週刊文春
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『週刊文春』(しゅうかん ぶんしゅん)は、株式会社文藝春秋の発行する週刊誌である。
目次
概要
1959年(昭和34)4月創刊。日本の出版社系週刊誌では56年創刊の「週刊新潮」と並ぶ老舗。「新聞・テレビが書かない記事」を書く週刊誌というスタンスをとる。
表紙の絵とデザインは、イラストレーター・和田誠。1977年より手がけている。
- 売上(実売部数)については、1988年~92年にかけては60万部台、1993年においては70万部台に達したことがあり、特に1992年下期と1993年上期の一時期においては主要の総合週刊誌(文春ほか、週刊新潮や週刊現代など)の中でトップに立ったことがある。しかし、その後、1994年以降は60万部台に落ち込み、週刊ポスト、週刊現代の後塵を拝してしまった。2007年上期には約52万部、2008年上期には約50万部に落ち込むものの、タブロイド化を目指したことで総合週刊誌の実売部数では2004年上期から(2008年下期現在まで)10期連続でトップに立っている。
主な編集方針とスクープ記事、不祥事など
- 1990年代前半には週刊現代と週刊ポストがヘアヌードを掲載していた中であえて「ノーヌード」(ヌードを載せない)を宣言する中吊り広告を新聞に載せて話題になったことがある。ただし、ヌードを載せたことが全くないわけではない。
- 花田紀凱が編集長在任中は日本テレビ『THE・サンデー』に本人がコメンテーターとして出演した。週刊誌のしかも現職の編集長がテレビ番組でコメンテーターを務めることをめぐっては賛否両論を呼んだ。
- 2004年、鈴木洋嗣編集長の就任以来、政治経済分野の調査報道よりも芸能スポーツ界のスキャンダルを取り上げるケースが多くなった。同時に、これまで同誌を支えてきた専属契約記者が相次いで退社し、殺人事件担当の森下香枝と官庁担当の川村昌代が朝日新聞へ、「噂の眞相」出身で公安事件のエキスパートの西岡研介が「週刊現代」に転職した。エイチ・エス証券の野口英昭副社長の自殺を巡る報道や読売新聞との批判合戦など、名誉毀損の訴訟で敗訴・原告有利の条件で和解するケースが多くなっている。
- 他の週刊誌と比べると週刊新潮と同様に署名記事は少ないが、政治問題や経済問題ならびに企業の不祥事については、あくまでも「金」が絡むスキャンダルが中心ではあるが、直接取り上げている記事も少なくない。芸能人のスキャンダル、殺人事件などの社会事件も数多く取り上げているが、政治家や官僚の金絡みの問題に直接切り込んだ記事も多く、週刊新潮との差別化が図られている。
- たびたび「1000人アンケート」と称してアンケート調査による集計記事を掲載している。主な物に「女が嫌いな女」「女性芸能人好感度格付」など。アンケートの集計方法など詳細に関しては、週刊文春編集部及び文藝春秋本社は回答を拒否し続けていたが、近年になって、無作為に選出した回答者1000人に、3人ずつ自由記入方式で回答し集計する方法をとっている事を明らかにしている。なお、アンケート記事自体の影響力は強く、さとう珠緒や西川史子などはそのランクインをバラエティー番組で逆手にとることが多い。
問題のあった記事・注目を浴びた記事
