「海江田万里」の版間の差分

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
 
(2人の利用者による、間の3版が非表示)
1行目: 1行目:
[[ファイル:海江田万里1.jpg|400px|thumb|海江田万里]]
+
[[Image:海江田万里と安愚楽牧場.jpg|800px|thumb|海江田 万里]]
[[ファイル:海江田万里2.jpg|400px|thumb|海江田万里]]
+
[[ファイル:海江田万里3.jpg|400px|thumb|海江田万里]]
+
 
'''海江田 万里'''(かいえだ ばんり、[[1949年]][[2月26日]] - )は、[[日本]]の[[経済評論家]]、[[政治家]]。第10代[[民主党代表]]。
 
'''海江田 万里'''(かいえだ ばんり、[[1949年]][[2月26日]] - )は、[[日本]]の[[経済評論家]]、[[政治家]]。第10代[[民主党代表]]。
  
17行目: 15行目:
  
 
===経済評論家として===
 
===経済評論家として===
[[ファイル:海江田万里4.jpg|300px|thumb|海江田万里]]
 
 
慶大卒業後、[[タレント政治家]]であった[[野末陳平]][[秘書]]を経て、自身も[[タレント]]、経済評論家として独立。テレビ、ラジオ、雑誌などで税金や経済情勢の[[解説者]]として幅広く活躍した。[[ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!]]に「海江田総理(当時の[[海部俊樹|海部]]総理のパロディ)」として数秒出演したことがある。[[バブル経済]]で財テクブームが到来すると、一般向けの財テク指南書を多く出版した。指南書では、破たんした安愚楽牧場の投資商品を何度も推奨していた(後述)。また、1989年4月~1991年3月まで「[[TXNニュース THIS EVENING]]」の土曜メインキャスターを務めた。
 
慶大卒業後、[[タレント政治家]]であった[[野末陳平]][[秘書]]を経て、自身も[[タレント]]、経済評論家として独立。テレビ、ラジオ、雑誌などで税金や経済情勢の[[解説者]]として幅広く活躍した。[[ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!]]に「海江田総理(当時の[[海部俊樹|海部]]総理のパロディ)」として数秒出演したことがある。[[バブル経済]]で財テクブームが到来すると、一般向けの財テク指南書を多く出版した。指南書では、破たんした安愚楽牧場の投資商品を何度も推奨していた(後述)。また、1989年4月~1991年3月まで「[[TXNニュース THIS EVENING]]」の土曜メインキャスターを務めた。
  
 
===政治家として===
 
===政治家として===
[[ファイル:海江田万里5.jpg|400px|thumb|海江田万里]]
 
[[ファイル:海江田万里6.jpg|400px|thumb|海江田万里]]
 
 
1986年、[[第14回参議院議員通常選挙]]に税金党公認で[[東京都選挙区]]から出馬し、落選した。1993年、[[第40回衆議院議員総選挙]]に[[日本新党]]公認で[[東京都第1区_(中選挙区)|旧東京都第1区]]から出馬し、初当選した。1994年9月に日本新党を[[離党]]。[[市民リーグ|民主新党クラブ]]を経て、1995年に[[山花貞夫]]ら[[日本社会党]]を離党したグループを糾合して[[市民リーグ]]を結成し、代表委員(党首)に就任。翌1996年、[[村山富市]]の首相辞任に伴う[[内閣総理大臣指名選挙|首班指名選挙]]では、市民リーグ所属衆議院議員5名が海江田に投票。その後、[[新党さきがけ]]を離党した[[菅直人]]や[[鳩山由紀夫]]らの主導による[[民主党_(日本 1996-1998)|旧民主党]]結党に市民リーグとして合流する。1996年、[[第41回衆議院議員総選挙]]では[[東京都第1区]]から出馬し、[[小選挙区]]で落選([[自由民主党_(日本)|自由民主党]]の[[与謝野馨]]が当選)、[[比例東京ブロック]]で[[復活当選]]した。
 
1986年、[[第14回参議院議員通常選挙]]に税金党公認で[[東京都選挙区]]から出馬し、落選した。1993年、[[第40回衆議院議員総選挙]]に[[日本新党]]公認で[[東京都第1区_(中選挙区)|旧東京都第1区]]から出馬し、初当選した。1994年9月に日本新党を[[離党]]。[[市民リーグ|民主新党クラブ]]を経て、1995年に[[山花貞夫]]ら[[日本社会党]]を離党したグループを糾合して[[市民リーグ]]を結成し、代表委員(党首)に就任。翌1996年、[[村山富市]]の首相辞任に伴う[[内閣総理大臣指名選挙|首班指名選挙]]では、市民リーグ所属衆議院議員5名が海江田に投票。その後、[[新党さきがけ]]を離党した[[菅直人]]や[[鳩山由紀夫]]らの主導による[[民主党_(日本 1996-1998)|旧民主党]]結党に市民リーグとして合流する。1996年、[[第41回衆議院議員総選挙]]では[[東京都第1区]]から出馬し、[[小選挙区]]で落選([[自由民主党_(日本)|自由民主党]]の[[与謝野馨]]が当選)、[[比例東京ブロック]]で[[復活当選]]した。
  
