とうきょうスカイツリー駅
とうきょうスカイツリー駅(とうきょうスカイツリーえき)は、東京都墨田区押上一丁目にある、東武鉄道伊勢崎線の駅である[1]。「東武スカイツリーライン」の愛称区間に含まれている[1]。駅番号はTS 02[1]。
目次
歴史
東武鉄道が鉄道敷設を申請した1895年(明治28年)4月6日は、東京市本所区から栃木県足利町までの83.7kmで申請をしていた。だが、東京市内にあたる千住 - 本所間は市区改正との兼ね合いから審査に時間を要するとし、やむなく出願を北千住駅以北に縮小した上で、1897年(明治30年)9月3日に本免許を取得した。その直後、1899年(明治32年)1月には北千住駅から越中島駅までの免許を取得した。そして、1902年(明治35年)4月1日に、当駅は吾妻橋駅(あづまばしえき)として開業し、伊勢崎線の都心側における終着駅となった[1][2]。
ところが、開業から2年後の1904年(明治37年)4月5日に、曳舟駅から東武亀戸線が開業し、亀戸駅を介して総武鉄道両国橋駅(現・総武本線両国駅)への乗り入れを開始することになった[2]。ここで、ターミナル駅としての機能が他社の駅である両国橋駅へ移ることになり、当駅は廃止された[2]。両国橋駅への乗り入れは、当時の経営陣が総武鉄道と関係が深かったことで実現したものであった。
しかし、1907年(明治40年)9月1日に総武鉄道が日本国有鉄道に国有化されると事態は急変し、東武鉄道は自社のターミナル駅を保有することを迫られた[3]。越中島駅への延伸も、当該区間が既に市街化されており、用地買収が困難になっていた。そこで、総武鉄道が国有化されてから6ヶ月後にあたる1908年(明治41年)3月1日に、廃止していた当駅を貨物営業に限り再開し[2]、1910年(明治43年)3月1日には旅客営業も再開した[2]。旅客営業の再開に伴い、駅名を浅草駅(あさくさえき)に改称した[2]。当時、鉄道で当駅に運び込まれた貨物は、ここで舟運に積みかえられ、北十間川から隅田川、中川を通って、広く全国に運び出されていた[2]。1911年(明治44年)3月12日には、東武鉄道の本社が両国から小梅瓦町(現・押上)に移転し、東武鉄道の中心拠点としての役割も果たしてきた[2]。
その後も東武鉄道は都心側のターミナル駅を求め、当駅から上野駅への延伸計画を申請した[3]。この申請は1924年(大正13年)に浅草雷門駅(現・浅草駅)まで認可されたが、浅草雷門駅 - 上野駅間は1919年(大正8年)に東京地下鉄道[注 1]が免許の交付を受けていたため、上野駅までの免許は下りなかった[3]。やむを得ず東武鉄道は浅草雷門駅をターミナル駅とする方針へ変更し、1927年(昭和2年)12月15日に延伸工事を開始したものの、隅田川橋梁と浅草雷門駅の設計変更により工期が長引いた。この頃、京成電気軌道(現・京成電鉄)押上線も浅草への延伸を計画していたが、1928年(昭和3年)9月26日に京成電車疑獄事件が起きたことによって、京成電気軌道は浅草への延伸を断念することになった。このような紆余曲折の末、1931年(昭和6年)5月25日に東武鉄道は浅草雷門駅への延伸を果たした[2]。この延伸に伴い、駅名を業平橋駅(なりひらばしえき)に改称した[2]。延伸後は、旅客営業としてのターミナル駅は浅草雷門駅へ移ることになったものの、当駅は貨物営業としてのターミナル駅としては健在で、都内私鉄の貨物駅としては最大の取り扱い量を記録した。
1962年(昭和37年)5月31日に、北千住駅を介して営団地下鉄日比谷線[注 2]との直通運転を開始すると、伊勢崎線の旅客輸送は急激に増大した。しかし、浅草駅は構造上の問題で10両編成の通勤電車が発着できず[3][注 3]、北千住駅以北を複々線にし、同駅以北の運転本数を増加することで輸送力を賄った[注 4]。それでも、北千住駅の乗換客による混雑は一向に解消されず、1990年(平成2年)9月25日には、北千住駅を4面7線に立体化する改良工事が開始した。これに伴い、当駅は電留線の一部を利用して10両編成が停車可能なホーム(通称:地上ホーム)を新設し[4]、伊勢崎線の10両編成列車は当駅を始発・終着駅とした[4]。また、押上駅までの地下連絡通路も新設された[4]。
