朝日新聞
朝日新聞(あさひしんぶん)は朝日新聞社が編集・発行する新聞の1つ。朝日新聞社のメイン新聞であり、発行部数は近年読売新聞に抜かれ第二位で公称800万部。
目次
- 1 沿革
- 2 橋下徹騒動を呼んだ、朝日新聞出版の“社内事情”
- 3 紙面・論調
- 4 尖閣諸島購入に寄付金は疑問(5月5日朝日新聞東京版朝刊「声」欄)
- 5 尖閣と竹島…中国の反日デモに過剰反応するべきでない。韓国に制裁すべきではない。(2012年8月)
- 6 朝日新聞中国版ツイッターが謝罪。石原氏関連記事に「小鬼子」で炎上(2012年11月)
- 7 「日本維新の会の橋下徹氏がおでこを出す正統保守型に変えた。何が目的か分からない年の差婚をしたしたたかな女のようだ」
- 8 安倍氏選ぶ自民党の劣化ぶり(2012年10月)
- 9 「民主党がんばれマジ全力で頑張れ。今は耐えて耐え忍ぶんだ。また政権復帰するときのために」(2012年12月)
- 10 週刊朝日、社団法人を騙り全国の病院施設に多額の広告料を要求(2012年12月)
- 11 歴史
- 12 題字とその地紋
- 13 朝日新聞の読み方
- 14 文字表記
- 15 広告
- 16 地方局の反応について
- 17 関連著名人
- 18 関連項目
- 19 4コマ漫画
- 20 ポッドキャスティング
- 21 参考文献
- 22 外部リンク
沿革
- 1879年1月 大阪で創刊。
- 1882年 政府と三井銀行から経営資金援助を受け始める。
- 1888年7月 東京の「めさまし新聞」を買収し「東京朝日新聞」を創刊、東京進出。
- 1889年 大阪本社発行の新聞を「大阪朝日新聞」と改題。
- 1915年 大阪朝日が夕刊の発行を開始。大阪朝日が全国中等学校野球大会(現全国高校野球選手権大会)を開催。
- 1918年 白虹事件
- 1935年2月 西部本社で発行開始。
- 1935年11月 名古屋本社で発行開始。
- 1936年2月26日 2・26事件で反乱軍が東京朝日新聞社の社屋を襲撃。
- 1940年 大阪朝日と東京朝日は題号を統一、朝日新聞とした。
- 1942年 ゾルゲ事件で東京本社政治経済部長田中慎次郎(3月15日)、同部員磯野清(4月28日)が検挙 。
- 1950年9月27日 潜行中の日本共産党幹部伊藤律との単独会見記事を掲載。後にこれが担当記者により捏造されたものであると判明する。
- 1959年6月 北海道支社で発行開始。
- 1963年12月24日 村山社主家が常務取締役・東京本社業務局長永井大三を解任。社内紛争「村山事件」が始まる。
- 1980年11月 東京本社が千代田区有楽町から中央区築地に移転。鉛活字を一切使わず、コンピュータ製作による新聞製作システム「ネルソン」導入。
- 1987年5月 兵庫県西宮市の阪神支局で記者殺傷事件が発生、「赤報隊」と名乗る者から犯行声明(未解決のまま2003年に時効成立)。
- 1988年6月 大阪本社を最後に、鉛活字による新聞製作の歴史に幕。全本社がコンピュータ新聞製作システム「ネルソン」に完全移行。
- 1988年6月 いわゆる「リクルート事件」スクープ。
- 1989年4月 所属記者が沖縄県の珊瑚に落書きする(別掲)。
- 1996年 西部本社の製作(組版など)が福岡本部へ転居。
- 2002年3月 46年間続いた日曜版を廃止、4月より新たに土曜版「be」を発刊する。
- 2003年6月 西部本社を北九州市小倉北区内で新築移転。
- 2004年1月1日 南極支局を開設。
- 2005年4月1日 コンピュータ製作による新聞製作システムをメーンフレームの「ネルソン」から新メディア系システムに移行、経営営業系システム等と統合へ。
- 2005年4月3日 実質的な日曜版の復活となる「be on Sunday」創刊。土曜日は「be on Saturday」に改題。
- 2005年会員制サイト・アスパラクラブスタート
- 2006年1月 朝日新聞創刊127周年記念した「ジャーナリスト宣言。」というキャッチコピーのもと、ANN系列外でも大々的に宣伝する。
- 2007年2月 読売新聞Webサイトの記事盗用発覚により、「ジャーナリスト宣言。」キャンペーンを自粛する。
橋下徹騒動を呼んだ、朝日新聞出版の“社内事情”
朝日新聞社の100%子会社である朝日新聞出版の神徳英雄社長が辞任した人事は、朝日新聞社内では「自業自得の辞任」と言われている。
辞任の直接の原因は、朝日新聞出版が発行する「週刊朝日」(10月26日号)が掲載したノンフィクション作家・佐野眞一氏による記事『ハシシタ 奴の本性』が、橋下徹・大阪市長の人権を著しく侵害したとの批判を受けたことによるものだが、今回の問題の背後には、神徳氏の経営判断のミスもある。
神徳氏は、親会社の朝日新聞社常勤監査役から2012年6月に朝日新聞出版の社長に異動した。監査役に就く前に朝日新聞の取締役出版担当を務めていた当時、人件費削減のために出版部門の分社化を推進した。しかし、分社化に対しては社内には反論もあった。その理由は「朝日の出版部門の主力は、『AERA』と『週刊朝日』という雑誌ジャーナリズムであり、ハウツー系などの書籍ではない。人材交流も含めて社会部や政治部、経済部といった本体の新聞と連携して、事実を確認したり、情報交換をしたりしている。コスト削減を狙って単純に分社化しても、運営はうまくいかない」(関係筋)というものだった。
「こうした安易な改革は、出版も朝日新聞のジャーナリズムを担う一部門という意識が欠けているし、分社化して給与体系の安い社員を入れても、雑誌としての品質は維持できない」という声も出ていた。「週刊朝日」や「AERA」は取材と人事の両面で朝日新聞本社との交流が深いため、一体運営をしてこそ新聞社系の雑誌の威力が出せるという意味である。
現に分社化によって、朝日新聞出版は本体から今まで以上に一段低い存在として見られるようになり、これまでは本社から優秀な記者が視野を広げる勉強のために出版に「異動」していたのが、「リストラ要員」的な人材が出版に「出向・転籍」するケースが増えた。また、外部から給料の安い若手を採用したものの、記者としての心得の訓練を受けていない人材も入ってきた。この結果、分社化によって士気は下がる一方で、出版不況とも相まって「週刊朝日」や「AERA」は部数凋落の一途をたどった。
不慣れな若手記者を「トカゲのしっぽ切り」
