国鉄阪和線

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この記事「国鉄阪和線」は長すぎます!
文章が冗長になっているという気がします。文章が冗長になっているという気がします(大事なことなので2回言いました)。 さらに注意すべき所を探すならまとまりがないという点も気になりますよね? いつのまにかエッセイ的でなくなっているのはまるでウィキペディアです。などなど。えーと、つまり分かりやすく短く書くと、まとまっていない上にバカバカしい長さを超え、この記事「国鉄阪和線」はアンサイクロペディアから離陸しようとしている疑いがあるのです。何とかするためには既にある記事に適切な修正と推敲を行い、さらに記事を追加したり加筆して今よりもっともっと長くするときはラジオ体操第三により心身の健康を維持し、記事の容量だけ腹筋運動をして文字入力姿勢を正した後、精神が落ち着くようにトイレに行ってから、あなたの後ろと文章に注意をして本当にこの長い追加や加筆は必要なのか小一時間考え、空手の黒帯を取得してプロフェッショナルな気合いを入れてから編集してください。ただし、今ある記事を芝刈り機のように刈り取ることが推敲ではないことにも注意してください。
WPなし ウィキペディアには「国鉄阪和線」は現在執筆されていません。
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国鉄阪和線(JR阪和線)は、大阪市と和歌山市を結ぶ、JRの鉄道路線である。よく遅れるので、ネットで揶揄されている。しかし、鉄道会社も、乗降客も、必死に真摯にまじめにシャカリキによくやっているといわざるを得ない。そのため、だれもけなすことはできない。なお、現在阪和線は国鉄時代とほとんど同じ体質の会社が経営しているので、阪和線は国鉄である。

各駅の様子[編集]

天王寺(てんのうじとあべののすみっこ)
大阪市方面の終点。
駅前には、日本一背の高い巨大な墓石そっくりの建物がある。これは、あまりにも阪和線に不祥事が多いことから全国から選りすぐりの陰陽師を集めて作らせたという代物だが、今のところあまり役に立っていない。
住民は、ディープな人たちである。首から下が泥の中にハマり歩くにも体力が要るので、ほとんどの人は諦めてディープに浸りきっている。
美章園(びしょうのにわ)
地元の大地主の美章クンが、「ここに駅欲しい」と駄々をこねた結果作られた駅。ところが美章クン、再三急行の運転士を脅して駅に臨時停車させて乗客とサイコロ賭場を開帳し続けたので、電車はここで大渋滞した。21世紀初頭、この付近で電車が数珠つなぎになっているのは、運転士の間に美章園停車の記憶が遺伝されており、快速だろうが特急だろうがこの駅にさしかかるとビビってブレーキを踏んでしまうからである。
南田辺(たなべのみなみ)
股(もも)が池の、最寄り駅。池の縁にずらりと並んだ釣り客の太ももがとてもきれいだったので、このように名付けられた。池にはピラニアが多数泳いでいて、このきれいな太ももに次々にかじりつき、その食い散らしが噴水で巻き上げられている光景をよく見かける。
鶴ヶ丘(つるがおか)
長居スタジアムの最寄り駅。長居駅の陰謀により長~~~~~い間この事実は隠蔽されてきたが、高架化により快速通過待ち駅となったことで乗降客が快速が通り過ぎるまでホームに降りて外を眺めたところ長居スタジアムがすぐ近くにあることに気づき、最寄り駅だとネットに情報を上げたことで長居駅の陰謀はついえ去った。
鶴なんか一度も飛んで来ない駅名詐欺駅。この駅名は、ただの願望です。
長居(なが~~~~~い)
高架化前は、長居スタジアムの最寄り駅と標榜していた。この陰謀にまんまと載せられ、駅前は昭和時代目にもまぶしいいやーんピンク色に鮮やかに輝き、長居スタジアムに行く北1番踏切は開かずの踏切でまったく開かずイラ血がつのった大阪人が何度も自転車で勢い付けて踏切を飛び越えたので電車の運転士が驚いてブレーキを踏み遅らせる原因になっていた。
駅名の由来は、阪和線の西側にあった池の名前。南北に長ったらしい池なので、長池と呼ばれていた。鶴ヶ丘駅のそばにあるシャープ池ももとはこの長池で股が池ももとは長池で、とにかく長くてね。さすが縁起の悪い名前で、その後の長い踏切東西遮断を引き起こすことになった。おかげで東西分断されたこの辺りの住民は、高架化された今になっても文化の違いが異次元の域に達しており高架の下を行き来する人はまばらである。
我孫子町(こどもたちよたのむでぇー)
この駅名は、伝統的な古臭い地名である。子孫のために財産を残したという一見微笑ましいエピソードに由来するが、財産の中には負の財産、つまり借金も含まれるので、結局普通の遺産相続である。
杉本町(すぎもとちょう)
快速待ち通過駅。本当は快速停車駅になりたかったが通過駅になってしまい、腹いせにホームの快速通過側に永遠に取り外し不可能な頑丈に固定された防護柵を作り「やあやあ、頼むから快速停車駅になってくれと言っても、もうなってやらないぞ」とふてくされている。
浅香(あさか、だぁー)

