石山本願寺
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石山本願寺(いしやまほんがんじ)は、1496年(明応5)、蓮如のときに摂津国石山(大阪市中央区)に建てられ、後に浄土真宗本願寺派の本山となっていた寺院である。
概要[編集]
石山は上町台地の北端にある小高い丘で、真下で淀川と旧大和川が合流し、その付近に淀川水系や瀬戸内海の水運の拠点で、住吉や堺、紀州に向かう陸上交通の起点でもある渡辺津が形成されていた。蓮如の隠居坊から次第に拡大して寺内町を形成して商工民などが住み自治が行われた。この寺内町が、台地にそった坂にあることから「小坂」、後に「大坂」と呼ばれるようになった(大坂という地名の出現は1498年とされる)。
蓮如の隠居房であった事から、ここを崇敬する門徒も多く、本山であった山科本願寺をも圧倒する勢いを見せる。これを危惧した蓮如の後継者実如は永正元年(1504年)石山門徒の鎮圧に踏み切った(「大坂一乱」・また石山門徒には河内出身者が多かった事から「河内国錯乱」とも)。
だが天文年間に山科本願寺を失った後には本山としての地位を確立する。戦国時代末期には城郭に匹敵する堅固な石垣をめぐらして要塞化した。織田信長との石山戦争では篭城戦を行ったが、長引く戦闘の後、信長の攻勢に、1580年門主顕如は和睦。長男の教如はこれに従わず下間頼龍らとともに籠城を続けたが、退去を命じられて、紀伊鷺森に移った。その直後、石山本願寺は炎上した。
石山本願寺の跡地に、豊臣秀吉が大坂城を築いた。また、同寺建立以前は、古墳であったとも言われる。