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浅草線(あさくさせん)は、東京都大田区の西馬込駅から墨田区の押上駅までを結ぶ、東京都交通局が運営する鉄道路線(都営地下鉄)である。『鉄道要覧』には1号線浅草線と記載されている[1]。開業当初は「都営1号線」と称した(後述)。
営業区間全線にわたって地下を走行するが、車両基地(馬込車両検修場)への引込線は高架線を走行する。路線名の由来は下町のイメージが色濃く残り、かつ国際的観光地でもある浅草から。車体及び路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「ローズ」、路線記号はA。ただし、線内では朱色・茜色等も用いられる。
目次
概要[編集]
東京都区部を南部から中央部・墨東地域にかけて走る。泉岳寺駅で京急本線と、押上駅で京成押上線と接続し、それぞれ相互直通運転を行っている。詳細は「運行概況」の節を参照。
路線はおおむねJR山手線・JR京浜東北線・地下鉄銀座線・JR総武快速線といった既設の旅客流入路線のバイパスとなる線形をとり、直通による頻発運転を行っていることもあり、朝ラッシュ時の最混雑率は121%(平成17年度)と東京の地下鉄では低いレベルにある。馬込車両検修場をのぞき全線が地下線となっている。 収支状況は平成18年度決算で純損益約67億円の黒字[2]である。
直通先の京急線・京成線がそれぞれ東京国際空港(羽田空港)、成田国際空港(成田空港)へのアクセスを担っているため、浅草線自体も空港アクセス路線としての役割を有し、羽田空港国内線ターミナル駅と成田空港駅を結ぶ列車も設定されている。また、2010年7月17日に開業した北総線経由のアクセスルートである成田スカイアクセス(成田空港線)との直通運転も行っており、都心部から成田空港へのアクセス路線としての役割は強さを増している。
路線データ[編集]
- 路線距離(営業キロ):18.3 km(全線地下)
- 軌間:1435 mm(標準軌)
- 駅数:20駅(起終点駅含む)
- 複線区間:全線
- 電化区間:全線(直流1500 V 架空電車線方式)
- 閉塞方式:自動閉塞式
- 保安装置:C-ATS
- 現在、日本の地下鉄で唯一、非ATCの保安装置を採用。
- 列車無線方式:誘導無線 (IR) 方式
- 最高速度:70 km/h
- 表定速度
- 北行 31.7 km/h・南行 32.0 km/h
- エアポート快特(押上 - 泉岳寺)37.3 km/h
- 所要時分(2008年7月時点)
- 北行34分35秒・南行34分20秒
- エアポート快特(押上 - 泉岳寺 11.4 km)18分20秒
- 車両基地:馬込車両検修場
本路線の建設費用は822億5,569万円である。主な内訳は線路費が553億4,195万円、用地買収・権利設定費用が92億4,443万円、総係費・建設利息が82億4,475万円、車両費が33億3,457万円(以下、省略)となっている[3] 。
沿革[編集]
戦前より地下鉄への参入を希望してきた東京都にとって、浅草線は初の地下鉄路線であり、その建設は多くの流転を経て実現した。
東京都心部の銀座・新橋地区を経由して京成電鉄(当時は京成電気軌道)の押上と京浜急行電鉄(京急、当時は京浜電気鉄道)の品川を高速鉄道で結ぶ構想はかねてからあり、明治の市区改正を経て1920年に「東京市告示2号」として示された5路線の中にも1号線として記載されていた。その後、関東大震災等を経てその構想は変化し、第二次世界大戦による空襲被害を受けた後の1946年には戦災復興院によって板橋方面 - 春日 - 蔵前 - 五反田方面[4]の「1号線」が示されていたが、急速な復興と将来の経済成長を見越した新たな高速鉄道(地下鉄)計画として策定された1956年の都市交通審議会第1号答申では再び押上 - 品川間が1号線として指定された。