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'''小室哲哉'''(こむろてつや)は、日本の音楽プロデューサー、ミュージシャン、作曲家。
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'''小室 哲哉'''(こむろ てつや、[[1958年]][[11月27日]] - )は、[[日本]]の[[ミュージシャン]]、[[作詞家]]、[[作曲家]]、[[編曲家]]、[[音楽プロデューサー]]、[[キーボーディスト]]。[[東京都]][[府中市 (東京都)|府中市]]出身。元[[尚美学園大学]]芸術情報学部[[教授]]。妻は[[globe]]の[[ボーカル]]の[[kco]]。愛称は「先生」「てっちゃん」「テツ」「コム」「小室」「TK」「テチ」「テツニー」など。身長167cm、体重47kg。
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== 略歴 ==
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=== 学生時代 ===
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音楽の時間に作曲のテストがあった際、教師が小室の作品を見て「誰かは言いませんけどこの中ですごく上手な人がいました」と言った後、その曲がピアノで披露されて、その曲を他のクラスメイトがリコーダーで吹いた。しかし小室は当時を振り返り「目立ちたくない時期だったためものすごく嫌だった」と語っている。[[日本万国博覧会]]で[[シンセサイザー]]・[[冨田勲]]の存在を知り、衝撃を覚える。
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家にあった[[ギター]]・[[ヴァイオリン]]・[[エレクトーン]]を家族に無断で売り、当時16万円以上したというシンセサイザー「[[ローランド]][[SH1000]]」を購入した。[[渡辺美里]]の1stアルバム「[[eyes (渡辺美里のアルバム)|eyes]]」に収録されている「きみに会えて」・[[TM NETWORK]]の4thアルバム「[[Self Control]]」に収録されている「Here, There & Everywhere (冬の神話)」の雛型をその頃に作曲したという。
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[[早稲田実業学校]]高等部商業科に入学。小室の作曲テクニックにクラスメイトが憧れる余り、クラスメイトの半数以上の作曲の宿題を肩代わりさせられた。音楽担任は小室が卒業するまで気づかなかったという。
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[[早稲田大学]]社会科学部に進学し5年ほど在籍、その途中にプロ・ミュージシャンとしての活動を開始する(哀婉・[[あのねのね]]、[[白竜 (俳優)|白竜]]、[[原田真二]]等の[[バックバンド]](キーボードを担当)、[[SPEEDWAY]]への参加等)。その後、音楽活動に没頭していた・授業料を楽器代に使い廻していた為に単位がとれず除籍。
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=== TM NETWORK~TMN時代まで ===
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[[1986年]]に渡辺美里へ提供した「[[My Revolution]]」が[[第28回日本レコード大賞]]金賞。自身の[[音楽ユニット]]である'''TM NETWORK'''は、[[1987年]]に発表した「[[Get Wild]]」で一躍人気バンドとなり、[[1988年]]には[[第39回NHK紅白歌合戦]]に出場。
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自身の[[バンド (音楽)|バンド]]活動と平行して、渡辺美里をはじめ、[[岡田有希子]]、[[荻野目洋子]]、[[おニャン子クラブ]]の[[福永恵規]]、[[堀ちえみ]]、[[中山美穂]]、[[松田聖子]]、[[小泉今日子]]、[[宮沢りえ]]、[[観月ありさ]]、[[牧瀬里穂]]、[[中森明菜]]などに楽曲を提供し、'''作曲家'''としても活躍する。
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[[1989年]]に自身がリードボーカルを担当したソロ作の「RUNNING TO HORIZON」、「GRAVITY OF LOVE」が連続で[[オリコンチャート|オリコンシングルチャート]]1位を記録。[[1985年]] - [[1992年]]の間には、アニメーション映画の「[[吸血鬼ハンターD]]」、[[実写映画]]の「[[ぼくらの七日間戦争]]」、「[[天と地と]]」、[[月9]]テレビドラマの「[[二十歳の約束]]」、舞台ミュージカルの「[[マドモアゼル モーツァルト]]」の'''劇中音楽'''を手掛けた。
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=== 絶頂期・小室ブーム ===
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[[1994年]]の[[TM NETWORK|TMN]]終了前後から、[[観月ありさ]]、[[篠原涼子]]、[[TRF|trf]]、[[hitomi]]、[[内田有紀]]、[[H Jungle with t]]、[[dos (音楽ユニット)|dos]]、[[globe]]、[[華原朋美]]、[[安室奈美恵]]、[[籐子|tohko]]、[[鈴木亜美|鈴木あみ]]など、多数の作詞、作曲、編曲と音楽プロデュースを兼任して行い、1994年から1999年の間に数々の[[ミリオンセラー]]や[[ヒット曲]]を打ち立て、その様子から各メディアにおいて、「[[小室ファミリー]]」、「小室サウンド」、「小室系」といった独自の名称でカテゴライズされる'''[[小室ブーム]]'''という少年時代からの夢だった'''社会現象'''を起こした。
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[[1995年]]から4年連続でプロデュースした曲が[[日本レコード大賞]]を受賞。[[1996年]][[4月15日]]には[[オリコンチャート|オリコンシングルチャート]]においてプロデュース曲がトップ5を独占した。1996年はglobeのアルバム「[[Globe (アルバム)|globe]]」が当時のオリコン記録を更新する売り上げ400万枚以上を記録。安室奈美恵のアルバムも300万枚を超えるなどこの年だけでプロデュース曲の総売上枚数は1,500万枚以上を記録した。さらに1996年から2年連続で[[高額納税者公示制度|高額納税者番付]]において全国4位を記録、[[1997年]]の納税額は11億7000万円で推定所得は約23億円だった。1996年末には海外進出を狙い[[ルパート・マードック]]と組み、100万ドルを出資して香港に合弁会社TK NEWS(後の[[Rojam Entertainment]])を設立した。1997年は[[スピード2]]のテーマ曲のリミックスを手掛けるなどした。
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時代は小室サウンドに踊った。
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「survival dAnce~no no cry more~」(trf)。「DEPARTURES」(globe)。一聴して鮮烈に印象に残るフレーズを盛り込んだ楽曲の数々は、ことごとくミリオンヒット。「ぱっと聴いて、すぐ耳に残る分かりやすいフレーズ、というのは松浦が言っていたことの延長なんだ」
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成功の陰で、松浦たちが奔走していた。鉄道会社とのCMタイアップ交渉、所属会社の壁を越えた撮影チームの融通、カラオケ画面でのアーティスト本人映像の実現…。
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そして、自身は、名声とともに金銭感覚が狂っていった。米ロサンゼルスの高級住宅地に住み、高級車を何台も購入。インドネシア・バリ島に別荘を持ち、米国内の移動はわざわざチャーター機を使った。
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1曲作れば、そのたびに巨額の金が動く。新たなヒット曲を生まなければならない重圧の中、態度は目に見えて傲慢になった。松浦たちとは距離が生まれていった。
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「『自分が頂点』という虚栄心があった。一方で、仕事はやらざるを得ない、勝手に終焉させられない状況。周囲に気も回らなかったし、そんな余裕もない。瞬時でも立ち止まって、周りへ感謝する気持ちを持つべきだった」
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後に松浦からこんなことを言われた。「小室さんから『頑張ってくれてありがとうね』って、ちゃんと言われたことがないような気がする」。ショックだった。
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「みんなが成功して『良かったね』という気持ちはあった。でも、感謝の気持ちは、薄かったと思う」
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=== ブーム後退 ===
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1998年には[[籐子|tohko]]・[[鈴木あみ]]・[[未来玲可]]をプロデュースさせたものの、1996年前後の[[小室ブーム]]全盛期と比べて勢いは劣るものとなっていた。1997年より既存の小室ファミリー向け楽曲の曲調が[[ポップ]]テイストから[[エレクトロニカ]]へ変化している点(特に[[安室奈美恵]]の楽曲が顕著)、[[小室ブーム]]全盛期の中心にいた[[TRF]]や安室奈美恵(出産のため休業)などが活動を縮小し、[[dos (音楽ユニット)|dos]]・[[篠原涼子]]・[[hitomi]]・[[観月ありさ]]らのプロデュースが無くなり、ミリオンセラーを叩き出した[[華原朋美]]も恋愛関係の清算により離脱する等の複合的要因で小室ファミリーの規模が萎縮。ファン離れが急速に進んだ。<br>
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1999年には“非 小室系”のJ-POPアーティスト([[宇多田ヒカル]]・[[MISIA]]・[[Dragon Ash]]・[[DA PUMP]]・[[SPEED]]・[[SMAP]]・[[椎名林檎]]、[[L'Arc〜en〜Ciel]]など)のCDがヒットチャートの中心となり、小室プロデュースのCD売り上げに急ブレーキがかかり、小室ブームが終焉した。。
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鈴木あみの提供曲はデビュー時から2000年までヒット上位にあったものの、[[鈴木亜美#1998 年 - 2001年:ソニー時代|鈴木側のマネジメント上の問題]]で2000年9月を以て関係が絶たれ、それ以後は[[globe]]関係の活動がウエイトを占めるようになった。
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=== 凋落 ===
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[[2001年]]、5月に[[吉田麻美|ASAMI]]と再婚。小室が株式の大半を握っていたRojam社が香港株式市場([[H株]]GEM)に[[上場]]した。また、[[factoryorumok]]を清算後、[[吉本興業]]にタレントとして所属。同年の「[[笑う犬の冒険]]」に『超ハンサム侍』としてバラエティ番組の[[コント]]に出演する等の話題は有ったが、プロデュース業は好転しなかった。かつてミリオンセールスを導き出した安室奈美恵も小室ファミリーから独立した。<br>
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[[2002年]]3月に[[吉田麻美|ASAMI]]と僅か10ヶ月でスピード離婚(実子あり)。5月には吉本興業が設立したアール・アンド・シー・ジャパン(現:[[よしもとアール・アンド・シー]])の株式70%強をRojamが買収し、吉本との関係を強化した。そして11月には[[Kco|Keiko]]と再婚。TBSで[[結婚披露宴]]が[[特別番組]]で[[生中継]]された事は話題となった。しかし、ASAMIとの間で合意した約7億円の慰謝料を一括で払うことはできず分割で支払うことになったが、その支払いも資金繰り悪化の為に[[2004年]]8月頃には滞るようになったという。
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この頃より所有していた[[別荘]]、[[株]]、[[高級車|高級乗用車]]、[[クルーザー]]などの資産売却を行うようになった。2004年には約70億円の株式評価損が生じたRojam Entertainmentの出資・経営から撤退した。さらに[[2005年]]9月には[[大分トリニータ]]へのスポンサー料7000万円を滞納していることも明らかとなった。[[2008年]][[11月1日]]に[[NACK5]]の開局20周年番組に出演した際には自らの活動を振り返り「98年からの10年はなかなか曲が出てこなかった」「もうやれることはやりつくした気がして貪欲になれなかった」と語っていた。
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栄華は長く続かない。1996年、香港に音楽制作会社を設立したが、現地で歌手を育てる意識に欠けたこともあって失敗。リスナーの好みが変わっていく中、ブームは終わった。しかし、一度身についた金銭感覚は直らない。次第に資金繰りに窮した。
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=== 5億円詐欺事件 ===
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[[2006年]][[8月6日]]、小室は[[日本音楽著作権協会]]に自分名義で登録している全楽曲806曲の[[著作権]]を10億円で譲渡する仮契約を男性と結び、前妻のASAMIが著作権使用料を差し押さえているとして、その解除費用として5億円の先払いを要求し、[[8月29日]]までに5億円を受け取った。
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しかし、実際には仮契約段階で既に著作権の一部は音楽出版社に譲渡(音楽業界では著作者である作曲家や作詞家が音楽会社に著作権を譲渡して管理を任せる代わりに、印税を受け取ることが慣例となっている)されており、小室には著作権がなかった。だが小室は返金に応じなかったため、男性は[[2008年]]2月に小室に対し逸失利益を含めた6億円の損害賠償を求め提訴。小室が全額を支払うことで和解が成立したが、期日であった9月末までに小室は支払わなかった。
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このため男性は[[地方検察庁]]に[[刑事告訴]]を行った。検察側は小室が受け取った5億円を差し押さえ解除ではなく借金返済に使っていたことを把握、当初から金を詐取する目的だったと判断し、2008年[[11月4日]]に[[特別捜査部#大阪地方検察庁特別捜査部|大阪地検特捜部]]は小室と[[トライバルキックス]]の社長、広告会社の実質経営者の計3名を5億円の[[詐欺]]容疑で[[逮捕]]した。11月21日に起訴、さらに同日[[保釈#保釈保証金|保釈保証金]]3,000万円を支払い保釈された。
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2009年1月21日に[[大阪地方裁判所]]にて初公判、3月12日に第2回公判が行われ、小室側が遅延損害金を含む計6億4800万円を被害者側に振り込んだことが明らかになった'''([[2009年]][[3月10日]]に解決金を含めて6億5000万円を[[エイベックス・グループ・ホールディングス]][[社長]]の[[松浦勝人]]が立て替え払いを行い、被害者に完済した)'''。お金を振り込んだ後、被害者側に謝罪の手紙を送っているが被害者側に受け取りを拒否されている。なお、この被害者に送るつもりだった謝罪文は第三回公判の際に、小室自身により読み上げられた。被害者側との[[示談]]交渉においては、情状証人として出廷した松浦は「示談を申し込んだが“できない、誠意が足りない”と弁護士から聞かされた。“誠意が足りないとはどういうことか”と代理人に尋ねたら“お金だ”と聞き、非常にショックを受けた。」と証言したが、被害男性は「そのようなことは一切言っていない」と否定し、「民事裁判で和解が成立して決着している。」と話している。なお、[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]の[[mixi]]では2008年11月から「小室哲哉氏の復活を願う会」というコミュニティが457人を集めたり、mixiのサポートを受けての紙ベースの署名活動も行われていた。([[署名TV]]でも行われていた。)さらに小室の母親やマネージャー、弁護士の了解を得た上で署名活動と平行して裁判所への提出もありうるという大前提で小室に対して手紙を書く「小室哲哉さんへの手紙」という活動も行われていたりと、復帰待望論が起き、小室の減刑を望む動きは、音楽業界や音楽業界関係者からもあり、実際に減刑嘆願書を出した音楽業界関係者もいた。第3回公判は4月23日に行われて結審。
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[[2009年]][[5月11日]]、[[大阪地方裁判所]]より懲役3年、執行猶予5年の有罪判決が言い渡され、弁護側・検察側共に控訴はせずに、同年[[5月25日]]午前零時を以って刑が確定した。
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「何も分からない音楽業界のことを教えてくれたことや、今のエイベックスがあるのも小室さんのおかげだと思いだした」
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2009年3月、大阪地裁の法廷に証人として立った松浦は、保釈後に一晩中ピアノを弾く小室さんの姿を見た時の様子をこう語った。それが、被害弁済金を肩代わりした理由だ。ひとたび距離を置いた両者を縮めたのは、やはり音楽だった。
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「音楽を何もないところから作り、それが商品にならなくても、自分でも気持ちがいいものだなと思える時の恍惚感。光に近い瞬間なんだけど、すべてのエネルギーの源。これができなかったら僕はいない」。穏やかに、時に熱く語る口調には、音楽に打ち込める環境への感謝が込められている。
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=== 再出発 ===
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2010年5月に復帰第一作として[[AAA (音楽グループ)|AAA]]の楽曲「[[逢いたい理由/Dream After Dream 〜夢から醒めた夢〜]]」をプロデュース。また翌6月には[[森進一]]への提供楽曲が発売されることがマスメディア、及び[[5月2日]]付の小室の[[twitter]]にて明らかとなった。
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『[[眠らないラブソング/道標]]』の楽曲提供が決まり、作曲の他作詞、編曲も手掛けることとなった。その後もレコード会社を問わず[[超新星 (音楽グループ)|超新星]]、[[SMAP]]、[[北乃きい]]、[[浜崎あゆみ]]らへ楽曲を提供している。一方で[[2010年]][[9月29日]]には[[globe]]のベスト盤がリリースがされ、未発表曲や、パッケージによっては未公開映像や小室のサインも提供された。また11月に[[やしきたかじん]]へ楽曲「[[その時の空]]」を提供した。
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2011年6月13日、[[宇川直宏]]の主催する音楽動画配信サイト[[DOMMUNE]]にてストリーミング配信ライヴを行う。瞬間最大視聴者は2万7000人を超え、合計視聴者数は14万4000人を記録した。12月23日、[[ラフォーレ原宿|ラフォーレミュージアム原宿]]にて開催される「HARAJUKU PERFORMANCE + DOMMUNE」の4日目に出演。[[冨田勲]]とのトーク&ライヴを開催した。
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2012年3月20日、[[幕張メッセ]]で行われた[[東日本大震災]]復興支援チャリティコンサート『ALL THAT LOVE-give&give-』に、[[TM NETWORK]]として参加したのをきっかけに、約4年ぶりにTM NETWORKの活動を再開する。
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人に会っている時も、常にスマートフォン(高機能携帯電話)が気になる。2011年10月24日、globeのボーカルで妻のKEIKOが、自宅でくも膜下出血で倒れ、病院に搬送された。5時間にわたる緊急手術。回復に向かっているが、今も連絡手段は手放せない。
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倒れた当日、119番通報、手術の同意と、すべての手続きを行った。「僕にはこの人しかいないんだなと思った。家族という最小限の二人だから」。自身が救われたこと、妻を救えたこと。一つ一つのめぐりあわせに人の縁を感じずにはいられない。
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「通信が発達して、『ニコニコ動画』や『ユーストリーム』などで環境が整ってきた。ネットでコミュニケーションをとって、『ああ、あいつもあの曲が好きなんだ』と、分かるようになった」
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「世界中の人、億単位で知られている音楽ですね。それを聴いたら誰もが『あれだよね』と分かる定番の音。たかだか2小節で耳に焼き付くような。パソコンの起動音のような衣食住に密着したものですね」
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「昔は恥ずかしくて、愛だとか語っちゃいけないと思っていた。でも、手術までに1~2時間もなかったあの時、自分がやるべきことを考えました。今は恥ずかしげもなく、愛情を与えてあげたいと思う人です」
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=== [[秋元康]]にすがる ===
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<div style="border:solid #99c 1px; background:#eeeeee; padding:0.5em; margin:1em 0.5em">
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tetsuya komuro 1:39 - 一般公開
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:いかがでした、CX新番組さすが、おそるべしAKB! ノースリーブス、男性陣もってかれっぱなしだね、、。
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:ただ、僕は楽なんだよ、収録も。みんな優しいしね。仲良しだし。
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<div style="border:solid #99c 1px; background:#eeeeee; padding:0.5em; margin:1em 0.5em">
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tetsuya komuro9:19 - 一般公開
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:秋元先生に、そろそろ決めうちで、1曲小室曲使ってみません?のようなニュアンス、お伝えしておいてくれる方、いらっしゃったらお伝えしておいてください。
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:直電すりゃいいじゃんと思うかもなんですが、ライブな声があってこそ、
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:意味もあるかなと。
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<div style="border:solid #99c 1px; background:#eeeeee; padding:0.5em; margin:1em 0.5em">
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tetsuya komuro9:25+79
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:25年間職人としては、作曲家としてバイオグラフィーにAKBの名前がないのは格下げになるな、、、独り言。?
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=== 小室哲哉の倹約生活…「ママチャリ移動」「缶ジュースさえ自由に買えない」 ===
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最近の小室の私生活について驚きの証言をするのはある音楽関係者だ。
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「かつては2億円以上する[[フェラーリ]]や[[ベンツ]]など、超高級外車を30台以上もコレクションしていた小室さんが、最近の移動は1万円で買える[[ママチャリ]]と数万円で買った中古[[原付き]]なんですよ」
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驚くのはまだ早い。いつもそばに“監視役”がついているという。
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「小室さんが『ノド渇いた』と[[自販機]]で缶ジュースを買おうとすると『小室さん、ダメですよ!』とスタッフが飛んできて、家で煮出してきたようなお茶を飲ませていたんです」(同)
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かつては食べ物や飲み物にこだわりもなく、コーラ片手にピザばかり食べていただけに、スタッフが健康を考えて制止しているのだろうが、缶ジュースさえ自由に買えないほど“監視”されているという。
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別の業界関係者も小室の変貌ぶりをこう語る。
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「打ち合わせにヨレヨレの服で現れてビックリしましたね。昔から服装にもこだわりがないんですが、最近は[[ユニクロ]]がお気に入りのようです。近く書籍を出版するらしいのですが、サイン&握手会までやるそうですよ。全盛期じゃ、そこまでやるのは考えられないですが、拝金主義のイメージを払拭するために地道な営業活動も今ではいとわないそうです」
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== バイオグラフィ ==
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===1970・80年代===
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==== 1983年以前 ====
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*[[1974年]]
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:[[ニューミュージック]]のアマチュアバンド「哀婉」で活動。
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*[[1975年]]
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:プロ・ミュージシャンとしての活動を開始。[[あのねのね]]、[[白竜 (俳優)|白竜]]、[[原田真二]]、[[角松敏生]]、[[パンタ (歌手)|パンタ]]等の[[バックバンド]]を経験。
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*[[1980年]]
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:[[SPEEDWAY]]に参加。[[月光仮面]]の主題歌をロック調に編曲したCMソング「ROCKIN' ON THE 月光仮面」で手腕を発揮した。2nd.アルバム『BASE AREA』で数曲を作曲した。ミス・オレンジショックをプロデュース。
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====1983年 - 1989年 ====
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* [[1983年]]
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: バンドを結成しては解散する時期を送る(「ギズモ」、「ステイ」、「イラプション」等)。
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: [[力也|安岡力也]]の『ホタテのロックン・ロール』でアレンジを担当。[[SERIKA with DOG]]のサウンドプロデュースを行う。
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: [[SPEEDWAY]]のメンバーであった[[木根尚登]]と新ユニットを組むことに合意し[[村田バンド]]に参加。
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: [[宇都宮隆]]を誘い「[[TM NETWORK]]」を結成し、リーダー、作曲・編曲・シンセサイザー演奏を担当。
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* [[コカ・コーラ]] フレッシュサウンズコンテストに応募。「[[1974 (16光年の訪問者)]]」で史上初の審査員全員満点のグランプリを受賞する。
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* [[1984年]]
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: [[4月21日]]、[[TM NETWORK]]がアルバム『[[RAINBOW RAINBOW]]』とシングル「[[金曜日のライオン (Take it to the Lucky)|金曜日のライオン]]」同時リリースでデビュー。
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: [[7月]]、[[大江千里 (アーティスト)|大江千里]]「ロマンス」の編曲を担当する。
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: [[11月]]、大江千里「十人十色」の編曲を担当した。(※CMバージョンは小室哲哉の編曲である)
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* [[1985年]]
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: アニメ映画「[[吸血鬼ハンターD]]」サウンドトラックを担当する。
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: 小室哲哉にとって初のメジャー歌手の提供曲となる[[岡田有希子]]の曲「Sweet Planet」の作曲を手掛ける。
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* [[1986年]]
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: [[渡辺美里]]に曲提供(作曲)した「[[My Revolution]]」がヒット。精力的にライブをこなす。
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* [[1987年]]
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: TM NETWORKのアルバム『[[Self Control (TM NETWORKのアルバム)|Self Control]]』、シングル「[[Get Wild]]」がヒット。
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: ロサンゼルスでアルバム『[[humansystem]]』をレコーディング。[[Bernie Grundman Mastering]]にマスタリングを初めて依頼した(Bernie Grundman本人が担当)。
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* [[1988年]]
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: 角川映画「[[ぼくらの七日間戦争]]」サウンドトラックを担当。
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: 単身渡英し、アルバム『[[CAROL 〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜]]』の楽曲制作を開始。
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: アイドルデュオ、[[キララとウララ]]のキララ([[大谷香奈子]])と結婚。
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* [[1989年]]
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: [[2月]]、[[デュラン・デュラン]]の[[東京ドーム]]ライブにゲスト出演、キーボードを演奏する。
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:「Running To Horizon」で歌手としてソロデビュー、オリコン週間シングルチャート第1位を獲得。続く「GRAVITY OF LOVE」も第1位を獲得した(松田聖子の連続1位記録を途切れさせた)。アルバム『[[Digitalian is eating breakfast]]』をリリース。ソロツアーも開始。[[シンクラヴィア]]を本格的に使い始めた。
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=== 1990年代 ===
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====1990年 - 1994年 ====
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* [[1990年]]
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: 当人プロデュースによるシンセサイザー(キーボード)EOS B500発売。
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: 角川映画「[[天と地と]]」サウンドトラックを担当。
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: オリジナルアルバム『[[Psychic Entertainment Sound]]』をリリース
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: TM NETWORKが「TMN」にリニューアル。
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* [[1991年]]
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: 「SPACE WORLD」を開催し、「Think Of Earth」を披露。
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: [[X JAPAN]]の[[YOSHIKI]]と「[[V2 (ユニット)|V2]]」を結成し、V2「背徳の瞳」をシングルリリース(オリコン最高位第2位)。一度だけライブを行った。
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: ミュージカル「[[マドモアゼル・モーツァルト]]」の音楽を担当。
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: [[avex trax]]とライセンス契約を結ぶ。自身の個人レーベル第1号となる「[[TK TRACKS|TK TRACKS LABEL]]」を設立。
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: ディスコイベント「[[TK TRACKS NIGHT]]」を開催する。
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* [[1992年]]
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: [[山羊智詞]]&[[赤羽楽団]]のメンバーとして参加。
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: 提供楽曲のセルフカバーを中心としたソロアルバム『Hit Factory』を製作。
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: 初の全面プロデュースユニットとして[[TRF|trf]](Tetsuya komuro Rave Factory)を結成。
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: [[大谷香奈子]]と離婚。
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* [[1993年]]
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: [[2月25日]]、[[trf]]がシングル「[[GOING 2 DANCE/OPEN YOUR MIND]]」でデビュー。
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: [[6月21日]]、trfが2ndシングル「[[EZ DO DANCE]]」発売洋楽中心であった日本のダンスシーンに大変革をもたらした。
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: 米国で[[Radikal Records]]より「TRF Rave Factory」名義で12インチアナログ「OPEN YOUR MIND」を発売。英国でFAZE-2 RECORDSより「t.r.f」名義で12インチアナログ「OPEN YOUR MIND」を発売。
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: [[山羊智詞]]、[[水江慎一郎]](ex [[UP-BEAT]])、横内健亨(ex [[ハイソサエティー]]、[[TENSAW]])、[[朝井泰生]]、[[今川勉]](ex [[ECHOES]])と[[ダイナマイトマシーン]]を結成したが、今川勉がツアー途中で体調不良により離脱。ツアー途中からに太田明(ex [[筋肉少女帯]])が参加するが、各メンバーの所属するレコード会社と事務所がバラバラだったため、政治的圧力がかかりアルバムリリース直前に解散。[[エピックレコードジャパン|EPIC・ソニー]](現[[エピックレコードジャパン]])から発売予定だった1stシングル「No! Mercy Boy!」は、小室哲哉の作曲作品(山羊智詞 作詞)で、[[東京パフォーマンスドール]]の「キスは少年を浪費する」と同曲であった。
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* [[1994年]]
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: [[4月21日]]、TMN"終了"。
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: [[アニメーション映画]]「[[ストリートファイターII MOVIE]]」の音楽監督([[鳥山雄司]]と共同)・主題歌制作を担当。
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: [[7月21日]]、[[篠原涼子]] with t. komuroとして「[[恋しさと せつなさと 心強さと]]」を発売。初のシングル売上200万枚突破。
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: 小室の個人事務所「[[TK state]]」を設立、2000年まで活動。
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: 海外向けプロジェクト[[EUROGROOVE]]を開始。
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: [[hitomi]]、[[大谷健吾]]、[[ANISS]]のプロデュースも同時期に開始した。trfのアルバム『[[WORLD GROOVE]]』から民族音楽への関心を示す。
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: trf「[[BOY MEETS GIRL]]」やEUROGROOVEの楽曲などでトライバル・ハウスに積極的に取り組んだ。
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==== 1995年 - 1999年 ====
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* [[1995年]]
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: [[1月]]、[[幕張メッセ]]でライブ・パフォーマンス「[[tk-trap]]」を開催。
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: trf、[[内田有紀]]、[[マーク・パンサー]]、[[MOON TRAP]]、[[伊藤彰 (タレント)|伊藤彰]]などが出演した[[ミュージカル]]「1999...月が地球にKISSをする」の音楽を担当。ミュージカルの楽曲は多くが商品化された。
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: ジャングル・シークレット・イベント「[[t jungle m]]」を開催。
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: [[H Jungle with t]]「[[WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント]]」でシングル売上200万枚を突破。「[[ジャングル (音楽)|ジャングル]]で世界一の売上を記録したプロデューサー」として海外の雑誌でも取り上げられた。
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: [[フジテレビ系列|フジテレビ]]ドラマ「[[ひとりにしないで]]」の音楽を久保こーじと共同で担当。
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: [[マーク・パンサー]]、[[Kco|KEIKO]]とともに、自身が参加するユニット「[[globe]]」を結成。
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: [[8月]]、「[[avex dance Matrix '95 TK DANCE CAMP]]」でオーガナイザーをつとめ、[[東京ベイサイドスクエア]]・[[大阪万博記念公園]]に計6万人を動員する。
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: [[12月31日]]、trfの「[[Overnight Sensation 〜時代はあなたに委ねてる〜]]」で[[第37回日本レコード大賞]]を受賞。
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: 自身のレーベル「[[ORUMOK RECORDS]]」をスタート。[[華原朋美]]、[[H.A.N.D.]]をデビューさせる。([[1996年]]には[[dos (音楽ユニット)|dos]]がORUMOKからデビュー)。
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: 公式ウェブサイト「Planet TK」をスタートさせた。
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* [[1996年]]
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: globeのシングル「[[DEPARTURES]]」で売上200万枚を突破。
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: globeのアルバム『[[globe (アルバム)|globe]]』で売上400万枚突破。オリコン歴代アルバム記録を更新。
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: 華原朋美のアルバム『[[LOVE BRACE]]』が売上250万枚を突破。オリコン歴代ファーストアルバム初動記録を更新。
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: [[安室奈美恵]]のアルバム『[[SWEET 19 BLUES]]』が売上300万枚を突破。オリコン歴代アルバム初動記録、累計記録(女性部門)を更新。
 +
: 安室奈美恵のシングル「[[Don't wanna cry]]」で[[第38回日本レコード大賞]]受賞。
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: [[4月]]、[[嘉門達夫]]が小室哲哉プロデュースの曲を替え歌にした、TK替え歌メドレーが発売された。
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: [[9月]]、TK替え歌メドレー2も発売となった。
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: [[4月15日]]付け[[オリコンチャート|オリコンシングルチャート]]で1位から5位までを自身がプロデュースする楽曲で独占した。
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: カラオケソフトウェア「TK's karaoke engine」の販売がスタート。
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: [[11月]]、[[厚生省]]の開催する麻薬・覚醒剤禍撲滅運動の一環として、小室プロデュースによるライブ「[[イエス・トゥー・ライフ dance alive]]」を開催する。
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: [[12月]]、小室哲哉とルパート・マードック率いるニューズ・コーポレーションが百万[[ドル]]ずつ出資し、香港に合弁会社「[[TK NEWS]]」を設立。アジア進出の足がかりとなり、2年後に[[台湾]]から[[Ring (歌手)|Ring]]、[[香港]]から[[grace ip]]をデビューさせるきっかけとなった。マードックは1998年に撤退したが、TK NEWSは[[Rojam Entertainment]]の母体となった。
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: [[12月31日]]、23時から24時間の間にインターネットイベント「[[TK Trillion Net]]」が開催された。
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* [[1997年]]
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: [[4月6日]]、祖父の出身地、[[福島県]][[西白河郡]][[中島村]]に小室アレンジの「ヨカッペ音頭」が流れるからくり時計を寄贈。記念式典にも出席した。
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: 「[[小室ファミリー|TK presents こねっと]]」として『YOU ARE THE ONE』をリリース。収益金は「こねっと・プラン」参加校に寄付され、教育現場への[[インターネット]]普及に貢献した。
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: globeにて日本史上初の東京、名古屋、大阪、福岡4大ドームツアーを敢行。
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: 台湾で初の海外ツアー「[[TK PAN-PACIFIC TOUR '97 IN TAIPEI]]」を開催する。
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: [[7月]]、アニメーション映画「[[エルマーの冒険]]」の音楽監修を務める。
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: [[20世紀フォックス]]配給映画「[[スピード2]]」のメインテーマのリミックスを手掛ける。
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: 中日邦交正常化25周年記念公演「[[TK Presents GROOVE MUSEUM]]」を開催する。
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: DJ [[DRAGON]]とプロデュースユニット『[[tatsumaki]]』を結成。後に[[鈴木あみ]]、[[BALANCe]]等に関わっていく。
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: 安室奈美恵のシングル「[[CAN YOU CELEBRATE?]]」で売上が200万枚を突破、[[第39回日本レコード大賞]]を受賞。
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* [[1998年]]
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: ニューヨークでインディーズレーベル「[[TRUE KiSS DiSC]]」(1999年正式に設置)を始動。鈴木あみ、[[甲斐よしひろ]]、Ring、白竜などをプロデュースした。
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: グアム観光政府局より親善大使として「グアムアートイルミネーション」を総合プロデュース。
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: [[セイコーホールディングス|SEIKO]]と共同で腕時計「frequency」を開発する。
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: globeのシングル「wanna Be A Dreammaker」で[[第40回日本レコード大賞]]を受賞。
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: 香港の[[中国]]返還1周年記念式典に参加。香港にアジア最大の総合音楽プロダクションを目指す会社「[[Rojam Entertainment]]」を設立。中国・上海に「ROJAM DISCO」をオープン。
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: 東京に[[メディアファクトリー]]などとの合弁会社「[[factoryorumok]]」を設立。
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: 「[[ヤマハ・EOSシリーズ|YAMAHA EOS SOUND CONTEST98]]」の審査委員長を務める。(ちなみに副審査委員長は[[浅倉大介]]。)
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: [[籐子|トーコ]]が、小室哲哉と[[日向大介]]の共同プロデュースでデビュー。
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: [[未来玲可]]が小室哲哉と[[久保こーじ]]の共同プロデュースでデビュー。
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: [[1998 FIFAワールドカップ|サッカー・W杯フランス大会]]の公式アルバムに[[ジャン・ミッシェル・ジャール]]とともに「TOGETHER NOW」で参加。
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: [[パリ祭]]のメインイベント「[[RENDEZ-VOUS '98 ELECTRONIC NIGHT]]」をジャン・ミッシェル・ジャールと共同で開催する。
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: [[日本テレビ放送網|日本テレビ系列]]ドラマ[[P.A.]]のサウンドトラックを担当。
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* [[1999年]]
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: 1月末、華原と破局する。
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: TM NETWORKを再結成し「[[GET WILD DECADE RUN]]」を発売した。
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: 元dosの吉田麻美と「[[Kiss Destination|TRUE KiSS DESTiNATiON]]」を結成し、[[TOTO (バンド)|TOTO]]の代表曲「AFRICA」をカバー。
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: [[TLC (バンド)|TLC]]の[[Left Eye]]が名付け親の[[BLAQUE IVORY]]を「ADORE ME」の作曲とアレンジを担当した。
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: [[インドネシア]][[バリ島]][[クタ]]ビーチにて「[[GOA IN BALI]]」をDJ DRAGONと共同で開催し、2万人を動員した。
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===2000年代===
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==== 2000年 - 2004年 ====
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* [[2000年]]
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: [[国際麻薬統制委員会]]を訪問し、UNODC親善大使を授与される。
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: ニューヨークの国連本部で開催された国連親善大使会議に参加する。
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: TM NETWORKとKiss DestinationがTRUE KiSS DiSCレーベルから撤退。個人レーベル「[[Tatsumaki Records]]」を設立。
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: アーティスト養成通信講座「TK MUSIC ONLINE」を開始。
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: Rojamよりネット配信と通信販売により新曲を発表した。Rojamからは[[Zoie]]と[[CELINA]]。factory ORUMOKからは[[坂口実央]]、[[MIYUKI]]、[[清水まなぶ]]、[[ステレオリキッド]]などがデビュー。ネット販売とコンビニ販売を視野に入れた両社であったがレコード販売以外はほとんど実現できなかった。
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: [[11月]]、麻薬・覚醒剤乱用防止活動としてTRF、BALANCeと共に「イェス・トゥ・ライフ東京大会」に参加。
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: [[12月31日]]~[[元日]]、[[沖縄県]]・[[宜野湾海浜公園]][[トロピカルビーチ]]で「[[Rendez-vous in Space 2001]]」が開かれた。
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* [[2001年]]
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: [[1月]]、[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|Sony Music Entertainment]]との専属契約を解消し、factory ORUMOKから撤退。
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: [[5月]]、[[吉本興業]]とマネージメント契約を結ぶ。吉本興業内のレーベル「R&C JAPAN」(現[[よしもとアール・アンド・シー|R and C]])の設立に参加、一時期オーナーを務める。
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: 同日[[Kiss Destination]]の[[吉田麻美|ASAMI]](吉田麻美)と再婚。
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: DJ [[DRAGON]]、[[原田大三郎]]とともに「[[GABALL]]」結成、トランス・ミュージックへの傾倒が始まる。Rojamのレコード販売事業は縮小。
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: [[SAM (ダンサー)|SAM]]プロデュースクラブ・イベント「[[TRF|zento]]」にTRF、BALANCe等と共に、参加・楽曲提供。
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: [[9月]]、フジテレビ単発テレビドラマ「[[プラトニック・セックス]]」の音楽監督を担当([[橋本慎]]と共同)。
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: [[10月]]より放送を開始したアニメ「[[サイボーグ009 (アニメ)|サイボーグ009 THE CYBORG SOLDIER]]」の音楽監督([[多田彰文]]、[[松尾早人]]と共同)を担当。
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* [[2002年]]
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: トランス・イベント「[[TK PRESENTS SYNTHESIZED TRANCE]]」を主催。
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: [[中国映画]]「[[恋愛中的宝貝]](邦題:[[恋愛中のベイビー]])」の音楽監督・主題歌制作を担当。
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: [[3月]]、吉田麻美と離婚。
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: [[11月22日]]、globeのボーカルKEIKOと再婚。globeには[[X JAPAN]]の[[YOSHIKI]]が加入した。
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* [[2003年]]
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: [[4月]]より3年間「[[キャットミュージックカレッジ専門学校]]」の名誉校長に就任した。
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: 初のピアノ・インストアルバムを3枚発表した。
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: 全米先行放送アニメ(後に2004年10月より日本でも放送)「[[ゾイドフューザーズ]]」の音楽監督を担当。
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: [[新型肺炎]]や[[鳥インフルエンザ]]の流行などにより、韓国での開催を予定していた[[黄砂]]対策チャリティライブが中止。globeにYOSHIKI加入後初の東京ドームライブが中止と、不運が相次いだ。
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* [[2004年]]
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: Rojam株を全て売却し、Rojamの経営から撤退した。
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: 個人スタジオ兼イベント運営会社として「[[トライバルキックス|Tribal Kicks]]」を新たに設立。
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: [[日本プロサッカーリーグ|サッカーJリーグ]]の[[大分トリニータ]]のスーパーバイザーに就任。
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: [[4月21日]] TM NETWORKデビュー20周年を記念して[[横浜アリーナ]]でライブを行った。
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: 日中国交正常化30周年記念[[日本放送協会|NHK]]ドラマ「[[世紀末の晩鐘]]」の音楽監督を担当。
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: [[11月2日]] globe結成10周年を記念して2年半ぶりの全国ツアーを行う。ツアー中に新曲「judgement」を披露。
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: [[12月31日 |大晦日]]、[[BLACK JAXX]]と共に[[六本木ヒルズ]]52FにてカウントダウンLIVEを行う。
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==== 2005年 - 2009年 ====
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* [[2005年]]
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: クラブ・イベント「[[ヤマハ|Electone STAGEA]] Presents [[Tribal Kicks TV Party]]」を開催した。
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: avexの手掛ける高音質ネット配信の研究機関「[[High Definition Sound laboratory]]」のエグゼクティブアドバイザーに就任。
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: 「@MUSIC HD Sound」にてglobeの楽曲の高音質配信を開始した。
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: [[2月]]、中国の女優である[[陳好]]に楽曲提供する。
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* [[2006年]]
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: ロサンゼルスを拠点とした活動を再開。DJ TK名義で[[丸山茂雄]]運営の「[[に・よん・なな・みゅーじっく|mF247]]」に楽曲の提供を開始。
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: [[3月]]、[[エプソン 品川アクアスタジアム]]のアトラクション「ポート・オブ・パイレーツ」の音楽を担当。
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: 小室哲哉と吉本芸人がコラボレートを行い「[[TKプロジェクト ガチコラ]]」と題して、11組のお笑い芸人に楽曲を提供した。
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: [[10月]]、米ロックバンド・[[スティーヴィー・サラス|Stevie Salas Colorcode]]のアルバム『Be What It Is』の楽曲「cherokee girl」にシンセサイザーで参加。
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: [[11月]]、自身の[[MySpace]]オフィシャルサイトを開設。
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: [[12月]]、音楽配信を主とした新たな[[インディーズ]]レーベル兼個人スタジオ「[[TKCOM]]」を立ち上げる。
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*[[2007年]]
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: [[Kimeru]]の「with you」をプロデュース。男性ソロアーティストのプロデュースは自身で9年ぶりとなる。
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: [[4月]]、[[尚美学園大学]]芸術情報学部音楽表現学科特任教授に就任。[[著作権]]を巡る[[詐欺]]事件(前述)のため同大学は[[2008年]][[11月4日]]付けで小室哲哉を[[懲戒解雇]]処分した。
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: [[6月]]、所属事務所の吉本興業と契約満了。
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: [[7月]]、DJ TK名義で「[[Cream Of J-POP 〜ウタイツグウタ〜]]」をリリース。
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: [[11月2日]] - [[11月3日 |3日]]、[[楽器ショー#楽器フェア|楽器フェア]]2007に、TM NETWORKとしてライブ出演。
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: [[11月8日]] - [[11月11日 |11日]]、[[秋葉原]]のメイドカフェ「メイリッシュ」をジャック。愛用のギターやキーボードを展示し、店舗を「DJ TK」仕様に改装した。
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: [[12月]]、音楽プロダクション[[イーミュージック]]の制作総指揮に就任。同月に設立された芸能事務所「[[Empire Play Music]]」に所属。
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: [[12月31日|大晦日]]から[[1月1日|元旦]]にかけて[[大宝寺 (鎌倉市)|多福寺]]にて、「TK New Year Live 2008 in Tafukuji Temple」を開催する(この模様は[[YouTube]]で公式配信された。)
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* [[2008年]]
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: [[2月]]、18年ぶりとなるオリジナルアルバム「[[Far Eastern Wind - Winter]]」を[[iTunes Store]]配信限定で全世界同時リリース。
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: [[3月]]、オリジナルアルバム「[[Far Eastern Wind - Spring]]」を[[iTunes Store]]配信限定で全世界同時リリース。
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: [[5月]]、「[[MTV Video Music Awards Japan]] 2008」にkcoと共にゲスト・セレブリティとして出演。
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: [[6月]]、[[飯田産業|江の島アイランドスパ]]の新アトラクション「オーロラトリップ」「ヒーリングオーロラ」のサウンドプロデューサーを担当。
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: [[7月]]、オリジナルアルバム「[[Far Eastern Wind - Summer]]」を[[iTunes Store]]配信限定で全世界同時リリース。
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: [[8月]]、尚美学園大学にて「SHOBIワンダーランド」のプログラムとしてピアノコンサートを行う。
 +
: [[9月]]、オリジナルアルバム「[[Far Eastern Wind - Autumn]]」を[[iTunes Store]]配信限定で全世界同時リリース。
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: [[11月4日]]、[[兵庫県]]内に住む個人投資家に著作権譲渡の話を持ちかけ、5億円を騙し取った詐欺の容疑で、[[大阪地方検察庁|大阪地検]]特捜部に逮捕される。これを受け、「[[Empire Play Music]]」は同日付で小室を契約解除した。
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* [[2009年]]
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: [[5月11日]]、[[大阪地方裁判所]]より懲役3年、執行猶予5年の有罪判決が言い渡される。
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: [[8月1日]]、個人事務所「[[a nine]]」を設立し、エイベックスと専属契約を結んだ。
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: [[8月22日]]、『[[a-nation]]'09』にglobeのメンバーと共にシークレットゲストとして出演、音楽活動を再開。
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: [[11月13日]]、クラブイベント『HOUSE NATION』にスペシャルゲストDJとして参加。
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=== 2010年代 ===
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==== 2010年 - 現在 ====
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*[[2010年]]
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: [[2月]] - [[3月]]にかけて、再開後初めてのソロコンサートを[[熊本市民会館|崇城大学市民ホール]]・[[福岡市民会館]]・[[鹿児島市民文化ホール]]で開催された。
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: [[9月7日]] - 『[http://www.youtube.com/watch?v=bfeSNaybD0g globe デビュー15周年記念ベスト盤、サイン書き特番]』を[[Ustream]]にて配信。
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: [[9月22日]] - 『[http://www.youtube.com/watch?v=BXPJcMvfriI globe デビュー15周年記念ベスト盤、完成記念特番]』を[[Ustream]]にて配信。
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: [[10月13日]] - 14日、[[KREVA]]のコンサートイベント「意味深3」日本武道館2Days公演にサポートキーボーディストとして出演。
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: [[12月14日]] - 『DATV「ほほえみプロジェクト」チャリーティイベント「Message! to Asia」』に[[GACKT]]、[[ペ・ヨンジュン]]らとともにゲスト出演。
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*[[2011年]]
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: [[2月17日]] - [[ニコニコ生放送]]『[[MAX松浦]]の朝まで松木らNIGHT☆』にゲスト出演。
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: [[5月4日]] - オリジナルアルバム「[[Digitalian is eating breakfast 2]]」をリリース。
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: [[5月4日]] - 「HOUSE NATION GW Fiesta」にスペシャルゲストとして出演。
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: [[5月5日]] - [[ニコニコ生放送]]『[[ニコラジ]]!』にゲスト出演。
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: [[5月15日]] - [[ニコニコ生放送]]『[[小室みつ子]]のGet Wild』にゲスト出演。
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: [[6月1日]] - オリジナルアルバム「[[Digitalian is eating breakfast 2]] インストバージョン」を配信開始。
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: [[6月13日]] - 『DOMMUNE「TK Presents BROADJ ♯331」2-Hour Special Live Set by TETSUYA KOMURO』を音楽動画配信サイト[[DOMMUNE]]にてストリーミング配信。来場者数はのべ14万人以上にものぼり、ネット上で大きな話題となった。
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: [[7月18日]] - 『国連UN-OHRLLS・国連の友 "Friend's Whistle! Act for Tomorrow! Vol.2"』に出演。
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: [[7月23日]] - [[24日]] - 『[[a-nation]] Charge & Go! [[ウイダーinゼリー]] THE PREMIUM NIGHT in nicofarre』に出演。
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: [[7月30日]] - 『Yamaha & Steinberg EXPO 2011 ”TK Special Talk & Live”』に出演。
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: [[8月19日]] - 『FREEDOMMUNE 0<ZERO>2011』に出演予定だったが暴風雨のため中止される。
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: [[8月20日]] - 早朝、中止された『FREEDOMMUNE 0<ZERO>2011』を「今日やらないと意味が無いセットリスト」とのことでスタジオより急遽配信。
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: [[8月29日]] - 『ASOBINITE!!! at ageHa』に[[中田ヤスタカ]]とともに出演。
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: [[9月2日]] - 『JAPANATION×HOUSE NATION Supported by [[レコチョク]]』に[[DJ KOO]]とともにゲスト出演。
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: [[9月3日]] - [[ニコニコ生放送]]『「[[house of globe]]」視聴会&[[globe]] Remix Night!!』にゲスト出演。
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: [[9月21日]]- [[22日]]、[[30日]] - 「TETSUYA KOMURO ~Piano Solo Concert~」を開催。
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: [[10月15日]] - 『ASOBISYSTEM & PIF presents ASOBINITE!!!』に[[中田ヤスタカ]]とともにゲスト出演。
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: [[11月5日]] - 『[[早稲田祭]]2011「UBC-jam vol.25」』に出演。
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: [[12月23日]] - 『HARAJUKU PERFORMANCE + DOMMUNE』に出演。[[冨田勲]]とのトーク&ライヴを開催。
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*[[2012年]]
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: [[2月18日]] - 『YATSUI FESTIVAL 2012』にDJとして出演。小室の大ファンだと言う[[やついいちろう]]との初共演も果たした。
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: [[2月26日]] - 『DEVILOCK NIGHT THE FINAL』にZeebra等が所属するバンド「カイキゲッショク」のサポートキーボーディストとして参加。
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: [[3月7日]] - ボーカルで参加した[[ジュリアン・レノン]]とともにピアノで参加した[[Nick Wood]]の新曲『[http://www.youtube.com/watch?v=8Sjp_wX0BKE HOPE]』がiTunesで配信開始。
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: [[3月10日]] - 『神戸コレクション2012 SPRING/SUMMER』にオープニングDJとして出演。
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: [[3月20日]] - [[幕張メッセ]]で開催された東日本大震災復興支援チャリティコンサート『ALL THAT LOVE -give & give-』に[[米米CLUB]]、[[プリンセス・プリンセス|PRINCESS PRINCESS]]とともに[[TM NETWORK]]で出演。
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: [[3月21日]] - ライヴDVD「[[TETSUYA KOMURO Special Live @DOMMUNE (TK Presents BROADJ #332)]]」をリリース。
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: [[3月21日]] - リミックスアルバム「[[Digitalian is remixing]]」をリリース。
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: [[3月28日]] -  [[ニコニコ生放送]]『「小室哲哉 meets VOCALOID」発売記念!! ニコニコ動画" TK withボカロP対談』にゲスト出演。
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: [[3月28日]] - 配信限定だった「[[Far Eastern Wind]]」がデジタルリマスタリングを施されCDとして「Far Eastern Wind -Complete-」「Far Eastern Wind -Spring / Summer-」「Far Eastern Wind -Autumn / Winter-」の3形態でリリース。
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: [[3月28日]] - コンピレーションアルバム「[[小室哲哉 meets VOCALOID]]」をリリース。
 +
: [[4月18日]] -  『[[ガンダムフロント東京]]オープニングセレモニー』にゲスト出演。
 +
: 4月24-25日 -  [[日本武道館]]にて『TM NETWORK CONCERT -Incubation Period-』を[[TM NETWORK]]で開催。25日公演は日本全国、香港、台湾の映画館にて同時生中継された。
 +
: [[4月25日]] - [[TM NETWORK]]として約5年ぶりのシングル「[[I_am_(TM_NETWORKの曲)|I am]]」をリリース。TM NETWORKとして12年ぶりにオリコントップ5にランクイン。
 +
: [[4月29日]] - 幕張メッセにて行われた[[ニコニコ超会議]]に出演。[[AAA]]の[[日高光啓]]の番組にゲスト出演。一切打ち合わせ無しの状態でジャムが行われた。また日高の無茶振りにより[[WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント]]を歌わされる事になった。その後に行われたavexブースでのイベントにも出演。小室と縁の深い[[浅倉大介]]と[[小室みつ子]]がステージに乱入し、サプライズで浅倉との生セッションが行われた。
 +
: [[7月15日]] - 『Keyboard Magazine Festival 2012』に[[H ZETT M]]、[[nishi-ken]]とともに出演予定。
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: 8月3-26日 - [[野島伸司]]原作・脚本の舞台『ウサニ』の音楽を担当。
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== ディスコグラフィ ==
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''小室哲哉が楽曲提供、プロデュースした楽曲の一覧は[[小室哲哉提供楽曲一覧]]を参照''
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レコード会社は以下の表記とする。
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* (EP)…[[エピックレコードジャパン|Epic/Sony Records]]
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* (EM)…[[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]
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* (AV)…[[avex trax]]
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* (AN)…[[エピックレコードジャパン|Antinos Records]]
 +
* (SA)…[[ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ|Sony Music Associated Records]]
 +
* (F)…[[ユーキャン|FOA RECORD]]
 +
* (Y)…[[よしもとアール・アンド・シー|YOSHIMOTO R and C]](gaball screen / 旧:R and C Japan)
 +
* (BW)…[[:en:Bonzai Records|Banshee Worx]]
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* (M)…[[に・よん・なな・みゅーじっく|mF247]]
 +
* (G)…[[ソニー・ミュージックダイレクト|Sony Music Direct]]
 +
* (T)…[[TKCOM]]
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=== ソロシングル ===
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{|class=wikitable
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|-
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!
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!タイトル
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!発売日
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!レーベル
 +
!width="30%"|備考(タイアップ等)
 +
|-
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|1st
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|[[RUNNING TO HORIZON]]
 +
|[[1989年]][[10月28日]]
 +
|(EP)
 +
|[[アニメ]]『[[シティーハンター (アニメ)|シティーハンター3]]』OPソング
 +
|-
 +
|2nd
 +
|[[GRAVITY OF LOVE]]
 +
|[[1989年]][[11月17日]]
 +
|(EP)
 +
|
 +
|-
 +
|3rd
 +
|[[CHRISTMAS CHORUS]]
 +
|[[1989年]][[12月1日]]
 +
|(EP)
 +
|
 +
|-
 +
|4th
 +
|[[天と地と〜HEAVEN AND EARTH〜]]
 +
|[[1990年]][[4月21日]]
 +
|(EP)
 +
|[[映画]]『天と地と』テーマ曲
 +
|-
 +
|5th
 +
|[[永遠と名づけてデイドリーム]]
 +
|[[1991年]][[12月12日]]
 +
|(EP)
 +
|音楽座ミュージカル『マドモアゼル・モーツァルト』テーマソング
 +
|-
 +
|6th
 +
|[[Magic (小室哲哉の曲)|Magic]]
 +
|[[1992年]][[10月1日]]
 +
|(EP)
 +
|
 +
|-
 +
|7th
 +
|[[Pure (Hyper Mix)]]
 +
|[[1992年]][[11月27日]]
 +
|(EP)
 +
|
 +
|-
 +
|8th
 +
|[[SPEED TK RE-MIX]]
 +
|[[1997年]][[7月9日]]
 +
|(EM)
 +
|映画『スピード2』テーマ曲、「'''TETSUYA "TK" KOMURO'''」名義
 +
|-
 +
|9th
 +
|[[Blue Fantasy - Love & Chill Out]]
 +
|[[2001年]][[10月24日]]
 +
|(F)
 +
|
 +
|-
 +
|10th
 +
|[[SPEED TK RE-MIX|SPEED TK RE-MIX〜炎のコマ]]
 +
|[[2001年]][[10月24日]]
 +
|(EM)
 +
|[[高橋由伸]]・[[桜庭和志]]入場テーマ曲
 +
|-
 +
|11th
 +
|[[Blue Fantasy - Love & Chill Out|Blue Fantasy - DJ KRUSH Remix]]
 +
|[[2002年]][[4月24日]]
 +
|(F)
 +
|
 +
|-
 +
|12th
 +
|[[Embryo (Lifecellの曲)|Embryo]]
 +
|[[2003年]]
 +
|(BW)
 +
|「'''Lifecell'''」名義
 +
|-
 +
|13th
 +
|[[Someday mF remix]]
 +
|[[2006年]][[1月5日]]
 +
|(M)
 +
|「'''DJ TK'''」名義、[[佐野元春]]のヒット曲のリミックス
 +
|-
 +
|14th
 +
|[[If you like it or not]]
 +
|[[2006年]][[2月5日]]
 +
|(M)
 +
|「'''DJ TK'''」名義、ラップ・kco
 +
|-
 +
|15th
 +
|[[@Buddha Bar]]
 +
|[[2006年]][[3月7日]]
 +
|(M)
 +
|「'''DJ TK'''」名義
 +
|-
 +
|16th
 +
|[[SOMEDAY 2006]]
 +
|[[2006年]][[4月22日]]
 +
|(M)
 +
|「'''DJ TK'''」名義、佐野元春のヒット曲のリミックス
 +
|-
 +
|17th
 +
|[[Arashiyama]]
 +
|[[2006年]][[8月8日]]
 +
|(M)
 +
|mF247版、「'''DJ TK'''」名義
 +
|-
 +
|18th
 +
|[[I WANT YOU BACK (mF247 remix)]]
 +
|[[2006年]][[10月4日]]
 +
|(M)
 +
|「'''DJ TK'''」名義、ボーカル・kco
 +
|-
 +
|19th
 +
|[[アンジェリーナ mF Prepromix]]
 +
|[[2006年]][[12月9日]]
 +
|(M)
 +
|「'''DJ TK'''」名義、佐野元春のヒット曲のリミックス
 +
|-
 +
|20th
 +
|[[アンジェリーナ mF Prepromix|アンジェリーナ mF Prepromix Inst.]]
 +
|[[2006年]][[12月9日]]
 +
|(M)
 +
|「'''DJ TK'''」名義
 +
|-
 +
|21st
 +
|[[ガッツだぜ!!]] DJ TK MIX
 +
|[[2007年]][[4月1日]]
 +
|(M)
 +
|「'''DJ TK'''」名義、[[ウルフルズ]]のヒット曲のリミックス
 +
|-
 +
|22nd
 +
|[[Arashiyama]]
 +
|[[2008年]][[4月30日]]
 +
|(T)
 +
|[[iTunes Store]]版、全世界同時配信
 +
|-
 +
|23rd
 +
|[[HAPPY ENDING]]
 +
|[[2008年]][[5月12日]]
 +
|不明
 +
|syncl公式サイトで配信、[[若尾裕之]]著『ミュージック葬でハッピーにいこう!』に付属CDとして収録
 +
|}
 +
 