62行目: 57行目:
  
 
===東日本大震災関連===
 
===東日本大震災関連===
[[ファイル:海江田万里7.jpg|400px|thumb|海江田万里 泣く]]
 
[[ファイル:海江田万里8.jpg|400px|thumb|海江田万里 泣く]]
 
 
====消防隊に対する発言====
 
====消防隊に対する発言====
 
2011年3月、[[福島第一原子力発電所事故]]での3号炉建物への放水活動を行う[[東京消防庁]][[ハイパーレスキュー隊]]幹部に対し政府関係者から「速やかにやらなければ処分する」との圧力的発言があったと、[[石原慎太郎]][[東京都知事]]は述べている。 都の関係者によると、その発言は海江田によるものであったという。
 
2011年3月、[[福島第一原子力発電所事故]]での3号炉建物への放水活動を行う[[東京消防庁]][[ハイパーレスキュー隊]]幹部に対し政府関係者から「速やかにやらなければ処分する」との圧力的発言があったと、[[石原慎太郎]][[東京都知事]]は述べている。 都の関係者によると、その発言は海江田によるものであったという。
295行目: 288行目:
 
*大判カタカナ語新辞典 有紀書房 1995.2   
 
*大判カタカナ語新辞典 有紀書房 1995.2   
 
*新カタカナ語ポケット辞典 有紀書房 1995.5
 
*新カタカナ語ポケット辞典 有紀書房 1995.5
 
==脚注==
 
{{Reflist|3}}
 
  
 
==外部リンク==
 
==外部リンク==
 
*{{Official|http://kaiedabanri.jp/}}
 
*{{Official|http://kaiedabanri.jp/}}
 
*[http://www.ikushimakikaku.co.jp/tie-up/kaieda.html 生島企画室プロフィール]
 
*[http://www.ikushimakikaku.co.jp/tie-up/kaieda.html 生島企画室プロフィール]
 +
 +
 +
{{start box}}
 +
{{s-off}}
 +
{{succession box
 +
|title  = {{Flagicon|日本}} [[経済産業大臣]]
 +
|before = [[大畠章宏]]
 +
|years  = 第14代:2011年
 +
|after  = [[鉢呂吉雄]]
 +
}}
 +
{{succession box
 +
|title  = {{Flagicon|日本}} [[特命担当大臣]]([[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済財政政策]])
 +
|before = [[荒井聰]]
 +
|years  = 第15代:2010年 - 2011年
 +
|after  = [[与謝野馨]]
 +
}}
 +
{{succession box
 +
|title  = {{Flagicon|日本}} [[特命担当大臣]]([[内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)|科学技術政策]])
 +
|before = [[川端達夫]]
 +
|years  = 第17代:2010年 - 2011年
 +
|after  = [[玄葉光一郎]]
 +
}}
 +
{{s-par}}
 +
{{succession box
 +
|title  = {{Flagicon|日本}} [[経済産業委員会|衆議院経済産業委員長]]
 +
|years  = 2012年
 +
|before = [[中山義活]]
 +
|after  = [[富田茂之]]
 +
}}
 +
{{succession box
 +
|title  = {{Flagicon|日本}} [[財務金融委員会|衆議院財務金融委員長]]
 +
|before = [[玄葉光一郎]]<br>[[石田勝之]]
 +
|years  = 2010年<br>2011年 - 2012年
 +
|after  = [[石田勝之]]<br>[[五十嵐文彦]]
 +
}}
 +
{{s-ppo}}
 +
{{succession box
 +
|title  = [[民主党代表]]
 +
|before = [[野田佳彦]]
 +
|years  = 第10代:2012年 -
 +
|after  = 現職
 +
}}
 +
{{succession box
 +
|title  = [[民主党執行部|民主党政策調査会長]]
 +
|before = [[岡田克也]]
 +
|years  = 第5代:2002年
 +
|after  = [[枝野幸男]]
 +
}}
 +
{{succession box
 +
|title  = [[市民リーグ|市民リーグ代表]]
 +
|before = 結成
 +
|years  = 初代:1995年 - 1996年
 +
|after  = [[民主党 (日本 1996-1998)|民主党]]へ
 +
}}
 +
{{end box}}
 +
 +
{{経済産業大臣}}
 +
{{民主党}}
  
 
{{デフォルトソート:かいえた はんり}}
 
{{デフォルトソート:かいえた はんり}}
312行目: 360行目:
 
[[Category:東京都出身の人物]]
 
[[Category:東京都出身の人物]]
 
[[Category:1949年生]]
 
[[Category:1949年生]]
[[Category:画像が多過ぎる記事]]
 

2015年9月13日 (日) 13:08時点における最新版

海江田 万里

海江田 万里(かいえだ ばんり、1949年2月26日 - )は、日本経済評論家政治家。第10代民主党代表

衆議院議員(6期)、民主党政策調査会長(第5代)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)経済産業大臣第14代)などを歴任した。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

