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大丸(だいまる、英称:DAIMARU)は、J.フロントリテイリンググループの百貨店の屋号である。また、株式会社大丸は、2010年2月28日までこれを運営していた企業である。
近畿発祥の老舗百貨店で、大阪(心斎橋・梅田)・京都・神戸・東京・札幌に主力店舗を構えており、この6店舗だけで単体の91%の売り上げを占めている。上記の主力店は現在株式会社大丸松坂屋百貨店による運営である。
目次
沿革[編集]
- 1717年(享保2年)下村彦右衛門正啓、京都伏見の生家に古着商「大文字屋」開業。(大丸創業)
- 1726年(享保11年)大坂木挽町北之丁に大坂店(おおさかだな)「松屋」を開店、現金正札販売をはじめる(現・心斎橋店所在地)。
- 1728年(享保13年)名古屋本町四丁目に名古屋店(なごやだな)を開店、初めて「大丸屋」を称する。(1910年 明治43年閉店)
- 1736年(元文元年)京都・東洞院船屋町に大丸総本店「大文字屋」開店。経営理念を「先義後利」と定める。
- 1743年(寛保3年)江戸日本橋大伝馬町三丁目に江戸店(えどだな)開店。
- 1907年(明治40年)資本金50万円で「株式合資会社大丸呉服店」を設立。
- 1910年(明治43年)江戸店、名古屋店を閉店。
- 1912年(明治45年)デパート形式「京都大丸」開店(現・京都店所在地。鉄筋木造3階建)。
- 1913年(大正2年)神戸・元町に神戸支店開業。商標マークを改め登録。女子販売員を採用。
- 1920年(大正9年)資本金1,200万円で「株式会社大丸呉服店」を設立。
- 1925年(大正14年)定款の営業目的を「百貨陳列販売業他」に変更。
- 1927年(昭和2年)神戸店が明石町(現在地)に移転。
- 1928年(昭和3年)商号を「株式会社大丸」に変更。
- 1931年(昭和6年)「株式会社京都大丸」を吸収合併し、京都店とする。
- 1947年(昭和22年)高知大丸開店。
- 1949年(昭和24年)鳥取大丸を関係百貨店とする。
- 1949年(昭和24年)大丸ドレスメーカー女学院(現ディーズファッション専門学校)を京都店6階に開校。
- 1950年(昭和25年)下関大丸開店。
- 1953年(昭和28年)博多大丸開店。クリスチャンディオールと独占契約(1964年まで)
- 1954年(昭和29年)東京駅八重洲口に東京店開店。初日に20万人が来店。日本初のパートタイマー制を導入。
- 1959年(昭和34年)オリジナル紳士服「トロージャン」誕生。
- 1960年(昭和35年)ピーコック産業株式会社(現・ピーコックストア)を設立。
- 1961年(昭和36年)日本の小売業界売上NO.1を達成。(1960年下期から1968年下期まで連続)
- 1964年(昭和39年)ジバンシィと独占契約。
- 1968年(昭和43年)発送代行業務の子会社「大興運輸株式会社」設立。
- 1972年(昭和47年)松坂屋と共同配送開始。
- 1974年(昭和49年)今治大丸を関係百貨店とする。
- 1976年(昭和51年)デパート業界初の商品のデメリット表示を実施。
- 1983年(昭和58年)CISを導入、新しいマークを制定。梅田店開店。ホームショッピング事業部(現・大丸ホームショッピング)新設。
- 1984年(昭和59年)クレジット事業部(現・JFRカード)新設。
- 1987年(昭和62年)神戸店周辺店舗1号店(現・旧居留地38番館)開店。
- 1988年(昭和63年)株式会社大丸クレジットサービス、株式会社大丸ホームショッピング、株式会社大丸情報センターを設立。長崎大丸開店。
- 1990年(平成2年)株式会社大丸友の会を設立。
- 1992年(平成4年) 大興運輸株式会社が株式会社アソシアに商号変更。
- 1993年(平成5年) 大阪・ミナミ アメリカ村「ビッグ・ステップ」オープン。
- 1997年(平成9年) 神戸店(1995年阪神・淡路大震災で被災)が復興グランドオープン。
- 2003年(平成15年) 札幌店開店。
- 2005年(平成17年) 大丸Dカードを発行。
- 2006年(平成18年) アソシア株を日本郵政公社へ譲渡。「株式会社JPロジサービス」へ商号変更。
- 2007年(平成19年)
- 株式会社松坂屋と経営統合。持株会社「J.フロント リテイリング株式会社」を設立。
- 京都店「日本生命四条ビル」「京都ダイヤビル」に周辺店舗をオープン。
- 神戸店「NTT西日本神戸ビル」「ブロック44(神戸御幸ビル)」に周辺店舗をオープン。
- 2010年 (平成22年) 株式会社松坂屋に合併し解散。株式会社松坂屋は「株式会社大丸松坂屋百貨店」に商号変更。
以降はJ.フロント リテイリングを参照
概要[編集]
1717年(享保2年)に下村彦右衛門正啓が今の京都市伏見区京町北八丁目77に呉服店 大文字屋を開業し、呉服商を出発点として両替商を兼営していた。1726年大坂心斎橋筋に進出。1728年に名古屋本町に名古屋店を開き、「大丸屋」(のち閉鎖)と称した。幕末には高島屋に対して、幕府側についた。
1908年11月、個人商店「大丸呉服店」を株式合資会社に転換。その際、下村家当主が早稲田大学出身であった縁から、大隈重信の配慮で同じく早稲田出身の銀行家杉山義雄を専務理事として迎え入れ改革に乗り出した。杉山は専務理事就任時に資本金50万円のうち3万円を出資し、従業員や別家が20万円を出資していた[1]が、約40軒の別家は旧態依然としていたところに杉山が急激な改革を実施。これが古手の店員や別家の反感を買い、更に不況と重なったことから杉山は退任に追い込まれる。
