「鳥越俊太郎」の版間の差分

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
(ページの作成:「'''鳥越 俊太郎'''(とりごえ しゅんたろう、1940年3月13日 - )は、左翼ジャーナリストテレビタレント・[[民主...」)
 
 
33行目: 33行目:
  
 
[[2009年]][[3月27日]]、[[特定非営利活動法人|NPO法人]]『[[がん患者団体支援機構]]』の理事長に就任。[[2010年]]5月まで約1年2ヶ月務めた。
 
[[2009年]][[3月27日]]、[[特定非営利活動法人|NPO法人]]『[[がん患者団体支援機構]]』の理事長に就任。[[2010年]]5月まで約1年2ヶ月務めた。
 +
 +
== 「都知事選出馬を後悔していませんか?」の問いかけに、鳥越俊太郎氏は大きく首を振った(2016年12月) ==
 +
「[[都知事選]]にさえ出なければ…」
 +
 +
ご本人はそう後悔しているかもしれない。他人を批判することがいかにたやすいことか。他人に批判された際、それに説明することがいかに至難か、それを思い知ったに違いない。いや、せめて痛感してほしい。師走の夜、テレビ局で待っていた。その相手は今、生出演中だ。鳥越俊太郎氏(76)。
 +
 +
「私は悪い女には引っかからない」と強弁する鳥越氏に司会の[[水道橋博士]]さん(54)が「引っかかったから週刊誌に書かれたんじゃないの」と混ぜっ返す。鳥越氏は「ですから、早く忘れてください」と応じた。刑事告訴までして、火に油を注いだというのに…。番組が終わり、5分ほど経った午後10時ごろ、番組のスタッフに見送られ、長身の男性が出てきた。街灯を受けて尾を引いた影は、鳥越氏その人だった。
 +
 +
「[[産経新聞]]です。以前に取材の依頼を出しておりまして…」声をかけたが、鳥越氏は一瞥するや「ああ、それはいい」と顔をしかめ、手を振った。素早くタクシーに乗り込んだ鳥越氏に一番聞きたかったことを尋ねた。「都知事選に出馬したことを後悔していませんか」
 +
 +
鳥越氏は大きく首を振った。それが合図のようにタクシーは一気にエンジンを吹かして走り去った。後悔していない、という意味なのか、その逆なのか、判断はつかなかった。
 +
 +
「鳥越俊太郎」。[[マスコミ]]を志す人間で知らぬ者はいない。[[毎日新聞]]では[[テヘラン]]特派員、[[サンデー毎日]]の編集長などを歴任し、活動の場をテレビに移してからは、端正な容姿を生かして、[[テレビ朝日]]系列の「[[ザ・スクープ]]」の[[キャスター]]などとして活躍した。
 +
 +
[[サンデー毎日]]の編集長時代の[[平成元年]]には、当時の[[宇野宗佑]][[首相]]の[[愛人]]の告白記事をスクープし、内閣退陣にまで追いやった。それが2016年7月、[[舛添要一]]都知事(68)の公私混同問題を発端とし、舛添氏が退陣し、[[東京都]]の[[知事選]]がスタートすると、11日に出馬を決断し、12日に[[帝国ホテル]]で記者会見した。野党は統一候補を模索していたが、すでに出馬を表明し、準備を進めていた[[宇都宮健児]]氏(70)を「誹謗中傷」(宇都宮氏)の末におろすことに成功する。候補の一本化に成功したからには[[小池百合子]]氏(64)、[[増田寛也]]氏(65)と分裂した保守陣営に比べ、野党全てが推す鳥越氏の勝利は堅いと思われていた。ところが肝心の本人が問題だった。定見がなかった。第一声はこうだ。
 +
 +
「ちゃんとした公約はありません」「他候補の公約も読んでいない。関心がなかったから」
 +
 +
鳥越氏の選挙活動を手伝った都心部の区議は言う。
 +
 +
「大丈夫だろうか、という声は周囲でもありました。政策討論会も欠席する始末でしたし…。でも当初はそれでも勢いがありました。決定的だったのは女性問題ですね…」
 +
 +
[[週刊文春]]が[[7月21日]]発売号で、鳥越氏による[[女子大生]]への「淫行疑惑」を報じた。この記事が決定的に潮目を変えた。鳥越氏は文春と、それを後追いした[[週刊新潮]]を[[東京地検]]に[[刑事告訴]]した。その後はこの件に関する質問は全て黙殺する、という挙に出た。宇都宮氏はこう回想している。
 +
 +
「このままでは3位になる、と[[松原仁]][[衆院議員]](60)と[[初鹿明博]][[衆院議員]](47)が私の事務所にやってきた。応援演説をしてほしい、と」
 +
 +
[[民進党]]を中心とした野党連合は、追い落としたはずの宇都宮氏にすがることになる。だが、宇都宮氏は「女性の人権に関わる問題だ」として、週刊誌に報じられた記事の内容に関して釈明する会見を開くよう求めた。鳥越氏陣営はこれも黙殺した。応援に立たなかった宇都宮氏は、自分と支援者に山のような誹謗中傷があったと述懐している。ここまでして遮二無二、選挙戦を戦ったにもかかわらず、結果は分裂した保守系の小池氏、増田氏の後塵を拝する3位。松原氏ら民進党幹部が憂慮した事態が現実になったのだ。