東京都杉並区出身。

新聞記者だった父四郎は中華人民共和国台湾にいたことがあり、万里の名前は万里の長城に因むことから、海江田は「中国とのかかわりは、生まれた時から」と語る。

また父四郎は鹿児島県出身で、大学を卒業するまでの本籍鹿児島県日置郡金峰町(現南さつま市)だったことから、海江田は「鹿児島は私の故郷」という。

東京都立鷺宮高等学校慶應義塾大学法学部政治学科卒業。

経済評論家として[編集]

慶大卒業後、タレント政治家であった野末陳平秘書を経て、自身もタレント、経済評論家として独立。テレビ、ラジオ、雑誌などで税金や経済情勢の解説者として幅広く活躍した。ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!に「海江田総理(当時の海部総理のパロディ)」として数秒出演したことがある。バブル経済で財テクブームが到来すると、一般向けの財テク指南書を多く出版した。指南書では、破たんした安愚楽牧場の投資商品を何度も推奨していた(後述)。また、1989年4月~1991年3月まで「TXNニュース THIS EVENING」の土曜メインキャスターを務めた。

政治家として[編集]

1986年、第14回参議院議員通常選挙に税金党公認で東京都選挙区から出馬し、落選した。1993年、第40回衆議院議員総選挙日本新党公認で旧東京都第1区から出馬し、初当選した。1994年9月に日本新党を離党民主新党クラブを経て、1995年に山花貞夫日本社会党を離党したグループを糾合して市民リーグを結成し、代表委員(党首)に就任。翌1996年、村山富市の首相辞任に伴う首班指名選挙では、市民リーグ所属衆議院議員5名が海江田に投票。その後、新党さきがけを離党した菅直人鳩山由紀夫らの主導による旧民主党結党に市民リーグとして合流する。1996年、第41回衆議院議員総選挙では東京都第1区から出馬し、小選挙区で落選(自由民主党与謝野馨が当選)、比例東京ブロック復活当選した。

1997年10月、金正日北朝鮮国防委員会委員長推戴を記念する祝賀宴に参加した。

2000年第42回衆議院議員総選挙では東京1区で与謝野を破り当選した。同年、民主党東京都連会長に就任。同年12月には在日本朝鮮人総連合会の招請による民主党の訪朝団に参加し、北朝鮮を訪問した。

2002年には党政策調査会長に就任した。2003年、第43回衆議院議員総選挙では再度与謝野を破り当選した(与謝野も比例復活)。

2005年第44回衆議院議員総選挙に東京1区から民主党公認で出馬し、与謝野に敗れ落選。比例復活もできなかった。

2009年8月、第45回衆議院議員総選挙では東京1区から民主党公認で出馬し、与謝野を破り4年ぶりに当選した(与謝野も比例復活)。総選挙後、民主党選挙対策委員長代理に就任した。

2009年12月10日、小沢一郎を中心とした民主党議員143名、その他民主党支持者500名あまりが参加した小沢訪中団に参加。

2010年9月民主党代表選挙に一旦は出馬する意向を表明し、小沢一郎にも出馬の意向を伝えた。しかし、当の小沢が出馬の意向を示したため自身の出馬表明を撤回、代表選挙での小沢への投票を明言した。小沢は菅直人に敗れた。同年9月に発足した菅第1次改造内閣内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)とともに内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)に就任し、初入閣した。また、国務大臣として宇宙開発担当の補職を受けた。

2011年1月、菅第2次改造内閣では経済産業大臣に横滑りした。この内閣改造では小選挙区のライバルである与謝野馨も、それまでの海江田の役職であった内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)の後任として入閣した。与謝野の入閣に関し、海江田は「人生というものは不条理だ」と感想を述べた。2011年4月11日、国務大臣として原子力経済被害担当の補職を受けた。

7月7日、原子力損害賠償支援機構法案の成立をめどに辞任する意向を表明し、8月12日には菅内閣が総辞職する前に辞任する意向を示した。8月19日、2011年民主党代表選挙に立候補する意向を固め、小沢一郎に支援を要請。会見では小沢の党員資格停止処分の見直しを示唆した。23日、内閣総辞職前の辞任を撤回。8月26日、菅直人内閣総理大臣に辞表を提出するが受理されず。同日、民主党代表選への出馬を正式表明。28日の討論会などでは、民主党のマニフェスト見直しに関する自民・公明両党との3党合意について「継続するかどうかは新執行部で決めるのがいい」と述べ、白紙で臨む考えを示した。

29日の代表選では1回目の投票で最多の143票を獲得。野田佳彦との決戦投票では177票を獲得したが、215票の野田に及ばなかった。この要因として、選挙戦で鹿野道彦陣営から山田正彦を引き抜き反発を招いたことや、TPPを推進する姿勢がぶれたことが挙げられている。 2011年9月野田内閣の発足に伴い経済産業大臣を退任し、衆議院財務金融委員長に就任。