一方で、貨物輸送量は戦時中も減ることがなく、戦後の復興期には更なる増加を記録した。当駅の貨物取り扱い量は1964年(昭和39年)度にピークを迎えた[5]が、高度経済成長によって高速道路や国道が相次いで開通し、モータリゼーションが進行したことにより、それ以降は取り扱い量の減少に歯止めがかからなかった。そして、1993年(平成5年)3月25日をもって当駅を発着する貨物列車は廃止された[2]。旅客営業に関しても、2003年(平成15年)3月17日には、押上駅を介して営団地下鉄半蔵門線[注 5]との直通運転を開始したことに伴い、地上ホームと押上駅への地下連絡通路が廃止された[4]。
これにより、旧貨物ヤードの跡地には30,000m2を越える用地が創出され、2004年(平成16年)からは、旧貨物ヤードを中心に再開発事業(押上・業平橋駅周辺土地区画整理事業)が開始された[6]。同年12月には墨田区・地元関係者が東武鉄道に対し、新タワー誘致の協力要請をし[6]、2005年(平成17年)2月には東武鉄道が新タワー事業に取組む事を放送事業者・墨田区に表明した[6]。同年3月には都市計画が決定され、放送事業者が墨田区押上地区を第1候補に選定した[6]。そして、2006年3月には新タワー建設地として当地区が最終決定され、東京スカイツリーを核とした、東京スカイツリータウンの開発が行われるようになった[6]。
東京スカイツリータウンは2012年(平成24年)2月29日に竣工し[7]、開業を直前に控えた同年3月17日のダイヤ改正では、当駅に初めて特急列車が停車するようになった[8][注 6]。併せて、駅名をとうきょうスカイツリー駅(とうきょうスカイツリーえき)に改称した[9][10][注 7]。なお、地元の親しみやすさを維持するため、改称後は「旧業平橋」の名称も併記している[注 8]。同年4月20日には駅構内のリニューアル工事が完了し[11]、同年5月22日に東京スカイツリータウンが開業してからは、当駅はその最寄駅の一つとなっている。
年表
- 1902年(明治35年)4月1日 - 吾妻橋駅(あづまばしえき)として開業[2]。
- 1904年(明治37年)4月5日 - 東武亀戸線開業により、亀戸駅経由で総武鉄道両国橋駅(現・総武本線両国駅)までの乗り入れを開始[2]。吾妻橋駅一時廃止[2]。
- 1908年(明治41年)3月1日 - 貨物運輸のみ再開。
- 1910年(明治43年)
- 1911年(明治44年)8月1日 - 東京市が東京鉄道を買収し、東京市電気局(東京市電、現在の東京都電の前身)が成立。
- 1924年(大正13年)10月1日 - 西新井駅までの電車運行開始。
- 1931年(昭和6年)
- 1990年(平成2年)9月25日 - 北千住駅改良工事開始に伴い、電留線の一部を使って10両編成が停車可能なホームを新設し、伊勢崎線の10両編成列車は本駅を始発・終着駅とする(通称:地上ホーム)[4]。押上駅までの地下連絡通路も新設[4]。
- 1993年(平成5年)3月25日 - 貨物列車乗り入れを廃止[2]。
- 2003年(平成15年)3月19日 - 伊勢崎線・帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)半蔵門線押上駅開業により、地上ホームと押上駅までの連絡通路を廃止[4]。当駅始発・終着の10両編成列車が半蔵門線・東急田園都市線直通に移行される。
- 2011年(平成23年)8月11日 - リニューアル工事開始。同時に従前の改札口を一時閉鎖し、曳舟寄りに改札口を新設。
- 2012年(平成24年)
- 2013年(平成25年)3月16日 - ダイヤ改正により、快速・区間快速の全列車と浅草駅を10時以降に発車する下り特急列車が停車開始。
- 2014年(平成26年)4月1日 - 当駅を発車する特急列車に対して、当駅→浅草間の乗車に限り特急料金不要で乗車できる措置をすべての時間帯の列車に拡大。ただし、「けごん」「きぬ」の個室と「スカイツリートレイン」には従来どおり、乗車できない。
駅名の変遷とその由来
現在の駅名としたのは、東京スカイツリーとその周辺施設の最寄り駅であることの認知度向上と、地域活性化のためとしている。「東京」の部分を平仮名の「とうきょう」にしているのは、より親しみを持ってもらうためとしている。
本駅は現在の駅名になるまでに3回の駅名を改称をしている。
開業当初の「吾妻橋駅」は、隅田川に架かる吾妻橋(あづまばし)に由来する。その「吾妻橋」の名称は、近接する都営浅草線の本所吾妻橋駅に残っている。
