富山市
富山市 | ||
国/地方 | 日本 | |
都道府県 | 富山県 | |
団体コード | 16201-9 | |
面積 | 1,241.85 km² 境界未定:あり
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総人口 | - 人 ( )
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人口密度 | - 人 /km² | |
隣接自治体 | 射水市、滑川市、砺波市、 南砺市、上市町、立山町、 舟橋村 長野県:大町市 岐阜県:飛騨市、高山市 | |
市の木 | ケヤキ | |
市の花 | アザミ | |
市の花木 | ツバキ | |
富山市役所 | ||
市長 | ||
所在地 | 〒930-8510 富山県 富山市新桜町7番38号 | |
位置 | ||
テンプレート:基礎自治体位置図 | ||
特記事項: ここでのデータは2005年4月発足の新市制のものである。 旧市制のデータは#旧・富山市に掲載する。 | ||
富山市(とやまし)は、北陸地方の富山県の中央部から南東部にかけて位置する市である。富山県の県庁所在地であり、国から中核市の指定を受けている。また、国際会議観光都市でもある。
目次
概要[編集]
「越中富山の薬売り」で名を広めた富山藩の城下町として栄えた地域、浄土真宗の古刹聞名寺(八尾)の門前町として発展した地域、立山信仰の登山者たちの宿場町として人々が行きかった地域などからなる。地形も変化に富み、水深約3,000メートルの富山深海長谷から標高2,986mの水晶岳まで、ホタルイカや雷鳥をはじめとしてさまざまな動植物が生息している。
富山県の約3割の面積を占め、全国の県庁所在地の中で2番目に広い(2006年10月1日時点)。一方、人口密度においては下から3位となっている。2005年4月1日、(旧)富山市、上新川郡大沢野町、大山町、婦負郡八尾町、婦中町、山田村、細入村の7市町村による新設合併によって現在の富山市が発足した。
方言は富山弁である。
(※ 2005年3月までの富山市に該当する項目については、「#旧・富山市」で述べる。)
地理[編集]
地形[編集]
富山県の中部に位置していて、県の面積の3分の1を占める。西部になだらかな呉羽丘陵が横たわるほかは、神通川、常願寺川などの川によって形成された沖積平野の富山平野が広がる。このため、南東部を見渡すと雄大な北アルプス立山連峰を一望できる。北部に目をやると、豊富な魚介類の宝庫である富山湾が広がっている。
市街化区域内は区画整理され、東西と南北に碁盤目状に延びる道路と、富山駅を起点とした5本の放射状道路により構成された美しい近代計画都市となっている。一方、古い町並みの残る八尾地区は「越中おわら風の盆」で全国的に知られ、多数の観光客が訪れる。
- 山:水晶岳(富山市最高峰)、薬師岳、野口五郎岳、黒部五郎岳、烏帽子岳、赤牛岳、三俣蓮華岳、北ノ俣岳、鷲羽岳、白木峰
- 川:神通川、常願寺川、井田川、松川、いたち川、熊野川、白岩川、上市川、和田川
- 湖沼:黒部湖(黒部ダム)、有峰湖(有峰ダム)、田尻池
- 地名の由来
トヤマの地名は、室町幕府直臣の吉見詮頼が、1398年(応永5年)5月3日に「越中国外山郷地頭職」を観勝寺に寄せた寄進状(富山市郷土博物館所蔵、富山市指定文化財)が初見。外山郷は、越中守護所放生津(現・射水市)があった射水郡の東端である御服山(呉羽山)の東麓(射水郡からみて外側)に位置する。この地形から、外山の字が当てられたととする説がある。「富山」字は戦国時代に初見されるが、江戸時代は「富山」「外山」の両方が使用されている。
近年、深山に対する外山(とやま)という説も出された。
気候[編集]
北陸地方の他の地域と同様、年間降水日数が多く、特に冬期は多量の降水を見るが、地形的な問題で、冬の季節風が比較的弱いものの、フェーンの影響を特に受けやすい。
隣接している自治体[編集]
- 富山県
歴史[編集]
黎明の時期[編集]
富山市街地に相当する神通川下流域は、複合扇状地の恩恵により、大化の改新よりも前から、北陸道における農作地として存在していた。
神通川西岸には、古代氏族である射水臣氏が有力氏族としており、この射水臣氏は、国造である大河音足尼を出した伝統的氏族として知られる。呉羽山にある古墳群は、この射水臣氏の血統の祖であると考えられている。天平期においては、現在の富山市東部(上飯野から天正寺を経て西福沢の丸山に向かう一帯を基線とする)は東大寺の階墾田「大藪庄」と呼ばれていた。また、更に東部において、現在の滑川市を中心とした地域は「堀江荘」と呼ばれた。
平安期に入ると、新たに伊勢神宮領弘田御厨(富山市広田地区)、長講堂領新保御厨(富山市新保)、新熊野社領立山外宮(富山市太田若しくは吉岡)などの荘園が立荘された。
また、北陸道における駅として、磐瀬(富山市岩瀬)、水橋(富山市水橋)が配置されていた。そのうち水橋は、「枕草子」において「わたりは、しかすがのわたり、こりずまのわたり、水橋のわたり」として記されている。
荘園の拡大と御家人[編集]
律令制度において、貴族社会を根底から支える貴族私有地制度「荘園」は拡大し、白河・鳥羽・後白河の三代院政期において、さらに増加した。当時、実質院分国であった越中国において、藤原顕隆の勧修寺一族の遠戚である宮道氏が留守役として下向していた。
白河法皇が死去すると、在地において知行国として荘園を管理する体制が現れた。堀江荘は藤原顕隆一門(勧修寺氏)が、般若野荘・宮川荘を藤原公能一門(徳大寺氏)が、高野荘を藤原実行一門(三条氏)が支配した。勧修寺氏の留守役である宮道氏は堀江荘や太田保(富山市太田)を私領支配し、その分家筋である太田氏や蜷川氏の祖となった。その他の荘園も、同様に在地の私領支配へと移っていった。
源頼朝の知行である鎌倉時代になると、南部に広がる太田保が北陸道大将軍に任ぜられた幕府の御家人、北条朝時(名越)所領となった。これは、平氏の知行もなかなか受け入れず、木曽義仲に与し、源義経の逃亡路となったという、幕府にとって都合の悪い越中国の国人達を牽制したものである。その一方で堀江荘における宮道氏は荘園を安堵され、太田氏も太田保を除く開発領を安堵されており、在地の者に対する御家人への道を残している。
