で議論が行われ、芸能人において一定の条件(他人によって代替できない、“人気”等当人の個性が重要な要素となっている、契約形態が雇用契約でない、など)を満たした者は「表現者」とみなし同法を適用しない(端的には「人気の無い者は労働者とみなす」)という結論になり、1988年7月30日に通達(いわゆる「芸能タレント通達」「光GENJI通達」昭和63年7月30日、基収355号)[9]が出され、それ以降は夜9時以降であっても、メンバー全員で出演することが多くなった。

この通達を基に若年層芸能人の深夜活動が行われていたが、1999年12月に若年層芸能人が絡んだ深夜労働に関する書類送検当時15歳の女性タレント当時の所属事務所放送局は「表現者に該当する」と考えていたが、当局では「労働者に該当する」と判断したため、ラジオの深夜生放送出演が問題化し、当時の所属事務所と放送局の関係者が書類送検[8])が発生し、それについて2000年4月13日に行われた特別委員会で取り上げられたこと[8]などが契機となり、各テレビ局ともに概ね「たとえ“表現者に該当する人”であっても、15歳未満の芸能人は21時以降に生出演させない」という自主規制を定めている[10]

ディスコグラフィ[編集]

光GENJI[編集]

シングル[編集]

タイアップについてはジャニーズ タイアップ一覧#解散あるいは退社したアーティストを参照。

発売日 タイトル カップリング 最高
順位
1 1987年8月19日 STAR LIGHT ROLLING STOCK  1位
2 1987年11月25日 ガラスの十代 Graduation  1位
3 1988年3月9日 パラダイス銀河 LONG RUN  1位
4 1988年6月21日 Diamondハリケーン Welcome  1位
5 1988年10月10日 剣の舞 涙の輝き  1位
6 1989年3月6日 地球をさがして NEW! 青春にはまだ早い  1位
7 1989年7月20日 太陽がいっぱい 時をこえたフェスティバル  1位
8 1990年2月7日 荒野のメガロポリス PLEASE  1位
9 1990年5月16日 Little Birthday なななのなの時間割  2位
10 1990年8月17日 CO CO RO みつめていたい  1位
11 1990年11月3日 笑ってよ 水彩画  1位
12 1991年2月7日 風の中の少年 TVの中のHERO  2位
13 1991年4月26日 奇跡の女神 もっと近づきたい  2位
14 1991年8月30日 WINNING RUN 熱帯夜  3位
15 1991年11月7日 GROWING UP 若さのゆくえ  5位
16 1992年2月20日 TAKE OFF 君にCheer Up!  5位
17 1992年4月29日 リラの咲くころバルセロナへ I'LL BE BACK  2位
18 1992年8月8日 Meet Me クレヨンで描いたタイムマシン  6位
19 1992年11月6日 愛してもいいですか 夢で逢えるから  6位
20 1993年2月19日 君とすばやくSLOWLY サヨナラと言えなくて  9位
21 1993年5月13日 勇気100% 微笑みをあずけて  7位
22 1993年8月4日 BOYS in August 恋する気持ち  5位
23 1993年10月27日 この秋…ひとりじゃない きっと愛しあえる  5位
24 1994年1月20日 BRAVO!Nippon〜雪と氷のファンタジー〜 君は世界を夢見て  7位
25 1994年4月28日 ヨーソロー! 未来へよろしく 僕らのREASON 10位
26 1994年7月21日 TRY TO REMEMBER LUNAR PARK-GO-ROUND  9位

アルバム[編集]

