コロムビアミュージックエンタテインメント

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コロムビアミュージックエンタテインメント株式会社
Columbia Music Entertainment, Inc.
種類 株式会社
市場情報 東証1部 6791
1949年5月16日~上場中
略称 コロムビアME
本社所在地 日本の旗 日本 106-8565
東京都港区六本木一丁目4番33号
六本木21森ビル
電話番号 03-3588-2200(代表)
設立 1910年(和暦??年)10月1日
業種 5250
事業内容 オーディオ・ビデオソフト等の制作、宣伝、販売、音楽アーティストのマネジメント
代表者 廣瀬 禎彦(代表執行役社長兼CEO
資本金 10億円
売上高 連結:192億14百万円
単独:159億88百万円
(2008年3月期)
総資産 連結:118億86百万円
単独:100億05百万円
(2008年3月31日現在)
従業員数 連結:470名 単独:339名
(2008年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 RHJインターナショナル 25.49%
(株)日立製作所 18.21%
リップルウッドニッポンコロムビアパートナーズ2LP 5.90%
(2008年3月31日現在)
主要子会社 コロムビアソングス(株) 100%
クリエイティヴ・コア(株) 100%
関係する人物 ストラウス・ゼルニック(Strauss Zelnick:代表執行役会長)
外部リンク http://columbia.jp/
特記事項:
ファイル:Columbia Music Entertainment, Inc. (headquarters).jpg
コロムビアミュージックエンタテインメント本社。東京都港区六本木

コロムビアミュージックエンタテインメント株式会社Columbia Music Entertainment, Inc. )は、1910年(和暦??年)10月1日に作られた、日本で最初のレコード会社である。

長らく演歌歌謡曲や、子供向け番組のアニメソング伝統芸能学校音楽教材に強かったが、2002年(和暦??年)月日以降は特にJ-POPにも力を入れている。

発音が似ているためか「コロンビア」と誤記されることが非常に多い(なお、南米コロンビアの英字表記はスペイン語表記をそのまま使った「Colombia」である)。

概説

昭和期には美空ひばり・石川さゆり・島倉千代子・都はるみ・藤山一郎・舟木一夫らの演歌・歌謡曲の大御所が多数所属する名門レコード会社であり、買収したデノン(買収当時の読みはデンオン)ブランドによるコンポーネント機器などの発売や、世界初のPCMデジタルレコーディングを実施するなど音響機器メーカーとしての顔も見せていた。長きに渡り、日立製作所が筆頭株主である日立グループの一社であった。

自社でCDDVDディスクの大規模な生産設備をもっている数少ないレコード会社であった(他にはビクターエンタテインメントソニー・ミュージックエンタテインメントなど)。但し、2005年(和暦??年)月日にプレス工場は子会社とした上で売却している。

第一勧銀グループの一員だが、取引銀行の大幅変更に伴い2009年現在のメインバンクは三菱東京UFJ銀行となっている。但し、三菱グループの一員ではない。

企業再生ファンドによる買収

平成期に入るとエイベックスの様なミリオンセラーを誇るキラーアーティストの不在と、他社と比べて積極的ではなかったJ-POP部門でTHE YELLOW MONKEYHOUND DOG観月ありさらオリコンチャートに入る複数の有力アーティストが1997年(和暦??年)月日前後に他社へ次々と移籍した後、代わりの新人アーティスト発掘に出遅れたこと、演歌・歌謡曲部門では氷川きよしを除いてヒット曲に恵まれなかったこと等による売上減少が続いて、次第に経営不振に陥ったため、2001年(和暦??年)5月日に日立製作所と主力取引銀行(第一勧銀三和銀など)の意向により、企業再生ファンドであるリップルウッドの手に移ることが決定した。

これに前後して、J-POP部門を1998年(和暦??年)月日に分社化した株式会社ヒートウェーブ(HEAT WAVE)が2001年(和暦??年)3月日に債務超過に陥り、清算の上コロムビアに吸収され、同年8月には赤坂4丁目の本社屋の不動産を売却し、六本木移転まで賃借する形式をとった(現在高級マンションとなっている)。

