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[[File:1960 Protests against the United States-Japan Security Treaty 07.jpg|thumb|300px|国会を取り囲んだ[[デモ隊]](1960年6月18日)]]
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'''安保闘争'''(あんぽとうそう)は、[[1959年]]([[昭和]]34年)から[[1960年]](昭和35年)、[[1970年]](昭和45年)の2度にわたり[[日本]]で展開された[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約|日米安全保障条約]](安保条約)に反対する国会議員、労働者や学生、市民および批准そのものに反対する国内左翼勢力が参加した日本史上で空前の規模の反政府、反米運動とそれに伴う政治闘争、傷害、放火、器物損壊などを伴う大規模暴動である。[[自由民主党_(日本)|自由民主党]]など政権側からは、「'''安保騒動'''」とも呼ばれる。
  
絶体絶命でんぢゃらすじーさん
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60年安保闘争では安保条約は国会で強行採決されたが、岸内閣は混乱の責任を取り総辞職に追い込まれた。しかし70年安保闘争では、闘争に参加していた左翼の分裂や暴力的な闘争、抗争が激化し運動は大衆や知識人の支持を失った。
  
絶体絶命でんぢゃらすじーさん(ぜったいぜつめい - )は曽山一寿の漫画。2000年12月号から現在までコロコロコミック及び別冊コロコロコミックにて連載中である。過去には小学四年生、小学三年生、ちゃおや週刊少年サンデーにも掲載された。
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[[日ソ共同宣言|日ソの国交回復]]以降在日[[大使館]]や[[通商代表部]]に潜入した[[ソ連国家保安委員会]](KGB)工作員や、[[日本社会党]]や[[労働組合]]等に多数侵入した誓約引揚者(ソ連のスパイ)等が、[[ソビエト連邦|ソ連]]による安保改定阻止の意向を受けてスパイ活動を行い、運動が拡大化したという側面がある。
目次
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    1 概要
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== 安保条約 ==
    2 人気・評価
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[[1951年]](昭和26年)[[9月8日]]に、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[サンフランシスコ]]において、アメリカや[[イギリス]]をはじめとする[[第二次世界大戦]]の[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]47ヶ国と日本の間で、[[日本国との平和条約]](サンフランシスコ平和条約)が締結されたが、主席全権委員であった[[吉田茂]]首相は、同時に平和条約に潜り込まされていた特約(第6条a項但し書き。二国間協定による特定国軍のみの駐留容認)に基づく「[[日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約]]」(旧日米安全保障条約)に署名した。この[[条約]]によって日本を占領していた[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍の1国である[[アメリカ軍]]は「[[在日米軍]]」となり継続して日本に駐留する事が可能となった。
    3 主な登場キャラクター
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    4 主な建物・場所
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    5 用語
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    6 ゲーム
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    7 アニメ
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        7.1 スタッフ
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        7.2 番外編
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            7.2.1 住宅ヒーロー7階建てマン
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            7.2.2 ボンバー井上のニコニコお料理コーナー
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            7.2.3 最高料理人味助
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            7.2.4 闘え!公園番長
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            7.2.5 冒険少年レオン
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            7.2.6 炎の教師、熱血先生
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            7.2.7 勉強大好きドリル兄さん
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    8 ぼくのおじいちゃん
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    9 その他
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    10 放送リスト
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    11 外部リンク
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概要
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なお、当時冷戦下でアメリカやイギリス、[[フランス]]などのいわゆる「西側諸国」と対峙していた[[ソビエト連邦]]は、西側諸国主導のサンフランシスコ平和条約に対立の意思を示し、49カ国の条約締結国には入らなかった上に、自国を事実上の[[仮想敵国]]([[ソ連脅威論]])とした日米安全保障条約に対しても激しく非難を行った。
  
じーさんと孫が織りなす不条理ギャグコメディ。第50回(平成16年度)小学館漫画賞児童向け部門受賞。TVアニメ(テレビ東京系「ギャグコロスタジオ」内)やテレビゲームにもなった。「絶体絶命でんじゃらすじーさん」「絶対絶命でんぢゃらすじーさん」は誤字。
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== 60年安保 ==
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=== 衆議院通過までの過程 ===
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1951年(昭和26年)に締結された安保条約は、[[1958年]](昭和33年)頃から[[自由民主党]]の[[岸信介]]内閣によって改定の交渉が行われ、1960年(昭和35年)1月に岸首相以下全権団が訪米、[[ドワイト・D・アイゼンハワー]]大統領と会談し、新安保条約の調印と同大統領の訪日で合意。[[1月19日]]に新条約が調印された。
  
今現在、おはスタの中で放送中。(7:00~7:02)2004年4月~2005年3月まではギャグコロスタジオで放送されていた。
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新安保条約は、
人気・評価
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# [[内乱]]に関する条項の削除
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# 日米共同防衛の明文化(日本をアメリカ軍が守る代わりに、在日米軍への攻撃に対しても自衛隊と在日米軍が共同で防衛行動を行う)※アメリカ軍の防衛の明文化はされていないとの反論が多数されている。
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# 在日米軍の配置・装備に対する両国政府の[[事前協議]]制度の設置
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など、安保条約を単にアメリカ軍に基地を提供するための条約から、日米共同防衛を義務づけたより平等な条約に改正するものであった(※より平等でないとの意見もあり)。日米共同防衛義務がないとの意見がある。[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約]]の項目を参照。)
  
コロコロコミックの中では長期連載の部類に入る。上位に掲載されていることが多く、時折表紙にも大きく書かれていることから、看板的な存在で根強い人気を誇っているといえる。 しかし、批判的な意見も多い。「何でもやって笑わせる」と言うギャグのスタイルはボボボーボ・ボーボボ・浦安鉄筋家族でも同様で、下ネタやブラック(人が死ぬ、流血など)なギャグを主体とするため、保護者層からの反応は芳しくない。
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岸首相が帰国し、新条約の承認をめぐる国会審議が行われると安保廃棄を掲げる[[日本社会党]]の抵抗により紛糾した。締結前から、改定により日本が[[戦争]]に巻き込まれる危険が増すという懸念や、在日米軍裁判権放棄密約から派生する在日米兵犯罪免責特権への批判([[在日米軍裁判権放棄密約事件]]の項目参照)により、反対運動が高まっていた。[[スターリン批判]]を受けて共産党を脱党した急進派学生が結成した[[共産主義者同盟]]([[ブント]])が主導する[[全日本学生自治会総連合]](全学連)は「安保を倒すか、ブントが倒れるか」を掲げて、総力を挙げて、反安保闘争に取り組んだ。
  
注意:以降に核心部分が記述されています。
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まだ第二次世界大戦終結から日が浅く、人々の「[[戦争]]」に対する拒否感が強かったことや東條内閣の閣僚であった岸首相本人への反感があったことも影響し、「安保は日本をアメリカの戦争に巻き込むもの(※在日米兵犯罪免責特権への批判もあり)」として、多くの[[市民]]が反対した。これに乗じて既成革新勢力である社会党や[[日本共産党]]は組織・支持団体を挙げて全力動員することで運動の高揚を図り、[[総評]]は国鉄労働者を中心に「安保反対」を掲げた時限ストを数波にわたり貫徹したが、全学連の国会突入戦術には皮相的な立場をとり続けた。とりわけ共産党は「極左冒険主義の全学連([[トロツキスト]]集団<ref>[[レフ・トロツキー|トロツキー]]支持者とは限らず、共産党と敵対する左翼全般への非難用語として使われた。[[ニセ「左翼」暴力集団]]も参照</ref>)」を批判した。これに対し批判された当の全学連は、既成政党の穏健な[[デモ活動]]を「お[[焼香]]デモ」と非難した。
主な登場キャラクター
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サブキャラクターは「絶体絶命でんぢゃらすじーさんのサブキャラクター一覧」を参照。
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なお、ソ連共産党中央委員会国際部副部長として、日本をアメリカの影響下から引き離すための工作に従事していた[[イワン・コワレンコ]]は、自著『対日工作の回想』のなかで、[[ミハイル・スースロフ]]政治局員の指導のもと、ソ連共産党中央委員会国際部が社会党や共産党、総評などの「日本の民主勢力」に、「かなり大きな援助を与えて」おり、安保闘争においてもこれらの勢力がソ連共産党中央委員会国際部とその傘下組織と密接に連絡を取り合っていたと記述している。
  
    じーさん (声優:中村大樹)
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[[File:1960 Protests against the United States-Japan Security Treaty 01.jpg|thumb|right|250px|衆議院における強行採決]]
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[[5月19日]]に[[衆議院]][[日米安全保障条約等特別委員会]]で新条約案が[[強行採決]]され、続いて[[5月20日]]に衆議院本会議を通過した。委員会採決では、自民党は座り込みをする社会党議員を排除するため、[[右翼]]などから屈強な青年達を[[公設秘書]]として動員し、警官隊と共に社会党議員を追い出しての採決であった。これは、[[6月19日]]に予定されていたアイゼンハワー大統領訪日までに[[自然成立]]させようと採決を急いだものであった。本会議では社会党・民社党議員は欠席し、自民党からも強行採決への抗議として[[石橋湛山]]、[[河野一郎]]、[[松村謙三]]、[[三木武夫]]らが欠席、あるいは[[棄権]]した。
  
        世の中の危険から生き抜く方法を教える一人の老人(むしろもっと危険になってることが多い)。ハラマキにランニングシャツという典型的なおじさんの格好をしている。たまに腕や足、体などがのびたり、コスプレ(時には変身)したりする。将来の夢は課長。「孫爺砲」と言うエネルギー波動砲の様な必殺技を持っているが、この技は後頭部から出てくる。「失恋大爆笑パンチ」という必殺技も持っているが、作中ではきちんと披露されないまま終わっている。その他「大自然どすこいチョップ」など多数の技をもつ。(ほとんどの技は名前だけで派手さはなし。)好きな言葉は「酒池肉林」、好きな食べ物は「ソース」、好きな動物は「イリオモテヤマネコ」で好きな駅が「西日暮里駅」。
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=== 闘争の激化 ===
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その結果、「[[民主主義]]の破壊である」として一般市民の間にも反対の運動が高まり、[[国会議事堂]]の周囲をデモ隊が連日取り囲み、闘争も次第に激化の一途をたどる。反安保闘争は次第に反政府・反米闘争の色合いを濃くしていった。これに対して岸首相は、警察と右翼の支援団体だけではデモ隊を抑えられないと判断し、[[児玉誉士夫]]を頼り、自民党内の[[アイク歓迎実行委員会]]委員長の[[橋本登美三郎]]を使者に立て、暴力団関係者の会合に派遣した。[[松葉会]]の[[藤田卯一郎]]会長、[[錦政会]]の[[稲川角二]]会長、[[住吉会]]の[[磧上義光]]会長、「[[新宿マーケット]]」のリーダーで[[関東尾津組]]の[[尾津喜之助]]組長ら全員がデモ隊を抑えるために手を貸すことに合意した。
  
