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株式会社マイカルは、大阪市に本社を置き全国各地に総合スーパーなどを展開していた総合小売業者である。
近畿地方を中心に北海道や沖縄など一部地域を除く全国各地に事業を展開していたが、2011年3月1日にイオンリテールが吸収合併し消滅した。
目次
概要
社名のマイカル (MYCAL) は、Young & Young Mind Casual Amenity Lifeの略称、YM-CALを組み合わせたものを語源としている。合併直前までのコーポレートアイデンティティは、もっと、心つなげること。もっと、幸せつながること。であった。
2001年9月に経営破綻し、会社更生法の適用を受け、イオン株式会社の支援により再建されることになる。2003年にイオンの完全子会社となり、2005年12月31日に更生手続きの終結決定がなされ、再建が完了。その後はイオングループの一員となった。イオングループの一員となったことで事業再編の対象となり、その一環である総合スーパー事業の再編が決定された。
2011年3月1日、イオンリテールがマイカルを吸収合併し、同日サティとジャスコがイオンへ統一された[1]。ニチイ時代から続いたマイカルの歴史は幕を閉じた。前日の2月28日に会社公式サイトが閉鎖された。
旧社名は株式会社ニチイであり、熱心な仏教徒であった当時の社長である西端行雄が「日本は一つ」と言う理念を社名に託し、日本衣料を略してニチイとなった。従って、ニチイ学館とは無関係。
経営統合
マイカルは、2011年3月1日に「ジャスコ」を展開するイオンリテール(千葉市)[2]と合併し[3]、これに伴いマイカルが運営する「サティ」・「マイカルタウン」は同日「イオン」「イオンショッピングセンター」に統一された。統合によってサービスが大きく変わることは無いとされている。
リーマンショック以降消費低迷に歯止めがかからないことや、長引くデフレなどで流通業は苦しい経営環境にある。このような事からブランド統一並びに会社統合をすることにより商品の仕入れの一本化、人事、経理などの間接部門合理化で500億円と大幅なコスト削減を行うことを目指している(産経新聞)。
又、3社統合によって現在別々に行っている仕入れ商談の一本化を実施し商品調達力を高めることなどで総合スーパー事業の売上高営業利益率を向上させ現在の0.8%から4%程度まで向上させ、収益力を立て直したい意向である。
企業メッセージ
ニチイ時代には企業メッセージとして「誓いの詞」が存在した。前身の「セルフハトヤ」時代から継承したものである[4]。ニチイ時代には朝礼などで唱和されていたが、マイカルに社名を変更してからは行われなくなった。イオンが再建に関わりだした2001年11月24日の朝礼の際、この詞が唱和され、年配の社員が「懐かしい」という感想を述べている[5]。
『誓いの詞』 人の心の美しさを商いの道に生かして ただ一筋にお客様の生活を守り お客様の生活を豊かにすることを 我々の誇りと喜びとして 日々の生活に精進いたします |
沿革
- 1963年(昭和38年)11月8日:大阪の天神橋筋商店街の衣料品店「セルフハトヤ」と千林商店街の衣料品店「赤のれん」(岡本商店)を中核に、卸問屋のエルピス(大阪)・ヤマト小林商店(京都)を含めた4社の新設合併にて(旧)株式会社ニチイを設立(社名は日本衣料の略から)。社長に西端行雄が就任。
- 1970年(昭和45年)9月1日:株式額面変更を目的として休眠状態にあった内外商事株式会社が(旧)株式会社ニチイを合併し「株式会社ニチイ」に商号変更。
- 1973年(昭和48年):スポーツクラブのピープル1号店を西宮市に開業。
- 1974年(昭和49年):大阪証券取引所第2部上場。
- 1976年(昭和51年):東京、大阪証券取引所1部に上場。
- 1978年(昭和53年):数社の百貨店とともに百貨店連合「ダックシティ」(現:さくら野百貨店)を設立。
- 1979年(昭和54年)10月1日:ロゴマークを変更(10月23日開業のニチイ徳力店より店舗看板などに使用開始)。
- 1982年(昭和57年)
- 1983年(昭和58年):ユニーとの合併計画を白紙撤回。
- 1984年(昭和59年):サティ1号店の「学園前サティ」を奈良市に開業。
- 1988年(昭和63年):マイカル宣言。
- 1989年(平成元年)9月:「マイカル本牧(現:イオン本牧)」がオープン。大規模店舗の趨りとなる。
