ミュージックステーションで起こった主な出来事
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ミュージックステーションで起こった主な出来事は、テレビ朝日系列で放送されている音楽番組「ミュージックステーション」で起こった特記事項(ハプニングなど)を記載している。
目次
1986年~1989年[編集]
1986年[編集]
- 10月24日 ミュージックステーション放送第1回目
- 14年間金曜20時枠で放送されていた『ワールドプロレスリング』の枠移動に伴い、次番組として「ミュージックステーション」放送開始、司会は関口宏。記念すべき一曲目はチェッカーズの「NANA」であった。その他、本田美奈子、中山美穂、河合奈保子、早見優(初代テーマソングを担当、サブ司会も務めた)、アン・ルイス、安全地帯、近藤真彦、中森明菜、細川たかしが出演した他、香港からの中継でジャッキー・チェンが出演した。近藤真彦は全国各地のファン1万人と中継して「ギンギラギンにさりげなく」を大合唱した。
1987年[編集]
- 石原裕次郎が、ハワイからの衛星生中継で登場し、近況報告をした。「BEYOND THE REEF」を現地から熱唱。これが最後のテレビ生出演となった。6ヵ月後の7月17日に裕次郎が亡くなり、その日が金曜日だったため、19:30からのアニメ枠(当時は『宇宙船サジタリウス』を放映)から90分の緊急追悼特番を組んだ。その後20:00からはMステのスタジオから放送し、初代司会の関口宏や当日の出演歌手も引き続いて出演し故人を偲んだ。
1988年[編集]
- CHAGE&ASKAの「恋人はワイン色」終了直前にASKAが、2人の前のテーブルの上においてあるグラスを持ち、後ろ向きにCHAGEの衣装にワインをかけた。突然なことにCHAGEはびっくりした表情をしていた。
- BaBeの2人が、迷路セットの中で「Get a chance」を歌いながら脱出。しかし、曲を歌い終わっても迷路から出るのに時間がかかった。
- 当時、2人が結婚3周年記念で「ALWAYS」という曲でデュエットした。
1989年[編集]
1990年代[編集]
1990年[編集]
- この日、島田紳助が「紳助&バスガス爆発楽団」としてMステ初出演。和田アキ子も出演し大物タレントが3人集結した。
- 8月30日サザンオールスターズ「稲村ジェーン」プロモーション
- カルロス・トシキ&オメガトライブのボーカル・カルロス・トシキが、「1991年の3月をもってオメガトライブを解散する」と番組で発表。番組開始年の1986年(当時:1986オメガトライブ)の大ヒット曲「君は1000%」を熱唱した。最後のテレビ出演となった1991年3月22日にはカルロス自らが全国のファン、視聴者に向けた感謝のメッセージを発表。1988年の大ヒット曲「アクアマリンのままでいて」を熱唱し、8年間にわたる活動にピリオドを打った。
1991年[編集]
この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。後は適当に頑張って下さい。 |
1992年[編集]
- 当時タモリと共に司会をしていた生島ヒロシが、本番中に左の鼻の穴から出血。その後鼻の穴に綿を詰めて進行した。翌週の槇原敬之とのトークではCDの売れ行き状況を「鼻血が出そうな勢いですね」と自虐的なコメントをする。
- 1992年10月9日の番組内で、正式に「12月31日をもって解散する。」と発表。その後、最後のコンサートツアーを経て、12月31日の『第43回NHK紅白歌合戦』を最後に解散した。
- 12月18日 ミュージックステーションスペシャル スーパーライブ 第1回記念大会・開催!
- 今では年末恒例の一大イベントとして開催されているこのスーパーライブ。第1回大会はこの日に東京ベイNKホールで開催された。
1993年[編集]
- この日は成人の日(当時)で祝日だというのにも関わらず、北海道釧路沖を中心に震度6の地震が20時6分ごろに発生した。また、『ニュースステーション』は内容を大幅変更し報道フロアから放送した。
- 前年8月7日の同番組で初のテレビ出演を果たしたZARDが「負けないで」で自身5度目の番組出演。ZARDは「負けないで」で大ブレイクしたが、この時期を境に極端に露出を控えるようになり、この放送後はテレビ番組でトークを披露することは無くなった(その後も、テレビ番組で一方的にコメントを寄せる映像が放送されることはごく稀にあった)。また、ギターの町田文人、ドラムの道倉康介、キーボードの池澤公隆も事実上の脱退となったと言われている。それから14年後である2007年5月27日に坂井泉水が不慮の死を遂げたことにより結果的にZARD最後の音楽番組出演となった。
- 北海道南西沖地震の応援歌としてリリースした「なぜこんな時代に・・・」で泉谷しげるがMステ初出演。曲中にはテンションが上がり何と客席へ乱入した。その後はもみくちゃにされたり帽子を取られたりとで結局歌えなかった。
- 東京ベイNKホールで行われた「SUPERLIVE93」にて、X JAPANが「X」披露後、ドラマーのYOSHIKIがドラムセットを破壊、投げた椅子がテレビカメラに直撃した。番組終了後、そのテレビカメラは使用不可能となったらしい。そして、ギターのHIDEは、自分のギターを股に挟んで腰を振ったり、ギターを振り回すなどの過激なパフォーマンスをし、お決まりの「飛べ、飛べ、飛べ、飛べ…」のセリフの後に叫んだ、「俺たちがサンタクロースだーー!!」はあまりにも有名。ちなみにYOSHIKIがライブ中にドラムセットを破壊するのはよくある事であるが、音楽番組で破壊するのはこれが最後と見られる。
1994年[編集]
- 4月1日 鈴木雅之が「渋谷で5時」でスペシャルデュエット
- 4月29日 TM NETWORK、最後のテレビ出演
- この日、5月18日で4001日間にわたる活動を終了するTMNが番組の最後に登場、ファンに向けて活動終了の挨拶をした後、TM NETWORK時代のヒット曲を含む全4曲を熱唱。その後、1999年7月に活動を再開し、2000年のミュージックステーションスーパーライブに出演している。
