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* [[2002年]](平成14年)12月1日:開業以来初の白紙ダイヤ改正。土曜・休日に運行される快速「マリンドリーム」「むさしのドリーム」が廃止。南船橋駅と千葉みなと駅に京葉快速が終日停車。 | * [[2002年]](平成14年)12月1日:開業以来初の白紙ダイヤ改正。土曜・休日に運行される快速「マリンドリーム」「むさしのドリーム」が廃止。南船橋駅と千葉みなと駅に京葉快速が終日停車。 | ||
* [[2004年]](平成16年)[[10月16日]]:ダイヤ改正により、通勤快速が新木場駅停車。 | * [[2004年]](平成16年)[[10月16日]]:ダイヤ改正により、通勤快速が新木場駅停車。 | ||
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2019年6月18日 (火) 12:01時点における最新版
京葉線(けいようせん)は、東京都千代田区の東京駅から東京湾湾岸沿いを経由して千葉県千葉市中央区の蘇我駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。このほかに、千葉県船橋市の西船橋駅と南船橋駅の間および西船橋駅と市川市の市川塩浜駅の間に支線を持つ。駅ナンバリングで使われる路線記号はJE。(東京 - 千葉みなと間)このほかに、千葉県船橋市の西船橋駅と南船橋駅の間および西船橋駅と市川市の市川塩浜駅の間に支線を持つ。
支線は運転系統上武蔵野線直通に使われており、路線図や乗り換え案内では同線の一部とされているケースも見受けられる。
- 東京駅 - 蘇我駅間 43.0km
- 市川塩浜駅 - 西船橋駅間 5.9km(高谷支線)
- 西船橋駅 - 南船橋駅間 5.4km(二俣支線)
『鉄道要覧』では以下のように書かれている。
- 西船橋 - 蘇我 22.4km
- 東京 - 南船橋 26.0km
- 市川塩浜 - 西船橋 5.9km
歴史[編集]
京葉線の計画以前に、京成電鉄が京葉線とほぼ同じルートで自社線のバイパス路線の建設を計画していた(京成の免許申請区間は東陽町 - オリエンタルランド〈現在の舞浜〉 - 船橋港 - 稲毛海岸 - 千葉港 - 千葉寺)。京成電鉄が浦安沖の砂州を埋め立てて開発をし、京成の社長が誘致した東京ディズニーランド(当時の仮称はオリエンタルランド)は、この新規路線の沿線開発の一環であった。
京成電鉄がその路線計画から手を引いた後、国鉄がそれまで計画していた汐留 - 月島 - 晴海 - 越中島間を結ぶ月島線構想に代わる貨物線(東京外環状線)として別途計画され、日本鉄道建設公団(鉄建公団)により大都市交通線(D線)[注釈 1]として建設された路線が京葉線であり、後に旅客線化された。なお、京葉貨物線の旅客線化が決定する以前にも京葉貨物線沿線にある海浜ニュータウン(検見川浜駅・稲毛海岸駅付近)周辺から東京都心方面へ通勤・通学する住民のために京葉貨物線を利用して、営団地下鉄(当時)有楽町線へ直通運転させる計画が存在した。
高架の設計・建築は貨物扱いを前提としたもので、川崎製鉄(現在のJFEスチール)千葉製鉄所内への乗り入れ分岐部分(元:都川信号場)や千葉貨物ターミナル駅(2000年廃止)の東京方発着分岐部分、京葉電車区(現在の京葉車両センター)脇の地平への分岐部分など、貨物列車用として用意された数多くの分岐の廃線部分および未完成部分が見受けられる。西船橋駅周辺のデルタ線もその名残りである。これらの構造を活用して、2000年12月2日からこれまで総武・新金・常磐線経由で武蔵野線へ走っていた京葉臨海鉄道発着の貨物列車が蘇我駅 - 西船橋駅間を経由するルートに変更された。
新木場駅以東は、将来の複々線化が容易にできるような設計で建設された。例えば、二俣新町駅付近で西船橋方面と蘇我方面とを結ぶ支線が京葉線下り線を乗り越える箇所は、現在の下り線の北側(山側)に線路を増設できるような設計になっており、千葉県内では1978年に千葉県企業庁と鉄建公団との間で交わされた覚書に基づいて、千葉県企業庁が京葉線に沿って複々線化用地を確保していたが、その後、覚書は破棄され、千葉県企業庁はJR東日本に複々線化用地の買取りを打診したが、JRは買い取らなかったので、用地は東京湾岸道路の拡幅に転用されることとなった[1]。