- 1990年(平成2年):総合スーパー (GMS) のニチイをサティ、ビブレへと転換開始。
- 1991年(平成3年):「マイカル近江八幡(現:イオン近江八幡ショッピングセンター)」が開業。
- 1993年(平成5年):日本初のシネマコンプレックス、ワーナー・マイカル・シネマズ1号店を海老名市に開業。
- 1995年(平成7年):「マイカル桑名(現:イオンモール桑名)」が開業。
- 1996年(平成8年):商号を株式会社マイカルに変更。小林敏峯が会長に、宇都宮浩太郎が社長に就任。
- 1997年(平成9年):「マイカル明石(現:イオン明石ショッピングセンター)」が開業。
- 1998年(平成10年):初の海外店舗「マイカル大連」を中国・大連市にオープン。
- 1999年(平成11年):「マイカル小樽」(現:ウイングベイ小樽)がオープン。小林敏峯が死去。
- 2000年(平成12年):「板橋サティ」、「大宮サティ」、「つきみ野サティ」、「熊谷サティ」などWMC併設型のGMS店舗が関東地区で相次いで開業。
- 2001年(平成13年)
- 1月:「マイカル茨木(現:イオンモール茨木)」がオープン。宇都宮浩太郎が社長を退任。四方修が社長に就任と発表。
- 2月:子会社のピープル(スポーツクラブ)をコナミへ売却(現・コナミスポーツ&ライフ)。
- 4月:子会社のマイカルカードを三洋信販(現・SMBCコンシューマーファイナンス)へ売却。(現・ポケットカード)
- 8月:子会社のマイカル北海道がマイカルの連結対象から離脱し独立。(その後イオングループ入りし現・イオン北海道)。
- 9月14日:民事再生法を申請。四方修が社長を解任され、山下幸三が社長に就任(9.14クーデター)。
- 9月28日:山下幸三が社長を辞任。浦野一雄が社長に就任。
- 10月26日:子会社のエービーシーをテキスタイルレンタルへ売却。
- 11月22日:イオン株式会社をスポンサーとして決定。民事再生手続きの中止と会社更生法の適用を申請。
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)
- 2004年(平成16年)7月2日:イオン商品券とマイカル商品券の相互利用を開始[6]。
- 2005年(平成17年)12月31日:会社更生手続きが終結(当初見込みよりも早期に終結)。マイカルカードに係るポケットカードとの業務提携を終了。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 3月:サティ・ビブレカード感謝デー(毎月月末2日間)を「お客さま感謝デー」(毎月20日と30日)に変更。イオンカード会員も当社のサティ・ビブレで5%引特典が受けられるようになった(※2006年にイオンショッピングセンターおよびイオンモール内に開業した盛岡南サティ・高崎サティについては、先行して開業時より実施されていた)。また、毎月11日の「イオン・デー」に参入。サティ・ビブレ各店舗で「幸せの黄色いレシートキャンペーン」を開始。
- 3月1日:サティ・ビブレカードを「イオンカード」に統合し募集停止(新規募集は2月27日から行われた)。
- 5月1日:イオン高の原ショッピングセンター(現:イオンモール高の原)の核店舗として「高の原サティ」を開業。関西地区へはマイカル茨木以来6年4ヶ月ぶりの新規出店。
- 5月21日:関東周辺のサティ・ビブレで電子マネー「WAON」導入。WAONの端末では、他社の電子マネー「Suicaショッピングサービス(JR東日本エリア)」・「ICOCA電子マネー(JR西日本エリア)」・「iD」も利用可能。
- 9月11日:京都府内の「伏見サティ」と「北大路ビブレ」の食料品レジを中心にレジ袋無料配布を中止。1枚5円で有料化。
- 9月12日:「春日井サティ」の食品売場にてセルフレジを導入。他の店舗にも順次導入される。
- 11月23日:イオンモール日の出のキーテナントとして「日の出サティ」を開業。関東地区では板橋サティ以来6年4ヶ月ぶりの新規出店。
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)2月:電子マネー決済サービスにQUICPayを追加。
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)3月1日 - グループ内のGMS事業の再編に伴い、イオンリテールへ吸収合併。統合完了後、「サティ」のブランド名は同日より「イオン」へ名称変更。[8]なお、「ビブレ」はイオンリテールの店舗ブランドとして継続。
