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2021年10月19日 (火) 15:13時点における版
大阪は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、広い意味では大阪市を中心とする近畿(畿内、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記した。古都・副都としての歴史を持ち、長らく首都東京に次ぐ都市として、経済、文化、バックアップ面で重要な役割を担っている。大阪府は日本国第3の都市圏にある愛知県を域内総生産で上回り、アジアのゲートと呼ばれる福岡県に対しては域内にそれぞれ存する関西国際空港と福岡空港の国際線旅客数、国際貨物取扱量で関西国際空港が大きく上回る。
大阪は都市単位の経済規模で世界3位。都市圏人口で世界12位のメガシティと評価されている。
地名の由来と変遷
「大坂」という地名は、元は大和川と淀川(現在の大川)に間に南北に横たわる上町台地の北端辺りを指し、古くは摂津国東成郡に属した。
この漢字の地名に関する最古の記録は、1496年、浄土真宗中興の祖である蓮如によって書かれた御文の中に見られる「摂州東成郡生玉乃庄内大坂」との記載である。もともと、蓮如が大坂と呼んだ一帯は、古くは浪速(難波・浪花・浪華)などが地域の名称として用いられていたが、蓮如が現在の大阪城域に大坂御坊(いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力を周辺に伸ばすに及んで、大坂という呼称が定着した。
その語源は、大きな坂があったために大坂という字が当てられたという説があるが、蓮如以前の大坂は「オホサカ」ではなく「ヲサカ」と発音されており、諸資料にも「小坂(おさか)」と表記された例が見られる(日本書紀には烏瑳箇とある)。このためにこの説は信憑性に乏しい。
蓮如以後、大坂は「おおざか」と読んだとされる。江戸時代、商人の伝兵衛が海難事故でロシア帝国に漂流したとき、ロシア人には「ウザカ」と聞こえたと伝わっている。従来「おさか」と読んでいたのを大阪駅の駅員が「おーさか」と延ばして言うようになったことから、「おおさか」と呼ぶのが広まったという説もある。
漢字の表記は当初「大坂」が一般的であったが、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代には大阪の字が定着する。一説に「坂」から「阪」への変更は、明治新政府が「坂」が「士が反する」、すなわち武士が叛く(士族の反乱)と読めることから「坂」の字を嫌ったとも、単に、役人の書き間違いから定着したともいう。
歴史
現在の大阪市の基である大坂の町は、古代の日本最初の本格的な首都である大化改新時の難波長柄豊埼宮(なにわのながらのとよさきのみや)や、住吉津(すみのえのつ)難波津(なにわのつ、なにわづ)を起源に持つ歴史的な国際的港湾都市であった。江戸時代には現在の大阪市中央部を広く町域とする日本屈指の大都市であり、日本経済の中心だった。
「大坂」地名発生以前の大坂
のちの「大坂」が位置する上町台地は、古代には「難波潟」と呼ばれる湿地に突き出した半島状の陸地で、「浪速(なみはや、なにわ)」、「難波(なにわ)」、「浪花(なにわ)」、「浪華(なにわ)」などと称されてきた。
この地には、古代大和朝廷が外国への使節の送り出しや、迎接に利用する瀬戸内海東部の重要な国際港であった「住吉津」や「難波津」が置かれ、古代の仁徳天皇の難波高津宮をはじめ、大化の改新時の難波長柄豊崎宮や聖武天皇の難波京(難波宮)などが営まれ、朝廷の首都あるいは副都として利用された。また、律令制のもとでは首都に置かれる京職に準じる特別の官署、摂津職によって管理された。
