「日本選手権シリーズ」の版間の差分
(→1990年 - 1999年) |
(→1990年 - 1999年) |
||
352行目: | 352行目: | ||
=== 1990年 - 1999年 === | === 1990年 - 1999年 === | ||
*西武ライオンズ・[[オレステス・デストラーデ]]が巨人・[[槙原寛己]]から特大のホームラン。以来、デストラーデは第2戦・第3戦とタイムリーヒットを2試合連続で放ち西武の日本一に貢献。デストラーデは1990年のMVPを獲得(1990年第1戦) | *西武ライオンズ・[[オレステス・デストラーデ]]が巨人・[[槙原寛己]]から特大のホームラン。以来、デストラーデは第2戦・第3戦とタイムリーヒットを2試合連続で放ち西武の日本一に貢献。デストラーデは1990年のMVPを獲得(1990年第1戦) | ||
− | * | + | *西武ライオンズVS読売ジャイアンツ・西武が巨人を30年振りとなる4連勝のストレート勝ちで破り日本一を達成(1990年) |
*広島東洋カープ・[[大野豊 (プロ野球選手)|大野豊]]3登板3セーブの大活躍(1991年第2戦、第4戦、第5戦) | *広島東洋カープ・[[大野豊 (プロ野球選手)|大野豊]]3登板3セーブの大活躍(1991年第2戦、第4戦、第5戦) | ||
*西武ライオンズ・[[鈴木康友 (野球選手)|鈴木康友]]の決勝2点タイムリー(1991年第6戦) | *西武ライオンズ・[[鈴木康友 (野球選手)|鈴木康友]]の決勝2点タイムリー(1991年第6戦) |
2016年1月12日 (火) 00:53時点における版
日本シリーズは、この項目へ転送されています。その他の用法については日本シリーズ (曖昧さ回避)をご覧ください。 |
日本選手権シリーズ(にっぽんせんしゅけんシリーズ、通称:日本シリーズ)とは毎年10月ごろに日本のプロ野球のセントラル・リーグとパシフィック・リーグのそれぞれの優勝チームが対戦して日本一(その年の日本の年間王者)を決めるシリーズ試合である。2007年からは各リーグのクライマックスシリーズの勝者同士が対戦することになった。但し、第1回(1950年)-第4回(1953年)についてはアメリカ・メジャーリーグベースボールを参考にして「日本ワールドシリーズ」という名称だった。また、日本シリーズという呼称ではないが1リーグ時代に前期優勝チームと後期優勝チームが対戦して日本一を決める試合もあった。通常は1950年を初回の日本シリーズとし、本項においても1950年以降の試合について述べる。2006年までは両リーグ優勝チームが日本一を争うという12球団の頂点を決める試合であったが2007年からは上述に示しているように制度が変更されている。そのため現行日本シリーズの性格は2006年までのような頂上決戦であるという見解とカップ戦の決勝戦であるという見解に分かれている。
読売ジャイアンツや西武ライオンズなどの常勝時代もあったが同一チームの連覇は1990年から1992年の西武の3連覇以降無く、21世紀に入ってからは7年間で異なる7つのチームが優勝するという混戦模様である。通算成績は読売の9連覇などもあり、セ・リーグがリードしている。
目次
運営概要
- ゲームは7試合(番勝負参照)で西暦奇数年はパ・リーグの出場チーム、西暦偶数年はセ・リーグの出場チームの本拠地で第1-2・6-7戦を開催し、第3-5戦はもう一方のリーグの出場チームの本拠地で開催する。例えば2003年はセ・リーグから阪神タイガース、パ・リーグから福岡ダイエーホークスが出場したので第1-2・6-7戦は福岡ドーム、第3-5戦は阪神甲子園球場で行われた。2004年はセ・リーグから中日ドラゴンズ、パ・リーグから西武ライオンズが出場したので第1-2・6-7戦はナゴヤドーム、第3-5戦は西武ドームで行われた。先に4勝したチームが日本一となり本シリーズは終了されて以降の試合は行われない。2005年以降はKONAMI CUP アジアシリーズ・日本代表決定シリーズとして開催。このシリーズに優勝したチームが更にもう一段上にあるアジア最高峰の野球大会・アジアシリーズ(KONAMI CUP)に日本代表として参加する。
- 延長戦については1966年までは日没まで(但し全試合ナイターで開催された1964年は22時30分以降新しいイニングに入らない)、1967年-1981年は17時30分以降新しいイニングに入らない、1982年からは試合開始から4時間半を経過した時点で次に進まないといったルールがあったが、1986年の広島東洋カープ対西武ライオンズの第1戦(延長14回引き分け、その後8戦までもつれる)をきっかけに1987年から一部ルールが見直され延長戦は第7戦までは18回まで、第8戦以降は回数無制限となった。1994年からは第3戦-第5戦をナイターで開催。翌1995年からは全試合ナイターで行うようになった。ナイターになってからは第7戦までは延長15回までに短縮された。第8戦以降は回数無制限で変わらず(試合時間は一律無制限)。なお第8戦でも決着が付かない場合は更に移動日を1日挟んで第9戦を第3戦-第5戦で使用された球場で行う。現在ではテレビやラジオの放送の関係で延長制度を15回から公式戦同様の12回に変更してほしいという声も多い。
- 指名打者制度は1984年までと1986年は全試合採用せず1985年は全試合採用としていたが、1987年からはパ・リーグの出場チームの本拠地球場でのみ採用されている。
- 雨天等で中止になった場合は移動日を含め全ての日程が順延となっていたが、2007年からは屋外球場で行われる場合の雨天中止時は第1-4試合はその分日程を順延するがアジアシリーズの日程が迫っている関係で第5試合と第6試合の間の移動日・休養日は設けず連戦とする。
- 審判員はセ・パ両リーグから選ばれた合計8人の審判員(両リーグから4人ずつ)で運営され、球審→控え→左翼線審→一塁塁審→二塁塁審→三塁塁審→控え→右翼線審の順で持ち回りで担当する。例えば第1戦で球審を務めると第2戦から順に控え→左翼→一塁→二塁→三塁と周り、第7戦は再び控えとなる。第1戦に左翼線審だと以下一塁→二塁→三塁→控え→右翼と周り、第7戦で球審を務める事ができる。
