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稲葉 浩志(いなば こうし、本名 - ひろし、1964年9月23日 - )は、日本の男性ボーカリストである。ロックユニットB'zのボーカル、作詞、編曲を主に担当している。自身のソロ活動では作曲、ギター、音楽プロデューサーも担当する。岡山県津山市出身。岡山県立津山高等学校、横浜国立大学教育学部中学校教員養成課程(数学)卒業。学位は教育学士。血液型はAB型。ビーイング傘下のレーベル、VERMILLION RECORDS所属。公称身長173cm。
目次
来歴[編集]
- 1964年 - 9月23日に岡山県津山市で生まれる。
- 1971年 - 津山市立林田小学校入学。
- 1977年3月 - 津山市立林田小学校卒業。
- 1977年 - 津山市立津山東中学校入学。
- 1980年3月 - 津山市立津山東中学校卒業。
- 1980年 - 岡山県立津山高等学校入学。
- 1983年 - 岡山県立津山高等学校卒業、横浜国立大学教育学部高校教員養成課程(数学)入学。
- 1985年 - 当時ビーイング音楽振興会に所属していた大学生時代に、BLIZARDのギタリストの松川敏也(RAN)のソロアルバム『BURNING』に謎のボーカリスト「Mr.CRAZY TIGER」として参加。同作はLPと12センチCDでリリースされたが、現在共にプレミアム価格が付いている。また、ビーイングの斡旋でモデルの仕事もしていた。
- 1987年 - 横浜国立大学卒業。
- 1988年 - 松本孝弘とともに結成したB'zとしてデビュー。B'zでは1作目のアルバム『B'z』収録の「Nothing To Change」のみ亜蘭知子が作詞であるが、それ以外の全ての楽曲で作詞している。またこの年に発売されたTUBEの前田亘輝のソロアルバム『Feel Me』に初めて楽曲を提供し作曲家デビューを果たす。
- 1990年 - B.B.クイーンズの坪倉唯子のソロアルバムに初めて詞を提供し作詞家デビューを果たす。
- 1997年 - ソロデビュー。処女作となる1作目のアルバム『マグマ』をリリースする。初登場1位。タイアップなし、シングル曲なしにも関わらず、ミリオンを達成という日本記録を樹立。この記録は現在も保持している。
- 1998年 - 1作目のシングル「遠くまで」をリリースする。グループからのソロ1作目のシングルとしての初動売上歴代1位を記録する。
- 2002年 - 2作目のアルバム『志庵』をリリースする。今作では初めてギターを演奏した作品でもある。タイアップなし、シングル曲なしの2作品連続で初登場1位になるのは史上初(収録曲「Overture」が名探偵コナンのエンディングテーマになったのは発売後)。
- 2003年 - 大阪のライブハウス「hillsパン工場cafe」にて初のソロライブを行う。あくまでも腕試し的なものであり、同レーベルのバンドWAGのオープニングアクトとして事前告知を一切しない形で行われた。
- 2003年 - 2作目のシングル「KI」をリリースする。
- 2003年 - 相方松本孝弘のソロアルバム『THE HIT PARADE』にゲスト参加。
- 2004年 - B'zとしての活動を休止し、ソロ活動を行う。稲葉浩志としてサマーソニックとTHE ROCK ODYSSEYに初出演を果たす。またこの年に初めてのソロライブツアー「稲葉浩志 INABA KOSHI LIVE 2004 〜en〜」を実施。3作目のシングル「Wonderland」と3作目のアルバム『Peace Of Mind』をリリース(オリコンチャートで初登場1位を獲得)。
- 2005年 - 2004年のソロツアーにてサポートメンバーとしてコーラス参加していた徳永暁人と大田紳一郎(共にB'zのサポートメンバーでもある)の在籍するdoaの1作目のアルバムに詞を提供。
- 2006年 - アニメ『結界師』のスタートに当たりオープニング(宇浦冴香)とエンディング(稲葉浩志)の楽曲を提供。
- 2007年 - 現役女子大生シンガー宇浦冴香のプロデューサーを務める。
