沖縄タイムス

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沖縄タイムス(おきなわタイムス)は、沖縄県を対象に発行されている新聞である。株式会社沖縄タイムス社が発行する。1948年7月1日創刊。沖縄県民には「タイムス」の略称で呼ばれている。琉球新報(本紙とともに「沖縄2大紙」と呼ばれることがある)とともに沖縄県民の情報源の一つでもある。

報道姿勢は反体制、親中反米、左翼思想を明確に打ち出している。

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ウィキペディアの「沖縄タイムス」周辺は治安が悪化しているため、渡航の延期をお勧めします。

概要

沖縄本島で地上戦開始後、首里市の新聞社壕で発行を続けていた沖縄新報は、1945年5月25日に解散した。最後まで壕にとどまった沖縄朝日新聞を中心とした社員10人のうち9人(社長代行の高嶺朝光、編集局長の豊平良顕、具志堅政冶、前田宗信、牧港篤三、大山一雄、稲嶺盛国、仲本政基、島袋俊一)が創設メンバー。1945年7月時点で米軍の準機関紙「ウルマ新報」(現・琉球新報)が、教師などの新聞発行未経験者の手により発行されていたが、沖縄タイムスは「新聞人による新聞発行」を目指し、1948年7月1日創刊された。創刊号発行前の6月29日、米軍占領下の軍票(B円)への通貨切り替えのスクープを号外で出し、これが実質的な創刊となった。

論調としては琉球新報と同じく、平和主義アメリカ合衆国軍基地撤廃・死刑廃止といわゆるリベラル左派のスタンスをとっている。1990年代に、由井晶子が全国紙、地方紙を通じ、初めて女性として編集局長に就任した。『新南島風土記』などを著した新川明、川満信一ら沖縄の文化を牽引する記者を輩出した。

朝日新聞那覇総局と共同通信那覇支局が沖縄タイムス本社内に入居している(毎日新聞読売新聞産経新聞時事通信の支局は琉球新報本社内に入居)。創刊メンバーの豊平良顕が戦前、大阪朝日新聞那覇通信部の記者だったことから朝日新聞社とは特に縁が深く、創刊時から協力関係にあった。世論調査を共同で実施し、現在も人事交流がある。

沖縄県では、全国紙の多くが本土との同時発行を行っていないことから、ライバル紙である琉球新報と合わせて県内でのシェアは99%近くを占め、地元紙でほぼ寡占状態となっている。長年、諸事情により日本ABC協会非加盟であったが最近加盟した。

また、この経緯から朝日系の日刊スポーツ新聞社とフランチャイズを結び、日刊スポーツを発行しているが、本来発行対象地域である西日本版(九州は福岡本社発行分)ではなく、東京本部版の内容を掲載しており、中央競馬以外の公営競技欄・番組表など一部は未収録である。

2009年3月より夕刊を廃止し、朝刊のみの発行となる。社告ではその理由を「広告需要が急速に落ち込む一方、新聞用紙代の値上げで新聞製作コストが上昇しているため」と説明し、夕刊時間帯のニュース報道はインターネットでの速報体制を強化するとしている。