    孫 (声優:恒松あゆみ)
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さらに[[右翼]]と[[暴力団]]で構成された[[全日本愛国者団体会議]]、戦時中の[[超国家主義]]者もいる[[日本郷友会]]、岸首相自身が1958年に組織し[[木村篤太郎]]が率いる[[新日本協議会]]、以上3つの右翼連合組織にも行動部隊になるよう要請した。当時の「ファー・イースタン・エコノミック・レビュー」には「博徒、暴力団、恐喝屋、テキヤ、暗黒街のリーダー達を説得し、アイゼンハワーの安全を守るため『効果的な反対勢力』を組織した。最終計画によると1万8000人の博徒、1万人のテキヤ、1万人の旧軍人と右翼宗教団体会員の動員が必要であった。岸首相は[[創価学会]]にも協力を依頼したが、これは断られたという。彼らは政府提供のヘリコプター、小型機、トラック、車両、食料、司令部や救急隊の支援を受け、さらに約8億円(約230万ドル)の『活動資金』が支給されていた」と書かれている。
  
        じーさんの孫。小学校5年生の男の子。赤いジャケットがトレードマーク。特技は工作。このマンガの登場人物の中では一番まともな感覚の持ち主であり(じーさんのペースにつられて、たまにおかしくなったりするが)、作中では主にツッコミ役担当となる。ツッコミ役であるがゆえ、連載雑誌コロコロコミックの少年キャラとしては比較的地味な人物である(そのことをじーさんにケチョンケチョンに言われてへコんだこともある)。じーさんの被害を一番多く食らっている。コロコロコミックの別冊付録で100ページの漫画が掲載されることになったとき、じーさんにページ数を「孫が12ページに一回死ぬとしても8回以上死ぬ計算になる」と例えられた(コミックス掲載時は96ページになった為「10ページに1回死ぬとして9回以上」に修正される)。名前は不明。本名は作者自身は考えているそうだが、「いつか明かす」と言いながらいつまで経っても明かされない。家族構成はじーさん以外不明。が、漫画の初期の方で母親に一声かけて学校に行ったり、母親にお使いを頼まれたりしているため、じーさんと二人暮らしというわけではないようである。
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岸首相は、「国会周辺は騒がしいが、[[銀座]]や[[後楽園球場]]はいつも通りである。私には『声なき声』([[サイレント・マジョリティ]]の意)が聞こえる」と語った。しかし、元首相3人(石橋、[[東久邇宮稔彦王]]、[[片山哲]])までが退陣勧告をするに及び、事態は更に深刻化していった。
  
    校長(ミュミャリャツァオビュビュンピピュブリャプピフンドシン) (声優:平野俊隆→千葉繁)
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==== ハガチー事件および、樺美智子の死 ====
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[[File:Hagerty Incident 04.jpg|thumb|right|250px|ハガティ報道官を乗せた海兵隊ヘリ(1960年6月10日)]]
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[[File:1960 Protests against the United States-Japan Security Treaty 02.jpg|thumb|right|250px|日比谷公園から国会に向かうデモ隊(1960年6月15日)]]
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[[6月10日]]には[[東京国際空港]](羽田空港)で、アイゼンハワー大統領訪日の日程を協議するため来日した[[ジェイムズ・ハガティ]][[ホワイトハウス報道官|大統領報道官]](当時の報道表記は「ハガチー新聞係秘書」)が空港周辺に詰め掛けたデモ隊に迎えの車を包囲され、[[アメリカ海兵隊]]のヘリコプターで救助されるという事件が発生(ハガチー事件)。
  
        孫の通っている学校の校長。自分が一番偉くないと気がすまない男。気に入らないやつは殺す。そのために「殺人兵器」やバズーカなどをもっている。「~じゃい」が口癖。漫画の初期の頃はじーさんに連勝していた時期があったが、話が進むにつれ、なんだかんだ言って事有るごとにじーさんやその他の登場キャラにやられる可哀想な役回りの人物になっていった。登場人物の中でも死亡した回数が特に多い人物の1人である(実は過去には最強さんやゲベといった強敵に勝った経験もある。ただし、最強さんは腹痛で動けなかったため、ゲベにいたってはわざと負けてあげただけなので、厳密には勝利とは言い難い)。将来の夢は「宇宙(飛行士ではない)」。殴られたりすると人の名前を叫ぶことがある(例・「みちるー!!!」「るみこー」「さなえー」「ひでこー」「ひろしー」など)。一時期すごく太ってしまったため、じーさんの協力によってダイエットに挑戦し、ヘンな生物になってしまい読者の投票で何とか戻ったが、いろいろあって映画館になった。しかし、現在はもとの姿にもどっている。コロコロコミック8月号で、校長名前人気投票では、校長の名前は9番のミュミャリャツァオビュビュンピピュブリャプピフンドシンという、長い名前に決定したのである。ちなみに、元の名前は3位であった。
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[[6月15日]]には、暴力団と右翼団体がデモ隊を襲撃して多くの重傷者を出し、[[機動隊]]が国会議事堂正門前で大規模にデモ隊と衝突し、デモに参加していた[[東京大学]]学生の[[樺美智子]]が圧死した。在京局で唯一中継をしていた[[ラジオ関東]]の[[島碩弥]]も[[警棒]]で殴られ負傷した。21時に開かれた国会敷地内での全学連抗議集会で訃報が報告されたことで、警察車両への放火等を行うなど一部の学生が暴徒化し、負傷学生約400人、逮捕者約200人、警察官負傷約300人に上った。国会前でのデモ活動に参加した人は主催者発表で計33万人、[[警視庁]]発表で約13万人という規模にまで膨れ上がった。
  
    ゲベ (声優:太田哲治)
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日付が変わって16日午前1時30分、岸内閣は緊急臨時閣議声明を発した。
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{{quotation|このたびの全学連の暴挙は暴力革命によって民主的な議会政治を破壊し、現在の社会秩序を覆さんとする国際共産主義の企図に踊らされつつある計画的行動に他ならないのであって、もとより国民大多数の到底容認し得ざるところである。<br>我々は自由と民主主義の基盤の上に初めて真の平和と繁栄が築かれることを確信しているがゆえに、これらを破壊せんとするいかなる暴力にも屈することなく完全にこれを排撃し、以て民生の安定を守り抜かんとするものである。<br>計画的破壊活動に対して治安当局のとれる措置は当然のところである。<br>国民諸君においても今回の不祥事件の背後に潜む本質を見極め一層の理解と協力あらんことを要望してやまない。}}
  
        ネコのような外見の謎の生き物。じーさんのぺットで「ゲベ」が口癖。時々8頭身マッチョになる。作中最強のキャラの1人であり、敗北したのは2回だけ(そのうち1回はわざと負けた)。最強さんより強いかは不明。耳からパンチを出せる。たまにじーさん達を食べてしまうことも。コミックス5巻、「ワガハイの変身じゃい」の頃は、育ち盛り。「しゃちょー」という名札を、じーさんが「じでんしゃちょーべんり」と書き換え(じでん、べんりを書き足した)後じーさんに見込まれて拾われた。ゲベの頭が屋根に乗っている自動車も登場したが、ゲベ自身が変身した物かは不明。将来の夢は「すき焼き」(昔の夢は弁護士になる事だったが、「ネコだから」という理由で却下され挫折した。)。クイズ大会の話では彼の言ったことは全て正解になったが、これはゲベがじーさんに8億円の賄賂をつかませた為(8億円の出所は不明)。「言っていることが分からない」という理由でじーさんや校長を74式戦車や零式艦上戦闘機で殺した事もある(校長は無条件で殺した。戦車は買ったが零戦は盗品とのこと)。また、近所の野良猫と友達となっていたが、言葉は通じない。最近はしゃべるキャラクターとして定着しつつあるが、自身はかなりの毒舌である。首が取れることもあり、中には妹を探している人が入っていた。足音が「おぎょ~む」「ぴゅじょ~」「ぬさささー」などと変。
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このように激しい抗議運動が続く中、岸首相は15日と[[6月18日|18日]]に[[赤城宗徳]][[防衛庁長官]]に対して[[陸上自衛隊]]の[[治安出動]]を要請した。東京近辺の各駐屯地では出動準備態勢が敷かれたが、[[石原幹市郎]][[国家公安委員会委員長]]が反対し赤城防衛庁長官も出動要請を拒否したため、「自衛隊初の治安維持出動」は回避された。
  
    最強さん
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==== 七社共同宣言 ====
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[[安保報道]]参照
  
        じーさんの近所の史上最強おじさん。他の登場人物を食べたり殺したりすることが多い。シルエットの様な姿で登場しているが本当の姿かは不明。全長は4メートル前後らしい。最近しゃべる事が判明した。(テレパシーの様なものらしい。)子どもが交通事故に遭って死んでしまい涙が枯れるまで泣いたという内容の嘘の話をまごにしたことがあり、その嘘の内容からすると子供はいない模様。納豆が嫌い(好きな食べ物はミミガー、よっちゃんイカを食べたがっていた事もある)。大長編で腹痛で(実際は体内でエネルギーを吸い取られていたため)校長に負けてしまった事がある(劇中の描写は腹痛で倒れた所に偶然校長が飛び込んできただけともとれる)。口から破壊光線を発射し、あらゆるものを塵に変える。
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=== 自然成立後 ===
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条約は[[参議院]]の議決がないまま、[[6月19日]]に自然成立していった。またアイゼンハワーの来日は延期(実質上の中止)となった。岸内閣は混乱を収拾するため、責任をとる形で、新安保条約の批准書交換の日である[[6月23日]]に総辞職を表明した。岸首相は7月15日の総辞職の前日、暴漢に襲撃され重傷を負った。
  
    マッスル竹田 (声優:坂口候一)とステップ長谷川(声優:太田哲治)
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「60年安保闘争」は空前の盛り上がりを見せたが、戦前の[[東條内閣]]の[[閣僚]]であり[[A級戦犯]][[容疑者]]にもなった岸首相とその政治手法に対する反感により支えられた[[倒閣運動]]という性格が強くなり、安保改定そのものへの反対運動という性格は薄くなっていたため、[[岸内閣]]が退陣し[[第1次池田内閣|池田勇人内閣]]が成立([[7月19日]])すると、運動は急激に退潮した。
  
        2年に一度コンビで登場。じーさんと三人で「運動ならなんでもおまかせ隊」を結成するも、まったく役に立たない。マッスル竹田は体力、ステップ長谷川は運動神経を売りにしている。初登場は連載第2話で校長よりも早く登場した。なお、アニメでは長谷川の名前がステップ鈴木に変更されている。5年に一回しか風呂に入らない。
+
[[池田勇人]]内閣は[[所得倍増計画]]を打ち出し、社会党も経済政策で対抗したため、安保闘争の影は薄くなっていった。さらに、7~8月に行われた、[[青森県]]・[[埼玉県]]・[[群馬県]]の各知事選で社会党推薦(埼玉では公認)候補は惨敗([[山崎岩男]]、[[栗原浩]]、[[神田坤六]]が当選)。総選挙でも自民党圧勝の雰囲気さえ出てきた。[[10月12日]]、社会党の[[浅沼稲次郎暗殺事件|淺沼委員長暗殺事件]]で再び政権は揺らぎかけたが、池田首相は動揺を鎮めることに成功。[[11月20日]]の[[第29回衆議院議員総選挙|総選挙]]では、社会党と民社党が互いに候補を乱立させた影響もあり、自民党は[[追加公認]]込みで300議席を獲得する大勝を収めた。安保条約の改定が国民の承認を得た形になり、現在([[2015年]])まで半世紀以上にわたり、安保条約の再改定や破棄が現実の政治日程に上ることはなくなっている。
  
