堀内光雄
堀内 光雄(ほりうち みつお、1930年1月1日 - 2016年5月17日)は、日本の政治家、実業家。自由民主党前衆議院議員。富士急行株式会社会長。
概要[編集]
山梨県御坂町出身。山梨県立甲府第一高等学校、慶應義塾大学経済学部卒。富士急行オーナー一族の出身で、祖父、父ともに衆議院議員。1962年、富士急行社長に就任。学究肌の経営者として知られ、『生産性の測定と適正分配』(1961年ダイヤモンド社刊)他複数の著書がある。
一地方私鉄に過ぎなかった富士山麓電気鉄道(通称・麓鉄)を富士急行(通称・富士急)に躍進させた第一人者。富士山麓電鉄入社後、東京都内の観光バス営業所に勤務。ここでの修行体験が後年同社を観光事業を中心として再建するのに役立ったとされる。また、現在の富士急バスのカラーリング(緑色をベースとした物)も彼が考案したものである。この他、富士急社長時代には富士急ハイランドや日本ランドなどの観光事業や各種事業に注力し、父・堀内一雄と東急総帥の五島慶太との関係からともすると東京急行電鉄の傍系とみなされていた同社を自立させ、一代で現在の富士急グループを形成した。
1976年に衆議院議員初当選。1989年の宇野宗佑内閣で労働大臣として初入閣を果たすが、1990年の第39回衆議院議員総選挙では落選。1993年の総選挙で返り咲いた後は1997年に第2次橋本内閣改造内閣で通商産業大臣に就任。通産大臣時代、石油公団について事務方が用意した答弁書の内容に疑問を持ったことから、同公団関連企業112社についての膨大な資料を独力で精査する。その結果、公団の不良債権が1兆3,000億円にも膨れ上がっていたことを暴き出し、退任後の1998年、「文藝春秋」誌1998年11月号に掲載の論文『通産省の恥部 石油公団を告発する』で実態を世に問う。その結果、2002年に「石油公団廃止法」が成立される運びとなり、同公団は2005年3月をもって解散された。
2000年11月の加藤の乱で加藤派から分離、翌年堀内派を結成し、会長となる。2001年4月から2004年9月まで小泉政権下で党総務会長を務め、小泉改革に反対するベテラン議員が多い中で、基本的には一貫して小泉を支援した。2003年の自民党総裁選では野中広務や古賀誠らに反小泉派の統一候補として出馬を要請されるが固辞する。しかし、総務会長退任後は一転して反小泉色を鮮明にする。これは、派を挙げて小泉政権に協力したのに、内閣改造などで堀内派が反主流派並の冷遇を受けたからだと言われる。
郵政民営化法案の衆議院本会議採決では、採決当日に派閥会長を辞任して反対票を投じた。このため、第44回衆議院議員総選挙では自民党公認を得られず、無所属で出馬。自民党公認の長崎幸太郎候補らを破り10回目の当選を果たすも、当選後の特別国会では、再提出された郵政法案に一転して賛成票を投じた。
2006年8月22日に慶應義塾大学OBの親睦という名目で、民主党代表の小沢一郎と国民新党代表の綿貫民輔とゴルフをするなど、非自民色を強めていると見られた。しかし、10月に入ってからは復党の流れが強まった(郵政造反組復党問題)。11月27日には、自民党に「復党願」と「誓約書」を提出。翌28日には記者会見を行い、「迎えてくれるのならありがたい」「私は法案には反対したが、民営化自体には賛成」と語り、復党の理由などを国民へ説明した。
2006年12月4日、造反議員11人の復党が党紀委員会にて全会一致で認められ、自民党に復帰。12月15日、古賀派(旧堀内派)に名誉顧問として再入会。翌年9月26日、同派名誉会長に就任。
2008年6月16日に自民党党本部は堀内を公認することを内定した。対立する長崎幸太郎には、比例一位の待遇が用意されたものの、長崎は無所属で出馬する旨を表明、麻生首相が衆議院解散・総選挙の日程を予告した2009年7月13日に、自民党に離党届を提出し、17日に了承された。7月18日には、長崎を支持する地元町議ほか党員3648人が集団離党したと報じられたが、水増しであり、自民党山梨県連は、実際の党員は415人で、その中でも故人の場合や本人の承諾がない場合もあることを明らかにしている。その後8月11日、長崎が保守系・反小泉・反郵政無所属の政治家により構成される平沼グループに参加し、グループ代表の平沼赳夫が求めていた郵政民営化を見直す方針の受け入れを表明したため、小泉チルドレンの刺客として反小泉・反郵政の堀内に敵対した前回選挙と図式が逆転している。
2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙では山梨県建設業協会の支援を受けて選挙活動をしていたが、民主党新人の坂口岳洋に敗れた。
人物像[編集]
- タバコ嫌いで有名である。
- 2006年4月の衆議院議員千葉7区補欠選挙の際、候補者の斎藤健の応援演説に立った武部勤が放った「最初はグー、斎藤健」のキャッチフレーズを皮肉り、三宅久之が「最初はグー、武部はパー」と揶揄したが、このジョークを三宅に伝授したのは堀内であると言われる(但し同様のジョークは舛添要一や鴻池祥肇も口にしている)。
- あんこ系の甘いものに目がない。あんパンなどを愛食している。
議員連盟[編集]
- 中部横断自動車道建設推進議員連盟会長
- リニア中央新幹線建設促進議員連盟会長
- リニア中央新幹線建設促進国会議員連盟会長
- 司法書士制度推進議員連盟会長
- 大深度地下利用国会議員連盟会長
- 医療心理師国家資格を実現する国会議員の会会長
- 日韓議員連盟
家族・親族[編集]
系譜[編集]
- 堀内氏 清和源氏義光流、逸見氏堀内家の嫡流である。先祖は武田信玄の臣下で、若狭守、佐渡守を冠していた。
- また、甲斐国志において、堀内家は代々黒駒の名主を務め、藤右衛門を名乗った、と記されている。
- 日蓮が堀内家の先祖の家に宿泊したことがあり、その縁で身延山久遠寺との関わりが深く、祖父・良平の代から信徒総代を勤めている。
良平━┳一雄━┳和子 ┣義男 ┣英子 ┗正夫 ┗光雄━┳光一郎 ┗祐子
著書[編集]
- 『設備投資の合理的方法』(1958年)ダイヤモンド社
- 『例解経営分析実務』(1959年)中央経済社
- 『生産性の測定と適正分配』(1961年)ダイヤモンド社
- 『人間の価値計算』(1964年)ダイヤモンド社
- 『自民党は殺された』(2006年)ワック社 ISBN 4898310923