この際、帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄〈東京メトロ〉)だけでは建設が追い付かないという東京都の主張が容れられ、1号線は東京都によって建設されることになった。また、その際には高輪(泉岳寺)から南の馬込へ伸びる区間も東京都が建設することになった。同区間は1962年の東京都都市計画地方審議会では「6号線」(その後の三田線)に変更されたが、1964年には実情に合わせて浅草線の延長区間に戻された[5]。一方、高輪(泉岳寺) - 品川間は京急が京急本線の延長として建設することになった。
1956年10月に都の参入が正式に認められ、免許が交付されると、新造の地下鉄線はともに都心にターミナルのない京成と押上駅で、京急と品川駅での相互乗り入れを前提に建設が進められた。当時は京成と京急で軌間が異なっていたが、京成が1372mmから改軌して都営と共に京急の1435mm軌間に3者が統一することとなった。路線建設は京成側から進められ、1960年に押上 - 浅草橋間が開業、順次路線が延長された。当時同じく建設中であった営団日比谷線と競い合うように工事が進められたが、浅草線は軟弱地盤に悩まされて工事が遅れ、地盤陥没による死亡事故まで発生した[6]。
これらが重なり、1964年10月10日開幕の東京オリンピックまでに全線開通が間に合わなかった。このため、東京都交通局は開幕に先立つ同年10月1日に新橋 - 大門間を単線で暫定開業させ(下記参照)、オリンピック開催期間中は建設工事を休止した。この遅延は、泉岳寺以南の路線計画が不安定なままという事情も影響していた[7]。
1968年(昭和43年)の都市交通審議会答申第10号において、東京1号線は、「品川及び西馬込の各方面より田町、新橋、浅草橋及び浅草の各方面を経て押上方面に至る路線」として示されている。その後答申第15号では、押上 - 青砥 - 高砂 - 大町附近 - 鎌ヶ谷市北部 - 千葉ニュータウン小室地区への延伸計画が示され、青砥 - 高砂間は京成線の複々線化を行うものとされた。このうち西馬込 - 押上が都営浅草線、品川 - 泉岳寺が京急線、青砥 - 京成高砂が京成線の線増分、京成高砂以東が北総開発鉄道(現:北総鉄道)北総線として開業している。
なお当初計画では浅草駅は存在せず、浅草橋から駒形を経由して押上に向かう予定であった(このほかにもいくつかのルート案があった)。しかし利便性を考慮して蔵前・浅草・本所吾妻橋の各駅が設置され、蔵前が駒形の代替となった。駒形の駅用地は駒形変電所として活用されている。
また、かつては西馬込から南進し、神奈川県方面へ延伸する計画も存在しており、1985年(昭和60年)の運輸政策審議会答申第7号において「今後整備について検討すべき路線」として位置付けられていた。しかし、2000年(平成12年)の運輸政策審議会答申第18号ではこの計画は削除されている。
開業当初、他に都の経営する地下鉄は存在しておらず、単に都営地下鉄線と呼ばれていたが、その後現三田線が開業すると、1968年(昭和43年)の都市交通審議会答申第10号の路線名称を借用し都営1号線、都営6号線と称した。その後、正式名称を公募することになり、新宿線の開業を年末に控えた1978年(昭和53年)7月1日 より1号線は浅草線、6号線は三田線、10号線は新宿線の名称が与えられた。
東京の都市交通の中で国鉄(JR)山手線の東側を通る昭和通りは交通量が多く、都電も頻繁に運行されている「ドル箱」路線だったことは、江戸橋(現日本橋) - 新橋間で同通りの地下を走行する1号線(浅草線)の建設と経営を東京都が行う重要な動機だった。しかし、新宿をはじめとした山手線西側の副都心(新都心)開発は東京の重心を西側にずらし、そこから外れた浅草線の輸送人員数や混雑率は他の地下鉄路線と比較すると低くなったが、これは輸送力増強の余地にもなった。1991年に京成が成田空港駅、1998年に京急が羽田空港駅(現羽田空港国内線ターミナル駅)に乗り入れると、浅草線は両空港や東京都心部を結ぶ空港アクセス鉄道の機能を強め、一部駅の通過運転で速達性を重視した「エアポート快特」の運転も行われるようになった。
