「木更津市」の版間の差分
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'''木更津市'''(きさらづし)は、[[千葉県]]中西部に位置する[[都市]]。[[東京湾]]に面し[[房総半島]]中部の[[上総国|上総地方]]に位置する[[市]]である。 | '''木更津市'''(きさらづし)は、[[千葉県]]中西部に位置する[[都市]]。[[東京湾]]に面し[[房総半島]]中部の[[上総国|上総地方]]に位置する[[市]]である。 | ||
+ | [[ファイル:きさポン.jpg|thumb|木更津市のマスコットキャラクター きさポン]] | ||
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== 地理 == | == 地理 == | ||
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* 南:[[君津市]] | * 南:[[君津市]] | ||
* 西:[[川崎市]]([[神奈川県]])— 東京湾を挟んで隣接 | * 西:[[川崎市]]([[神奈川県]])— 東京湾を挟んで隣接 | ||
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市域は東西に長く広がっており、市の東部は[[山地]]、西部は平地と地形の性質が異なる。市中西部(木更津地区、清川地区)は東京湾に面しており、東京湾へ流れ込む複数の河川により[[沖積平野]]が形成する。また、東京湾臨海地区は木更津港南岸から君津市、富津市に掛けて工業用[[埋立地]]となっている。市北部(岩根地区、金田地区、中郷地区)では泥層を主とする[[田園]]地帯が広がり、木更津駅から千葉方面に向かって走る列車の車窓からは[[ハス|ハス田]]が確認できる。市南部(波岡地区、鎌足地区)を中心に[[洪積台地]]が形成され、[[住宅地]]として整備されている。特に鎌足地区では[[かずさアカデミアパーク]]構想における研究開発拠点としての整備が行われている。市東部(富来田地区)は、小櫃川流域では田園地帯を形成し、房総半島内陸部の特徴として見られる房総丘陵の[[森林|山林]]が広がっている。 | 市域は東西に長く広がっており、市の東部は[[山地]]、西部は平地と地形の性質が異なる。市中西部(木更津地区、清川地区)は東京湾に面しており、東京湾へ流れ込む複数の河川により[[沖積平野]]が形成する。また、東京湾臨海地区は木更津港南岸から君津市、富津市に掛けて工業用[[埋立地]]となっている。市北部(岩根地区、金田地区、中郷地区)では泥層を主とする[[田園]]地帯が広がり、木更津駅から千葉方面に向かって走る列車の車窓からは[[ハス|ハス田]]が確認できる。市南部(波岡地区、鎌足地区)を中心に[[洪積台地]]が形成され、[[住宅地]]として整備されている。特に鎌足地区では[[かずさアカデミアパーク]]構想における研究開発拠点としての整備が行われている。市東部(富来田地区)は、小櫃川流域では田園地帯を形成し、房総半島内陸部の特徴として見られる房総丘陵の[[森林|山林]]が広がっている。 | ||
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[[中心市街地]]は旧木更津町の範囲に相当する木更津地区に形成されており、木更津地区には[[市役所]]や木更津警察署、木更津消防本部、木更津図書館などの公共施設、および市の中心駅である[[木更津駅]]や重要港湾の[[木更津港]]が存在する。市の玄関口に該当する木更津駅前および木更津港を中心に商店街を形成するが、バブル崩壊による経済構造の変化に伴い駅前商店街は活性から衰退傾向に転化する。その代わりに1990年代以降、東京湾アクアラインに代表される高速道路網の整備により、主要交通機関が鉄道とフェリーから自動車へと変化し、[[館山自動車道]]や[[東京湾アクアライン|東京湾アクアライン連絡道]]に接続する[[国道16号]]沿いに郊外型の[[店舗]]が集中する。 | [[中心市街地]]は旧木更津町の範囲に相当する木更津地区に形成されており、木更津地区には[[市役所]]や木更津警察署、木更津消防本部、木更津図書館などの公共施設、および市の中心駅である[[木更津駅]]や重要港湾の[[木更津港]]が存在する。市の玄関口に該当する木更津駅前および木更津港を中心に商店街を形成するが、バブル崩壊による経済構造の変化に伴い駅前商店街は活性から衰退傾向に転化する。その代わりに1990年代以降、東京湾アクアラインに代表される高速道路網の整備により、主要交通機関が鉄道とフェリーから自動車へと変化し、[[館山自動車道]]や[[東京湾アクアライン|東京湾アクアライン連絡道]]に接続する[[国道16号]]沿いに郊外型の[[店舗]]が集中する。 | ||
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== 地域 == | == 地域 == | ||
=== 人口 === | === 人口 === | ||
− | + | 市制が開始された当初はおよそ3万人の人口であった。市制開始以降は近隣の町村との合併により人口増加を続け、富来田町と合併した時点で人口が86,335人となる。[[1960年代]]に入ると県内では内房地域の市町村を中心に、海岸線を埋め立て工業地として整備し、重化学工業メーカーが多数進出する。木更津市においても関連企業の転勤者およびその家族が転入し人口が著しく増加する。[[1976年]](昭和51年) には人口10万人を突破し県内で9番目の10万人都市となり、[[1985年]](昭和60年)には人口12万人を超えた。[[バブル崩壊]]で人口が減少に転じたが、[[1997年]](平成9年)を底として反転増加傾向を見せている。'''2013年11月1日現在の人口は131,333人である。''' | |
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=== 区分 === | === 区分 === | ||
− | [[ファイル:Kisarazu Area. | + | [[ファイル:Kisarazu Area.png|frame|地区(◎は市役所位置):<br/>1.木更津地区、2.岩根地区、3.清川地区、4.波岡地区<br/>5.鎌足地区、6.金田地区、7.中郷地区、8.富来田地区]] |
[[人口|人口統計]]や[[マスタープラン]]の策定などにおいて、市内を市制施行以前の町村区分で大まかに地域区分し、各地域の特色を示す事がある。また、[[1889年]]の[[町村制]]が施行される以前の区分は、そのまま[[大字]]として残る。 | [[人口|人口統計]]や[[マスタープラン]]の策定などにおいて、市内を市制施行以前の町村区分で大まかに地域区分し、各地域の特色を示す事がある。また、[[1889年]]の[[町村制]]が施行される以前の区分は、そのまま[[大字]]として残る。 | ||
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==== 新興住宅地 ==== | ==== 新興住宅地 ==== | ||
市内の主な新興住宅地域として | 市内の主な新興住宅地域として | ||
− | * | + | * 清見台団地 |
* 真舟団地 | * 真舟団地 | ||
* シーアイタウン | * シーアイタウン | ||
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などがある。 | などがある。 | ||
− | + | == 教育 == | |
==== 社会教育施設 ==== | ==== 社会教育施設 ==== | ||
* '''市民センター''' | * '''市民センター''' | ||
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*** 暁星国際小学校 | *** 暁星国際小学校 | ||
− | + | == 他の自治体との関係 == | |
==== 近隣自治体 ==== | ==== 近隣自治体 ==== | ||
* [[君津市]]、[[富津市]]、[[袖ケ浦市]] | * [[君津市]]、[[富津市]]、[[袖ケ浦市]] | ||
− | : | + | : 木更津市を含めた4市の区域に相当する範囲には、その昔、明治期の郡制に基づき'''君津郡'''が存在していたという事で歴史的・行政的に関係が深く、1991年、袖ケ浦町の市制開始に伴う君津郡消滅後も旧君津郡4市を一括して'''かずさ4市'''と呼称される。 |
− | : | + | : 2000年代に入り、市町村の合併の特例に関する法律(旧合併特例法)が施行されて日本国内の各地で市町村合併の気運が高まる中、青年会議所を中心に4市の合併に向けた活動が行われる。各市に対して合併協議会の設置請求を行うが、袖ケ浦市議会において否決された事になり合併協議会設置までには至らなかった<ref>千葉県総務部市町村課ホームページ「市町村合併支援室」より</ref>。もし合併が実現した場合には人口が30万人を超え、中核市としての用件を満たすことになる。<!-- 新市名には、県庁所在地との位置関係から南千葉市、旧国名の上総を用いて上総市(またはひらがなで、かずさ市)などが検討されていた。--> |
==== 姉妹都市 ==== | ==== 姉妹都市 ==== | ||
− | * | + | * [[アメリカ合衆国]]オーシャンサイド市(カリフォルニア州)、 |
: [[1990年]][[6月29日]] 木更津市姉妹都市調印団が渡米し、オーシャンサイド市において姉妹都市提携に調印、8月14日には、オーシャンサイド市調印団を招き木更津市でも調印をした。 | : [[1990年]][[6月29日]] 木更津市姉妹都市調印団が渡米し、オーシャンサイド市において姉妹都市提携に調印、8月14日には、オーシャンサイド市調印団を招き木更津市でも調印をした。 | ||
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==== 行政区域変遷 ==== | ==== 行政区域変遷 ==== | ||
− | + | 現在の木更津市は1942年に新設合併で誕生したものである。それ以前の木更津町については当該項目を参照。 | |
− | * [[1942年]](昭和17年)[[11月3日]] - | + | * [[1942年]](昭和17年)[[11月3日]] - 君津郡木更津町、巖根村、清川村、波岡村が合併のうえ市制施行して本市を新設。 |
− | * [[1944年]](昭和19年)11月3日 - | + | * [[1944年]](昭和19年)11月3日 - 鎌足村を編入。 |
* [[1955年]](昭和30年) | * [[1955年]](昭和30年) | ||
− | ** [[2月11日]] - | + | ** [[2月11日]] - 金田村を編入。 |
− | ** [[3月1日]] - | + | ** [[3月1日]] - 中郷村を編入。 |
− | * [[1971年]](昭和46年)[[9月30日]] - | + | * [[1971年]](昭和46年)[[9月30日]] - 富来田町を編入。現在の市域となる。 |
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==== 政策 ==== | ==== 政策 ==== | ||
; 木更津業務核都市基本構想<ref>[http://www.city.kisarazu.lg.jp/ 木更津市公式ホームページ]「政策プラン・財政」の「基本構想」より</ref> | ; 木更津業務核都市基本構想<ref>[http://www.city.kisarazu.lg.jp/ 木更津市公式ホームページ]「政策プラン・財政」の「基本構想」より</ref> | ||