このころ、名越朝時の被官として後の新川郡守護代家である千葉一族椎名氏が入部し、在地に土着した。
鎌倉幕府の滅亡と守護大名の台頭[編集]
越中国守護北条朝時(名越)は、執権北条氏における有力庶流の血統であったため、北条氏嫡流の弾圧を受け続けた。そして、名越時有の代になると、六波羅探題が壊滅、在地武士の離反にあって最後は一族79人が放生津城にて割腹し、最期を遂げた。時近くして、鎌倉において、北条高時が自害、鎌倉幕府は滅亡した。
南北朝時代に入り、観応の擾乱で活躍した越中守護桃井直常は、太田保布市の興国寺周辺を拠点として反幕府運動を展開した。直常は一時幕府に帰順したこともあるが、斯波氏との対立により再び越中に下向して反抗した。桃井氏は長沢(富山市長沢)などで抗戦を繰り返したが、1371年(応安4年)に砺波郡五位荘の合戦後、直常は消息不明となり、斯波氏による越中掌握が進んだ。一方、神通川と常願寺川に挟まれた地域に広く拡大した太田保は、室町幕府管領細川家領となり、太田保北部に柳町(富山市柳町)などの町が誕生する。斯波氏と細川氏は幕府内で対立関係にあり、斯波氏が越中守護として桃井氏を没落させた後も細川氏は太田保を所領し続けたため、桃井氏の残党や国人は、太田保に逃げ込み、細川氏の庇護を受けた。この頃、太田保領内に富山郷が現れる。
1377年(永和3年)、越中国人の謀反が起き、守護斯波氏と合戦になった。その破れた越中国人を管領細川頼之は太田保で保護し、そこに斯波氏が攻め込むと言う事態に至った。激怒した細川頼之は代官篠本氏を派遣し斯波氏と対峙させ、事態は一触即発の状況となった。この状況が続き、やがて京における細川追い落としの動きが強まり、細川頼之は管領を罷免され、斯波義将が管領となった(康暦の政変)。ところが、細川氏は太田保を手放さずにいたため、ついに越中国守護は斯波氏から畠山基国に譲られる。以降160年にわたり、越中国の守護は最後の畠山稙長に至るまで、畠山氏の世襲となる。
分郡守護代の台頭[編集]
当時の越中は、新川郡を椎名氏が、射水郡・婦負郡を神保氏が、砺波郡を遊佐氏が「守護役」から発展した分郡守護代として被官していた。守護代の下には「又守護代」や「郡使」などと呼ばれた国人たちがいた。
越中守護畠山持国の跡目争いから生じた応仁の乱の際には、これら分郡守護代達は畠山政長の臣下として従軍し、なかでも神保長誠は、政長自決の後、政長の立てた将軍足利義材を越中放生津に迎え、将軍公権を二分する幕府政権(越中公方)を構えるに至った。この際も、越中新川郡の椎名氏などを含む諸国の畠山守護代たちは足利義材の受け入れに協力し、義材が越中を離れるまで分郡守護代達の足並みは揃っていた。だが、政長と言う要を失った畠山氏は、各地の国人たちを束ねることが出来ず、越中においても、各分郡守護代の勃興が起こり、細川氏の庇護を受けた本願寺による一向一揆が力をつけるなど、歴史の幕は次なる権力闘争へと移っていった。
城下町の形成[編集]
戦国時代以降、婦負郡・射水郡分郡守護代であった神保長職によって太田保北端を流れる神通川の自然堤防上に富山城が築城され、城下町としての富山町が発展した。一向一揆の平定により越中国の守護となった佐々成政が入城し、柴田勝家と伴に上杉軍の魚津城を攻め落とす拠点となった。
当時、佐々成政によってなされた治水事業は河川の氾濫を制えて、以降の下流域全体の発展に至った。
江戸時代[編集]
江戸時代に入ると、南部に土方氏の布市藩が成立した。その後加賀藩二代藩主前田利長が富山城を隠居地とし、布市藩は能登に転封された。1609年(慶長14年)に富山城が焼失したため、利長は高岡へ移った。その後、利長養嗣子となった三代藩主前田利常が隠居する際、その子前田利次に越中54万石のうち婦負郡一円の地と富山を含む新川郡の一部10万石を分封し、富山藩が成立した。
この分封により、富山城下は富山町として現在の富山市中心市街区が整備され発展した。また、富山藩二代藩主前田正甫(利次の子)が製薬を推進したため、薬の製造と販売を一括して行った上にそれを顧客の自宅に配置するという特殊な業態を創造し、それを中心とした産業が発展した。
中世以来三津七湊の一つとして栄えた岩瀬地区では北前船などの日本海航路の拠点として発展した。
明治維新から第二次大戦まで[編集]
1871年(明治4年)8月29日(旧暦7月14日)の廃藩置県により、富山藩領は富山県となり、加賀藩領は金沢県となった。同年12月31日(旧暦11月20日)に富山県は金沢県の礪波郡・新川郡とあわせて新川県となった。1873年(明治6年)9月6日には新川県の県庁が魚津から富山城址に移転した。1876年(和暦??年)4月18日に新川県は石川県に編入されたが、1883年(和暦??年)5月9日には石川県から新川県が分離され、富山県に改名された。以来、富山は富山県の県庁所在地となった。
1889年(和暦??年)4月1日の市制施行の後、臨海部を中心として機械工業や化学工業による工業化が進んでいた。1899年(和暦??年)に北陸本線が開通し、江戸時代から続く日本海航路の拠点である岩瀬港や、甲信越地方・東海地方とを結ぶ交通の要衝として発展していた。
岩瀬港周辺では廻船問屋が栄華を極め、特に大きな廻船問屋は馬場家、米田家、森家、畠山家、宮城家の五つの問屋であった。なかでも馬場家はその八代目の妻である馬場はるが旧制富山高等学校の設立に尽力し、現在の金額で総額160億円もの寄付を行い、富山市初の名誉市民となっている。
また、売薬業においても江戸時代から着々と積み重ね、大きく成長した薬問屋が隆盛していた。中でも荻原氏、中田氏、金岡氏、密田氏、松井氏などが特に大きな富山市在地の問屋として知られていた。彼等の中から、北陸銀行初代頭取である中田清兵衛や、北陸電力の前身となる富山電灯の創業者である金岡又左衞門が生まれている。
第二次世界大戦の末期、1945年(和暦??年)8月2日の富山大空襲によって、死者2,275人を出し、市街地の99.5%が焼失する被害を受け、城下町としての入り組んだ町並みや面影は破壊された。しかし、富山市民はその焦土の中でも文化を積み上げる行為を断念しなかった。爆撃を受けた富山薬学専門学校では、富山化学工業の社長であった中井敏雄が私財を投じてその復興を助けた。また、多くの市民が復興募金に応じ、富山市街区の近代都市としての再生を助けた。