年表[編集]
- 1955年(昭和30年)10月3日 東京都が蔵前2丁目 - 押上間の地方鉄道敷設免許の申請ならびに馬込 - 蔵前2丁目間の営団地下鉄(現・東京地下鉄)が所有していた鉄道免許の譲受を申請。
- 1956年(昭和31年)
- 8月27日 地下鉄1号線最初の建設工事を開始。
- 10月3日 前年の10月3日に申請した免許の取得と免許譲受が許可される(つまり、押上 - 馬込間の地方鉄道免許を取得)。
- 1960年(昭和35年)
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年)
- 1964年(昭和39年)
- 1968年(昭和43年)
- 1970年(昭和45年)
- 7月 ラインカラーを導入(導入当時は朱色 であった)。
- 京急の夏季休日ダイヤの関係で一部列車が臨時増結し、東京の地下鉄で初めて8連で乗り入れる。
- 1973年(昭和48年)12月31日 労働争議により、浅草線の大晦日 - 元日の終夜運転を中止する。
- 1976年(昭和51年)
- 1978年(昭和53年)
- 1986年(昭和61年)12月31日 浅草線を含む都営地下鉄で大晦日 - 元日の終夜運転を再開。
- 1989年(平成元年)3月19日 江戸橋駅を日本橋駅に改称。
- 1991年(平成3年)3月31日 北総開発鉄道(現・北総鉄道)と相互直通運転開始。5300形電車営業運転開始。
- 1995年(平成7年)7月2日 5000形電車の営業運転終了。冷房化率100%となる。
- 1998年(平成10年)11月18日 地下鉄初の特急列車となるエアポート快特・エアポート特急(現在は廃止)運転開始。
- 2000年(平成12年)4月20日 正式名称を都営浅草線から浅草線に改称。
- 2002年(平成14年)10月27日 芝山鉄道と相互直通運転開始。
- 2004年(平成16年)6月 馬込車両検修場完成。馬込工場を廃止。
- 2006年(平成18年)
- 4月1日 大門 - 新橋間に大江戸線との連絡線である「汐留連絡線」が開通。
- 11月3日 5200形電車の営業運転終了。西馬込 - 北総線千葉ニュータウン中央間でさよなら運転を実施。
- 2007年(平成19年)
- 2010年(平成22年)7月17日 北総線経由で成田空港を結ぶ京成成田空港線(成田スカイアクセス)開業に伴い、同線との直通運転を開始。運行種別に「アクセス特急」が追加。
- 2011年(平成23年)
- 2月26日 C-ATSを全線にて使用開始[8]。
- 3月11日 東北地方太平洋沖地震が発生したため、京成線・京急線・北総鉄道北総線・芝山鉄道線との相互直通運転が休止される。
- 3月14日 東北地方太平洋沖地震による発電所の停止に伴う電力供給逼迫のため、東京電力が輪番停電(計画停電)を実施。これに伴い、この日から京成線・京急線・北総鉄道北総線・芝山鉄道線との相互直通運転が休止された。いずれも3月中には再開。
- 2012年(平成24年)10月21日 エアポート快特の種別を橙色に変更。
最初の開業について[編集]
押上 - 浅草橋間の開業は1960年(昭和35年)12月1日に予定され、開通式はその前日となる11月30日に実施した。
しかし、全体の施設完成後の同年11月に東京陸運局に運輸開始認可の申請を行い、11月25日より5日間にわたり運輸省(現・国土交通省)による運輸開始検査を行ったが、駅施設の内装の不備、駅務員の教育不足などいくつかの指摘事項を受けた。