- 1980年、長嶋茂雄監督率いる巨人はBクラスに低迷していたのを受けて、7月31日号、8月7日号の2回に分けて巨人OBによる座談会を掲載した。この座談会の出席者は青田昇、川上哲治、牧野茂、藤田元司、国松彰、司会はやはり元巨人OBの瀧安治。この座談会はOBによる巨人の現状を批判するという趣旨であったが、特に2回目の記事の中で、川上は「次期監督に藤田元司ということもありうる」と発言するなど、大きく踏みこんだ内容であったため大きな反響を呼んだ。元々は当時巨人のオーナーであった正力亨が複数の巨人OBをゴルフコンペに招待し食事会を開いてOBの意見を乞うという趣旨であり、その中には水原茂、千葉茂、金田正一らも参加していた。しかしコンペ終了後に文春の手による座談会が企画され、以上の様な座談会になった。後に川上は「あれはおれの一生の不覚だった。座談会でアルコールが出てね。勢いに任せてあんなことを言っちゃったんだ」と弁明している。シーズン終了後、長嶋は辞任したが、マスコミや世間は「解任」と受け取り、その首謀者は川上であると非難した(一方で「週刊文春」の記事がきっかけで長嶋が辞任したという意見もある)。
- 1982年に前年引退したプロボクサーの具志堅用高がWBA世界ライトフライ級タイトルを13連続で防衛したのは協栄ジムの当時の会長が相手ボクサーに下剤入りの果物を差し向けた結果であると結論付け『リングの謀略』という告発連載を行う。当時の金平正紀会長は「全くのデタラメである」と否定したがJBCの調査によりクロと判明し、この事件を含めて金平会長は無期限ライセンス停止処分を受けた。また名誉毀損として民事訴訟を起こされたが全面勝訴している。
- 1984年、全7回にわたり「疑惑の銃弾」と題しロサンゼルスで起こった銃撃事件を保険金殺人ではないかと報道(いわゆるロス疑惑)。それをきっかけに、新聞・テレビなども加わり異常なまでの報道合戦が繰り広げられた(メディア・パニッシュメント)。その後、犯人と疑われた三浦和義には最高裁判所で無罪判決が下った(女優に妻を殴打させた事件では懲役6年が確定)。またこのロス疑惑の報道の際に当時この疑惑を調査報道していた週刊文春デスクの金銭問題がのちに発覚し、件のデスクは文藝春秋を退社に追い込まれている。
- 1985年にフジテレビの番組『夕やけニャンニャン』にレギュラー出演しているおニャン子クラブのメンバーのうち5人が喫煙しているところ(全員未成年)を写真撮影して掲載。番組は開始間もなくてローカル枠だったこともあって、まだ世間には注目されておらず、また番組側は5人を即刻クビにして早急に対応したことから、それほど騒がれずに終息していったが、この直後から『夕やけニャンニャン』とおニャン子クラブは大ブレイクし、以後この事件やクビになった5人のことは番組内とおニャン子クラブ内ではタブーとなった(週刊文春喫煙事件)。
- 1989年に東京都足立区で起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件で逮捕された少年4人の実名と顔写真を少年法に反して掲載した。編集長の花田紀凱と部下の勝谷誠彦の判断で、花田は「人殺しの面を見たいだろというのではなく問題提起のため」としたが、大きな波紋を招いた。
- 1992年10月15日発売号で陸上自衛隊高射学校の柳内伸作・3等陸佐が東京佐川急便事件について「もはや合法的に選挙で不正を是正するのは不可能。断ち切るには革命かクーデターしかない」とのクーデター計画の論文を誌面に掲載し波紋を呼んだ。宮下創平防衛庁長官が「民主主義制度を否定する見解の発表は許されない」とコメントし、柳内は自衛隊法第58条違反(威信失墜行為)で懲戒免職。
- 1994年6月に「JR東日本に巣くう妖怪」と題し、革マル派の幹部であった東日本旅客鉄道労働組合(→全日本鉄道労働組合総連合会)の当時の委員長に関する連載記事を掲載し、JR東日本側との全面戦争に発展した。その際キヨスクが週刊文春の取り扱いを止めたことは当時大きな話題になった。もっとも、騒動の最中にグラビアページで記事のターゲットである組合委員長の顔写真を間違えて掲載するという失態を演じ、担当記者、編集者が異動させられて疑惑追及は尻切れとなった。また当時の1995年付平凡社年鑑によると(執筆者はジャーナリストの黒田清)東日本キヨスク側の販売拒否で部数が5万部近くも落ち込んだとしている(結局週刊文春側が謝罪広告を掲載することで決着した)。なお、当該人物に対する警視庁公安部の捜査にあわせて2005年12月22日号にて再びこの幹部に関する記事を掲載し雪辱を果たすこととなったが、キヨスク問題が文春側に与えたトラウマは大きく、「JR東日本革マル派問題」に関しては『週刊現代』に疑惑追及の場を譲ることとなった。
