富山新聞
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富山新聞(とやましんぶん)は富山県の地方新聞で朝刊専売紙。1923年創刊。石川県金沢市で発行する北國新聞の系列新聞。販売部数41,635。富山県内でのシェアは11.06%で3位。[1]
論調は他紙と比較すると保守的である[2]。
金沢市の北國新聞本社で紙面を製作・印刷している。紙面は一部を除いて北國新聞と共有している。
CMキャラクターも北國新聞と同様、女優の浜辺美波[3]を起用している(『ほっこく』の部分を『とやま』に吹き替えただけのバージョン)。
別の県で製作・印刷されている県紙は他に大阪府の大阪日日新聞(日本海新聞グループ。鳥取県の新日本海新聞社で印刷)、福井県の日刊県民福井(中日新聞グループ。石川県の北陸中日新聞で印刷)がある。
沿革[編集]
- 1923年5月1日 - 中越附録が創刊。当時の本社所在地は高岡市一番町[4]。
- 1924年1月1日 - 中越附録を越中新聞に改題。
- 1940年8月1日 - 休刊[5]。
- 1946年3月11日 - 越中新聞復刊し、富山新聞に改題。同時に本社を高岡市御旅屋町に置く[4]。
- 1952年11月 - 朝夕刊セット制となる(1968年まで)[5]。
- 1953年6月 - 現在地の富山市大手町に本社社屋(富山新聞会館)を建設し、移転[6]。
- 1954年 - 北國新聞社と合併[4]。
- 1968年11月1日 - 夕刊を廃止、朝刊専売紙へ移行[7]。
- 1985年4月1日 - 富山エフエム放送(FMとやま)が開局。この日から同局で『富山新聞ニュース』の放送を開始[8]。
- 1992年5月7日 - 富山市大手町に現本社社屋(富山新聞会館)竣工。
- 2021年2月1日 - 公式ウェブサイトを有料化し、「富山新聞デジタル」として電子版の運用を開始[9]
備考[編集]
- 藤子不二雄の自伝マンガ「まんが道」で登場する「立山新聞」(藤子不二雄A=安孫子素雄がモデルとされる満賀道雄(まが みちお)が働いていた) は実際に安孫子が働いていたことのある富山新聞がモデルとされている。その時の経営者が藤子A=安孫子の叔父だった。
- この当時のエピソードに、前日のラジオ番組表を誤って当日版と発表してしまい、読者から「今朝の番組表は一体なんだ!」「二度と立山新聞は取らん」と激怒されるシーンが取り上げられた。
関連放送局[編集]
脚注[編集]
- ↑ 日本ABC協会「新聞発行社レポート 普及率」2006年1月~6月平均
- ↑ しかしその反面でオタク文化を憂えたり(オタクバッシング)、媚中・媚韓である傾向が富山県の他紙(北日本新聞等)に比べて強めである、これは隣県の北國新聞においても同様
- ↑ かつては田中美里が担当
- ↑ 4.0 4.1 4.2 富山大百科事典 下巻(1994年8月1日、北日本新聞社発行)472ページ
- ↑ 5.0 5.1 富山県大百科事典(1976年8月1日、富山新聞社発行)632ページ
- ↑ 『北國新聞創刊100年記念誌』(1993年8月5日、北國新聞社発行)64ページ。
- ↑ (1994-12-28) [ 北國新聞社創刊100年を迎えて ] 北國新聞社 1994-12-28 263
- ↑ (1994-12-28) [ 北國新聞社創刊100年を迎えて ] 北國新聞社 1994-12-28 338
- ↑ 北國新聞富山新聞デジタル
テレビ・ラジオ欄[編集]
- 最終面
- 中面
関連項目[編集]
- 富山新聞ニュース
- 北國新聞
- 藤子不二雄Ⓐ - 氷見市出身。かつて勤務しており、彼の作である自伝漫画『まんが道』では「立山新聞」という本紙をモデルとした新聞が登場する。
- 高岡コロッケ - 富山新聞において「高岡コロッケ物語」を掲載していた。
- 浜辺美波 - 富山新聞のCMキャラクター。
外部リンク[編集]
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