- 但し、1.については例外がある。
- 1950年は開催会場を試合ごとに変えて行った。第1戦から明治神宮野球場、後楽園球場、阪神甲子園球場、西宮球場、中日球場、大阪球場の各球場である。ちなみにこの年は4勝2敗で毎日オリオンズが初代王者に輝いたが、第6戦で松竹ロビンスが勝って3勝3敗になった時は第7戦は後楽園球場で行われる予定だった。
- 1953年は第4戦までは通常通りだったが第5戦から第7戦は大阪球場、阪神甲子園球場[1]、後楽園球場の順で開かれた。これは当時の規定に「第1、第3、第5、第7試合と第2、第4、第6試合の使用球場は毎年両リーグが交互にこれを指定する。ただし、第1、第2試合と第3、第4試合と第5、第6試合の使用球場はそれぞれ連続して同一地域にある球場を指定する」とあったため。この年の偶数試合の球場指定権はセ・リーグにあり「大阪よりも収容能力の大きい甲子園ならばガッポリ儲かる」との思惑を持っていたが、それが見事なまでに外れてしまったものである。
- 1962年、東映フライヤーズ主催による第5戦と1978年のヤクルトスワローズ主催の4試合全ては神宮球場の学生野球開催の都合で後楽園球場で代替開催した[1]。
- 1974年のロッテオリオンズ主催の第3戦 - 第5戦は施設上の問題もあり県営宮城球場ではなく後楽園球場を使用した[1]。
- 1979年、1980年の近鉄バファローズ主催全ゲームは日本生命球場の収容人数が日本シリーズ開催基準の3万人に満たなかったこと、藤井寺球場もナイター設備が設置されていなかったことにより当時南海ホークスの本拠地であった大阪球場で代替開催した[1]。
- 1981年は両リーグの出場チームの本拠地がともに後楽園球場である読売ジャイアンツと日本ハムファイターズだったため、全6戦が同球場で開催された(後楽園シリーズ)。
- 2000年は読売ジャイアンツと福岡ダイエーホークスで対戦することとなったが、この3年前の1997年に大規模な国際学術集会の会場を探していた日本脳神経外科学会から貸し出し依頼を受けた福岡ドームが1997年当時ホークスは南海時代から続く20年連続(球界史上最長不名誉記録)のBクラスであったため、日本シリーズの日程と重なる2000年10月24日から27日までを球団の許可なく貸し出してしまっていた。ところが翌1998年にAクラス入りを果たしにわかに日本シリーズの開催可能性が高まったため球団が日本脳神経外科学会に日程変更を求めたが、国内および海外から2万人以上の人員が集結する大規模な総会でありすでに様々な関連の手配が終わっていることもあり断られた。そこで中内正球団オーナー代行(当時)がシリーズ開催地のセパ入れ替え・シリーズ日程そのものの変更・他のパ・リーグチームの本拠地球場での開催・九州内の他球場での開催等を検討・要請したが、いずれも不可能となった。日本脳神経外科学会側からも一部日程を短縮してナイター時間帯を空けるなどの協力を得られたこともあり、東京・東京・(移動日なし)福岡・2日間の休み・福岡・福岡・(移動日なし)東京・東京の変則日程で行うことが8月21日に発表された。なおシリーズ終了後、球団は開催日程確保を怠ったとして日本プロ野球機構から制裁金3000万円を科された。
近年の状況
1998年
1999年
- 1000年代最後のシリーズは中日ドラゴンズと福岡移転後初優勝となった福岡ダイエーホークスとの対戦。中日・星野仙一、福岡ダイエー・王貞治両監督の対決で4勝1敗でダイエーが球団創設初、前身の南海ホークス以来35年ぶり3度目の日本一を果たした。
2000年
- 20世紀最後のシリーズは読売ジャイアンツとリーグ2連覇の福岡ダイエーホークスとの対戦。読売ジャイアンツV9の原動力となった福岡ダイエーホークス・王貞治、読売ジャイアンツ・長嶋茂雄両監督のON対決となったが、福岡ドームの不手際による日程変更が水を注した形となった。読売ジャイアンツが2連敗のあと4連勝して6年ぶりに日本一、長嶋監督が東京ドームでの2回目の胴上げとなった。
2001年
- 21世紀最初のシリーズはヤクルトスワローズと球団史上初の日本一を目指す大阪近鉄バファローズというそれぞれの所属リーグで最も初優勝が遅かったチーム同士の対戦。前者は1978年のセ・リーグの初優勝と後者は1979年・1980年にパ・リーグの初優勝と連覇を達成した球団でヤクルト投手陣と大阪近鉄の「いてまえ打線」の対決が注目されたが、ヤクルトが4勝1敗で日本一となった(これが、近鉄バファローズが出場した最後の日本シリーズとなる)。
2002年
- 原辰徳率いる読売ジャイアンツと伊原春樹率いる西武ライオンズの1986年以来の新人監督同士の対決。読売ジャイアンツが20回目の日本一を球団史上初でシリーズとして12年ぶりの無傷の4連勝のストレート勝ちで決めた。敗れた西武ライオンズは、1993年以降シリーズ5度連続敗退でワーストタイ記録となった(阪急ブレーブスが1967年から1972年まで5度連続シリーズ敗退の記録に並んだ)。
2003年
- 阪神タイガースと福岡ダイエーホークスの対戦。福岡ダイエー・王貞治監督と阪神・星野仙一監督が1999年以来2度目の対決となった。1993年以来10年ぶりに第7戦まで行われ、4勝3敗で福岡ダイエーが日本一となったが全試合ホームチームが勝利する「内弁慶シリーズ」となった(シリーズ初)。この内3試合(第1戦・第3戦・第4戦)がサヨナラゲームだった。また有料入場者数28万9640人はシリーズ新記録(ちなみに1試合の最高有料入場者数は1985年第4戦の阪神甲子園球場での51554人)。
2004年