 +
 +
もっとも本人の女性問題がなかったとしても、都知事になれたかどうか。[[7月27日、渋谷の街頭演説は「東京から250キロ圏の[[原発]]はすべて停止、廃炉に」とやって、鳥越氏を担ぎ出した張本人である[[岡田克也]]代表(当時)を渋面にさせた。[[大島]]を視察した[[7月25日]]には「大島限定で[[消費税]]を8%から5%に」とぶち上げた。出馬も思いつきなら、「政策」も行き当たりばったり。それも都政とはほど遠い国政マターの話ばかり。
 +
 +
別の郊外の市議は述懐する。「日に日に鳥越批判が身内からも強くなってきた。それでも鳥越さんを応援しよう、と周囲を鼓舞してやってきた。まあ、半ば自分に言い聞かせていたんだけれども…。まあ、巣鴨事件のときからこりゃダメだと思っていたんだが」
 +
 +
「巣鴨事件」とは、鳥越氏が[[7月18日]]、[[巣鴨]]で行った街頭演説だ。冒頭に「皆さん、[[森進一]]さん知ってるよね、あの森さんだよ」と鳥越氏が友人の歌手、[[森進一]]さん(69)を紹介し、森さんが「[[襟裳岬]]」を熱唱。本人は約40秒間、具体的な政策を一切言わずに立ち去った。「これが報道され、浮動票と呼ばれる人たちが一気に去った。運動員として残ったのはコアな[[プロ市民]]ばかり。私は半ばさじを投げていた」(さきの市議)。
 +
 +
本人はこうした周囲の声を知ってか知らずか、投開票3日前の[[7月28日]]には「私は[[都知事]]になるかもしれません。[[都知事]]になるでしょう」とやった。宇野内閣を退陣に追いやったとき、鳥越氏が編集長の[[サンデー毎日]]は宇野氏に説明責任を求め、倫理感の欠如を激しく攻撃した。その鳥越氏の姿勢が支持されたから、宇野氏は首相を追われたのではなかったか。ところが自身の愛人騒動では週刊誌を告訴したきり、未だに説明ひとつしない。今年の[[流行語大賞]]にはなかったが、まさに「ブーメラン」。鳥越氏が選考委員を務めた[[平成27年]]、「20155ユーキャン新語・流行語大賞」のトップ10に「アベ政治を許さない」が入ったのは記憶に新しいが、こちらより「ブーメラン」の方がよほど耳にしたのではないか。
 +
 +
ところで、鳥越氏は「私は聞く耳を持っている」ことを美点として、街頭演説で盛んにアピールしていた。果たして本当だったのか。都知事選に立候補し、約1万7千票を獲得した[[高橋尚吾]]氏(32)がこう回想する。
 +
 +
「銀座で街頭演説をしたときです。[[7月24日]]でした。他候補の応援演説をもっぱらやっていたんです。政権や党派の争いのために選挙をやっているんじゃない。そうした対立から脱却したい、そう思って鳥越さんの陣営にも応援したい、と向かったんです」
 +
 +
高橋さんは名刺を鳥越氏の周囲にいた陣営幹部に渡した。相手は[[民進党]]に所属する某区議会議員だった。だが、高橋さんを待っていたのはこんな声だった。
 +
 +
「何やってんだ、こんなところで」
 +
 +
食い下がる高橋さんに区議は追いうちをかけた。
 +
 +
「あんた、有権者じゃないだろう?ほかのところで支持者を集めて勝手にやればいい」
 +
 +
高橋さんは黙って鳥越氏の選挙カーの前を離れた。このやり取りが終わるのを見計らったように鳥越氏が登場した。鳥越氏の行くところ、選挙戦後半には、「[[原発]]再稼働を許さない」「[[安保法]]改正反対」といったバッジをつけているような人ばかりが目立っていた。銀座4丁目の演説の際、聴衆は同じ日に同じ場所で演説した小池氏の3分の2もいなかった。結果、鳥越氏の得票数は約135万票、小池氏の半分にも満たなかった。宇都宮氏が「野党側の惨憺たる敗北」と総括した通りの結果だった。鳥越氏は無党派の風を甘く見たのだ。
 +
 +
鳥越氏の無見識を氏の老齢に帰す見方がある。だが、そうだろうか。実は鳥越氏には若いころ、一度会ったことがある。[[NHK]]の記者がセッティングしてくれた会合を中華料理店で「鳥越さんを囲む会」という名目で催した。10人ほどの若手・中堅の記者が集まった。皆、鳥越氏に憧れ、謦咳に接することを心待ちにしている様子だった。どんな話をしたか、皆目覚えていない。鳥越氏は事件記者だったこともあるから、そのような思い出話を期待していたのかもしれない。だが、中身は確か、[[憲法9条]]を守ることの大切さ、といった話に終始していたような気がする。
 +
 +
生意気にも「あまりにも杓子定規で、世の中の変化に無頓着すぎるのではないか」といった意見を述べたのは覚えている。鳥越氏はニコニコと笑っていた。元気のいい若造だな、と広い心で受け止めてくれたのだな、とひとり合点していた。だが、果たしてそうだったか。今となっては、氏は何も見解を持っていなかったのではないか、という気もする。
  