その後、1910年に東京信託会社の岩崎一が改革案を作成し、ついで大隈の斡旋により、日本生命社長片岡直温が改革に乗り出す。同年秋には東京・名古屋の両店を閉店する一方で、京都・大阪・神戸店を拡張して再建に乗り出した。下村家も秘蔵の書画骨董を売却して約30万円を調達して資力を増強、1911年1月22日に別宅会を解散して積立金を割り戻す決定をした。1914年には大阪店が不渡りの手形を出して京阪二店が休業するなど、呉服店から百貨店への転換過程では問題が続発したが、幾度もの困難を乗り越え、1928年大丸と改称しその近代化に成功した。
高度成長期は三越(現:三越伊勢丹ホールディングス・並びに同社傘下の三越伊勢丹ほか)と並び「西の横綱」といわれたが、バブル崩壊後業績は低迷。奥田務が社長就任後、他の百貨店よりも一足早く1998年より事業構造改革に乗り出し、国内不採算店舗の閉鎖や海外店舗の全面撤退、人員削減に取り組んだ。その一方、2003年には札幌店を開店し軌道に乗せている。結果として改革は成功し、収益力を業界首位級に押し上げた。
なお、店名の呼称については通常、「〜てん」と案内されるが、近畿圏の各店舗に関しては以前から「〜みせ」と案内されるのが通例で、同地区の同業他店舗を含めて他に例を見ない特徴でもある。直営店では、札幌店・東京店は「〜てん」、心斎橋店・京都店・神戸店・梅田店が「〜みせ」と呼ばれている。
名物は、餡入りカステラ饅頭に「大」の焼き印が押された「大丸饅頭」。現在は大丸梅田店と博多大丸福岡天神店で販売している[2]。かつては神戸店でも販売していたが、1995年の阪神・淡路大震災で製造機械が壊れ販売中止となった。その後、震災10年の記念として2005年に1週間だけ再現された。
創業者 下村彦右衛門正啓[編集]
生年:1688年(元禄元年)京都伏見京町 北八丁目-没年:1748年(寛延元年)5月15日。父・下村三郎兵衛兼誠は摂津国茨木の武将・中川氏の家臣の子孫で、大坂の陣後、商人になった。正啓はその第五子、三男として後継ぎとなり、19歳の時に行商を始めた[3]。
背が低く、頭が大きく、耳たぶが垂れ下がってた風貌で、人情に厚く、商売を成功させたことから、「福助人形伝説」の一人として伝えられるようになった[4]。
経営理念「先義後利」[編集]
1736年(元文元年)大丸総本店「大文字屋」開店時に定めた理念。
先義(而)後利(者栄)=義を先にして利を後にする者は栄える。
「義」とは商売における正しい道」「公共のために尽くす気持ち」を意味し、「顧客第一主義に徹すれば、利益は自ずからついてくる」という考え方に徹した。
下村は毎年冬になると施餓鬼(せがき)として貧しい人に食べもの、古着やお金を施し、人の集まる寺社に大丸マークつきの灯籠や、手ぬぐいを大量に寄付する等ボランティア活動で利益を社会還元していた。
このため、1837年(天保8年)、大塩平八郎の乱(百姓一揆)に際しては、利を優先させた富豪や大商人はことごとく焼き討ちにあっていたのに対し、「大丸は義商なり、犯すなかれ」と部下に命じられたため、焼き討ちを免れたと伝えられている。
この精神は、現在も大丸の企業理念として継承されている。
商標大丸マーク[編集]
創業時の「大文字屋」の名は、京都五山の送り火の「大文字」にちなんで付けられた。名古屋進出にあたって、「丸」の中に「大」の字をあしらった商標を使い始め、広く一般に「大丸」と呼ばれるようになった。
「丸」は宇宙を表し、「大」の文字は「一」と「人」を組み合わせて成り立っていることから、 「天下一の商人になろう」という志を示した。
江戸進出に際しては、このマークを染め抜いた萌黄地の風呂敷を大量につくり、商品を包んで運んだ。その風呂敷が派手で非常に目立つものだったため、江戸っ子の間で話題となり、開店前から多くの人に認知されるようになった。
風呂敷自体、江戸前期には銭湯に行く時にすら使われていなかったのにもかかわらず、大流行することになった。
大丸屋江戸店での風呂敷の売上は1750年(寛延3年)には14,500枚だったが、1828年(文政11年)には60,670枚と4倍に増加。商人ばかりでなく、一般庶民が品物を運ぶ際に使う当たり前の道具として定着することになった[5]。
かくして、大丸屋は、越後屋(現.三越)、白木屋(現.東急百貨店)と並ぶ江戸三大呉服店と称されるまでになったのだった。
1913年(大正2年)類似商標と区別するため、おめでたい「七五三」にちなんで「一」の左端に3本、「人」の字の下端左に5本、右に7本のひげをつける改定を行い登録。70年に渡って親しまれた[6]。
1983年のCIによりシンボルマークは「孔雀(ピーコック)」をデザイン化したものに変更され、現在に至っている。但し、正式な社章は現在も「七五三ひげの大丸」で、呉服の包装・一部店舗(心斎橋店・南館屋上や下関大丸など)の外装にも残されている。
2010年3月の大丸松坂屋百貨店の発足後は、各店の正面入り口脇の店名の銘板の表示も、「丸に大」のマークと、「大丸 創業1717年」と記されるようになった。ちなみに、それ以前の銘板は上部に「丸に大」のマークが孔雀の羽で縁取られ、その下に「株式会社大丸 The Daimaru,Inc.」と記されたものであった。特に心斎橋店のものは、「創業1717年」の文言が当初から記されていた。なお、梅田店の正面入り口の銘板は孔雀をモチーフとしたCIマークに、「DAIMARU UMEDA」と記されたものであったが、2011年4月19日の増床グランドオープンに合わせ、「丸に大」のマークのものに変更された。
海外ブランドの独占契約・プライベートブランドの開発[編集]