2012年12月16日に執行された第46回衆議院議員総選挙では東京1区から民主党公認で出馬し、自民党新人で当時38歳の山田美樹に敗れ落選(比例東京ブロック3位で復活当選)。

同年12月22日、衆院選の結果を受けて民主党代表を辞任した野田佳彦の後任を決める民主党代表選挙に立候補を表明した。出馬に際して、「あえて火中の栗を拾う(覚悟で今度の代表選に臨む決意をした)。(民主党の創始者の一人として)党を立て直す責任がある」と心境を明かした。12月25日の代表選挙で90票を獲得し、馬淵澄夫を下して民主党代表に選出された。

人物[編集]

  • 趣味は漢詩、読書、絵画鑑賞
  • 師事した野末陳平との関係から、「中国との縁が本格化した」という。漢詩に造詣が深く、2006年に私撰の詩集も出している。インタビューで「中学生の時から漢文が好き」だったと答えている。
  • 生島ヒロシが会長である生島企画室にマネージメントを委託し、活動している。議員に落選した影響から、経済評論家として講演会などの活動も増やし、TBSラジオ生島ヒロシのおはよう一直線」など積極的に出演している。
  • 1996年に『僕が小沢政治を嫌いなほんとの理由』という本を出版したが、2011年現在では小沢一郎との関係は良好であり、新しい衆議院議員会館では、海江田も籍を置く鳩山グループの所属議員の多くが使用する第一議員会館4階ではなく、小沢の側近議員が集められた同6階の一室を使用している。
  • 北京紙、新京報は2011年8月27日付で、海江田について「中国文化を愛好し、対中関係に積極的」と評価。名前の由来や司馬遷の「史記」を愛読していること、北京の繁華街で買った中国メーカーのスーツを着用していることなどを好意的に紹介した。

発言[編集]

年収1500万円は中間所得者[編集]

年収1500万円以上の給与所得者について、「金持ちではない。中間所得者だ」と述べている。日本における給与所得者のうち、年収1500万円以上の割合は1.2%である。

東日本大震災関連[編集]

消防隊に対する発言[編集]

2011年3月、福島第一原子力発電所事故での3号炉建物への放水活動を行う東京消防庁ハイパーレスキュー隊幹部に対し政府関係者から「速やかにやらなければ処分する」との圧力的発言があったと、石原慎太郎東京都知事は述べている。 都の関係者によると、その発言は海江田によるものであったという。

2011年3月22日、閣議後の記者会見において海江田は「進行中の話なので事実関係を詳細に述べるのは差し控えたいが、消防の方が本当に不快な思いをされたのであれば申し訳なく思う」と陳謝、一方で「私が直接現場と話したのではなく、連絡員が入っているものだ。今は現場で働いている人が第一で、いずれちゃんと話す」と述べた。

被曝は基本的な落ち度[編集]

2011年3月25日、福島第一原子力発電所事故において作業員が被曝したことについて、放射線をチェックする職員が同行していなかったことを「かなり基本的な作業の落ち度。人繰りの問題で入っていなかった。大きな基本的なミス」と語り、東京電力の作業員軽視とも思われる対応に苦言を呈した。

作業員の待遇改善[編集]

2011年4月26日の参院経済産業委員会において、公明党副代表の松あきら元経産副大臣が福島第一原発作業員の苛酷な労働環境について質問したところ、改善の難しさを述べてから、飯場について「片一方で避難民の方々が居て、それよりも良くなってはいけないし、かといって働く人たちの基準を守らなければいけないということで、本当に東電の方々も非常に難しい選択をしながら、そこは夏場に向かって熱中症も多いことですから、ぎりぎりのところで働く人たちの待遇を改善しなければいけないということになっている」と述べた。

線量計つけず作業、日本人の誇り[編集]

2011年7月23日、テレビ番組に出演し「現場の人たちは線量計をつけて入ると(線量が)上がって法律では働けなくなるから、線量計を置いて入った人がたくさんいる」「頑張ってくれた現場の人は尊いし、日本人が誇っていい」と称賛した。ただし同年10月8日、東京電力はそのような例はないとの調査結果を原子力安全・保安院に報告している。 当然のことながら、線量計をつけずに原発内で働くことは労働者の生命に関わる問題であり、違法である。

チベット問題[編集]

テレビ番組情報ライブ ミヤネ屋において「パンチェンラマは中共を支持している」と発言(パンチェン・ラマ問題)「日中には違いが存在する」「チベット人は労働せず貧しい。中国はチベット人に文化的な生活をさせるために格差是正を行い、労働意識をもたせた。全てはチベット人のためである」と発言した。

海上自衛隊護衛艦への中国海軍フリゲート艦火器管制レーダー照射事件[編集]