このため、12月1日の開業時に運輸開始認可が下りず、旅客営業ができなくなるという事態が発生した。その後、東京都は指示された期限内に完成させること、業務指導を徹底することを確約し、再確認を受けた12月4日の午後になり、運輸開始認可を受けた。このため、当日も始発からの運転開始が、押上駅14時35分発からの運行となり、多くの混乱が生じたとされている。
運行概況[編集]
以下の鉄道路線との乗り入れが存在し、相互直通運転の多様性が特色として挙げられる。大部分の列車が他社線と直通しているため、終点駅である押上折り返しの列車は少ない。列車は最大で4事業者に跨って運転される。これはPASMOにおける改札内乗継回数の上限と重なるが、乗り入れ先のうち芝山鉄道線内ではPASMOが使用できない。
押上経由
泉岳寺経由
現行ダイヤでは三崎口(京急久里浜線) - 成田空港(京成成田スカイアクセス線経由)間を結ぶ列車が当線を経由する最長距離の列車(136.6km)であり、東京の地下鉄としては半蔵門線の中央林間(東急田園都市線) - 南栗橋(東武日光線)間(98.5km)をしのぐ最も長い直通距離である。なお、該当列車はすべて京急車による運行となっている。
泉岳寺から南方向は京急線直通旅客の便を図り、品川・羽田空港・横浜方面への列車を多く運転している。支線的位置付けの西馬込 - 泉岳寺間については区間運転列車も多く存在し、日中は同区間の列車の3分の2にも及ぶ。それとは逆に押上 - 西馬込間の線内運転のみを行う列車は平日朝の4往復のみとなっている。
列車種別はエアポート快特をのぞき乗り入れ先での種別を表示[9]し、線内止まりまたは京急線品川止まりとなる列車は「普通」を表示する(放送等の案内では「各駅停車」を用いることもある)。京急線品川や押上で種別を変えて直通する列車もある。運行される種別は多いが、エアポート快特が通過駅を持つほかは各駅に停車する。浅草線と直通または接続し、泉岳寺から京急線内を「普通」で運行する京急線下り方面の列車は、平日に2往復、土曜・休日に2.5往復のみである。なお、時刻表ではエアポート快特をのぞき、すべて普通の扱いである。
ダイヤ[編集]
乗り入れ先である京急本線・北総線が20分サイクル、京成本線・押上線が40分サイクルのパターンダイヤなので、浅草線でも40分サイクルのパターンダイヤが組まれている。泉岳寺 - 押上間は運転密度が高く、平均5分間隔で運転される。エアポート快特(快特)は泉岳寺および押上において先着列車の待避を受ける。
日中の1時間当たりの運行本数はおおむね次の通り。
- 区間便
- 西馬込駅 - 泉岳寺駅 6本
- 泉岳寺で京急線直通列車と接続。かつては京急車での運転は精算運転をのぞき滅多になかったが、2012年10月21日のダイヤ改正以降は平日の日中にも運用されるようになっている。
- 西馬込駅 - 泉岳寺駅 6本
- 佐倉方面京成線内快速
- 西馬込駅 - 押上駅 - (快速) - 京成佐倉駅 3本
- 泉岳寺で泉岳寺発着の京急線快特に接続。南行は浅草線内では普通を表示。原則として京成車・都営車での運転となる。
- 西馬込駅 - 押上駅 - (快速) - 京成佐倉駅 3本
- 横浜方面京急線内快特
- 成田スカイアクセス直通エアポート快特・アクセス特急
- 羽田空港国内線ターミナル駅 - (エアポート快特) - 泉岳寺駅 - (エアポート快特) - 押上駅 - (アクセス特急) - 成田空港駅 1.5本
- 北行は押上で横浜方面発快特に接続しエアポート快特からアクセス特急に種別変更。南行は押上でアクセス特急からエアポート快特に種別変更し、横浜方面行き快特に接続する。浅草線・京急線内ともにエアポート快特として通過運転を行う。原則として京成車・京急車での運転となる。
- 羽田空港国内線ターミナル駅 - (エアポート快特) - 泉岳寺駅 - (エアポート快特) - 押上駅 - (アクセス特急) - 成田空港駅 1.5本
- 羽田空港発着京急線内快特