駅のアナウンス「あさか、あさか、あさかだぁー。あさか、あさか、あさかだぁー。あさか、だぁー」

大和川の南岸にある、橋の上にある高所恐怖症の人にはおすすめできない駅。その代わり、鉄道オタクには至福の時を与えてくれる。カーブする地点にムリに作ったのでホームと電車の間が8メートルも開き、おかげで1か月もすると全員ハチカリ(泉州弁でガニ股のこと)になってしまう。
この駅以南から、泉州弁が解禁される。そう、大和川以北では泉州弁は口に出すのがハバカリ(泉州弁で便所のこと)である。ちなみに泉州弁の特色は、語尾に「なあ」と付けること。例:「わてなあ、それなあ、これなあ、ほないくなあ」
大和川が増水するときは、ホームから直接飛び込める淡水浴場となるが、あくまで淡水なのでまかりまちがうと水まんじゅうになる。
堺市(さかいし)
「堺市」駅を新設する話が出た時、これを名乗れば快速停車駅になれるというので堺市内のすべての駅が立候補し血みどろの争いになった。具体的には、各駅が待避線を作れるスペースを確保し中にはホームの風よけまで撤去して改造したのである。しかし結局立候補していなかったこの駅に決まったのは、1つの駅に絞れば他の駅が何をしでかすかわかったモノじゃないからだった。
おかげで待避線がなく、普通へのつなぎができない。ときどき悪臭が立ち込めるが、それは後の普通を待つホームの客の不快感が高じた末の、過呼吸による二酸化炭素の過度の放出によるものである。
三国ヶ丘(みくにがおか)
摂津河内和泉3国の境目の駅。しかし泉州が拡大し、北は川幅10宇宙キロの大和川で、東は悲哀の元美原町でかろうじてその侵攻を止めている。美原町は独立が失われた2018年現在も、ひそかに泉州への抵抗を続けている。
仁徳天皇陵の最寄り駅と名乗りを上げたが、駅が深さ千メートルの谷底にあり、地上に出るのに半日もかかるところから、断念した。この深さのため、昭和時代は雨が降るたびに水没し、水没対策に時間がかかり遅れの原因を作っていた。平成になってからは駅の地下に巨大トンネルを掘り、そこに水を流し込んでいるが、水がないときは駅員や乗務員たちのカラオケボックスになっている。
百舌鳥(怪鳥もず)
舌が百枚ある怪鳥が駅長を務め乗客をたぶらかし、阪和線が遅れていることを忘却させている。しかし近隣に舌が十万枚ある怪鳥がいる中百舌鳥駅などがあることから、舌の枚数が少なすぎるという疑惑が出ている。それもそのはず、この怪鳥は遅れの責任を取って駅長が罰ゲームとして被り物をしている姿である。
仁徳天皇陵の最寄り駅にしては遠い。すぐそこに見えているのは、古墳の端っこ正面の参拝口(昭和天皇が重篤になった時、ここに記帳所がおかれた)、と思いきや入口まで徒歩半日以上かかる。さすが世界的墳墓である。
上野芝(うえのしば)
この辺りの住宅はすべて同じ形なので、帰宅する人間は100%自宅と異なる家に帰宅する。そしてまったく他人と気づかずに食事をとり入浴を済ませベッドインして、朝になってビックリする。ギャア? あなたいったい誰?
津久野(つくの)
この駅のホームは、幅が非常に広い。これは、最寄り駅とする家原寺への参拝客が多いことの現れである。家原寺は、奈良時代の土建屋生臭坊主である行基の生家で、あちこちに橋を架け、どぶ池を作り、姥捨て山を作ったので、泉州民から絶大な人気を獲得した。以来その猿知恵にあやかろうと、泉州の馬鹿たちが年がら年中わんさと押し掛けて猿知恵を求めている。しかししょせん猿知恵、持ち帰っても何の役にも立たず、電車代と門前出店に有り金全部搾られつくして大損するのが常である。
鳳(おーとり)
