ジンギスカン (料理)

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ジンギスカン(成吉思汗)は、主にマトン(成羊肉)やラム(仔羊肉)などの羊肉を用いた日本焼肉料理(広義には鹿肉豚肉などを用いたジンギスカンもあり、それらを「鹿ジンギスカン」「豚ジンギスカン」等と呼称することがある)。鍋料理に分類されることもあるが調理方法は鉄板料理の調理方法である。

一般的には北海道を代表する郷土料理とされる[1][2]他、岩手県遠野市[3]山形県蔵王温泉付近をはじめとする村山地方長野県[4][5]など一部地域でも盛んに食される。発祥は東京高円寺の店という説もあり[6]、現在では各地にジンギスカン料理を出す飲食店や、家庭調理用の肉・タレを販売する小売店がある。

中央部が凸型になっているジンギスカン鍋を熱して羊肉の薄切りと野菜を焼き、羊肉から出る肉汁を用いて野菜を調理しながら食す[1]。北海道の地方によっては、中央が凹型のジンギスカン鍋(円板状)を使用する場合もある。

使用する肉には、調味液漬け込み肉の「味付け肉」、冷蔵(チルド)肉の「生肉」、冷凍肉の「ロール肉」があり、一般的に「生」とは1度も冷凍されていない肉を示し、調味液に漬けたかどうかは問わない。国産の生ラムなどは、近年高級肉として扱われる場合もある。

歴史[編集]

起源については、俗説で「かつてモンゴル帝国を率いたジンギスカン(チンギス・カン)が遠征の陣中で兵士のために作らせた」と説明される場合もある[7]が、実際にはモンゴルの料理とはかけ離れている[8]。また羊肉を用いる中国料理としては清真料理に起源を持つ北京料理烤羊肉(こうようにく、kǎoyángròu)という羊肉料理があるが、これも日本で食べられているジンギスカンとは程遠い[8]。ジンギスカン料理の起源自体は現在の中華人民共和国に当たる地域にあるとされ、日本陸軍の満州(現中国東北部)への進出(1931年)などを機に、前述の烤羊肉から着想を得たものが日本人向けに改良され、現在の形となったものとみられる[8]。なお、烤羊肉は現在の北京では羊肉だけではなく牛肉も使う炙子烤肉として普及している。

料理の命名には諸説あり、源義経が北海道を経由してモンゴルに渡ってジンギスカンとなったという都市伝説(義経=ジンギスカン説)から想起したものであるとも言われている[8]。命名した人物として、東北帝国大学農科大学(北海道大学の前身)出身で、1932年満州国建国に深くかかわった駒井徳三が、1912年(大正元年)から9年間の南満州鉄道社員時代に命名したものであるとする説がある。この説は全日本司厨士協会北海道本部相談役の日吉良一が北海道開拓経営課の塩谷正作の談話(冗談)を元に『L'art Culinaire Moderne』に1961年に投稿した「蝦夷便り 成吉斯汗料理の名付け親」[9]や、駒井徳三の娘の満洲野(ますの)が1963年昭和38年)に発表したエッセイ「父とジンギスカン鍋」が根拠となっている[8]が、いずれも後の伝聞によっている。なお、偉大な英雄であるチンギス・カンの名を料理名に使うことに対し、モンゴル人の中には嫌悪感を覚える人もいる[10][11][12]

日本では明治時代から北海道で肉用を含めた綿羊の飼育が行われており、1918年大正7年)に軍隊、警察、鉄道員用制服の素材となる羊毛自給を目指す「緬羊百万頭計画」が立案され、滝川や札幌の月寒など全国5カ所に種羊場が開設された[13]。このため北海道は1924年(大正14年)の時点で全国の42.7%が飼育される最大の飼育地となっていた[14]。計画の早期実現のために羊毛のみならず羊肉をも消費させることで、農家の収入増加と、飼育頭数増加が企図され、その流れの中からジンギスカンが出現したものと考えられている[8]。しかし、当時の日本人には羊肉を食べる習慣がほとんどなく、日本で受け入れられる羊肉料理を開発する必要に迫られ、農商務省は東京女子高等師範学校(お茶の水女子大学の前身)に料理研究を委託している[15]

それらを裏付けるものとして、北海道の空知郡北村(現・岩見沢市北村)で1920年(大正9年)に北海道初の羊食会が北村飼羊組合員の間で実施されていた事、その後1924年(大正13年)に北村緬羊組合によって『羊肉料理法』のパンフレットが発行されていた事、その中に記載された「羊肉の網焼」のレシピが後の1928年(昭和2年)に糧友會の『羊肉料理講習会』で紹介される「鍋羊肉(成吉思汗鍋)」のレシピと類似していた事などが記録されている。[16][17]