    ちゃむらい
+
=== 余波 ===
 +
デモ隊側から見れば安保阻止は実現できなかったものの、自らの運動によって内閣を退陣させることに成功した意義は大きいとみなされ、活動の主体となった大学生による反体制運動は、続く[[ベトナム戦争]]反戦運動により拍車がかかり、[[1968年]](昭和43年)に起こる一連の[[大学紛争]]へ至る。一方では、安保闘争を「敗北」と総括した共産主義者同盟(ブント)をはじめ、急進派学生には、強い挫折感が残ることになった。全学連指導者の一人だった[[唐牛健太郎]]は、安保闘争の終結直後に運動から身を引き、[[香山健一]]、[[森田実]]などは[[転向]]する。新左翼党派は、ブントが四分五裂の分裂を開始し、[[北小路敏]]ら全学連指導部の一部は、ブントから[[革命的共産主義者同盟全国委員会]]に移行するなど、再編成の季節を迎えることになった。
  
        泣き虫の侍。桃色のひょうたんに手足とにょろりとつきでた口がくっついたような外見をしている。にわとりにそっくりな外見とも言う。侍なので一応刀を持っているが刀身がない。自分が弱虫なのをいいことに誰も相手にしてくれない。最近空を飛ぶ能力があることが判明した。相当な泣き虫で歩くのが遅いだけで泣くが、他人が交通事故に遭う等、自分の関係ない事では絶対に泣かない(他人に助けを求められても、自分に関係ない限り絶対に助けない)。相手(じーさん)耳元でこそこそと話す。特技は号泣。対戦相手の中で一番強かったのは「ごみ箱」。
+
安保闘争は、議会政治自体への反発や否定の側面があった。しかし、マスメディアが「七社共同宣言」で議会政治擁護をその根拠としたことで、主立ったマスメディアで、議会政治自体を否定する論調はほぼ無くなった。また、安保闘争は、総選挙で与党の[[自由民主党]]に対する[[政権交代]]を実現させる方向には働かず、選挙結果への影響がほとんど無かったことも注目される。
  
    りゅぬぁってゃ
+
[[1963年]](昭和38年)[[2月26日]]、[[TBSラジオ&コミュニケーションズ|東京放送(TBSラジオ)]]が実録インタビューで構成した番組『歪んだ青春-全学連闘士のその後』を放送する。この番組は60年安保闘争時の全学連が、戦前の日本共産党の指導者で60年当時は土建会社を経営しながら「反共右翼」としての活動を行っていた[[田中清玄]]から資金援助を受けていたことを暴露する。日本共産党は「ブント全学連の挑発者としての正体が露呈した」と指摘し、新左翼を「[[ニセ「左翼」暴力集団]]」と呼ぶ、つまり左翼とは認めない根拠としている。
  
        動物園の園長をしている珍獣。自分のことを人間だと強く主張しているが、映画を観るときはなぜか自分はペットだと言ってペット料金で観ようとする。ちなみに、口から波動砲かレーザービームの様な技を出せる上バトルモードになると、とても人間とは思えない化け物になる。良く葉巻をくゆらしている。また、半魚人に容姿を変えて尻尾から大量の水を出す技と水中なら魚のように自由に動き回れる能力を得、水族館の園長にもなった。その後はじーさん達と遊んでいるシーンもあることから友人として扱われているようだ。その後性別は不明だが3匹の子供を卵から産む。(子供の名前は全員川井。)
+
また、安保闘争における過程で岸首相が右翼をデモ隊に対抗する行動部隊として動員させる過程で、児玉などを使い暴力団を動員した結果、一部の右翼と暴力団などの[[反社会的勢力]]との関係が深まり、一部の暴力団が右翼団体や政治結社を名乗り活動するなど右翼活動に暴力団がおおっぴらに食い込み、両者の区別があいまいになるきっかけとなったという評価もある。
  
    近所のガキ
+
ソ連は安保改定を自国への挑戦と受け止め、上記のように社会党や共産党、総評の安保反対活動に対して多大な援助を行うとともに、1956年(昭和31年)の[[日ソ共同宣言]]で確約された「平和条約締結後に[[歯舞群島]]・[[色丹島]]を返還する」約束を撤回し、アメリカ軍が駐留可能となる地域が増えることは好ましくないとして、日本政府に対して一方的に不返還を通告した。日本政府は、共同宣言発効の際には既に安保条約が存在しており、双方は矛盾しないとして抗議、結局ソ連が不返還通告を撤回することで収束した。
  
        じーさんとたまに野球、砂遊びなどで遊ぶ無表情な二人組の子供。ゲベとは仲がいいらしく、ゲベ同様に毒舌。また、二人の内背の高い方はいつも左に、帽子をかぶっている方はいつも右にいる。
+
=== 評価 ===
 +
新安保条約や60年安保闘争への評価は政治的な立場により異なるが、新安保条約は現在([[2015年]])まで半世紀以上にわたり存続しており、[[ソ連崩壊]]で[[冷戦]]が終結し、対ソ連、対東側諸国への抑止力としての安保体制の意義は消滅したものの、新たに北東アジアにおける軍事的脅威として浮上してきた[[中華人民共和国|中国]]や[[北朝鮮]]に対峙するための日米の[[軍事同盟]]として、そしてアメリカの[[トルコ]]以東地域への軍事的存在感維持などの新たな意義づけのもとに維持されているなど、日本の政治体制・軍事体制の基礎として完全に定着しており、当時安保改定反対の理由として主張された「新安保条約により日本が戦争に巻き込まれる危険が増す」との意見は現在では余り聞かれない。
  
    作者(曽山)
+
さらに、[[1994年]]7月成立の[[村山内閣]]で、[[日本社会党]]委員長である[[村山富市]]首相が国会の所信表明演説において「日米安保堅持」と発言した上、[[2009年]]に発足した[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]、[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]、[[国民新党]]の連立政権([[鳩山由紀夫内閣]]、[[民社国連立政権]])においても、日本社会党を継承した社会民主党の[[福島瑞穂]]党首([[特命担当大臣]])が、入閣後は安保について明確に反対の意思を示していないなど、一部の左翼陣営の中での国会内での安保条約を容認する動きも出てる。ただ、アメリカが日本国内で運用するオスプレイや、アメリカが提示する辺野古への基地移転、アメリカが強く支持する日米安保の新しい形とされる集団的自衛権行使に関しては、福島らを含めた左翼陣営は反対の姿勢をとる。
  
        このマンガの作者。やたらと邪険にされている。裏のお悩みコーナーでは腰と頭がダルいと訴えたが、「知るか!」で片付けられた。マンガ(本編)ではあまり登場しないが、そやまんが(後述)で登場している。なお、コロコロのじーさん関連の特集やゲーム版の攻略本では「ソヤマ氏」と呼ばれている。
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マスメディアの状況は、1960年当時では日米安保に批判的な論調が主流であったが、現在では概して日米安保自体は容認するようになっている。ただし、日米安保強化や在日米軍の方針に関しては、肯定的な立場と批判的な立場に分かれる。全国紙では、読売新聞や産経新聞は日米安保強化や在日米軍の方針に総じて肯定的であり、朝日新聞や毎日新聞は批判的である。例えば、在日米軍が進めるオスプレイの普天間基地配備に関しては、読売新聞と産経新聞は賛成しているのに対し、朝日新聞と毎日新聞は反対の立場である。普天間基地の沖縄県外への移転(=普天間基地の辺野古への移転計画の中止)についても、読売新聞と産経新聞は日米両政府が合意し、米政府が支持する[[辺野古]]移設案を変えることの無いように主張している。そして、アメリカ政府が歓迎し日米安保を強化する動きでもある集団的自衛権に関しても、集団的自衛権に肯定的な読売新聞や産経新聞と、集団的自衛権に批判的な朝日新聞や毎日新聞との間では意見が割れている。また、全国紙以外では、共同通信とその影響を強く受ける地方紙の大半は、日米安保強化や在日米軍の方針に関しては朝日新聞や毎日新聞と同じく批判的立場である。沖縄県の地元2紙([[琉球新報]]、[[沖縄タイムス]])も同様である。例えば、オスプレイの普天間基地配備に関しても、辺野古移設に対しても、集団的自衛権に関しても、批判的である。ただし、地方紙でも[[石川県]]の[[北國新聞]]や[[三重県]]の[[伊勢新聞]]などの保守色が強い一部の地方紙は日米安保強化や在日米軍の方針に肯定的なことが多い。
  
    不良
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なお、[[小室直樹]]や[[西部邁]]などは「安保反対と言って騒いでいた中に安保条約の中身を読んで反対していた人間はろくにいなかった」と公言している。西部は当時全学連中央執行委員をしていた。
  
        改造学生服にリーゼントの昔のテレビドラマに登場するような古いタイプの不良。たらこ唇。ほぼオチ担当で、ストーリーのラストで孫が不良ぶつかり、孫がじーさんに助けを求めるが結局助けてもらえない(話によって逃げられたり無視されたりする)という展開での登場が圧倒的に多い。マンガ内よりコロコロ等の付録での登場の方が多い。服には「うさぴょん」と書いてある。
+
岸信介首相と対峙しデモを主導した元全学連のリーダーは岸元首相が亡くなった際「あなたは正しかった」という弔文を書いてその死を悼んだという。
  