そして、同年10月1日に音響機器部門をデノンとして分社化(日本コロムビア完全子会社)。即座にリップルウッド中間持株会社の「ニューデノン」(98%・59億円出資)と日立(2%・1億円出資)にデノン持株分を日本コロムビアが売却することで60億円を調達。さらに事業分割後の日本コロムビアは同日に第三者割当増資によって65円の優先株を9230.8万株発行し、匿名組合出資ファンド「リップルウッドニッポンコロムビアパートナーズ」(リップルウッドが8割、第一興商三菱商事が残りの1割ずつ出資)に対して83%、日立製作所に13%を割り当て、投資ファンドが筆頭株主(全体の41.66%出資)となる。この時点で日立製作所の持株比率が全体の2割強となり日立グループから脱退した(これ以前に日立へ累積債務の引換に41億円相当の普通株が割り当てられている)。100億円規模の資金調達が実現した結果、財務状態は健全化。当時の株価が200円前後で推移したため、普通株に転換出来ればこの時点でリップルウッドに含み益が発生しているが、実際には2002年(和暦??年)月日にニューデノン持株分全てを日本マランツへ売却(のちに経営統合)した事により100億円規模の莫大な利益を得ることになった。2002年(和暦??年)7月日にもリップルウッドを主な引受先とする68億円分の普通株発行により資本を増強している。

業界経験者を社長に招致したことで、J-POP部門のアーティスト育成に本格的に乗り出すようになり、売上は微増傾向となっていた。しかし、経営再建中に音楽業界全体でダウンロードが急速に普及、CDの売り上げそのものが減少する状態に入る。コロムビアもその影響を受けて売上が再び減少、制作部門を含めた数百人規模の社員を対象にした希望退職者募集と音楽事業以外の子会社を売却するなど大胆なリストラを行っている。

海外レーベル

最初の社名が「日本コロムビア」ということで、創業当初から1960年代まで、英EMIのコロムビア・レーベルのソフトと米コロムビア・レコードの日本での発売権を持っていたが、前者は1962年(和暦??年)月日に当時の東芝音楽工業(後の東芝EMI、現在のEMIミュージック・ジャパン)に移籍し、後者は、1968年(和暦??年)月日にソニーと旧米コロムビアの合弁会社として設立されたCBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)設立により移籍。結局、同社はこの後『コロムビア』の商標のみを残す形になった。ソニーミュージックのクラシックレーベル「ソニークラシカル」の『赤地に音符の型抜き』マークは、ソニーミュージックが米コロムビアだった時代の名残を象徴しているとも言える。