マイカル破綻への顛末
バブル崩壊後の1990年代から2000年にかけて、ヤオハンと同様のドイツマルク建て社債・転換社債の発行や、店舗資産の流動化(証券化)という手法で機関投資家から資金調達を行い、主に工場跡地や自治体の再開発事業で巨大店舗の出店を立て続けに行った。しかし自社物件でないことからの運営コスト(賃貸料)の増大など店舗の赤字が財政を圧迫した。とくに「マイカル小樽」や海外店の「マイカル大連」(後に現地の大商グループに売却され「麦凱楽 (MYKAL) 大連商場」として大連市に青泥窪橋・西安路・開発区店の3店がある)などの大型投資は致命的であったと言われる。マイカルタウンと呼ばれる巨艦店舗はすべて赤字であった。
銀行の不良債権処理とデフレ不況が問題となった2001年初頭から資金繰りに窮するようになり、2001年9月14日午前にメインバンクであった第一勧業銀行(現:みずほ銀行)から金融支援の打ち切りを宣告され、経営破綻が確実となった。そこで第一勧業銀行と当時の四方修社長は、同じく第一勧銀をメインバンクとするイオンを支援先として会社更生法による再建を画策した。
ところが、これに対して旧来の取締役たちが反発。経営陣が残り、比較的早く再建が果たせる民事再生法による再建を主張し、四方社長と第一勧業銀行出身の取締役を取締役会で解任。山下幸三が社長に就任し、同日民事再生法の適用を申請した。この件に関しては同日13時40分過ぎに各局でニュース速報が流れている。グループでの負債額は1兆6000億円(単体1兆3881億円)、当時戦後第4位の倒産で小売・流通業の倒産としては前年のそごうを上回る戦後最大規模となった。
メインバンクの支援を受けられないままの再建は苦しく、支援企業選びも難航した。後にイオンが会社更生法下での支援を表明。2001年11月22日に発表され、民事再生手続きの中止と会社更生法の申請がなされた。この顛末は民事再生法と会社更生法が併存することのデメリットと会社更生法の使い勝手の悪さを示すこととなり、会社更生法の改正作業に影響を与えた。
マイカル本体と傘下の店舗運営会社は業績悪化となっていたが、ワーナー・マイカル(現:イオンエンターテイメント)、ピープル(現:コナミスポーツ&ライフ)、ジャパンメンテナンス(現:イオンディライト)などの子会社の業績は好調であった。
社債問題
マイカルは経営破綻前に約3500億円の国内普通社債(SB債)を、他に転換社債や外債を発行し償還前となっていたが、マイカルに関るこれら全てが債務不履行(デフォルト)となり、多くの投資家が被害を受けた。
破綻間際まで格付け機関による信用格付けが各機関とも「B(一定の信用リスクがある)」以上としていたものの、(見せかけの)企業の安定性と高利回りが両立して謳われていた事から、いわゆる機関投資家以外の地方公共団体や第三セクターなども資金運用手段としてマイカル絡みの債券を幅広く保有しており、億単位で損失を被った所では、運用先の選定などの責任追及が問題となった。
特に、2000年から2001年9月の破綻間際まで野村證券等の証券会社が複数回募集した900億円分の個人向け国内普通社債(一口100万円単位)に関しては、勧誘元のリスク説明が不徹底で損失を被ったとして、主婦や資産家を中心とした個人投資家が、単独或いは集団で証券会社や社債管理銀行の第一勧銀の業務を承継したみずほコーポレート銀行(現:みずほ銀行)に対して損害賠償訴訟を各地で提起した。これらの判決は概して棄却されている。なお、2003年の会社更生計画によって個人などの小口債権者に対しては額面の30%、大口債権者は10%を上限に弁済することが決定したことで、債権は紙屑(無価値)にはならなかった。
またゼロ金利政策下であった2001年当時、複数の投資顧問会社が設定運用するMMFには高利回りを狙うためマイカルのような一定の信用リスクが存在する債券をある程度組み入れており、9月11日に発生したアメリカ同時多発テロによる金融市場の混乱(NYSE取引停止・円高ドル安・世界同時株安発生)の後にマイカル倒産が発生したため積極的運用を行っていたMMF商品に元本割れが発生した。元本割れは起きない金融商品とされていたMMFの安全神話が崩れると共に、金融・証券分野では大きな問題となった。
業態
存続している業態
これらは全てマイカル以外のイオングループの企業により運営されている。
- ビブレ(イオンリテール運営で存続)
