岡山市
岡山市 | ||
国/地方 | 日本 | |
都道府県 | 岡山県 | |
団体コード | 33100-7 | |
面積 | km² 境界未定:なし
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総人口 | - 人 ( )
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人口密度 | - 人 /km² | |
隣接自治体 | 倉敷市、玉野市、総社市、 備前市、瀬戸内市、赤磐市、 加賀郡吉備中央町、 久米郡久米南町、美咲町、 都窪郡早島町 海上で隣接 香川県:小豆郡土庄町 | |
市の木 | クロガネモチ | |
市の花 | キク | |
市の花木 | サルスベリ | |
岡山市役所 | ||
市長 | ||
所在地 | 〒700-8544 岡山県 岡山市北区大供一丁目1番1号 | |
位置 | ||
テンプレート:基礎自治体位置図 | ||
特記事項: | ||
岡山市(おかやまし)は、中国地方の南東部、岡山県の南部に位置する政令指定都市で、同県の県庁所在地である。
概要
全国的には桃太郎の伝説と吉備団子や西大寺会陽(裸祭り)、温暖な瀬戸内の気候により育まれたマスカット・オブ・アレキサンドリアや白桃など高級フルーツの産地として知られる都市である。中心部には岡山城 や日本三名園の一つである後楽園を市民のオアシスとして擁している。岡山藩池田氏の城下町として栄えた江戸時代以来、地域中心都市として発展してきた高層ビルの立ち並ぶ中心部と、長閑な田園や中山間地域が広がる郊外の豊かな自然とが調和した都市環境を持っている。
1980年代以降の瀬戸大橋の開通、JR線の四国との直通化、山陽自動車道の開通に伴い交通インフラが急速に整備され、岡山都市圏は周辺都市圏と共に東瀬戸経済圏として成長してきた。
広大な平野を背景に中四国のクロスポイントとして交通網が整備され、一大物流ハブという優位性を持つ。都市部人口増加率は先行政令指定都市と比較しても上位に位置する。
2009年4月1日に全国で18番目、中国・四国地方では広島市に次いで2番目となる政令指定都市に移行した。
地理
地勢
市の北部はなだらかな丘が続く吉備高原の一角をなしており、市民の水がめである旭川ダムや、利便性の良さから利用客が増大している岡山空港、および近郊住宅街がある。瀬戸内海に注ぐ旭川と吉井川、2つの一級河川の運搬・堆積作用によって形成された南部の岡山平野に中心市街地が位置しており、さらに平野の南部は江戸時代以降の干拓地であり農地が広がり穀倉地帯をなしている。その南に児島湾を挟み、瀬戸内海を望む風光明媚な児島半島の丘陵地を成す。
気候
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|岡山 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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気候表(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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岡山 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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気候表(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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}} 北を中国山地、南を四国山地に挟まれた瀬戸内海沿岸部に位置するため、典型的な瀬戸内海式気候に属す。温暖で日照時間は年間約2000時間と長く、年間降水量は1100mm程度と雨・雪は全国的に見て非常に少ない。
春季と秋季では移動性の高気圧に覆われ快晴となる日が多く、太平洋高気圧に覆われる夏季には瀬戸内海沿岸特有の「凪」が起るため、熱帯夜になることがしばしばある。しかし毎年幾度となく日本列島に来襲する台風やその影響による風雨も、中国山地や四国山地の山々によって弱められることが多く、災害に見舞われることは少ない。また、冬季においては北東季節風が中国山地にさえぎられるため降雪は少なく、雪が降った場合でも積雪する事はほとんどない。1989年以降、降水量1mm以上の降水日数が全国の県庁所在地では最少であるため、「晴れの国」をキャッチフレーズとしている。
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
平均気温(°C) | 4.8 | 5.1 | 8.4 | 14.3 | 19.0 | 22.9 | 26.9 | 27.9 | 23.7 | 17.6 | 12.1 | 7.0 | 15.8 |
平均最高気温(°C) | 8.9 | 9.4 | 12.9 | 19.2 | 24.1 | 27.2 | 31.2 | 32.1 | 27.7 | 22.1 | 16.5 | 11.4 | 20.2 |