阪和線の主要駅。つまり、和泉府中駅以北では鈍行に唯一接続する駅。大阪市内はもちろん堺市内にも、他にこんな駅はない。なぜこの駅が主要駅かというと、すぐそこに電車がおねんねする場所があるから。でもゆっくりも寝てられない、不届き者が忍び寄ってきてスプレーでいたずらし、朝起きると特急はるかに塗り替えられていたというのが日常茶飯事。本人(本車)は「はるかでがんばります」とやる気だが、瞬時に消される。
住民の正体は、大きな鳥である。一人一人がだんじりを素手で押すことができる。この地で行われるだんじり祭りは、岸和田と異次元に異なる。同じだんじり祭とは思えない。岸和田は夏祭りだが、この地は秋祭り。岸和田は走るのは昼だけだが、この地は深夜まで突っ走る。岸和田はやりまわししか脳がないが、この地はまっすぐまっすぐまっすぐ走る。たまに岸和田のマネをすると、すぐに転倒してだんじりごとあの世行きになる。
富木(とのき)
地元民はなぜか濁って「とのぎ」と呼ぶ。脳ミソが足りないからだという説もあるが、地元民の脳ミソが濁ってるからだと思われる。脳ミソが濁ると言葉も「祭りに行こか」が、「まづりにいごが」と化す。
快速やはるかがこの駅を通過するときには、グモチュイーンがおすすめだ。なにせ通過列車は新幹線並みの速度だ。はるかは見た目新幹線ののぞみに激似でおいらは、のぞみだ新幹線だあーと威張りくさり、スピードまで新幹線並みに走ろうとする。おかげでそのスピードに惹かれ、ふらふらと自殺志願者どもが吸い寄せられ人身事故が多発する。
北信太(くずのは)
安倍晴明が生まれた場所。つまり、安倍晴明のお母ちゃんギツネがしっぽをモフモフしていた場所。安倍晴明のお父ちゃんはそのモフモフが忘れられず、ついに禁断のアーン♥♥をしてしまった。生まれた男の子は、稀代の陰陽師に。
キツネには超能力がある。よく使えば占い師になる。この辺りの住民はキツネの血を引いているらしく(もちろん人類との混血だろうが)昭和の戦後のごく最近までその超能力を使って近隣住民の病を治していた。江戸時代には暦を作っていたらしい。
駅前に葛の葉神社がある。晴明のお母ちゃんを祭ってる。この駅に何かしたら祟られるだろう。
信太山(しのだやま)
駅の西側には、弥生時代の遺跡。東側には、日本陸軍の基地がある。この辺りの上空は軍用ヘリが低空飛行していて、ときどき干してある洗濯物を狩っ去ろうとするのだが、住民は慣れたもんでふとんたたきをパンパンパン! パンパンパン! おらおらおら!おらおらおら! と狂ったようにたたいて追い払う。住民の剣幕に恐れをなして、意外とこの辺は陸軍兵士による犯罪が少ない。多分。
和泉府中(ふちゅう)
井戸が発見されたので泉と命名されたという。「和」が付いているのは、和泉国は、一時大和国に征服されていたからである。しかし生駒金剛山地という障害をなかなか乗り越えられず、大和国が放棄した際、名前を元に戻すのが面倒くさくてそのままにした。
久米田(くめだ)
奈良時代の土建屋坊主の行基がここにため池を作った時、夜の間に何やらあって、朝になったら池が出来上がっていたとか。西洋なら靴屋の仕事を手伝ってくれたかわいい小人たちというほのぼのストーリーになるのだが、手柄を横取りされたこの坊主はむくれて「夜に変な奴が現れて手伝ってくれた」と天皇に報告した結果、この辺りを夜疑(やぎ)と呼べという天皇のお言葉が下った。住民はもちろん反発し、即行「八木」に改名した。しかし住民は内心肝を冷やした。そう、住民の正体はヤギだったからだ。メエエエエ
この駅の改札口からホームまでは異様な急傾斜の坂になっている。そう、そこにはかつて線路があり、この駅は快速停車駅の栄光の座を虎視眈々と狙うために、ホームを改造して島ホームにしてスタンバイしていたのだ。もちろんこんな田舎駅にそのような栄光の座が回ってくるはずもないが、まだあきらめてないようでスロープはいつでも壊せるようにくさびを打ってある。