中国海軍フリゲート艦が2013年1月30日午前10時頃に海上自衛隊護衛艦火器管制レーダーを照射した事件について、海江田万里は2013年2月6日に『(政府が事件発生から公表まで期間が空いた事について)どういう理由で遅れたのか、たださないといけない』と発言したが、同様のレーダー照射事件が民主党政権時代にも複数回あった事が、日本経済新聞の2013年2月7日付朝刊で『当時の野田佳彦首相岡田克也副総理らは「日中関係を悪化させたくないとの判断で公表を避けた」と関係者は見る』と報道され、朝日新聞の2013年2月6日付夕刊1面で『東シナ海での中国軍による自衛隊への射撃用レーダー照射が、野田政権が2012年9月に尖閣諸島国有化する前にもあったことがわかった』と報道され、夕刊フジの2013年2月7日付の記事では『民主党の海江田万里代表は(2013年2月)6日、事案発生から公表まで期間が空いたことを「どういう理由で遅れたのか、たださないといけない」と発言。同党の池口修次参院国対委員長も記者会見で「隠蔽体質を疑う」と政府を批判したが、中国を増長させたのは、実は、民主党の弱腰対応ではないのか。民主党の十八番であるブーメランがまた炸裂したのかもしれない』と報道された。

ネットが政治をさらに劣化させる(2013年7月)[編集]

民主党の海江田万里代表のフェイスブックが炎上している。

とりわけ、元代表の菅直人元首相が、安倍晋三首相に名誉を傷つけられたとして訴えてからは、「菅直人、安倍首相を名誉棄損で提訴! この人に名誉なんてあるの?」など“場外乱闘”の様相も見せている。

海江田氏は自身のFBに次々とキツイ言葉が書き込またことに17日夜、「ネットが政治をさらに劣化させる」などと反論した。

海江田氏がFBを始めたのは今年5月3日、今回の参院選からネット選挙が解禁となるため、情報発信の手段として開設した。支持者からの激励を期待したかもしれないが、最初に書き込まれたのは「そんなヒマがあるなら、安愚楽牧場の問題解決に向かいなよ!」というコメントだった。 その後も、罵詈雑言は続いた。

漢詩に造詣が深い海江田氏が今月10日、「今週の四字熟語」として、「どんな難しい事業でも、志をもって努力し続ければ、必ず成し遂げられる」という意味の、列子の「愚公移山(=ぐこうやまをうつす)」という文字を毛筆で書いてアップすれば、以下のコメントが書き込まれた。

「安愚楽の字を使った! すごい神経だ!」

「与党でなぜしなかったのかな。もう手遅れ」

「屁理屈をこねられても通用しない」

厳しい言葉が並ぶ海江田氏のFBに対し、安倍首相のFBには「菅直人が騒いでいますが。お気になさらず頑張って下さい」といった書き込みがほとんどだ。

選挙にマイナスになりそうな海江田氏のFBだが、今後どうするつもりなのか。海江田事務所に問い合わせると、17日夜になって「代表がFBに書き込んだので読んでほしい」と連絡があった。

海江田氏のFBには

「私は新聞記者であった父から、文章を書くには作法があると教えられてきた。しかし、最近のネット上の諍いを見ていると、そうした作法とはまったく関係なく、他人を誹謗中傷する文章が溢れている。かつて『テレビが政治を悪くした』と言われたことがあったが、今や『ネットが政治をさらに劣化させる』と断じなければならない状況だ」とあった。

その他の発言[編集]

尖閣諸島中国漁船衝突事件に絡む中国共産党主導の中国主要都市で起きた反日デモに関して2010年10月17日、「まだ一部の動きだろうと思うが、燃え上がらないように日本も努力しなければいけない」と述べ、日本政府側の対応が必要だとの考えを示した。

内閣府で2011年1月17日午前、菅第2次改造内閣で経済産業相に就任した海江田万里から、与謝野馨経財相への新旧引き継ぎ式が行われた。海江田は職員に中国語でさようならを意味する「再見(zai jian)」と訓辞を述べ、庁舎を後にした。

2011年1月15日、都内の慶応大学で来日したフランスの経済学者ジャック・アタリと対談した。経産相は人口減対策について個人的見解と断った上で、「コントロールした上での移民政策も必要ではないか」と語り、留学生に優先的に国籍を付与するなどの方策も検討に値すると述べた。

政治資金問題[編集]

破綻した安愚楽牧場の和牛預託商法への関与[編集]

破綻した安愚楽牧場の和牛預託商法について、海江田は衆議院議員に当選する平成5年までに、複数の雑誌、書籍などで紹介し投資を推奨していた。これに対して全国安愚楽牧場被害対策弁護団と被害者の一部は被害額の1割の損害賠償を海江田に要求して簡易裁判所に調停の申し立てを起こしている。

弁護団公式ホームページによると海江田はかつて以下のような記述をして投資を強く推奨し、リスクがないことを強調していたという。

  • 「13.3%の高利回りは驚異的だ」「元金確実で,しかも年13.3%と考えれば,他の金融商品はまっ青!」
  • 「和牛の死亡率は0.4%と低く,また万一そのような事態があっても代わりの牛が提供されるので,契約どおりの利益は保証されます」
  • 「知る人ぞ知るといった高利回りの利殖商品」「むろん元本は保証付き」
  • 「この利益は申し込み時に確定していて,リスクはゼロ」
  • 「利益は申し込みをした時点で確定していますから,リスクもありません。」