平均最低気温(°C) | 1.0 | 1.0 | 3.8 | 9.3 | 14.1 | 19.1 | 23.5 | 24.2 | 20.0 | 13.4 | 7.8 | 2.8 | 11.7 |
日照時間(h) | 146.8 | 141.5 | 167.0 | 186.7 | 201.4 | 158.6 | 179.5 | 200.0 | 153.3 | 170.5 | 149.1 | 155.4 | 2009.8 |
降水量(mm) | 32.8 | 45.8 | 83.2 | 102.4 | 115.2 | 185.8 | 160.0 | 90.9 | 160.2 | 87.5 | 51.2 | 26.2 | 1141.0 |
降水日数(日) | 4.7 | 5.5 | 8.7 | 9.4 | 9.0 | 11.3 | 9.2 | 6.6 | 8.9 | 6.9 | 5.1 | 4.0 | 89.1 |
隣接する自治体
人口
岡山市の推計人口は現在70万人を超えており、現在増加傾向にある。これは若年層を中心とした働き手による社会増および自然増によると考えられる。(全政令指定都市18市中最少)
また人口増加率についても先行政令市と比較しても比較的上位である。
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岡山市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 岡山市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 岡山市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 }} |
岡山市(に相当する地域)の人口の推移 テンプレート:人口統計/33 | |
総務省統計局 国勢調査より |
歴史
古代から律令時代まで
古代の岡山は吉備国の一角であり、弥生時代と古墳時代には、筑紫・出雲・ヤマト・毛野などと並んで、日本列島を代表する政権として繁栄し、ヤマトと連合して列島の統一・治世に貢献した。
しかし、吉備の興隆を快く思わないヤマトに裏切られて勢力を削減され、備前国・備中国・備後国・美作国に分割され、これ以後現在に至るまで、経済・文化の面で連関の強い旧吉備国の政治的な統一は達成されていない。吉備国が分割された後、備前国の国府は現在の岡山市域内に置かれたと見られる。
戦国時代から天正期
岡山周辺は室町時代までは農村地帯で、16世紀には金光氏が小規模な城を築いて拠点にしていた。戦国時代に岡山の地の交通の便と土地の広さに目を付けた宇喜多直家は1570年(元亀元年)に金光宗高を謀反の疑いありとして切腹させて、岡山城を奪った。その後城を大規模に拡張し、山陽道を岡山経由に付け替えて、備前国内外の商人を呼び寄せ、1573年(天正元年)に本拠にすべく移住した。直家が始めた城下町・岡山の振興は、秀家の代にも続けられ、これ以後、岡山は主に備前国の政治経済の中心地となった。
江戸時代
宇喜多秀家が関ヶ原の戦いで没落すると、1601年(慶長6年)に小早川秀秋が岡山城に入った。秀秋は翌1602年(慶長7年)に死に、小早川家は断絶した。1603年(慶長8年)には池田忠継が入り、以後江戸時代を通じて、岡山は池田氏の城下町となった。
城下町としての岡山は発展を続け、池田氏第四代の綱政の代である1707年(宝永4年)には町方人口が3万0635人(武家・寺社方を含めた総人口は推定4万~5万人)に達し、国内でも十指に入る経済力を持つ城下町となった。後楽園が造成されたのもこの時期である。しかるに町方人口は享保の頃から暫減し、幕末の1858年(安政年)には2万0092人となる。これは岡山藩の新田開発による農村商業の発達とは対照的であり、藩当局が農村から都市への人口流入を抑制する政策をとったことによるものとみられる。その後も順調に発展し、江戸時代末期には、十指に入る経済力を持つ城下町となった(江戸時代後期の大手の城下町:鹿児島・熊本・広島・岡山・徳島・名古屋・金沢・仙台)。
明治維新から第二次大戦まで
明治4年7月14日(1871年8月29日)の廃藩置県により、岡山は岡山県の県庁所在地となり、1889年(明治22年)には市制を敷いた。市制施行当時、面積5.77km²、人口4万7564人。1920年(大正9年)には人口9万4585人を数えた。
第二次大戦末期の1945年(昭和20年)6月29日の岡山空襲で大きな被害を受け、1000人以上が犠牲となり、10万人以上が家を失った。
第二次大戦後
戦後は順調に発展し、周辺市町村との合併を進めた。1960年(昭和35年)頃には、倉敷市を含めた県南広域都市の構想を岡山県知事が提唱したが、倉敷市長の失踪に端を発する騒動により、白紙撤回された。
1972年(昭和47年)3月15日には山陽新幹線岡山駅が開業、1988年(昭和63年)3月20日には瀬戸大橋線が開業し、以来は鉄道交通の要衝となっている。
1996年(平成8年)には、国から中核市に指定された。その後の2005年(平成17年)3月22日、隣接する御津郡御津町・児島郡灘崎町の2町を編入、2007年(平成19年)1月22日、隣接する御津郡建部町・赤磐郡瀬戸町の2町を編入した。