2011年には、こんな問題も発生している。「AERA」では中途採用した不慣れな若手記者を民族派団体の取材に行かせ、その記者が「美人局」に引っかかってしまって朝日新聞出版は民族派団体から脅しを受けた結果、責任を取らせる形でその若手記者を退社させている。上司である編集長や取材の指示を出したデスクらは責任逃れしたため、社内では「トカゲのしっぽ切り」だとの批判も起こった。
ちなみに、その責任逃れしたデスクが、今回の「橋下原稿」を担当したデスクであるというから、開いた口がふさがらない。出版社としてのガバナンスは、一体どうなっているのだろうか――。
取材に不慣れな若手記者の採用について、あるジャーナリストはこう指摘する。
「『AERA』の記者が電話でコメントを求めてきたので、対応しました。後でコメントを打ち返してきたのを見ると、しゃべったことの半分程度しか理解しておらず、文章も下手なうえ、書いた記事全体も何が言いたいかがよくわからない内容で、よくこんな企画が通ったものだと思いました。その記者の社歴を聞くと、中途採用された経験の乏しい若い方で、これまでのAERA記者とは違ったイメージを持ちました」
「美人局騒動」のケースも見ても、経験の乏しい記者を育てる雰囲気や仕組みが、朝日新聞出版から消えてしまったということではないだろうか。こうして「週刊朝日」や「AERA」のコンテンツ力は劣化し、部数凋落の大きな要因をつくり出したのである。
質の高い原稿は、文藝春秋や講談社へ
その結果、焦ってセンセーショナルな記事に走ろうとして誕生したのが、橋下氏の人権を無視した出自を暴く企画である。「週刊文春」や「週刊新潮」などの雑誌は、出版社の社員である編集者が外部の契約記者や作家を使いこなしているが、もともと朝日新聞出版は、海千山千の外部筆者を使いこなすエディターシップが高くない。
さらに言うと、外部の作家もこれまでの付き合いの深さから文藝春秋や講談社、新潮社といった出版社を優先させて原稿を出すので、質の高い原稿を外部から取ることは期待できない。だから、一流のノンフィクション作家だと世間では見られている佐野氏も、「勝負原稿」を朝日新聞出版に出したわけではない。佐野氏にしては原稿の内容が薄かったという指摘すらある。
こうした負の連鎖を招いた張本人が、出版部門を分社化した神徳氏なのである。社長が原稿を書いたわけでもなく、編集を担当したわけでもない。しかし、結局、神徳氏が出版担当取締役時代に、コスト削減だけを重視するだけで、肝心のコンテンツをどのようにつくるのかという戦略的かつ本質的な議論がないまま、分社化の方向へ向かったのが間違っていたのだ。
そもそも神徳氏は、分社化した朝日新聞出版の初代社長になるはずだったが、構造的不況の中にある出版社の経営を切り盛りする「自信がない」という理由で火中の栗を拾うことから逃げた人物でもある。
取締役退任後、常勤監査役に退き、2012年6月の役員人事で2代目朝日新聞出版の社長に就いていた。自分がまいた「不幸の種」が巡り巡って自分の社長時代に「開花」してしまったというわけだ。このため、「自業自得」と言われ、朝日社内でも同情する人が少ない。
神徳氏は朝日新聞で経済部を中心に歩んできた。早稲田大学大学院を出て1973年に入社。ニューヨーク特派員や朝日新聞労働組合委員長を歴任した「スーパーエリート」で、同じく経済部OBで消費者金融などと広告関連で癒着して、朝日ジャーナリズムを破壊した箱島信一元社長の側近中の側近である。
朝日新聞は政治部と経済部が交代で社長を出してきたので、政治部出身の秋山秋太郎社長(現会長)の後は神徳氏が次期社長の有力候補の時期もあったが、箱島氏の威光を借りて態度があまりにも傲慢で「好き嫌い人事」を横行させたために、社内で敵を多くつくり、常勤監査役に失脚してしまった。この時も朝日社内では「箱島の威を借る神徳は、箱島の失脚とともに消え去った。自業自得だ」と言われた。「驕る神徳久しからず」と言う人もいたそうだ。天は神徳氏の「悪行」をまだ忘れておらず、今回の問題で、きつい「お灸」を据えたということであろう。
紙面・論調
- 一般的に左派・リベラル言論の代表紙である。保守派からは左翼的、自虐史観的、中国の政策や北朝鮮の独裁政治に対する批判の欠如が問題視される傾向にある。実際の内容を見ると、中国・北朝鮮に対してほぼ無批判である。しかしながら記事ごとの思想的差異はかなり狭い。ただし後述するように、朝日新聞の論調は各時代で相当の変遷を経ていることにも注意されたい。
- 中国や北朝鮮、韓国に好意的な立場であり続ける一方、日本政府や公務員(但し日教組は除く)、保守思想に対する批判(保守を超えて日の丸、君が代に批判的)では容赦が無い。また、社説欄や天声人語だけでなく、投書欄(「声」欄)や読者投稿の短歌(「朝日歌壇」)においてそのような政治的意見や揶揄を語らせることもある。
- 中国共産党の機関誌人民日報と提携しており、何度も社説・コラムで中華人民共和国擁護の姿勢を示すなど、親中的な立場を取る。また、中国人民解放軍によるチベット侵攻以後のチベット人に対する迫害についても、度々容認的論調を展開するなど、中国共産党の代弁者であるかのように振舞った。
- 言論の自由などの侵害の恐れが指摘される人権擁護法案については、全国紙でほぼ唯一容認的な意見を度々表明している。
- 保守派からは「左翼的」「自虐史観的」と批判されている。特に産経新聞、『正論』、『諸君!』などの一部保守系論壇雑誌からは厳しい論調で批判されることが多い。
- 自由民主党と対立することが多い。特に近年は政策批判だけではなく、発言などの政策以外の批判をすることも多く、ネガティブ・キャンペーンとの批判も受けている。例えば、第21回参議院議員通常選挙前の安倍晋三政権に対する報道を、東海新報はネガティブキャンペーンと批判。特に安倍の首相辞職に際し、"責任を放棄した"の意で「アベする」が流行していると報道したが、逆に"捏造する"の意で「アサヒる」の語が新語として広まった(詳細はアサヒる問題を参照)。また第45回衆議院議員総選挙前の麻生太郎政権に対する報道については、西村博之が「政治家を批判する記事を書くとして、政策についての議論であれば、日本の未来の方向性についての予測が立てられたりするので、読む側としても価値を感じられます。 けれど、ホテルのバーの値段がどうこうとか、漢字がどうこうとか、カップラーメンの値段がどうこうってどうでもいい」と批判したほか、加地伸行も「自民党攻撃はすさまじかった」と批判した。なお両選挙とも自民党が敗北している。
- 他紙と比べると、科学欄ではかなり踏み込んだ専門的な記事もあり、文化欄や読書欄などでも紙面の充実を図っていることが特徴的である。