- 羽田空港国内線ターミナル駅 - (快特) - 泉岳寺駅 - 押上駅 - (普通) - 青砥駅・京成高砂駅 1.5本
- 北行は品川で快特から普通に種別変更。南行は押上で快特に変更する。京急線内のみ快特となり浅草線および京成線内は各駅に停車する。
- 羽田空港国内線ターミナル駅 - (快特) - 泉岳寺駅 - 押上駅 - (普通) - 青砥駅・京成高砂駅 1.5本
- 羽田空港発着北総線直通快特
全体では、西馬込 - 泉岳寺間が毎時9本の運転、泉岳寺 - 押上間が毎時12本(うち1.5本はエアポート快特)の運転となる。日中は泉岳寺駅で接続が図られ、西馬込発着の列車と京急線内発着の列車との乗り換えがしやすくなっている。
箱根駅伝開催日は京急蒲田駅付近にある第一京浜の踏切を選手が通過するため、毎年1月3日には臨時ダイヤが組まれ、一部の羽田空港行きが京急川崎行きに変更されていた。2012年10月21日に高架化工事が完成したため、2012年1月3日をもって終了した。
エアポート快特[編集]
優等列車として、エアポート快特が運行されている(別料金不要)。停車駅は駅一覧表を参照。
新設当時は羽田・成田の両空港を結ぶ列車との位置付けであったが、車両運用の都合上昼間時および朝ラッシュ前の南行と夕方ラッシュ終了後の北行のみが運行されていた。また、浅草線内でエアポート快特と同じ駅に停車し(ただし大門は通過)、青砥または京成高砂が始発・終着駅となる「エアポート特急」も運行されていたが、1999年7月31日の京急の白紙ダイヤ改正で「エアポート快特」に統合された。その後のダイヤ改正で日中の列車が京成佐倉発着となるなど、空港間連絡列車の意味合いは薄れていたが、2010年7月17日に京成成田空港線(成田スカイアクセス線)が開業し、同日のダイヤ改正で京成佐倉発着のエアポート快特を同線経由(京成線内アクセス特急)の成田空港発着に変更したため、再び空港間連絡列車として運行されるようになった。
将来、浅草線内の当該列車運行部分の駅に追い越し設備を設け、羽田・成田両空港間を1時間程度で結ぶ構想が国土交通省で検討されている(#今後の動きの節も参照)。
車両[編集]
4社と相互直通運転を行っているため、2009年現在で最大16形式の車両が運行されている。制御電動車を先頭車に配していない京成電鉄の3600形は京浜急行電鉄への乗り入れができないため、浅草線では西馬込駅発着の運用に使われる。また京急2100形は浅草線への直通運転こそできないが、泉岳寺駅までは入線できるため、泉岳寺駅に限っては最大17形式の車両を見ることができる。
どの列車がどの車両で運用されるかは列車番号の末尾アルファベットで区別されており、「T」が都交通局車両、「K」が京成車両(芝山鉄道所有車両を含む)、「N」が北総車両(千葉ニュータウン鉄道所有車両を含む)、「H」が京急車両となっている。 列車番号については『MY LINE 東京時刻表』(交通新聞社)にも掲載されている。
平日の朝に京成電鉄の6両編成で運転される列車が西馬込 - 京成高砂間に1往復あるほかは、各社局の8両編成で運行される。
自局車両[編集]
- 5300形
- E5000形電気機関車(大江戸線12-000形の馬込車両検修場までの牽引回送用)
過去の自局車両[編集]
乗り入れ車両[編集]
かつて乗り入れていた車両[編集]
駅一覧[編集]
駅番号 | 駅名 | 駅間キロ | 累計キロ | エアポ丨ト快特 | 接続路線 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|---|
A-01 | 西馬込駅 | - | 0.0 | 京急本線 ・ 空港線直通運転 |
大田区 | |
A-02 | 馬込駅 | 1.2 | 1.2 | |||
A-03 | 中延駅 | 0.9 | 2.1 | 東京急行電鉄:大井町線 (OM04) | 品川区 | |
