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セガ

株式会社セガ名:SEGA Corporation)は、業務用ゲーム機器、家庭用ゲームソフトの開発、製造、販売、アミューズメント施設運営などを行う日本ゲームメーカーである。セガサミーホールディングスのグループ企業。

概要[編集]

セガ

社名の由来は、前身であるサービスゲームスジャパン株式会社が出していたジュークボックスのブランド名「Service」と「Games」の頭2文字を結合。社歌は「若い力」(作詞:セガ社員の高橋栄一 作曲:若草恵)。

アーケードゲーム市場では、現存するゲーム会社としては最古参であり、店舗経営・筐体販売・ゲーム供給などを手がける総合的なメーカーとしては最大手。他の総合的な大手としてはTAITOがあるが、創業当時からTAITOはほぼ一つの会社で進んで来たのに対し、SEGAはサービスゲームスなど複数の会社が分離合併を繰り返して出来たという違いを持つ。これは分社化など機能最適化の模索による面がある。奇しくも、セガとタイトーはどちらもユダヤ系企業である事も特徴である。

実績[編集]

セガ

アーケードゲームの中期に『アフターバーナー』などの大型筐体ゲームを中心に『ファンタジーゾーン』等を供給。以降は『バーチャレーシング』、『バーチャファイター』、『バーチャロン』、『バーチャコップ』などの3Dゲームで革新とブームを起こす一方、プリント倶楽部UFOキャッチャーを開発し女子学生や家族連れとアーケード市場を結びつけることにより、ゲームセンターを“ゲームマニアや子供が遊ぶ場所”としてだけでなく“総合的アミューズメントゲーム施設”としても展開させた。近年ではコンシューマ機の高性能化などで生じたアーケードゲーム市場の閉塞感を、『WORLD CLUB Champion Football』(WCCF)や『甲虫王者ムシキング』などのカードゲームで打破するなど、盟主たる腕を振るっている。

『甲虫王者ムシキング』、そしてその女児向けである『オシャレ魔女 ラブandベリー』を稼動させ、幼稚園~小学校低学年の子供に親までも巻き込んだ商品展開を進めている。また、このラブandベリーに出てくる服や靴などを製品化し、ゲームメーカー初のアパレル参入としても話題になっている。

またゲームセンターの形態模索として、遊園地の中間的なガルボ、都市部若者向のギーゴ、クラブセガなどの店舗も展開。アーケード・コンシューマ外でも、テーマパークジョイポリス、太正浪漫堂などのグッズ販売・喫茶店、セガカラのカラオケや、ロボピッチャジリオンなどのトイズ部門(セガトイズ)もある。

評価[編集]

セガ

かつての独自路線時にアーケードとコンシューマーで多くの傑作を残してきた。特にソニックシリーズの世界的な成功は海外への事業展開にも重要な役割を占めた。革新性、挑戦精神、独自性、アーケードとリンクしたハード運営もファンから評価されたことから、任天堂ソニー・コンピュータエンタテインメントのハードを評価の対象としていないセガファンは今なお多い。

一方で他のゲーム会社と比べると小回りの効きにくい部分があり、テレビゲーム黎明期、スペースインベーダーブーム、2D対戦格闘ブーム、家庭用ゲーム機など、セガが出遅れる事で大きく損をしてしまう展開も多い。

セガのゲームを指す言葉として「セガゲー」がある。これは、単純に「セガ製のゲーム」を指す事もあるが、大抵は「セガテイストに溢れたゲーム」と言う意味で使われる。「セガテイスト」とは「馬鹿で斬新でマニアック」、「超一流のB級」、「時代の先を行き過ぎている」、「独自性・挑戦精神・開拓精神に溢れすぎて革新的」などセガらしさを内包する言葉でファンの間での褒め言葉である。特に顕著な作品として『マイケル・ジャクソンズ・ムーンウォーカー』、『スペースチャンネル5』、『きみのためなら死ねる』などが挙げられる。もっともそのアクの強さゆえに、逆に「セガゲー」を極度に嫌うユーザーも存在する。

同業他社との関係[編集]

