記者クラブ
記者クラブ(きしゃ-)とは、首相官邸、省庁、地方自治体、地方公共団体、警察、業界団体などに設置された記者室を取材拠点にしている、特定の報道機関の記者が集まった取材組織。このような特定のメディア以外を排除する組織は、外国にそれに当てはまる組織も言葉もないため kisha clubと言う日本語がそのまま外国でも使われる。かつて日本統治時代の名残で韓国にも存在したが、現在は盧武鉉大統領の命令により廃止されている。
目次
歴史
- 1890年
- 第1回帝国議会の新聞記者取材禁止の方針に対して、『時事新報』の記者が在京各社の議会担当に呼びかけ「議会出入記者団」を結成、10月にはこれに全国の新聞社が合流し、名称を「共同新聞記者倶楽部」と改め記者クラブが始まる。
- 1941年5月
- 新聞統制機関「日本新聞連盟」の発足に伴い、記者クラブの数は1/3に減らされ、クラブの自治が禁止。
- 1949年10月26日
- 日本新聞協会は『記者クラブに関する方針』を作成し、記者クラブを「親睦社交を目的として組織するものとし取材上の問題にはいっさい関与せぬこと」と規定。
- 1997年12月
- 日本新聞協会は記者クラブを公的機関が保有する情報へのアクセスを容易にする「取材のための拠点」と改める。
- 2001年5月15日
- 田中康夫長野県知事が「脱・記者クラブ宣言」を発表した。
- 2005年3月24日
- ライブドアがインターネットメディアとして初めて気象庁記者クラブに加盟を申請。
- しかし、2006年3月15日、前社長・堀江貴文が証券取引法違反で起訴されたことを理由に申請を出席社の全会一致で却下[1]。
- 2005年7月9日
- フリージャーナリスト(ルポライター)寺澤有と船川輝樹週刊現代副編集長が警察庁と記者クラブ加盟社15社を相手どり、警察庁庁舎内で行われる記者会見などに出席し質問することを妨害してはならない、との仮処分申請を東京地方裁判所、東京高等裁判所に申し立てるが棄却。最高裁判所に特別抗告している。
- 2005年11月8日
- 放火事件で逮捕されたNHK大津放送局の記者が所属していた滋賀県警記者クラブを滋賀県警が家宅捜索。
報道協定
また記者クラブは報道をする時に報道協定を結ぶがその連絡の際に記者室の黒板を使うことから「黒板協定」がとられる場合が多々ある。 報道協定を結ぶ場合、多くは過剰な取材合戦を避ける狙いもある。また、警察などに詰めかけているものには誘拐事件などの被害者保護の為に結ぶ場合もある。
雑誌記者クラブ
1956年に社団法人日本雑誌協会が設立され、この中に「雑誌編集に関する取材活動の便宜をはかるため、協会会員社によって、日本雑誌記者会、日本雑誌写真記者会」が設けられる。
記者クラブの利点と弊害
擁護派の主張によると記者クラブを設置することにより、官庁などでは公式発表などを迅速にメディアに伝えることが可能となる。特に伝える側が発表時刻を記者クラブに連絡して報道を簡素化できる。同時に、記者室には報道各社毎の通信設備も設置でき、取材から編集までの時間が大幅に短縮できる。また、地方自治体に於いても情報を提供したい場合など、上位の自治体に設置されている記者クラブに連絡することにより情報発信が容易となる。さらに、一定の信頼性を有するメディアに所属する記者などに限定して情報を発表することにより、歪曲された報道を抑止するという効果も持つ。極めて慎重に扱うべき問題を発表する警察機関などでは、報道被害を未然に防ぐという意味でフリー記者を排除する一定の合理性が存在することも否定できない。また、歴史的に一定の信頼関係を築いてきたメディア所属の記者と、信頼関係を築いていないフリー記者を同列に扱うのは間違いであるという主張もある。