第二次大戦後(昭和)[編集]
1950年(和暦??年)戦後の焼け野原になった富山市において都市計画が策定された。富山駅を中心とした放射状道路と碁盤目の直交した道路によって構成された近代都市計画が推し進められた。戦前から存在した港湾設備や重化学工業や機械工業の復興が行われ、高岡市、新湊市(現:射水市)などの臨海部を占める地区と一体となった工業地帯を形成した。更に工業の発展とともに需要の高まりを見せた電力供給のため、河口域には大規模な火力発電所が整備された。そうして富山市は高度経済成長期を駈け抜けた。
1955年(和暦??年)頃-1970年代、イタイイタイ病が発生。これは、四大公害病の一つで、岐阜県の三井金属鉱業神岡事業所(神岡鉱山)による鉱山の製錬に伴う未処理廃水が神通川に流入、下流域である熊野、神明(旧富山市)、婦中(旧婦中町)で発症する人が現れた。
平成[編集]
2005年4月1日:富山市(~2005年3月)、上新川郡大沢野町、大山町、婦負郡八尾町、婦中町、山田村、細入村の7市町村が新設合併して、新市制の富山市(2005年4月~)が発足した。(平成の大合併)
2007年2月8日:富山市の中心市街地活性化基本計画が第1号として認定される。436ヘクタールが対象で、病院や介護施設、商店を中心部に集約し、高齢者らが次世代型路面電車などを核に、車に頼らず暮らせる環境づくりを進める計画。バス路線の支援事業やJR高山本線の増便事業、富山ライトレールなどの公共交通機関支援事業を実行している。
行政[編集]
政策[編集]
- 公共交通を活かしたコンパクトなまちづくり
- 郊外型、拡散型のまちづくりが進んだ結果、富山市は車での移動には便利であるが、車がないと大変不便なまちになってきた。このように、人口・都市機能が市域全般に広がった状態では、道路の整備やごみの収集などの公共サービスのコストがかさむ傾向がある。さらに、人口が減少し、三位一体の改革で国からの交付金や補助金が減るなかでは、社会の維持が難しくなっていく。
- そこで、富山駅を中心に放射状に伸びる鉄軌道や幹線バス路線の各駅を拠点にまちの整備が進められている。このようにすることで、車がなくても便利で、さらに公共サービスのコストを抑えることができるとしている。そのため、次のような施策が行われている。
- まちなか居住推進事業 - まちなかでの住宅取得費用や賃貸住宅の家賃への補助を行い、都市地区への人口回帰を促す。2006年、中心市街地の人口は増加に転じた。
- 富山ライトレールの開業 - 利用者の減少が深刻な問題となっていた富山港線を一部路面電車化して本数を増やし、またバスの周回時刻に合わせるなどして利便性を向上させた。
- 高山本線(活性化)社会実験 - 運行本数を増やすとともに、各駅でフィーダーバスの運行や無料駐車場を設置することで、利用者の増加を図る試み。
- 中心市街地活性化基本計画 - 人口減少・少子高齢社会に対応した、多様な都市機能がコンパクトに集積したまちを実現するために策定する。国の1号認定が下り、補助金を受けられることになった。
- 現在、20年後の都市の将来像を描くために、都市マスタープランを策定中で、市民の声を集めている。
行政機構[編集]
2007年4月1日現在の職員数は4,374人[1]。2010年度までに4,311人以下に削減(2005年時点より5.1%の削減)することを進めている[2]。同規模の都市と比べると市民1人当たりの職員数はまだ多い。現在、民間委託・民営化を進めたり、PFIの活用を行っている。地区センターでは、各種申請、書類の発行が行えるようになっている。(2006年11月25日現在)
- 市長
- 助役
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- 収入役
- 出納課
- 上下水道事業管理者
- 上下水道局
- 消防局長
- 行政窓口
- 富山地域:富山市役所本庁・総曲輪・愛宕・安野屋・八人町・五番町・柳町・清水町・星井町・西田地方・堀川・堀川南・東部・奥田・奥田北・桜谷・五福・神明・岩瀬・萩浦・大広田・浜黒崎・針原・豊田・広田・新庄・藤ノ木・山室・山室中部・太田・蜷川・新保・熊野・月岡・四方・八幡・草島・倉垣・呉羽・長岡・寒江・古沢・老田・池多・水橋中部・水橋西部・水橋東部・三郷・上条・光陽
- 大沢野地域:大沢野総合行政センター・大久保・船峅・小羽・下タ北部
- 大山地域:大山総合行政センター・小見・大庄・福沢
- 八尾地域:八尾総合行政センター・保内・杉原・卯花・室牧・黒瀬谷・野積・仁歩・大長谷
- 婦中地域:婦中総合行政センター・鵜坂・朝日・宮川・婦中熊野・古里・音川・神保
- 山田地域:山田総合行政センター
- 細入地域:細入総合行政センター・南部
- 教育行政
- 教育委員会
- 教育総務課 - 富山外国語専門学校
- 統合校整備等推進室
- 学校施設課
- 学校教育課 - 教育センター、野外教育活動センター、小学校・中学校・幼稚園
- 学校保健課 - 学校給食センター
- 生涯学習課 - 民族民芸村管理センター、埋蔵文化財センター、公民館、市民学習センター、図書館、科学博物館、郷土博物館、富山ガラス造詣研究所、日本海文化研究所
- スポーツ課
- 大沢野教育行政センター - 小学校・中学校・幼稚園、公民館、大沢野生涯学習センター、大沢野ふれあいセンター、大沢野文化会館
- 大山教育行政センター - 小学校・中学校・幼稚園、公民館、大山文化会館、大山歴史民族資料館
- 八尾教育行政センター - 小学校・中学校・幼稚園、公民館、八尾コミュニティセンター、八尾おわら資料館、八尾美術保存展示館、八尾化石資料館、八尾スポーツアリーナ
- 婦中教育行政センター - 小学校・中学校・幼稚園、公民館、婦中ふれあい館、婦中体育館
- 山田教育行政センター - 小学校・中学校、公民館
- 細入教育行政センター - 小学校・中学校、公民館、猪谷関所館
歴代市長[編集]
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