2007年(平成19年)6月26日夕方に、市の人口が70万人を突破した。
2009年4月1日に政令指定都市に移行し、区制が施行され、北区・中区・東区・南区が設置された。
政治・行政
市長
- 現職市長
髙谷茂男 (たかや しげお、2005年(平成17年)10月11日~。第33・34代市長。2期目)
- 副市長
- 村手聡 (むらて さとし)
- 佐古親一 (さこ しんいち)
- 歴代市長
歴代 | 氏名 | 在任期間 |
---|---|---|
1 | 花房端連 | 1889年(明治22年)9月17日~1890年(明治23年)10月30日 |
2 | 新庄厚信 | 1890年(明治23年)10月30日~1894年(明治27年)年5月15日 |
3 | 小田安正 (1期) | 1894年(明治27年)7月4日~1900年(明治33年)7月3日 |
4 | 小田安正 (2期) | 1900年(明治33年)8月8日~1902年(明治35年)7月10日 |
5 | 岡田磐 (1期) | 1902年(明治35年)7月25日~1908年(明治41年)7月24日 |
6 | 岡田磐 (2期) | 1908年(明治41年)年7月28日~1914年(大正3年)年7月23日 |
7 | 岡田磐 (3期) | 1914年(大正3年)8月3日~1918年(大正7年)8月2日 |
8 | 中山寛 | 1918年(大正7年)10月19日~1922年(大正11年)10月18日 |
9 | 窪谷逸次郎 (1期) | 1923年(大正12年)5月10日~1927年(昭和2年)5月9日 |
10 | 窪谷逸次郎 (2期) | 1927年(昭和2年)5月10日~1928年(昭和3年)8月18日 |
11 | 守屋松之助 (1期) | 1929年(昭和4年)2月25日~1932年(昭和7年)12月12日 |
12 | 守屋松之助 (2期) | 1933年(昭和8年)3月16日~1933年(昭和8年)8月2日 |
13 | 石原市三郎 | 1934年(昭和9年)2月25日~1938年(昭和13年)2月24日 |
14 | 時実秋穂 | 1938年(昭和13年)3月19日~1940年(昭和15年)1月8日 |
15 | 国富友次郎 | 1940年(昭和15年)9月4日~1944年(昭和19年)9月3日 |
16 | 竹内寛 | 1944年(昭和19年)9月4日~1945年(昭和20年)10月9日 |
17 | 橋本富三郎 | 1945年(昭和20年)11月22日~1947年(昭和22年)2月22日 |
18 | 田中弘道 | 1947年(昭和22年)4月6日~1951年(昭和26年)3月24日 |
19 | 横山昊太 | 1951年(昭和26年)4月23日~1955年(昭和30年)4月12日 |
20 | 田淵久 | 1955年(昭和30年)5月1日~1959年(昭和34年)4月30日 |
21 | 寺田熊雄 | 1959年(昭和34年)5月1日~1963年(昭和38年)4月30日 |
22 | 岡﨑平夫 (1期) | 1963年(昭和38年)5月1日~1967年(昭和42年)4月30日 |
23 | 岡﨑平夫 (2期) | 1967年(昭和42年)5月1日~1971年(昭和46年)4月30日 |
24 | 岡﨑平夫 (3期) | 1971年(昭和46年)5月1日~1975年(昭和50年)4月30日 |
25 | 岡﨑平夫 (4期) | 1975年(昭和50年)5月1日~1979年(昭和54年)4月30日 |
26 | 岡﨑平夫 (5期) | 1979年(昭和54年)5月1日~1983年(昭和58年)4月30日 |
27 | 松本一 (1期) | 1983年(昭和58年)5月1日~1987年(昭和62年)4月30日 |
28 | 松本一 (2期) | 1987年(昭和62年)5月1日~1991年(平成3年)1月14日 |
29 | 安宅敬祐 (1期) | 1991年(平成3年)2月12日~1995年(平成7年)2月9日 |
30 | 安宅敬祐 (2期) | 1995年(平成7年)2月10日~1999年(平成11年)2月9日 |
31 | 萩原誠司 (1期) | 1999年(平成11年)2月10日~2003年(平成15年)2月9日 |
32 | 萩原誠司 (2期) | 2003年(平成15年)3月24日~2005年(平成17年)8月25日 |
33 | 髙谷茂男 (1期) | 2005年(平成17年)10月11日~2009年(平成21年)10月10日 |
34 | 髙谷茂男 (2期) | 2009年(平成21年)10月11日~現職 |
市役所組織
主要な組織(局)のみ記載(2009年(平成21年)4月1日現在)
- 総務局
- 企画局
- 財政局
- 市民局
- 保健福祉局
- 環境局
- 経済局
- 都市整備局
- 下水道局
- 水道局
- 病院局
- 消防局
行政区
岡山市内には以下の4つの行政区が設置されており、行政区の数は政令指定都市18市のうちで2番目に少なくなっている(最少は静岡市の3区)。
- 北区:市中心部および北西部。人口・面積とも最大。
- 中区:おおむね旭川以東、百間川以西。面積最小、人口密度は最大。