- 1998年6月18日号で、国連「児童の権利に関する委員会」予備審査において、日本の女子高校生たちが学校において意思表明権と自己決定権を奪われていることについて、学生服の強制を例に訴えたところ、ロシア代表から「制服を着られる素晴らしさを享受すべき、世界には着る服すらない国がたくさんあるのだから」と諭されたと書いた。実際には同委員会は「とくに学校生活において、一般の子どもたちが参加権を行使するうえで困難に直面していることを、とりわけ懸念するものである」との所見を示し、高校生たちのプレゼンテーションの素晴らしさを賞賛しており、当時議長を務めたジュディス・カープ委員(イスラエル)も同年12月に来日した際、「発言を改めて称讃し、『心ないメディアが彼らをおとしめた』ことに憤りを表明」している。なお、週刊文春が広めたこのデマは2010年10月現在も流布され続けている。
- 1999年9月30日号から11月にかけて連載で「日本に潜む金正日直属の超大物スパイ」と題して、大阪経済法科大学副学長(当時)に関する記事を掲載。大学から名誉毀損で提訴され、解決金300万円を支払い謝罪する条件で和解。
- 2000年5月、当時の首相森喜朗がアメリカ大統領ビル・クリントンに対してデタラメな英語のあいさつを行ったという報道が、7月末開催の九州・沖縄サミットへの揶揄と併せて、フライデー、週刊文春により報じられた。なお、週刊朝日はこの話に当初から懐疑的であった。事実は当時毎日新聞論説委員だった高畑昭男による創作であり、森はこれをデマだと批判している(Who are you ?捏造報道)。なお高畑は毎日新聞時代末期の2004年に、自身がジョークとして創作したこと、それが事実して報じられたが特に手を打たなかったことを認めた。
- 聖嶽洞窟遺跡捏造疑惑2001年1月25日号、2月1日号、3月15日号で聖嶽遺跡、法鏡寺跡遺跡、虚空蔵寺遺跡などの捏造疑惑を報じ、捏造に関わったかのように記述された賀川光夫別府大学名誉教授が抗議の自殺をした。遺族が故人の名誉回復のために損害賠償請求訴訟を起こし、大分地方裁判所(2003年5月15日)、福岡高等裁判所(2004年2月23日)で相次いで文春側が敗訴し、最高裁も文藝春秋の上告を棄却(2004年7月15日)し、慰謝料920万円の支払いと謝罪広告の掲載を命じた。同年9月2日号の週刊文春に、「代表取締役上野徹 前編集長木俣正剛 取材記者河﨑貴一」の連名の謝罪文が掲載された。
- 2001年10月22日、東京地方裁判所は、「黒川紀章『100億円恐竜の橋』に市民の大罵声」(2000年4月6日号)の記事について、建築家の黒川紀章の名誉毀損の訴えを認め、「多数の市民らから非難の声があがっているとは認められず、批判的な意見をことさらに取りあげた」として1000万円の支払いと謝罪広告の掲載を命じた。
- 2002年「元愛人の赤裸々手記、山崎拓『変態行為』懇願テープとおぞましい写真 愛人同行で外遊も!」なる見出しでホステス山田かな子による暴露記事が掲載。山田によると山崎から陰茎からの飲尿を要求された。山崎が山田の実母に電話をかけて山崎を含む、母娘3人での性交を勧められた。外遊は山田同伴で渡航先の国に関連する衣装を着させられた。山崎が「政治家に就いてなかったら猥褻ビデオの男優になっていた」などと発言したとされる記事が掲載された。山崎側はこの記事を事実無根で名誉棄損にあたるとし文春を提訴するも一審にて請求棄却、山崎側は訴訟を取り下げた。テレビでは単に「愛人問題」として問題視するが、記事内容の下劣さに問題を掘り下げて取り上げる局はなかった。