なお、1975年の蘇我駅から千葉貨物ターミナル駅までの先行開業時には、蘇我駅から都川信号場までは川崎製鉄の専用線を通り、千葉貨物ターミナル駅に向かっていた。
また東京外環状線の計画段階では、新木場駅以西については国道357号沿いに直進して東京臨海副都心を経由し、東京湾横断後品川埠頭直下で南進、東京貨物ターミナルに接続させる予定であった。計画変更時に新木場駅 - 東京貨物ターミナル間の軌道はほぼ完成していたため、既設設備を利用して東京臨海高速鉄道りんかい線が開業している。品川埠頭のトンネル内分岐点から南の区間は、当初接続予定であった東京貨物ターミナルの隣にある同社の八潮車両基地への回送線として使用されている。
東京延伸開業時に高橋留美子デザインによる「マリン」というイメージキャラクターが登場した。オレンジカード、駅に飾るタペストリー、電車(205系)の前面に装着する全線開通と「マリンです。どうぞよろしく」の2種類のヘッドマークなどが制作された。
年表[編集]
- 1967年(昭和42年)2月:塩浜操車場(現・川崎貨物駅) - 品川埠頭(仮称)間認可[2]。
- 1971年(昭和46年)6月:西船橋駅 - 蘇我駅間認可[2]。
- 1973年(昭和48年)10月:東海道貨物線 塩浜操車場 - 東京貨物ターミナル駅間開業[2]。
- 1974年(昭和49年)3月:東京貨物ターミナル駅 - 西船橋駅間認可[2]。
- 1975年(昭和50年)5月10日:蘇我駅 - 千葉貨物ターミナル駅間が貨物線として開業。このうち蘇我駅 - 都川信号場間は川崎製鉄(現在のJFEスチール)専用線を借用。千葉貨物ターミナル駅が開業[2]。
- 1978年(昭和53年)9月:西船橋駅 - 蘇我駅間旅客化認可[2]。
- 1980年(昭和55年)11月25日:千葉県知事の川上紀一が、運輸大臣の塩川正十郎に対し、新東京国際空港(現・成田国際空港)への航空燃料の貨車による輸送(暫定輸送)の期間延長を了承するとともに、これに対する見返りとして千葉県側が京葉線の旅客線化・東京駅乗り入れの早期実現を要求[3][4]。(→成田空港問題)
- 1983年(昭和58年)7月:東京貨物ターミナル駅 - 西船橋駅間旅客化認可及び東京駅-新木場駅間(都心線)の追加認可[2]。
- 1986年(昭和61年)
- 1月21日:蘇我駅 - 都川信号場間の現行線供用開始。都川信号場が廃止。川崎製鉄専用線の借用運転解消。
- 3月3日:第1期線の西船橋駅 - 千葉貨物ターミナル駅間が旅客線として開業[5]。起点が西船橋駅に変更。西船橋駅 - 千葉港駅間で旅客営業を開始[5]。南船橋駅・新習志野駅・海浜幕張駅・検見川浜駅・稲毛海岸駅・千葉港駅(現・千葉みなと駅)が開業。
- 同日:新習志野駅 - 海浜幕張駅間に予定されていた鷺沼貨物駅[注釈 2]の敷地[6]に、運用電車の常駐基地として津田沼電車区新習志野派出[7]が開設[注釈 3]。
- 9月1日:組織変更により、津田沼電車区が習志野電車区(検修)、津田沼運転区(運転)に改編[8]したため、車両基地の検修部門は習志野電車区新習志野派出、運転部門は津田沼運転区新習志野派出所へと改称。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が千葉貨物ターミナル駅 - 蘇我駅間の第二種鉄道事業者となる。
- 1988年(昭和63年)12月1日:第2期の新木場駅 - 南船橋駅間、市川塩浜駅 - 西船橋駅間が開業し、JRで初めてATS-P型の本格運用を開始。千葉港駅 - 蘇我駅間の旅客営業を開始[注釈 4]。武蔵野線からの乗り入れ開始。新木場駅・葛西臨海公園駅・舞浜駅・新浦安駅・市川塩浜駅・二俣新町駅が開業。
- 1990年(平成2年)3月10日:第3期の東京駅 - 新木場駅間が開業し全通。全線で列車集中制御装置 (CTC) が導入。八丁堀駅・越中島駅・潮見駅が開業。工事時には「京葉都心線」とも称された。同時に快速の運転が開始。休日は快速「マリンドリーム」、快速「むさしのドリーム」(武蔵野線直通)という名前で運転。京葉電車区(2004年(平成16年)4月1日から京葉車両センター)が発足。