− | + | 東京圏への一極集中を打開し大都市問題を解決する目的の為、東京圏近郊都市の中から地域の広域中心都市となるべき都市を'''業務核都市'''として指定し、東京都の持つ業務機能や商業、医療等といった諸機能を請負い、担うための整備・育成を行う。「第4次首都圏基本計画」(1986年6月決定)により、千葉県では[[千葉市]]、[[成田市]]・千葉ニュータウン、木更津市の3地域が業務核都市として位置付けられる。「第5次首都圏基本計画」(1999年3月)では新たに「分散型ネットワーク構想」が方針に盛り込まれ、[[柏市]]を含めた4地域について広域連携拠点としての整備を進める。 | |
1992年3月には木更津業務核都市基本構想が策定され承認を受ける。その概要は次の通り。 | 1992年3月には木更津業務核都市基本構想が策定され承認を受ける。その概要は次の通り。 | ||
* 県南地域の広域中心都市として認知されると共に、業務核都市としての形成を行う | * 県南地域の広域中心都市として認知されると共に、業務核都市としての形成を行う | ||
− | * | + | * [[東京湾アクアライン]]や[[首都圏中央連絡自動車道|圏央道]]により、交通網を整備・強化して他の業務核都市との連携を図る |
* 木更津駅、木更津港を中心とする市街地を木更津都心地区(約195ha)として、商業、金融、医療等の諸機能の集約し、業務核都市の中心地区として整備を行う | * 木更津駅、木更津港を中心とする市街地を木更津都心地区(約195ha)として、商業、金融、医療等の諸機能の集約し、業務核都市の中心地区として整備を行う | ||
* かずさ鎌足に整備された、かずさアカデミアパーク地区(約278ha)を中心に研究施設や学術施設、国際会議施設など複合機能を有した施設を集約して、国際水準に対応した研究開発拠点の機能を有する | * かずさ鎌足に整備された、かずさアカデミアパーク地区(約278ha)を中心に研究施設や学術施設、国際会議施設など複合機能を有した施設を集約して、国際水準に対応した研究開発拠点の機能を有する | ||
==== 財政 ==== | ==== 財政 ==== | ||
− | + | 市の財政について<ref>[http://www.soumu.go.jp/ 総務省]発表『地方財政分析平成18年度決算』より</ref>、'''歳入減と歳出増と状況として悪化の傾向をたどっている。'''歳入減の要因として市町村民税である住民税や固定資産税による税収の減少が挙げられ、歳出増の要因には市の高齢者人口の割合の増加による公的扶助の費用の増加が挙げられる。 | |
− | + | 一時期と比較し、東京湾横断道路建設やかずさアカデミアパーク整備のような大規模公共事業が少なくなり、歳出に占める公共事業費の割合は減少しているとは言え、このまま従来型の財政運用方法を改善しなくては市の財政が破綻し、財政再建団体<!-- しかし、千葉県内で財政状況が木更津市よりも悪い自治体は存在する。 -->に転落する可能性がある事が懸念されている。その為、市では財政政策として行政改革5か年プランを策定し、歳出削減および歳入の確保を目指して財政の健全化を図っている。 | |
; 財政力指数 | ; 財政力指数 | ||
− | + | 財政力指数は0.83でここ5年間で微増ではあるが連続して伸びを見せており、全国市町村平均(0.53)および県内市町村平均(0.77)を上回る。定員適正化計画に基づく人員削減、給与の適正化および緊急事業の選択と集中化により、行政の効率化と財政の健全化を図る。 | |
; 経常収支比率 | ; 経常収支比率 | ||
490行目: | 189行目: | ||
; ラスパイレス指数 | ; ラスパイレス指数 | ||
− | + | ラスパイレス指数は99.9であり、100を下回るとは言え全国市平均(97.9)、全国市町村平均(93.9)を大きく上回る。これは初任給基準が高く前職経験年数を加算された新規職員および勤続年数の長く給与設定が高めの高齢職員が人員分布に多いこと等が要因として挙げられる。 | |
==== 行政機関 ==== | ==== 行政機関 ==== | ||
541行目: | 240行目: | ||
=== 裁判所 === | === 裁判所 === | ||
− | + | 木更津市新田に千葉[[地方裁判所]]および千葉[[家庭裁判所]]それぞれの木更津支部が設置されており、千葉地方裁判所木更津支部には[[簡易裁判所]]が設置されている。千葉地方裁判所木更津支部は内房地域を管轄しており、管内で発生した[[民事訴訟]]、[[刑事訴訟]]の合議事件を取り扱う。千葉家庭裁判所木更津支部では家事審判および少年審判を取り扱う。 | |
; 司法機関 | ; 司法機関 | ||
* 地方裁判所 | * 地方裁判所 | ||
− | ** | + | ** 千葉地方裁判所 木更津支部(管轄:内房地域) |
− | ** | + | ** 木更津簡易裁判所 |
* 家庭裁判所 | * 家庭裁判所 | ||
− | ** | + | ** 千葉家庭裁判所 木更津支部(管轄:内房地域) |
== 経済 == | == 経済 == | ||
554行目: | 253行目: | ||
木更津市の経済状況は、戦後の高度成長と共に成長し、最盛期には37万人の商圏人口を持つ商業都市として形成されていくが、日本国内で1990年代初頭に起きた「[[バブル崩壊]]」<ref>『Newsweek 日本版 2002年11月6日版』のSpecial Report(頁22-25)において「バブルと銀行破綻の傷跡に苦しむ木更津市は日本経済の未来の縮図」と表現して紹介されている</ref>により好況から不況へと暗転する。 | 木更津市の経済状況は、戦後の高度成長と共に成長し、最盛期には37万人の商圏人口を持つ商業都市として形成されていくが、日本国内で1990年代初頭に起きた「[[バブル崩壊]]」<ref>『Newsweek 日本版 2002年11月6日版』のSpecial Report(頁22-25)において「バブルと銀行破綻の傷跡に苦しむ木更津市は日本経済の未来の縮図」と表現して紹介されている</ref>により好況から不況へと暗転する。 | ||
− | 太平洋戦争中は軍関連の施設が存在したこともあり、その施設関係者と工員が移住したことによって人口が増加し、木更津は軍都として発展する。戦後の[[高度経済成長期]]には千葉県の内房地域が[[京葉工業地域]]として発展する経緯の中、市の臨海部では埋立が行われ[[木更津港]]が工業港として整備され、隣の[[君津市]] | + | 太平洋戦争中は軍関連の施設が存在したこともあり、その施設関係者と工員が移住したことによって人口が増加し、木更津は軍都として発展する。戦後の[[高度経済成長期]]には千葉県の内房地域が[[京葉工業地域]]として発展する経緯の中、市の臨海部では埋立が行われ[[木更津港]]が工業港として整備され、隣の[[君津市]]には君津製鐵所([[新日鐵住金]])が誘致される。君津市と接する波岡地区を中心に宅地整備が行われ、製鉄所関係者およびその家族が移住し人口が著しく増加する。人口増加を契機に経済活動が活発になり、[[木更津駅]]前には大手販売店である[[そごう]]や[[ダイエー]]、[[西友]]などが進出し、木更津市を中心とする'''木更津商圏'''が形成され、県南地域の'''商業都市'''として発展する。 |
− | + | 1980年代に入ると、千葉県で千葉新産業三角構想が策定され木更津市はかずさアカデミアパーク構想の母都市(他に君津市、袖ヶ浦市、富津市を含む)に位置付けられる。この構想により鎌足地区の丘陵地帯では研究開発拠点の整備が行われ、民間を中心とする研究機関の誘致活動が行われる。また、国の政策として首都圏の大都市問題緩和を目的とする'''木更津業務核都市構想'''が計画される。歴史的経緯に明治維新期に木更津県県庁が存在した事、県南部の経済の中心として認識されている事、かずさアカデミアパーク構想等により、木更津市は業務核都市に位置付けられ整備が行われる。その一環として[[東京湾アクアライン|東京湾横断道路]]建設が計画に含まれる。 | |
− | 東京湾横断道路建設にあたり、当初の事業計画では対岸の[[川崎市]]や[[横浜市]]、[[東京]] | + | 東京湾横断道路建設にあたり、当初の事業計画では対岸の[[川崎市]]や[[横浜市]]、[[東京]]など京浜地区との交通の便が良くなる事で人の交流や物流が頻繁となって経済活動に好影響を与えると予想され、住宅購入者の増加や企業進出の増加などが見込まれていた。ところが実際に開通してみると事業計画の予想とは正反対の結果に働き、考えられていた地域振興や発展には繋がらず、逆に経済活動が混迷する事になる。 |
− | 当初アクアラインの交通量は2万5千台/日と予想していたが、実際に開通した結果は1万台 /日と予想を大きく下回る<ref>数値はNewsweek 2002年11月6日号「Special Report 不良債権にのみ込まれた街」頁22より</ref> | + | 当初アクアラインの交通量は2万5千台/日と予想していたが、実際に開通した結果は1万台 /日と予想を大きく下回る<ref>数値はNewsweek 2002年11月6日号「Special Report 不良債権にのみ込まれた街」頁22より</ref>。期待されていた東京のベッドタウンとしての需要がほとんど発生せず、人口増加や産業発展を見越して計画されていたかずさアカデミアパークや宅地造成地には売れ残りの区画が目立つ状態であり、小売業においては京浜地区の小売業者との競争を否応無しに強いられることになり、物量の面や商圏地域の魅力等の要因により購買客の流出が顕著となり、商圏人口が37万人から12万人に低下、商圏の吸引力低下により商業中心都市から'''準商業中心都市'''に格下げられる<ref>千葉県商圏調査報告書では平成3年度版では商業中心都市とされていたが、平成6年度版には準商業中心都市に格下になっている(『千葉県の歴史 別編 地誌2 地域誌』頁206より、千葉県商圏調査報告書は[http://www.pref.chiba.jp/index.html 千葉県ホームページ]千葉県商工労働部経営支援課のページからでも閲覧可)</ref><ref>木更津商圏地域の市町村は木更津市、君津市、袖ケ浦市、富津市、鋸南町(平成13年度商圏調査報告書より [http://www.pref.chiba.lg.jp/index.html 千葉県ホームページ]千葉県商工労働部経営支援課)</ref>。結果、木更津市は対岸の京浜地区と県南部の通過点となり、流出面が顕著となった'''ストロー効果'''が発生する。 |
− | また、[[バブル崩壊]] | + | また、[[バブル崩壊]]による国内の景気低迷の影響により、東京湾横断道路完成を見越して上昇傾向にあった駅前商店街の[[地価]]は、1991年のピークを境に著しく下落。1999年から2003年にかけて東京圏における地価下落率の1位<ref>国土交通省『[http://tochi.nla.go.jp/ 土地総合情報ライブラリー]』「地価公示(記者発表資料)」より</ref>となる。<!--検証可能か調査中→(一説にはバブル期の地価上昇が著しく異常であり、バブル崩壊の影響で正常の状態に戻ったという見方もある)-->また商業地域への影響は大きく、日本長期信用銀行の破綻による[[そごう]]グループに対する金融支援の行き詰まりが要因で2000年7月木更津そごうが撤退、そごうがテナントとなっていた駅前の西口再開発ビル(アインスビル)を運営していた第三セクターもキーテナントを失ったことによって翌年に倒産し、連鎖するように駅東口に出店していたダイエーも閉店する。木更津そごうやダイエーのような駅前の中心的存在であった大型店舗が相次いで撤退した事により、集客力を失った駅前商店街では閉店する店舗が続出し、閑散とした'''シャッター通り'''へと変貌する。 |