- 2002年9月26日号〜10月10日号の3週にわたって、「テレビゲームのやりすぎで子どもが若年性痴呆症になる!」というタイトルで、森昭雄の「ゲーム脳」仮説を大々的に取り上げた。週刊文春での報道以降、各マスメディアが追随したことで、科学的根拠が乏しいにもかかわらず、この説は広く科学的な説と誤って認知された。このため、2008年現在でも、いくつかの教育委員会や日本PTA全国協議会などでは森を支持する活動が行われているが、多くの科学者や有識者から疑似科学であるとの反論も多く出されるようになっている。なお、「ゲーム脳」がマスメディアに登場したのは、週刊文春が初出ではなく、2002年7月8日に毎日新聞1面トップで報道されたのが初出である。
- 2002年10月15日、東京地裁は、「仰天内部告発 化粧品会社DHC社長『女子社員満喫生活』」(2001年5月31日号)について、名誉毀損を認めて170万円の支払いを命じた。
- 2004年にNHKのチーフプロデューサーによる横領をスクープ。NHK受信料の不払い、海老沢勝二会長退陣へと至る流れの契機となった。NHK問題は『週刊新潮』の十八番でありライバルの鼻をあかした形となったが、国会でも追及されたNHKの『プロジェクトX』展の協賛金問題は全く記事化されなかった。これは番組の書籍化を文藝春秋が行い、プロジェクトX本の売り上げが絶好調だった事情による。また、『プロジェクトX』の今井彰プロデューサーが、部下の取材内容を全て自身の名前で書籍化したことで、莫大な印税を手にしたことが『週刊新潮』やNHK内部で問題視されたが、これにも一切触れていない。
- 2004年3月、衆議院議員田中真紀子が私人である長女のプライベートに関する記事を掲載されたとして発売前の週刊文春の発行差し止めの仮処分を東京地裁に申請し、裁判所がこれを認めたことで「報道の自由の侵害」ではないかと各社マスコミを巻き込んで大きな話題となる(田中真紀子長女記事出版差し止め事件)。回収されたのはごく一部であり、仮処分の決定で記事の注目を上げる結果となった。
- 2004年10月8日、東京地裁は、タレントの西田ひかるが、化粧品会社社長と愛人関係にあるかのような広告見出しや記事(2003年4月17日号)について名誉毀損を認め、文春に110万円の支払いを命じた。
- 2005年4月7日号(3月31日発売)で、2000年に週刊朝日で紀行を内容とするグラビア記事の連載企画の編集協力費として武富士が5000万円を支払ったものの、その連載企画にはスポンサーの表記が一切出ず(→大森千明#武富士「裏金」、週刊朝日#話題になった記事、不祥事)、武富士のマスコミ対策の裏金であるとした記事の題名を「人はそれをブラックジャーナリズムと言う 朝日新聞が武富士から受け取った『ウラ広告費』5000万円」とした。これを大見出しとした本誌の新聞広告について、朝日新聞掲載分に限って同社の広告ガイドラインに接触するとして「人はそれをブラックジャーナリズムと言う」の語句のみ担当の広告代理店で黒塗りに編集した上で掲載された。
- 記事の影響から3月30日夜にasahi.com上で朝日新聞社の出版・広報担当役員がコメントを発表し、「タイアップ企画の枠組みに関する慎重な検討は欠けていたものの、編集協力費についていかがわしいやり取りは行っていない」としたが、後に編集協力費を返金し、社内処分を実施した。