- 東区:市東部(西大寺・上道・瀬戸地区)。
- 南区:市南西部(芳田・興除・岡南・妹尾・灘崎・藤田地区)。人口増加率は最大。
各区の人口、面積、人口密度は以下のようになっている。(人口は2005年国勢調査)
順位 | 人口 | 面積 | 人口密度 |
---|---|---|---|
1位 | 北区 (295,312人) | 北区 (451.03km²) | 中区 (2712人/km²) |
2位 | 南区 (165,193人) | 東区 (160.28km²) | 南区 (1297人/km²) |
3位 | 中区 (138,949人) | 南区 (127.36km²) | 北区 (655人/km²) |
4位 | 東区 (96,718人) | 中区 (51.24km²) | 東区 (603人/km²) |
区役所・支所等の管轄地域
- 市内は、4区役所、11地域センター、3支所に編成されている。
- 御津・建部・瀬戸の3支所は、合併特例法の期限後に、地域センターに変更される予定。
名称 | 所在地 | 管轄地域 | 備考 |
---|---|---|---|
岡山市役所 | 北区大供一丁目1番1号 | 市内4行政区を総括 | |
北区役所 | 北区大供一丁目1番1号 | 岡山市北区域 | 市役所の一部に設置 |
吉備地域センター | 北区庭瀬414番地 | 岡山市北区域 | |
高松地域センター | 北区高松141番地1 | 岡山市北区域 | |
一宮地域センター | 北区一宮553番地1 | 岡山市北区域 | |
津高地域センター | 北区栢谷1682番地 | 岡山市北区域 | |
足守地域センター | 北区足守718番地 | 岡山市北区域 | |
御津支所 | 北区御津金川1020番地 | 旧御津町域 | 合併特例区のため、当面は支所のまま |
建部支所 | 北区建部町福渡489番地 | 旧建部町域 | 合併特例区のため、当面は支所のまま |
中区役所 | 中区浜三丁目7番15号 | 岡山市中区域 | RSKメディアコムの1 - 3階に設置。[1] |
東区役所 | 東区西大寺上二丁目 7番31号 |
岡山市東区域 | 旧西大寺支所 |
上道地域センター | 東区楢原466番地 | 岡山市東区域 | |
瀬戸支所 | 東区瀬戸町瀬戸45番地 | 旧瀬戸町域 | 合併特例区のため、当面は支所のまま |
南区役所 | 南区灘崎町片岡207番地 | 岡山市南区域 (旧灘崎町域を含む) |
旧灘崎支所 |
藤田地域センター | 南区藤田508番地 | 岡山市南区域 | |
興除地域センター | 南区中畦593番地 | 岡山市南区域 | |
妹尾地域センター | 南区箕島1024番地8 | 岡山市南区域 | |
福田地域センター | 南区古新田1089番地 | 岡山市南区域 | |
児島地域センター | 南区北浦716番地 | 岡山市南区域 |
保健センター・福祉事務所
市内の各福祉事務所は区役所の直轄組織となっている。
保健センター名称 | 所在地 | 管轄地域 | 備考 |
---|---|---|---|
北区中央保健センター (岡山市保健所) |
北区鹿田町一丁目1-1 | 岡山市北区の中心部 | 岡山市保健福祉会館内 |
北区北保健センター | 北区谷万成二丁目6-33 | 岡山市北区の北部、旧御津町・建部町域 | 北ふれあいセンター内 |
中区保健センター | 中区桑野715-2 | 岡山市中区域 | 岡山ふれあいセンター内 |
東区保健センター | 東区西大寺中野本町4-5 | 岡山市東区域 | |
南区西保健センター | 南区妹尾880-1 | 岡山市南区の西部 | 西ふれあいセンター内 |
南区南保健センター | 南区福田690-1 | 岡山市南区の南部、旧灘崎町域 | 南ふれあいセンター内 |
福祉事務所名称 | 所在地 | 管轄地域 | 備考 |
---|---|---|---|
北区中央福祉事務所 | 北区鹿田町一丁目1-1 | 岡山市北区の中心部 | 岡山市保健福祉会館内 |
北区北福祉事務所 | 北区谷万成二丁目6-33 | 岡山市北区の北部、旧御津町・建部町域 | 北ふれあいセンター内 |
中区福祉事務所 | 中区国富一丁目1-30 | 岡山市中区域 | |
東区福祉事務所 | 東区西大寺中二丁目16-33 | 岡山市東区域 | 西大寺ふれあいセンター内 |
南区西福祉事務所 | 南区妹尾880-1 | 岡山市南区の西部 | 西ふれあいセンター内 |
南区南福祉事務所 | 南区福田690-1 | 岡山市南区の南部、旧灘崎町域 | 南ふれあいセンター内 |
市議会
- 定数:53名(定数特例適用の定数、本来の定数は52名)
- 議長:宮武博(政隆会)
- 副議長:伏見源十郎(新風会)
- 会派の構成
会派名 | 議員数 |
---|---|
新風会(自由民主党・保守系) | 10 |
公明党岡山市議団 | 10 |
ゆうあいクラブ(保守系・連合系無所属) | 10 |
政隆会(自由民主党・保守系) | 8 |
市民ネット(民主党系) | 7 |
日本共産党岡山市議団 | 5 |
新生会(政隆会から分裂) | 3 |
(2009年9月15日現在)
- 行政区ごとの定数
行政区 | 議員数 |