ただし外国では広報担当者がこれらの情報を公示する、あるいは会員制でなく登録制の記者会見を開くことでまったく同じ目的を達成しており、日本のような会員制の記者クラブが必ずしも必要とはいえないという主張もあり、擁護論は詭弁との批判的意見も存在する。未然に発表すると害をなすかもしれない情報は公表しないようにするのは警察の責任で記者クラブの責任ではないと主張するフリー記者までいる。また、取材する側とされる側の馴れ合い、癒着、場合によっては政府による言論操作を象徴するものと反対派は主張している。
戦後、親睦団体として再出発したにもかかわらず、特定の新聞社・放送局が取材を独占し[2]、情報操作が容易になり、中小メディア・フリージャーナリスト・海外報道機関の加入をクラブ側が拒否する状態が今でも続いている。また、取材対象との癒着も生じやすい為、記者クラブの存在は日本の閉鎖性や封建制を象徴するものとして批判する立場もある。
また懇談会などで出た所謂オフレコを報道することに関してクラブ内の取り決めによって規制されるケースがある。こうした取り決めに違反した場合、記者クラブへの出入りを禁止する等の措置が取られることが多々ある。
省庁、地方公共団体、警察の場合、税金で設置されている記者室を記者クラブの加盟社が独占的に使用していること、それによって癒着が生じることなどが批判されている。地方の官庁を合わせると年間6億円が使われているという。
記者室にいる記者は記者会見の内容を要約するだけの仕事が主になり、発表内容が真実かどうか確かめることが疎かとなり情報操作に惑わされやすくなる、色々な場所に出向き調査して報道できる記者が育たなくなるなどの批判が出ている。その結果、報道では記者クラブによる発表報道が多くを占めることになり、また、記者クラブ制度によって記者と政治家の距離が縮まり、結果的に癒着関係が起こるという指摘もあり、コラムニストの勝谷誠彦は記者クラブ制度を「最大の利権談合共産主義」として痛烈に批判している。その証拠として、衆議院議員河野太郎は(日本のメディアでは)記者が政治家から食事をご馳走になるのは当たり前、政治家が外遊する際には同じホテルに泊まり、「政治家と記者はよいお友達」になることがメディアでは「良い記者」とされている現状を指摘している(「隠すマスコミ、騙されるマスコミ」小林雅一 文春新書より)。また、松本サリン事件では警察庁から記者クラブを通じて与えられた情報が元となって第一発見者を犯人視する報道がなされた。
また、記者クラブは新規参入メディア、外国のマスメディア、フリージャーナリストの加盟を中々認めないなど閉鎖的な体質が批判されている。これを受けて日本新聞協会は外国人特派員協会加盟社は新聞協会加盟社を同等に扱うとの方針を打ち出して、1990年代後半にロイターが兜クラブの加盟を認められた。以後、ブルームバーグやダウ・ジョーンズなど日本国内で大規模な報道網を持つ外資メディアは大半のクラブに加盟し、幹事業務にも携わっている。
しかし、このようなことができる外資メディアはごく一握りで、大半の在京外資メディアは記者が数人しかいないので、記者クラブに加入して記者を常駐させることなどは不可能である。
実際にはEU(欧州連合)からは記者クラブ制度は閉鎖的であるとし、日本の外務省発行の記者証を持つジャーナリストには公的機関での取材をすべて開放し記者クラブ制度を廃止すべきだと主張も出ている。これは英国人女性失踪・殺害事件でクラブ未加盟の外国人記者が警察での記者会見に出られなかったことや小泉首相の朝鮮民主主義人民共和国訪問の際、非加盟社が同行取材を拒否されたことが背景として挙げられる(飯島勲秘書官の発言)。また、言論の自由やジャーナリストの権利を守るための活動をしているジャーナリスト団体である「国境なき記者団」も日本政府に対して記者クラブ制度の廃止を求めている(外国人記者クラブも参照)。
出来事
- 古くは1921年にガス会社がガスの値上げの承認のために当時の東京市議会の市議に贈賄工作を行ったが、その際市役所や警視庁の記者クラブに詰めていた新聞記者にも贈賄工作が行われていたことが発覚し、世論から糾弾された(東京ガス疑獄事件)。
