三億円事件

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1968年12月10日夕刊1面(右)と12月22日朝刊社会面

三億円事件(さんおくえんじけん)は、東京都府中市1968年12月10日に発生した、窃盗事件である。三億円強奪事件ともいわれる。

事件の経緯[編集]

1968年昭和43年)12月6日日本信託銀行(後の三菱UFJ信託銀行)国分寺支店長宛に脅迫状が届く。翌7日午後5時までに指定の場所に300万を女性行員に持ってこさせないと、支店長宅を爆破するというものであった。当日、警官約50名が指定の場所に張り込んだが、犯人は現れなかった。

4日後、12月10日午前9時30分頃、日本信託銀行国分寺支店(現存せず)から東京芝浦電気(現・東芝府中工場へ、工場従業員のボーナス約3億円(正確には2億9430万7500円)分が入ったジュラルミンのトランク3個を輸送中の現金輸送車セドリック)が、府中刑務所裏の府中市栄町、学園通りと通称される通りに差し掛かった。

そこへ警官に変装して擬装白バイに乗った犯人が、バイクを隠していたと思われるカバーを引っ掛けた状態のまま輸送車を追いかけ、輸送車の前を塞ぐようにして停車した。現金輸送車の運転手が窓を開け「どうしたのか」と聞くと、「貴方の銀行の巣鴨支店長宅が爆破され、この輸送車にもダイナマイトが仕掛けられているという連絡があったので調べさせてくれ」と言って輸送車の車体下回りを捜索し始めた。

4日前に支店長宅を爆破する旨の脅迫状が送り付けられていた事実があり、その場の雰囲気に銀行員たちは呑まれていた。犯人は、輸送車の車体下に潜り込み爆弾を捜すふりをして、隠し持っていた発煙筒に点火。「爆発するぞ! 早く逃げろ!」と銀行員を避難させた直後に輸送車を運転し、白バイをその場に残したまま逃走した。この時銀行員は、警察官(犯人)が爆弾から遠ざけるために輸送車を退避させたと勘違いし、「勇敢な人だ」と思ったという。しかし、路上に残った発煙筒が自然鎮火したのちバイクに詳しい輸送車運転手が残された白バイが偽物と判断できたことから偽警察官による現金強奪事件が早くも判明した。

9時50分に伊豆小笠原を除く東京都全域に緊急配備が敷かれた。奇しくも、この日は毎年恒例の歳末特別警戒の初日であった。警察は要所要所で検問を実施したが、当初は車の乗換えを想定していなかった事もあり、当日中に犯人を捕まえることができなかった。

被害金額約3億円(2億9430万7500円)は現金強奪事件としては当時の最高金額であった。その後の現金強奪事件では金額こそ三億円事件よりも強奪金額が多い事件があるが、1968年当時の3億円は現在の貨幣価値に直すと約10億円にあたり、貨幣価値においては現金強奪事件としては最高クラスである。

捜査には7年間で9億円以上が投じられ、過労によって殉職者を2名も出した。

三億円強奪事件ともいわれているが、事件のあった日本において、本件犯行は強盗罪には該当せず、窃盗罪となる。

1975年(昭和50年)12月10日、公訴時効が成立(時効期間7年)。1988年(昭和63年)12月10日、民事時効成立(時効期間20年)。日本犯罪史に名前を残す未解決事件となった。

多摩農協脅迫事件[編集]

三億円事件が起こる前、1968年4月25日から1968年8月22日まで多摩農協へ現金要求や放火予告や爆弾予告をする脅迫が脅迫状・脅迫電話・壁新聞投げ込みで計9回発生した。

この事件は脅迫日が東芝の給料日だったこと、脅迫状の筆跡が12月6日に送られた日本信託銀行への脅迫状の筆跡と同一とされたことから多摩農協脅迫事件と日本信託銀行脅迫事件と三億円強奪事件の三事件が同一犯によるものとされた。

6月25日に多摩農協を脅迫する文章の中では「よこすかせんはひきょうもん」という文言が入った脅迫状を送っている。「よこすかせん」とは脅迫状を送る9日前の6月16日国鉄横須賀線大船駅で発生した横須賀線電車爆破事件について触れたと言われている(脅迫状作成当時は横須賀線電車爆破事件の犯人は不明だったが、三億円事件発生1か月前の11月9日に犯人が逮捕され、三億円事件の公訴時効直前の1975年12月5日に死刑執行された)。

遺留品[編集]

犯人が残した遺留品が120点もあったため、犯人検挙について当初は楽観ムードであった。ところが、遺留品は盗難品や一般に大量に出回っているものであったため犯人を特定する証拠とはならず、大量生産時代の弊害に突き当たってしまった。犯人の主な遺留品は以下の通り。