- この日のエンディングで曲が流れる中、提供読みが進み、きれいに番組が終了すると思いきや、次の瞬間タモリが和田アキ子にキスをするというハプニングが起こり、この日の放送は終了した。後日タモリは「あの人(和田アキ子)は耳の後ろが弱い」と満足そうな笑みを浮かべ述懐した。
- DREAMS COME TRUEが当時行っていたコンサートツアー「MAGIC JOURNEY」の模様をスタジオで再現するという趣旨の元に番組を丸ごとジャック。1時間ドリカムの曲のみで埋め尽くされるという異例の構成となった。またこの時は珍しくタモリも演奏に参加し、「JAZZY "M"」(ドラマ『長男の嫁』主題歌「WHEREVER YOU ARE」のジャズアレンジバージョン)の曲中にあるトランペット演奏の部分を担当した。ドリカムだけになっているのは、ZYYG、氷室京介、森下由実子などが出演拒否をした為と思われる。
1995年[編集]
- この日、爆風スランプが「神話」でMステ出演。同曲が主題歌となった映画『ガメラ 大怪獣空中決戦』のガメラ・ギャオスも登場した。
- 10月20日 PRINCESS PRINCESSが解散発表
- メンバーを代表して奥居香が「来年(1996年)の5月でPRINCESS PRINCESSを解散します」と全国のファン、視聴者に向けて発表した。「M」「Fly Baby Fly」の2曲を熱唱。また、解散直前の1996年5月24日には最後の出演をし、1989年の大ヒット曲「Diamonds」を熱唱した。
- 12月1日 緊急ニュースで番組一時中断
- この日のMステでTo Be Continuedの曲披露後、緊急ニュースが急遽放送され番組が一時中断した。この時GLAYが曲披露を出来るかどうかが不安視されたが約10分後番組が再開され無事に「生きてく強さ」を披露した。
- 「SUPERLIVE95」のトリを務めた米米CLUBが、当初「『JUST MY FRIEND』を演奏して終了」という予定だったにも関わらず、曲の途中で予定を変更し、同年発売のアルバムに収録された『露骨にルンバ』を演奏。しかし、この行為は全て数日前に同じ東京ベイNKホールで行われたファンクラブイベントで、ファンを前にリハーサルを行っていたといういわば「予定調和」の行動だった。
1996年[編集]
1997年[編集]
- 2月21日 米米CLUB、Mステラスト出演
- 翌月に解散を控えた米米CLUBがMステに最後の出演。結成から当時までのメンバー全員を従え『浪漫飛行』『Shake Hip!』の2曲を演奏したが、1曲目の『浪漫飛行』では「テレビ画面の下部に歌詞が出る」ことを利用し、カールスモーキー石井が視聴者に向けての歌唱指南を行うなど、「米米CLUBらしい」ラストとなった。
- 1992年のデビュー以降露出が少なかったため、『実在しない』という都市伝説まで存在した大黒摩季が登場。レインボースクエア有明で行なわれていたライブ会場からの中継で「あなただけ見つめてる」「熱くなれ」「夏が来る」「ら・ら・ら」の4曲を披露した(なお同放送を大黒のテレビ初出演とする記述がよく見られるが、実際にはそれ以前に『ミュージックフェア』(フジテレビ)や『サンデースポーツ』(NHK)への出演経験がある。ゴールデン枠番組への大々的なテレビ露出という意味ではこれが初めてとなる)。ちなみに、この翌年の9月11日にも番組に出演し「この闇を突き抜ける」と「ROCKs」を披露したがこの時もライブからの中継で、結局これで(2007年現在)最後の出演となっている。
- この頃から音楽活動にメインを移していた声優の椎名へきるが出演し、「風が吹く丘」を披露した。これ以降、2007年8月現在、声優の出演は無い。
- 11月14日放送日前 KinKi Kids、急遽出演キャンセル
- KinKi Kids(ジャニーズ事務所)と、2度目の出演となったDA PUMP(旧ライジングプロダクション、現在のヴィジョンファクトリー)が共に出演を予定していた際、放送日2日前に急遽KinKi Kidsの出演がキャンセルとなった。これはジャニーズ事務所側が、他の事務所に所属する同じような男性アイドル(グループ)との共演を避ける目的であるためと言われている(社長のジャニー喜多川が当時の社長の平哲夫とは犬猿の仲であるため)。ジャニーズ事務所側はこの件について明確なコメントは無いが、実際に放送日2日前に出演をキャンセルすることで、何も発言しなくとも事務所側の意向を番組並びに他のテレビ局に明確にする為であると言われている。CDリリースがないジャニーズタレントでは、Ya-Ya-yahやJ.J.Express率いるジャニーズJr.などを出演させ(この際は先輩ジャニーズのヒット曲をメドレー。因みに、彼らがトークすることはあまり無い)、穴埋めをするようになった。尚、ジャニーズ事務所の所属アイドルと他の事務所所属の男性アイドルとの共演は今までに2回ほどある。(1回目:1997年8月1日 Tomoya(TOKIO)「ETERNAL FLAME」と+DA PUMP「Feelin' Good - It's PARADISE -」、2回目:2006年10月27日 手越祐也(NEWS)「砂時計」と橘慶太(w-inds.)「道標」)
1998年[編集]
- この日、hide with Spread Braverが(この形式では)初出演、「ROCKET DIVE」を披露した。この3ヵ月後の5月2日に自宅で死亡していたのが発見されたため、事実上のラスト出演となった。ちなみにこの年の上半期総集編SPにて彼の追悼特集は行われ(1987年7月17日の石原裕次郎以来11年ぶり2人目)、この番組で披露した時の映像を中心に放送された。
- 3月27日 スペシャルにて夢のバンドセッション
- この日のMステSPで共演した長瀬智也(TOKIOとして出演 Vo.担当)、AOI(SHAZNAとして出演)・はたけ(シャ乱Qとして出演 2人でG.担当)、恩田快人(JUDY AND MARYとして出演 B.担当)、真矢(LUNA SEAとして出演 Dr.担当)の5人で『THE FRIDAY NIGHT SPECIAL BAND』として夢のバンドセッションを実現、「Rock'n Roll All Nite」を披露した。