古いお店で義理人情ばかりが大丸の取り得ではない。積極進取の側面もあり、早くから海外ブランドとのライセンス契約やプライベートブランドの開発も行ってきた。
クリスチャン・ディオール[編集]
1953年(昭和28年)クリスチャン・ディオールと独占契約。ライセンスによる国内生産が始まった。店内に「ディオール・サロン」を開設、輸入されたディオールの型紙を使用し、自社でオーダー・メイドの服を製造した[7]。そのお披露目として、大阪、京都、神戸で初のファッションショーも開催している(注.東京の初は1927年 三越銀座店)。これは、日本初の海外デザイナーとの提携となり(従来は外資法により禁じられていた)、他百貨店も追従したばかりではなく、アパレル業界全体に広がっていった[8]。
買付と京都地区での製作を担当した礒村春を校長として、その洋裁教育を伝搬すべく大丸ドレスメーカー女学院(現ディーズファッション専門学校)を京都店6階に開校した。
1964年からはカネボウがディオールの独占販売権を獲得、1997年秋からはクリスチャン・ディオール・ジャポン社が独自に店舗展開を開始[9]。現在、大丸各店にはショップを出店する形(鳥取を除く)になり、大丸以外の百貨店にも出店している[10]。
ジバンシィ[編集]
ディオールと入れ替わりに1964年からジバンシィと独占契約。オードリー・ヘップバーン御用達ブランドで永らく大丸の顔ともいうべきブランドだった。
紳士服トロージャン[編集]
「トロイの戦士」を意味する大丸の紳士服(日本で最初のプライベート・ブランド)。1959年、既製紳士服の先駆けとなった。(十字屋提携時代は十字屋・清水屋でも扱いがあった)
当時の日本には既製服製造のための大規模な工場が少なく、生産効率が低かった。このため、既製服のサイズは「特大」「大」「中」「小」の4種類に限定されており、注文して作ることが一般的だった。
大丸は「日本人の体型によりフィットする洋服」として開発すべくアメリカ既製服界に精通し、自らもテーラーを経営する奈古済一(なこせいいち)を招聘、技術指導を要請。当時、最新鋭の20数種のプレスマシン等、新しい技術を導入。アメリカ式の流れ作業のシステムで製造工程の合理化を行った。
サイズの呼称も、「Y体」「A体」「AB体」「B体」等29種類展開したのもトロージャンが初で、それが業界全体に広がることになった。日本人の前屈体型にフィットさせるため肩の形状も変更。これにあわせて湾曲したハンガーも開発。これも業界初の試みだった。
発売時の価格は、毛100%の生地を使用したスーツで13,000円からで オーダースーツと変わらない価格水準ながら大成功を収めた。
1966年、CMにダーク・ダックス、1970年代はジュリアーノ・ジェンマ等を起用し話題を呼んだ[11]。現在も「お台場仕立て、脇ざし、尻シック、キュプラ裏地」などワンランク上の仕様を採用するなど進化し続けている[12]。
店舗[編集]
直営店[編集]
- 心斎橋店
- 1726年(享保11年) 大坂島之内の木挽町北之丁(現・中央区心斎橋筋一丁目)に大坂店「松屋」開店。
- 1867年(慶応3年) 大坂地図「浪華名所独案内」に「大丸呉服店」として記載された。
- 1920年(大正9年)4月16日 「株式会社大丸呉服店」の「本店」に定めた。同年、失火により全焼[13]
- 1922年(大正11年) 再興のため店舗新築。第1期工事完成。設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ。
- 1925年(大正14年)9月 第2期工事竣工。中央玄関上部にテラコッタ(陶製)のピーコック(孔雀)が掲げられた。ピーコックはファッションのシンボルとして、以来大丸のシンボルとなった。
- 1933年(昭和8年) 第3期工事が完成。アール・デコの重厚な近代建築を今も伝える建築物として、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定されている。本館・南館の2館体制時の店舗面積は37,490m²だった。
- 2009年11月14日 隣接するそごう心斎橋本店が営業不振により閉店したため建物を買収。大丸の北館としたため77,000m²の最大規模の店舗となった。
- 2011年度下半期 ファッションデザイナー 小篠綾子の生涯を描いたNHK連続テレビ小説『カーネーション』が放送された。11月に主人公が「心斎橋百貨店」に制服を売り込みに行くエピソードがあったが、1932年(昭和7年)当時心斎橋にあった百貨店はこの大丸心斎橋店だけである。その縁で、放送終了後の2012年4月25日-5月1日に期間限定で岸和田コシノショップが出店した[14]。また、娘コシノヒロコも同店は勿論、ほとんどの大丸にショップを出店している。
- 梅田店
- 詳細は 大丸梅田店 を参照
- 1983年開店。大阪市北区
- 大阪駅駅ビルサウスゲートビルディング(2011年3月16日に、旧・アクティ大阪より改称)地下2階から地上15階。店舗面積は従来の40,416m²だったものが、2011年3月から順次増床部分が開業した後、同年4月19日のグランドオープン時には既存部分と合わせて、64,000m²となった。「新百貨店モデル」の集大成として、「東急ハンズ」や「ユニクロ」、また「ポケモンセンターオーサカ」(2010年11月26日に先行して開店)など大規模なテナントが出店している。
- 京都店
- 1717年(享保2年) 創業地伏見京町北8丁目は、京阪電鉄丹波橋駅北方。中心地ではなく郊外だった。
- 1729年(享保14年) 「仕入れ店」を置いた柳馬場綾小路は、現在地より東南東方向200mに位置。