第一現場[編集]

府中市栄町3-4の府中刑務所北の学園通り、府中刑務所裏。三億円強奪事件が起きた路上。遺留品には偽白バイが残った。

ヤマハスポーツ350R1
偽白バイ。盗難日は1968年11月19日から20日。当時の警視庁で使用されていた白バイの機種はホンダであり、ヤマハの白バイは存在しなかった。元の色は青。試運転で本番までに428キロ走られている。ハンドルやサドルには間違って塗装した部分をベンジンで拭いたと思われる痕跡が残されていた。
ハンチング帽
大阪市東成区の中央帽子製。第1現場で偽白バイが事件現場まで引きずっていったボディカバーの中から発見されたことから、犯人のものと考えられている。汗を検出すれば、少なくとも実行犯の血液型を特定できたが、楽観ムードによるものからか、鑑定に出す前に刑事同士で交互に被ることで鑑定不能にするミスを犯していた。ハンチング帽は54個が出庫され、36個は所在が判明。残り18個は立川市の帽子小売店が市内の安値市で販売していたが、誰に売ったかまでは特定できなかった。
メガホン
兵庫県宝塚市の東亜特殊電機製。偽白バイの広報用スピーカーに見せかけるために偽白バイに取付けられていたメガホン。製造番号から5台が出回っていることが分かり、4台まで所在を確かめた。残る1台は東村山市の工事現場で盗難に遭っており、この最後の1台が犯行に使用された物と思われる。
クッキー缶
偽白バイの書類箱に見せかけるためのクッキー缶。書類箱はカーショップでも発売されているのに、かなり異なるクッキー缶を使用した上にガムテープで取り付けるという改造方法だったことから、お粗末な白バイ改造とされた。そのため、犯人は白バイにかなり詳しい人物ではなく、素人でも改造できるレベルであることの根拠の一つとされた。クッキー缶のメーカーは明治商事だったが、3万個が流通していたために購入者を追及することを断念した。またクッキー缶を利用したことから、犯人の甘党説が浮上した。
発炎筒
脅迫をする際にダイナマイトに見せかけた発炎筒。発炎筒は横浜市保土ヶ谷区日本カーリット保土ヶ谷工場製が製造した「ハイフレイヤー5」で、ガソリンスタンド等を中心に4190本売られていた。発炎筒に巻かれていた紙はNHKの「電波科学」昭和43年7月号の付録であるテレビ回路図だった。
磁石
発煙筒を現金輸送車にくっつけるためのマグネットキャッチと呼ばれる磁石を2枚に分解したもの。発煙筒には銅線で巻きつけられていたが、鉄線と比較して磁力が弱かったため、本番では磁力が働かずに発煙筒は現金輸送車にくっつかずに地上に落下してしまった。大平製作所が製造し、4万3240個が流通していた。
新聞紙
メガホンは、白ペンキで2度塗装されていた。捜査に行き詰まっていたある日、上の塗装がはがれた部分に4mmほどの新聞紙の紙片が付着しているのを発見。地道に新聞紙を調べたところ、1968年12月6日の産経新聞13版11面朝刊婦人欄の「食品情報」という見出しの「品」の字の右下部分の一部であることが判明した。紙片の分析の結果、紙は愛媛県伊予三島市大王製紙の工場で作られた物と判明。なお一部情報で「インクの具合、印刷状況から輪転機を特定し、その新聞が配達されたのが三多摩地区であることまで絞り込めた」という報道がなされたが間違いである。
配部数は13,485部、販売所数は12か所。住民の転出入が激しかったことや、新聞を購読する家が頻繁に変わっていたことから捜査は難航し、2年掛かりでやっと販売所を特定できたが、時すでに遅く配達先の住所録は処分された後であり、この方面での捜査は徒労に終わった。

第二現場[編集]

国分寺市西元町3-26の国分寺史跡七重の塔近くの本多家墓地の入口、武蔵国分寺跡のクヌギ林。現金輸送車のセドリックが乗り捨てられていた場所。遺留品にはセドリックが残った。事件直前に第二現場で濃紺のカローラが目撃されていたことから、犯人はここで、濃紺のカローラに乗り換えたと思われた。逃走車の乗換えを想定していなかったことが、初動捜査で犯人を捕まえられなかった遠因となった。

第三現場[編集]