「成吉斯汗鍋」(じんぎすかんなべ)という言葉が初めて掲載されたのは1926年(大正15年)の『素人に出来る支那料理』[18]で、支那(中国)在住の日本人が命名したもので「本当の名前は羊烤肉と云う回々料理」とあり、当時のものは屋外で箱火鉢や鍋に薪の火をおこし、上に金網や鉄の棒を渡して羊肉をあぶり、現地の醤油をつけて食べた「原始的な料理」としている。この説明通りであれば、当初、「鍋」は食品を加熱するためではなく、火鉢代わりに使われたことになる。1931年に満田百二が雑誌『糧友』に書いた「羊肉料理」という記事でも、羊肉網焼の別名の「成吉斯汗鍋」は、本名式には烤羊肉というと書かれていて[19]、鍋料理ではなかったことがわかる。

かつて宮内庁下総御料牧場があり、皇室などに羊肉を出荷していた千葉県成田市三里塚が発祥地とする説もある[20][21]。他にも、山形県蔵王温泉[22]岩手県遠野市[23]等がそれぞれ、上記の東京や北海道のものとは発祥を異にする、独自のものとしてのジンギスカン鍋の起源を主張している。長野県長野市信州新町での普及は、綿羊の飼育が1930年昭和5年)に始まった[4]後の1936年(昭和11年)に開催された「料理講習会」から始まる[24]。羊の臭みを減らして食べやすくするために、地元名産の信州リンゴを使用した特別なタレに羊肉を漬け込む[25]

ジンギスカン鍋が一般にまで普及したのは、第二次世界大戦後のことと言われている[8][1]。最初のジンギスカン専門店は、1936年(昭和11年)に東京都杉並区に開かれた「成吉思(じんぎす)荘」とされる[8]。北海道での営業としての最初の店は、1946年に札幌にできた精養軒である[26]

2004年10月22日には北海道遺産の一つに[27]2007年12月18日には農林水産省の主催で選定された農山漁村の郷土料理百選で北海道の郷土料理の一つに[28]選出されている。2005年頃から2006年頃にはBSE問題による牛肉離れの影響に加え、牛肉と比べ脂肪分が少ないイメージからジンギスカンはブームとなった[2][29]。しかし、ブームが下火となった2010年頃にはオーストラリアニュージーランドからの羊肉の輸入も大きく減少し、牛肉や豚肉の価格が下がった[2]。羊肉は相対的に割高になり、特に国産の羊肉を使ったものは高価となったことから、北海道でもジンギスカン離れが指摘されるようになった[2]。また2020年代には中国など他国での需要増加による更なる羊肉価格の高騰や後継者不足もあり経営環境の悪化も指摘されている[30]

一方、中国北京には1686年に開業した烤肉苑飯荘や1848年に開業した烤肉季飯荘などが、薄切りの羊肉と野菜を鉄鍋で焼いて作る、現在のジンギスカンに類似した満族料理、清真料理の「烤羊肉」を提供している。後にこの方式が日本に取り入れられるようになったのか、偶然似たのかは定かでない。

ジンギスカン鍋[編集]

調理には専用の鍋であるジンギスカン鍋が用いられる[1]。この鍋は、南部鉄器など、主に鋳鉄製で、中央部分がのように盛り上がった独特の形状をしており、その表面には溝が刻まれている[31]

これは盛り上がった中央部で羊肉を、低くなった外周部で野菜を焼くことによって、羊肉から染み出した肉汁が溝に沿って下へと滴り落ちて野菜の味付けとなることを意図した設計である[1]。羊肉の臭いがある脂を熱して外周に流すことで焼いた肉を食べやすくする仕組みになっている。

1950年代当時は北海道でもジンギスカン料理そのものが一般に普及しておらず、精肉店がジンギスカン鍋を貸し出すなども行っていた。その後、北海道の花見や運動会、海水浴などで現在の形のジンギスカンパーティーが広まっていった[32](「ジンパ」と略称されることもある[6])。家庭やレジャーなどの場では必ずしもジンギスカン鍋が用いられるわけではなく、鉄板[7]や焼き網、フライパンホットプレートなどで代用されることも多い。

種類[編集]

専用鍋には主に2種類がある。鉄・アルミ製で穴なしのものと、スリット状に穴が開けられているものである。穴なしのものは、味付け肉でもたれが落ちない構造であり、穴あきのものは、主に七輪・炭火焼きで行われる生肉用で余分な脂を落とす役割を持っている。近年のジンギスカンブームにより、店舗オリジナルの鍋など様々なものが製造されている。