1999年[編集]
- 2月5日 Dir en greyの過激なパフォーマンスに苦情殺到
- 初出演のDir en greyが「残-ZAN-」を演奏したが、彼らのライブパフォーマンスを再現するという意図で吊り人間や壁の人間オブジェといったホラー的要素をフィーチャーしたあまりにも過激なパフォーマンスで番組終了後に視聴者(特に主婦)から苦情が多数寄せられた。これはMステ放送直前の番組が『ドラえもん』と『クレヨンしんちゃん』であったため、主な視聴者年齢層である子供たちがそれらのアニメを視聴していたそのままの流れで視聴し、Dir en greyがMステにトップバッターで出演したことが原因だと思われる。(大人はもちろん子供には過激すぎるステージ内容だった)ちなみに、このパフォーマンスの後タモリは「凄いですねぇ~」と驚きと衝撃の混じった発言をしていた。その後、Dir en greyは年内に、シングル「Cage」「予感」リリース時に2回Mステに出演した(その時は苦情無し)が、これが原因なのか話題になったにも関わらずこの年のスーパーライブには出演しなかった。
- この日、「Memory 青春の光」を披露するモーニング娘。と「君は魔術師?」を披露するシャ乱Qが出演、モーニング娘。とプロデューサーのつんく♂が初共演となった。
- 明石家さんまが「明石家さんま&所ジョージwith工藤静香」としてMステ初出演。所ジョージは1989年10月20日以来9年半ぶり2度目のMステ出演。この日は大物タレントが2回目の3人集結、タモリとさんまが久々の共演をしたともいえよう。
- 1998年デビュー以降、学業優先のためテレビに出演していなかった宇多田ヒカルが遂に地上波初登場(収録自体は『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』の方が早かった。ちなみに、こちらでも最高視聴率を記録している)、「First Love」を披露した。またOPの登場時に階段から滑って転んでしまうというハプニングが起きた。この日の番組視聴率は関東地区26.5%、関西地区28.7%(ビデオリサーチ調べ)で番組史上最高視聴率となった。
2000年代[編集]
2000年[編集]
- 解散する事になったSPEEDがMステだけしか見られないファイナルライブを全国から集まった約16万通の中から選ばれたファン500人と共に開催した(実に32000倍と言う確率からの当選者・500人と共に/同ライブのセットは新垣仁絵自ら書いたというセット/トーク中には10代で一区切りをつけた4人についてタモリが俺なんか10代の頃は何にも考えてなかったと言って4人を笑わせていた)。ライブは全部で9曲(ALL MY TRUE LOVEからファイナルライブが始まりBody&Soul⇒White Love⇒4人の挨拶・その1⇒Long Way Home⇒Luv Vibration⇒4人のオリジナルダンスショー⇒Breakin' out to the morning⇒Go! Go! Heaven⇒STEADYそして4人の挨拶・その2と来て最後はStarting Overで締め括った。)・20分ほどだったが最後の曲「Starting Over」を熱唱中に上原多香子が泣いてしまい、エンティングでは上原に続いてしまったか今井絵理子もタモリから花束を贈呈された時に涙を流してしまった。島袋寛子は終わった後の一言は「無」だけだったという。また、この日は下平さやかアナの卒業日でもあり、この時の下平アナの表情は対照的に涙ではなく笑顔だった。タモリも「下平もお疲れ様」と言った(解散日のこの日・2000年3月31日が偶々、金曜日に重なった事に司会のタモリも驚いていた)。
- この日は香取慎吾扮する慎吾ママが初出演した。モーニング娘。が「I WISH」を熱唱(8日にも熱唱)した後に「慎吾ママのおはロック」を披露したが曲中でMC・ゲスト席に乱入し、タモリや武内絵美アナ、モーニング娘。などと共に当時の流行語にもなった「おっはー」を行った。
- この日出演したB'zのトーク時、最初はアルバムのジャケット撮影で乗馬に挑戦したという話題から発展しスポーツの話となり、稲葉はジョギングをやっていると答え松本は空手をやろうとし1回行ったきり行ってないと答えた。その後タモリに「厳しいから休んでるの?」と聞かれ松本は数秒たってから「えっ?」と、ボーッとしてまるで聴いていない様子だった。その後もこのVTRは使われたが、なぜボーッとしていたかは未だに不明である。
2001年[編集]
- 1月26日 JUDY AND MARYラスト出演でスペシャルライブ
- 解散を決定したJUDY AND MARYがMステに最後の出演。これまでの映像を振り返り、ファン200人と共にスペシャルラストライブを行い、新曲「ラッキープール」と初期の名曲「Over Drive」を披露した。このライブでYUKIはファンへメッセージを贈り涙を見せながら熱唱した。この後、3月8日の東京ドームライブを持って正式に解散した。
- この日は「眩暈/edge」より「眩暈」を披露。曲披露前のトークの際に、「上京直後にハムスターを飼ったが設置した滑車の音がうるさいため、ベランダに置いておいたら翌日凍死してしまった」という旨のエピソードを語った。後日、このトークの内容とトーク時の言動に対する非難がネット上を中心に相次ぎ、放送翌週の2月23日に所属事務所(当時)よりオフィシャルサイト上で発言に関するコメントが発表される事態となった。
- この日、活動休止を宣言したCoccoが休止前最後のテレビ出演。「焼け野が原」を披露したが、曲終了と共に涙を見せながらスタジオを走り去った。この事は大きく話題になり総集編でも、よく取り上げられる。ちなみに、この4年後の2005年にSINGER SONGERとして久々に出演、そして本格的に活動を再開した2006年からはリリース毎に活発に再び出演する様になった。