旧市(公選前) | ||||
1 | 前田則邦 | 1889年6月2日 | 1895年5月27日 | |
2 | 市川伯孝 | 1895年6月1日 | 1901年5月23日 | |
3 | 1901年5月24日 | 1901年10月1日 | ||
4 | 加藤厚寛 | 1901年12月13日 | 1907年12月12日 | |
5 | 関野善次郎 | 1907年12月12日 | 1909年5月7日 | |
6 | 井上政寛 | 1909年8月18日 | 1915年8月17日 | |
7 | 稲垣宗正 | 1915年9月4日 | 1919年1月17日 | |
8 | 牧野平五郎 | 1919年2月17日 | 1923年2月13日 | |
9 | 1923年2月26日 | 1925年8月19日 | ||
10 | 1925年10月28日 | 1928年5月10日 | ||
11 | 井上政寛 | 1928年5月21日 | 1930年7月17日 | |
12 | 上埜安太郎 | 1930年8月2日 | 1933年3月9日 | |
13 | 金山米次郎 | 1933年3月11日 | 1934年12月19日 | |
14 | 野村嘉六 | 1934年12月20日 | 1935年5月14日 | |
15 | 平田紀一 | 1935年5月17日 | 1936年2月1日 | |
16 | 山崎定義 | 1936年2月6日 | 1940年2月5日 | |
17 | 森勇 | 1940年3月2日 | 1944年2月26日 | |
18 | 石坂豊一 | 1944年3月1日 | 1946年12月4日 | |
旧市(公選) | ||||
19 | 尾山三郎 | 1947年4月10日 | 1950年5月9日 | |
20 | 富川保太郎 | 1950年6月27日 | 1954年6月9日 | |
21 | 1954年6月25日 | 1958年6月22日 | ||
22 | 1958年6月23日 | 1959年2月7日 | ||
23 | 湊栄吉 | 1959年3月16日 | 1963年3月14日 | |
24 | 1963年3月15日 | 1967年3月14日 | ||
25 | 1967年3月15日 | 1971年3月14日 | ||
26 | 改井秀雄 | 1971年3月15日 | 1975年3月14日 | |
27 | 1975年3月15日 | 1979年3月14日 | ||
28 | 1979年3月15日 | 1983年3月14日 | ||
29 | 1971年3月15日 | 1983年3月31日 | ||
30 | 塩谷敏幸 | 1983年4月25日 | 1985年12月15日 | |
31 | 正橋正一 | 1986年1月27日 | 1990年1月25日 | |
32 | 1990年1月26日 | 1994年1月25日 | ||
33 | 1994年1月26日 | 1998年1月25日 | ||
34 | 1998年1月26日 | 2002年1月25日 | ||
35 | 森雅志 | 2002年1月26日 | 2005年3月31日 | |
新市 | ||||
- | 中斉忠雄 | 2005年4月1日 | 2005年4月24日 | 職務執行者 |
1 | 森雅志 | 2005年4月25日 | 現職 |
財政[編集]
2007年度の当初予算規模は、約3,677億(+99億,+2.7%)である。合併して新富山市となった2005年度の当初予算(約4,410億)に比べると、約△16.6%となっている。 水道事業や病院事業などの企業会計で、520億の増加が著しい。
2006年度決算(平成19年9月30日時点)は、約△63億(昨年比約△24億)で、赤字である。
- 一般会計 37億
- 特別会計 2億
- 企業会計△102億
市債残高は、約4,420億(前年比約△22億)である。(2006年9月30日現在)
なお、2006年度の当初予算規模は次のようになっている。
- 一般会計1,588億
- 特別会計1,500億
- 企業会計 491億
市の行政機関[編集]
- 中央卸売市場(掛尾町)
- 営農サポートセンター(月岡町)
消防[編集]
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郵便(日本郵政)[編集]
広域行政[編集]
- 富山地区広域圏事務組合-構成市町村は、富山市、滑川市、立山町、上市町、舟橋村。
- 富山地区広域圏クリーンセンター(立山町)
- 富山地区広域圏リサイクルセンター・リサイクルプラザ(富山市)
- 富山地区広域圏事務組合 常願寺ハイツスポーツ公園(立山町)
県の機関[編集]
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警察[編集]
国の機関[編集]
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国際機関[編集]
- 国連環境計画北西太平洋地域海行動計画(UNEP/NOWPAP)地域調整部富山事務所
行政区域の変遷[編集]
- 1889年4月1日:市制施行により上新川郡富山83町ほかが市制を施行して、富山市(~2005年3月)が発足した。
- 1901年11月1日:上新川郡奥田村の一部を編入
- 1909年4月1日:上新川郡奥田村・堀川村・山室村・婦負郡桜谷村・東呉羽村の各一部を編入
- 1917年4月1日:婦負郡桜谷村の一部を編入
- 1920年4月1日:婦負郡桜谷村を編入
- 1926年7月1日:婦負郡東呉羽村を編入
- 1935年4月1日:上新川郡奥田村を編入
- 1936年2月1日:神通川廃川地域を編入
- 1937年4月5日:上新川郡山室村の一部を編入
- 1940年9月1日:上新川郡新庄町・東岩瀬町・大広田村・島村・豊田村・浜黒崎村・針原村・広田村、婦負郡神明村を編入
- 1942年5月20日:上新川郡堀川町・太田村・蜷川村・山室村を編入
- 1960年10月1日:婦負郡和合町と上新川郡富南村を編入
- 1965年4月1日:婦負郡呉羽町を編入
- 1966年5月1日:中新川郡水橋町を編入