発売日 タイトル 備考 
1 1988年1月21日 光GENJI STAR LIGHT」、「ガラスの十代」のLPバージョンを収録。
2 1988年7月28日 Hi! パラダイス銀河」がアルバムで初めて収録される。「パラダイス銀河」以外は全てアルバムオリジナル曲。
3 1989年2月20日 Hey! Say! デビュー以来3作連続で、オリコンアルバムチャート1位を獲得。
彼らの初主演映画「… これから物語〜少年たちのブルース〜(光)/ふ・し・ぎ・なBABY(GENJI)」の主題歌
「いつかきっと…」収録。
4 1989年10月25日 Hello…I Love You
5 1990年1月31日 ふりかえって…Tomorrow STAR LIGHT」から「太陽がいっぱい」まで全シングルを新たに録り直して収録。
テレビでのみ披露されたアレンジ、歌詞、ソロパート割りなどを曲に取り入れている。その他新曲を3曲収録。
6 1990年7月25日 Cool Summer 「荒野のメガロポリス〜PLEASE」をアレンジと歌詞を変えて収録。
7 1990年11月21日 White Dreaming with 光GENJI
8 1991年3月20日 (333) Thank You
9 1991年7月7日 ひと夏ひと夜 「ドキドキSummer Days」が、当時『ひらけ!ポンキッキ』で使用された。
10 1991年10月2日 VICTORY
11 1992年3月4日 BEST FRIENDS 「STAR LIGHT」から「GROWING UP」までの全シングルA面と「PLEASE」を収録した2枚組。
荒野のメガロポリス」はシングルではカットされた2番が挿入されフルサイズで収録。Disk2にはカラオケ音源を収録。
12 1992年7月1日 Pocket Album-7つの星- メンバー7人のソロを1人2曲ずつ収録した8cmシングル7枚組。
13 1992年12月3日 DREAM PASSPORT
14 1993年3月3日 SPEEDY AGE
15 1993年9月15日 WELCOME
16 1993年12月8日 宇宙遊詠
17 1994年3月2日 HEART'N HEARTS 初回プレス特典としてカレンダーが同梱された。Disk1にメンバーソロ曲、
Disk2に「TAKE OFF」から「この秋・・ひとりじゃない」までの全シングルA面と新曲3曲を収録。
18 1994年7月21日 FOREVER YOURS
19 1994年8月2日 SUPER BEST TRY to REMEMBER 「STAR LIGHT」から「TRY TO REMEMBER」までの全シングルA面と「PLEASE」を収録した3枚組。
「剣の舞」はシングルとはアレンジが大きく異なる。また「荒野のメガロポリス」「リラの咲くころバルセロナへ」は
シングルではカットされた2番が入ったフルサイズで収録されている。その他「風の中の少年」のアウトロ、
「WINNING RUN」「Meet Me」のイントロなどにもわずかながら編集が施されている。
20 1995年8月19日 See You Again Disk1・2 オリジナル・アルバム
Disk3 ベストセレクション
事務所の先輩・後輩タレントからのメッセージ、なつかしの写真
ディスコグラフィー、メンバーによる曲の解説が掲載されているアルバム。
21 2001年12月5日 MY これ!クション 光GENJI BEST 卒業後に発売された。
22 2002年10月17日 光GENJI All Songs Request 卒業後に発売された。

ビデオ[編集]

発売日 タイトル
1 1988年1月16日 太陽がいっぱい
2 1988年3月18日 少年武道館Ⅰ
3 1988年4月21日 光GENJI ファーストライブ
4 1988年10月30日 少年武道館II
5 1989年3月20日 光GENJI TOKYO DOME CONCERT Hey!Say!
6 1988年6月 あ・き・す・と・ぜ・ね・こ(非売品)
7 1990年5月5日 …これから物語 〜少年たちのブルース〜/ふ・し・ぎ・なBABY
8 1990年9月21日 虹色夏物語
9 1991年1月1日 ウォルト・ディズニーワールド7日間の旅
10 1991年6月21日 コンサートであおう!
11 1992年7月17日 独逸旅情-素顔になって-
12 1993年11月2日 7番目の夏
13 1994年4月6日 '93 WINTER CONCERT BRAVO!Nippon
14 1994年11月18日 '94 SUMMER CONCERT FOREVER YOURS
15 1995年8月19日 P/S I LOVE YOU

GENJI[編集]

ビデオ(GENJI)[編集]

発売日 タイトル
1 1990年6月21日 な・な・なのなの時間割

光GENJI SUPER 5[編集]

シングル(SUPER 5)[編集]

発売日 タイトル カップリング 最高
順位
1 1994年10月7日 Melody Five JOYFUL RHAPSODY  6位
2 1994年10月21日 DON'T MIND涙 SHAKING NIGHT  7位
3 1995年8月2日 Bye-Bye レディーはそよかぜ 13位

アルバム(SUPER 5)[編集]

発売日 タイトル 収録曲
1 1995年3月1日 Someone Special
  1. Angelic Day
  2. DIVA
  3. キミは逆襲する!
  4. Someday
  5. 明日があるさ
  6. Lover's Beat
  7. THE LONG AND WINDY ROAD
  8. 馴染みのムジナ
  9. 君がいれば何もいらない
  10. 氷が溶けて血に変わるまで