- 在日外国人の内、在日朝鮮人・韓国人の氏名表記にあたっては、他紙が母国名を掲載している場合であっても、原則として通名(日本名)での表記を行っており他紙との違いを見せている。この件について辛坊治郎は、日本テレビ『ズームイン!!SUPER』(2008年9月10日)のコーナーにて「在日朝鮮人が犯罪を起こした時に通名で報道する朝日はおかしい」と批判した。。
朝日新聞の論調は、敗戦を契機として百八十度の極端な変化がみられた日教組と同じく敗戦トラウマと揶揄されることが多いが、基本的に「戦後民主主義を先導する社会的エリート」という意識が強すぎるため、プライドが高くて他を見下す傾向にあり、報道におけるミスがあってもすんなり謝罪したり認めたりしないという点が認められる。
- 2001年で終わった土曜版の一コーナーである「紙面批評」の末期にはあえて自社を批判する評論家に書かせようとしたものの、社内幹部による記事検閲が執拗におこなわれ、かえって「紙面批評」が消滅する原因となった。
- 小泉政権以降、若い世代の右傾化に強い危機感を持っている。ネット右翼を含む、若者の右傾化についてしばしば特集記事を掲載している。2006年の小泉総理靖国参拝の際、NHKが携帯電話で賛否をとったことを、若い世代の意見に偏ると批判した。また同じ時期、ファッション欄に掲載されたワンポイントマーク復活の記事において、「メンズウエアの胸元に、ワンポイントマークが復活している。かつては中年男性のゴルフ用ポロシャツに、必ずついていた傘や熊などのマーク。それが今、おしゃれな装飾としてさまざまな形に進化している。」という書き出しから「そういえば、自らの国家や民族に固執する右翼系の若者が世界的に増えているという事実も、多少気になるところだが。」と結論付けた。
- 漫画家の小林よしのりと対立関係にあり、彼の作品である「戦争論」等を巡って社説で数回にわたり直接批判した。朝日新聞が社説において個人を複数にわたり批判したのは、政治家等以外の立場の人物では小林のみである。
北朝鮮学校の無償化を急げ(2012年3月3日紙面)
卒業式の季節になった。だが文部科学省には、年度内に解決すべき課題が残っている。高校無償化を朝鮮学校にあてはめる判断だ。「厳正に審査」がずっと続いている。生徒や親をどこまで待たせるのか。
他の外国人学校生や日本の公私立高生は、2年前から無償化の恩恵を受けている。普通の家庭で年12万円弱になる。その財源にと、特定扶養控除の一部が減らされた。この負担は朝鮮学校生の家庭にも等しく課されている。
民主党が衆院選マニフェストに掲げた高校無償化について、民主、自民、公明の3党が効果を検証する協議を始めることになった。検証するのは制度全体である。朝鮮学校を外し続ける事情にはならない。
立法の目的として説明された「すべての意志ある若者が教育を受けられるよう」をあてはめれば、認めるのが自然だ。無償化は日本人拉致問題で軟化したメッセージを送ることになる、と反対する声がある。
だが拉致行為や北朝鮮の体制に責任のない生徒たちに、責めを負わせてはなるまい。民主党政権は「教育に外交上の問題をからめない」と確認している。そうであるならば、政治の思惑によって、少数派であり、多感な年代である生徒たちを疎外するべきではない。
在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)と結びついた学校のあり方にも疑念の声がある。文科省はそうした点にも踏み込み、調査を続けてきた。
その間の議論を通じ、学校側は開かれた教育への姿勢を示しつつある。教科書の記述も改める動きが出てきた。父母の間にも、祖国の「3代世襲」に違和感を持つ人はいる。教室に肖像画を掲げることも考え直す時期だろう。そして、自国の負の部分も教えるべきだ。多様な学びの場の一つとして認めた上で、自主的改善を見守る。そんな関係を築けばよい。
歴史を思えば、私たちは在日の人たちとその社会をもっと知る努力をすべきだ。
韓流ドラマの翻訳を支えるのは民族の言葉を学んだ在日だ。年末の全国高校ラグビーには、大阪朝鮮高校がホームタウンの代表として3年連続で出た。彼らは北朝鮮だけを背負っているわけではない。生まれ育った国と祖国の間で悩み、揺れながら生きる若者がいる。なぜ自分たちがハンディを負わされるのか――。政治の動きに巻き込まれ、生徒たちは苦しんできた。アウェーの寒風をいつまでも浴びせてはならない。
中国の国益守れ(東京都の尖閣諸島購入)
石原慎太郎・東京都知事がきのう、米・ワシントンで、沖縄県の尖閣諸島を都が購入する計画だと明らかにした。知事は「東京が尖閣諸島を守る」と語った。中国に四の五の文句など言わせるものか、という態度である。こんな知事発言に、インターネット上では拍手を送る書き込みがあふれている。
確かに、知事の発言には本人をはじめ、中国の対応を不快に思ってきた人々の留飲を下げる効果はあるだろう。だが本来、政治家の仕事は複雑に絡み合った懸案を、一つひとつ丁寧に解決していくことだ。それに、そもそもこれは東京都の仕事ではないはずだ。
知事は「島々を舞台にしてさまざまな施策を展開する」という。けれど、日本人が上陸しただけで反発してくる中国のことだ。問題はいっそうこじれるだろう。そうなった時、首都とはいえ自治体の長の石原氏に、領土が絡む問題を解決する手だてはない。政府の外交に悪影響を与えることを承知で大風呂敷を広げるのは、無責任としかいいようがない。
尖閣諸島といえば、2011年9月、中国の漁船が日本の巡視船に衝突してきた事件があった。この3月に、双方の政府が周辺海域の無人島に新たな名前をつけてからは、中国の監視船などが領海侵入といった挑発的な活動を続けている。さらに、石原発言を受けて、中国国内では、政府に強硬な対応を求めるネット世論が噴出している。
私たちは、こうした中国側の対応にも自制を求める。日中両国民がお互いに批判しあって、何か得るものがあるのか。体制が変わったばかりの北朝鮮への対応でも、日本と中国との連携は欠かせない。国交正常化40年を迎える隣国同士でもある。こうした両国の関係を、石原氏はどう考えているのか。
そもそも、都民の税金を使って島を買うことの説明がつくかも疑問だ。都議会に予算案を提出するというが、そう簡単に理解が得られるとは思えない。石原氏には、新党構想が取りざたされている。その折から、税金を使って選挙向けのパフォーマンスをしているようにも見える。
「沖縄人は豚ですか?」2012年5月掲載
「やっぱり私たちは『豚』なんだ」。
劇団比嘉座の座長・比嘉陽花(ひが・はるか)さん(29)は今、大阪で暮らす。