下松(しもまつ)
東岸和田(きしわだのひがしのほう)
東貝塚(かいづかのひがしのほう)
1964年、この付近には魔女が住んでいた。ふだんは朝から晩まで夜中まで糸つむぎをせっせとやり、空いた時間にはなぜかハイキューをしていた。10月に東京で開かれた世界魔女ハイキュー大会で、なんとこの魔女チームがソ連の魔女チームを破って世界優勝してしまった。東洋の魔女である。当時はこの魔女たちに魔術の基礎を教えるため、近くの高校に魔女専用コースである隔週定時制が設けられていた。
和泉橋本(はしもと)
東佐野(さののひがしのほう)
熊取(ベアベア)
この辺りの住民には、男子も女子もなぜかコロコロとかわいい人が多い。その理由は、この辺りの人間の正体はかわいい子熊だからである。とにかくこの辺りの人間たちはかわいくてかわいくてしょうがない。そのうわさを聞きつけて、全国からいかがわしい者共が集結してしまい、恐ろしいことも起こってしまった。どうかみなさん、かわいくても手を出してはいけない。イエス、ベアコン、ノー、タッチ
昭和中ごろまでは正直、山しかない超超超ど田舎であった。平成になってから駅近くが一部フランス化し、住民やそれを口コミで知った客が押しかけフランス料理に舌鼓を打っている。余談だが、富木駅近くは一部イタリア化しているし、鳳駅近くも一部ネパール化していて本場の味が味わえる。
日根野(わんわん)
ここを最寄り駅とする温泉がある。地元の村長犬がある日「ここ掘れわんわん、ここ掘れわんわん」とキャンキャン鳴いた。そんで掘ってみたら、湯が出たというわけだ。なになに? 村長犬? 和歌山のネコ駅長の村長版か? いや違う。ここの人間たちは、実はわんわんが化けているんだぜ。だからこの辺りは、遠吠えがやかましいのなんの。プアアアアン、プアアアアンと、1日中電車が警笛を鳴らしているような声が聞こえる。
快速停車駅でもないのに、早くから快速停車駅のような島ホームを作っていた。当然快速停車駅を狙っていた。北隣の熊取駅が快速停車駅になった時は絶望したが、偶然関西空港ができて首の皮1枚つながった。
長滝(ながたき)
この駅にも、なぜか早くから快速停車駅のような島ホームが作られていた。当然その意図は、日根野駅と同じである。その熱意が通じたのか、念願かなって鈍行がたまに待避線に入り、快速やオーシャンアローの通過待ちをする駅になることができた。
冬の夕方、鈍行に乗ってこの駅の待避線に入り、ドアを開け放して通過待ちをする。その時間およそ4、5分。またときおり時間調整で待避線に入ることもある。このときがスリルを味わえる貴重な時間となる。特に上りの鈍行がおすすめである。ガラガラの車内を吹きすさぶ風が、体を芯の底から冷えさせ、凍えさせ、風邪をひかせるという世にも恐ろしい数分間が待っている。暖を求め熱い缶コーヒーを飲もうにも、その温度差により体が悲鳴を上げ、あれがしたくなる。この駅、便所がはるか遠い。
残念ながらこのエクストリームスポーツは、その存在に気づいた車掌の手により阻止されてしまっている。停車している数分間、乗降客が一人もいないのをいいことにドアを閉めているのだ。
新家(◯んげ)
なんとも下品きわまりない駅名。なぜ「け」にしなかったのか?濁った結果がこれである。住民がまともなことが、まだ救われるのだが。
しかし、清くしようが濁ろうが「んけ」「んげ」とした段階でもう弄られることは確定である。「よう、お前どこから来てんだ? たしか…ち、ん…げ、だったか?」「ちゃうちゃう、こいつはま、ん…げから来てるんだよ」「おいおいそんなに弄ったるなや。みんなで謝ろう…ザンゲー」。
和泉鳥取(いずとり)