A-04 | 戸越駅 | 1.1 | 3.2 | |||
A-05 | 五反田駅 | 1.6 | 4.8 | 東日本旅客鉄道:山手線 東京急行電鉄:池上線 (IK01) | ||
A-06 | 高輪台駅 | 0.7 | 5.5 | 港区 | ||
京急線直通運転区間 | ○本線経由空港線羽田空港国内線ターミナル駅まで ○逗子線新逗子駅から(北行のみ) ○本線浦賀駅から(北行のみ) ○本線経由久里浜線三崎口駅まで | |||||
A-07 | 泉岳寺駅[* 1] | 1.4 | 6.9 | ● | 京浜急行電鉄:本線(上記の路線・駅まで直通運転) | 港区 |
A-08 | 三田駅 | 1.1 | 8.0 | ● | 都営地下鉄: 三田線 (I-04) 東日本旅客鉄道:山手線・京浜東北線(田町駅) | |
A-09 | 大門駅 | 1.5 | 9.5 | ● | 都営地下鉄: 大江戸線 (E-20) 東日本旅客鉄道:山手線・京浜東北線(浜松町駅) 東京モノレール:東京モノレール羽田空港線(モノレール浜松町駅) | |
A-10 | 新橋駅 | 1.0 | 10.5 | ● | 東京地下鉄: 銀座線 (G-08) 東日本旅客鉄道:東海道線・山手線・京浜東北線・横須賀線 ゆりかもめ:東京臨海新交通臨海線 (U-01) | |
A-11 | 東銀座駅 | 0.9 | 11.4 | │ | 東京地下鉄: 日比谷線 (H-09) 地下通路で銀座駅・日比谷駅・有楽町駅に連絡 |
中央区 |
A-12 | 宝町駅 | 0.8 | 12.2 | │ | 東京地下鉄: 銀座線(京橋駅:G-10:徒歩連絡) | |
A-13 | 日本橋駅 | 0.8 | 13.0 | ● | 東京地下鉄: 銀座線 (G-11) ・ 東西線 (T-10) | |
A-14 | 人形町駅 | 0.8 | 13.8 | │ | 東京地下鉄: 日比谷線 (H-13) | |
A-15 | 東日本橋駅 | 0.7 | 14.5 | ● | 都営地下鉄: 新宿線(馬喰横山駅:S-09) 東日本旅客鉄道:総武線(快速)(馬喰町駅) | |
A-16 | 浅草橋駅 | 0.7 | 15.2 | │ | 東日本旅客鉄道:総武線(各駅停車) | 台東区 |
A-17 | 蔵前駅 | 0.7 | 15.9 | │ | 都営地下鉄: 大江戸線 (E-11)[* 2] | |
A-18 | 浅草駅 | 0.9 | 16.8 | ● | 東京地下鉄: 銀座線 (G-19) 東武鉄道:伊勢崎線(東武スカイツリーライン)(TS-01)[* 3] | |
A-19 | 本所吾妻橋駅 | 0.7 | 17.5 | │ | 墨田区 | |
A-20 | 押上駅[* 4] | 0.8 | 18.3 | ● | 京成電鉄:押上線(KS45、下記の路線・駅まで直通運転) 東京地下鉄: 半蔵門線 (Z-14) 東武鉄道:伊勢崎線(東武スカイツリーライン)(TS-03)[* 3] | |
京成線方面直通運転区間 | ○押上線経由本線成田空港駅まで ○押上線・本線経由成田空港線(成田スカイアクセス)成田空港駅まで ○押上線・本線経由北総鉄道北総線印旛日本医大駅まで ○押上線・本線・東成田線経由芝山鉄道線芝山千代田駅まで |
今後の動き[編集]
2001年5月の「首都圏の空港アクセス緊急改善対策」および8月の「都市再生プロジェクト第二次決定」を受け、国土交通省・東京都・中央区・鉄道事業者などが検討委員会を設置し、周辺の再開発とともに日本橋・東銀座間から東京駅への支線建設が検討された[10]。この計画が実現した場合、東京駅から羽田・成田両空港への新たな直通アクセス路線となる。特に成田空港へは2010年7月17日に開業した成田スカイアクセスと直通した場合、最短アクセス路線となる。
