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'''小室ファミリー'''(こむろファミリー)とは、[[音楽プロデューサー]]の[[小室哲哉]]を中心にした[[芸能人ファミリー]]であり、同人がプロデュースまたは[[楽曲]]提供した[[歌手]]たちを呼ぶ総称。
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== 概要 ==
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[[ファミリー]]入りするための定義はないが、小室プロデュースの曲が代表曲になると、たとえ1曲の提供であってもファミリーだと世間的に認知されることが多い。また、小室の右腕とされる[[久保こーじ]]のプロデュースも含まれ、小室ファミリーと定義される歌手は100組を軽く超えるとされる。
  
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ただし[[篠原涼子]]([[東京パフォーマンスドール|TPD]]時代を含む)や[[trf]]をはじめ、小室がプロデュースするのは大概2-3年程度であり、[[globe]]のように10年も続くというのは稀有である。これは契約期間が最初から定まっているためであり、「いずれは小室の手から離れてアーティストを送り出す」という意味合いもあるが、悪い印象をもつ者もいる(「[[小室ファミリー#ブームの終焉|ブームの終焉]]」の項も参照)。
  
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また[[ビーイング]]所属アーティスト同様、[[dos (音楽ユニット)|dos]][[Kiss Destination]]など、解散宣言が出されないまま自然消滅したグループもある。
  