案内アナウンス「つぎは、いずみとととり、いずみとととり。ほーむとでんしゃのあいだがひろくあいてています。どなたさまも、またさけさけさけにごちゅういください」

ここは、乗降に技術が必要な駅である。なぜならば、駅全体が下り側へ45度傾斜していて、しかもホームと電車の乗降口との間が10メートルも空いているからである。降車するときは、後ろから他の乗客に押してもらい飛び上がる必要があるが、最も悲惨なのは、空いてガラガラな車内に乗り込むときである。その乗り込み方を、ここで解説しよう。
まず、静かに10メートルを飛び越える。ここで勢いを付けてはいけない。勢いよく飛び込むと、車内の向こう側のドアの窓に激突して血だらけになってしまうからだ。よくそんな光景を見かけるので、くれぐれも注意が必要。
次に、車内に入ったら、手前の座席に座ろうとしないこと。重力に従って向こう側(下り側)の座席に座ることを目指す。ここであらかじめ右左どちらに行くかを決めておく。右奥の座席に決めたら、ドアを入った瞬間に体を右にひねる。左奥の座席を目指すなら、体を左にひねる。
次に、右にひねった場合はそのまま右に体を傾ける。左にひねった場合はそのまま左に体を傾ける。そして地球重力に体をゆだね、そのまま後ろへどさっと体を落とす。
以上が、通常の乗り込み方である。しかし体をつい左にひねる癖のある人が右奥の座席に、右にひねる癖のある人が左奥の座席に乗り込むときは過酷である。たとえば体を左にひねった後に右奥の座席にうまく座るには、歌舞伎役者がするみたいに、左足1本でお! とっ! とっ! とうーっ! と3歩左に横動きしないといけない。これが難しい。普通の身体能力人間だと、おっとっとが勢い余って左へズズズーといってしまい車両の端に激突してしまう。こんな無理な動きをいとも簡単にできてしまうのが、フィギュアスケートの選手である。最近日本のフィギュアスケート選手が大活躍であるが、実はこの駅で練習しまくっているからである。おかげで阪和線はきょうも遅れる。
山中渓(やまなかだにおんせん)
紀伊(ここからきしゅうだよ)
六十谷(むそた)
紀伊中ノ島(きいなかのしま)
和歌山(わかやま)

案内アナウンス「まもなく、まもなく、まもなくううううう、わかやまにとうちゃくしますぅ」

和歌山市方面の、終点。

竜渡りの試練[編集]