- 2005年4月1日:富山市(~2005年3月)、上新川郡大山町、大沢野町、婦負郡婦中町、八尾町、山田村、細入村の7市町村が新設合併して、新市制の富山市(2005年4月~)が発足した。
立法(市議会)[編集]
富山市議会は、定員48人。
市議会の組織[編集]
- 本会議
- 常任委員会
- 総務委員会
- 厚生委員会
- 経済教育委員会
- 建設委員会
- 議会運営委員会
- 特別委員会
- 決算特別委員会(一般・特別、企業)
- 常任委員会
会派の構成[編集]
会派名 | 議席数 | 代表者 |
---|---|---|
自由民主党 | 33 | 五本幸正 |
民政クラブ(民主党中心の会派) | 5 | 島田幸男 |
公明党 | 4 | 吉田勉 |
社会民主党議員会 | 3 | 岩脇秀三 |
日本共産党 | 1 | 赤星ゆかり |
市民派クラブあゆみ | 1 | 志摩愛子 |
倫誠 | 1 | 砂子阪和夫 |
司法[編集]
裁判所[編集]
その他司法機関[編集]
姉妹都市・提携都市[編集]
- 海外の姉妹都市
(※ウェリントン市は旧大沢野町、残る3つは旧富山市にて締結された物。)
- モジ・ダス・クルーゼス市(ブラジル連邦共和国)
- 1979年(和暦??年)11月8日提携
- 秦皇島市(中華人民共和国)
- 1981年(和暦??年)5月7日提携
- ダーラム市(アメリカ合衆国)
- 1989h年(和暦??年)6月13日提携
- ウェリントン市(オーストラリア連邦)
- 1992年(和暦??年)8月24日提携
経済[編集]
富山市は富山県の経済における中心地である。
富山経済は、廃藩置県後の明治期の富山県においてその基を築いた。代表的なものには、北陸最大にして地方銀行全国第二の規模を誇る北陸銀行や、全国と比較して最も安価な水準の電力を供給する北陸電力の本店が富山市に所在し、富山県の経済活動の基盤を形成している。
また、富山県の経済を側面から支えている「富山大学」は、富山市民や団体の寄付行為によって生まれた旧制富山高等学校や富山薬学専門学校の流れを汲んでいる。
商業[編集]
中心商業地は、総曲輪・西町界隈であるが郊外型SC等の進出による打撃は大きく、現在求心力を低下させている。2007年9月に新富山大和を核とした商業施設『総曲輪フェリオ』が開店したが、旧大和跡地については明確な利用方法が決まっていない。更に大手百貨店の西武富山店が撤退し、中心部のさらなる求心力低下が危惧されている。この状況を打開すべく、再開発構想が複数提案されている。中心商店街は総曲輪通り商店街と中央通り商店街である。
この二つの商店街はアーケードで連続しており、二つを合わせたアーケードの長さは1kmにもおよび北陸最大の規模になる。しかしその反面、長すぎるため、効率が悪く中央通り商店街の一部分はシャッター商店街と化している。中央通り商店街の一部を商店街と住宅街に分けて商店を一箇所に集約するという構想がある。
行政側は駅周辺に商業ビルを建てた為に、中心部との客の食い合いとなり本来は総曲輪・西町が中心部であるが、実際、中心部は駅前なのか、総曲輪・西町なのか曖昧になっている感がある。現在も新幹線開通に伴い富山駅の高架化・区画整理も予定されており、駅周辺は今後も発展すると考えられる。
夜の歓楽街は桜木町である。表通りに面していないため夜でも分かりにくい場所にあるが、飲食店街としては県内最大である。
工業[編集]
富山市は、日本海側屈指の工業都市である。
戦前より続く産業として、江戸期までさかのぼる事が出来る「くすりのとやま」に代表される製薬産業や、全国屈指の製造量を誇るベアリング等の工業機械製造業がある一方、昭和後期のエレクトロニクスやロボトロニクス関連産業の隆盛により、地域内で蓄積された先進的な微細加工技術によって精密工業製品や各種微細加工素材、精密自動車部品、高機能ロボットなどの製造業が台頭している。
これら工業の製造研究拠点としての発展を裏付けているものは、安価な電力供給と良質で豊富な工業用水を容易に得られる地理的条件、富山大学・富山県を中心とした産学官連携研究施設の充実、そして重要特定港湾「伏木富山港富山地区」や北陸自動車道、東海北陸自動車道等による太平洋側工業地域と環日本海側諸国への交通の利便性を兼ね備えた地域である事が挙げられる。
農業・水産業[編集]
市郊外には水田が広がり、富山市でとれる米は「八町米(はっちょうまい)」という名前でブランド化されている。呉羽地区では梨の生産が盛んであるが、高品質だが流通量の問題から半分以上が県内で消費されている。また、旧八尾町の黒瀬谷地区では、わずかながらブドウを生産している。
水産業は、海岸部西部の四方と東部の水橋に漁港がある。また、かつては神通川にマスが遡上しており、それによってできた名産が鱒寿司である。
伝統工芸[編集]
- 越中和紙(八尾紙)
- 富山木象嵌
- 富山獅子頭
- 富山土人形
- 神通窯
- 富山ガラス工芸(富山市立富山ガラス造形研究所)
名産品[編集]
- 青果
- 呉羽梨
- 富山市の果実生産の97%(2,702t)を占める梨は、富山市の全耕種出荷額の9%を担っている。また、県内出荷量の70%を占め、県内の梨生産の中心である。全国の出荷量に対しては0.8%を占めている。
- 富山市では呉羽、老田が産地であり、ここで採れる梨は呉羽梨と呼ばれている。小杉・大門地区(射水市)で作られる梨も同様に、呉羽梨と呼ばれる。
- 呉羽の農業は、もともと稲作が中心であった。しかし、呉羽の多くを占める呉羽丘陵は水の便が悪く、日照りが続くと田が干上がってしまう土地柄だったため、1920年代から梨作りがはじめられた。現在呉羽丘陵には梨畑が広がっている。
- 海産物
- 菓子
- 鈴木亭 - 1877年(和暦??年)創業。「杢目羊羹」は県木立山杉の年輪を模した富山の伝統銘菓。皇室献上羊羹。
- 月世界本舗 - 1897年(和暦??年)創業。「銘菓 月世界」は、暁の空に浮かぶ淡い月影のイメージから名付けられた。
- 竹林堂本舗 - 1790年(寛政2年)、富山藩より拝命した「竹林堂」。富山饅頭の代名詞。
- 磯野屋 - 無花果を使った菓子を得意とする。2002年菓子博で外務大臣賞受賞。
- ボン・リブラン - 富山県東部に起源を持つ菓子本舗。「富也萬」「甘金丹」などで知られる。
- 本鋪勝屋 - 銘菓「立山一万尺」