== 使用方法 ==
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== 小室ファミリーとされない例 ==
<pre>{{YouTube channel|「チャンネル名」|「説明」}}</pre>
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以下のミュージシャンおよび歌手は、基本的に当ファミリーに含まれない場合が多い。
YouTubeの「チャンネル名」を与えて使用します。以下のURLのチャンネル名は全てexampleです。
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* <tt><nowiki>http://jp.youtube.com/example</nowiki></tt>
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* <tt><nowiki>http://jp.youtube.com/user/example</nowiki></tt>
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* <tt><nowiki>http://jp.youtube.com/profile?user=example</nowiki></tt>
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「説明」を省略すると記事名が代用されます。
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{{DEFAULTSORT:{{PAGENAME}}}}
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* TM NETWORKおよびその関連アーティスト
[[Category:外部リンク用テンプレート]]
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** [[TM NETWORK]](小室哲哉、[[宇都宮隆]]、[[木根尚登]]) - 自らの「里」
[[en:Template:YouTube user]]</noinclude>
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** 1980年代から小室のプロデュース業が顕著になって以来、[[1994年]]までの間に小室と関係のあったミュージシャン
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*** [[浅倉大介]]([[access (音楽ユニット)|access]])、[[松本孝弘]]([[B'z]])、[[FENCE OF DEFENSE]]など
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** 上記の[[浅倉大介の作品一覧|浅倉のプロデュース]]を受けたアーティスト
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*** [[T.M.Revolution]]、[[Iceman]]、[[LAZY KNACK]]、[[pool bit boys]]、[[木村由姫]]など
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** 以上については「'''TMファミリー'''」と呼ばれることが多く、小室ファミリーとは区別されている。
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* [[渡辺美里]] - 立身の契機を作った「恩人」であり、独自の世界を持つ。
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* 楽曲または編曲のみ提供を受けた歌手
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** [[岡田有希子]]、[[小泉今日子]]、[[沢口靖子]]、[[中山美穂]]、[[松田聖子]]など
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* 小室プロデュースのうち、[[TRF]](当時は「trf」)より先に提供を受けた歌手 - [[宮沢りえ]]、[[田中美奈子]]など
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* [[嘉門達夫]] - 小室ブーム時代の作品を替え唄にした「TK[[替え唄メドレー]]」をリリースした。
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* 1990年代の小室ブームから時期が外れているアーティスト
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** [[2002年]]に「[[songnation]]」として楽曲提供を受けた[[エイベックスグループ|avex]]系アーティスト
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*** [[浜崎あゆみ]]、[[BoA]]、[[倖田來未]]、[[持田香織]]([[Every Little Thing]])、[[伴都美子]]([[Do As Infinity]])、[[VERBAL]]([[m-flo]])など
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** TMのナンバーをカバーしたアーティスト
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*** [[玉置成実]] - [[2005年]]にTM NETWORKの「Get Wild」をカバーしている。
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*** [[Sweet Vacation]] - TMNの「[[Love Train/We love the EARTH|We love the EARTH]]」をカバーした。
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** [[青田典子#バブル青田|バブル青田]] - [[2006年]]に「[[ロンドンハーツ]]」([[テレビ朝日]])の企画で小室がプロデュースを手掛けた)。
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** [[次長課長]]など、[[H Jungle with t]]([[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]の[[浜田雅功]]がボーカルを務めた)を除く[[吉本興業|吉本芸人]]
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** [[AAA (音楽グループ)|AAA]] - [[2010年]]以降、新曲のプロデュースを手掛けている。
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== 小室ブーム ==
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'''小室ブーム'''(こむろブーム)とは、1990年代半ばに起こった、[[小室哲哉]]のプロデュース楽曲が[[オリコンチャート]]の上位を埋め尽くした現象のこと。