阪和線は、電車という非常に小さなか細い手段によって、毎日毎日十数匹の竜の背中を渡ることを強いられている。竜は、中にはそれほど怖くないものもいるが、中には飛び切り怖くて暴れ始める気配を見せた時などは電車がおじけづいて止まってしまうようなものもいる。これは、いわば電車のエクストリームスポーツといってもいい命がけの渡りというやつである。乗客は、こんな電車たちの苦悩をおもんぱかり思いやって気長に待ってあげないといけない。また、阪和線か!などと罵倒してはいけないのである。
さて竜とは何か。この現世では、竜は川に擬態している。だから一般人にはそれが竜とは認識できない。阪和線の電車のみが、それを認識して日々怖がっている。

以下、天王寺側から順にそれぞれの竜の特性を記し、昨今の状況も併せて見てみよう。

河堀竜(こぼれりゅう)

天王寺 - 美章園

今は、近鉄南大阪線となっているその軌道ルートは、古代、聖徳太子が掘らせた人工の堀の跡である。この竜には、聖徳太子の中国大陸と外交したいという並々ならぬ思いがこめられ、その怨念は今もなお竜を存在せしめている。川が完全に消えていればその怨念も弱まっていただろうが、いかんせん竜の尻尾は天王寺公園の茶臼山の近くに現存してしまっている。
このため阪和線の電車たちは、上を渡るたび怖気づいて歩みが遅くなっていた。そしてさらにそれに追い打ちをかけるように、近鉄南大阪線の高架化しかもなんとまあ阪和線の頭上をまたぐようにして高架化された。いまや竜の怨念はまるで川が現存するかのように復活し、阪和線の電車たちはこの区間にさしかかると次々にその怨念に屈して立ち往生してしまうのである。
長池竜(ながいけりゅう)

美章園 - 南田辺 - 鶴ヶ丘

南田辺駅北西の股が池、南田辺駅南西の長池、鶴ヶ丘駅北西の長池は、元は1つの長い池であった。おそらく昔は川であり、竜だと考えられる。そして今でも池が現存しているため、竜は健在である。ただし、阪和線はこの竜の背中を渡ることがない。しかし竜は、線路の脇で電車たちをにらみつけているのである。電車たちはもちろん震えあがって歩みを遅くしているが、阪和線の線路自体も竜によって硬直している。高架化前、この区間の踏切が長時間閉まった状態だったのは、この硬直によるもの。
高架化によりほっと安心できたかというと、そうでもない。竜は、高架化された支柱に巻き付いているて、支柱をグラグラと揺り動かしている。その揺り動かしは人間の五感ではわからないが、電車はよくわかっていてビビりまくりである。おまけにこの竜は、上町断層帯の下に棲んでいる巨大ナマズとすこぶる親しい。「一緒に阪和線をイジメよう」といつも話し合っていて、高架の支柱を隙あらば倒そうと虎視眈々としている。
大和竜(やまとりゅう)

杉本町 - 浅香

大和竜は、日本を代表する一級河川の大和川に擬態している巨竜である。この巨竜は、大阪の古代以来の暴れ竜で、奈良県からこちらに来た瞬間にその奔流を一気に暴発させ、大阪じゅうを水浸しにしてきた。かなりの時間がたった今日でも、巨竜は今もなお暴れる機会を狙っている。
この巨竜が阪和線の運行を止めることは今まで数度あった。その中でも酷かったのは、1975年ごろにこの巨竜が暴れる寸前になり、阪和線を1週間近く止めてしまったことである。2018年にも記録的大雨により1日半阪和線は止まったが、このときは大和竜は暴れる寸前まで行っていなかった。なぜ止まったかというと、阪和線の線路が巨竜への恐怖のため硬直してしまったからだ。
阪和線線路の巨竜恐怖症は、年々ひどくなっている。せめて鉄橋にトレスでもあればまだましなのだが、トレスのない裸状態である。鉄ヲタを歓喜させるだけで、電車たちは日々恐怖と戦いながら戦いを強いられているのだ。乗客も心なしかこの巨竜を眼下にするときは、みな緊張した面持ちのようである。
大仙竜(だいせんりゅう)