− | 行政では1998年に議決された木更津市基本構想において産業発展と国際交流が課題として挙げられており、交通網の整備と物流の強化、雇用の確保と人口増加、市民生活の充実、経済活動の活性化を目標とした基本計画を策定し実施している。[[2002年]]に[[TBSテレビ| | + | 行政では1998年に議決された木更津市基本構想において産業発展と国際交流が課題として挙げられており、交通網の整備と物流の強化、雇用の確保と人口増加、市民生活の充実、経済活動の活性化を目標とした基本計画を策定し実施している。[[2002年]]に[[TBSテレビ|TBS系列]]で放映された[[木更津キャッツアイ]]は木更津という名称を全国へ広げることとなり、商店街を中心に観光地を誘致する動きが出てきた。また、駅前の中心的な建物であったアインスビルにはそごう撤退後、8階の空フロアに市民の企業活動支援を目的としたチャレンジセンター(チャレンジセンター Let's木更津)や、情報通信環境を備えた共同利用型のテレワークセンターを開設し地域活性化に向けた活動が行われ、2004年4月にアクア木更津という新名称で再オープンした。しかしテナントとしていたスーパー・マルエイやネクストジャパンホールディングスが相次いで閉店、その後2009年にビルの運営・管理を行っていた日本総合企画が倒産し、2010年、木更津市はアクア木更津ビルを売却、以後の管理は売却先の有限会社金剛山が管理することとなった。 |
− | + | 2009年8月より、同年に行われた千葉県知事選挙で当選した'''森田健作'''知事が千葉県側の負担をもとに[[ETC]]による通行料を普通車800円にする社会実験を行っている。前年から行われていた土日祝日のETCによる通行料1000円期間を含め、値下げによる経済効果が出ている<ref>[http://www.pref.chiba.lg.jp/keisei/aqualine/hitomatagi/documents/0716sokuhou.pdf 東京湾アクアラインの交通量(速報値)及び南房総地域観光入込の状況について(6月分及び社会実験開始後の累計)]</ref>。しかしこれは当然一時的なものであるので、これを国政として継続させるために九都県市首脳会議が、2010年[[7月28日]]に'''東京湾アクアラインの料金に関する要望'''を実施した<ref>[http://www.pref.chiba.lg.jp/seisaku/kouiki/shunou/documents/57youbou.pdf 東京湾アクアラインの料金に関する要望]</ref>。 | |
+ | |||
+ | [[ファイル:鳳神ヤツルギ.jpg|thumb|鳳神ヤツルギ]] | ||
+ | 2011年には同市にある矢剣八幡宮を由来とするご当地ヒーロー「鳳神ヤツルギ」が“'''見せてやるぜ!俺の木更津スピリット!!'''”というキャッチコピーの元で誕生し、翌年には市のマスコットキャラクターとして「きさポン」が誕生した。 | ||
=== 将来 === | === 将来 === | ||
− | [[2011年]]現在、アクア木更津ビルは2010年秋ごろをめどにマリンゲート木更津としてのリニューアルオープンが予定され<ref>[http://www.kisacon.jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=6548 仮称「マリンゲート木更津」「アクア木更津ビル」10月RNオープンへ]</ref> | + | [[2011年]]現在、アクア木更津ビルは2010年秋ごろをめどにマリンゲート木更津としてのリニューアルオープンが予定され<ref>[http://www.kisacon.jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=6548 仮称「マリンゲート木更津」「アクア木更津ビル」10月RNオープンへ]</ref>、生鮮市場や百円コンビニユーエスマートの『Kid's US.LAND 』などがオープンしたが、現在もアクア木更津として運営されており、マリンゲート木更津としてのオープンがどうなったのかは公になっていない。南西部の築地地区には、イオン木更津ショッピングセンター<ref>[http://www.city.kisarazu.lg.jp/gikai/documents/gikai2111.pdf きさらづ市議会だより 第106号(PDF)]</ref>が2014年にオープンを予定している。また、2012年には北西部の金田地区に、三井アウトレットパーク木更津<ref>[http://www.mitsuifudosan.co.jp/corporate/news/2010/0120_02/index.html ~三井アウトレットパークシリーズ最大級~「(仮称)三井アウトレットパーク 木更津金田」開発決定]</ref>やベイシア、カインズホーム、東京インテリア家具がオープンしており、周辺地域の発展が期待される。 |
=== 産業 === | === 産業 === | ||
− | 産業別就業者数の総数は61, | + | 産業別就業者数の総数は61,106人であり、全体の比率の中では第3次産業が7割近くを占めている。 |
+ | |||
+ | ;分類別就業者数上位5位<ref>『木更津市統計書 2002年度版』頁10-11による</ref> | ||
+ | *1,サービス業 16,596人(27.2 %) | ||
+ | *2,卸売・小売業 13,977人(22.9 %) | ||
+ | *3.製造業 8,692人(14.2 %) | ||
+ | *4,建設業 7,918人(13.0 %) | ||
+ | *5,運輸・通信業 4,631人(7.6 %) | ||
+ | |||
− | + | ;市内産業別事業社数上位5位 | |
+ | *1,卸売・小売業 2,533(47.8 %) | ||
+ | *2,サービス業 1,532(28.9 %) | ||
+ | *3,建設業 584(11.0 %) | ||
+ | *4,製造業 248(4.7 %) | ||
+ | *5,不動産業 150(2.8 %)である。 | ||
;産業別従事者数(平成12年10月1日現在) | ;産業別従事者数(平成12年10月1日現在) | ||
587行目: | 302行目: | ||
** [[第3次産業]] 4,454(84.0 %) | ** [[第3次産業]] 4,454(84.0 %) | ||
− | + | === 農業 === | |
− | + | 木更津市の農業は稲作が中心であり、[[小櫃川]]流域を中心に水田が広がっている。一部では野菜や施設園芸といった都市近郊型農業に従事している農家も見られる。現在の農業情勢としては減少傾向<ref>昭和60年の農家戸数が3,217戸に対し、平成17 年は1,873戸に減少している(『木更津市統計書 2002年度版』頁26および『市政の概要平成18年度版』頁107の調査報告を参考)</ref>にあり、消費者ニーズに対応した農業経営への転換、従事者の高齢化、後継者問題などの諸問題を抱えている状況である。 | |
;農家数・耕地面積(平成17年2月1日現在)<ref>『市政の概要 平成18年度版』頁107より</ref> | ;農家数・耕地面積(平成17年2月1日現在)<ref>『市政の概要 平成18年度版』頁107より</ref> | ||
597行目: | 312行目: | ||
** 果樹園 62ha | ** 果樹園 62ha | ||
− | + | === 水産業 === | |
− | 東京湾内の海岸線が埋め立てられ工業地化する中、木更津市の海岸線では遠浅の[[干潟|砂泥干潟]] | + | 東京湾内の海岸線が埋め立てられ工業地化する中、木更津市の海岸線では遠浅の[[干潟|砂泥干潟]]が形成いることから、浅海漁場として海苔養殖や貝類養殖が行われている。特に海苔(のり)の養殖については全国でも有数の産地であり、富津市と共に江戸前海苔の産地として知られている。 |
;あさり・乾燥海苔生産状況(平成17年度)<ref>『市政の概要 平成18年度版』頁112より</ref> | ;あさり・乾燥海苔生産状況(平成17年度)<ref>『市政の概要 平成18年度版』頁112より</ref> | ||
607行目: | 322行目: | ||
** 水揚げ量 2,019トン | ** 水揚げ量 2,019トン | ||
** 金額 711,100千円 | ** 金額 711,100千円 | ||
− | ; | + | ;漁港 |
* 金田漁港(第一種漁港) | * 金田漁港(第一種漁港) | ||
* 牛込漁港(第一種漁港) | * 牛込漁港(第一種漁港) | ||
− | + | === 商業 === | |
− | + | 木更津市は古くより南房総の物流拠点として発展し商業中心都市として商圏を形成するに至るが、[[バブル崩壊]]による不景気が影響し商店数の減少<ref>平成6年次が商店数1,721件に対し、平成16年次には1,435件に減少それに伴い年間販売額も減少の傾向が見られる(『市政の概要平成18年度版』頁114より)</ref>が見られる他、近隣都市の商業施設の増加や消費者ニーズの多様化などの要因が重なり、地元購買力や顧客吸引力の低下が見られる。東京湾アクアライン完成以前は市の玄関口にあたる木更津駅から木更津港にかけて商業地が集中していたが、以降は郊外に店舗が集まる郊外型への転換が見られ、木更津駅前を中心とする中心商業地の空洞化が顕著となる。 | |
;商業統計(平成16年6月1日現在)<ref name=shisei_h18_P114>『市政の概要 平成18年度版』頁114より</ref> | ;商業統計(平成16年6月1日現在)<ref name=shisei_h18_P114>『市政の概要 平成18年度版』頁114より</ref> | ||
620行目: | 335行目: | ||
* 年間総販売額 2,714億円 | * 年間総販売額 2,714億円 | ||
− | + | === 工業 === | |
− | + | 木更津市は京葉工業地域<ref>木更津市は工業都市の性質よりも商業都市としての性質の方が高い。京葉工業地域に含まれる他の近隣市町村では工場群立地による税収が見込まれ、財政力指数が地方交付税不交付団体の条件である1.00を越えているのに対し、木更津市は0.81である。</ref>に含まれており、木更津港は'''重要港湾'''に指定され工業港として発展する。隣接する君津市に新日鐵住金の製鉄所が立地する関係で、市内には関連の企業が立地する。鎌足地区を[[かずさアカデミアパーク]]として研究開発型企業の誘致を進めているが、誘致は難航し使用されていない区画も見受けられる状況である。 | |
;工業(製造業)統計(平成16年12月31日現在)<ref name=shisei_h18_P114/> | ;工業(製造業)統計(平成16年12月31日現在)<ref name=shisei_h18_P114/> | ||
717行目: | 432行目: | ||
=== 伝承 === | === 伝承 === | ||
− | [[千葉県]]には | + | [[千葉県]]には'''倭建命'''と'''源頼朝'''に関連する伝承が多いという特徴が挙げられる。この特徴は木更津市においても同様であり、市内には関連する伝承が今に伝えられている。『古事記』や『日本書紀』、『風土記』の一説において倭建命伝説が扱われており、木更津市は倭建命が 上総国に渡る場面の舞台として記されている。源頼朝伝説は、源頼朝が伊豆で挙兵したものの平氏との合戦に敗れて安房に逃れ、房総半島の諸勢力の力を得て再起したという歴史的経緯<ref>源頼朝が安房に逃れてから鎌倉に至るまでの経路は定かとされておらず、木更津を通過したか否かは推測の域を出ない。</ref><ref>文献に見られる頼朝の経路として、『吾妻鏡』によれば安房勝山から鴨川市に出て、長狭街道を西に花立峠(木之根峠)を越えて上総国入りしたとされ、この経路を辿れば富津市に出ることになる(『木更津市史』頁1056より)『義経記』では富津市の地名の後「きさうとの浜(木更津と思われる)」「開発(貝淵と思われる)」と木更津市と関連するだろうと思しき地名が記述されている(『角川日本地名大辞典 12千葉県』頁1014より)</ref>の中から派生したものである。また、童謡『証城寺の狸囃子』のモチーフとなった、市内の證誠寺に伝わる『證誠寺の狸伝説』が有名である。 |
; 倭建命の東征 | ; 倭建命の東征 | ||
− | : | + | : 倭建命の東国征伐のこと。船で上総国に渡ろうとした時に一行は海上で嵐に襲われる。そして倭建命の妻、弟橘姫は海に身を投じることで嵐を静めようとする。弟橘姫の祈りが通じたのか嵐が収まり一行は無事に上総国に渡る事ができた。それから倭建命はこの地にしばらく留まり弟橘姫のことを思って歌にした。 |