- 酒
- 満寿泉(ますいずみ) - 桝田酒造店(東岩瀬町)
- 吟醸酒作りに早くから取り組んだ。1972年(和暦??年)から鑑評会の金賞受賞の常連組。
- 風の盆 - 福鶴酒造(八尾町西町)
- 嘉永年間(約150年前)創業。全国新酒鑑評会では、1992年に初出品で金賞を受賞。
- 富美菊 - 富美菊酒造(百塚)
- おわら娘、風の盆恋歌、おわらの里 - 玉旭酒造(八尾町東町)
- よしのとも - 吉乃友酒造有限会社(婦中町下井沢)
- 鷹泉 - 鷹泉酒造株式会社(上滝)
- 吉田屋
- 関野屋
- 川上鱒寿司店
- 青山総本舗
- 高芳
- 小林鱒寿し店(小林幸一)
- 味の笹義
- 大多屋鱒寿し店
- 高田屋
主な企業[編集]
- 本社を置く上場企業
- 北陸電気工業(下大久保、東証1部上場)
- コーセル(上赤江町、東証1部上場)
- ほくほくフィナンシャルグループ(堤町通り、東証1部・札証上場)
- 北陸電力(牛島町、東証1部・大証1部上場)
- 北陸電気工事(東田地方町、東証1部・大証1部上場)
- ITホールディングス(牛島新町、東証1部上場)
- 不二越(不二越本町、東証1部上場)
- 朝日印刷(大手町、東証2部上場)
- 日医工(総曲輪、大証1部・名証1部上場)
- 田中精密工業(新庄本町、ジャスダック上場)
- 本社を置く非上場企業
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- 工場・事業所を置く企業
- シキボウ富山工場(西大沢)
- 富山化学工業富山事業所(下奥井)
- 日産化学工業富山工場(婦中町笹倉)
- 日本カーボン富山工場(高内)
- 日立国際電気富山工場(八尾町保内)
- 富士製薬工業富山工場・研究所(水橋辻ヶ堂)
- 富士薬品富山工場・富山第二工場(婦中町板倉)
- 三菱レイヨン富山事業所(海岸通)
- 明文堂書店 新庄経堂店(経堂)有沢橋店(高田)掛尾店(掛尾)
マスメディア[編集]
- テレビ局
- ケーブルテレビ
- ケーブルテレビ富山
- 旧富山市ケーブルテレビ八尾センター(市営)
- 上婦負ケーブルテレビ
- ケーブルテレビやまだ(市営)
- ラジオ局
- 新聞社
教育[編集]
- 1923年(和暦??年)9月 - 市立小学校において秋季学年制(二重学年制)を導入。1935年(和暦??年)廃止。
- 2006年 - 全小学校区において、登下校時の安全を確保するために、地域住民による「学校安全パトロール隊」が結成。
- 2008年 - 通学する中学校を自由に選べる学校選択制を導入する。通学区域に住む子どもの、該当中学校への就学を保障した上で、ほかの学区の生徒を受け入れる制度である。
大学・短期大学[編集]
高等専門学校[編集]
高等学校[編集]
- 富山県立
中学校[編集]
- 国立
- 富山市立
- 私立
小学校[編集]
- 国立
- 富山市立
特別支援学校[編集]
専修学校[編集]
- 大沢野家政専修学校
- 職藝学院
- 富山大原簿記法律専門学校
- 富山外国語専門学校
- 富山建築・デザイン専門学校
- 富山県立総合衛生学院
- 富山県理容美容専門学校
- 富山県技術専門学院
- 富山コンピュータ専門学校
- 富山市医師会看護専門学校
- 富山歯科総合学院
- 富山市立看護専門学校
- 富山赤十字看護専門学校
- 富山デザイン・ビューティー専門学校
- 富山病院附属看護学校
- 富山ファッション・カレッジ
- 北陸ビジネス福祉専門学校
- 富山ガラス造形研究所
各種学校[編集]
- 井上簿記学校
- 北日本自動車学校
- 呉羽自動車学校
- 後藤文化服装学院
- 中央予備校富山校
- 筒井編物服飾学園
- 富山OAスクール
- 富山音楽院
- 富山自動車学校
- 富山県中央自動車学校
- 富山中部自動車学校
- 富山文化服装学院
- 富山予備校
学校教育以外の施設[編集]
生涯学習カレッジ[編集]
- 市民学習センター(大手町、市民プラザ内)
- 県民カレッジ(舟橋北町)
職業訓練[編集]
- 富山地域職業訓練センター(向新庄)
- 独立行政法人雇用・能力開発機構富山センターとやま自遊館事務所(湊入船町)
文化施設[編集]
図書館[編集]
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ホール・集会所[編集]
- 富山市芸術文化ホール(オーバード・ホール)(牛島町)
- 市民芸術創造センター(呉羽)
- 富山国際会議場 大手町フォーラム(大手町)
- 岩瀬カナル会館(岩瀬天神町)
- 野外教育活動センター(子どもの村)(山田赤目谷字大山)
- とやま自遊館(湊入船町)
- 富山県民会館(新総曲輪)
- 呉羽少年自然の家(西金屋)
- 富山能楽堂(友杉)
美術館[編集]
- 篁牛人記念美術館
- 佐藤記念美術館
- 富山県立近代美術館
- ジョルジュ・ルオーの所蔵が238点ある。
- 富山県立水墨美術館
博物館・資料館[編集]
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その他文化施設[編集]
- とやま古洞の森自然活用村
- 富山市天文台
- 富山市ファミリーパーク(動物園)
- 富山ガラス工房(富山市立富山ガラス造形研究所)
- 国際交流センター
- 富山県中央植物園
- 富山県ITセンター
体育施設[編集]
- 市の施設
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- 県の施設
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健康・福祉・子育て・衛生[編集]
中核病院[編集]
- 富山市立富山市民病院(今泉北部町)
- 富山赤十字病院(牛島本町)
- 富山県立中央病院(西長江)
- 富山県高志リハビリテーション病院(下飯野)
- 富山大学附属病院(杉谷)
- 富山逓信病院(鹿島町)
健康[編集]
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福祉・子育て施設[編集]
