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2014年9月2日 (火) 18:45時点における版
我孫子駅(あびこえき)は、千葉県我孫子市本町二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。
目次
歴史
現在の場所に当駅ができたのは、飯泉喜雄が私財を投じて誘致したからである。 我孫子に生まれた飯泉喜雄は日本鉄道株式会社の鉄道計画を知り、「鉄道なくして町の繁栄はない」との思いから所有していた土地を町外れの原野だった現在の駅周辺の土地と交換して、停車場の用地を確保した。停車場予定地として準備した土地を無償提供して、停車場の誘致を行い我孫子駅の設置が決定した[1]。日本鉄道土浦線の開通と同時に開業した駅の1つである。
- 1896年(明治29年)12月25日 - 日本鉄道の駅として開業。旅客・貨物取り扱い開始。[2]
- 1901年(明治34年)4月1日 - 成田鉄道(初代)が乗り入れ。
- 1902年(明治35年) - 日本鉄道の三村技師が考案した三村式腕木信号機を当駅において35機導入しテストを行った。[3]
- 1906年(明治39年)11月1日 - 日本鉄道が買収され、国有鉄道の駅となる。
- 1912年(明治45年)5月10日 - 柏 - 我孫子間の複線化が完成。
- 1920年(大正9年)9月1日 - 成田鉄道が国有化。
- 1924年(大正13年) - 11月14日 - 我孫子 - 取手間の複線化が完成。
- 1925年(大正14年) - 4月6日 - 鉄道庚申塔の建立[4]
- 1928年(昭和3年)4月18日 - 合名会社弥生軒が創業。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 松戸 - 取手間が直流電化。電化を記念して駅前に歓迎アーチが作られた[5]。
- 1960年(昭和35年) - 弥生軒の駅弁に山下清が描いた包装紙を使用開始。
- 1962年(昭和37年)
- 6月 - 東鉄道管理局管内278駅の総合点検において、優良駅として表彰された。
- 8月 - 上りホームの一部に蛍光灯が初めて設置された。[6]
- 1964年(昭和39年)10月1日 - 準急ときわが停車。最初に停車した準急ときわ1号の運転士に花束贈呈を行った。[7]
- 1969年(昭和44年)3月27日 - 我孫子町城山地先で、常磐線複々線工事とこれに伴う電留線新設工事の起工式が行われた。[8]
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)
- 1973年(昭和48年)9月28日 - 我孫子駅 - 成田駅間を電化、駅前にて祝賀パレードを開催。[24]
- 1974年(昭和49年)10月1日 - 貨物扱い廃止。
- 1978年(昭和53年)3月31日 - 千代田線全通(小田急線本厚木 - 我孫子間の直通運転を開始)。
- 1982年(昭和57年)11月15日 - 我孫子 - 取手間の複々線開通、8番線ホームが使用開始され4面7線になる。[25]
- 1985年(昭和60年)3月 - みどりの窓口開設(営業時間10:00 - 19:00)。[26]
- 1987年(昭和62年)
- 1993年(平成5年) - 自動改札を設置。
- 1998年(平成10年)11月15日 - 構内にエスカレータを設置。
- 1999年(平成11年)10月 - 発車メロディーをテイチク製に変更。
- 2000年(平成12年)3月9日 - 南口エレベーター、エスカレーター利用開始。[28]
- 2001年(平成13年)
- 2003年(平成15年)5月14日 - 我孫子駅開設に尽力した飯泉義雄氏顕彰碑を南口駅前に設置。[30]
- 2004年(平成16年)2月29日 - 北口エスカレータ、エレベーター使用開始。[31]
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)3月1日 - 南口にビューアルッテ(VIEW ALTTE)設置。
