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+ | 今回の“逃走劇”に同行した建設会社会長と、継母は古くからの知り合いだという。一部報道によると、13歳だった酒井の芸能界入りを画策したともいう。追い詰められた同容疑者は、亡き父とのつながりも感じる“後見人”たちに救いを求めるしかなかった。そして、幼少期からの経験で、今ある人間関係を失いたくないという心理が、供述しない姿勢に表れているのかもしれない。 | ||
なお、本節内容は[[ウィキペディア日本語版]]の[[wiki:酒井法子|同項目]]には一切書かれていない。 | なお、本節内容は[[ウィキペディア日本語版]]の[[wiki:酒井法子|同項目]]には一切書かれていない。 | ||
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− | *夫は[[木梨憲武]] | + | *夫は[[木梨憲武]]からの紹介。夫はスキーショップ『JIRO』経営者の長男(後継者)であり、同チェーンショップの役員でもある。なお、同店は倒産状態にある。友人に、河村隆一などがいる。 |
*1990年代半ば以降、河村隆一のすすめで趣味として[[ウォータースポーツ|マリンスポーツ]](ボディボード)を楽しむようになった。親友の工藤静香を誘うなどしており、工藤の木村拓哉との出会いもサーフィンがきっかけであり、以来、家族ぐるみの交際をしている。 | *1990年代半ば以降、河村隆一のすすめで趣味として[[ウォータースポーツ|マリンスポーツ]](ボディボード)を楽しむようになった。親友の工藤静香を誘うなどしており、工藤の木村拓哉との出会いもサーフィンがきっかけであり、以来、家族ぐるみの交際をしている。 | ||
*その他、前述の木梨夫妻や、江口洋介夫妻とも家族ぐるみの付き合いをしているといわれる。 | *その他、前述の木梨夫妻や、江口洋介夫妻とも家族ぐるみの付き合いをしているといわれる。 | ||
− | *後年、「のりピー語は20歳を越えた頃から似つかわしくないと思うようになった」と本人がテレビ番組で語っている。当時の事務所社長の[[相澤秀禎]] | + | *後年、「のりピー語は20歳を越えた頃から似つかわしくないと思うようになった」と本人がテレビ番組で語っている。当時の事務所社長の[[相澤秀禎]]も「のりピー語」は酒井を売り出すための戦略であったことを自著で明かしている。最近では[[エドはるみ]]が当時を懐かしむようにのりピー語を使っている。 |
*フジテレビ系『[[HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP]]』の「テレフォンボックス」のコーナーに出演の際、[[嵐 (ジャニーズ)|嵐]]の[[大野智]]ファンで(その理由は“踊りも歌もうまいから”)、コンサートにも行った旨を発言した。 | *フジテレビ系『[[HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP]]』の「テレフォンボックス」のコーナーに出演の際、[[嵐 (ジャニーズ)|嵐]]の[[大野智]]ファンで(その理由は“踊りも歌もうまいから”)、コンサートにも行った旨を発言した。 | ||
2010年12月5日 (日) 20:08時点における版
酒井 法子(さかい のりこ、本名:高相(たかそう)法子(旧姓酒井)、1971年2月14日 - )は、日本の元アイドル歌手、女優。堀越高等学校卒業。所属事務所はサンミュージックプロダクション。所属レコード会社はビクターエンタテインメント。福岡県福岡市出身。血液型はB型。
目次
来歴
生い立ち
山口組系伊豆組配下酒井組組長酒井峰吉(本名・酒井三根城。1989年山梨県大月市にて交通事故死)の娘として福岡市に生まれる。