- 2009年 - スラッシュのアルバムにゲストボーカリストとして参加。11月11日にはスラッシュ名義のシングル「SAHARA〜feat. 稲葉浩志」をリリース。
人物[編集]
歌唱能力[編集]
B'z、ソロ活動など公式にリリースされている音源による彼の音域で最低音がG2(lowG)程度、また、シャウトやスクリーミングを含めた最高音はB5(hihiB)程度にまで達する。これは、海外のHR/HMのボーカリストと比較しても遜色のない音域である。また声量がありマイクをはずしてもライブ会場全体に声がいきわたるほどであり、ライブではステージをところ狭しと端から端まで走りながら歌うが声量もほぼ維持されたままで、2時間以上あるライブを通してほとんど乱れない。その声を維持するため、夏場でも楽屋にはクーラーを極力かけない、冷たい物や辛い物は極力口にしない、ライブ後は必ず医師に声帯の診断をしてもらうなど自己管理を徹底している。
体調管理[編集]
その声を維持するため、喉の負担になることは極力避けている。夏でも極力冷房をかけず、楽屋では外からの極端な冷気を防ぐため、スタッフに扉の淵をビニールテープで密封処理させたこともある。スタジオでは、季節を問わず加湿器を焚き、歌い終わると頻繁に医療用吸入器で喉をケアする。食事に関しては、胃腸も冷やさないため、夏でも温かい鍋を食べ、ツアー期間中はビールなどは飲まない。また、喉に優しいと言われる温かいハーブティを愛飲している[1]。 ここまで自己管理を徹底する理由について「乾燥してちょっとでも(声が)出なくなると、あの時(ケアを)やっときゃ良かったと思うのが嫌なので、つい念を入れがちになるんですよね。普通は3回でいいのかもしれないけど、5回やっちゃったりとか」とインタビューで語っている。きっかけは、2004年初頭に声帯に水ぶくれのようなものが出来たために声が出なくなり、手術をしたことからである。それ以来、医師から喉の乾燥を防ぐため湿度を50%に保つよう指示され、毎月定期検査を受けている
後日、2009年ファンクラブの会報で、2008年に放送された番組の内容について「色んなことに自分達が我慢してやっているっていう風に思われているみたいで(笑)そういう訳じゃないんだけどね。元からお酒あんまり飲まないから(笑)それに鶏鍋食べるのも好きだから食べているだけで。(以下省略) そんなに張り詰めた感じじゃないし、もっと楽しくやってますよ(笑)」と語っている。
作詞[編集]
一旦、全て英語で仮作詞を行い、少しずつ日本語詞にしていくという方法をとる。近年では始めから日本語で書くことも多いという。
B'z初期は恋愛をテーマにしたものがほとんどだったが、近年では応援歌や人生論的、社会批判的な歌詞も増えてきている。また、様々な時事ニュースを自分なりに解釈して書くこともあり、作詞家としての幅も広い。恋愛をテーマとした歌詞の場合、テーマは非常に多様であり似たものは少ないものの、女性上位で尻に敷かれているような男性が主人公と置く事が多い。それ以外でも己の不甲斐無さ、未熟さを憂う自虐的・自省的な歌詞が多い。
2005年3月26日放送の『僕らの音楽』(フジテレビ系列)出演時、『作詞時に気をつけていること』という話題で、稲葉は「タブーな言葉を作らないこと」と発言した。また阿川佐和子との対談では、「ロックの歌詞の定番みたいなものは、恥ずかしくて嫌だった」「ロックのダイナミックなサウンドに、僕の小市民的な歌詞が乗っちゃったから新鮮だったんじゃないですか」と語っている。
デビュー当時の頃の作詞の変遷[編集]
- B'z初期の頃は日本語で作詞をすることに苦悩していた。邦楽を聴くことが少なく英語で歌うことに慣れていた稲葉は日本語で歌うことが恥ずかしかったらしく、リズム感のはまり具合の違いなどからB'zデビューアルバム『B'z』では、英語を多用した非常に抽象的な歌詞になっていた。