- この日はタモリがゴルフ中の事故により検査入院中による不在のため、武内絵美アナが単独司会を務めた。OPではKinKi Kidsの堂本剛がセリフやタモリの物真似をするなど、この日出演したアーティストが交代制で特別司会をする事になった(この日出演したアーティストはKinKi Kids・郷ひろみ・プッチモニ・及川光博・中川晃教・CHEMISTRY・矢野真紀で、それぞれ交代制で各アーティストとのトークを担当した)。タモリは翌週復帰した。復帰後の放送では、KinKi Kidsがタモリの不在時の事について「タモリさんが居なくて寂しかった。」「タモリさんが居なくちゃMステじゃない。」と話した。この日出演していたネプチューンの堀内健も「自分に素直に!」「ドンマイ!」とアドバイスを飛ばした。初めてMステを欠席したタモリは「今度は、早退してみたい」と意気込みを語った。また、曲の途中で堂本剛が「おかえり、タモさん!」とラストを飾った。
- この年のスーパーライブのエンディングでタモリの隣にTOKIOの城島茂扮する「城島タモリ」が現れた。このサプライズが好評だったので、これ以降毎年のスーパーライブ恒例となった。ところが2005年以降は自身の番組である『メントレG』(フジテレビ)が番組終盤に裏番組となるために「城島タモリ」の出現は無く城島自身がファンに向けて「向こうの方を優先してしまい披露出来なくて御免なさい」と謝罪していたと言う。2007年4月から番組が日曜21時(午後9時)に移動したため、3年ぶり更に幕張に移転してからは初めての登場の可能性もあったが、実現せず。しかし、1度城島は『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ)で「城島タモリ」を久々に披露したことがあった。
2002年[編集]
- 6月14日 日本・サッカー/快挙達成に大盛り上がり
- 21世紀で初めて・アジアで初めてそして初の 日本と 韓国の2カ国共同開催と初めて尽くしとなった第17回FIFAワールドカップ。前回優勝国の フランスや優勝候補の アルゼンチンやテンプレート:PRTfなどが予選リーグで次々と敗退。ダークホースの トルコとテンプレート:SENなどが快進撃。そして開催国の日本と韓国の2ヶ国が開催国の意地で決勝トーナメントに進出。日本はベスト16・韓国は第4位に食い込むなどと改めてアジアサッカーの2大チームの意地を見せた。その日本が決勝トーナメント進出を決めた試合が何と当番組の放送日に重なってしまった。大阪の長居スタジアムで行われたテンプレート:TUNf戦でスタジオからサッカー・日本代表を応援する模様が放送され、司会のタモリは呆然と見ているしかなかった。
ちなみに制作のテレビ朝日では午後3時に試合を長居スタジアムから生中継し関東地区では45.5%、関西地区(ABCテレビ)では44.3%、東海地区(名古屋テレビ)では40.9%と高視聴率をマークして当日の『ニュースステーション』は大阪の朝日放送から生放送した。
2003年[編集]
- SMAPと松浦亜弥が共演した時に、松浦が歌のスタンバイに行く直前に中居正広が松浦の代わりに「はーい!行って来ま~す」と行こうとした(中居が『SMAP×SMAP』で松浦のパロディキャラ「まやや」を演じていたことに引っ掛けた)が、タモリと松浦に気づかれてしまい、その後木村拓哉が中居に「お前、タッキーが変な目で見てるぞ!」とコメントした。
- ロシアから来日したt.A.T.uがオープニングには登場したものの、歌を披露せずに出演放棄してしまうという事態が起きた。タモリは「t.A.T.uが、『出たくねぇ』という事で控え室から出て来ません。」と状況を説明。加えて「出てこーい!」「私がオープニングで制服の事を言ったのがダメだったのか、RIP SLYMEが腕に「ピロシキ」と書いていたのがダメなのか。」と出演を待ち続けたが、番組終了10分前に「t.A.T.uは帰っちゃいました。すみません。何が悪いのかわかりません。」と謝罪した。このため、既に演奏を終えていたthee michelle gun elephantが追加でもう1曲演奏する事で番組の尺を埋めた。その後エンティングでタモリやアーティスト達が「わぁ~!」などと大盛り上がりし、この日の放送は終了した。なお、急なトラブルに遭遇して気が動転していたのか、番組終了間際に行われる武内絵美アナによる出演歌手の一斉紹介は行われないまま、番組が終了した。
- 後日t.A.T.uは「私たちだけのステージにしたかった。日本のスターたちに邪魔された」などと苦しい釈明をした(実際は当時のプロデューサーであるシャポヴァロフの無茶な指示によるものであり、後にt.A.T.u.は2005年のアルバムリリースに際してのコメントの際「プロデューサー(当時)の計らいでそうせざるを得なかった」と発言している。詳しくはt.A.T.uの項参照)。これらは新聞やテレビで大きく取り上げられ、テレビ朝日側は同グループを出入り禁止にするとの声明を出した。しかし、この騒動から3年後の2005年12月にはこの番組と同様に出演放棄をした『うたばん』に出演していた。
- ちなみに本来は4月18日に出演予定だったが、来日が遅れたため、穴埋めをするために氷室京介に出演を依頼したが拒否され、急遽森山直太朗が出演した。
- また、タモリの番組では「タモリ倶楽部」の空耳アワー(2003年10月10日放送)で、t.A.T.uの空耳ネタ(「ショウ・ミー・ラブ」の一節 より)が出た際も、イラストレーター安斎肇がわざわざ「t.A.T.uですけどいいですか?」と機嫌を窺っている。ちなみにこの時、タモリは「t.A.T.uダメ。t.A.T.uはダメ!」「オープニングに出たんだったら出ろよ!」と、本音とも取れる発言をし苦笑している。評価は手ぬぐい。なお、別にタモリに遠慮しているわけでもないだろうが、空耳アワーで採用されたt.A.T.uの空耳ネタは、2007年時点でこれ1つのみである。
- また、『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」で現在では恒例となった100分の1アンケートで、ゲストのマルシアが「t.A.T.uのライブを見た人」というお題(記録的に少なかったことにかけていた)を出した際に、タモリは終始不機嫌そうな表情をしていた。マルシアはタモリが不機嫌な理由について全く気付いておらず、コーナー終了間際に気付き、顔面蒼白で陳謝していた。