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[[1992年]] - [[1993年]]、[[バンドブーム]]が衰退し「[[ビーイングブーム]]」が起こった。その後、ビーイングブームの沈静化と前後して、[[TM NETWORK]]終了の頃から複数のアーティストへのプロデュースを本格化し、trf、ANISS、大谷健吾、観月ありさ、hitomiによる[[小室ファミリー]]の原型ができ上がった。しかし、trf、ANISS、hitomiのデビュー曲ではオリコンチャートの100位以内にも入ることができずラジオでもオンエアされることは少なかった。また、[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)]]所属である小室が他レコード会社の楽曲をプロデュースすることに対する反感も相当強かった。
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その後、[[TRF|trf]]の「[[EZ DO DANCE]]」(最高位15位)「[[寒い夜だから…]]」(初登場16位、最高位8位、当初はノンタイアップ)などがロングヒットし、[[中森明菜]]の「[[UNBALANCE+BALANCE|愛撫]]」がアルバム曲ながら注目を集め、[[東京パフォーマンスドール]]の[[篠原涼子]]が「篠原涼子 with t. komuro」名義で出した「[[恋しさと せつなさと 心強さと]]」が、初登場27位からチャート1位まで上昇し、[[大谷健吾]]が原宿を中心に人気を集め(オリコン「The Ichiban」などのアンケートで上位に入った)、ここからプロデューサーとしての小室哲哉に注目が集まった。trfは「[[Survival dAnce 〜no no cry more〜]]」「[[BOY MEETS GIRL]]」「[[CRAZY GONNA CRAZY]]」など5作品連続でミリオンセラーを記録、[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]の[[浜田雅功]]に「H jungle with t」名義で提供した「[[WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント]]」が予言通りダブルミリオンを獲得したことでプロデューサーとしての地位を確固たるものにした。(→[[小室哲哉提供楽曲一覧]]参照)
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楽曲提供のみに留まらず、エンジニアリングから[[A&R]]業務までのプロジェクト全体を統括するプロデューサーとして業界内でも期待を集めた。しかし1994年から95年前半にかけて[[丸山茂雄]]が設立した[[エピックレコードジャパン#アンティノスレコード|アンティノスマネジメント]]による欧米型マネージメント体制(ワン・アーティスト/ワン・マネージメント)は、プロデューサーとしての楽曲大量生産に対応できるものではなく、やがて破綻した。楽曲製作以外の部分を肩代わりする存在の出現が望まれ(1994,オリコン年鑑など)、[[エイベックスグループ|プライム・ディレクション]]<ref>法人としては現在のエイベックス・ライブ・クリエイティブだが、2005年のエイベックスグループ再編でコンサートの企画製作に業態変更している。</ref>と[[バーニングパブリッシャーズ]]など[[バーニングプロダクション|バーニンググループ]]による集団管理体制が次第に構築されていった(月刊Views, 1996年8月号, 講談社など)。これに伴い、この時期以降の安室奈美恵の楽曲を除く殆どの小室作品はバーニングパブリシャーズが[[音楽出版]]上の[[原盤権]]を所有している。
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この体制のもとで[[globe]]、[[dos (音楽ユニット)|dos]]などがデビューし、[[安室奈美恵]]、[[華原朋美]]などのプロデュースとともに成功を収め、1996年から1998年にかけて、いわゆる小室ファミリーによる[[小室サウンド]]が大量生産されていった。[[電通]]内に小室哲哉チームが作られ、コンサートの冠スポンサー、ウェブサイト「TK Gateway」との連携など単なるタイアップ曲の枠を越えて重層的なメディアミックスが仕掛けられた。この時代にプロデュースを受けたアーティストが小室ファミリーに分類されることが多い。その一方で同時期に華原朋美は予想外のブレイクにより[[アイドル歌謡曲]]指向への転換を余儀なくされ、リミックスアルバムが発売中止となり、[[H.A.N.D.]]は1年余りでプロデュースが終わり、海外向けプロジェクト[[EUROGROOVE]]も終了した。
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1995年から1999年までは『[[ASAYAN]]』などで小室名義のオーディションが数回企画されたり、TVCMやテレビアニメ主題歌との[[タイアップ]]を付けて有望新人を小室プロデュースでデビューさせることが流行った。しかし、[[鈴木亜美|鈴木あみ]]以外思うような売上が出ず、皮肉にも同じファミリーメンバーでの競争も起こった。このような形態でデビューし、現在も活動している歌手は非常に少ない。
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2000年頃から小室自身が日本の音楽シーンの中心からやや離れた[[プログレッシブ・ロック|プログレ]]や[[トランス (音楽)|トランス]]に傾倒し、ミリオンセラーに届く[[ヒット曲]]を出さなくなった。かたや[[ハロー!プロジェクト]]や他アーティストがヒットチャートの中心に台頭するようになり、ブームは自然消滅した。
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<!--また、小室ファミリーの肥大化は、集団管理体制にも綻びを徐々に生じさせていくこととなった。-->
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このブームに乗って、小室哲哉と親交がある[[嘉門達夫]](嘉門達夫もイニシャルはT.Kである)は、小室哲哉プロデュース作品の替え唄を集めた「TK[[替え唄メドレー]]」を2作リリースしている。嘉門は替え歌メドレーを発表するときは、原曲の著作権者(作曲者・作詞者・歌唱者)の許可を得てからリリースしているが、小室哲哉は非常に協力的だったといわれる。
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小室ブームが終焉に差し掛かった2000年3月に、1993年以降の小室プロデュースによる楽曲CDの累計発売枚数が3000万枚を突破したことを記念して、[[avex trax]]から当時の小室ファミリーの集大成として3枚組の[[コンピレーション・アルバム]]「[[ARIGATO 30 MILLION COPIES -BEST OF TK WORKS-]]({{ASIN|B00005ECC5}})」が発売されている。
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=== TK presents こねっと ===
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[[1997年]][[1月1日]]には、プロデュースしてきた歌手などに声をかけ「TK presents こねっと」として『[[YOU ARE THE ONE]]』をリリース。「こねっと」とは「子供ネットワーク」からきており、[[小学校]]や[[中学校]]に[[インターネット]]を普及させようとする小室独自のプロジェクトの名称である。この活動に参加した歌手たちを'''小室ファミリー'''の集大成・最盛期と見る人も多い。
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== 主なファミリーメンバー ==
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*[[TRF]](Tetsuya komuro Rave Factory)