- 1998年、TBSで放送された『総理と語る』では、当初同局がビル・クリントン大統領とのタウンミーティングを成功させたことを踏まえた上で、『ニュース23』キャスターの筑紫哲也が、当時の小渕恵三首相に対し、クリントンと同様の形式で、タウンミーティングを行うことを打診した。これに対し、小渕本人も乗り気だったが、記者クラブ側の反対で頓挫した。結局『総理と語る』はこれまで通りの形式で行うことになった[3]。
- 1999年、東京高検検事長の女性問題を調査していた最高検次長検事が、法務省内で複数の記者に対し「確かに浮気はあったかもしれないが、みんなそういうことを活力にしているんだ。この建物(法務省)の中の半分以上の検事はそう思っている」と発言。しかしこの発言は、記者クラブに所属していなかった西日本新聞が記事にするまで、記者クラブ内ではさほど問題にされなかった。
- 1999年、農水省記者クラブの会見場に国旗を置くことを巡り、一部メディアと農水省関係者が揉める事件が起こった。当時は「国旗国歌法」が成立した直後で、強制の有無を巡って議論となっていた中で起こった事件であった。この時の一部メディアの行動に対しては「国旗国家法」を支持する側だけでなく、同法に批判的な側からも「そもそも農水省の庁舎内で騒ぐこと自体がおかしい」「記者クラブのエゴではないか?」との批判が出た。
- 2000年6月25日、首相官邸敷地内にある記者クラブ「内閣記者会」で『明日の記者会見についての私見』と題するメモが落ちているのが見つかった。このメモは2000年5月26日に行われた当時の首相・森喜朗の神の国発言の釈明会見で、記者側の追及をかわす方策を記した首相宛ての「指南書」とみられた。またこの問題をめぐっては主要週刊誌がその指南書を書いたメディア(NHK)を実名で取り上げたにも関わらず内閣記者会側はこの問題の真相究明には消極的だった。この指南書はNHKが記事出稿に使用する「5300」と呼ばれる端末内にある「連絡メール」の印刷様式と同じであった。また、NHKでしか使わない「民放」という表記があった。
記者クラブをめぐる論争
記者クラブに批判的な側は、記者クラブを無くすことによって、現在報道の7割を占めている当局による発表報道が大幅に減り、諸外国のメディアのように調査報道や深く掘り下げた報道が大幅に増え、これまでのような同業他社による馴れ合いが無くなり、マスコミ間に緊張関係が生まれ、結果的に読者・視聴者にプラスになると主張している。
元共同通信記者でジャーナリストの魚住昭は「官庁の集めた二次、三次情報をいかに早く取るかが仕事の7、8割を占めてしまうと、実際に世の中で起きていることを察知する感覚が鈍る。役人の論理が知らず知らず自分の中に入り込み『統治される側からの発想』がしにくくなる。自分はそうではないと思っていたが、フリーとなって5年、徐々に実感するようになった。」(2001年5月26日付朝日新聞)と記者クラブにいることによって記者の精神的荒廃が起こり、ジャーナリストとしての感覚が鈍ってしまうと指摘している。
しかし一方で、記者の報道姿勢や行動様式が変わらない限り、記者クラブが無くなっても何も変わらないとの批判もある。つまり、サツ周りや夜討ち朝駆けといった情報収集主体の報道姿勢を改めない限り記者クラブが無くなったところで何も代わらないというのである。また、記者クラブが無くなった場合、売名目的で歪曲報道を行うフリー記者などが多数出現してしまうと危惧する意見もある。実際、アメリカではホワイトハウスの通常会見に出席していた、保守系ニュースサイトの記者ジェームズ・ガカートが、ジェフ・ギャノンという偽名でホワイトハウスに出入り、また違法なポルノサイトを運営していたことがメディア監査団体の調査で明らかとなり問題になったことがある。
なお、記者クラブ制度に反対する団体の中に、政治色の強い団体があることが確認されており、記者クラブ制度がなくなった場合、官庁の公的な情報発信そのものが事実上なくなってしまう可能性があるとする意見も出ている。