2代目駅名の「浅草駅」は、東武鉄道での浅草への玄関口であることから付けられたが、当駅の所在地は本所区(当時)であった。
3代目駅名の「業平橋駅」は、寛文二年に大横川に架橋された業平橋に由来する。詳細は業平橋 (墨田区)の項を参照。
なお、駅南側の交差点名はかつて「業平駅」だったが、後に「業平橋駅」に変更。駅改称後も暫くはそのままだったが、現在は「とうきょうスカイツリー駅」となっている。
駅構造
築堤上に島式ホーム1面2線を有する高架駅である[12]。ホームとコンコース間の移動設備として、エレベーター、エスカレーター、さらに階段が2箇所設置されている[12]。トイレは1階改札内にあり、多機能トイレも併設されている[12]。
曳舟駅方面には留置線があり、特急形車両などの整備や通勤形車両の留置が行われている。一般列車の当駅始発・終着列車は設定されてないが、臨時列車で当駅始発・終着列車が設定された実績はある[13]。
かつて、ラッシュ時に運行される10両編成の準急列車の折り返しや分割・併合をしやすくするために、当駅ホームを10両編成分の有効長を持つ2面4線に改築する計画があった。しかし、輸送量の減少や、押上駅の開業による半蔵門線・東急田園都市線への直通運転の開始などを理由に、計画は白紙となった。
上述の駅名変更に合わせ、コンコースの大幅増床や階段・改札口の増設、エレベーターの移設・大型化[注 9]、エスカレーターの新設、発車標の更新を含む駅のリニューアル工事を実施した[14]。工事に先立ち、従前より浅草寄りにあった改札口を2011年8月11日から休止するため、曳舟寄りに新しく改札口を設置し、さらに2012年2月11日からホーム中央に移設された。この改札口は現在、東京ソラマチに直結している[9]。
工事は同年4月20日に完成し、休止していた浅草寄り改札口を「正面口」に、曳舟寄り改札口を「東口」として改札口を2か所に増設した[12][14]。また、改修前のホーム屋根骨組みを活用した膜屋根を設置し、自然光を取り入れた空間を作っている[14]。完成に合わせ、浅草寄りにある自立式駅名標もスカイツリーをあしらった特製のものに更新され、下部中央に液晶ディスプレイ式の発車標が設置された。この他、ホームの黄色点字ブロックの前に紫と青の矢印型のラインを施し、行先に不慣れな乗客にもわかりやすく配慮している。
当駅構内の照明はリニューアル工事後にすべてLED式のものに交換され[14]、使用電力を約20%抑えている。また、ホーム屋根や高架上に降った雨を貯める約30トンの雨水タンクも新設され、貯めた雨水をトイレの洗浄水として使用している[14]。高架部の一部には壁面緑化も施された。
さらに、周辺の観光施設などを案内する「ステーションコンシェルジュ」の配置も開始された[14]。
コンコース中央部には、澄川喜一によるパブリックアート「TO THE SKY」が飾られている[14]。東京スカイツリータウンのソラマチひろばにも同名の屋外彫刻が飾られている[15]。
駅の外側には、壁に組み込む形で「安全地蔵尊」が祀られ、駅周辺の街を見守っている。1959年9月に貨車によって運ばれた石や砂の中から発見された地蔵を祀るために1964年4月に安置されていたが、1985年に行方不明となり、改めて地蔵を祀り、その後2体の地蔵も祀られるようになった。当駅のリニューアル工事中は近くの神社に避難しており、工事完了後に新しい場所に設置された。
旧貨物ヤード
当駅には1955年まで東武鉄道浅草工場が隣接し、1960年代までは蒸気機関車の車両基地(浅草機関区)が存在していた。
1995年頃までは地上部に貨物駅を併設して、住友大阪セメント栃木工場(佐野線葛生駅から延びる貨物線を利用)から同社業平橋サービスステーションまでセメント貨物列車が運行されていた。
1990年2月25日から2003年3月18日までは、旧貨物駅の一部に有効長10両編成対応の2面3線の頭端式ホーム(3・4・5番線、通称「地上ホーム」)が設けられていた[4]。これは、北千住駅の混雑分散を図る目的で、従来に曳舟駅終着もしくは一部分割を行っていた朝ラッシュ時の上り列車について当駅まで延伸するために設置されたものであった[4]。地上ホームには浅草寄りに現行のホームとの間の連絡通路が、曳舟寄りに改札口と地下通路(エスカレーター併設)があった。曳舟側は京成押上線・都営地下鉄浅草線押上駅への連絡通路があった。いずれも、半蔵門線・東急田園都市線との直通運転開始により廃止され、連絡通路も閉鎖された[4]。なお、地上ホームのすぐ南側に保線基地があり、そちらは地上ホームの撤去後も使用されたが、その後東京スカイツリーの建設に伴い撤去された。