「海きれい?」と興味深そうに近づいてくる本土出身者(ナイチャー)たち。私の沖縄は悲しい島。灰色だ。本当の私たちを見ていない。
昨年、自作の演劇「わーわー」を沖縄県内で演じた。わーは沖縄の言葉(ウチナーグチ)で「豚」。「人間」の社会に組み込まれ、笑われ、無視される。そこから逃れるために、豚語を捨て、姿も変える。
「人間」は日本人、「豚」は沖縄の人(ウチナーンチュ)。「強烈な芝居」と話題になり、公民館や中学校からも依頼がきた。上演後の反応は割れた。
「沖縄と本土を分けるのはおかしい」「いや、これこそ現実だ」
昨年まで住んだ実家は米軍嘉手納基地のそば。母が通った小学校には53年前に米軍機が墜落し児童ら17人が死んだ。母は生き、私が生まれた。ではあの子たちは、なぜ死なねばならなかったのか。 普天間飛行場の県内移設を訴える政治家を見て気づいた。私たちを見ていない、うつろな目。
我慢してください。1億の「人間」のために――。「そうか。私たちは『人間』じゃないんだ」 劇のクライマックス。「豚」たちは結局「人間」に食われる存在ではないかと自問する。老いた「豚」が観客に語りかける。 「『豚』が『人間』になれるわけがない。本当は差別されているんだよ」
大学院生の親川志奈子さん(31)は宜野湾市でウチナーグチ講座を開いている。9年前、ハワイ大学で先住民について学んだ。米国に王制を倒され、言葉を奪われ、基地を置かれたハワイ。まるで植民地。沖縄と日本の関係と同じだと気づいた。日本の言葉しか話せない自分に涙ぐんだ。かつては痛みを他者に押しつけまいと思ったが、いまは違う。
「基地は日本へ引き取って」
尖閣諸島購入に寄付金は疑問(5月5日朝日新聞東京版朝刊「声」欄)
大学生 高野明日香(神奈川県厚木市・21歳)
東京都が尖閣諸島の購入に向け、寄付金の受け皿となる専用口座を開設したそうです。
違和感を感じたのは私だけでしょうか。
今でも多くの方が震災の影響で元の生活に戻れない苦労をなさってます。
そんな時に出た石原慎太郎・東京都知事の尖閣諸島購入の発言。そして寄せられた賛同する意見。
私は尖閣諸島が日本の領土だと主張することは必要だと思います。
そのための石原都知事の行動も、少々大胆ですが必要だと思います。
ただ、果たして今、私たちがお金を出してまで購入しなければならないのでしょうか。
日本人はどうも、時間が過ぎるとすぐ新しいものに飛びつく傾向があるような気がします。
東日本大震災発生直後に多く集められた寄付金ですが、1年以上経った今、寄付をする人は一体どれぐらいいるでしょうか。
あまりにも短い周期で移りゆくブームのように、今も続く被災者の苦労すら既に忘れ去られてはいませんか。
尖閣と竹島…中国の反日デモに過剰反応するべきでない。韓国に制裁すべきではない。(2012年8月)
中国でまた、反日デモが起きた。尖閣諸島に不法に上陸した香港の活動家を、日本側が逮捕したことが引き金になった。日韓が領有権を争う竹島では韓国が李明博(イ・ミョンバク)大統領の名を刻んだ石碑を建てた。大統領の上陸に続く、無分別な行動だ。
感情をたぎらせ、ぶつけあう。隣国同士でこんな不毛なことをいつまで続けるのか。
野田政権の基盤は弱い。秋に世代交代を控える中国の指導部は動きが取りにくい。年末に大統領選がある韓国では、李大統領の求心力低下が著しい。難しい時期だが、事態を収めるべき政治が対立をあおるような振る舞いは理解しがたい。本来の外交の場で引き取り、沈静化を図るべきだ。
中国のデモは、尖閣沖での衝突事件の後に反日が吹き荒れた一昨年の再現のようだった。北京や上海では厳戒態勢が敷かれ、デモは散発的だった。だが、香港の隣の深セン(センは土へんに川)などでは参加者が暴れ、日本車や日本料理店を壊す騒ぎになった。
日中の貿易総額が年間27兆円余りとなるなど、相互依存は強まるばかりなのに、きわめて残念だ。粗暴な行いが国際社会でのイメージ悪化にもつながることを中国は知るべきである。ただ、反日に過剰に反応するべきではない。
一方、韓国に対しては、李大統領の天皇への謝罪要求発言もあり、日本政府は態度を硬化させている。国際司法裁判所に提訴する方針を発表したほか、安住淳財務相は日韓通貨スワップ(交換)の融通枠拡充取りやめを示唆している。
日本の立場を表明することは大事だが、あたかも制裁のように関係のない問題を持ち出すのはいかがなものか。韓国経済の不安定化は、日本にとってもマイナスになりかねない。
安住氏は、今月下旬の日韓財務対話への出席も取りやめた。だが、こういうときこそ、韓国としっかり話し合うべきだ。日中も、日韓も、前に進めていかなければならない関係だ。何が本当の国益なのか、冷静に考える必要がある。
朝日新聞中国版ツイッターが謝罪。石原氏関連記事に「小鬼子」で炎上(2012年11月)
朝日新聞の中国語版ツイッター(微博)が、他の利用者の書き込みに対して書き込んだコメントが「炎上」し、謝罪コメントを発表した。一部のツイッター利用者が「朝日新聞が石原慎太郎さんや日本人を、超侮辱した言葉"小鬼子"と呼んでくださいと中国人に呼びかけています。どこまで反日新聞ですか?」などと猛反発していた。
この記事を転載した微博の書き込みに対して、朝日新聞のアカウントが11月4日夜、「『小鬼子』を叱らなきゃ」とコメントを付けたのだ。「小鬼子」という言葉は、石原氏をはじめとする、中国では右派だとみなされている政治家に対する蔑称として使われることがある。
コメントを付けた書き込みは石原氏の写真付きだったため、石原氏に対して朝日新聞が「小鬼子」と言う言葉をぶつけた、と受け取った人もいた。
「微博で朝日新聞が石原慎太郎さんや日本人を、超侮辱した言葉"小鬼子"と呼んでくださいと中国人に呼びかけています。どこまで反日新聞ですか?狂っています!!」「中国人は喜んでコメントで日本を馬鹿にします。朝日は中共の新聞ですか?なぜ日本人は朝日新聞を読みますか?日本が大好きな台湾人のわたしはとても悲しいです」などと猛反発。この書き込みが拡散し、日本のネット上でも騒ぎが広がっていた。
「日本維新の会の橋下徹氏がおでこを出す正統保守型に変えた。何が目的か分からない年の差婚をしたしたたかな女のようだ」
天声人語(2012年11月19日)
髪形をいじるのは心機一転の表れでもある。日本維新の会の橋下徹氏が、おでこを出す正統「保守型」に変えた。
この勝負髪で衆院選に挑むという。37歳上の石原慎太郎氏を新代表に迎え、しおらしく従う覚悟らしい
▼合流は第三極の受け皿を広げ、既存政党や官僚支配への不満をさらう狙いとみえる。両氏の合意文書には「強くてしたたかな日本をつくる」と表題がついた。