また、地方公共団体の中には記者クラブを廃止する団体が増えているが、結果として広報窓口そのものが事実上無くなってしまっているケースがある。マスコミの取材を受け付けないようにすることで、スキャンダルの報道を未然に防ぐことが出来るため、国民の知る権利が損なわれるという懸念も出ている。
近年、インターネットの普及により新聞離れやテレビ離れが進み、将来的に新聞社やテレビ局が経営危機に陥った場合記者クラブに記者を常駐させることができなくなり、新規加盟を認めない記者クラブの閉鎖性が結果的に国民の知る権利を損なう恐れを指摘する声も出ている。
記者クラブ廃止の動き
国政レベルでは1994年に当時新生党代表幹事だった小沢一郎が記者クラブ以外の雑誌社記者も会見に参加できるという当時では画期的な試みを行ったが小沢とメディアとの対立などもあって途中で挫折に追込まれた。
また2002年には当時民主党幹事長だった岡田克也がスポーツ紙や週刊誌や外国報道機関などのあらゆるメディアが会見に参加できる方式を導入した(これまでは野党クラブ以外のメディアが会見に参加することが出来なかった)。
また地方公共団体の首長や業界・経済団体の中には、記者クラブの弊害に気付き、記者室を閉鎖したものもある。
1993年6月東京証券取引所記者クラブである「兜倶楽部」はこれまで加盟資格は日本の報道機関に限られていた規約を改正し新たに「日本新聞協会加盟社に準ずる報道業務を営む外国報道機関」と付記し事実上外国報道機関にも門戸を開放した。
1996年4月、神奈川県鎌倉市は全国紙や地元紙の神奈川新聞など6社でつくる「鎌倉記者会」に市役所内の記者室を使わせるのを止め、その場所を市に登録した全ての報道機関が利用できる「広報メディアセンター」として開放した。当時の市長・竹内謙(元朝日新聞編集委員、現・インターネット新聞janjan代表)の「一部の報道機関でつくる記者クラブが、税金で賄う市の施設を独占するのはおかしい」という考えによるものであった。
1999年3月、経団連機械クラブが廃止。この記者クラブは、電機、造船、半導体、自動車など取材拠点として運営されていたが、家主の経団連側が退去を要求。報道側と発表主体企業側とでクラブ存続の方策が議論されたが、打開策が見つからないままクラブは消滅した。この背景には電機メーカー側はオープンな記者会見を行い、ニュースリリースもメールを利用していたので、クラブを使うメリットが少なかったからと言われている。一方、自動車業界はクラブを存続させるため、日本自動車工業会の中に「自動車産業記者会」を設置したが、朝日、読売、毎日、日経が参加を拒否し、事実上、記者クラブとして機能していない。
1999年7月、日本電信電話(NTT)の記者クラブ「葵クラブ」が、NTTの再編に伴って廃止。葵クラブについては、かねてから一民間企業に記者クラブがあったことについての問題が指摘されていたが、NTT再編を機に報道各社で作る経済部長会が葵クラブを記者クラブとして認めないことで一致。一方、NTT側もクラブ加盟社以外の雑誌や海外メディアに記者室を開放する狙いからクラブの廃止を受け入れた。
2001年6月8日、東京都は都庁内の鍛冶橋・有楽記者クラブに対し同年10月からクラブ及びスペースの使用料を支払うよう申し入れたが後にこれを撤回し光熱・水費と内線電話代に限って徴収することになった。また石原慎太郎東京都知事は週刊誌や外国報道機関が会見に参加できないことについて疑問を呈している。
2004年3月30日、外務省は、中央官庁、都道府県庁、警察などに対し、外国メディアの記者を会見に参加させるよう依頼する文書を発送した。
2006年3月14日北海道は厳しい財政状況等を踏まえ新年度から「道政記者クラブ」に対し光熱費・水道料金等約250万円の支払いを求めることを決めた。
長野県の「脱・記者クラブ宣言」
2001年5月15日、前長野県知事・田中康夫は「脱・記者クラブ宣言」[4]を発表した。県庁にある3つの記者室を閉鎖し、誰でも利用できるプレスセンター「表現道場」(後に「表現センター」に改称)を設置するというものだった。