- 1736年(元文元年)大丸総本店「大文字屋」を構えた東洞院船屋町は、市営地下鉄烏丸御池駅付近と現在地より1駅北隣に位置していた。
- また、1863年(文久3年)新選組が揃いの割羽織を調達に訪れたのは、これとはまた別に設けられた「松原店」で松原通御幸町・寺町間の北側[15]。京阪電鉄清水五条駅から鴨川の東岸だった。
- 1912年(明治45年)「京都大丸」四条烏丸に開店。ここが現在の京都店の所在地である。
現・京都店の店舗面積は50,830m²。心斎橋店と同じくヴォーリズ設計であるが、四条通側の外壁は改装されている。なお、下村家の邸宅であった京都・烏丸丸太町上ルの大丸ヴィラ「中道軒」はチューダー・ゴシック様式の豪壮な建築として知られている。 - この建物の他、5つの「周辺店舗」がある。
- 大丸恒和ビル ルイ・ヴィトンストア
- 大丸東洞院入口向い A.P.C
- 日本生命四条ビル1-2F エンポリオ・アルマーニ、大丸リラクシングガーデン京都
- 京都ダイヤビル ボッテガ・ヴェネタ、ジョゼフ・ザ・ストア
- グランドキューブ四条ビル ハウス・オブ・ジル・スチュアート
- なお、同じ京都四条に所在する藤井大丸は、全くの別会社である。
- 神戸店
- 1913年(大正2年)神戸・元町四丁目に「大丸呉服店神戸出張所」として開業。
- 1927年(昭和2年)明石町(現在地)に移転。その後増改築を繰り返し、本館、西館(元日本生命ビル)と南館、別館(旧居留地38番館)、アネックス(三菱東京UFJ銀行ビル)で1ブロックを構成している。本館ビル設計は村野藤吾。38番館はヴォーリズ設計の旧ナショナル・シティバンク神戸支店の建物。
- 1995年 阪神・淡路大震災で、最も古いトアロード側の本館が損壊。売り場の三分の二を失い、以降部分営業をしていた。
- 1997年 本館解体後、新ビルを建設。地下2階地上10階、店舗面積50,656m²となる。施工は大林・戸田・三菱・北野共同企業体で総工費は200億円。旧居留地のモダンな雰囲気を守るという観点から、外装には御影石が用いられ、北側と東側にコリドール(回廊)、ガス灯23基を配するなど、近代洋風建築の意匠を取り入れたものになった。特に、夜間のライトアップされた姿は幻想的で、日本で最も美しい百貨店の呼び声も高い。再オープンの3月2日初日には震災前の休日を上回る12万人が来店、10億円を売り上げ、[16]長らく売上で水をあけられていた「そごう神戸店」を抜き、地域一番店となった。
- 神戸店には多数の「周辺店舗」がある。主なものは以下の通り。
- 旧居留地38番館 - エルメス、コム・デ・ギャルソン他
- ジーニアスギャラリー(デビスビル) - ナノ ・ユニバース他
- NTT西日本神戸ビル - イッセイミヤケ他 -
- BLOCK47(ニッケビルディング) - グッチ、イヴ・サン=ローラン
- BLOCK44(神戸御幸ビル)エンポリオ・アルマーニ、、フェンディ他
- BLOCK30(大丸カーポート) - ドルチェ&ガッバーナ、マリオ・ヴァレンティーノ他
- 大丸インテリア館 - ル・スティル
- 興和ビル - バーバリー・インポート
- OTC神戸ビル - ジル・スチュアート
- ホテルヴィアマーレ - ミュウミュウ
他
- 東京店
- 1954年10月(株)鉄道会館 八重洲本館に開店(賃貸入居)[17]。店舗面積31,500m²。
- 旧.大丸呉服店が明治期に閉店して44年ぶりの東京再進出。開店初日には20万人が来店した。
- その際、既に月賦の「大丸百貨店」(現.井門エンタープライズ)が東京でチェーン展開していたため「名前の競合」が問題になり二社間で協議が持たれた。
- その結果、百貨店の(下村)大丸には百貨店をつけず「株式会社大丸」、月賦の(井門)大丸には百貨店をつけ「株式会社大丸百貨店」とすることが取り決められた。(井門)大丸には、広告宣伝においては愛称として「ライフアップ大丸」とも称し、マークは(下村)大丸とは全く異なるデザインを使用していた[18]。
- 同店開業以来、東京駅及び京都駅には「行きも大丸、帰りも大丸」というキャッチコピーの広告が掲示されるようになった。
- 2007年10月31日 一旦閉店。同ビルは、ペデストリアンデッキ「グランルーフ」と駅前広場整備のため取り壊された。
- 2007年11月6日 グラントウキョウノースタワー(現在地)に移転。住所は 右表参照。
- 2段階に分けて建替えられ、第1期分では地下1階 - 13階 店舗面積34,000m²に入居。
- 第2期工事終了後 2012年10月5日 46,000m²に増床、グランドオープン 地下3階駐車場も完備した。
- 札幌店
- 2003年開店。札幌市中央区
- 札幌駅南口JRタワー西ブロック。店舗面積45,000m²。
- 札幌店はパート・アルバイトの活用によって正社員を最小限に抑えるなどの合理化を図ったため、出店後半年で営業黒字を達成した[19]。また、その立地環境の良さも手伝い、2009年からは老舗の丸井今井を抜き、地域一番店となっている。
- なお、同じ南一条に所在する大丸藤井セントラルは、全くの別会社である。
関連会社の店舗[編集]
松坂屋については当該項目を参照されたい。
連結子会社運営店舗[編集]
- 博多大丸 福岡・天神店
- 1953年開店。1975年現在地に移転:福岡市中央区)天神1-4-1 福岡市営地下鉄 天神南駅 3番出口。
- 本館=西日本渡辺ビル地下2階-地上8階+東館「エルガーラ」地下2階-地上6階。店舗面積44,192m²。
- 法人としては本体に次ぐ規模にあり、J.フロントグループにおいても九州地区の重要拠点と位置づける。
