坂井泉水
坂井泉水 | ||
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基本情報 | ||
出生名 | 蒲池幸子 | |
別名 | ||
出生日・地 | 1967年2月6日・福岡県久留米市 | |
血液型 | ||
学歴 | 松蔭女子短期大学 | |
出身地 | ||
死没日・地 | 2007年5月27日((2007-1967)+((5-2)*100+(27-6)>=0)-1歳没)・東京都新宿区 | |
ジャンル | J-Pop | |
職業 | ||
担当楽器 | ボーカル | |
活動期間 | ||
レーベル | ||
事務所 | ||
共同作業者 | ||
影響 | ||
公式サイト | http://wezard.net/ | |
メンバー | ||
旧メンバー | ||
著名使用楽器 | ||
坂井 泉水(さかい いずみ、本名:蒲池 幸子(かまち さちこ)、1967年2月6日 - 2007年5月27日)は、日本の歌手、作詞家。音楽グループZARDのボーカリスト。 ビーイングの関連会社「泉水」に所属し、同社の副社長を務めた。レコード会社はビーインググループの「B-Gram RECORDS」に所属。血液型はA型。
歌手としての活動や作品などは「ZARD」の記事を参照。
目次
人物
両親・弟妹の5人家族。20代前半まではモデルとして活動していたが、歌手になるという強い希望を持ち続け、1991年2月、ロックバンド「ZARD」のボーカルとして歌手デビューを果たす。数多くのヒット曲を生み出し、世代を超えて高い支持を集め、人気、実績とも1990年代を代表する女性シンガーとなった。
その一方、初期のころに数回テレビ・ラジオに出演した他はほとんどマスメディアに登場せず、ライブも殆どしていない。「負けないで」で大ブレイクして以降、全盛期にメディア露出やライブ活動を全くしなくなった。表舞台に登場せず音楽制作に専念するスタンスを徹底したことに加え、あえて私生活や経歴を公開しなかったたため、謎の多いミステリアスなアーティストと見られてきた。
2007年5月、再起に向けて、癌克服のための闘病生活中に、階段からの転落による自殺と見られる脳挫傷が原因で死去。戒名は『澄響幸輝信女霊位』。
経歴
デビュー前
福岡県久留米市生まれ[1][2]、神奈川県平塚市、神奈川県秦野市育ち(小学校4年より)。秦野市立西小学校、秦野市立西中学校、神奈川県立伊志田高等学校卒業。中学時代は陸上部、高校時代は硬式テニス部に所属していた。松蔭女子短期大学を卒業後、不動産会社でOLとして約2年間勤務した。
モデル時代
- 街頭でスカウトされ、スターダストプロモーションに所属し、本名「蒲池幸子」でモデル活動を行う。
- 1989年(22歳)
- 1月2日、テレビドラマ『春燈』(ANB系の新春3時間スペシャルドラマ、原作:宮尾登美子)に、東北地方から売られてきた少女役で出演。
- 1990年にかけて、山下直美とともに「東映カラオケクイーン」となる。カラオケビデオ(Winkの「ONE NIGHT IN HEAVEN ~真夜中のエンジェル~」、中森明菜の「CARIBBEAN」、永井真理子の「23才」、薬師丸ひろ子の「手をつないでいて」、やしきたかじんの「未練~STILL~」)に出演。カラオケ機器の販売促進用のパンフレットにも写真が掲載される。東映カラオケのPR活動などで地方のカラオケ店を巡業する。この企画はZARDでの歌手デビュー後の1991年3月まで続いた。
- 6月7日、クイズ番組「クイズ!年の差なんて」の「見返り美人」のコーナーで、『カラオケクイーンに選ばれたのは誰』という設問として取り上げられる。
- バラエティ番組『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ系)の「仮面ノリダー」でマリナ(渡辺満里奈)の知人役で出演(第40話(8月3日)「恐怖シャワー男」と第49話(10月19)「恐怖ゴルフ男」)。
- 日本エアシステムのフルロードキャンペーンのキャンペーンガール。
- 1990年にかけて、日本エアシステム系のJAS CARGOのキャンペーンガール。
- 1990年(23歳)
歌手デビュー
- 1990年8月にビーイングのオーディションを受ける。ビーイング社長の長戸大幸に才能を認められ、坂井泉水を中心とした音楽ユニット「ZARD」結成の準備に入る。
- 1991年(24歳)
- 2月10日、シングル『Good-bye My Loneliness』でデビュー
(その後の音楽活動は、「ZARD」の記事を参照)。
闘病生活
入院中の自殺以降
- 2007年(40歳)
