崇教真光
崇教真光(すうきょうまひかり)とは、1978年に世界真光文明教団から分離独立して設立された真光系の新興宗教団体の1つ。 現在の本部は岐阜県高山市にある。
目次
概要
崇教真光は、世界真光文明教団(創設時の名称は「L・H陽光子友乃会」)の創始者岡田光玉(初代教え主)の養女である岡田恵珠が光玉の没後の後継者争い[1]の結果、世界真光文明教団から独立する形で立教された[2]。
よって、起源としては「世界真光文明教団」の流れをくむ分派組織であるが、崇教真光は真光系諸教団の中で唯一の正統な教団であると主張している為、岡田光玉が世界真光文明教団の教え主であった時代から連続している組織であると見なして活動を行なっているが、実質は現在の岡田恵珠が初代と考えるのが妥当。現在は事実上の教団の創始者である岡田恵珠の弟子であり、その後養子となった岡田晃弥が教え主代理として立ち、事実上の教主として教団を先導している。但し、岡田恵珠による次期教え主指名の発表がされていない為、岡田晃弥以外の人物が三代教え主に就任する可能性も存在している。
本教団は、新宗教系教団であるが、岡田光玉が世界救世教の元幹部であり、1955年、世界救世教の教祖・岡田茂吉の死去にともなう教団の内紛に際し独立を考え、1959年に分派し「世界真光文明教団」を立教したことから[3]他の真光系諸教団と共に救世教系教団として分類されることがある。
また、「L・H陽光子友乃会」代表であった岡田光玉が真の道協会の幹部、「ヨ宮真光呂斎主」を兼任していた[4]当時、真の道教団の神伺いによって「ヨのみ役」である旨を示されたとされている経緯から神道系の新宗教として分類されることもある。
世界真光文明教団と共に「手かざし教」の一派である。信者は広報紙「陽光ライフ」を購入しポスティングや手渡し配布をしている。
崇教真光設立の経緯
真光裁判
1974年6月23日の初代教え主岡田光玉が脳溢血[5]で死去の後、文明教団の教団葬の式場で二代教え主と正式発表され[6]、側近の一人で世界真光文明教団に多額の資金援助を行なった関口榮と、生前に岡田光玉から二代目を継承していたと教団葬の後に主張した養女の岡田恵珠[7][8]との間において行なわれた裁判をいう。
「世界真光文明教団代表役員地位保全事件」と「世界真光文明教団代表役員地位確認事件」の2事件が存在する。
本件の経過
岡田恵珠は、1974年6月25日に岡田光玉が生前関口榮を次期教え主に指名していたと主要な幹部に発表し、幹部は後にその旨の確認書に署名捺印を行なった。同年7月13日に文明教団の「みたまおくりの祭」(教団葬)の式場で一般信者にもその旨が発表された。しかし、その後岡田恵珠によって岡田光玉が「重大御神示」を記した書面が発見され、その書面の一部分(「ヨのみ霊もちて娘に与えよ」)を引用し自身が次期教え主に指名されたものと解釈した。以降、次第に教え主として振舞う様になり、宗教法人(世界真光文明教団)の代表役員の登記を済ませた。
その後、裁判では岡田恵珠の当初の発表は自身の疲労により誤って伝わってしまった等とし、一部の幹部は確認書を良く確認せずに誤って署名捺印を行なってしまったとする説明書を作成し、提出した。両事件の判決では「重大御神示」の意味解釈には踏み込まず、岡田恵珠の当初の発表が重要な発表であり、かつ十分な訂正の機会があったにも拘らず直ぐに正式な訂正を行なわなかった点を指摘し、岡田恵珠の主張には言動との矛盾があるとして、岡田恵珠の主張を退けた。
世界真光文明教団代表役員地位保全事件
1974年9月18日に関口榮が自身の代表役員地位保全と岡田恵珠の代表役員職務執行停止の仮処分を求めて申請した。
1975年7月24日の地裁判決では関口榮の代表役員の地位を認められたものの、地位保全や職務執行停止を行なう緊急性は認められず岡田恵珠の勝訴となった。1977年3月31日の高裁判決では仮処分を緊急に行なう必要性が認められ関口榮の全面勝訴となった。岡田恵珠は最高裁に上告したものの1977年9月22日に上告は棄却され岡田恵珠の敗訴が確定した。
世界真光文明教団代表役員地位確認事件
1975年8月25日に関口榮が自身の代表役員の地位確認を求め岡田恵珠を訴えた。
1977年2月24日の地裁判決では関口榮の代表役員の地位を認められ、岡田恵珠の敗訴となった。岡田恵珠は控訴したが高裁にて和解に応じ、1982年7月10日に和解が成立した。
和解
岡田恵珠は「地位保全事件」敗訴確定によって、「地位確認事件」和解成立以前の1978年6月5日に『崇教「真光」』[9]を設立した。但し、崇教真光および岡田恵珠は神様から下った神示の内容に従い、教団の名称を「世界真光文明教団」から「崇教真光」に改称したと主張しており、また、信者の多くが岡田恵珠について行ったと言われている。
1982年7月10日に和解が成立(実質的な岡田恵珠の敗訴―岡田恵珠の世界真光文明教団の名称、紋章、施設の使用禁止)し、それぞれ独立して教線の拡大を行なう事と裁判所から示された。また、岡田恵珠の世界真光文明教団代表役員就任登記が事実不存在で抹消され、関口榮の1974年6月23日付けの代表役員就任登記が行われた。
教義
信仰の対象は、御親元主真光大御神(みおやもとスまひかりおほみかみ)と、伊都能売大国魂大国主之大神(いづのめおほくにたまおほくにぬしのおほかみ)である(参考)。
教義として、仏教、キリスト教、神道、回教、儒教、道教などの大元を解くとしている[11]。しかし、他の宗教に対する否定的な教義も多く、例えば、釈尊が弟子に仏教とは如何なる教えかと質問されたのに対し「真如の教えなり」と答えたとするエピソードを紹介し、その返答を教団の教義では「真如」とは「真の如きもの」の意と解釈し、仏教の教えは「仮の教え」と見なしている[12]。豆まきや神道のしめ縄についても正神の神に対する呪術として否定している[13]。