- 下関大丸
- 1950年開店。1977年現在地に移転。山口県下関市竹崎町4-4-10
- JR西日本山陽本線下関駅前「シーモール下関」地下1階-地上8階。店舗面積23,912m²。
- 以前はマルハグループの資本がメインだった。
- 高知大丸
- 1947年開店。高知市帯屋町一丁目6番1号。
- とさでん交通「はりまや橋」電停下車、京町商店街。店舗面積16,068m²。
- 高知大丸四万十プラザ
- 土佐くろしお鉄道中村駅徒歩3分。高知大丸唯一の支店。高知県四万十市駅前町274番地。500㎡ほど。
非連結関連会社運営店舗[編集]
- 鳥取大丸
- 1937年「丸由百貨店」開店。1949年業務提携し「鳥取大丸」に社名変更[20]、1975年現在地に移転[21]。):出資比率14%[22]。鳥取市今町2-151
- JR山陰線鳥取駅前 ホテルニューオータニ隣 地下1階-地上5階。店舗面積11,973m²[23]建物はニューオータニともども黒川紀章の設計によるもの。別館 アネックス203、ファッション館「アクア」、空港売店もある。
- 大丸コム開発
- J.フロントリテイリング株式会社100%出資会社。1982年設立(大丸企画開発)。以下の商業施設の管理運営業務他、新規開発やリニューアルも行う。
- ホワイトアベニュー 心斎橋 大阪ホテル日航ビル1F・B1F 2,526.6m² 1982年開業。
- ビッグ・ステップ 心斎橋 アメリカ村 970.1m² 1993年開業。
- クリスタ長堀地下街 大丸心斎橋店北側長堀通り地下街 8,652.9m² 2006年より管理運営。(賃貸管理はクリスタ長堀株式会社)
- 大丸羽田空港店 第1ターミナル マーケットプレイス4F 386.6m² 1999年開業。管理運営。
- カトレヤプラザ伊勢佐木 旧.横浜松坂屋 7,400.0m²
- カトレヤプラザ高島平 ピーコックストア高島平店2F、1364.45m²
- ピーコックプラザ洋光台 ピーコックストア洋光台店2F、929.11m²
- オトカリテ ピーコックストア千里中央店 1-3F、約5,000
自主編集売場[編集]
- サロン・ド・グゥ・ブランシェ
- 特選ブランド・インポート雑貨のセレクトショップ 心斎橋店、神戸店、福岡天神店
- サロン・ド・グゥ
- 特選ブランドウェアのセレクトコーナー 神戸店、京都店、札幌店
- サロン・ド・グゥ・オム
- メンズ特選ブランド・インポート雑貨のセレクトコーナー 心斎橋店、神戸店、東京店
- ufufu girls(うふふガールズ)
- 18 - 34歳の女性をターゲットにした低価格帯のカジュアルな衣料品・雑貨のフロア。2009年11月14日に心斎橋店北館の地下1・2階に開設し、好評となった。その後2010年度は、4月22日には京都店の1・2階に、10月22日には松坂屋銀座店の本館1・2階に開設された。翌2011年度は、2月23日には神戸店の3階に、3月23日には札幌店2階に、また梅田店でも増床リニューアルオープンにあわせ(同年4月19日にグランドオープン)、同店の1階と5階に開設された。さらに2012年度は、3月2日に松坂屋名古屋店の南館2階にも開設された。
過去に存在した店舗[編集]
国内店舗[編集]
- 町田店・町田大丸 プラザビーミー
- 八王子大丸
- 1972年開店-1985年閉店。東京都八王子市横山町18-7 JR中央線八王子駅北口 甲州街道沿い。八王子は「絹の道」として輸出用の生糸が運ばれた要所。江戸進出時の風呂敷のことが「八王子織物史」で語られるほど縁の深い町だった。1970年に東京近郊(都心から50km)のベッドタウンとして注目され人口が25万を突破。伊勢丹(1969)、西武百貨店(1970)に続き、3番手の百貨店として開店(丸井、ダイエーよりも後)。各社がしのぎを削っていた。大丸は駅から一番遠いところにあったが、逆に一番駅よりの伊勢丹の方が先に撤退している。大丸閉店の引き金になったのは、1983年の「八王子そごう」の駅ビル進出だった。
- 大丸が撤退したビルは忠実屋によりファッションビル「FAM」として営業されたが、同社を合併したダイエーが2001年2月9日に本館および別館の土地・建物を日本中央地所とセントラル地所に売却[24]。建物は解体され、2003年03月に長谷工コーポレーションにより高層マンション「マクシスタワーズアーバンデュオ」が建設された。午後6時30分の閉店5分前に、ロバート・マクスウェル「引き潮」の楽曲に乗せた終了放送「ラストポエム」が流れた。
- ららぽーと横浜店
- 新長田店
- 和歌山店
- 米子大丸
- 別子大丸・新居浜大丸(旧.別子百貨店)
- 愛媛県新居浜市西原町3丁目1-26 せとうちバス「西原町3丁目」停留所下車 昭和通り商店街。地上4階建て、売り場面積7,457m²
- 1950年「別子百貨店」開店。1951年、資本参加により「別子大丸」、1975年「新居浜大丸」に社名変更。
- 2001年イオン新居浜ショッピングセンター開設を前に閉店、大丸跡地には現在、地元スーパー「ママイ」の店舗が建っている。(一時期閉店したがリニューアルし再オープン)
- 今治大丸(旧.大洋デパート)
- 愛媛県今治市常盤町4-1-18 せとうちバス「今治バスセンター」そば 1962年「大洋デパート」開店。1974年、資本参加により「今治大丸」に社名変更。2008年12月31日閉店。
- 長崎大丸(旧.岡政百貨店)