「弱くてお人よしの日本」は耐えがたいと
▼片や石原氏に気を使い、「原発ゼロ」の語は消えた。政策より大同団結、小異は捨てたというが、コーヒーと紅茶を混ぜたようなドタバタ感が漂う。
色が似ていればいいというものではない
▼なるほど、コーヒー党、紅茶党の独自色より、候補者の調整が先に立つのが小選挙区制だ。
野合との批判に、石原氏は「民主党や自民党が人のことを言えるのか」と反発、橋下氏も「趣味嗜好まで同じなら北朝鮮」と開き直る
▼とはいえ、地方分権や行政効率に重きを置く橋下氏の現実主義と、米中なにするものぞの石原流がどう混じり合うのか。
みんなの党や減税日本とも組むとなれば、昔の民主党顔負けの「選挙互助会」だ
▼石原氏がほれたと公言する橋下氏は、政界でいう「じじごろし」に違いない。新代表を最強のリーダーと持ち上げ、ヘアスタイルを変えた。
「何が目的か分からない年の差婚をした、したたかな女のよう」。きのうの東京紙面にあった、山本貴代さんの見立てに納得した。その縁の吉凶は知らない。
安倍氏選ぶ自民党の劣化ぶり(2012年10月)
朝日新聞2012年10月5日(金)朝刊「声」欄より
小学校教員(日教組) 大越慶久(福島県古殿町 44歳)
安倍晋三氏が自民党総裁に選ばれた。5年前の突然の首相辞意表明。臨時国会で所信表明演説をしてわずか2日後のことだった。
国民の誰もがあぜんとしたであろう。体調の問題とはいえ、あのタイミングでの首相辞任は、まさに政権の放り出し以外の何物でもない行為であった。その人物が再び総裁の椅子に返り咲いたのだ。
総裁選では党員・党友による地方票の6割近くが石破茂氏を支持したが、国会議員票による決選投票で安倍氏が逆転勝利を収めた。党員は、自民党を民意の最前線で支える人々である。その声を無視する形で、国会議員は安倍氏を選んだ。これをどう理解すればよいのだろうか。
安倍氏は政権放り出しで、どれだけ多くの迷惑をかけたのか、そのことを考えれば、再びそのような地位を目指すなど、日本人としての価値観としてはいかがなものだろうか。それにも増して、私は自民党の国会議員の多くが、そんな安倍氏に投票したことにショックを受けた。
民主党の分裂騒動などのゴタゴタにも嫌気がさしたが、自民党の国会議員も、もはや劣化しているように感じられ、残念である。
「民主党がんばれマジ全力で頑張れ。今は耐えて耐え忍ぶんだ。また政権復帰するときのために」(2012年12月)
政権を担うということが、いかに難しく、厳しいものか。総選挙で衝撃的な惨敗を喫した民主党は、そのことを身をもって学んだに違いない。 衆院に小選挙区比例代表並立制が導入されて18年。6度目の総選挙の結果は、想定されていた二大政党制の姿とはほど遠い「自民党一人勝ち」の様相となった。それでも、野党第1党にふみとどまった民主党の役割はいぜん大きい。包括的な政策の体系と全国規模の組織をもち、政権がつまずけばいつでも交代する用意がある。そんな野党の存在が、民主主義には欠かせないからだ。
落胆している暇はない。この3年間の教訓をふまえ、民主党はみずからの政策と組織を根本から鍛え直してほしい。振り返れば、あまりにも未熟だった。
ことあるごとに党内で内紛が起き、分裂を繰り返す。「ムダの排除などで16.8兆円の新規財源を生み出す」などといった無責任なマニフェストがまかり通る。今回の惨敗は、そうした民主党政権に対する民意の「懲罰」の意味合いが濃い。
一方で、将来世代への責任を果たそうとしたことが、少なくとも二つあった。消費増税をふくむ社会保障と税の一体改革と、「2030年代の原発ゼロ」である。2009年総選挙で、民主党は「増税の前にやるべきことがある」として消費増税を否定した。それは、将来世代にツケを回すことにほかならない。それに気付いたからこその増税への転換だったのではないか。
注目したいのは、今回の総選挙のマニフェストに「将来世代の声なき声に耳を傾ける」という理念を新たに掲げたことだ。来夏の参院選に向け、党をあげてこの理念を具体的な政策の体系にまとめてはどうか。
所属議員は激減した。だがその分、一体感のある議論がしやすくなったとも言える。有権者の耳に痛い政策を、いかに説得力をもって打ち出すか。政権を担った経験をそこに生かしてほしい。もう一つ、求めたいのは建設的な「責任野党」の姿を今度こそ見せることだ。政権が行き過ぎるようなことがあれば、ブレーキ役を果たすのは当然のことだ。同時に、協力すべきは協力する。
やられたらやり返す。そんな不毛な政治の混迷を乗り越えることは、民主党が政権に復帰したときに必ず生きる。
週刊朝日、社団法人を騙り全国の病院施設に多額の広告料を要求(2012年12月)
緊急のお知らせ (週刊朝日からの特別広告企画の案内について) 前略 本日、週刊朝日が2013年2月発売予定の「手術数でわかるいい病院 2013 全国」に掲載する広告企画の案内を、 【取材協力:日本肝胆膵外科学会 理事長 宮崎勝】と表し、多くの病院施設に広告掲載を持ちかけ、 広告料として 100 万円以上のお金を要求していることが判明いたしました。 本学会および宮崎個人は、週刊朝日の同企画に対し、一切の関わりを持っておりません。 その旨ご承知いただき、ご注意くださいますようお願い申し上げます。 なお、本学会として、このような広告掲載企画を無断で各施設に案内している 週刊朝日に対し、抗議文の送付ともに説明を求める予定です。 事情が明らかになり次第、本学会会員の皆様に報告申し上げます。 今後とも本学会へのご支援・ご協力をお願い申し上げます。 草々
歴史
- 歴史的に見れば、朝日新聞の論調はその時々の時代状況などに応じて変化し、一定ではなかった。
- まず創刊期には、参議伊藤博文らが参議大隈重信を政府から追放した明治14年政変の翌年以降、政府と三井銀行から極秘裡に経営資金援助を受ける御用新聞として経営基盤を固めた。そしてその間に東京の「めさまし新聞」を買収して「東京朝日新聞」を創刊し、東京進出を果たした。さらに日露戦争前には主戦論を展開し、日露講和にも反対した。
- 大正デモクラシー期には憲政擁護運動の一角を担い桂太郎内閣を批判。寺内正毅内閣期には、同内閣だけでなく、鈴木商店を米の買い占めを行っている悪徳業者であると攻撃して米騒動を煽り、鈴木商店は焼き討ちにあった(白虹事件を参照)。しかしこの事件を再調査した城山三郎によれば、当時、鈴木商店が米を買い占めていた事実はなく、焼き討ちは大阪朝日新聞が事実無根の捏造報道を行ったことによる「風評被害」で、鈴木商店と対立していた三井と朝日の「共同謀議」という仮説を立てている。