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)4月1日 - ホーム上の喫煙所を撤去、全面禁煙。[33]
- 2012年(平成24年)
- 3月17日 - 我孫子運輸区(略号アコ)設置(松戸から我孫子への運輸区移管)。
- 3月 - 運行情報ディスプレイを設置。
- 2013年(平成25年)3月5日 - 車椅子用トイレを設置。
乗り入れ路線
常磐線と成田線(我孫子支線)の2路線が乗り入れており、このうち常磐線を所属線としている。常磐線に関しては快速線を走る中距離電車および常磐線快速電車と、緩行線を走る常磐線各駅停車が停車する。常磐線快速電車の一部は成田線我孫子支線との直通運転を行っている。
駅構造
島式ホーム3面6線、単式ホーム1面1線の計4面7線を持つ地上駅である。橋上駅舎を有している。
エスカレーター・エレベーター・自動改札機・自動券売機・自動精算機・みどりの窓口(営業時間7:00 - 19:00)が設置されている直営駅である。エスカレーターは北口・南口・ホームとコンコースを連絡するものが整備されているが、エレベーターは北口・南口と改札外コンコースを連絡するもののみ設置されている。改札口の正面に高床式のトイレがあり、8番線に向かう通路に車椅子対応トイレがある。
設備
- ホームには売店4店舗と立ち食いそば・うどん店3店舗があり、改札内はすべて合名会社 弥生軒(千葉県我孫子市本町2-4-3)が運営している。改札外のコンコースにはKIOSK(JR東日本リテールネット)があり、南口の階段の傍にNEWDAYS(同)がある(詳細は売店、立ち食いそば・うどん店を参照してほしい)。
- 1・2番線ホームと4・5番線ホーム(いずれも上野寄り)には、待合室が設置されている。
- 改札階と各ホームを連絡する階段は、綾瀬・上野寄りはエスカレーターとなっている。
- 1・2番線、4・5番線のホーム長は320m、6・7番線、8番線のホーム長は220mである。[34]
- 自由通路の幅員は4mである。[35]
- 1971年(昭和46年)の駅改良工事の際、ホームの床材に孔あきPC(プレストレストコンクリート)版が採用され、ホームの端にある硬質ゴム入りプレキャスト平板(黄色い線があるコンクリート板)にクリンタイルホーム先端用J型が使用された。[36]
特徴
- 全ホームに発車標が設置される前は1番線と成田線の反転フラップ式案内表示機を設置していた。
- ATOS導入の際に改札口正面にも下り快速線の下部に各駅停車取手方面用の発車標が設置されたが、それ以前は下り快速線の表示器に各駅停車の発車案内も表示させており、「普通」と「各駅停車」が並んで表示されることもあり、英語表示時はいずれも「LOCAL」であった。
- 1・2番線ホームの発車標は、種別を表示せず単に「常磐線」「成田線」とのみ表示する(放送では路線名はなく、種別のみ)。また、コンコース階の快速線下りの発車標も同様に「常磐線」とのみ表示している(その下には、快速が当駅から各駅に停車する旨の注意が貼られている)。
- 以前は2・4番線ホームの発車標でのみ、「常磐線」「成田線」の路線名を種別とともに表示していた(4番線は現在も継続)。ただ、このホームの成田行以外は常磐線列車であり、成田線はすべて「普通」「成田行」、常磐線はすべて「快速」である。なお、この表示にはグリーン車のマークの表示がない。
のりば
番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1・2 | ■■常磐線(快速) | 下り | 天王台・取手・土浦・水戸方面 | 2番線は始発・待避 |
2・4 | ■成田線 | 下り | 湖北・木下・成田方面 | 4番線は一部 |
2・4・5 | ■■常磐線(快速) | 上り | 柏・松戸・北千住・上野方面 | 2番線は始発、4番線は始発・待避・成田線からの直通 |
6・7 | ■常磐線(各駅停車) | 下り | 天王台・取手方面 | 朝夕のみ。7番線は平日朝1本のみ(当駅始発) |
6・7・8 | ■常磐線(各駅停車) | 上り | 柏・新松戸・北千住・代々木上原方面 | 8番線は朝夕のみ。 |
- 1・2番線、4・5番線ホーム(上野寄り)にそれぞれ2台ずつSuica専用のグリーン券自動券売機が設置されている。