- 長崎市浜町4-11 1934年5月22日「岡政百貨店」開店。1969年3月提携。1987年、岡政100%出資の新会社「株式会社長崎大丸」を設立。1988年営業権の譲渡。2003年、企業再編により博多大丸に吸収合併「博多大丸・長崎店」となった。2011年7月31日閉店。店舗面積9,176m²。店舗解体済み。2014年秋、エフ・ジェイホテルズにより「ホテルフォルツァ長崎」が新築オープンする[26]。
海外店舗[編集]
- 香港大丸百貨公司
- 1960年11月3日開店。1998年12月31日閉店。
- 香港 銅鑼湾(コーズウェイベイ)記利佐治街(グレートジョ-ジストリート)と百德新街(パターソンストリート)交差点に立地。売り場面積5,400+5,600㎡[27]。
- 香港商人・張玉良との合弁会社。大丸出資率51%。日本の百貨店のアジア進出1号店で、取り扱い商品の6割が日本製品という中流-高級路線の店だった。開店前は、香港市民に受け入れられるか不安なまま開店を迎えたが、開店初日に10万人の客が詰め掛け、準備した品物の大半が売切れてしまう等、香港市民に支持され大成功を収めた。
- 香港大丸が開店した頃の店舗周辺は、倉庫が立ち並ぶ場所であったが、大丸開店後は数々のショップが出展してゆき、現在では香港随一の繁華街になった。大丸は地域のランドマークになり、ミニバスの行き先も「銅鑼湾」ではなく「大丸(DAIMARU)」と表示されていた。
- 1983年には、維多利亞公園(ヴィクトリアパーク)の京士頓街(キングストン)2号店としてスーパー・マーケットを開設。2階建てで1階にスーパーが入り、2階には旭屋書店が入店していた他、様々な商品を取り扱っていた。またこの頃には、大丸の後を追う様に次々と日系百貨店が銅鑼湾地域に出店し、売上を競っていた。
- 1990年代に入ると、銅鑼湾では家賃高騰が続いた。その為記利佐治街の店舗の存続は断念し、スーパー部門だけを残した[28]。
- スーパー部門は引き続き人気があったが、家賃高騰が続いた上に、1997年のアジア通貨危機の影響で香港の景気も低迷して業績も悪化した結果、これ以上の経営は困難と判断され、1998年6月25日に年内閉店を発表した。発表は、香港住民に衝撃を与え、閉店を惜しむ声が数多く寄せられたほか、12月31日の閉店日には、38年の間愛されてきた老舗の撤退に際して、現地テレビ局は特集番組を放送した。
- 跡地には他のテナントが入居したが、2012年からは、銅鑼湾店舗跡にイオンストアーズ香港が「マックスバリュ・プライム」を出店している。ミニバスの行き先は、現在も「大丸(DAIMARU)」のままであり、今も銅鑼湾に大丸があった事を伝える存在となっている。
- 建台大丸百貨公司
- 台湾「建台水泥」(チェンタイ・セメント)100%出資会社で、大丸とはノウハウの提供とブランドだけの提携だった。
- タイ大丸 現地法人:Thai Daimaru Co., Ltd.
- 1964年 創業。首都バンコックの中心地ラーマ4世通り・ラーチャダムリに1号店を開店。
- 1980年 プラカノン支店開店。バンコク・スカイトレインの新駅ができる前提で出店したが、建設が20年遅れ、同地は日本人があまり訪れることない下町エリアだったため、ネイバーフッド型スーパー・マーケットとして運営することになった。
- 1980年代 タイは高度成長期に入り、1983年の ロビンソン百貨店を皮切りに外資系が続々進出した。日系もアマリンそごう(1984年)、MBK東急百貨店(1985年)ジャスコ・ラチャダー店(1985年)、そして1992年、大丸ラチャダムリ本店向いにはセントラル・ワールドが建設され伊勢丹が進出。1995年までに36の百貨店が開店した。
- 1997年 アジア通貨危機により、タイの財閥大手が、チェーン店経営から手を引いたため、テスコ(イギリス)、ビッグC(イギリス)、カルフール(フランス)は本国主導に変り、市場構造が激変することになった[30]。大丸はリストラの一環として自社所有株式の25%をタイ地場資本プレミアグループに売却。プラカノン支店を閉店(跡地には高級マンション「ホープランド・エグゼクティブ・レシデンス・スクンビット46」が建設された)。
- 1998年 ラチャダムリ本店を閉鎖し、郊外移転(旧店跡地にはビッグCが開店)。
- シーナカリン通り沿線ショッピングモール「セーリー・センター」にオ・プランタン(フランス)と共に入居。すぐ隣に「シーコンスクエアー」も建設され、こちらにはロビンソンとテスコが入居。結果としてシーコンスクエアーの圧勝。オ・プランタンはすぐに撤退し、大丸も1999年閉店することになった。
- 同地は、旧店のあった市街地から遠く、従来から利用していた日本人街の住民が日常使用するには不便な場所となっていた。セーリー・センターのデベロッパーも、MBKとサイアム・ピワットに買収され2010年パラダイスパークとなった。現在ここには、日系企業としてはロフト、ダイソー、大戸屋、やよい軒、CoCo壱番屋、8番らーめん、ミスタードーナツ等が出店している。
- 大丸シンガポール 現地法人:Daimaru Singapore Pte Ltd.
- 1987年リャンコート店を開店。スーパーマーケットを含む3店舗を展開した。2003年閉店。
- シンガポールには日系百貨店が続々進出した。伊勢丹(1972年)、ヤオハン(1974年)、三越(1977年)、名鉄百貨店(1984年)、高島屋(1995年)、そごう(1986年)、東急百貨店(1987年)、西友(1995年)その中でも後発の大丸には日本の食料品(弁当・惣菜を含む)や書籍が充実しており、日本人ビジネスマンに支持されていたが、MRT路線から外れた不便な場所だったのが敗因。
- 大丸オーストラリア 現地法人:Daimaru Australia Ltd.