当記述からは釈尊に対する信仰と考えられるのであるが、釈尊が説いたとされる様々な経典には当教団の主張するような教えや記述は一切なくその出典は不明である。天津祈言(あまつのりごと)を重要な言霊としており、祝詞(教団では祈言)として用いられ、お浄めの際に唱えられている。
また、崇教真光の「崇教」の教えは、医学、科学、経済学などの分野も含まれており、宗教の分野はそれらに並列される分野の一つと主張している。その為、崇教真光の教えは宗教を超えた「崇教」の教えであると主張している。但し、崇教真光は宗教法人の法人格を有し、新日本宗教団体連合会に加盟[14]している。
崇教真光の正統性
崇教真光の教え主にはヨニマス大天津神の地上代行者としての「ヨのみ役」が唯一与えられている為、崇教真光は真光系諸教団の中で唯一の正統な教団であると主張している。また、他の真光系諸教団などの教主を「霊媒が跋扈」していると批判している。[15]
しかし、『真光』誌昭和49年9月号では、岡田光玉の教団葬式場で岡田恵珠の言葉として関口榮が二代教え主である旨が正式発表されたと紹介している。但し、『真光』誌昭和49年11月号では、岡田恵珠が二代教え主である旨を掲載し覆している。これは『真光』誌編集担当幹部が岡田恵珠派となった為であり、信者の多くが崇教真光について行ったのは「人類必読の書」として御神書の一つとされている『真光』誌上にて岡田恵珠が二代教え主としての正統性を有すると掲載していた為である。
因みに、崇教真光は真光系諸教団の中で唯一の正統な教団であると主張している為、岡田光玉が世界真光文明教団の教え主であった時代から連続している組織であると見なして活動を行なっている。
陽光農法
教団は「陽光農法」と呼ばれる農作物の生産方法を提唱し、「陽光農法」に基づく「陽光農園」や家庭菜園の推進を行なっている。「陽光農法」は「手かざし」「想念」「言霊」「有機堆肥」の4項目を基本とし、大地の浄化や非常用食料の確保などを目的としている。[16]
また、信者が経営する企業(ミズラホ、ゆうき)が陽光農法で栽培された農作物の販売を行なっており、陽光農法関連の有志による任意団体である陽光種子保存基金の会が存在する。
真光の業
真光の業(まひかりのわざ)とは、初級研修を終えた信者が許される行為、手かざしである(世界救世教の浄霊に相当)。 真光の業は「お浄め」(おきよめ)と呼ぶこともある。教団の教義によればこの世の人間のあらゆる不幸現象のうち、80%が「悪い霊魂によるもの」としており、真光の業でその霊魂が取り除かれる、としている。
この真光の業が万能であるとして、医療行為に擬した形で宗教活動が広められてきたが、人だけでなく、食品や水、動物、機械その他に施しても効果があり、食品の味が変化したり、死にかけた動物が蘇生したり、動かなくなった機械や時計が動き出すなどといったことを売り物にした、一種の奇跡信仰である。また、医療拒否が社会問題化したため、教団としては「手かざしでは治療はできない」ことを一般的には公言している。但し、実際には信者たちはこの手かざしでむし歯以外の全てが治る、と信じて修行を行なっているので矛盾が生じている。
眉間に真光の業を施すと、霊動と呼ばれる受光者の意思とは関係なく体が勝手に動き出したり喋り出す現象が発生することがあり、教団はこれを神の光により憑依していた霊が苦しくなって浮き出している現象だと主張している。霊障と人生。恐るべき霊の暗躍
浮き出した霊に対し、離脱させるための手立てとするために何故憑依したのか理由を聞き出す霊査も行われているが、導士以上の幹部にしか許されていない。
御み霊
信者は、御み霊(おみたま)[17]を首からかけているときは、霊線を通して神とより強く繋がるとされ、お浄めができる。教団では信者に対し、その取り扱いは命と同様大切にと指導し、落としたり、水につけたりしてはならないし、開けてはならないものとしている。
取り扱いを誤ることを「御無礼」(ごぶれい)といい、場合にもよるが、御み霊を預けて「霊線の調整」をしてもらうか、再拝受の必要がある。信者は、御み霊を入浴時などの明らかに「御無礼」となる場合を除き、24時間常に首に掛けていることを求められている。個々の御み霊について、教え主自身が個々人に合わせて御親元主真光大御神との霊線を繋げる調整をしていると、教団は主張している。その為、他人の御み霊をかけた場合、「御無礼」になるとされている。
御み霊の調整には、教え主を除き特級研修受講修了が必要とされていた(特級研修は、幹部が教え主の代わりに御み霊の調整を行う際に必要となるものである)。但し、除名されると自身の御み霊の霊線が切れ、御み霊の調整も出来なくなる為、独立して手かざしが可能な分派教団を設立するのは分派教団の教え主を名乗っても不可能である。しかし、岡田光玉によって関口榮が次期教え主と指名された所[18]、岡田恵珠が、後継者争いを起こして世界真光文明教団から独立して崇教真光を設立した後も、自身の特級の御み霊の霊線が切れているにも関わらず、御み霊の調整を行っている。岡田恵珠が世界真光文明教団所属時に特級研修受講を許されたのは、関口榮が文明教団教え主に就任する際に、岡田恵珠が関口榮の補佐役を務めることを、岡田光玉が意図してのことであった。
入信・退会と階級
信者は「組み手」(「陽光子」ともいう)と呼ばれ、3日間の初級真光研修の受講を修了すると、初級の「御み霊」を受け取り、手かざしの活動が認められる。
崇教真光には10歳から入信が可能で、最初は『初級』だが、2名勧誘(崇教真光においては、「お導き」という)して入信させるなど所定の条件を満たすと『中級』研修の受講が可能となり、更にもう3名入信させるなど所定の条件を満たすと『上級』研修の受講が可能となる[19]。また、『特級』の受講資格は明らかにされていない。