沿革

  • 1948年 - 創刊号発行。号外が創刊号となる
  • 1949年 - 創刊1周年記念事業として沖縄美術展(沖展)開催。
  • 1951年 - 関西支社開設、本社主催の芸術祭開幕。
  • 1953年 - 東京支社開設、第1回図画・作文、書道展開催。
  • 1954年 - 朝夕刊セット制実施。
  • 1956年 - 福岡支社開設、第1回全琉音楽祭開催。
  • 1957年 - 那覇市久茂地に新社屋完成、第1回タイムス文化講座開催。
  • 1958年 - 日本新聞協会に加盟。
  • 1964年
    • 第1回沖縄タイムス教育賞贈呈式。
    • 「みどり丸遭難事件」の報道記事と報道写真で新聞協会表彰
  • 1966年 - 『新沖縄文学』創刊
  • 1967年 - 第1回沖縄タイムス芸術選賞贈呈式。
  • 1968年 - 「みどりと花いっぱい運動」提唱、沖縄政経懇話会設立。
  • 1971年 - 「沖縄毒ガス移送報道」でJCJ奨励賞
  • 1972年 - 連載「沖縄基地協定を点検する」「沖縄と自衛隊」(玉城真幸 記者他、企画連載協力者)がJCJ奨励賞
  • 1983年 - 『沖縄大百科辞典』発刊
  • 1984年 - 『日刊スポーツ』の沖縄現地印刷開始。
  • 1985年 - 第1回NAHAマラソン開催。
  • 1989年 -「ちゃーすが沖縄」でJCJ奨励賞
  • 1993年 - 『新沖縄文学』休刊
  • 1996年
    • ウェブサイト開設。
    • 「脱基地元年-127万人の実験」でJCJ奨励賞
    • 総集「沖縄・米軍基地問題」で新聞協会賞
  • 1997年 - 金城真吉に沖縄タイムス賞体育賞を授与
  • 1998年 - 創刊50周年。
  • 1999年 -「新聞制作システムOCEANの開発・導入」で新聞協会賞
  • 2001年 - 1月3日付朝刊を発行開始(琉球新報も同様)
  • 2002年 - 那覇市久茂地から同市おもろまちに本社移転。
  • 2003年 - 創刊55周年、題字を一新。
  • 2005年 -『戦後60年キャンペーン/新たな視点・証言で探る沖縄戦』でJCJ賞
  • 2007年 -『挑まれる沖縄戦/「集団自決」問題キャンペーン』でJCJ賞
  • 2008年 - 創刊60周年
  • 2009年
    • 3月より夕刊を廃止。朝刊のみの発行となる。
    • 琉球新報社との間で、災害時やシステム障害などの際の「緊急時における新聞発行の援助に関する協定」を締結。
  • 2010年 - 連載「迷走『普天間』」を中心とする一連の報道でJCJ賞
  • 2011年 
    • 那覇市久茂地に新社屋建設を発表(2012年12月完成予定)
    • 子ども新聞「ワラビー」を8ページに拡張

注目を集めた報道

評価を受けた報道

報道内容への評価として、2010年度には「日本ジャーナリスト会議賞」「新聞労連優秀賞」「同疋田桂一郎賞」「第16回平和・協同ジャーナリスト基金賞」「第29回ファイザー医学記事賞優秀賞」「貧困ジャーナリズム大賞」を受賞している。

批判を受けた報道

太平洋戦争末期の沖縄戦で起きたとされる集団自決について、2007年9月28日付で『9.29県民大会特集』と称する記事を掲載。その中に無残な姿で死んでいる住民の写真を「沖縄戦の『集団自決』で亡くなったとみられる住民たち」とキャプションを付けて掲載した。

これに関し、統一教会系右派新聞社である『世界日報』(翌29日付)が『歪曲される沖縄戦』と題し(鴨野守・編集委員の署名記事)、「この写真は『決定版 日本の終戦46人の目撃者 米国国防総省報道写真班の証言秘録』(1985年双葉社刊)17ページに掲載されている、米軍の火砲、銃弾攻撃によって無残にも亡くなった沖縄の住民達の写真であり、写真を捏造してでも県民の被害者感情を煽ろうとしている」と指摘し、「『真実を次代へ』と呼号しながら、麗々しくこんな偽写真を掲げるのでは運動自体への信用を落とすことにもなろう」という獨協大学名誉教授中村粲のコメントを掲載した。

そもそもこの写真は、大田昌秀が米国での情報公開で発見し、著書『これが沖縄戦だ』(1977年刊)に掲載されたのが初とされている。大田は「米側の説明では『砲撃による死』となっているが、集団自決だろう」と記しているが、その根拠は示されていない。現在は沖縄県平和祈念資料館で展示され、案内冊子には「犠牲になった住民、糸満市、6月21日」と説明されている。