1 - 5番線(常磐快速線・成田線)
- 1・5番線は10両編成の場合でも15両編成と同じ位置(上野寄り)に停車する。成田線直通列車で増解結を行うものも同様である。取手方の階段は10号車の終端部に当たる。
- ホームには終日立ち番がおり、頻繁に駅員によるアナウンスが流れる。また車掌が列車のドアを閉める際には、常磐線(中距離電車)と成田線に対しては、出発指示合図・常磐線快速電車には客扱終了合図を出す。
- 2・4番線は始発・待避、または成田線直通。ただし、土曜・休日の常磐線上り始発電車のうち、15時52分発は2番線、17時04分発は5番線始発である。常磐線下りの始発列車は、早朝の高萩行きのみ。
- 成田線の列車は、一部を除きほとんどが2番線から発車する。
運転番線 | 営業番線 | ホーム | 上野方面着発 | 成田方面着発 | 取手方面着発 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | 15両分 | 到着可 | 不可 | 出発可 | 快速線下り主本線 |
2 | 2 | 15両分 | 到着・出発可 | 到着・出発可 | 到着・出発可 | |
3 | ホームなし | 到着・出発可 | 到着・出発可 | 到着・出発可 | ||
4 | 4 | 15両分 | 出発可 | 到着・出発可 | 到着・出発可 | |
5 | 5 | 15両分 | 出発可 | 不可 | 到着可 | 快速線上り主本線 |
- 主本線を発着する場合は通過が可能。ただし成田方面は不可。
- 運転3番線は主に当駅 - 取手駅間の出・入庫に伴う回送などに使われるほか、成田方面の臨時列車の発着にも使用される。
- 参考資料:エリエイ出版『レイル』 No.13 「東京周辺あの貨物線はいま」常磐線関係配線略図(34項)
- JR東日本公式ホームページ 駅構内図(我孫子駅)(のりば)
6 - 8番線(常磐緩行線)
- 7番線発の取手行は平日1本のみ(当駅始発)、その他は平日に2本ある当駅始発取手行を含めて6番線発着である。
- 8番線は朝夕時間帯のみの使用。取手始発電車の他、朝に出庫する始発電車の一部が発着する。これ以外の時間は閉鎖される。
運転番線 | 営業番線 | ホーム | 綾瀬方面着発 | 取手方面着発 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
6 | 6 | 10両分 | 到着・出発可 | 出発可 | 緩行線下り主本線 |
7 | 7 | 10両分 | 到着・出発可 | 到着・出発可 | |
8 | 8 | 10両分 | 出発可 | 到着可 | 緩行線上り主本線 |
利用状況
2013年度の乗車人員は1日平均30,289人であった。
JR東日本および千葉県統計年鑑によると、1日の平均乗車人員の推移は以下の通りである。
年度 | 一日平均 乗車人員 |
---|---|
1990年 | 29,622 |
1991年 | 30,629 |
1992年 | 30,972 |
1993年 | 31,496 |
1994年 | 32,260 |
1995年 | 32,420 |
1996年 | 32,599 |
1997年 | 32,079 |
1998年 | 31,503 |
1999年 | 30,731 |
2000年 | 30,479 |
2001年 | 30,767 |
2002年 | 30,514 |
2003年 | 30,125 |
2004年 | 30,088 |
2005年 | 29,688 |
2006年 | 29,828 |
2007年 | 30,881 |
2008年 | 31,387 |
2009年 | 30,995 |
2010年 | 30,425 |
2011年 | 29,989 |
2012年 | 29,925 |
2013年 | 30,289 |
駅周辺
駅南東方はかつての水戸街道我孫子宿であるが、全体的に交通の利便性から新興住宅が増えた地域であり、当駅も常磐線沿線の住宅地最寄駅の性格が強く、商業地としての賑わいはあまり感じられない。
南口
主要施設がある方面の出口である。ただし、我孫子市役所までは離れている。山階鳥類研究所[37]や我孫子市鳥の博物館は、さらにその先である。