大手マスコミの情報独占を止めさせることが目的だったが、主催が記者クラブから県に移ったことにより、記者から質問ができなくなった。逆に田中は記者を質問攻めにしたため、これにより大手マスコミから激しく非難され県内外の大手マスコミとの確執を生んだと言われている。特に信濃毎日新聞(信毎)は、田中から執拗に質問を受けるなど、信毎は「記者会見に名を借りた糾弾だ」との抗議していた。
2006年10月3日、現知事・村井仁は「表現センター」を「会見場」に名称を変更することを発表した。また、田中時代と同様に一般の人も申し込めば会見に参加できるようにするとしている。会見は県主催なので、参加に制限はない。しかし、マスコミ各社が不満としているのは、県主催のため一方的な情報提供に終わり、質問が自由に行えないと言うことにあるという。
(長野県のプレスセンターを含めた、その後の動向についての記述をお待ちしています。)
主な記者クラブ
下記以外にも都道府県庁など各所に記者クラブは存在する。
- 兜倶楽部
- 東京証券取引所内に設置された記者クラブ。決算発表や、株価に重要な影響を及ぼすような出来事については、企業はこのクラブで発表するのが基本とされている。
- ときわクラブ
- 旧国鉄の記者クラブ。現在はJR東日本の本社にある。運輸を担当している記者は国土交通省のクラブに詰めているため、ときわクラブに常駐している記者はまばら。毎日新聞記者時代の種村直樹も所属したことがあり、種村がレイルウェイライターとなってから執筆したフィクションには「ときわ」をもじった架空の固有名詞がいくつか登場する。
- 霞クラブ
- 外務省の記者クラブ。日本や海外のマスコミの記者が常駐している。
- 国土交通省記者クラブ
- 旧運輸省と旧建設省、旧国土庁が統合したのに合わせてそれぞれの記者クラブも統合した。
- 寄り合い所帯の様相が強く、交通政策の取材をしている記者の隣に座っている記者はゼネコンの債権放棄問題を取材しているなどの光景が繰り広げられている。
- 重工業研究会(重工クラブ)
- 東京・中央区にある日本鉄鋼連盟の中にある記者クラブ。鉄鋼連盟にあるにもかかわらず、常駐記者は非鉄金属、化学、繊維、ゴム、紙、ガラス、化粧品、日用品(ライオン、花王など)、医薬品、アパレルなどを担当している。経済系の記者クラブとしては最も担当業界の範囲が広い。
- クラブの名前からしばしば三菱重工や石川島播磨重工などを取材するクラブと誤解される。
- 本石繊維会
- 東京・日本橋本石町にある繊維と製紙の両業界を取材する記者が拠点とする記者クラブ。
- 正式な記者クラブではなく、重工クラブの分室という位置付け。2002年に重工クラブと統合。
- 日銀クラブ
- 日本銀行内の記者クラブで、常駐記者は日銀だけでなく、銀行、保険など民間金融機関も取材する。
- 自動車産業記者会
- 当初は経団連機械クラブの分室という位置付けだったが、機械クラブ閉鎖に伴って1999年に設立。
- ただ、日経、朝日、読売、毎日の4紙が記者クラブに参加しないことを決めたため主要4紙が加わらない記者クラブに。このため、新聞協会は自動車記者会を記者クラブと認めていない。
- また、新聞協会の非加盟社、日刊自動車新聞は自動車クラブの常駐社。
- 東商記者クラブ
- 東京・丸の内にある東京商工会議所にある記者クラブ。
- このクラブは会議所側が中小企業をマスコミに取材してもらおうという意図で設立を働きかた。しかし、現実には、流通やサービス、ノンバンク、食品業界を取材する拠点になってしまい、中小企業を取材する社は皆無に等しい。会議所側はこれに対して不満で再三、中小企業を取材するよう要望するものの実現には至っていない。
- このため、クラブ運営をめぐって会議所と報道側の関係はかならずしもしっくりいっておらず、クラブ閉鎖の噂がたびたび浮上している。
- 青灯倶楽部
- 永田クラブ