北朝鮮より自衛隊が脅威(2012年3月紙面)

北朝鮮当局は2012年4月12~16日に「地球観測衛星」をロケットで打ち上げる、と発表した。ロケットの1段目が韓国の西方沖、2段目がフィリピン東方沖に落下するとしている。2段目は南西諸島を通過する可能性が高く、県民の不安をかき立てている。

北朝鮮の発表にもかかわらず、国際社会は事実上の長距離弾道ミサイルの発射実験とみているロケットと長距離弾道ミサイルは技術的に同じで、何を搭載するかの違いだけだからである。

田中直紀防衛相は3月19日参院予算委員会自衛隊に破壊措置命令を出すことを検討すると表明した。日本政府は北朝鮮の意図をどれだけ押さえた上で判断したのだろうか。不安をあおるような前のめりの姿勢には危うさを感じざるを得ない。冷静な対応が必要だ。

日本のミサイル防衛(MD)システムは海上自衛隊イージス艦による迎撃、さらに航空自衛隊の地対空誘導弾パトリオット(PAC3)による迎撃の2段構えである。南西諸島に迎撃態勢を敷くことは範囲が広すぎ、現実的ではない。弾丸を弾丸で撃ち落とすようなMDは技術的に多くの問題を抱える。南西諸島に新たな緊張を持ち込むことにならないか心配だ。

孫が迷彩服の隊員の姿に怖がっている(2012年4月)

4月5日、北朝鮮のミサイル発射に備えPAC3が配備された石垣市

PAC3を構成する車両32台は海上自衛隊の輸送艦「くにさき」で午前7時すぎに石垣港に到着。午前8時すぎから市街地を経由して配備地の新港地区に入った。同日には民間チャーター船も新港地区に接岸し、特殊車両など100台以上を降ろした。

通り沿いで車両通過を見守った自営業の女性(41)は

「ここ数年、島に自衛隊がどんどん入ってくるようになった。この光景が日常になってしまうのが怖い」と困惑した表情を見せる。

同地区内では空自隊員によりレーダーや発射機の設置作業が進められ、発射口が数度、北へ向けられた。海側数カ所には監視要員が立ち、通過する船舶に双眼鏡やカメラを向けた。

市内の女性(70)は「孫が迷彩服の隊員の姿に、テレビで見た戦争を重ねて怖がっている」と憤る。

「そもそも、これだけの人や車が石垣に入る必要があるのか。燃料費も上がり、飲食を切り詰めて税金を支払っている。税金の無駄遣いじゃないか」と吐き捨てた。

中国の機嫌を損ねるな(東京都の尖閣諸島購入)

石原氏の狙いは何なのか。国民の注目を集めるための石原氏一流の政治的パフォーマンスのようにも見えるが、日中双方に新たな混乱を招き、緊張感を高めることにつながらないか、危惧する。

東京都沖縄県石垣市を飛び越えて買い取るのは釈然としない。都民の税金が使われるが東京から遠く離れた尖閣諸島を購入することに理解が得られるだろうか。都は寄付を募り、国民運動的な広がりにしたい考えのようだ。領土、領海に関しては国の専権事項である。仮に領土をめぐって中国とトラブルが起きたとしても東京都が何か手出しできるわけではない。

ことしは日中国交正常化から40周年を迎える記念すべき年であるのに、ぎくしゃくが続いている。2010年9月には中国漁船衝突事件が起き、日中間は最悪の状態に陥った。

ことしに入ってからも河村たかし名古屋市長が「南京虐殺事件」はなかったと発言し、友好都市の南京市との交流が冷え込んでいる。日本政府が尖閣の島々に名前を付けると、中国も対抗して独自の名称を付け、尖閣諸島を初めて「核心的利益」と位置付けるなど対立が激しくなっている。漁業監視船が領海侵犯するなど海洋権益のため活動を活発化させる中国の行動はエスカレートする 傾向にある。