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*[[観月ありさ]]
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*[[篠原涼子]]
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*[[globe]]
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*[[内田有紀]]
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*[[安室奈美恵]]
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*[[hitomi]]
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*[[H Jungle with t]]
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*[[dos (音楽ユニット)|dos]]
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*[[華原朋美]]
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*[[H.A.N.D.]]
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*[[大賀埜々]]
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*[[天方直実]]
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*[[L☆IS]]
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*[[鈴木亜美|鈴木あみ]]
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*[[Kiss Destination]]
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*[[Ring (歌手)|Ring]]
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*[[tohko|トーコ]]
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*[[未来玲可]]
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*[[翠玲]]
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※順不同。単発および、現在は別プロデュースの[[音楽家|ミュージシャン]]、[[歌手]]も含む。
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=== 主なチャート記録 ===
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* [[安室奈美恵]]「[[CAN YOU CELEBRATE?]]」で、邦楽女性ソロアーティスト売上歴代1位を獲得。
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* [[H Jungle with t]]「[[WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント]]」で、お笑い芸人によるCD売上歴代1位を獲得([[レコード#レコードの諸形態|EP]]を含めると歴代2位)。
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* [[日本レコード大賞]]で、[[1995年]]:[[trf]]「[[Overnight Sensation 〜時代はあなたに委ねてる〜]]」、[[1996年]]:[[安室奈美恵]]「[[Don't wanna cry]]」、[[1997年]]:安室奈美恵「[[CAN YOU CELEBRATE?]]」、[[1998年]]:[[globe]]「[[wanna Be A Dreammaker]]」と、プロデュース作品が4年連続大賞獲得。
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* オリコン[[作詞家]]・[[作曲家]]ランキングで4年連続1位([[1994年]] - [[1997年]])。
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* オリコン[[編曲家]]ランキングで3年連続1位([[1995年]] - [[1997年]])。
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* [[1996年]][[4月15日]]付のシングルチャートで、小室ファミリーが上位5位を独占(安室奈美恵「Don't wanna cry」、[[華原朋美]]「[[I'm proud]]」、globe「[[FREEDOM (globeの曲)|FREEDOM]]」、[[dos (音楽ユニット)|dos]]「[[Baby baby baby]]」、[[TRF|trf]]「[[Love & Peace Forever]]」)。同じ[[音楽プロデューサー|プロデューサー]]の独占は[[1993年]][[7月5日]]付にビーイング勢が獲得して以来。
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* 年間アーティスト・トータルセールス、1994年 - 1996年の間、小室プロデュースアーティストが首位獲得。(94、95年、trf、96年、globe)
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* ソロおよび自身が参加したユニットとしては、[[TM NETWORK|TMN]]時代と含めると、6つのユニットで1位を獲得している。(ソロ、TMN、[[篠原涼子]] with t.komuro、[[H Jungle with t]]、[[globe]]、TK presents こねっと)
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* 94年、[[篠原涼子]] with t.komuro「[[恋しさと せつなさと 心強さと]]」、95年、[[H Jungle with t]]「[[WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント]]」、96年、[[globe]]「[[DEPARTURES]]」、97年、[[安室奈美恵]]「[[CAN YOU CELEBRATE?]]」のダブルミリオン作品を4年連続でヒットさせた。
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* 著作権使用料の分配額で決定される[[JASRAC賞]]においても、小室が作詞・作曲を手がけた楽曲が最優秀賞である金賞を4回(1994年・1995年・1996年・1998年)獲得している(史上最多)。
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== ブームの終焉 ==
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1996年以降小室以外のプロデューサーや[[A&R]]の台頭により、小室ファミリー以外の歌手(主にグループ)によるミリオンセールスのCDが増え始めた。これと反比例するように1999年頃から小室楽曲の作風が変化し、小室プロデュース作品の勢力は衰え始めていくことになる。