- 1992年(平成4年)3月14日:千葉港駅が千葉みなと駅に改称。なお、旧駅名も読みは同じ「ちばみなとえき」であった。近くに同じ字の“ちばこう”があり混同を避けるためである。
- 1994年(平成6年)12月3日:土曜・休日ダイヤ実施。土曜日も休日と同じダイヤとなる。
- 2000年(平成12年)
- 2001年(平成13年)9月12日:アメリカ同時多発テロ事件の影響で終日運転見合せ。
- 2002年(平成14年)12月1日:開業以来初の白紙ダイヤ改正。土曜・休日に運行される快速「マリンドリーム」「むさしのドリーム」が廃止。南船橋駅と千葉みなと駅に京葉快速が終日停車。
- 2004年(平成16年)10月16日:ダイヤ改正により、通勤快速が新木場駅停車。
- 2005年(平成17年)11月18日:10両編成で水色の103系電車がこの日で運用を終了。最後の編成となった302編成は、3日後の11月21日に廃車回送された[9]。
- 2007年(平成19年)
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)11月28日:二俣新町駅 - 南船橋駅を走行中に府中本町発海浜幕張行きの武蔵野線直通の各駅停車(205系8両M15編成)で車両の電気回路のヒューズが切れ立ち往生し、京葉線全線で4時間にわたって運休した[13][14]。
- 2013年(平成25年)
- 3月16日:通勤快速をのぞいて朝通勤時間帯の快速の運転を取りやめすべて各駅停車での運転となる。また、武蔵野線直通列車も各駅停車となる。
- 4月10日:府中本町発東京行き各駅停車のドアが西船橋駅で故障により閉まらなくなるというトラブルが発生。朝のラッシュアワーで代替電車の手配ができなかったため、開いたままのドアを黄色い布でふさいで運行するという異例の対応をとった[15]。
- 2015年(平成27年):「京葉ベイサイドラインプロジェクト」を立ち上げ[16]。
- 2016年(平成28年)9月25日:東京圏輸送管理システム (ATOS) 導入。
- 2024年度中:新習志野駅 - 海浜幕張駅間に新駅開業予定[17]。
使用車両[編集]
現在の使用車両[編集]
すべて電車で運転されている。通勤形車両は武蔵野線用を含め千葉支社京葉車両センター所属、特急形車両は同幕張車両センター所属である。
特急[編集]
特急「さざなみ」「わかしお」用に以下の車両が使用されている。
- E257系500番台(10両編成または5両編成)
- 255系(9両編成)
- JR East 255 Limited Express Sazanami.jpg
- JRE E257 NB-01 Wakashio Kasairinkai.jpg
E257系500番台
快速・各駅停車[編集]
すべて片側4ドアの車両であり、京葉線用車両は10両編成、武蔵野線からの乗り入れ車両は8両編成である。
京葉線用ステンレス車両はラインカラーであるワインレッド(■、赤14号)の帯を巻いている。2011年まで運用されていた201系や2005年まで運用されていた103系の車体色は、京浜東北線と同様のスカイブルー(■、青22号)だった。これは東京湾の海の色をイメージしたことと、同線に最初に投入された103系の半数以上が京浜東北線からの転入車だったこと、101系を使用したワインレッドの試験塗装が思わしくなかったためである。新木場開業の頃には、習志野電車区から借り入れた黄5号の103系も運用されていたことがある。
武蔵野線から乗り入れる車両はオレンジ色と茶色(■ ■)の帯を巻いている。かつて運用されていた103・201系はオレンジ一色であった。
- E233系5000番台(10両編成・6両編成+4両編成)
- 209系500番台(10両・8両編成)
- 2008年10月より、京浜東北線・根岸線にE233系1000番台が導入されるのに伴い、同線用209系500番台のうち4編成が京葉線に順次転入、2008年12月1日より運行を開始した[20]。2010年3月から205系の東京延伸時から在籍している編成と共通運用になり、外房線千葉駅 - 上総一ノ宮駅間、内房線蘇我駅 - 上総湊駅間にも乗り入れる。
- E233系投入により3編成が8両編成として武蔵野線用に転用され、直通電車として乗り入れている。
- E231系(8両編成)
- 205系(0・5000番台)(8両編成)
- E233 keiyou color.JPG