 
== 人物 ==
 
== 人物 ==

2016年12月30日 (金) 10:03時点における最新版

鳥越 俊太郎(とりごえ しゅんたろう、1940年3月13日 - )は、左翼ジャーナリストテレビタレント民主党のお抱え評論家。福岡県浮羽郡吉井町(現うきは市)出身。

がん患者団体支援機構理事長を経て、現在は一般社団法人CSRプロジェクト会長。

ネット上では「頑張れ!!鳥越俊太郎の癌細胞!!」と応援される。

来歴[編集]

久留米大学附設高等学校を経て、京都大学文学部史学科国史学専攻卒業。1965年毎日新聞社入社。新潟支局が初任地。

1968年10月見合いで知り合い結婚

その後、同新聞社の週刊誌サンデー毎日』編集部に異動。在籍時に「イエスの方舟事件」が発生し、当時の編集長・鳥井守幸の方針で主宰者の千石イエスを匿ったため、鳥越を含む編集部全員が犯人隠避で逮捕されそうになる。

外信部テヘラン特派員の時にイラン・イラク戦争の戦場報道を行う。

1988年、サンデー毎日編集長となる。

1989年、毎日新聞社を退職し、同年10月、テレビ朝日系列でスタートした報道ドキュメンタリー番組ザ・スクープ』の司会に就任。レギュラー放送終了後も、単発となった同番組の司会を務めている。

1999年埼玉県JR桶川駅前で発生した「桶川ストーカー殺人事件」におけるマスメディアの報道姿勢(「単なる男女の痴話げんか」など)に疑問を抱き、『ザ・スクープ』で独自取材。その結果、警察の虚偽発表と怠慢が次々と明るみになり、2001年には、日本記者クラブ賞を受賞する。

2003年関西大学社会学部教授に就任。

2005年10月3日、レギュラーアンカー(月 - 水)として務めるテレビ朝日系列の『スーパーモーニング』に本人が電話出演し、直腸であることを告白した。3日後に手術を受け、その後復帰。

2006年5月、インターネット新聞『オーマイニュース』日本語版の初代編集長に就任。

2007年2月民主党東京都知事候補としての擁立を打診するも、自身が依然として癌療養中であるため、「(任期の)4年間に責任を持てない」として打診を断る。

2007年、不払い事件などで問題視されていた外資系保険会社アフラックCMに登場。これ以前からいくつかのCMに出演しており、公平性を重視されるジャーナリストが一企業のCMに出演することに対して、神保哲生浅野健一はじめ、多くの識者から批判が出ていた。