ビデオ(SUPER 5)[編集]

発売日 タイトル
1 1996年1月 Bye-Bye for Tomorrow See You Again P/S I LOVE YOU(ファンクラブ限定販売)

SAY・S[編集]

シングル(SAY・S)[編集]

発売日 タイトル カップリング 最高
1 1993年4月22日 曇りのち晴れ STARDUSTに乗って 11位
2 1993年7月14日 WE ARE THE CHAMP
(SAY'S and J.World名義)
 8位
3 1994年3月25日 HAPPY ROAD 10位

アルバム(SAY・S)[編集]

発売日 タイトル 収録曲
1 2002年8月21日 Myこれ! クションSAY'S BEST
  1. 曇りのち晴れ
  2. STARDUSTに乗って
  3. WE ARE THE CHAMP
  4. HAPPY ROAD
  5. Mr.PANCAKE
  6. クレヨンで描いたタイムマシン
  7. にんにん忍たま音頭
  8. RUN RUN 乱太郎
  9. サヨナラと言えなくて
  10. Love is Crazy
  11. Kick The Earth
  12. SAY'Sメドレー 1
    〜Viva Las Vegas〜Turn Me Loose I'm Dr. Feel Good
    〜Living In America〜Round And Round
  13. SAY'Sメドレー 2
    〜そろそろやっか〜BREAK THE LAW〜ほのかに甘くHOLIDAY
  14. 気ままにWorkin'
  15. 眠らない夜
  16. NEVER GIVE UP

ビデオ(SAY・S)[編集]

発売日 タイトル
1 1994年6月2日 HAPPY ROAD SHOW!

AKIRA & KOHJI[編集]

シングル(AKIRA & KOHJI)[編集]

発売日 タイトル カップリング  最高
1 1994年12月8日 MR.MIRACLE 15位

CD化されていない楽曲[編集]

  • 今、君と歌いたい (結成初期のGENJIによる『サブロー・シローの歌え!ヤング大放送』のテーマ曲)
  • どうもありがとう (初期のコンサートでエンディングに歌われていた)
  • 7th Door - 7つ目の扉 - (結成7周年を記念して制作された楽曲)
  • Shake Again (1994年春コンで披露)

その他[編集]