- 当初は若者をメインターゲットとしたファッションビルとしてスタートした。その後、高感度専門百貨店と銘打って衣食住フルライン型で郊外にも出店。東北地方では、子会社のダックビブレが百貨店を運営していた。破綻後は、マイカルが運営していた食品を扱う店舗を一部を除きサティへと転換。また、子会社のダックビブレが運営していた東北地方の店舗はマイカルから離れ、さくら野百貨店として再出発している。現在では、イオンモールSC内にサブ核店舗で出店を再開している。
- 天神や岡山など、ニチイからVIVREに転換した店舗では「VIVRE21」と称していたが、後に「VIVRE」に一本化されている。
廃止された業態
- サティ(2011年3月にイオンへ転換)
- マイカルの(1990年代以降の)主力業態で1984年に奈良市の学園前サティ(2000年閉店)として営業開始し、主に30代以上をメインターゲットとした総合スーパー (GMS)。輸入ブランド品店を設置するなど従来の総合スーパーに比べて高級感を持たせ、「生活百貨店」と称した。東日本ではニチイ時代の1970年代後半以降、建物やフロアを家主から賃借する形で多く出店していたが、1990年代からは自社開発物件や再開発計画による大型店舗の出店が行われた。
- なお、北海道地域のサティを運営していたマイカル北海道(現:イオン北海道)はマイカルから独立して店名を「ポスフール」に改めてからは同地域には存在していないが、ポスフールもサティと同じくイオンに転換している(サティ時代に開店した店舗はマイカル運営店舗と内装が同一)。また、九州地方のサティはマイカル九州との合併によりイオン九州が運営していた[9]。
- 商号は"Select Any Time for Yourself"の略が由来。
- 特化型形態として食料品スーパーの「サティ食品館」や、衣料品を主に扱う「サティおしゃれ・生活館」「サティおしゃれ・衣料館」も存在した。最後まで存在したのは三木サティ食品館・衣料館で、イオン三木青山店 食品館・衣料館に名称変更。
- 広島県広島市にある広島サティに関しては2011年7月18日で閉店したため、唯一イオンに転換せず営業していた。
- ニチイ(nichii, サティ・ビブレなどへ転換)
- 過去に存在したニチイの店舗 も参照サティの店舗 も参照
- 株式会社ニチイ時代に展開されていたスーパーマーケット。大阪市の天神橋筋商店街に1号店(後に「千日デパート火災」を起こしたことで知られる)を出し、その後ほぼ全国に展開した。1980年代から90年代をピークに、サティあるいはビブレへと転換し、2002年5月31日のニチイ釜石ショッピングデパート(当時のマイカル東北が運営)の閉店を最後にニチイは消滅した。
- もともとが衣料品店のため、衣料品のみを扱う店舗も多くあった。
- シンボルマークは赤い鳩であったが、時代により2つのバリエーションが存在した。
- 1979年9月30日までは、赤い円の中に口に葉をくわえた白い鳩が翼を広げ横切るようなシンボルで、ロゴも後のものとは違う。一部店舗では屋上看板や案内表示などに「(鳩マーク)ニチイ ○○ショッピングデパート」という表記があった[10]。
- 1979年10月1日以降は、赤い円の中に左を向き口に緑色の四つ葉のクローバーをくわえた白い鳩のシンボルで、CMなどで「nichii」と英字表記されたロゴもあった。1979年10月23日開業のニチイ徳力店より、2代目ロゴの使用を開始。
- 一部店舗(主に地場企業との合弁で開店した店舗)はニチイのブランドを用いずに独自の名称などをつけている(例:室蘭ファミリーデパート桐屋・サンシティ・リブレなど)。看板には、ニチイ共通の鳩のマークと店舗名が併設されていた[11]。
- マイカルタウン(MYCAL TOWN, イオンショッピングセンターなどへ転換)
- マイカルが提唱した時間消費型商業施設。広大な敷地にサティ、ビブレ、シネマコンプレックス、エグザスなどを設置。横浜市のマイカル本牧に始まり、マイカル近江八幡、マイカル桑名、マイカル明石、マイカル小樽、マイカル茨木を展開した。
- これらは全て2011年3月1日にイオンショッピングセンターなどへ転換した。
- Harvestdays
- マイカル破綻以前にマイカル茨木で営業していた食品スーパー。
- アスク
- ポロロッカ
- 小型の食品スーパー。コンビニエンスストアと食品スーパーを融合した店舗というコンセプトで、関東、関西に展開された。経営破綻後全店舗がマルエツへと売却された。現在、マルエツはイオングループ入り。
- マルエツに経営権が移った後もポロロッカの商号は引き続き使われたが、その後関西の店舗は音通に売却され、「F MART」と商号が変更されている。