御み霊にも『初級』~『上級』および『特級』の種類があり、各級の受講修了により昇格となる。また、教え主と教え主代理の「御み霊」は『特級』であり、幹部候補生以上の幹部の「御み霊」自体は『上級』であるが、階級は一般の組み手とは違う特殊な部類に入る。
一般の信者は毎月500円、学生は毎月200円(日本国外では現地通貨でおおよそ同一金額)の『霊線保持御礼(れいせんほじおんれい)』を納める必要ががある。信者は毎月、あるいは毎週、定期的に集会所に集まることを求められており、その際には小額でも必ずお布施を納めるのがしきたりとなっている。
勧誘・奉納・奉仕させて頂かないと神様に対して感謝しているとみなされないため、入信後年数が経ってくるにつれ奉納しないことをタダで神様からお陰を盗んでいるとして神盗人(かみぬすっと)と呼ばれることがある。 [20]。
5年間の『霊線保持御礼』未納が生じた場合は、未納が丁度5年間に達したその日を以って霊的には御み霊の霊線は切れ、現界的にも教団を除名されることになっているが、実際には未納の信者がいる場合、他の信者によって「代納」(だいのう)と呼ばれる行為により『霊線保持御礼』の納入が継続され、納入の再開を他の信者より促されるのが通常である。
信者の退会は自由とされているが、所属道場に退会希望を申し出ても「御み霊」を預かるのみで保留となる場合や、他の信徒が説得の為に自宅への電話や訪問を行う場合もある。他の信者の説得行為の内容やその受け取られ方によっては退会時にトラブルとなる場合もあり、それをなるべく防ぐ為に「内容証明郵便」を用いた退会の方法が提案されている[21]。
神祭り
- 元旦祭(毎年1月・お浄め所長以上の幹部のみ参加)
- 立春大祭(2月)
- 秋季大祭(11月)
- 大炎開陽霊祭(おほはらひさい・12月)[22]
- 月始祭(3~10月)
教団施設
本部・ほか
- 真光元主宮(まひかりもとスみや・世界総本山奥宮)
- 元主晃大神宮(もとスひかりおほかむのみや・世界総本山、1989年12月に「元主大神宮」より改称[23])
- 光神殿(ひかるしんでん)
- 元み魂座(もとみたまざ・教え主の住居)
- 崇教真光 本部
- 本部分室
- 光記念館(ひかるきねんかん・博物館)[24]
- 光記念館案内所
- 陽光文明研究所
- 陽光診療所[25]
- 崇教真光青年会館
- 真我台(しんがだい・幹部養成所)
方面指導部
主管道場の上に方面指導部が置かれている。
- 北海道方面指導部
- 東北方面指導部
- 西関東方面指導部
- 東関東方面指導部
- 北陸方面指導部
- 中京方面指導部
- 関西方面指導部
- 中国方面指導部
- 四国方面指導部
- 九州方面指導部
- 欧州方面・アフリカ方面指導部[1]
- 北米方面指導部[2](ハワイ)
- ラテンアメリカ方面指導部
- オーストラリア・オセアニア方面指導部
- アジア方面指導部(インド)
主管道場
主管道場は、日本国内においては東京都以外の各道府県には1つの主管道場が置かれており、東京都は複数置かれている。
また、「主管道場」の呼称自体は規模を表す名称ではなく、準道場から大道場までの主管道場がそれぞれ存在する。
道場・拠点
教団の活動拠点である「霊魂修験道場」(たまひしゅうけんどうじょう・「修験道場」、「道場」とも略す)と拠点には規模に応じて以下の階級区分がある。 布教活動が停滞して何十年も小道場に昇格を許されていない準道場に対しては、ワンマンな幹部を道場長として着任させ、組み手を徹底管理して強引に昇格させる場合がある。
- 道場
- 大修験道場(大道場)
- 中修験道場(中道場)
- 小修験道場(小道場)
- 準修験道場(準道場)
- 拠点
- お浄め所
- 連絡所
バリアフリー対応
世界総本山・光記念館など教団本部地区の施設はバリアフリーとなっている。しかし各地の道場のバリアフリー状況は遅れているのが現状である[26]。また、八代英太が信者であるにもかかわらず、障害者を教団職員に新規雇用することもほとんど行われていない[27]。
関連・関係企業
- L・H陽光出版(書籍・冊子発行)[3]
- Sunrise Press Pty Ltd(L・H陽光出版オーストラリア法人)[4]
- 弘文社(神具・仏具・防災用品などの販売)
- サンサービス(世界総本山参拝時などの交通手段の手配)
教団組織
(教団組織は複雑な為、正確に表現しきれていない部分もある)
- 教え主(教団内では「教え主様」と呼ばれる)
本部
- 教え主代理(教団内では「お代理様」と呼ばれる)
- 局長(指導部長より上位)
- 部長
- 部長補佐
- 課長
- 主任
- 導士
- 幹部候補生
- 訓練生(お主枝和人より下位)
方面・道場・拠点
- 指導部長
- 指導部長補佐
- 主管道場長
- 道場長(代理道場長の肩書の場合もある)
- 副道場長
- 道場長補佐
- 導士
- 導士補
- 幹部候補生
- 所長(導士以上が就任・兼任する場合もある)
- 所長補佐(準幹部が所長補佐とならない場合、準幹部未満の格となる場合がある)
- 準幹部
- お主枝和人会長
- お主枝和人副会長
- お主枝和人(道場内お主枝和人が置かれる場合もある)
- お世話係(お世話係の中でリーダーに相当する役が置かれる場合もある)
- 一般組み手
(道場長~道場長補佐の格は、道場の規模により異なる。例えば、中道場副道場長は小道場長と同格であり、大道場長補佐は中道場長の1段階格下である)
お世話係以上~局長以下を「み役者(みやくしゃ)」、所長補佐以上~局長以下(所長補佐が準幹部未満の格となる場合を含む)を幹部と呼ばれることが多い。また、中道場長級以上~局長以下は上級幹部とされる。
御神紋
御神紋(ごしんもん)とは、崇教真光のシンボルマークである。崇教真光の御神紋は「篭目神紋(かごめしんもん)」と呼ばれることもあり、篭目紋の中心に世界真光文明教団の御神紋を配した図形となっている(参考(右上の徽章))。