- メルボルン市の都市再開発計画に沿って、クマガイオーストラリア PTY.リミテッドが開発・建設した巨大ショッピングセンターに出店。対象顧客はオーストラリア人で、日本人観光客や駐在員ではなかったため、欧米流のマーチャンダイジングを行い、オーストラリアで一番のサービスを行う店との評価も高かった。
- しかし、オーストラリアで消費税が導入されたことにより消費が低迷、郊外型ショッピングセンターの台頭により売上が減少したことに加え、資本金の50%を出資していたクマガイ側が事業から撤退を決めたため会社清算することになった。
- 「先義後利」という哲学をオーストラリアに持ち込んで実現した大丸の閉店は現地で非常に惜しまれ、閉店セールには開店時以上の人でごった返した。
- ゴールド・コースト店 1998年9月開店。2002年1月閉店。8,324㎡。
- 100%子会社だが「大丸オーストラリア・リテイル」という別会社。仕入れをメルボルン店に依存していたため、本店より先に閉店セールを実施。予想を超える客が殺到したため、予定より1ヶ月早く売りつくし閉店した[31][32]。
- 大丸フランス - パリ17区のパレ・デ・コングレ・ド・パリ内に出店。1998年撤退。
セントラル・バイイング・システム[編集]
セントラル・バイイング・システムとは本部集中仕入れのこと。
本来、日本の百貨店は、チェーンストアではないので中央仕入れは行わないものとされていたが、大丸には名古屋店に進出した江戸時代から、既にこの思想が存在した。
「正札現金掛け値なし」の一物一価制を実現するため、1729年 (享保14年) 京都 柳馬場綾小路に「仕入れ店」を置いたのがその始まり。呉服の生産地である丹後や桐生に担当者を常駐させ「本社集中仕入れ=セントラル・バイイング」を行う一方、販売にあたっては、「顧客目線=ダイレクト・マーケティング」もした。それこそが「先義後利」思想に基づく商売のあり方と創業者下村は考えて具体化していたのだった。 [33] 1970 - 80年代、総合スーパーの台頭に対応して、大丸の出店していない地方の百貨店との連携も模索。即ち 中央仕入れ機構「大丸・松坂屋CBS(Central Buying System)グループ」[34] で、1970年1月20日 以下の10社のグループが加盟。 トロージャン他大丸商品の供給、中元歳暮期のバーゲンセール及びギフトの共同企画・配送、商品券「ショピングボンド」等の相互利用を実施した。
- 中三(五所川原、弘前)※1994年 ジャスコ(現.イオン)と提携。
- 十字屋(山形、仙台、足利、千葉、木更津、館山、銚子、藤沢)※1982年 ダイエーと提携。
- 清水屋(酒田)※1994年 中合と合併。
- 大和(新潟、長岡、上越、富山、高岡、金沢)
- 山陽百貨店(姫路)※2007年 DIAグループ。
- 天満屋(岡山、倉敷、福山、広島)※伊勢丹A・D・O重複加盟。
- 大牟田松屋 ※2004年 経営破綻のため閉店。
- 岡政 ※後の長崎大丸。
- 山形屋(鹿児島、宮崎、沖縄)※伊勢丹A・D・O重複加盟。
1990年代に日本百貨店協会の「全国百貨店共通商品券」が登場し、「ショピングボンド」は廃止。
また、加盟店の中にはスーパーの傘下になるものが出てきたため、地方百貨店とのネットワークは消滅した。
しかし、松坂屋との提携は更に深化し、J.フロントリテイリンググループを形成するに至った。
なお、上記グループのほか、以下のようなスポット提携もあった。
1962年 小田急百貨店(新宿)との商品券の相互利用。
1994年 三越と配送業務提携。東京地区を三越、大阪地区を大丸が担当。翌1995年には三越と商品提携を行い、相互の商品が各店店頭に並べられた。
出店を断念した店舗(店名は仮称)[編集]
- 浜松店
- 静岡県浜松市にあった松菱百貨店跡地の再開発で、地元不動産業者のアサヒコーポレーション・浜松市・大丸の三者で出店基本協定を締結。営業面積約34,000m²、地下4階地上9階建の規模で2010年開店予定であった。その後、多量の地下水による難工事を理由に開店の一年延期を発表。だが実際は、一部の地権者が交渉を強硬に拒否し着工の見通しが立たないのが理由であり、後日一部マスメディアでも報道された。これにより大丸は基本合意を解除した。浜松市長も2008年9月の市議会答弁に於いて用地取得の難航を認め、2011年秋の開店は不可能という見解を示した[35]。その後、急激な景気後退による消費不振が表面化する中、2009年1月26日、大丸側も正式に出店断念を発表した[36]。
- 広島店
関連会社[編集]
- ピーコックストア(旧大丸ピーコック。後に持株会社傘下からイオングループ傘下となり、現在はイオンマーケットとなった。)
- 大丸興業
- ダイコー(大丸興業の釣具ブランド。1993年に分社化したが、2003年に大丸興業に吸収。)
- J.フロント建装
- ディンプル(人材派遣業)
- 大丸情報センター
- 大丸ホームショッピング
- 八重洲地下街
大丸出身の著名人[編集]
野球部[編集]
- 保井浩一 : 一塁手(1950年東急フライヤーズ)
- 秋本祐作 : 投手(1956年阪急ブレーブス→広島東洋カープ→読売ジャイアンツ)
- 森本達幸 : 投手(1957年奈良県立郡山高等学校監督)
- 足立光宏 : 投手(1959年阪急ブレーブス)
- 小林繁 : 投手(1971年読売ジャイアンツドラフト6位→阪神タイガース)
- 小田真也 : 投手(1981年西武ライオンズドラフト3位)
- 矢野実 : 投手(1981年南海ホークスドラフト3位→オリックス・ブルーウェーブ→福岡ダイエーホークス)
- 岩切英司 : 捕手(1983年阪神タイガースドラフト6位→福岡ダイエーホークス)