跡地は東京スカイツリータウンとなっており、線路跡などは残存していない。
のりば
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | ■東武スカイツリーライン | 上り | 浅草行 |
2 | 下り | 曳舟・北千住・東武動物公園・ ■伊勢崎線 久喜・■日光線 南栗橋方面 |
- 上記の路線名表記は旅客案内上の名称(「東武スカイツリーライン」は愛称)および案内に準拠している。
- 当駅に停車する下りの特急列車は編成中の2箇所のドアしか開閉を扱わない。「けごん」と「きぬ」、「りょうもう」の乗車口は2号車と5号車、350系の「しもつけ」と臨時「きりふり」「ゆのさと」は2号車(1号車寄り)と3号車、300系の「きりふり」と臨時「ゆのさと」は3号車と4号車(5号車寄り)となっている。乗車時に駅係員かステーションコンシェルジュが特急券を拝見する。なお、上りの特急列車は全てのドアが開く[16]。
利用状況
2012年度の1日平均乗降人員は105,199人である[17]。この数値は、2001年度まで当時の業平橋駅の単独集計であり、2002年度以降は東京メトロ半蔵門線・東急田園都市線との直通運転開始を機に押上駅の乗降人員、並びに半蔵門線直通人員も含まれている。
当駅と押上駅を同一駅とみなすと、伊勢崎線の駅では北千住駅・新越谷駅に次ぐ第3位である。2006年度からは浅草駅よりも乗降人員が多くなり、東京スカイツリータウンが開業した2012年度は、1日平均乗降人員が前年度より2万人以上増加し、初めて10万人を越えた。
ただし、当駅そのものの乗降人員は2002年度より乗換駅ではなくなった為、2006年度に6,774人と、半蔵門線直通運転開始前の半分程度まで低下した。しかし、東京スカイツリーの建設が開始された2010年度は9,069人まで上昇し、2012年度に開業すると乗降人員は25,494人まで達した。
当駅の1日平均定期外乗車人員は、東京スカイツリーが着工した2008年度は1,429人であったが、建設中の東京スカイツリーが話題になった2010年度は2,953人と倍増した。東京スカイツリータウンが開業した2012年度は12,022人と急増し、開業前と比べ8倍強の乗車人数を記録している[18]。
近年の1日平均乗降人員は下表のとおりである。
年度 | 当駅 乗降人員 |
押上駅 乗降人員 |
半蔵門線 直通人員 |
合計 |
---|---|---|---|---|
2000年(平成12年) | 13,110 | 13,110 | ||
2001年(平成13年) | 12,392 | 12,392 | ||
2002年(平成14年) | 42,475 | |||
2003年(平成15年) | 7,703 | 11,115 | 26,645 | 45,463 |
2004年(平成16年) | 7,189 | 13,283 | 32,535 | 53,007 |
2005年(平成17年) | 6,935 | 14,250 | 33,929 | 55,114 |
2006年(平成18年) | 6,774 | 16,808 | 40,398 | 63,980 |
2007年(平成19年) | 6,902 | 19,072 | 45,169 | 71,143 |
2008年(平成20年) | 6,896 | 17,134 | 54,480 | 78,510 |
2009年(平成21年) | 6,988 | 17,373 | 56,317 | 80,678 |
2010年(平成22年) | 9,069 | 17,894 | 58,159 | 85,122 |
2011年(平成23年) | 8,719 | 16,453 | 56,470 | 81,642 |
2012年(平成24年) | 25,494 | 20,538 | 59,167 | 105,199 |
各年度の1日平均乗車人員は下表のとおりである。
- 2002年度以降は押上駅の乗車人員も加算されている。