- 2ndアルバム『OFF THE LOCK』では、今の稲葉の歌詞に通じる柔軟な表現になっているが、実はこのアルバムの製作時が一番つらい時期であったという。曲は既に出来上がっているのに、自分が担当する詞がまったく出来ていなかった状況に大変焦り、常に作詞のことを考えているのが憂鬱でしょうがなかったとのこと。また、苦労して作詞をしても周りから批評される(何が言いたいのか分からない等)ので、「途中で投げ出して逃げたいと何度も思った」と後のインタビューで語っている。現在でもこのアルバムを聴くと拒絶反応を起こすことがあるらしい。
- 3rdアルバム『BREAK THROUGH』以降は独自の作詞スタイルを確立するため、ロックでは敬遠されるような言葉や口調を積極的に取り入れるようになったと雑誌「音楽と人」1998年1月号のインタビューで述べている。『太陽のKomachi Angel』、『ギリギリchop』など意図的にユニークな表現を取り入れるなどの遊び心も散見される。相方の松本もこれを楽しんでおり、シングル『愛のバクダン』について、リリース時のインタビューで「『ギリギリchop』以来の名タイトル」と評している。
楽器演奏・作曲[編集]
ハーモニカ、ギター、ピアノ、パーカッション、マラカス、マンドリンなども演奏することができる。ピアノの腕前は大学時代に教職課程でバイエルやアマリリスはマスターした。ギターを練習し始めたのは大学時代で、B'zデビューを前に社長命令で猛特訓した(高校時代は壊れたギターで遊んでいた程度、とラジオでは発言していた)。ギターの場合コードによっては楽器の構造上押さえることが不可能なものがあるため、ソロ曲の作曲時にはピアノを使用することが多いという。ライブではブルースハープをよく使っており、曲のみならずMCに使っている姿も散見される。稲葉の音楽的なルーツとしてブルースが根底にあるので、稲葉のブルースハープはブルースキーやベンドを駆使したまさにブルースハープといった音色を奏でる。
影響を受けたアーティスト[編集]
影響を受けた主なヴォーカリストは、雑誌や楽譜などのインタビューで語られるものでデヴィッド・カヴァーディル、スティーブン・タイラー などのハードロックヴォーカリストをはじめとし、ロバート・プラント、トム・ウェイツのようなブルース系シンガー、サム・クックのようなソウルシンガーの名を挙げている。特にB'zの楽曲に見られるようにブルースの影響が強く、新旧問わずブルースシンガーをよく聴くとインタビューで答えている。 一方で、初めて行ったライブはポリスでありスティングやデヴィッド・ボウイ等のイギリスのミュージシャンにも影響を受けている。また最近は着用していないが短パンのステージ衣装やステージアクションはアクセル・ローズの影響である。最近のバンドではマーズ・ヴォルタがお気に入りのようである。
また、日本のアーティストではLOUDNESSの影響も受けており、学生時代にLOUDNESSのコピーバンドを組んでいたことがある。
特技・趣味・嗜好[編集]
- 英語が堪能。楽屋やスタジオなどではドラムのシェーン・ガラースなどの外国人と英語で会話をしており、また、PV制作にあたり、ディレクターが外国人である場合も通訳を介さずに話をしている。
- 大学受験の全国模試では数学の全国順位が3位であった。1987年、横浜国立大学教育学部中学校教員養成課程(数学)を卒業。大学時代に小学校教員免許と高等学校教員免許(数学)を取得。中学校教員免許(数学)は教育実習時に長髪を切るのを拒み、そのまま教育実習を止めてしまった為に取得していない。大学の卒業式では、1人だけ革ジャンとジーンズで、式には不参加だった。
- 中島みゆきの大ファンであり昔は「女性のアーティストなら中島みゆきさんぐらいしか聴きません」と言っていたほどだった。
- 趣味は読書、バイク(ハーレーダビッドソン)であり、その様子はB'zの映像作品でしばしばみられる。漫画も好きであり、スタッフにオススメの漫画を教えてもらったりもしている。
- 以前は喫煙者であったが、現在は禁煙している。「IN THE LIFE」のバンドスコアでのインタビュー内で、喫煙が喉の調子を狂わせたとも語っている。
- HEY!HEY!HEY!で出演時のトークで、ロサンゼルスで笑いたい時にみんなでダウンタウンのごっつええ感じを観ると語った。
親交関係[編集]