また、著作物の中で海江田は、安愚楽牧場への投資のための申し込み電話番号も記述をしており、被害者の中にはそれをみて申し込んだ人もいたという。

海江田は2012年12月25日の民主党新代表就任記者会見で「20数年前のことで、私も自分の金を出しており、時期がきて終わったことだ」として説明を避けている。また、海江田は「(記事を)執筆した時期とその後の日本の経済は全く異なっており、評論の効力はなくなったと考えている。損害賠償責任を負うものではない」という談話を発表したが、弁護団長である紀藤正樹は「海江田氏は経済の専門家として記事を書いた点で責任は重い」として批判している。

これまで、2012年6月から、過去3回、同様の申立てが為されていたという事であるが、3度目の調停申立てが、2013年2月5日までに成立しなかった場合は、東京地裁に提訴する方針であるとされている。

この3度目の調停申立ては、2013年2月5日までに成立しなかったため、出資者約30人は、2月中に数億円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こす方針を固めた。

2013年2月18日、この件について、11都県に住む40代から70代の男女30人が、「投資の専門家として知名度と影響力があったのに、危険性の調査や説明を怠り、宣伝マンの役割を果たした」として、計約6億1,000万円の賠償を求めて、東京地裁に正式に民事提訴をした。

安愚楽元社長ら逮捕で、“広告塔”といわれた民主・海江田代表がピンチに(2013年6月)[編集]

参院選を目前に控えた政界に思わぬところから波紋が広がろうとしている。和牛オーナー制度の行き詰まりが発端となり、畜産会社「安愚楽牧場」元社長らが警視庁に逮捕された事件。

経済評論家として和牛オーナー制度を推奨し、同社の「広告塔」とまでいわれたのが民主党海江田万里代表だ。党の支持率低迷が続く中、海江田氏はまたも難題を抱えてしまった。

海江田氏は18日、元社長らの逮捕を受け、国会内で記者団に、「今から20年以上前のことで、議員になってからは何の関係もない」と釈明した。あとは「個人的な弁護士がコメントを出している」と繰り返し、最後は質問を打ち切るように記者団の前から立ち去った。

海江田氏は衆院議員になる前の評論家時代、和牛オーナー制度について、「リスクはゼロ」と雑誌などで紹介。この記事を読んで出資し損害を受けたとして、出資者30人が今年2月、海江田氏に賠償を求める訴えを東京地裁に起こしている。

海江田氏の弁護士は「粛々と捜査を進め、実態を明らかにしていくべきだ」とした上で、「(民事訴訟は)20年以上前に執筆した記事を問題にするもので、安愚楽牧場に対する捜査とは無関係と考えている」とのコメントを発表した。

民主党は参院選に向け巨大与党への対決姿勢を鮮明にし、衆院予算委員会の集中審議開催を拒否する与党に対し、「安倍(晋三首相)隠しだ」「逃げの首相」などと批判してきた。それだけに海江田氏は隠れることなくテレビカメラの前に立つ意地をみせたが、7万人を超す出資者への説得力不足は否めない。

民主党の細野豪志幹事長は18日、党全体に火の粉が降りかかることを警戒したのか、記者団に、「海江田氏が個人として対応しているのでコメントする立場にない」とだけ語った。

ただ、民主党は国会論戦で野党第一党としての存在感を発揮できず、反転攻勢のきっかけすらつかめない。安倍首相には、憲法改正をめぐり「民主党の中にも賛成する人がいる」と切り崩しを仕掛けられたばかりだ。

与党は事件について、「まだ論評する段階にない」(鴨下一郎自民党国対委員長)と、捜査の行方を慎重に見極める姿勢だが、党代表としての求心力不足もささやかれる海江田氏は泣きっ面に“ウシ”といった心境かもしれない。

略歴[編集]

  • 1972年昭和47年)3月 - 慶應義塾大学法学部政治学科卒業。
  • 議員秘書を経て経済評論家。
  • 1993年平成5年)7月 - 第40回衆議院議員選挙に日本新党から立候補、当選。
  • 1996年(平成8年)
    • 9月 - 鳩山由紀夫菅直人らと民主党結成。
    • 10月 - 第41回衆議院議員選挙当選。予算委員会、決算委員会、大蔵委員会委員。
  • 2000年(平成12年)6月 - 第42回衆議院議員選挙当選。国家基本政策委員会、予算委員会、財務金融委員会委員。
  • 2003年(平成15年)11月 - 第43回衆議院議員選挙当選。国家基本政策委員会理事、予算委員会委員。
  • 2009年(平成21年)8月 - 第45回衆議院議員選挙で5期目の当選。予算委員会理事、安全保障委員会委員。
  • 2010年(平成22年)
    • 6月 - 財務金融委員長。
    • 9月 - 菅第1次改造内閣で内閣府特命担当大臣(経済財政政策・科学技術政策)、宇宙開発担当大臣。
  • 2011年(平成23年)
    • 1月 - 菅第2次改造内閣で経済産業大臣。
    • 6月 - 菅第2次改造内閣で原子力経済被害担当大臣。
    • 9月 - 財務金融委員長
  • 2012年(平成24年)12月 - 第46回衆議院議員選挙出馬。小選挙区(東京第一区)2位落選。同比例東京ブロック3位復活当選。民主党代表選挙にも出馬し、馬淵澄夫を下して当選。第10代民主党代表に就任。