- 総理大臣官邸の敷地内にある記者クラブ。最近は「官邸クラブ」などと呼称する場合が多いが、正式には内閣記者会と称する。永田クラブ所属の記者は、主に内閣総理大臣、内閣官房長官、官房副長官や官邸や内閣府の取材を担当する。
- 映放クラブ
- 国会議事堂、衆議院内にある、在京テレビ局6社(NHK・日本テレビ・TBS・フジテレビ・テレビ朝日・テレビ東京)が加盟している、テレビニュースカメラマン専用の記者クラブ。 ちなみに、テレビニュースカメラマン専用の記者クラブは映放クラブが日本で唯一。
- 民放クラブ
- 衆議院内にある、ラジオニュース専門の記者クラブ。正式には国会放送記者会と称する。民放クラブ所属の記者は、主に政治取材における記者会見やぶらさがり取材の録音をする。
- ちなみに、民放クラブにNHKは加盟していない。NHKのラジオニュースはテレビニュースの音声を使用するため。
- 平河クラブ
- 自民党本部内と衆議院内にある記者クラブ。平河クラブに所属する記者は、主に自民党、公明党の取材を担当。
- 自民党本部の平河クラブは「党本部平河」、衆議院内にある平河クラブは「院内平河」として区別している。所属する記者は、国会開会中は院内平河に、国会閉会中は党本部平河に詰める場合が多い。
- 野党クラブ
- 国会議事堂、衆議院内にある記者クラブ。野党クラブに所属する記者は、主に民主党、共産党、社民党の取材を担当する。
- 宮内庁記者クラブ
- 警視庁の記者クラブ
- よくテレビのニュースで「警視庁記者クラブからです」と言うが正確ではない。
- 警視庁には3つのクラブが存在している(除く業界紙)。
- 朝日、毎日、読売、東京、日経、共同の新聞・通信社6社が加盟する「七社会」。昔はここに時事新報も加盟していたので、7社の加盟で七社会に。警視庁の記者クラブの中では最も歴史と権威がある。
- NHK、産経、時事、ニッポン放送、文化放送、MXテレビが加盟する「警視庁記者倶楽部」。実質的に常駐しているのは前3社で記者クラブの中では最小規模。
- 日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京の民放5社が加盟するのが「ニュース記者会」。
- この3クラブはそれぞれ独自の会計で運営されている。
- 東京消防庁記者クラブ
- 警視庁記者クラブの記者が兼務しているので常駐社は事実上いない。
- 三田クラブ
- 労働運動に関連する記者クラブ。正式名称は労働運動記者会(所在地は労働委員会会館内)。 連合通信社[1](東京都港区芝1丁目4番9号)が幹事社である。以前は総評などが情報提供をし、加盟紙誌記者が取材していた。現在は連合が関与している。その中で労働情報としんぶん赤旗の2紙誌は、旧全逓(現・JPU)の巨額負債事件や組合予算使い込み事件を報じたため、旧全逓によって加盟を妨害されたことがある。
外国の「記者クラブ」
外国では日本のような「記者クラブ」のシステムは韓国にのみ存在し、日本の併合時代からの影響だと言われている。韓国でも記者クラブの弊害が指摘されているが、2001年6月11日には京畿道城南市庁に出入りする『京仁日報』『全国毎日』など11の地方新聞社の記者が自ら記者クラブを散し記者室から撤収するなど、マスメディアの自主的な改革や同年に仁川国際空港の記者会見から排除されたインターネット新聞「オーマイニュース」が排除差止めを求める訴訟を起こし認められたことも記者クラブ解体に拍車をかけることになった[5]。
更に2003年には盧武鉉大統領の方針によって大統領府(青瓦台)の記者クラブを解体し新たにインターネットメディアや外国報道機関などにも門戸を開く会見室を設置した。これによって青瓦台に登録すれば会見に参加できるようになった。
アメリカにも国防総省などでは比較的に日本に似た「記者クラブ」は存在するものの少数であり、また日本と違ってサロン的色彩が強い。