年度 | 東武鉄道 | 出典 |
---|---|---|
1990年(平成 | 2年)5,625 | [20] |
1991年(平成 | 3年)6,014 | [21] |
1992年(平成 | 4年)6,290 | [22] |
1993年(平成 | 5年)6,523 | [23] |
1994年(平成 | 6年)6,627 | [24] |
1995年(平成 | 7年)6,896 | [25] |
1996年(平成 | 8年)6,737 | [26] |
1997年(平成 | 9年)6,896 | [27] |
1998年(平成10年) | 6,562 | [28] |
1999年(平成11年) | 6,295 | [29] |
2000年(平成12年) | 6,173 | [30] |
2001年(平成13年) | 6,011 | [31] |
2002年(平成14年) | 6,156 | [32] |
2003年(平成15年) | 21,213 | [33] |
2004年(平成16年) | 25,005 | [34] |
2005年(平成17年) | 26,088 | [35] |
2006年(平成18年) | 30,638 | [36] |
2007年(平成19年) | 34,467 | [37] |
2008年(平成20年) | 38,433 | [38] |
2009年(平成21年) | 39,641 | [39] |
2010年(平成22年) | 42,416 | [40] |
2011年(平成23年) | 40,842 | [41] |
貨物輸送廃止までの貨物取扱量の推移は下表のとおりである。
年度 | 発送トン数 | 到着トン数 | 出典 |
---|---|---|---|
1990年(平成 | 2年)11,236 | 233,338 | [42] |
1991年(平成 | 3年)8,888 | 171,816 | [43] |
1992年(平成 | 4年)5,728 | 64,316 | [44] |
1993年(平成 | 5年)400 | [45] |
駅周辺
押上 も参照
- 東京スカイツリータウン
- 東武鉄道本社 - グループ子会社の多くも所在。東京スカイツリーの建設に伴い、少し東寄りに移転した。
- 京成電鉄旧本社 - 2013年9月、千葉県市川市の京成八幡駅前に移転した。
- 押上駅 - 徒歩圏内であり、本駅と同一駅扱いとなっている。
- 本所吾妻橋駅(都営地下鉄浅草線)
- 隅田公園
- 東京都立本所高等学校
バス
最寄り停留所は、駅前の道路にあるとうきょうスカイツリー駅前、駅から東武橋を渡った浅草通りにとうきょうスカイツリー駅入口(業平橋)の停留所がある。以下の路線が乗り入れており、東京都交通局(都営バス)により運行されている。また、東武橋脇には日の丸自動車興業のスカイホップバスの乗り場、案内所がある。
- とうきょうスカイツリー駅前
- とうきょうスカイツリー駅入口(業平橋)
- とうきょうスカイツリー駅前
- スカイホップバス(浅草・東京スカイツリーコース)(日の丸自動車交通)
- スカイダック<水陸両用バス>(東京スカイツリーコース)(日の丸自動車交通)
また、別に東京スカイツリータウン内ほかにあるバス停からの路線も利用できる。
なお、とうきょうスカイツリー駅への改名前は、「とうきょうスカイツリー駅前」は「業平橋駅前」、「とうきょうスカイツリー駅入口」は「業平橋」を名乗っていた。
付記
- 本駅は東武鉄道においては運賃計算上は押上駅と同一駅扱いになっている。東武本線各駅から押上までの定期券もしくは回数券および押上駅経由の東京地下鉄(東京メトロ)・都営地下鉄・京成電鉄との連絡定期券を所持していれば、本駅でも乗降可能である。ただし、地上ホームの廃止に伴い押上駅との連絡通路も廃止されたため、本駅から押上駅に行くには改札を出て東京スカイツリータウンか一般道を歩く必要がある。その距離は以前よりやや長くなっているため、半蔵門線・東武線が輸送障害で押上・北千住折り返しとなった際には、伊勢崎線との接続手段として北千住 - 大手町間を千代田線で経由するよう案内される。
- 本駅は押上駅と同一駅扱いのため、運賃表には押上までの運賃が記載されていない。PASMOやSuicaなどのICカードを利用して本駅から押上駅まで乗車すると144円が引き落とされる。