これは、世界真光文明教団において岡田光玉の後継を巡る激しい後継者争いから訴訟に発展し、「地位保全事件」で敗訴した岡田恵珠が文明教団を飛び出す形で崇教真光を設立し、また最高裁判所より、世界真光文明教団との決定条項として「和解成立後、遅延なく紋章に新たな外縁または台座を付加する等、世界真光文明教団が現に使用する紋章と識別できるように措置を講ずる」(参考)ことが義務付けられた。その為、後に「地位確認事件」にて和解に至った際に現在使用している御神紋の形を定めた。 [28]
教団の信者となると、「御神紋」の徽章が支給される。道場・拠点参拝の際には着装の義務はないが、月始祭、立春大祭、秋季大祭、大炎開陽霊祭に参拝の際には必ず着装する必要がある。
信者の初級・中級・上級の違いによって、御神紋の大きさが異なる。準幹部以上の幹部の御神紋は中央の円(世界真光文明教団の御神紋)の部分が張り出しており、導士以上の幹部はその御神紋の下に金色の房が垂れ下がっている。金色の房の長さにも数種類あり、上級の幹部ほど長い。特級の教え主と教え主代理は御神紋を着装していない。
お主枝和人には通常の「御神紋」とは若干意匠の異なる徽章(色合いが若干異なり、中央の円の部分の周囲には歯車の歯が描かれている)が貸与される。お主枝和人は原則「中級」以上である必要があり、本徽章も級の違いにより大きさが異なる。また、小道場以上のお主枝和人会長は本徽章の下に銀色の房が垂れ下がっている。
崇教真光青年隊
崇教真光青年隊(すうきょうまひかりせいねんたい、略称「真光隊」)とは、崇教真光の青年組織である。准尉・少佐などの階級こそないが、分隊長・小隊長・司令など軍隊式の呼称を用いた組織となっており、軍隊式の教練も行われている。
必ずしも教団幹部が真光隊の幹部であるとは限らず、教え主代理の岡田晃弥も真光隊の幹部ではない。しかし、真光隊の幹部ではない教団幹部であっても真光隊に対して指導は行っている。
『総裁教え主様』の絶対性
真光隊の最高幹部である総裁は教え主が兼任することが定められている。また、真光隊では隊員に総裁を『総裁教え主様』と呼ばせ、絶対視・神聖視させるように教育されている。
最敬礼は天皇・皇后・皇太子[29]と教え主・教え主代理にのみ行われる。また、崇教真光の教義では教え主は全人類を導く主とされていることから、教団内では、国王・王族や大統領・首相は『総裁教え主様』よりも下級の存在であると捉えられている[30]。
隊員章
隊員章とは、篭目紋(ダビデの星と同形の図形)の部分のうち、六角形の部分の内側に、火・水・時間・空間の「4大源力」を表すとしているスワスチカ(逆卍と同形の図形)[31]を表す図形を配し、残りの6つの三角形の部分に緑色を配した図形である(参考)。
正隊員になると、隊員章が2つ貸与され、1つはベレー帽の正面に、もう1つはブレザーの左胸に着装する。
編成
(概要)
- 北海道方面隊(第1方面隊)
- 東北方面隊(第2方面隊)
- 西関東方面隊(第3西方面隊)
- 東関東方面隊(第3東方面隊)
- 北陸方面隊(第4方面隊)
- 中京方面隊(第5方面隊)
- 関西方面隊(第6方面隊)
- 中国方面隊(第7方面隊)
- 四国方面隊(第8方面隊)
- 九州方面隊(第9方面隊)
- 欧州方面・アフリカ方面隊
- 北米方面隊
- ラテンアメリカ方面隊
- オーストラリア・オセアニア方面隊
- アジア方面隊
隊組織
- 総裁(教え主が兼任)
統監部
- 統監
- 統長
- 教官長
- 教官
- 助教官
方面
- 方面司令(指導部長が兼任)
- 方面隊指導導士
- 方面隊長(隊規にて男子に限定されている[32])
- 方面隊副隊長
道場隊
- 司令(主管道場長が兼任)
- 道場隊司令(道場長が兼任)
- 道場隊隊長
- 道場隊副隊長
- 中隊長
- 中隊副隊長
- 小隊長
- 小隊副隊長
- 分隊長
- 副分隊長
- 準隊員リーダー
- 少年部リーダー
- 正隊員(成年部・青年部)
- 準隊員
- 道場内準隊員
- 少年部隊員
入隊
定期的に行われる準隊員志願候補者訓練会(略して準教と呼ばれる)を修了し、正隊員として相応しいと認められると、毎年1月に方面隊ごとに開催される総会にて正隊員に昇格を許される。 崇教真光青年隊員全員に配布されている隊員必携には真光青年隊隊規の抜粋のみしか掲載されておらず、隊規の全文を知らされないまま入隊を強いられている。さらに、入隊後も隊長など限られた者しか閲覧を許されていない。
隊活動
崇教真光青年隊の隊活動として、大学などの学校内にて「崇教真光」の名称を伏せ「L・H陽光研究会」の名称を用いる偽装行為をし、布教活動や学園祭に参加することがある[33]。
『真光』誌平成4年4月号では布教活動が禁止された大学の学園祭にて、真光隊員が「お浄め」(手かざし)や「真吼え」(説法)等の布教活動を行なうサークルの様子が掲載された(参考)。
「L・H陽光研究会」は、学校内の真光隊に所属する有志が結成し教団とは独立した組織の同好会とは異なり、崇教真光および真光隊の組織内の一機関である[34]。
また、真光隊員は自らの家族・親戚、友人・知人を入信させる為に勧誘するよう隊活動で指導される。所属する方面隊によっては勧誘による入信の実績がなければ正隊員へ進級できない制度がある。他にも、真光隊員が男女交際を行なう場合は教団幹部へ届け出る様、指導されている。
推奨校
教団が直接経営しているわけではないものの、立正大学淞南高等学校と創造学園大学を推奨校として真光隊員や青年信者に入学を勧めている[35]。因みに、立正大学淞南高等学校が推奨校に指定された当時に理事長であった岡崎功(故人)は教団の幹部であり、34周年秋季大祭(1993年)の大祭委員長を務めている[36]と共に、松江騒擾事件を起こした皇国義勇軍のリーダーであり無期懲役の判決を受けている[37]。
政界との繋がり