これ以外にもその場限りのキャラクターが大量に存在する。大抵は名前が分からない上に、次回以降に登場することはほとんどない。(ちなみに名前のほとんどはコロコロの付録の大でんぢゃじー典で解明している。)ちなみに女性キャラクターはほとんど登場せず、出てきても女性どころか人間の形すらしていないことも多い。
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=== 60年安保闘争の経緯 ===
主な建物・場所
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; [[1959年]](昭和34年)
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* 3月 - [[日本社会党]]、[[日本労働組合総評議会]](総評)、原水爆禁止国民会議(原水禁)などが'''安保条約改定阻止国民会議'''を結成。
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* [[3月30日]] - 東京地裁で日米安保条約に基づくアメリカ軍の駐留を憲法違反とする判決([[砂川事件]]・[[伊達判決]])。
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* 10月 - 社会党の[[西尾末広]]が改定阻止国民会議に反対を表明し離党。
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* 11月 - デモ隊が国会構内に乱入。
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* 12月16日 - [[田中耕太郎]]・最高裁判所長官、砂川事件の[[跳躍上告]]を受けて伊達判決を[[統治行為論]]を唱えて破棄。一審にまで差し戻す。
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; [[1960年]](昭和35年)
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* [[1月19日]] - 日米政府間で条約調印。
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* [[1月24日]] - 西尾らが[[民社党|民主社会党]]を結成する。
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* 4月 - [[全日本学生自治会総連合|全学連]]が警官隊と衝突。
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* [[5月20日]] - 衆議院で強行採決。以降、連日デモ隊が国会を囲む。
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* [[6月11日]] - ハガチー事件(ホワイトハウス報道官が来日するが、羽田でデモ隊に包囲されヘリコプターで脱出)。
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* [[6月15日]] - 全学連と警察隊の衝突で、大学生の樺美智子が死亡。
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* [[6月17日]] - 在京新聞7社が共同声明でデモ隊の暴力を批判、社会党に国会審議復帰を呼びかける。
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* [[6月19日]] - 条約が自然成立([[6月23日|23日]]に発効)。
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* [[6月23日]] - 新安保条約の批准書の交換、全手続きを終了。[[岸内閣]]、総辞職を表明する。
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* [[7月14日]] - [[自由民主党総裁選挙]]。[[池田勇人]]を自民党第4代総裁に選出。岸元首相が暴漢に襲われ重傷を負った。
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* [[7月15日]] - [[内閣総辞職]]。
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* [[7月19日]] - 池田、[[内閣総理大臣]]に就任。[[第1次池田内閣]]が発足。
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* [[10月12日]] - [[浅沼稲次郎]][[日本社会党委員長]]、[[山口二矢]](当時17歳)に暗殺される。
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* [[11月20日]] - 11月20日[[第29回衆議院議員総選挙]]。自民党が議席を増やす。
  
    じーさん家
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== 70年安保 ==
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1970年に10年間の期限を迎え、日米安保条約が自動延長するに当たり、これを阻止して条約破棄を通告させようとする運動が起こった。
  
        じーさんと孫の自宅。2階建て。一度サンタにテレビを盗まれたが、今は戻っている。頻繁に爆発・破壊されるが、次の回までには修復されている。自爆スイッチ(じーさんが380万円で購入)が付いていたりいきなり回りが崖になっていたりする。また、居間にはトゲ床がある。
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学生の間では1968年(昭和43年)から[[1969年]](昭和44年)にかけて[[全学共闘会議|全共闘]]や新左翼諸派の[[学生運動]]が全国的に盛んになっており、[[東大紛争|東大闘争]]、[[日大闘争]]を始め、全国の主要な国公立[[大学]]や私立大学では[[バリケード]]封鎖が行われ、「70年安保粉砕」をスローガンとして大規模なデモンストレーションが全国で継続的に展開された。
        また、テレビアニメ版では大幅に美術設定が追加された。(例えば庭に通じる窓や廊下など)
+
        ゲーム版によれば、所在地は東京。
+
  
    学校
+
街頭闘争も盛んに行われ、[[新左翼]]の各派は、[[1967年]](昭和42年)10月、11月の[[羽田闘争]]、1968年(昭和43年)1月の佐世保エンタープライズ帰港阻止闘争、4月の沖縄デー闘争、10月の[[新宿騒乱]]事件([[騒乱罪]]適用)、[[1969年]](昭和44年)4月の沖縄デー闘争、10月の[[10.21国際反戦デー闘争 (1969年)|国際反戦デー闘争]]、11月の[[佐藤首相訪米阻止闘争]]などの一連の闘争を「70年安保闘争の前哨戦」と位置づけて取り組み、「ヘルメットと[[ゲバ棒]]」スタイルで武装し、投石や[[火炎瓶]]を使用して[[機動隊]]と戦った。
  
        孫が通う小学校。ここの校長は自分が一番偉くないと気がすまなく、生徒からの苦情も絶えない。ここには校長の銅像があるがじーさんが壊してしまった。ちなみに孫以外の生徒は適当に描かれている。朝の朝礼はほとんど毎日やっていて、朝からひどい時には給食の時間までくいこむ。その上内容は、校長が「我輩って偉いよね~」を繰り返すもの。作中で、校長以外先生が一人もいなくて、休み時間ばかりだという事が事が明らかになっている。
+
国会前へのデモンストレーションは[[1970年]](昭和45年)[[6月14日]]に行われ、また全国236箇所で社会党、共産党などによるデモが行われた。また、「インドシナ反戦と反安保の6・14大共同行動」と題して、市民団体と新左翼諸派は7万2千人を動員した。しかし、新左翼諸派は、機動隊を強化した[[佐藤栄作|佐藤政権]]による徹底した取り締まり、あるいは弾圧に加え、[[内ゲバ]]によって既に疲弊していた。
  
    街中
+
同年[[6月23日]]、条約は自動継続となった。70年安保闘争は、[[ベトナム戦争|ベトナム]]反戦運動、[[成田空港問題]]などと結び付き、一定の労働者層の支持を得たが、60年安保に比べ、[[全学共闘会議|全共闘]]を中心とした[[日本の学生運動|学生運動]]の色合いが濃くなっていた。[[日本社会党|社会党]]や[[日本共産党|共産党]]などの革新勢力は、「70年安保闘争」を[[沖縄返還]]運動とセットの「国民運動」として位置づけ、70年の「自動延長」そのものには60年安保闘争ほどの力量を割かなかった。
  
        普通の街のはずだが、じーさん達のせいでたまにとんでもない事が起こる。
+
「安保延長反対」の世論と運動への国民の支持は少なくなかった。しかし、全共闘と共産党系の[[日本民主青年同盟|民青]]の衝突を始め、全共闘に属する党派同士の内ゲバが激化し、多くの国民からかけ離れた存在となっていった。70年安保期の1969年(昭和44年)12月の[[第32回衆議院議員総選挙|総選挙]]では、当時の[[佐藤栄作]]内閣を支える[[自由民主党 (日本)|自民党]]は国会での議席を増やす一方、「安保延長」に反対した[[日本社会党|社会党]]は約50議席を減らして大敗し、佐藤長期政権は[[1972年]](昭和47年)まで継続した。
  
    公園
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それでも学生運動、[[新左翼]]運動を続ける者はいたが、[[8月4日]]には[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]による[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル派]]活動家殺害が発覚し、革マル派も報復として中核派活動家を殺害。また、[[1972年]]、[[連合赤軍]]による[[あさま山荘事件]]、そして発覚した[[山岳ベース事件]]が国民に知られるようになると、その凄惨さから、学生運動・新左翼運動は殺人と同義と見なされるようになった。それまで左翼を擁護していた知識人たちも、一斉に左翼運動を批判するようになり、新左翼の勢力は一気に退潮した。
  
        じーさんと校長の決闘の場。インド公園、はなげ公園、ニキビ公園など。
+
== 参考文献 ==
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* [[西部邁]]『六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー』[[洋泉社]]MC新書、[[2007年]] ISBN 9784862481498 - 元版は[[文藝春秋]]刊(1986年)。
  
    スーパーはなげ
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== 関連項目 ==
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* [[アカシアの雨がやむとき]]
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* [[秋田明大]]
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* [[学生研究会土曜会]]
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* [[加藤紘一]] - 衆議院議員。1960年の安保闘争に参加した。
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* [[仙谷由人]]
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* [[菅直人]]
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* [[唐牛健太郎]]
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* [[焼け跡世代]]
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* [[団塊の世代]]
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* [[香山健一]]
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* [[最首悟]]
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* [[島碩弥]]
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* [[清水幾太郎]]
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* [[全日本学生自治会総連合]]
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 +
* [[血のメーデー事件]]
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* [[ブント]]
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* [[山本義隆]]
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* [[石井紘基]]
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 +
* [[首都圏反原発連合]]による[[原子力発電所反対デモ|反原発デモ]] - 安保闘争以降に永田町で行われたデモでは最大規模とされる。
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* [[政治的暴力行為防止法案]]
 +
* [[ソ連脅威論]]
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* [[冷戦]]
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        じーさん家の近くにあるスーパーマーケット。店長は強面の大男。原作では1回のみの登場だったがアニメ版では校歌の回に名前だけ出てくる。
+
== 外部リンク ==
 +
* 西部邁ゼミナール ~戦後タブーをけっとばせ『日米安保改定50周年「あの莫迦騒ぎは何だったのか」』[http://www.mxtv.co.jp/nishibe/archive.php?show_date=20100109 【1】]、[http://www.mxtv.co.jp/nishibe/archive.php?show_date=20100116 【2】] [[東京メトロポリタンテレビジョン]]
 +
* [http://cgi2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009030036_00000 60年安保闘争- NHKニュース(動画・静止画) NHKアーカイブス]
  
    クトゥ屋
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{{DEFAULTSORT:あんほとうそう}}
 
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[[Category:昭和時代戦後の政治]]
        新しい靴屋。ニセ靴やマグロを販売。平原に正方形の建物というシンプルな設計になっている。孫が新しい靴を欲しがった時にじーさんが「もしかしたら奇跡が起きて普通かも知れない」と言って孫を連れてきた。
+
[[Category:戦後日本の社会運動]]
 
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[[Category:政治運動]]
    本屋
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[[Category:冷戦]]
 
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[[Category:1960年の日本]]
        一見、何の変哲も無い本屋。店長はマッチョで、万引きは絶対に許さない。
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[[Category:日本のナショナリズム]]
 