- 第一次世界大戦後は軍縮支持、シベリア出兵反対、普通選挙実施を主張していたこともあった。満州事変以降は概して対外強硬論を取るようになり、特に太平洋戦争中は他紙と同様、戦争翼賛報道を行う。そして終戦後、社説「自らを罪するの弁」(1945年8月23日)、声明「国民と共に立たん」(1945年11月7日)を発表して、路線転換する。ただ、終戦後の「転向宣言」や社説だけでもって、単純に社の性格を規定することはできない。また、2006年12月9日の社説「開戦65年 狂気が国を滅ぼした」内での「無謀な戦いを止められなかった無力を思うと」といった、自らが戦争を賛美・先導していた立場にもかかわらず、あたかも反戦派であったかのような論調は、執筆者ごとの世代の大きな間隔が見て取れる。
- 1930年代後半から、朝日新聞は近衛文麿首相の戦時政府(近衛新体制運動)を熱心に支持し、朝日新聞の編集長であった緒方竹虎の下で厳しく資本主義を批判した。笠信太郎、佐々弘雄、さらに有名なスパイであったリヒャルト・ゾルゲの情報提供者だった尾崎秀実といった朝日新聞の有力な論説委員は近衛政治のシンクタンクであった昭和研究会の中心メンバーであった。
- 緒方は頭山満によって1881年に結成された玄洋社の主要なメンバーの一人である。玄洋社は組織犯罪の大物や極右の政治信条を持つものからなる超国家主義者の団体であった。後にA級戦犯として絞首刑となった広田弘毅も玄洋社の主要なメンバーの一人で緒方の親友だった。広田は頭山の葬儀委員長、緒方は副委員長であった。
- 朝日新聞に入社する前は大原社会問題研究所のマルクス主義経済学者だった笠信太郎はその著書『日本経済の再編成』(1939年)の中で中央政府による計画経済を主張した。超国家主義の政治家である佐々友房の息子である佐々弘雄は近衛を支持するため、元大蔵大臣の井上準之助、三井財閥の総帥團琢磨男爵及び犬養毅首相を暗殺した皇道派と呼ばれる極右の将軍やテロリストたちと手を組んだ。1944年、彼等は日本軍内部で皇道派と対立していた統制派のメンバーだった東条英機首相の暗殺を企てている。
- 特に太平洋戦争中は他紙と同様、戦争翼賛報道を行う。そして終戦後、社説「自らを罪するの弁」(1945年8月23日)、声明「国民と共に立たん」(1945年11月7日)を発表して、路線転換する。ただ、終戦後の「転向宣言」や社説だけでもって、単純に社の性格を規定することはできない。朝日新聞の戦前の軍国主義、日中戦争推進は表面的には軍部に迎合していることを装ったうえで、日本の敗戦革命による東アジアの共産化の推進の意図が隠されていたとされる(ゾルゲ事件で元朝日新聞記者の尾崎秀実らとともに、東京本社政治経済部長田中慎次郎、同部員磯野清が検挙、なお、近衛上奏文、砕氷船理論参照)。したがって、戦前からの経緯から中国共産党の独裁の行為の多くを評価し、その機関誌「人民日報」と提携している朝日新聞のこのような転向宣言は、戦前の二面性の全体について「転向」をし、「共産化」のために人民を犠牲にした過去を反省し、本来の意味での自由化、民主化を指向したものとはとりえないのではないかとの疑問がある。そのような経緯から、2006年12月9日の社説「開戦65年 狂気が国を滅ぼした」内での「無謀な戦いを止められなかった無力を思うと」といった、自らが戦争を賛美・先導し、さらに利用しようとしていた立場にもかかわらず、あたかも反戦派であったかのような論調は、現在まで続く朝日新聞の体質問題として広く批判を浴びることとなった。
- 戦後の一時期まで、朝日新聞社は、購読者層として政官財のトップエリートを含む社会の高学歴層に支持されてきた傾向があった。戦後、この層に濃厚に見られた社会の「進歩」への憧れ、あるいはこれを刺激する商品作りを進めたことが、朝日新聞の「進歩的」な論調の背景にあるとともに、反面としてそのステレオタイプな「進歩」についてのとらえ方が、カンボジアのポルポト政権の本質を見誤らせたり、中国共産党のチベット侵略などの行為や、北朝鮮の政権への批判を遅らせたともされる。
- 戦後の朝日新聞社においては、購読者層として政官財のトップエリートを含む社会の高学歴層に支持されてきた傾向がある。戦後、この層に濃厚に見られた社会の進歩への憧れ、あるいはこれを刺激する商品作りを進めたことが、朝日新聞の進歩的な論調の背景にあるという面も見逃せないが、(エリートとは無縁な)庶民意識との乖離も見られる。
- 公害問題や環境破壊を積極的に取り上げた側面も無視できない。またこのような社風は熱心な文化事業の展開につながってきた。イラク日本人人質事件においては契約記者が武装勢力に拉致されるという出来事が起こったが、朝日新聞社広報室はいち早く「イラク入りは本社の要請ではない」と発表。当該記者の自己責任を強調した。ただし自己責任とは本来「我が社の責任ではない」という意味であって、それ以上の責任追及をするものではないとくわえた。しかし、他紙ほどではないが山形浩生の「自由には必ず責任伴う」(2004年4月15日号)など、「自己責任」のフレーズで被害者を批判する記事も見られた。
注目を集めた報道
- 1959年7月14日号にて熊本大学医学部の水俣奇病総合研究班が水俣病の原因が有機水銀中毒であることを確認したと7月21日に予定されていた医学部水俣病研究会報告に先駆けてスクープ。先にこの情報をキャッチしていたらしい状況証拠のある熊本日日新聞は地元との利害関係に縛られて自由に動けなかったと推測されており、これより2日遅れの報道となる。この時点まで新日本窒素肥料水俣工場首脳部は工場付属病院が熊本大学に出している研究生から水銀説が確認されつつあるとの情報を得ていたものの黙殺しており、この報道で急遽水銀説否定のための資料集めを開始している。
疑義が持たれた報道、スキャンダル
- 1989年4月20日付の夕刊において、沖縄の自然環境保全地域指定海域にある世界一の大きさを誇るアザミサンゴに傷がつけられていることを取り上げ、その象徴として「K・Y」というイニシャルが刻まれた珊瑚の写真と共にモラル低下を嘆く記事を掲載する。しかし、疑問に思った地元ダイバーらの調査の結果、記者自身によって無傷の状態であったのに「K・Y」というイニシャルが刻まれたという捏造が発覚。社長が引責辞任に追い込まれる事態へと発展した。こうして、朝日新聞はリクルート事件という一大スクープを放ったにもかかわらず、その年の新聞協会賞受賞を逃すことになる。