- また、2008年2月28日放送の「笑っていいとも!」のテーマに沿ったエピソードを披露し、最も観客の共感を得たレギュラー陣が勝者となるコーナー「共感オークション」でタモリが「t.A.T.u」と発言(この時のテーマは「バカヤローなアイツ」だった)。
- この日出演したTHE ALFEEの新曲「タンポポの詩」がアニメ『ドラえもん』エンディングテーマであったという縁でドラえもんが応援に駆けつけた。そして曲披露では何と高見沢俊彦がドラえもんを模したギターで同曲を熱唱した。バックダンサーにはドラえもんに加え、のび太・ジャイアン・スネ夫・しずかちゃんがバックダンサーとして参加。オープニングのトークではドラえもんに何とかアドリブを振ろうとタモリが必死になっていた。ちなみに、ドラえもんはこの翌年にアニメの次期エンディングを担当した島谷ひとみやW with Berryz工房の応援にも駆けつけた。
- そしてこの日はMステ放送終了後の9時から『BEST HIT TV』の生放送スペシャルがあるということで、直前番組の「ミニステ」に司会のマシュー南が遊びに来ていた。Mステ本番には姿を現さなかったが放送終了後の同番組放送ではこの日Mステに出演したゲストが顔を見せた。
- 演歌歌手の氷川きよしは、中村玉緒と「TAMAO&KIYOSHI」名義で番組初出演と共に、演歌歌手では、1992年9月4日の堀内孝雄&桂銀淑以来11年ぶりの出演となった(因みに中澤裕子も演歌歌手時代にモーニング娘。のスーパーライブ初出演時のメドレーの一環で「カラスの女房」を披露しているので事実上の5年ぶり)。氷川は2006年9月8日にも出演しており、これ以降ポップスCDを出した際には「KIYOSHI」名義で出演するようになっている。
- タッキー&翼が「夢物語」を熱唱したタッキーこと滝沢秀明がファンから「脱いで!」というコールがあり、終盤で上半身裸になった。その後の12月26日の「SUPERLIVE2003」出演にタッキーが「母親から『アンタ、TVで何やってんの!』って怒られた。」とコメントした。
2004年[編集]
- 2000年の春から担当して来た7代目アシスタントの武内絵美アナのラスト。最後には司会のタモリから花束が渡され、武内アナはついに堪え切れず涙を流しながら「アーティストさん、タモリさん、TVを見ている視聴者の皆さん、4年間有難う御座いました」と言った。
- 前代・7代目の武内絵美卒業後に抜擢された当時新人アナの現代・8代目アシスタントを襲名した堂真理子はこの日、何と入社僅か9日目という超異例のスーパーハイスピードでのテレビ出演(しかもゴールデンで司会)を果たした。タモリもオープニングで「テレ朝も無茶するな~」とコメントしていた。堂アナは「タモさん、よろしくお願いします」と言っていた。
- タモリが前回の春SPで言っていた「テレ朝も無茶するな~」が早速、この日の放送で現実に成った。堂真理子アナにとっての2回目のレギュラー放送のこの日に布袋寅泰が映画『キル・ビル』のテーマソングである「BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY」を披露しに出演したが曲紹介のときに堂アナが「ほてい」を「ぬのぶくろ」と読み間違えるハプニングが発生、布袋ファンからは苦情が殺到した。ちなみに、この事について布袋は後日堂アナをフォローするコメントをしていた。またこれに関連して、6月18日にもGARNET CROWの楽曲「君を飾る花を咲かそう」を「君に飾る花を咲かそう」と誤読してしまい、エンディングでメンバーに謝罪をしていたことがある。
- この日出演した松浦亜弥(「渡良瀬橋」を披露)とモーニング娘。(「涙が止まらない放課後」を披露)だったが、なんと両名共トップバッターを担当することになった。2組まとめてトップバッターを担当するのはこの日が史上初である。ちなみに、後述のH.P.オールスターズ出演の際もBoA(「メリクリ」を披露)と両名トップバッターだった。
- この年の流行語として話題と成った「残念!」、「斬り!」そして「切腹!」の3つの言葉。これを利用して波田陽区が当番組で大暴れした。六本木ではKinKi Kidsや福山雅治さらにH.P.オールスターズを斬って/さらにさいたまスーパーアリーナで行われたスーパーライブではタッキー&翼や上戸彩、ORANGE RANGEが波田の餌食に巻き込まれるなど斬って斬って斬りまくってキリキリ舞いにした。最後は共に「切腹!」とカミングアウトして自爆して倒れた。
- 12月24日 後藤真希&松浦亜弥with特捜戦隊デカレンジャー、夢のスーパーコラボレーション
- さいたまスーパーアリーナで開催したこの年のスーパーライブでは、「伝説の男~ビバ・ガッツ~」を披露し終えたはなわが突然アリエナイザーに強制連行されかけた所に怒り爆発の後藤真希と松浦亜弥がクリスマス服に身を包み、特捜戦隊デカレンジャーと共に登場。2人&1戦隊の合計7名でアリエナイザーを倒し、はなわを助けた。また、10月8日の3時間スペシャルでは後浦なつみとして安倍なつみも参加していた。はなわの所属事務所はこんなシーンを用意していたスーパーライブのスタッフに対して「何て言う事をしてくれたんや!」と激怒した。
2005年[編集]
- この日出演したモーニング娘。の新曲「THE マンパワー!!!」が東北楽天ゴールデンイーグルスの応援歌であるという縁で、当時同球団の新監督であった田尾安志が仙台からの中継で生出演を果たし、「モーニング娘。に負けないように頑張ります。」とコメントした。共演のSMAPの中居正広は後日『SMAP×SMAP』で田尾のパロディコント披露した(コントタイトルは「百天イーグルズ~がんばれ!田応くん~」)。なお、モーニング娘。は東北楽天ゴールデンイーグルスのユニフォームの複製品(「E」が「モ。」になっている)を着て「THE マンパワー!!!」を熱唱した。因みに、この日は当時リーダーであった飯田圭織のラスト出演の日でもあった。
- 日本テレビ系ドラマ『ごくせん』挿入歌の「絆」と新曲「GOLD」をこの日、同ドラマにメンバーの亀梨和也と赤西仁が出演していた縁で他局ながらドラマの教室セットから中継で披露した。同ドラマ主演の仲間由紀恵はこの日コメントで出演した。