また、国土交通省は羽田・成田両空港間を乗り換えなしで結ぶ鉄道の整備を計画している。2008年8月9日に発表されたのは、浅草線の途中駅(宝町駅・三田駅周辺)に特急列車待避設備を新設することで両空港駅間を65分で結ぶ計画(予算はおよそ400億円)[11]。これに対し、同年9月7日にはバイパスとして並行する別線を新たに建設する案(およそ3000億円)も発表され、さらに10分の時間短縮が可能とされている[12](浅草線短絡新線構想も参照)。この案では東京駅付近へ駅の設置も検討するとされている。同年10月、国土交通省はバイパス線建設を最有力候補にすることを発表した[13]。
その他[編集]
- 大江戸線(地下鉄12号線)とは軌間が1,435mmとが同じであるから、1986年(昭和61年)4月に同線用の12-000形試作車が本路線の馬込検車場(当時)内で走行試験を行い、浅草線の終電後に西馬込駅 - 戸越駅間で本線走行試験を行ったことがある[14]。
- 大江戸線の汐留駅構内から新橋駅と大門駅の間(正式には新橋駅構内扱い)まで、同線の車両(12-000形および12-600形)を馬込車両検修場へ回送するための連絡線がある。ただし、リニアモーター式の12-000形および12-600形は連絡線および浅草線内を自走できないため、各線とも走行可能なE5000形電気機関車によって牽引される。
- 車内の旅客案内表示器による乗り換え案内は当初京急車では行われていなかったが(600形と新1000形のLCD搭載車をのぞく)、2010年10月の羽田空港国際線ターミナル駅開業に伴う改修を機に表示されるようになった。また、同時に旅客案内表示器を搭載するすべての車両(北総9100形1次車をのぞく)において駅ナンバリングの表示もなされるようになった。
- 2009年2月10日から8月10日まで、交通局・環境局はオリックス自動車と協働でカーシェアリングと公共交通とを連携させたモデル事業を実施していた。浅草線の西馬込・中延・大門・宝町・日本橋・人形町・東日本橋・浅草・本所吾妻橋・押上の各駅近傍にカーシェアリングステーションを設置することで、環境負荷の低減を図っている[15]。
- 以前は列車接近チャイムに、浅草線独自の3点チャイム(1991年以前)または4点チャイム(1991年の北総乗り入れ開始時より)が使われていたが、放送装置の更新で全駅で都営地下鉄標準の接近メロディに置き換えられた。
脚注[編集]
- ↑ 「東京都交通局告示 東京都地下高速電車の路線の名称及び区間」では「浅草線」と定められている。
- ↑ 平成18年度東京都高速電車事業会計決算審査意見書PDF 東京都監査事務局 2007年9月27日
- ↑ 東京都交通局「都営地下鉄建設史 - 1号線 - 」参照。
- ↑ 板橋 - 春日は現在の三田線、春日 - 蔵前は大江戸線と重複する。
- ↑ 岡本、1994、25-29p。
- ↑ 和久田、1987、94p。
- ↑ 詳しくは三田線の項目を参照。和久田、1987、95-96p。
- ↑ 浅草線C-ATS全線運用開始について 東京都交通局 2011年2月23日
- ↑ 京急線内でエアポート急行となる列車は「急行」と表示・案内される。
- ↑ 都営浅草線東京駅接着等の事業化推進の検討結果 東京都都市計画局 2003年5月29日 (Internet Archive)
- ↑ 時事ドットコム2008年8月9日版および日刊建設工業新聞2008年8月12日版
- ↑ asahi.com 2008年9月7日
- ↑ 日経ネット 2008年10月4日
- ↑ 「大江戸線放射部建設史」・「東京都交通局80年史」いずれも東京都交通局著を参照。
- ↑ カーシェアリングと公共交通とを組み合わせたモデル事業の実施
参考文献[編集]
- 東京都交通局「都営地下鉄建設史 - 1号線 - 」
- 「MY LINE 東京時刻表」各号(交通新聞社)
- 和久田康雄『日本の地下鉄』(岩波新書、1987)
- 岡本堯生『東京の都市交通』(ぎょうせい、1994)