- 1991年から翌年にかけて「従軍慰安婦」問題の連載キャンペーンを展開、吉田清治著の『私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録』にある「昭和18年(1943年)に軍の命令で韓国の済州島で女性を強制連行して慰安婦にした」という体験談を、4回にわたり報道した。 この「体験談」は現代史家・秦郁彦の調査により嘘であることが判明し(『正論』1992年6月号)、吉田清治本人もフィクションであることを認めたにも関わらず(「諸君!」1998年11月号 秦郁彦)、朝日新聞は何ら反応を示さなかった。又、1991年8月11日付け朝日新聞は、社会面トップで「思い出すと今も涙」「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、「日中戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊として戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人が名乗り出た」と報じた。 この朝鮮人慰安婦の「女子挺身隊として戦場に連行され」たという話にも、「当時、女子挺身隊という制度自体が無いばかりか彼女は親により公娼として売られたことを語っており、全くの捏造である」との反対意見が出されたが(『諸君』1996年12月「慰安婦『身の上話』を徹底検証する」秦郁彦著)、朝日新聞は反応を示していない。
- 1996年、フリージャーナリストの岩瀬達哉は、雑誌『Views』に発表した「株式会社朝日新聞社の研究」(のち「朝日新聞社の研究」と改題して『新聞が面白くない理由』に収録)において、巻頭コラム「天声人語」の執筆者だった疋田桂一郎や、海外ルポルタージュで知られる本多勝一らの著名記者が、リクルートから、リクルート事件が発覚する前年の1987年に接待を受けていたと報じた。本多は編集長を務める雑誌『週刊金曜日』や、雑誌『噂の真相』での自身の連載記事・コラムで岩瀬の記事を捏造と非難した上、岩瀬に対し「講談社の番犬」「狂犬」「売春婦よりも本質的に下等」「(フリージャーナリストは)卑しい職業」の言葉を浴びせた。これに対し岩瀬は本多と疋田を名誉毀損で告訴し、本多も反訴した。東京高裁は2005年3月、岩瀬の記事について名誉毀損、また本多の反論も「限度を越えた」と認定、互いに敗訴で確定。
- 2002年6月にはFIFAワールドカップに関連して、「日本代表での最後の W 杯。 国の名誉という鎧を着せられた試合は楽しめない。 中田英寿選手が周囲に語る」との記事を掲載し、中田選手が否定して抗議したにもかかわらず謝罪しなかった。4ヵ月後、中田選手が再び日本代表になったときも、「記事内容と異なる結果になったことをお詫びします」と謝罪しつつ、あくまで報道自体は正しかったと主張した。
- 2002年4月20日の朝刊に掲載された有事法制に関する FAQ の中で、「ミサイルが飛んできたら?」という問いに対して「武力攻撃事態ということになるだろうけど、1発だけなら、誤射かもしれない」と回答した。
- 2004年、社会部記者が取材でミニディスクに無断録音し、さらに録音内容を第三者に渡したため朝日は記者を退社処分にした。朝日は処分の理由は無断録音ではなく、取材相手に敵対する側に内容を渡したからと説明しているが、結果的に今後取材の録音には相手の内諾を得ると内規を作った。
- 2005年1月12日、自民党の安倍晋三・中川昭一両議員から2001年1月30日放送のNHK番組の編集についてNHK上層部に圧力があったのではないかとする報道を行った。7月に、朝日新聞は上記報道の検証記事を掲載した。8月に社内関係者が番組改変の証拠とされる録音テープを魚住昭にリークして講談社の月刊誌『現代』に書かせた。9月30日、朝日新聞がNHK番組改変疑惑の信憑性の検証を委託した第三者機関「『NHK報道』委員会」が「(記者が疑惑を)真実と信じた相当の理由はあるにせよ、取材が十分であったとは言えない。」(「NHK報道」委員会の見解より引用)という見解を出す。これを受けて朝日新聞は取材の不十分さを認めた。一方で記事の訂正や、謝罪はなかった。委員会の見解でも、朝日新聞は検証が十分ではないと指摘されている。番組改変の記事を執筆した記者は激しい批判を受け、2006年に異動になった。
- 2005年8月21日の朝刊に亀井静香と田中康夫が長野県内で会談を行なったという記事が掲載された。この記事は、取材をともなわない虚像のメモをもとに作成されたもので、実際は東京都内で会談が行なわれていた。この事件などをきっかけとして朝日新聞の改革が行なわれた。詳細は朝日新聞の新党日本に関する捏造事件を参照。
- 2005年10月19日の朝刊で「首相の靖国参拝 賛否二分」という世論調査を元にした記事が掲載されたが、その記事の内容をめぐって前日に社員同士が暴力沙汰を起こし築地署に110番通報していたことが判明した。40代社員が30代社員に暴行を加え、警察に助けを求めようとした際に携帯電話を破壊したとされる。
- 皇室典範改正について2006年2月02日の社説で寛仁親王に発言を控えるよう忠告するが、昭和天皇の靖国に関する発言(いわゆる富田メモ)が報じられた後の7月21日の社説において「重く受け止めたい」とし、皇族の発言の政治利用についてオポチュニズムが徹底している。
- 2006年末から2007年初頭にかけて、静岡総局長の私有パソコンからWinnyを通じて個人情報および業務情報が流出した。これによって社員年収の情報も露呈して、格差社会の頂点に立つ朝日新聞の実情が明らかとなり、インターネットの掲示板で批判と羨望を受けた。
- 2007年1月6日の夕刊で「スポーツ総合誌 苦境」という記事が掲載された。この記事はスポーツ総合誌を「冬の時代に入った」と批判する内容であったが、"Number"(文藝春秋社)に関して事実と反する部分が存在した。
- 2007年2月1日、1月30日の夕刊で掲載された富山県のかんもち作りに関する記事で、朝日新聞東京本社編集局の駐在員が、読売新聞のインターネット版に27日に掲載された「寒風で育つかんもち」という記事を盗用していたことが判明する。問題の駐在員は、「読売新聞のホームページの記事を参考にしながら自分の原稿を書き直した」と話しているという。朝日新聞東京本社では1日午後に読売新聞に謝罪した。後に他の2件の記事も同じく読売新聞のホームページ記事から引用されていることが分かり、記事を書いた記者を解雇するなどの処分を行った。
- 漫画家の小林よしのりと対立関係にあり、彼の作品である「戦争論」等を巡って社説で数回にわたり直接批判した。朝日新聞が社説において一般人(政治家等以外の立場の人物)を複数にわたり批判したのは小林のみである。