南口から国道356号(旧水戸街道)に通じる 県道195号はかつて停車場通りと言い、大正期から昭和初期には旅館が10軒ほどあったほか、東葛銀行、魚屋、穀屋、蕎麦屋、小間物屋などの商店が古くから建ち並び[38]、町の中心部として栄えていた。 1973年(昭和48年)より駅前土地区画整理事業が始まり、当初は橋上駅舎と直結する高層商業ビル構想が計画された[39]が、地権者の一部に同意を得られず、1984年(昭和59年)3月18日に計画を断念した[40]。その後も区画整理を進め、1999年(平成11年)3月25日に現在の南口駅前広場が完成した[41]。北口が整備されるまでバスやタクシーの乗降口は南口にしかなく、駅の北側に向かうバス路線も南口から発着していた[42]。
- 駅前広場
- 国道356号
- 千葉県道195号我孫子停車場線
- 東日本旅客鉄道東京支社我孫子保線技術センター
- 東日本旅客鉄道東京電車線技術センター
- 我孫子市役所 - バス「市役所」下車
- けやきプラザ(千葉県と我孫子市の複合施設)
- 千葉県福祉ふれあいプラザ
- 我孫子市役所行政サービスセンター
- 我孫子南近隣センター
- 我孫子インフォメーションセンター(愛称:アビシルベ)
- 手賀沼
- 我孫子市立我孫子第四小学校
- 我孫子市立白山中学校
- 千葉県立我孫子高等学校 - バス「我孫子高校」下車
- 千葉銀行 我孫子支店
- 我孫子緑郵便局
- ABBY CUORE(アビイクオーレ)
- イトーヨーカドー 我孫子南口店(旧・我孫子店)
- マツモトキヨシ 手賀沼公園店
- ユニクロ 手賀沼公園店
- ケーズデンキ 我孫子パワフル館
北口
北口は常磐線の複々線化に伴う駅舎建て替え時に開設され、踏み切り閉鎖に対応するため1970年(昭和45年)12月13日から駅構内の自由通路として新駅舎より先行して使用を開始した[43]。それ以前は駅付近にあった久寺家踏切、南飯塚踏切、第四浜街道踏切を利用して迂回していた。北口開設後も太陽神戸銀行のほかは店舗は数軒あるだけで寂しく狭い道路に面した駅前だった。 区画整理による駅前が整備されるまでは自転車の利用者が多く、路上放置自転車700台によって車の走行が困難な状態だった[44]。 1973年(昭和48年)から始まった再開発計画が進展し、駅前広場の完成や駅前の雑居ビルが建設されたのは1997年(平成9年)以降で、国道6号へ接続する道路も整備された。駅からわずかに離れたところから北方向に新興住宅地が広がる。かつては駅から少し離れたところに日立精機の本社があったが、2004年に破産し、跡地には大型マンションが建設された。
- バス・タクシー乗り場
- 東日本旅客鉄道我孫子変電所
- 東武ストア 我孫子店
- ファミリーマート 我孫子駅北口店
- 京葉銀行 我孫子支店
- 常陽銀行 我孫子支店
- 我孫子駅前郵便局
- 有料駐輪場 - 係員の駐在時間は朝と夕方に限られる。
- あびこショッピングプラザ
- イトーヨーカドー我孫子店(旧・エスパ我孫子店)
- 国道6号
- 我孫子二階堂高等学校
- 中央学院大学
- 電力中央研究所
- セントラルウェルネスクラブ 我孫子
バス路線
我孫子市内各地や柏市布施、沼南地区方面への路線バスなどが発着する。以前は、関東鉄道バスや東武バスが我孫子駅に乗り入れていたが、現在は阪東自動車と市民バス「あびバス」が発着している。あびバスは我孫子市からの委託を受けて阪東自動車が運行しているコミュニティバスである。
南口発着の系統は複数あるものの運転日や時間帯・本数が限られているものが多く、基本的には手賀沼公園を経由し千葉県道8号船橋我孫子線を北上して国道356号に入り東我孫子方面に向かう系統と、国道356号(第一小学校)を経由し千葉県道8号船橋我孫子線を南下して沼南地区に向かう系統の2つに大別される。両系統は市役所付近の千葉県道8号船橋我孫子線で交差するように行き違うため、どちらを利用しても市役所に行くことが出来る。
乗り場 | 系統 | 主要経由地 | 行先 | 運行会社 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|