 +
=== ソロアルバム ===
 +
==== スタジオアルバム ====
 +
{|class=wikitable
 +
|-
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!
 +
!タイトル
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!発売日
 +
!レーベル
 +
!width="30%"|備考
 +
|-
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|1st
 +
|[[Digitalian is eating breakfast]]
 +
|[[1989年]][[12月9日]]
 +
|(EP)
 +
|
 +
|-
 +
|2nd
 +
|[[Psychic Entertainment Sound]]
 +
|[[1990年]][[9月21日]]
 +
|(EP)
 +
|「'''Tetsuya Komuro & Mr.Maric'''」名義
 +
|-
 +
|3rd
 +
|[[Far Eastern Wind - Winter]]
 +
|[[2008年]][[2月13日]]
 +
|(T)
 +
|全世界同時配信
 +
|-
 +
|4th
 +
|[[Far Eastern Wind - Spring]]
 +
|[[2008年]][[3月5日]]
 +
|(T)
 +
|全世界同時配信
 +
|-
 +
|5th
 +
|[[Far Eastern Wind - Summer]]
 +
|[[2008年]][[7月23日]]
 +
|(T)
 +
|全世界同時配信
 +
|-
 +
|6th
 +
|[[Far Eastern Wind - Autumn]]
 +
|[[2008年]][[9月10日]]
 +
|(T)
 +
|全世界同時配信
 +
|-
 +
|7th
 +
|[[Digitalian is eating breakfast 2]]
 +
|[[2011年]][[5月4日]]
 +
|(AV)
 +
|全世界同時発売
 +
|-
 +
|8th
 +
|[[Digitalian is eating breakfast 2]] (Instrumental)
 +
|[[2011年]][[6月1日]]
 +
|(AV)
 +
|iTunes Store配信限定
 +
|-
 +
|9th
 +
|五常
 +
|[[2012年]][[3月28日]]
 +
|(AV)
 +
|「[[Far Eastern Wind]] -Complete-」に収録。
 +
|-
 +
|}
 +
 