- 中日ドラゴンズと西武ライオンズの対戦となり、落合博満・伊東勤という新人監督同士の頭脳戦となった。西武は4勝3敗で勝ち、黄金時代以来12年ぶりの日本一となった。また、1試合目に両監督による抗議で49分間の中断、落合・伊東両監督による勝利インタビューでの舌戦、ドーム球場としては初めてとなる台風による影響での試合中止・翌日への延期、7試合中22時前に終わった試合が1試合のみと日本球界初のストライキが起きたこの年を象徴するかのような荒れたシリーズになった。中日は1954年以来の日本一は成らず1974年以降シリーズ5度連続敗退のワーストタイ記録を作った。また、レギュラーシーズン2位のチームが日本シリーズに出場する初の事例となった。ただしリーグ優勝チーム同士の対戦という形式は依然維持していた。
2005年
- 阪神タイガースと千葉ロッテマリーンズという、ファンの熱狂度においては球界トップクラスのチーム同士の対戦。昨年の西武に続きレギュラーシーズン2位で出場した千葉ロッテが球団史上初でシリーズとして3年ぶりの無傷の4連勝のストレート勝ちで31年ぶりの日本一を達成した。ちなみに第1戦では濃霧により日本シリーズ初のコールドゲームとなった(通称:白い霧事件)。さらに、この年から日本・韓国・台湾・中国の4ヶ国のプロ野球優勝チームによるアジアシリーズの日本代表決定戦となる。
2006年
- 52年ぶりの日本一を目指す中日ドラゴンズと44年ぶりの日本一を目指す北海道日本ハムファイターズと両リーグで日本一から最も遠ざかっていた球団同士が初対戦。初戦は中日が勝利したが、2戦目以降は投打のかみあった日本ハムが4連勝。4勝1敗で東映フライヤーズ以来44年ぶり、親会社が日本ハムになってからは初の日本一を果たした。敗れた中日は1954年以来の日本一は成らず、1974年以降シリーズ連続敗退記録を更新してしまった。
2007年
- セ・パ両リーグにおいてレギュラーシーズン上位3チームによるクライマックスシリーズ(プレーオフ)が行われ、この勝者が日本シリーズ出場権を獲得することとなった。なおリーグ優勝はあくまでレギュラーシーズン1位チームであり必ずしもリーグ優勝=日本シリーズ出場とはならず、リーグ非優勝チーム同士によって日本シリーズが争われる可能性も出た。パ・リーグの北海道日本ハムファイターズはリーグ優勝でクライマックスシリーズも制したが、セ・リーグは2位の中日ドラゴンズがリーグ優勝の読売ジャイアンツを下して日本シリーズ出場権を獲得。シリーズは1敗のあと4連勝で中日ドラゴンズが53年ぶり2度目の日本一を果たした。
リーグとしての対戦成績
- セ・リーグ 33勝
- パ・リーグ 25勝
チーム別成績(2007年終了時点)
球団 | 出場回数 | 日本一(年数・勝) | 年数・敗 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
巨人 | 30 | 20 | 10 | 95 | 68 | 2 | .583 |
西武(西鉄) | 20 | 12 | 8 | 64 | 57 | 2 | .529 |
福岡ソフトバンク(南海・福岡ダイエー) | 13 | 4 | 9 | 32 | 43 | 1 | .427 |
オリックス(阪急) | 12 | 4 | 8 | 27 | 34 | 2 | .443 |
中日 | 8 | 2 | 6 | 18 | 28 | 0 | .391 |
東京ヤクルト(ヤクルト) | 6 | 5 | 1 | 23 | 13 | 0 | .639 |
広島東洋 | 6 | 3 | 3 | 18 | 21 | 3 | .461 |
千葉ロッテ(毎日・大毎・ロッテ) | 5 | 3 | 2 | 13 | 12 | 0 | .520 |
阪神 | 5 | 1 | 4 | 12 | 18 | 1 | .400 |
北海道日本ハム(東映・日本ハム) | 4 | 2 | 2 | 11 | 11 | 1 | .500 |
横浜(大洋) | 2 | 2 | 0 | 8 | 2 | 0 | .800 |
東北楽天 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ― |
現存しない球団 | |||||||
大阪近鉄(近鉄) | 4 | 0 | 4 | 10 | 16 | 0 | .385 |
松竹 | 1 | 0 | 1 | 2 | 4 | 0 | .333 |
決着付いたスタジアム
此処では何処の球場でシリーズ決着したかを表で紹介する。
球場名 | 決着年 |
---|---|
札幌ドーム | 2006 |
西武ドーム(西武ライオンズ球場) | 1983・1985・1987・1988・1990・1991・1993・2002 |
東京ドーム | 2000・1994 |
ナゴヤドーム | 2007・2004・1999 |
大阪ドーム | - |
福岡ドーム | 2003 |
神宮球場 | 1992・1995・1997・2001 |
阪神甲子園球場 | 1962・1964・2005 |
千葉マリンスタジアム | - |
横浜スタジアム | 1998 |
グリーンスタジアム神戸 | 1996 |
広島市民球場 | 1980・1984・1986 |
宮城球場 | - |
後楽園球場 | 1956・1957・1958・1959・1976・1977・1978・1981 |
中日球場 | 1954・1974 |
大阪球場 | 1950・1979 |
藤井寺球場 | 1989 |
西宮球場 | 1975 |
平和台球場 | 1963 |
各年度の日本シリーズ
- 原則として最高殊勲選手(MVP)は勝利チームから、敢闘賞は敗戦チームから表彰する。1956年の敢闘賞は優勝した西鉄から選ばれた。
- 最高殊勲選手に贈呈される自動車は1954年の第5回からトヨタ自動車(但し広島東洋カープが優勝した場合は球団スポンサーの兼ね合いから自動車の贈呈はマツダ)が協賛して贈呈していたが、2007年はそれがなかった。
回 | 開催年 | 勝利チーム | 優勝回数 | 成績 | 星取表 | 相手チーム | 最高殊勲選手 (MVP) |
敢闘賞 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1950年 | 毎日(パ) | 初優勝 | 4-2 | ○○●●○○ | 松竹(セ) | 別当薫 | --- |