- もともとコンビニエンスストア展開をもっていなかったマイカルであったが、当時の小林社長は、コンビニエンスストアの食文化が貧しいと否定し、食品の充実をうたったスーパー業態にこだわって対抗を計った。
- すでに多店舗で市場を席巻しつつあった同業他社のコンビニエンスストア市場には、同じ業態では割り込む余地もなかったと見るむきもある。
- サンホーユー
- 東北地方の中小スーパーやデパートなどを株式会社ニチイが一つの法人としてまとめたもの。テーマカラーは青に近い緑で、ニチイと同じく鳩がシンボルであったが、ニチイのそれとは違うものであった。
- 1994年に東北ニチイ(後のマイカル東北)に吸収合併され、サティに転換するか閉店し消滅している。
- アイビス
- 新潟県西蒲原郡巻町大字巻甲(東六区・現新潟市西蒲区巻甲)で、マイカルが1店舗だけ展開していた総合スーパー。
- 1986年、巻町に本社を置き、同町と同郡吉田町(現燕市)に呉服店・洋品店を出店していた「株式会社本団呉服店」がマイカルとFC契約し、両社の出資による子会社「株式会社ホンダン」を設立して開店した。トキの英名でもある「アイビス」は当時、本団呉服店が展開していた衣料品店のブランド名である。
- 巻アイビスは前述のサティとほぼ同一の総合スーパー型店舗で、食料品と衣料品を主体とした店舗構成を採っていた。ホンダンは1997年、スーパー事業をマイカルに譲渡して解散したが、マイカルは店舗ブランドを「サティ」に変更せず、本団呉服店の了承を得た上で「アイビス」と2羽のトキを模したシンボルマーク及びロゴを継続使用し、2003年2月28日の店舗再編計画による閉店まで「巻アイビス」を店舗名称としていた。閉店後、店舗名称とマーク・ロゴはホンダン(本団呉服店から商号改称)に返還され、現在も同社が継続して使用している。また、巻アイビスの店舗跡はオーシャンシステムに譲渡され、現在は食品スーパー「チャレンジャー巻店」となっている。
- ワーナー・マイカル・シネマズ(2013年7月にイオンシネマへ改称)
- ワーナー・ブラザーズとの合弁会社によって運営されていたシネマコンプレックス。サティやビブレなどの店舗、敷地内に併設されており、全国に展開されている。近年はイオンモールなどのイオングループの展開する大型商業施設や、イオングループ以外の商業施設にも展開されている。2013年7月1日にはワーナー・マイカルを存続会社としてイオンシネマズと合併。社名は「イオンエンターテイメント」に改称した。
過去のグループ会社の名称
- マイカルと合併した企業
- マイカル北日本
- マイカル高萩
- マイカル東関東
- マイカル安芸
- マイカルサンイン
- マイカル総合開発
- 西部総合開発
- ハートリアルエステート
- マイカル協友
- ビブレ協友
- アメニティタンク
- コスモニー
- 清算された企業
- 社名を変更し、合併されたかで、他のグループに入った企業
- 岐東ファミリーデパート:2001年にグループを離れ、バローグループに入る。
- マイカル北海道:ポスフールに商号変更して独立後、2007年8月にイオン株式会社の北海道の総合小売事業を継承し、イオン北海道に改称。
- マイカルフォトステーション:2002年11月にジャスフォートの子会社となり、2004年3月に同社へ吸収合併。その後、ジャスフォートは富士写真フイルム傘下に移り、さらに、2007年3月にカメラのキタムラを運営する株式会社キタムラの傘下となった。そして、2009年1月に株式会社キタムラへ吸収合併された。
- ピープル:コナミへ株式譲渡後、コナミスポーツに商号変更。2006年3月にグループ会社を吸収合併し、コナミスポーツ&ライフへ商号変更。
- マイカルカード:三洋信販へ株式譲渡後、2005年12月にポケットカードに商号変更。現在、同社は三井住友銀行・伊藤忠商事・ファミリーマートそれぞれの持分法適用関連会社となっている(三洋信販は2010年10月にプロミス(現・SMBCコンシューマーファイナンス)へ吸収合併され、2011年3月に相対取引によって筆頭株主がグループ会社の三井住友銀行に変更となっている)。
- エービーシー:テキスタイルレンタルへ株式譲渡後、2004年7月に同社へ吸収合併された。
- マイカルポロロッカ:マルエツへ株式譲渡後、2007年12月に同社へ吸収合併された。
- ビブロス:ゲオの子会社であるゲオグローバルへ株式譲渡後、ゲオエブリに商号変更。2010年10月に組織再編によりゲオへ吸収合併された。