古代国家が難波を重要視したのは、大阪湾は西日本の交通の要である瀬戸内海の東端にあたり、かつ当時の中央政府があった内陸の飛鳥地方・平城京から最も近い港湾であることによる。住吉津を管理する住吉大社は、大和朝廷直属の社として重要視されていた。
難波津は土砂の堆積により港としての機能が衰え、奈良時代末には神崎川河口の河尻泊(現在の兵庫県尼崎市)などに繁栄を譲る。しかし、平安時代には淀川水系を利用して営まれた平安京が恒久的な都となったことから、瀬戸内海から淀川を通じて京都に通じる水運の要衝、また北から淀川を渡り、南の四天王寺や住吉大社、熊野へと続く陸上交通の要衝として栄えた。当時、のちの天満橋から天神橋までの淀川河口一帯にあった渡辺津は、嵯峨源氏の一族渡辺氏の名字の地としても有名である。
近世の大坂
15世紀に大坂の地名を持って呼ばれるようになった上町台地の先端部は、1496年に蓮如がこの地に建立した浄土真宗の石山道場に、1532年に証如が山科本願寺から移り、石山本願寺となったことから寺内町として発展した。
織田信長と本願寺の間に戦われた石山戦争で1580年に顕如が退去した後の1583年には、石山本願寺の跡地に豊臣秀吉が大坂城を築き、城下に配下の大名の屋敷や堺などの周辺の町々の町人を集めて、上町台地から大阪平野に広がる大坂の町を築いて政治・経済の中心都市とした。このため、安土桃山時代のうちの豊臣政権期を指して「大坂時代」と呼ぶ人もいる。
豊臣氏が滅んだ大坂の役で大坂の町は一時的に荒廃したが、江戸幕府は大坂を直轄地(天領)とし大坂城を再建する一方、河川の改修や堀の開削を行い、諸藩も蔵屋敷を置いた。蔵屋敷へは水路で年貢米が運ばれたため八百八橋と言われるほど橋と水路の多い町となった。こうして水の都として復興した大坂は日本全国の物流が集中する経済・商業の中心地となり、「天下の台所」と呼ばれて繁栄した。こうした経済的な発展に伴って「元禄文化」が大坂を中心に花開いた。また、堂島の米市場では世界で最初の先物取引が行われた。
近世大坂の町は江戸幕府の派遣した大坂町奉行支配のもとに北組・南組・天満組の三組に分かれ、総称して大坂三郷と呼ばれた。北組・南組は現在の中央区の本町通を境に分かれ、天満組は北区の大阪天満宮を中心とする一帯である。大阪の旧市街地は沽券地として、江戸幕府から町人間で譲渡が許されていた。
近世に現在の大阪市中心部はその姿を整えたと言ってよい。現在も続く近世以来の大坂の町は、天満・上町・堂島・中之島・船場(北浜)・阿波座・堀江・島之内・江ノ子島などが知られている。
大坂から大阪へ
江戸時代中期には「大坂」と「大阪」が併用され、明治維新後の1868年、新政府はもとの大坂三郷に大阪府を置いた。元来の「大坂」に代わって「大阪」が正式な表記となったのは、このころである。「阪」は「坂」の異体字のなかでも古字とされる字であり、阜部(読み:ぶぶ、意味:こざとへん)は小高い土山・丘陵を意味する。
翌1869年には北・南・天満の三郷から東・南・西・北の4大組に再編され、1875年に大区小区制が施行されると、順に第1~4大区となり、1879年に郡区町村編制法が施行されると、再び東・南・西・北の4区となった。1889年には市制施行により大阪府管内の大阪市となる(市制特例参照)。大阪市はその後周辺の町村を合併して、1925年にはほぼ現在の領域に広がった。さらに府は周辺の県を統合した後、1887年に奈良県を分離して現在の大阪府の領域となった。この結果、元来は都市名であった大阪の地名は現在のように広域を指すようになる。