「専用鍋は鍋が焦げ付きやすく使用後に洗うのが面倒」「数を揃えやすく片付けも簡単」などの理由から、北海道では屋外での「ジンギスカンパーティー」等の場合を中心に、アルミ製の穴なし簡易鍋を使い捨てすることも多い。道内ではホームセンター等で、100円-500円程度の安価で販売されている。

北海道岩見沢市で2015年、過去に使われた各種の専用鍋を溝口雅明北星学園大学短期大学部教授が集めた「ジン鍋博物館」が仮オープン。私設博物館の形態で2016年11月には正式に開館した[33]

その他[編集]

岩手県遠野市では、ジンギスカン鍋に専用の焼き台ジンギスカンバケツを用いて調理される。東北地方のジンギスカンの定番品である。メディアでの紹介もあり、現在は北海道でもアルミ製で鍋付きのものが販売されるようになった。

北海道苫小牧市で開催される、とまこまいスケートまつりでは、ドラム缶を焼き台にしたジンギスカン「しばれ焼き」が名物となっている[34]

調理[編集]

味付け肉以外の場合
ジンギスカン鍋・フライパンなどを炭火やガスなどで下から熱し、油を引いてからモヤシタマネギピーマンニンジン白菜のほか、トウモロコシギョウジャニンニクグリーンアスパラなどの季節の野菜などを(ジンギスカン鍋の場合は外周部周辺に)広げ、上方でスライスされた羊肉を焼き、専用のタレに付けて食する。野菜の上に羊肉を乗せて蒸すように焼いて食す場合もある。
味付けの場合
凸状に盛り上がった中央部分で肉を焼き、低くなった外周部には漬け汁と水を入れて野菜を煮込む。下茹でしたうどん玉や焼きそば用の中華麺、角が加えられる場合もある。

前述のように、ジンギスカン鍋を用いる場合は凸状に盛り上がった中央部分で肉を焼き、低くなった外周部で野菜を焼く[1]

観光名所となっている店舗では、調理の際の油跳ね防止用のビニールもしくは紙製の専用エプロンが支給され、それを着用して食するのが一般的である。

使用肉とたれ[編集]

ジンギスカンは、事前にタレ(調味液)に漬け込んだ「味付け」[5]と、味付けではない肉を焼いてからタレにつける「後付け」に大別される[35][6]。ラム肉は味付け、後付けの両方で好まれる。一般的な味付けジンギスカンは、肉をスライスし、タレに漬け込み、それを冷凍保存して販売される。また、味付けに使うたれも様々な調味料を組み合わせることで多種のものが作られている。

生ジンギスカン[編集]

後付けジンギスカンには、輸送・保管時に一度も冷凍されていない「冷蔵(チルド)品」とラム肉を丸めて冷凍した「ロール肉」がある。区別するため、チルド品(1度も冷凍されていないもの)を「生ラム肉」「生マトン肉」と呼ぶ。ロール肉は、通常はマトン肉は扱われず、通常厚さ1.5-2ミリメートルほどにスライスされて販売されるため「ラムスライス肉」と呼ばれる。

ジンギスカン専門店や一部の焼肉店では生肉、ビール園では生肉と冷凍ロール肉の両方が使用され、客が選択する。なお、冷凍された肉を解凍すると繊維が壊れるため風味が落ちると言われる。

味付けジンギスカン[編集]

現在では様々なメーカーで製造されるほか、個人精肉店や焼肉店などでも独自に製造・提供される。調味液には、醤油ベースが主で、他に味噌ベース・ベースなどがある。様々な香味野菜・果物を扱って製造され、それに肉が漬け込まれる。

使用する肉は、ラム肉・マトン肉のどちらでも使用される。特にマトン肉は、強い匂いがあるが味にコクがあるため、臭み消しにニンニク・ショウガ・スパイス類を使った味付けをして利用される。

また、一般家庭でも、市販のジンギスカンのタレを用いて肉を漬け込み、味付けジンギスカンとしても食される。

利点として冷凍販売の場合、タレが肉にしみて焼く時に硬くなりにくい点がある。

ジンギスカンのたれ[編集]

羊肉の臭みを抑えて、食味を向上させる技術は、明治時代から色々試みられており、牛鍋などと同様に味噌を使うことは大正時代までに知られていた[36]が、改良が進んだのは昭和時代からである。

現在のタレは味付け、生ともに醤油ベースと味噌ベースのものがあり、主流は醤油ベースである。タレには醤油、味噌、砂糖リンゴ果汁、ショウガニンニクごま油などが配合される。