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[[Category:岸信介]]
    動物園
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        りゅぬぁってゃ(前述)が経営する動物園。普通の家の様な外観に、動物園と書かれた巨大な看板が立っている。「キリンっぽい」と言う理由だけで掃除機を飾っている。どうもそれしか飾っていない模様。
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    水族館
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        りゅぬぁってゃ(前述)が経営する水族館。普通の家どころか単なる公衆便所にしか見えない外観に、水族館と書かれた巨大な看板が立っている。中には「ぼくさかなー」という吹き出しと魚の絵が書いてある張りぼてがある。その絵の頭には穴が開いており、そこに首を突っ込むことによって魚に「変身」できる。(観光地などによくある「あれ」と孫が説明している)どうもそれしか飾っていない模様。
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    ブラボー王国
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        じーさんが住んでいる国。日本によく似ている。
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用語
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    でんぢゃらすぞ~ん
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        じーさんがハガキを紹介するコーナー。内容は基本的に読者の危険体験談(これがメイン)、駄洒落、イラストなどだが、よく意味不明なハガキを検証したり、余りにもふざけた内容のハガキ(コロッケ!のイラストが描かれたハガキ等)に喝を入れたりもする。ハガキを採用されると曽山先生の色紙がもらえる。2005年11月号から読者の考えた危険回避法も募集している。一回だけ話を無理矢理終わらせて突然登場したことがあり、孫に単行本にするときどう処理するんだと怒られた(結局単行本では書き下ろし4コマを入れることで対処した。またセリフも改正されている。)。
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    おしおきのコーナー
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        誰かがおしおきを受けるコーナーである。
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    そやまんが
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        作者・曽山がてきとーな事をてきとーに書いたどうでもいいマンガ。内容は主に曽山自身の普段考えている事や思い出話など。また、作者の近況報告や生活観が十分に伺える。コミックスに毎回3~5本掲載されているが9巻と12巻のみページの都合で載っていない。
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ゲーム
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    絶体絶命でんぢゃらすじーさん ~史上最強の土下座~
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        (ゲームボーイアドバンス、2003年9月26日、キッズステーション)
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        漫画の登場人物・じーさんと孫が宇宙人の侵略から地球を守るアドベンチャーゲーム。イベントごとに様々なミニゲームが用意されており、アドベンチャーパートの選択肢やミニゲームの勝敗によってじーさんが七変化する。この「マトリックスシステム」によるじーさんのバリエーションは25種類あり、能力の変動のみならず、ストーリー展開やミニゲームのルールにも影響を与える。また、通信対戦によりじーさん同士を戦わせることも出来る(ただし、対戦の方法はただのジャンケン)。しかし、決定ボタンは普通のゲームのようなAボタンではなくRボタンであったり、能力やミニゲームの結果によってはめちゃくちゃなストーリー展開になったりと、原作同様おかしな要素も含まれていた。
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        コロコロ内でもやる気無さげに宣伝(自らクソゲーと暴露)していたが、読者から結構評判がよく本誌で毎月行われている「発売中で欲しいゲームランキング」ではまさかの3ヶ月連続1位を達成した。
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    絶体絶命でんぢゃらすじーさん~泣きの1回 絶対服従ばいおれんす校長~ワガハイが1番えらいんじゃい!!~
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        (ゲームボーイアドバンス、2004年3月18日、キッズステーション)
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        じーさんのライバルキャラ・校長が登場する。自分が目立ちたいがためにわざわざ宇宙人を呼び戻した。内容は前作と似ているが、校長のわがままなのか、リゾート地ばかりが舞台となっている。このゲームが発売された際、作者自身が「悪ふざけだと思った」と語っている。
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    絶体絶命でんぢゃらすじーさん痛~怒りのおしおきブルース~
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        (ゲームボーイアドバンス、2004年7月16日、キッズステーション)
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        曽山が大切な原稿をなくしてしまい、そのままだとじーさん達が消えてしまうため、原稿を探しに行くと言う、言うなれば曽山の尻拭いをする為冒険に出ると言うあらすじ。敵に路上においてある物を投げつけて戦う。今回も変身能力が物を言い、変身で川や海など普通では行けない所へ行けたり、車など重くて投げられない物を投げられるようになれる。初回版には特典としてタオルやうちわがついてきた。
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    絶体絶命でんぢゃらすじーさん3~果てしなき魔物語(- まものがたり)~
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        (ゲームボーイアドバンス、2004年12月16日、キッズステーション)
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        今回は横スクロールとなった。
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        孫が読書感想文が書けないとじーさんに相談したせいで、絵本の中の世界に入り込んで出られなくなり、仕方が無い為、参戦した校長、ゲベと共に絵本の世界をめちゃくちゃにしながら冒険すると言うあらすじ。今回は状況に合わせて四人(三人と一匹?)を使い分け、四人それぞれ攻撃するだけで無く、協力したり時には移動用のソリを使ってまで敵を倒す。ザコや中ボスなどは昔話をモチーフにしている。(鬼や魔女、巨人、オオカミなど)ちなみに初回では「せいねんとせきぞう」という曽山の書き下ろし絵本が付いていた。(絵本は今や入手困難。)
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    絶体絶命でんぢゃらすじーさんDS~でんじゃらすセンセーション~
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        (ニンテンドーDS、2006年1月14日、キッズステーション)
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        今回はクソゲーを超えたダメゲーが登場。さらに1000コマ以上(コロコロコミック200ページ分)を収録。
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        じーさんと孫は、ゲームを面白くする為に冒険に出た。
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        ちなみに、エンディングに主題歌ができた。
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アニメ
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現在、アニメは「おはスタ」で放送されている。
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    第1期(2003年10月~2004年3月)
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おはスタ内で不定期に放送された35秒のアニメ。原作にあった話を元にしているが後期はオリジナルも含まれていた。この時の作品は2004年夏に発売された作品のグッズやゲームなどを集めた「でんぢゃBOX」同梱のVHSに収録されている。(ただし、「時限爆弾から逃げろ!」、「釣りの極意」、「虫歯を治せ!」、「コタツは最高!」、「ピーマン克服法」、「じーさんのひげ」、「ブランコ」、「覚悟!もちの焼き方」、「なくした靴下」、「ルンルンハイキング!」しか収録されていない。)
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    スペシャル版(2003年12月30日)
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おはスタのスペシャルで放送された10分間のオリジナルストーリーのアニメ。第1期同様「でんぢゃBOX」内のVHSに収録されている。
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    第2期(2004年4月~2005年3月)
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ギャグコロスタジオ内で放送された5分間のアニメ。ギャグコロスタジオがBSジャパンでも放送されていたため、この時期に限り、BSジャパンでも視聴可能だった。原作の話と番外編(後述)1~3話を放送。番組内では着ぐるみのじーさんも出演していた。この時の作品はDVD全4巻に収録されている。
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    第3期(2005年3月~)
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再びおはスタ内で放送されている2分間のアニメ。放送時間は午前7:00~7:02。
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スタッフ
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    原作:曽山一寿
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    監督:山口頼房
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    脚本:笹川勇
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    キャラクターデザイン:西野理恵
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    美術監督:松宮正純
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    撮影監督:渡辺宜之
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    色彩設計:松浦頼子
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    編集:坂本雅紀
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    音響監督:千葉繁
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    音楽:田光マコト
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    アニメーション製作:スタジオ雲雀
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    製作:小学館プロダクション
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番外編
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アニメで、じーさんの話が終わったあと(最近は金曜日)に放送される短編。いくつかのシリーズがある。でんぢゃらすじーさん本編とは内容的には繋がりは無い。
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住宅ヒーロー7階建てマン
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正義のヒーロー「7階建てマン」が世界の平和を守る。頭の上に7階建てマンションが乗っている。 よく天井や梁(はり)に頭の上のマンションをぶつけて折ってしまう。だが絵を見る限り6階建てである。 また、ライバルに893階建てマンがいる。登場するたびに『頭の七階建てがある限りぃ、世界の平和はオラが守だぁ』と言うきめ台詞がある。
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原作では単行本第三巻に登場。内容は七階建てマンが平和を守ると宣言したが、オチの部分で頭の七階を折って死亡してしまうと言うアバウトな話だった。アニメではアメコミを思わせる様な作画にアレンジされ原作に登場しないキャラクターも多数登場した。 放映リストは、
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    第1階「じゅーたくーっ!ひーろおーっ!七階建てマーン!登場!」
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    第2階「七階建てマン出動!」
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    第3階「七階立てマン出動!の続きだべイベー!」
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    第4階「強敵平屋マン」
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    第5階「「七階建てマン!あなたのおかげよオオオオオオッ!」~ブリッヂガールの愛~」
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    第6階「じゅーたくーっひーろおーっ!六階建てマーン!登場!」
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    最終階「ちょーこうそおーっひーろおーっ!70階建てマーン!大登場!そして、じゅうたくー!ひーろおーっ!8階建てッ・・・・・・・・」
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登場人物
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    七階建てマン→七十階建てマン
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スーパマンを思わせるような姿をした七階建てのビルを頭に持つヒーロー。毎回頭の七階建てを折って死亡してしまう。一人称はオラ。ゲームでは「絶体絶命でんぢゃらすじーさん痛~怒りのおしおきブルース~」で七階建てデパートと言うデパートのオブジェとして登場だが実質的には出ていない。頭の七階には変な生物も住み着いている。ビルの中は居心地や設備が悪く苦情も多く、住人からは不評の様だ。喋り方はどことなく東北弁である。アニメ第2期での最終回では、七十階建てマンにパワーアップしたが、バランスのせいで頭を折ってしまい、最終的には死んでしまった。マントウイングで空を飛べるが、七階建てのせいで墜落、死亡。
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    893階建てマン
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DVD第一巻の映像特典で登場。頭の建物は現在の建築法でも不可能な893階もあり、よく見るとじーさん、ゲベ、最強さんも中にいた。これだけビルが高いと重量や動くときはどうするのだろうか。謎の多い人物である。
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    六階建てマン
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七階建てマンの仲間で弟。七階建てマンがピンチのときに駆けつけてくれたが、兄同様頭の六階を折って死亡した。七階建てマン同様マントウイングで空を飛べる。
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    ブリッチガール
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七階建てマンの恋人らしき人物(定かではないが)。七階建てマンと夕日の港で抱き合おうとしたがすれ違い様に七階建てマンの頭の七階を折ってしまった。頭にはブリッチのオブジェがある。二人が接近したとき作画が本物のアメコミの絵柄になった。七階建てマンの頭を折ったあと、太った人になった。
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    八階建てマン
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七階建てマンの最終回(ギャクコロ放映分)の最後にシルエットのみ登場。七階建てマンに代わる新たなヒーローとして登場するが、最終回だったためじーさんの「そんなわけねーだろ」と言う一言で一瞬で退場した。
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    平屋マン
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七階建てマンの宿敵である。
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ボンバー井上のニコニコお料理コーナー
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料理の達人・井上(絶体絶命でんぢゃらすじーさんのサブキャラクター参照)が男の料理を教える。 ゲベが初登場した回ではじーさんがアシスタントをしていたが第2回以降はメガネをかけた女性が務めている。 たいていは「料理は自分で編み出すもの」とか「今日は気分が悪い」と言って何も作らない。
+
 
+
    アシスタントの女性「井上先生、今日はどんな料理を作ってくれるんですか?」
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    井上「バカ野郎!!料理ってのは自分で編み出すもんじゃーい!!!!」
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+
と、いう感じで終わる。 ゲベ初登場時でじーさんがアシスタントをやっていた時、はじめは楽しげだったが井上の一言で一気に気まずく重苦しい雰囲気になった。以後、まったく放送していない。 放送リストは、
+
 
+
    「(サブタイトルが無い為、なし)」
+
    「アップルパイ」
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    「ビーフストロガノフ」
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    「ミートアップルパイ」
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    「シーフードスパゲティ」
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    「しびれあんかけのかわり揚げ」
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    「料理のコツ」
+
 
+
「料理のコツ」では最後、ボンバー井上は「いつまで見てんだバカヤローーーー!」と言っていた。 余談だが、いつも井上が「バカヤローー!」とか「あーーーん!?」 と言うとき、アシスタントの女性が年をとる。
+
最高料理人味助
+
 