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1997年に[[安室奈美恵]]「[[CAN YOU CELEBRATE?]]」が年間ランキング1位を獲得したものの、翌[[1998年]]は小室作品がTOP30にランクインしないなど、その失速は急激なものであり、[[1998年]]に[[globe]]が[[第40回日本レコード大賞]]を受賞したのを最後に一連の賞レースから遠のくこととなった。小室本人もそれをかなり意識していたようで、[[2008年]][[11月1日]]の[[エフエムナックファイブ|NACK5]]の開局20周年番組に出演した際には「(1987年から2008年の)前半10年と後半10年は(音楽シーンが)全く違う。99年からの10年は、なかなか曲が出てこなかった」と吐露するほどであった。
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[[CD不況]]に突入する[[ゼロ年代]]に向け、CDバブル崩壊の1999年から2000年にかけての歌謡界は以下の流行を見せていた。
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*[[1997年]]に[[GLAY]]から始まった[[ベストアルバム]]ブームで、再び[[1990年代]]前半以前のアーティストが注目されるようになった([[B'z]]、[[サザンオールスターズ]]、[[井上陽水]]、[[ZARD]]、[[松任谷由実]]など多数)。
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*[[Mr.Children]]の大ブーム。
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*[[JUDY AND MARY]]、[[the brilliant green]]、[[Hysteric Blue]]、[[センチメンタル・バス]]、[[ポルノグラフィティ]]等の[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|ソニー・ミュージック]]が発掘した若手ボーカルバンドグループのヒット。
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*安室奈美恵と同じ[[ヴィジョンファクトリー|ライジングプロ]]所属で非小室ファミリー歌手である[[MAX (音楽グループ)|MAX]]、[[SPEED]]、[[知念里奈]]、[[DA PUMP]]のヒット。いずれも安室と同じ「[[沖縄アクターズスクール]]」出身。特にSPEEDは中高生の人気がかなり高かった。
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*[[19 (音楽グループ)|19]]、[[ゆず (音楽グループ)|ゆず]]による[[ニュー・フォーク]]の到来。
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*[[MISIA]]、[[宇多田ヒカル]]、[[倉木麻衣]]、[[平井堅]]らによる[[R&B]]ブームの到来。
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*[[BUMP OF CHICKEN]]、[[Dragon Ash]]、[[椎名林檎]]など「[[ROCKIN'ON JAPAN]]」に取材されるような新感覚のロックミュージシャンによるブーム。
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*[[Kinki Kids]]、[[SMAP]]、[[嵐 (グループ)|嵐]]など、[[ジャニーズ事務所|ジャニーズ歌手]]の楽曲のヒット。
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*[[相川七瀬]]、[[Every Little Thing]](ELT)、[[浜崎あゆみ]]など、[[エイベックス|avex]]創業メンバーがプロデュースした女性歌手の台頭。ちなみにELTは、当時同ユニットの一員だった[[五十嵐充]]がプロデュースした。
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*「[[だんご3兄弟]]」のトリプルミリオン。
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*新人演歌歌手[[大泉逸郎]]が「[[孫 (大泉逸郎の曲) |孫]]」でミリオンセラー。
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*[[つんく]]([[シャ乱Q]])のプロデュースによる“[[モーニング娘。]]”等の[[つんくファミリー]]([[ハロー!プロジェクト]])の台頭。
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*[[鬼束ちひろ]]、[[椎名林檎]]、[[aiko]]、[[矢井田瞳]]、[[小柳ゆき]]、[[中島美嘉]]など、[[ソウルミュージック|ソウルフル]]な歌唱をする「[[歌姫]]」(女性ソロシンガー)の相次ぐデビュー。
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*小室ファミリーに所属していた歌手の、[[小室ファミリー#小室プロデュースが終了した例|小室プロデュースからの独立]]。また、安室の結婚、産休が上述のアーティストのヒットし始めた時期と重なった影響も大きい。
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これらの影響が一気に押し寄せたことに加え、2000年に小室系として唯一ミリオンセラーを達成していた[[鈴木亜美|鈴木あみ]]が「[[Reality/Dancin' in Hip-Hop]]」を最後に歌手活動停止状態に陥り、小室ブームは事実上終焉した。小室は2001年1月にソニー・ミュージックエンタテインメントとの専属プロデューサー契約を解除し、[[前受金|前受]]報酬(印税)18億円の返還を求められることになり、この返済と自身の浪費のために借金を重ねることになる。
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<references/>
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==関連項目==
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*[[小室哲哉]]
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*[[久保こーじ]] - [[No!Galers]]
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*[[FM802]] - 大阪のFM局で、'''小室ファミリーの楽曲を絶対に流さない'''方針を打ち出していたラジオ放送局として有名である。
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*[[つんくファミリー]]
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{{DEFAULTSORT:こむろふあみりい}}
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[[Category:日本の歌手|*こむろふあみりい]]
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[[Category:小室哲哉|*こむろふあみりい]]
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[[Category:1990年代の音楽]]