- 前回の「笑顔日和」披露でラスト出演の予定となっていたZONEだったが、4月1日の解散ライブが金曜日だという事で、日本武道館からの中継で急遽出演が決定した。この日の3時間スペシャルのトリにおいてウエディングドレス姿で自身最大のヒット曲「secret base ~君がくれたもの~」を号泣しながらフルコーラス披露した。因みに、解散ライブ(即日解散での)をMステで行うのは2000年3月31日の春SPのSPEED以来史上2組目である。
- 4月29日、弥次さん喜多さんがテレビ独占出演
- 宮藤官九郎脚本で話題になっていた映画『真夜中の弥次さん喜多さん』に主演した長瀬智也と中村七之助が映画の役の衣装でテレビ独占出演、劇中で使われた楽曲「真夜中の弥次さん喜多さん」と「東海道で行こう」を披露した。トークではタモリと共にカツラの話で盛り上がった。このときは、ジャニーズ事務所所属アーティストとしては、珍しく長瀬がサインを書いていた。
- メンバーの「ハニホヘニハー」は欠席したが、他のメンバーがマリオにふんして出演。番組からオファーがきたのは何と出演の3日前だったらしい。12月23日の「SUPERLIVE2005」にも出演したのだが、結局メンバーは一緒であったが、衣装だけはマリオのサンタバージョンで出演した。ハニホヘニホーが出演しなかった理由は「ある大人の事情があったから」という。その大人の事情は現在でも不明である。ちなみに、トンガリキッズの他のテレビ出演でもハニホヘニハーが出演したことは一切無い。
- 6月3日~17日 KinKi Kids、「魚」(剛)VS「車」(光一)、どっちの話をしたらエエんや!&歌詞間違え
- 6月3日の回では、剛の「魚」の話と光一の「車」の話が対立し、トークができず、放送終了後番組史上初の視聴者からの緊急投票を1週間行なう事になった。
- 翌週の10日の回でその結果、剛の「魚」の話に決まったが、それでも負けた光一が「車」の話で邪魔をしてしまい結局数秒でトークは終了。その後「ビロードの闇」(2回目)を披露する回でもあったのだが、光一が「僕らは見ることさえ許されないだろう」を「僕らは一人で打ちひしがれるだろう」と歌詞を間違えた。そのためか剛も笑ってしまい、「砂漠のように辛辣(しんらつ)な」を「砂漠のようにこの街で」と間違え、次のパートが歌えなかった。
- 翌週の17日にもKinKiが出演し、検証VTRが流された。この日の回は何とか間違えずに最後まで歌えたものの、この出来事は本人たちがネタにする程の珍事件となった。剛はこの事件を「3回打ちひしがれた事件」と称している。その理由は、歌詞を間違えて2回『打ちひしがれた』事、そしてKinKi Kidsも打ちひしがれたから(2つ共本人談)。と語っている。
- ちなみに、これ以来敗北した光一の車関連のトークはMステでは一切禁止となっているらしく、翌年7月14日の光一がソロで出演した際、車の話題を出した時にADから「Mステでは車の話NG。誰か奴を止めて」というカンペが出された。
- 7月29日 GLAY×EXILE、テレビ独占の「SCREAM」
- 2005年当時世紀のコラボレーションとして大きく話題になったGLAY×EXILEがMステ完全独占出演、「SCREAM」を披露した。この日以来この場でこの曲が披露されたのは翌年3月のEXILEのライブにGLAYがサプライズ出演した時のみである。
- m-floと共にリリースしたシングル「Hey!」のヒットを受けて和田アキ子にとっては1994年6月24日以来11年ぶりとなるMステ登場を果たした。ファン200人を集めてのライブ形式での曲披露を見せた。
- 当時Mステの次に放送されていた『笑いの金メダル』(後に日曜夜7時58分に移行)にてウルフルズのトータス松本プロデュースで結成された笑金オールスターズがMステに初出演(竹山隆範のみは1月にJanne Da Arcの応援で出演経験があるので2回目)を果たした。この日は同番組が「Mステ出演記念!生放送SP」であったので笑金メンバーが特別に全員集結して「ココロ花』を披露した。因みにこの後の番組生放送SPで同番組司会の三宅裕司は「鉄拳が笑顔で歌っててびっくりしたよ!」とコメントしていた。またこの日共演した中島美嘉もお笑い好きであったが会いたかったというアンガールズは出演しなかった(後に『うたばん』で共演)。
- 8月26日2 NANA starring MIKA NAKASHIMA、テレビ独占のオリジナルバージョン
- この日、映画『NANA』に主演し主題歌を歌ったNANA starring MIKA NAKASHIMAが出演、「GLAMOROUS SKY」を披露した。オリジナルバージョンの披露はこれが最初で最後であり、「SUPERLIVE2005」での同曲の披露は全てアコースティックギター1本の伴奏による「アコースティックver.」で対応した(他の音楽番組においても同じ)。 応援には作曲者であるHYDEが駆けつけ、曲披露ではギターを特別に担当した。
- この日、メジャーデビューを果たしたWaTがテレビ初出演。音楽番組に初めて出演した小池徹平は緊張と感動でデビュー曲「僕のキモチ」曲披露中で涙を見せながら熱唱した。この事が大反響になり翌々週にも再登場、VTR付きで初出演時を振り返った。因みに、初出演で涙をこらえて歌いきったウエンツ瑛士には「徹平が泣いてるのを見てお前も焦って泣こうとするな。」という否定的な意見が来たらしい。
- 「SUPERLIVE2005」のトリを務めたB'z。クリスマス直前ということで特別披露となった「いつかのメリークリスマス」とテレビ初披露となる「OCEAN」の2曲を披露した。この2曲は共にバラードであったため、毎年恒例となっている爆発物は今回は無しとなった。ちなみにその代わりとして、紙吹雪とレーザー光線の演出が使われた。またこの年の爆発付きライブはSMAPが担当した。また、2006年のスーパーライブのトークの時はタモリが2人に「今年はあるの?」と聞いていた。ちなみにその時の稲葉の答えは「どうでしょうかねえ。」だった。そして、「衝動」の最後のサビの最終部で爆発があった。