+
「最高の料理」をめざす料理人。 ちなみに将来の夢はプロ野球選手である。実は味助の正体は着ぐるみで、中にはじーさんが入っている。
+
闘え!公園番長
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公園の味方・公園番長。公園の遊具に名前を付けている(滑り台のダイちゃん、ブランコのランコ、砂場のタナベレナ、水道は大騒ぎしたが最終的にジョーに落ち着いた)。「今年で三十八歳」なのは秘密である。必殺技?に「ブランコあたっく」・「すべり台くらっしゅ」がある。アニメ版では幼馴染の「歩道番長」「柵番長」も登場した。放映リストは、
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    第1翔「公園番長登場」
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    第2翔「行け!田中!」
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    第3翔「お前らに名前をつけてやるっ!のまき」
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    第4翔「公園祭り開催ー!」
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    第5翔「大決戦!公園番長vs歩道番長VS柵番長」
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    第6翔「謎の新入り出現!」
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    最終翔「怒りの炎を上げた社長が公園番長をクビに・・」
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サブタイトルは本当は、なし。あと、タイトルは公園番長だが、おはスタ版では、闘え!公園番長。
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冒険少年レオン
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世界中のお宝を手に入れるのが夢の冒険家。 スーパーマリオのようなステージを冒険するのだが、一回目は、ハシゴを使って、渦巻き状の洞窟(?)の中に入るまでは良かったが、宝箱の所まで登れなくて泣き、二回目は崖を飛び越えて向こうの宝箱を取るのだが、途中で足を滑らせて落ちた。三回目では炎を吹く大きなカメの元へ向かうがまたも途中で足を滑らせて溶岩に突っ込んでしまう。(架空)
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炎の教師、熱血先生
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教育熱心な学校の先生だが、極端なうっかり者でいつも訳の分からないことをしている。(日曜に来て誰もいない教室で授業をしたりなど)放映リストは、
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    第1話「さよなら熱血先生」
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    第2話「熱血先生の怒り」
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    第3話「熱血先生のあせり」
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    第4話「熱血先生の夏」
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    最終回「やめないで熱血先生」
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勉強大好きドリル兄さん
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頭の上にドリルがある。最後には、勉強のほうのドリルか角のほうのドリルかこんがらがる。原作では、一コマのみ登場。作者は放送されることすら知らなかったようだ。なので、単行本7巻の、カバーをとった本当の表紙では、「びびった」と曽山が言っている。一度だけアニメになったことがあるという。年齢は不明。好きな食べ物は水、好きな事は勉強である。語尾に「よーう」とつけるのが口癖だ。
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ぼくのおじいちゃん
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「絶体絶命でんぢゃらすじーさん」が発表される前に作られたとされる漫画。第47回新人コミック大賞受賞作品。曽山一寿の短編集「そやまつり」に収録。祖父と孫が主な登場人物である点等、後の「絶体絶命~」に共通する部分がいくつかある。
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    孫には「洋助(ようすけ)」という名前が設定されている(体育服には「まご」とそのまま書かれていた)。
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    おじいちゃんには後頭部に髪の毛が生えており、年齢98歳という設定になっている(また戦争を経験している)。
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    「絶対絶命~」のじーさんはこの作品に登場するおじいちゃんがルーツであると思われている事が多いが、正確にはそれ以前に作者が書いた漫画「店」に登場する老人が始まりらしい。しかし、この作品は「つまらない」と言う理由で担当に見せるのが怖くなり、作者自身が封印し、「そやまつり」に鉛筆書きの数コマが(しかもカバー裏に)掲載されているのみである。
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その他
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    登場人物はしばしば(特に最後に)リアルな顔になる(言葉の意味どおり受け取ればリアルな顔とは実写に近い顔になるが、描かれた顔によってはリアルまがいの変な顔という表現が正しい場合もある)。一度だけケシカスくんにその事を批判されたことがある。
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    ナレーションは、時折太字の明朝体で1ページ使って書かれる事がある。
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    2004年以降、コロコロコミックの9月号では毎年「でんぢゃらすじーさん」の100ページの別冊付録が同梱されている。2004年は小学四年生に掲載された漫画の再録だったが、2005年以降は100ページの長編(正確には表紙、裏表紙とその両裏を差し引くので96ページ)が掲載されており、本誌のじーさんではその長編の予告などを掲載しリンクしている。話の中盤から後半にかけてはシリアスな雰囲気も織り交ぜ、人生を生きる上での大切な事をテーマとして示唆するストーリーは感動的であると結構高い評価を得ている。なお、大長編の漫画がある号では本編が適当になる(作画が適当になったり、出来損ないのポケモンのようなキャラをじーさんのかわりに出すなど)。
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    2005年公開の映画、「ロックマンエグゼ 光と闇の遺産」と「劇場版デュエル・マスターズ 闇の城の魔龍凰」の開始直前に、じーさんと孫が僅かながらゲスト出演している。その際、ロックマンエグゼのEDデロップにはキャスト紹介されたほか、最後に「おじゃましました。」と表記されていた。
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    こちら葛飾区亀有公園前派出所連載30周年記念本超こち亀の中に登場した。
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    作者の曽山は「でんぢゃらすじーさんの連載が始まる前、マンガのタイトルとして『超人じじい』というタイトルも考えたけど、2秒でボツになった」と「そやまんが」の中で語っている。
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    アニメは5月から韓国でも放送。
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    コロッケ!のゲームにゲスト出演した事がある。また、逆にじーさんのゲームにコロッケが出演した事もある。
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おはすたにしばらくじいさん出ていなかったが2015年9月21日に久しぶりに登場した。18日の予告編で明らかになった
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放送リスト
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話数  サブタイトル  ゲストキャラ
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1 落下!/爆発!/猛獣!
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    携帯電話でじーさんと話した人
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    人食いライオン
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2 ドライブぶーぶーじゃっ!
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    G3(じーさん)号
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3 ルンルンハイキングじゃっ!/かぜでしにそうじゃっ!
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    クマ
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    天使
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    ブサイク天使
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4 校長登場じゃっ!/あみだせ!必殺技じゃっ!
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    トラ
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5 お使いに行くのじゃっ!
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    店長
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6 ルンルンお絵かきなのじゃっ!/校長にごめんなさいじゃっ!
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    芸術仙人
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7 かくれんぼじゃっ!
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    魚屋
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    エンジェル
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    はがきを出したオバサン
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8 たてぶえでピーヒャララーじゃっ!
+
 
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    孫のせいで誕生日が台無しになってしまった人
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9 いざ学校へGO!じゃっ!/雨ざーざーじゃっ!
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    不良
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    靴屋
+
 
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10 とびばこをとぶのじゃっ!/サイフを落としたのじゃっ!
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    運動なら何でもお任せ隊
+
 
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11 虫歯/宿題/坂道
+
 
+
    むしばいきん
+
    宿題
+
    宿題の両親
+
    ぶさいく仙人
+
    木下部長
+
 
+
12 最強さんじゃっ!/土管にすっぽりじゃっ!
+
 
+
    最強さん
+
    土管からじーさんを抜いた際出てきた腕
+
 
+
13 ゲベゲベじゃっ!
+
 
+
    ボンバー井上
+
 
+
14 遅刻はさせないのじゃっ!/もうつりまくりじゃっ!
+
 
+
    特になし
+
 
+
15 校長と修行じゃっ!/おやすみグーグーじゃっ!
+
 
+
    ジョニー
+
    マイケル
+
    トム
+
    つとむ
+
    ひろゆき
+
    のぶお
+
 
+
16 作文をかくのじゃっ!/キラキラ流れ星じゃっ!
+
 
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    きのこ
+
 
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17 決闘じゃっ!(前)/決闘なのじゃっ!(後)
+
 
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    たかし
+
    みつ子
+
 
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18 何でも占うのじゃっ!/テレビを見るのじゃっ!/ワシとキャッチボールじゃっ!
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    ひげの神様
+
    最強さん(再登場)
+
 
+
19 元気にいただきますじゃっ!/立ち読みしちゃうのじゃっ!
+
 
+
    ヨッちゃん?
+
    本屋の店長
+
 
+
20 怖い話大会じゃっ!/忘れ物はイカンのじゃっ!
+
 
+
    ゲベの中身
+
    部長っぽい人
+
    孫のプラモ
+
 
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21 福引でドキドキじゃっ!
+
 
+
    キャサリン?
+
 
+
22 校歌を作るのじゃっ!/孫にプレゼントじゃっ!
+
 
+
    きのこ(再登場)
+
 
+
23 校長の誕生日じゃっ!
+
 
+
    特になし
+
 
+
24 髪の毛チョキチョキじゃっ!
+
 
+
    最強さん(また再登場(ただし、絵でのみ))
+
 
+
25 サンタさんがきたのじゃっ!/孫におこづかいじゃっ!
+
 
+
    泥棒サンタ
+
 
+
26 バスケでウハウハじゃっ!
+
 
+
    運動なら何でもお任せ隊
+
    マイケル
+
    けいさつかん
+
 
+
27 動物園に行くのじゃっ!
+
 
+
    正吉
+
    きのこ(再登場)
+
 
+
28 美術館に行くのじゃっ!/サッカーの練習じゃっ!
+
 
+
    ツボイさん
+
    やまだぼうる(略してヤマボー)
+
 
+
29 ゲームをするのじゃっ!
+
 
+
    3匹のモンスター
+
 
+
30 自転車の星を目指すのじゃっ!/アイスを当てるのじゃっ!
+
 
+
    特になし
+
 
+
31 感動アニメ まごデレラじゃっ!
+
 
+
    けいさつかん(再登場)
+
 
+
32 そうじでキレイキレイじゃっ!
+
 
+
    しまだ
+
    さとう?
+
    知らない人
+
 
+
33 歯みがきゴシゴシじゃっ!/歩道橋はキケンじゃっ!
+
 
+
    手歯ブラシ
+
    笛歯ブラシ
+
    爆弾歯ブラシ
+
 
+
34 ジジイとババぬきじゃっ!/びちゃびちゃ水たまりじゃっ!
+
 
+
    特になし
+
 
+
35 図書館は静かにするのじゃっ!/手品をするのじゃっ!
+
 
+
    図書館員
+
    ゾウのセリフ
+
 
+
36 くつを買うのじゃっ!
+
 
+
    クトゥ屋店長
+
 
+
37 まごをおこるのじゃっ!
+
 
+
    ゲベカー
+
 
+
38 ゲベの散歩じゃっ!
+
 
+
    近所のノラネコたち
+
    月(ナレーター)
+
 
+
39 ワシがサンタクロースじゃっ!/雪合戦でボコボコじゃっ!
+
 
+
    サンタ
+
 
+
40 まごを助けるのじゃっ!
+
 
+
    ブタ
+
    くま
+
    最強さん(またまた再登場)
+
 
+
41 校長が病気なのじゃい!/すべり台であそぶのじゃっ!
+
 
+
    花校長
+
    カラス校長
+
    横綱校長
+
    タクアン校長
+
    ネクタイ校長
+
    サル校長
+
    ネコ校長
+
    金魚校長
+
 