政治家との関係も親密で、教え主である岡田恵珠が1984年に藤波孝生官房長官[38]の案内で総理官邸を訪問し(『真光』[39]誌260号)、1986年7月29日には村上正邦参院議員の案内で総理公邸を訪問して、いずれも中曽根康弘首相と面会している(新聞各紙)。
その後、38周年秋季大祭(1997年)に刑事事件有罪となった藤波孝生(リクルート事件)・村上正邦(KSD事件)といった議員を来賓に呼び、2000年12月にはKSD事件で翌月に逮捕された小山孝雄の支持署名を集め、その後『崇教真光』誌528号で刑事事件有罪となった藤波孝生からの投書を掲載している。
2001年の参議院議員選挙では、自由民主党の候補である釜本邦茂、橋本聖子、小野清子、森元恒雄の推薦を行なった[40]。
また、2004年1月16日に開催された自由民主党第70回定期党大会の席上では、友好団体として他の宗教団体と共に表彰を受けている[41]。
小泉純一郎は内閣総理大臣に就任した2001年以降自由民主党総裁として毎年秋季大祭へ祝電を送っており、43周年秋季大祭(2002年)では中川昭一を自身の代理として出席させている。安倍晋三は47周年秋季大祭(2006年)に自由民主党総裁として、福田康夫も48周年秋季大祭(2007年)に「自由民主党総裁 内閣総理大臣」として祝電を送っている。
2008年には民主党の石井一議員が、池田大作と創価学会を政教分離に関して名指しで批判するも、その後自身も『崇教真光』との関係があることが露見し、一般からも公明党を中心とした創価学会からも大きな批判を浴びた。
右派としての崇教真光
対外的には、岡田恵珠は日本会議の代表委員を、その前身の日本を守る国民会議の時代より務めている。教育基本法改正に関しては「宗教的情操」を盛り込むことを強く主張した。また、『崇教真光』誌527号には、日本会議事務総長の椛島有三による教育基本法改正についての主張が掲載された。
2006年9月17日に行われた大阪大道場遷座祭では、『お代理様御教示』にて現在の世は「物主逆法」であると批判し、また教育勅語を暗唱させている幼稚園を紹介し教育勅語とその幼稚園を称賛した。また、悠仁親王の誕生は信者の祈りが通じた為であるかの様に示した。
2007年6月度月始祭『教え主様お代理 御教示』では、日本における新憲法の制定と、日本の憲法に防衛軍の保持を明記する必要性を訴えた。
また、44周年秋季大祭(2003年)には靖国神社宮司を来賓に招いた。
石原ファミリーと崇教真光
秋季大祭の来賓の中でも石原伸晃は少年の頃、岡田光玉と岡田恵珠が自宅に訪れたエピソードを42周年秋季大祭(2001年)の祝辞にて披露した[42]。45周年秋季大祭(2004年)では自身が組み手(信者)であることを明らかにし、組み手としての立場をメインに祝辞を述べた[43]。46周年秋季大祭(2005年)では中級に昇格したことを祝辞にて紹介している[44]。
また、Exposure Magazineは、教団の関連企業である「L・H陽光出版」発行の『岡田光玉師御対談集』に、石原慎太郎と教団の創始者岡田光玉が親しい友人として30ページの記事が組まれていることを紹介した。[45]
政治家の来賓
秋季大祭では政治家が来賓として祝辞を述べ、その中でも自由民主党、民主党の出席者が中心である。[46]
- 42周年秋季大祭(2001年) 石原伸晃、金子一義、自見庄三郎、真鍋賢二(いずれも自由民主党)、石井一(民主党)
- 43周年秋季大祭(2002年) 藤井孝男、金子一義、中川昭一、町村信孝(いずれも自由民主党)、土野守(高山市市長)
- 44周年秋季大祭(2003年) 金子一義(自由民主党)、土野守(高山市市長)
- 45周年秋季大祭(2004年) バルトリーニ・ジョルジョ(イタリアアッシジ市市長)、北村直人、金子一義(いずれも自由民主党)、萩生田光一、石原伸晃(いずれも組み手、自由民主党)
- 46周年秋季大祭(2005年) 谷津義男(自由民主党)、土野守(高山市市長)、金子一義(自由民主党)、石原伸晃(組み手、自由民主党)、羽田孜(民主党)、石井一(民主党)
- 47周年秋季大祭(2006年) 宮路和明、山本有二、金子一義(いずれも自由民主党)、鳩山由紀夫(組み手、民主党)、石原伸晃(組み手、自由民主党)、土野守(高山市市長)、衛藤晟一(組み手、自由民主党)
- 48周年秋季大祭(2007年) 古賀誠、金子一義(いずれも自由民主党)、土野守(高山市市長)、岡田克也(民主党)、藤井孝男、塩崎恭久(いずれも自由民主党)、石原伸晃(組み手、自由民主党)(参拝のみ 石井一)
2006年の大阪大道場遷座祭では、中山太郎、中馬弘毅(いずれも自由民主党)が出席した[47]。
崇教真光の信者である著名人
(教団関係の出版物に信者である旨掲載されている場合や、自分自身で公表している場合のみ掲載)
- 石原伸晃(政治家(自由民主党))、(『崇教真光』誌平成16年12月号 P65-67)
- 猪木寛至(元政治家)、(畑中幸子責任編集 『現代のこころ 崇教真光』(旺文社))
- 衛藤晟一(政治家(自由民主党))、(『崇教真光』誌平成18年12月号 P46-47)
- 岡崎功(故人、立正大学淞南高等学校前理事長)、(『真光』誌平成5年12月号 P32)(藤田五郎 『公安百年史-暴力追放の足跡』(公安問題研究協会))
- 小山高生(脚本家、作家)、(小山高男 『霊もピチピチ生きている 実証・真光の業』(リヨン社))
- 萩生田光一(政治家(自由民主党))、(『崇教真光』誌平成16年12月号 P60-61)
- 加藤郁乎(詩人・俳人)、(『崇教真光』誌平成17年10月号 P38-41、八坂東明 『天意の大転換―岡田光玉師の大予告<2>』)
- 鳩山由紀夫(政治家(民主党))、(『崇教真光』誌平成18年12月号 P40-42)
- 町村信孝(政治家(自由民主党))、(『真光』誌平成5年12月号 P37)