セガ

近年はコラボレーションによるソフト開発や、アーケードゲーム基板「Triforce」の共同開発などで、かつての競合他社であった任天堂に急接近している。なかでもWiiのバーチャルコンソール向けメガドライブソフトを提供したり、自社の代表的キャラクターであるソニックが任天堂のゲームに登場したりと、その提携には拍車がかかりつつある。

また、アミューズメント事業において対戦格闘ゲームレースゲームなどの分野の製品や店舗運営事業での競合相手であるバンダイナムコゲームスとも「良き競争相手」といえる関係を築いており、業務提携の発表や物流事業の統合、アミューズメント機器向けのネットワーク基盤「ALL.Net」の共同構築・推進、任天堂と同じくアーケードゲーム基板「Triforce」の共同開発など、様々な提携が行われている。

一方で、同様にアーケードゲーム機の競合製品を多く出しているコナミとの関係は悪く、たとえばセガが運営する店舗にはコナミのゲーム機がごく一部の店舗(フランチャイズ店舗や、今ほど関係が悪くなかった頃に入荷したものなど)を除いてほとんど設置されていない(セガとコナミのどちらが設置を拒んでいるのかは不明)。

時事的な沿革[編集]

セガ
セガ
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1997年1月23日エニックス(現:スクウェア・エニックス)がプレイステーション用ソフト『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』の制作を報道向けに大々的に発表したことを受けて、「1997年10月1日付でバンダイ(現在はナムコと経営統合し バンダイナムコグループの一員)と合併し、新社名をセガバンダイとする」と発表。しかし、バンダイは創業者一族が経営に関わっている(当時)家族経営のような企業風土、セガは大川会長率いる巨大企業グループの一員であり、同時に自身も企業グループのリーダーであるが、基本的にはサラリーマン社長が経営するビジネスライクな企業風土であり、元々社風が全く異なる上に、合併計画発表後にバンダイより発売された『たまごっち』が大ヒットした事も(諸説)あり、バンダイ社内でセガとの合併を疑問視する声が次第に大きくなり、同年5月27日、バンダイからの申し入れにより合併合意は解消された。

その後、家庭用ゲーム機でゲームボーイシリーズの任天堂やプレイステーションシリーズのソニー・コンピュータエンタテインメントとのシェア争いに敗れ経営が悪化。アメリカで行われていた特許訴訟においては、和解金数千万ドル(推定)の捻出を迫られ事実上の敗北となった。リストラ計画に対しても、元社員に対し不当解雇を行った事で裁判となり敗訴。湯川専務を起用した、自虐的なドリームキャストCMは人気を集めたが、肝心の販売に結びつける事が出来なかった。同機の心臓部であるグラフィックチップ(Power VR2)の、歩留まりが向上しなかった事が原因である。それにより増産が望めなかった事で、需要に見合った供給を果たせなかった。結果的に初回出荷量の大幅減、予約キャンペーンも急遽取りやめといった「売りたくても、売りに出せない」という苦悩が続く非常事態となり、ハード販売の停滞からソフトメーカーの呼び込みも進まなかった。

1999年6月に価格を29,800円から19,900円へ値下げして再立ち上げを図り、TSUTAYAと提携してソフトのレンタルを実施するなどソフトメーカーに新しい収益の場を提供するものの、ソフトメーカーにとってソフトのリリースや、参入にまで至るだけの関心はハードのシェアの伸び悩みから得られにくかった。

CSK会長であった大川功の個人資産の譲渡などで支援を受けるものの、2001年3月31日、唯一製造し続けていたゲームハード機ドリームキャストの製造を打ち切り、ハード機製造から完全撤退することになった(ちなみに、ドリームキャストとセガサターンの有償修理は2007年9月28日必着分まで受け付けていた)。以後はプレイステーションゲームボーイアドバンス等の他社のハード機に対応したソフト作りに専念している。これによって『バーチャファイターシリーズ』、『サクラ大戦シリーズ』、『ソニックシリーズ』等の人気シリーズが他のハードに移行することとなる。家庭用ゲーム機製造販売から撤退した。セガの壊滅的なシェア崩落により、のちに当時のセガをモチーフにした経営シミュレーションRPGセガガガ』が発売された。これ以降ライバルであったソニー・コンピュータエンタテインメントや任天堂のゲーム機にもソフトウェアが供給されるようになる。