2020年1月12日 (日) 20:09時点における最新版

小室ファミリー(こむろファミリー)とは、音楽プロデューサー小室哲哉を中心にした芸能人ファミリーであり、同人がプロデュースまたは楽曲提供した歌手たちを呼ぶ総称。 小室哲哉 を参照

概要[編集]

ファミリー入りするための定義はないが、小室プロデュースの曲が代表曲になると、たとえ1曲の提供であってもファミリーだと世間的に認知されることが多い。また、小室の右腕とされる久保こーじのプロデュースも含まれ、小室ファミリーと定義される歌手は100組を軽く超えるとされる。

ただし篠原涼子TPD時代を含む)やtrfをはじめ、小室がプロデュースするのは大概2-3年程度であり、globeのように10年も続くというのは稀有である。これは契約期間が最初から定まっているためであり、「いずれは小室の手から離れてアーティストを送り出す」という意味合いもあるが、悪い印象をもつ者もいる(「ブームの終焉」の項も参照)。

またビーイング所属アーティスト同様、dosKiss Destinationなど、解散宣言が出されないまま自然消滅したグループもある。

小室ファミリーとされない例[編集]

以下のミュージシャンおよび歌手は、基本的に当ファミリーに含まれない場合が多い。

小室ブーム[編集]

小室ブーム(こむろブーム)とは、1990年代半ばに起こった、小室哲哉のプロデュース楽曲がオリコンチャートの上位を埋め尽くした現象のこと。

1992年 - 1993年バンドブームが衰退し「ビーイングブーム」が起こった。その後、ビーイングブームの沈静化と前後して、TM NETWORK終了の頃から複数のアーティストへのプロデュースを本格化し、trf、ANISS、大谷健吾、観月ありさ、hitomiによる小室ファミリーの原型ができ上がった。しかし、trf、ANISS、hitomiのデビュー曲ではオリコンチャートの100位以内にも入ることができずラジオでもオンエアされることは少なかった。また、ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)所属である小室が他レコード会社の楽曲をプロデュースすることに対する反感も相当強かった。

その後、trfの「EZ DO DANCE」(最高位15位)「寒い夜だから…」(初登場16位、最高位8位、当初はノンタイアップ)などがロングヒットし、中森明菜の「愛撫」がアルバム曲ながら注目を集め、東京パフォーマンスドール篠原涼子が「篠原涼子 with t. komuro」名義で出した「恋しさと せつなさと 心強さと」が、初登場27位からチャート1位まで上昇し、大谷健吾が原宿を中心に人気を集め(オリコン「The Ichiban」などのアンケートで上位に入った)、ここからプロデューサーとしての小室哲哉に注目が集まった。trfは「Survival dAnce 〜no no cry more〜」「BOY MEETS GIRL」「CRAZY GONNA CRAZY」など5作品連続でミリオンセラーを記録、ダウンタウン浜田雅功に「H jungle with t」名義で提供した「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」が予言通りダブルミリオンを獲得したことでプロデューサーとしての地位を確固たるものにした。(→小室哲哉提供楽曲一覧参照)

楽曲提供のみに留まらず、エンジニアリングからA&R業務までのプロジェクト全体を統括するプロデューサーとして業界内でも期待を集めた。しかし1994年から95年前半にかけて丸山茂雄が設立したアンティノスマネジメントによる欧米型マネージメント体制(ワン・アーティスト/ワン・マネージメント)は、プロデューサーとしての楽曲大量生産に対応できるものではなく、やがて破綻した。楽曲製作以外の部分を肩代わりする存在の出現が望まれ(1994,オリコン年鑑など)、プライム・ディレクション[1]バーニングパブリッシャーズなどバーニンググループによる集団管理体制が次第に構築されていった(月刊Views, 1996年8月号, 講談社など)。これに伴い、この時期以降の安室奈美恵の楽曲を除く殆どの小室作品はバーニングパブリシャーズが音楽出版上の原盤権を所有している。

この体制のもとでglobedosなどがデビューし、安室奈美恵華原朋美などのプロデュースとともに成功を収め、1996年から1998年にかけて、いわゆる小室ファミリーによる小室サウンドが大量生産されていった。電通内に小室哲哉チームが作られ、コンサートの冠スポンサー、ウェブサイト「TK Gateway」との連携など単なるタイアップ曲の枠を越えて重層的なメディアミックスが仕掛けられた。この時代にプロデュースを受けたアーティストが小室ファミリーに分類されることが多い。その一方で同時期に華原朋美は予想外のブレイクによりアイドル歌謡曲指向への転換を余儀なくされ、リミックスアルバムが発売中止となり、H.A.N.D.は1年余りでプロデュースが終わり、海外向けプロジェクトEUROGROOVEも終了した。