  1. 光GENJI オリジナル カラオケ(1988年6月5日)
    アルバム「光GENJI」収録曲全8曲と、「STAR LIGHT」から「パラダイス銀河」までのシングルA面3曲および「LONG RUN」の計12曲のカラオケを収録。ジャケットはアニメ仕様。
  2. 光GENJI オリジナル・カラオケ・コレクション(1989年3月21日)
    「STAR LIGHT」から「地球をさがして」までのシングル6枚のA・B面全12曲のカラオケを収録。
  3. お祭り忍者(水雲SINGLE)/忍者(1990年8月22日)
    M-2 See You Again…!
    少年隊、光GENJI、SMAPからのデビューに際しての応援コメントが、2コーラス後の間奏に挿入されている。
  4. 光GENJI マーチ・コレクション リラの咲くころバルセロナへ/ビクトリー・マーチング・バンド(1992年6月19日)
    光GENJIの楽曲をマーチにアレンジ。
  5. 忍たま乱太郎 オリジナル・サウンド・トラック(1993年7月20日)
    M-1 勇気100%(光GENJI)※ここに収録されているテイクのみ、曲の終わりにシングルや他のアルバムにはないアニメと同様の「ヘイヘイヘイ」という掛け声が入っている。
    M-3 RUN RUN 乱太郎(SAY・S
    M-7 もっとでっかくNo.1(諸星和己)※
    M-9 微笑をあずけて(光GENJI)
    M-10 にんにん忍たま音頭(SAY・S&忍たまファミリー)
  6. 2001CLASSICS 光GENJI ORCHESTRA VERSION/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(1994年8月21日)
    光GENJIの楽曲をオーケストラにアレンジ。マリオ・クレメンツ指揮、千住明編曲。
  7. 忍たま乱太郎 オリジナル・サウンド・トラック(1994年12月8日)
    M-1 勇気100%(オープニング・サイズ)(光GENJI SUPER 5)※
    M-4 SHAKING NIGHT(光GENJI SUPER 5)
    M-6 正直になろうよ(佐藤敦啓)※
    M-9 冬の贈り物(光GENJI SUPER 5)※
    M-10 DON'T MIND 涙(光GENJI SUPER 5)
  8. 忍たま乱太郎 オリジナル・サウンド・トラック其の参(1996年1月19日)
    M-3 終わらないSCHOOL DAYS(Junichi&JJr)※
    M-4 春は・・・るんるん(Junichi&忍術学園合唱隊)※
    M-10 0点チャンピオン(Junichi&JJr)※
    M-11 あの夏が聞こえる(Junichi)※
  9. 忍たま乱太郎 忍たま大運動会(1996年6月5日)
  10. 忍たまテーマソングコレクション(1996年6月5日)
    M-1 こうしちゃいられない(Junichi&JJr)※
    M-2 勇気100%
    M-3 SHAKING NIGHT
    M-4 終わらないSCHOOL DAYS
    M-5 DON'T MIND 涙
    M-6 微笑をあずけて
    M-7 0点チャンピオン
    M-8 にんにん忍たま音頭
    M-9 SING!!(Junichi&JJr)※
  11. 忍たまスーパーベストテーマ集(1999年3月3日)
    M-1 勇気100%
    M-2 DON'T MIND 涙
    M-3 0点チャンピオン
    M-4 こうしちゃいられない
    M-5 SHAKING NIGHT
    M-6 終わらないSCHOOL DAYS
    M-7 SING!!
    M-8 にんにん忍たま音頭
    M-9 微笑をあずけて
  12. 忍たま乱太郎 20th アニバーサリーアルバム オープニング&エンディング集(2012年9月19日)
    M-1 勇気100%
    M-2 DON'T MIND 涙
    M-3 SHAKING NIGHT
    M-4 0点チャンピオン
    M-5 終わらないSCHOOL DAYS
    M-6 こうしちゃいられない
    M-7 にんにん忍たま音頭
  13. 忍たま乱太郎サウンドトラック 昨日・今日・明日 ~ from Nintama with Love ~(2015年6月17日)
    M-1 勇気100% ※ここに収録されているテイクのみ、曲の終わりにシングルや他のアルバムにはないアニメと同様の「ヘイヘイヘイ」という掛け声が入っている。

※=忍たま関連の作品にのみ収録。光GENJI関連の作品には未収録

主な出演作品[編集]

バラエティ番組[編集]

テレビドラマ[編集]

連続ドラマ
単発ドラマ

映画[編集]

  • 少年武道館
  • ふ・し・ぎ・なBABY
  • これから物語 ~少年たちのブルース~ - 内海・大沢
  • 新極道の妻たち 惚れたら地獄 - 赤坂
  • 極道の妻たち 赫い絆 - 赤坂

ラジオ[編集]

ゲーム[編集]

光GENZIのローラーパニック、(ファミコン、メーカー、ポニーキャニオン)

関連項目[編集]

テンプレート:OriconChart テンプレート:OriconChart

テンプレート:光GENJIid:Hikaru Genji (grup musik)
  1. 明星編集部編/橋本治解題『「明星」50年 601枚の表紙』集英社新書 2002年。
  2. 月刊ラジオパラダイス 1988年4月号特集「ラジオ界面白大百科事典 これがラジオのNo.1」(46ページ)
  3. 月刊ラジオパラダイス 1988年9月号特集「ラジパラタイムス」(68ページ)
  4. エンタメ芸能新聞 【赤坂晃 光GENJI 元メンバー覚せい剤所持で逮捕】(記事内にメンバーのイメージカラーの記述がある)。
  5. 山本淳一のブログ【milliondollar happy】の「光GENJI衣装の変遷?」記事(光GENJI時代の自分のイメージカラーについての記述がある)。
  6. 2007年度 JASRAC寄附講座 音楽・文化産業論Ⅱ
  7. さらに『忍たま乱太郎』の主題歌としての「勇気100%」は、2009年4月からはHey! Say! JUMPが受け継いでいる。
  8. 8.0 8.1 8.2 第147回国会 青少年問題に関する特別委員会 第5号 平成十二年四月十三日(木曜日) 衆議院会議録 2000年4月13日
  9. 労働省労働基準局『労働基準法解釈総覧』労働調査会、第8版、2000年9月、ISBN 978-4897826271、pp.60
  10. 「モー娘。だけが特別か」子役の労働時間問題インターネット・アーカイブasahi.com週刊朝日 2003年9月19日号