俳優の勝新太郎と親交があり、新太郎に「裕次郎以来、本物の男を見た気分だ」と称された。勝新太郎からプレゼントされたテンガロンハットをB'zとしてのライブでもそれを被ってステージに上がったこともある(DVD「"BUZZ!!" THE MOVIE」参照)。現在は彼のプライベート録音スタジオの「志庵」に大事に飾っている。
プロサッカー選手中山雅史(ジュビロ磐田)とは、プライベートでの交流もある。また2002年のSHOWCASE"Sapporo Devil"のアンコールでは中山モデルの日本代表レプリカユニフォームを着てステージに立った。
その他[編集]
- 長者番付歌手部門において廃止されるまでの最後の6年間で浜崎あゆみ、宇多田ヒカルと2年ずつ番付TOPになっている。
- 実家の化粧品店や兄が経営している和菓子屋、稲葉が通っていた小学校、中学校、高校などは数多くのファンが観光に来ている。津山市の観光スポットにもなっており、「稲葉浩志君のメモリアルロードマップ」が作られていたり、津山観光センターには「稲葉浩志君メモリアルロードコース」なども作られている。これを機に津山の知名度が上がり稲葉は津山市民栄誉賞を受賞した。また、津山にある八幡神社に「B'z 稲葉浩志」と刻まれている石柱がある。
- いとこは、国内外の名建築のホテルを題材にした旅行記、写真集の著者で知られる、一級建築士、紀行作家、写真家の稲葉なおと。
ディスコグラフィ[編集]
以下はソロでの作品の記述。B'zとしての作品はB'zの作品を参照。
シングル[編集]
リリース日 | タイトル | レコードNo | ||
1st | 1998年12月16日 | 遠くまで |
作詞:稲葉浩志 作曲:稲葉浩志 編曲:稲葉浩志・寺島良一 |
BMCR-7031 |
2nd | 2003年6月11日 | KI |
作詞:稲葉浩志 作曲:稲葉浩志 編曲:稲葉浩志・寺地秀行・徳永暁人 |
BMCV-5002 |
3rd | 2004年7月14日 | Wonderland |
作詞:稲葉浩志 作曲:稲葉浩志 編曲:稲葉浩志・大賀好修 |
BMCV-4001 |
アルバム[編集]
リリース日 | タイトル | レコードNo | |
1st | 1997年1月29日 | マグマ |
BMCR-7012 |
2nd | 2002年10月9日 | 志庵 |
BMCV-8006 |
3rd | 2004年9月22日 | Peace Of Mind |
初回限定盤 BMCV-8012 通常盤 BMCV-8013 |
DVD・VHS[編集]
リリース日 | タイトル | レコードNo | |
1st | 2004年12月22日 (VHS/DVD) | 稲葉浩志 Inaba Koshi LIVE 2004 ~en~ |
1st Disc ONBD-7044 2nd Disc ONBD-7045 |
その他[編集]
タイトル | 備考 |
TRAMP |
: 全英詞の曲で、ソロ作品には未収録。最初はビーイングのカバーコンピレーションアルバム『J-BLUES BATTLE Vol.1』(1996年1月20日)にのみ「稲葉浩志」名義で収録されていたが、後に発売された『J-BLUES compilation at the BEING studio』(2003年6月25日)にも収録されている。 |
未発表作品[編集]
タイトル | 備考 | |
赤い糸 |
日本テレビ系「結界師」エンディング。 | 作詞:稲葉浩志 作曲:稲葉浩志 編曲:葉山たけし |
タイアップ一覧[編集]
CHAIN | TBS系「スーパーサッカー」エンディング。 |
Overture | 日本テレビ系「名探偵コナン」エンディング。 |
AKATSUKI | 日本テレビ系「最強魂」エンディング。日本テレビ系「K1 JAPAN」テーマソング。 |
Wonderland | TBS系「恋するハニカミ!」テーマソング(2004.7~2004.10)。 |
赤い糸 | 日本テレビ系「結界師」エンディング。 |
楽曲提供[編集]
作詞・作曲[編集]
作詞[編集]
- 坪倉唯子「Heaven In My Heart」「GO-GO-GIRLS」
- スティーヴ・ヴァイ 「ASIAN SKY」(共同)