家族[編集]

海江田家[編集]

鹿児島県日置郡金峰町(現南さつま市)、東京都杉並区
安倍晋三総理大臣の父、晋太郎(元外相)と海江田の父、四郎(元毎日新聞論説副主幹)は共に毎日新聞の記者で、四郎は8期上だった。
  • 長女

所属議員連盟[編集]

関連団体[編集]

その他[編集]

  • 大修館書店が全国の中高生から国語辞典に載せたい言葉を募集する「第6回『もっと明鏡』大賞 みんなで作ろう国語辞典!」で、事務局オススメ傑作選に「海江田る」という言葉が選ばれた。この言葉は、海江田が経済産業大臣時代、菅直人首相(当時)の唐突な脱原発表明などに散々振り回されたり、それに関連して衆議院経済産業委員会の答弁中に号泣したりしたことから、「上司の発言に大きく振り回される」「すぐに泣く」という意味。

著書[編集]

単編著[編集]

1983年
  • 常識で生きるとこんな損をする バカを見るのはあなただけ 青春出版社 1983.11 (プレイブックス)
1985年
  • ここで差がつく女性のためのマネー作戦 すぐやれる。確実。有利。 角川ブックス 1985.12
1987年
  • 海江田万里のよくわかる「売上税」 徳間書店 1987.2
  • 今どうすれば一番損をしないか このままでいると5年で、はだか同然 青春出版社 1987.6 (プレイブックス)
  • 海江田万里の損をしない遺産相続 山田ゴロ画 飛鳥新社 1987.12
1988年
  • 激変する生涯資金づくり いま、この「金融商品」情報を知らないと大差がつく 主婦と生活社 1988 (21世紀ポケット)
  • ちょっと知らないだけで貧乏する お金持ちになる人貧乏する人大違い面白お金学 青春出版社 1988 (プレイブックス)
  • 危機を乗りきる財テク 講談社 1988.1
  • マネー新時代の資産倍増法 講談社 1988.2 (ザ・ベストライフ)
  • マル優廃止 こうすれば大丈夫 扶桑社 1988.3
  • 自分のお金が二倍になる本 とにかく速く 金額別いちばんトクな利殖法 光文社 1988.6 (カッパ・ホームス)
  • マル優廃止後のタイプ別(新)財テク講座 あなたはなに派? 双葉社 1988.4
  • あなたの税金こう変わる 海江田万里の税テク指南 プレジデント社 1988.11
1989年
  • 海江田万里のすぐはじめたい相続税対策 遺産継承は長期展望で臨め 大陸書房 1989.1
  • 知らないと損する新税制時代のマネープラン 扶桑社 1989.6
  • 財産簿 借りてふやす生涯財テクの知恵 光文社 1989.6 (カッパ・ホームス) ISBN 978-4334051631
  • 消費税これだけは知っておけ 経済界、1989年
  • 海江田万里の金のなる本 双葉社 1989.8
  • 最新カード活用法 扶桑社 1989.1
  • 男の家計革命 妻に財布を握らせない13章 講談社 1989.9
1990年
  • 海江田万里の「新」マネー総合作戦 高金利時代の財テク必勝法 プレジデント社 1990.11
1991年
  • 海江田万里が選んだクレジットカードベスト100 主婦の友社 1991.4
1992年
  • ポストバブル時代の経済戦略 時事通信社 1992.1 (現代を読む)
  • 海江田万里のこれでわかる不況のしくみ アイペックプレス 1992.1
  • 経済通になる日経新聞の読み方 双葉社 1992.6
  • 成功する人はここが違う 東洋経済新報社 1992.11
1993年
  • 金利は生きもの コスモの本 1993.1
  • 時代を読む、お金を活かす 高齢化・金融自由化を迎えて “不安の時代"の財産有効活用学 PHP研究所 1993.7
  • ハイテク時代の得するライフプラン 知っているとこれだけ違う 扶桑社 1993.3
1994年
  • 確定申告完全マニュアル 1994年版(平成5年分) 日本文芸社 1994.1
  • 「生活充実国」宣言 講談社 1994.2
1995年
1996年
1997年
  • 日本版ビッグバンこれが真実、これは嘘 ベストセラーズ 1997.6 ISBN 978-4584182901
  • 「次の時代」をどう生きるか 癒しと再生へつながる提言 泉書房 1997.12
1998年
  • 改正外為法で日本は浮上する ベストセラーズ 1998.3
1999年
  • 「老後のお金」はこうして作りなさい 日本版401kプランで資産運用はこう変わる! ベストセラーズ 1999.9
  • 世紀末アジア経済を読む 再生の盟主は日本か、中国か、米国か。 プレジデント社 1999.3 ISBN 978-4833416757
2000年
  • 海江田万里の大ヒント!快適老後のつくりかた 30歳からでも早過ぎない老い支度マネープラン集 主婦と生活社 2000.4
2001年
  • 「国のお金」のしくみがビシッと!わかる本 オーエス出版 2001.11
2002年
  • いちばんわかりやすいペイオフ100問100答 アーク出版 2002.3
2006年
  • 海江田万里の音読したい漢詩・漢文傑作選 小学館 2006.7 (中国語・日本語のCD付き) ISBN 978-4093876537
  • 2011年、あなたの「定年後」は大丈夫か。 主婦と生活社 2006.7
2007年
  • 団塊漂流 団塊世代は逃げ切ったか 2007.12 (角川oneテーマ21)
2008年
  • 水彩画で楽しむ漢詩紀行 悠久大陸を往く! 小学館 2008.12 (編:海江田万里、イラスト:王昭) ISBN 978-4093878104
  • 手にとるように税金がわかる本 かんき出版 2008.12