2 | 1951年 | 巨人(セ) | 初優勝 | 4-1 | ○○○●○ | 南海(パ) | 南村不可止 | --- |
3 | 1952年 | 巨人(セ) | 2年連続2回目 | 4-2 | ○○●○●○ | 南海(パ) | 別所毅彦 | --- |
4 | 1953年 | 巨人(セ) | 3年連続3回目 | 4-2-1 | ●○△○○●○ | 南海(パ) | 川上哲治 | 簑原宏 |
5 | 1954年 | 中日(セ) | 初優勝 | 4-3 | ○○●●○●○ | 西鉄(パ) | 杉下茂 | 大下弘 |
6 | 1955年 | 巨人(セ) | 2年ぶり4回目 | 4-3 | ○●●●○○○ | 南海(パ) | 別所毅彦 | 戸川一郎 |
7 | 1956年 | 西鉄(パ) | 初優勝 | 4-2 | ●○○○●○ | 巨人(セ) | 豊田泰光 | 稲尾和久 |
8 | 1957年 | 西鉄(パ) | 2年連続2回目 | 4-0-1 | ○○○△○ | 巨人(セ) | 大下弘 | 宮本敏雄 |
9 | 1958年 | 西鉄(パ) | 3年連続3回目 | 4-3 | ●●●○○○○ | 巨人(セ) | 稲尾和久 | 藤田元司 |
10 | 1959年 | 南海(パ) | 初優勝 | 4-0 | ○○○○ | 巨人(セ) | 杉浦忠 | 土屋正孝 |
11 | 1960年 | 大洋(セ) | 初優勝 | 4-0 | ○○○○ | 大毎(パ) | 近藤昭仁 | 田宮謙次郎 |
12 | 1961年 | 巨人(セ) | 6年ぶり5回目 | 4-2 | ●○○○●○ | 南海(パ) | 宮本敏雄 | ジョー・スタンカ |
13 | 1962年 | 東映(パ) | 初優勝 | 4-2-1 | ●●△○○○○ | 阪神(セ) | 土橋正幸 種茂雅之 |
吉田義男 |
14 | 1963年 | 巨人(セ) | 2年ぶり6回目 | 4-3 | ●○○●○●○ | 西鉄(パ) | 長島茂雄 | 稲尾和久 |
15 | 1964年 | 南海(パ) | 5年ぶり2回目 | 4-3 | ○●●○●○○ | 阪神(セ) | ジョー・スタンカ | 山内一弘 |
16 | 1965年 | 巨人(セ) | 2年ぶり7回目 | 4-1 | ○○○●○ | 南海(パ) | 長島茂雄 | 森下整鎮 |
17 | 1966年 | 巨人(セ) | 2年連続8回目 | 4-2 | ○●○○●○ | 南海(パ) | 柴田勲 | 渡辺泰輔 |
18 | 1967年 | 巨人(セ) | 3年連続9回目 | 4-2 | ○○○●●○ | 阪急(パ) | 森昌彦 | 足立光宏 |
19 | 1968年 | 巨人(セ) | 4年連続10回目 | 4-2 | ●○○○●○ | 阪急(パ) | 高田繁 | 長池徳二 |
20 | 1969年 | 巨人(セ) | 5年連続11回目 | 4-2 | ○●○○●○ | 阪急(パ) | 長島茂雄 | 長池徳二 |
21 | 1970年 | 巨人(セ) | 6年連続12回目 | 4-1 | ○○○●○ | ロッテ(パ) | 長島茂雄 | 井石礼司 |
22 | 1971年 | 巨人(セ) | 7年連続13回目 | 4-1 | ○●○○○ | 阪急(パ) | 末次民夫 | 山田久志 |
23 | 1972年 | 巨人(セ) | 8年連続14回目 | 4-1 | ○○●○○ | 阪急(パ) | 堀内恒夫 | 足立光宏 |
24 | 1973年 | 巨人(セ) | 9年連続15回目 | 4-1 | ●○○○○ | 南海(パ) | 堀内恒夫 | 野村克也 |
25 | 1974年 | ロッテ(パ) | 24年ぶり2回目 | 4-2 | ●○●○○○ | 中日(セ) | 弘田澄男 | 高木守道 |
26 | 1975年 | 阪急(パ) | 初優勝 | 4-0-2 | △○○△○○ | 広島(セ) | 山口高志 | 山本浩二 |
27 | 1976年 | 阪急(パ) | 2年連続2回目 | 4-3 | ○○○●●●○ | 巨人(セ) | 福本豊 | 柴田勲 |
28 | 1977年 | 阪急(パ) | 3年連続3回目 | 4-1 | ○○●○○ | 巨人(セ) | 山田久志 | 河埜和正 |
29 | 1978年 | ヤクルト(セ) | 初優勝 | 4-3 | ●○●○○●○ | 阪急(パ) | 大杉勝男 | 足立光宏 |
30 | 1979年 | 広島(セ) | 初優勝 | 4-3 | ●●○○○●○ | 近鉄(パ) | 高橋慶彦 | 井本隆 |
31 | 1980年 | 広島(セ) | 2年連続2回目 | 4-3 | ●●○○●○○ | 近鉄(パ) | ジム・ライトル | 小川亨 |
32 | 1981年 | 巨人(セ) | 8年ぶり16回目 | 4-2 | ●○●○○○ | 日本ハム(パ) | 西本聖 | 井上弘昭 |
33 | 1982年 | 西武(パ) | 24年ぶり4回目 | 4-2 | ○○●●○○ | 中日(セ) | 東尾修 | 上川誠二 |
34 | 1983年 | 西武(パ) | 2年連続5回目 | 4-3 | ○●●○●○○ | 巨人(セ) | 大田卓司 | 西本聖 |
35 | 1984年 | 広島(セ) | 4年ぶり3回目 | 4-3 | ○●○○●●○ | 阪急(パ) | 長嶋清幸 | 山沖之彦 |
36 | 1985年 | 阪神(セ) | 初優勝 | 4-2 | ○○●●○○ | 西武(パ) | ランディ・バース | 石毛宏典 |
37 | 1986年 | 西武(パ) | 3年ぶり6回目 | 4-3-1 | △●●●○○○○ | 広島(セ) | 工藤公康 | 達川光男 |
38 | 1987年 | 西武(パ) | 2年連続7回目 | 4-2 | ●○○●○○ | 巨人(セ) | 工藤公康 | 篠塚利夫 |
39 | 1988年 | 西武(パ) | 3年連続8回目 | 4-1 | ○●○○○ | 中日(セ) | 石毛宏典 | 宇野勝 |
40 | 1989年 | 巨人(セ) | 8年ぶり17回目 | 4-3 | ●●●○○○○ | 近鉄(パ) | 駒田徳広 | 新井宏昌 |