府中市栄町、明星高校近くの空地。犯行前に偽白バイをカバーで覆って停めていた場所。

レインコート
濃紺のレインコート。蛙脱ぎ(裏返しながら脱ぐことの通称)した状態のままで残されていた。
事件翌日に公開されたが、一般層からの反応がほとんどなかった。レインコートを製造した会社は1958年時点で倒産しており、レインコートは10年以上前に製造されたものであった。
この遺留品は様々な情報が錯綜し、すぐに粗末に扱われた。重要な遺留品と認定されたのは事件から3年後のことで、レインコートにはソデ裏にアイロンがかけられた跡があり、また内エリに「クリーニング」のタグの跡を示す白い糸があった。しかし、捜査が遅れたためにこれ以上の発見はなかった。
第1カローラ
緑色のカローラ「多摩5め3863」。府中市栄町2-12の空き地で発見。盗難日は11月30日から12月1日。半ドアでワイパーは動いたまま、窓は開けっ放しであった。

第四現場[編集]

小金井市本町、団地駐車場。第二現場で乗り換えたカローラが、乗り捨てられていた場所。事件から4か月後に判明。遺留品にはカローラと空のジュラルミンケースが残った。現金抜き取り場所がこの現場である可能性が高いが、団地駐車場という人目につきやすい場所であるため現金抜き取り場所は別の現場であるという異説もある。しかし団地内の他車も捜査したところ別件の盗難車が複数台発見され、(現金抜き取りにせよ車両放棄にせよ)団地内では他人への関心が薄いことを突いたとする犯人象を補強した。

第2カローラ
現金を奪った犯人が、現金輸送車から乗り換えた濃紺のカローラ。ナンバー(多摩5ろ3519)から「多摩五郎」のコードネームがつけられた。事件直前に第二現場で目撃されており、事件直後にこの情報を知った警察はこの車の行方を追っていた。車は盗難されたシートカバーで覆われていたため発覚しにくかった。事件から4ヵ月後、小金井市本町4-8の本町住宅B1号の西の空き地で発見された。残された車の中には、空のジュラルミンケースが入っていたことから、犯行に使われたことが特定された。なお、「第2カローラ」は自衛隊の航空写真より事件翌日から団地駐車場に存在したことが判明している。
ケースの泥
ジュラルミンケースに付着していた泥を精密検査した結果、警視庁科学検査所の鑑定では現場から4km離れた国分寺市恋ヶ窪の雑木林の土壌と、農林省林業試験場の鑑定では第二現場の土壌が近似していると分析した。この為恋ケ窪付近にアジトがあると見て、徹底的に捜索したが成果は出なかった。
ホンダドリーム
1968年11月9日に盗まれたバイク。白バイの車種であるため、犯人は当初このバイクを偽白バイに改造しようとしたと思われる。盗難後の走行距離が60キロと短いが、このバイクは持ち主によると盗難前からノッキングしやすい不具合があった。犯人は試運転でその不具合に気づいたため、白バイを別のバイクで改造したと推理された。
3台の盗難車
第2カローラ以外にも盗まれて小金井市の団地に放置された盗難車が3台(プリンススカイライン2000GTブルーバード・プリンススカイライン1500)存在した。車は盗難されたシートカバーで覆われていたため発覚しにくかった。1971年(昭和46年)、工学者の額田巌は、警察の依頼で遺留品の鑑定を行い、2台のカバーシーツの紐結びを比較した。その結び方が異なるため、ブルーバードを盗んだのも三億円事件の犯人だとすれば、この事件は複数犯であると結論している。
ギャンブル関連品
盗難車プリンススカイライン2000GTの中に競馬専門誌2部とスポーツ紙、府中の東京競馬場近くの喫茶店のマッチ、平和島競艇のチラシ。車の持ち主の身に覚えの無い物から、盗難犯の所持していたものとされた。そのため、犯人としてギャンブル愛好家説が浮上した。
女性物のイヤリング
プリンススカイライン1500の中から女性物のイヤリング。車の持ち主の身に覚えの無い物から、盗難犯の所持していたものとされた。犯人グループに女性の存在が浮上した。

脅迫状[編集]

銀行に送りつけられていた脅迫状の切手に唾液の痕跡があり、痕跡からB型の血液型が検出されている。また、脅迫状は雑誌の切り貼りで文字を作っていたが、その雑誌が発炎筒の巻紙に使われた雑誌と完全一致したことから、脅迫状を送った犯人と現金強奪犯が同じであることが明らかになった。

多摩農協脅迫事件と日本信託銀行脅迫事件の両事件で送られてきた脅迫状の文面の特徴として以下の特徴があった。

  • 「ウンテンシャ」「イマ一度の機会」など特定の業種が使う言葉を使用。
  • 語句と語句の間を分ける「分かち書き」の使用。
  • 強調点に「●―●―●」という記号の使用。
  • 「オレタチ」「我々」などの複数犯を思わせる記述。
  • 「コン柱オキバ」など電話関係者の業界用語の使用。
  • 多摩農協職員の車のナンバーを特定している記述。