両親は2歳の時に離婚。母はその2年後に死去した。酒井は芸能界入り後、実母について公にすることもなく、後に「記憶がない」とだけ話している。小学校時代は福岡市と、父の妹が住む埼玉県・狭山市を数年ごとに行き来していた。狭山市の小学校に通う時は親せきの姓を名乗った。小学校の同級生によると「おてんばで目立つ子だった。転校については担任が『父の仕事の関係』とだけ説明し、彼女自身も家庭の詳しいことは誰にも話さなかった」という。小学校期間中に、父は2度目の結婚をしたが、この事実も同容疑者は明かしていない。
6年生の3学期に父の3度目の結婚を機に福岡市に戻り、父、継母と同居した。福岡市立大名小学校を卒業。福岡市立舞鶴中学校ではソフトボール部に所属し、3年生になった(クラスは3組出席番号は33番)1985年の夏に9番ライトで県大会準優勝を果たした。
14歳の時に応募したオーディションをきっかけにスカウトされて上京。所属事務所社長宅に住み込んだ。関係者は「そのころ父親が足を洗ったと聞いています」と話しており、父は暴力団関係の仕事から離れ、継母の兄の紹介で山梨に移り住んだとみられる。一方、酒井はデビュー後、継母と東京・杉並区内に住んだ。複雑な家族関係や生い立ちを所属事務所スタッフにはほとんど説明しなかった。父は同容疑者が活躍し始めた直後の18歳の時に交通事故で死去した。
芸能界へ
1985年10月26日の「'86ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」(資生堂主催)でBOMB!賞を獲得(グランプリは水谷麻里、準グランプリは岡谷章子、Momoco賞は畠田理恵が受賞)。ただし、当初このコンテストにBOMB!賞なる賞は存在しておらず、実際にはオーディション落選後に、サンミュージックの専務が「『彼女の』才能を試してみたい」、と願い出たことでデビューの運びとなった[1]。BOMB!賞はその際に急遽新設され、11月22日付で贈られている。
同年12月、福岡市から上京し、所属事務所の社長である相澤秀禎宅で下宿生活を始める(福岡市立舞鶴中学校から東京の中学へ転校)。
1986年1月開始の日本テレビ系のテレビドラマ『春風一番!』でデビュー(収録は前年の1985年12月から開始されているので、芸能活動は上京直後からになる)。ほぼ同時に雑誌『Momoco』の「モモコクラブ」のメンバーとなる(桃組出席番号1482番)。その後、4月29日のイベント「'86 MOMOCO PARTY」において開催された「第2回ミスモモコクラブ」オーディションでミスVHD賞を受賞(この時のグランプリは畠田理恵)。これにより当時売り出し中だったビデオディスクであるVHDソフトの発売が決まり、11月21日、『YUPPIE』で世界初のVHDデビューを果たす。このVHDの挿入歌「お願いダーリン」を非公式のデビュー曲とする見方もあるが、正式なレコードデビューは1987年になってからである。同期にBaBe、坂本冬美らがいる。。
レコードデビューすると同時に若者を中心に人気を獲得。3枚目のシングル「ノ・レ・な・いTeen-age」で、その年の第18回日本歌謡大賞最優秀放送音楽新人賞を受賞する(同年の第29回日本レコード大賞の最優秀新人賞は立花理佐が受賞)。
キャッチフレーズは「おきゃんなレディ」。デビュー当時のニックネームは「のりっぺ」(福岡での中学生時代のニックネーム)だったが、デビューしてしばらく経ってから「のりピー」と名乗り出す。同時に「ヤッピー」「いただきマンモス」「うれピー」といった「のりピー語」を流行させた。
アイドル時代の活動は多岐に渡る。芸能活動のほかにイラストレーター・漫画家(ペンネームは平仮名の“さかいのりこ”)としても活動し、少女漫画雑誌『週刊少女コミック』に漫画の連載を持ったこともある。中学生の頃に自ら生み出したというキャラクター「のりピーちゃん」は、日本自動車工業会の交通安全ポスターにも使われた。また、そのキャラクターグッズも自身のショップ『NORI-P HOUSE』で販売されて人気を博し、当時のタレントショップブームの一翼を担っていた。
1990年代以降、東アジア(台湾、香港、中華人民共和国など)では日本での活躍以上の絶大な人気を誇り、中国語歌唱による楽曲も発表している。1992年5月10日と11日に行われた自身初の海外公演である台北市立総合体育場でのコンサートは、台湾における日本人初のワンマンショーとなった。