三国ヶ丘 - 百舌鳥

仁徳天皇陵の環濠に擬態している古竜である。古代に作られ、その後埋められて田畑にされたのちに、明治時代に再び掘られて今に至る。人間の勝手な行動によってこのようにひどい目にあってきたため、竜としての怨念はかなり深い。ましてや背景に万世一系の権威を背負っている。あまりにも畏れ多いというほかはない。
阪和線が谷底にもぐっているのは天皇のお墓を車窓から見るのは畏れ多いからだと言われるが、それだけなら千メートルもの深さになるはずがない。人間が掘ったのはせいぜい10メートルか20メートルくらいだ。これは電車たちが背景に巨大な権威をもった竜に怖れを激しく抱き、毎日毎日ここを通るたびに前につんのめりながら平伏し続けた結果、どんどん底を掘っていき、ついには現在の千メートルの深さに至ったのである。おかげで堺市や百舌鳥を出た下りや上りの電車は三国ヶ丘駅に到着するのに3時間もかかるようになり、阪和線の遅れに拍車をかけている。
いたすけ竜(いたすけりゅう)

百舌鳥 - 上野芝

阪和線の南側にある、小さな古墳の環濠に擬態している古竜。この古竜は、比較的おとなしい。実はもう少しで破壊されるところが、住民の反対運動により保存に決まった。そのため痛い目にあうことを免れて、気性も穏やかなのだ。
阪和線の線路すれすれに横たわっているが、線路に危害を加える様子がなく、にらみつけもない。
石津竜(いしづりゅう)

上野芝 - 津久野、津久野 - 鳳

堺市内に水源があり堺市内の河口から大阪湾に流れ出す、堺市内だけで完結する川に擬態した竜。大雨が降ってもなぜかあふれず、非常におとなしい。
この竜が阪和線の線路を脅かすようなことはまだ起きていない。あまりにも優しいので、下りの鈍行電車がときおりうっかり津久野駅に停車するのを忘れ、気づいたら津久野駅南の石津竜の橋の上だったということが何度かある。あわてて後退して津久野駅に戻るときもあれば、そのまま通過して鳳駅に行くこともある。こんなことを何回もしていると、そのうち石津竜が暴れ出し非常事態になるかもしれない。
芦田竜(あしだりゅう)

富木 - 北信太

ふだんは非常に小さな水の少ない小さな竜である。しかし集中豪雨があると、一気に水かさが増し、沿岸の家々を浸水させる底力を持っている。
しかし阪和線の線路を脅かすようなものではなく、そのため電車たちは安心しきってここですさまじい激走レースを行うのである。ただこの辺りには、竜よりも恐ろしい運行を脅かす事象が複数存在する。
槇尾竜(まきおりゅう)松尾竜(まつおりゅう)牛滝竜(うしたきりゅう)

和泉府中 - 久米田

この竜は、超古代の伝説の竜であるヤマタノオロチや、特撮映画でゴジラと死闘を繰り広げたキングギドラにその体型が似ている。そう、この3体の竜は、阪和線の西500メートル地点で、腰から下が1つになり南海本線の電車からは大津竜(おおつりゅう)と呼ばれている。阪和線の電車から眺めると、3本の川が激しくうねるように流れダイナミックな蛇行と河岸段丘を見せる。蛇行と河岸段丘といえば、洪水と表裏一体である。
しかし、平成に入ってから高層マンションが林立した。この3本の川は、あふれかけるところまではいくが、結果あふれないことが続いているため、住民はこの川がおとなしい川だと思い込んでいる。阪和線の電車も同じで、見た目は荒ぶる3頭の竜であるが、線路を脅かすことがないので、そこに竜がいないかのように振る舞い安心しきっている。しかし数十年に1度の事象は他人ごとではない。この頭3つ体1つの竜は、かつての暴れ竜の姿をいつ復活させてもおかしくない。
春木竜(はるきりゅう)