- 蒲谷良充
- 坂東利則
- 溝部武夫
競泳部[編集]
- 古川勝(第16回夏季オリンピックメルボルン大会金メダリスト)
- 後藤忠治(現:セントラルスポーツ社長、第18回夏季オリンピック東京大会出場)
その他[編集]
も参照
提供番組[編集]
現在[編集]
- テレビ
過去[編集]
- テレビ
- 大阪テレビ放送
- 「大丸ミュージカル・ショーウインドー (テレビ番組)」(スタジオバラエティ) 1956-1957年 製作 OTV
- 日本教育テレビ・毎日放送
- 「大丸ピーコック劇場」(アニメ) 1963-1966年 製作 NET/東映動画
- ・宇宙パトロールホッパ・ハッスルパンチ・海賊王子
- 後継「大丸名作劇場」(ドラマ)1966-1968年 製作MBS
- TBS「もしもしスタジオ」1972年4月- 1976年3月 バラエティ
- 朝日放送「ワイドショー・プラスα」→「バラエティワイド こんな時α」・関西ローカル。西日本地域を中心にネット受けしたTBS(1975年3月28日まで)・テレビ朝日(1975年3月31日以降)系列局(名古屋テレビ放送・中国放送→広島ホームテレビ・RKB毎日放送→九州朝日放送等)は放送地域の地元企業・商店を中心とした別のスポンサーがついていた。
- ラジオ
- 朝日放送 「ABCディスカバー・サタデー フレンドリー大丸」1972年・大丸サタデースペシャル
- 京都放送「アクションヤング大丸」 京都店屋上で公開録音。
- ラジオ関西「神戸発日曜午後一時」
- ラジオ関東「大丸ミュージックスクエア」町田店、八王子大丸屋上で公開録音 ほか
- 文化放送「ミュージックスクエア 歌の百貨店」
脚注[編集]
- ↑ 株式の譲渡については無限責任社員(出資者全7人)の同意を必要としたので、下村一族や従業員以外に株式が流れる心配はなかった。
- ↑ 梅田店では改装工事のため一時販売を行っていなかったが、2011年3月5日より販売を再開している。
- ↑ 朝日日本歴史人物事典・大丸二百五拾年史
- ↑ 呉服店もの語り
- ↑ 風呂敷の歴史 八王子織物史
- ↑ 社名雑学
- ↑ 1960年代の日本製プレタポルテ
- ↑ 「流通機能と小売業界の現状」藤川直樹
- ↑ Fashion Street クリスチャン・ディオール
- ↑ クリスチャン・ディオールのショップ
- ↑ TROJAN トロージャン おかげさまで50周年
- ↑ 大丸Facebook TROJAN HISTORY
- ↑ 。御堂筋の大丸心斎橋店の歴史
- ↑ 岸和田市観光振興協会公式サイト「岸ぶら」2012/04/25
- ↑ 新選組&幕末 ばんざい!!
- ↑ KOBE MARKS 神戸市内の建築物データベース, 神戸新聞 1997/3/3,他
- ↑ 鉄道会館沿革
- ↑ 拝啓井門義博です大丸OB会
- ↑ この成功を受け、同様の合理化は他店舗でも行われることとなった。
- ↑ () 鳥取大丸 鳥取大丸 [ arch. ] 2012-4-29
- ↑ 倉持裕彌 () 倉持裕彌 [ 調査研究報告 地域生活空間 鳥取市の中心市街地商店街活性化に関する考察―社会構造の変化を踏まえて― ] TORCレポート No.26 2005 とっとり地域連携・総合研究センター
- ↑ (2011-7-9) [ J.フロント リテイリング Annual Review 2011 ] J.フロント リテイリング 2011-7-9
- ↑ (2000) [ 国土審議会調査改革部会 第4回国際連携・持続的発展基盤小委員会配付資料 人口減少下での活力ある地域社会と二層の広域圏形成に資する国土基盤の現状と課題(資料編) ] 国土審議会調査改革部会 2000
- ↑ 日本食糧新聞
- ↑ (2012-06-25) 大丸新長田店:来年1月末で閉店 毎日jp 毎日新聞社 [ arch. ] 2012-06-25
- ↑ エフ・ジェイ ホテルズ プレスリリース 2013年03月04日
- ↑ 日興リサーチセンター「香港―経済・産業・主贅企業の概要」1993年12月 http://www.wako.ac.jp/souken/touzai95/tz9504hyo2.html
- ↑ ウィキペディア中国語版からの抜粋翻訳
- ↑ 台湾通信 2012.08.20
- ↑ 欧州企業のタイ流通・小売市場参入
- ↑ 大丸オーストラリア事業の撤退に関するお知らせ2001/9/25
- ↑ 大丸の海外事業 - 関西学院大学 経営戦略研究科
- ↑ 奥田務 私の経営
- ↑ 教育社新書 産業界シリーズ「百貨店業界」、中元歳暮期カタログ他 J.フロントリテイリング・グループ広報
- ↑ 2008年9月13日付日本経済新聞紙面より
- ↑ J.フロント リテイリング株式会社の2009年1月26日付プレスリリース「浜松市鍛冶町地区再生事業への出店の断念について」より
関連項目[編集]
- 大丸ヴィラ(迎賓館)
- 阪神タイガース(日本シリーズ優勝の際は、こちらで優勝セールを行う)
- 大和(石川県・富山県を地盤とする地方百貨店。創業時は大丸との提携により「宮市大丸」を名乗っており、旧社紋は大丸旧社紋の丸を加賀藩主前田氏家紋の梅の形に置き換えた物を使用。経営統合前の大丸の株主でもあり、現在もJフロントリテイリングの株主。)
- デッチーくん 元は京都店のマスコットキャラクター。大丸松坂屋百貨店の発足後は、松坂屋上野店のマスコットであった「さくらパンダ」とともに、同社のイメージキャラクターとなった。長崎大丸のキャラクターであった「政どん(現:でっちー)」も、デッチーくんとほぼ同じ造形である。
- 中田ダイマル
- 毎日放送(設立当初からの大株主。ただし、現在は株主から離れている)
- 礒村春
- ディーズファッション専門学校