その頃から女優としても本格的な活動が始まり、フジテレビ系『ひとつ屋根の下』、日本テレビ系『星の金貨』など、出演したテレビドラマが大ヒットすると同時に、『星の金貨』の主題歌として自ら歌った『碧いうさぎ』がミリオンセラーとなり、1995年、デビュー9年目にして『第46回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。歌唱曲がドラマの主題歌だったこともあり、紅白史上初めて手話を交えて歌った。なお、この『碧い―』以後を“従来の元気路線に比べて落ち着き過ぎ”と評するファンも多い。
『ひとつ屋根の下』の脚本家野島伸司と交際するも破局、1998年に、スキーショップ「JIRO」経営者長男で自称プロサーファー・高相祐一とおめでた婚。プロサーファーと言っているが日本プロサーフィン連盟・JPSAの公認プロとして、一切エントリーされていない。また、世界プロサーフィン連盟日本支局・ASP Japanのランキング一覧にも彼の名前を見つけることはできない。1999年7月18日、長男を出産。現在は1児の母。
2000年に産休から復帰したが、デビュー当時からの担当マネージャーだった溝口伸郎が自殺。
その後、子育てと女優活動を両立しながら2003年にはファッションブランド『PP rikorino』を立ち上げるなどしていた。
転落
- 詳細は酒井法子薬物裁判を参照
2009年8月3日、夫・祐一が覚せい剤取締法違反(所持)で現行犯逮捕される。その際の家族としての事情聴取協力要請を強硬に断り、子と共に出奔(のちに子は知人に預けていた事が判明)。7日、自身の部屋からも覚醒剤の粉末と吸引器具が発見押収され、覚醒剤使用の疑いが強まり同じ容疑で逮捕状発布を受けた。山梨県内に移動していた事が携帯電話のGPS追跡で判明しているもののその後の足取りは不明。8日午後8時頃、文京区の警視庁富坂庁舎、組織犯罪対策第五課に出頭し逮捕される。相沢正久・サンミュージック社長は、有罪確定の場合は契約解除を以って臨む旨表明。10日、留置先の東京湾岸警察署(女性被疑者専用留置場がある)から東京地方検察庁に送検。8月28日、覚せい剤取締法違反で起訴され契約解除。9月15日、保証金500万円で保釈決定(即日納付はされていない)。11月9日、東京地裁にて懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決。
今回の“逃走劇”に同行した建設会社会長と、継母は古くからの知り合いだという。一部報道によると、13歳だった酒井の芸能界入りを画策したともいう。追い詰められた同容疑者は、亡き父とのつながりも感じる“後見人”たちに救いを求めるしかなかった。そして、幼少期からの経験で、今ある人間関係を失いたくないという心理が、供述しない姿勢に表れているのかもしれない。
なお、本節内容はウィキペディア日本語版の同項目には一切書かれていない。
エピソード
- 夫は木梨憲武からの紹介。夫はスキーショップ『JIRO』経営者の長男(後継者)であり、同チェーンショップの役員でもある。なお、同店は倒産状態にある。友人に、河村隆一などがいる。
- 1990年代半ば以降、河村隆一のすすめで趣味としてマリンスポーツ(ボディボード)を楽しむようになった。親友の工藤静香を誘うなどしており、工藤の木村拓哉との出会いもサーフィンがきっかけであり、以来、家族ぐるみの交際をしている。
- その他、前述の木梨夫妻や、江口洋介夫妻とも家族ぐるみの付き合いをしているといわれる。
- 後年、「のりピー語は20歳を越えた頃から似つかわしくないと思うようになった」と本人がテレビ番組で語っている。当時の事務所社長の相澤秀禎も「のりピー語」は酒井を売り出すための戦略であったことを自著で明かしている。最近ではエドはるみが当時を懐かしむようにのりピー語を使っている。
- フジテレビ系『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』の「テレフォンボックス」のコーナーに出演の際、嵐の大野智ファンで(その理由は“踊りも歌もうまいから”)、コンサートにも行った旨を発言した。