41 | 1990年 | 西武(パ) | 2年ぶり9回目 | 4-0 | ○○○○ | 巨人(セ) | オレステス・デストラーデ | 岡崎郁 |
42 | 1991年 | 西武(パ) | 2年連続10回目 | 4-3 | ○●○●●○○ | 広島(セ) | 秋山幸二 | 川口和久 |
43 | 1992年 | 西武(パ) | 3年連続11回目 | 4-3 | ●○○○●●○ | ヤクルト(セ) | 石井丈裕 | 岡林洋一 |
44 | 1993年 | ヤクルト(セ) | 15年ぶり2回目 | 4-3 | ○○●○●●○ | 西武(パ) | 川崎憲次郎 | 清原和博 |
45 | 1994年 | 巨人(セ) | 5年ぶり18回目 | 4-2 | ●○○●○○ | 西武(パ) | 槙原寛己 | 清原和博 |
46 | 1995年 | ヤクルト(セ) | 2年ぶり3回目 | 4-1 | ○○○●○ | オリックス(パ) | トーマス・オマリー | 小林宏 |
47 | 1996年 | オリックス(パ) | 19年ぶり4回目 | 4-1 | ○○○●○ | 巨人(セ) | トロイ・ニール | 仁志敏久 |
48 | 1997年 | ヤクルト(セ) | 2年ぶり4回目 | 4-1 | ○●○○○ | 西武(パ) | 古田敦也 | 松井稼頭央 |
49 | 1998年 | 横浜(セ) | 38年ぶり2回目 | 4-2 | ○○●●○○ | 西武(パ) | 鈴木尚典 | 大塚光二 |
50 | 1999年 | ダイエー(パ) | 35年ぶり3回目 | 4-1 | ○●○○○ | 中日(セ) | 秋山幸二 | 川上憲伸 |
51 | 2000年 | 巨人(セ) | 6年ぶり19回目 | 4-2 | ●●○○○○ | ダイエー(パ) | 松井秀喜 | 城島健司 |
52 | 2001年 | ヤクルト(セ) | 4年ぶり5回目 | 4-1 | ○●○○○ | 近鉄(パ) | 古田敦也 | タフィ・ローズ |
53 | 2002年 | 巨人(セ) | 2年ぶり20回目 | 4-0 | ○○○○ | 西武(パ) | 二岡智宏 | アレックス・カブレラ |
54 | 2003年 | ダイエー(パ) | 4年ぶり4回目 | 4-3 | ○○●●●○○ | 阪神(セ) | 杉内俊哉 | 金本知憲 |
55 | 2004年 | 西武(パ) | 12年ぶり12回目 | 4-3 | ○●○●●○○ | 中日(セ) | 石井貴 | 井上一樹 |
56 | 2005年 | ロッテ(パ) | 31年ぶり3回目 | 4-0 | ○○○○ | 阪神(セ) | 今江敏晃 | 矢野輝弘 |
57 | 2006年 | 日本ハム(パ) | 44年ぶり2回目 | 4-1 | ●○○○○ | 中日(セ) | 稲葉篤紀 | 川上憲伸 |
58 | 2007年 | 中日(セ) | 53年ぶり2回目 | 4-1 | ●○○○○ | 日本ハム(パ) | 中村紀洋 | ダルビッシュ有 |
表彰者賞金・賞品
(2007年の場合)
- 優勝チーム賞(中日) 日本野球機構より優勝ペナント、記念品製作代金、内閣総理大臣杯トロフィー。日本テレビ放送網・東京放送・フジテレビジョン・テレビ朝日・テレビ東京の在京各テレビ局から賞金50万円ずつ(合計250万円)と日テレ・TBSからは記念トロフィー。CXからは記念盾。コナミより「2007年のアジアシリーズ出場権獲得」の記念ボード。
- 最高殊勲選手(中村紀) 日本野球機構より記念トロフィー。コナミ、新日本石油、日本生命保険から賞金100万円ずつ(合計300万円)
- 敢闘選手(ダルビッシュ) 日本野球機構より記念トロフィー。ミズノから30万円相当のスポーツ商品券、ベースボール・マガジン社よりNECパソコン(25万円相当)、JAしらかわからひとめぼれのお米120キロと白河市特産の季節の野菜詰め合わせ25万円相当。
- 優秀選手(山井、荒木、森野) 日本野球機構よりトロフィー、J SPORTS、ニッポン放送、文化放送、ベースボール・マガジン社より賞金10万円ずつ(1名辺り各30万円ずつ)、御幸グループより高級オーダースーツ30万円相当
- その他各試合のホームランを打った選手に対して、札幌ドーム開催分は運営会社より、ナゴヤドーム開催分は当日のテレビ中継を担当した放送局(東海テレビ放送・中部日本放送・テレビ愛知)よりそれぞれ3万円ずつのホームラン賞を贈呈
通算記録
日本シリーズにおける各種記録を参照。
エピソード
名称について
2000年頃から報道機関ではなるべく「日本シリーズ」を「ニッポン-」と読むように通達がでている。以前は「ニホン-」が主流だった。これはチャンピオンフラッグに「NIPPON」という文字が入っているためだと思われる。しかし、大衆的には未だ「二ホン-」と呼ぶ方が一般的である。
日本シリーズとナイトゲーム
日本シリーズが史上初めてナイターで開かれたのは1964年(第15回)の阪神タイガース対南海ホークスだった。これは東京オリンピックの開催の妨げにならないようにとの配慮で、開会式が予定された10月10日までに全ての日程を消化させることにしていた(本来は第1戦が9月29日、第7戦は10月7日)が、セントラル・リーグの優勝が9月29日までに決まらず、結局阪神タイガースが優勝した翌日の10月1日に第1戦、第7戦が東京オリンピック開会式前日の10月9日の予定に変更された。だが、第6戦の雨天中止・順延が生じたため結局10月10日に最終戦を開催せざるを得なかった。これが影響してか、シリーズの平均観客動員は歴代最低を記録したため、あくる1965年からは元のデーゲーム開催に戻すことにした。だが平日開催ともなると会社や学校を休まない限り試合の観戦が困難となったり、テレビの視聴率の問題にも関わることから1994年(第45回)の読売ジャイアンツと西武ライオンズの対戦では試験的に平日開催の第3-5戦(西武ライオンズ球場)に限りナイターで実施。その評判が高かったこともあって、1995年(第46回)のオリックス・ブルーウェーブ対ヤクルトスワローズの試合以後は全試合に拡大した。