2007年9月17日、『スーパーモーニング』で、癌がに転移していたことを明かす。2007年1月に左肺を一部切除、同年8月には右肺も手術していた。2009年2月9日、同番組で癌が肝臓に転移していることを明かした。翌10日に切除手術を受け療養に入る。2009年2月26日に同番組で復帰した。

2009年3月27日NPO法人がん患者団体支援機構』の理事長に就任。2010年5月まで約1年2ヶ月務めた。

「都知事選出馬を後悔していませんか?」の問いかけに、鳥越俊太郎氏は大きく首を振った(2016年12月)[編集]

都知事選にさえ出なければ…」

ご本人はそう後悔しているかもしれない。他人を批判することがいかにたやすいことか。他人に批判された際、それに説明することがいかに至難か、それを思い知ったに違いない。いや、せめて痛感してほしい。師走の夜、テレビ局で待っていた。その相手は今、生出演中だ。鳥越俊太郎氏(76)。

「私は悪い女には引っかからない」と強弁する鳥越氏に司会の水道橋博士さん(54)が「引っかかったから週刊誌に書かれたんじゃないの」と混ぜっ返す。鳥越氏は「ですから、早く忘れてください」と応じた。刑事告訴までして、火に油を注いだというのに…。番組が終わり、5分ほど経った午後10時ごろ、番組のスタッフに見送られ、長身の男性が出てきた。街灯を受けて尾を引いた影は、鳥越氏その人だった。

産経新聞です。以前に取材の依頼を出しておりまして…」声をかけたが、鳥越氏は一瞥するや「ああ、それはいい」と顔をしかめ、手を振った。素早くタクシーに乗り込んだ鳥越氏に一番聞きたかったことを尋ねた。「都知事選に出馬したことを後悔していませんか」

鳥越氏は大きく首を振った。それが合図のようにタクシーは一気にエンジンを吹かして走り去った。後悔していない、という意味なのか、その逆なのか、判断はつかなかった。

「鳥越俊太郎」。マスコミを志す人間で知らぬ者はいない。毎日新聞ではテヘラン特派員、サンデー毎日の編集長などを歴任し、活動の場をテレビに移してからは、端正な容姿を生かして、テレビ朝日系列の「ザ・スクープ」のキャスターなどとして活躍した。

サンデー毎日の編集長時代の平成元年には、当時の宇野宗佑首相愛人の告白記事をスクープし、内閣退陣にまで追いやった。それが2016年7月、舛添要一都知事(68)の公私混同問題を発端とし、舛添氏が退陣し、東京都知事選がスタートすると、11日に出馬を決断し、12日に帝国ホテルで記者会見した。野党は統一候補を模索していたが、すでに出馬を表明し、準備を進めていた宇都宮健児氏(70)を「誹謗中傷」(宇都宮氏)の末におろすことに成功する。候補の一本化に成功したからには小池百合子氏(64)、増田寛也氏(65)と分裂した保守陣営に比べ、野党全てが推す鳥越氏の勝利は堅いと思われていた。ところが肝心の本人が問題だった。定見がなかった。第一声はこうだ。

「ちゃんとした公約はありません」「他候補の公約も読んでいない。関心がなかったから」

鳥越氏の選挙活動を手伝った都心部の区議は言う。

「大丈夫だろうか、という声は周囲でもありました。政策討論会も欠席する始末でしたし…。でも当初はそれでも勢いがありました。決定的だったのは女性問題ですね…」

週刊文春7月21日発売号で、鳥越氏による女子大生への「淫行疑惑」を報じた。この記事が決定的に潮目を変えた。鳥越氏は文春と、それを後追いした週刊新潮東京地検刑事告訴した。その後はこの件に関する質問は全て黙殺する、という挙に出た。宇都宮氏はこう回想している。

