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'''日清食品ホールディングス株式会社'''(にっしんしょくひんホールディングス、''Nissin Foods Holdings Co., Ltd.'')は[[大阪府]][[大阪市]][[淀川区]]と[[東京都]][[新宿区]]に本社を置く企業で、[[日清食品]]を中心とする[[食品]]グループの[[持株会社]]である。
  
 
日清食品グループの理念は「'''EARTH FOOD CREATOR'''」(「食」の可能性を追求し、社会や地球に貢献する)、また同グループのビジョンは「'''UNITE FOOD POWERS'''」(「食」の持つ力を結集する)となっている。
 
日清食品グループの理念は「'''EARTH FOOD CREATOR'''」(「食」の可能性を追求し、社会や地球に貢献する)、また同グループのビジョンは「'''UNITE FOOD POWERS'''」(「食」の持つ力を結集する)となっている。

2020年1月13日 (月) 02:05時点における最新版

日清食品ホールディングス株式会社(にっしんしょくひんホールディングス、Nissin Foods Holdings Co., Ltd.)は大阪府大阪市淀川区東京都新宿区に本社を置く企業で、日清食品を中心とする食品グループの持株会社である。

日清食品グループの理念は「EARTH FOOD CREATOR」(「食」の可能性を追求し、社会や地球に貢献する)、また同グループのビジョンは「UNITE FOOD POWERS」(「食」の持つ力を結集する)となっている。 なお、グループ全体におけるスローガンとして「もっと「食」を動かそう。」も制定されている。

社名の由来[編集]

らかに豊かな味をつくる」という創業者・安藤百福の言葉を由来とし、日清戦争(ほか日本中国清朝にかかわることを意味する単語)との関係は無い[1]

同じ日清の冠でも、食品メーカーの日清製粉日清オイリオ、病院等の給食会社の日清医療食品、繊維メーカーの日清紡績とも資本関係はない。

沿革[編集]