日本シリーズと天気
2005年(第56回)の千葉ロッテマリーンズ対阪神タイガース第1戦(10月22日)7回裏1死、濃霧のため試合が中断し天気が回復しなかったためそのままコールドゲームとなった。天候災害でのコールドは1953年(第4回)の読売ジャイアンツ対南海ホークス第3戦の8回終了時点で降雨コールドゲームになって以来52年ぶりであるが、濃霧による中断からそのまま試合打ち切りとなったのはシリーズ史上初。
過去の名場面
1950年 - 1959年
- 第1回大会は松竹ロビンスVS毎日オリオンズ・4勝2敗で毎日オリオンズ初代日本一(1950年)
- シリーズ史上初3年連続同一カード・読売ジャイアンツVS南海ホークス(1951年 - 1953年)
- 読売ジャイアンツ球団史上初のシリーズ制覇(1951年)
- 西鉄ライオンズVS中日ドラゴンズ・シリーズ初出場同士の対決は杉下茂の活躍で中日ドラゴンズが日本一(1954年)
- 読売ジャイアンツVS南海ホークス・この年の大会から日本シリーズの全試合テレビ中継スタート(1955年)
- 西鉄ライオンズのシリーズ3連覇(西鉄ライオンズ黄金時代・1956年 - 1958年)
- シリーズ史上2回目の3年連続同一カード・読売ジャイアンツ・水原円裕監督と西鉄ライオンズ・三原脩監督との『巌流島の決闘』(西鉄ライオンズ黄金時代・1956年 - 1958年)
- 鉄腕稲尾和久が4連投4連勝、奇跡の大逆転で西鉄ライオンズ3連覇達成(西鉄ライオンズ黄金時代・1958年第4-7戦)
- 1955年以来の4年ぶりの読売ジャイアンツVS南海ホークスの対戦は杉浦忠の4連投4連勝で南海ホークスが涙の球団史上初の日本一(1959年)
1960年 - 1969年
- 大洋ホエールズVS大毎オリオンズの10年ぶりの対戦で大洋ホエールズが前年度最下位から初のシリーズ制覇、ルーキー近藤昭仁がMVP(1960年)
- 1959年以来の2年ぶりの読売ジャイアンツVS南海ホークスの対決で読売ジャイアンツが6年振りの日本一(1961年)
- 東映フライヤーズVS阪神タイガース・延長14回日没のため2-2でシリーズ史上初の引き分け(1962年第3戦)
- 東映フライヤーズが初優勝、史上初の2人MVP(1962年第7戦)
- 読売ジャイアンツVS西鉄ライオンズ・5年ぶりの対戦は読売ジャイアンツがついに西鉄ライオンズ・稲尾和久を攻略、史上最多の18得点で日本一を決定(1963年第7戦)
- 阪神タイガースVS南海ホークス・シリーズ史上初関西球団同士での『御堂筋決戦』はシリーズ初の全試合ナイトゲーム開催(1964年)
- 読売ジャイアンツのシリーズ9連覇(V9)(1965年 - 1973年)
- 読売ジャイアンツ・王貞治と長嶋茂雄のON砲が大活躍、2人合わせて18安打13打点&23打数13安打の猛打で活躍した柴田勲のMVP(1966年)
- シリーズ史上3回目の3年連続同一カード・読売ジャイアンツVS阪急ブレーブス(1967年 - 1969年)
- 読売ジャイアンツの高田繁がシリーズ史上初、ルーキーでのMVP(1968年)
- 阪急ブレーブス岡村浩二の退場事件(1969年第4戦)
1970年 - 1979年
- 読売ジャイアンツの長嶋茂雄が野手では史上初の2年連続のシリーズMVP(1969年・1970年)
- 読売ジャイアンツVSロッテオリオンズ・後楽園球場と東京球場で史上初の『首都決戦』(1970年)
- 読売ジャイアンツ投手陣がロッテの4番ジョージ・アルトマンを5打席中3つの敬遠(4四球)で徹底的にマーク(1970年第1戦)
- 読売ジャイアンツ・黒江透修がロッテオリオンズの木樽正明から延長11回裏に放ったサヨナラソロホームラン(1970年第1戦)
- 読売ジャイアンツ・長嶋茂雄が2試合連続2打席連続ホームラン(1970年第3戦・第4戦)
- 読売ジャイアンツ・日本シリーズ6連覇(V6)達成(1970年第5戦)
- 読売ジャイアンツ・王貞治が阪急ブレーブスの若きエース・山田久志から9回裏に放った逆転サヨナラ3ランホームラン&巨人7連覇の日本一王手を決定づける末次民夫の満塁ホームランを含む7打点の活躍でシリーズMVP獲得(1971年第3戦-第5戦)
- 読売ジャイアンツの堀内恒夫が投手では史上初の2年連続のシリーズMVP獲得(1972年・1973年)
- 中日ドラゴンズ・高木守道がロッテオリオンズ村田兆治から9回裏に放ったサヨナラ二塁打(1974年第1戦)
- 中日ドラゴンズVSロッテオリオンズ・両チームともに3失策と両チーム合わせて13人の投手を起用するシリーズ史上まれに見る荒れた試合に(1974年第2戦)
- ロッテオリオンズが第1回大会の1950年の日本シリーズ以来の24年ぶりの日本一(1974年第6戦)
- 阪急ブレーブスのシリーズ3連覇(阪急ブレーブス黄金時代・1975年 - 1977年)
- 広島東洋カープVS阪急ブレーブス・史上初の山陽新幹線シリーズ(1975年)
- 広島東洋カープVS阪急ブレーブス・第1戦の延長11回3-3で時間切れ&第4戦の延長13回時間切れでの日本シリーズ史上最長の4時間49分で4-4の引き分け(1975年第1戦・第4戦)
- 阪急ブレーブスが4勝2引き分けで無敗での球団設立40年目で初の日本一(1975年第6戦)
- 1969年以来の7年ぶりの読売ジャイアンツVS阪急ブレーブスの対戦は2年連続GB決戦は阪急が2回とも巨人を倒し前年の広島戦を含む阪急ブレーブス3連覇達成(1976年・1977年)
- ヤクルトスワローズ・大杉勝男のホームランを巡る1時間19分の中断&ヤクルトスワローズ初の日本一(1978年第7戦)
- 江夏の21球&広島東洋カープ初の日本一(1979年第7戦)
1980年 - 1989年
- 広島東洋カープ2連覇達成(1979年 - 1980年)
- 読売ジャイアンツVS日本ハムファイターズ・史上初の同一(後楽園)球場での2回目の首都決戦&読売ジャイアンツ8年ぶりの日本一(1981年)
- 1980-1990年代の西武ライオンズ黄金時代(1982年、1983年、1985年 - 1988年、1990年 - 1994年)