我孫子駅(南口) | 7 | 第一小学校 | 東我孫子車庫 | 阪東自動車 | 土休日朝のみ | |
19 | 第一小学校・東我孫子車庫・天王台駅・湖北台八丁目 | 湖北駅南口 | 阪東自動車 | 土曜1本のみ | ||
8 | 市役所 | 東我孫子車庫 | 阪東自動車 | |||
1 | 市役所・東我孫子車庫・天王台駅 | 布佐駅南口 | 阪東自動車 | 土曜2本のみ | ||
20 | 市役所・東我孫子車庫・天王台駅・湖北台八丁目 | 湖北駅南口 | 阪東自動車 | 平日土曜のみ | ||
21 | 市役所・東我孫子車庫・天王台駅・湖北台中学校 | 湖北駅南口 | 阪東自動車 | |||
9 | 鳥の博物館前 | 天王台駅 | 阪東自動車 | 土休日運転 | ||
42 | 第一小学校・市役所 | 手賀の杜ニュータウン | 阪東自動車 | |||
船戸・台田ルート(右回り) | 白山3丁目・北柏駅北口・台田3丁目 | 我孫子駅北口 | あびバス | |||
我孫子駅入口 | 25 | 市役所 | 東我孫子車庫 | 阪東自動車 | ||
25 | 根戸・北柏駅 | 慈恵医大柏病院 | 阪東自動車 | |||
我孫子駅北口 | 11 | 我孫子ビレジ | あけぼの山公園入口 | 阪東自動車 | ||
12 | つくし野入口 | あけぼの山公園入口 | 阪東自動車 | |||
栄・泉・並木ルート(右回り) | 並木8丁目・天王台駅北口・栄町 | 我孫子駅北口 | あびバス | |||
栄・泉・並木ルート(左回り) | 栄町・天王台駅北口・並木8丁目 | 我孫子駅北口 | あびバス | |||
船戸・台田ルート(左回り) | 台田3丁目・北柏駅北口・白山3丁目 | 我孫子駅南口 | あびバス | |||
布施ルート | つくし野入口・久寺家マンション前 | 布施回転広場前 | あびバス | |||
根戸ルート(試験運行中) | グリーンタウン・根戸近隣センター・根戸・北柏駅入口 | 我孫子駅北口 | あびバス | マイクロバス |
- 乗り場 = 我孫子駅入口: 国道356号沿い(当駅停留所に入らず国道356号をそのまま直進する)
- 北口からは、中央学院大学・我孫子二階堂高等学校・つくば国際大学東風小学校へのスクールバスや、モラージュ柏への無料シャトルバスも発着する。
- 東武バスイースト西柏営業事務所が運行する有楽町駅・上野駅からの深夜急行バス「ミッドナイトアロー柏・我孫子」は北口に到着する。
- あびバスの根戸ルートは今井タクシーに委託したマイクロバスを使用しているためICカードは使用できない。また、料金が異なり大人150円、小人100円である。
撤退事業者・廃止路線
- 1959年(昭和34年)11月から1970年(昭和45年)4月13日まで東武バスが、我孫子駅、呼塚・根戸経由、柏駅西口行きを運行していた。[45]
- 1968年(昭和43年)6月20日から1971年(昭和46年)5月20日まで東武バスが、我孫子駅(南口)から手賀・柳戸行きの一般路線バスを2年11箇月間、運行していた。[46][47][48]
- 2006年(平成18年)9月1日から2008年(平成20年)10月24日までニュー東豊が、我孫子駅→栄町竜角寺台四丁目行(一部印西市木下東一丁目止り)の深夜バスを運行していた時期もあった。
- 我孫子 - 取手線は戦前からヤマト自動車、常総筑波鉄道、鹿島参宮鉄道、関東鉄道と引き継がれてきたが、2004年(平成16年)3月31日に運行を終了した。
その他
売店、立ち食いそば・うどん店
売店は大正期、野口駅売店が営業していた[49]が、昭和になってからは弥生軒が営業するようになった。
戦後しばらくの間、弥生軒は駅弁の製造販売を中心にしていたが、複線化と電化により都内への利用者が増えて立ち食い店の売上が伸びるようになり、昭和50年頃には駅弁よりも立ち食い店が主流となった。 平成初め頃、立ち食い店の新商品としてげんこつ大の「唐揚げ」を始めたことから、から揚げそば[50]に人気が出て看板商品となった[51]。これを目当てにわざわざ当駅を訪れる者もいる程である[52]。また、2000年代に入ってからは各種メディアで取り上げられることも多くなり、店内にその記事が掲出される場合もある。大盛(+60円)は「そば」のみ適用される。