- 吉澤善作(東北大学名誉教授)、(『「手かざし」 一医学者の体験と見聞』(発行:金港堂出版部 販売:L・H陽光出版))
称号と勲章の受章
教団の創設者である岡田光玉は、1972年に国際アメリカン学術協会より人類の幸福と文明と世界平和への貢献を認められ、「ナイト・コマンダー」の称号と「セント・デニス・ザンテ勲章」を授与されている。叙勲式と祝賀披露宴は、福田赳夫外務大臣(当時)を発起人として催され祝辞を述べている。また、これらの称号と勲章はアメリカ歴代大統領、各国元首など、世界第一級の功績者に贈られた称号と勲章であると教団は紹介している。[48]
現在でも、本勲章を着用している岡田光玉の写真を掲載した冊子を教団関連企業が発行している[49]。
ちなみに、日本国内の「セント・デニス・ザンテ勲章」受章者としては、田中好信(理学博士、オーガニックゲルマニウム株式会社会長)(参考)や、川口裕清(株式会社コンセラン社長)(参考)、水野裕明(株式会社マイスキィ社長)(参考)などが挙げられる。
しかし、この勲章には文献的な裏付けを見つけられない。また、ブリタニカの百科事典にも掲載されていない。ル・モンドやインターナショナル・ヘラルド・トリビューンといった著名紙が岡田光玉の特集記事を載せたが、この勲章に関しては一切触れなかった。また、名誉性に疑義があり、イタリア外務省では1953年、「この勲章は有名な人物に一方的に送りつけられ、受賞者だとされているだけである。」として警告し、ニセ勲章により悪徳商法や詐欺の道具となる「偽りの名誉」であるとしている。勲章を授与したとされる「国際アメリカン学術協会」についても、アメリカでは現在そのような名前の団体自体が存在していない(似たような名前の団体は授与を否定している) 。
カルトと指摘された崇教真光
Sunday Times、ABCNews.com、New York Press、The Australia/Israel Reviewの各メディアが崇教真光をカルトと指摘し、いずれのメディアもオウム真理教(現:アーレフ)の教義の一つである終末思想と崇教真光の教義との類似性の指摘をしている。The West Australianは、崇教真光をカルトと指摘する特集記事を連載した。[50]
1995年のフランス議会の報告書「「フランスにおけるセクト(カルト)教団」」でも崇教真光をカルトの一つとして指摘されている。日本の新宗教では他に創価学会・霊友会・幸福の科学などがカルトと指摘されている。
また、2007年3月22日発売のルクセンブルクの週刊誌「ランヴェスティガトゥール」でもセクト(カルト)教団と名指されている。同誌にてフランスの信者の児童虐待による逮捕や、数百万フランの不正請求を欧州委員会人道援助局に行なった疑惑も報じられている。ただし、教団広報は事実誤認と否定した。[51]
日本では千葉県我孫子市のJR成田線新木駅前の土地区画整理組合が、崇教真光に土地を売却した鹿島に対し道場建設用地売却反対の決議をし、抗議した[52]。
教団発行・公認書籍など
(一般人も入手可能な書籍のみ記載(絶版を含む))
- 1986年 小山高生 『霊もピチピチ生きている―実証・真光の業』(リヨン社) ISBN 4576850911
- 1987年 責任編集・畑中幸子 編集協力・崇教真光本部 『現代のこころ 崇教真光』(旺文社) ISBN 4010710357
- 1992年 陽光文明研究所・編集 『人間とは何か 人類の未来を創造する 第二回陽光文明国際会議議事録』(弘文社) ISBN 4906348033
- 1994年 -- 『毎日グラフ別冊 崇教真光』(毎日新聞社)
- 1997年 八坂東明 『最後の天の岩戸開き―岡田光玉師の大予告』(リヨン社)ISBN 4576970690
- 1999年 八坂東明 『天意の大転換―岡田光玉師の大予告<2>』(リヨン社)ISBN 4576991035
- 2001年 八坂東明 『霊主文明の暁―岡田光玉師の大予告<3>』(リヨン社)ISBN 4576007513
- 2003年 湯浅泰雄・監修 『スピリチュアリティの現在 宗教・倫理・心理の観点』(人文書院)ISBN 4409040626(参考)
- --年 陽光文明研究所 『英語版 第4回陽光文明国際会議議事録 1』(L・H陽光出版)ISBN 4903855011
- --年 陽光文明研究所 『英語版 第4回陽光文明国際会議議事録 2』(L・H陽光出版)ISBN 4903855028
- 2007年 作:吉村卓三 絵:サトウコウタ 『光の塔』(L・H陽光出版)ISBN 4903855004
- 2007年 岡田晃弥 『神の大経綸 二十一聖紀霊文明のヴィジョン』(L・H陽光出版)ISBN 4903855059
参考文献
- 監修・救い主様伝記編纂委員会 『大聖主 岡田光玉師』 ISBN なし
- 編集責任・崇教真光 『すうきょう 崇教』 ISBN なし
- 崇教真光青年隊統監部 『隊員必携』改定初版 ISBN なし
- 編集・崇教真光『岡田光玉師御対談集』 ISBN なし
- 上之郷利昭 「陸軍中佐岡田良一を襲った『真光』の啓示」『教祖誕生』 ISBN 4103670010 ISBN 4061857398
- A. K. Tebecis Mahikari: Thank God for the Answers at Last ISBN 0959367705 ISBN 0959367713 (日本語版: アンドリス・テベーツィス『(崇教 真光)探し求めた答えはここに』サンライズ プレス)
- 小山高男 『霊もピチピチ生きている―実証・真光の業』 ISBN 4576850911
- 早川和廣 「崇教真光教―後継者争いに敗れ、乗っ取りに失敗した暗い過去」 『新興宗教の正体』 ISBN 4871770303
- ―― 「分裂好きな関口栄・世界真光文明教団と岡田聖珠・崇教真光」 『新興宗教教祖のウラの裏がわかる本』 ISBN 4893740210