 +
==== サウンドトラック ====
 +
* 1985年 [[OVA]]「[[吸血鬼ハンターD]]」(リリース当初はTM NETWORK名義)
 +
*: ⇒ [[吸血鬼ハンター“D”オリジナル・アニメーション・サウンド・トラック]]を参照
 +
* 1988年 映画「[[ぼくらの七日間戦争]]」(リリース当初はTM NETWORK名義)
 +
*: ⇒[[SEVEN DAYS WAR MUSIC FROM THE ORIGINAL MOTION PICTURE SOUNDTRACK]]を参照
 +
* 1990年 映画「[[天と地と]]」
 +
*: ⇒[[天と地と SOUNDTRACK]]を参照
 +
* 1991年 ミュージカル「[[マドモアゼル モーツァルト]]」
 +
*: ⇒[[マドモアゼル モーツァルト (アルバム)]]を参照
 +
* 1992年 ドラマ「[[二十歳の約束]]」
 +
*: ⇒[[二十歳の約束 (アルバム)]]を参照
 +
* 1994年 [[アニメーション映画]]「[[ストリートファイターII MOVIE]]」
 +
* 1995年 ドラマ「[[ひとりにしないで]]」
 +
* 1998年 ドラマ「[[P.A.]]」
 +
* 1998年 アニメーション映画「[[エルマーのぼうけん|エルマーの冒険]]」
 +
*: ⇒[[エルマーの冒険 MY FATHER'S DRAGON]]を参照
 +
* 2002年 テレビアニメ「[[サイボーグ009 (アニメ)|サイボーグ009 THE CYBORG SOLDIER]]」
 +
*: ⇒[[サイボーグ009 - CYBER MUSIC WORLD]]
 +
*: ⇒[[サイボーグ009 - CYBER MUSIC WORLD II 〜遭遇〜]]
 +
*: ⇒[[サイボーグ009「完結編 PROLOGUE 〜旅立ち〜」]]を参照
 +
* 2004年 中国映画「[[恋愛中的宝貝]](邦題:[[恋愛中のベイビー]])
 +
* 2004年 テレビアニメ「[[ゾイドフューザーズ]]」
 +
 
 +
==== ライヴ・アルバム ====
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{|class=wikitable
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|-
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!
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!タイトル
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!発売日
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!レーベル
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!width="30%"|備考
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|-
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|1st
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|[[tjm - tetsuya komuro Jungle massive]]
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|[[1995年]][[7月19日]]
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|(AV)
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|
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|-
 +
|2nd
 +
|[[tk-trap]]
 +
|[[1996年]][[5月22日]]
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|(AN)
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|
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|-
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|3rd
 +
|[[TK PRESENTS SYNTHESIZED TRANCE]] vol.1
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|[[2002年]][[11月20日]]
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|(Y)
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|[[カルチュア・コンビニエンス・クラブ|TSUTAYA]]のみで限定販売
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|-
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|4th
 +
|[[TK PRESENTS SYNTHESIZED TRANCE]] vol.2
 +
|[[2003年]][[2月26日]]
 +
|(Y)
 +
|[[カルチュア・コンビニエンス・クラブ|TSUTAYA]]のみで限定販売
 +
|-
 +
|5th
 +
|[[TETSUYA KOMURO Special Live @DOMMUNE (TK Presents BROADJ #332)|TETSUYA KOMURO Special Live]]
 +
|[[2012年]][[3月21日]]
 +
|(AV)
 +
|[[TETSUYA KOMURO Special Live @DOMMUNE (TK Presents BROADJ #332)]]・形態AVBD-91883/B~Cに収録
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|}
 +
 
 +
==== リミックス・アルバム ====
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{|class=wikitable
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|-
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!
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!タイトル
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!発売日
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!レーベル
 +
!width="30%"|備考
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|-
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|1st
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|[[Blue Fantasy - Love & Chill Out With Trance Remixes]]
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|[[2002年]][[6月21日]]
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|(F)
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|
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|-
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|2nd
 +
|[[Cream Of J-POP 〜ウタイツグウタ〜]]
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|[[2007年]][[7月4日]]
 +
|(M)
 +
|「'''DJ TK'''」名義
 +
|-
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|3rd
 +
|[[Digitalian is remixing]]
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|[[2012年]][[3月21日]]
 +
|(AV)
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|
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|}
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 +
==== その他 ====
 +
<!-- 「その他」には1st, 2ndなどの表記は不要。 -->
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{|class=wikitable
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|-
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!
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!タイトル
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!発売日
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!レーベル
 +
!width="30%"|備考
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|-
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| style="text-align:center" | -
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|[[Hit Factory]]
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|[[1992年]][[10月21日]]
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|(E)
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|セルフカバー・アルバム
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|-
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| style="text-align:center" | -
 +
|[[TK1998]]
 +
|[[1998年]][[11月26日]]
 +
|(SA)
 +
|限定BOX
 +
|-
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| style="text-align:center" | -
 +
|[[PIANO globe〜globe piano collection〜]]
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|[[2003年]][[3月19日]]
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|(A)
 +
|
 +
|-
 +
| style="text-align:center" | -
 +
|[[PIANO WIND (TK AMBIENT SELECTION)]]
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|[[2003年]][[3月19日]]
 +
|(Y)
 +
|
 +
|-
 +
| style="text-align:center" | -
 +
|[[PIANO VOICE (TK PIANO WORKS)]]
 +
|[[2003年]][[3月19日]]
 +
|(Y)
 +
|
 +
|-
 +
| style="text-align:center" | -
 +
|[[Far Eastern Wind]] -Complete-<br/>Far Eastern Wind -Spring / Summer-<br/>Far Eastern Wind -Autumn / Winter-
 +
|[[2012年]][[3月28日]]
 +
|(AV)
 +
|「[[Far Eastern Wind]]」シリーズのCD化
 +
|}
 +
 
 +
=== オムニバス ===
 +
{|class=wikitable
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|-
 +
!
 +
!タイトル
 +
!発売日
 +
!レーベル
 +
!width="30%"|備考
 +
|-
 +
|1st
 +
|[[SAGA CLASSIC SELECTION]]
 +
|[[1992年]][[12月2日]]
 +
|(E)
 +
|クラシック・セレクション
 +
|-
 +
|2nd
 +
|[[TK MILLION WORKS]]
 +
|[[1996年]][[11月16日]]
 +
|(AV)
 +
|
 +
|-
 +
|3rd
 +
|[[ARIGATO 30 MILLION COPIES -BEST OF TK WORKS]]
 +
|[[2000年]][[3月23日]]
 +
|(AV)
 +
|
 +
|-
 +
|4th
 +
|[[THE GREATEST HITS - 小室哲哉作品集 - s]]
 +
|[[2006年]][[2月22日]]
 +
|(G)
 +
|
 +
|-
 +
|5th
 +
|[[THE GREATEST HITS - 小室哲哉作品集 - a]]
 +
|[[2006年]][[2月22日]]
 +
|(AV)
 +
|
 +
|-
 +
|6th
 +
|[[TK INSTRUMENTAL WORKS SELECTION 1986〜2003]]
 +
|[[2006年]][[2月22日]]
 +
|(G)
 +
|
 +
|-
 +
|7th
 +
|[[TETSUYA KOMURO CELEBRITY PLAYLIST]]
 +
|[[2008年]][[5月7日]]
 +
|不明
 +
|
 +
|-
 +
|8th
 +
|[[TK BOX 〜TETSUYA KOMURO HIT HISTORY〜]]
 +
|[[2011年]][[5月31日]]
 +
|(AV)
 +
|
 +
|-
 +
|9th
 +
|[[小室哲哉 meets VOCALOID]]
 +
|[[2012年]][[3月28日]]
 +
|(AV)
 +
|
 +
|}
 +
 
 +
=== ビデオ・DVD ===
 +
* 1989年 Digitalian is eating breakfast
 +
* 1996年 tk-trap(1月19日 - 20日に幕張メッセで行われた2日間限定のライブを収めたビデオ)
 +
* 2012年 [[TETSUYA KOMURO Special Live @DOMMUNE (TK Presents BROADJ #332)]]
 +
 
 +
=== レコーディング参加作品 ===
 +
'''※(直接的な)プロデュース・作曲・編曲を兼ねて参加した作品は除く。'''
 +
* 1979年 [[銀星団]] 『[[SILVER STARS]]』 (「'''Digital "Cheap" Snake'''」名義)
 +
* 1981年 [[白竜 (俳優)|白竜]] 『[[アジアン (白竜)|アジアン]]』
 +
* 1981年 白竜 『[[光州City]]』
 +
* 1982年 [[サミュエル・ホイ|許冠傑]] 『[[難忘悠・紙船]]』
 +
* 1983年 [[明石家さんま|アミダばばあ]] 『[[タケちゃんマン#アミダばばあ|アミダばばあの唄]]』
 +
* 1984年 [[工藤順子]] 『[[茜色のカーニヴァル]]』 (一部アレンジャーとしても参加)
 +
* 1986年 [[大江千里 (アーティスト)|大江千里]] 『[[AVEC (大江千里)|AVEC]]』
 +
* 1987年 [[GWINKO]] 『[[YESTERDAY TODAY FOREVER]]』
 +
* 1988年 [[松本孝弘]] 『[[Thousand Wave]]』 (『Play It So Loud』を担当)
 +
* 1989年 [[かまやつひろし|ムッシュかまやつ]] 『[[THE SPIDERS COVER'S]]』
 +
* 1992年 [[The SUZUKI]] 『[[Nuage]]』 (『Decolage』、『Rhythm Of Life』、『CON ANIMA』を担当、[[エグゼクティブプロデューサー]]としても参加)
 +
* 1994年 [[手島いさむ|BIG LIFE]] 『[[The 1st Recording]]』 (『CRY』を担当)
 +
* 2006年 [[スティーヴィー・サラス|Stevie Salas]] 『[[Be What It Is]]』 (『cherokee girl』を担当)
 +
* 2012年 [[ニック・ウッド|Nick Wood]] 『Hope』
 +
 
 +
=== ライヴ・コンサートイベント ===
 +
※主催・オーガナイザーを務めたライヴ等も含める。
 +
* [[Digitalian is eating breakfast]](1989)
 +
* [[SPACE WORLD]] (1991)
 +
* [[TK TRACKS NIGHT]] (1991)
 +
* [[t jungle m]] (1995)
 +
* [[tk-trap]] (1995)
 +
* [[avex dance Matrix '95 TK DANCE CAMP]] (1995)
 +
* [[イエス・トゥー・ライフ dance alive]] (1996)
 +
* [[TK Trillion Net]] (1996)
 +
* [[TK PAN-PACIFIC TOUR '97 IN TAIPEI]] (1997)
 +
* [[TK Presents GROOVE MUSEUM]] (1997)
 +
* [[RENDEZ-VOUS '98 ELECTRONIC NIGHT]] (1998)
 +
* [[GOA IN BALI]] (1999)
 +
* [[Rendez-vous in Space 2001]] (2000 - 2001)
 +
* [[TK PRESENTS SYNTHESIZED TRANCE]] (2002)
 +
* [[ヤマハ|Electone STAGEA]] Presents [[Tribal Kicks TV Party]] (2005)
 +
* [http://jp.youtube.com/watch?v=YYfqjj0i9Kg TK New Year Live 2008 in Tafukuji Temple] (2007 - 2008)
 +
* [[小室哲哉コンサート ピアノ&トーク]] (2010)
 +
* [[TETSUYA KOMURO ~Piano Solo Concert~]] (2011)
 +
* [[TETSUYA KOMURO Special Live @DOMMUNE (TK Presents BROADJ #332)|DOMMUNE「TK Presents BROADJ ♯331」2-Hour Special Live Set by TETSUYA KOMURO]] (2012)
 +
 