E233系5000番台
- 209系500番台ケヨ34編成.jpg
209系500番台
- JR East e231 series Musashino Line 20171127.jpg
E231系
(武蔵野線直通車) - Musashino 209-500 M71.jpg
209系500番台
(武蔵野線直通車) - JRE 205 5000 musashino.JPG
205系5000番台
(武蔵野線直通車) - JR East 205 Musashino-style.jpg
205系5000番台
(武蔵野線直通車)
過去の使用車両[編集]
快速・各駅停車として、以下の車両が使用されていた。
- 103系(10両編成・8両編成・6両編成・4両編成)
- 1986年3月の旅客営業開始当初、4両編成と6両編成を併結した編成が京浜東北線と横浜線より青22号に揃えて津田沼電車区に転入、日中6両編成、朝夕ラッシュ時10両編成で運行され、車両は同区所属で津田沼電車区新習志野派出に常駐していた。
- 1986年9月から日中は4両編成化され、1988年12月の新木場・蘇我延伸開業から再び日中は6両編成に戻り、1990年3月の東京延伸開業時以降もその運用状態は変わらなかった。その後、1993年12月より京葉線内限定運用の編成は終日10両編成化された。
- 原則として京葉線内限定運用であったが、201系投入までは6両+4両分割編成による京葉線から外房線勝浦と外房線経由で東金線成東に向かう分割併合運用も担当していた。
- 津田沼電車区→習志野電車区配置の中央・総武緩行線用103系にも京葉線対応工事が施工された編成が存在し、東京開業までの間京葉線で営業運転を行うこともあった。
- 京葉線向けの水色の車両は、2005年11月18日をもって同線の定期運用を終了した。
- 武蔵野線直通電車は当初6両編成であったが、1991年12月から1996年12月にかけて8両編成化された。
- 8両編成の武蔵野線直通用に使用されていたE38編成が西日本旅客鉄道(JR西日本)に、E20 - 22・27編成のうちの各4両の計16両がインドネシアの鉄道会社(PT Kereta Api、KRLジャボタベックで使用)に売却されたほかは全廃された。
- 10両編成の京葉線内限定運用のクハ103-713の車体は一部をカットして鉄道博物館で展示されている。
- 201系(10両編成・6両編成+4両編成)
- 205系(10両編成)
- 1990年の東京延伸開業にあわせ京葉線用に製作された先頭車前面の形状が従来と違うスタイルの編成と、後年103系置き換え用として中央・総武緩行線・山手線(量産先行車の4編成含む)からそれぞれ転入した車両が存在していた。なお、外房線・内房線直通列車は、原則として110km/h運転対応の、東京延伸時からの在籍車である先頭車の前面形状が違う編成が使用されていた。E233系投入により順次運用から離脱、2011年7月25日をもって同線での定期運用を終了した[24]。一部は4両編成に短縮、トイレ設置などの改造がなされ小山車両センター(東北本線(宇都宮線)・日光線)へ転出した。また一部は3両編成に短縮の上、富士急行6000系として富士急行大月線・河口湖線に転属した。
- 165系改造車3両編成(快速「シャトル・マイハマ」)
- E331系(14両編成)
- 試験的に投入された連接車両で、1編成のみ存在した。14両編成で通常の列車の10両編成分と同じ長さである。
- 2007年3月18日のダイヤ改正から土曜・休日のみの運用として営業運転を開始したが、後に部品の一部について改良が必要と判明し同年4月に営業運転から暫定的に離脱した。改良後、何度かの試運転を経て2008年12月23日より改めて土休日ダイヤでの営業運転を再開した[25]。
- ドアの位置が既存車両と異なるため、本系列独自の乗車口マークが各ホームに設置されたほか、発車標や一部駅の時刻表では本系列運用時に「14両」と表記された。
- E233系への置き換え対象からは唯一外れE233系導入後も継続して京葉線で使用するとされたが、2011年10月1日の運用改訂で再度運用から外れた(実際には改訂以前より他車種による代走となっていた)。
- 2014年4月2日付で廃車。
- L25 Tc103-574 640.jpg
103系
- JRE-201-EMU-KeiyouLine.jpg