+
42 友達ができたのじゃっ!/夢はでっかくじゃっ!
+
 
+
    トリ人間
+
    口人間
+
    巨乳仙人
+
 
+
43 校長の朝礼じゃっ!
+
 
+
    けいさつかん(再登場(しかし、前のとは別人))
+
 
+
44 きげんが悪いのじゃっ!
+
 
+
    リーゼント星人
+
    ミニカーらしき物体
+
 
+
45 あいさつはしっかりじゃっ!/ゲベと校長がぐちゃぐちゃじゃっ!
+
 
+
    特になし
+
 
+
46 じーさんの頭が大変なのじゃっ!
+
 
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    医者
+
    最強さん
+
 
+
47 てるてるぼうずにお願いじゃっ!/最強さんのお話
+
 
+
    テールテルさん(原作ではてるてるさん)
+
    最強さん
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外部リンク
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    『絶体絶命でんぢゃらすじーさん ~史上最強の土下座~』公式ホームページ
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テンプレート:月刊コロコロコミック連載中
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小学館漫画賞児童向け部門
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『ミルモでポン!』
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篠塚ひろむ
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『絶体絶命でんぢゃらすじーさん』
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曽山一寿
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『ケロロ軍曹』
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吉崎観音
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前川涼|『アニマル横町』
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2015年9月19日 (土) 15:08時点における版

国会を取り囲んだデモ隊(1960年6月18日)

安保闘争(あんぽとうそう)は、1959年昭和34年)から1960年(昭和35年)、1970年(昭和45年)の2度にわたり日本で展開された日米安全保障条約(安保条約)に反対する国会議員、労働者や学生、市民および批准そのものに反対する国内左翼勢力が参加した日本史上で空前の規模の反政府、反米運動とそれに伴う政治闘争、傷害、放火、器物損壊などを伴う大規模暴動である。自由民主党など政権側からは、「安保騒動」とも呼ばれる。

60年安保闘争では安保条約は国会で強行採決されたが、岸内閣は混乱の責任を取り総辞職に追い込まれた。しかし70年安保闘争では、闘争に参加していた左翼の分裂や暴力的な闘争、抗争が激化し運動は大衆や知識人の支持を失った。

日ソの国交回復以降在日大使館通商代表部に潜入したソ連国家保安委員会(KGB)工作員や、日本社会党労働組合等に多数侵入した誓約引揚者(ソ連のスパイ)等が、ソ連による安保改定阻止の意向を受けてスパイ活動を行い、運動が拡大化したという側面がある。

安保条約

1951年(昭和26年)9月8日に、アメリカサンフランシスコにおいて、アメリカやイギリスをはじめとする第二次世界大戦連合国47ヶ国と日本の間で、日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)が締結されたが、主席全権委員であった吉田茂首相は、同時に平和条約に潜り込まされていた特約(第6条a項但し書き。二国間協定による特定国軍のみの駐留容認)に基づく「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」(旧日米安全保障条約)に署名した。この条約によって日本を占領していた連合国軍の1国であるアメリカ軍は「在日米軍」となり継続して日本に駐留する事が可能となった。

なお、当時冷戦下でアメリカやイギリス、フランスなどのいわゆる「西側諸国」と対峙していたソビエト連邦は、西側諸国主導のサンフランシスコ平和条約に対立の意思を示し、49カ国の条約締結国には入らなかった上に、自国を事実上の仮想敵国ソ連脅威論)とした日米安全保障条約に対しても激しく非難を行った。

60年安保

衆議院通過までの過程

1951年(昭和26年)に締結された安保条約は、1958年(昭和33年)頃から自由民主党岸信介内閣によって改定の交渉が行われ、1960年(昭和35年)1月に岸首相以下全権団が訪米、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領と会談し、新安保条約の調印と同大統領の訪日で合意。1月19日に新条約が調印された。

新安保条約は、

  1. 内乱に関する条項の削除
  2. 日米共同防衛の明文化(日本をアメリカ軍が守る代わりに、在日米軍への攻撃に対しても自衛隊と在日米軍が共同で防衛行動を行う)※アメリカ軍の防衛の明文化はされていないとの反論が多数されている。
  3. 在日米軍の配置・装備に対する両国政府の事前協議制度の設置

など、安保条約を単にアメリカ軍に基地を提供するための条約から、日米共同防衛を義務づけたより平等な条約に改正するものであった(※より平等でないとの意見もあり)。日米共同防衛義務がないとの意見がある。日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約の項目を参照。)

岸首相が帰国し、新条約の承認をめぐる国会審議が行われると安保廃棄を掲げる日本社会党の抵抗により紛糾した。締結前から、改定により日本が戦争に巻き込まれる危険が増すという懸念や、在日米軍裁判権放棄密約から派生する在日米兵犯罪免責特権への批判(在日米軍裁判権放棄密約事件の項目参照)により、反対運動が高まっていた。スターリン批判を受けて共産党を脱党した急進派学生が結成した共産主義者同盟ブント)が主導する全日本学生自治会総連合(全学連)は「安保を倒すか、ブントが倒れるか」を掲げて、総力を挙げて、反安保闘争に取り組んだ。

まだ第二次世界大戦終結から日が浅く、人々の「戦争」に対する拒否感が強かったことや東條内閣の閣僚であった岸首相本人への反感があったことも影響し、「安保は日本をアメリカの戦争に巻き込むもの(※在日米兵犯罪免責特権への批判もあり)」として、多くの市民が反対した。これに乗じて既成革新勢力である社会党や日本共産党は組織・支持団体を挙げて全力動員することで運動の高揚を図り、総評は国鉄労働者を中心に「安保反対」を掲げた時限ストを数波にわたり貫徹したが、全学連の国会突入戦術には皮相的な立場をとり続けた。とりわけ共産党は「極左冒険主義の全学連(トロツキスト集団[1])」を批判した。これに対し批判された当の全学連は、既成政党の穏健なデモ活動を「お焼香デモ」と非難した。

なお、ソ連共産党中央委員会国際部副部長として、日本をアメリカの影響下から引き離すための工作に従事していたイワン・コワレンコは、自著『対日工作の回想』のなかで、ミハイル・スースロフ政治局員の指導のもと、ソ連共産党中央委員会国際部が社会党や共産党、総評などの「日本の民主勢力」に、「かなり大きな援助を与えて」おり、安保闘争においてもこれらの勢力がソ連共産党中央委員会国際部とその傘下組織と密接に連絡を取り合っていたと記述している。

衆議院における強行採決

5月19日衆議院日米安全保障条約等特別委員会で新条約案が強行採決され、続いて5月20日に衆議院本会議を通過した。委員会採決では、自民党は座り込みをする社会党議員を排除するため、右翼などから屈強な青年達を公設秘書として動員し、警官隊と共に社会党議員を追い出しての採決であった。これは、6月19日に予定されていたアイゼンハワー大統領訪日までに自然成立させようと採決を急いだものであった。本会議では社会党・民社党議員は欠席し、自民党からも強行採決への抗議として石橋湛山河野一郎松村謙三三木武夫らが欠席、あるいは棄権した。

闘争の激化

その結果、「民主主義の破壊である」として一般市民の間にも反対の運動が高まり、国会議事堂の周囲をデモ隊が連日取り囲み、闘争も次第に激化の一途をたどる。反安保闘争は次第に反政府・反米闘争の色合いを濃くしていった。これに対して岸首相は、警察と右翼の支援団体だけではデモ隊を抑えられないと判断し、児玉誉士夫を頼り、自民党内のアイク歓迎実行委員会委員長の橋本登美三郎を使者に立て、暴力団関係者の会合に派遣した。松葉会藤田卯一郎会長、錦政会稲川角二会長、住吉会磧上義光会長、「新宿マーケット」のリーダーで関東尾津組尾津喜之助組長ら全員がデモ隊を抑えるために手を貸すことに合意した。

さらに右翼暴力団で構成された全日本愛国者団体会議、戦時中の超国家主義者もいる日本郷友会、岸首相自身が1958年に組織し木村篤太郎が率いる新日本協議会、以上3つの右翼連合組織にも行動部隊になるよう要請した。当時の「ファー・イースタン・エコノミック・レビュー」には「博徒、暴力団、恐喝屋、テキヤ、暗黒街のリーダー達を説得し、アイゼンハワーの安全を守るため『効果的な反対勢力』を組織した。最終計画によると1万8000人の博徒、1万人のテキヤ、1万人の旧軍人と右翼宗教団体会員の動員が必要であった。岸首相は創価学会にも協力を依頼したが、これは断られたという。彼らは政府提供のヘリコプター、小型機、トラック、車両、食料、司令部や救急隊の支援を受け、さらに約8億円(約230万ドル)の『活動資金』が支給されていた」と書かれている。

岸首相は、「国会周辺は騒がしいが、銀座後楽園球場はいつも通りである。私には『声なき声』(サイレント・マジョリティの意)が聞こえる」と語った。しかし、元首相3人(石橋、東久邇宮稔彦王片山哲)までが退陣勧告をするに及び、事態は更に深刻化していった。

ハガチー事件および、樺美智子の死

ハガティ報道官を乗せた海兵隊ヘリ(1960年6月10日)
日比谷公園から国会に向かうデモ隊(1960年6月15日)

6月10日には東京国際空港(羽田空港)で、アイゼンハワー大統領訪日の日程を協議するため来日したジェイムズ・ハガティ大統領報道官(当時の報道表記は「ハガチー新聞係秘書」)が空港周辺に詰め掛けたデモ隊に迎えの車を包囲され、アメリカ海兵隊のヘリコプターで救助されるという事件が発生(ハガチー事件)。

6月15日には、暴力団と右翼団体がデモ隊を襲撃して多くの重傷者を出し、機動隊が国会議事堂正門前で大規模にデモ隊と衝突し、デモに参加していた東京大学学生の樺美智子が圧死した。在京局で唯一中継をしていたラジオ関東島碩弥警棒で殴られ負傷した。21時に開かれた国会敷地内での全学連抗議集会で訃報が報告されたことで、警察車両への放火等を行うなど一部の学生が暴徒化し、負傷学生約400人、逮捕者約200人、警察官負傷約300人に上った。国会前でのデモ活動に参加した人は主催者発表で計33万人、警視庁発表で約13万人という規模にまで膨れ上がった。

日付が変わって16日午前1時30分、岸内閣は緊急臨時閣議声明を発した。

このたびの全学連の暴挙は暴力革命によって民主的な議会政治を破壊し、現在の社会秩序を覆さんとする国際共産主義の企図に踊らされつつある計画的行動に他ならないのであって、もとより国民大多数の到底容認し得ざるところである。
我々は自由と民主主義の基盤の上に初めて真の平和と繁栄が築かれることを確信しているがゆえに、これらを破壊せんとするいかなる暴力にも屈することなく完全にこれを排撃し、以て民生の安定を守り抜かんとするものである。
計画的破壊活動に対して治安当局のとれる措置は当然のところである。
国民諸君においても今回の不祥事件の背後に潜む本質を見極め一層の理解と協力あらんことを要望してやまない。

このように激しい抗議運動が続く中、岸首相は15日と18日赤城宗徳防衛庁長官に対して陸上自衛隊治安出動を要請した。東京近辺の各駐屯地では出動準備態勢が敷かれたが、石原幹市郎国家公安委員会委員長が反対し赤城防衛庁長官も出動要請を拒否したため、「自衛隊初の治安維持出動」は回避された。