- 本駅では硬券入場券を発売していたが、消費税率の引き上げに伴い、2014年3月31日をもって販売を終了した。
- PASMO・Suicaで履歴表示・印字する場合、駅名には"SKYTREE"と表示・印字される。
- 東京スカイツリーの建設中はホームからその状態を見学することができたが、注意喚起装置や保安員の配置により、ホームから身を乗り出しての写真撮影などをしないように呼びかけていた。その後、前述のリニューアル工事に際して浅草寄りのホームの端に柵が設置された。この柵は平日朝夕の8両編成発着時間帯に限り開放される。
- 当駅 - 曳舟駅間にある押上2号踏切は長年「開かずの踏切」になっている。朝のピーク時は最大約30分間遮断機が降下したままとなり、さらに東京スカイツリータウンが開業することで周辺での交通渋滞も予想されている。このため、渋滞緩和を目的として、墨田区が事業主体となって同区間の線路を高架化することを2012年1月に決定した。今後は国の認可や墨田区と東京都との間の事業費の負担割合の協議などを経て、2017年度に着工、2023年度末に供用開始の予定となっている[46]。
隣の駅
- 東武鉄道
- ■東武スカイツリーライン
浅草駅 - 本駅間には1931年(昭和6年)から1943年(昭和18年)まで隅田公園駅が、曳舟 - 本駅間には1931年から1949年(昭和24年)まで請地駅が存在していた。
脚注
注釈
- ↑ 現在の東京メトロ銀座線の浅草駅 - 新橋駅間である。
- ↑ 現在の東京メトロ日比谷線。直通運転開始当初は人形町駅までの部分開業であったが、1964年(昭和39年)8月29日に中目黒駅までの全線が開業した。
- ↑ 1番線のみ8両編成に対応するホームであるが、北千住駅寄りの2両はドアカットを要するほどの急曲線上にホームが存在する。他の番線は6両編成が限度である。
- ↑ 1974年(昭和49年)に北千住駅 - 竹ノ塚駅間が複々線となったのを皮切りに順次複々線区間を延伸し、2001年(平成13年)には北越谷駅までの18.9kmが複々線となった。
- ↑ 現在の東京メトロ半蔵門線。直通運転開始当初より、東急田園都市線との3社直通運転を実施している。
- ↑ この時に行われたダイヤ改正では、快速・区間快速は従来通り通過の措置がとられたが、2013年(平成25年)3月16日のダイヤ改正で快速・区間快速も停車するようになり、すべての一般列車が停車する駅となった。
- ↑ 東武鉄道の駅名改称は1987年(昭和62年)に東向島駅が玉ノ井駅より改称して以来25年ぶりである。
- ↑ 同線では東向島駅(旧玉ノ井)を同様の表記としている。こちらは住所表記の変更による駅名の改称である。
- ↑ 改修前は現在の正面口に設置していたが、改修後は現在の東口に近い位置に設置された。
出典
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 とうきょうスカイツリー(旧 業平橋)駅|路線図・駅情報 - 東武鉄道
- ↑ 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 2.12 2.13 2.14 2.15 2.16 2.17 計画地の歴史 - 東京スカイツリータウン
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 東武スカイツリーラインの起点は、上野や新橋になったかもしれない - マイナビニュース
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 4.6 4.7 4.8 4.9 鉄道建築ニュース、2012年10月号、Page26
- ↑ 東京都統計年鑑
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 施設概要・開発の経緯 - 東京ソラマチ
- ↑ 東京スカイツリー完成!5月22日オープン - 日テレNEWS24
- ↑ 8.0 8.1 2012年3月 とうきょうスカイツリー駅(現・業平橋駅)に、特急列車が停車します!PDF - 東武鉄道ニュースリリース 2011年10月11日
- ↑ 9.0 9.1 2012年5月の東京スカイツリー®開業にあわせ、伊勢崎線業平橋駅の駅名を「とうきょうスカイツリー」に改称します! あわせて、駅のリニューアルも実施します!!PDF - 東武鉄道ニュースリリース 2010年12月27日