家族構成
母については未詳。
『徹子の部屋』出演の際、弟がいる事を伏せ「一人っ子です」と言い切っていた(もっとも、母とは離婚により幼少の頃別れたとの事で、異母弟がいると知らなかった可能性も否定出来ない)。
音楽作品
シングル
- 男のコになりたい(1987年2月5日)
- 渚のファンタシィ(1987年5月21日)
- ノ・レ・な・いTeen-age(1987年8月25日)
- 夢冒険(1987年11月25日)
- GUANBARE(1988年2月24日)
- 1億のスマイル 〜PLEASE YOUR SMILE〜(1988年5月18日)
- HAPPY AGAIN(1988年9月21日)
- 作詞: 森浩美、作曲: 西木英二、編曲: 船山基紀
- 日本自動車工業会 キャンペーンソング
- ホンキをだして(1989年1月1日)
- 作詞: 森浩美、作曲: 筒美京平、編曲: 船山基紀
- おとぎの国のBirthday(1989年2月14日)
- Love Letter(1989年4月26日)
- さよならを過ぎて(1989年8月2日)
- 作詞: 来生えつこ、作曲: 前田克樹、編曲: 船山基紀
- ALL RIGHT(1989年11月21日)
- 幸福(しあわせ)なんてほしくないわ(1990年2月21日)
- ダイヤモンド☆ブルー(1990年5月21日)
- 作詞・作曲: 遠藤京子、編曲: 井上日徳
- ライオンBan16シリーズ 1990年度イメージソング
- ドラマ『京都東山殺人事件』でも挿入歌として使用されている
- 微笑みを見つけた(1990年8月21日)
- 作詞: 遠藤京子、作曲: 鈴木キサブロー、編曲: 井上日徳
- イヴの卵(1990年11月21日)
- あなたに天使が見える時(1991年3月21日)
- 作詞: 森雪之丞、作曲・編曲: 土橋安騎夫
- モンタージュ(1991年6月21日)
- 作詞: 森雪之丞、作曲・編曲: 土橋安騎夫
- 涙がとまらない 〜HOW! AW! YA!〜(1991年11月7日)
- 軽い気持ちのジュリア(1992年3月4日)
- 作詞: 康珍化、作曲: 上田知華、編曲: URAN
- カップリング曲「うれし涙」はOVA『電影少女 -VIDEO GIRL AI-』オープニングテーマ
- 渚のピテカントロプス(1992年6月21日)
- 作詞: 康珍化、作曲・編曲: 羽田一郎
- たぶんタブー(1992年11月6日)
- あなたが満ちてゆく(1993年5月21日)
- 笑顔が忘れられない(1993年11月21日)
- 作詞・作曲: M&M、編曲: 山川恵津子
- 誘われて…(1994年6月22日)
- 作詞・作曲・編曲: MOONLIGHT CAFÉ
- OH OH OH 〜We are the Winners〜(1995年2月22日)
- 碧いうさぎ(1995年5月10日)
- Here I am 〜泣きたい時は泣けばいい〜(1996年4月24日)
- 作詞: 秋元康、作曲: 川島だりあ、編曲: 新川博
- 鏡のドレス(1996年10月9日)
- 涙色(1997年7月24日)
- 作詞・作曲: 河村隆一、編曲: 土方隆行
- 河村隆一が同年発売のアルバム『Love』でカップリング曲の「蝶々」と共にセルフカバーしている
- 日本テレビ系列『NNNきょうの出来事』エンディング曲
- 横顔(1998年5月13日)
- PURE(1999年4月1日)
- 作詞: 藤井フミヤ、作曲: 増本直樹、編曲: 土方隆行
- WORDS OF LOVE(2000年4月5日)
- miracle(2000年11月1日)
- 天下無敵の愛(2004年6月23日)
- 世界中の誰よりきっと(2007年8月22日)
- 作詞: 中山美穂・上杉昇、作曲: 織田哲郎
- TOYOTA NOAH CMソング
- 中山美穂&WANDSのカバー。カップリング曲は「碧いうさぎ(2007 Version)」
企画シングル