沿革

  • 1910年(和暦??年)10月1日 - 株式会社日本蓄音器商会 (Nipponophone Co., Ltd.) 設立。ワシ印ニッポノホンレコード・ローヤルレコードなどの発売を開始する。
  • 1912年(和暦??年)月日 - 日米蓄音器製造株式会社を合併。
  • 1927年(和暦??年)月日 - 米コロムビア・レコードと提携、コロムビア・レコードの発売を開始する。
  • 1942年(和暦??年)月日 - 商号を日蓄工業株式会社(Nitchiku Kogyo K.K.:通称ニッチク)に変更。これは戦時下での外来語敵性語)禁止に伴うもので、レーベルもコロムビアからニッチクへと改められた。
  • 1946年(和暦??年)月日 - 商号を日本コロムビア株式会社 (Nippon Columbia Co., Ltd.) に変更。
  • 1951年(和暦??年)月日 - 日本初のLPレコードを発売(米コロムビア原盤による、ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルによるベートーヴェン交響曲第9番(2枚組))
  • 1958年(和暦??年)9月1日 - 国内では日本ビクターに次いで、ステレオLPレコードを発売(米コロムビア原盤による。第1号は、セルゲイ・プロコフィエフ作曲、交響曲第5番(RS-101)。)。[1][2]
  • 1959年(和暦??年)月日 - 自社独自のステレオ録音を開始する。
  • 1962年(和暦??年)月日 - 国内で最後にSP盤のプレス、発売を終了する。
  • 同年 - 英EMIが東芝音楽工業と正式に発売契約を結んだため、英EMI原盤によるコロムビア・レーベルの発売が東芝に移行。これに伴い、同原盤の発売を終了する。[3]
  • 1963年(和暦??年)月日 - 日本電気音響株式会社(ブランド名・デンオン)を合併。
  • 1965年(和暦??年)月日 - 東京都港区赤坂に本社ビルを建設
  • 1969年(和暦??年)月日 - 米コロムビア原盤の発売がCBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)に移ったため、同原盤による発売を終了する。
  • 1970年(和暦??年)月日頃 - レコード再生に於けるトレーシング歪を解消する技術、「ノン・ディストーション・カッティング・システム」を開発、運用開始。
  • 1971年(和暦??年)1月11日 - NHK放送技術研究所PCM録音機の試作機を借りて、世界初のPCM方式によるデジタル録音を行う。[4]
  • 1972年(和暦??年)月日 - 自社製のPCM方式によるデジタル録音機第1号機[5]を作り、本格的なPCM録音によるレコード製作を開始する[6]。同時に「PCM」が同社の登録商標となる。
  • 1974年(和暦??年)月日 - 自社製のPCM方式によるデジタル録音機第2号機[7]が完成。1号機よりもコンパクトになったため、ヨーロッパに持ち込んでのPCMデジタル録音を行う(パイヤール指揮のバッハ音楽の捧げもの」ほか)。
  • 1982年(和暦??年)10月1日 - ソニーCBSソニーと同時に、世界初のコンパクト・ディスク(CD)の再生機及びソフトを発売する。(再生機は日立Lo-DのOEM。ソフトの方はベートーベンの「運命」、ドボルザークの「新世界」ほかクラシック10タイトルを発売。)
  • 2001年(和暦??年)10月1日 - AV・メディア関連機器部門を株式会社デノンとして分離(のちに日本マランツと経営統合、ディーアンドエムホールディングスとなる)。同部門生産拠点の白河工場(福島県)も譲渡。
  • 2002年(和暦??年)10月1日 - 商号をコロムビアミュージックエンタテインメント株式会社に変更。
  • 2005年(和暦??年)7月1日 - 本社を東京都港区六本木一丁目に移転
  • 同年 - プレス部門(子会社(コロムビアデジタルメディア:名称のみ継承))を売却
  • 2007年(和暦??年)月日 - 9月28日、TDKコアを買収すると発表。買収金額は15億円で、2007年(和暦??年)11月1日付けで子会社化

主要レーベル

コロムビアレコード(COLUMBIA RECORDS)

総合レーベル。演歌・歌謡曲・J-POP・子供向け音楽(みんなのうたNHK教育番組のサウンドトラックなど)・学校音楽用指導教材などオールジャンル。

  • CMEレコード - コロムビアレコードから派生したレーベル。主に過去のテレビ番組(アニメ・特撮・ドラマ作品)のサントラ盤などの再発やコンピレーション盤をリリースしている
  • ANIMEXレーベル - 同社とアーティスト契約しているアニメソング歌手・声優を中心としたレーベル。植田佳奈小清水亜美堀江美都子らが所属。
  • トライアド(TRIAD)- 同社のロック音楽系レーベル。
  • columbia*readymade(コロムビア・レディメイド) - *********records,tokyo(後述)の後継レーベル。小西康陽関係の作品をリリース。(2006年~)
  • サヴォイ・レコード(SAVOY) - 1992年(和暦??年)月日に日本コロムビアの傘下になったアメリカのジャズ・レーベル。チャーリー・パーカー等を輩出したことで有名。サヴォイ・レーベル・グループ(SLG)を形成。グループ下にデノンのクラシック部門を持っている。
  • hug columbia - 海外の新興音楽レーベル・V2レコードと提携しているレーベル。テイ・トウワが所属
  • B-C - ビーイングと提携したレーベル。PAMELAHBAADが所属していた。現在は活動休止。
パッションレーベル

コロムビアレコードからJ-POP部門を分離独立させて新設したレーベル。

  • M-TRAIN - 中村雅俊専属のレーベル。コロムビアレコードから移籍(但し、J-POP部門再編によりパッションレーベルの傘下レーベルとなっている)
デンオン
  • デノン - 1968年(和暦??年)月日設立。設立当時はいわゆる「和製ポップス」のうちフォークあるいはソフト・ロック寄りの路線で展開した。伊東ゆかり森山加代子ベッツィ&クリス等が在籍。「デンオン」レーベルの開始に伴い、「デノン」レーベルの規格品番「CD」シリーズはブロウアップレーベルに引き継がれる。
  • デンオン - 1973年(和暦??年)月日、PCM(デジタル)録音の本格稼働に合わせて、呼称とロゴを変更してリニューアル。主に高音質を期待されるクラシックやジャズの作品が発売されたが、ジャズは次第にBetter DaysやInterface等のレーベルに移行し、現在はほぼクラシック専業レーベル。
ヒートウェーブ(HEAT WAVE)