2つの雑誌[編集]

脅迫状と発煙筒には「電波科学」と「近代映画」という2つの雑誌が使われていた。捜査機関は2つの雑誌の読者の性向を絞って犯人を捜査。しかし、「電波科学」はテレビ配線図などを機械改造を望むマニアックな理系読者、「近代映画」は芸能情報を望むミーハーな文系読者、2つの雑誌の読者の性向は両極端であり、これらの雑誌を置いている書店に聞き込みをしても、2つの雑誌を併読している読者は皆無であった。その後の捜査で「電波科学」の読者にとって一番重要だった「配線図」のページが犯行に使用されていたことから、本来の読者であれば違うページを使用したと推理し、捜査撹乱のために全く不作為に2冊の雑誌を購入して犯行に使用しただけと結論を出して捜査を打ち切った。

実行犯に関する目撃証言[編集]

事件の少し前に偽白バイに関する目撃証言が集まっている。11月下旬朝8時頃に府中市の市道を運転された青いバイク、12月1日深夜に京王線高幡不動駅近くで一方通行の逆向きに停車された青いバイクが目撃され、二つとも4桁のナンバーが盗難白バイと同じであった。また12月9日午後8時40分には府中市の交差点で不自然なスピードで走行をする本物よりシートが高い白バイとのすれ違いに関する目撃証言がある。

現金強奪前の第三現場ではシートを被せられた白バイの目撃証言が寄せられた。現金強奪10分前の9時20分には何かを狙うように待機する白バイの姿が自宅にいた主婦に目撃されている。また現金強奪30分間前の9時頃に日本信託銀行国分寺支店から50メートル離れた空き地で銀行の出入りを窺う不審なレインコートの男を目撃した人物が4人いる。4人の目撃者によるといずれも身長165センチから170センチで30代くらいの男である。

直接の現金強奪の犯行現場となった第一現場では4人の銀行員の他に府中刑務所の職員、近くにいた航空自衛隊員。しかし、これらの目撃者の証言は曖昧だったり勘違いだったりすることもあった。

また、第二現場付近では泥水を車に跳ねられた通行人の主婦がすぐに車のナンバーを控えたところ、盗難された現金輸送車のセドリックだったことが判明している。

国分寺市の造園業者の親子が運転中に乱暴な濃紺カローラとすんでのところで接触事故になりかけ、猛スピードで国分寺街道方面に消えていった。造園業親子は若い無帽で長髪の男で助手席は無人で黒っぽい服を着ていたのを目撃。ジュラルミンケースは見ておらず、車のナンバーを見ていないが、挙動不審な運転や濃紺という目撃証言から、犯人が乗ったカローラ「多摩五郎」であることが確実視されている。

杉並区内の検問所で“銀色のトランクを積んだ灰色ライトバン”を捕捉したが突破された。これが最後に目撃された犯人の姿といわれる。

捜査[編集]

モンタージュ写真による捜査[編集]

12月21日モンタージュ写真が公表された。しかし、事件直後に容疑者として浮上した人物(後述の立川グループの少年S)の顔を見た銀行員4人が犯人に似ていると答えたことを根拠として、Sに酷似した事件発生1年前に事故死した人物(写真撮影時は19歳)の写真を遺族に無断で用いたものであり、通常のモンタージュ写真のように顔のパーツを部分的につなげた物ではなかった。本来“このような顔”であるべきモンタージュ写真を“犯人の本当の顔”と思い込んだ人が多く、そのために犯人を取り逃がしたのではないかという説もある。

結局、捜査本部は1971年に「犯人はモンタージュ写真に似ていなくてよい」と方針を転換、モンタージュ写真も1974年に正式に破棄されている。しかしその後も各種書籍物でこのモンタージュ写真が使用されており、犯人像に対する誤解を生む要因となっている。

容疑者リストに載ったのは実に11万人、捜査した警官延べ17万人という空前の捜査だったが結局、犯人を検挙できずに事件は時効を迎えた。

このモンタージュのモデルになった人物は調布市のブロック工事会社社長。写真は18歳のときのもので、酔ってケンカをした際ナイフを所持していたため「銃刀法違反」の逮捕歴があった。男性は三億円事件の1年前の1967年4月8日に埼玉県朝霞市内の工事現場で突然崩れ落ちてきたブロックの下敷きになり、28歳で死亡した。

ローラー作戦[編集]