「このままでは3位になる、と松原仁衆院議員(60)と初鹿明博衆院議員(47)が私の事務所にやってきた。応援演説をしてほしい、と」

民進党を中心とした野党連合は、追い落としたはずの宇都宮氏にすがることになる。だが、宇都宮氏は「女性の人権に関わる問題だ」として、週刊誌に報じられた記事の内容に関して釈明する会見を開くよう求めた。鳥越氏陣営はこれも黙殺した。応援に立たなかった宇都宮氏は、自分と支援者に山のような誹謗中傷があったと述懐している。ここまでして遮二無二、選挙戦を戦ったにもかかわらず、結果は分裂した保守系の小池氏、増田氏の後塵を拝する3位。松原氏ら民進党幹部が憂慮した事態が現実になったのだ。

もっとも本人の女性問題がなかったとしても、都知事になれたかどうか。[[7月27日、渋谷の街頭演説は「東京から250キロ圏の原発はすべて停止、廃炉に」とやって、鳥越氏を担ぎ出した張本人である岡田克也代表(当時)を渋面にさせた。大島を視察した7月25日には「大島限定で消費税を8%から5%に」とぶち上げた。出馬も思いつきなら、「政策」も行き当たりばったり。それも都政とはほど遠い国政マターの話ばかり。

別の郊外の市議は述懐する。「日に日に鳥越批判が身内からも強くなってきた。それでも鳥越さんを応援しよう、と周囲を鼓舞してやってきた。まあ、半ば自分に言い聞かせていたんだけれども…。まあ、巣鴨事件のときからこりゃダメだと思っていたんだが」

「巣鴨事件」とは、鳥越氏が7月18日巣鴨で行った街頭演説だ。冒頭に「皆さん、森進一さん知ってるよね、あの森さんだよ」と鳥越氏が友人の歌手、森進一さん(69)を紹介し、森さんが「襟裳岬」を熱唱。本人は約40秒間、具体的な政策を一切言わずに立ち去った。「これが報道され、浮動票と呼ばれる人たちが一気に去った。運動員として残ったのはコアなプロ市民ばかり。私は半ばさじを投げていた」(さきの市議)。

本人はこうした周囲の声を知ってか知らずか、投開票3日前の7月28日には「私は都知事になるかもしれません。都知事になるでしょう」とやった。宇野内閣を退陣に追いやったとき、鳥越氏が編集長のサンデー毎日は宇野氏に説明責任を求め、倫理感の欠如を激しく攻撃した。その鳥越氏の姿勢が支持されたから、宇野氏は首相を追われたのではなかったか。ところが自身の愛人騒動では週刊誌を告訴したきり、未だに説明ひとつしない。今年の流行語大賞にはなかったが、まさに「ブーメラン」。鳥越氏が選考委員を務めた平成27年、「20155ユーキャン新語・流行語大賞」のトップ10に「アベ政治を許さない」が入ったのは記憶に新しいが、こちらより「ブーメラン」の方がよほど耳にしたのではないか。

ところで、鳥越氏は「私は聞く耳を持っている」ことを美点として、街頭演説で盛んにアピールしていた。果たして本当だったのか。都知事選に立候補し、約1万7千票を獲得した高橋尚吾氏(32)がこう回想する。

「銀座で街頭演説をしたときです。7月24日でした。他候補の応援演説をもっぱらやっていたんです。政権や党派の争いのために選挙をやっているんじゃない。そうした対立から脱却したい、そう思って鳥越さんの陣営にも応援したい、と向かったんです」

高橋さんは名刺を鳥越氏の周囲にいた陣営幹部に渡した。相手は民進党に所属する某区議会議員だった。だが、高橋さんを待っていたのはこんな声だった。

「何やってんだ、こんなところで」

食い下がる高橋さんに区議は追いうちをかけた。

「あんた、有権者じゃないだろう?ほかのところで支持者を集めて勝手にやればいい」

高橋さんは黙って鳥越氏の選挙カーの前を離れた。このやり取りが終わるのを見計らったように鳥越氏が登場した。鳥越氏の行くところ、選挙戦後半には、「原発再稼働を許さない」「安保法改正反対」といったバッジをつけているような人ばかりが目立っていた。銀座4丁目の演説の際、聴衆は同じ日に同じ場所で演説した小池氏の3分の2もいなかった。結果、鳥越氏の得票数は約135万票、小池氏の半分にも満たなかった。宇都宮氏が「野党側の惨憺たる敗北」と総括した通りの結果だった。鳥越氏は無党派の風を甘く見たのだ。