1998年(和暦??年)月日に子会社として設立したJ-POP系レコード会社。TRIADレーベル等のアーティストの一部が移籍し発売元になると共に、新人アーティストの発掘を事業領域としていたが、売上不振による債務超過に陥った為2001年(和暦??年)3月日に日本コロムビアへ吸収され、以後はレーベルのみ残る。

  • *********records,tokyo(レディメイド・レコーズ・トーキョー)- ピチカート・ファイヴなど「レディメイド・エンターテインメント」所属アーティストのレーベル(1998年〜2002年)。

アーティスト

あ、か行

さ、た、な行

は、ま、や、ら行

販売委託

他、多数。

かつての販売委託先

また、後述のように旧バンダイミュージックエンタテインメント(BME、旧アポロン、但し前者が販売委託していたマリン・エンタテインメントの音源は同社が保有)や前者に販売委託を行っていた旧エアーズガンダム(V,G,W,Xのエンディングと関連楽曲は譲渡先のトライエム(旧:メルダック。現在は出版事業のみ)に音源を譲渡、但しかつてネオプレックスに移籍していたinfixの楽曲はランティスが保有))、音楽部門(ソノシート関連)を持っていた頃の朝日ソノラマ鉄人28号は初期アニメ版の音源はEMI-J、それ以外の作品の音源と前者を含めた映像著作権はキング/スターチャイルドへ譲渡)及びかつてコロムビア社の直系子会社であったフォルテ・ミュージックエンタテインメント(日本コロムビアの木村英俊氏が設立した会社だったが経営難で、設立から数年で親会社へ吸収合併しコロムビアエデュテインメントと社名変更してコロムビア内の企画部門として一時期、存在していた。)の音源を買い取って同社の音源とし、現在に至っている。

以前に在籍していたアーティスト

引退、解散、死去したアーティストも含む。

あ行

か行

さ行

た・な行

は行

ま・や・ら行

サウンドトラック

アニメについては前述通り力を入れており、1970年代までは、日本のテレビアニメの約9割を同社が保有していた。この事から現在でも、70年代以前の懐かしのアニメ・特撮は、同社のCDを求めるだけで、かなりの作品を揃える事が出来る。

川崎工場にまつわるエピソード

美空ひばりの代表曲「港町十三番地」は、川崎工場の住所(川崎市港町)にちなんで作られたといわれることがあるが、実際のところは無関係である。

脚注

  1. ステレオ・レコード発売当初の販売価格は、12インチ(30cm)盤で、クラシックが1枚2800円、ポピュラーが1枚2500円だった。
  2. この時から、米コロムビア原盤を発売する時は、同原盤の発売レーベル名がCBSに変わるまで、12インチ(30cm)及び10インチ(25cm)のステレオ盤のみ、米コロムビアと同様に、6つ目デザインのレーベルが使用される。
  3. 英EMI原盤によるコロムビア・レーベルの音源は、東芝音楽工業に移行してからは、英HMV原盤の場合と同様に「エンジェル」レーベルとして発売される。
  4. 第1号は、ツトム・ヤマシタの「打」。東京文化会館小ホールにて録音され、NCC-8004-Nというレコード番号で発売された。
  5. 型番:DN-023R。13ビット直線量子化、サンプリング周波数:47.25KHz、8チャンネルまでのマルチ録音が可能。
  6. 第1号は、同年4月24、26日に青山タワーホールにて録音された、スメタナ四重奏団によるモーツァルト作曲、弦楽四重奏曲第17番「狩」同15番で、NCC-8501-Nというレコード番号で発売され、同年のレコードアカデミー賞を受賞した。レコード芸術推薦。CDでは現在、COCO70431というCD番号で入手可能である。
  7. 型番:DN-023RA。技術仕様はDN-023Rと同じ。但し、同機に比べて、ハーフスピード再生が行えない等、一部の機能が省かれている。

外部リンク

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