大川功の死後、CSKは企業間取引への事業集中のためセガ株の売却を考えるようになり、2003年前半にサミーナムコとの合併話が出たが破談。しかし同年12月、サミーがCSKの保有するセガ株全てを買収し、セガは事実上サミーの傘下に入った。また2004年10月1日付けで持ち株会社セガサミーホールディングス(セガサミーHD)を設立し、セガはサミーと共にセガサミーHDの100%子会社となり経営統合した。

家庭用のネットワークゲーム運営の面においても必ずしも順調ではなく、2005年に日本で開始されたMMORPGの『RF online』で、開始当初に急遽サーバの増設を行うほどの集客を獲得したものの、限定アイテムの配布時期の延期、データは既に存在しているマップの実装を長期間見送る、規約違反者への対処が甘いなど、運営上の不手際が多々あり人離れがしばしば見かけられ、2007年の2月、わずか1年半足らずでサービス終了となる事態を招いた。『ファンタシースターオンライン』シリーズでは一定の評価を得ていたものの、2006年発売の『ファンタシースターユニバース』のサービス開始当初においては、サーバがパンクし接続がままならないなどの致命的なトラブルを引き起こしてしまい、ユーザーからの評価を落としている。

不祥事[編集]

2008年11月3日に家庭用ゲームソフトのデバッグ調査業務アルバイトへの応募者合計115名分の個人情報3月19日から11月3日までの間インターネット上に流出していたことが発覚した。このことに関し、アルバイト応募者へは、お詫びとして『戦場のヴァルキュリア』500円クオカードが贈呈された。

ゲーム会社の就活・意欲や愛着が採用につながるとは限らない[編集]

セガ人事部人事企画チームマネジャー・長谷川泰弘さん

ゲームソフトメーカーの老舗で、2001年まではゲーム機も製作していたセガ。就職希望の学生にもやはり、ゲーム好きが多いという。

開発を担当するプログラマーなどの志望者には、自分が制作したゲームを提出してもらっている。手書きでアイデアをまとめたものや、パソコンで制作してすぐに遊べるものもあるが、人事部人事企画チームの長谷川泰弘チームマネジャーは

「実際に売れるような作品を提出してくる人は残念ながらいない」

と手厳しい。提出作品は、最近の携帯電話などを使ったソーシャルゲーム人気の高まりを受けて、つながりを意識したゲームが多いという。

また、同社は日本に留学している外国人学生を毎年1~2人程度採用しているが、長谷川さんは

「会社で力を入れているオンラインゲーム文化が発達した韓国の志望者が増えている印象がある」

と話す。オンラインやソーシャルなど、ビジネスの流れにあったゲームを志向する学生が多い一方で、ゲームセンターやゲーム機用のゲームで一時代を築いたセガの伝統を引き継ごうという気概に燃える志願者もいる。

「新しい技術をふんだんに使った上級者向けのゲームを作りたい学生も減ってはいるものの、毎年確実にいる」という。

さらに、学生からは「もう一度作らないのですか」と、撤退したゲーム機に強い愛着をうかがわせる質問も出るという。昔からのセガを知っていて、「『サクラ大戦』や『ソニックシリーズ』の熱狂的なファンです」という学生や「ゲームセンターに今も通っています」という学生の方が、「マニュアル通りのことを答える学生よりもセガに入りたいという意欲を強く感じる」が、「採用につながるとは限らない」と断言する。最も重視するのは「長期的に会社に貢献してくれる人材で、夢物語でなく、ビジネスとして生かせるアイデアを持っているか」だという。

また、営業や事務関係の職種は、かえってゲームをやったことのない人のほうが、素人の目線でゲームの内容を説明でき、向いていることが多いという。今年の志願者には「東日本大震災の被災地の避難所で生活している人の状態をリポートにした」「被災地でボランティア活動をした」など、震災関連の活動をしてきたという学生も多かったが、「印象としてはプラスになる」。ゲームへの愛着も大事だが、やはり、社会人としての常識的な感性を持っていることも重視している。