- 5月26日朝、病院の敷地内で仰向けに倒れているのを通行人に発見される。同病院の集中治療室で緊急処置を受けたが、翌5月27日午後3時10分、スロープから転落(自殺)した際の後頭部強打による脳挫傷で死去した。(享年40)。
- 5月28日、所属事務所が「坂井泉水が数々のヒット曲とともに、いつまでも皆様の心の中に生き続けることを願ってやまない」とのコメントを出す。
- ZARDのヒット曲の多くを作曲した織田哲郎、詞の提供を受けた森進一、同じビーイングに所属していた大黒摩季[4]らが坂井の死を悼むコメントを出した。
- 5月30日、東京都町田市の斎場において、近親者のみの密葬として 葬儀・告別式が行われた。
- また、東京と大阪に設置した献花台には合計約10000人が献花や記帳に訪れたほか、昨年10月発売のベストアルバム『Golden Best 〜15th Anniversary〜』が、オリコン史上初の300位圏外から3位に急上昇[5]し、翌週からは2位に浮上した(詳細はGolden Best 〜15th Anniversary〜#オリコン参照)。
- 海外でも、大韓民国、台湾などのメディアで一斉に報道された[6][7]。
- 6月1日、テレビ朝日の『ミュージックステーション』で、1992年の初登場時と1993年の最後の出演時を中心とした映像が流され、6月29日の2時間スペシャルでも再放送された。(詳細は、ミュージックステーションで起こった主な出来事#2007年およびミュージックステーション#1回だけ行われたコーナーの関連項目を参照)
- 6月18日、NHKの『クローズアップ現代』で『時代を励ました歌 ~ZARD 坂井泉水さんが遺したもの~』が放送された。(視聴率は11.5%)
- 6月26日、東京・青山葬儀所で「ZARD/坂井泉水さんを偲ぶ会」の関係者向けの音楽葬が開かれ、大黒摩季や織田哲郎、池森秀一、森友嵐士、浅岡雄也らが列席[8]。また、これと同じくして、B'zの松本孝弘・稲葉浩志、倉木麻衣、読売巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄が追悼コメントを寄せた[9]。
- 6月27日、一般者向けの音楽葬が開かれ、40,100人が来場した。この人数はhide(50,000人)・美空ひばり(42,000人)・吉田茂(40,000人)・尾崎豊(37,000人)らに匹敵する[10]。
- 8月19日、日本テレビ系『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』の中で坂井の追悼コーナーが設けられ、『マイ フレンド』・『揺れる想い』・『負けないで』がスペシャルメドレーとして女性出演者に歌唱された。また、20時45分頃にも例年通り「負けないで」がフルコーラスで全出演者によって歌われた。さらに、この年のチャリティーマラソンのランナー萩本欽一は放送内でのゴールができなかった為、引き続き日本武道館から生放送されたその後の『行列のできる法律相談所』の中で再び「負けないで」が歌われた。結局、「負けないで」3回歌われると言う異常事態となった。
- 現時点では、「自殺と断定」という形なったが、メディアでは、後追い自殺を防止するため、「逝去」「急死」としている。
作曲作品
以下は坂井の作曲作品である。全てZARDの曲として坂井本人が歌っている。
- 「素直に言えなくて」(2ndシングル『不思議ね…』C/W、2ndアルバム『もう探さない』収録曲)
- 「いつかは・・」(2nd album『もう探さない』収録曲)
- 「眠り」(16thシングル『サヨナラは今もこの胸に居ます』C/W、7thアルバム『TODAY IS ANOTHER DAY』収録曲)
- 「君へのブルース」(42ndシングル『ハートに火をつけて』C/W ※遺作)
ZARD以外の音楽活動
ZARDとして活躍する一方、同じビーイング系のアーティストのバックコーラスに参加したり、作詞家として多くのアーティストに詩を提供している。活動範囲はJ-POPに限らず、テレサ・テンや森進一などの大物歌手へ作詞を提供するなど、ジャンルの違う歌手との異色のコラボレーションも行なった。
すべてのZARDの楽曲の作詞をしたと思われがちだが、「君がいない」は栗林誠一郎の詩に手を加えたもので、アルバム「Good-bye My Loneliness」に収録された中の2曲は、川島だりあの作詞である(この2曲は作詞に一切関わっていない)(→詳細はZARD#作詞・作曲・編曲のクレジット参照)。
作詞作品
- テレサ・テン:「あなたと共に生きてゆく」(メナード化粧品CMソング)
- DEEN:「翼を広げて」、「瞳そらさないで」、「Teenage dream」
- FIELD OF VIEW:「君がいたから」、「突然」、「Last Good-bye」、「DAN DAN 心魅かれてく」