明治維新の直後は廃藩置県によるいわゆる「大名貸」の貸し倒れや地租改正による金納化(結果的には農民による米の自由売買につながった)によって大阪経済は大打撃を受けた。だが、経済産業の近代化とともに次第に西日本経済の中心地としての地位を確立していくことになる。
交通における「大阪」
空港
- 大阪国際空港(伊丹空港) - 敷地の大部分は兵庫県伊丹市に属するが、一部は大阪府豊中市・池田市に属している。敷地内の空港ターミナルビル・エプロン・大阪空港駅付近では、これらの2府県3市の境界線が複雑に引かれており、無数の飛地も入り乱れている。空港事務所・管制塔などの中枢施設の多くは豊中市にあり、空港の住所は豊中市である。
- 関西国際空港 - 大阪府泉佐野市、泉南郡田尻町、泉南市3市町にまたがる。
- 八尾空港
鉄道
- 西日本旅客鉄道東海道本線・大阪環状線:大阪駅(在来線:北陸・山陽・山陰地方への列車発着駅)
- 東海旅客鉄道・東海道新幹線・西日本旅客鉄道山陽新幹線:新大阪駅(新幹線)
- 西日本旅客鉄道阪和線・関西本線・大阪環状線:天王寺駅(在来線:和歌山県・奈良県への列車発着駅)
- 西日本旅客鉄道関西本線:JR難波駅(在来線:奈良県への列車発着駅)
- 阪神電気鉄道本線:梅田駅
- 阪急電鉄神戸本線・宝塚本線・京都本線:梅田駅
- 京阪電気鉄道京阪本線:京橋駅・天満橋駅・淀屋橋駅
- 近畿日本鉄道大阪線・奈良線:大阪難波駅・大阪上本町駅・鶴橋駅
- 近畿日本鉄道南大阪線:大阪阿部野橋駅
- 南海電気鉄道南海本線・高野線:難波駅
自動車
大阪都市圏には、大阪府内だけでも自動車のナンバープレートが4種類存在し、 まず、国土交通省運輸局記号としての「大阪」がある。これは、大阪府寝屋川市に所在する「近畿運輸局大阪運輸支局」を示し、管轄区域は大阪市を除く大和川以北の市町村となり、大阪市は「なにわ」ナンバーとなる(同支局「なにわ自動車検査登録事務所」の管轄)。大阪府内には他に、堺市を除く大和川以南の市町村の「和泉(泉)」ナンバーと、堺市のみの「堺」ナンバーがある(いずれも同支局「和泉自動車検査登録事務所」の管轄)。
大阪の代表的な街
- キタ - 梅田 - 北新地 - 梅田新道 - 堂島
- ミナミ - 難波 - 湊町 - 日本橋 - 千日前 - 道頓堀 - 心斎橋(心斎橋筋) - 堀江 - 南船場
- 天王寺・阿倍野
- 上本町
- 京橋
- 鶴橋
- 新世界
- 十三
- 新大阪
大阪都心部の代表的な街
大阪の代表的な神社仏閣
- 住吉大社
- 四天王寺
- 大念仏寺
- 大鳥大社
- 太融寺
- 生国魂神社
- 阿部野神社
- 高津宮
- 大阪天満宮
- 今宮戎神社
- 叡福寺
- 松尾寺
- 水間寺
- 坐摩神社
- 本願寺津村別院(北御堂)
- 難波別院(南御堂)
- 石切剣箭神社
- お初天神(露天神社)
- 法善寺 法善寺横丁が小説『夫婦善哉』の舞台になっている。
- 百舌鳥八幡宮
- 壺井八幡宮
- 大阪護国神社
スポーツ
大阪府においてはラグビーの高校生全国大会が東大阪の花園で開催されたり、大阪国際女子マラソンなどが大阪市内で実施されたりする。なお、阪神甲子園球場があるのは兵庫県西宮市であり、大阪府ではないが、毎年、同球場で春・夏に開催される高校野球のNHKの中継は、兵庫県管轄のNHK神戸放送局ではなく、NHK大阪放送局が行っており、大会を主催する日本高等学校野球連盟の本部も大阪市に置かれている。
プロスポーツのチーム
プロ野球
サッカー(Jリーグ)
バスケットボール(bjリーグ)
主な社会人リーグのチーム