---|---|
北区 | 21 |
中区 | 11 |
東区 | 7 |
南区 | 13 |
(本来の定数52で割り振り)
警察
警察署は市内に6箇所あり、政令指定都市であるため岡山県警の市警察部が統括している。管轄区域は概ね行政区の区域が中心であるが一部は合併以前の管轄となっている地域がある。
- 岡山中央警察署:中区全域と北区のうち概ね西川以東の都心部を管轄
- 岡山西警察署:北区のうち概ね西川以西の都心部を含む西部と一宮・高松・吉備・足守地区を管轄
- 岡山北警察署:北区のうち御津・建部地区を管轄
- 岡山南警察署:南区全域と北区の一部を管轄
- 岡山東警察署:東区のうち西大寺・上道地区を管轄
- 赤磐警察署:東区のうち瀬戸地区を管轄
- 倉敷警察署(倉敷市):北区大内田(岡山県総合流通センター吉備地区)の一部を管轄
※詳細な管轄区域については、岡山県警察署の名称、位置及び管轄区域に関する条例において確認することができる。
消防
消防は全域を岡山市消防局が担当し、北・中・東・西・南の5消防署・13出張所(うち1出張所は岡山市へ消防・救急業務を委託している吉備中央町に設置)・1救急ステーションが設置され、岡南飛行場には消防航空隊の基地が設置されており、西消防署には高度救助隊も組織されている。中区を管轄する中消防署は現在北区番町に所在するが、2011年春をめどに中区今在家に整備されて移転する。
- 岡山市消防局北消防署(北区北東部を管轄)
- 御野出張所・津高出張所・御津出張所・建部出張所
- 岡山市消防局中消防署(中区を管轄)
- 旭東出張所・竜操出張所
- 岡山市消防局東消防署(東区を管轄)
- 可知出張所・上道出張所・瀬戸出張所
- 岡山市消防局西消防署(北区西部を管轄)
- 吉備津出張所・吉備中央出張所(吉備中央町)・吉備中央出張所足守救急ステーション
- 岡山市消防局南消防署(南区を管轄)
- 妹尾出張所・灘崎出張所
2009年度以降の管轄区域は概ね行政区の区域と一致している。北区については北消防署と西消防署の2署が管轄する。新設の西消防署の管轄区域は、北区のうち、京山、石井、中山、高松、足守の各中学校区、御南中学校区のうち笹ヶ瀬川以西、吉備中央町である。北消防署の管轄区域は北区のうち西消防署の管轄区域を除く区域である。また、西消防署の新設により、三門出張所と庭瀬出張所は西消防署に統合という形で廃止された。2010年度を目処に高度救助隊から、政令指定都市に設置が義務付けられている特別高度救助隊に格上げする計画がある。
市町村合併と政令指定都市
昭和の大合併
- 岡山県南百万都市建設計画
1961年(昭和36年)岡山県知事だった三木行治が新産業都市の受け皿として、全国6大都市(当時)に次ぐ大都市形成のため打ち出した計画で、邑久町(現瀬戸内市)から鴨方町(現浅口市)、南は児島半島までの33市町村による当時での人口が約90万人(その後の人口規模は約130万人に達している)の大規模な合併であった。 三木知事と自治省(現総務省)を中心に推し進められ、全ての関係市町村議会で合併の議決が行われ(岡山市においては1962年12月17日、22対16の賛成多数で議決)、岡山市・倉敷市・児島市(現倉敷市児島)を除く首長も承認し国に合併申請をした。しかし、倉敷市長が年末年始に公印を持ったまま上京し一時失踪する騒動が発生したことで倉敷市の調印が行われず、このことで岡山・児島の二市も脱退、1964年には三木知事の急逝により構想は頓挫した。
- 50万都市への合併
高度経済成長期に入り、岡山市は郊外へ市街地を拡大させ膨張していったことで、周辺市町村のあちこちで急速なベッドタウン化が進み社会資本整備が追いつかなくなり合併が一気に進んだ。1969年(昭和44年)に財政再建団体転落直前であった西大寺市を皮切りに一宮町、津高町、高松町、吉備町、妹尾町、福田村、足守町、上道町、興除村さらに1975年(昭和50年)の藤田村に至るまで11市町村との大合併が行われ、岡山市は政令指定都市の法律要件である人口50万人を突破した。
平成の大合併
2002年2月 岡山青年会議所が岡山市と玉野市との合併による政令指定都市移行の要望書を岡山市長に提出し、7月には岡山市と玉野市、灘崎町、御津町、瀬戸町による合併研究会が設置され、さらに2003年4月には 瀬戸町を除いた任意合併協議会が設置された。2004年1月に新設合併、既存の独自の行政サービスの維持などの内容で中間答申がなされるが、玉野市では議会と市民グループの反対があり2月に岡山市との合併を断念し離脱した。しかし残る灘崎町・御津町は岡山市との合併協議を続け2005年3月に編入合併した。(岡山県南政令市構想第一次合併)
他の町と合併協議をしていた建部町・瀬戸町は相次いで方針を転換し、政令指定都市移行を前提に岡山市に合併を申し入れ、2007年1月に編入合併された(岡山県南政令市構想第二次合併)(国勢調査人口69万6千、合併時推計人口69万8千人)。そして、2007年6月には推計人口70万人突破し(市調査の推計人口、県の月次報告では8月1日)、政令市移行のための人口要件が満たされたこととされた。
政令指定都市移行までの経過
- 2006年6月 - 建部町、瀬戸町との合併が市議会で議決され、県へ合併申請。