- マイカルシステムズ:富士ソフト(当時は富士ソフトABC)へ2002年に株式譲渡、ヴィンキュラムジャパンとなり、2005年12月にJASDAQ上場。2013年4月1日にはヴィクサス(元ダイエー系→富士ソフト)を吸収合併し、ヴィンクスとなる。
- エルメ:公開買付けにより、イビサへ株式譲渡。
- ダックビブレ:2002年7月に減資によりグループを離れ、同年9月にさくら野百貨店となる。2004年に高島屋傘下となった。また、2005年4月に組織再編によりさくら野百貨店の一部を分社化しさくら野DEPT仙台・さくら野東北を設立した。
- ジャパンメンテナンス:2006年5月にイオンからイオンテクノサービスの株式を取得して子会社化。同年9月に吸収合併し、イオンディライトに改称。
- マイカルクリエイト:2006年4月にイオンファンタジーへ株式譲渡され子会社化。同年8月に同社へ吸収合併された。
- オートマックセールス:2006年4月にチェルトへ株式譲渡され子会社化。同年8月に同社へ吸収合併。さらに、チェルトは2010年9月にイオンディライトへ吸収合併された。
- マイカルイスト:2006年8月にグルメドールへ吸収合併され、同社はイオンイーハートに改称。
- マイカル商品研究所:2006年4月に品質管理センターへ株式譲渡され子会社化。同年8月に同社へ吸収合併され、生活品質科学研究所に改称
- マイカル九州:2007年8月にイオン九州へ吸収合併される。
- マイカルカンテボーレ:マイカル本体の統合と同じ2011年3月にイオンベーカリーシステムを吸収合併し、イオンベーカリーに改称
- ワーナー・マイカル:2013年2月にイオン株式会社の完全子会社となった後、同年7月にイオンシネマズを吸収合併し、イオンエンターテイメントに改称
- マイカルグループ入りしたが倒産後、元の社名に戻った企業
- 社名はそのままで、現在も事業を行っている企業
- 小樽ベイシティ開発:現在は独立しているが、イオングループのイオン北海道が同社株主の一員となっている。
- 不明
開催されていた催物
イオン・デー
毎月11日をイオン・デーとし、「イオン 幸せの黄色いレシートキャンペーン」を行っている。これは、店内に設置された地域のボランティア団体などのレシート投函BOXに、当日の買い物のレシート(11日は黄色いレシートを発行している)を入れることで、集まったレシートの合計金額の1%を対象団体に還元するという社会貢献活動である。
サティ はなまる市
2008年4月の月初めからサティはなまる市が復活した、月の初めの週末のセール「一部店舗除き」であるセールの日はイメージソング(プロモーションビデオ)が流れる「♪月の初めの週末は・・はなまる市…(以下省略)」(イオン九州運営のサティは除く)。かつてのイメージキャラクターは安達祐実や佐藤藍子であった。
2011年6月から、イオンリテールが運営するイオン店舗で「はなまる市」の名称が復活した。
月のなかの市
チラシには「お値ごろゴロゴロ月のなカバ」のキャッチフレーズにイメージキャラクタのカバがチラシなどに登場する
火曜得々市
毎週火曜日を火曜得々市として均一セール等が行われていた セールの日はイメージソングが流れる「♪ウキウキうれしいサティの火曜日・わくわくいっぱい得々火曜日・笑顔見つけにサティに行きましょ・いいものそろう火曜日得々市(以下省略・店舗により少し内容がことなるテンポや価格案内)」 また最近では(waon得々ポイント)waonで3000円以上買うと100waonポイントが付く。
なお、イオンリテール統合後は同社が展開する「火曜市」に統一された。
イオンお客さま感謝デー
毎月20日と30日(2月は月末)に、イオンカード各種(提携カードを除く)、イオンオーナーズカード、イオンシニアクラブカード、イオン銀行のイオンバンクカードのいずれかを店頭レジにて提示し、支払いを現金・イオンカード各種・WAON・イオン商品券・マイカル商品券・イオンギフトカードのいずれかで行った場合には、商品ごとに5%割引となる。
2007年2月までは、月末2日間(盛岡南サティと高崎サティについては20日と30日)に感謝デー(サティ・ビブレカード感謝デー)が行われていた。サティ・ビブレカードは2007年3月にイオンカードに統合された。なお、類似名称の「サティカード」は旧マイカル九州のカードであるが、こちらも2007年5月にイオンカードに統合され以後当社でも割引特典が受けられるようになっている。
お客さまわくわくデー