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清掃・衛生・環境施設[編集]
- 上下水道局(牛島本町)
- 環境センター(栗山)
- 環境センター北部中継場(岩瀬池田町)
- 流杉浄水場(流杉)
- 浜黒崎浄化センター(浜黒崎)
- 水橋浄化センター(水橋辻ケ堂)
- 倉垣浄水園(布目北)
- つばき園(米田)
- 環境センター大山環境事務所(馬瀬口)
スポーツ[編集]
- 本拠地を置くスポーツチーム
- カターレ富山(サッカー、JFL)
- ヴァリエンテ富山(サッカー、北信越1部)
- 富山新庄クラブ(サッカー、県1部)
- 富山グラウジーズ(バスケットボール、bjリーグ)
- 富山サンダーバーズ(野球、北信越BCリーグ)
- 富山ベースボールクラブ(野球、社会人)
- 体育施設
- #体育施設を参照
交通[編集]
空港[編集]
鉄道[編集]
JRは富山駅を中心に、南北に路線が広がっている。
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
- 北陸本線:呉羽駅 - 富山駅 - 東富山駅 - 水橋駅
- 高山本線:富山駅 - 西富山駅 - 婦中鵜坂駅 - 速星駅 - 千里駅 - 越中八尾駅 - 東八尾駅 - 笹津駅 - 楡原駅 - 猪谷駅
- 北陸新幹線:富山駅(建設中)
- 富山港線:全駅
- 朝ラッシュ時は10分おき、午前中から夜までは15分おき、深夜は30分おきの運行となっている。
- 富山地方鉄道
道路[編集]
- 高速道路
- 有料道路
- 一般国道
- 主要地方道
- 道の駅
バス路線[編集]
- 高速バス
- 東京線
- 大阪線
- 富山 - 大阪線(阪急バス・富山地方鉄道)
- 北陸道昼特急大阪号・北陸ドリーム大阪号(西日本JRバス)
- 名古屋線
- 東海北陸道高速バス(名鉄バス・富山地方鉄道)
- 北陸ドリーム名古屋号(JR東海バス・西日本JRバス)
- 路線バス
- 富山地方鉄道
- 富山地鉄中央バス
- まいどはや(コミュニティバス、まちづくりとやまが富山地方鉄道に運行を委託)
- 大山コミュニティバス
- 八尾コミュニティバス
- 婦中コミュニティバス
- 山田コミュニティバス
- 呉羽いきいきバス(コミュニティバス、まちづくり公社呉羽が富山地方鉄道に運行を委託)
- 富山ライトレールフィーダーバス(富山地方鉄道に運行を委託)
- 射水市コミュニティバス(新湊・呉羽駅線、新港東口・ライトレール接続線)
- 南砺市営バス(百瀬線)
- 飛騨市営バス(神岡北部市営バス・飛騨市巡回バス)
隣接市町村への連絡[編集]
隣接する市町村のうち、鉄道線により直接結ばれているものに限定した。
- 富山県
- JR北陸本線 小杉駅、越中大門駅
- JR北陸本線 滑川駅、東滑川駅
- 富山地方鉄道本線 中加積駅、西加積駅、西滑川駅、中滑川駅、滑川駅、浜加積駅、早月加積駅、越中中村駅
- 富山地方鉄道本線 越中舟橋駅
- 岐阜県
- JR高山本線 飛騨古川駅、杉崎駅、飛騨細江駅、角川駅、坂上駅、打保駅、杉原駅
船舶[編集]
交通の歴史[編集]
- 1967年(和暦??年)3月27日 - 神岡軌道の廃止
- 1975年(和暦??年)4月1日 - 富山地方鉄道笹津線の廃止
- 1980年(和暦??年)4月1日 - 富山地方鉄道射水線の廃止
- 1993年(和暦??年)3月 - 富山空港第1期国際線ビル竣工・4月ソウル便就航
- 2006年(和暦??年)2月28日 - 富山港線の廃止
- 2006年(和暦??年)4月29日 - 富山ライトレールが開業
- 利用者の減少が深刻な問題となっていた富山港線を一部路面電車化して本数を増やし、またバスの周回時刻に合わせるなどして利便性を向上させた。さらに、公共交通を生かしたコンパクトなまちづくりにつなげて行こうという市の施策の一つ。
- 2006年(和暦??年)11月30日 - 神岡鉄道神岡線の廃止
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]
自然景勝地[編集]
- 神通峡
- 常虹の滝
遺跡・旧跡[編集]
- 富山城
- 猪谷関跡
- 王塚・千坊山遺跡群
- 金草第一古窯跡
- 北代遺跡
- 直坂遺跡
- 猿倉城跡(船倉) - 戦国時代、武田信玄下の飛騨勢が笹津に進軍した時、応戦する越中勢の根城となった。別名、舟倉城ともいう。
- 富崎城跡
- 東黒牧上野遺跡
- 安田城跡
- 白鳥城跡
- 今泉城跡
- 岩木城跡
- 大峪城跡
- 太田本郷城跡
- 大村城跡
- 願海寺城跡
- 小出城跡
- 城生城跡
- 長沢西城跡
- 長沢東城跡
- 日方江城跡
神社仏閣[編集]
- 各願寺 - 奈良時代に文武天皇の第七子である自信院仏性が開山したとされる古刹
- 常楽寺 - 円仁(慈覚大師)が越中に下向した際、開山したとされる寺院。重要文化財「木造聖観音菩薩立像」・「木造十一面観音菩薩立像」
- 来迎寺 - 佐伯有若の立山開山伝説にちなむ円福寺を起源とする浄土宗の寺院
- 長慶寺 - 曹洞宗の寺院。五百羅漢がある
- 極性寺 - 親鸞の直弟子である越中三坊主の一人、極性房(教順房)開山の寺院
- 願海寺 - 親鸞の直弟子である越中三坊主の一人、願海房開山の寺院
- (越中三坊主の一人、持専房が開山した「梅沢山 持専寺」は、富山市梅沢町の地に於いて、本願寺派の寺院として廃寺となった。)
- 聞名寺 - 本願寺三代覚如の弟子である願智房開基の名刹。八尾の町は、この聞名寺の門前町として発展した
- 浄禅寺 - 恵顗(えけ)開山による時宗寺院。秘仏「歯吹きの阿弥陀如来立像」
- 本法寺 - 1316年(正和5年)開山の法華宗陣門流別院。重要文化財「法華経曼荼羅図」
- 海岸寺 - 能登総持寺の流れを汲む珖瑛による開基。重要文化財「紹瑾(瑩山)筆 仏祖正伝菩薩戒教授文」
- 最勝寺 - 蜷川荘を支配した室町幕府政所代蜷川氏の居城跡に建つ菩提寺
- 本覚寺 - 神保山。1343年(康永2年)明雲による開基。越中守護代神保氏の菩提寺
- 光厳寺 - 越中守護代神保氏・富山藩前田氏の菩提寺。上杉謙信の後裔である南部三代の墓がある
- 円隆寺 - 比叡山治定院の快恵による開山。「さんさい踊り」をおこなう天台宗寺院