石原氏は国民の一部にある中国への警戒感に火を付けようとしているのだろうか。それとも有効な手だてを打てないでいる民主党政権を覚醒させようとするつもりなのだろうか。都民からも戸惑いと評価の声が上がっている。

東シナ海でトラブルが起きた場合の危機管理を話し合う日中の「海洋協議」の初会合が5月に開かれ、解決の糸口を探ることになっていただけに、このタイミングでの石原氏の発言は残念だ。低迷から抜け出せない経済など日本を覆う閉塞感のはけ口として領土ナショナリズムに向かっていくことにならないか懸念する。中国もナショナリズムを刺激され、さらに対立が深まることになりかねない。政府には国民感情に配慮しながら慎重なかじ取りを求めたい。

中国人がビザ無しで日本に渡航できるようにすべきだ(2013年2月)

日本から中国に観光で行くのにビザはいらない。商用も含めて15日間滞在できる。日本人に対するビザなし渡航が認められたのが2003年9月というから、もうすぐ10年になる

ところが、中国人が日本を訪問するときにはビザがいる。これには多くの親日派が不満をもっている。民間交流の阻害要因の一つだ、と言い切る人さえいる。作家の劉檸さんは6日付本紙くらし面で、民間交流を盛んにする重要性を説きつつ「中国人の訪日観光ビザを撤廃するくらいの決断をしてほしい」と日本政府に求めている。

ビザ申請にはかなりの労力と時間を要する。招聘理由書、身元保証書、滞在日程表、招聘人が個人の場合は所得証明、納税証明、住民票、所属組織の在籍証明の添付が必要だ。

ビザ申請人はこれらの書類と一緒に自分の戸籍の写しなど必要書類を添えて代理機関を通じて総領事館に申請する。一人一人の本籍地が異なる団体を招聘するときは戸籍の写しをそろえるだけで大変だ。

一昨日、在上海日本国総領事館にビザ発給を春節休暇前にしてくれと申請人に代わって電話で頼んだ。担当者は「問題あれば申請人に連絡する」と取り合ってくれない。

言っても詮無いが、発給が遅れると交流事業の開催が危ぶまれるのだ。ああ、ビザなし渡航はいつになるやら。(上間昭一)

韓国人元慰安婦のキム・ボットンさん、証言と自身の年齢のつじつまが合わず1947年まで強いられた計算

沖縄タイムスは2013年5月20日、[元「慰安婦」証言]「私の存在が証拠です」と題した社説を掲載し。その社説には、旧日本軍慰安婦とされる韓国人の金福童(キムボクトン)さん(87歳)が5月18日に沖縄の証言集会に参加したことに触れて、以下のように書かれている。

『金さんは14歳のころ、旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と日本統治下の韓国から連行された。アジア各地の前線を転々とし、8年間、「慰安婦」を強いられた』。

また、時事通信社の『時事ドットコム』が25日付で伝えたニュースによると、金さんは25日に大阪で開催された集会においても「工場に行くと言われたのは14歳」と沖縄タイムスの社説と同様の発言をしている。

ここで注目すべきは金さんの誕生年への言及がないことだ。もし彼女が現在87歳であれば、14歳当時は1940年。2013年に満88歳を迎えるのなら、14歳当時は1939年。日本は1945年に終戦を迎えたので、彼女の証言に基づくと、終戦後の数年間も慰安婦を強いられたということを意味する。

なお、ツイッター上では、記事を読んだネットユーザーの「マスコミは足し算や引き算が出来ないのか」「慰安婦自らが証言する言葉に耳を傾けるべき」「私は橋下(徹)大阪市長の味方ではないが、肝心の証言が疑いをかけられるようなものでは…」「計算が合わないことは問題ではない」といったさまざまな意見がつぶやかれている。