 +
=== 公式書籍 ===
 +
* 1988年 Vis Age TETSUYA KOMURO PERSONAL VISUAL BOOK (子供の頃の写真と共に、自らが詳しく生立ちを語ったヒストリーと、PWLのマット・エイトケンとの対談他を収めた自伝写真集)
 +
* 1989年 Digitalian is eating breakfast (ソロアルバム制作後のインタビューと楽譜を収めた本)
 +
* 1990年 音を生け捕る - 映画「天と地と」音楽監督NOTE (自身の曲解説が収録されている本)
 +
* 1992年 HIT FACTORY (マイアミで行われたソロセカンドアルバムの制作風景と、プライベート写真集)
 +
* 1993年 告白は踊る (東京をコンセプトに、自身の哲学や、これまでの仕事を振り返ったエッセイ)
 +
* 1995年 With t - 小室哲哉音楽対論 Vol.1〜Vol.2 (音楽番組「[[TK MUSIC CLAMP]]」の対談を活字に起こした本)
 +
* 1996年 With t - 小室哲哉音楽対論 Vol.3〜Vol.5 ([[桑田佳祐]] 、[[YOSHIKI]]、[[織田哲郎]]、[[小林武史]]、[[つんく]]など多数登場)
 +
* 1996年 深層の美意識 /著者:[[神山典士]] (小室哲哉監修の公式自伝本)
 +
* 1998年 first step in asia (「[[TK PAN-PACIFIC TOUR '97 IN TAIPEI]]」、「[[TK Presents GROOVE MUSEUM]]」を、ドキュメントで構成したフォト&インタビュー)
 +
* 1998年 プロデューサーは次を作る - ビジネス成功22の方程式 /著者:[[中谷彰宏]]・小室哲哉
 +
* 2003年 VOICE OF WORDS (小室哲哉が書いた詞をセレクトした歌詞集)
 +
* 2009年 罪と音楽 (絶頂期から2009年時点、未来をテーマにした書き下ろしエッセイ)
 +
 
 +
=== 関連書籍 ===
 +
* 2000年 [[TKman]] (ティーケイマン) 1 & 2 /作:[[柴田亜美]] 1巻(第1話 - 第20話) 2巻(第21話 - 40話)
 +
** (小室哲哉が主人公の漫画コミックス。小室哲哉黙認で、1999年2月〜2000年1月まで、[[ビッグコミックスピリッツ]]にて連載された。)
 +
* 2008年 別冊宝島 音楽誌が書かないJポップ批評53 TMN&小室哲哉 ポップス神話創世
 +
* 2008年 ミュージック葬でハッピーにいこう! /[[若尾裕之]]著(付属CD作曲・プロデュース)
 +
 
 +
=== ゲーム ===
 +
* [[TM NETWORK LIVE IN POWER BOWL]](1989年発売 [[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]用ソフト)
 +
* EMIT(1995年発売 [[FM-TOWNS]]/[[PC-9821]]/[[プレイステーション|PlayStation]]/[[セガサターン|SEGA SATURN]]/[[スーパーファミコン]]/[[3DO]]用ソフト)
 +
* ガボールスクリーン(1996年発売 [[プレイステーション|PlayStation]]用ソフト)
 +
* [[マリオアーティストシリーズ]] サウンドメーカー([[64DD]]用ソフト 発売中止)
 +
 
 +
== テレビ・ラジオ・雑誌連載 ==
 +
※テレビ・ラジオの項ではレギュラー出演していたもののみ記す。
 +
 
 +
=== テレビ ===
 +
* [[TK MUSIC CLAMP]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]、1995年4月 - 1996年5月)
 +
* [[TK SPARK COM]](フジテレビ、1997年4月 - 2000年7月)
 +
* [[哲にいさん]]→[[コムロ式]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]、2000年)
 +
* [[radio TK]](フジテレビ、 - 2001年9月)
 +
* [[club TK]]([[BSフジ]]、 - 2001年9月)
 +
* [[Tribal kicks TV]]([[スカパー!|スカイパーフェクTV!]]、2004年)
 +
 
 +
=== ラジオ ===
 +
* 小室哲哉の[[SF Rock Station]]([[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]、1986年10月 - 1988年3月)
 +
* Sounds with Coke TM NETWORK Come on FANKS!([[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]]、[[1989年]]4月 - 1990年?)
 +
* [[kom sat radio]]→[[今夜もコムドラしようぜ!]]([[ニッポン放送]]、1997年10月10日 - 2000年3月21日)
 +
* [[BEAT CLUB]]([[FM AICHI]]、2000年4月6日 - 2001年9月27日)
 +
* [[RADIO SESSIONS]]「小室哲哉 Digitalian」([[JFN]]系列、2011年1月 - )毎月第4週担当
 +
 
 +
=== 雑誌連載 ===
 +
* ELECTRIC PROPHET([[PATi PATi]]、1985年11月号 - 1986年1月号、SF小説)
 +
* ART OF LIFE([[月刊カドカワ]]、1991年6月号 - 1993年11月号)
 +
* 小室哲哉のネットパラダイス([[POPEYE]])
 +
* 小室哲哉通信([[日経エンタテインメント!]]、1998年2月号 - 2000年12月号)
 +
 
 +
== 音楽性 ==
 +
[[テクノ]]・[[ファンク]]・[[ユーロビート]]・[[ジャングル (音楽)|ジャングル]]・[[ハウス (音楽)|ハウス]]・[[トランス (音楽)|トランス]]・[[環境音楽|アンビエント]]・[[ヒップホップ|HIP HOP]]・[[リズム・アンド・ブルース|R&B]]・[[レイブ (音楽)|レイヴ]]・[[ハードロック]]・[[プログレッシブ・ロック|プログレ]]、果ては[[クラシック音楽|クラシック]]・[[フォークソング|フォーク]]・[[AOR]]・[[ラテン音楽|ラテン]]・[[ワールドミュージック]]・[[邦楽|純邦楽]]・[[演歌]]など、幅広い曲調を使い分け、かつ[[オルタナティブ・ミュージック|複数のジャンルを融合させる音楽を手掛ける]]事を得意とする。ただ、一般には邦楽ダンスミュージックの第一人者・[[1990年代]]の[[J-POP]]、又はそれにおける[[デジタル・オーディオ・ワークステーション]]の普及の立役者として知られる。
 +
 
 +
作風の大きな特徴として「唐突な'''[[転調]]'''」があるが、それを多用するようになったきっかけは、TM NETWORKの1stアルバムのレコーディングのとき、ソフトのバグで機材に誤動作が生じた。その勝手に音調が変化し転調してしまった音源を聞き、小室が「意外と気持ちいい」と感じたことがきっかけとなり、以後の制作活動でそのフレーズが定着した。因みにこれらの転調は適当ではなく理論的に説明が付くと小室自身は話している。
 +
 
 +
自らの行う転調のやり方について、「どこでキーが変わっているのか・どこが[[サビ]]でどこがブリッジなのかをわからないようにする」<ref>[[インターナショナル・ラグジュアリー・メディア]]刊『[[ローリング・ストーン]]』日本版2012年5月号より。</ref>「声が張るピーク・一番伸びる部分をサビに持っていくため。サビに合わせるとほかのパートが低くなりすぎるため、仕方なく4度転調とか、そういう変な転調を無理やり入れる」「周囲からは『サビでいきなり転調するよね』って言われがちだが、サビが先にあって、その前のBメロで転調しておく」と話している。
 +
 
 +
== 人物 ==
 +
=== 本人について ===
 +
早稲田実業学校高等部商業科卒業後、早稲田大学に進学・在籍するが除籍、しかし現在は推薦校友になっている。2001年に早稲田実業学校開校百周年記念に百周年記念歌『ワセダ輝く』を作曲(作詞は奥島孝康)。母校の早稲田実業学校には『小室哲哉記念ホール』がある。
 +
 
 +
かなりの[[偏食]]であり、特にかつては大の魚嫌いであった。原因は1歳半頃、目の前に突然鯉のぼりが落ちてきて、それがトラウマになった為と言われる。それを最初に吹聴して回ったのは、[[木根尚登]]と[[宇都宮隆]]である。魚は嫌いというよりもむしろ「魚を見るのが怖い」(本人談)だった。ただ最近はkcoに促された事もあり、魚も普通に食べられるようになるなど、偏食から脱してきているという。またかなりの小食・早食いであり、いわゆる[[小室ブーム]]の時も食事の殆どはコンビニ弁当・インスタント・ファーストフードで済ませていた。当時のマネージャー曰く「世界一[[エンゲル係数]]の小さい人」とのこと。[[ファミリーレストラン]]好きで、TM NETWORK時代にラジオ「小室哲哉の[[SF Rock Station]]」([[東海ラジオ放送|東海ラジオ]])の企画で結成したユニット「ハンバーグ&カニクリームコロッケ」は、当時お気に入りだった[[すかいらーく]]のメニューから名づけたほどであった。上記のkcoの他、逮捕された後は、松浦や千葉の指導もあって、現在は「自然なもの」を食べるようになっている。
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全盛期には複数台の高級車を所有していた。大の[[フェラーリ]]ファンとしても有名で、色違いのフェラーリを複数台所有している。過去にはプライベートで[[フォーミュラ1|F1]]観戦に訪れ、[[スクーデリア・フェラーリ|フェラーリ]]チームのピットでレースを観戦している姿も何度となく目撃されている。また、[[メルセデスベンツ・CLK-GTR]]も所有していたが、[[並行輸入]]で購入していたものであったため乗ることができず、飾り物にしていたとのことである(なお、実際には一般人の運転には危険が伴うため、製造した[[ダイムラー (自動車メーカー)|ダイムラー]]は購入者の技能を調べた上で販売している。詳細は当該項を参照)。
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漫画・アニメ・SFに造詣が深い。高校時代には[[アーサー・C・クラーク]]を敬愛し、2001年には世間的な評価が低かった[[ファイナルファンタジー (映画)|劇場版ファイナルファンタジー]]にも賛辞のコメントを呈している。また、[[さくらももこ]]の携帯公式サイトを短いサイクルで確認し、実際に本人にあった際「僕はキャラは友蔵に近いんですよ」と話したという。そして最近は[[ケロロ軍曹]]のファンを公言しており、自身のブログ・[[Twitter]]でも時折口調を真似る等、守備範囲は幅広い。
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左腕下部に入れ墨が2つ有る。1990年代にTKロゴを、2000年代にその上に別のマークを彫った。
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まだインターネットが一般的になる前だった90年代からネット配信に注目しており、小室が趣味で[[iTunes Store]]からダウンロードした楽曲は2万曲に上る。
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自身の[[Twitter]]で、[[佐久間象山]]と[[柴田勝家]]の血をひいている可能性があることを明らかにしている。
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=== 仕事について ===
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楽曲提供や音楽プロデュースと並行して、[[TM NETWORK]]、[[globe]]、[[GABALL]]などのユニットの一員としても活動する。現在は[[国際麻薬統制委員会]]([[UNODC]])の親善大使も務めており、[[2007年]]4月から[[2008年]][[11月4日]]まで[[尚美学園大学]]の芸術情報学部・音楽表現学科・特任教授に就任して、音楽特論(新世紀音楽概論)を担当していた。
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他の芸能人と比べ個人レーベル・個人企業・個人スタジオを設立した数が比較的多い。小室曰く「今日思いついたアイディアを明日実践する機動力を持って面白い事をする為」「必ず結果を出す前提で一から十まで好き勝手やりたい放題行うための責任表明」とのこと。
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[[雛形あきこ]]の歌手デビューにあたって雛形の所属事務所からプロデュースを依頼されていたものの、「彼女はこれからの人だから僕のイメージがあまりついてはいけないと思う」と断り、代わりに[[浅倉大介]]を起用させた。
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[[華原朋美]]のプロデュースを兼ねた交際を「[[フライデー]]」1995年6月23日号に掲載された際、小室は同誌の記者を自身のスタジオに招き「アーティストに手をつけたのではなく、自分の恋人に曲を提供し、プロデュースを始めることにしただけです」と語った。そしてすべての活動に至るまで「ツーショットでいく」ことにした結果、華原を大ヒットさせた。
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自宅スタジオでのレコーディングの際の防音対策として、壁に大量の洋服を吊り下げている。
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レコーディングの際'''のみ'''、[[ソフトウェア・シンセサイザー]]を「楽器として重要な要素であるフィジカルコントロールの面でハードに劣る」「鍵盤の方が手っ取り早い」「マウスが使いづらい」「つまみがあって二度と出せない音を作り出せる機材に可能性を感じてしまう性分なので、マウスや数値だけでは限界がある」として使用していない。音自体は[[MIDI|ハードウェア・シンセサイザー]]で作った後、それを鍵盤で即興で弾き、それを[[Pro Tools]]などでエディットしてゆく形を好んでいる。また、レコーディングにおいては、特にトラックダウンからマスタリングにかけた作業段階で、音質について議論・実験を重ね、機材・設備・果ては土地の空気・気圧・温度・湿度・静電気に拘りを見せる。また、短いサイクルで[[録音スタジオ|レコーディングスタジオ]]を世界各地に移転する。小室曰く「ヒットが生まれる場所は年月が経つと全く違う」「もしかしたらサーカスの様に明日移すかもしれない」とコメントしている。プロデュースに専念するようになった頃から、レコーディングではギターも演奏するようになった。テレビでギター演奏するのを披露したのは[[篠原涼子]]と[[ミュージックステーション]]に出演した時に披露した「[[もっと もっと…]]」がはじめてである。
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小室が作曲をする際には世界中の楽曲の音源から採取したフレーズ・リズム・メロディを音楽ジャンル別に分けて、更に「イントロ用」・「サビ用」・「アウトロ用」等に分けて記憶させた(その数は2万〜3万という)[[シンクラヴィア]](後にPro Toolsにシフト)を駆使して行う。レコーディングの際にはいかに自らの曲のイメージに合わせながらシンクラヴィアで「カードの様に」組み合わせ、'''「小室サウンド」として'''[[サンプリング]]、アレンジして完成させるかがポイントになっている。また、複数の楽曲を同時進行で作成する為に1つの部屋に4軒のスタジオを建てていた。小室はその状況を「[[羽生善治]]さんのCMと似ています」とコメントした。
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常に楽曲は100曲のストックを持っている。しかし、小室自身の感じるシンセサイザーサウンドの「賞味期限」は3か月であるため、その時になったら常に1からサウンドを練り直しているという。
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作詞では、「[[CAN YOU CELEBRATE?]]」という[[英語]]の表現や、詞の文法がおかしいなどの指摘があるが、小室は「サウンドにハマる言葉を選んでいた」と発言した。作詞において特に影響を受けたのは[[渡辺美里]]との仕事であるという。「彼女の詞の世界を参考に、自身の視点から同じテーマを書くとこうなるというアプローチ的手法で作詞していた」とのこと。
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1990年代、[[マイケル・ジャクソン]]から楽曲提供を依頼されていたが、制作した楽曲は採用されなかった。
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1990年代より[[音楽配信]]に並々ならぬ関心を抱き、1996年1月より自身の当時の公式サイト「Planet TK」にて[[日本電信電話|NTT]]の音楽圧縮技術「[[TwinVQ]]」を用いた簡単な配信の実験を行っていた。2000年にはTM NETWORKの新曲を無料で配信する試みを行うが、その時の音質を「[[カセットテープ]]並み」と消極的に見ていた。2005年6月avex内に設立された高音質配信研究機関「[[High Definition Sound laboratory]]」のエグゼクティブアドバイサーに就任、globeの楽曲を当時新しくavexにより設立された音楽配信サイト「@MUSIC HD Sound」(現在は[[mora win]]と共有化)より試験的に配信していた。2005年8月[[iTunes Store]]の日本でのサービスが始まるとその様子を「[[黒船来航]]」と喜びのコメントを出した。
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小室は1990年代を振り返り「4日に1曲作っていた」「数々の記録は嬉しくない訳ではないが全く実感がなかった」「自分のお金を自分でどの位使っていたかわからなかった」「完全に裸の王様だった」と称している。
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ライヴでの演奏はほぼ[[シンセサイザー]]主体である。1990年代前半までは[[マルチ・キーボード]]での即興プレイ、[[ミュージックシーケンサー]]を駆使しての多重演奏を主体としていたが、1993年より[[ディスコ|クラブ]][[ディスクジョッキー|DJ]]が行う[[ミキシング・コンソール]]でのリアルタイムリミックスに興味を抱き、1998年のイベント「[[RENDEZ-VOUS '98 ELECTRONIC NIGHT]]」以降、リズムを含めたほとんどの音が内蔵されたPro Tools・ハードディスクとミキシングコンソールが機材の大部分を占めるようになり、ブラス音、パッド音、つまみを使用した音色変換・パート別の音量調節を中心とするようになる。しかし、どのようなミックスになるかは小室のその時の気分次第であり、公演ごとに一つひとつアレンジが異なる。演奏のきっかけになる元の楽曲の拍子が突然消えることが多い為、スタッフ・ミュージシャンは多大な緊張を強いられるという。
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自らの固定ファンを「15万個の消しゴム」とたとえ(この言葉は1991年頃、[[松浦勝人]]が「TMの楽曲をユーロビートにしたらどうだろう」と持ちかけたときに「楽曲がファン以外に広がらない」という危惧・諦めから生まれたという)、その固定ファンからどうしたら大衆に広がるかを試行錯誤していた。しかし最近は「売れなくてもいい」「売れるに越したことはないけど、この時代にどれだけ人の心に届くかを重視している」と心境の変化を語った。
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=== 人間関係 ===
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[[TRF]]のメンバーとクリスマスパーティを行った際、メンバーひとりひとりに現金一千万円をプレゼントし、[[YU-KI]]には更に「誕生日プレゼント・御苦労さん代」と称して一千万円以上もする[[メルセデス・ベンツ|ベンツ]]をプレゼントした。
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業界では[[YOSHIKI]]と小室の関係をよく知る人からは「YOSHIKIの猛獣使い」と呼ばれている。
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1990年代前半、小室が本格的に[[エレクトロニック・ダンス・ミュージック]]の制作を開始した際、以前より顔見知りであった[[千葉龍平]]の紹介で[[松浦勝人]]と対面。以後、二人は音楽制作での重要なブレーンとなる。しかし、制作・セールス方針、印税の分配等で松浦・千葉と小室の意見が決裂、1996年に絶縁。その時の状況を松浦は「完全に小室さんをライバル視していた・目標は『打倒小室』だった」と語っている。その後は[[エグゼクティブプロデューサー]]として関わる事はあっても深層面での制作協力・プライベートの交流は皆無に等しかった。しかし、2008年に小室が逮捕された際、その翌年に小室の債務の一部を肩代わりし、今後の制作の為のスタジオ・小室夫妻の為の部屋を用意する。公判の際にも、「音楽業界について色々教えてくれた恩師」「類まれなる才能を持つ稀有な音楽家」と話したことに小室が感動し、松浦・千葉と和解する。
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[[福島県]][[中島村]]村長を務めた[[小室康彦]]は遠縁にあたる。
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== 使用機材 ==
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=== 過去 ===
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* [[ヤマハ・KXシリーズ|YAMAHA - KX1]]
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TM NETWORK結成当初、テレビ出演で使用していた。
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* [[ヤマハ・DXシリーズ|YAMAHA - DX]]
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* [[ヤマハ・EOSシリーズ|YAMAHA - EOS]]
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プロデュース・デザイン作業に積極的に関与し、1990年代中頃までイメージキャラクターとしても活動していた。ライヴではMIDI接続のリモートキーボードとしてのみ使用していた。
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* [[ローランド・JDシリーズ|Roland JD-800]]
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* [[コルグ・01/Wシリーズ|KORG 01/W]]
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* [[ヤマハ・VL/VPシリーズ|YAMAHA - VP1]]
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主に1990年代前半から中頃に使用していた。
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* [[ハモンドオルガン]]
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* [[メロトロン]]
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主に2000年以降のTM NETWORKの活動で使用される。
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* [[シンクラヴィア]]
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=== 2012年現在 ===
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*[[ローランド|Roland]]
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**JUPITER-80
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**V-synth GT
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**[[ローランド・Fantomシリーズ|Fantom-G6 / G7 / G8]]
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**Gaia SH-01
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**[[ローランド・JDシリーズ|JD-800]]
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**[[ローランド・XPシリーズ|XP-80]]
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*[[ヤマハ|YAMAHA]]
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**[[ヤマハ・MOTIFシリーズ|MOTIF XF6]]
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**[[ヤマハ・DXシリーズ|DX7IIFD]]
 +
**[[ヤマハ・CPシリーズ|CP1]]
 +
**[[エレクトーン#STAGEA|STAGEA ELS-01CU]]
 +
*[[コルグ|KORG]]
 +
**KRONOS
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**[[コルグ・Z1|KORG Z1]]
 +
**[[コルグ・TRITONシリーズ|TRITON Extreme]]
 +
**KARMA
 +
*[[カシオ・XWシリーズ|CASIO]]
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**XW-G1
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**XW-P1
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*[[クラビア (楽器メーカー)|Clavia]]
 +
**Nord Wave
 +
**Nord Lead 3
 +
**Nord Lead 2x
 +
*[[:en:Access Virus|Access Virus]]
 +
**Virus Tl Polar
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**Virus Indigo 2 Redback
 +
**Virus KC Keyboard
 +
*[[オーバーハイム|Oberheim Electronics]]
 +
**OB-8
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**OB-12
 +
*Avid
 +
**Xpand
 +
*[[シーケンシャル・サーキット|Dave Smith Instruments]]
 +
**Poly Evolver Keyboard
 +
*[[:en:Arturia|Arturia]]
 +
**Origin
 +
*Radikal Technologies
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**Spectralis 2
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**accelerator
 +
*[[:en:JoMoX|JoMoX]]
 +
**XBASE 888
 +
**XBASE 999
 +
**MBase 11
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**M.Brane11
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*[[Pro Tools]]
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== 関連企業 ==
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* Office TIMEMACHINE(株)
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1984年[[TM NETWORK]]デビュー時に設立されたTMのマネジメント・コーディネート業務専門の芸能プロダクション。別名「TIMEMACHINE CAFE」・「TIMEMACHINE CORPORATION」・「TIMEMACHINE GROUP」。一時期、[[葛城哲哉]]・[[阿部薫 (ドラマー)|阿部薫]]・[[浅倉大介]]・[[貴水博之]]も所属しており、初期の[[Access (音楽ユニット)|access]]のマネージメントも行っていた。「TMN終了」時に解散。
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* T-MUE-NEEDS(株)
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TM NETWORKのグッズ・イベント等の企画・運営会社。「TMN終了」時に解散。
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* グラデミー(株)
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小室が1991年に設立し、代表取締役社長に就任した映画製作会社(宇都宮、木根も取締役に就任、[[角川春樹]]と[[三菱商事]]もバックアップとして参加していた)。社名の由来は、「[[グラミー賞|グラミー]]」と「[[アカデミー賞|アカデミー]]」を掛け合わせた造語とも、英語で「引力」と表す「gravitation」と英語で「純粋・学術的」と表す「academic」を掛け合わせた造語ともいわれる。木根尚登著「月はピアノに誘われて」の映画化、TM NETWORKの楽曲「[[THE POINT OF LOVERS' NIGHT]]」をモチーフにした映画製作(小室、原案・脚本、木根)、「チーム・グラデミー」名義での[[フォーミュラ1|F1]]参加の企画が持ち上がったものの、それ以降公式のアナウンスが無いまま自然消滅した(F1参加は実現した)。
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* [[TK TRACKS]](有)
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小室の個人レーベル運営及びイベント制作のために設立された会社。現在では小室とは離れた事業会社としての性格も持つ。
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* [[TK TRACKS|TK PROMOTION]](有)
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TK TRACKSの子会社。小室と直接の関係はない。
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* [[TK state]](有)
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** TK MUSEUM
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** TK state America MUSEUM
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** TK SEQUENCE
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** TK SEQUENCE America
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** TK ENTERTAINMENT SERVE
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** Prime Direction TK Room
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** tetsuya komuro rise
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1994年から2000年まで運営されていた小室の個人事務所。「TK MUSEUM」はイベント限定で音楽ユニットとしても活動していた(このノウハウは後のTKCOMに活かされる)。
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* [[ヴェルファーレ]](株)
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* [[TK NEWS]](株)
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小室と[[丸山茂雄]]と[[ニューズ・コーポレーション]]が共同で設立したアジアマーケットをターゲットとした事業会社。しかし、「[[SPEED TK RE-MIX]]」のスーパーバイザー・中国で放送されたオーディション番組「[[小室魔力]]」の番組監修を務めて以来目立った活動を行わなかった。後に本社を母体として[[Rojam Entertainment]]に発展する形で解散・吸収合併した。
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* [[Rojam Entertainment]](株)
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** Rojam USA
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** Rojam Pictures,inc.
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** ROJAM DISCO
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** ROJAM Studios
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香港を拠点とした本格的なアジア進出を目的とした総合音楽プロダクション。小室は2004年5月に全持株を売り実質上経営から撤退するも、プロデューサー契約として残っており(専属ではない)、小室の個人スタジオを運営・管理する等関係は2008年まで続いていた。
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* [[トライバルキックス|Tribal Kicks]](株)
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** Tribal Kicks Studios
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サッカー関連のマーケティング、制作などを行うための会社として設立、後に実質的な小室・木根(一時期のみ)の個人事務所となる。TKCOMの発足に伴い、休眠。
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* [[High Definition Sound laboratory]](株)
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* [[TKCOM]](株)
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** TKCOM Studios
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* [[イーミュージック]](株)
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* [[a nine]](株)
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== 個人スタジオの変遷 ==
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※太字は2011年現在使用しているスタジオである。
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* tetsuya komuro SEQUENCE 1101〜5→True Kiss Disc Studios 1101〜5
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* TK Disc Studios([[ホノルル]](現在の[http://www.avexhonolulustudios.com/ avex honolulu studios])・[[東京]]・[[バリ島]]を拠点にしていた)
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* TK's Malibu Studios([[カリフォルニア州]]・マリブを拠点にしていた)
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* [[Rojam Entertainment|ROJAM Studios]]
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* [[トライバルキックス|Tribal Kicks Studios]]
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* [[TKCOM|TKCOM Studios]]
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* '''avex azabu 501studio'''
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== 評価 ==
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==== 業界人の評価 ====
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「小室さんの影響で邦楽の低音域を拡張されたことによって日本向けだからと遠慮する必要がなくなった」([[GOH HOTODA]])。
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「小室君は日本人の耳・メロディライン・転調・アレンジ・リズム感・ビート感を教育しちゃった」([[坂本龍一]])。
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「昔は入って行けなかった領域にも、コンピューターを使ってどんどん入って作っていく。本当に奥行きが深い」([[森進一]])。
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「[[和音|コード]]の解釈がすごく独特なのに、明るい響きであり、踊りながら歌うのにピッタリ」([[マーティ・フリードマン]])。
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「小室さんは、リズム感覚でいって、最後にメロディの良さを置いている。それがすごくオシャレだなと思う」([[YOSHIKI]])
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「東洋人が好むコード進行が全くなく、アジア人には聞き慣れないものを大胆に取り入れて、それをヒットさせていた。それが不思議だった」「ヒップホップをやりながらもきちんとピアノで曲を書いている」「電子音楽とバラードの両方を行き来できている」「抒情的なバラードの感性とダンス音楽の感性の両方を兼ね備えている」([[パク・ジニョン|J.Y.Park]])
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「テレビ等で流しづらい音楽をたくさん世に出したことで後々のミュージシャンがやりやすい様にしてくれた」「コンピューターで人間味の部分を消そうとしても、小室さんが鍵盤を弾いているパートは絶対に加工できない・真似できないな、と思う」([[中田ヤスタカ]])
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==== 社会的な評価 ====
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小室が[[avex trax]]とライセンス契約を結んだ際、[[エピックレコードジャパン|EPIC]]内では、「他社のアーティストをプロデュースするなんて契約違反だ!」と議論が巻き起こった(当時の音楽業界では「音楽プロデューサーはレコード会社の社員・元アーティストの専属契約」であることが多かった為といわれる)。その問題に対応するため、[[TRF|trf]]デビューの際、[[丸山茂雄]]は「'''アーティスト主導の芸能事務所'''」をコンセプトに「Antinos Management(現[[ブルーワンミュージック]])」を設立、小室は第一号契約者となった。
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ラジオ局の中には小室の楽曲のOA禁止を決める所がでた。反面、[[エフエム大阪|FM大阪]]は小室の楽曲を積極的に流している。
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[[小林武史]]とイニシャルが同じ事から「TK時代」と呼ばれた。
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小室哲哉がこれまでにプロデュースした'''シングル・アルバムの総売上枚数は、約1億7000万枚に達する'''。また、日本の作詞家別シングル総売上枚数は[[阿久悠]]に次ぎ第2位、作曲家別シングル総売上枚数は[[筒美京平]]に次ぎ第2位である。
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== チャート ==
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[[1996年]][[4月15日]]付けの[[オリコンチャート|オリコンシングルチャート]]で、小室哲哉が作詞・作曲・プロデュースした楽曲が1位から5位までを独占した。同一作曲家、兼プロデューサーによる上位5曲の独占は、日本のみならず世界の音楽チャートにおいても史上初めてのことである。
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* 1位 「[[Don't wanna cry]]」([[安室奈美恵]])
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* 2位 「[[I'm proud]]」([[華原朋美]])
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* 3位 「[[FREEDOM (globeの曲)|FREEDOM]]」([[globe]])
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* 4位 「[[Baby baby baby]]」([[Dos (音楽ユニット)|dos]])
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* 5位 「[[Love & Peace Forever]]」([[TRF|trf]])
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[[1995年]]度の[[日本音楽著作権協会|JASRAC]]発表の著作権使用料の分配額ランキング([[JASRAC賞]])では、小室哲哉が作詞・作曲した楽曲が国内作品の1位から3位までを独占した。同一作曲家による上位3曲の独占は、同ランキング史上初めてのことである。
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* 1位 「[[WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント]]」([[H Jungle with t]])
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* 2位 「[[CRAZY GONNA CRAZY]]」(trf)
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* 3位 「[[Overnight Sensation 〜時代はあなたに委ねてる〜]]」(trf)
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== 主な提供曲(1980年代〜2011年) ==
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下記は一部にすぎない。詳細は[[小室哲哉提供楽曲一覧]]を参照
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* [[岡田有希子]]
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** 「Sweet Plant」 生前最後のアルバムに収録された下記曲を含むアルバム曲で、編曲は2曲とも[[松任谷正隆]]が担当。
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** 「水色プリンセス」 作詞は上曲と同じで[[三浦徳子]]。小室哲哉が多数のアイドルに楽曲を提供するきっかけを作った作詞家でもある。
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* [[福永恵規]]
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** 「10月はさよならのパームツリー」 元[[おニャン子クラブ]]のメンバーに初めて提供したミディアムテンポの歌謡曲。編曲は下記曲と共に大村雅朗。
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** 「ハイパー・ラッキー」 こちらはアップテンポの楽曲で、小室哲哉の特徴的な早口のアイドルPOPS。
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* [[岩崎良美 (歌手)|岩崎良美]]
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** 「スロープに恋して」 作詞は[[松井五郎]]。編曲は[[武部聡志]]で、小室哲哉の80年代の楽曲提供曲を多くアレンジした一人。
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* [[原田知世]]
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** 「家族の肖像」 作詞・[[秋元康]]、編曲・[[後藤次利]]というゴールデンコンビでの楽曲。
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* [[荻野目洋子]]
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** 「NONSTOP DANCER」 アルバム「ノン・ストッパー」に収録されている楽曲で、荻野目洋子自身が一番好きな曲と公言した曲。
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** 「ジャングル・ダンス」 NHK「[[みんなのうた]]」で何度も流れていた楽曲。
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* [[松田聖子]]
 +
** 「Kimono Beat」 元[[レベッカ (バンド)|レベッカ]]の[[土橋安騎夫]]がサウンドプロデュースしたアルバムの「Strawberry Time」に収録されている楽曲。
 +
* [[大西結花]]
 +
** 「パンドーラ」 小室哲哉が当時お気に入りだったと公言していたアイドルに提供した楽曲。
 +
* [[八木小織|八木さおり]]
 +
** 「月と恋心」 同じく小室哲哉が当時お気に入りだったと公言していたアイドルに提供した楽曲。作詞は[[森雪之丞]]で、編曲は武部聡志。
 +
* [[沢口靖子]]
 +
** 「Follow me」 沢口靖子が出演した「[[痛快!ロックンロール通り]]」の挿入歌。作詞は川村真澄で編曲は大村雅朗。同ドラマではTMNetworkが主題歌を担当した。
 +
* [[郷ひろみ]]
 +
** 「空を飛べる子供たち〜Never end of the earth」 アルバムの最後に収録されている楽曲で作詞は秋元康。
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* [[奥田圭子]]
 +
** プラスティック([[1985年]])
 +
* [[中山美穂]]
 +
** [[JINGI・愛してもらいます]]([[1986年]])中山美穂が出演した映画「ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌」主題歌
 +
** 50/50([[1987年]])オリコンシングルチャートで2位を記録
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* [[堀ちえみ]]
 +
** 愛を今信じていたい([[1987年]])引退前のラストシングル
 +
* [[伊藤かずえ]]
 +
** 星屑のイノセンス([[1988年]])
 +
* [[小泉今日子]]
 +
** [[GOOD MORNING-CALL]]([[1988年]])オリコンシングルチャート2位を記録
 +
* [[宮沢りえ]]
 +
** ドリームラッシュ([[1989年]])デビューシングル。小室がプロになってから始めてサウンドプロデュースしたアイドルであり、後にプレッシャーから大変な作業だったと語っている
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** NO TITLIST([[1990年]])宮沢りえが主演のフジテレビ系ドラマ「[[いつも誰かに恋してるッ]]」の主題歌。デビュー曲と同様に編曲も担当している。
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* [[田中美奈子]]
 +
** 夢みてTRY([[1990年]])田中美奈子が主演の「トップスチュワーデス物語」の主題歌。
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** 「I say Hello Again」 こちらは「夢みてTRY」のカップリング曲で、[[B'z]]の[[松本孝弘]]がエレキギターを弾いている。
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* [[観月ありさ]]
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** TOO SHY SHY BOY!([[1992年]])作詞・作曲・編曲、サウンドプロデュースを担当。
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* [[東京パフォーマンスドール]]
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** キスは少年を浪費する([[1993年]])サウンドプロデュースと作曲・編曲を担当。
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** ダイアモンドは傷つかない([[1993年]])楽曲提供のみでなく、[[ミキシング]]まで手掛けた楽曲。
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** 「Sanctuary〜淋しいだけじゃない」 所属していた[[篠原涼子]]と[[穴井夕子]]が歌唱している楽曲。後に小室哲哉プロデュースで篠原涼子がセルフカバーしている。
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*[[backstreet boys]]
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** Missing You([[1997年]])作詞・作曲・編曲をJolyon Skinnerと担当。
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** アルバム『BACKSTREET'S BACK』に収録されている。
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*[[森進一]]
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** 眠らないラブソング([[2010年]])作詞・作曲・編曲を担当。
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*[[SMAP]]
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** Trust([[2010年]])作詞・作曲・編曲を担当。アルバム『[[We are SMAP!]]』に収録。
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** グラマラス([[2010年]])作詞・作曲を担当。シングル『[[This is love]]』のc/w。
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** 意外にもジャニーズのアイドルグループに楽曲を提供するのはこれが初である。
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*[[浜崎あゆみ]]
 +
** crossroad([[2010年]])作曲・編曲を担当。
 +
** Virgin Road、Last angel([[2010年]])作曲を担当。シングル『L』収録。
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** アルバム『[[Love songs]]』では収録曲のほとんどを小室が作曲した。
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*[[やしきたかじん]]
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** その時の空([[2010年]])作曲を担当。
 +
** やしきたかじんの冗談で楽曲提供が決まった。作詞は秋元康が手がけた。
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*[[坂本美雨]]
 +
** True Voice([[2011年]])作曲を担当。アルバム『HATSUKOI』収録。
 +
** 坂本美雨は同時期に小室のソロアルバム『Digitalian is eating breakfast 2』にも参加している。
 +
 