- 2006年9月 - 市長が市議会9月定例会の代表質問で、2009年中に政令指定都市移行を目指すと正式に表明。
- 2006年10月、11月 - 岡山県と権限移譲に関する研究会を設置、庁内に政令指定都市推進本部を設置。
- 2007年1月 - 建部町、瀬戸町を編入合併。
- 2007年6月 - 推計人口が政令指定都市の人口要件(特例)の70万人を突破。
- 2007年7月 - 「行政区画等審議会」、「政令指定都市県市連絡会議」をそれぞれ設置。
- 2007年12月 - 行政区を4区とし区役所位置(暫定含む)を決定、市議会で「政令指定都市に関する意見書」が議決され、県知事、県議会に提出し要望。岡山県との権限移譲に関する基本協定締結[2]。
- 2008年2月 - 行政区画等審議会に区名選定が諮問される。岡山市政令指定都市推進協議会が市長、市議会議長とともに総務省に要望を行う。
- 2008年3月 - 総務省との事務協議が開始される。県議会で「政令指定都市に関する意見書」が議決され、内閣総理大臣、総務大臣、衆議院議長、参議院議長に提出。
- 2008年6月 - 岡山県知事が市長とともに総務省を訪問し、2009年4月の岡山市の政令指定都市移行を県として正式に要望。岡山市は行政区画等審議会の答申を受け、4行政区の区名を、北区・中区・東区・南区とする方針を決定[3]。
- 2008年9月 - 県知事、県議会議長、市長、市議会議長、岡山市政令指定都市推進協議会会長らが増田寛也総務大臣(当時)に政令の改正を要望。
- 2008年10月 - 10日の閣議で、2009年4月1日に岡山市を政令指定都市とする政令の改正が閣議決定され[4]、16日に公布された[5]。
- 2009年4月 - 政令指定都市に移行。4行政区が設置され、各区役所を開所。
岡山県南政令指定都市構想 も参照
市域の変遷
岡山市域の変遷 も参照 明治22年の市制施行以来周辺の市町村と合併を繰り返してきた現在の岡山市は御津郡(旧御野郡・津高郡)・上道郡・吉備郡(旧賀陽郡)・児島郡・邑久郡・都窪郡(旧都宇郡)・赤磐郡(旧赤坂郡・磐梨郡)・和気郡・久米郡(旧久米南条郡・久米北条郡)と広範囲の地域に及んでいる。
年月日 | 合併された市町村 |
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1889年(明治22年)6月1日 | 市制施行 |
1899年(明治32年)8月1日 | 御野村、伊島村、石井村、鹿田村、古鹿田村、福浜村の各一部と、三櫂村全域 |
1921年(大正10年)3月1日 | 伊島村、石井村、鹿田村全域と、御野村の大部分 |
1931年(昭和6年)4月1日 | 宇野村、平井村、福浜村 |
1950年(昭和25年)12月1日 | (児島湾埋立地を編入) |
1952年(昭和27年)4月1日 | 牧石村、大野村、今村、芳田村、白石村、甲浦村、三蟠村、沖田村、操陽村、富山村 |
1953年(昭和28年)3月1日 | 牧山村、高月村の各一部 |
1954年(昭和29年)4月1日 | 高島村、幡多村、財田町、小串村全域と、御津町の一部 |
1969年(昭和44年)2月18日 | 西大寺市 |
1971年(昭和46年)1月8日 | 一宮町、津高町、高松町 |
1971年(昭和46年)3月8日 | 吉備町、妹尾町、福田村 |
1971年(昭和46年)5月1日 | 上道町、興除村、足守町 |
1975年(昭和50年)5月1日 | 藤田村 |
2005年(平成17年)3月22日 | 御津町、灘崎町 |
2007年(平成19年)1月22日 | 建部町、瀬戸町 |
※1969年以降に合併された旧市役所・町村役場は、岡山市役所の区役所・支所・地域センターとして引き継がれている。
住所表記の変遷 (2005年以降)
-2005年3月21日 | 2005年3月22日- 2007年1月21日 |
2007年1月22日- 2009年3月31日 |
2009年4月1日- 現在 | |
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旧岡山市域 | 岡山市○○ | 岡山市北区○○ | ||
岡山市中区○○ | ||||
岡山市東区○○ | ||||
岡山市南区○○ | ||||
合併特例区 | 御津郡御津町○○ | 岡山市御津○○ | 岡山市北区御津○○ | |
児島郡灘崎町○○ | 岡山市灘崎町○○ | 岡山市南区灘崎町○○ | ||
御津郡建部町○○ | 岡山市建部町○○ | 岡山市北区建部町○○ | ||
赤磐郡瀬戸町○○ | 岡山市瀬戸町○○ | 岡山市東区瀬戸町○○ |
姉妹都市・提携都市
地域・地域間関係
市内の地域
合併特例区
「平成の大合併」で編入した御津・灘崎・建部・瀬戸地区に合併特例区を設けている。
- 御津合併特例区:旧御津町域(岡山市北区御津)。
- 灘崎町合併特例区:旧灘崎町域(岡山市南区灘崎町)。
- 建部町合併特例区:旧建部町域(岡山市北区建部町)。
- 瀬戸町合併特例区:旧瀬戸町域(岡山市東区瀬戸町)。
いずれも合併時から5年間の時限的なもので、政令指定都市の行政区や東京都の特別区とは異なる。今後これらを政令市の行政区においてどのように取り扱うかが新たな問題として浮上した。