− | + | ||
− | : | + | :(和歌)君さらず 袖しが浦に立つ波の その面影をみるぞ悲しき |
− | + | ||
− | + | ||
:この歌の一節'''君さらず'''が転じて、'''木更津'''という地名となったと伝えられている。 | :この歌の一節'''君さらず'''が転じて、'''木更津'''という地名となったと伝えられている。 | ||
: 市には吾妻という地名があるが、倭建命が弟橘姫を偲んで「吾妻はや(我が妻よ)」と言った故事に由来するとされている。市内には吾妻神社という神社が存在し倭建命と弟橘姫が祀られている。またこの地域には吾妻、我妻を姓とする人がおり、これも倭建命伝説に由来しているとされている。 | : 市には吾妻という地名があるが、倭建命が弟橘姫を偲んで「吾妻はや(我が妻よ)」と言った故事に由来するとされている。市内には吾妻神社という神社が存在し倭建命と弟橘姫が祀られている。またこの地域には吾妻、我妻を姓とする人がおり、これも倭建命伝説に由来しているとされている。 | ||
; 源頼朝伝説<ref>『木更津市史』頁1056 「木更津における源頼朝伝説」より</ref> | ; 源頼朝伝説<ref>『木更津市史』頁1056 「木更津における源頼朝伝説」より</ref> | ||
− | : | + | : 石橋山の戦いで平家に敗れた源頼朝がこの地方に立ち寄った際に見かけた竹林があまりにも立派だったため、この竹を源氏の旗竿にすることにした。以降この地を旗竿村と呼ぶようになった。伝承では市内の畑沢<ref>市内畑沢の波岡寺境内に埋没していた石碑に「旗竿村」と記されている(『木更津市史』頁147「畑沢集落と旗竿村」より)</ref>という地名はこの旗竿村に由来するとされている。また、草敷という地名についても頼朝が刈草を敷いて休息をとったという言い伝えが元になっている。 |
: 源頼朝が[[鎌倉幕府]]開府にあたり、市内の八剱八幡神社に神領を寄進して社殿を造営したという伝えがある。 | : 源頼朝が[[鎌倉幕府]]開府にあたり、市内の八剱八幡神社に神領を寄進して社殿を造営したという伝えがある。 | ||
; [[證誠寺_(木更津市)#證誠寺の狸伝説|證誠寺の狸伝説]] | ; [[證誠寺_(木更津市)#證誠寺の狸伝説|證誠寺の狸伝説]] | ||
− | : | + | : 市内の證誠寺に伝わる伝説で、童謡『証城寺の狸囃子』はこの伝説を元に作られた。童謡は『''しょ しょしょうじょう寺~♪''』と軽快なリズムの明るい曲だが、昔話として伝わる狸伝説は「秋の夜に和尚と何十匹ものタヌキ(狸)が寺の庭で 囃子合戦をした挙句、夜が明けたら調子を取っていた狸の親分が腹を破いて死んでいた」という面白くも悲しい話である。話の概要は次の通りである。 |
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− | + | : '''「ある秋の晩の事、寺の庭が何やら騒がしいので寝ていた住職はふと目を覚まし、外の様子を耳を凝らして聴くとそれがお囃子のように聞こえたという。不思議に思いこっそり庭を覗いてみると、庭の真ん中で大狸が腹を叩いてポンポコと調子を取っており、その大狸を中心に何匹もの[[タヌキ| 狸]]が楽しそうに唄い踊っていたそうな。その様子を見ていた住職もつい楽しくなってしまい、庭に出て一緒に狸たちと踊っていたという。それから毎晩、住職と狸たちは證誠寺の庭で唄い踊っていたのだが、ある日の晩から狸たちは一向に現れず、住職が不思議に思うと翌朝庭を見ると調子を取っていた大狸が腹を破って死んでいた。不憫に思った住職はその大狸を懇ろに弔ったそうな。」''' | |
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: 同映画の反響で訪れる観光客が増えた反面、橋への落書きが多発するようになる。塗り直しにも費用がかかる上、アルミ製の欄干は塗り直しのしようがないと、都市計画課がやめるよう促している。 | : 同映画の反響で訪れる観光客が増えた反面、橋への落書きが多発するようになる。塗り直しにも費用がかかる上、アルミ製の欄干は塗り直しのしようがないと、都市計画課がやめるよう促している。 | ||
--> | --> | ||
− | + | == イベント == | |
; 八剱八幡神社例大祭 | ; 八剱八幡神社例大祭 | ||
: 毎年7月第2土・日曜、市内の[[八剱八幡神社]]で開催される夏祭り。祭期間に町内を練り歩く重量1.5tの[[神輿|大神輿]]は、[[富岡八幡宮]]([[東京都]][[江東区]]富岡)、[[鳥越神社]]([[東京都]][[台東区]][[浅草]])の物と並び、関東三大宮神輿の一つに数えられる。また、祭囃子『木更津ばやし』は県の[[文化財|無形民俗文化財]]に指定されている。 | : 毎年7月第2土・日曜、市内の[[八剱八幡神社]]で開催される夏祭り。祭期間に町内を練り歩く重量1.5tの[[神輿|大神輿]]は、[[富岡八幡宮]]([[東京都]][[江東区]]富岡)、[[鳥越神社]]([[東京都]][[台東区]][[浅草]])の物と並び、関東三大宮神輿の一つに数えられる。また、祭囃子『木更津ばやし』は県の[[文化財|無形民俗文化財]]に指定されている。 | ||
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== 外部リンク == | == 外部リンク == | ||
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; 行政 | ; 行政 | ||
* [http://www.city.kisarazu.lg.jp/ 木更津市] | * [http://www.city.kisarazu.lg.jp/ 木更津市] | ||
; 観光 | ; 観光 | ||
* [http://www.kisarazu.gr.jp/ ようこそ伝説と情緒のまち 木更津市観光協会] | * [http://www.kisarazu.gr.jp/ ようこそ伝説と情緒のまち 木更津市観光協会] | ||
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+ | {{デフォルトソート:きさらつし}} | ||
+ | [[Category:千葉県の市町村]] | ||
+ | [[Category:木更津市|*]] |
2020年1月12日 (日) 20:21時点における最新版
木更津市(きさらづし)は、千葉県中西部に位置する都市。東京湾に面し房総半島中部の上総地方に位置する市である。
目次
地理[編集]
房総半島の中西部、東京湾岸(内房)に面しており、県庁所在地である千葉市から南西約30kmに位置する。東京都心から南東に30~40kmに位置しており、東京圏の範囲に含まれる。但し、東京都心と木更津市との間に東京湾を挟む為、移動距離はこれよりも長くなる。東京湾北側を周回した場合の移動距離は70~80km程度であり、東京湾アクアラインを利用した場合は45km程度である。
- 隣接する自治体
市域は東西に長く広がっており、市の東部は山地、西部は平地と地形の性質が異なる。市中西部(木更津地区、清川地区)は東京湾に面しており、東京湾へ流れ込む複数の河川により沖積平野が形成する。また、東京湾臨海地区は木更津港南岸から君津市、富津市に掛けて工業用埋立地となっている。市北部(岩根地区、金田地区、中郷地区)では泥層を主とする田園地帯が広がり、木更津駅から千葉方面に向かって走る列車の車窓からはハス田が確認できる。市南部(波岡地区、鎌足地区)を中心に洪積台地が形成され、住宅地として整備されている。特に鎌足地区ではかずさアカデミアパーク構想における研究開発拠点としての整備が行われている。市東部(富来田地区)は、小櫃川流域では田園地帯を形成し、房総半島内陸部の特徴として見られる房総丘陵の山林が広がっている。
市の主な河川として、県内では利根川に次いで2番目に長く総延長88kmの小櫃川がある。小櫃川は君津市、袖ケ浦市、木更津市の3市を貫流し、市内では東部から北部にかけて流れ下り東京湾へと注いでいる。また、小櫃川河口付近では1,400ha程の盤洲干潟が形成されている。市内には特に高い山が無く、最も高い場所でも 標高200m程度である。
- 市域[4]
- 東西:21.98km
- 南北:14.54km
- 自然
中心市街地は旧木更津町の範囲に相当する木更津地区に形成されており、木更津地区には市役所や木更津警察署、木更津消防本部、木更津図書館などの公共施設、および市の中心駅である木更津駅や重要港湾の木更津港が存在する。市の玄関口に該当する木更津駅前および木更津港を中心に商店街を形成するが、バブル崩壊による経済構造の変化に伴い駅前商店街は活性から衰退傾向に転化する。その代わりに1990年代以降、東京湾アクアラインに代表される高速道路網の整備により、主要交通機関が鉄道とフェリーから自動車へと変化し、館山自動車道や東京湾アクアライン連絡道に接続する国道16号沿いに郊外型の店舗が集中する。
地域[編集]
人口[編集]
市制が開始された当初はおよそ3万人の人口であった。市制開始以降は近隣の町村との合併により人口増加を続け、富来田町と合併した時点で人口が86,335人となる。1960年代に入ると県内では内房地域の市町村を中心に、海岸線を埋め立て工業地として整備し、重化学工業メーカーが多数進出する。木更津市においても関連企業の転勤者およびその家族が転入し人口が著しく増加する。1976年(昭和51年) には人口10万人を突破し県内で9番目の10万人都市となり、1985年(昭和60年)には人口12万人を超えた。バブル崩壊で人口が減少に転じたが、1997年(平成9年)を底として反転増加傾向を見せている。2013年11月1日現在の人口は131,333人である。
区分[編集]
人口統計やマスタープランの策定などにおいて、市内を市制施行以前の町村区分で大まかに地域区分し、各地域の特色を示す事がある。また、1889年の町村制が施行される以前の区分は、そのまま大字として残る。
難読・異読地名[5]
犬成(いんなり)・茅野(かやの)・畔戸(くろと)・下内橋(げないばし)・真里(まり)・真里谷(まりやつ)・望陀(もうだ)
地区 | 大字・町名 |
---|---|
木更津地区 | 木更津・新田・幸町・中央・東中央・貝渕・吾妻・富士見・新宿・請西・請西東・請西南・文京・真舟・大和・桜井・桜井新町・桜町・太田・長須賀・朝日 |
岩根地区 | 万石・高砂・久津間・岩根・西岩根・江川・中里・高柳・本郷・坂戸市場・若葉町 |
清川地区 | 椿・笹子・犬成・日の出町・中尾・菅生・祇園・清川・永井作・伊豆島・清見台・清見台東・清見台南・東太田・ほたる野 |
波岡地区 | 畑沢・畑沢南・港南台・小浜・大久保・上烏田・八幡台・中烏田・下烏田・羽鳥野 |
鎌足地区 | 矢那・かずさ鎌足・草敷 |
金田地区 | 中野・牛込・中島・瓜倉・畔戸 |
中郷地区 | 大寺・下望陀・上望陀・有吉・牛袋・牛袋野・曽根・井尻・十日市場 |
富来田地区 | 真里谷・真里・下内橋・戸国・茅野・茅野七曲・山本七曲・大稲・田川・佐野・下郡・下宮田・根岸・上根岸 |
埋立地 他 | 潮見・潮浜・木材港・新港・築地・北浜町・中の島・海ほたる(中島地先) |
新興住宅地[編集]
市内の主な新興住宅地域として
- 清見台団地
- 真舟団地
- シーアイタウン
- 八幡台ニュータウン
- 羽鳥野
- ほたる野
- 請西東・請西南
などがある。
教育[編集]
社会教育施設[編集]
- 市民センター
- 木更津市民会館
- 木更津駅前ホール
- 公民館
- 中央公民館 - 岩根公民館 - 岩根西公民館 - 金田公民館 - 鎌足公民館 - 中郷公民館 - 富来田公民館 - 文京公民館 - 八幡台公民館 - 東清公民館 - 清見台公民館 - 西清川公民館 - 畑沢公民館 - 富岡公民館 - 波岡公民館 - 桜井公民館
- 図書館
- 木更津市立図書館
- 博物館
- 木更津市郷土博物館金のすず
学校教育施設[編集]
- 大学
- 高等専門学校
- 国立高等専門学校
- 専門学校
- 私立専修学校
- 高等学校
- 公立高等学校
- 私立高等学校