- 興国寺 - 南北朝時代の守護桃井直常の菩提寺。東越三十三観音霊場第28番札所
- 蓮華寺 - 神保氏・佐々氏から保護を受けた臨済宗寺院。
- 妙顕寺 - 日蓮正宗の寺院。
- 日枝神社 - 富山町の惣社「山王さん」。江戸期には曳山が存在した
- 富山縣護國神社 - 護国神社。1913年(和暦??年)創建
- 姉倉比売神社 - 式内社。越中の古代神伝説。呉羽の由来である「呉織部(くれはとりべ)」伝説
- 新川神社 - 越中の古代神、大新川姫命を祀る神社
- 鵜坂神社 - 式内社。万葉に歌われた鵜坂川(神通川)が社地を流れていた神社。神通川の名の由来とも伝えられる神社
- 多久比禮志神社 - 式内社。古代荘園「宮川郷」三八カ村の惣社
- 坪野神明社 - 「熊野神社の稚児舞」を創始した荘官百姓ゆかりの古社
- 於保多神社 - 富山の天神様。元は浄禅寺の境内社で富山藩主の祈願所
公園[編集]
- 風の城(船倉) - 猿倉山山頂にあり見晴らしがよい。風車があり、風力発電を行っている。1991年に完成。
- 県庁前公園(新総曲輪) - 直径36mの大きな噴水と、花時計がある。
- 寺家公園(寺家) - 寺家から出た京都の医師加藤幸次郎が私財を投じて作った日本庭園で、京都の嵐山がモデルになっている。
- 城南公園(西中野町) - 富山県立近代美術館、富山市科学博物館が併設。
- とやま古洞の森(池多) - ケビンやキャンプ場がある。富山市天文台が併設。
- 富山城址公園(富山城)
- 富岩運河環水公園
- 松川公園
- 野鳥の園
- 城ヶ山公園
温泉[編集]
レジャー[編集]
祭事・催事[編集]
- 立山山麓かまくら祭り(2月中旬)
- 全日本チンドンコンクール(4月上旬)
- ふちゅう曲水の宴(4月中旬)
- 下大久保「高砂山願念坊祭り」(4月第2日曜日)
- 岩瀬曳山車祭(5月)
- 越中八尾曳山祭(5月3日)
- 売比河鵜飼祭(5月下旬)
- 日枝神社大祭(山王まつり)(5月31日~6月2日)
- おおやま佐々成政時代祭り(7月下旬)
- 北日本納涼花火大会(8月1日)
- 富山まつり(8月1日~3日)
- 熊野神社の稚児舞(8月下旬)
- 安田城月見の宴(8月下旬)
- おわら風の盆(9月1日~3日)
- とやま湾味覚市(11月中旬)
- とやまスノーピアード(12月~1月)
- 東猪谷「素盞鳴社(すさのおしゃ)祭」(20年に一度だけの祭礼)
- 護国神社「青空のみの市」(富山市最大のフリーマーケット:毎月第1日曜日6:00~15:00)
- 岩瀬朝市(毎月第2日曜日7:00~12:00)
土産[編集]
#名産品も参照
- とやま観光物産センター「いきいきKAN」(新富町、CiC5F)
- 道の駅細入(片掛)
- 飛越ふれあい物産センター「林林」
百選[編集]
- 日本百名山 - 薬師岳、黒部五郎岳、黒岳(水晶岳)、鷲羽岳
- 日本の秘境100選 - 八尾の里
- 日本の白砂青松100選 - 古志の松原
- 日本の音風景100選 - エンナカの水音とおわら風の盆
- かおり風景100選 - 富山の和漢薬のかおり
- 日本の道100選 - 八尾町道諏訪町本通り線
- 日本さくら名所100選 - 松川公園
- 水源の森百選 - ありみね
- ダム湖百選 - 有峰湖
- 都市景観100選 - 県庁・市役所周辺地区
- 日本百名橋 - 越中舟橋
- 平成の名水百選 - いたち川の水辺と清水
- 日本の歴史公園100選 - 富岩運河及び富岩運河環水公園
富山市出身の有名人[編集]
経済界[編集]
政界[編集]
学界[編集]
- 飯田哲也(社会学者)
- 奥田靖雄(言語学者)
- 岡崎勝世(歴史学者)
- 北野弘久(法学者)
- 久保田収(歴史学者)
- 田中耕一(ノーベル化学賞受賞者)
- 田部重治(日本の英文学者、登山家)
- 林成之(医師・大学教授)
- 山田孝雄(国語学者)
文化[編集]
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芸能[編集]
- アナウンサー
- 荒瀬洋太(北日本放送、元競泳選手)
- 石本沙織(フジテレビ)
- 大友夕可里(元チューリップテレビ)
- 木地智美(北日本放送)
- 豊田康雄(関西テレビ放送)
- 松井治伸(NHK富山放送局)
- 水口愛弓(元北日本放送)
- 山田重光(NHK福岡放送局)
スポーツ[編集]
富山市を舞台にした作品[編集]
文芸[編集]
音楽[編集]
アニメーション[編集]
- true tears(2008年) - 下轡田のSCフューチャーシティ・ファボーレは、本作品中に「パボーレ」として登場するSCのモデルとなった。
旧・富山市[編集]
テンプレート:日本の市 (廃止) ここでは、2005年3月までの富山市に該当する事項について述べる。
富山市(-2005年3月31日)は、北陸地方の西部、富山県の中部の市。
2005年4月1日に、7市町村の合併によって、富山市(2005年4月1日-)の一部となった。このうち、2005年3月までの富山市が、旧・富山市と呼ばれる。
合併前後での違い[編集]
新富山市は新設合併によって設置された自治体であり、2005年3月までに存在した富山市は、合併によって廃止されている。制度上では、新富山市と旧富山市は、全く別の自治体である。
郡については、旧富山市の市制施行時の区域は上新川郡に属していた。
旧富山市の市役所本庁舎は、現在の富山市の市役所本庁舎に当たる。
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ↑ 「人事行政の運営等の状況」『広報とやま』No.66、2007年12月20日。
- ↑ 「10年で職員500人削減 富山市行革計画」 北日本新聞、2006年2月23日。
- ↑ 「289. 歴代市長」『第37回富山市統計書(平成16年度版)』
- ↑ 「304. 歴代市長」『第3回富山市統計書(平成19年度版)』
外部リンク[編集]
テンプレート:富山県の自治体 テンプレート:日本の都道府県庁所在地 テンプレート:日本の中核市
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