岡山と高松(香川)の関係
岡山市と高松市は、瀬戸内海を挟んで互いに対岸に位置しているため、宇高連絡船の時代から相互交流も盛んであり、地上波テレビ放送ではエリアが統合される程である。1988年の瀬戸大橋の開通以降は、相互交流がより密になっている。
一方で、岡山は山陽新幹線等の主要路線と接続し、高松市もまた四国島内の鉄道交通の主導権を握るなど、岡山と高松は交通都市としての地位を高め、それを確固たる物にしていた。しかし高松は明石海峡大橋開通後、購買力の神戸流出、高速バスの隆盛による高松駅・中心街の地位低下、企業の支店の関西地方への移転統合が進み、オフィス空室率も上昇するなど拠点性の低下が顕著になってきた。一方の岡山市では、繊維産業取引のため設置されていた大手総合商社の営業所や出張所が撤退する等、国内産業構造の変化による統廃合がある一方で中国四国地方の交通の拠点として利便性が高いことを背景にした、拠点の新設や広島や高松から支店や営業所を統廃合して岡山へ移転するなどの前向きな動きもあり、経済状況が厳しい状況下でもオフィス空室率はさほど低下していない。 このように、自然障壁を介して通じ合っている両市の構図としては、広島市と松山市(瀬戸内海)、下関市と北九州市(関門海峡)、仙台市と山形市(蔵王連峰)、青森市と函館市(津軽海峡)、京都市と大津市(逢坂山)、福岡市と佐賀市(三瀬峠)などがある。
中四国地方での地位
岡山駅から瀬戸大橋線で四国と直結しており、四国の全ての県庁所在地へ向かう特急が発着するほか、伯備線で山陰主要部とも結ばれており、また智頭線経由の特急スーパーいなばで鳥取市とも直結しており、岡山駅はすべての新幹線のぞみが停車する一大ターミナルになっている。
また高速道路も東西に大動脈である山陽自動車道、中国自動車道が貫き、南北の岡山自動車道、米子自動車道とクロスしており、瀬戸大橋を介して、四国の高速道路と結ばれており、日本海から太平洋へ抜ける交通の結節点という優位性のある立地となっている。
1998年に明石海峡大橋が、1999年にしまなみ海道が開通し、四国の流通網が岡山経由から淡路島経由に大きく移動すると予想されたものの、実際はさほどの影響はなく交通量を維持している。この背景としては、四国の高速道路網が愛媛、高知は瀬戸大橋利用のほうが利便性が高いことや料金面での差異がないことなどが挙げられ、また他のルートと違い鉄道併用橋であるという輸送力での圧倒的な優位性が大きいと考えられる。
中国地方または中四国地方においては、交通の結節点である岡山は物流拠点都市としての位置付けが大きく、食品や流通業の一部は中四国の拠点を岡山に置いているなど、都市の地理的特性を活かせる分野の伸びが見られる。
岡山市にある国の機関
官庁出先機関
裁判所
経済
農業
北部の高原・丘陵地帯では、全国的にもブランド力のある品目を多く抱えている果物の栽培が盛んであり、岡山市の一大産業となっている。「桃(白桃、清水白桃、黄金桃等)」や「葡萄(マスカット、ピオーネなど)」がその主なブランド品目である。全国的にも岡山のマスカットやピオーネの消費者向けの訴求力は高い。また、乳牛を中心とした畜産も盛んであり、くわえて「椎茸」や全国でも珍しい「黄ニラ」の栽培が行われている。
南部の広大な児島湾干拓地に穀倉地帯を控える当市は米の生産量が8,900tにのぼり岡山県全体の四分の一を占める。品種は「朝日米」が多く、一部では酒米の「雄町米」も栽培している。その他では「蓮根」、「茄子」やビールの原料となる「二条大麦」などの栽培も行われている。かつて、冬期には「イグサ」栽培の一大産地であったが、現在は僅かになっている。また、日照時間が長い岡山県南の平野部は生花の生産が盛んなところでもある。岡山市内でも「スイートピー」、「デンドロビウム」、「ラークスパー」などが栽培され全国各地に出荷されている。
これらの農作物はいずれも高い技術を背景として生まれた高品質な商品であり、全国に出荷されることが一つの特徴である。
工業
製造品出荷額は8,200億円と岡山県全体の約10%を占め、機械・化学・食品・印刷などの業種が中心である。
臨海部の児島湾は旭川や吉井川等の一級河川から流出する土砂の堆積により水深が浅く、1万t級の船舶が航行可能な航路を整備することが困難なため重化学工業地帯は形成されていない。そのため、岡南工業地帯にクラレ・DOWAホールディングス・西日本ダイケンプロダクツ等、旭川東岸の新岡南地区と九蟠地区にはセイレイ工業(ヤンマー)、積水化学(セキスイツーユーホーム)や永谷園など全体的に軽工業系の工場が多い。
これらのことから、内陸部の工業団地開発に力を入れており、市内近郊の久米、東岡山や新岡南などに鉄工、鋳物などに中規模の内陸工業団地が多い。また、「岡山リサーチパーク」や「西大寺新産業ゾーン企業団地」などに研究や物流に重点を置いた事業所の誘致を進めている。最近では2005年に御津町との合併によりカバヤ本社工場と4つの工業団地、2007年には瀬戸町のキリンビール岡山工場等が加わった。
商業
岡山都市圏の中心都市で県内では圧倒的な集客力があり、代表的な商業地としては表町と岡山駅周辺があげられる。近年の都心商業地の流れとしては、アーケードの商店街から主要施設を結ぶ道路沿いに移行し、分散傾向にあったが、岡山駅周辺の再開発や商業施設進出が相次ぎ、近年急速に都心回帰が起っている。