事件現場となった三多摩地区には当時学生が多く住んでいたことから、一帯にアパートローラー(全室への無差別聞き込み)を掛けた。 警察において被疑者とされた者の数は十数万人に及んだ。事件現場前にある都立府中高校に在籍した高田純次布施明の名前もあった。もっとも、二人とも事件とは無関係であることが後に判明した。

その他の捜査[編集]

通常の事件と同様に遺留品などから検出された指紋の照合も行われていた。しかし、上記の通り遺留品はどれも大量生産されていたものだった影響から照合する指紋の量が多すぎたことや、指紋の照合を担当した捜査員がわずか3人と少数だったため大した効果は得られなかった。

また、指紋捜査員には残された白バイに付着している指紋が犯人のものでないかという考えがあった。白バイに扮装させるためバイクには白いペンキが塗られており、ここについている指紋が犯人のものである可能性が高かった。なぜならばここに指紋が付くということはバイクを改造してから触ったことを示しており、その可能性があるのは犯人以外に製作者、犯人グループもしくは極親しい人、事件の被害者くらいだからだ。白バイに改造されたバイクを盗むことは考えづらく事件に使用するために作った可能性が非常に高い。そのバイクを事件まで仲間以外に接触させることも考えづらい。その結果、事件後に触った人以外の指紋は犯人もしくは犯人と親しい人物であると考えられる。

これらのことから指紋捜査員は「白バイに付着した指紋だけに絞って調査を進めてはどうか」と提案した。それは、上記の通り指紋の照合は非常に難航しており、膨大な量の指紋を前にして苦労を重ねていたからである。しかし刑事側、特に平塚八兵衛から「その指紋が犯人のものであると断定できるのか?」と強く責められ、塚本らも自信を持って主張することができず、結局は膨大な指紋を照合することとなった。

現在では重要視される指紋照合も当時はあまり期待されていなかった。加えて当時は刑事と捜査員との力関係に大変な差があり白バイの指紋に注力することはできず、これまでの犯人や怪しい人物の指紋と照合するという刑事の推理主導で作業が進められていった。時代背景を考えれば仕方のないことだが数々の経験を積み重ねた結果、逆に後年起こる有楽町三億円事件では指紋が犯人逮捕の決め手となった。

警察は事件当時に盗まれた3億円のうち番号がわかっていた500円札2000枚分(100万円分)のナンバーを公表した。この番号の札は1枚も出回ることはなかったが、犯人が強奪した現金を使えなくすることによって犯人の利益を一部無くすことができたとする一方、犯人が紙幣使用を控えたとされて犯人の検挙を一層困難にした。

本事件による被害とその影響[編集]

盗まれた3億円は、日本の保険会社が支払った保険金により補填された。その保険会社もまた再保険(日本以外の保険会社によるシンジケート)に出再していたので損害の補填をうけ、日本企業の損失はなかった。そのため、事件の翌日には社員にボーナスが支給された。また、再保険により得られた外貨保険金が外貨準備高の増加に寄与し、日銀も恩恵を受けたため、財政的にも棚ぼたの利益をもたらしたという。このように史上例を見ない金額の事件だったにも関わらず、実質的に国内で損をした者は1人もいないとされている(ただし、保険料金の値上げなど長期的な経済被害は存在する。またマスコミの報道によって大きな被害を受けた人物(後述の運転手)が存在する)。このことと、犯人が暴力に訴えず計略だけで強奪に成功していること及び被害金額2億9430万7500円の語呂から、“憎しみのない強盗”のあだ名もある。

一方、この事件以来、日本では多額の現金輸送の危険性が考慮されるようになり、給料等の支給について(銀行など)口座振込としたり、専門の訓練を積んだ警備員による現金輸送が増加する要因となった。特にサラリーマンの場合、給料の支給が現金での手渡しから銀行の口座振込に切り替えられたため、それまでのように父親が妻子に給料袋を見せ付けて権威を示すことができなくなり、多くの家庭で父親の権威が急速に失墜する結果を招いたともされている。

犯人像の推測[編集]

この事件の犯人については、目撃者や脅迫状の文面や遺留品から様々な犯人像が浮上した。単独犯なのか複数犯なのかも不明。

立川グループの少年[編集]

立川グループとは、当時立川市で車両窃盗を繰り返した、非行少年グループである(立川市は府中市に近い)。

少年S[編集]

立川グループのリーダー格。事件当時は19歳。

容疑理由(状況証拠)は以下の通り。

  1. 「車の三角窓を割り、ドアの鍵を開けてエンジンとスターターを直結する」という車の窃盗手口が同じ。
  2. 地元出身で土地勘があり、車やバイクの運転技術が巧み。
  3. 1968年3月に立川市のスーパーで「発炎筒をダイナマイトと見せかけた強盗事件」を起こした仲間と親しい。
  4. 父親は白バイ隊員で、白バイに関する知識が豊富。
  5. 親族以外のアリバイが不明確。
  6. 事件前に東芝や日立の現金輸送車を襲う話をしていた。