- 暁星国際高等学校 - 志学館高等部 - 木更津総合高等学校 - 拓殖大学紅陵高等学校
- 中学校
- 小学校
- 市立小学校
- 金田小学校 - 岩根小学校 - 高柳小学校 - 中郷小学校 - 請西小学校 - 祇園小学校 - 木更津第一小学校 - 木更津第二小学校 - 清見台小学校 - 東清小学校 - 西清小学校 - 南清小学校 - 鎌足小学校 - 八幡台小学校 - 富岡小学校 - 馬来田小学校 - 波岡小学校 - 畑沢小学校
- 私立小学校
- 暁星国際小学校
- 市立小学校
他の自治体との関係[編集]
近隣自治体[編集]
- 木更津市を含めた4市の区域に相当する範囲には、その昔、明治期の郡制に基づき君津郡が存在していたという事で歴史的・行政的に関係が深く、1991年、袖ケ浦町の市制開始に伴う君津郡消滅後も旧君津郡4市を一括してかずさ4市と呼称される。
- 2000年代に入り、市町村の合併の特例に関する法律(旧合併特例法)が施行されて日本国内の各地で市町村合併の気運が高まる中、青年会議所を中心に4市の合併に向けた活動が行われる。各市に対して合併協議会の設置請求を行うが、袖ケ浦市議会において否決された事になり合併協議会設置までには至らなかった[6]。もし合併が実現した場合には人口が30万人を超え、中核市としての用件を満たすことになる。
姉妹都市[編集]
- アメリカ合衆国オーシャンサイド市(カリフォルニア州)、
政治[編集]
市政[編集]
三役[編集]
歴代市長[編集]
- 石川 善之助 (1943年3月11日 - 1946年11月6日)
- 山崎 直 (1946年11月12日 - 1955年4月2日)
- 浜名 儀三 (1955年5月1日 - 1963年4月30日)
- 荻原 孫太郎 (1963年5月1日 - 1967年4月30日)
- 北見 日吉 (1967年5月1日 - 1979年4月30日)
- 石川 昌 (1979年5月1日 - 1995年4月30日)
- 須田 勝勇 (1995年5月1日 - 2002年2月20日[7])
- 水越 勇雄 (2002年3月31日 - 現在)
行政区域変遷[編集]
現在の木更津市は1942年に新設合併で誕生したものである。それ以前の木更津町については当該項目を参照。
- 1942年(昭和17年)11月3日 - 君津郡木更津町、巖根村、清川村、波岡村が合併のうえ市制施行して本市を新設。
- 1944年(昭和19年)11月3日 - 鎌足村を編入。
- 1955年(昭和30年)
- 1971年(昭和46年)9月30日 - 富来田町を編入。現在の市域となる。
政策[編集]
- 木更津業務核都市基本構想[8]
東京圏への一極集中を打開し大都市問題を解決する目的の為、東京圏近郊都市の中から地域の広域中心都市となるべき都市を業務核都市として指定し、東京都の持つ業務機能や商業、医療等といった諸機能を請負い、担うための整備・育成を行う。「第4次首都圏基本計画」(1986年6月決定)により、千葉県では千葉市、成田市・千葉ニュータウン、木更津市の3地域が業務核都市として位置付けられる。「第5次首都圏基本計画」(1999年3月)では新たに「分散型ネットワーク構想」が方針に盛り込まれ、柏市を含めた4地域について広域連携拠点としての整備を進める。
1992年3月には木更津業務核都市基本構想が策定され承認を受ける。その概要は次の通り。
- 県南地域の広域中心都市として認知されると共に、業務核都市としての形成を行う
- 東京湾アクアラインや圏央道により、交通網を整備・強化して他の業務核都市との連携を図る
- 木更津駅、木更津港を中心とする市街地を木更津都心地区(約195ha)として、商業、金融、医療等の諸機能の集約し、業務核都市の中心地区として整備を行う
- かずさ鎌足に整備された、かずさアカデミアパーク地区(約278ha)を中心に研究施設や学術施設、国際会議施設など複合機能を有した施設を集約して、国際水準に対応した研究開発拠点の機能を有する
財政[編集]
市の財政について[9]、歳入減と歳出増と状況として悪化の傾向をたどっている。歳入減の要因として市町村民税である住民税や固定資産税による税収の減少が挙げられ、歳出増の要因には市の高齢者人口の割合の増加による公的扶助の費用の増加が挙げられる。
一時期と比較し、東京湾横断道路建設やかずさアカデミアパーク整備のような大規模公共事業が少なくなり、歳出に占める公共事業費の割合は減少しているとは言え、このまま従来型の財政運用方法を改善しなくては市の財政が破綻し、財政再建団体に転落する可能性がある事が懸念されている。その為、市では財政政策として行政改革5か年プランを策定し、歳出削減および歳入の確保を目指して財政の健全化を図っている。
- 財政力指数
財政力指数は0.83でここ5年間で微増ではあるが連続して伸びを見せており、全国市町村平均(0.53)および県内市町村平均(0.77)を上回る。定員適正化計画に基づく人員削減、給与の適正化および緊急事業の選択と集中化により、行政の効率化と財政の健全化を図る。
- 経常収支比率
経常収支比率は91.0%であり、全国市町村平均(90.3)および県内市町村平均(90.1)をわずかに上回る。児童手当等の扶助費および廃棄物中間処理の全面委託化による物件費が増となったため、前年度と比較すると+2.6ポイント増加している。
- ラスパイレス指数
ラスパイレス指数は99.9であり、100を下回るとは言え全国市平均(97.9)、全国市町村平均(93.9)を大きく上回る。これは初任給基準が高く前職経験年数を加算された新規職員および勤続年数の長く給与設定が高めの高齢職員が人員分布に多いこと等が要因として挙げられる。
行政機関[編集]
- 警察
- 警察署
- 木更津警察署(管轄:木更津市、袖ケ浦市)
- 交番・駐在所
- 岩根駅前交番 - 小浜交番 - 木更津駅前交番 - 清見台交番 - 長須賀交番 - 江川駐在所 - 金田駐在所 - 桜井駐在所 - 中郷駐在所 - 波岡駐在所 - 馬来田駐在所
- 消防
- 木更津市消防本部(管轄:木更津市)
- 消防署本署 - 長須賀分署 - 富来田分署 - 金田分署 - 高柳出張所 - 波岡出張所 - 清川出張所
市議会[編集]
市議会は市民の中から選挙により選出された議員によって構成されている。議員の任期は4年。議員定数は木更津市議会議員定数条例に基づき28名と定められている。地方自治法第91条で議員定数として定める事のできる上限数は、人口10~20万人の市に該当する木更津市の場合、34名迄である。
会派の構成[編集]
会派名 | 代表者 | 議席 |
---|---|---|
フォーラム未来 | 滝口敏夫 | 10 |
正栄会 | 前田清治 | 7 |
新栄会 | 野田芳久 | 3 |
公明党 | 西勝義 | 4 |
(無会派) | - | 3 |
計 | 27 |
(2009年12月現在)
委員会[編集]
- 常任委員会
- 総務常任委員会
- 経済環境常任委員会
- 教育民生常任委員会
- 建設常任委員会
- 議会運営委員会
- 特別委員会
- 基地対策特別委員会
- みなと木更津活性化特別委員会
- 合併調査特別委員会
- 予算審査特別委員会(必要に応じてその都度設置)
- 決算審査特別委員会(必要に応じてその都度設置)
- 議会広報委員会
裁判所[編集]
木更津市新田に千葉地方裁判所および千葉家庭裁判所それぞれの木更津支部が設置されており、千葉地方裁判所木更津支部には簡易裁判所が設置されている。千葉地方裁判所木更津支部は内房地域を管轄しており、管内で発生した民事訴訟、刑事訴訟の合議事件を取り扱う。千葉家庭裁判所木更津支部では家事審判および少年審判を取り扱う。
- 司法機関
- 地方裁判所
- 千葉地方裁判所 木更津支部(管轄:内房地域)
- 木更津簡易裁判所
- 家庭裁判所
- 千葉家庭裁判所 木更津支部(管轄:内房地域)
経済[編集]
状況[編集]
木更津市の経済状況は、戦後の高度成長と共に成長し、最盛期には37万人の商圏人口を持つ商業都市として形成されていくが、日本国内で1990年代初頭に起きた「バブル崩壊」[10]により好況から不況へと暗転する。
太平洋戦争中は軍関連の施設が存在したこともあり、その施設関係者と工員が移住したことによって人口が増加し、木更津は軍都として発展する。戦後の高度経済成長期には千葉県の内房地域が京葉工業地域として発展する経緯の中、市の臨海部では埋立が行われ木更津港が工業港として整備され、隣の君津市には君津製鐵所(新日鐵住金)が誘致される。君津市と接する波岡地区を中心に宅地整備が行われ、製鉄所関係者およびその家族が移住し人口が著しく増加する。人口増加を契機に経済活動が活発になり、木更津駅前には大手販売店であるそごうやダイエー、西友などが進出し、木更津市を中心とする木更津商圏が形成され、県南地域の商業都市として発展する。
1980年代に入ると、千葉県で千葉新産業三角構想が策定され木更津市はかずさアカデミアパーク構想の母都市(他に君津市、袖ヶ浦市、富津市を含む)に位置付けられる。この構想により鎌足地区の丘陵地帯では研究開発拠点の整備が行われ、民間を中心とする研究機関の誘致活動が行われる。また、国の政策として首都圏の大都市問題緩和を目的とする木更津業務核都市構想が計画される。歴史的経緯に明治維新期に木更津県県庁が存在した事、県南部の経済の中心として認識されている事、かずさアカデミアパーク構想等により、木更津市は業務核都市に位置付けられ整備が行われる。その一環として東京湾横断道路建設が計画に含まれる。
東京湾横断道路建設にあたり、当初の事業計画では対岸の川崎市や横浜市、東京など京浜地区との交通の便が良くなる事で人の交流や物流が頻繁となって経済活動に好影響を与えると予想され、住宅購入者の増加や企業進出の増加などが見込まれていた。ところが実際に開通してみると事業計画の予想とは正反対の結果に働き、考えられていた地域振興や発展には繋がらず、逆に経済活動が混迷する事になる。
当初アクアラインの交通量は2万5千台/日と予想していたが、実際に開通した結果は1万台 /日と予想を大きく下回る[11]。期待されていた東京のベッドタウンとしての需要がほとんど発生せず、人口増加や産業発展を見越して計画されていたかずさアカデミアパークや宅地造成地には売れ残りの区画が目立つ状態であり、小売業においては京浜地区の小売業者との競争を否応無しに強いられることになり、物量の面や商圏地域の魅力等の要因により購買客の流出が顕著となり、商圏人口が37万人から12万人に低下、商圏の吸引力低下により商業中心都市から準商業中心都市に格下げられる[12][13]。結果、木更津市は対岸の京浜地区と県南部の通過点となり、流出面が顕著となったストロー効果が発生する。
また、バブル崩壊による国内の景気低迷の影響により、東京湾横断道路完成を見越して上昇傾向にあった駅前商店街の地価は、1991年のピークを境に著しく下落。1999年から2003年にかけて東京圏における地価下落率の1位[14]となる。また商業地域への影響は大きく、日本長期信用銀行の破綻によるそごうグループに対する金融支援の行き詰まりが要因で2000年7月木更津そごうが撤退、そごうがテナントとなっていた駅前の西口再開発ビル(アインスビル)を運営していた第三セクターもキーテナントを失ったことによって翌年に倒産し、連鎖するように駅東口に出店していたダイエーも閉店する。木更津そごうやダイエーのような駅前の中心的存在であった大型店舗が相次いで撤退した事により、集客力を失った駅前商店街では閉店する店舗が続出し、閑散としたシャッター通りへと変貌する。
行政では1998年に議決された木更津市基本構想において産業発展と国際交流が課題として挙げられており、交通網の整備と物流の強化、雇用の確保と人口増加、市民生活の充実、経済活動の活性化を目標とした基本計画を策定し実施している。2002年にTBS系列で放映された木更津キャッツアイは木更津という名称を全国へ広げることとなり、商店街を中心に観光地を誘致する動きが出てきた。また、駅前の中心的な建物であったアインスビルにはそごう撤退後、8階の空フロアに市民の企業活動支援を目的としたチャレンジセンター(チャレンジセンター Let's木更津)や、情報通信環境を備えた共同利用型のテレワークセンターを開設し地域活性化に向けた活動が行われ、2004年4月にアクア木更津という新名称で再オープンした。しかしテナントとしていたスーパー・マルエイやネクストジャパンホールディングスが相次いで閉店、その後2009年にビルの運営・管理を行っていた日本総合企画が倒産し、2010年、木更津市はアクア木更津ビルを売却、以後の管理は売却先の有限会社金剛山が管理することとなった。
