松方弘樹

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まつかた ひろき
松方 弘樹
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本名 目黒 浩樹
(めぐろ こうじゅ)
別名
生年月日 1942年7月23日
没年月日 月日
出生地 日本の旗 日本, 東京都北区
死没地
国籍
民族
身長
血液型 A
職業 俳優
ジャンル
活動期間 1960年
活動内容
配偶者
家族 近衛十四郎
水川八重子
目黒祐樹
江夏夕子
目黒大樹
仁科克基
仁科仁美
公式サイト
主な作品

映画
『瞼の母』『仁義なき戦い
『脱獄・広島殺人囚』
柳生一族の陰謀
修羅の群れ』『最後の博徒』
ドラマ
『人形左七捕物帳』
勝海舟』『大江戸捜査網
遠山の金さん』『刑事貴族
HOTEL
受賞
備考
テンプレート

松方 弘樹(まつかた ひろき、本名:目黒 浩樹(めぐろ こうじゅ)1942年7月23日 - )は日本映画男優。所属事務所バーニングプロダクション血液型はA型。時代劇俳優近衛十四郎女優水川八重子の長男。弟は俳優目黒祐樹。義妹は女優の江夏夕子。前々妻との間に長男の目黒大樹、前妻で女優の仁科亜季子との間に次男の仁科克基と長女の仁科仁美、元愛人で女優の千葉マリアとの間に四男の十枝真沙史、弟の祐樹と義妹の江夏の間に姪の近衛はながおりそれぞれ芸能界に入っている。

来歴・人物[編集]

元来は歌手志望であり、作曲家の上原げんとの下で五木ひろしらと席を並べて歌を学んでいたが、五木の歌声を聞いているうちに自信を無くし、父と同じ俳優の道に入った。

17歳で東映から俳優デビュー。以来長年東映に所属し、時代劇ヤクザ映画を中心に活躍し、多くの主演作を残している。1969年から1971年には亡くなった市川雷蔵の代わりに大映にレンタル移籍し、ここでも数々の主演作がある。大映の倒産後、東映に復帰。脇役が多かったが、1973年から始まる菅原文太主演の「仁義なき戦い」シリーズでの鬼気迫る演技が認められ、1970年代半ば以降は東映ヤクザ映画の主演スターとして大活躍するようになる。1990年代の終わり頃からはVシネマで活躍することが多くなる。

大物俳優としての豪快さと貫禄を感じさせる言動も多い一方、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』などのバラエティ番組で涙を流しながら笑い転げたり、飲みの席で客人に自ら水割りを作ってふるまうなど飾らない一面を見せることもある。多くの名優との交友関係も知られ、その温厚な性格から芸能界での人望も厚いと伝えられる。

華やかな女性関係や2度の離婚などで私生活でも話題が多かった。仁科亜季子との離婚時、松方の家庭内暴力がマスコミに喧伝され、イメージ低下により多くの芸能活動を降板した経緯がある。また、かつて不倫が発覚した際に、パイプカットをしたことで話題になった。また、以前は滋賀県の雄琴にあったソープランドのオーナーも勤めていた。

趣味は釣りで、年に何度か山口県萩市見島沖、八里ヶ瀬と呼ばれる海域周辺でマグロの一本釣りを楽しんでいる。実際、見島のある旅館には松方弘樹と名前が書かれた釣り道具が常置されている。

1990年代頃まではバラエティ番組に出演する際はほぼ必ず大きなサングラスをかけていたが、最近はかけていない。

出演作[編集]

映画[編集]

Vシネマ[編集]

  • 殺し屋PAZUZU(兼プロデューサー)
  • 餓狼の群れ
  • 修羅のみち
  • 闇の処刑人/Dジャッジ
  • 伝説のやくざ/ボンノ
  • 極道ジハード/聖戦
  • ファミリー(2003年)
  • 実録・山陽道やくざ戦争/覇道2(2003年)
  • 実録・広島四代目(2004年)
  • ドッグファイター ごろつき刑事(2004年)
  • 極道甲子園(2004年)
  • 総長賭博(2004年)
  • 最後の神農(2004年)
  • 鉄/極道・高山登久太郎の軌跡(2004年)
  • 新・日本の首領(2004年)
  • 不退の松葉(2005年)

ドラマ[編集]

いずれも狩矢警部役で主演する。
  • 京都サスペンス(関西テレビ放送系列・東映制作)
    • 「石楠花の咲く寺」(1987年
    • 「京都の祭りで人が死ぬ・鞍馬の火祭」(1988年10月)
    • 「曲水の宴・華やかな殺意」(1988年11月)
いずれも狩矢警部役で主演する。
    • 「ハワイから来た殺人者」(1989年10月)阿部牧郎原作のうどん警部シリーズ、立石警部役
  • 直木賞作家サスペンス(関西テレビ放送系列・東映制作)
    • 「隣家の寝室」(1989年)
    • 「会長の遺産」(1990年1月)
いずれも阿部牧郎原作のうどん警部シリーズ、立石警部役で主演する。

バラエティ 他[編集]

アニメ・ゲーム[編集]

CM[編集]

関連項目[編集]