「中国の『琉球は中国のもので日本が強奪した』論、一理ある。沖縄県民の反応は、中国批判だけではない」

中国共産党機関紙、人民日報が2013年5月8日、「琉球王国は独立国家で中国の属国」だったとして、日本の「強奪」を批判する論文を掲載した。政府は、中国に抗議したが、琉球処分で「武力を派遣して強制的に併呑」したのは歴史的事実。沖縄の反応は複雑で、中国批判一辺倒ではない。

考古学者安里嗣淳さん(67)は、自分で考えた中国名「孫中路」を名刺に刷っている。

「琉球の士族は皆、中国名を持っていた。日中両国とうまく付き合った沖縄の歴史と文化にこだわりがある」からだ。

県による県民意識調査も同じ8日に発表され、中国への印象は89%が否定的だった。

「県民は現在の中国には批判的だが、歴史的な親近感はある」とみる。「その沖縄だからこそ、冷静に日中友好の先導役を果たせる」と強調した。

「琉球民族独立総合研究学会」設立準備委員会のメンバーで、龍谷大教授の松島泰勝さん(50)は、「日本が琉球を暴力的に組み込んだ点は正当化できない」と論文の一部に同調する。

一方で、「中国と儀礼的な朝貢関係はあっても属国ではなかった。琉球は中国のものというニュアンスがあるが、日本、中国のどちらでもない」と反論。中国での報道を「琉球の問題を国際的な視点で捉える点で意義がある」と評価した。

北京出身で、日中関係に詳しい沖縄大教授の劉剛さん(55)は

「論文には、新しい資料や見方が全くない。古い話の繰り返し」と指摘。「尖閣問題で日本側が妥協しなければ琉球の問題を取り上げますよ、というけん制で、中国側の戦術だ」と分析した。

その上で、「中国国内の研究者は琉球、沖縄の歴史的な変化や現状に詳しくない。もっと事情を理解して論文を書かなければ、国民同士の理解は生まれない」と話した。

「離島奪還訓練で地域の緊張を高めるな。民主党の東アジアを重視する外交構想は新鮮だった。安倍首相はどうだろうか」

防衛省は、陸海空自衛隊を動員した大規模実動演習を2013年11月1日から、九州沖縄県を中心に実施すると発表した。

上陸作戦や輸送訓練を予定しており、事実上の離島奪還訓練となる。主な訓練場所は那覇の南東約400キロにある無人島で、米軍の射爆撃場となっている沖大東島(北大東村)だという。

尖閣諸島周辺で続く中国との緊張関係などを踏まえた演習であるのは明らかだ。

尖閣周辺海域や空域での中国の挑発行為は許し難い。だが、口で言っても聞かない相手には軍事で対抗する、という短絡的思考にはまることは避けなければならない。

軍事的な対応能力を見せつけた上で、その先に外交交渉で協調関係に持ち込む手だてが今の日本政府にあるのだろうか。中国を敵視して圧力をかけつつ、米軍との協調関係をアピールする。それ以外の対中国外交の青写真が安倍政権にあるようにはみえない。

軍事に軍事で対抗するのが抑止につながる、との考え方は根本的解決にはつながらない。一時しのぎというだけでなく、軍事的なエスカレートを招くジレンマも抱える。

沖縄で暮らす住民の立場として沖縄周辺の緊張をさらに高めることにならないか、危惧しないわけにはいかない。自衛隊は今回、米軍提供施設を利用する。共同使用は今後加速していくだろう。

「中国の脅威」と「日米一体化」と「共同使用」はセットで日本の安全保障政策に盛り込まれている。これでは沖縄の負担軽減が図られる要素は容易に見いだし得ない。

民主党2009年衆院選マニフェストで「東アジア共同体」を掲げた。東アジアを重視する外交構想は新鮮だった。

あれから4年余り。日中、日韓関係は領有権問題をめぐり険悪化した。歴史認識問題もひきずり、日本は東アジアにありながら孤立感が深い。過度な対米追従からの脱却を図ろうとした鳩山政権普天間問題で挫折。鳩山由紀夫氏は「対米関係」という虎の尾を踏むかたちとなった。