共編著[編集]

1979年
  • 公務員ズバリ合格法 若者よ,迷わず役人のプロをめざせ 野末陳平 徳間ブックス 1979.4
1983年
  • 主婦が得するおかね学 / 野末陳平 リビングマガジン 1983.5
1984年
  • この頭がものをいう新常識わが家の銀行利用法 野末陳平 青春出版社 1984.4 (プレイブックス)
1985年
  • わが家の頭のいい銀行利用法 野末陳平 青春出版社 1985.12 (プレイブックス)
  • これでスッキリ疑問がとける!夫と妻の年金教室 野末陳平 ニッポン放送出版, 1985.6
  • わが家の確定申告法 野末陳平 青春出版社 1985.2 (プレイブックス)
1987年
  • 頭のいい税金の本 野末陳平 青春出版社 1987.2 (プレイブックス)
1988年
  • 相続・贈与のテクニック あなたの財産を有効に次世代へ残すために /神津信一 長谷川工務店 1988.1
1989年
  • 香港買物美食手帳 / 野末陳平共編 扶桑社 1989.4
1992年
  • 頭にやさしい経済入門 財布からみた日本経済 同文書院 1992.5 (快楽脳叢書)
1994年
  • 国会議事堂のダンディー /対論 弘兼憲史 こーりん社 1994.4
1995年
  • 大判カタカナ語新辞典 有紀書房 1995.2
  • 新カタカナ語ポケット辞典 有紀書房 1995.5

外部リンク[編集]


官職
先代:
日本の旗 日本 経済産業大臣
第14代:2011年
次代:
先代:
日本の旗 日本 特命担当大臣経済財政政策
第15代:2010年 - 2011年
次代:
先代:
日本の旗 日本 特命担当大臣科学技術政策
第17代:2010年 - 2011年
次代:
議会
先代:
日本の旗 日本 衆議院経済産業委員長
2012年
次代:
先代:
日本の旗 日本 衆議院財務金融委員長
2010年
2011年 - 2012年
次代:
党職
先代:
民主党代表
第10代:2012年 -
次代:
現職
先代:
民主党政策調査会長
第5代:2002年
次代:
先代:
結成
市民リーグ代表
初代:1995年 - 1996年
次代:
歴代の経済産業大臣(通商産業大臣)
通商産業大臣
稲垣平太郎 - 池田勇人 - 高瀬荘太郎 - 横尾龍 - 高橋龍太郎 - 池田勇人 - 小笠原三九郎 - 岡野清豪 - 愛知揆一 - 石橋湛山 - 水田三喜男 - 前尾繁三郎 - 高碕達之助 - 池田勇人 - 石井光次郎 - 椎名悦三郎 - 佐藤栄作 - 福田一 - 櫻内義雄 - 三木武夫 - 菅野和太郎 - 椎名悦三郎 - 大平正芳 - 宮澤喜一 - 田中角栄 - 中曽根康弘 - 河本敏夫 - 田中龍夫 - 河本敏夫 - 江崎真澄 - 佐々木義武 - 田中六助 - 安倍晋太郎 - 山中貞則 - 宇野宗佑 - 小此木彦三郎 - 村田敬次郎 - 渡辺美智雄 - 田村元 - 三塚博 - 梶山静六 - 松永光 - 武藤嘉文 - 中尾栄一 - 渡部恒三 - 森喜朗 - 熊谷弘 - 畑英次郎 - 橋本龍太郎 - 塚原俊平 - 佐藤信二 - 堀内光雄 - 与謝野馨 - 深谷隆司 - 平沼赳夫
経済産業大臣
平沼赳夫 - 中川昭一 - 二階俊博 - 甘利明

テンプレート:民主党