- 中日ドラゴンズ・上川誠二の逆転3ランホームラン(1982年第3戦)
- 西武ライオンズVS中日ドラゴンズ・1954年の日本シリーズ以来の28年ぶりの対決で西武ライオンズが1958年の西鉄ライオンズ黄金時代以来24年ぶりの日本一&石ころ事件(1982年第5戦、第6戦)
- 読売ジャイアンツVS西武ライオンズ・巨人・中畑清のサヨナラ安打&へクター・クルーズのサヨナラ本塁打、西武金森栄治のサヨナラ安打と1シリーズ3度のサヨナラゲーム&1963年の日本シリーズ以来の20年ぶりのLG決戦(1983年第3戦、第5戦、第6戦)
- 広島東洋カープ・長嶋清幸の決勝逆転2ランホームラン・満塁ホームラン・同点ソロホームランと1シリーズ3度のホームランでのMVP獲得&1975年の日本シリーズ以来9年ぶりの広島東洋カープVS阪急ブレーブスの2度目の山陽新幹線シリーズの対決は広島東洋カープが4年振りの日本一(1984年第1戦、第3戦、第7戦)
- 阪神タイガース・ランディ・バースの3試合連続ホームランと、第2戦のスクイズを阻む見事なダッシュとスローイング(1985年第1-3戦)
- 阪神タイガース・長崎啓二の満塁ホームラン&阪神タイガース球団史上初の日本一(1985年第6戦)
- 広島東洋カープVS西武ライオンズ・史上初の8番勝負で西武ライオンズが日本一(1986年)
- 広島東洋カープ・山本浩二現役最後の同点ソロホームラン(1986年第1戦)
- 西武ライオンズ・工藤公康のサヨナラ安打&秋山幸二の同点ホームランでバック転しながらのホームイン(1986年第5戦、第8戦)
- 西武ライオンズ・辻発彦の好走塁&清原和博男泣き(1987年第6戦)
- 読売ジャイアンツ・ウォーレン・クロマティの怠慢な守備、そのほかにも原辰徳や篠塚利夫などの巨人守備陣のもろさが浮き彫りに(1987年第6戦)
- 西武ライオンズ・工藤公康が投手では、読売ジャイアンツ・堀内恒夫以来2人目の2年連続のシリーズMVP(1986年・1987年)
- 西武ライオンズ・清原和博、ナゴヤ球場で場外ホームラン(1988年第1戦)
- 西武ライオンズ・伊東勤のサヨナラ安打で西武ライオンズV3達成(1988年第5戦)
- 近鉄バファローズVS読売ジャイアンツ・東京ドームでシリーズ史上初、ドーム球場(東京ドーム)での開催(1989年第3-5戦)
- 近鉄バファローズ・加藤哲郎がチーム3連勝後、「巨人はロッテより弱い」と発言したと報道される(実際はそのようには言ってない。詳細は加藤哲郎の項目を参照)。この発言に激怒した読売ジャイアンツがシリーズの流れを変え、3連敗から4連勝で大逆転の日本一(1989年第4-7戦)
- シリーズ絶不調だった読売ジャイアンツ・原辰徳の満塁本塁打(1989年第5戦)
- 読売ジャイアンツ・駒田徳広が近鉄・加藤哲郎からホームラン。悔しがる加藤に駒田が「ロッテより弱い」発言のお返しとばかりに一言「バーカ!」(1989年第7戦)
1990年 - 1999年
- 西武ライオンズ・オレステス・デストラーデが巨人・槙原寛己から特大のホームラン。以来、デストラーデは第2戦・第3戦とタイムリーヒットを2試合連続で放ち西武の日本一に貢献。デストラーデは1990年のMVPを獲得(1990年第1戦)
- 西武ライオンズVS読売ジャイアンツ・西武が巨人を30年振りとなる4連勝のストレート勝ちで破り日本一を達成(1990年)
- 広島東洋カープ・大野豊3登板3セーブの大活躍(1991年第2戦、第4戦、第5戦)
- 西武ライオンズ・鈴木康友の決勝2点タイムリー(1991年第6戦)
- ヤクルトスワローズ・杉浦亨の代打サヨナラ満塁ホームラン(1992年第1戦)
- ヤクルトスワローズVS西武ライオンズ・清原和博VS荒木大輔の「甲子園を沸かせたヒーロー対決」は第3打席にホームランを放った清原に軍配(1992年第2戦)
- ヤクルトスワローズ・秦真司のこのシリーズ2本目となるサヨナラホームラン(1992年第6戦)
- ヤクルトスワローズ・飯田哲也の好返球(1993年第4戦)
- ヤクルトスワローズが前年の日本シリーズで雪辱を晴らし1978年の日本シリーズ以来15年振りの日本一(1993年第7戦)
- 読売ジャイアンツVS西武ライオンズ・清原和博VS桑田真澄のPL学園同期対決は、ソロホームランを放った清原に軍配(1994年第1戦)
- 読売ジャイアンツ・松井秀喜シリーズ初ホームラン(1994年第4戦)
- 読売ジャイアンツ・緒方耕一の満塁ホームラン(1994年第5戦)
- 読売ジャイアンツVS西武ライオンズ・4年ぶりの対決で巨人がLG決戦4度目の挑戦で初めて西武を倒す。長嶋茂雄監督にとっては初の日本一(1994年第6戦)
- ヤクルトスワローズVSオリックス・ブルーウェーブ・1978年の日本シリーズ以来の17年振りの対戦で31年振りの全試合ナイトゲーム開催でヤクルトスワローズが2年ぶりの日本一(1995年第5戦)
- ヤクルトスワローズ・トーマス・オマリーの延長11回表の決勝逆転ソロホームランと池山隆寛の延長10回裏に放ったサヨナラ3ランホームランとオリックス・ブルーウェーブ・D・Jの延長12回表の決勝逆転ソロホームランと1シリーズ3度の延長戦ホームラン(1995年第2戦 - 4戦)
- オリックス・ブルーウェーブ・小林宏VSヤクルトスワローズ・トーマス・オマリーの14球(1995年第4戦)
- オリックス・ブルーウェーブ・イチローシリーズ初ホームラン(1995年第5戦)
- 読売ジャイアンツVSオリックス・ブルーウェーブ・1977年の日本シリーズ以来のGB決戦でオリックスが阪急ブレーブス黄金時代以来19年ぶりの日本一(1996年)
- ヤクルト・古田敦也VS西武・伊東勤の両リーグを代表する頭脳派キャッチャー対決(1997年)
- 横浜ベイスターズVS西武ライオンズ・シリーズ史上初両チームが予告先発を発表(1998年)
- 横浜ベイスターズ・マシンガン打線大爆発、1試合20安打の猛攻&横浜ベイスターズが前身の大洋ホエールズ時代から38年ぶりの日本一(1998年第5戦・第6戦)