- 同じく2005年4月7日号で、当時盗作発覚で休業中だった安倍なつみが「盗作くらいでガタガタ言われてムカツク」と発言したというコラム記事を掲載。安倍なつみの所属事務所は捏造であり損害賠償を求め文藝春秋を提訴し、事実ではないとする謝罪記事の掲載で和解した。
- 2005年11月24日号で、浅野健一同志社大学社会学部教授の「学内セクハラ」を報道。浅野教授はこれを事実無根、記事は浅野が週刊文春を「人権侵害メディア」として批判し続けていることに対する報復行為であると表明、翌年1月27日、週刊文春を提訴し、1億1000万円(1000万円は弁護士費用)の損害賠償および、謝罪文を、誌上と、4大全国紙の広告内に掲載することを求めた。
- 2005年12月8日号(この号の発売翌日に容疑者逮捕)で、広島小1女児殺害事件で、被害者の女児が段ボール箱に詰められていたことから、段ボール箱を封印したテープの型を「週刊少年ジャンプ」に連載中の漫画作品『魔人探偵脳噛ネウロ』(松井優征)と無理矢理にこじつけた内容の記事を掲載した(同様の報道は一部テレビのニュース番組でもなされた)。この指摘はテレビ報道の再現映像で段ボール箱にビニールテープが漫画内の怪盗殺人鬼"XI"の字の形に巻かれていたことから来ていると見られるが、実際に犯行に使った段ボール箱の状態とは無関係である。このことからサブカルチャーへのバッシング報道として非難がある。
- 2006年2月2日号より、ライブドア事件に絡み、エイチ・エス証券野口英昭副社長の自殺について疑問を投げかける報道を繰り返した。文春の報道をきっかけにワイドショーや他の週刊誌なども後追い報道し、インターネット上のブログや掲示板なども虚実が入り混じった噂話が横行したが、結局、確たる証拠も揚げられずに週刊文春もトーンダウン。警察庁幹部が記者会見で野口副社長に関する一部の報道に反論・批判し、ライブドア事件の公判で、野口副社長による業務上横領が取り沙汰されて「自殺した動機」も明白になったことで、堀江メール問題と並んで、事件に便乗した空騒ぎとして終焉した。
- 2006年3月9日号から4月13日号に、「徹底取材・永田“ガセメール”民主も知らない全真相」とする記事を掲載。この三本の記事に対して、永田寿康元衆院議員に偽メールを提供した元会社役員らが計5500万円の損害賠償請求訴訟を起こす。2009年1月19日、東京地裁は「具体的に裏付け取材をした証拠はなく、真実と信じる相当の理由は認められない」として名誉毀損を認め、文藝春秋に220万円を支払いを命じた。
- 2006年5月より、週刊現代誌上で宗教家で占い師の細木数子の半生を追及する「魔女の履歴書」が始まると、文春は細木のインタビューを全面的に掲載した反論キャンペーンを始めたが、現代の記事に対し細木の反論根拠が怪しくなると撤退縮小を始め、結果4回で終了という実質的な敗北を喫した。
- 2006年9月28日、東京地裁は、福岡一家4人殺害事件の被害者の親族夫婦を真犯人のように報じた6回にわたる記事について、「原告らが事件の真犯人であるかのように記載した記事は、いずれも真実とは認められず、取材も不十分だった」として、文春側に1100万円の支払いを命じた。文春は控訴したが2007年8月6日、東京高裁にて一審支持、控訴棄却。
- 2007年7月9日、東京地裁が「谷垣財務大臣中国人女性『買春』疑惑」(2005年12月8日号)の記事について、「記事は真実とは認められない」として文春側に330万円の支払いを命じた。記事は、1988年に谷垣が買春疑惑で中国当局の事情聴取を受けたという内容で、文春側は、谷垣の名前が警察庁作成の「中国当局の摘発リスト」にあったと主張したが、判決は「リストの入手経緯が明らかでない」「警察庁が作成したとは認められない」「事情聴取の事実は存在しなかった」とした。文春は控訴したが2008年5月29日、東京高裁にて一審支持、控訴棄却。220万円の支払いを命じられる。