201系
- Keiyo-205.jpg
205系(新製導入車)
- Keiyo-205 0.jpg
205系(山手線からの転入車)
- JRE-EC165-Shuttle-Maihama.jpg
165系「シャトル・マイハマ」
- JREast-E331.jpg
E331系
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ 千葉県知事、複々線化は「有力な手段の一つ」…京葉線の輸送力増強 - レスポンス、2015年2月25日
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 丸山伸雄 (1990-05) 丸山伸雄 [ JR東日本京葉線東京開業 ] 鉄道ピクトリアル 40 5号(通巻527号) 電気車研究会 1990-05 44
- ↑ (2005-06-03) 千葉の歴史検証シリーズ34 成田国際空港「血と涙の歴史」12 稲毛新聞 2005-06-03 [ arch. ] 2017-09-29
- ↑ 原口和久『成田空港365日』崙書房、2000年、242頁。
- ↑ 5.0 5.1 (1986-06) [ {{{title}}} ] 鉄道ジャーナル 20 6 鉄道ジャーナル社 1986-06 105
- ↑ 長田寛 『鉄道ピクトリアル』1975年7月号 <特集 自動連結器一斉取替記念号> 電気車研究会 京葉線千葉貨物ターミナル=蘇我間開通 P53
- ↑ 末次清 『鉄道ピクトリアル』2002年8月号 特集:JR武蔵野線・京葉線 電気車研究会 P66
- ↑ (1987-07) [ JR東日本の車両基地 ] 鉄道ジャーナル 特集●未来へ羽ばたくJR東日本旅客鉄道 PART-1 21 8号(通巻248号) 鉄道ジャーナル社 1987-07 85
- ↑ 鉄道ファン 2006年2月号 189頁
- ↑ JR京葉線:運転再開 11万8千人に影響 - 毎日新聞 2009年7月30日
- ↑ 11.0 11.1 E233系5000番台が営業運転を開始 - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2010年7月2日
- ↑ E655系を使用したお召列車が内房線・京葉線で運転される - 鉄道ファン(交友社)「railf.jp」鉄道ニュース、2010年9月28日
- ↑ 京葉線、車両故障で4時間停止 1500人が線路を移動 - 朝日新聞 2012年11月28日
- ↑ JR京葉線停止、原因はヒューズ切れ 車両の電気回路 - 朝日新聞 2012年11月28日
- ↑ 京葉線 朝のラッシュ時ドア閉まらず全開走行. スポニチ.(2013年4月11日).2015年4月6日閲覧。
- ↑ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「jreast-chiba20150424
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ JR京葉線、幕張新都心に新駅 イオンモールが半額負担 朝日新聞、2018年4月20日
- ↑ (2009) [ 京葉線にE233系電車を来年から導入 ] 鉄道ピクトリアル 59 11 電気車研究会 2009 11 0040-4047 p. 24
- ↑ 『鉄道ダイヤ情報 2009年11月号』交通新聞社 P71
- ↑ 209系500番台,京葉線で営業運転を開始 - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2008年12月3日
- ↑ 武蔵野線色となったE231系が京葉車両センターへ 鉄道ファン(railf.jp) 2017年9月20日
- ↑ E231系武蔵野線MU2編成 運転開始 - 鉄道コム、2017年11月1日
- ↑ 201系ケヨ72編成,長野へ - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2009年2月5日
- ↑ ネコ・パブリッシング「レイルマガジン」2012年1月号記事「さよなら「田窓」電車205系量産先行車」参照
- ↑ E331系の運転再開についてPDF - 東日本旅客鉄道千葉支社プレスリリース 2008年12月19日