アメリカのホワイトハウスでは、特定の大手メディア記者を秘密裏に呼び集めて「ブリーフ」と称する、メンバー制の秘密会見を行っている。しかしそれ以外ではジャーナリストであれば誰でも発行してもらえる「記者証」によってホワイトハウスや各省庁の記者会見に参加することが可能である。ただし「記者証」を発行してもらう為には厳重なセキュリティーチェックを受けなければならずまた発行されるまでに数ヶ月程度時間がかかることもある。
また最近ではインターネットのブログでニュース報道を配信しているブロガーに記者証を発行し話題になった一方でウェブ上でニュース報道を配信しホワイトハウスから記者証を発行されていた保守系ニュースサイトの記者が違法ポルノサイトを運営、違法取引を行っていたことが発覚しセキュリティーチェックの不十分さが指摘された。
イギリスではこれまでは議会記者証を持った記者だけが対象のブリーフィングが行われていたが、ブレア政権になってからフリー記者の会見参加が認められるようになった。またブレア政権発足までブリーフィングはオフレコ扱いとされていた。
フランスではジャーナリストであれば「プレスカード」が発行されるが、この発行を受ける場合はメディアの関係者とジャーナリストで作られている「プレスカード委員会」の審査を受けなければならない。またこの「プレスカード」によって大統領府(エリゼ宮)や各省庁の記者会見に参加することができる。
その他
全国の多くの記者クラブでは、記者クラブのメンバーと地元官公庁や企業広報担当者との間で懇親会(忘年会・暑気払い・送別会など)が行われたりしている[2]。地方の小規模の記者クラブほどその傾向が強いとも言われる。違法行為というわけではないが、ジャーナリストとしてふさわしくないという意見もある。
2002年に内閣官房報償費(所謂官房機密費)問題がクローズアップされた際、毎年行われる内閣記者会の忘年会や新年会更には慰安旅行に行く際に、官房長官が記者会側に餞別を渡し、しかもその餞別が内閣官房報償費から出ていたことが発覚し問題になったことがある。
2005年には館林市の市長と報道各社による定例会見後の昼食代が、公費から支出されていたことが市議会議員の質問で明らかになり、館林市は公費負担を廃止する意向を表明した。
脚注
- ↑ 徳永裕介 「LDニュースのクラブ加盟却下」 ライブドア 2006年3月15日。
- ↑ 2.0 2.1 安居院文男 「『あるある』渦中フジ社長、記者クラブ員と豪華宴会(上)」 ライブドア、2007年2月3日。
- ↑ 筑紫はこの顛末を著書『ニュースキャスター』で明らかにしている。因みに筑紫は記者クラブ制度について批判的なことでも知られている。
- ↑ 田中康夫 『「脱・記者」クラブ宣言』 長野県、2001年5月15日。
- ↑ 「『輸出先』韓国で先行する記者クラブ改革」 まだ旧体制下の新聞と月極契約している人たちへ。
関連項目
参考文献
- 「記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解」
- 「日本新聞協会」、2002年1月17日。
- 岩瀬達哉 『新聞が面白くない理由』 講談社、1998年6月。ISBN 978-4062732857
- 筑紫哲也 『ニュースキャスター』 集英社、2002年6月。ISBN 978-4087201451
- 筑紫哲也他 『職業としてのジャーナリスト―ジャーナリズムの条件〈1〉』 岩波書店、2005年2月。ISBN 978-4000263979
- 田中良紹 『メディア裏支配 語られざる巨大マスコミの暗闘史』 講談社、2005年3月。ISBN 978-4062128346
- 柴山哲也 『日本型メディアシステムの興亡 瓦版からブログまで』 ミネルヴァ書房、2006年6月。ISBN 978-4623046089
- 山田直樹他 『追跡!平成日本タブー大全 2』 宝島社、2006年10月。ISBN 978-4796650250
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