 +
== 主なヒット曲(1993年〜) ==
 +
1994年、小室哲哉は、[[TRF|trf]]の「[[Survival dAnce 〜no no cry more〜|survival dAnce 〜no no cry more〜]]」で初めて100万枚以上のヒットを達成。
 +
 
 +
1997年の[[華原朋美]]の「[[Hate tell a lie]]」まで20曲のミリオンヒット曲を世に送りだした。([[小室ブーム]]参照)。
 +
 
 +
※下記は主な小室哲哉プロデュース作品であり、一部にすぎない。 ☆ … ミリオン ☆☆ … ダブルミリオン
 +
 
 +
'''1993年'''
 +
* 「'''[[EZ DO DANCE]]'''」trf
 +
* 「'''[[寒い夜だから…]]'''」trf
 +
 
 +
'''1994年'''
 +
* ☆「'''[[Survival dAnce 〜no no cry more〜]]'''」trf
 +
* ☆「'''[[BOY MEETS GIRL]]'''」trf
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* ☆☆「'''[[恋しさと せつなさと 心強さと]]'''」 篠原涼子 with t.komuro
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'''1995年'''
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* ☆「'''[[CRAZY GONNA CRAZY]]'''」trf
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* ☆「'''[[masquerade (trfの曲)|masquerade]]'''」trf
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* 「'''[[もっと もっと…]]'''」 篠原涼子 with t.komuro
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* ☆「'''[[Overnight Sensation 〜時代はあなたに委ねてる〜]]'''」trf
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* ☆☆「'''[[WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント]]'''」H Jungle With t
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* ☆「'''[[GOING GOING HOME]]'''」H Jungle With t
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* 「'''[[Feel Like dance]]'''」globe
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* 「'''[[Joy to the love (globe)|Joy to the love]]'''」globe
 +
* ☆「'''[[I BELIEVE (華原朋美の曲)|I BELIEVE]]'''」華原朋美
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* 「'''[[BRAND NEW TOMORROW]]'''」trf
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* 「'''[[Body Feels EXIT]]'''」安室奈美恵
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* 「'''[[SWEET PAIN]]'''」globe
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* ☆「'''[[Chase the Chance]]'''」安室奈美恵
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'''1996年'''
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* ☆☆「'''[[DEPARTURES]]'''」globe
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* ☆「'''[[I'm proud]]'''」華原朋美
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* ☆「'''[[Don't wanna cry]]'''」安室奈美恵
 +
* 「'''[[FRIENDSHIP (H Jungle with tの曲)|FRIENDSHIP]]'''」H Jungle With t
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* ☆「'''[[You're my sunshine]]'''」安室奈美恵
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* 「'''[[is this love]]'''」globe
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* ☆「'''[[save your dream]]'''」華原朋美
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* ☆「'''[[Can't Stop Fallin' in Love]]'''」globe
 +
* ☆「'''[[a walk in the park]]'''」安室奈美恵
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; 1997年
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* ☆「'''[[YOU ARE THE ONE]]'''」TK presents こねっと
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* ☆「'''[[FACE (globeの曲)|FACE]]'''」globe
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* ☆☆「'''[[CAN YOU CELEBRATE?]]'''」安室奈美恵
 +
* ☆「'''[[Hate tell a lie]]'''」華原朋美
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* 「'''[[How to be a Girl]]'''」安室奈美恵
 +
* 「'''[[LOVE IS ALL MUSIC]]'''」華原朋美
 +
* 「'''[[Wanderin' Destiny]]'''」globe
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* 「'''[[Dreaming I was dreaming]]'''」安室奈美恵
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; 1998年
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* 「'''[[wanna Be A Dreammaker]]'''」globe
 +
* 「'''[[Perfume of love]]'''」globe
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* 「'''[[White key]]'''」鈴木あみ
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* 「'''[[I HAVE NEVER SEEN]]'''」安室奈美恵
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; 1999年
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* 「'''[[BE TOGETHER]]'''」鈴木あみ ※TM NETWORKのカバー曲
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; 2000年
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* 「'''[[NEVER END (安室奈美恵の曲)|NEVER END]]'''」安室奈美恵
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; 2001年
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* 「'''[[a song is born]]'''」浜崎あゆみ & KEIKO
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== 個人レーベル ==
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* [[TK TRACKS|TK TRACKS LABEL]] ([[徳間ジャパンコミュニケーションズ|メルダック]]内に設立)
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* [[avex globe]] ([[avex trax]]内に設立)
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* [[ORUMOK RECORDS]] ([[ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメントジャパン|パイオニアLDC]]内に設立)
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* [[TRUE KiSS DiSC]] (自費製作→[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|Sony Music Entertainment]]傘下)
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* [[Rojam Entertainment]] (自費製作→[[吉本興業グループ]]傘下)
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* [[factoryorumok]] (ORUMOK RECORDSと[[メディアファクトリー]]の提携)
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* [[Tatsumaki Records]] (factoryorumokからの派生レーベル)
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* [[よしもとアール・アンド・シー|gaball screen]] ([[よしもとアール・アンド・シー|R and C]]内に設立)
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* [[TKCOM]] (自費製作)
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== 参加ユニット ==
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* [[SPEEDWAY]]
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* [[TM NETWORK]]
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* [[TM NETWORK#歴代サポートメンバー|ハンバーグ&カニクリームコロッケ]]
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* [[V2 (ユニット)|V2]]
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* [[Hit Factory|T.C.D Hits]]
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* [[TRF|trf]]
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* [[ダイナマイトマシーン]]
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* TK-COZY-MST
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* [[EUROGROOVE]]
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* [[t jungle m]]
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* [[H Jungle with t]]
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* [[globe]]
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* [[tk-trap]]
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* [[TK state|TK MUSEUM]]
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* [[Kiss Destination]]
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* [[tatsumaki]]
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* [[VIZITORS]]
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* [[GABALL]]
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* [[Curious K.]]
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* [[TKCOM]]
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== 関連項目 ==
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* [[小室ファミリー]]
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* [[バーニングパブリッシャーズ]]
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* [[L☆IS]]
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* [[コムロきどり]]
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* [[566 (ユニット)]]
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== 関連人物・交友関係 ==
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* '''関連人物'''
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:[[宇都宮隆]]、[[木根尚登]]、[[Kco]]、[[マーク・パンサー]]、[[松浦勝人]]、[[千葉龍平]]、[[丸山茂雄]]、[[小坂洋二]]、[[小室みつ子]]、[[久保こーじ]]、[[藤井徹貫]]、[[日向大介]]、[[浅倉大介]]、[[鈴木大輔]]、[[坂元裕二]]、[[前田たかひろ]]、[[松尾和博]]、[[安室奈美恵]]、[[観月ありさ]]、[[岩佐俊秀]]、[[篠原涼子]]、[[華原朋美]]、[[DJ KOO]]、[[YU-KI]]、[[SAM]]、[[鈴木亜美]]、[[アーサー・C・クラーク]]、[[Purple Days]]、[[AAA]]
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* '''交友関係'''
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* [http://jp.youtube.com/user/guerillamusic guerilla music] - TKCOMのスタッフが運営する小室哲哉YouTube公式チャンネル
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* [http://www.emusic.co.jp/index.html 株式会社イーミュージック] - 小室哲哉が製作総指揮を勤めた音楽プロダクション
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* [http://www.fujitv.co.jp/TKMC/index2.html TK MUSIC CLAMP] - 小室哲哉が1995年から1996年に司会を務めたフジテレビの音楽番組(オフィシャルサイト)
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2021年11月16日 (火) 18:04時点における最新版

小室 哲哉(こむろ てつや、1958年11月27日 - )は、日本ミュージシャン作詞家作曲家編曲家音楽プロデューサーキーボーディスト東京都府中市出身。元尚美学園大学芸術情報学部教授。妻はglobeボーカルkco。愛称は「先生」「てっちゃん」「テツ」「コム」「小室」「TK」「テチ」「テツニー」など。身長167cm、体重47kg。

目次

略歴[編集]

学生時代[編集]

音楽の時間に作曲のテストがあった際、教師が小室の作品を見て「誰かは言いませんけどこの中ですごく上手な人がいました」と言った後、その曲がピアノで披露されて、その曲を他のクラスメイトがリコーダーで吹いた。しかし小室は当時を振り返り「目立ちたくない時期だったためものすごく嫌だった」と語っている。日本万国博覧会シンセサイザー冨田勲の存在を知り、衝撃を覚える。

家にあったギターヴァイオリンエレクトーンを家族に無断で売り、当時16万円以上したというシンセサイザー「ローランドSH1000」を購入した。渡辺美里の1stアルバム「eyes」に収録されている「きみに会えて」・TM NETWORKの4thアルバム「Self Control」に収録されている「Here, There & Everywhere (冬の神話)」の雛型をその頃に作曲したという。

早稲田実業学校高等部商業科に入学。小室の作曲テクニックにクラスメイトが憧れる余り、クラスメイトの半数以上の作曲の宿題を肩代わりさせられた。音楽担任は小室が卒業するまで気づかなかったという。

早稲田大学社会科学部に進学し5年ほど在籍、その途中にプロ・ミュージシャンとしての活動を開始する(哀婉・あのねのね白竜原田真二等のバックバンド(キーボードを担当)、SPEEDWAYへの参加等)。その後、音楽活動に没頭していた・授業料を楽器代に使い廻していた為に単位がとれず除籍。

TM NETWORK~TMN時代まで[編集]

1986年に渡辺美里へ提供した「My Revolution」が第28回日本レコード大賞金賞。自身の音楽ユニットであるTM NETWORKは、1987年に発表した「Get Wild」で一躍人気バンドとなり、1988年には第39回NHK紅白歌合戦に出場。

自身のバンド活動と平行して、渡辺美里をはじめ、岡田有希子荻野目洋子おニャン子クラブ福永恵規堀ちえみ中山美穂松田聖子小泉今日子宮沢りえ観月ありさ牧瀬里穂中森明菜などに楽曲を提供し、作曲家としても活躍する。

1989年に自身がリードボーカルを担当したソロ作の「RUNNING TO HORIZON」、「GRAVITY OF LOVE」が連続でオリコンシングルチャート1位を記録。1985年 - 1992年の間には、アニメーション映画の「吸血鬼ハンターD」、実写映画の「ぼくらの七日間戦争」、「天と地と」、月9テレビドラマの「二十歳の約束」、舞台ミュージカルの「マドモアゼル モーツァルト」の劇中音楽を手掛けた。

絶頂期・小室ブーム[編集]

1994年TMN終了前後から、観月ありさ篠原涼子trfhitomi内田有紀H Jungle with tdosglobe華原朋美安室奈美恵tohko鈴木あみなど、多数の作詞、作曲、編曲と音楽プロデュースを兼任して行い、1994年から1999年の間に数々のミリオンセラーヒット曲を打ち立て、その様子から各メディアにおいて、「小室ファミリー」、「小室サウンド」、「小室系」といった独自の名称でカテゴライズされる小室ブームという少年時代からの夢だった社会現象を起こした。