- のりピー音頭(1988年7月6日)
- すすめ! はっくしょんベイビー(2004年5月1日)
アルバム
- ファンタジア (Fantasia)/NORIKO Part I(1987年7月1日)
- 夢冒険/NORIKO SPECIAL(1988年1月1日)
- GUANBARE/NORIKO Part II(1988年3月16日)
- LOVELY TIMES/NORIKO Part III(1988年8月21日)
- Blue Wind 〜NORIKO Part IV〜(1989年6月21日)
- My Dear/NORIKO Part V(1989年12年16月)
- Singles 〜NORIKO BEST〜(1990年3月21日)
- White Girl 〜NORIKO Part VI〜(1990年7月4日)
- Sweet'n' Bitter 〜NORIKO Part VII〜(1991年1月21日)
- CDファイル Noriko Sakai Vol.1(1991年2月21日)
- CDファイル Noriko Sakai Vol.2(1991年2月21日)
- CDファイル Noriko Sakai Vol.3(1991年2月21日)
- マジカル・モンタージュ・カムパニー/Noriko Part VIII (1991.07.21)
- Sentimental Best(1991年12月5日)
- マンモス/Noriko Part IX(1992年7月22日)
- Singles 〜NORIKO BEST〜 II(1992年12月2日)
- あなたが満ちてゆく/Noriko Part X(1993年7月21日)
- ナチュラル・ベスト(1994年2月2日)
- 10 SONGS(Noriko Part XI)(1994年7月21日)
- 微笑(1994年11月1日)
- Watercolour(1995年6月21日)
- Twin Best(1995年7月12日)
- 我愛美人魚(1996年2月1日)
- 素顔(ノーメイク)(1996年5月22日)
- 有縁千里(1996年5月22日) - エリック・ソン(孫耀威)とデュエット曲「有縁千里」収録
- スノーフレイクス(1996年12月18日)
- ASIAN COLLECTION 97(1997年11月28日)
- work out fine(1998年7月1日)
- ASIAN TOUR SPECIAL〜ASIAN COLLECTION 98〜(1998年10月1日)
- PURE COLLECTION (1999年6月23日)
- Singles 〜NORIKO BEST〜 III(2000年4月5日)
- Asia 2000〜Words Of Love〜(2000年10月1日)
- Moments(2003年9月6日) - カバーアルバム
- <COLEZO!>Noriko Sakai Best Selection(2005年3月24日)
- <COLEZO! TWIN>酒井法子(2005年12月16日)
- 大好き 〜My Moments Best〜(2007年9月19日)
出演
ドラマ
連続
- 春風一番!(1986年1月11日 - 3月29日、日本テレビ系列) - 美津子役
- 翔ぶが如く(1990年、NHK 大河ドラマ) - 西郷(市来)琴役
- 第一部前半のみ出演
- 代表取締役刑事(1990年10月7日 - 1991年9月29日、テレビ朝日系列) - 橘日向子役
- サブレギュラー。第1話、第15話など時々出演
- ひとつ屋根の下(1993年4月12日 - 6月28日、フジテレビ系列) - 柏木小雪役
- はぐれ刑事純情派 第6シリーズ第2話「美人コンテスト女王の犯罪!?」(1993年4月14日、テレビ朝日系列)- ゲスト
- 帰ってきちゃった(1993年11月15日 - 12月9日、NHK ドラマ新銀河) - 村田かおり役
- 我愛美人魚(1993年6月、台湾)
- 出逢った頃の君でいて(1994年4月13日 - 6月29日、日本テレビ系列) - 大里ナナ役