だが、以下のような反証が上げられており、単独犯の場合は犯人ではないことを示した。

  1. 血液型はA型で、脅迫状の切手のB型と異なっていた。
  2. 脅迫状の筆跡が異なっていた。
  3. 多摩農協脅迫事件のある脅迫状の投函日であった8月25日には、少年鑑別所にいた。

Sは事件5日後の1968年12月15日に自宅で父親が購入していた青酸カリで自殺。Sの自殺については、自殺するような人間ではないとの少年Sの仲間の証言や青酸カリが包まれた新聞紙には父親の指紋しかついていなかったことから疑問視する意見がある。

翌日、捜査本部は実行犯を間近で目撃した4人の銀行員たちをS宅に招き、Sの顔を面通しをさせた。4人全員がSが実行犯に「似ている」または「よく似ている」と答えたことを根拠の一つに、1968年の12月21日にSに酷似したモンタージュ写真が公開された。

後の警察の補充捜査で、4人の銀行員の目撃証言について、4人の銀行員が同室で証言させられたためにそれぞれが他の銀行員意見に引きずられやすい雰囲気の中で調書が作成されたこと等の問題点が浮上。警察はSを「シロ」と断定した。

少年Z[編集]

立川グループのメンバー。事件当時は18歳。

容疑理由は、事件後に乗用車を購入したり、会社経営をしたりと、金回りがよくなっていた事。そして、少年Sの1 - 3と同じ理由である。

だが、血液型はAB型であり、脅迫状の切手のB型とは異なっている。また筆跡も異なっていた。

警察は、公訴時効寸前の1975年に、元少年Zを最後の容疑者候補とする。1975年11月に別件の恐喝罪で逮捕するが、三億円事件の公訴時効前に釈放された。

ゲイボーイ[編集]

以下K。立川グループではないが、少年Sと交際があったゲイボーイ。事件当時は30歳前後。

Sの親族を除き、Sの事件当日に関する証言をした唯一の人物。Kの証言はSは事件日2 - 3日前から事件前日に自宅の新宿のマンションで一緒に夜を過ごし、明るくなった朝8時頃に自宅を出るのを見送ったと証言した。ただし、朝8時というのは時計を見ていたわけでなく冬における外の明るさで判断としており、雨が降っていたが傘やレインコートを貸した記憶がなかったなど、曖昧な点があった。

また、Kの証言では初めてSと会ったのは事件の20日前なのに夏(少なくとも4か月程度前)に一緒に旅行に行った時に撮影された少年Sの写真を飾っていたことなど不可解な点があった。さらに事件1年後に、外国に移住して、ゲイバーを開店したり、再び日本に戻った時には日本では自宅マンションや2軒目のマンションを購入したり、事件7年後には実家に豪邸を建てたりなど、金回りがよくなっていた。

もしKがSと共犯であれば、Sが鑑別所にいる間の脅迫書を出すこと、事件関連の30代の男に関する目撃証言や電話の声の証言、第4現場の盗難車に残されていた女性物のイヤリングにもつながる。

警察は捜査を進めるも、Kを「シロ」と断定した。Kは急に金回りがよくなった点について「外国のパトロンがついた」と述べている。

府中市の運転手[編集]

府中市に住む運転手であった容疑者は、事件当時は25歳。住まいや過去の運転手の仕事から各現場の地理に精通していること、血液型が脅迫状の切手と同じB型、タイプライターを使う能力を持っていること、友人に送った手紙が犯行声明文と文章心理が似ていること、モンタージュ写真の男と酷似していることなどから12,301人目の容疑者候補として浮上。しかし、脅迫状の筆跡が異なっており、金回りに変化がないことから、警察は慎重に捜査をすることとしていた。ところが発生から1年後の1969年12月12日に毎日新聞が本人の顔と本名をモンタージュ写真にFの顔を合成するなどして犯人視する報道を展開。このため警察が逃亡を防ぐとの名目で別件逮捕。新聞各社も「容疑者聴取へ」などと実名入りで書き立てる。ところが本人が場所を記憶違いしていたながらも事件当日に面接を受けていたアリバイが報道を見た会社の面接担当者からの連絡で証明され、完全なシロとして釈放された。しかし警察に容疑者として逮捕されただけでなく新聞各社が犯人扱いで学歴、職歴、性格、家庭環境まで事細かく暴露。このため本人は職を失い一家は離散。さらにその後も真犯人の見つからない中で「三億円事件の容疑者として逮捕された」との世間の偏見と事件に関するコメントを執拗に求めるマスコミ関係者に悩まされ職を転々とし、2008年9月に自殺した。報道による人権侵害報道被害)の最たる例であり、この月の縮刷版・当日のマイクロフィルム紙面は現在各社共封印している。