七社共同宣言

安保報道参照

自然成立後

条約は参議院の議決がないまま、6月19日に自然成立していった。またアイゼンハワーの来日は延期(実質上の中止)となった。岸内閣は混乱を収拾するため、責任をとる形で、新安保条約の批准書交換の日である6月23日に総辞職を表明した。岸首相は7月15日の総辞職の前日、暴漢に襲撃され重傷を負った。

「60年安保闘争」は空前の盛り上がりを見せたが、戦前の東條内閣閣僚でありA級戦犯容疑者にもなった岸首相とその政治手法に対する反感により支えられた倒閣運動という性格が強くなり、安保改定そのものへの反対運動という性格は薄くなっていたため、岸内閣が退陣し池田勇人内閣が成立(7月19日)すると、運動は急激に退潮した。

池田勇人内閣は所得倍増計画を打ち出し、社会党も経済政策で対抗したため、安保闘争の影は薄くなっていった。さらに、7~8月に行われた、青森県埼玉県群馬県の各知事選で社会党推薦(埼玉では公認)候補は惨敗(山崎岩男栗原浩神田坤六が当選)。総選挙でも自民党圧勝の雰囲気さえ出てきた。10月12日、社会党の淺沼委員長暗殺事件で再び政権は揺らぎかけたが、池田首相は動揺を鎮めることに成功。11月20日総選挙では、社会党と民社党が互いに候補を乱立させた影響もあり、自民党は追加公認込みで300議席を獲得する大勝を収めた。安保条約の改定が国民の承認を得た形になり、現在(2015年)まで半世紀以上にわたり、安保条約の再改定や破棄が現実の政治日程に上ることはなくなっている。

余波

デモ隊側から見れば安保阻止は実現できなかったものの、自らの運動によって内閣を退陣させることに成功した意義は大きいとみなされ、活動の主体となった大学生による反体制運動は、続くベトナム戦争反戦運動により拍車がかかり、1968年(昭和43年)に起こる一連の大学紛争へ至る。一方では、安保闘争を「敗北」と総括した共産主義者同盟(ブント)をはじめ、急進派学生には、強い挫折感が残ることになった。全学連指導者の一人だった唐牛健太郎は、安保闘争の終結直後に運動から身を引き、香山健一森田実などは転向する。新左翼党派は、ブントが四分五裂の分裂を開始し、北小路敏ら全学連指導部の一部は、ブントから革命的共産主義者同盟全国委員会に移行するなど、再編成の季節を迎えることになった。

安保闘争は、議会政治自体への反発や否定の側面があった。しかし、マスメディアが「七社共同宣言」で議会政治擁護をその根拠としたことで、主立ったマスメディアで、議会政治自体を否定する論調はほぼ無くなった。また、安保闘争は、総選挙で与党の自由民主党に対する政権交代を実現させる方向には働かず、選挙結果への影響がほとんど無かったことも注目される。

1963年(昭和38年)2月26日東京放送(TBSラジオ)が実録インタビューで構成した番組『歪んだ青春-全学連闘士のその後』を放送する。この番組は60年安保闘争時の全学連が、戦前の日本共産党の指導者で60年当時は土建会社を経営しながら「反共右翼」としての活動を行っていた田中清玄から資金援助を受けていたことを暴露する。日本共産党は「ブント全学連の挑発者としての正体が露呈した」と指摘し、新左翼を「ニセ「左翼」暴力集団」と呼ぶ、つまり左翼とは認めない根拠としている。

また、安保闘争における過程で岸首相が右翼をデモ隊に対抗する行動部隊として動員させる過程で、児玉などを使い暴力団を動員した結果、一部の右翼と暴力団などの反社会的勢力との関係が深まり、一部の暴力団が右翼団体や政治結社を名乗り活動するなど右翼活動に暴力団がおおっぴらに食い込み、両者の区別があいまいになるきっかけとなったという評価もある。

ソ連は安保改定を自国への挑戦と受け止め、上記のように社会党や共産党、総評の安保反対活動に対して多大な援助を行うとともに、1956年(昭和31年)の日ソ共同宣言で確約された「平和条約締結後に歯舞群島色丹島を返還する」約束を撤回し、アメリカ軍が駐留可能となる地域が増えることは好ましくないとして、日本政府に対して一方的に不返還を通告した。日本政府は、共同宣言発効の際には既に安保条約が存在しており、双方は矛盾しないとして抗議、結局ソ連が不返還通告を撤回することで収束した。

評価

新安保条約や60年安保闘争への評価は政治的な立場により異なるが、新安保条約は現在(2015年)まで半世紀以上にわたり存続しており、ソ連崩壊冷戦が終結し、対ソ連、対東側諸国への抑止力としての安保体制の意義は消滅したものの、新たに北東アジアにおける軍事的脅威として浮上してきた中国北朝鮮に対峙するための日米の軍事同盟として、そしてアメリカのトルコ以東地域への軍事的存在感維持などの新たな意義づけのもとに維持されているなど、日本の政治体制・軍事体制の基礎として完全に定着しており、当時安保改定反対の理由として主張された「新安保条約により日本が戦争に巻き込まれる危険が増す」との意見は現在では余り聞かれない。

さらに、1994年7月成立の村山内閣で、日本社会党委員長である村山富市首相が国会の所信表明演説において「日米安保堅持」と発言した上、2009年に発足した民主党社会民主党国民新党の連立政権(鳩山由紀夫内閣民社国連立政権)においても、日本社会党を継承した社会民主党の福島瑞穂党首(特命担当大臣)が、入閣後は安保について明確に反対の意思を示していないなど、一部の左翼陣営の中での国会内での安保条約を容認する動きも出てる。ただ、アメリカが日本国内で運用するオスプレイや、アメリカが提示する辺野古への基地移転、アメリカが強く支持する日米安保の新しい形とされる集団的自衛権行使に関しては、福島らを含めた左翼陣営は反対の姿勢をとる。

マスメディアの状況は、1960年当時では日米安保に批判的な論調が主流であったが、現在では概して日米安保自体は容認するようになっている。ただし、日米安保強化や在日米軍の方針に関しては、肯定的な立場と批判的な立場に分かれる。全国紙では、読売新聞や産経新聞は日米安保強化や在日米軍の方針に総じて肯定的であり、朝日新聞や毎日新聞は批判的である。例えば、在日米軍が進めるオスプレイの普天間基地配備に関しては、読売新聞と産経新聞は賛成しているのに対し、朝日新聞と毎日新聞は反対の立場である。普天間基地の沖縄県外への移転(=普天間基地の辺野古への移転計画の中止)についても、読売新聞と産経新聞は日米両政府が合意し、米政府が支持する辺野古移設案を変えることの無いように主張している。そして、アメリカ政府が歓迎し日米安保を強化する動きでもある集団的自衛権に関しても、集団的自衛権に肯定的な読売新聞や産経新聞と、集団的自衛権に批判的な朝日新聞や毎日新聞との間では意見が割れている。また、全国紙以外では、共同通信とその影響を強く受ける地方紙の大半は、日米安保強化や在日米軍の方針に関しては朝日新聞や毎日新聞と同じく批判的立場である。沖縄県の地元2紙(琉球新報沖縄タイムス)も同様である。例えば、オスプレイの普天間基地配備に関しても、辺野古移設に対しても、集団的自衛権に関しても、批判的である。ただし、地方紙でも石川県北國新聞三重県伊勢新聞などの保守色が強い一部の地方紙は日米安保強化や在日米軍の方針に肯定的なことが多い。

なお、小室直樹西部邁などは「安保反対と言って騒いでいた中に安保条約の中身を読んで反対していた人間はろくにいなかった」と公言している。西部は当時全学連中央執行委員をしていた。

岸信介首相と対峙しデモを主導した元全学連のリーダーは岸元首相が亡くなった際「あなたは正しかった」という弔文を書いてその死を悼んだという。

60年安保闘争の経緯

1959年(昭和34年)
1960年(昭和35年)

70年安保

1970年に10年間の期限を迎え、日米安保条約が自動延長するに当たり、これを阻止して条約破棄を通告させようとする運動が起こった。

学生の間では1968年(昭和43年)から1969年(昭和44年)にかけて全共闘や新左翼諸派の学生運動が全国的に盛んになっており、東大闘争日大闘争を始め、全国の主要な国公立大学や私立大学ではバリケード封鎖が行われ、「70年安保粉砕」をスローガンとして大規模なデモンストレーションが全国で継続的に展開された。

街頭闘争も盛んに行われ、新左翼の各派は、1967年(昭和42年)10月、11月の羽田闘争、1968年(昭和43年)1月の佐世保エンタープライズ帰港阻止闘争、4月の沖縄デー闘争、10月の新宿騒乱事件(騒乱罪適用)、1969年(昭和44年)4月の沖縄デー闘争、10月の国際反戦デー闘争、11月の佐藤首相訪米阻止闘争などの一連の闘争を「70年安保闘争の前哨戦」と位置づけて取り組み、「ヘルメットとゲバ棒」スタイルで武装し、投石や火炎瓶を使用して機動隊と戦った。

国会前へのデモンストレーションは1970年(昭和45年)6月14日に行われ、また全国236箇所で社会党、共産党などによるデモが行われた。また、「インドシナ反戦と反安保の6・14大共同行動」と題して、市民団体と新左翼諸派は7万2千人を動員した。しかし、新左翼諸派は、機動隊を強化した佐藤政権による徹底した取り締まり、あるいは弾圧に加え、内ゲバによって既に疲弊していた。

同年6月23日、条約は自動継続となった。70年安保闘争は、ベトナム反戦運動、成田空港問題などと結び付き、一定の労働者層の支持を得たが、60年安保に比べ、全共闘を中心とした学生運動の色合いが濃くなっていた。社会党共産党などの革新勢力は、「70年安保闘争」を沖縄返還運動とセットの「国民運動」として位置づけ、70年の「自動延長」そのものには60年安保闘争ほどの力量を割かなかった。

「安保延長反対」の世論と運動への国民の支持は少なくなかった。しかし、全共闘と共産党系の民青の衝突を始め、全共闘に属する党派同士の内ゲバが激化し、多くの国民からかけ離れた存在となっていった。70年安保期の1969年(昭和44年)12月の総選挙では、当時の佐藤栄作内閣を支える自民党は国会での議席を増やす一方、「安保延長」に反対した社会党は約50議席を減らして大敗し、佐藤長期政権は1972年(昭和47年)まで継続した。

それでも学生運動、新左翼運動を続ける者はいたが、8月4日には中核派による革マル派活動家殺害が発覚し、革マル派も報復として中核派活動家を殺害。また、1972年連合赤軍によるあさま山荘事件、そして発覚した山岳ベース事件が国民に知られるようになると、その凄惨さから、学生運動・新左翼運動は殺人と同義と見なされるようになった。それまで左翼を擁護していた知識人たちも、一斉に左翼運動を批判するようになり、新左翼の勢力は一気に退潮した。

参考文献

関連項目

外部リンク

  • トロツキー支持者とは限らず、共産党と敵対する左翼全般への非難用語として使われた。ニセ「左翼」暴力集団も参照