フットサル(Fリーグ)
バレーボール(Vリーグ)
大阪都市圏
大阪市を中心とする都市雇用圏(10%通勤圏)は、奈良県、兵庫県、京都府、和歌山県、三重県におよび、約1212万人(2000年)の人口を擁する日本第2位の都市圏を形成している。大阪市への流入超過人口は107万人であり、昼間人口は366万人となって、横浜市の昼間人口を越える。
- 大阪都市圏:1211万6540人
また、大阪市・京都市・神戸市を中心市とした1.5%都市圏が設定され、近畿大都市圏と名付けられている。近畿大都市圏は人口1864万3915人(2000年国勢調査)を抱え、三大都市圏あるいは七大都市圏の1つとされ、世界でも十指に入る大都市圏である(世界の都市圏人口の順位参照)。
大阪の文化
大阪は長らく日本の文化の中心地であった京都に近く、また西日本最大の都市として発展したため、独自の文化を築いてきた。以下の食文化や芸能文化がよく知られるほか、大阪弁(浪花言葉)は東京方言や京言葉などとともに日本で最も知られた方言の一つである。
食文化
全国からあらゆる食材が集まる「天下の台所」であったことから、大阪では独特の食文化が栄え、「大阪の食い倒れ」(大阪人は破産しそうなほど飲食に贅沢をするという意味であるが、大阪人は食べ物自慢にうるさい、大阪には食べ切れないほど美味いものが沢山ある、といった意味でも使われる)という諺まで生まれた。しゃぶしゃぶや懐石料理、うどんすき、大阪寿司などの本格料理から、たこ焼きやお好み焼き、串カツ、イカ焼きといった、“粉もん”を中心とした庶民の味まで、さまざまな料理が楽しめる。
昔からの土産物としては岩おこしや昆布があるが、食材生産地というよりも食材集積地という環境であったことから、これぞ大阪という特産品・土産物には恵まれていない。例えば新大阪駅で買われる土産物のトップは伊勢名物のはずの「赤福」である。
現在は廃れたもののきゅうり、大根などの伝統野菜(なにわ野菜)が見直されたり、和泉でしかできない水茄子や和泉の玉葱、水菜など野菜の特産もある。
昔から“大阪の味”として親しまれてきたものとしては、鱧、フグ、きつねうどん、まむしなどがある。特にフグは全国消費量の約6割が大阪での消費であり、代表的な料理法としてはてっちりやてっさが挙げられる。また、過去には主に商人の食卓で、「半助」(蒲焼にした後のウナギの頭部)を使った炊き合わせや「船場汁」(サバなどの魚の骨でだしをとった吸い物)など、“節約料理”も数多く見られた。
鶴橋などのコリア・タウンがあることから焼肉の店も多く、日本でホルモン焼きが広まった最初の都市である。またインスタントラーメン(日清食品)や酢昆布など、意外な大阪発祥の料理・食品も多い。
芸能
人形浄瑠璃発祥地であり本場。大坂相撲や上方歌舞伎も盛んであった。このほかにも庶民の娯楽として、米沢彦八らが起源とされる上方落語、漫才、吉本新喜劇・松竹新喜劇などのお笑い文化が栄えている。大阪は商業の町としての性格上、お互いに角の立たない円滑で穏和なコミュニケーション術が発達した。こうしたことが大阪でお笑い文化が花開く素地となったのではないかとされる。
その他
- 和文通話表で、「お」を送る際に「大阪のオ」という。
- Macintoshのフォントに「Osaka」という名前のものがある。
- 各地の商業中心地を「○○の大阪」と例えることがあった。「山陰の大阪」(鳥取県米子市)、「北陸の大阪」(富山県高岡市)など。
関連書籍
- 塚田孝 『近世大坂の都市社会』 吉川弘文館 ISBN 4-642-03411-0
- 鍋井克之 『大阪繁盛記』 東京布井出版株式会社 ISBN 4-8109-1100-4