1995年から1999年までは『ASAYAN』などで小室名義のオーディションが数回企画されたり、TVCMやテレビアニメ主題歌とのタイアップを付けて有望新人を小室プロデュースでデビューさせることが流行った。しかし、鈴木あみ以外思うような売上が出ず、皮肉にも同じファミリーメンバーでの競争も起こった。このような形態でデビューし、現在も活動している歌手は非常に少ない。

2000年頃から小室自身が日本の音楽シーンの中心からやや離れたプログレトランスに傾倒し、ミリオンセラーに届くヒット曲を出さなくなった。かたやハロー!プロジェクトや他アーティストがヒットチャートの中心に台頭するようになり、ブームは自然消滅した。

このブームに乗って、小室哲哉と親交がある嘉門達夫(嘉門達夫もイニシャルはT.Kである)は、小室哲哉プロデュース作品の替え唄を集めた「TK替え唄メドレー」を2作リリースしている。嘉門は替え歌メドレーを発表するときは、原曲の著作権者(作曲者・作詞者・歌唱者)の許可を得てからリリースしているが、小室哲哉は非常に協力的だったといわれる。

小室ブームが終焉に差し掛かった2000年3月に、1993年以降の小室プロデュースによる楽曲CDの累計発売枚数が3000万枚を突破したことを記念して、avex traxから当時の小室ファミリーの集大成として3枚組のコンピレーション・アルバムARIGATO 30 MILLION COPIES -BEST OF TK WORKS-ASIN:B00005ECC5)」が発売されている。

TK presents こねっと[編集]

1997年1月1日には、プロデュースしてきた歌手などに声をかけ「TK presents こねっと」として『YOU ARE THE ONE』をリリース。「こねっと」とは「子供ネットワーク」からきており、小学校中学校インターネットを普及させようとする小室独自のプロジェクトの名称である。この活動に参加した歌手たちを小室ファミリーの集大成・最盛期と見る人も多い。

主なファミリーメンバー[編集]

※順不同。単発および、現在は別プロデュースのミュージシャン歌手も含む。

主なチャート記録[編集]

ブームの終焉[編集]

1996年以降小室以外のプロデューサーやA&Rの台頭により、小室ファミリー以外の歌手(主にグループ)によるミリオンセールスのCDが増え始めた。これと反比例するように1999年頃から小室楽曲の作風が変化し、小室プロデュース作品の勢力は衰え始めていくことになる。

1997年に安室奈美恵CAN YOU CELEBRATE?」が年間ランキング1位を獲得したものの、翌1998年は小室作品がTOP30にランクインしないなど、その失速は急激なものであり、1998年globe第40回日本レコード大賞を受賞したのを最後に一連の賞レースから遠のくこととなった。小室本人もそれをかなり意識していたようで、2008年11月1日NACK5の開局20周年番組に出演した際には「(1987年から2008年の)前半10年と後半10年は(音楽シーンが)全く違う。99年からの10年は、なかなか曲が出てこなかった」と吐露するほどであった。

CD不況に突入するゼロ年代に向け、CDバブル崩壊の1999年から2000年にかけての歌謡界は以下の流行を見せていた。

これらの影響が一気に押し寄せたことに加え、2000年に小室系として唯一ミリオンセラーを達成していた鈴木あみが「Reality/Dancin' in Hip-Hop」を最後に歌手活動停止状態に陥り、小室ブームは事実上終焉した。小室は2001年1月にソニー・ミュージックエンタテインメントとの専属プロデューサー契約を解除し、前受報酬(印税)18億円の返還を求められることになり、この返済と自身の浪費のために借金を重ねることになる。

  1. 法人としては現在のエイベックス・ライブ・クリエイティブだが、2005年のエイベックスグループ再編でコンサートの企画製作に業態変更している。

関連項目[編集]