- 星の金貨(1995年4月12日 - 7月12日、日本テレビ系列) - 倉本彩役
- 続・星の金貨(1996年10月9日 - 12月25日、日本テレビ系列) - 倉本彩役
- ひとつ屋根の下2(1997年4月14日 - 6月30日、フジテレビ系列) - 柏木小雪役
- 聖者の行進(1998年1月9日 - 3月20日、TBSテレビ系列) - 葉川もも役
- 遠い親戚 近くの他人?(1999年2月17日 - 3月17日、NHK総合) - 香山静役
- 天使が消えた街(2000年4月12日 - 6月29日、日本テレビ系列) - 進藤京子役
- 利家とまつ(2002年1月6日 - 12月15日、NHK 大河ドラマ) - おね→北政所役
- ムコ殿2003(2003年4月17日 - 6月26日、フジテレビ系列) - 石原南役
- 女将になります!(2003年3月31日 - 5月8日、NHK総合テレビ) - 吉野奈津子役
- ファイト(2005年3月29日 - 10月1日、NHK 連続テレビ小説) - 木戸亜沙子役
- まるまるちびまる子ちゃん(2007年4月19日 - フジテレビ系列) - お母さん さくらすみれ役
単発
- 京都花見小路殺人事件〜舞妓さんは名探偵!(1988年10月18日、テレビ朝日系列・火曜スーパーワイド) - 小菊役
- サラリーマン忠臣蔵・華麗なる復讐(1989年1月1日、テレビ朝日系列・新春ドラマスペシャル)
- 家光と彦佐と一心太助(1989年1月3日、テレビ朝日系列・新春時代劇スペシャル) - お仲役
- 京舞妓殺人事件〜舞妓さんは名探偵2〜(1989年8月1日、テレビ朝日系列・火曜スーパーワイド) - 小菊役
- 京都東山殺人事件〜舞妓さんは名探偵〜(1990年4月24日、テレビ朝日系列・火曜ミステリー劇場) - 小菊役
- 若さま侍捕物帖〜陰謀渦巻く江戸城大奥の秘密(1991年1月2日、テレビ朝日系列・正月ドラマスペシャル) - 勝姫役
- 映画みたいな恋したい 「恋しくて」(1992年2月15日、テレビ東京系列)
- 湖畔亭(1992年9月7日、フジテレビ系列・秋の特選サスペンス)
- 真夏のサンタクロース(1992年9月14日、TBSテレビ系列・月曜ドラマスペシャル) - 桑田千代役
- 好きだと言ってくれたなら(1992年12月24日、日本テレビ系列・ドラマシティー'92)
- ほんとにあった怖い話2 「遠い夏」(2000年8月25日、フジテレビ系列・金曜エンタテイメント) - 萩原律子役
- 弟 (2004年11月17日、テレビ朝日系列・秋のスペシャルドラマ) - 料亭「海陽亭」の女将役
- 恋のから騒ぎドラマスペシャル episode 1「三十路の女」(2004年9月25日、日本テレビ系列) - 掛布貴子(9期生メンバーでカケフの愛称で人気のあったスチュワーデスがモデル)役
- 国盗り物語(2005年1月2日、テレビ東京系列・新春ワイド時代劇) - お槙役
- 出張料理人(2006年11月14日、日本テレビ系列・火曜ドラマゴールド) - 神崎直役
映画
- 必殺!5 黄金の血(1991年11月23日) - お浅役
- 花のお江戸の釣りバカ日誌(1998年12月23日) - 浜崎美津役
- ピチューとピカチュウ(2000年7月8日) - ナレーター(声の出演)
- それいけ! アンパンマン ゴミラの星(2001年7月14日) - ヤーダ役(声の出演)
- 呪怨2(2003年8月23日) - 原瀬京子役
- ムーンライト・ジェリーフィッシュ(2004年8月7日) - 寺沢由紀子役
- 予言(2004年10月2日) - 里見綾香役
- 大ちゃん、だいすき。(2007年) - 洋子役(声の出演)
- SS エスエス(2008年1月12日) - 大佛久美子役
- 審理(裁判員制度広報用映画、2008年3月25日試写会開催) - 木村奈緒子役
アニメ
- アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル(2004年7月4日 - 2005年5月15日、NHK総合テレビ) - チャーミアン・ストラウド役(声の出演)