1995年から4年連続でプロデュースした曲が日本レコード大賞を受賞。1996年4月15日にはオリコンシングルチャートにおいてプロデュース曲がトップ5を独占した。1996年はglobeのアルバム「globe」が当時のオリコン記録を更新する売り上げ400万枚以上を記録。安室奈美恵のアルバムも300万枚を超えるなどこの年だけでプロデュース曲の総売上枚数は1,500万枚以上を記録した。さらに1996年から2年連続で高額納税者番付において全国4位を記録、1997年の納税額は11億7000万円で推定所得は約23億円だった。1996年末には海外進出を狙いルパート・マードックと組み、100万ドルを出資して香港に合弁会社TK NEWS(後のRojam Entertainment)を設立した。1997年はスピード2のテーマ曲のリミックスを手掛けるなどした。

時代は小室サウンドに踊った。

「survival dAnce~no no cry more~」(trf)。「DEPARTURES」(globe)。一聴して鮮烈に印象に残るフレーズを盛り込んだ楽曲の数々は、ことごとくミリオンヒット。「ぱっと聴いて、すぐ耳に残る分かりやすいフレーズ、というのは松浦が言っていたことの延長なんだ」

成功の陰で、松浦たちが奔走していた。鉄道会社とのCMタイアップ交渉、所属会社の壁を越えた撮影チームの融通、カラオケ画面でのアーティスト本人映像の実現…。

そして、自身は、名声とともに金銭感覚が狂っていった。米ロサンゼルスの高級住宅地に住み、高級車を何台も購入。インドネシア・バリ島に別荘を持ち、米国内の移動はわざわざチャーター機を使った。

1曲作れば、そのたびに巨額の金が動く。新たなヒット曲を生まなければならない重圧の中、態度は目に見えて傲慢になった。松浦たちとは距離が生まれていった。

「『自分が頂点』という虚栄心があった。一方で、仕事はやらざるを得ない、勝手に終焉させられない状況。周囲に気も回らなかったし、そんな余裕もない。瞬時でも立ち止まって、周りへ感謝する気持ちを持つべきだった」

後に松浦からこんなことを言われた。「小室さんから『頑張ってくれてありがとうね』って、ちゃんと言われたことがないような気がする」。ショックだった。

「みんなが成功して『良かったね』という気持ちはあった。でも、感謝の気持ちは、薄かったと思う」

ブーム後退[編集]

1998年にはtohko鈴木あみ未来玲可をプロデュースさせたものの、1996年前後の小室ブーム全盛期と比べて勢いは劣るものとなっていた。1997年より既存の小室ファミリー向け楽曲の曲調がポップテイストからエレクトロニカへ変化している点(特に安室奈美恵の楽曲が顕著)、小室ブーム全盛期の中心にいたTRFや安室奈美恵(出産のため休業)などが活動を縮小し、dos篠原涼子hitomi観月ありさらのプロデュースが無くなり、ミリオンセラーを叩き出した華原朋美も恋愛関係の清算により離脱する等の複合的要因で小室ファミリーの規模が萎縮。ファン離れが急速に進んだ。
1999年には“非 小室系”のJ-POPアーティスト(宇多田ヒカルMISIADragon AshDA PUMPSPEEDSMAP椎名林檎L'Arc〜en〜Cielなど)のCDがヒットチャートの中心となり、小室プロデュースのCD売り上げに急ブレーキがかかり、小室ブームが終焉した。。 鈴木あみの提供曲はデビュー時から2000年までヒット上位にあったものの、鈴木側のマネジメント上の問題で2000年9月を以て関係が絶たれ、それ以後はglobe関係の活動がウエイトを占めるようになった。

凋落[編集]

2001年、5月にASAMIと再婚。小室が株式の大半を握っていたRojam社が香港株式市場(H株GEM)に上場した。また、factoryorumokを清算後、吉本興業にタレントとして所属。同年の「笑う犬の冒険」に『超ハンサム侍』としてバラエティ番組のコントに出演する等の話題は有ったが、プロデュース業は好転しなかった。かつてミリオンセールスを導き出した安室奈美恵も小室ファミリーから独立した。
2002年3月にASAMIと僅か10ヶ月でスピード離婚(実子あり)。5月には吉本興業が設立したアール・アンド・シー・ジャパン(現:よしもとアール・アンド・シー)の株式70%強をRojamが買収し、吉本との関係を強化した。そして11月にはKeikoと再婚。TBSで結婚披露宴特別番組生中継された事は話題となった。しかし、ASAMIとの間で合意した約7億円の慰謝料を一括で払うことはできず分割で支払うことになったが、その支払いも資金繰り悪化の為に2004年8月頃には滞るようになったという。

この頃より所有していた別荘高級乗用車クルーザーなどの資産売却を行うようになった。2004年には約70億円の株式評価損が生じたRojam Entertainmentの出資・経営から撤退した。さらに2005年9月には大分トリニータへのスポンサー料7000万円を滞納していることも明らかとなった。2008年11月1日NACK5の開局20周年番組に出演した際には自らの活動を振り返り「98年からの10年はなかなか曲が出てこなかった」「もうやれることはやりつくした気がして貪欲になれなかった」と語っていた。

栄華は長く続かない。1996年、香港に音楽制作会社を設立したが、現地で歌手を育てる意識に欠けたこともあって失敗。リスナーの好みが変わっていく中、ブームは終わった。しかし、一度身についた金銭感覚は直らない。次第に資金繰りに窮した。

5億円詐欺事件[編集]

2006年8月6日、小室は日本音楽著作権協会に自分名義で登録している全楽曲806曲の著作権を10億円で譲渡する仮契約を男性と結び、前妻のASAMIが著作権使用料を差し押さえているとして、その解除費用として5億円の先払いを要求し、8月29日までに5億円を受け取った。

しかし、実際には仮契約段階で既に著作権の一部は音楽出版社に譲渡(音楽業界では著作者である作曲家や作詞家が音楽会社に著作権を譲渡して管理を任せる代わりに、印税を受け取ることが慣例となっている)されており、小室には著作権がなかった。だが小室は返金に応じなかったため、男性は2008年2月に小室に対し逸失利益を含めた6億円の損害賠償を求め提訴。小室が全額を支払うことで和解が成立したが、期日であった9月末までに小室は支払わなかった。

このため男性は地方検察庁刑事告訴を行った。検察側は小室が受け取った5億円を差し押さえ解除ではなく借金返済に使っていたことを把握、当初から金を詐取する目的だったと判断し、2008年11月4日大阪地検特捜部は小室とトライバルキックスの社長、広告会社の実質経営者の計3名を5億円の詐欺容疑で逮捕した。11月21日に起訴、さらに同日保釈保証金3,000万円を支払い保釈された。

2009年1月21日に大阪地方裁判所にて初公判、3月12日に第2回公判が行われ、小室側が遅延損害金を含む計6億4800万円を被害者側に振り込んだことが明らかになった2009年3月10日に解決金を含めて6億5000万円をエイベックス・グループ・ホールディングス社長松浦勝人が立て替え払いを行い、被害者に完済した)。お金を振り込んだ後、被害者側に謝罪の手紙を送っているが被害者側に受け取りを拒否されている。なお、この被害者に送るつもりだった謝罪文は第三回公判の際に、小室自身により読み上げられた。被害者側との示談交渉においては、情状証人として出廷した松浦は「示談を申し込んだが“できない、誠意が足りない”と弁護士から聞かされた。“誠意が足りないとはどういうことか”と代理人に尋ねたら“お金だ”と聞き、非常にショックを受けた。」と証言したが、被害男性は「そのようなことは一切言っていない」と否定し、「民事裁判で和解が成立して決着している。」と話している。なお、SNSmixiでは2008年11月から「小室哲哉氏の復活を願う会」というコミュニティが457人を集めたり、mixiのサポートを受けての紙ベースの署名活動も行われていた。(署名TVでも行われていた。)さらに小室の母親やマネージャー、弁護士の了解を得た上で署名活動と平行して裁判所への提出もありうるという大前提で小室に対して手紙を書く「小室哲哉さんへの手紙」という活動も行われていたりと、復帰待望論が起き、小室の減刑を望む動きは、音楽業界や音楽業界関係者からもあり、実際に減刑嘆願書を出した音楽業界関係者もいた。第3回公判は4月23日に行われて結審。

2009年5月11日大阪地方裁判所より懲役3年、執行猶予5年の有罪判決が言い渡され、弁護側・検察側共に控訴はせずに、同年5月25日午前零時を以って刑が確定した。

「何も分からない音楽業界のことを教えてくれたことや、今のエイベックスがあるのも小室さんのおかげだと思いだした」

2009年3月、大阪地裁の法廷に証人として立った松浦は、保釈後に一晩中ピアノを弾く小室さんの姿を見た時の様子をこう語った。それが、被害弁済金を肩代わりした理由だ。ひとたび距離を置いた両者を縮めたのは、やはり音楽だった。

「音楽を何もないところから作り、それが商品にならなくても、自分でも気持ちがいいものだなと思える時の恍惚感。光に近い瞬間なんだけど、すべてのエネルギーの源。これができなかったら僕はいない」。穏やかに、時に熱く語る口調には、音楽に打ち込める環境への感謝が込められている。

再出発[編集]

2010年5月に復帰第一作としてAAAの楽曲「逢いたい理由/Dream After Dream 〜夢から醒めた夢〜」をプロデュース。また翌6月には森進一への提供楽曲が発売されることがマスメディア、及び5月2日付の小室のtwitterにて明らかとなった。 『眠らないラブソング/道標』の楽曲提供が決まり、作曲の他作詞、編曲も手掛けることとなった。その後もレコード会社を問わず超新星SMAP北乃きい浜崎あゆみらへ楽曲を提供している。一方で2010年9月29日にはglobeのベスト盤がリリースがされ、未発表曲や、パッケージによっては未公開映像や小室のサインも提供された。また11月にやしきたかじんへ楽曲「その時の空」を提供した。

2011年6月13日、宇川直宏の主催する音楽動画配信サイトDOMMUNEにてストリーミング配信ライヴを行う。瞬間最大視聴者は2万7000人を超え、合計視聴者数は14万4000人を記録した。12月23日、ラフォーレミュージアム原宿にて開催される「HARAJUKU PERFORMANCE + DOMMUNE」の4日目に出演。冨田勲とのトーク&ライヴを開催した。

2012年3月20日、幕張メッセで行われた東日本大震災復興支援チャリティコンサート『ALL THAT LOVE-give&give-』に、TM NETWORKとして参加したのをきっかけに、約4年ぶりにTM NETWORKの活動を再開する。

人に会っている時も、常にスマートフォン(高機能携帯電話)が気になる。2011年10月24日、globeのボーカルで妻のKEIKOが、自宅でくも膜下出血で倒れ、病院に搬送された。5時間にわたる緊急手術。回復に向かっているが、今も連絡手段は手放せない。

倒れた当日、119番通報、手術の同意と、すべての手続きを行った。「僕にはこの人しかいないんだなと思った。家族という最小限の二人だから」。自身が救われたこと、妻を救えたこと。一つ一つのめぐりあわせに人の縁を感じずにはいられない。

「通信が発達して、『ニコニコ動画』や『ユーストリーム』などで環境が整ってきた。ネットでコミュニケーションをとって、『ああ、あいつもあの曲が好きなんだ』と、分かるようになった」

「世界中の人、億単位で知られている音楽ですね。それを聴いたら誰もが『あれだよね』と分かる定番の音。たかだか2小節で耳に焼き付くような。パソコンの起動音のような衣食住に密着したものですね」

「昔は恥ずかしくて、愛だとか語っちゃいけないと思っていた。でも、手術までに1~2時間もなかったあの時、自分がやるべきことを考えました。今は恥ずかしげもなく、愛情を与えてあげたいと思う人です」

秋元康にすがる[編集]

tetsuya komuro 1:39 - 一般公開

いかがでした、CX新番組さすが、おそるべしAKB! ノースリーブス、男性陣もってかれっぱなしだね、、。
ただ、僕は楽なんだよ、収録も。みんな優しいしね。仲良しだし。

tetsuya komuro9:19 - 一般公開

秋元先生に、そろそろ決めうちで、1曲小室曲使ってみません?のようなニュアンス、お伝えしておいてくれる方、いらっしゃったらお伝えしておいてください。
直電すりゃいいじゃんと思うかもなんですが、ライブな声があってこそ、
意味もあるかなと。

tetsuya komuro9:25+79

25年間職人としては、作曲家としてバイオグラフィーにAKBの名前がないのは格下げになるな、、、独り言。?

小室哲哉の倹約生活…「ママチャリ移動」「缶ジュースさえ自由に買えない」[編集]

最近の小室の私生活について驚きの証言をするのはある音楽関係者だ。

「かつては2億円以上するフェラーリベンツなど、超高級外車を30台以上もコレクションしていた小室さんが、最近の移動は1万円で買えるママチャリと数万円で買った中古原付きなんですよ」

驚くのはまだ早い。いつもそばに“監視役”がついているという。

「小室さんが『ノド渇いた』と自販機で缶ジュースを買おうとすると『小室さん、ダメですよ!』とスタッフが飛んできて、家で煮出してきたようなお茶を飲ませていたんです」(同)

かつては食べ物や飲み物にこだわりもなく、コーラ片手にピザばかり食べていただけに、スタッフが健康を考えて制止しているのだろうが、缶ジュースさえ自由に買えないほど“監視”されているという。

別の業界関係者も小室の変貌ぶりをこう語る。

「打ち合わせにヨレヨレの服で現れてビックリしましたね。昔から服装にもこだわりがないんですが、最近はユニクロがお気に入りのようです。近く書籍を出版するらしいのですが、サイン&握手会までやるそうですよ。全盛期じゃ、そこまでやるのは考えられないですが、拝金主義のイメージを払拭するために地道な営業活動も今ではいとわないそうです」

バイオグラフィ[編集]

1970・80年代[編集]

1983年以前[編集]

ニューミュージックのアマチュアバンド「哀婉」で活動。
プロ・ミュージシャンとしての活動を開始。あのねのね白竜原田真二角松敏生パンタ等のバックバンドを経験。
SPEEDWAYに参加。月光仮面の主題歌をロック調に編曲したCMソング「ROCKIN' ON THE 月光仮面」で手腕を発揮した。2nd.アルバム『BASE AREA』で数曲を作曲した。ミス・オレンジショックをプロデュース。

1983年 - 1989年[編集]

バンドを結成しては解散する時期を送る(「ギズモ」、「ステイ」、「イラプション」等)。
安岡力也の『ホタテのロックン・ロール』でアレンジを担当。SERIKA with DOGのサウンドプロデュースを行う。
SPEEDWAYのメンバーであった木根尚登と新ユニットを組むことに合意し村田バンドに参加。
宇都宮隆を誘い「TM NETWORK」を結成し、リーダー、作曲・編曲・シンセサイザー演奏を担当。
4月21日TM NETWORKがアルバム『RAINBOW RAINBOW』とシングル「金曜日のライオン」同時リリースでデビュー。
7月大江千里「ロマンス」の編曲を担当する。
11月、大江千里「十人十色」の編曲を担当した。(※CMバージョンは小室哲哉の編曲である)
アニメ映画「吸血鬼ハンターD」サウンドトラックを担当する。
小室哲哉にとって初のメジャー歌手の提供曲となる岡田有希子の曲「Sweet Planet」の作曲を手掛ける。
渡辺美里に曲提供(作曲)した「My Revolution」がヒット。精力的にライブをこなす。
TM NETWORKのアルバム『Self Control』、シングル「Get Wild」がヒット。
ロサンゼルスでアルバム『humansystem』をレコーディング。Bernie Grundman Masteringにマスタリングを初めて依頼した(Bernie Grundman本人が担当)。
角川映画「ぼくらの七日間戦争」サウンドトラックを担当。
単身渡英し、アルバム『CAROL 〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜』の楽曲制作を開始。
アイドルデュオ、キララとウララのキララ(大谷香奈子)と結婚。
2月デュラン・デュラン東京ドームライブにゲスト出演、キーボードを演奏する。
「Running To Horizon」で歌手としてソロデビュー、オリコン週間シングルチャート第1位を獲得。続く「GRAVITY OF LOVE」も第1位を獲得した(松田聖子の連続1位記録を途切れさせた)。アルバム『Digitalian is eating breakfast』をリリース。ソロツアーも開始。シンクラヴィアを本格的に使い始めた。

1990年代[編集]

1990年 - 1994年[編集]

当人プロデュースによるシンセサイザー(キーボード)EOS B500発売。
角川映画「天と地と」サウンドトラックを担当。
オリジナルアルバム『Psychic Entertainment Sound』をリリース
TM NETWORKが「TMN」にリニューアル。
「SPACE WORLD」を開催し、「Think Of Earth」を披露。
X JAPANYOSHIKIと「V2」を結成し、V2「背徳の瞳」をシングルリリース(オリコン最高位第2位)。一度だけライブを行った。
ミュージカル「マドモアゼル・モーツァルト」の音楽を担当。
avex traxとライセンス契約を結ぶ。自身の個人レーベル第1号となる「TK TRACKS LABEL」を設立。
ディスコイベント「TK TRACKS NIGHT」を開催する。
山羊智詞&赤羽楽団のメンバーとして参加。
提供楽曲のセルフカバーを中心としたソロアルバム『Hit Factory』を製作。
初の全面プロデュースユニットとしてtrf(Tetsuya komuro Rave Factory)を結成。
大谷香奈子と離婚。
2月25日trfがシングル「GOING 2 DANCE/OPEN YOUR MIND」でデビュー。
6月21日、trfが2ndシングル「EZ DO DANCE」発売洋楽中心であった日本のダンスシーンに大変革をもたらした。
米国でRadikal Recordsより「TRF Rave Factory」名義で12インチアナログ「OPEN YOUR MIND」を発売。英国でFAZE-2 RECORDSより「t.r.f」名義で12インチアナログ「OPEN YOUR MIND」を発売。
山羊智詞水江慎一郎(ex UP-BEAT)、横内健亨(ex ハイソサエティーTENSAW)、朝井泰生今川勉(ex ECHOES)とダイナマイトマシーンを結成したが、今川勉がツアー途中で体調不良により離脱。ツアー途中からに太田明(ex 筋肉少女帯)が参加するが、各メンバーの所属するレコード会社と事務所がバラバラだったため、政治的圧力がかかりアルバムリリース直前に解散。EPIC・ソニー(現エピックレコードジャパン)から発売予定だった1stシングル「No! Mercy Boy!」は、小室哲哉の作曲作品(山羊智詞 作詞)で、東京パフォーマンスドールの「キスは少年を浪費する」と同曲であった。
4月21日、TMN"終了"。
アニメーション映画ストリートファイターII MOVIE」の音楽監督(鳥山雄司と共同)・主題歌制作を担当。
7月21日篠原涼子 with t. komuroとして「恋しさと せつなさと 心強さと」を発売。初のシングル売上200万枚突破。
小室の個人事務所「TK state」を設立、2000年まで活動。
海外向けプロジェクトEUROGROOVEを開始。
hitomi大谷健吾ANISSのプロデュースも同時期に開始した。trfのアルバム『WORLD GROOVE』から民族音楽への関心を示す。
trf「BOY MEETS GIRL」やEUROGROOVEの楽曲などでトライバル・ハウスに積極的に取り組んだ。

1995年 - 1999年[編集]

1月幕張メッセでライブ・パフォーマンス「tk-trap」を開催。
trf、内田有紀マーク・パンサーMOON TRAP伊藤彰などが出演したミュージカル「1999...月が地球にKISSをする」の音楽を担当。ミュージカルの楽曲は多くが商品化された。
ジャングル・シークレット・イベント「t jungle m」を開催。
H Jungle with tWOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」でシングル売上200万枚を突破。「ジャングルで世界一の売上を記録したプロデューサー」として海外の雑誌でも取り上げられた。
フジテレビドラマ「ひとりにしないで」の音楽を久保こーじと共同で担当。
マーク・パンサーKEIKOとともに、自身が参加するユニット「globe」を結成。
8月、「avex dance Matrix '95 TK DANCE CAMP」でオーガナイザーをつとめ、東京ベイサイドスクエア大阪万博記念公園に計6万人を動員する。
12月31日、trfの「Overnight Sensation 〜時代はあなたに委ねてる〜」で第37回日本レコード大賞を受賞。
自身のレーベル「ORUMOK RECORDS」をスタート。華原朋美H.A.N.D.をデビューさせる。(1996年にはdosがORUMOKからデビュー)。
公式ウェブサイト「Planet TK」をスタートさせた。
globeのシングル「DEPARTURES」で売上200万枚を突破。
globeのアルバム『globe』で売上400万枚突破。オリコン歴代アルバム記録を更新。
華原朋美のアルバム『LOVE BRACE』が売上250万枚を突破。オリコン歴代ファーストアルバム初動記録を更新。
安室奈美恵のアルバム『SWEET 19 BLUES』が売上300万枚を突破。オリコン歴代アルバム初動記録、累計記録(女性部門)を更新。
安室奈美恵のシングル「Don't wanna cry」で第38回日本レコード大賞受賞。
4月嘉門達夫が小室哲哉プロデュースの曲を替え歌にした、TK替え歌メドレーが発売された。
9月、TK替え歌メドレー2も発売となった。
4月15日付けオリコンシングルチャートで1位から5位までを自身がプロデュースする楽曲で独占した。
カラオケソフトウェア「TK's karaoke engine」の販売がスタート。
11月厚生省の開催する麻薬・覚醒剤禍撲滅運動の一環として、小室プロデュースによるライブ「イエス・トゥー・ライフ dance alive」を開催する。
12月、小室哲哉とルパート・マードック率いるニューズ・コーポレーションが百万ドルずつ出資し、香港に合弁会社「TK NEWS」を設立。アジア進出の足がかりとなり、2年後に台湾からRing香港からgrace ipをデビューさせるきっかけとなった。マードックは1998年に撤退したが、TK NEWSはRojam Entertainmentの母体となった。
12月31日、23時から24時間の間にインターネットイベント「TK Trillion Net」が開催された。
4月6日、祖父の出身地、福島県西白河郡中島村に小室アレンジの「ヨカッペ音頭」が流れるからくり時計を寄贈。記念式典にも出席した。
TK presents こねっと」として『YOU ARE THE ONE』をリリース。収益金は「こねっと・プラン」参加校に寄付され、教育現場へのインターネット普及に貢献した。
globeにて日本史上初の東京、名古屋、大阪、福岡4大ドームツアーを敢行。
台湾で初の海外ツアー「TK PAN-PACIFIC TOUR '97 IN TAIPEI」を開催する。
7月、アニメーション映画「エルマーの冒険」の音楽監修を務める。
20世紀フォックス配給映画「スピード2」のメインテーマのリミックスを手掛ける。
中日邦交正常化25周年記念公演「TK Presents GROOVE MUSEUM」を開催する。
DJ DRAGONとプロデュースユニット『tatsumaki』を結成。後に鈴木あみBALANCe等に関わっていく。
安室奈美恵のシングル「CAN YOU CELEBRATE?」で売上が200万枚を突破、第39回日本レコード大賞を受賞。
ニューヨークでインディーズレーベル「TRUE KiSS DiSC」(1999年正式に設置)を始動。鈴木あみ、甲斐よしひろ、Ring、白竜などをプロデュースした。
グアム観光政府局より親善大使として「グアムアートイルミネーション」を総合プロデュース。
SEIKOと共同で腕時計「frequency」を開発する。
globeのシングル「wanna Be A Dreammaker」で第40回日本レコード大賞を受賞。
香港の中国返還1周年記念式典に参加。香港にアジア最大の総合音楽プロダクションを目指す会社「Rojam Entertainment」を設立。中国・上海に「ROJAM DISCO」をオープン。
東京にメディアファクトリーなどとの合弁会社「factoryorumok」を設立。
YAMAHA EOS SOUND CONTEST98」の審査委員長を務める。(ちなみに副審査委員長は浅倉大介。)
トーコが、小室哲哉と日向大介の共同プロデュースでデビュー。
未来玲可が小室哲哉と久保こーじの共同プロデュースでデビュー。
サッカー・W杯フランス大会の公式アルバムにジャン・ミッシェル・ジャールとともに「TOGETHER NOW」で参加。
パリ祭のメインイベント「RENDEZ-VOUS '98 ELECTRONIC NIGHT」をジャン・ミッシェル・ジャールと共同で開催する。
日本テレビ系列ドラマP.A.のサウンドトラックを担当。
1月末、華原と破局する。
TM NETWORKを再結成し「GET WILD DECADE RUN」を発売した。
元dosの吉田麻美と「TRUE KiSS DESTiNATiON」を結成し、TOTOの代表曲「AFRICA」をカバー。
TLCLeft Eyeが名付け親のBLAQUE IVORYを「ADORE ME」の作曲とアレンジを担当した。
インドネシアバリ島クタビーチにて「GOA IN BALI」をDJ DRAGONと共同で開催し、2万人を動員した。