弥生軒は昭和16年から昭和21年までの一部の期間、画家の山下清(当時は身元もはっきりしない無名の青年)が住み込みで働いていたこともあり、そのことを示す緑色の吊り看板が1・2番線ホームの6号店にある。 弥生軒の店舗では、Suica電子マネーでの決済はできない。営業時間は基本的に7時 - 23時30分であるが、店舗や曜日により異なる。2013年7月上旬より、売店のみsuica/PASMOによる電子マネーでの支払いが可能となった。そば屋では依然として支払い不可能。
駅弁
明治・大正期から岩田屋弁当店と駅前料理店だった鴻巣が駅弁を販売していたが、昭和初期に鴻巣が廃業し太平洋戦争の開戦前ごろに岩田屋が廃業した。鴻巣を引き継ぐ形で、1928年4月から弥生軒が弁当販売として営業を開始した。 駅弁の掛け紙として山下清に制作を依頼し、我孫子駅の風景、トンネルがある風景、県立手賀沼公園の3点が作成され、1960年から順次使用された。掛け紙には「僕が働いて居た所です。あじはいかがですか 山下清」と書いてあった[53]。 映画・ドラマで山下清が駅弁の立ち売りをする場面があるがこれはフィクションであり、1951年に出発した山形・新潟への旅の途中で本人は駅弁を売ることができないので洗い物やお使いや弁当を詰めたりする仕事をしていたと述べている [54]。 複線電化に伴い停車時間が短くなったなどの要因で駅弁の販売量が減少したため、立ち食い店に主軸を切り替え1983年ごろに販売を終了した [55]。 駅弁の掛け紙は山下の描き下ろしであり、「幻の掛け紙」とされる。
2009年(平成21年)1月、東京都新宿区の京王百貨店において行われた元祖・全国有名駅弁大会において、おべんとう(幕の内弁当)が復刻販売され、山下掛け紙が期間限定復活した[52](2009年時点で弥生軒は弁当製造をしていないため監修のみに携わり、実際の弁当製造はNREが行った)。
輸送上の特徴
かつては急行「もりおか」「ときわ」「奥久慈」が停車した駅であった。その後は特急「ひたち」「フレッシュひたち」も停車していたが、地元からの利用客が少ない状況から2005年(平成17年)7月9日のダイヤ改正で千葉県内は柏駅停車に統一され、特急の停車駅ではなくなった。その後も特急と同じ車両を使用した武蔵野線方面への臨時急行列車は当駅に停車していたが、現在は停車駅ではなくなった。
データイムに上下各6本運行している特別快速も当駅には停車しない。しかし、上り特別快速は北千住で、下り特別快速は松戸で先行する快速を追い抜くため、松戸で乗り換えることにより日暮里・上野と当駅間の所要時間を短縮できる場合がある。なお、我孫子市では特別快速の当駅停車を求めている。ただ、仮に特別快速を当駅に停車させるとなると、松戸 - 当駅間は快速線の3駅に連続で停車することとなる。
各駅停車の大部分の列車は当駅が始発・終着で、当駅より取手駅まで乗り入れるのは緩行線の複線線路があるにもかかわらず朝夕の一部列車のみである。
松戸車両センター我孫子派出所
当駅 - 天王台間には車両基地の松戸車両センター我孫子派出所があり、当駅側より入線可能な構造になっている。常磐線快速・各駅停車、成田線我孫子支線で運用される車両の一部がここに入庫する。
松戸車両センター我孫子派出所の最寄り駅であることから出・入庫を兼ねた当駅始発・終着列車がある。水戸方面からの列車では土浦 - 取手間最終の普通列車は終着後当所へ入庫、翌朝出庫して当駅始発の高萩行となる。他に快速・各駅停車の取手までの回送があり、後者は客扱いを行う。また、成田線直通も含む快速は一部当駅で増・解結を行う場合がある(10両→15両への増結と15両→10両の切り離し)。なお、増・解結となるのは11 - 15号車(取手・成田寄りの5両)である。ただ、2008年現在のダイヤでは快速は15両編成での運転が多数、成田線は10両または5両編成となっており、増・解結の機会は減少した。
我孫子変電所
東日本旅客鉄道 我孫子変電所は当駅北口の線路脇にあり、常磐線と成田線に電気を給電している。 き電線は全部で11本あり、 快速下り(柏方)、快速上り(柏方)、快速上り(取手方)、快速下り(取手方)、緩行下り(柏方)、緩行上り(柏方)、緩行上り(取手方)、緩行下り(取手方)、快速車庫線、緩行車庫線、成田線に分かれている。