- 石川元 「『真光教の体験的理解』 その顛末」 小田晋編 『宗教オカルト時代の心理学 (現代のエスプリ 292)』 ISBN 4784352929
- 週刊朝日特別取材班 『悪党と政治屋―ドキュメントKSD疑獄を追い詰めた400日』ISBN 4022576413
- 山口文憲 『日本ばちかん巡り』ISBN 4104516015
- 山口広・他『カルト宗教のトラブル対策 :日本と欧米の実情と取り組み』ISBN 4876523819
- 井上順孝 『現代宗教事典』ISBN 4335160372
- 井上順孝 『新宗教・教団人物事典』ISBN 4335160283
- 井上順孝 『新宗教事典』ISBN 4335160259
- 國學院大學日本文化研究所 『神道事典』ISBN 4335160232
- 松野純孝『新宗教辞典』(東京堂出版)
- 週刊朝日特別取材班 『悪党と政治屋―ドキュメントKSD疑獄を追い詰めた400日』ISBN 4022576413
- 朝日新聞社 『二十世紀の千人8』ISBN 4022586060
- 山口広『カルト宗教のトラブル対策』ISBN 4876523819
- 樫尾直樹『スピリチュアリティの社会学:現代世界の宗教性の探求』ISBN 4790710939
- 八坂東明 『最後の天の岩戸開き―岡田光玉師の大予告』ISBN 4576970690
- 八坂東明 『天意の大転換―岡田光玉師の大予告<2>』ISBN 4576991035
- 八坂東明 『霊主文明の暁―岡田光玉師の大予告<3>』ISBN 4576007513
- 溝口敦 『宗教の火遊び』ISBN 4093893942
- 島田裕巳 『日本の10大新宗教』ISBN 4344980603
http://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/day?id=104303&pg=20060430
関連項目
- 岡田光玉
- 岡田恵珠
- 岡田晃弥
- 真光系諸教団
- 世界真光文明教団(崇教真光の分派元)
- 神幽現救世真光文明教団(崇教真光より分派)
- ス光光波世界神団(崇教真光の元信者が設立)
- 『真理=神理』の研究会(崇教真光の元信者が設立)
- 偽装サークル
- カルトと指摘された団体・人物の一覧
外部リンク
公式サイト
日本国内の教団本体の公式サイトは2007年になってようやく開設された。また、本部からの書面による通達によって、各道場や信者が特別な許可無く書籍(発行、執筆等)や、インターネット(ウェブページ、ブログ、他)等により教団関連の情報を発信することは禁止されている。
しかし、ブラジルの真光隊には宣伝用サイトを立ち上げさせるなど、日本と海外の組み手で違う指導を行っている。ブラジル真光隊宣伝サイト
告発サイト
- After Mahikari Blog..真光を離れて
- 暴かれた真光日本語版
- 【保存版】光玉の勲章はインチキ勲章
- 暴かれた眞光 日本語版
- 崇教真光の教えの間違い
- 世界真光文明教団・崇教真光の誤りを破す
- 真光被害者の会
- 真光の業。私の体験記
- 崇教真光ゆるツッコミ
その他
- RIRC宗教教団情報データベースサイト『崇教真光』(概要・行事・費用・入退会要領、刊行物等をデータベース形式で掲載)
- 真光リンク集
- 初夏への扉 ~真光系教団リンクサイト~
- 宗教団体、霊感商法などの被害リンク集まとめ@Wiki- 崇教真光
註
- ↑ また、光玉存命中に除名された 依田君美が「神幽現救世真光文明教団」を設立。崇教真光の信者だった黒田みのるは「ス光光波世界神団」を設立している(現在、黒田みのるは真光系教団との関係を否定している)
- ↑ 但し、信者数は世界真光文明教団を上回っている
- ↑ 世界救世教の刊行物「岡田茂吉全集」著述篇第五巻付録8頁19行~9頁7行に、同氏が教団の布教師であったことが明記されている。
- ↑ 真の道協会 『聖和』昭和37年3月25日号
- ↑ 「初級真光研修」では脳溢血発症の原因は、霊障(霊的な原因の障害)が50%、残りは後頭部に濁毒や濁血が硬化した為とされている。
- ↑ 『真光』誌昭和49年9月号(参考)
- ↑ 八坂東明 『最後の天の岩戸開き―岡田光玉師の大予告』
- ↑ 岡田光玉の愛人とも言われている(「新興宗教女教祖30人有名人信者がかしずく霊力プライバシー」『週刊アサヒ芸能』昭和62年10月1日号)
- ↑ 登記上の名称は『宗教法人真光』。(後に、登記上の名称である『宗教法人真光』を出版物には用いた。現在の呼称は『崇教真光』、登記上の名称は『宗教法人崇教真光』。)
- ↑ 『中外日報』1982年9月3日8-9面「ニュース追跡:世界真光文明教団事件(上)」、『同』1982年9月6日8-9面「同(中)」、『同』1982年9月8日8-9面「同(下)」
- ↑ その為、宗門宗派問わず入信することができるとされている(例えば、仏教の僧侶やキリスト教の神父でも入信できる)
- ↑ 『御聖言』
- ↑ 『陽光子祈言集』
- ↑ 『崇教真光』誌平成18年12月号 P70-71
- ↑ 八坂東明 『霊主文明の暁―岡田光玉師の大予告<3>』P216(「八坂東明」とは現在は教え主代理である岡田晃弥の筆名である(『崇教真光』誌平成17年8月号 P76))
- ↑ 八坂東明 『最後の天の岩戸開き―岡田光玉師の大予告』
- ↑ 鈍い金色の薄い銅のような金属でできた、中は空洞になったペンダントのような形をしたものである。その中には紙がが入っている
- ↑ 『真光』誌昭和49年9月号
- ↑ このため、地域によっては昇格したいための無理な勧誘が現実に行われている。上級受講条件は以前は5人入信だったが、3人入信に軽減された
- ↑ 但し、教団に納める必要があるのは『霊線保持御礼』のみである