鳥越氏の無見識を氏の老齢に帰す見方がある。だが、そうだろうか。実は鳥越氏には若いころ、一度会ったことがある。NHKの記者がセッティングしてくれた会合を中華料理店で「鳥越さんを囲む会」という名目で催した。10人ほどの若手・中堅の記者が集まった。皆、鳥越氏に憧れ、謦咳に接することを心待ちにしている様子だった。どんな話をしたか、皆目覚えていない。鳥越氏は事件記者だったこともあるから、そのような思い出話を期待していたのかもしれない。だが、中身は確か、憲法9条を守ることの大切さ、といった話に終始していたような気がする。

生意気にも「あまりにも杓子定規で、世の中の変化に無頓着すぎるのではないか」といった意見を述べたのは覚えている。鳥越氏はニコニコと笑っていた。元気のいい若造だな、と広い心で受け止めてくれたのだな、とひとり合点していた。だが、果たしてそうだったか。今となっては、氏は何も見解を持っていなかったのではないか、という気もする。

人物[編集]

実家は鳥越製粉の創業者・鳥越彦三郎の親族一族にあたる。

歌手鳥越さやかは次女。

筑後訛り丸出しの話し方が特徴である。

森進一とはサンデー毎日時代の密着取材以来の付き合い。二度の結婚式の両方に呼ばれたが、二度目にしか出席していない。

2005年2月13日テレビ朝日で放送された『全国一斉常識テスト』の芸能人スペシャルで、都道府県の数を“55”と間違えた。その際、「49はあると思ってもう少し足したら55という数字になった」と弁明した。

2007年、男性向けエステティックサロンダンディハウスが主催する「第二回『ダンディ大賞2007』」の文化人部門で1位を獲得し、翌2008年の第三回でも、同部門で1位になった。

2008年11月5日、『スーパーモーニング』内での大阪梅田で発生したひき逃げ事件の報道で、無免許・飲酒運転が発覚するのを恐れて被害者を車に引っ掛けたまま現場から3キロ引きずって死亡させた後、素性を隠してホストに転職するなどして逃亡を続け逮捕された容疑者に対し、「根っからの悪人ではないと思う」と発言した。これは「飲酒や無免許運転で警察に捕まると大変なことになると思い、逃げる心理に人間がなることはあるかもしれない」という趣旨の発言であったが、番組内で他の出演者らから総反発を受けた。

2009年4月23日SMAPのメンバー・草彅剛が公然わいせつ罪の容疑で逮捕されたことに関し、近隣住民から通報があり、警察官の注意に従わなかったための現行犯逮捕だったが、「午前3時の公園でだれもいないところでしょう。公衆の面前じゃないんだから公然わいせつにはならないと思う。逮捕までしなくてもいいのでは?」という見解を示した。その後、草彅は不起訴処分となり、1ヶ月の活動自粛期間を経て芸能界に復帰した。この自粛期間について鳥越は「妥当だ。人騒がせを反省するのに必要な期間かなと。逮捕、家宅捜索はやりすぎで、犯罪を構成してないと思うので、騒がせたということでね」とコメントした。

2010年8月9日放映のBS朝日鳥越俊太郎 医療の現場!において、ガン手術後に筋トレに励み、結果強靭な肉体を得た上での挑戦したい夢として、「子供を作りたい。孫が生まれたばかりだけど、子供を作りたいね」と発言。

政治的思想[編集]

前述の通り、民主党から東京都知事候補としての打診をされた。

【毎日新聞】 鳥越俊太郎「今回の衆院選を見ていてどこかいぶかしい思いが残ったのは私だけではないでしょう。ご用心あれ!」[編集]

「民意得ぬ」自民圧勝

今回の衆院選を見ていてどこかいぶかしい思いが残ったのは私だけではないでしょう。民主党が3年3カ月の政権運営で失政を続けたとか評判が悪かったのは確かです。だけどそれに比べ自民党の前評判が特にいいというわけでもありませんでした。「小泉郵政選挙」の時ほど「風」が吹いたわけでもありませんでした。

でも結果は自民党の圧勝に終わりました。これって何だろうな?と疑問を抱いているとき、インターネット上で「ヨミウリ・オンライン」に宮野勝・中央大文学部教授が書かれた「2012年衆院選結果の一つの見方」という文章を見つけました。これは私の抱いた疑問を数字で読み解いたものだったので、ここで大意をご紹介しておきます。