- 2007年9月4日、東京地裁は、JR福知山線脱線事故に関する記事の名誉毀損事件で、原告の全日本鉄道労働組合総連合会とJR西日本労働組合の訴えを認め、「(労組が)都合の悪い情報の取材・報道を阻止したとの記述は真実でない」として文春側に100万円の支払いを命じた。
- 2007年12月10日、「ミャンマー銃撃死 長井さんを喰い物にする通信社代表」(11月22日号)の記事について、ジャーナリストの長井健司の両親が「故人の名誉を毀損し、両親の人格的利益が侵害された」として、文春と編集長に500万円の損害賠償請求訴訟を起こす。
- 2008年9月1日、「安倍前首相『政治利用』に本村さんが絶句」(2008年5月15日号)について、安倍晋三が光市母子殺害事件の被害者遺族・本村洋について嘘の演説をしたとする記事が名誉を毀損しているとして、2300万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴。文春は間違いを認めて発売の翌週号で訂正記事を出している。
- 2009年1月29日号で、俳優のJJサニー千葉が主宰する俳優養成学校「サウザンリーヴス・ハリウッド京都」での体罰、不動産賃料の未払いを報じる。これに対し千葉は、2月12日に記者会見し、「体罰は一切ない」「全額返済していなくても、毎月返済している」と反論し、法的措置をとると表明した(実際に提訴がされたかは未詳)。
- 2009年2月26日号で、『お腹が痛いと政権を投げ出した安倍総理は、今も母親から過保護にされている』と上杉隆の署名入り記事を掲載。安倍から抗議を受けると、『当回答は、未公表の著作物ですので、そのままHPで引用、公開されることはお控えください』と前置きをした上で返答を行った。
- 2009年3月26日号は「創刊50周年特別号」で、「週刊文春」の歴史を振り返るさまざまな企画や、特別企画などが掲載されたが、近年はほとんど活字メディアに登場していないタモリが阿川佐和子との対談に登場した。
- 2010年2月18日号に掲載された「AKB48は社長(窪田康志)の『喜び組』」との見出しの記事について、事実無根の記事で名誉を傷つけられグループの活動にも深刻な影響を及ぼしたとして、運営会社AKSから、約1億6800万円の賠償、謝罪広告の掲載などを求めて東京地裁に提訴された。2010年10月21日号ではAKB48チームKリーダー・秋元才加の家に出入りする広井王子をキャッチした(なお、両者とも交際を否定している。広井王子は秋元の自宅に泊まったことを認めている。)。秋元は週刊文春の報道について10月15日金曜深夜のオールナイトニッポンで「不注意であった」と謝罪し、「チームKキャプテンを辞任します」と発言した。
- 2010年6月10日号で自称ジャーナリストのルポとして「柏崎原発に送り込まれた『北のスパイ』」なる記事を掲載したが、東京電力は“外国のスパイやら工作員やらが事業所内にいるなどということはない”と公式にコメント、谷亮子参議院議員の父親が「保険金詐欺で逮捕、保釈中に暴力団賭博に関わり再逮捕、保険金詐欺で実刑を受けた」過去があると書いた。
- 2012年2月16日号で「仰天スクープ 相手は15歳の少年だった AKB高橋みなみ母が『淫行容疑』で逮捕された!」という記事を掲載。
- 2012年6月21日号でAKB48の指原莉乃の元交際相手と名乗る男性が、指原との交際を暴露した記事を掲載。これを受けて指原は同年6月15日の深夜に放送されたAKB48のオールナイトニッポンに生出演し、「記事を読んで、すごくビックリしました。中身は事実じゃないことがたくさんありましたが、その人と友達だったことは事実です」と一連の騒動を涙ながらに謝罪した。さらにこの日、番組のパーソナリティーを務めたAKB48の総合プロデューサー秋元康が指原のHKT48への移籍を番組内で発表した。