日野市三兄弟[編集]

日野市の電気工事会社を経営する三兄弟。事件当時は上から31歳・29歳・26歳。大きなガレージ風の物置がありバイクの偽装のための塗装がしやすいこと、次男がバイクマニアの不良グループに属していたこと、看板店の営業経験があり塗装技術があること、事件前に発炎筒がつけられた車を購入していたこと、兄弟の一人が事件前にハンチングを被っていたことが怪しいとされた。しかし、車の発炎筒やハンチングが事件のものと異なること、事件の4日後にお金を借りていたことなどが判明。その後、警察は日野市三兄弟を捜査するが、事件と結びつかなかった。

不動産会社社員[編集]

不動産会社社員。事件当時は32歳男性。事件前に金に困っていたが事件後に金回りがよくなったこと、東芝府中に勤務経験があること、姉が東芝府中に12年勤務していること、自動車の運転が巧みなこと、モンタージュ写真の男と酷似していることが怪しいとされた。しかし、事件当日に杉並区から横浜に車で行く途中で非常検問にひっかかったことからアリバイが出てきたこと、金回りの変化については不動産売買で1600万円を入手したことが明らかになったことから容疑者候補から外れていった。

会社役員[編集]

以下P。三億円事件から13年前の1955年に銀行員1人を仲間にしたり仲間の1人が刑事を装うなどして、千代田区にある銀行の現金輸送車を襲う計画を仲間3人と実行。この事件ではすぐに逮捕されたものの計画性や発想が三億円事件と類似するものであった。Pは出所後に刑務所の中で知り合った友人に「今度は1年がかりで大きなことをやる」と豪語、三億円事件発生後に土地や住宅や外車を購入して金回りがよくなったため、容疑者として浮上。しかし、金回りに関しては、不動産会社から合法的な資金提供を受けたことが判明した。ハワイへ移住マンション暮らしをしていたことが後にわかる。そののちハワイで病死する。

自称三億円事件犯人[編集]

時効成立後、三億円事件犯人を自称する人物が何人か登場している。

なお、当時の担当刑事によると事件の際に発炎筒が通常通り点火しなかったが、犯人は通常とは異なる手法で発炎筒を点火させていることが遺留品から判明している。またジュラルミンケースには現金・ボーナス袋のほかにある「モノ」が入っていたという。発炎筒の特殊な点火手法やジュラルミンケースにある「モノ」は一般発表されておらず、関係者と犯人しか知らない。

しかし、自称三億円事件犯人は発炎筒点火手法の詳細やトランクケースの「モノ」を正確に答えられないことから偽者と見破られている。自称三億円事件犯人の目的として「本を売って稼ぎたい」「世間から注目されたい」「詐欺のためのハクづけ」の3種類に分類される。

事件を扱った作品[編集]

小説[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

音楽[編集]

  • 府中捕物控』 ALFIE(現THE ALFEE)- レコード会社側の自主規制により未発売。アルフィーのその後を決定付けることとなる。後に作曲者の山本正之が一部異なる歌詞でセルフカヴァーした曲を発売。アルフィー自身、滅多に披露しない。ライブでは1994年の夏のイベント、テレビでは1999年1月22日の「FUN」での披露が最後である。
  • 『三億円事件の唄』 高田渡
  • 『頭脳警察1』 頭脳警察 - ジャケットに犯人のモンタージュ写真を使用。発売当時、歌詞の過激さも相まって発禁処分となった。
  • 『時効』 般若 - この楽曲が収録されているアルバム『内部告発』のジャケットは犯人のモンタージュ写真に般若自身の顔をコラージュしたデザインとなっている。

漫画[編集]

パロディ[編集]