- J-FRIENDS 「Next 100 Years」(日本語詞)
- doa「Siren」
- 上木彩矢「ピエロ」
- 後藤真希「How to use lonliness」
作曲[編集]
他アーティスト作品への参加[編集]
- 早川めぐみ ミニアルバム『METAL VERSION』(1985年4月20日)
- 『グッバイ・ジェーン(GODBUY T' JANE)』と『アイ・ウォナ・ロック(I WANNA ROCK)』の2曲にコーラスで参加。これらの曲と他2曲、全4曲では松本がギターで参加していた。しかし、レコーディング時に二人は顔を逢わせることはなかったという。
- 松川敏也 アルバム『BURNING』(1985年11月30日)
- 全9曲に『Mr.CRAZY TIGER』名義でボーカル参加。
- 前田亘輝 アルバム『Feel Me』(1988年11月21日)
- 『Feel Me,Touch Me』、『Lonesome Town』の2曲を作曲。
- T-BOLAN 1988年、稲葉はステージに慣れるために当時インディーズでライブ活動していたT-BOLANのライブにゲストで20本以上参加している。
- オムニバスアルバム『PLAYERS POLE POSITION Vol.2 SURFIN' USA』(1989年6月21日)
- 『I GET AROUND』はボーカルで、『FUN FUN FUN』はコーラスで参加。
- オムニバスアルバム『PLAYERS POLE POSITION Vol.3 DANCE TO THE CHRISTMAS CAROL』(1989年11月21日)
- 『I SAW MAMMY KISSING SANTA CLAUS』、『SANTA CLAUS IS COMING TO TOWN』の2曲にボーカルで参加。
- 坪倉唯子 アルバム『Heaven In My Heart』(1990年3月21日)
- 『Shooting Star』にコーラスで参加し、『Heaven In My Heart』を作詞した。
- 坪倉唯子 アルバム『I Wanna Be Myself』(1991年7月21日)
- スティーヴ・ヴァイ アルバム『THE ULTRA ZONE』(1999年8月21日)
- 『ASIAN SKY』にボーカルで参加。スティーヴと稲葉の共同作詞。
- J-FRIENDS シングル『Next 100 Years』(1999年12月22日)
- ジョン・ボン・ジョヴィ、リッチー・サンボラが提供した『Next 100 Years』の日本語詞を担当。
- シェーン・ガラース アルバム『Primer』(2003年6月25日)
- 『TIME TO FEED』にブルースハープで友情参加。
- TAK MATSUMOTO アルバム『THE HIT PARADE』(2003年11月26日)
- doa アルバム『open_d』(2005年2月9日)
- 『Siren』を作詞。同曲でブルースハープ演奏でも参加。作・編曲はB'zのサポートメンバーでdoaのメンバーでもある徳永暁人。
- 上木彩矢 シングル『ピエロ』(2006年4月12日)
- B'zのシングル『ゆるぎないものひとつ』の2nd beat『ピエロ』を上木にあわせて歌詞の一部を書き換えて提供した。
- スティーヴィー・サラス アルバム『Be What It Is』(2006年10月25日)
- 『Head On Collision』を作詞、そしてボーカルに参加。ちなみにこの楽曲は、稲葉自身のアルバム『Peace Of Mind』に収録されている『正面衝突』の英語バージョンである。
- 宇浦冴香 シングル『Sha la la -アヤカシNIGHT-』・『マイミライ』を作詞・作曲・プロデュース。シングル『休憩時間10分』を作曲・プロデュース。アルバム『Juke Vox』をプロデュース。
他多数参加。
関連項目[編集]
参考文献・出典[編集]
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外部リンク[編集]
- B'z Offcial Web Site(公式サイト)