バラエティー
- モモコクラブ (1986年10月5日 - 1987年9月27日、TBSテレビ系列)
- 徹子の部屋 (1989年、1991年、テレビ朝日系列)ゲスト出演。
- THE夜もヒッパレ (1995年 - 2002年、日本テレビ系列)
- 1999年1月から3月までレギュラー司会
- THE M(2008年4月22日 - 8月12日、日本テレビ系列)
CM
- ライオン ban16(制汗・デオドラント製品)
- 信用組合
- 江崎グリコ チョコボンバー(チョコレート菓子)
- サークルK 春のお弁当(1988年)
- 千葉県知事選挙(関東地方のみ)
- JR九州(九州地区のみ)
- 角川書店九州ウォーカー(1997年で九州地区のみ。創刊号の表紙も酒井だった)
- 尾崎商事 カンコー学生服
- 日本ビクター
- 月星化成
- 東芝
- 宝酒造
- 日産自動車 セレナ(C23後期型)
- 亀田製菓
- アラクス
- 郵政省(現、日本郵政)
- 日清食品
- カネボウコスメット
- 中部電力 オール電化
- ミツカン 純玄米黒酢・食酢
- 公共広告機構(現:ACジャパン)
- ニコニコのり もずくスープ
- ワイデックス
- 花王 アタック(洗剤)
- トヨタ自動車 ノア(2007年)
- シダックス(2008年)
- ユニリーバ・ジャパン ダヴ モイスチャーシャンプー(2008年)
ラジオ
- ときめきパジャマ MARI NORI AKIのドッキンタイム(1986年4月13日開始、ニッポン放送)
- きらきらサンデーアイドルおちゃめランド(文化放送)
- ※当時事務所の後輩だった田村英里子と共に出演。
- のりピー 不思議な夢冒険
- のりピー 気ままにセンセーション
- 酒井法子 すてきにロマンス
- 酒井法子 ドライブパートナー
- ※以上4番組は放送された局によって番組名が違うが、内容は全て同じ。
- 酒井法子のストレートライフ・夢色プリズム(アール・エフ・ラジオ日本)
- Radio THIS(毎日放送)
舞台
- 喜劇 雪之丞変化(1991年2月2日 - 2月28日、東京宝塚劇場) - 浪路役
- ミュージカル サウンド・オブ・ミュージック(1992年3月3日 - 4月22日、青山劇場) - リーズル役
- ミュージカル シンデレラ(1995年8月2日 - 8月29日、新宿コマ劇場) - シンデレラ役
- ブロードウェイミュージカル big(1998年7月8日 - 8月30日、東京国際フォーラム) - スーザン役
その他
- 天使がくれたレインボー(1989年7月15日 - 11月26日)
- 名古屋デザイン博「ときめきCity館」内の映像アトラクション
- 鏡の国のレジェンド(1989年10月27日)
- PCエンジン CD-ROM²用ゲームソフト。鏡の国に誘拐されたのりピーを探して冒険するアドベンチャーゲーム。実写取り込みによる画像と声による出演。劇中に使用される「夢冒険」「GUANBARE」「星屑のアリス」「Love Letter」の4曲がCD-DAで収録されている。
書籍
受賞歴
- 第1回COTTON USAアワード『Mrs. COTTON USA』(2004年)
関連項目
- 統合失調症
- 女性タレント
- 日本の女優一覧
- 福岡県出身の人物一覧
- 堀越高等学校の人物一覧
- おさかな天国(ジャケットを描いた)
- サンミュージックプロダクション
- ジョジョの奇妙な冒険 - 第二部「戦闘潮流」で、主人公のジョセフ・ジョースターがのりピー語を使っている。
- トップをねらえ! - 主人公タカヤノリコ、その声優日高のり子、主題歌歌手の酒井法子のトリプルノリコが売りの作品。
出典・脚注
- ↑ 相澤秀禎 『人気づくりの法則』(東洋経済新報社 1988年4月23日) ISBN 978-4492553091
外部リンク
- 公式HP(解雇で削除)
- Hong Kong Noriko Sakai Alliance(香港公式HPだったが閉鎖)
- PPrikorino(閉鎖)
- 特集・酒井法子逮捕(時事通信)