駅名について
同名駅
大阪府大阪市住吉区には、同名の大阪市交通局(大阪市営地下鉄)御堂筋線の我孫子駅がある。ただし、案内上は「あびこ駅」と表記される。また、近隣には我孫子町駅など「我孫子」を含む名前の駅があり、いずれも当地の我孫子観音に由来する。
読み
当駅の駅名は、知らないと読めない難読駅と定義することもでき、『国鉄監修 交通公社の時刻表』では1965年10月号の紙面改善として国鉄全駅名の平仮名が併記されるまで、欄外に難読駅として平仮名が書かれていた。JRの入社試験に出たほどであるが、直通運転により東京メトロ千代田線の都心部の駅を含めて行先として当駅名が連呼される様になり、さらには小田急線への直通運転を行なっていることもあり、茨城県から東京周辺・神奈川県まで広域にわたりその読みは知られていて、あまり「難読駅」と認識されておらず、ローマ字併記を除きわざわざ読み仮名を付けるケースは少ない。
今後の予定
駅構内のバリアフリー化事業として、2010年度末までに構内エレベーター、多機能トイレが整備される計画であった。我孫子市は2007年7月17日、バリアフリー化に合わせて駅舎の改修および駅舎内の自由通路整備についての協力をJR東日本に要請した。 2007年8月、市では自由通路整備計画を公表し、市民の意見を募集した。 計画案では改札の正面(トイレ部分)に改札と同じ幅のコンコースを柏寄りに増築し、各ホームに伸びる通路に階段およびエレベーターを設置する。また駅事務所および券売機を改札脇の有人窓口に隣接する形に移設し、自由通路を拡張する内容であった。 2009年7月、市は自由通路幅などの見直しを行った修正案を示し、2回目のパブリックコメントを行った。 2010年3月になってJR東日本の減収による慎重な対応と市の財政面を理由に延期することが発表された[56]。2012年9月現在協議中で、設置時期は未定である。
隣の駅
出典・脚注
- ↑ 逆井萬吉「我孫子駅開業と飯泉喜雄」、『我孫子市史研究第10号』1986年
- ↑ 『国民新聞』1896年12月27日号。開通当日は我孫子などの各駅において、力比べや祭り囃子を催し祭禮のようであった。
- ↑ 腕木信号機のテストは成功し、その後各地で使用されるようになった。
- ↑ 我孫子市教育委員会『我孫子市史資料 金石文篇』。開業以来28年間に20名余の事故死者が発生していたため、南口の敷地内に供養と事故防止を祈願して建てられた。
- ↑ 沢柳健一「常磐線」、『東京の国電』、ジェー・アール・アール、昭和56年1月20日発行
- ↑ 広報あびこ、昭和37年8月16日号。ホームの照明を蛍光灯化する申請をしたが、予算の関係で一部のみが設置された。
- ↑ 広報あびこ、昭和39年10月16日号
- ↑ 広報あびこ、昭和44年4月16日号
- ↑ 『鉄道ピクトリアル』第20巻第6号通巻238号、鉄道図書刊行会、昭和45年6月1日発行
- ↑ 広報あびこ、昭和45年5月1日号、「北柏貨物駅開業、我孫子駅は手小荷物だけ」
- ↑ 貨物取扱い廃止時、15,000t/年、15車/日のほか、成田線中継として117車/日の取扱いがあった。
- ↑ 広報あびこ、昭和45年9月1日号。上り本線が2番線から4番線に変更された。
- ↑ 開発行政懇話会編「常磐線複々線増工事について」、『開発往来』開発行政懇話会、1970年8月号。9月の大切替の後、1971年2月と3月10日に大切替が行われ、3月末までに工事を完了した。
- ↑ 美濃島仁「常磐線複々線化完成と線路保守」、『施設教育』鉄道日本社、1971年7月号。我孫子保線区において、昭和45年度の切替回数は100回を数えた。
- ↑ 広報あびこ、昭和45年12月1日号、12月16日号。踏切の代用として自由通路のみの使用開始であり、駅構内には仮駅舎を使用していた。
- ↑ 広報あびこ、昭和46年4月16日号
- ↑ 朝日新聞(東京)夕刊、1971年(昭和46年)3月31日、「常磐線複々線工事完成」。当駅構内でレールの締結式が行われ、国鉄総裁ら国鉄幹部8人がボルトを締めつけた後、試運転列車が走行した。
- ↑ 広報あびこ、昭和46年4月16日号、工事関係者200名が出席し、ボルト締めには国鉄総裁が行った。