2006年[編集]
- この日、先週に続きKAT-TUNが出演。東京ドームでのデビューライブからの中継で「Real Face」を披露した。オープニングトークではライブ観客5万人全員で「タモさ~ん!!」コールを行い、タモリは「何か俺が東京ドームでやってるみたい」とコメント。ちなみに、この「Real Face」はMステでスーパーライブ含め計5回披露している。また、その日観覧に当時お騒がせであった森進一が来ており、カメラに映ると笑顔を見せた。なお、当スタジオには仲間由紀恵 with ダウンローズとしてMステ歌手初出演を果たした仲間由紀恵もいたため亀梨和也・赤西仁とは事実上の再共演となった。
- 前月の3月を持って脱退していたSHUNだったが、ファンの強い要望もあってかこの日に6人が緊急集結。200人のファンと共に事実上のラストライブを開催し、新曲「YES!」とデビュー曲「Your eyes only~曖昧なぼくの輪郭~」を披露した。トークでは「脱退してもいつまでも仲間なので。」とHIROがコメント。SHUNは涙をこらえながらの熱唱で曲披露終了後のCM中にはATSUSHIと強く抱き合っていた。
- この前日(4月27日)にある女優と交際が報じられたKAT-TUNの亀梨和也がグループとして生出演することもあり、亀梨のコメントが注目されていた。当然ながら、亀梨本人から交際について触れたものはなかったが、オープニングで、他メンバーから「ライブツアーを開催中」と言う話が出た為、タモリが「順調?」と交際とライブを引っ掛けた意味深な質問をした(亀梨はただ笑う程度であった)。このタモリと亀梨のやりとりは翌4月29日に一部スポーツ紙も報じていた。
- アイドルグループNEWSのメンバーである山下智久が、ソロデビュー曲「抱いてセニョリータ」を披露するために出演した際、途中の歌詞を間違えてしまった上、サビの部分で、山下が誤って手をマイクスタンドにぶつけてしまいマイクスタンドが転倒。にも拘らず、山下の歌声がそのまま流れたというハプニングがあり、この出演時の山下は「口パク」で歌っていた事が全国的にオンエアされてしまった(但し、歌詞を間違えた部分は口パクではないため、サビのみが口パクだった可能性もある。そのため、サビのみきれいな声である)。倒してしまったマイクスタンドはバックで踊っていたジャニーズJr.の二階堂高嗣が踊りながら元に戻した。なお、山下はエンディングで恥ずかしそうに「間違っちゃった。」とコメント、苦笑していた。また、12月22日の「SUPERLIVE2006」でもサビの歌声が二重に聞こえており、一番は途中で気付いたのか普通の「口パク」に戻っていたが、それ以降は二重に聞こえている。なので、サビのみ異様に歌声が綺麗に聞こえる。山下は母親に電話で「ださっ!!」と言われてしまったらしく、妹がその時にカバーに入り、「人間なんだから」と慰めてくれたらしい。また、今回の事件でかなり影が薄くなってしまったが、曲の披露中にカメラミスがあり、まったく関係ない映像が一瞬放送されてしまった。
- 口パクがバレた回の翌週にも出演した山下。今回は無事に「抱いてセニョリータ」を歌い終えると思われたが、スタジオに突如亀梨和也が登場し、ステージに乱入。山下は「抱いてセニョリータ」を歌いながら亀梨と共に「青春アミーゴ」のダンスを決め、修二と彰のプチ復活が実現した。披露後、山下は「お客さんが興奮してステージに上がってきたのかと思った。また歌詞間違えるかと思った。」とコメント。ただ、実際に亀梨が登場した瞬間の山下は確実に驚いていて、何かつぶやいていたが、流れてくる歌声はそのままであったので、やはりサビの部分だけ口パクの可能性は大である。しかし、これはスタッフ並びに他の出演者が全員知っていた事であり、山下だけに知らされていなかっただけであり、いわゆる「どっきり」であった。出演時亀梨は自身が主演していたドラマのロケの合間を縫ってテレビ朝日に来ていた。
- この日、KIYOSHI(氷川きよし)が劇場版『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』の主題歌「未来」を披露。ウルトラ兄弟と共演した。
- ソロ歌手として初出演した橘慶太が使用するアコースティックギターを、本番直前にスタッフが誤って落下破損させる事故があった。この日共演したTHE ALFEEの坂崎幸之助が事態に気づき、自分のギターを使用するよう提案。急遽、スタッフが坂崎のギターを手配、本番で橘は坂崎のギターを借用して「道標」を披露することとなった。この事件は翌日橘が出演したTOKYO FM「COUNT DOWN JAPAN」の中で本人より明らかにされた。なお、本事件並びに橘が現在まで当番組出演歴のないw-inds.のメンバーであること、また本番中のトークで橘がw-inds.のメンバーであることに一切触れられなかったことが、一部視聴者の間で議論を呼んでいる。
- テレビ番組には出演しない姿勢をとっていた洋楽バンドU2がこの日Mステに初出演し、六本木ヒルズ森タワーの屋上から生演奏でスペシャルライブを披露した。U2のメンバーは東京の夜景を一望できるこのステージを大変気に入り、このライブ映像を持ち帰ったという。そして、そうした素晴らしい環境を提供したこの番組に感謝し、世界三大番組の一つ(後の2つは不明)だと言っていたらしい。このエピソードは後にタモリから語られた。因みに、U2はこの日日本のテレビ番組に1983年11月21日にフジテレビ系列『夜のヒットスタジオ』に出演して以来23年ぶりとなる出演だった。
- 2006年最後のレギュラー放送。エンディングで伊藤由奈がタモリとトークできなかった事について「どうして私何もないんですか~?タモさん絶対私のこと嫌ってる~。」 と普段あまり見せないキャラで発言をした。また、翌年2月2日に出演した際にもトップバッターでトーク無しだった。全体的にも伊藤は全8回出演中4回トーク無しトップを経験している。
2007年[編集]