久米田 - 下松

下松駅のすぐ北側に横たわる、比較的おとなしいと思われている竜である。
しかし、住民の多くが知らないが、この竜が擬態している川の別名を轟(とどろき)川という。これは何を意味するのか。かつて暴れた形跡を色濃く残す名前である。現在阪和線の電車たちは油断しているが、いったん暴れ出すと線路は壊滅状態になるだろう。
津田竜(つだりゅう)

東岸和田 - 東貝塚

岸和田市と貝塚市の市境付近を流れる川に、擬態している。見た目はおとなしそうである。
この阪和線から2キロ上流に、天神山という小高い丘というか山のような地形がある。上からの眺望が絶景で、岸和田市内有数の高級住宅地となっているわけだが、この山はこの竜の暴れる力によって作られた。そのような歴史も知らずに安穏としていると、かつての暴れ竜を見ることになるだろう。
近木竜(こぎりゅう)

東貝塚 - 和泉橋本

近木川に擬態している古竜である。この辺りは、古代以来の和泉櫛の名産地で、戦国時代には川べりの2つの城を拠点とする根来鉄砲坊主・泉州民の連合軍が豊臣秀吉の大軍と激戦を重ねたという、まさに民の鑑といった歴史の地である。歴史の地に横たわる竜は、怒らせると怖いことになるだろう。
源流、つまり竜の頭は和泉山脈に突っ込んだ状態だ。くれぐれも怒らせないよう、電車たちはそろりそろりと進んでいる。そのため、この辺りでは重大な鉄道事象は起こっていないようだ。
見出竜(みでりゅう)

和泉橋本 - 東佐野

貝塚市と、泉佐野市・熊取町の境界に横たわる、小さな竜。
しかし数十年に一度の自然事象などが起こると、こういった小さな竜を刺激しやすいことを肝に銘じなければならない。
佐野竜(さのりゅう)

熊取 - 日根野

熊取町内を流れる小さな竜。
しかしその沿岸には原子力研究所。そして上流には脳筋大学があり、竜は勢いづいている。一つ間違えば大量の放射能が噴き出すし、大量のマッチョたちが町にあふれだし電車の狭い車両をぎゅうぎゅう詰めにする。この区間、電車は徐行気味であるがそういった怖さゆえんだろう。
樫井竜(かしいりゅう)

長滝 - 新家、新家 - 和泉砂川

本流は、泉佐野市と泉南市の境を流れる竜。
大坂夏の陣のとき、この河原で豊臣方と徳川方との大激戦があった。この河原は敗れ去った豊臣方の恨みの血で染まったわけで、そのような歴史のある川に擬態している竜は怖い存在である。しかもこの上流は泉州有数の滝地帯で、流量は日常から豊富である。線状降水帯にはくれぐれも警戒せねばならない。
男里竜(おのさとりゅう)

和泉砂川 - 和泉鳥取、和泉鳥取 - 山中渓

本流は泉南市と阪南市の境、支流は阪南市内。
本流は意外とおとなしい竜(ただし河口付近で近年暴れて、南海本線の線路を破壊してしまった)だが、その頭(上流)は実は3つに分かれている。頭の2つが阪南市内に横たわり、戦後すぐに強烈に暴れとんでもない大洪水を起こした。竜の頭のてっぺんの石が江戸時代以来盛んに採掘され、頭を弄られた竜が怒りを爆発させたのだ。石じたいは和泉の石工の手で有効活用され、多くが高野山の諸大名の墓石になっているが。人間は忘れっぽいので今じゃ誰も知らないが、阪和線の電車はもちろんその大洪水の記憶を濃厚にトラウマされているので雨が少し降っただけでも線路・電車共に硬直し、立ち往生してしまう。和泉砂川以南がよく止まるのは、この竜の脅威ゆえんである。
この竜の頭の一部が山中渓駅付近に横たわっているが、こちらは春になると多くの満開の桜で彩られる。それは素晴らしく美しい景色だ。

関連項目 [編集]