  • 1948年(昭和23年)9月4日 大阪府泉大津市に「中交総社」設立。
  • 1949年(昭和24年)9月 「サンシー殖産」に商号変更し、本社を大阪市北区に移転。
  • 1958年(昭和33年)
    • 08月25日 インスタントラーメン「チキンラーメン」発売
    • 12月 「日清食品」に商号変更。本社を大阪市東区(現・中央区)に移転。
  • 1959年(昭和34年)12月 初代ロゴマーク制定(略称「NSS」を2本の下線と円で囲ったもの)。高槻市に工場完成、同時に本社を移転。
  • 1963年(昭和38年)10月 東京大阪証券取引所第2部に上場
  • 1968年(昭和43年)2月 袋入りラーメン「出前一丁」を発売。
  • 1971年(昭和46年)9月 2代目ロゴマーク制定(赤と青の円に「N」を基調としたロゴ)。「カップヌードル」を発売。
  • 1972年(昭和47年)8月 東京・大阪・名古屋各証券取引所第1部に指定替え。
  • 1973年(昭和48年)6月 本社を大阪市北区に移転。
  • 1976年(昭和51年)5月 焼きそば「UFO」を発売。8月にはうどん・そば「どん兵衛」を発売。
  • 1977年(昭和52年)4月 本社を現在地の大阪市淀川区に移転。
  • 1983年(昭和58年)
    • 08月 3代目ロゴマーク制定(赤い半円に「nISSIn」と入れたもの)。このロゴマークは「リップマーク」と呼ばれ、人の食べているや、食器をイメージしたことに加え、地球の半分に見立て、「「食」が生命・地球を支える」を表現したものでもある[注 1]
    •  日清食品と安藤百福の私財を投じて協同で「安藤スポーツ・食文化振興財団」(通称・安藤百福財団、安藤財団)を設立
  • 1988年(昭和63年)3月 東京支社を「東京本社」に改称。
  • 1990年(平成2年)7月 乳酸飲料会社のヨーク本社(現:日清ヨーク)に資本参加。
  • 1991年(平成3年)2月 コーンフレークのシスコーンで知られる菓子会社のシスコ(現:日清シスコ)に資本参加。
  • 1995年(平成7年)2月1日 陸上競技部創設。
  • 1998年(平成10年)4月21日 日清食品公式ウェブサイトを公開。
  • 1999年(平成11年)11月 池田市インスタントラーメン発明記念館を開館。
  • 2003年(平成15年) ロゴマークのアルファベット綴りが「nISSIn」(小文字形体)から「NISSIN」(大文字形体)に小変更。
  • 2006年(平成18年)11月 明星食品と合弁会社を設立、事実上の経営統合。12月15日、友好的TOB成功で日清食品の明星食品株式の所有割合が86.32%(議決権割合は90.43%)になり、明星が子会社へ。12月21日将来的には株式交換により完全子会社化することを決定。
  • 2007年(平成19年)
    • 01月 安藤百福創業者会長が逝去、享年96。
    • 03月 株式交換により明星食品を完全子会社化。
  • 2008年(平成20年)
    • 02月06日 2007年(平成19年)11月22日に合意していた日本たばこ産業(JT)からの加ト吉株式49%譲受と、冷凍食品事業の加ト吉への統合を撤回すると発表。[注 2]
    • 03月 本社機能を東京に集約、同時に登記上の本社については、今後検討する(なお今後も入社式や株主総会等、重要行事は「発祥の地」大阪で行う)と発表。
    • 07月 本社機能を東京本社に移転。ただし、近畿圏営業統括部門等、一部機能が大阪に残る。
    • 09月 創業60周年(日清食品に商号変更してからは50周年となる)
    • 10月01日 社名を「日清食品ホールディングス株式会社」(本社・東京、登記上本店・大阪)に変更し純粋持株会社へ移行、即席麺事業を「日清食品株式会社」、チルド食品事業を「日清食品チルド株式会社」、冷凍食品事業を「日清食品冷凍株式会社」、業務サポート部門を「日清食品ビジネスサポート株式会社」にそれぞれ新設・承継。前述の本社機能集約とあわせ、これにより、経営中枢機能が創業地の大阪から東京へ移行した。
    • 創立50周年を記念し、次の50年に向けて100のことを実行する「百福士プロジェクト」始動。
  • 2010年(平成22年)
    • 01月01日 陸上競技部が第54回全日本実業団対抗駅伝(ニューイヤー駅伝)で初優勝。
    • 03月 創業者・安藤百福が生誕100年。記念商品の発売や、イベントなどが催された(安藤百福#生誕100年も参照)。
    • 08月23日 「インスタントラーメン発明記念館」来館者が300万人を達成[2]
  • 2011年(平成23年)9月17日安藤百福発明記念館(カップヌードルミュージアム)」オープン。
  • 2012年(平成24年)1月1日 陸上競技部が第56回全日本実業団対抗駅伝(ニューイヤー駅伝)で2度目の優勝。
  • 2013年(平成25年)8月 「カップヌードルミュージアム」来館者200万人を達成。
  • 2014年(平成26年)3月 東京都八王子市戸吹町に新たな研究拠点として「日清食品グループ the WAVE」(「グローバルイノベーション研究センター」「グローバル食品安全研究所」の2拠点)が完成、稼働開始。
  • 2058年 日清食品グループ創立100周年。「百福士プロジェクト」完了予定。

グループ[編集]

日清食品グループ[編集]

ファイル:Nissin-foods Kanto factory.jpg
日清食品関東工場(茨城県取手市)
  • 日清食品ホールディングス株式会社
常温食品事業
低温食品事業
菓子事業
飲料事業

機能子会社、その他事業子会社[編集]

関連会社各社については日清食品グループについてを参照。

過去のグループ企業[編集]

日本国外への展開[編集]

インドインドネシアタイオランダアメリカブラジル現地工場。また、味の素と提携しており、インドネシアやタイに合弁会社をすでに設立している。 また、販売国も多国に亘る。

研究所[編集]