  • 児童書
  • 漫画
    • サザエさん長谷川町子 - ノリスケが担当している作家が盗まれた原稿の内容と似ている、泥棒が入った家で三億円を発見する、マスオがつまみのイカリングでつくった数字を見て、サザエが何を考えていたか見抜くなど。当時の新聞掲載の多くの漫画でネタにされた。
    •  『バイトくんいしいひさいち - 三億円事件時効成立の日、警察署に「犯人は俺や!」と名乗る男たちが押し寄せ、さらに出版社に自称犯人が手記の持ち込みに何人も押しかけてくる。
    • こちら葛飾区亀有公園前派出所秋本治 - 12巻「ボーナスはまだか!?の巻」(1978年)。その他、7巻「ポラロイド!?の巻」(1978年)にもこの事件の犯人を匂わせる記述の人物がいる。
    • 1・2のアッホ!!コンタロウ -1巻「よみがえる日の巻」 記憶喪失になった三億円事件の犯人が、時効当日に再現ドラマ撮影で用意していた三億円を全く同じように強奪。時効で難事件から解放されるとホッとしていた三億円事件担当の刑事たちが、再び第二の三億円事件を捜査させられると知り錯乱するギャグ。他に2巻「ああ!スシ初体験の巻」で(はやく銀行に預けよう 盗まれないうちに…)と独白しつつ「三億円在中」と書いたトランクを持って白バイに乗る犯人が1カット出てくる。
    • サイボーグ009対三億円犯人』 - 001が超能力で犯人を探し出し、009が犯人の自宅に乗り込んで「その(頭脳の)力をもっといいことに使え!」と犯人にお説教する。
    • スケバン刑事和田慎二 - 麻宮サキが最初に担当したのが、この事件と同日に別の場所で起きていた一億円強奪事件。時効も同日だったが、寸前で解決した。
    • 夕焼けの歌西岸良平 - 7巻「時効」、主人公が夢をかなえるために三億円を盗み海岸近くの松林に隠す。翌日、事件の大きさに驚き使用に踏み切れず、時効後も三億円を隠したまま平凡な生活を送る。
    • 金田一少年の事件簿』 原作:金成陽三郎、漫画:さとうふみや - 「FILE 12 蝋人形城殺人事件」、蝋人形城殺人事件の犯人の恋人が三億円事件の首謀犯となっており、金目当てでその恋人を殺害した仲間達に犯人が復讐する(テレビドラマ化、アニメ化の際には、四億円事件に変更されている)。(1995年
    • アンラッキーヤングメン』 脚本:大塚英志、作画:藤原カムイ - 三億円事件の首謀者を主人公にした漫画。1968年、4人を射殺している連続射殺魔のN学生運動から逃げ出して大学を中退した映画監督志望のT、薬学部の学生で革命に情熱を燃やしつつも原爆病に侵されつつあるヨーコ、警察官の息子でゲイボーイの薫らが、Tの書いた映画脚本を現実の犯罪に仕立て上げる。
    • 東京事件大塚英志菅野博士 - 光クラブ事件の山崎晃嗣が、約3千6百万円の債務の返済のために、昭和23年から昭和43年にタイムスリップして三億円事件を犯行。そのままの紙幣では昭和23年では使えないため、かつての友人であった三島由紀夫にダイヤモンドへの換金を依頼する。
  • 映画
  • テレビドラマ
    • 時効警察』(テレビ朝日、2006年) - 第7話「主婦が裸足になる理由をみんなで考えよう!」に三億円事件をパロディ化した平成三億円事件が登場する
    • 水10!』-この子誰の子(フジテレビ、2006年) - 直接三億円事件という言葉は出ていないが、「三億円事件」を連想させる台詞が登場する
    • ゴスペラーズのビデオ・DVD『さかあがり』中に、彼らの歴史を特集した報道特別番組『20世紀日本』内でライブを収録したテープが盗まれる描写があるが、その時の手口が三億円事件のパロディ。
  • 舞台・演劇
    • 『三億円少女』(BS-TBS/アップフロントエージェンシー、2010年)
      • 脚本・演出:塩田泰造、プロデューサー:丹羽多聞アンドリウ、出演:Berryz工房 他 - 三億円事件の犯人は少女だった!?をテーマに現代にタイムスリップしてきた白バイ姿の少女をめぐる淡くて切ない恋の物語。
  • お笑い
    • サンドウィッチマン
      • ネタの一つ「不良息子と親」において、親からあれこれ言われることに嫌気がさして息子が「親父だって昔悪かったそうじゃねぇか?」と反論したら、父親が「父さんのことは関係ないだろっ!?やった悪いことといったら、3億円事件だけだ!!」と断言するくだりがある。ちなみにこれに対して息子は「悪すぎるわ!!戦後最大の強奪事件だぞ!?」と返す。

事件のモデルになったと言われた作品[編集]

  • 『血まみれの野獣』 大藪春彦 - 犯人が「東京競馬場」(この事件の現場と同じ府中市にある)に爆弾を仕掛け、擬装パトロールカーで「売上金を積んだ現金輸送車」を襲う物語。三億円事件の犯人がこの小説から着想を得ていた、という報道もあった。また大薮も重要参考人として意見聴取を受ける。

関連文献(書籍)[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]