2009年8月より、同年に行われた千葉県知事選挙で当選した森田健作知事が千葉県側の負担をもとにETCによる通行料を普通車800円にする社会実験を行っている。前年から行われていた土日祝日のETCによる通行料1000円期間を含め、値下げによる経済効果が出ている[15]。しかしこれは当然一時的なものであるので、これを国政として継続させるために九都県市首脳会議が、2010年7月28日に東京湾アクアラインの料金に関する要望を実施した[16]。
2011年には同市にある矢剣八幡宮を由来とするご当地ヒーロー「鳳神ヤツルギ」が“見せてやるぜ!俺の木更津スピリット!!”というキャッチコピーの元で誕生し、翌年には市のマスコットキャラクターとして「きさポン」が誕生した。
将来[編集]
2011年現在、アクア木更津ビルは2010年秋ごろをめどにマリンゲート木更津としてのリニューアルオープンが予定され[17]、生鮮市場や百円コンビニユーエスマートの『Kid's US.LAND 』などがオープンしたが、現在もアクア木更津として運営されており、マリンゲート木更津としてのオープンがどうなったのかは公になっていない。南西部の築地地区には、イオン木更津ショッピングセンター[18]が2014年にオープンを予定している。また、2012年には北西部の金田地区に、三井アウトレットパーク木更津[19]やベイシア、カインズホーム、東京インテリア家具がオープンしており、周辺地域の発展が期待される。
産業[編集]
産業別就業者数の総数は61,106人であり、全体の比率の中では第3次産業が7割近くを占めている。
- 分類別就業者数上位5位[20]
- 1,サービス業 16,596人(27.2 %)
- 2,卸売・小売業 13,977人(22.9 %)
- 3.製造業 8,692人(14.2 %)
- 4,建設業 7,918人(13.0 %)
- 5,運輸・通信業 4,631人(7.6 %)
- 市内産業別事業社数上位5位
- 1,卸売・小売業 2,533(47.8 %)
- 2,サービス業 1,532(28.9 %)
- 3,建設業 584(11.0 %)
- 4,製造業 248(4.7 %)
- 5,不動産業 150(2.8 %)である。
- 産業別従事者数(平成12年10月1日現在)
- 事業所数(個人、会社総数)(平成13年10月1日現在)
農業[編集]
木更津市の農業は稲作が中心であり、小櫃川流域を中心に水田が広がっている。一部では野菜や施設園芸といった都市近郊型農業に従事している農家も見られる。現在の農業情勢としては減少傾向[21]にあり、消費者ニーズに対応した農業経営への転換、従事者の高齢化、後継者問題などの諸問題を抱えている状況である。
- 農家数・耕地面積(平成17年2月1日現在)[22]
- 農家数 1,873戸(農家人口 6,011人)
- 経営耕地面積 1,593ha
- 田 1,350ha
- 普通畑 180ha
- 果樹園 62ha
水産業[編集]
東京湾内の海岸線が埋め立てられ工業地化する中、木更津市の海岸線では遠浅の砂泥干潟が形成いることから、浅海漁場として海苔養殖や貝類養殖が行われている。特に海苔(のり)の養殖については全国でも有数の産地であり、富津市と共に江戸前海苔の産地として知られている。
- あさり・乾燥海苔生産状況(平成17年度)[23]
- 乾燥海苔
- 共販枚数 86,234千枚
- 金額 849,098千円
- あさり
- 水揚げ量 2,019トン
- 金額 711,100千円
- 漁港
- 金田漁港(第一種漁港)
- 牛込漁港(第一種漁港)
商業[編集]
木更津市は古くより南房総の物流拠点として発展し商業中心都市として商圏を形成するに至るが、バブル崩壊による不景気が影響し商店数の減少[24]が見られる他、近隣都市の商業施設の増加や消費者ニーズの多様化などの要因が重なり、地元購買力や顧客吸引力の低下が見られる。東京湾アクアライン完成以前は市の玄関口にあたる木更津駅から木更津港にかけて商業地が集中していたが、以降は郊外に店舗が集まる郊外型への転換が見られ、木更津駅前を中心とする中心商業地の空洞化が顕著となる。
- 商業統計(平成16年6月1日現在)[25]
- 商店数 1,435件(従事者数 10,731人)
- 卸売業 315件
- 小売業 1,120件
- 年間総販売額 2,714億円
工業[編集]
木更津市は京葉工業地域[26]に含まれており、木更津港は重要港湾に指定され工業港として発展する。隣接する君津市に新日鐵住金の製鉄所が立地する関係で、市内には関連の企業が立地する。鎌足地区をかずさアカデミアパークとして研究開発型企業の誘致を進めているが、誘致は難航し使用されていない区画も見受けられる状況である。
- 工業(製造業)統計(平成16年12月31日現在)[25]
- 事業所数 100(従業者数 3,546人)
- 製造品出荷額等 3,661億円
主な企業[編集]
- 製造業[27]
- かずさDNA研究所
- 黒崎播磨:木更津不定形工場
- 新日鉄住金化学:木更津製造所、木更津総合研究所
- ソニーイーエムシーエス:木更津テック(事業所)
- トーヨーカネツ:千葉事業所
- 三菱ウェルファーマ:かずさ研究所
- 宿泊業
- 小売業[28][29]
- 通信業
- 運輸業
歴史・伝承[編集]
歴史[編集]
木更津という地名の由来について、如月の津が転じて木更津になった、木足らずが訛り木更津になったと諸説あるが、一般的には倭建命伝承の一説、君不去(きみさらず)が元になっているというのが通説である(下記の伝承 の項参照)。木更津という地名が使われ始めたのは、最も古い文章で1353年(文和2年/正平8年)に記された文献[30]で木佐良津と記されている。ただし、当時の江戸湾沿岸を代表する港は木更津の北にある高柳(現在の木更津市高柳)や富津であったと考えられており、1576年に江戸湾沿岸の諸港に半手(戦国期に領土を争う両勢力が紛争地の租税を暫定的に半分ずつにする事)を認めた北条氏規の朱印状には内陸化した高柳に代わって江川や葛間(現在の久津間、江川とともに木更津市)の名前はあるものの、木佐良津の名前はないため、当時は租税を取る程ではない小さな漁港に近かったと推測されている。
『古事記』や『日本書紀』によると、倭建命が東征の折にこの地方に立ち寄ったと記されており、この事象が元となった地名が随所に見られる。しかしこれらの文献の歴史書としての正確性を考慮すると倭建命という人物は伝説上の架空の人物であり、事実というよりも創作と見解つけるのが妥当である。ただしこの一説を完全否定するのではなく、歴史的に考察するとこの地方には倭王権に敵対する勢力が存在していた事を示しているという説がある。事実、小櫃川流域を中心とする地域には支配階級にあたる豪族(国造)が存在していたとされ、それを証明する古墳群が形成されている。奈良時代の文献には小櫃川流域一帯(現在の木更津市、袖ヶ浦市、君津市の一部に相当)を馬来田国として記されており、この地方を馬来田国造という豪族が支配していたと記録されている。1950年(昭和25年)市内長須賀の金鈴塚古墳(二子塚古墳)の発掘調査が行われる。この古墳は6世紀後半頃に造られたものとされ、馬来田国造の一族のものとされる。この古墳からは大刀や銅容器・武具・古墳名称の元となる純金製の5つの金鈴などが出土されている。
1456年(康正2年)頃上総武田氏の祖である 武田信長が上総守護代となり、上総地方進出の足がかりとして真里谷城を築城する。以降、真里谷城は庁南城 (千葉県長生郡長南町)と並び上総武田氏の居城として繁栄する。武田信長の子孫の内、真里谷城を拠点とするものは真里谷氏を名乗り戦国大名化する。真里谷氏は一族の内紛と第1次国府台合戦の末に勢力が衰退し、上総地方の支配者も真里谷氏から里見氏、北条氏へと移り変わる。1590年(天正18年)真里谷城は豊臣秀吉の小田原征伐で侵攻された後、廃城になる。現在、真里谷城跡はキャンプ場(少年自然の家)として利用されている。
1614年(慶長19年)大坂冬の陣に木更津の水夫24名が徳川幕府方について戦功を上げる。その水夫の功により幕府は、江戸-木更津間での渡船営業権や江戸の日本橋に「木更津河岸」を拝領地として与える等の特権を与える[31](ただし、その根拠とされている現存文書は史実と矛盾する内容が含まれており、今日では偽文書と考えられている。もっとも、元和年間(1615年)以後に幕府が木更津に代官を置いた記録は確認できるため、これに近い事実はあったと考えられている)。幕府は軍事上の目的から主要河川に橋を架けることを禁止し陸路には至る所に関所を設ける政策を採っていたため、この時代の流通手段は水運が主流になる(河岸を参照)この特権により木更津は安房・上総-江戸間との海上輸送を取り扱う流通拠点として急激に発展する。運送には喫水が浅く海川両用の 五大力船が用いられた。木更津から江戸にやってくる五大力船は通称木更津船と呼ばれ、歌川広重の浮世絵にも描かれている。歌舞伎の演目『与話情浮名横櫛』は江戸期に木更津で実際に起きた事件がモチーフとなっており、当時の港町木更津の様子を垣間見ることができる。
江戸時代末期の1825年(文政8年)幕府の旗本であった林忠英は3,000石の加増を受けたことにより1万石の大名として諸侯に列し貝淵藩を立藩する。陣屋を望陀郡貝淵村に設けられるが、2代目藩主の林忠旭の時代に請西村に移し、以降同藩は請西藩と称するようになる。請西藩は、最後の藩主である4代目林忠崇が藩主自ら脱藩し明治政府の東征軍に抵抗したことが朝敵行為とされ、1868年(明治元年)幕府方諸侯の中で唯一改易処分を受ける。
明治新政府樹立後、1868年(明治元年)改易となった請西藩の替わりに松平信敏が上総国貝淵に移封し1万石で桜井藩が立藩する。1871年(明治4年)廃藩置県施行により 8月には桜井藩は廃藩となり桜井県が設置、11月には桜井県を含む旧安房国・上総国に相当する木更津県が設置される。木更津県設置にあたり県庁が貝淵村に設置される。木更津県が存在したのはわずか2年足らずで、1873年(明治6年)には廃止し、印旛県と合併し千葉県となる。1878年(明治11年)制定の郡区町村編制法に基づき望陀郡、周淮郡、天羽郡の郡役所が設置され、1897年(明治30年)望陀、周淮、天羽の3郡が合併し君津郡が成立した時に君津郡役所が設置されており、君津郡地域において木更津市は政治的中心都市であった。1973年(昭和48年)11月に、木更津県県庁所在地のあった桜井藩邸跡に「木更津県史蹟」の石碑が建てられている。
日本国内が軍国主義にある1930年代、木更津は軍都として発展する。1935年(昭和10年)当時の 大日本帝国海軍が帝都防衛を目的として、木更津港北側を埋め立て木更津海軍航空隊を設置する事を決定し、1936年(昭和11 年)4月1日に開隊式が行われる。1941年(昭和16年)同航空隊の北東、君津郡巖根村に海軍工廠(第二海軍航空廠)が設置され[32]、木更津町および巖根村には工廠で働く工員とその家族が移住してくることになり、急激な人口増加による住宅不足の問題に直面する。2町村では大勢の移住者を受け入れる住居や新しく家を建てる土地も無く、隣接する清川村にも移住者の受け皿としての役割を求めるようになり、木更津町、巖根村、清川村の3自治体を中心に合併協議が進められる。後に協議に加わった波岡村を含める4自治体の人口の合計が当時の市制施行条件である3万人を越すことが人口調査の結果で判明し、1942年(昭和17年)木更津市として 市制を開始する。木更津基地は日本初の国産ジェット機にあたる橘花のテスト飛行が行われた場所であり、1945年(昭和20年)太平洋戦争終結以降は米軍の管理下に置かれることになり、1968年(昭和48年)より陸上自衛隊の駐屯地、海上自衛隊の補給所として利用されている。