安倍晋三首相はどうだろうか。首相は現憲法を「米国に押し付けられた」と捉え、改正を唱えている。過去の植民地支配と侵略を謝罪した「村山談話」については、国会答弁で「継承しているわけではない」「『侵略』の定義は国際的にも定まっていない」などと発言したこともある。

首相の歴史認識に対する警戒は中国や韓国だけでなく、オバマ政権内部にも根強い。安倍首相の本心はどこにあるのか。軍備強化による自主路線に向かう過程として対米協調を装っているのか。いずれにせよ、中国敵視の政策に傾く現状は危うい。米国は、領有権問題に関しては中立の立場を堅持しており、過度な期待は禁物である。

対中包囲網は中国との軍事的な緊張を固定化する。旧来型の軍事的抑止力に過度に依存した安全保障観では軍拡競争にはまり、地域秩序を不安定にするだけだ。

日本の東アジア外交は危機的である。この現実を打破する手腕こそ求められている。

「朝日新聞ですら右派」はウソでなかった。沖縄で見た地元メディア。山城博治被告は1面トップで英雄扱い(2017年4月)

沖縄県に3泊4日で出張取材に行ってきた。沖縄教育オンブズマン協会会長で、普天間基地移設反対派などの暴力を伴う抗議活動などをネットで配信している手登根安則(てどこん・やすのり)さんが「朝日新聞ですら沖縄では右派だ」と言っていたが、その言葉はウソではなかった。

約束していた「琉球新報・沖縄タイムスを正す県民・国民の会」代表運営委員、我那覇真子さん(27)のインタビュー取材を終えたとき、我那覇さんが「ここ5日の新報とタイムスです」と言って、新聞の束を渡してくれた。

古新聞の束を抱えて空港をうろうろするのは気恥ずかしかったが、東京で腰を落ち着けて読んでみると、聞きしに勝る「偏向」ぶりに、人の目を気にしながらも持って帰ってきて良かったと思った。

まず沖縄平和運動センターの山城博治被告(64)が保釈された事実を伝える3月19日付の両紙。ともに1面トップに社会面トップの受け、第2社会面にまで関連記事がある。まるでミャンマーアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相が2010年に自宅軟禁を解かれたときも地元ではかくや、と思うような騒ぎだ。

琉球新報は特にすごい。「山城議長 保釈」のメーン見出しのそばに「勾留5カ月『不当弾圧』」と4段にわたるこちらも大きな見出し。今どき、一般紙を標榜する新聞で「不当弾圧」の文字にお目にかかれるとは、ある種の感慨を覚える。

ちなみに山城被告は威力業務妨害、傷害、器物損壊の罪に問われている。が、山城被告の「私たちの容疑は広く言えば、県民への弾圧でもあるだろう」という主張を紹介、トップ写真は支援者と抱き合って喜んでいるものだ。

沖縄タイムスも負けていない。第2社会面に「行動制限 遠い自由」との大見出しの下、沖縄の日本復帰前に那覇市長などを務め、日本共産党に所属するなどし、衆院議員も歴任した瀬長亀次郎(1907~2001)に重なる不屈の闘志と褒め称えている。森川恭剛(もりかわ・やすたか)琉球大教授(刑法)の顔写真入りのコメントも載せ「勾留は職権乱用」としているが、そもそもこの方、山城被告を釈放するよう刑法学者41人が声明を出した際の呼びかけ人だ。

実は18日、尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺の接続水域に中国海警局の船4隻が出没したのだが、こちらはたったの4行。「米軍MH60ヘリが初の実弾訓練か」という記事の方がよほど扱いが大きかった。

琉球新報はそれでも山城被告を勾留した検察に怒りが収まらないのか、「『運動萎縮狙いか』山城議長長期勾留 県幹部が批判」との見出しで、20日にも2段記事を掲載した。仮にも公の立場を持つ沖縄県の幹部である。「反対運動のリーダーを5カ月にわたり勾留するのは、運動の萎縮を狙ったのではないかと疑ってしまう」と言ったとされる。県幹部って一体誰だ?