日清食品グループの技術・開発・研究拠点として、2014年(平成26年)3月、「グローバルイノベーション研究センター」と「グローバル食品安全研究所」の2拠点からなる「日清食品グループ the WAVE」が東京都八王子市戸吹町に完成した。「最も進んだフードテクノロジーの波を起こし、その力強い波動を絶え間なく世界中に発信していく」事をミッションに、創業者精神のもと、技術開発と食の安全の研究を進めている[3]。設計は古谷誠章早稲田大学教授)が担当し、竹中工務店が工事を請け負った。the WAVEは2014年度グッドデザイン賞を受賞している[4]

スポーツ協賛事業[編集]

日清食品グループ陸上競技部[編集]

日清食品グループ陸上競技部(東京本社付のためチーム所在地は東京都新宿区)は、1995年(平成7年)2月1日、日清食品(当時)の陸上競技部として創設。諏訪利成アテネオリンピック男子マラソン6位入賞)、実井謙二郎アトランタオリンピック男子マラソン日本代表、現・コーチ兼任)をはじめ、徳本一善ジュリアス・ギタヒ大島健太ら中長距離の有力ランナーを揃え、創設以来全日本実業団対抗駅伝大会(ニューイヤー駅伝)の常連チームとなっている(2014年(平成26年)まで19年連続19回、東日本地区代表として出場している)。

2010年(平成22年)の第54回全日本実業団対抗駅伝大会において4時間50分7秒のタイムを記録し、出場15回目にして悲願の初優勝を果たした(1区:座間→2区:ゲディオン→3区:佐藤(区間賞)→4区:北村→5区:保科→6区:徳本→7区:小野)。翌2011年(平成23年)の第55回大会では3位となり、連覇はならなかったものの、2012年(平成24年)の第56回大会では、2年ぶり2回目の優勝を果たした。

チームスタッフ[編集]

監督
コーチ
アドバイザー

所属している選手[編集]

主将
メンバー
過去に所属していた選手[編集]

など

その他スポーツ選手との所属・スポンサード契約[編集]

個人[編集]

団体[編集]

いずれもスポンサー契約。

過去

スポーツイベント協賛[編集]

百福士(ひゃくふくし)プロジェクト[編集]

日清食品グループ創立50周年を迎えた2008年(平成20年)(本社設立の年でもある)、次の50年に向けて立ち上げた社会・環境活動プロジェクトが「百福士ひゃくふくしプロジェクト[1]。これは、創業者・安藤百福が社会活動に熱心だったこともあり、それにちなんだものであり、百福の遺志を次いで今後50年間に合計100の社会貢献活動を行っていくものである。百福士プロジェクトのテーマは「創造」「食」「地球」「健康」「子供たち」の5つが軸となっている。

ちなみに百福士ひゃくふくしとは、江戸時代から外交使節団の代表を「正使」、その下で働く人を「副使」と呼んだ故事に習って、安藤百福の志を次ぐ日清食品グループ社員を指す[5]

主な活動内容[編集]

  • アフリカ事業化自立支援・Oishiiプロジェクト
  • 自然体験活動指導者養成事業・“あやしいオヤジを、正しいオヤジに変える!”プロジェクト
  • チキンラーメン・カン(防災・備蓄用長期保存缶)プロジェクト
  • お湯と生きるプロジェクト「インスタントラーメンのお湯でもSTOP温暖化」
  • 社員大ボランティア支援プログラム
  • 走食系チルドレン育成プロジェクト
  • 児童、厨房に入るべし!プロジェクト(食育事業)
  • 東北の未来プロジェクト(東日本大震災復興支援事業)
  • チキンラーメン&カップヌードル保存缶プロジェクト
  • 全日本育麺 (イクメン)メニューコンテスト

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. カップヌードル」と同じく、大高猛によるデザイン。
  2. 旧・日清食品は2007年(平成19年)11月22日日本たばこ産業(JT)とともに加ト吉(現:テーブルマーク)を共同買収し、2008年(平成20年)4月に冷凍食品部門を加ト吉に移して統合すると発表したが、2008年(平成20年)2月にJT子会社の不祥事(冷凍ギョーザ中毒事件)による業績の修正を受けて冷凍食品部門の統合は見送られた。その後10月の持株会社制移行により、冷凍食品部門は「日清食品冷凍株式会社」として再出発した。

出典[編集]

外部リンク[編集]

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