- ↑ 10.0 10.1 3月17日(土)伊勢崎線・日光線で一部ダイヤ改正を実施PDF - 東武鉄道ニュースリリース 2012年1月26日
- ↑ 11.0 11.1 11.2 11.3 鉄道建築ニュース、2012年10月号、Page30
- ↑ 12.0 12.1 12.2 12.3 とうきょうスカイツリー駅構内マップ - 東武鉄道
- ↑ 大宮から東京スカイツリータウン®へ直通! 8000系リバイバルカラー車両 イベント列車を運行します! 今後はこのルートで、臨時列車の運行や特別列車の導入も計画しています!!PDF - 東武鉄道ニュースリリース 2012年8月22日
- ↑ 14.0 14.1 14.2 14.3 14.4 14.5 14.6 4月20日(金)とうきょうスカイツリー駅リニューアルオープン!PDF - 東武鉄道ニュースリリース 2012年4月11日
- ↑ 東京スカイツリーデザイン監修者 澄川喜一氏制作監修“TO THE SKY”「屋外彫刻」・「パブリックアート」が誕生します!PDF - 東武鉄道ニュースリリース 2012年4月11日
- ↑ とうきょうスカイツリー駅 特急列車のりばのご案内
- ↑ 駅情報(乗降人員) - 東武鉄道ポータルサイト
- ↑ 2012年度決算説明会プレゼンテーション資料(p.23) - 東武鉄道ニュースリリース 2013年5月9日PDF
- ↑ 各種報告書 - 関東交通広告協議会
- ↑ 東京都統計年鑑(平成2年)229ページ
- ↑ 東京都統計年鑑(平成3年)235ページ
- ↑ 東京都統計年鑑(平成4年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成5年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成6年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成7年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成8年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成9年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成10年)PDF
- ↑ 東京都統計年鑑(平成11年)PDF
- ↑ 東京都統計年鑑(平成12年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成13年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成14年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成15年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成16年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成17年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成18年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成19年)
- ↑ 東京都統計年鑑(平成20年)
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- ↑ 東京都統計年鑑(平成23年)
- ↑ 第42回東京都統計年鑑 222ページ
- ↑ 第43回東京都統計年鑑 228ページ
- ↑ 第44回東京都統計年鑑 222ページ
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- ↑ () 東武伊勢崎線(とうきょうスカイツリー駅付近)連続立体交差事業について PDF 墨田区 [ arch. ] 2014-01-08
参考文献
- 『週刊 私鉄全駅・全車両基地 7号 東武鉄道1』 朝日新聞出版 2014年2月2日号 pp.9・20・34 - 35