3月21日は、犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案が閣議決定され、衆院に提出された。

22日の両紙は1面や社会面などで大展開。琉球新報は「反基地適用を危惧」「市民運動萎縮狙う」との見出しで、乱用防止に担保がないなどと報じた。沖縄タイムスも「反基地運動を弾圧」「戦前へ回帰」などと扇情的な見出しを掲載。元基地従業員の男性(70)の「弾圧するためとしか思えない」とのコメントを紹介しているが、この方は反基地運動では有名な人で、日本共産党の方。琉球新報も県内の弁護士に取材し、「抗議活動を抑圧するための法案だ」とのコメントを掲載しているが、この弁護士も普天間基地移設反対運動での逮捕者の弁護人だという。登場してくる人がやたら利害関係者なのだ。

22日の琉球新報社会面トップは『共謀罪』国会提出 反基地適用を危惧」、カタ(左上の記事)が「宮古島市議に攻撃メール」、ヘソ(中央付近)には「『添田さん釈放を』那覇地裁前で70人抗議集会」だった。ほぼ全面を基地絡みの記事が埋めている。

ちなみに山城被告と添田充啓(そえだ・あつひろ)被告(44)の呼称は、琉球新報では山城被告は「議長」、添田被告は「添田さん」となっている。山城被告は2紙とも「山城議長」だ。沖縄タイムスは添田被告を「添田氏」と呼称している。

添田被告は傷害罪などに問われているのだが、琉球新報の記事中にその事実は書かれておらず、「山城博治さんたちの早期釈放を求める会」の共同代表らの「どうして不当な長期勾留が沖縄では許されるのか」「日本の三権分立は危機に瀕している」という声が紹介されている。

著名な人物

連載漫画

  • 「時事漫評」渡嘉敷唯夫 砂川友弘
  • 「グルくん」はらたいら 朝刊 1981年4月~1983年9月、1989年3月~1990年3月
  • 「おばぁタイムス」大城さとし ダーヴァ

本社・印刷工場所在地

  • 本社
  • 浦添印刷センター(印刷工場)。UP(ユーピー)センターともいう

支社・支局

番組表

※県外放送局とラジオNIKKEIは掲載されていない(ケーブルテレビでは県外局の再配信をしているところがないが、鹿児島県の一部テレビ局を沖縄本島北部で直接受信できる地域がある。ラジオも一部受信できる局あり)。

備考

  • 1974年(昭和49年)9月8日、アテネ発ローマ経由ニューヨーク行きのTWA841便ボーイング707型機が、イオニア海ケフェロニア島近くで爆破され(トランスワールド航空841便爆破事件)、事故機に沖縄タイムスのタイムス・ヨーロッパ産業視察団の上地一史社長(当時)ほか、沖縄タイムスの有力広告主13人が搭乗し、社の上層部と有力スポンサーを失うという惨事があった。
  • 本紙購読者は朝日新聞デジタルを本誌購読料+1000円/月で利用する事が出来る。
  • マスコットは「ワラビー」。こどもを意味する沖縄の方言「わらび」と動物の「ワラビー」をかけている。

関連放送局

関連項目

  • プロ市民
  • ネット左翼
  • 沖展(戦後の美術復興のために始まった総合美術展)
  • NAHAマラソン(走者25000人、「太陽と海とジョガーの祭典」として知られる沖縄県内最大のマラソン大会)
  • 全琉音楽祭(沖縄タイムスが毎年1月に開催している音楽行事)
  • 筑紫哲也(かつて『沖縄版多事争論』として連載、復帰前に朝日新聞那覇支局に勤務していた)
  • 牧港襄一(元NHKアナウンサー。父・篤三が設立に関与し、記者として活躍した)

外部リンク