1961年(昭和36年)木更津市に隣接する君津市へ君津製鐵所の誘致が決定する。その背景には 1950年(昭和25年)に公布された国土総合開発法において千葉県側東京湾沿岸地域の工業地帯化が計画され、農業から工業への転換を図りたい県との思惑が一致し京葉工業地帯の開発が促進されたことによる。製鉄所建設に伴い君津郡地域の東京湾沿岸部で漁業を営んでいた漁家は埋立てによって職を失うことになり、県より漁業補償を受けて漁業権を放棄、転業を余儀なくされた[33]。漁業組合と漁業権放棄に関する交渉が終了し、木更津港南岸から君津市の臨海部の範囲を埋立てて製鉄所の建設を開始、1965年(昭和40年)に君津製鐵所の操業が本格的に開始する。君津市への製鉄所進出は木更津市にも影響を及ぼし、木更津市内には同社の系列・関連会社が進出しその社員および家族の転勤による移住が顕著になる。また1960年代から70年代後半にかけて区画整理事業として清見台、請西、畑沢など波岡地区を中心に計821haの土地の宅地造成が行われる。それにより、市内の人口が1960年には約6万人であったのが80年代中頃には12万人を突破、およそ20年の期間で人口が2倍にまで膨れ上がる。
1983年(昭和58年)千葉県において千葉新産業三角構想が策定される。木更津市およびその周辺都市(君津、富津、袖ケ浦)は新産業三角構想の基幹プロジェクトの一つであるかずさアカデミアパーク構想において、研究開発拠点の母都市に位置付けられる。研究開発拠点の形成を目標としたかずさアカデミアパーク構想に基づき、国際水準に対応した研究機関が集約する研究都市の整備および各拠点とを結ぶ道路網の構築が進められる。かずさアカデミアパークは上総丘陵に整備されることが決定し、1991年(平成3年)に鎌足地区に第一期区画整備が進められ、1994年(平成6年)にはDNA専門の研究所としては世界初となるかずさDNA研究所が開設する。1996年(平成8年)第一期区画整備で計画されていた278ヘクタールについては基幹整備がほぼ完了し、民間の研究所を中心に立地が進められる[34]。かずさアカデミアパーク構想および木更津業務核都市構想に基づき、木更津市を業務核都市として他の都市との道路網の整備が行われ、1995年(平成7年)館山自動車道が木更津南ICまで開通し、千葉市との間を高速道路で結ばれる。1997年(平成9年)東京都心部および神奈川県とを結ぶ東京湾アクアラインが完成。2007年(平成19年)館山自動車道が全線開通したことにより、富津館山道路と直結して南房総市までが結ばれる。2010年(平成22年)を目処に木更津東ICより千葉東金道路と直結する圏央道の建設が進められており、新産業三角構想の内の「国際物流拠点」を担う成田空港(成田市)と結ばれるようになる[35]。
沿革[編集]
- 1871年(明治4年)11月13日 — 木更津県が設置され、木更津県の県庁所在地となる
- 1873年(明治6年)6月15日 — 木更津県廃止
- 1889年(明治22年)4月1日 — 布令により木更津町および9村が発足
- 1912年(大正元年)8月21日 — 木更津線(現内房線)が姉ヶ崎駅から木更津駅まで延伸開業する
- 1912年(大正元年)12月28日 — 木更津駅、久留里駅間を軽便鉄道が開通する(現久留里線)
- 1920年(大正9年)10月1日 — 第1回国勢調査実施。木更津町の人口は8,551人
- 1924年(大正13年) — 児童雑誌『金の船』12月号にて童謡『証城寺の狸囃子』発表
- 1936年(昭和11年)4月1日 — 木更津港北側を埋め立て海軍航空隊を設置
- 1942年(昭和17年)11月3日 — 市制開始。全国で197番目、県下で6番目の市となる。当時の人口は33,817人
- 1948年(昭和23年)8月14日 — 第1回港まつり開催
- 1965年(昭和40年)4月1日 — 木更津港-川崎港および木更津港-横浜港(1972年廃止)をカーフェリー就航
- 1968年(昭和43年)4月17日 — 木更津港が港湾法に基づき、重要港湾に指定される
- 1975年(昭和50年)5月 — 中の島大橋完成
- 1976年(昭和51年)9月10日 — 市の人口が10万人を越す。千葉県で9番目の10万人都市となる
- 1992年(平成4年) — きみさらづタワー完成
- 1997年(平成9年)12月18日 — 東京湾アクアライン開通。それに伴いカーフェリー木更津-川崎航路が廃止する
- 2002年(平成14年)1月~3月 — 木更津キャッツアイがTBS系列で放送
- 2004年(平成16年)4月28日 — アクア木更津がオープン
- 2009年(平成21年)8月1日 — 社会実験として東京湾アクアラインでETC普通車の通行料が800円に
伝承[編集]
千葉県には倭建命と源頼朝に関連する伝承が多いという特徴が挙げられる。この特徴は木更津市においても同様であり、市内には関連する伝承が今に伝えられている。『古事記』や『日本書紀』、『風土記』の一説において倭建命伝説が扱われており、木更津市は倭建命が 上総国に渡る場面の舞台として記されている。源頼朝伝説は、源頼朝が伊豆で挙兵したものの平氏との合戦に敗れて安房に逃れ、房総半島の諸勢力の力を得て再起したという歴史的経緯[36][37]の中から派生したものである。また、童謡『証城寺の狸囃子』のモチーフとなった、市内の證誠寺に伝わる『證誠寺の狸伝説』が有名である。
- 倭建命の東征
- 倭建命の東国征伐のこと。船で上総国に渡ろうとした時に一行は海上で嵐に襲われる。そして倭建命の妻、弟橘姫は海に身を投じることで嵐を静めようとする。弟橘姫の祈りが通じたのか嵐が収まり一行は無事に上総国に渡る事ができた。それから倭建命はこの地にしばらく留まり弟橘姫のことを思って歌にした。
- (和歌)君さらず 袖しが浦に立つ波の その面影をみるぞ悲しき
- この歌の一節君さらずが転じて、木更津という地名となったと伝えられている。
- 市には吾妻という地名があるが、倭建命が弟橘姫を偲んで「吾妻はや(我が妻よ)」と言った故事に由来するとされている。市内には吾妻神社という神社が存在し倭建命と弟橘姫が祀られている。またこの地域には吾妻、我妻を姓とする人がおり、これも倭建命伝説に由来しているとされている。
- 源頼朝伝説[38]
- 石橋山の戦いで平家に敗れた源頼朝がこの地方に立ち寄った際に見かけた竹林があまりにも立派だったため、この竹を源氏の旗竿にすることにした。以降この地を旗竿村と呼ぶようになった。伝承では市内の畑沢[39]という地名はこの旗竿村に由来するとされている。また、草敷という地名についても頼朝が刈草を敷いて休息をとったという言い伝えが元になっている。
- 源頼朝が鎌倉幕府開府にあたり、市内の八剱八幡神社に神領を寄進して社殿を造営したという伝えがある。
- 證誠寺の狸伝説
- 市内の證誠寺に伝わる伝説で、童謡『証城寺の狸囃子』はこの伝説を元に作られた。童謡は『しょ しょしょうじょう寺~♪』と軽快なリズムの明るい曲だが、昔話として伝わる狸伝説は「秋の夜に和尚と何十匹ものタヌキ(狸)が寺の庭で 囃子合戦をした挙句、夜が明けたら調子を取っていた狸の親分が腹を破いて死んでいた」という面白くも悲しい話である。話の概要は次の通りである。
- 「ある秋の晩の事、寺の庭が何やら騒がしいので寝ていた住職はふと目を覚まし、外の様子を耳を凝らして聴くとそれがお囃子のように聞こえたという。不思議に思いこっそり庭を覗いてみると、庭の真ん中で大狸が腹を叩いてポンポコと調子を取っており、その大狸を中心に何匹もの 狸が楽しそうに唄い踊っていたそうな。その様子を見ていた住職もつい楽しくなってしまい、庭に出て一緒に狸たちと踊っていたという。それから毎晩、住職と狸たちは證誠寺の庭で唄い踊っていたのだが、ある日の晩から狸たちは一向に現れず、住職が不思議に思うと翌朝庭を見ると調子を取っていた大狸が腹を破って死んでいた。不憫に思った住職はその大狸を懇ろに弔ったそうな。」
観光名所[編集]
- 海ほたるパーキングエリア
- 東京湾アクアラインの木更津人工島に設置されたパーキングエリア。
- アクアわくわく市場
- 東京湾アクアライン、木更津金田IC至近にある青空市場。野菜や海産物、木更津・金田産のあさりなどを売っている。あなごの天丼は旅行雑誌にもたびたび取り上げられている。
- 太田山公園
- 木更津駅から東に1.0 km程の場所に位置する山。伝承によると日本武尊はこの山の頂より海を眺めて、海中に没した弟橘媛を思い『君不去』の歌を歌ったと伝えられることから別名恋の森と呼ばれている。山の頂上にはこの伝説をモチーフにした展望台「きみさらずタワー」が存在する。太田山には木更津市郷土博物館金のすずがあり、これは千葉県立上総博物館を譲り受けたもので、金鈴塚古墳から出土した金鈴や、木更津市史に関する資料などを展示している。
- 高蔵寺
- 市内にある真言宗豊山派に属する寺院。坂東三十三観音霊場第30番札所。
- 潮干狩り(3月下旬~7月)
- 木更津市内の牛込、金田、久津間、江川、木更津の5ヶ所の海岸で潮干狩りが出来る。
- 證誠寺
- 市内にある浄土真宗本願寺派に属する寺院。
- 中の島公園、中の島大橋
- 中の島公園は、木更津港に浮かぶ中の島にあり、潮干狩りやフィッシングポイントとして楽しむことができ、木更津港祭りの際には花火の打ち上げ場所となっている。対岸の鳥居崎海浜公園と中の島大橋で結ばれている。中の島大橋は日本で一番高い歩道橋として知られており、全長236 m、高さ27.125 m、幅4.5 m。1975年(昭和50年)に完成。木更津港の玄関口にあたり、東京湾へ出入りする船舶はこの橋の下をくぐることになる。映画『木更津キャッツアイ日本シリーズ』で「恋人と渡ると幸せになれる赤い橋」として有名となった。
イベント[編集]
- 八剱八幡神社例大祭
- 毎年7月第2土・日曜、市内の八剱八幡神社で開催される夏祭り。祭期間に町内を練り歩く重量1.5tの大神輿は、富岡八幡宮(東京都江東区富岡)、鳥越神社(東京都台東区浅草)の物と並び、関東三大宮神輿の一つに数えられる。また、祭囃子『木更津ばやし』は県の無形民俗文化財に指定されている。
- 木更津港まつり
- 毎年8月14・15日の2日間、木更津駅西口から木更津港までの駅前通りを会場に開催される祭。14日は富士見通りを会場にやっさいもっさい踊り、15日は木更津港を会場に中の島公園から打ち上げられる花火大会をメインに開催する。
交通[編集]
道路[編集]
主要道路として高速道路には館山自動車道と東京湾アクアラインが挙げられる。館山自動車道を木更津北インターチェンジ(IC)から北方面に向かうと所要時間約20分程度で千葉市に到達し、京葉道路または東関東自動車道を経由して東京都へと結ばれる。また南方面は、木更津南ジャンクション(JCT)を館山方面に向かう事で富津館山道路に接続し、木更津南ICから所要時間30分程度で南房総市まで結ばれる。首都圏中央連絡自動車道(圏央道)により、木更津JCTから茂原市・東金市など外房方面へのアクセスが改善されている。東京湾アクアラインによって東京湾を挟んだ対岸の神奈川県川崎市と結ばれており、木更津金田IC~浮島IC(約15km)の区間を所要時間約15分程度で移動できる。
一般国道は、国道16号線(袖ヶ浦木更津バイパス)が市内を通過する。国道16号線を北上することで千葉市-柏市-埼玉県…へ繋がり、幹線道路としての役割を持っている。長須賀交差点で外房地域へと結ばれる国道409号線・国道410号線(房総横断道路)、桜井交差点にて館山市を起点とする国道 127号線(内房なぎさライン)に接続している。
- 高速道路
- 館山自動車道:木更津北IC-木更津JCT-木更津南JCT(館山方向と木更津南IC方向に分岐)-木更津南IC
- 東京湾アクアライン連絡道:木更津JCT-袖ヶ浦IC(袖ヶ浦市)-木更津金田IC
- 東京湾アクアライン:木更津金田IC-木更津金田TB-海ほたるPA
- 首都圏中央連絡自動車道:木更津東IC - 木更津JCT
- 主要地方道
- 一般県道
バス路線[編集]
高速バス[編集]
1997年以前、対岸の東京都や神奈川県への交通手段は鉄道やカーフェリーが主であったが、東京湾アクアライン開通に伴いフェリー航路は廃止され、代わりにアクアラインを経路とした高速バス路線が充実するようになる。
路線名と主な停留所 … ()内はバス運行会社、太字は市内設置の停留所名
- アクアライン高速バス
- 東京線
- 横浜線(日東・小湊・京急) :木更津駅東口⇔横浜駅東口BT
- 川崎線(日東・小湊・京急・東ベ・川崎) :木更津駅東口⇔川崎駅東口
- 品川線(日東・小湊・京急) :木更津駅東口⇔品川駅東口
- 新宿線(小湊・小田急) :木更津駅西口⇔新宿駅西口
- 羽田空港線
- 木更津線(日東・小湊・京急・東空) :木更津駅東口⇔羽田空港