毎月5日・15日・25日の5のつく日は、イオンカード各種での支払いでときめきポイントが200円につき1ポイントのところ2倍の2ポイント付与か、WAONでの支払いで200円につき1ポイントのところ2倍の2ポイント付与される「お客さまわくわくデー」がある。なお、毎月10日の「ときめきWポイント(2倍)デー」のみ以前と同様継続される。
ゆうゆうデー
毎月15日は、ゆうゆうワオンカードでの支払いで直営売場の商品が5%割引となる(一部除外品有)「ゆうゆうデー」がある。ゆうゆうワオンカードの発行は65歳以上が対象となり、カードに署名した本人以外は使用出来ない。このカードはWAONの特典(お客さま感謝デーやお客さまわくわくデーなど)にゆうゆうワオンだけの特典として追加されたカードである。なお、このカードの発行に伴い、ジャスコ店舗などで募集していた「イオンシニアクラブカード」の新規会員の募集は終了している。
買物袋持参運動
サティ・ビブレにてレジ袋が不要の場合、1回の精算ごとに通常1個のスタンプが「買物袋持参スタンプカード」に押印される(一部店舗ではスタンプカードを終了している)。スタンプ20個でマイカルの場合は100円分のお買物券として利用できる。またカード数枚でエコバッグ交換や11日(イオン・デー)の黄色いレシートキャンペーン用(利用可能なカードに交換)として利用できる。ただし、下記においては、1回の精算ごとに2個のスタンプ(Wスタンプ)が押印される。
- 毎月5日(ノー・レジ袋の日)
- 毎月11日(イオン・デー)
- 毎月20日(イオンお客さま感謝デー)
- 毎月30日および毎年2月末(イオンお客さま感謝デー)
- 毎年4月1日から4月30日まで(マイカルレジ袋削減強化月間)
- 毎年6月1日から6月30日まで(環境月間)
- 毎年10月1日から10月31日まで(3R推進月間)
マイカルにおけるWスタンプは、2006年10月から開始された。なお、盛岡南サティ・高崎サティを除くマイカルのサティ・ビブレでは、2007年2月までは、イオンお客さま感謝デーではなく「サティ・ビブレカード感謝デー」(毎月月末2日間)であった。また、イオン・デーがWスタンプ実施日となったのは2007年3月からである。
- スタンプカードサービス終了店舗の対応状況(2009年5月末日終了・10月まで利用可能店舗の場合)
- 今まで貯めたスタンプは全て(20個)の場合は通常通りの利用が可能。途中の場合はスタンプ1個につき5円分として値引きの利用が可能。
- スタンプカード終了後の対応はレジにて2円引きの対応になっている(店舗によっては未実施)。
要出典
マイカルの「買物袋持参スタンプカード」は、他のイオングループのチェーンストア各社で押印してもらうことはできるが(一部店舗は除く)、100円のお買物券としては使えない。逆に、マイカルでも、他のイオングループのチェーンストア各社の「買物袋スタンプカード」に押印してもらうことはできるが、お買物券としては使うことができない(スタンプカード取扱い店舗であれば押印してもらうことはできるが、お買物券の使用は発行店のみ)要出典。
わんぱくメイト・キッズメイト
上述の内容とは少々異なるが、一部の店舗において「わんぱくメイト」という幼少者や小学生を対象にした企画があった。店舗の女性スタッフ数名が“お店のお姉さん”となり隔週でゲーム大会などといったイベントを行なうことで家族連れの集客を考えたもので、入会費年会費無料の会員証はスタンプカード(イベント参加ごとにポイント獲得)になっていた。店舗により会員を対象にした月報のような広報紙を発行したり日帰りバスツアーやクリスマスパーティーなども行なわれて集客に一定の効果を収めていたようである。後に「キッズメイト」と名を変え、サティブランドが消滅するまで続いた。マスコットキャラクターはわんぱくメイト時代は風船をモチーフにした“フーちゃん”“フーくん”。キッズメイトになってからはモグラをイメージした“モーリー(男のコ)”“マーリー(女のコ)”。なおモーリーとマーリーはマイカルがスポンサーとなった演劇のキャラクターとして登場したものである。何れもぬいぐるみ(着ぐるみ)として各店舗のイベントに登場することもあった。
脚注
- ↑ サティ:名称「イオン」に 全国91店舗で 毎日新聞 2011年3月1日(2011年3月3日時点のアーカイブ)
- ↑ イオンリテールは「イオン」を全国に展開するイオンマルシェ(千葉市)を2010年12月1日に吸収している。
- ↑ 3.0 3.1 (2010-08-27) 「ジャスコ」「サティ」消ゆ…、店名「イオン」に統一へ 朝日新聞 arch. 2010年8月28日 2010-08-28