- WANDS:「Brand New Love」、「明日もし君が壊れても」
- Barbier:「クリスマスタイム」、「LOVE~眠れずに君の横顔ずっと見ていた~」
- 【ZYYG, REV, ZARD & WANDS featring 長嶋茂雄】:「果てしない夢を」「雨に濡れて」(いずれもWANDSの上杉昇と共作)
- 森進一:「さらば青春の影よ」、「蜃気楼」
(※「翼を広げて」「果てしない夢を」「さらば青春の影よ」「蜃気楼」以外はすべてZARDとしてセルフカヴァーしている)
レコーディング参加
- DEEN:「翼を広げて」(コーラス)
- FIELD OF VIEW:「君がいたから」(コーラス)
- WANDS「Brand New Love」(ボイス)
- Barbier:「クリスマスタイム」、「あなたに帰りたい」、「LOVE~眠れずに君の横顔ずっと見ていた~」、「I still remember」(ゲストボーカル)
エピソード・その他
- 本名の“蒲池”苗字と出身地の“福岡県久留米市”が同じ歌手の松田聖子(蒲池法子)と従姉妹だと噂された。松田は柳川の蒲池氏の子孫で、先祖が同じとも言われたが、坂井の先祖は不明であり、二人は従姉妹でも親戚でもない。もっとも、モデルデビュー当時よりグラビア等で、"蒲池"・"福岡県久留米市出身"を強調していた要出典。(※蒲池氏#子孫たち参照)
- 晩年は積極的にファンの前に出たいとの思いがあったとみられ、「NHK紅白歌合戦」出場や、「ミュージックステーション」の再出演に前向きな姿勢を見せていたと言われている要出典。
- 小学生時代は、常にクラス1番の美少女として評判だった。
- 学生時代は、陸上競技部やテニス部で活動する反面、クラスではおとなしい性格で、人前に出るのが苦手だったという。
- モデル時代の公式プロフィールは1969年生まれとなっていた。
- ミリオンセラー歌手となってからも、レコーディング等に行く際は電車で移動していたという[11]。
- モデル時代の関連商品は、高額で取引されている。特に写真集「NOCTURNE」は定価1800円だったが、ZARDの成功後は中古市場で10万円を下回ることがない高額品となる。坂井の死後、さらに高騰した。また、音楽葬での無料配布物までもが高額で取引された。
- 嫌煙家でアルコール類も好まず、健康管理には気を使っていた[12]。ただし、「新しいドア〜冬のひまわり〜」がサッポロビール、「もっと近くで君の横顔見ていたい」「今日はゆっくり話そう」が、月桂冠のCMソングに起用されていた。
- 生前、歌手デビュー以前の経歴は、一部の雑誌メディアを除いて公式に発表・報道されなかったが、死後、新聞・テレビのニュース番組でも報じられ、事務所の公式ブックにも記載されるようになった。
- ファンクラブ会報に記されていた「皆さんお元気ですか? 味わい深い日々を送ってくださいね」が、ファンに向けて発せられた最後のメッセージとなった[13]
脚注
- ↑ グループfuture『ZARD&坂井泉水プロファイリング』アートブック本の森 2000年8月) ISBN 4876935505
- ↑ グループfuture 『ZARD&坂井泉水ストーリー』飛天出版 1999年8月 ISBN 4894401487
- ↑ "ZARD坂井泉水さん、闘病中の病院で転落死" 朝日新聞: 2007-5-28. 2007年5月28日閲覧.
- ↑ 大黒摩季は「負けないで」「君がいない」「揺れる想い」などの曲にコーラスで参加している。
- ↑ "ZARDベスト盤がオリコン3位に…史上初300位圏外から急上昇" サンケイスポーツ: 2007-6-5. 2007年6月5日閲覧.
- ↑ 坂井泉水さんの急死、韓国メディアも一斉に報道 - 朝鮮日報
- ↑ 日歌手坂井泉水 墜樓梯身亡 - 民視
- ↑ 『ZARD-坂井泉水さんを偲ぶ会』に織田哲郎、大黒摩希ら「残念」 ニュース-ORICON STYLE-
- ↑ 長嶋茂雄名誉監督、B'z、倉木らが、坂井さんに追悼コメント ニュース-ORICON STYLE-
- ↑ (2007-6-28) 坂井さんを偲び、最後は3500人が「負けないで」を大合唱 Oricon Style 2007-6-28 [ arch. ] 6月28日
- ↑ 坂井さんの素顔『デイリースポーツ』朝刊(2007年5月29日付)第24面
- ↑ (2007-5-29) ZARD坂井泉水さん病院階段から転落死 日刊スポーツ 2007-5-29 [ arch. ] 5月29日
- ↑ ファンクラブ会報誌「WEZARD」第36号 存命中最後の会報(ファンクラブ自体は坂井の死後も存続している)
関連項目
外部リンク
- WEZARD.net(公式サイト)