- 君津線(日東・京急) :君津製鐵所-木更津羽鳥野BS⇔羽田空港
- 房総半島縦断
バス運行会社 ()内は上記略称
- 日東交通(日東)
- 鴨川日東バス(鴨日)
- 館山日東バス(館日)
- 小湊鐵道(小湊)
- 京成バス(京成)
- 千葉中央バス(千中)
- 京浜急行バス(京急)
- 東京空港交通(東空)
- 東京ベイサービス(東ベ)
- 川崎鶴見臨港バス(川崎)
- 小田急シティバス(小田急)
路線バス[編集]
市内を運行する路線バスは日東交通・小湊鐵道の2社により運行されている。
鉄道[編集]
市内を運行する鉄道路線としてJR東日本の内房線と久留里線がある。内房線の全路線中で2駅、久留里線の全路線中5駅が市内に設置されている。市の中心駅である木更津駅には内房線(普通・特急)、総武快速線、京葉線直通列車が停車する他、久留里線の始発駅になっている。
- 鉄道路線
- 広範囲な連絡
- 隣接市町村との連絡
港湾[編集]
江戸時代より木更津港は物資の集散港として機能し、1960年代の京葉工業地域の発展に伴い工業港として開発が進められる。1968年には間税法上の開港および重要港湾の指定を受ける。
1965 年から1997年までの間、木更津港はカーフェリーの発着場として機能し、謂わば市の玄関口としての役割を果たしていた。カーフェリーは対岸の 川崎市や横浜市に職場を持つ通勤者の足として利用され、その当時の様子は1987年にTBS系列で放映したドラマ『男女7人秋物語』の作中で、木更津市に住む主人公が川崎市の職場にフェリー通勤するシーンからも垣間見る事ができる。1997年、東京湾アクアライン開通に伴い川崎フェリーが廃止され、木更津港を就航するフェリー航路がすべて廃止となる。現在、着岸地点の可動橋は撤去されており、フェリー発着場としての形跡は残っていない。
2008年4月には、公共埠頭H岸壁が完成、供用開始となった。
2008年8月には、Autoterminal Japan株式会社の手配によって、自動車専用船が初入港。今後も中古車の輸出港としての発展が期待される。
- 重要港湾
- かつて就航していたフェリー航路
航空[編集]
木更津市を中心とする60km圏内には成田空港と羽田空港、2箇所の国際空港が存在し、市上空は空港から発着する旅客機の飛行ルートになっている。羽田空港の場合、風向が北風の時の着陸ルート[40]として、市の上空3,000ftあたりから着陸態勢に入り、東京湾を通過して滑走路に進入するルートが取られる。このルートからならば旅客機の窓より上空から市内を一望することができる。
- 近隣の空港
- 自衛隊施設
木更津市出身の著名人[編集]
- 伊奈川愛菓(将棋女流棋士)
- 上原風馬(俳優)
- 岡晴夫(歌手)
- 岡崎高之(ローマオリンピック、1964年東京オリンピック日本代表)
- "狂拳"竹内裕二(キックボクサー)
- 櫻田宗久(写真家)
- 高橋治(小説家)
- 高橋英樹(俳優)
- 中尾彬(俳優) — 木更津市生まれ、千葉県立木更津高等学校卒業。1989年(平成元年)発行のふるさと切手『証城寺の狸ばやし(千葉県)』をデザインする。
- 中村明花(ファッションモデル)
- 長嶋織江(レースクイーン)
- 服部友一(鹿児島読売テレビアナウンサー)
- 法木秀雄(早稲田大学教授)
- 福原香織(声優)
- 丸山忠久(将棋棋士) — 2000年9月、名誉市民の称号が贈られる
- 三浦美幸(空手家)
- 水谷妃里(女優)
- nanami(ファッションモデル)
- 吉田眞紀人(サッカー選手)
木更津市を舞台にした作品[編集]
映像[編集]
- 鳳神ヤツルギ(TVドラマ 千葉テレビ放送、2011年)— ヤツルギは2011年4月1日付けで、2012年3月31日までの期間限定で、木更津市のご当地ヒーローに認定され、水越市長より認定証を授与された[41]
- 三菱自動車「i(アイ)」(TVコマーシャル、2006年) — 生活篇の一部に市内の建物が登場しており、右下に「木更津」と書いてある。
- 木更津キャッツアイ(TVドラマ TBS系、2002年)
- 木更津キャッツアイ 日本シリーズ(映画、2003年)
- 木更津キャッツアイ ワールドシリーズ(映画、2006年)
- 六番目の小夜子(TVドラマ NHK、2000年) — 木更津市という設定ではないが、メインロケ地として太田中学校など市内の施設が登場する。
- 水の中の八月(TVドラマ NHK、1998年) — 舞台は『東京湾岸の町』であり明確にされていない。メインロケ地として木更津市にて撮影が行われる。
- 大地の子(TVドラマ NHK、1995年) — 中国残留孤児をテーマにしたNHK放送70周年記念ドラマおよびその原作小説。主人公の実父が住んでいる場所として木更津市が関連する。作中に「東洋製鉄木更津製鉄所」という製鉄所が登場するが、そのモデルは新日鐵君津製鐵所(君津市)であり、ドラマのロケ地にも採用されている。
- 男女7人秋物語(TVドラマ TBS系、1987年)
書籍[編集]
- 青の時代(小説 三島由紀夫著、1950年) — 光クラブ事件の当事者である山崎晃嗣(木更津市出身、父親は2代目市長を勤めた山崎直)をモデルにした小説。作中では『千葉県K市』と表現されているが『小櫃川』、『鳥居崎海岸』、『矢那川』など木更津市と断定できるキーワードが記述されている。
- オーレ!(漫画 能田達規作、コミックバンチ連載) — 木更津・君津・袖ケ浦・富津の「かずさ4市」が合併して誕生したという設定の架空都市「上総市」が舞台のサッカー漫画。作中では市内に実在する施設が描かれている。
- 代紋TAKE2(漫画 木内一雅原作、渡辺潤画、週刊ヤングマガジン連載)— 主人公が木更津の暴力団組長を襲名したことから物語が展開する(第三部、コミックス15~22巻)。また同漫画を原作としたスペシャルドラマが日本テレビ系列で1993年から1997年にかけて計7回放映された。
芸能[編集]
- 木更津甚句(民謡)
- 証城寺の狸囃子(童謡)
- やっさいもっさい(祭囃子 デュークエイセス)
- 与話情浮名横櫛(歌舞伎)
- お富さん(歌謡曲 山崎正作詞、渡久地正信作曲 )— 「与話情浮名横櫛」を題材とした歌謡曲で、1954年春日八郎の歌唱で流行した。
脚注[編集]
- ↑ 『木更津市史』頁10「第一節地理」より
- ↑ 『角川日本地名大辞典 12千葉県』頁1013「立地」より
- ↑ 距離情報はGoogle Earth(Ver4.0.1565)のルーラー機能を用いて概算を求める
- ↑ 市域の延長は木更津市公式ホームページ「市のプロフィール」より
- ↑ 市の大字の中から『難読・異読辞典』を参考に抜粋
- ↑ 千葉県総務部市町村課ホームページ「市町村合併支援室」より
- ↑ 税金滞納および指定暴力団からの借金問題により任期途中で引責辞任する
- ↑ 木更津市公式ホームページ「政策プラン・財政」の「基本構想」より
- ↑ 総務省発表『地方財政分析平成18年度決算』より
- ↑ 『Newsweek 日本版 2002年11月6日版』のSpecial Report(頁22-25)において「バブルと銀行破綻の傷跡に苦しむ木更津市は日本経済の未来の縮図」と表現して紹介されている
- ↑ 数値はNewsweek 2002年11月6日号「Special Report 不良債権にのみ込まれた街」頁22より
- ↑ 千葉県商圏調査報告書では平成3年度版では商業中心都市とされていたが、平成6年度版には準商業中心都市に格下になっている(『千葉県の歴史 別編 地誌2 地域誌』頁206より、千葉県商圏調査報告書は千葉県ホームページ千葉県商工労働部経営支援課のページからでも閲覧可)
- ↑ 木更津商圏地域の市町村は木更津市、君津市、袖ケ浦市、富津市、鋸南町(平成13年度商圏調査報告書より 千葉県ホームページ千葉県商工労働部経営支援課)
- ↑ 国土交通省『土地総合情報ライブラリー』「地価公示(記者発表資料)」より
- ↑ 東京湾アクアラインの交通量(速報値)及び南房総地域観光入込の状況について(6月分及び社会実験開始後の累計)
- ↑ 東京湾アクアラインの料金に関する要望
- ↑ 仮称「マリンゲート木更津」「アクア木更津ビル」10月RNオープンへ
- ↑ きさらづ市議会だより 第106号(PDF)
- ↑ ~三井アウトレットパークシリーズ最大級~「(仮称)三井アウトレットパーク 木更津金田」開発決定
- ↑ 『木更津市統計書 2002年度版』頁10-11による
- ↑ 昭和60年の農家戸数が3,217戸に対し、平成17 年は1,873戸に減少している(『木更津市統計書 2002年度版』頁26および『市政の概要平成18年度版』頁107の調査報告を参考)
- ↑ 『市政の概要 平成18年度版』頁107より
- ↑ 『市政の概要 平成18年度版』頁112より
- ↑ 平成6年次が商店数1,721件に対し、平成16年次には1,435件に減少それに伴い年間販売額も減少の傾向が見られる(『市政の概要平成18年度版』頁114より)
- ↑ 25.0 25.1 『市政の概要 平成18年度版』頁114より
- ↑ 木更津市は工業都市の性質よりも商業都市としての性質の方が高い。京葉工業地域に含まれる他の近隣市町村では工場群立地による税収が見込まれ、財政力指数が地方交付税不交付団体の条件である1.00を越えているのに対し、木更津市は0.81である。
- ↑ 『工場ガイド 千葉・茨城 改定2版』より資本規模等を考慮し一部抜粋
- ↑ 大規模小売店舗立地法(新法)で届け出を行った大規模小売店舗
- ↑ 木更津市商工会議所および千葉県ホームページ 経営支援課のページを参考に抜粋
- ↑ 藻原寺(茂原市)の文書『仏堂伽藍記』(『角川日本地名大辞典 12千葉県』頁1014より)
- ↑ 『木更津河岸旧記解読』頁18より
- ↑ ピーク時には工員数が17,000人に達する。
- ↑ 木更津市では漁業権を放棄する漁業組合が6組合あった。
- ↑ 『千葉県の歴史 別編 地誌2 地域誌』頁211-213 参考
- ↑ 『千葉県の歴史 別編地誌2 地域誌』頁208-210 「東京湾アクアラインと木更津市」参考
- ↑ 源頼朝が安房に逃れてから鎌倉に至るまでの経路は定かとされておらず、木更津を通過したか否かは推測の域を出ない。
- ↑ 文献に見られる頼朝の経路として、『吾妻鏡』によれば安房勝山から鴨川市に出て、長狭街道を西に花立峠(木之根峠)を越えて上総国入りしたとされ、この経路を辿れば富津市に出ることになる(『木更津市史』頁1056より)『義経記』では富津市の地名の後「きさうとの浜(木更津と思われる)」「開発(貝淵と思われる)」と木更津市と関連するだろうと思しき地名が記述されている(『角川日本地名大辞典 12千葉県』頁1014より)
- ↑ 『木更津市史』頁1056 「木更津における源頼朝伝説」より
- ↑ 市内畑沢の波岡寺境内に埋没していた石碑に「旗竿村」と記されている(『木更津市史』頁147「畑沢集落と旗竿村」より)
- ↑ 羽田空港再拡張に伴い、飛行ルートの再検討が行われている(国土交通省提示『羽田再拡張後の飛行ルート案』 [1])
- ↑ (2011-04-01) ヤツルギが木更津ご当地ヒーローに認定! 『鳳神ヤツルギ』公式サイト 2011-04-01 [ arch. ] 2011-04-04
参考文献[編集]
- 木更津市史編集委員会編『木更津市史』木更津市、1972年11月3日
- 木更津市総務部企画調整室編『木更津市統計書 2002年度版』2003年3月
- 木更津市議会事務局編『市政の概要 平成17年度版』2005年9月
- 木更津市立図書館編『木更津河岸旧記 解読』1997年3月 ※原本『木更津河岸旧記』国立国会図書館 所蔵
- 財団法人千葉県史料研究財団編『千葉県の歴史 別編 地誌2 地域誌』1999年3月25日
- 『角川日本地名大辞典 12千葉県』角川書店、1984年3月8日
- 楠原佑介編『難読・異読地名辞典』東京堂出版、1999年3月10日
- 『工場ガイド 千葉・茨城 改定2版』データフォーラム
- 千葉県立上総博物館編『企業誘致の記憶 -君津と新日鐵-』2003年3月20日
- 『Newsweek 日本版』2002年11月6日版、阪急コミュニケーションズ、2002年11月6日
- 木更津市「木更津市公式ホームページ」
- 千葉県「千葉県ホームページ」
- 国土交通省「土地総合情報ライブラリー」
外部リンク[編集]
- 行政
- 観光