2000年代[編集]

2000年 - 2004年[編集]

国際麻薬統制委員会を訪問し、UNODC親善大使を授与される。
ニューヨークの国連本部で開催された国連親善大使会議に参加する。
TM NETWORKとKiss DestinationがTRUE KiSS DiSCレーベルから撤退。個人レーベル「Tatsumaki Records」を設立。
アーティスト養成通信講座「TK MUSIC ONLINE」を開始。
Rojamよりネット配信と通信販売により新曲を発表した。RojamからはZoieCELINA。factory ORUMOKからは坂口実央MIYUKI清水まなぶステレオリキッドなどがデビュー。ネット販売とコンビニ販売を視野に入れた両社であったがレコード販売以外はほとんど実現できなかった。
11月、麻薬・覚醒剤乱用防止活動としてTRF、BALANCeと共に「イェス・トゥ・ライフ東京大会」に参加。
12月31日元日沖縄県宜野湾海浜公園トロピカルビーチで「Rendez-vous in Space 2001」が開かれた。
1月Sony Music Entertainmentとの専属契約を解消し、factory ORUMOKから撤退。
5月吉本興業とマネージメント契約を結ぶ。吉本興業内のレーベル「R&C JAPAN」(現R and C)の設立に参加、一時期オーナーを務める。
同日Kiss DestinationASAMI(吉田麻美)と再婚。
DJ DRAGON原田大三郎とともに「GABALL」結成、トランス・ミュージックへの傾倒が始まる。Rojamのレコード販売事業は縮小。
SAMプロデュースクラブ・イベント「zento」にTRF、BALANCe等と共に、参加・楽曲提供。
9月、フジテレビ単発テレビドラマ「プラトニック・セックス」の音楽監督を担当(橋本慎と共同)。
10月より放送を開始したアニメ「サイボーグ009 THE CYBORG SOLDIER」の音楽監督(多田彰文松尾早人と共同)を担当。
トランス・イベント「TK PRESENTS SYNTHESIZED TRANCE」を主催。
中国映画恋愛中的宝貝(邦題:恋愛中のベイビー)」の音楽監督・主題歌制作を担当。
3月、吉田麻美と離婚。
11月22日、globeのボーカルKEIKOと再婚。globeにはX JAPANYOSHIKIが加入した。
4月より3年間「キャットミュージックカレッジ専門学校」の名誉校長に就任した。
初のピアノ・インストアルバムを3枚発表した。
全米先行放送アニメ(後に2004年10月より日本でも放送)「ゾイドフューザーズ」の音楽監督を担当。
新型肺炎鳥インフルエンザの流行などにより、韓国での開催を予定していた黄砂対策チャリティライブが中止。globeにYOSHIKI加入後初の東京ドームライブが中止と、不運が相次いだ。
Rojam株を全て売却し、Rojamの経営から撤退した。
個人スタジオ兼イベント運営会社として「Tribal Kicks」を新たに設立。
サッカーJリーグ大分トリニータのスーパーバイザーに就任。
4月21日 TM NETWORKデビュー20周年を記念して横浜アリーナでライブを行った。
日中国交正常化30周年記念NHKドラマ「世紀末の晩鐘」の音楽監督を担当。
11月2日 globe結成10周年を記念して2年半ぶりの全国ツアーを行う。ツアー中に新曲「judgement」を披露。
大晦日BLACK JAXXと共に六本木ヒルズ52FにてカウントダウンLIVEを行う。

2005年 - 2009年[編集]

クラブ・イベント「Electone STAGEA Presents Tribal Kicks TV Party」を開催した。
avexの手掛ける高音質ネット配信の研究機関「High Definition Sound laboratory」のエグゼクティブアドバイザーに就任。
「@MUSIC HD Sound」にてglobeの楽曲の高音質配信を開始した。
2月、中国の女優である陳好に楽曲提供する。
ロサンゼルスを拠点とした活動を再開。DJ TK名義で丸山茂雄運営の「mF247」に楽曲の提供を開始。
3月エプソン 品川アクアスタジアムのアトラクション「ポート・オブ・パイレーツ」の音楽を担当。
小室哲哉と吉本芸人がコラボレートを行い「TKプロジェクト ガチコラ」と題して、11組のお笑い芸人に楽曲を提供した。
10月、米ロックバンド・Stevie Salas Colorcodeのアルバム『Be What It Is』の楽曲「cherokee girl」にシンセサイザーで参加。
11月、自身のMySpaceオフィシャルサイトを開設。
12月、音楽配信を主とした新たなインディーズレーベル兼個人スタジオ「TKCOM」を立ち上げる。
Kimeruの「with you」をプロデュース。男性ソロアーティストのプロデュースは自身で9年ぶりとなる。
4月尚美学園大学芸術情報学部音楽表現学科特任教授に就任。著作権を巡る詐欺事件(前述)のため同大学は2008年11月4日付けで小室哲哉を懲戒解雇処分した。
6月、所属事務所の吉本興業と契約満了。
7月、DJ TK名義で「Cream Of J-POP 〜ウタイツグウタ〜」をリリース。
11月2日 - 3日楽器フェア2007に、TM NETWORKとしてライブ出演。
11月8日 - 11日秋葉原のメイドカフェ「メイリッシュ」をジャック。愛用のギターやキーボードを展示し、店舗を「DJ TK」仕様に改装した。
12月、音楽プロダクションイーミュージックの制作総指揮に就任。同月に設立された芸能事務所「Empire Play Music」に所属。
大晦日から元旦にかけて多福寺にて、「TK New Year Live 2008 in Tafukuji Temple」を開催する(この模様はYouTubeで公式配信された。)
2月、18年ぶりとなるオリジナルアルバム「Far Eastern Wind - Winter」をiTunes Store配信限定で全世界同時リリース。
3月、オリジナルアルバム「Far Eastern Wind - Spring」をiTunes Store配信限定で全世界同時リリース。
5月、「MTV Video Music Awards Japan 2008」にkcoと共にゲスト・セレブリティとして出演。
6月江の島アイランドスパの新アトラクション「オーロラトリップ」「ヒーリングオーロラ」のサウンドプロデューサーを担当。
7月、オリジナルアルバム「Far Eastern Wind - Summer」をiTunes Store配信限定で全世界同時リリース。
8月、尚美学園大学にて「SHOBIワンダーランド」のプログラムとしてピアノコンサートを行う。
9月、オリジナルアルバム「Far Eastern Wind - Autumn」をiTunes Store配信限定で全世界同時リリース。
11月4日兵庫県内に住む個人投資家に著作権譲渡の話を持ちかけ、5億円を騙し取った詐欺の容疑で、大阪地検特捜部に逮捕される。これを受け、「Empire Play Music」は同日付で小室を契約解除した。
5月11日大阪地方裁判所より懲役3年、執行猶予5年の有罪判決が言い渡される。
8月1日、個人事務所「a nine」を設立し、エイベックスと専属契約を結んだ。
8月22日、『a-nation'09』にglobeのメンバーと共にシークレットゲストとして出演、音楽活動を再開。
11月13日、クラブイベント『HOUSE NATION』にスペシャルゲストDJとして参加。

2010年代[編集]

2010年 - 現在[編集]

2月 - 3月にかけて、再開後初めてのソロコンサートを崇城大学市民ホール福岡市民会館鹿児島市民文化ホールで開催された。
9月7日 - 『globe デビュー15周年記念ベスト盤、サイン書き特番』をUstreamにて配信。
9月22日 - 『globe デビュー15周年記念ベスト盤、完成記念特番』をUstreamにて配信。
10月13日 - 14日、KREVAのコンサートイベント「意味深3」日本武道館2Days公演にサポートキーボーディストとして出演。
12月14日 - 『DATV「ほほえみプロジェクト」チャリーティイベント「Message! to Asia」』にGACKTペ・ヨンジュンらとともにゲスト出演。
2月17日 - ニコニコ生放送MAX松浦の朝まで松木らNIGHT☆』にゲスト出演。
5月4日 - オリジナルアルバム「Digitalian is eating breakfast 2」をリリース。
5月4日 - 「HOUSE NATION GW Fiesta」にスペシャルゲストとして出演。
5月5日 - ニコニコ生放送ニコラジ!』にゲスト出演。
5月15日 - ニコニコ生放送小室みつ子のGet Wild』にゲスト出演。
6月1日 - オリジナルアルバム「Digitalian is eating breakfast 2 インストバージョン」を配信開始。
6月13日 - 『DOMMUNE「TK Presents BROADJ ♯331」2-Hour Special Live Set by TETSUYA KOMURO』を音楽動画配信サイトDOMMUNEにてストリーミング配信。来場者数はのべ14万人以上にものぼり、ネット上で大きな話題となった。
7月18日 - 『国連UN-OHRLLS・国連の友 "Friend's Whistle! Act for Tomorrow! Vol.2"』に出演。
7月23日 - 24日 - 『a-nation Charge & Go! ウイダーinゼリー THE PREMIUM NIGHT in nicofarre』に出演。
7月30日 - 『Yamaha & Steinberg EXPO 2011 ”TK Special Talk & Live”』に出演。
8月19日 - 『FREEDOMMUNE 0<ZERO>2011』に出演予定だったが暴風雨のため中止される。
8月20日 - 早朝、中止された『FREEDOMMUNE 0<ZERO>2011』を「今日やらないと意味が無いセットリスト」とのことでスタジオより急遽配信。
8月29日 - 『ASOBINITE!!! at ageHa』に中田ヤスタカとともに出演。
9月2日 - 『JAPANATION×HOUSE NATION Supported by レコチョク』にDJ KOOとともにゲスト出演。
9月3日 - ニコニコ生放送『「house of globe」視聴会&globe Remix Night!!』にゲスト出演。
9月21日- 22日30日 - 「TETSUYA KOMURO ~Piano Solo Concert~」を開催。
10月15日 - 『ASOBISYSTEM & PIF presents ASOBINITE!!!』に中田ヤスタカとともにゲスト出演。
11月5日 - 『早稲田祭2011「UBC-jam vol.25」』に出演。
12月23日 - 『HARAJUKU PERFORMANCE + DOMMUNE』に出演。冨田勲とのトーク&ライヴを開催。
2月18日 - 『YATSUI FESTIVAL 2012』にDJとして出演。小室の大ファンだと言うやついいちろうとの初共演も果たした。
2月26日 - 『DEVILOCK NIGHT THE FINAL』にZeebra等が所属するバンド「カイキゲッショク」のサポートキーボーディストとして参加。
3月7日 - ボーカルで参加したジュリアン・レノンとともにピアノで参加したNick Woodの新曲『HOPE』がiTunesで配信開始。
3月10日 - 『神戸コレクション2012 SPRING/SUMMER』にオープニングDJとして出演。
3月20日 - 幕張メッセで開催された東日本大震災復興支援チャリティコンサート『ALL THAT LOVE -give & give-』に米米CLUBPRINCESS PRINCESSとともにTM NETWORKで出演。
3月21日 - ライヴDVD「TETSUYA KOMURO Special Live @DOMMUNE (TK Presents BROADJ #332)」をリリース。
3月21日 - リミックスアルバム「Digitalian is remixing」をリリース。
3月28日 - ニコニコ生放送『「小室哲哉 meets VOCALOID」発売記念!! ニコニコ動画" TK withボカロP対談』にゲスト出演。
3月28日 - 配信限定だった「Far Eastern Wind」がデジタルリマスタリングを施されCDとして「Far Eastern Wind -Complete-」「Far Eastern Wind -Spring / Summer-」「Far Eastern Wind -Autumn / Winter-」の3形態でリリース。
3月28日 - コンピレーションアルバム「小室哲哉 meets VOCALOID」をリリース。
4月18日 - 『ガンダムフロント東京オープニングセレモニー』にゲスト出演。
4月24-25日 - 日本武道館にて『TM NETWORK CONCERT -Incubation Period-』をTM NETWORKで開催。25日公演は日本全国、香港、台湾の映画館にて同時生中継された。
4月25日 - TM NETWORKとして約5年ぶりのシングル「I am」をリリース。TM NETWORKとして12年ぶりにオリコントップ5にランクイン。
4月29日 - 幕張メッセにて行われたニコニコ超会議に出演。AAA日高光啓の番組にゲスト出演。一切打ち合わせ無しの状態でジャムが行われた。また日高の無茶振りによりWOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメントを歌わされる事になった。その後に行われたavexブースでのイベントにも出演。小室と縁の深い浅倉大介小室みつ子がステージに乱入し、サプライズで浅倉との生セッションが行われた。
7月15日 - 『Keyboard Magazine Festival 2012』にH ZETT Mnishi-kenとともに出演予定。
8月3-26日 - 野島伸司原作・脚本の舞台『ウサニ』の音楽を担当。

ディスコグラフィ[編集]

小室哲哉が楽曲提供、プロデュースした楽曲の一覧は小室哲哉提供楽曲一覧を参照

レコード会社は以下の表記とする。

ソロシングル[編集]

タイトル 発売日 レーベル 備考(タイアップ等)
1st RUNNING TO HORIZON 1989年10月28日 (EP) アニメシティーハンター3』OPソング
2nd GRAVITY OF LOVE 1989年11月17日 (EP)
3rd CHRISTMAS CHORUS 1989年12月1日 (EP)
4th 天と地と〜HEAVEN AND EARTH〜 1990年4月21日 (EP) 映画『天と地と』テーマ曲
5th 永遠と名づけてデイドリーム 1991年12月12日 (EP) 音楽座ミュージカル『マドモアゼル・モーツァルト』テーマソング
6th Magic 1992年10月1日 (EP)
7th Pure (Hyper Mix) 1992年11月27日 (EP)
8th SPEED TK RE-MIX 1997年7月9日 (EM) 映画『スピード2』テーマ曲、「TETSUYA "TK" KOMURO」名義
9th Blue Fantasy - Love & Chill Out 2001年10月24日 (F)
10th SPEED TK RE-MIX〜炎のコマ 2001年10月24日 (EM) 高橋由伸桜庭和志入場テーマ曲
11th Blue Fantasy - DJ KRUSH Remix 2002年4月24日 (F)
12th Embryo 2003年 (BW) Lifecell」名義
13th Someday mF remix 2006年1月5日 (M) DJ TK」名義、佐野元春のヒット曲のリミックス
14th If you like it or not 2006年2月5日 (M) DJ TK」名義、ラップ・kco
15th @Buddha Bar 2006年3月7日 (M) DJ TK」名義
16th SOMEDAY 2006 2006年4月22日 (M) DJ TK」名義、佐野元春のヒット曲のリミックス
17th Arashiyama 2006年8月8日 (M) mF247版、「DJ TK」名義
18th I WANT YOU BACK (mF247 remix) 2006年10月4日 (M) DJ TK」名義、ボーカル・kco
19th アンジェリーナ mF Prepromix 2006年12月9日 (M) DJ TK」名義、佐野元春のヒット曲のリミックス
20th アンジェリーナ mF Prepromix Inst. 2006年12月9日 (M) DJ TK」名義
21st ガッツだぜ!! DJ TK MIX 2007年4月1日 (M) DJ TK」名義、ウルフルズのヒット曲のリミックス
22nd Arashiyama 2008年4月30日 (T) iTunes Store版、全世界同時配信
23rd HAPPY ENDING 2008年5月12日 不明 syncl公式サイトで配信、若尾裕之著『ミュージック葬でハッピーにいこう!』に付属CDとして収録

ソロアルバム[編集]

スタジオアルバム[編集]

タイトル 発売日 レーベル 備考
1st Digitalian is eating breakfast 1989年12月9日 (EP)
2nd Psychic Entertainment Sound 1990年9月21日 (EP) Tetsuya Komuro & Mr.Maric」名義
3rd Far Eastern Wind - Winter 2008年2月13日 (T) 全世界同時配信
4th Far Eastern Wind - Spring 2008年3月5日 (T) 全世界同時配信
5th Far Eastern Wind - Summer 2008年7月23日 (T) 全世界同時配信
6th Far Eastern Wind - Autumn 2008年9月10日 (T) 全世界同時配信
7th Digitalian is eating breakfast 2 2011年5月4日 (AV) 全世界同時発売
8th Digitalian is eating breakfast 2 (Instrumental) 2011年6月1日 (AV) iTunes Store配信限定
9th 五常 2012年3月28日 (AV) Far Eastern Wind -Complete-」に収録。

サウンドトラック[編集]

ライヴ・アルバム[編集]

タイトル 発売日 レーベル 備考
1st tjm - tetsuya komuro Jungle massive 1995年7月19日 (AV)
2nd tk-trap 1996年5月22日 (AN)
3rd TK PRESENTS SYNTHESIZED TRANCE vol.1 2002年11月20日 (Y) TSUTAYAのみで限定販売
4th TK PRESENTS SYNTHESIZED TRANCE vol.2 2003年2月26日 (Y) TSUTAYAのみで限定販売
5th TETSUYA KOMURO Special Live 2012年3月21日 (AV) TETSUYA KOMURO Special Live @DOMMUNE (TK Presents BROADJ #332)・形態AVBD-91883/B~Cに収録

リミックス・アルバム[編集]

タイトル 発売日 レーベル 備考
1st Blue Fantasy - Love & Chill Out With Trance Remixes 2002年6月21日 (F)
2nd Cream Of J-POP 〜ウタイツグウタ〜 2007年7月4日 (M) DJ TK」名義
3rd Digitalian is remixing 2012年3月21日 (AV)

その他[編集]

タイトル 発売日 レーベル 備考
- Hit Factory 1992年10月21日 (E) セルフカバー・アルバム
- TK1998 1998年11月26日 (SA) 限定BOX
- PIANO globe〜globe piano collection〜 2003年3月19日 (A)
- PIANO WIND (TK AMBIENT SELECTION) 2003年3月19日 (Y)
- PIANO VOICE (TK PIANO WORKS) 2003年3月19日 (Y)
- Far Eastern Wind -Complete-
Far Eastern Wind -Spring / Summer-
Far Eastern Wind -Autumn / Winter-
2012年3月28日 (AV) Far Eastern Wind」シリーズのCD化

オムニバス[編集]

タイトル 発売日 レーベル 備考
1st SAGA CLASSIC SELECTION 1992年12月2日 (E) クラシック・セレクション
2nd TK MILLION WORKS 1996年11月16日 (AV)
3rd ARIGATO 30 MILLION COPIES -BEST OF TK WORKS 2000年3月23日 (AV)
4th THE GREATEST HITS - 小室哲哉作品集 - s 2006年2月22日 (G)
5th THE GREATEST HITS - 小室哲哉作品集 - a 2006年2月22日 (AV)
6th TK INSTRUMENTAL WORKS SELECTION 1986〜2003 2006年2月22日 (G)
7th TETSUYA KOMURO CELEBRITY PLAYLIST 2008年5月7日 不明
8th TK BOX 〜TETSUYA KOMURO HIT HISTORY〜 2011年5月31日 (AV)
9th 小室哲哉 meets VOCALOID 2012年3月28日 (AV)

ビデオ・DVD[編集]

レコーディング参加作品[編集]

※(直接的な)プロデュース・作曲・編曲を兼ねて参加した作品は除く。

ライヴ・コンサートイベント[編集]

※主催・オーガナイザーを務めたライヴ等も含める。

公式書籍[編集]

  • 1988年 Vis Age TETSUYA KOMURO PERSONAL VISUAL BOOK (子供の頃の写真と共に、自らが詳しく生立ちを語ったヒストリーと、PWLのマット・エイトケンとの対談他を収めた自伝写真集)
  • 1989年 Digitalian is eating breakfast (ソロアルバム制作後のインタビューと楽譜を収めた本)
  • 1990年 音を生け捕る - 映画「天と地と」音楽監督NOTE (自身の曲解説が収録されている本)
  • 1992年 HIT FACTORY (マイアミで行われたソロセカンドアルバムの制作風景と、プライベート写真集)
  • 1993年 告白は踊る (東京をコンセプトに、自身の哲学や、これまでの仕事を振り返ったエッセイ)
  • 1995年 With t - 小室哲哉音楽対論 Vol.1〜Vol.2 (音楽番組「TK MUSIC CLAMP」の対談を活字に起こした本)
  • 1996年 With t - 小室哲哉音楽対論 Vol.3〜Vol.5 (桑田佳祐YOSHIKI織田哲郎小林武史つんくなど多数登場)
  • 1996年 深層の美意識 /著者:神山典士 (小室哲哉監修の公式自伝本)
  • 1998年 first step in asia (「TK PAN-PACIFIC TOUR '97 IN TAIPEI」、「TK Presents GROOVE MUSEUM」を、ドキュメントで構成したフォト&インタビュー)
  • 1998年 プロデューサーは次を作る - ビジネス成功22の方程式 /著者:中谷彰宏・小室哲哉
  • 2003年 VOICE OF WORDS (小室哲哉が書いた詞をセレクトした歌詞集)
  • 2009年 罪と音楽 (絶頂期から2009年時点、未来をテーマにした書き下ろしエッセイ)

関連書籍[編集]

  • 2000年 TKman (ティーケイマン) 1 & 2 /作:柴田亜美 1巻(第1話 - 第20話) 2巻(第21話 - 40話)
  • 2008年 別冊宝島 音楽誌が書かないJポップ批評53 TMN&小室哲哉 ポップス神話創世
  • 2008年 ミュージック葬でハッピーにいこう! /若尾裕之著(付属CD作曲・プロデュース)

ゲーム[編集]

テレビ・ラジオ・雑誌連載[編集]

※テレビ・ラジオの項ではレギュラー出演していたもののみ記す。

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

雑誌連載[編集]

音楽性[編集]

テクノファンクユーロビートジャングルハウストランスアンビエントHIP HOPR&Bレイヴハードロックプログレ、果てはクラシックフォークAORラテンワールドミュージック純邦楽演歌など、幅広い曲調を使い分け、かつ複数のジャンルを融合させる音楽を手掛ける事を得意とする。ただ、一般には邦楽ダンスミュージックの第一人者・1990年代J-POP、又はそれにおけるデジタル・オーディオ・ワークステーションの普及の立役者として知られる。

作風の大きな特徴として「唐突な転調」があるが、それを多用するようになったきっかけは、TM NETWORKの1stアルバムのレコーディングのとき、ソフトのバグで機材に誤動作が生じた。その勝手に音調が変化し転調してしまった音源を聞き、小室が「意外と気持ちいい」と感じたことがきっかけとなり、以後の制作活動でそのフレーズが定着した。因みにこれらの転調は適当ではなく理論的に説明が付くと小室自身は話している。

自らの行う転調のやり方について、「どこでキーが変わっているのか・どこがサビでどこがブリッジなのかをわからないようにする」[1]「声が張るピーク・一番伸びる部分をサビに持っていくため。サビに合わせるとほかのパートが低くなりすぎるため、仕方なく4度転調とか、そういう変な転調を無理やり入れる」「周囲からは『サビでいきなり転調するよね』って言われがちだが、サビが先にあって、その前のBメロで転調しておく」と話している。