- またこの日は、新曲「Love so sweet」をテレビ初披露しに出演した嵐だったが、メンバーの二宮和也が仕事の都合上で追い付かなくなったため、急遽遅れて到着する事となった。その後、NEWSの曲披露終了後に無事合流した。因みに、メンバーの櫻井翔曰く二宮はこの日他アーティストのトーク中にずっとパリでの土産話をしていたらしい(翌週出演のトークより)。
- 宇多田ヒカルが約8ヶ月ぶりに出演、当時着うたがCDリリース前に200万ダウンロードを記録するなど大ヒットしていた「Flavor Of Life -Ballad Version-」を披露。しかしイヤーモニターのトラブルで出だしまでのカウントが聞こえず、♪ありがとう、と~と始まるサビの肝心な出だしが歌えなかった。また翌3日に発表されるが、事実上この日映像作家の紀里谷和明と離婚していたため、結婚指輪をしていなかった(番組中で宇多田が指輪をしていないキャプチャ画像が翌日のスポーツ紙に掲載された)。
- この日披露したCrystal Kayの「こんなに近くで…」がアニメ『のだめカンタービレ』の主題歌という縁で、他局系列で放映のアニメながら、バックにのだめオーケストラが登場した。なお、のだめカンタービレは2006年10月-12月にもドラマとして放送していた。
- 3月2日、Kis-My-Ft.2自身初となるグループ単独出演
- ジャニーズJr.のグループ、Kis-My-Ft.2が出演。ローラースケートを履いてのオリジナル曲「Kis-My-Me-Mine」を披露した。曲の合間では千賀健永、二階堂高嗣がローラースケートを脱ぎアクロバットなどのダンスを披露。
- 同年5月27日に40歳の若さで亡くなったZARDの坂井泉水を偲び、音楽番組初出演となった1992年8月7日放送分と、最後の音楽番組出演となった1993年2月5日放送分の映像を中心に在りし日を振り返った。そして、坂井が病中に「元気になったら、またミュージックステーションで歌ってみたいね。」と周囲の関係者に語っていた事も明かされた。放送終了後、視聴者やZARDファンからの反響が大きく、同年6月29日に放送された「夏うたリクエストSP」で改めて追悼を取り上げ、坂井自身の書いた「負けないで」の歌詞、レコーディング中の様子など貴重な映像も放送され、「IN MY ARMS TONIGHT」を歌った1992年10月16日放送分の映像も放送された。そして「負けないで」に至ってはフルコーラスで放送した。さらに、余談ではあるがこの「負けないで」の映像はこの年の『第58回NHK紅白歌合戦』(NHK紅白歌合戦)で設けられた坂井の追悼コーナーでも流された。
- オープニングでHey! Say! 7の紹介がされている時下からいきなりKAT-TUNの亀梨和也が現れた。亀梨は直前で「歌え」と言われたらしく歌詞カードを渡され1番サビ後の中島裕翔のソロパートを共演、途中で自分がカメラに映るたびに「昭和です」と呟いていた場面も見られた。また、亀梨は舞台の練習中であり、その合間を縫って来ていた。ちなみに亀梨は2006年にも山下智久の披露中に乱入しているため、番組で他アーティストの披露時に乱入(正確には乱入ではないが)するのは2度目である。オープニングでは同日にスタートする同じKAT-TUNのメンバーである中丸雄一が出演するドラマ『スシ王子!』の番宣もした。
- この日新曲「SAMURAI」を引っさげ出演したタッキー&翼だったが、OPでは滝沢秀明が一人で登場。今井翼は現在舞台公演中だった舞台、大阪松竹座から中継で出演した。また、前年の「Venus」の初披露の時と同じく曲披露は合成で行い、ラストサビ部分で翼がスクリーン上からスタジオへ抜け出すという演出もあった。
- 10月5日、DREAMS COME TRUE、吉田美和の夫の死により欠席
- この日は本来DREAMS COME TRUEの出演が予定されていたが、生放送数日前の9月26日に吉田美和の夫(事実婚)で映像ディレクターの末田健(享年33)が急死するという訃報に見舞われ、吉田自身そのショックから立ち直れないこともあり、彼女の心情を察して異例の出演見合わせとなった。同メンバーである中村正人は「吉田は気丈に振る舞うものの、まだまだ人前に出たり、歌を歌える状態ではない」とブログで発表している。皮肉にもこのときに披露するはずだった楽曲「ア・イ・シ・テ・ルのサイン 〜わたしたちの未来予想図〜」は結ばれた二人の『今』をテーマとした楽曲であった。なお、この訃報の影響はこれに留まらず、グループが12月に予定していたアルバム発売が一週間遅れるほど深刻なものであった。そして其れから2ヵ月後のスーパーライブでステージ復帰(同曲を歌唱)。吉田はトークでは珍しく一言も喋らなかった。
- 倖田來未とのコラボレーション曲「LAST ANGEL feat.東方神起」で出演したが、この日トークを行ったのは倖田のみで東方神起はトークはもとより階段からの登場もなく、実質倖田のコーラスおよびバックダンサーという扱いに留まった。これは異なる芸能事務所に所属する男性アイドルグループとの共演を認めないジャニーズ事務所の意向を反映したもの(「1997年 11月14日放送日前 KinKi Kids、急遽出演キャンセル」を参照)とみる向きもあるが、この件に関して当事者からの公式な発言がないことから、真相は不明である。ちなみに、東方神起はジャニーズ事務所とゆかりがないわけではなく、過去にV6や嵐と共演経験がある[1][2](翌週は『うたばん』に出演し司会の中居正広とトークを繰り広げている)ほか、所属するSMエンターテインメントがジャニーズ傘下のジェイ・ストームと提携を結んでいる縁で、ジャニーズ所有の舞台装置を借りたこともある(MKMFを参照)。
- 堂真理子アナがこの日に結婚発表をした。結婚予定日は翌年の春で、この日は偶然にもスーパーライブの生放送と重なった為に番組冒頭でSMAPの木村拓哉から「堂さん、(結婚)おめでとうございます」と祝福の花束が渡された。また、エンディングではトリを務めた桑田佳祐からも祝福メッセージが贈られた(桑田は堂アナが卒業した青山学院大学の先輩でもある)。
脚注[編集]
- ↑ 「日韓両国の友情と相互理解を深めるフレンドシップ2005」、日韓文化交流基金。2008年3月4日閲覧。
- ↑ 「倖田来未、嵐が韓国で熱唱」、日刊スポーツ、2006年9月23日。2008年3月4日閲覧。