- 福岡ダイエーホークスVS中日ドラゴンズ・ナゴヤドームと福岡ドームでシリーズ史上初の両本拠地ドーム球場での開催&1963年の日本シリーズ以来の36年ぶりの九州開催(1999年第1戦 - 第5戦)
- 福岡ダイエーホークス・工藤公康VS中日ドラゴンズ・野口茂樹の「背番号47の左腕エース対決」は13奪三振で完投完封勝利の力投で工藤に軍配(1999年第1戦)
- 福岡ダイエーホークス・秋山幸二のファインプレー&福岡ダイエーホークスが南海時代から35年ぶりの日本一(1999年第5戦)
2000年 - 2007年
- 20世紀最後の日本シリーズは福岡ダイエーホークスVS読売ジャイアンツ。ON監督対決は2連敗から4連勝で長嶋茂雄監督率いる読売ジャイアンツが王貞治監督率いる福岡ダイエーホークスを下しミレニアム日本一(2000年)
- 21世紀最初のシリーズはヤクルトスワローズVS大阪近鉄バファローズ。これが近鉄バファローズとして最後のシリーズ(2001年)
- 読売ジャイアンツ・清原和博、西武ライオンズ・松坂大輔の速球を看板直撃の特大2ランホームランで粉砕(2002年第1戦)
- 読売ジャイアンツの日本一王手を決定づける二岡智宏の満塁ホームラン(2002年第3戦)
- 読売ジャイアンツ、西武相手にシリーズとしては12年振りで、球団史上初の4連勝のストレート勝ちでの日本一、1990年の日本シリーズで味わった4タテのリベンジ達成(2002年第4戦)
- 福岡ダイエーホークスVS阪神タイガース・1964年の日本シリーズ以来39年振り2回目の対戦、1975年の日本シリーズ・1984年の日本シリーズ以来3度目の山陽新幹線シリーズ(2003年)
- 阪神タイガース・金本知憲のサヨナラホームラン&シリーズ3試合連続ホームラン(2003年第3-5戦)
- 阪神タイガース・藤本敦士、シリーズ初のサヨナラ犠牲フライ(2003年第3戦)
- 阪神タイガース・広澤克実、41歳6カ月でシリーズ史上最年長ホームラン(2003年第7戦)
- シリーズ史上初・全ゲームでホームチームが勝利(2003年)
- 西武ライオンズVS中日ドラゴンズ・西武・伊東勤、中日・落合博満両監督の抗議合戦で49分の中断(2004年第1戦)
- 中日ドラゴンズ・井上一樹のダイビングキャッチでのスーパープレー(2004年第2戦)
- 中日ドラゴンズ・立浪和義の起死回生の同点3ラン&谷繁元信の決勝逆転二塁打(2004年第2戦)
- 西武ライオンズ・アレックス・カブレラと中日ドラゴンズ・谷繁元信がそれぞれ満塁本塁打を放ち、史上初の1試合2満塁本塁打(2004年第3戦)
- 中日ドラゴンズ・山井大介の6回無失点ピッチング(2004年第4戦)
- 西武ライオンズがレギュラーシーズン2位&西武ライオンズ黄金時代の1992年の日本シリーズ以来の12年振りの日本一(2004年第7戦)
- 千葉ロッテマリーンズVS阪神タイガース・シリーズ史上2回目の両チーム予告先発を発表(2005年)
- 千葉ロッテマリーンズVS阪神タイガース・シリーズ史上初の霧によるコールドゲーム(2005年第1戦)
- 千葉ロッテマリーンズが3試合連続2ケタ得点の猛打を見せつけ阪神タイガースに4連勝のストレート勝ち&レギュラーシーズン2位と1974年の日本シリーズ以来の31年振りの日本一&ボビー・バレンタイン監督がシリーズ史上初外国人[2]優勝監督に。4連勝のストレート勝ちはシリーズとしては3年振りで、マリーンズとしては球団史上初。(2005年第4戦)
- 北海道日本ハムファイターズ・ダルビッシュ有VS中日ドラゴンズ・川上憲伸の2度の「背番号11の右腕エース対決」は、第1戦は川上に軍配で第5戦ではダルビッシュが軍配(2006年第1戦・第5戦)
- 北海道日本ハムファイターズVS中日ドラゴンズ・札幌ドームでシリーズ史上初北海道での開催(2006年第3-5戦)
- 北海道日本ハムファイターズ・同年引退のSHINJOが涙の現役最終打席、中日ドラゴンズ・川相昌弘も有終の代打・バント&北海道日本ハムファイターズが前身の1962年の東映フライヤーズ以来の44年ぶり日本一&トレイ・ヒルマン監督がシリーズ史上2人目の外国人[2]優勝監督&北海道を本拠地とする球団として初優勝(2006年第5戦)
- 北海道日本ハムファイターズ・ダルビッシュ有VS中日ドラゴンズ・川上憲伸での3度目の「背番号11の右腕エース対決」は、ダルビッシュ有が好投。中日打線を4安打1失点に抑え完投勝利(2007年第1戦)
- 中日ドラゴンズ・強竜打線が地元名古屋で大爆発。打者12人がシリーズ新記録の1イニング7打数連続安打&歴代2位の1イニング7得点で日本ハム投手陣を粉砕(2007年第3戦)
- 中日ドラゴンズが前年の日本シリーズで雪辱を晴らし1954年の日本シリーズ以来53年振りの日本一を地元・名古屋で決め、日本シリーズのみならずNPB史上初の継投による完全試合(継投なので参考記録扱い)というおまけ付き、そしてシリーズの連敗記録を「6」で止めた(2007年第5戦)
- 中日ドラゴンズ・中村紀洋が大活躍、5打数連続安打などでチームを引っ張り日本一に貢献しMVPを獲得(2007年)
脚注
関連項目
外部リンク
日本プロ野球日本選手権シリーズ 1950 |
1951 |
1952 |
1953 |
1954 |
1955 |
1956 |
1957 |
1958 |
1959
|
日本プロ野球 | |
---|---|
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ |
東北楽天ゴールデンイーグルス 埼玉西武ライオンズ 千葉ロッテマリーンズ 福岡ソフトバンクホークス オリックス・バファローズ 北海道日本ハムファイターズ |
このページはWikipedia日本語版由来のコンテンツを利用しています。もとの記事は日本選手権シリーズにあります。執筆者のリストは履歴をご覧ください。Yourpediaと同じくWikipediaはGFDLのライセンスで提供されています。コンテンツを再利用する際には同じくGFDLのライセンスを採用してください。