会社沿革[編集]

  • 1940年 アービング・ブロムバーグ、マーティ・ブロムリーの親子が、ハワイ米軍基地内のジュークボックスメンテナンス事業を目的とし、スタンダードゲームズを創業。後にサービスゲームズ(アメリカ)に改名。
  • 1952年 ジュークボックスの輸入販売を目的として二人のアメリカ人、レイモンド・レメアー、リチャード・スチュワートによりサービスゲームズ(日本)創業
  • 1954年 在米ユダヤ人のデビッド・E・ローゼンがローゼン・エンタープライゼスを設立
  • 1960年 サービスゲームズジャパン解散、営業部門の日本娯楽物産(リチャード・スチュワート代表)と製造部門の日本機械製造(レイモンド・レメアー代表)とに分割し新設する
  • 1964年 日本娯楽物産、日本機械製造を吸収合併
  • 1965年 有限会社ローゼン・エンタープライゼスと合併。株式会社セガ・エンタープライゼスに変更。社長はローゼン
  • 1968年 中山隼雄、エスコ貿易を設立
  • 1969年 ガルフ・アンド・ウエスタン・インダストリーズ インクの傘下に入る
  • 1973年 アタリ『ポン』のコピーゲーム『ポントロン』を発売。タイトーの『エレポン』とほぼ同時に、日本初のテレビゲーム(会社)となる
  • 1978年 インベーダーブーム時うまく稼げなかった失地回復を計る為、アメリカのアーケードビデオゲーム会社、グレムリンを買収。セガ・グレムリンとする
  • 1979年 エスコ貿易を買収。エスコ貿易社長の中山、代表取締役副社長に就任
  • 1983年 8ビット家庭用ゲーム機SG-1000発売。8ビットパソコンSC-3000発売。日本初のレーザーディスクゲーム「アストロンベルト」発売
  • 1984年 CSKグループの資本参加により、CSKグループ傘下に入る。8ビット家庭用ゲーム機SG-1000II発売。中山、代表取締役社長就任
  • 1985年 世界初の体感アーケードゲーム機『ハングオン』発売。UFOキャッチャー発売。8ビット家庭用ゲーム機セガ・マークIII発売
  • 1986年 株式 店頭登録。体感アーケードゲーム機『スペースハリアー』と『アウトラン』発売。
  • 1987年 体感アーケードゲーム機『アフターバーナー』発売。8ビット家庭用ゲーム機マスターシステム発売
  • 1988年 株式 東京証券取引所市場第二部上場。アーケードゲーム機『テトリス』発売。16ビット家庭用ゲーム機メガドライブ発売
  • 1990年 同株式 第一部指定。カラー液晶携帯ゲーム機ゲームギア発売
  • 1991年 16ビットパソコンテラドライブ発売。メガドライブ用周辺機器メガCD、そして同機用ゲームソフト『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』発売。クレーンゲーム機NEW UFOキャッチャー発売
  • 1992年 フルポリゴンアーケードゲーム機『バーチャレーシング』発売。アメリカで特許侵害をめぐりジョン・コイルと巨額裁判になる。セガは和解金として日本円で57億円をコイルに支払った。
  • 1993年 3D対戦格闘アーケードゲーム機『バーチャファイター』発売
  • 1994年 メガドライブ用周辺機器スーパー32X発売。32ビット家庭用ゲーム機セガサターン、そして同機互換業務用汎用CGボードST-V発表。3D対戦格闘アーケードゲーム機『バーチャファイター2』発売
  • 1995年 シール作成機プリント倶楽部発売
  • 1997年 株式会社バンダイとの合併を発表(後に白紙撤回)
  • 1998年 経営破綻した株式会社コンパイルから『ぷよぷよ』の権利を買う。家庭用ゲーム機ドリームキャスト発売。ドリームキャスト互換業務用汎用CGボードNAOMI発表。入交昭一郎、代表取締役社長就任
  • 2000年 ソフトウェア開発部門を分社化。アミューズメント施設運営部門を地域会社のセガアミューズメント東日本・東京・東海・関西・西日本に分社化。商号、株式会社セガ・エンタープライゼスから株式会社セガに変更。大川功、代表取締役会長兼社長就任
  • 2001年 家庭用ゲーム機製造販売から撤退を表明。佐藤秀樹、代表取締役社長就任。社員18人が解雇や賃金カットを不当だとして訴訟を起こす。後、これら行為を撤廃する方向で和解
  • 2002年 Xbox互換業務用汎用CGボードChihiro発表。ニンテンドーゲームキューブ互換業務用汎用CGボードTRIFORCE発表。セガアミューズメント地域会社5社、合併し株式会社セガアミューズメントに
  • 2003年 開発子会社のオーバーワークスとワウ エンターテイメントが合併し、セガワウへ社名変更。ユナイテッド・ゲーム・アーティスツソニックチームへ、セガ・ロッソヒットメーカーに統合。デジタルレックスを新設。筆頭株主がCSKからサミーに変更。小口久雄、代表取締役社長就任
  • 2004年 開発子会社のセガワウ、SEGA-AM2、ヒットメーカー、アミューズメントヴィジョンスマイルビット、ソニックチーム、デジタルレックスをセガ本体へ統合。サミーと経営統合、セガサミーホールディングス設立
  • 2005年 株式会社セガアミューズメントをセガ本体へ統合
  • 2007年 サミー出身の里見治が社長CEO兼COOに就任し、セガ出身の小口が副社長に降格。セガカラを運営していたセガ・ミュージック・ネットワークスをBMBに売却
  • 2008年 アミューズメント施設事業の不振により約400人の希望退職を行うことを発表。また横浜みなとみらい21地区(55~58街区)に2011年完成予定だったエンタテインメント複合施設、本社機能移転の計画中止を発表
  • 2008年 アルバイトへの応募者合計115名分の個人情報を流失していたことが発覚する。
  • 2009年 アミューズメント施設事業やコンシューマー事業の不振により約560人の希望退職を行うことを発表。