社会主義陣営に対する報道とそれに対する批判
- 朝日新聞の中国報道は批判の中でよく言及される。朝日新聞の中国報道問題を参照。
- 主に朝日新聞の特定の記者への批判がなされている。
題字とその地紋
- 朝日新聞の題字は、唐の書家・欧陽詢の『宗聖観記』の中の筆跡から作字したもので、1879年の創刊から使われている。題字の「新」の中の「木」の部分は「未」となっている。これは古い字体であり、この文字が書かれた当時は誤字ではなかった。またその「新」の字が『宗聖観記』の中に無かったことから、「親」の偏と「柝」の旁から点を取り除いたものを組み合わせて「新」を作字した。
- 題字の地紋は、東日本(静岡県以東)と西日本(愛知県以西)で異なっている。東京本社と北海道支社の地紋は、1888年に「東京朝日新聞」として東京に進出した頃から使用している「サクラ」。「朝日ににほふ山桜花」の古歌の意味を表わしている。大阪本社と西部本社、名古屋本社の地紋は「浪速の葦(なにわのあし)」で、大阪で生まれた新聞であることを表わしている。なお、社旗も東日本と西日本で異なっており、東日本は朝の字が左端にあって旭光が右に向かっているのに対し、西日本はその逆となっている。それぞれ朝日が東日本・西日本を照らしている意味からきている。
朝日新聞の読み方
- 「しかし、だからといって」 = ここから先が本音であるという意味
- 「議論が尽くされていない」 = 朝日の望む結論が出ていないという意味
- 「国民の合意が得られていない」 = 朝日の意見が採用されていないという意味
- 「異論が噴出している」 = 朝日が反対しているという意味
- 「政府は何もやっていない」 = 朝日好みの行動を取っていないという意味
- 「内外に様々な波紋を呼んでいる」 = 朝日とその仲間が騒いでいるという意味
- 「心無い中傷」 = 朝日が反論できない批判という意味
- 「皆さんにはもっと真剣に考えてほしい」 = アンケートで朝日に不利な結果が出てしまいましたという意味
- 「アジア諸国」 = 中国、韓国および北朝鮮の事、それ以外の多くのアジアの国は含まれない
- 「そうではないと私たちは考える」 = お前たちもそう考えろという意味
文字表記
- 1950年代から、当用漢字表外の漢字の表記について、朝日新聞社が独自に簡略化した通称朝日文字と呼ばれる字体が使用されている。2007年1月15日からは、約900について朝日文字の使用を取りやめ、康煕字典体を使用している。
広告
- 大学教員や学校教師が愛読して他人にも読まそうとするので学生の読者も多い。そのためか就職情報などの広告が他紙に比べて多く大学入試の試験問題にも良く出される。
- 『週刊新潮』など自社に都合の悪いことを書くメディアの広告を拒否したり検閲したりする。
- 近年はさまざまな理由で広告収入減の傾向にある(そのためかもともと受け入れない方針の創価学会の広告を受け入れるようになった)。
地方局の反応について
- 朝日新聞は大阪腸捻転解消、メ~テレや九州朝日放送のネット一本化など、厄介なことに関わっているので、多くの地方局から嫌われているのは事実である。
関連著名人
- 安藤正純(元文部大臣)
- 池辺三山(元東京朝日新聞社主筆)
- 石井光次郎(元衆議院議長)
- 石川啄木(歌人)
- 伊豆冨人(元熊本日日新聞社社長)
- 上野精一(元朝日新聞社社長)
- 上野理一(元朝日新聞社社長)
- うつみ宮土理(タレント・作家)
- 緒方竹虎(元自由党総裁)
- 尾崎秀実(ゾルゲ事件で処刑)
- 川本三郎(評論家)
- 河野一郎(元農林大臣・建設大臣)
- 小坂徳三郎(元経済企画庁長官・運輸大臣)
- 佐々弘雄(元参議院議員・熊本日日新聞社社長)
- 志賀健次郎(元防衛庁長官)
- 篠田弘作(元自治大臣)
- 下村宏(元国務大臣(内閣情報局総裁)・NHK会長)
- 杉村楚人冠(随筆家、俳人)
- 鈴木正文(元労働大臣)
- 田岡俊次(ジャーナリスト・軍事評論家)
- 田川誠一(元新自由クラブ代表・自治大臣)
- 筑紫哲也(ジャーナリスト・テレビニュースキャスター)
- 永井道雄(元文部大臣)
- 中野正剛(元衆議院議員・東方会総裁)
- 夏目漱石(小説家)
- 野田武夫(元自治大臣)
- 野村秀雄(元NHK会長・熊本日日新聞社社長)
- 橋本登美三郎(元建設大臣・官房長官・運輸大臣)
- 長谷川如是閑(ジャーナリスト、文明評論家)
- 羽田武嗣郎(元衆議院議員。元内閣総理大臣羽田孜の父)
- 服部敬雄(元山形新聞社社長)
- 広岡知男(元朝日新聞社社長)
- 藤井丙午(元新日鉄副社長・参議院議員)
- 二葉亭四迷(小説家)
- 古垣鐵郎(元NHK会長)
- 細川護熙(元内閣総理大臣)
- 本多勝一(ジャーナリスト)
- 前田多門(元文部大臣・初代ソニー社長)
- 前田義徳(元NHK会長)
- 松井やより(ジャーナリスト)
- 松島みどり(自由民主党衆議院議員)
- 松本清張(作家)
- 美土路昌一(初代全日空社長・元朝日新聞社社長)
- 村山長挙(元朝日新聞社社長)
- 村山美知子(朝日新聞社社主)
- 村山龍平(元朝日新聞社社長)
- 笠信太郎(元朝日新聞社論説主幹(常務取締役))
関連項目
4コマ漫画
- ののちゃん(となりの山田くん) - いしいひさいち作 - 2005年12月現在連載中
- 地球防衛家のヒトビト - しりあがり寿 - 2005年12月現在連載中
- サザエさん - 長谷川町子作 - 1940年代後半~1974年2月21日
- フジ三太郎 - サトウサンペイ作 - 1965年4月1日~1991年9月30日
ポッドキャスティング
参考文献
- 古森義久+井沢元彦+稲垣武(共著)『朝日新聞の大研究』(扶桑社)
- 稲垣武『朝日新聞血風録』(文春文庫)
- 片岡正巳『朝日新聞の「戦後」責任』(展転社)
- 小林よしのり、井沢元彦『朝日新聞の正義』(小学館)
- 読売新聞論説委員会編『読売VS朝日 21世紀・社説対決』『読売VS朝日 社説対決・北朝鮮問題』『読売VS朝日 社説対決・50年』(中公新書ラクレ)
- 城山三郎『鼠 鈴木商店焼打ち事件』(文春文庫)
- 安田将三+石橋孝太郎(共著)『朝日新聞の戦争責任』(太田出版)
- 田辺敏雄『朝日に貶められた現代史』(全貌社)
- 国際情勢風刺寓話集ニホンちゃん
外部リンク
- asahi.com:朝日新聞の速報ニュースサイト - 朝日新聞による公式ニュースサイト
- 朝日新聞アスパラクラブ - 愛読者のクラブ