- ↑ 退会届(崇教真光)
- ↑ 大炎開陽霊祭のみ例年名古屋市国際展示場で開催され(他は世界総本山で開催される)、世界総本山における神祭りにおいては禁止されている飲食物の持ち込みや飲食も可能であり、会場内では飲食物の販売も行われる。
- ↑ 岡田恵珠 「ご立教三十周年秋季大祭 重大御教示 五色人類祭と織り成す」『陽光子の三大徳目 心の下座』、編集・崇教真光、L・H陽光出版、2000年。
- ↑ 24.0 24.1 光記念館は県登録博物館であるが、そこに展示されている教団史は事実に反している部分や隠している部分があり、またお浄めの科学的根拠は展示されていない(例えば、「L・H陽光研究会」で提唱している『言葉が水に影響を与える』という事項も、一切展示されていない)。初代館長の岡崎功は『現代のこころ 崇教真光』P64では立正大学文学部宗教学科卒業・文学博士と称し、5万年前の打器や20万年前のチョッパー、それに島根の恐竜の足跡を紹介している。(猪瀬直樹恩赦のいたずら 最後のクーデター ――『天皇の影法師』より―― )実際は立正大学専門部中退(『読売新聞』および『毎日新聞』1968年7月6日朝刊)。
- ↑ 1990年に開設されたが、未だに医学レポートは発表されていない。また崇教真光誌に掲載された病気治癒体験談の医学的検証も、全くといって行われていない。身体障がい者が教団職員として雇用されることを支援していない。
- ↑ 信者の八代英太が道場に参拝した際に、介助者が車椅子を担いで上がったという
- ↑ ただ、定年が80歳に定められている為(定年後は相談役となる)、教団幹部となってから障害者になった者はいる
- ↑ 早川和廣『新興宗教の正体』 P52
- ↑ 天皇についてはアマテラス系統の霊統であるとし、教え主よりも上級とされている。ただし、信者にそのことを公には公言はしておらず、『隊員必携』に掲載されている崇教真光青年隊隊規には最敬礼は『総裁教え主様』に対してのみ行なうと明記されている
- ↑ このため天皇・皇后・皇太子以外の皇族や他国の国王・王族・大統領それに首相に対しては最敬礼を行わない。なお、紀宮清子内親王(現:黒田清子)が岐阜県多治見市の県陶磁資料館に訪れた際、後方から本人には無断で信者が真光の業(手かざし)を施した様子を『真光』誌(教団機関誌は、1998年1月より、『真光』から『崇教真光』に改称)平成5年2月号に掲載している
- ↑ 岡田恵珠・述『主座へ至るミチ』(L・H陽光出版)P405-406
- ↑ 但し、少なくとも日本国内においては憲法違反のため本規定は無効となる
- ↑ 但し、「崇教真光青年隊」の名称を明らかにして学園祭へ参加する場合も存在する(参考)。一般に「崇教真光青年隊」の名称で開催できる大学には名称を明かして、学内の布教活動が禁止されている場合に異なった名前(偽装行為)を使う傾向が見られる。
- ↑ 真光隊の隊規にて、真光隊の修錬活動で必要のあるときは「L・H陽光研究会」の名称の使用が差し支えないと定められている。崇教真光青年隊隊規(偽装サークル「L・H陽光研究会」)
- ↑ 『崇教真光』誌平成18年10月号
- ↑ 『真光』誌平成5年12月号
- ↑ 猪瀬直樹 「恩赦のいたずら 最後のクーデター ――『天皇の影法師』より――」 日本ペンクラブ、2005年2月17日。
- ↑ 前身の世界真光文明教団から繋がりがあり、教団分裂後も真光系教団をパトロンとしていた
- ↑ 教団機関誌は、1998年1月より『真光』から『崇教真光』に改称
- ↑ 「参院選で宗教票が欲しい 自民「反公明」系と関係修復」『読売新聞』2001年7月12日朝刊、4面
- ↑ 乙骨正生 「特集/創価学会との距離感示した「3つの党大会」 “自・公融合”を印象づけた自民党大会」 Forum21、2004年2月15日。
- ↑ 『崇教真光』誌平成13年12月号
- ↑ 『崇教真光』誌平成16年12月号
- ↑ 『崇教真光』誌平成17年12月号
- ↑ THE DEMON IN THE PROTOCOLS, Exposure Magazine (Australia), June-July 1998
- ↑ 『崇教真光』誌平成13~19年(各年の)12月号」
- ↑ 『崇教真光』誌平成18年11月号
- ↑ 監修・救い主様伝記編纂委員会 『大聖主 岡田光玉師』、責任編集・中部大学教授 畑中幸子 編集協力・崇教真光本部 『現代のこころ 崇教真光』、小山高生『霊もピチピチ生きている 実証・真光の業』
- ↑ 『すうきょう 崇教』L・H陽光出版
- ↑ Cult with terror link sets up London base, The Sunday Times (London), Dec 27 1998
Millennium Cults Grow More Bold as 2000 Nears, ABCNews.com, Jan 5 1999
Seeking the True Light, New York Press, Sep 3 2000
Aum's Aussie friends, The Australia/Israel Review, Mar 22- Apr 10 1997
Court family cuts Asian cult links, The West Australian, Oct 18 1997
Cults in France, NATIONAL ASSEMBLY (France), Dec 22 1995 - ↑ 「「崇教真光」がルクセンブルクで「古城買収騒動」」『週刊新潮』2007年4月19日号、141-142頁、2007年。
- ↑ 朝日新聞 2006年12月14日朝刊 33面(地方面(千葉))
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