読売新聞との確執
2004年の鈴木編集長の就任以来、読売新聞および渡邉恒雄会長を徹底的に批判しているが、読売から損害賠償請求や謝罪広告を求める訴訟を起こされ、ことごとく文春側が敗訴し、全て賠償命令が下った。支払った賠償金は総額1000万円。
- 2004年8月26日号の巻頭グラビアに「ワンマンの末路」と題して、自宅マンションでガウン姿の渡辺の写真を掲載。
- 2005年10月27日、東京地裁(貝阿弥裁判長)は「自宅でガウンを着ている姿は社会的緊張から解放された無防備な状態で純粋な私的領域。公共の利害に関する事項と言えず、プライバシー侵害に当たる」として文藝春秋側に200万円の支払いを命じた。
- 2004年9月9日号で、「『ナベツネを斬ったのは俺だ!』と豪語する読売新聞最高幹部」を掲載。読売新聞の内山斉社長が巨人軍の渡辺オーナーを辞任させたとする内容。
- 2004年9月24日、読売新聞と内山斉社長が、東京地裁に「事実無根の記事」として文藝春秋と編集長に計6000万円の損害賠償と謝罪広告を求める訴訟を起こす。
- 2006年3月20日、東京地裁(金井康雄裁判長)は、「記事は事実と言えず、裏付けるための取材も行っていない」として、文春側に計300万円の支払いを命じた。
- 2004年10月7日号で、「仙台ウォーズ ナベツネ帝国の逆襲 楽天三木谷に「ライブドア潰し」を哀願した巨人軍桃井球団社長」を掲載。読売新聞紙面の週刊文春の広告から、「仙台ウォーズ ナベツネ帝国の逆襲」「した巨人軍桃井球団社長」の部分が黒塗りで掲載された。桃井恒和球団社長らが楽天本社を訪れ、「新球団に名乗りを上げてくれ」と三木谷浩史社長に依頼したとされる。
- 2004年10月7日、読売巨人軍が、週刊文春と文藝春秋に全国紙への謝罪広告の掲載と3000万円の損害賠償を求める訴訟を起こす。桃井社長や球団幹部は三木谷と面会したことも参入を依頼した事実もないと反論。
- 2006年1月27日、東京地裁(富田善範裁判長)は、「記事を裏付ける証拠はなく、裏付け取材が行われた形跡もない」として文藝春秋側に300万円の支払いを命じた。
- 2004年10月14日号に、「読売が『高橋由伸父借金11億円』肩代わりの決定的証拠公開」との見出しの記事を掲載。株式会社よみうりが、逆指名の見返りに高橋の父親の債務の肩代わりをしたと報じたが、読売新聞は「入団の密約はない」と抗議文を送る。
- 2004年11月18・25日号で、「ナベツネ『新聞社主筆の10億円不動産』の謎」という見出しの記事を掲載。渡辺が不正蓄財をしていると公表。
- 2006年10月30日、東京地裁(綿引穣裁判長)は、「不正な蓄財をしていたとうかがわせる資料は一切見当たらない」「記事は真実と信じる相当な理由がなく、許される推論の域も逸脱し、違法」と述べ、謝罪広告の掲載と慰謝料200万円の支払いを命じた。文春は控訴。
- 2007年7月4日、控訴審判決。東京高裁(大坪丘裁判長)は「推計の数値に誤りがあり、真実とは認められない」とし、一審判決を支持、控訴を棄却。
- 2005年9月21日から24日まで読売新聞で、「週刊誌はどこへ」という見出しの週刊誌批判キャンペーンを展開。
- 2005年10月6日号で、「読売新聞『週刊誌批判キャンペーン』を嗤う ナベツネ会長は小誌がお嫌い?」を掲載し反論。
ジャニーズ事務所との対立