- ↑ 西端 春枝「縁により縁に生きる―ニチイ創立者西端行雄と歩いた商いの道」ぱるす出版p・208、1994年
- ↑ 加藤 鉱「再生したる!ドキュメント「マイカル復活」1500日」ビジネス社p・93-94、2006年
- ↑ 「ジャスコ・サティパワーアップセール」開催について - イオン九州公式ウェブサイト、2014年5月27日閲覧。
- ↑ (2010-08-27) ジャスコやサティも店名は「イオン」…来春から 読売新聞 arch. 2010-8-28 2010-08-28
- ↑ 当社連結子会社間の合併契約締結に関するお知らせPDF - イオン株式会社 ニュースリリース 2010年10月6日
- ↑ 門司サティと曽根サティは立地上の関係上などからマイカル本体が運営していた。
- ↑ 現在も、大規模小売店舗法の届出上のSC名(ビル名)に同じものが採用されている場合がある(例:海老名ショッピングデパート)。
- ↑ 室蘭サティに名称変更する室蘭ファミリーデパート桐屋 - フォト海道(道新写真データベース/北海道新聞)、2014年8月30日閲覧。
関連項目
- サティ (チェーンストア)
- サティの店舗
- 過去に存在したニチイの店舗
- YAWARA! - 浦沢直樹原作の漫画。マイカル子会社により1989年に実写映画化される。主演は浅香唯。当時社長だった小林敏峯が製作総指揮をとっている。
- マイカルハミングバード - かつて存在したレコード会社。のちにワーナーミュージック・ジャパンに事実上吸収された。
- 葛西紀明 - かつてマイカルスキー部に所属していた。
- ポケットカード - 旧社名はマイカルカードで、マイカルのハウスカードとして「マイカルカード」を発行していた。マイカル倒産直前に消費者金融大手の三洋信販が買収(三洋信販はプロミスへ合併されており、現在はSMBCコンシューマーファイナンスである)。現在は三井住友銀行・伊藤忠商事・ファミリーマートがそれぞれ株式を保有しており、各会社の持分法適応関連会社となっている。
- マイカルカードでは、全国のサティとビブレにて特定日の割引特典が受けられたが、マイカルとは2005年12月31日、マイカル九州とは2006年4月30日を以て提携を解消し、同カードは順次P-oneカードへ切替となった。
- マイカル北海道は、ポスフールとして独立後にイオンの傘下となったものの、マイカルやマイカル九州とは別のアプローチであったためにイオンクレジットサービスとは提携せず、引き続き「ポスフールカード」としてポケットカードとの提携を継続していたが、イオン北海道への社名変更を機に2008年2月29日を以って提携を終了することとなった。
- さくら野百貨店(旧社名ダックビブレ、現在は高島屋の傘下)・さくら野東北も、引き続き「さくら野カード」として、ポケットカードとの提携を継続していたが、現在はクレディセゾンとの提携カードに切り換えたため、新規の募集は取りやめている。
- ホープタウン(旧マイカルサンイン ホープタウンサティ⇒米子サティ⇒ホープタウンサティ⇒ホープタウン)は「ホープタウンカード」として、ポケットカードとの提携を継続している。
- プリップカード
- マイカルカード会員(ニチイ・サティ・ビブレの各店舗)に発行されていたプリペイドカード。1万円・3万円・5万円・10万円の4種類のカードがあり、5%のプレミアが付いていた。1998年途中から1万円カードの新規発券中止。代わりに2万円カードが誕生。1999年10月にはすべてのカードが発券中止。発券中止後も使用できたが、2004年に未使用残額分をマイカル商品券と交換する措置がされた。新規発券中止後に開店した店舗ではサービスコーナーでのみ使用できた。ビブレのパラダイスカード会員は5千円分のプリップカードを購入することができた。当時発行されていたポイントカードとの併用は不可。
- 神戸デパート
- りんかい日産建設
- 第一勧銀グループ
- 芙蓉グループ
- ドリモグだァ!! - 日本テレビ系列、ニチイグループの一社提供。
- プラレール - ニチイ(初代ロゴ)時代に「ニチイチェーン よいこシリーズ」という名前のプラレールセット(D51きゅうこうれっしゃセットなど)を販売していた[1]。
外部リンク
- 株式会社マイカル(2010年5月11日時点のアーカイブ)
- ポケットカード - 旧マイカルカード
- 「マイカルカード」から「P-oneカード」へ - マイカルとの提携終了を受けた、カードの自動切換の案内。
- 「マイカルカード」から「P-oneカード」へ - マイカルとの提携終了を受けた、カードの自動切換の案内。