宮野教授によれば、今回の選挙で自民党の議席獲得数は全体で定数480中294(全体の61.3%)。そのうち、小選挙区での議席数は237(全体の79.0%)。

ここまでの分析で分かりますよね。自民党は小選挙区では全体の8割近くを押さえて圧勝の最大要因となったことが……。

これに対し比例代表での議席獲得の割合は31.7%、得票率に至っては27.6%。これは自民党が「大敗」したと言われている2009年の選挙時の比例代表での議席率30.6%、得票率26.7%とほとんど変わらない数字です。比例代表は支持する政党名を書くわけですから、政党支持率がズバリ出るわけです。今回の比例代表の得票率27.6%は、選挙結果の自民圧勝の印象とやはりどこかそぐわない印象を否めませんね。宮野教授も今回の分析の中でこう指摘しています。

「得票率と議席率ともに3分の1にも届いておらず比例では民意を得ていない」

「民意を得ていない」政党が小選挙区制という、ある意味ではマジックを使って圧勝し、自民・公明という従来の連携からいえば衆院の議席の3分の2(320)を超える325議席を確保したことは大きい。

更に言えば憲法改正や集団的自衛権の解釈変更、自衛隊を国防軍に変更という、自民党の長年の政権でなし得なかった「タカ派3原則」が大手を振ってまかり通るイヤな予感がします。公明党が尻込みすれば維新の出番。いずれにしろ次の参院選で大局は決まる。ご用心あれ!

毎日新聞 2013年01月05日 東京朝刊

『スーパーモーニング』における発言[編集]

  • 2008年7月、頻発する無差別殺傷事件について、「日本の社会格差が広がり、ワーキングプアが増えている。小泉構造改革の名の下に進められた変化が、こういう犯罪を産み出していると思えてならない」という見解を示した。
  • 2009年7月1日、民主党・鳩山由紀夫代表(当時)のいわゆる「故人献金」問題の報道において、「秘書の浅知恵でしょう」との見方を示した。
  • 2010年1月18日、民主党の支持率低下はマスコミのせいであるとし、小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体を巡って元秘書3人が逮捕された陸山会事件の報道において、小沢批判をするマスコミは小沢に疑惑をかけている検察から情報をリークされており、「私たち世論は操作されている」と主張。また、1月21日の同番組内で、小沢が疑惑を持たれていた土地購入資金の4億円を、「小沢側が3億円は父親の遺産、1億円は妻から借りたもので4億円は自分で持っていたもの」と主張していた件について、鳥越は庶民には4億は高額だが、銀行がつぶれたら1000万円しか返ってこないため、お金持ちはタンス預金をするものであると主張した。
  • 2010年4月28日、小沢一郎について、東京第5検察審査会が「起訴相当」の議決を行った事に対して、「今回の議決を読むと、『市民目線』とか『市民感覚』とか書いてあるけど違和感がある」とコメント。
  • 2010年11月16日、尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件について、「43歳の海上保安官は愉快犯」との見解を示した。

出演[編集]

テレビ[編集]

現在出演中
過去の出演

ラジオ[編集]

CM[編集]

著書[編集]

  • 『僕らの音楽 対談集1〜4』 ソニー・マガジンズ
  • 『桶川女子大生ストーカー事件』烏越俊太郎&取材班 メディアファクトリー 2000年10月 ISBN 4840101590
  • 『ニュースの職人』PHP新書 2001年10月 ISBN 9784569618470
  • 『報道は欠陥商品と疑え (That's Japan)』 ウェイツ 2002年10月 ISBN 4901391224
  • 『あめりか記者修業 増補改訂版』 中公文庫 2003年4月 ISBN 4122041936 
  • 『歳には、勝てる』 マガジンハウス 2005年12月 ISBN 4838716397
  • 人間力の磨き方』 講談社新書 2006年6月 ISBN 4062723840
  • 『鳥越俊太郎のエンディングノート 葬送曲はショパンでよろしく』 泰文堂 2011年3月 ISBN 4803002479
  • 『がん患者』 講談社 2011年6月 ISBN 4062169487

脚注[編集]

外部リンク[編集]

メールマガジン

テンプレート:ザ・スクープキャスター