- ↑ 市史/我孫子市ホームページ(PDF)。
- ↑ 広報あびこ、昭和46年4月1日号。終電後シャッターを下ろすようになったため、深夜に自由通路の通行ができなくなった。
- ↑ 朝日新聞(東京)夕刊、1971年(昭和46年)4月19日、「常磐線我孫子-綾瀬間が完成」。当駅で国鉄副総裁がホームのテープにハサミを入れて出発式を行い、招待客500人を乗せた電車が綾瀬に向けて発車した。
- ↑ 広報あびこ、昭和46年5月1日号
- ↑ 広報あびこ、昭和46年8月1日号
- ↑ 広報あびこ、成田線電化特集号、昭和48年10月1日
- ↑ 取手までの複々線化工事第2期着工まで8番線へのコンコースはなく、8番線自体も存在していなかった。広報あびこ1972年(昭和47年)5月16日号には「花の我孫子駅イメージアップ」と題した記事において、8番線となるホーム沿いに花を植えた写真つきのコラムが掲載された。
- ↑ 広報あびこ、昭和60年3月16日号
- ↑ 日本国有鉄道第一東京工事局編「常磐線快速電車15両運転設備等計画について」、『東工』1986年3月号。15両編成化に伴う成田線直通電車の分割・併合作業のため構内の配線を変更、乗降場延伸による信号機の移転、閉そく区間の変更に伴う信号システムの変更、および我孫子変電所の増強を行った。
- ↑ 広報あびこ、平成12年3月16日号
- ↑ 広報あびこ、平成14年1月1日号
- ↑ 飯泉喜雄顕彰碑建設の会 『飯泉喜雄顕彰碑建設記念誌』、2003年5月
- ↑ 広報あびこ、平成16年3月1日号
- ↑ 広報あびこ、平成20年4月1日号
- ↑ 首都圏の一定エリアにおける全面禁煙の実施について(PDF)、ホーム上の白線で囲まれた喫煙所を撤去し、常磐線は取手までの区間で全面禁煙になった。周囲の柱に全面禁煙を伝えるシールが貼られている。
- ↑ 『鉄道土木』、日本鉄道施設協会、1971年5月
- ↑ 広報あびこ、昭和45年12月1日号
- ↑ 『鉄道土木』、日本鉄道施設協会、1971年7月
- ↑ 今上天皇の長女(当時内親王の紀宮清子)が通勤(非常勤)していた。
- ↑ 『郷土あびこ4 我孫子の生業』、我孫子市史研究センター、1982年
- ↑ 広報あびこ、昭和45年4月1日号、試案では駅前広場から南に170m、幅50m、地上8階から10階の2棟で、橋上駅舎から2階部分に直結した商店街とし、4階までを店舗、その上部に住宅、地下を駐車場とする計画。
- ↑ 広報あびこ、昭和59年4月1日号
- ↑ 我孫子市史2011年度/我孫子市ホームページ(PDF)
- ↑ 『別冊大時刻表ターミナルガイド東京版』Vol.1、弘済出版社、昭和60年6月15日
- ↑ 広報あびこ、1970年(昭和45年)12月1日号、12月16日号
- ↑ 広報あびこ、1976年(昭和51年)11月16日号。自転車公害深刻化、放置自転車によって歩行者が危険なため一部車両通行止めが行われた。
- ↑ 柏市政要覧および柏市史
- ↑ 広報あびこ、1968年(昭和43年)6月16日号
- ↑ 広報あびこ、1968年(昭和43年)7月1日号。運行開始式(テープカット)の様子を写真つきで掲載されている。
- ↑ 広報あびこ、1971年(昭和46年)5月16日号。運行休止のお知らせ
- ↑ 『大正15年我孫子案内』
- ↑ 同じようなメニューに仙台駅構内にある「杜」という立ち食いそば店がある。[1]
- ↑ 我孫子駅構内の立ち食いそば"弥生軒” - NPO法人ACOBA(2009年5月掲載)2013年6月閲覧
- ↑ 52.0 52.1 鈴木弘毅「唐揚げそば JR常磐線我孫子駅・弥生軒」、『交通新聞社新書019 ご当地「駅そば」劇場―48杯の丼で味わう日本全国駅そば物語』、交通新聞社、2010年8月
- ↑ 阪本昇司「弁当屋」、『郷土あびこ4 我孫子の生業』、我孫子市史研究センター、1982年
- ↑ 山下清、『裸の大将放浪記』第3巻、ノーベル書房、昭和54年8月25日発行、p330
- ↑ 「常磐線の窓から 我孫子駅2 放浪の画家暮らした駅弁屋」、『朝日新聞』朝刊ちば東葛面、2013年6月26日
- ↑ 「我孫子駅の改造(自由通路の整備)の延期について」、広報あびこ、2010年3月1日号