市販されるジンギスカンの付けダレも焼肉のたれと同様に多種多様存在する。北海道ではベル食品ソラチの醤油ベースの製品が代表的である。また、青森県のタレメーカー上北農産加工農業協同組合が当初ジンギスカンのタレとして開発した「スタミナ源たれ」は、醤油、野菜、リンゴ、ニンニクを材料としており、現在は焼肉・野菜炒めなど多用途に使用されている。

地域[編集]

地域によって、使用する肉の種類や事前に味付けをするか否かなど、習慣、好みが分かれる。

北海道では、旭川市などの上川地域や滝川市などの空知地方といった道央内陸部では「味付け」、札幌市のほか小樽市室蘭市などの道央海岸部、函館市を中心とした道南海岸部、釧路市などの道東海岸部では「生肉」が主流だった。この二つの食文化の境目にあたるのが、滝川市と札幌市の中間付近に位置する岩見沢市と考えられており、昭和50年代に同市で営業していた温泉宿の名前が刻印された、二つの食べ方を同時に行える「仕切り付きジンギスカン鍋」が発見されている[16]北見市は北海道としては例外的にジンギスカンよりも一般的な焼肉店が多く、市も焼肉の街としてPRするほどで、ジンギスカンは一般的ではない。

道内の観光地には、ジンギスカン料理を売りにしている所が多くある。多くの観光地で今も「ジンギスカン」の旗を立てているが郷土料理としての取り扱いであり地場産肉を売るということではない。しかし逆に地場生産を売りにする地域もあり、士別市や滝川市など道内各地でサフォーク種などの羊を飼養して地元に食肉提供している。

観光名所となっている各ビール園の主流も生ラムジンギスカンである。

名寄市ではジンギスカンを煮込むこともある。(煮込みジンギスカン) また上川地方富良野地域や旭川地域では独特の「豚ジン」と呼ばれる豚肉を使った味付きジンギスカンも有り、帯広市を中心とする十勝地方では羊や豚、鳥に加えて鹿肉の味付きジンギスカンが販売されており、ジンギスカンは羊肉に限らないという事実も有る。豚ジンは一般スーパーでも販売されている

ただし、近年では双方の地域でどちらの食べ方も浸透が進んでおり、違和感なく受け入れられている。本州では地域別に分類することは難しい。関東地方では「生肉」が好まれる。地方には独自のブランドをもった味付けジンギスカンのメーカーが存在する。

北海道の他にも、局地的に常食されている地域が多数ある(後述の一覧を参照)。また、千葉県富津市マザー牧場栃木県那須塩原市千本松牧場兵庫県神戸市六甲山ホテルなどでは、創業以来ジンギスカンが名物メニューとなっている。

これらの地域では、花見をはじめとした宴会や集会の打ち上げなどで食べられることが多い。また、「ジンギスカンパーティー」略して「ジンパ」の語句も生まれ、森崎博之出演のマツオ企業CMキャッチコピーでも使用された。

2006年頃には全国的なジンギスカンブームがあり[2][29]、関東地方などにも急速に広まった。これはBSE問題狂牛病)が注目され牛肉の需要が減少し[2]、羊肉に多く含まれる「L(エル)-カルニチン」という物質が注目されるなど[37]、健康需要[2][29]がその要因と言われている。2000年代後半になると外食でのジンギスカン専門店は減少したが、スーパーなどの小売店での羊肉の扱いは安定するようになった。北海道のジンギスカン店では羊肉しか提供していない場合が多いが、東京や、ブーム後の後発地域などのジンギスカン店ではたいてい、羊肉を食べなれない客のために牛肉なども提供していることが多い。そのほか店によるが豚、鶏、鴨、猪、畜肉加工品、海鮮物なども出される。近年では、北海道のビール園などでも、本州からの観光客を多く受け入れるために羊肉以外の牛肉・豚肉・鶏肉や海鮮物を提供する店が増えている。ただし「ジンギスカン専門店」を称する場合は、ほぼ羊肉のみである。

長野県では、国道19号の一部を「信州新町ジンギスカン街道」と呼んでいる。多くのジンギスカン料理店が並び、伝統的な漬け込んだ調味法[5]の他にオリジナルな味付けの店など多様である。1982年(昭和57年)より、味の優れた「サフォーク種」も飼育されるようになった。

高知では、第二次世界大戦の終戦直後の時期に羊毛を刈るための羊を食肉にも用いることが推奨されていた時期があり、ジンギスカンの店が何軒も開店した時期もあったものの、一時的な流行に留まった[3]

ジンギスカンが名物の地域一覧[編集]

ジンギスカンが名物の施設一覧[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

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  6. 6.0 6.1 6.2 【ぐるり逸品】ジンギスカン(北海道)屋外でもうめぇ~道産子の文化朝日新聞』夕刊2018年10月1日(4面)2019年1月10日閲覧。
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]