製品[編集]

家庭用ゲーム機[編集]

アーケードゲーム基板[編集]

ゲーム作品[編集]

各ジャンル毎に五十音順に並んでいる。

パドルとボールゲーム
アクションゲーム
シューティングゲーム
レースゲーム
対戦型格闘ゲーム
アクションアドベンチャーゲーム
シミュレーションゲーム
ロールプレイングゲーム
アドベンチャーゲーム
パズルゲーム
音楽ゲーム
ベクタースキャンゲーム
レーザーディスクゲーム
オンラインゲーム
メダルゲーム
トレーディングカードゲーム型アーケードゲーム
その他のアーケードマシン

ミリオンセラーとなったソフト[編集]

セガより発売されたゲームソフトで、日本国内での売り上げ本数100万本を突破したものは、現時点では1995年セガサターン用『バーチャファイター2』、及び2006年ニンテンドーDS用『オシャレ魔女♥ラブandベリー DSコレクション』の2本のみである(『ソニックアドベンチャー』、『ソニックアドベンチャー2』については、リメイク作品である『ソニックアドベンチャーデラックス』、『ソニックアドベンチャー2バトル』を含めると100万本を突破している)。これは、かねてより常に業界2番手以下の地位にあった自社ゲームハードを長い間支え続けてきた事、コアユーザーに評価されるソフトが多かった事など、独特の歴史を歩んできたことが一因にあるとされる。

国外においてはジェネシス(国外版メガドライブ)、ドリームキャストゲームボーイアドバンスゲームキューブなどでの『ソニック・ザ・ヘッジホッグ / ソニックアドバンス / ソニックアドベンチャーシリーズ』や、スポーツゲームではESPNブランドもしくはSega Sportsブランドでの北米3大スポーツ「NBA / NFL / NHL」シリーズなどでミリオンセラーを連発しており、また、ドリームキャスト用ソフト「シェンムー」や「クレイジータクシー」、PlayStation2版「バーチャファイター4」などは日本国内、海外を含めた全世界累計での販売本数がミリオンセラーを記録している。そのことから、セガのゲームは海外での人気を誇る作品が多いことが窺える。

実写作品[編集]

運営するテーマパーク[編集]

グループ企業[編集]

外部リンク[編集]