人物[編集]

本人について[編集]

早稲田実業学校高等部商業科卒業後、早稲田大学に進学・在籍するが除籍、しかし現在は推薦校友になっている。2001年に早稲田実業学校開校百周年記念に百周年記念歌『ワセダ輝く』を作曲(作詞は奥島孝康)。母校の早稲田実業学校には『小室哲哉記念ホール』がある。

かなりの偏食であり、特にかつては大の魚嫌いであった。原因は1歳半頃、目の前に突然鯉のぼりが落ちてきて、それがトラウマになった為と言われる。それを最初に吹聴して回ったのは、木根尚登宇都宮隆である。魚は嫌いというよりもむしろ「魚を見るのが怖い」(本人談)だった。ただ最近はkcoに促された事もあり、魚も普通に食べられるようになるなど、偏食から脱してきているという。またかなりの小食・早食いであり、いわゆる小室ブームの時も食事の殆どはコンビニ弁当・インスタント・ファーストフードで済ませていた。当時のマネージャー曰く「世界一エンゲル係数の小さい人」とのこと。ファミリーレストラン好きで、TM NETWORK時代にラジオ「小室哲哉のSF Rock Station」(東海ラジオ)の企画で結成したユニット「ハンバーグ&カニクリームコロッケ」は、当時お気に入りだったすかいらーくのメニューから名づけたほどであった。上記のkcoの他、逮捕された後は、松浦や千葉の指導もあって、現在は「自然なもの」を食べるようになっている。

全盛期には複数台の高級車を所有していた。大のフェラーリファンとしても有名で、色違いのフェラーリを複数台所有している。過去にはプライベートでF1観戦に訪れ、フェラーリチームのピットでレースを観戦している姿も何度となく目撃されている。また、メルセデスベンツ・CLK-GTRも所有していたが、並行輸入で購入していたものであったため乗ることができず、飾り物にしていたとのことである(なお、実際には一般人の運転には危険が伴うため、製造したダイムラーは購入者の技能を調べた上で販売している。詳細は当該項を参照)。

漫画・アニメ・SFに造詣が深い。高校時代にはアーサー・C・クラークを敬愛し、2001年には世間的な評価が低かった劇場版ファイナルファンタジーにも賛辞のコメントを呈している。また、さくらももこの携帯公式サイトを短いサイクルで確認し、実際に本人にあった際「僕はキャラは友蔵に近いんですよ」と話したという。そして最近はケロロ軍曹のファンを公言しており、自身のブログ・Twitterでも時折口調を真似る等、守備範囲は幅広い。

左腕下部に入れ墨が2つ有る。1990年代にTKロゴを、2000年代にその上に別のマークを彫った。

まだインターネットが一般的になる前だった90年代からネット配信に注目しており、小室が趣味でiTunes Storeからダウンロードした楽曲は2万曲に上る。

自身のTwitterで、佐久間象山柴田勝家の血をひいている可能性があることを明らかにしている。

仕事について[編集]

楽曲提供や音楽プロデュースと並行して、TM NETWORKglobeGABALLなどのユニットの一員としても活動する。現在は国際麻薬統制委員会(UNODC)の親善大使も務めており、2007年4月から2008年11月4日まで尚美学園大学の芸術情報学部・音楽表現学科・特任教授に就任して、音楽特論(新世紀音楽概論)を担当していた。

他の芸能人と比べ個人レーベル・個人企業・個人スタジオを設立した数が比較的多い。小室曰く「今日思いついたアイディアを明日実践する機動力を持って面白い事をする為」「必ず結果を出す前提で一から十まで好き勝手やりたい放題行うための責任表明」とのこと。

雛形あきこの歌手デビューにあたって雛形の所属事務所からプロデュースを依頼されていたものの、「彼女はこれからの人だから僕のイメージがあまりついてはいけないと思う」と断り、代わりに浅倉大介を起用させた。

華原朋美のプロデュースを兼ねた交際を「フライデー」1995年6月23日号に掲載された際、小室は同誌の記者を自身のスタジオに招き「アーティストに手をつけたのではなく、自分の恋人に曲を提供し、プロデュースを始めることにしただけです」と語った。そしてすべての活動に至るまで「ツーショットでいく」ことにした結果、華原を大ヒットさせた。

自宅スタジオでのレコーディングの際の防音対策として、壁に大量の洋服を吊り下げている。

レコーディングの際のみソフトウェア・シンセサイザーを「楽器として重要な要素であるフィジカルコントロールの面でハードに劣る」「鍵盤の方が手っ取り早い」「マウスが使いづらい」「つまみがあって二度と出せない音を作り出せる機材に可能性を感じてしまう性分なので、マウスや数値だけでは限界がある」として使用していない。音自体はハードウェア・シンセサイザーで作った後、それを鍵盤で即興で弾き、それをPro Toolsなどでエディットしてゆく形を好んでいる。また、レコーディングにおいては、特にトラックダウンからマスタリングにかけた作業段階で、音質について議論・実験を重ね、機材・設備・果ては土地の空気・気圧・温度・湿度・静電気に拘りを見せる。また、短いサイクルでレコーディングスタジオを世界各地に移転する。小室曰く「ヒットが生まれる場所は年月が経つと全く違う」「もしかしたらサーカスの様に明日移すかもしれない」とコメントしている。プロデュースに専念するようになった頃から、レコーディングではギターも演奏するようになった。テレビでギター演奏するのを披露したのは篠原涼子ミュージックステーションに出演した時に披露した「もっと もっと…」がはじめてである。

小室が作曲をする際には世界中の楽曲の音源から採取したフレーズ・リズム・メロディを音楽ジャンル別に分けて、更に「イントロ用」・「サビ用」・「アウトロ用」等に分けて記憶させた(その数は2万〜3万という)シンクラヴィア(後にPro Toolsにシフト)を駆使して行う。レコーディングの際にはいかに自らの曲のイメージに合わせながらシンクラヴィアで「カードの様に」組み合わせ、「小室サウンド」としてサンプリング、アレンジして完成させるかがポイントになっている。また、複数の楽曲を同時進行で作成する為に1つの部屋に4軒のスタジオを建てていた。小室はその状況を「羽生善治さんのCMと似ています」とコメントした。

常に楽曲は100曲のストックを持っている。しかし、小室自身の感じるシンセサイザーサウンドの「賞味期限」は3か月であるため、その時になったら常に1からサウンドを練り直しているという。

作詞では、「CAN YOU CELEBRATE?」という英語の表現や、詞の文法がおかしいなどの指摘があるが、小室は「サウンドにハマる言葉を選んでいた」と発言した。作詞において特に影響を受けたのは渡辺美里との仕事であるという。「彼女の詞の世界を参考に、自身の視点から同じテーマを書くとこうなるというアプローチ的手法で作詞していた」とのこと。

1990年代、マイケル・ジャクソンから楽曲提供を依頼されていたが、制作した楽曲は採用されなかった。

1990年代より音楽配信に並々ならぬ関心を抱き、1996年1月より自身の当時の公式サイト「Planet TK」にてNTTの音楽圧縮技術「TwinVQ」を用いた簡単な配信の実験を行っていた。2000年にはTM NETWORKの新曲を無料で配信する試みを行うが、その時の音質を「カセットテープ並み」と消極的に見ていた。2005年6月avex内に設立された高音質配信研究機関「High Definition Sound laboratory」のエグゼクティブアドバイサーに就任、globeの楽曲を当時新しくavexにより設立された音楽配信サイト「@MUSIC HD Sound」(現在はmora winと共有化)より試験的に配信していた。2005年8月iTunes Storeの日本でのサービスが始まるとその様子を「黒船来航」と喜びのコメントを出した。

小室は1990年代を振り返り「4日に1曲作っていた」「数々の記録は嬉しくない訳ではないが全く実感がなかった」「自分のお金を自分でどの位使っていたかわからなかった」「完全に裸の王様だった」と称している。

ライヴでの演奏はほぼシンセサイザー主体である。1990年代前半まではマルチ・キーボードでの即興プレイ、ミュージックシーケンサーを駆使しての多重演奏を主体としていたが、1993年よりクラブDJが行うミキシング・コンソールでのリアルタイムリミックスに興味を抱き、1998年のイベント「RENDEZ-VOUS '98 ELECTRONIC NIGHT」以降、リズムを含めたほとんどの音が内蔵されたPro Tools・ハードディスクとミキシングコンソールが機材の大部分を占めるようになり、ブラス音、パッド音、つまみを使用した音色変換・パート別の音量調節を中心とするようになる。しかし、どのようなミックスになるかは小室のその時の気分次第であり、公演ごとに一つひとつアレンジが異なる。演奏のきっかけになる元の楽曲の拍子が突然消えることが多い為、スタッフ・ミュージシャンは多大な緊張を強いられるという。

自らの固定ファンを「15万個の消しゴム」とたとえ(この言葉は1991年頃、松浦勝人が「TMの楽曲をユーロビートにしたらどうだろう」と持ちかけたときに「楽曲がファン以外に広がらない」という危惧・諦めから生まれたという)、その固定ファンからどうしたら大衆に広がるかを試行錯誤していた。しかし最近は「売れなくてもいい」「売れるに越したことはないけど、この時代にどれだけ人の心に届くかを重視している」と心境の変化を語った。

人間関係[編集]

TRFのメンバーとクリスマスパーティを行った際、メンバーひとりひとりに現金一千万円をプレゼントし、YU-KIには更に「誕生日プレゼント・御苦労さん代」と称して一千万円以上もするベンツをプレゼントした。

業界ではYOSHIKIと小室の関係をよく知る人からは「YOSHIKIの猛獣使い」と呼ばれている。

1990年代前半、小室が本格的にエレクトロニック・ダンス・ミュージックの制作を開始した際、以前より顔見知りであった千葉龍平の紹介で松浦勝人と対面。以後、二人は音楽制作での重要なブレーンとなる。しかし、制作・セールス方針、印税の分配等で松浦・千葉と小室の意見が決裂、1996年に絶縁。その時の状況を松浦は「完全に小室さんをライバル視していた・目標は『打倒小室』だった」と語っている。その後はエグゼクティブプロデューサーとして関わる事はあっても深層面での制作協力・プライベートの交流は皆無に等しかった。しかし、2008年に小室が逮捕された際、その翌年に小室の債務の一部を肩代わりし、今後の制作の為のスタジオ・小室夫妻の為の部屋を用意する。公判の際にも、「音楽業界について色々教えてくれた恩師」「類まれなる才能を持つ稀有な音楽家」と話したことに小室が感動し、松浦・千葉と和解する。

福島県中島村村長を務めた小室康彦は遠縁にあたる。

使用機材[編集]

過去[編集]

TM NETWORK結成当初、テレビ出演で使用していた。

プロデュース・デザイン作業に積極的に関与し、1990年代中頃までイメージキャラクターとしても活動していた。ライヴではMIDI接続のリモートキーボードとしてのみ使用していた。

主に1990年代前半から中頃に使用していた。

主に2000年以降のTM NETWORKの活動で使用される。

2012年現在[編集]

関連企業[編集]

  • Office TIMEMACHINE(株)

1984年TM NETWORKデビュー時に設立されたTMのマネジメント・コーディネート業務専門の芸能プロダクション。別名「TIMEMACHINE CAFE」・「TIMEMACHINE CORPORATION」・「TIMEMACHINE GROUP」。一時期、葛城哲哉阿部薫浅倉大介貴水博之も所属しており、初期のaccessのマネージメントも行っていた。「TMN終了」時に解散。

  • T-MUE-NEEDS(株)

TM NETWORKのグッズ・イベント等の企画・運営会社。「TMN終了」時に解散。

  • グラデミー(株)

小室が1991年に設立し、代表取締役社長に就任した映画製作会社(宇都宮、木根も取締役に就任、角川春樹三菱商事もバックアップとして参加していた)。社名の由来は、「グラミー」と「アカデミー」を掛け合わせた造語とも、英語で「引力」と表す「gravitation」と英語で「純粋・学術的」と表す「academic」を掛け合わせた造語ともいわれる。木根尚登著「月はピアノに誘われて」の映画化、TM NETWORKの楽曲「THE POINT OF LOVERS' NIGHT」をモチーフにした映画製作(小室、原案・脚本、木根)、「チーム・グラデミー」名義でのF1参加の企画が持ち上がったものの、それ以降公式のアナウンスが無いまま自然消滅した(F1参加は実現した)。

小室の個人レーベル運営及びイベント制作のために設立された会社。現在では小室とは離れた事業会社としての性格も持つ。

TK TRACKSの子会社。小室と直接の関係はない。

  • TK state(有)
    • TK MUSEUM
    • TK state America MUSEUM
    • TK SEQUENCE
    • TK SEQUENCE America
    • TK ENTERTAINMENT SERVE
    • Prime Direction TK Room
    • tetsuya komuro rise

1994年から2000年まで運営されていた小室の個人事務所。「TK MUSEUM」はイベント限定で音楽ユニットとしても活動していた(このノウハウは後のTKCOMに活かされる)。

小室と丸山茂雄ニューズ・コーポレーションが共同で設立したアジアマーケットをターゲットとした事業会社。しかし、「SPEED TK RE-MIX」のスーパーバイザー・中国で放送されたオーディション番組「小室魔力」の番組監修を務めて以来目立った活動を行わなかった。後に本社を母体としてRojam Entertainmentに発展する形で解散・吸収合併した。

香港を拠点とした本格的なアジア進出を目的とした総合音楽プロダクション。小室は2004年5月に全持株を売り実質上経営から撤退するも、プロデューサー契約として残っており(専属ではない)、小室の個人スタジオを運営・管理する等関係は2008年まで続いていた。

サッカー関連のマーケティング、制作などを行うための会社として設立、後に実質的な小室・木根(一時期のみ)の個人事務所となる。TKCOMの発足に伴い、休眠。

個人スタジオの変遷[編集]

※太字は2011年現在使用しているスタジオである。

評価[編集]

業界人の評価[編集]

「小室さんの影響で邦楽の低音域を拡張されたことによって日本向けだからと遠慮する必要がなくなった」(GOH HOTODA)。

「小室君は日本人の耳・メロディライン・転調・アレンジ・リズム感・ビート感を教育しちゃった」(坂本龍一)。

「昔は入って行けなかった領域にも、コンピューターを使ってどんどん入って作っていく。本当に奥行きが深い」(森進一)。

コードの解釈がすごく独特なのに、明るい響きであり、踊りながら歌うのにピッタリ」(マーティ・フリードマン)。

「小室さんは、リズム感覚でいって、最後にメロディの良さを置いている。それがすごくオシャレだなと思う」(YOSHIKI

「東洋人が好むコード進行が全くなく、アジア人には聞き慣れないものを大胆に取り入れて、それをヒットさせていた。それが不思議だった」「ヒップホップをやりながらもきちんとピアノで曲を書いている」「電子音楽とバラードの両方を行き来できている」「抒情的なバラードの感性とダンス音楽の感性の両方を兼ね備えている」(J.Y.Park

「テレビ等で流しづらい音楽をたくさん世に出したことで後々のミュージシャンがやりやすい様にしてくれた」「コンピューターで人間味の部分を消そうとしても、小室さんが鍵盤を弾いているパートは絶対に加工できない・真似できないな、と思う」(中田ヤスタカ

社会的な評価[編集]

小室がavex traxとライセンス契約を結んだ際、EPIC内では、「他社のアーティストをプロデュースするなんて契約違反だ!」と議論が巻き起こった(当時の音楽業界では「音楽プロデューサーはレコード会社の社員・元アーティストの専属契約」であることが多かった為といわれる)。その問題に対応するため、trfデビューの際、丸山茂雄は「アーティスト主導の芸能事務所」をコンセプトに「Antinos Management(現ブルーワンミュージック)」を設立、小室は第一号契約者となった。

ラジオ局の中には小室の楽曲のOA禁止を決める所がでた。反面、FM大阪は小室の楽曲を積極的に流している。

小林武史とイニシャルが同じ事から「TK時代」と呼ばれた。

小室哲哉がこれまでにプロデュースしたシングル・アルバムの総売上枚数は、約1億7000万枚に達する。また、日本の作詞家別シングル総売上枚数は阿久悠に次ぎ第2位、作曲家別シングル総売上枚数は筒美京平に次ぎ第2位である。

チャート[編集]

1996年4月15日付けのオリコンシングルチャートで、小室哲哉が作詞・作曲・プロデュースした楽曲が1位から5位までを独占した。同一作曲家、兼プロデューサーによる上位5曲の独占は、日本のみならず世界の音楽チャートにおいても史上初めてのことである。

1995年度のJASRAC発表の著作権使用料の分配額ランキング(JASRAC賞)では、小室哲哉が作詞・作曲した楽曲が国内作品の1位から3位までを独占した。同一作曲家による上位3曲の独占は、同ランキング史上初めてのことである。

主な提供曲(1980年代〜2011年)[編集]

下記は一部にすぎない。詳細は小室哲哉提供楽曲一覧を参照

  • 岡田有希子
    • 「Sweet Plant」 生前最後のアルバムに収録された下記曲を含むアルバム曲で、編曲は2曲とも松任谷正隆が担当。
    • 「水色プリンセス」 作詞は上曲と同じで三浦徳子。小室哲哉が多数のアイドルに楽曲を提供するきっかけを作った作詞家でもある。
  • 福永恵規
    • 「10月はさよならのパームツリー」 元おニャン子クラブのメンバーに初めて提供したミディアムテンポの歌謡曲。編曲は下記曲と共に大村雅朗。
    • 「ハイパー・ラッキー」 こちらはアップテンポの楽曲で、小室哲哉の特徴的な早口のアイドルPOPS。
  • 岩崎良美
    • 「スロープに恋して」 作詞は松井五郎。編曲は武部聡志で、小室哲哉の80年代の楽曲提供曲を多くアレンジした一人。
  • 原田知世
    • 「家族の肖像」 作詞・秋元康、編曲・後藤次利というゴールデンコンビでの楽曲。
  • 荻野目洋子
    • 「NONSTOP DANCER」 アルバム「ノン・ストッパー」に収録されている楽曲で、荻野目洋子自身が一番好きな曲と公言した曲。
    • 「ジャングル・ダンス」 NHK「みんなのうた」で何度も流れていた楽曲。
  • 松田聖子
    • 「Kimono Beat」 元レベッカ土橋安騎夫がサウンドプロデュースしたアルバムの「Strawberry Time」に収録されている楽曲。
  • 大西結花
    • 「パンドーラ」 小室哲哉が当時お気に入りだったと公言していたアイドルに提供した楽曲。
  • 八木さおり
    • 「月と恋心」 同じく小室哲哉が当時お気に入りだったと公言していたアイドルに提供した楽曲。作詞は森雪之丞で、編曲は武部聡志。
  • 沢口靖子
    • 「Follow me」 沢口靖子が出演した「痛快!ロックンロール通り」の挿入歌。作詞は川村真澄で編曲は大村雅朗。同ドラマではTMNetworkが主題歌を担当した。
  • 郷ひろみ
    • 「空を飛べる子供たち〜Never end of the earth」 アルバムの最後に収録されている楽曲で作詞は秋元康。
  • 奥田圭子
    • プラスティック(1985年
  • 中山美穂
  • 堀ちえみ
    • 愛を今信じていたい(1987年)引退前のラストシングル
  • 伊藤かずえ
    • 星屑のイノセンス(1988年
  • 小泉今日子
  • 宮沢りえ
    • ドリームラッシュ(1989年)デビューシングル。小室がプロになってから始めてサウンドプロデュースしたアイドルであり、後にプレッシャーから大変な作業だったと語っている
    • NO TITLIST(1990年)宮沢りえが主演のフジテレビ系ドラマ「いつも誰かに恋してるッ」の主題歌。デビュー曲と同様に編曲も担当している。
  • 田中美奈子
    • 夢みてTRY(1990年)田中美奈子が主演の「トップスチュワーデス物語」の主題歌。
    • 「I say Hello Again」 こちらは「夢みてTRY」のカップリング曲で、B'z松本孝弘がエレキギターを弾いている。
  • 観月ありさ
    • TOO SHY SHY BOY!(1992年)作詞・作曲・編曲、サウンドプロデュースを担当。
  • 東京パフォーマンスドール
    • キスは少年を浪費する(1993年)サウンドプロデュースと作曲・編曲を担当。
    • ダイアモンドは傷つかない(1993年)楽曲提供のみでなく、ミキシングまで手掛けた楽曲。
    • 「Sanctuary〜淋しいだけじゃない」 所属していた篠原涼子穴井夕子が歌唱している楽曲。後に小室哲哉プロデュースで篠原涼子がセルフカバーしている。
  • backstreet boys
    • Missing You(1997年)作詞・作曲・編曲をJolyon Skinnerと担当。
    • アルバム『BACKSTREET'S BACK』に収録されている。
  • 森進一
    • 眠らないラブソング(2010年)作詞・作曲・編曲を担当。
  • SMAP
    • Trust(2010年)作詞・作曲・編曲を担当。アルバム『We are SMAP!』に収録。
    • グラマラス(2010年)作詞・作曲を担当。シングル『This is love』のc/w。
    • 意外にもジャニーズのアイドルグループに楽曲を提供するのはこれが初である。
  • 浜崎あゆみ
    • crossroad(2010年)作曲・編曲を担当。
    • Virgin Road、Last angel(2010年)作曲を担当。シングル『L』収録。
    • アルバム『Love songs』では収録曲のほとんどを小室が作曲した。
  • やしきたかじん
    • その時の空(2010年)作曲を担当。
    • やしきたかじんの冗談で楽曲提供が決まった。作詞は秋元康が手がけた。
  • 坂本美雨
    • True Voice(2011年)作曲を担当。アルバム『HATSUKOI』収録。
    • 坂本美雨は同時期に小室のソロアルバム『Digitalian is eating breakfast 2』にも参加している。

主なヒット曲(1993年〜)[編集]

1994年、小室哲哉は、trfの「survival dAnce 〜no no cry more〜」で初めて100万枚以上のヒットを達成。

1997年の華原朋美の「Hate tell a lie」まで20曲のミリオンヒット曲を世に送りだした。(小室ブーム参照)。

※下記は主な小室哲哉プロデュース作品であり、一部にすぎない。 ☆ … ミリオン ☆☆ … ダブルミリオン

1993年

1994年

1995年

1996年

1997年
1998年
1999年
  • BE TOGETHER」鈴木あみ ※TM NETWORKのカバー曲
2000年
2001年

個人レーベル[編集]

参加ユニット[編集]

関連項目[編集]

関連人物・交友関係[編集]

  • 関連人物
宇都宮隆木根尚登Kcoマーク・パンサー松浦勝人千葉龍平丸山茂雄小坂洋二小室みつ子久保こーじ藤井徹貫日向大介浅倉大介鈴木大輔坂元裕二前田たかひろ松尾和博安室奈美恵観月ありさ岩佐俊秀篠原涼子華原朋美DJ KOOYU-KISAM鈴木亜美アーサー・C・クラークPurple DaysAAA
  • 交友関係
喜多村豊大多亮岡村靖幸FENCE OF DEFENSE大江千里渡辺美里松本隆大村雅朗松本孝弘稲葉浩志阿部薫松任谷由実デュラン・デュランYOSHIKIhideToshI甲斐よしひろジャン・ミッシェル・ジャール葛城哲哉近田春夫浜田雅功松本人志ニック・ウッド若尾裕之中田英寿原田大三郎DRAGON坂本龍一坂本美雨細木数子マイケル・ジャクソンスティーヴィー・ワンダースティーヴィー・サラス高見沢俊彦つんく持田香織いしだ壱成田村淳西村博之日高光啓(小室と同じく、早稲田大学出身)テリー伊藤中田ヤスタカ浦沢直樹VERBAL日村勇紀やついいちろう小西康陽ZEEBRAKrayzie BoneNipsey Hussle

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

外部リンク[編集]

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