小売店舗の新規出店等は昭和50年代から平成初頭までは郊外が中心となり、中心部は停滞傾向であった。その後、地価下落による割安感から都心回帰へと流れが変わると、1998年(平成10年)JTが市役所筋の工場跡に建設したイトーヨーカドーとジョイポリスの複合施設「ジョイフルタウン岡山」が再開発の先駆けとなった。また、高層マンションの建設も相次ぎ、中心部の居住人口が増加傾向に転じたことも後押しになり、飲食店や雑貨、衣類などの路面店も市街地の好立地への出店が活発になっている要出典。
2009年4月の政令指定都市移行によって、70万都市、都市圏人口150万の岡山は地方でも有数の規模、成長性と残された数少ない出店余地を持つだけに今後岡山進出をうかがう大手資本の出現も予想され、中四国における重要性が増している要出典。また、前述の通り山陽新幹線や瀬戸大橋をはじめとする鉄道や高速道路が集中する交通の要衝にあるため物流関連の事業者は多く進出しており、倉庫面積は中国・四国地方で最大規模となっているなど、中継地としての機能が高まっている。
表町
岡山市および岡山県の一大商業集積地。旧城下近くに発展した商業地である。岡山駅前からは徒歩でも行ける範囲であるが、バスや路面電車も走っている。市内バス経路の多くが表町中央部の天満屋バスステーションを経由した後に岡山駅前に向かうことから、必然的に買い物客が集中する構造となっている。周辺には中国銀行の本店や岡山県庁なども控え、表町商店街中央部に立地する地元最大の百貨店である天満屋本店を核として幅広い年齢層をターゲットとした商業店舗が集積している。また、商店街北東側の「オランダ通り」が“裏通りから若者の街へ”と変貌している要出典。
近年の動きとしては1999年のNTTクレド岡山、さらにロフトを核テナントとする岡山ロッツ(旧:イズミ岡山店)等の開店が挙げられる。一方で、北端に岡山シンフォニーホール、南の西大寺町に三丁目劇場、東には旧日銀岡山支店跡を再生したルネスホールと岡山市民会館などの劇場・音楽ホールを有し、文化的な色合いを強めている。岡山城・後楽園などの歴史的施設、美術館や博物館などの文化施設が立地する天神地区等、観光ゾーンにも隣接しているため、岡山県風致地区条例で建築物等の制限が課せられている。このため、整然とした景観がつくられている一方で、控えめなネオンサインが都市としての魅力を失わせているという声もある要出典。ここ数年は岡山駅前の再開発にやや押されており、岡山駅周辺地区との一体的な発展が課題となっている。
岡山駅周辺
山陽新幹線・新大阪~岡山間開業を挟み、高島屋などの県外資本の大型店の出店や中四国初の本格的地下街である岡山一番街が開業し、市内中心部の商業地図を2極に塗り替えた比較的新しい地区である。
ここ数年は再開発が目覚しく、西口に岡山コンベンションセンターとリットシティビル、東口では岡山駅の橋上化による駅ナカ商業施設サンステーションテラス岡山、成通岡山ビル(旧岡山会館ビル)に大型家電量販店のビックカメラなどが相次いでオープンしている。既存の商業施設でも改装やテナントの入居・入替が活発に行われ、これらの商業施設の相乗効果により表町などへの波及も期待されている。
ハヤシバラシティ
岡山駅東口の南に隣接する林原グループが同社の所有する土地をザ ハヤシバラシティとして1500億円の大規模再開発を計画中である。当初の一括開発から2段階開発に方針転換し、2010年前後に商業文化施設を中心に開業するとしており、2007年夏には子会社を外資企業に売却したが、その際、売却益は再開発資金にすると表明、今後の計画発表とその動向が注目されている。また隣接する日清製粉岡山工場の数年後の移転廃止が決まり、ハヤシバラがその跡地とどう連動していくのかも新たな注目の的になってきている。
本社を置く企業
※太字は上場企業
- 製造
- 食品
- 建築・不動産
- 小売
- 天満屋
- 天満屋ストア
- 山陽マルナカ
- はるやま商事
- カワニシホールディングス
- テイツー(古本市場)
- サンマルク
- リックコーポレーション
- カイタックグループ
- ザグザグ
- マリンポリス
- わたなべ生鮮館
- ラブドラッグス
- サンヨープレジャー
- 金融
教育
大学
- 大学コンソーシアム岡山
岡山県内の大学と政財界により、知的資源の活用と地域社会や産業界との連携を図ることによって「時代に合った魅力ある高等教育の創造」と「活力ある人づくり・街づくりへの貢献」を目指し2006年(平成18年)4月に設立された。現在、当組織に加盟しているのは県内16の4年制大学および岡山県と岡山経済同友会で、事務局は岡山理科大学内にある。
- ↑ 2009年3月2日から、住民票交付などの一部の窓口業務については同区役所での取扱いが実施されていた。
- ↑ 政令市移行岡山市が県と基本協定締結, 2007年12月26日. 岡山日日新聞社.
- ↑ ■区名方針を発表しました, 2008年6月13日. 岡山市.
- ↑ 政令改正:岡山が政令市前橋、中核市に--来年4月, 毎日新聞. 2008年10月10日. (毎日新聞社)
- ↑ 岡山市役所に政令市移行決定看板 政令公布に合わせ高谷市長ら除幕, 2008年10月16日. 山陽新聞社.