- 1999年〜2000年にかけてジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川の児童への性的虐待疑惑を報道しニューヨーク・タイムズやオブザーバーなどの海外メディアも後追いし国会でも取り上げられるなど内外に波紋を広げた。これらの疑惑は以前から「噂の眞相」などの一部メディアで取り上げられていたが大手メディアとしては初めてこの問題を取り上げた為影響力は大きかったとも言われている(元々文藝春秋は他の大手出版社と違ってジャニーズからの影響力は皆無に近かった)。ただし、ジャニーズ側はこの記事に不満を持っているようで、現在でも例えば『武士の一分』が2006年に映画化された際、文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、と言った対抗措置を取っている。木村が工藤静香と結婚した際には、会見への週刊文春の参加を拒否し、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。
- 2002年3月27日、東京地裁は、ジャニーズ事務所と喜多川が1億2000万円の損害賠償と謝罪広告を求めた訴訟の判決で、「高度の信用性を認めがたい。証人の証言はたやすく信用できない点を残している」として、文春に880万円の支払いを命じた。
- 2009年、草彅剛の公然わいせつを、大文字で「稲垣よりも短い謹慎期間」と見出しをつけ大々的に掲載。「擁護してるテレビ局が一番大騒ぎしている」などと批判した。が、草彅の公然猥褻と稲垣の駐車違反と逃亡の罪の重さの比較をしなかったことが逆に批判された。
- 2010年、「芸能界の奔放と闇」として、ジャニーズ所属のタレントらの交友関係についての記事を掲載。
推理小説ベスト10
文春きいちご賞
毎年の最低映画を選定するゴールデンラズベリー賞の日本版として2005年に創設された。
主な連載
- 近田春夫『考えるヒット』
- 室井滋『すっぴん魂』
- 宮藤官九郎『俺だって子供だ!』(〜2008年5月22日号)、『いまなんつった?』(2008年5月29日号〜)
- 椎名誠『風まかせ赤マント』
- 高島俊男『お言葉ですが』(終了)
- 伊集院静『二日酔い主義』(終了)
- 猪瀬直樹『ニュースの考古学』
- 東海林さだお『タンマ君』
- 小林信彦『本音を申せば』
- 高橋春男『いわゆるひとつのチョーさん主義』
- 劇団ひとり『そのノブは心の扉』
- 土屋賢二『ツチヤの口車』
- 林真理子『夜ふけのなわとび』
- 江國香織『やわらかなレタス』(2010年1月14日号〜)
- しりあがり寿『聖主婦ハルコ』(終了)
- 中村うさぎ『さすらいの女王』
- 先崎学『先ちゃんの浮いたり沈んだり』
- 宮崎哲弥『ミヤザキ学習帳』(〜2006年8月)、『仏頂面日記』(2006年8月〜2009年11月26日号)、『DVD教養主義』(2010年1月14日号〜)
- 坪内祐三『文庫本を狙え』(文春図書館(下記)の連載記事の一つ)
- 堀井憲一郎『ホリイのずんずん調査』
- 阿川佐和子『阿川佐和子のこの人に会いたい』
- グラビア写真『原色美女図鑑』
- 赤塚不二夫『ギャグゲリラ』
- 手塚治虫『アドルフに告ぐ』(1983年1月〜1985年5月)
- ナンシー関『テレビ消灯時間』(1993年10月〜2002年6月)
- いしいひさいち『(笑)いしい商店』(〜2004年4月)
- 中条省平『コミックストリップ』(〜2004年7月)
- 伊藤理佐『おんなの窓』
- 池田暁子『人生モグラたたき!』(2009年6月25日号〜)
- 柳家喬太郎『川柳のらりくらり』(川柳投稿コーナー)
- 町山智浩『言霊USA』
- 『淑女の雑誌から』…女性向け雑誌に掲載された卑猥な話(多くは読者体験談)を、独自のダジャレコメント(一部は種村国夫のイラストも)を付けて紹介。
- 『文春図書館』
- 『新・家の履歴書』